“涙の卒業式”はなぜ生まれたの?『卒業式の歴史学』の著者に聞く、日本特有の文化が育まれた理由。
2021年3月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!
3月は卒業式シーズン。みんなで共に歌い、感動し、涙する。卒業式と聞けば、そんなシーンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
でも、私たちが春の風物詩のように感じている“涙の卒業式”は、実は日本特有の文化なんです。
私たちはなぜ卒業式で涙するのか?なぜ歌うのか?そんな疑問を追究し、卒業式をテーマに研究する立教大学文学部教授の有本真紀先生にお話を伺います。
練習を重ねて作り上げる、日本特有の卒業式
『卒業式の歴史学』の著者であり、卒業式をテーマに研究してきた有本先生ですが、もともとの専門は音楽科教育。なぜ卒業式に注目したのでしょうか?
「私は小学校の教員養成課程で音楽科教育の授業を担当しています。そこで気になったのが、模擬授業を割り振られた学生の多くが、卒業式の歌を好んで教材に選ぶこと。自分が式で歌ったあの曲をぜひみんなで歌いたいと言うんです」
みんなで歌って涙した、感動の卒業式。そんな思い出を語る学生たちを見て不思議に感じたという有本先生。
「私にとっての卒業式は、特に感動的な思い出ではなかったんです。小学校から中学校に上がる時は同じ敷地内だったので、あまり感慨もなかったですし(笑)。だから学生たちの感覚とはかなりギャップがありました」
実は筆者も同じく、卒業式にそれほど思い入れはなかったので、先生が先に言ってくださって少しホッとしました。
改めて思い返してみると、感動のシーンで泣かないといけないような妙なプレッシャーを感じて、なんとなく居心地が悪かった記憶があります。あと、何度も練習させられてちょっと面倒だった思い出が…。
「入退場や卒業証書の受け取り方の練習、あとは呼びかけの練習ですね。『楽しかった運動会』とか一人ずつセリフを読んで、みんなで復唱して、途中で歌を挟んで盛り上げていく。私自身は一度もやったことがないんです。想像するだけでも気恥ずかしくて…やらされなくて良かったと思ってます(笑)」
お話を聞いているだけで、あの恥ずかしさが蘇ってきました…。呼びかけからの卒業ソング、入退場や証書授受の所作。この私たちにとってお馴染みの卒業式は、実は日本独特のものだと有本先生は指摘します。
「いろんな国の留学生にも聞いてみたんですが、同じような卒業式はないですね。日本特有の学校文化です。そもそも義務教育段階の卒業にあたって特別なセレモニーなど存在しない国も多いです。日本ではどうしてこういう形式の卒業式をやっているんだろう?と疑問に思ったところから、研究が始まりました」
“涙の卒業式”が作られてきた歴史
そもそも卒業式という儀式は、いつ頃から日本で行われているのでしょうか?
「日本で最も古い卒業式の記録は、1876(明治9)年に陸軍外山学校で観兵式とともに行われた生徒卒業式。翌年の1877(明治10)年には東京大学の第一回卒業式が行われ、他の官立・公立学校でも行われるようになっていきました」
軍の学校から始まり、普及していったんですね。当時の卒業式はどんなものだったのでしょうか。
「黎明期の卒業式は、成果発表の意味合いが大きいです。今で言う卒論発表のようなスピーチもありましたし、体操の演技や軍楽隊の演奏なども行われていました。近代教育の成果を披露する場ですね。だから父兄や関係者以外にもチケットを配って一般公開する学校もありました」
テレビやラジオといった娯楽もまだない時代。地域の人々にとっては、物珍しさもあって楽しいイベントだったのでしょう。現代の“涙の卒業式”とはかなりイメージが違うようです。
「“涙の卒業式”の原型ができてくるのは明治の終わり頃ですね。特に小学校の卒業式で式次第が定型化し、学校生活の集大成として卒業式が位置づけられるようになっていくのが明治30年代。儀式として形を整えていく過程で、形だけではなく感情も伴うものにしなくては、という意識が強まっていきます」
もう一つ、教育勅語の影響もあったと有本先生は指摘します。
