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皇室や日本文化の歴史を学び、華やかな逸品を鑑賞!学習院ミュージアム「華族文化 美の玉手箱」レポート

2025年4月15日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

中世以来続く公家や近世から近代にかけての大名・華族などの史料を収蔵、保存、公開してきた学習院大学史料館(1975年設置)が、2025年3月に「霞会館記念学習院ミュージアム」としてリニューアルオープンしました。これを記念して、特別展「学習院コレクション 華族文化 美の玉手箱 ―芸術と伝統文化のパトロネージュ」が5月17日まで開催中です。職人たちの庇護を目的に制作されたボンボニエール(菓子器)などの工芸品、皇族のドレス、絵画などここでしか見られない貴重な収蔵品が公開されていると聞き行ってきました。展示は前期と後期合わせて4回入れ替わります。今回は初回の様子をレポートします!

「学習院大学史料館」から「霞会館記念学習院ミュージアム」へ

「霞会館記念学習院ミュージアム」のリニューアルオープンということで、まずは建物そのものにも関心が高まります。ミュージアムはモダニズム建築の先駆者・前川國男が設計したかつての大学図書館を、博物館施設(学習院大学史料館)としてリノベーションしたもの。建築当初の雰囲気を復元するため、白塗りに改装されていた外壁を、すべて前川建築の特徴というコンクリート打ちっぱなしに戻したそうです。

ミュージアムの外観。コンクリート打ちっぱなしの壁にシルバーの文字が映える

 

学習院大学史料館が所蔵していたコレクションは25万点にのぼり、とくに皇族・華族ゆかりの作品は、皇族・華族の学びの場としての起源をもつ学習院の歴史を伝える貴重な品々といえます。今回のリニューアルでは、旧図書館の書庫、閲覧室を収蔵庫として再生させ、学習院の歴史を紹介する「常設展示室」と、企画展などを開催する「特別展示室」を新たに設置。また、博物館学芸員を養成する学芸員課程の実習室、展示室などもあり、教育機関としての機能も備えているそうです。

 

常設展では年表を通して学習院の歴史を学べるほか、目白清明寮(学生寮)に置かれていたという自動演奏ピアノ、第10代学習院長を務めた乃木希典ゆかりの馬「乃木号」の骨格標本、応神天皇陵古墳出土と推定される水鳥埴輪など、ユニークな逸品が展示されています。

学習院の年表と大正時代に製造された足踏式アップライト自動ピアノ(1983年復元)。このピアノは皇太子明仁親王(上皇陛下)が目白清明寮に入寮するにあたり香淳皇后から贈られ、寮1階の食堂兼読書室に置かれていたそう

 

明治時代に職人の庇護から生まれた芸術と、学習院で育まれた才能

さて、いよいよ企画展へ足を運びます。古来より芸術は、王侯貴族などが芸術家を支援(パトロネージュ)したり作品を保護したりすることで発展してきました。日本でも天皇家をはじめとする「パトロン」により独自の文化や芸術が育まれ、受け継がれてきたといえます。企画展ではその一端が感じられる約100件の作品・資料などが展示されていました。

 

展示は「芸術のパトロネージュ」「伝統文化のパトロネージュ」の全2章で構成され、第1章は「『絵画』−貴族文化の広がり」「『工芸』−職人への庇護」「『芸術』−学習院の役割」、第2章は「『伝来』―受け継がれたもの」、「『文化』―守り続けたもの」、「『儀礼』―引き継がれたもの」という各3つのテーマに分かれていました。

 

「『絵画』−貴族文化の広がり」では、平安時代の天皇家、貴族が庇護し発展した芸術が江戸時代の幕府や大名家に受け継がれ、優れた絵師や工芸職人に安定した暮らしと製作の場を整えたことが伝わる作品が展示されていました。特に江戸中期の「源氏物語 須磨・松風図屏風」や、修復を経て初公開となる室町時代後期の「こもちひじり物語絵巻」が目を引きます。

