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東京が京都に染まる1ヶ月!「京まなび」で大学教授の特別講座を受けてきた。

2018年5月17日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「京まなび」とは、京都の歴史、文化、ものづくりが東京に集結する「京あるきin東京」の2018年のテーマ。2月3日(土)〜3月11日(日)にかけて、東京の各エリアで様々なイベントが開催されました。そこで今回は、京都の大学による特別講座に参加してきました!

 

伝統文化から現代アートまで   京都の魅力が凝縮した「京あるきin東京」。

 

今年で8回目となる「京あるきin東京」とは、京都市、京都商工会議所、京都市観光協会などオール京都で進めている京都創生の取組をPRするイベントであり,東京で様々な京都に触れ、知り、学ぶことで、自分らしい楽しみ方を見つけて欲しいというもの。そして京都が1200年もの歴史の中で大切にしてきた伝統に触れることで、私たちが気づかなかったこと、忘れてしまっていたことに出会う機会を与えてくれるものです。

 

今回は「京まなび」をテーマに2月3日、丸の内のKITTEのオープニング・イベントからスタートしました。千代田、中央、港、新宿など都内各所で、「見る学」「知る学」「食べる学」から楽しくまなびを体験します。

時を超えて磨かれてきた京都の職人の技、古都の雅を感じる踊り、室町時代から近・現代に至るアート作品に触れる「見る学」。歴史の裏側や京都の歩き方、暮らし方、働き方など、知られざる京都に出会えるイベント揃いの「知る学」。そして「食べる学」では、長い歴史と四季折々の自然が生み出した京の食文化を堪能。東京にいながら京都を100%満喫する1ヶ月です。

楽しくまなびを体験して欲しい。そんな思いがこもったノート型の「京まなび」のパンプレットは読み応え◎

楽しくまなびを体験して欲しい。そんな思いがこもったノート型の「京まなび」のパンプレットは読み応え◎

 

さて、ご存知のように京都は世界に誇る「大学のまち」「学生のまち」。今回は14大学が「京あるきin東京」のための特別講座を開催するということで、京都にある大谷大学の草野顕之先生のお話しをうかがってきました。募集早々に満席となったこの人気講座、タイトルは「二つの本願寺の謎 ―東本願寺と西本願寺―」です。

 

 

東と西2つの本願寺の謎説きに、歴史ドラマが繰り広げられる。

東本願寺をお東さん、西本願寺をお西さんと親しまれていますが、もともとは親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の本山、一つの本願寺でした。とっても有名なことですけど。それがなぜ、同じような建物を持った瓜二つの本願寺ができたのでしょうか?

本願寺の歴史をご存知の方は多いと思います。でもその知識に自信がなかった私は、草野先生お手製のレジュメ資料とともに臨場感あふれるお話しにググッと引き込まれていきました。時は戦国時代。お話の主役は、本願寺の顕如と教如の親子です。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など脇を固める人物との関係もまた興味深かった。

 

点と点であった登場人物が複雑な線でつながり、脳内歴史ドラマが繰り広げられていきました。まるでミステリアスでロマンチックな歴史ドラマのよう…主役の教如には伊勢谷友介さんを推して、その他キャスティングもばっちり脳内完了(笑)。

 

本願寺と信長の石山合戦は元亀元年(1570年)~天正八年(1580年)、息子である教如が顕如を助けてどんどん動き出す

本願寺と信長の石山合戦は元亀元年(1570年)~天正八年(1580年)、息子である教如が顕如を助けてどんどん動き出す

 

謎解きのスタートは大阪です。本願寺は一時、現在の大阪城あたりにありました。そこは浄土真宗を全国的な教団に育てた蓮如上人から11代目の顕如までが門主を勤めた場所。この地を、全国制覇に乗り出した信長が狙ったんですね。軍用金を献上したのに、さらに本願寺の土地を譲るよう無理を言ってきた。そこで起きたのが本願寺と信長軍との10年にも及ぶ石山合戦です。

 

しかし10年間も戦ってお互いに攻略できず。そこで信長が天皇を動かし、本願寺が退去することで和睦へと話が進んで行った。ところが、いざ退去の時となると顕如の息子、教如が死を覚悟して一部の門徒と篭城をするんですね。蓮如上人が開いた大切な土地を敵に渡していいのかと。でも信長軍は戦いのプロ、最終的には約4ヶ月に明け渡すことになるんです。

和睦のための織田信長起請文には門徒を許すなどと書かれているが、教如は信長の言葉を信用していなかった

和睦のための織田信長起請文には門徒を許すなどと書かれているが、教如は信長の言葉を信用していなかった

 

ところが信長の急死で事態は一転。退去と篭城、別々の道を選んだ顕如と教如が和解する時がやってきます。秀吉により本願寺は大阪天満、さらに京都堀川七条へと再建がなされました。ところが物語の舞台がやっと京都になったと思ったら、主役の顕如が亡くなってしまう。今度は跡目騒動が勃発!草野先生のお話は知っていることなのにドキドキしてきます。

大阪、鷺森(和歌山県)、貝塚、天満…そして天正19年(1519年)、秀吉により本願寺は京都へ

大阪、鷺森(和歌山県)、貝塚、天満…そして天正19年(1519年)、秀吉により本願寺は京都へ

 

長男である教如が継職するものの、秀吉の命によりわずか1年で隠退。弟の准如が跡取りになるんですね。この就任に大きく働いたのが二人の母・如春尼(にょしゅんに)。ゴッド・マザーか?この方もなかなか濃いキャラです。彼女は有馬温泉で湯治をしていた秀吉のところに押し掛けて行き、相談をしたという記録も残っています。

長男の教如と三男の准如は歳が離れており、母親の如春尼(結婚前は公家のお嬢様)は末っ子をとても可愛がったとか

長男の教如と三男の准如は歳が離れており、母親の如春尼(結婚前は公家のお嬢様)は末っ子をとても可愛がったとか

 

いよいよクライマックスが迫ってきます。准如が門主になって数年後、秀吉が没すると家康と教如が仲良くなっていくんですね。石田三成の野望を察知して教如は関東まで御注進に行っている。そのような恩義に報いるため、関ヶ原の戦い後に家康は教如に土地を与えて東本願寺が設立されるわけです。

質疑応答では、かなり突っ込んだ質問はもちろん突拍子もない質問に会場に笑いが起こることも

質疑応答では、かなり突っ込んだ質問はもちろん突拍子もない質問に会場に笑いが起こることも

 

家康が准如の西本願寺を潰さず2つとした理由として、古くから一向一揆の勢力を半減させて政治をやりやすくするためと言われてきたそう。ところが近年になり、本願寺分化の見直しが進んできているそうです。

遠因を辿ると石山合戦の篭城と退去で教団が2つに分かれ、さらに顕如亡き後の跡継ぎの問題でより明確になった。それを受け、家康がそのまま教如の東、准如の西と2つの本願寺を認めたのではないかと草野先生は見解を示してくださいました。なるほど!

