和洋折衷の名建築!大阪樟蔭女子大学の母体・樟蔭学園創立者の私邸「樟徳館」を探訪
創立100年を超え、作家・田辺聖子の出身校としても知られる大阪樟蔭女子大学(東大阪市)。今回訪れたのは、その母体である樟蔭学園の創設者の私邸「樟徳館」です。
国の登録有形文化財に登録され、その和洋折衷の美しい内装から『カーネーション』や『あさが来た』など多くのテレビドラマの撮影地にもなってきました。現在では入手困難な銘木が随所に使われ、関西で最高の松普請といわれます。
歴史的建造物を所有する大学は多いですが、創設者の私邸を見学できる機会は貴重です。今回、8年ぶりに一般公開されるということで訪問してきました。
樟徳館は、樟蔭学園の創設者、森平蔵の私邸として1939年(昭和14年)に建てられました。森平蔵は16歳で大阪の材木商に奉公に入り、26歳で独立。材木商を営み、のちに海運業を興し巨万の富を築きます。女子の高等教育に力を注ぎ、樟蔭高等女学校(現・学校法人樟蔭学園)を創立。自身も学園の近くに私邸を構え、逝去後、遺志により樟蔭学園に寄贈され樟徳館と名付けられました。
樟徳館は近鉄長瀬駅近くの長瀬川沿いの閑静な住宅街にあります。訪問時は樟徳館の見どころについての説明会も開催され、その内容も合わせてご紹介します。
森平蔵は奥様と晩年を過ごすために、65歳頃にこの建物を建てられたそうです。
門をくぐり敷地に足を踏み入れると、大きな屋敷であることがわかります。車寄せから建物の中へ入り、まずは大玄関の左手の応接室へ。和洋折衷の絢爛豪華な空間が広がっています。
縁側が開かれていて庭が一望でき、ステンドグラスと丸い窓からは優しい光が差し込んでいます。そして室内には窓や調度品、壁紙など、いたるところに緻密な植物の紋様が施されています。
天井には楠の一枚板が使われています。原木はどれだけ大きかったのでしょうか。材木商であった森平蔵の木に対する想いが伝わってきます。
樟徳館の木へのこだわりは各所に見えます。洋風居間にやってきました。
床をよく見てみると、幾何学模様の寄木張りになっています。
また床の四隅には象嵌(ぞうがん)という技法で飾りが施されていて、緻密な職人技を感じます。
洋風居間からつながっている広縁の床材には、建築当時としては珍しい外材のチークが使われているそうです。チークは日光に強く年を経るごとに色に深みが増していく木材であり、まさしく適材適所だと感じました。建物の他の床材には、国産の松材が用いられているとのことです。
続いては食堂へ。
目を引くのは照明です。幾何学的な形のアールデコ調のモダンなデザイン。中央の照明は建築当初からあるものです。食堂の位置が建物の中心近くで外光があまり入ってこないため、照明の淡い光が心地よく、陰影のなかで静かな時間が流れています。
廊下を歩いていると曲がり角に合わせて木のキャビネットが丸く作られていることに気がつきました。設置場所に合わせて家具も形を整える細やかな配慮が素敵です。
また廊下の床材は10mほどの継ぎ目のない一枚木になっていると解説を聞き、実際に目にして、本当に一枚だ!と感嘆しました。
和室に入ると空間の雰囲気が変わります。
畳敷きで二つの窓から庭を望むことができるのですが、四分円の形になっている障子窓が印象的。また、庭に面した障子窓は、足もとまで開いた掃きだし窓で、雨に濡れることを想定して窓際には松板が敷かれており、双方の対比が目を引きます。天井には薄い木の板を織り込んだ網代という技法が使われているそうです。
特別な客人を招いた応接室に対して、この部屋は、身近な客人を招いた和室(客間)です。森平蔵が経営していた自社社員が業務報告に訪れた際、この部屋で一緒に鍋を囲み、社員の労をねぎらったようです。
住み込みの女中さんたちの仕事部屋も見学できました。下の写真に写っている黒っぽいパネルのようなものは、各部屋でボタンが押されるとどの部屋から呼ばれているか表示される仕組みのようです。現代のファミリーレストランのようだと感心する見学者もいました。時代に先駆けた合理的な設備ですね。
暮らしぶりを感じる設備はほかにもあり、配膳室には当時のガス式冷蔵庫も置かれていました。この本体の上部に、冷蔵庫内を冷やすためのコンプレッサーなどが備え付けられていたようです。ご自身の昔の家を思い出して歓談している見学者もいらっしゃって、ほっこりとしました。
樟徳館は、木へのこだわりが随所に感じられ、伝統的な日本家屋の美しさとモダンな要素が調和した魅力あふれる建築でした。貴重な一般公開に参加することができて大満足です。次の一般公開の際にはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。