光源氏が須磨から都を想い、海を眺める姿が描かれている「源氏物語 須磨・松風図屏風」。「こもちひじり物語絵巻」は継母に捨てられた中将の姫が聖(ひじり)に救われて岩屋で共に暮らし、やがて父親と再会するという内容

 

「『工芸』−職人への庇護」では、明治時代に絵師や工芸職人らの製作と生活が一変したことにスポットライトが当てられています。明治維新後、幕府や大名家のお抱えであった職人はその庇護を失ってしまいましたが、その代わりに天皇家をはじめとする宮家の人々から製品製作の依頼を受けるようになりました。そのなかで生み出された「超絶技巧」と呼ばれた品々が展示されています。金彩が施された美しい煎茶用椀皿に華やかな絵箱や硯箱など、職人技がひと目でわかるほど見事な品々でした。解説文では誰から誰へ下賜されたものなのかがわかるので、その作品が持つ背景や人と人のつながりが感じられるのも味わい深いです。

天皇より伯爵寺内正毅へ下賜された菊花散蒔絵文台硯箱。大正4〜5年(1915~1916年)

 

もっとも興味を引かれたのは「『芸術』−学習院の役割」に展示されていた文芸雑誌『白樺』と武者小路実篤らによるスケッチでした。『白樺』は、明治43年(1910年)に学習院出身の若者らによって創刊され、美術、音楽、演劇など幅広く芸術をとりあげ、日本における芸術の普及に広く貢献しました。創刊メンバーたちは学習院在学中から西洋美術に関心を寄せ、授業で西洋の絵画技法を学んだそうです。若き日の才人たちが描いた素朴ながらも繊細で美しいスケッチからは、学習院で育まれた芸術の息吹が感じられました。

数冊の『白樺』と『しりうす』第1号、第2号。『しりうす』も学習院関係者が寄稿した文芸誌

『白樺』同人の武者小路実篤、正親町実慶、木下利玄によるスケッチ

小さくて可愛いボンボニエールや見事なドレスに息を呑む

第2章「伝統文化のパトロネージュ」では宮家や華族に関連する品々が展示されています。このコーナーは学習院だからこそ見られるものばかりで、華やかな品々に心躍りました。なかでも一際印象的だったものを紹介します。

 

まずは、一つひとつとても見応えのあるボンボニエールたち。ボンボニエールとは、ヨーロッパで結婚の際に配られた容器入りの砂糖菓子のこと。日本の皇室にも明治時代中期に伝わり、皇室の御慶事に際して下賜される菓子器のことを指すようになります。元々ヨーロッパで使われていたのはシンプルなデザインのものが多かったようですが、日本では明治維新で職を失った刀剣職人などの伝統工芸技術を継承・保護するという意義もあり、展示されているのは高度な技術を要するとても凝った作品ばかりです。

 

竹編みや柏の葉を模した銀細工や、可愛らしい動物は、じっくり見て楽しみたくなります。ボンボニエールの実物を見るのは初めてで、その素晴らしい技巧はもちろん、廃刀令によって職を失った刀職人さんたちのために……という歴史的な背景も相まって、感服しました。

ボンボニエールの展示。かわいいうさぎは、皇太子裕仁親王と久邇宮良子女王が大正13年(1924年)にご結婚時、久邇宮家での送別に際して下賜されたもの

 

高松宮家旧蔵のなかなかお目にかかれる機会のない日用品も興味深いです。御爪箱は、爪を切る道具を納めた漆塗りの箱で、はさみや蓋付陶器なども一緒に展示されています。皇室では1月7日の七草の日に、七草を入れた水に手を浸し、その年最初の爪切りをする習慣があるというのも初めて知りました。鶴が描かれた箱は、まさか中に爪切りが入っているとは想像もつかない豪華さです。旅行用化粧道具は、ブラシ、化粧水瓶、シェービングセットなど20点で、ぴったり収納できる革製のカバン付きです。