 

草野先生の言葉一つひとつを聞き漏らさないように耳を澄ませ、レジュメ資料とモニターを目で追う熱心な聴講生のみなさんとともに、あっと言う間に過ぎた90分。教壇を降りた草野先生はとてもチャーミングで「なるべく文章は原文に近いものを使って、できるだけ言葉で補うことで歴史的な臨場感を出したかった」とお話しくださいました。

 

もっとお話しを聞きたい。妄想ドラマを脳内で見たい。先生のご本も読んでみたい。次の機会がとても楽しみになりました♪

「京あるきin東京」は毎年2月~3月頃に開催されています。ぜひ来年もチェックして京都の魅力をたっぷり味わってみませんか?

都心の本の杜!國學院大學「みちのきち」で本とともに憩う。

2018年4月24日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

(C)國學院大學

 

 

スマホ>本になっていませんか?書店は減るし、図書館は面倒くさい、調べ物はネットでピンポイント検索すれば充分…デジタル・ネイティブである大学生の本離れは、おとな以上に深刻な問題です。そこで本離れに立ち向かう國學院大學のブックプロジェクト「みちのきち」を探ってきました。

 

 

渋谷キャンパスの学術メディアセンター1階にある「みちのきち」は、図書館ではありません。本が魂をもっているかのようにいきいきと美しく並ぶ、居心地のいいフリースペースです。読書や勉強することはもちろん、休憩したり、おしゃべりしたり、飲食することも◎。一般の方の利用がOKなのもうれしいです。

 

「みちのきち」へ行くと、まるで杜のようなウッディなスペースがまず目に入ってきます。木漏れ日を感じさせる暖色のライティング、美しい緑でまとめられたインテリア、語りかけるような本のレイアウト…とても心地よくておしゃれなラウンジのよう。本当にキャンパスの一部なのかと一驚しました。設計とインテリアを担当されたのはSUPPOSE DESIGN OFFICE。なるほど。

 

(C)國學院大學 中央にある本棚は大樹の幹のよう、本というたくさんの葉を守ってくれている感がある

(C)國學院大學
中央にある本棚は大樹の幹のよう、本というたくさんの葉を守ってくれている感がある

 

中央に座っていても外からの視線が気にならない。キャンパスにあって「みちのきち」は別世界

中央に座っていても外からの視線が気にならない。キャンパスにあって「みちのきち」は別世界

 

(C)國學院大學 外からは屋根に見えた部分は3段のシェルフになっている

(C)國學院大學
外からは屋根に見えた部分は3段のシェルフになっている

 

國學院大學と言えば明治から続く歴史ある学校で、国内では数少ない神職課程があるのはご存知の通り。皇学(天皇が統治する国の歴史・文化・伝統など)に関する貴重な資料をはじめ、大学が収蔵している書籍は都内トップクラスです。そんな同大の学生も本離れが進んでいるとか。本をもっと身近に!そんな願いから誕生したのが「みちのきち」でした。

 

また、「みちのきち」という響きに、子どもの頃に魅せられたヒミツ基地のような懐かしさと親しみやすさを感じませんか?

この名称にも大学の深い想いが込められています。未知のことを既知に変える基地、人生(道)の迷いに向き合う基地、機知に富んだ会話ができるような本がある基地…。

ページをめくることで遭遇する奇跡の出会いや、スマホやタブレットでは得られない醍醐味を、ぜひ体験してほしいという願いが込められているのです。

 

(C)國學院大學 テーブルのある席ではミーティングをする学生も多く、並んでいる本がヒントになることも

(C)國學院大學
テーブルのある席ではミーティングをする学生も多く、並んでいる本がヒントになることも

 

収蔵されているのはマンガから絵本、小説、高そうな写真集まで約800冊。本をほとんど読まない学生達の声を参考に、「食べる」「未知なる場所へ」「ものがたり」「身体」「日常」「日本の来歴」「神聖なもの」という7つのテーマを設定し、ブックディレクターの幅允孝さんが中心となって選書しました。同大らしいテーマもありますが、一番人気は「食べる」のコーナー。美味しいものは誰しも目がありません。

 

(C)國學院大學 こちらは「神聖なもの」コーナー。手塚治虫さんの『火の鳥』『ブッダ』を発見

(C)國學院大學
こちらは「神聖なもの」コーナー。手塚治虫さんの『火の鳥』『ブッダ』を発見

 

そして注目したいのが【教員のおススメ本】。何を読んでいいのかわからないという学生のために、身近な同大の先生方が本を紹介するコーナーです。5分で読めるような絵本もあれば、山や猫の写真集、ドキュメンタリー、古典に哲学書…個性豊かな切り口でセレクトしているのがおもしろい。思わず本を手にとってしまいます。

 

【教員おススメ本】コーナーでは、先生が書籍の紹介文を作成

【教員おススメ本】コーナーでは、先生が書籍の紹介文を作成

 

余談ですが、大学生の本とスマホのお話しを。2018年2月に発表された全国大学生協組合連合の調査では、1日の読書時間が0分という大学生が53.1%、一方のスマホは、学生の99.2%が所有して1日177.3分利用しているそう。数字で見ると本当に本離れが深刻なことがわかりますね。

 

学生が1冊でも多くの本に触れ、新たな知識と出会う機会を創造していくというこのブックプロジェクト。「みちのきち」に続く第二弾は書籍『私の一冊』の発行(2018年4月25日/Amazonへ)です。

 

今後も書店などとタイアップして、トークイベントなど様々なイベント開催される予定。お近くで開催されるかもしれないので、要チェックです。

 

 

(C)國學院大學 女優、スポーツ選手、作家、政治家、大手企業社長など、各界の著名人109人がそれぞれ選んだ一冊を紹介するブックガイド『私の一冊』。赤紫の美しく上品な装丁は、ずっと手元に置いておきたい一冊に

(C)國學院大學
女優、スポーツ選手、作家、政治家、大手企業社長など、各界の著名人109人がそれぞれ選んだ一冊を紹介するブックガイド『私の一冊』。赤紫の美しく上品な装丁は、ずっと手元に置いておきたい一冊に

 

 

内容はもちろんのこと、装丁、サイズ、紙質、フォント…本には作り手の思いがすごく込められています。美しい表紙やキャッチーなタイトルから興味を持ち、新しい世界の扉を開いてくれるのも本の魅力。

 

スマホを置いて、本の杜「みちのきち」で自由に本と触れてみませんか?國學院大學博物館を見学した後の休憩にもおすすめです!