「教育勅語発布の翌年には、祝日大祭日儀式が行われるようになります。卒業式だけでなく、天皇への忠誠を誓うための様々な儀式を行うようになったことで、儀式における感情教育の色合いが濃くなっていきます」
天皇への忠誠、感情教育といった言葉の不穏な空気に、少しおののいてしまいます。卒業式にそんな一面があったとは…。
ただし、「より感動的な卒業式を目指す傾向は、むしろ戦後に強まっていきます」と有本先生は続けます。
「戦後、国家主義的な意味合いを帯びた儀式は廃止され、学校儀式の数は激減します。その中で、卒業式は学校生活最大の節目としてより重視されるようになり、やがて感情調達装置として成熟していきます」
感情調達装置とは、なかなかのパワーワード!筆者がかつて感じた、泣かないといけないようなプレッシャーは、こうして色々な要素が絡み合ってできていったんですね。
卒業ソングがあふれる時代へ
「卒業式と涙の関係において、歌は特別な意味を持っています。卒業式の歌がこれほどたくさん存在する国は、日本をおいて他にありません」と有本先生。卒業ソングの歴史についても聞いてみました。
「昭和30年代までは、卒業式の歌と言えば≪蛍の光≫と≪仰げば尊し≫。≪仰げば尊し≫のほうが歌も伴奏も難易度が高いという事情もあって、特に≪蛍の光≫が圧倒的に多いです」
今のように卒業ソングが豊富になるのはいつ頃からでしょうか?
「やっぱり金八先生からですね。≪贈る言葉≫が謝恩会などで歌われるようになり、やがて式の中でも取り入れられました。涙や感動と卒業式との結びつきは、フィクションによって強められた面も大きいです」
その後はどんな歌が人気を集めたのでしょうか。
「最もブレイクしたのは≪旅立ちの日に≫。中学校の先生が作った曲で、1990年代に全国に普及していきました。いわゆる卒業式の歌ランキングが毎年発表されるようになるのは、2004年からなんです。≪旅立ちの日に≫が定番曲になった頃から新しい卒業ソングがさらに増えていき、ランキング化されるほど充実するようになりました」
毎年3月になるとテレビやラジオで卒業ソングが流れるのを恒例行事のように感じていましたが、これほどバリエーション豊富になったのは意外と最近だったんですね。
当たり前を疑ってみることから始まる
現在、有本先生が新たなテーマとして興味を持っているのは入学。「卒業式をやったので、今度は入学をやろうかと」と笑います。
「入学式ではなく入学。1年生を対象とするのはなぜかというと、社会集団が新参者をどう受け入れるのか、どう扱うのかということに興味がある。学校の中での社会化、学校的社会化という文脈でとらえたいんです」
学校的社会化とはどういうことでしょうか…?
「学校には独特のルールがありますよね。たとえば名前を呼ばれたら、手を挙げて返事をする。家で親が子どもを呼ぶときには必要のない所作、学校的に社会化されたふるまいです。でも今では、逆に社会のほうが学校化しているんです。まだ言葉も覚えていないような小さい子どもに『○○△△さん』と呼んで、『ハーイ』とさせたりしますよね。学校的なふるまいを親が無意識にさせている。学校的社会化と社会の学校化、次はそんなことを研究したいと思っています」
筆者も先日友人宅で、1歳半の子どもが『○○くん』『ハーイ』を披露しているのを見たばかり。その光景を当たり前のように受け入れ、何の疑問も持たずにいましたが、学校的社会化という言葉に思わずハッとさせられました。
「私たちは何を当たり前とし、それをどのようにして成り立たせているのか。それを明らかにすることが、結局私がやりたいことなんだと思います。卒業式でも入学でも同じ。でも、当たり前だと思っていたものがそうではなかったと暴くだけでは、面白いトリビアで終わってしまう。事実や経緯を明らかにするだけではなく、私たちがどうしてこういうことを感じたり考えたりするんだろうという視点から追究していきたいです」
卒業式をはじめとする日本特有の学校文化を改めて知ることで、私たちが当たり前だと思ってきたことが実はそうでもないと気付かされました。
当たり前を疑ってみることから、新しい視点や考え方が生まれてくる。それが学問の面白さなのかもしれません。