御爪箱。爪切りは手の爪用と足の爪用に分かれている

旅行用化粧道具。象牙に高松宮家紋を配したブラシは高級感がある

 

最後に、今回の企画展でいちばん心惹かれた上皇后陛下のローブ・モンタントを紹介します。シルクの生地に佐賀錦の刺繍が施され、息を呑むような美しさを放っています。

 

明治時代に洋装が取り入れられた際に、大礼服・中礼服・通常礼服という3段階の洋装服制が制定され、ローブ・モンタントはその中の通常礼服にあたるそうです。ご着用姿は記憶のどこかにあるものの、実物を間近で見ると、華やかさと重厚感が両立した存在感に圧倒されました。

ローブ・モンタント。1998年のデンマークご訪問などでお召しになられた

佐賀鍋島藩で生み出された伝統的織物である佐賀錦の花文様

 

今回ご紹介したのは、全4回の展示替えのうち、初回の分だけですが、それだけでも見応え充分でした。ここでしか見られない貴重な品々を通して、美しさに感動するだけでなく、皇族・華族にまつわる歴史と文化を深く学ぶことができます。目録を見るとまだまだ気になるものが多いので、後期最終日の5月17日(土)までにまた足を運んでみたいと思います。

京都の街歩きがもっと楽しくなる! 京都アカデミアウィークで聞いた、通りと小学校の秘密

2025年1月9日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

京都は歴史ある街……というイメージはきっと誰もが抱いたことがあるし、実際に京都を訪れると街並みや寺社仏閣などを見て体感することができると思います。でも意外と、名所について知る機会はあっても、街そのものの歴史や文化について考えたことは少ないかもしれません。京都の8大学が連携し、さまざまなテーマの講演会を開催する「京都アカデミアウィーク」では、京都外国語大学の南博史教授の講演「京のまちなかミュージアムをめぐる〜小学校、大学、通りを知ると京文化のコアを学べます」で、街歩きの中ですぐに注目できるきっかけを教えてくださいました。

なお、「ほとんど0円大学」では、これまでも京都アカデミアウィークの講演をレポートしています。ぜひこちらもご覧ください。

 

平安時代に起源のある通りが現存する京都

講演のテーマは「通り」「小学校」「大学」。この3点から、京都という街の歴史と文化を掘り下げていきます。まず、よく知られた京都の通りの数え歌を一緒に歌ってみることからスタートしました。「まるたけえびすに おしおいけ あねさんろっかく たこにしき〜♪」筆者にとって耳馴染みのあるこの歌、正確に歌える方はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか。

筆者は京都と東京の2拠点生活を始めて2年経ちましたが、まだまだ咄嗟に「河原町丸太町」や「三条堀川」がどこなのか思い浮かばないまま……東西を走る通りと南北を走る通りを組み合わせる京都独特の場所の表現方法は、まるでExcelのセルのようだなと初めは思ったものです。でもこれをマスターすると、だいぶ京都の地図に馴染めるのですよね。東西、南北それぞれ通りの名前を説明してもらいながら口ずさんでみると、知らない通りやややこしい名前の通りも親しみが感じられ、京都中心部の地理がなんとなくつかめてきます。

京都といえば碁盤の目! いつになったら全部覚えられるのか……(講義スライドより)

 

京都の通りの名前はそのまま商店街の名前になっているところも多く、京都の街中の生活を支えてきたお店が残っているのも特徴だそう。なかでも今回は、三条通りについて詳しくお話しくださいました。

 

まず驚いたのは、三条通りの起源は、平安時代にあった三条大路まで遡ること。「大路」から「通り」に呼び名が変わり道幅は狭くなったものの、江戸時代には東海道の終着地点として栄えていたそう。なんと、1000年以上の間、三条通りは京都のメインストリートだったのです。今でも旅館や銀行、郵便局が残っているのは、往時の名残なんだとか。そうした歴史ある街並みの保存が、「三条通りまちづくり協議会」を中心に進められており、京都市の歴史的景観地区にも指定されているそうです。