 

東京のオアシス「東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)」で森林浴を♪

2018年4月3日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

都会のオアシス、どこを連想しますか?文京区にある「東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)」は、1684年(貞享元年)に徳川幕府が設けた小石川御薬園に端を発する日本最古の植物園。教育実習・研究の施設であり、日本近代植物学発祥の地なんです。だからこそ守られてきた、ありのままの東京の自然。都会のオアシスとして、四季折々、訪れる人々に安らぎを与えています。

 

園内にはその長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が残されていて、国の名勝及び史跡に指定されています。日本でもっとも古い植物園であるだけではなく、世界でも有数の歴史を誇る植物園なのです。

春は緑のトンネル、秋は赤のトンネルとなる美しいカエデ並木

春は緑のトンネル、秋は赤のトンネルとなる美しいカエデ並木

 

小石川植物園の広さは161,588平方メートル(48,880坪)。台地、傾斜地、低地、泉水地など変化に富んだ自然の地形を利用して約1500種の樹木をはじめ、さまざまな植物が自生しています。なかには、日本の近代植物学発祥の地ならではの貴重な植物があるのも特徴です。

さらに、万有引力の法則を発見したニュートンの生家に生えていたリンゴの木や、遺伝子学の基礎を築いたメンデルが実験に用いたブドウの木、中国で発見された原生種のメタセコイア林などなど、見どころがたくさん。

 

1896年(明治29年)に平瀬作五郎が、この雌の木から採取した若い種子から精子を発見。当時、世界の学会に大きな反響を起こしました

1896年(明治29年)に平瀬作五郎が、この雌の木から採取した若い種子から精子を発見。当時、世界の学会に大きな反響を起こしました

 

江戸時代には薬用に供された、日本で一番古いと言われるサネブトナツメ

江戸時代には薬用に供された、日本で一番古いと言われるサネブトナツメ

 

ハンカチノキ。花びらのように見える大型の美しい 苞(ほう) を持つ。園内でも人気のある植物の一つ

ハンカチノキ。花びらのように見える大型の美しい 苞(ほう) を持つ。園内でも人気のある植物の一つ

 

植物の分類体系を、約500種の生きた植物で理解できるように植栽した、植物分類標本園

植物の分類体系を、約500種の生きた植物で理解できるように植栽した、植物分類標本園

 

季節のみどころは、早春から始まる花々のリレー。ウメ、ツバキ、そしてサクラへ。樹齢約130年と推定されるソメイヨシノは日本屈指のご長寿サクラ。ハナショウブ、フジ…そして秋の紅葉へとバトンが渡され季節ごとに訪れる人々を楽しませてくれます。

 

コンペイ糖のような形をしたカルミアの花。昆虫などの刺激により雄しべが飛び出し、花粉が散るというおもしろい仕組みを持っています

コンペイ糖のような形をしたカルミアの花。昆虫などの刺激により雄しべが飛び出し、花粉が散るというおもしろい仕組みを持っています

 

ソメイヨシノ林。1879年にはすでに植栽されていたという記録が残っており、日本で最も長寿といわれる。お花見のシーズンには多くの人で賑わいます

ソメイヨシノ林。1879年にはすでに植栽されていたという記録が残っており、日本で最も長寿といわれる。お花見のシーズンには多くの人で賑わいます

 

そして小石川植物園といえば、日本庭園や建造物も魅力。時代劇でよく耳にする小石川養生所もここにあり、当時を忍ばせる井戸も残っています。

趣のある日本庭園は第5代将軍徳川綱吉の幼時の居邸だったもの。また、池の奥に見える赤い建物は明治時代に建てられた、重要文化財の旧東京医学校本館(小石川植物園の敷地外)です。正門を入ってすぐのモダンな建物、植物園本館は安田講堂と同じ建築家・内田祥三によって建てられました。

 

江戸時代、小石川養生所で使われていた井戸は水質もよく、水量も豊富で今も現役とか。関東大震災の際には飲料水として使用されたそうです

江戸時代、小石川養生所で使われていた井戸は水質もよく、水量も豊富で今も現役とか。関東大震災の際には飲料水として使用されたそうです

 

第5代将軍・徳川綱吉に縁ある白山御殿に由来する、自然の地形に優れた技術がうかがえる江戸時代の代表的な庭園

第5代将軍・徳川綱吉に縁ある白山御殿に由来する、自然の地形に優れた技術がうかがえる江戸時代の代表的な庭園

 

柴田記念館。理学部植物学教室の教授・柴田桂太の寄付で1919年に建築された建物。現在は柴田博士や植物園の歴史を紹介する資料、植物学関連の出版物などを展示公開

柴田記念館。理学部植物学教室の教授・柴田桂太の寄付で1919年に建築された建物。現在は柴田博士や植物園の歴史を紹介する資料、植物学関連の出版物などを展示公開

 

園内を散策していると他の植物園や庭園との違いに気がつくことがあります。それは教育・研究の場として、ありのままの自然、失われつつある東京の野生を守り続けていること。あまり手が加えられていないんですね。

特に自然林のエリアは雑草がぼうぼうと茂っていたり、木々が折れたり朽ちたりしていてもそのまま。都内では珍しい昆虫や鳥、動物も出没するとか。散策の際には少し注意が必要ですが、何と遭遇するかわからない探検をしているようです。

 

東京の真ん中?まるで山の中へとテレポートしたような豊かな自然林が残る

東京の真ん中?まるで山の中へとテレポートしたような豊かな自然林が残る

 

鐘形のフリル状の花が優雅な印象を与えるアメリカキササゲ

鐘形のフリル状の花が優雅な印象を与えるアメリカキササゲ

 

 

山本周五郎『赤ひげ診療譚』をはじめ、泉鏡花、寺田寅彦、森鴎外、北原白秋、安部公房…多くの文学者に愛され、作品にも登場する小石川植物園。都会の喧噪を忘れ、東京のありのままの自然と歴史に触れることができる場所です。文豪の一冊を片手に森林浴もおすすめ。自然のエネルギーでココロとカラダを満たしませんか?

摩訶不思議!國學院大學博物館「いのちの交歓 ―残酷なロマンティスム―」展で頭をガツンと、心をスウッと撃たれた【後編】

2018年3月29日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

食べるものと食べられるもの、殺し、殺され、交わり、ひとつの“いのち”を紡いでいく。 “いのち”とは何だろう?その重みとは?斬新な企画展「いのちの交歓 ―残酷なロマンティスム―」。前編に引き続き、後編ではもう一つの目玉であるトークセッションをレポートします!