平安京時代の三条通。近世になってからは、高瀬川の水運で瀬戸ものを扱うお店が増えたそう(講義スライド「平安京左京の三条大路(山田邦和作図)」より)

 

特徴的な建物として挙げられたのは、旧日本銀行京都支店。この建物が完成したのは明治時代で、現在は京都文化博物館の別館として使用されています。東京駅などで知られる辰野金吾が設計を手がけた、レンガ造りが印象的な建物です。南先生が指摘されていたのは、今では歴史的建造物として認められているこの建物が、当時の人々にとっては非常に近代的な建物であったこと。木造建築に慣れていた明治時代の人々には、現代の高層ビルのように思えたはずだとおっしゃっていました。たしかに、町家のような伝統建築とレンガ造りの近代建築が同居した風景は、三条通りが京都のメインストリートであり、最先端であったことの証のように感じます。

京都文化博物館別館

 

京都では全国に先駆けて小学校が作られていた!

続いて、ふたつ目のテーマ「小学校」に移ります。京都の文化と小学校? 少し意外な組み合わせな気もしますが、いったいどのようなか関わりがあるのでしょうか。江戸時代の京都では、東西・南北をはしる通りによって区切られた「町組」と呼ばれる自治組織が運営されていたそう。つまり、道を挟んでそれぞれの区画が一つの街を形成していたわけです。ここでも一つ目のテーマ「通り」が重要になってくるのですね。

 

明治時代にはこの「町組(番組)」の再編成が進められ、その際に生まれたのが、小学校と町組会所を兼ねた「番組小学校」だそうです。南先生の解説によると、「それまでの京都には、漢学・国学・心学を学ぶ私塾や読み書きを習う寺子屋が数多くありました。それらをベースにしながら、『番組小学校』は単なる教育機関としてではなく、交番・保健所・防火楼としても機能する施設として発展しました。いわば、府の出先機関や総合庁舎でもあったのです」とのこと。こうした優れたシステムが、明治政府による小学校の整備よりも先にされていたのです。

 

さらに、「番組小学校」の土地や教職員の給与は、町内のお金持ちなどが負担していたというのも興味深いです。京都という街が伝統的に教育へ高い関心を持っていたことを示していることがわかり、京都が今でも大学の街として知られる礎は、こういった文化にあるのかもしれないと思いました。南先生によれば、今ではさまざまな学区が人口の減少によって統廃合されていますが、未だに「あそこの学区とは文化が違う」といった会話はなされるそうです。「番組小学校」は地域の文化に深く根ざしているのですね。

 

元貞教小学校跡地は京都美術工芸大学 東山キャンパス鴨川七条ギャラリーに、元龍池小学校校舎活用は京都国際マンガミュージアムに、元弥栄中学校跡地は漢検 漢字博物館・図書館 漢字ミュージアムになっているなど、実際に訪れることができる小学校跡地もあるので、お話しいただいた小学校の歴史を思い出しながら、今度ぜひ足を運んでみたいと思います。

京都外国語大学 国際貢献学部 南教授

 

大学の街、京都を楽しむ

最後のテーマは「大学」。京都市内には58の短大・大学・大学院があり、人口の10人に一人は学生とのこと。これは日本で一番の比率なんだそうです。なんとなく「京都は学生の街」というイメージを抱いていましたが、数字で見ても納得ですね。地域との連携に取り組んでいる大学も多く、京都工芸繊維大学や京都光華女子大学には、町家を活用したキャンパスもあるそう。

 

京都の街にとって大きな存在となっている大学なので、せっかくならぜひ訪れてみたいところ。そこで南先生からのご提案は、「大学ミュージアムが穴場!」でした。大学が運営する美術館、博物館、資料館といった形で、教材や研究資料として蓄積されてきたさまざまな美術品、歴史資料などを収蔵し、一般公開されているのです。15大学16施設が加入している京都・大学ミュージアム連携があり、スタンプラリーなどのイベントも企画されているそうなので、京都を訪れる際にはお出かけ先の候補に入れてみましょう。「ほとんど0円大学」でも、大学ミュージアムのレポート記事を多数掲載していますので、ぜひ参考にしてみてください。