 

 

映画上映などが行われた関連イベントは、テーマも面白ければ、登壇者も個性豊かで魅力的!大学教授はもちろん、探検家、邦楽家、現代アート作家・・・と、みなさん+αの肩書きを持っている方々でした。6回の開催のうち、取材では「いのちとイノチの間を考える」をテーマにしたトークセッション「いのちの裂け目―山伏×芸術×猟師」に参加してきました。

 

登壇者は、写真家でありながら山伏、著述家である井賀孝さんと、映像作家で猟師である井上亜美さんが登場。トークセッションの司会は、今回の企画展をキュレーションした学芸員の石井 匠さん(前編でも紹介)です。

 

いのちを尊ぶ山伏といのちを糧とする猟師。山を舞台に相反する2つの職業がどんなトークを展開するのか、どんどん興味が膨らんでいきます。

その前に、二人のゲストの紹介を。

 

司会をする学芸員の石井さん(左)。立ち見が出るほどの盛況ぶりでした

司会をする学芸員の石井さん(左)。立ち見が出るほどの盛況ぶりでした

 

井賀孝さんは、かつてはブラジルで格闘技を中心とした写真を撮っていたそうですが、ある時、日本人なのに日本を撮っていないことに気づいたそう。和歌山県出身で、高野山や熊野など山と宗教が密接な地域だったこともあって「日本=山」という思いがあり、山伏の存在を知って修行に飛び込んだそうです。

 

学芸員の石井さんが「石が踊っている」と表現した、富士山で竜巻の強風にあおられ身を守りながら撮影された作品「不二之山_新」。モノクロ光景が、より霊的な力が強調している (C)井賀孝

学芸員の石井さんが「石が踊っている」と表現した、富士山で竜巻の強風にあおられ身を守りながら撮影された作品「不二之山_新」。モノクロ光景が、より霊的な力が強調している
(C)井賀孝

 

井賀さんが撮影した、荘厳な富士山の作品群がモニターに映し出されます。「二つとない独立峰であること、足元が凍るほど何人たりとも寄せつけない冬の富士山の神聖さ」。井賀さんが富士山を撮る理由です。「夏に何十万人もの人が訪れて疲れた富士山が、冬の間に生き返り、鋭気を養い、霊気を蓄えていく」とも語っていました。なるほど霊峰・富士山はパワーが違う、心にストンときました。

 

富士を霊山として登拝する信仰組織「富士講」は修験道に由来するとも言われています。なるほど、富士山と山伏がつながってきました!

 

撮影時のエピソードとともに作品を解説する井賀さん(C)井賀孝

撮影時のエピソードとともに作品を解説する井賀さん(C)井賀孝

 

「大滝を龍神としたように、いろんなものには神が宿っている。八百万の神、山全体を神仏として捉えるのが日本人の感性」と井賀さん。仏像だけではなく滝、大きな岩や木にもお札である碑伝(ひで)をあげて行く。山で修行を積む山伏は、神秘的な光景によく遭遇するそうです。

 

日本人のとしてDNAに刻み込まれたような山伏の修行光景の数々。自然に魂に響いてくる (C)井賀孝

日本人のとしてDNAに刻み込まれたような山伏の修行光景の数々。自然に魂に響いてくる
(C)井賀孝

 

そんな井賀さん、山伏の奥駆修行についてまとめた著書『山をはしる』を執筆。300ページを超えるにもかかわらず写真が10ページ程度とか・・・写真家なのにビックリです!

 

次に、映像作家であり猟師の井上亜美さんが紹介されました。山をガシガシとかきわけて獲物を狙うクールで力強い猟師のイメージとはかけ離れた、柔らかで可憐な20代女子でした。「撃つことは撃たれること。自分に返ってくるダメージも大きい」と話す井上さん、狩猟免許を取得したのは大学院生活の時だったそうです。

 

言葉を選びながら、一つひとつのシーンを丁寧にそして冷静に解説されている井上さん (C)岡本太郎記念館

言葉を選びながら、一つひとつのシーンを丁寧にそして冷静に解説されている井上さん
(C)岡本太郎記念館

 

井上さんは福島県と宮城県の県境、丸森町出身。祖父が猟師で、子供の頃から鹿や山鳥がごく普通に食卓に乗っていたそうです。けれど東日本大震災後、放射線量の高い丸森町では狩猟の獲物は食べることができなくなったそう。

 

祖父は食べない“いのち”を獲ること(駆除)を拒んで猟師を引退、どんどん元気を失っていったそうです。切ないですね。

 

そのような状況で撮られたのが1作目の「猟師の生活」。そして、おじいちゃんとのコミュニケーションをとり、記録に残すために作られたのが2作目の「じいちゃんとわたしの共通言語」です。

 

会場から笑いも起きた「熊出没注意!」の看板の後ろに猿が出没するシーン、井上さんが普段猟をしている京都での一コマ (C)Ami Inoue (C)岡本太郎記念館 (C)藤原彩人

会場から笑いも起きた「熊出没注意!」の看板の後ろに猿が出没するシーン、井上さんが普段猟をしている京都での一コマ
(C)Ami Inoue (C)岡本太郎記念館 (C)藤原彩人

 

この2作、井上さんは猟師として山に入るため、狩猟シーンのほとんどをお友達が撮影されたそうです。井上さんが編集をする際にこだわったのが、狩猟や解体など衝撃的で血なまぐさいシーンを省き、ドライな視点で目の前に起きた事象をそのまま映像として伝えること。淡々と描かれた狩猟のプロセスによって、見る側は“いのち”を奪うという残酷で深遠な行為を素直に受け止めることができたのかもしれません。

 

4.5次元「石の間」で上映中の井上さんの作品、その前には供物のような鹿の骨が展示されている。 (C)Ami Inoue

4.5次元「石の間」で上映中の井上さんの作品、その前には供物のような鹿の骨が展示されている。
(C)Ami Inoue

 

3作目の「まなざしをさす」はフィルム写真を流すという趣向を凝らした映像作品。カメラを持っての狩猟に違和感をおぼえた井上さんは、この作品では自分の目でしっかり見ることを大事にしたいと思ったそうです。デジタルではなくアナログのカメラを使用した、小さなファインダーから広がる狩猟の世界。1枚1枚の重みが伝わってきました。

 

***

 

ゲストの紹介が終わると、トークセッションがスタート!山を舞台に活躍する山伏と猟師、一体、共通するものと相反するものとは?会話の中で織りなされた言葉が、一つひとつ染み入ってきました。

 

國學院大学いのちの交歓17

 

石井学芸員(以下:石井)  お二人の話には共通点や対照的なところもあると感じました。井賀さんは写真家としての視点と山伏との視点の違い、また二つが切り替わるのはどういった瞬間ですか。

 

井賀  山伏のほか、文章も書くので著述家としての自分もありますが、何者かと聞かれたら写真家だと答えます。切り替えるというよりも、すべて一本筋が通っているので。山を撮ることが日本を撮ることになると思い、行者として山に入った。写真家じゃなければ山に入っていなかったですね。

 

石井  岡本太郎は「生きることが芸術だ」、生活の中にふつうに芸術があると言っているんですね。井上さんはカメラを持って山に入ることに違和感を持っているようですが、それでもやり続けるのですか。

 

井上 「人間は常に表現をしながら生きている」。大学時代の先生の言葉です。私も制作する時にわざわざ作らなくても、そこにはもう美しいものがあるという考えになっています。井賀さんにも通じるかと思いますが、自分が当事者になることで、その世界に入って行きやすくなる。だからカメラにとらわれず、もう少し広い視点でいろんな記録の仕方があると思っています。

 

井賀  井上さんのおじいちゃんは、動物が食べられなくなったから猟を止めた。それはよくわかる。昔はレジャーで山に入る人はいなくて、修行で入るか、山の恵みをもらいに行くしかない。実は僕、狩猟免許を持っているんです。まだ一度も撃ったことはりませんけど(笑)。

英語でshoot(撃つ)には撮影するという意味もあります。井上さんは、獲物が現れた時はどっちだろうと思っていたんです。だけど、ほとんどをお友達が撮影してご自身が編集することによって作家性を出していると納得した。

1、2作目は映像なのに、3作目はなぜ写真なのか疑問でしたが、フィルムは空間とか、対象とか、デジタルよりもしっかりと一枚を切り取ることを大切にするから。僕はフィルム世代だし納得がいきました。

 

井上  私も狩猟を記録しよう、目の前の光景を残したいという気持ちからフィルムカメラが思い浮かびました。大型ビデオを持参したり、ビデオを体に付けたり、いろいろ試してみたけれど、映像には残っても自分が経験した狩猟の感覚が伝わってこなかった。フィルムだったら近いものが引き出せるかもしれない。そんな思いで自分が銃を持てない期間に参加した狩猟でカメラを持って山に入り、それが初めてしっくりきた瞬間でした。

 

井賀  登山家で狩猟もする服部文祥さんの密着取材で、山に入り鹿に遭遇したんです。春日大社では神の使いとされている鹿、山伏の感覚では神々しくて大切にしなければいけない存在。でも服部さんは、いかに獲って喰うかを考えていた(笑)。同じ山の中で、同世代の人間が鹿一頭をまるで違う視点から見ていた。それが面白くて狩猟免許を取ったんです。それをSNSに載せたら山伏の偉い方から「鉄砲はダメ」だとメールがきました。取得する前に言ってほしかった(笑)。

 

石井  今回のタイトルでもある「いのちの裂け目」では山伏と猟師を芸術でつなげています。山伏は殺生が禁じられ鉄砲もダメだと言われている。かたや猟師はそれを食べる。まさに対照的で、いのちの捉え方がだいぶ変わると思います。井上さんは撃つことが撃たれることだとおっしゃっていましたが、井賀さんのお話を聞いてどう考えられていますか。

 

井上  私にとっては小さな頃から祖父の獲ってきた動物の肉を食べていたので、自分で獲って食べるということは自然な行いです。食べるという行為が、私の中ではその動物を全部いただいた感じになるんです。

 

石井  山伏が山に入るって、山に食べられることなんじゃないかな?富士山のような異界というか、厳しい冬に魂が復活するような場所、そんな中に入って行く行者達は山に食べられてまた返ってくるようなイメージがあるんです。

 

井賀  食べられるという感覚は持ったことはないですね。必ずしも山伏の修行には表現者として入らなくてもいいのかもしれない。でも僕は今年の夏も行こうと思っていて、生命力というのでしょうか、生命エネルギーを感じて元気になるんですね。

 

石井  井上さんも作品を作るというより、猟で山に入ることが生活の一部になりつつある。井賀さんも、自分の人生を生きていく1年のサイクルの中でなくてはならないものになっている。おそらく縄文時代の人達は、美術なんて考えはまったくなくて、土器は日常生活で使うただの調理用の土鍋だった。それを後世の人が見ると芸術、美術になり、今はそれが当たり前になっているのは不思議ですね。

 

 

最後に、石井さんはこう結びました。

 

石井  万人が芸術家であるべきだと岡本太郎は考えていました。つまり、生きること自体が芸術なんですね。ふだんの生活の中に芸術を取り入れていただけると、より豊かに生きられるのではないかと思います。このトークセッションには答えはありません。この展示を通し、人間と動物、それ以外の物との、いのちの結び直しができればと思っています。

 

***

 

芸術をつなぎに“いのち”で結ばれた山伏と猟師。この山に入るという2つの職分と、それぞれの深大な役割を知ることができた「いのちの裂け目―山伏×芸術×猟師」トークセッション。岡本太郎の感想をぜひ聞いてみたいと思いました。

摩訶不思議!國學院大學博物館「いのちの交歓 ―残酷なロマンティスム―」展で頭をガツンと、心をスウッと撃たれた【前編】

2018年3月27日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

岡本太郎の作品に土器、鹿の頭蓋骨、毛皮、石ころ・・・なんかごちゃまぜ。それなのにチラシ1枚で不思議と興味がわいてくる。“いのち”を軸に一つの世界へと昇華した國學院大学博物館の企画展「いのちの交歓 残酷なロマンティスム」。2018年2月25日まで開催されていた斬新な展示のヒミツに前後編で迫ります!

企画展のチラシ

企画展のチラシ

 

「いのちの交歓 残酷なロマンティスム」とは一体?! 1枚のチラシから感じた疑問をまずは解決すべく、この企画展をキュレーションした学芸員の石井 匠さんにお話をうかがいました。

國學院大学いのちの交歓2

この石井さんのプロフィールがとても興味深い。元現代芸術の作家、考古学の研究者、神主の資格(自称ペーパー神主とか)を持つマルチな方でした。さらに『謎解き太陽の塔』(幻冬舎新書)の執筆や岡本太郎記念館で客員研究員をされている岡本太郎通。メキシコで行方不明になっていた「明日の神話」(渋谷駅設置)にも深く関わっていらっしゃったそうです。

後編ではトークセッションの司会をされている石井さんのお姿(遠景)も紹介しています。

岡本太郎作「座ることを拒否する椅子」。 (C)岡本太郎記念館

岡本太郎作「座ることを拒否する椅子」。
(C)岡本太郎記念館

 

岡本太郎と國學院大学博物館とのつながりは、2016年に岡本太郎記念館で開催された「生きる尊厳 岡本太郎の縄文」への協力がはじまりとか。岡本太郎は「縄文文化論」をはじめいくつもの日本文化論を著していて、縄文土器は日本の根源にある芸術だと語っています。今回のテーマ「いのちの交歓 残酷なロマンティスム」は、岡本太郎の著書『神秘日本』の中から引用です。