京都市内の大学ミュージアムがわかりやすく掲載された地図(「京都・大学ミュージアム連携スタンプラリー」より)

 

京都の文化を学ぶための3つの視点「通り」「小学校」「大学」はどれも身近に感じられ、京都市内を歩いているときに、ふと思い出して嬉しくなるような豆知識が盛りだくさんでした。街歩きをより楽しむヒントになりそうです。南先生が50年にわたって地域の方々と活動されてきて、また大学で学生と一緒に街の中で活動されてきて感じられたこと、そして「京都の街を楽しんでもらいたい」という想いが伝わってきました。筆者は3つのテーマではとくに「通り」の成り立ちや歴史に興味をもったので、これまでぼーっと歩いていた道も、いろいろ調べたり石碑に足を止めたりするなどして、京都の文化に触れる機会にしていきたいと思いました。

京都らしい街並みに欠かせない京町家と細街路〜京都アカデミアウィークで歴史から現代に合わせた改修方法までまるっと学ぶ

2023年12月21日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

東京と京都の2拠点生活を始めた筆者は、以前より京町家という存在が気になっていました。全国的にも「古民家カフェ」「古民家リノベーション」といった言葉をよく目にして、心惹かれるものの、京町家って、実は基準や定義もよく知らない……。

そんなとき、京都の8大学が東京・丸の内に集結し、さまざまなテーマの講演会を開催する「京都アカデミアウィーク」で、京町家について学術的な視点からお話をうかがう貴重な機会がありました。京都美術工芸大学の森重幸子先生(建築学部建築学科 教授)が登壇された「京都のまちに欠かせない路地と京町家ーその魅力と再生手法について」をレポートします!

 

京町家とは? 条件や間取りから定義を確認

町家とは一般的に、「まち」に建つ住居を指します。ここではまず、京都の「まち」について、その成り立ちを見ていきます。京都のまちは、平安京からのまちがそのまま残っているわけではありません。いわゆる「洛中」はおおよそ豊臣秀吉の御土居(京都を囲む土塁)の中を指し、近代のまちはその範囲から外に向かって発展していったそうです。どのように京都市街地が発展していったのか、地図を見比べるととてもわかりやすいですね。

京都のまちの範囲の変遷

京都のまちの範囲の変遷

 

そして、京町家の定義について説明がありました。必須条件は、1950年(昭和25年)以前に建築、木造、伝統的な構造、3階建て以下、一戸建てまたは長屋建て、平入りの屋根があること。さらにこれらに加えて、通り庭、火袋、坪庭または奥庭、通り庇(道に沿って設けられた軒)、格子、隣地に接する外壁または高塀のいずれかを有することが京町家の条件となるそうです。複数条件のうち一つがあればいいの? と思いましたが、その理由は「改変されてるものが多いから」と森重先生。「本質的には、町に建っている家ということで、通りに面して直接立っているものを町家と呼んでいます」。

 

下の図のような間取りは典型的な「表屋造」と呼ばれるそうです。右側が表の通り道に面していて、間口に対して奥に長い敷地、表屋と坪庭を挟んだ奥棟に分かれていて、奥に前栽と呼ばれる庭があり、そのさらに奥に蔵があるという構成になっています。全然知らなかったのですが、蔵の横にあるスペースは家族以外には見せないプライベートな場所で、ここで洗濯物を干したり、床の間に出すお花を栽培したり、家の修繕のための瓦を置いたりするそうです。そこまで通りから靴のままでいけるようになっているのが大きな特徴とのこと。