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動物と闘い、その肉を食み、人間自体が動物で、食うか食われるか、互いにイノチとイノチの間をきりぬけ、常に生命の緊張を持続させながら生きて行く。このいのちの交歓の中に、動物と人間という区別、仕切りはなかった。あの残酷なロマンティスム。動物だけではない。自然のすべて、雨も風も、海も樹木も、あらゆるものと全体なのである。

岡本太郎『神秘日本』(中央公論社 1964年)

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「岡本太郎はこの短い文章に、縄文人がどういう生き方をしていたかを書いているんです」と石井さんは言います。

「人間と動物の関係性は、食うか食われるか。私たちも普段、動物や植物を食べていて、彼らを殺していのちを取り込んでいるのにも関わらず、その実感がない。それを岡本太郎はいのちの交わり、交歓、さらに残酷なロマンティスムと言っている。岡本太郎が感じていたものは何かを読み解くとともに、いのちとは何かということを考えながら、いろいろな収蔵品・作品の組み合わせを考えて、今回の展示になりました」と企画展の意図を教えてくださいました。

 

岡本太郎作品や土器、民具などと共に、現代作家の作品が多数展示されていることも気になるポイントです。

現代作品と展示法については「いのちの交歓、残酷なロマンティスムという単語にフィットする作家さんを選びました。それが結果的に画家、彫刻家、写真家、映像作家になって。実は岡本太郎はこれらの芸術ジャンルのすべてをやっているんですよね」。

 

「時間も場所も物も、何の脈略のないものをインスタレーション的に並べて、架空の神話的空間として2.5次元、4.5次元と名付けて展開しました。ベースにあるのは日本神話の古事記です。この展示で、何を感じ、どんな答えを出すかは、見た方にお任せしています(笑)」と石井さん。

 

なるほど!つまりこの展示は、私が持っている常識を超えた、今までに見たことがない空間が広がっているんだと納得。高まる胸を抑えながら、展示スペースへ足を踏み入れました。

ちなみに2.5次元といっても、アニメやマンガを表現した舞台とは違うのでご注意を。

 

東北の自然そして農村に宿る神々へ、いのちの豊饒を願って祈り踊る。東北を原点に活躍する画家・田中望の「モノおくり」。 (C)田中望

東北の自然そして農村に宿る神々へ、いのちの豊饒を願って祈り踊る。東北を原点に活躍する画家・田中望の「モノおくり」。
(C)田中望

 

最初のスペースは2.5次元とされた「豊饒の間 死とともに汚物から生まれるいのち」。古事記でイザナミという女性の神様が、死んでいく過程でさまざまな汚物を出し、それが金属や粘土などの神様になっていく場面がベースです。

 

人間や非人間が、いのちの豊饒を願って歌い、踊り、祈っている。このスペースには岡本太郎絶筆となった絵画「雷人」も展示されていました。

 

目にドーンと飛び込んでくる岡本太郎作「豊饒の神話」。作品を背景に縄文人に食べられた鹿の角や骨、縄文時代の土器と土偶、古墳時代の武具、近代の民具が並ぶ2.5次元「豊饒の間」。 (C)岡本太郎記念館

目にドーンと飛び込んでくる岡本太郎作「豊饒の神話」。作品を背景に縄文人に食べられた鹿の角や骨、縄文時代の土器と土偶、古墳時代の武具、近代の民具が並ぶ2.5次元「豊饒の間」。
(C)岡本太郎記念館

 

2.5次元「豊饒の間」は岡本太郎と現代アーティストの作品、旧石器人から現代人まで、いのちの証が混在一体となっていた (C)岡本太郎記念館 (C)田中望

2.5次元「豊饒の間」は岡本太郎と現代アーティストの作品、旧石器人から現代人まで、いのちの証が混在一体となっていた
(C)岡本太郎記念館 (C)田中望

 

岡本太郎が撮影した写真をスライド上映。岡本太郎は斜め45度に改造したカメラで、被写体の自然な表情を撮影していた

岡本太郎が撮影した写真をスライド上映。岡本太郎は斜め45度に改造したカメラで、被写体の自然な表情を撮影していた

 

続いてのスペースは4.5次元とされた「石の間 この世とあの世、生と死の裂け目に鎮座する地球の贓物」。こちらも実際にはありえない次元で、ありえない空間として設定。中央には縄文時代の遺跡から出土した大きな石(流山市三輪野山貝塚)がご神体のように鎮座して、古代宗教の聖地のような神聖な雰囲気が漂っていました。ここはイザナミとその夫であるイザナギが死者の国と生者の国の境目、千引の岩を境に問答する場面が表現されていました。

 

大石を中心にした神秘的な4.5次元「石の間」。縄文人の頭蓋骨から、写真家・井賀孝や彫刻家・藤原彩人の作品まで、まるで古代の祭事に参加したような神聖な気持ちに。 (C)流山市教育委員会 (C)Ami Inoue (C)井賀孝

大石を中心にした神秘的な4.5次元「石の間」。縄文人の頭蓋骨から、写真家・井賀孝や彫刻家・藤原彩人の作品まで、まるで古代の祭事に参加したような神聖な気持ちに。
(C)流山市教育委員会 (C)Ami Inoue (C)井賀孝

 

モニターには映像作家・井上亜美作「猟師の生活」「じいちゃんとわたしの共通言語」「まなざしをさす」が流れる。絵画は岡本太郎作「石と樹」、彫刻家・藤原彩人の磁釉陶が並ぶ (C)Ami Inoue (C)岡本太郎記念館 (C)藤原彩人

モニターには映像作家・井上亜美作「猟師の生活」「じいちゃんとわたしの共通言語」「まなざしをさす」が流れる。絵画は岡本太郎作「石と樹」、彫刻家・藤原彩人の磁釉陶が並ぶ
(C)Ami Inoue (C)岡本太郎記念館 (C)藤原彩人

 

「いのちに対する感情が、度し難いほど軽く希薄になっている」と危機感をお持ちの石井さん。

 

あまりにも斬新で感性的な展示でしたが、“いのち”について考えたのはいつだっただろう?自らを顧みながら見学しました。縄文時代から脈々と静かに伝えられてきた“いのち”のやりとりを感じながら、今を生きる私たちに “いのち”を結い直すきっかけを与えてくれるものでもありました。

 

後編ではトークセッションをレポートします!

芸術をはぐくむ宝箱!東京藝術大学 大学美術館のミリョクを探ってみた。

2018年3月8日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

文化の杜・上野、知的好奇心を満たそうと日本国内はもちろん世界から多くの人々が集う。その一角に、東京藝術大学の大学美術館があります。国立西洋美術館、東京都美術館、東京国立博物館…日本を代表する文化施設と立ち並ぶ、東京藝術大学 大学美術館に今回は潜入!大学美術館とは、どんな場所?その魅力を探ってみましょう。


東京藝術大学は言わずと知れた、日本で最も歴史ある芸術分野の最高学府。美術・音楽・映像と、あらゆる芸術を支えてきた日本を代表する総合芸術大学です。1887年(明治20年)に設立された東京美術学校と東京音楽学校を前身とする藝大、いまもその名残りが道路を挟んではっきりキャンパスに残っています。それでは、東京藝術大学 大学美術館の魅力をひも解いていきましょう。

ミリョク1:日本を代表する芸術家を多数排出!
      学生時代の原点ともいえる作品を所有

古くは東京美術学校一期生の横山大観や下村観山から、洋画家の藤田嗣治や岡本太郎はじめ、彫刻家、建築家、映像作家、デザイナーまで世界的に活躍する芸術家が学んできた藝大。卒業制作はもちろん、卒業時に自画像を提出するのがひとつの伝統になっているそうです。

2017年には村上隆、山口晃、松井冬子など、活躍の目覚ましい現代作家の自画像が公開されました。現在の作風とはまったく異なるもの、作家の原点を見るようなものなど、学生だからできる自由で斬新な表現、技法も素材もそれぞれ異なる多彩な作品ばかり。大学美術館にしかない芸術家の若き日の作品に出会うことができます。

ミリョク2:国宝・重要文化財を含む、
      美術学校ならではの美術資料を収蔵

尾形光琳、高橋由一、伊藤若冲、上村松園など、1887年の学校設置以前から集められた収蔵品は国宝・重要文化財を含む29,000件余り。実は東京藝術大学 大学美術館が誕生したのは1999年、歴史ある藝大にしては新しいんです。それまではレトロな2階建て陳列館(昭和4年建築)をメイン・ギャラリーにして陳列。もったいなかったですね。

大学美術館では美術作品やそれに関わる資料、そしてその研究成果の展示やさまざまな普及活動を公開。日本美術の名品、美術教育の参考品として集められた希少性の高い逸品、そして歴代の教員や学生が残したものなど、美術学校ならではの多様で豊富な作品が特徴となっています。

ミリョク3:「藝大コレクション」をはじめ、
      多彩な企画展とイベントは見逃すな!

東京藝術大学 大学美術館の貴重なコレクションが公開されるのが毎年開催される「藝大コレクション」です。2017年は創立130年を迎えたので、初公開の作品も多数あり、格別な規模で行なわれたとか!ご紹介ができず、残念です。

また無料公開される卒展は他校の美大生や藝大を目指す高校生、若き才能を発掘しようとする美術ファンに人気が高いもの。また藝大の指導者であり1人の表現者としての集大成が見られると、定年退職を迎える教員の退任展などもおすすめです。


さまざまなテーマで開催される企画展は、趣向を凝らした関連イベントも見どころのひとつ。シンポジウムやギャラリー・トークはもちろん、邦楽科と協力した能楽公演などは総合芸術大学・藝大の魅力を存分に満喫することができます。

館内には展示スペースの他、学生食堂、ミュージアムショップ(展覧会会期中のみ)、カフェテリア(展覧会会期中のみ)が併設。明治から大正、昭和、平成と多くの作家の原点に出会い、そして未来の芸術家に遭遇できる東京藝術大学 大学美術館、あなただけの魅力を見つけてみませんか?

コレはなんでしょう?遊びのように楽しく数学を、五感で体感できる東京理科大学 数学体験館

2018年3月6日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

実はコレ、玩具ではありません。最小公倍数・最大公約数算出器です。東京理科大学 数学体験館にはこんな算数・数学の抽象的な概念を具現化した道具・装置がいっぱい。しかも実際に触って動かしてみることができるんです。数学が楽しい!? 数学に対する見方が180°変わるかもしれませんよ?

数学の理論には一切の妥協を許さない真実の美があり、その理論はあまりに抽象的で多くの人々はその美しさに気がつかないそうです。そこで数学体験館では数学の面白さ、有用性を具体的に表現するために定理や公式、概念を実感できる装置・教具・教材を開発して展示しています。そして、ここの館長を務めるのが長髪にバンダナ姿の「ヒゲの数学者」として知られる秋山仁先生。人気の先生が率いる施設と聞いて、それだけでも期待が高まります!

自転車、滑り台、造花…これが算数・数学の抽象的な概念を具現化したものとは!見ただけではわからない、触ってはじめてわかるんです。

自転車、滑り台、造花…これが算数・数学の抽象的な概念を具現化したものとは!見ただけではわからない、触ってはじめてわかるんです。


館内には多くの数学の先生や併設の数学工房でスタッフがあの手この手を用いて作った展示品も。独創性の高いものばかりで、小学校で習う内容から大学で学ぶレベルまで、「なるほど、こんなものなんだ」とわかるよう演出に考慮しているそうです。

立体・多面体のコーナー。作品は手に取れる小さいものが多いけれどスタッフの力作ばかり。

立体・多面体のコーナー。作品は手に取れる小さいものが多いけれどスタッフの力作ばかり。


最小公倍数・最大公約数算出器が展示されている展示広場「数学体験プラーザ」。面積・体積、立体・多面体、曲線といった算数から、ゲーム・パズル、美術・音楽まで12のコーナーに大小さまざまなものが並んでいます。
展示品の使い方などがわからなくてもご安心を。学生インストラクターが常駐しているので、気になることがあったらすぐに質問できるのが◎。彼らは教員を目指す学生でもあるので、工夫を凝らした解説は楽しみのひとつです。

楕円ビリヤード。印の位置にボールを1つずつ置いて、そのうち一方のボールを壁に向けて打つと…もう1つのボールに命中する。ビリヤードの腕は関係ない?

楕円ビリヤード。印の位置にボールを1つずつ置いて、そのうち一方のボールを壁に向けて打つと…もう1つのボールに命中する。ビリヤードの腕は関係ない?