典型的な表屋造の京町家の間取り。森重先生曰く「典型的といってもかなり規模の大きなお宅」なんだそう

典型的な表屋造の京町家の間取り。森重先生曰く「典型的といってもかなり規模の大きなお宅」なんだそう

 

さらに森重先生は間取りの特徴について続けます。「京町家だけでなく伝統的な日本の家屋全般に当てはまることかと思いますが、いわゆる個室というものがなく、廊下ができるのももう少しあとです。また、隣との間は窓がなく完全に壁になっていて、窓は奥行き方向だけというルールで建てられています」。廊下と窓にもこのような特徴があるとは、気付きませんでした。

 

京都の気候に合わせた特徴も。「『家のつくりようは夏を旨とすべし』という吉田兼好の言葉がありますが、京町家は最大限の風通しが得られるような間取りになっていると言えます。盆地である京都の夏は暑くて蒸すので……」。

クーラーが日本の家庭に普及し始めたのは1960〜70年台。それ以前に建てられた京町家には、京都の蒸し暑さを乗り切る工夫がなされていたのですね。

 

京町家の長所を生かした改修

京町家がどのようなものなのか理解を深めたうえで、次に再生手法について学びました。減少傾向にあるという京町家。どのように再生して活用していくことができるのか、気になるところです。

 

京町家は、雨漏りの状態をある程度目視で確認できる、床は畳をあげるだけで覗けるといったように、傷み具合が把握しやすく、床下や天井が容易に点検できるので、傷んでいる箇所を直しやすい構造なんだそうです。見つかった柱の傷みや土壁の変形は、一つひとつ直していくことができます。

 

間口方向の耐力壁が少ないのは大きな弱点なので、もともとの土壁や伝統工法の構造の性質を理解しつつ耐震性を上げることも重視しているそうです。土壁の家の耐震性を上げるには、土壁の家に合わせた構造要素を足していくことが重要で、こういった技術も進歩しているといいます。

森重先生が改修の設計をされた町家の柱や壁の補修の様子

森重先生が改修の設計をされた町家の柱や壁の補修の様子

 

それから、音や熱環境の面でも、現代に合わせて改修するそうです。夏の日差しは大きな屋根で遮断でき、通り庭の床はたたきで、町家の床下はもともと構造的に涼しいのだそう。しかし、近年はそれでは対応できないほど暑いし、風通しが良いことが冬にはマイナスになってしまうため、断熱性能を上げる実験も行われているとのことです。具体的には、障子紙を太鼓張りにして空気の層を作る、襖に断熱材を入れる、障子に凹凸をつけることで気密性を上げて隙間風を減らすといった措置などがあると、森重先生は説明をしてくださいました。

これらの試みが施された家を調査した結果、断熱性能が上がっていたそう

これらの試みが施された家を調査した結果、断熱性能が上がっていたそう

 

京町家がもつ魅力である自然素材や風通しの良さを生かしながら、現代の気候や生活スタイルに合わせていく。ただ単に利便性を追求するのではなく、京町家を大切に守り続けていきたいという願いも込められた改修方法に感じられました。一方で、コストがかかってしまうことや腕のいい職人さんでないとなかなかできないそうで、課題も知ることができました。

 

もう一つの京都らしさ、細街路とその活用方法

さて、町家から少し離れて、今度は路地に注目します。町家が多いところは、路地の多いところでもあるのです。筆者も京都で細い路地を歩くのはとても好きで、趣があっていいなぁと思います。

森重先生は「両側に立ち並ぶ建物と一体となって空間を形作る」「街路空間は都市の魅力を決定づける重要な要素」というバーナード・ルドフスキー(建築家)の言葉を紹介されました。たしかに路地が京町家と一体となって京都の街の雰囲気を作っているように思います。ここで取り上げられるのは、市内に13,000箇所ほどある「細街路」(幅4m未満の路地)です。

祇園にほど近い宮川町の細街路

祇園にほど近い宮川町の細街路

 