江戸時代から“断ち合わせの問題”として親しまれている。図形をいくつかの断片に切り分けて他の図形に並べ直す内外逆転変身図形(三角形⇔四角形)「カゴの鳥」。

江戸時代から“断ち合わせの問題”として親しまれている。図形をいくつかの断片に切り分けて他の図形に並べ直す内外逆転変身図形(三角形⇔四角形)「カゴの鳥」。


数学体験館で押さえておきたいのが、授業や文化祭でも使える内容と学校の先生方に評判の高いワークショップ。不定期に開催されているので要チェックです。また数学授業アーカイブス兼サロンでは、数学に関するビデオやDVDが視聴できます。

スケルトン・サッカーボールを作るワークショップ。まず3枚の名刺をうまく組み立て、名刺の短い辺と一致する頂点を結ぶと正二十面体のできあがり。

スケルトン・サッカーボールを作るワークショップ。まず3枚の名刺をうまく組み立て、名刺の短い辺と一致する頂点を結ぶと正二十面体のできあがり。

正二十面体から正五角形と正六角形からできているサッカーボールの構造は…このとおり。

正二十面体から正五角形と正六角形からできているサッカーボールの構造は…このとおり。

四角いタイヤは平らな所では動かない。ガタガタしている所で動くのはなぜだろう? ワークショップでは、その仕組みを工作しながら学ぶ。

四角いタイヤは平らな所では動かない。ガタガタしている所で動くのはなぜだろう? ワークショップでは、その仕組みを工作しながら学ぶ。


算数・数学を触って、実験して、確かめる。だから、納得できる。あらゆる世代が年齢を忘れて学べる数学体験館は、まさに数学のアミューズメント・パーク。記憶の片隅に消えていた数学が色彩を取り戻してくるようです。神楽坂のお散歩コースに入れてはいかがですか?

コミケの父、その偉業に感涙!明治大学米沢嘉博記念図書館でマンガとサブカル、懐かしのコレクションを手にとる。

2018年2月13日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

おこづかいを貯めて買った思い出の一冊、大人になっても忘れられない特別の作品…ありませんか?ここは世界中から毎回50万人を超える人々が集う「コミックマーケット(コミケ)」創立者のひとり、コミケの父、マンガ評論家の米沢嘉博氏が残した貴重なマンガなどを収蔵する明治大学米沢嘉博記念図書館。その溢れる魅力は止まりません!


いまやマンガ、アニメは世界に誇る日本の文化。けれど米沢さんが明大生だった1970年代は、マンガを読んでいると叱られてしまう時代だったんです!そんな厳しい中で「本を捨てません!」と米沢さんは宣言。彼が生涯をかけて守ったマンガや同人誌、サブカルチャーに関する14万冊以上の図書資料をもとにつくられたのが明治大学米沢嘉博記念図書館です。

大衆文化関連の評論も行なった米沢さんを支えた書籍や情報誌。懐かしい雑誌もあれば、子どもにはちょっと…というものも。

大衆文化関連の評論も行なった米沢さんを支えた書籍や情報誌。懐かしい雑誌もあれば、子どもにはちょっと…というものも。


コミケの父と称される米沢嘉博さんとは、どんな方だったのでしょうか?幼少期からマンガに親しみ、明治大学在学中から批評集団「迷宮」(コミケやMGMの母体となったグループ)に参加。1975年第1回コミックマーケット創立メンバーのひとり、また1980年から2006年までコミックマーケット準備会代表を務め、現在の同人誌即売会コミックマーケットの理念をカタチづくりました。また日本マンガ学会の設立にも参画し、理事にも就任しています。

第9階ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に展示された「コミックマーケットの箱庭」。よ〜く見てください!一つひとつにイラストが描かれています。

第9階ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に展示された「コミックマーケットの箱庭」。よ〜く見てください!一つひとつにイラストが描かれています。


マンガだけではない、米沢さんの関心領域は驚くほど広い。音楽、映画、SF、古書、エロ・グロ・ナンセンス…サブカルチャー全般です。世間に認められたマンガ評論家だけではなく、文化史評論家としても多様なジャンルに進出して活躍、さらにその活動を海外へと広げていきました。ただ、残念なことに53歳という若さで、病気によりお亡くなりになってしまったのです。

和本をはじめとした古書のコレクション。妖怪・怪奇ものから性風俗まで幅広いジャンルを網羅、特徴的なものが多い。

和本をはじめとした古書のコレクション。妖怪・怪奇ものから性風俗まで幅広いジャンルを網羅、特徴的なものが多い。

 

米沢さんが「いずれ読めなくなってしまう」という危機感から、特にこだわって収集したのが散逸しそうなもの。読み終わったらポイッと捨てられてしまう、そう雑誌です。中でもマンガ雑誌は厚くてかさばるからスペース的にもたくさんの保存できません。しかし、米沢嘉博記念図書館には読み捨てられてしまうようなマンガ雑誌が約4万冊も揃っています!

当時のマンガ雑誌は限定イラストやマスコット、キャッチコピー、さらに芸能やライフスタイルの情報などマンガ以外の情報も掲載しており、総合雑誌の側面がありました。ところがマンガ単行本に編集されると、その多彩な情報は失われてしまう。価値がないと思われていたマンガ雑誌ですが、実は発売当時の社会・流行を知る貴重な資料だったのです。

懐かしい一冊が!雑誌や単行本など約4500冊が並ぶ2階の閲覧室(明大生・教職員以外は会員登録が必要)。こちらで書庫資料の請求をすると、さらに約7万冊が閲覧可能に。また各回のコミケの見本誌(約5万冊)を一時預かり、閲覧もできます。

懐かしい一冊が!雑誌や単行本など約4500冊が並ぶ2階の閲覧室(明大生・教職員以外は会員登録が必要)。こちらで書庫資料の請求をすると、さらに約7万冊が閲覧可能に。また各回のコミケの見本誌(約5万冊)を一時預かり、閲覧もできます。

3〜5階は閉架式書庫。マンガ雑誌・単行本、同人誌、サブカルチャー誌など収蔵書はインターネットでも検索ができるので、ぜひご利用を。

3〜5階は閉架式書庫。マンガ雑誌・単行本、同人誌、サブカルチャー誌など収蔵書はインターネットでも検索ができるので、ぜひご利用を。


米沢嘉博記念図書館が多くのマンガファンから熱〜い視線を注がれているのが、年3回開催される企画展です。なかには、ほとゼロでも紹介した「りぼんのふろく展」のように全国を巡回する大型企画もあります。企画展ではテーマにあったトークイベントが開催され、作家のナマの声や担当編集者の裏話に会場がとても盛り上がります。

米沢嘉博記念図書館全景。米沢さんはコレクションのために家を3軒持ったとか、ここは米沢さんにとって理想のカタチだったのかもしれません。1階の展示室の観覧は無料、企画展やイベントはホームページで確認を。

米沢嘉博記念図書館全景。米沢さんはコレクションのために家を3軒持ったとか、ここは米沢さんにとって理想のカタチだったのかもしれません。1階の展示室の観覧は無料、企画展やイベントはホームページで確認を。

 

マンガとサブカルチャーに精通した米沢さんのコレクションは、今後ますます評価が高まる、未来に託す価値あるもの。おこづかいで買った思い出の一冊、バイブルとなった作品、そして忘れられないヒーローやヒロイン…明治大学米沢嘉博記念図書館で再会してみませんか?

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