細街路には、短所と長所の両面があるそうです。まず短所としては、防災面での危険が挙がりました。狭い路地ではどうしても火事が広がりやすいなどのリスクがありますよね。そして長所として挙げられたのは、交通安全(車が入れないため)、近所との交流ができる空間、表通りと違う世界。つまり、普通は路地の奥は表通りとは異なる空間で、内側で家同士が近いためコミュニティが生まれ、町の多様性につながるとのこと。路地がコミュニティの形成に一役かっているとは思ってもみませんでした。

 

細街路は具体的にどのように活用されているのでしょうか。森重先生の研究で実際の活用例を調査したところ、子育て世帯では子どもたちの安全な遊び場として重宝されていることがわかったそう。

 

「お子さんが生まれてからは、ここで三輪車で遊んだり、チョークでお絵かきをしたり、お子さんのお友だちと焼肉パーティーをしたり、多様に使ってらっしゃるとのことでした。最近は、ここでご主人がリモートワークをすることもあり、非常に豊かに使ってらっしゃるというお話がありました」と森重先生。

リモートワークまで! さすがに思いつかない活用法でした。さらに森重先生はこう続けられました。「京都のまちを見ていると、公園が少なくなかなか遊べる場所が限られるため、路地空間がすごく貴重な子どもの遊び場になっています。なので、特に子育て世帯の生活空間として重要だと思います。路地を生活空間の一部として生かしていくということは、町全体を使って生かしていくという方向だと思っています」。

路地の活用例。子どもの遊び場となっている様子がわかります

路地の活用例。子どもの遊び場となっている様子がわかります

 

路地空間がご近所さんとの交流の場から子どもの遊び場まで幅広く活用されていると知り、とても興味深かったです。京町家にばかり注目していましたが、細街路の役割や重要性も併せて学ぶことができたので、これから街歩きをする際には細街路の雰囲気や魅力も味わっていきたいと思います。

 

先生は最後に「路地・町家は、歴史的な市街地の特徴的な存在ですが、単に歴史的なものというだけではなくて、現代の私たちから見ても貴重で、街中の居住の場としてすごく可能性のある場所だと思っています」と締め括られました。

今回の講演会では、その可能性について理解を深め、京町家や細街路の存在を見直すことができました。実際に京都市内を歩いていると、森重先生のお話にあった京町家や細街路が京都の街並みを作る重要な要素になっていると体感することがとても多くあります。皆さんも京都を歩く際にはぜひ、注目してみてください。

クラシックからディズニー、BLMまで!アメリカ音楽の「ソフト・パワー」を明治大学で学んできた。

2023年8月3日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

アメリカの音楽文化といえば、みなさんは何を思い浮かべますか?ミュージカルやディズニー、クラシック、ヒップホップ…多様な音楽は、世界に影響を与える力をもっているといえます。このような、国の文化的な魅力や価値観を広く伝え、相手を魅了して味方にする力のことを「ソフト・パワー」というそうです(国際政治学者ジョセフ・ナイ提唱の概念)。

 

2023年6月24日、「音楽文化から見るアメリカの『ソフト・パワー』」と題したフォーラムが、明治大学大学院情報コミュニケーション研究科主催で開催されました。

 

講演会のテーマはこちら。

・『クラシック音楽』のアメリカ~冷戦文化外交からBLMまで

・ディズニー映画と音楽にみるアメリカ

 

クラシック音楽が文化外交やBLMにどう関係あるのか?ディズニー映画についてはなんとなくイメージはわくけれど、何か違った切り口があるのだろうか?そんな期待を胸に取材に訪れました。

今回のフォーラムは、音楽を通じてアメリカの文化や政治を学ぶ授業が学生からの人気が高いため企画されたそう。コーディネーター・司会は、明治大学情報コミュニケーション学部教授の清原聖子先生(写真左)

今回のフォーラムは、音楽を通じてアメリカの文化や政治を学ぶ授業が学生からの人気が高いため企画されたそう。コーディネーター・司会は、明治大学情報コミュニケーション学部教授の清原聖子先生(写真左)

 

バーンスタインやヴァン・クライバーンにみる冷戦時の文化外交

フォーラムでは、まずハワイ大学アメリカ研究学部教授の吉原真里先生が「『クラシック音楽』のアメリカ~冷戦文化外交からBLMまで」について講演されました。吉原先生はとくにアメリカ文化史を専門としています。

 

冷戦時には、芸術文化においてもアメリカが優れていることを示す文化外交が行われていました。吉原先生がその例としてまず挙げたのは、指揮者、作曲家のレナード・バーンスタインの活躍です。

 

「ユダヤ系移民だったバーンスタインは、『ウエスト・サイド・ストーリー』をはじめ、これまでの伝統的な音楽ジャンルを越えたアメリカ的な音楽性を発揮していました。このことからニューヨーク・フィルの指揮者として米国公務省主催の世界ツアーを成功に導くなど、アメリカ冷戦外交の広告塔となりました。バーンスタインの台頭には、才能や素質に加えて、政治的な意図や画策があったといえます」

 

バーンスタインと聞くと、その輝かしい功績が次々に思い浮かぶほど、“偉大な音楽家”としてのイメージが強いですが、ここまでを聞くと、政府の広告塔としての活躍に目がいってしまい、彼の音楽の素晴らしさが霞んでしまうような、複雑な気持ちになってきました。

 

しかし、吉原先生は続けます。「バーンスタインは、政府が目論んだ枠にとらわれませんでした。パレスチナ地域での紛争を目の当たりにしたことをきっかけに、反戦・反核兵器を掲げてさまざまな活動を行ったのです」

 

なるほど、バーンスタインはその影響力を国家のために用いられただけでなく、むしろそれを経て築いた富と名声、影響力を大いに利用して、意思表示をしたのですね。具体的には、チャリティーコンサートを開催したほか、1989年にはエイズをテーマにした展覧会への全米芸術基金の助成金取り下げに抗議し、国立芸術勲章を拒否するなど、政府への抗議を実施したそうです。

吉原先生は、バーンスタインと日本人の交流を描いた著書『親愛なるレニー: レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング)も話題

吉原先生は、バーンスタインと日本人の交流を描いた著書『親愛なるレニー: レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング)も話題

 

また、その名を冠したコンクールで知られるピアニストのヴァン・クライバーンも、冷戦時に大きな注目を集めた一人だそうです。彼はモスクワで開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールに23歳で出場し、優勝しました。その舞台裏では、審査委員長が第一書記フルシチョフに「アメリカ人に一番をあげてもいいのか?」と尋ねたエピソードも残っているそう。純粋に演奏の素晴らしさを競う場であるはずのコンクールで、このような会話が交わされたことから、芸術と政治的な情勢が切り離せない関係だったことがわかります。ですがフルシチョフは「そいつが最高なのか? それなら優勝させろ」と答えたそうです。クライバーンの演奏が当時の政治的な情勢を越えたことを証明しており、大きな意味のある優勝でした。

コメンテーターの佐藤彦大先生(写真左/東京音楽大学専任講師・ピアニスト)によれば、クライバーンが師事していた先生はロシアからアメリカに亡命しており、ロシア・ピアニズム(伝統的奏法)の系譜を汲んでいたそう。「アメリカとは対立していたが、そこに渡ったピアニズムがコンクールで再びロシアに戻ってきて、審査員や聴衆に受け入れられたのは素晴らしい」(佐藤先生)

コメンテーターの佐藤彦大先生(写真左/東京音楽大学専任講師・ピアニスト)によれば、クライバーンが師事していた先生はロシアからアメリカに亡命しており、ロシア・ピアニズム(伝統的奏法)の系譜を汲んでいたそう。「アメリカとは対立していたが、そこに渡ったピアニズムがコンクールで再びロシアに戻ってきて、審査員や聴衆に受け入れられたのは素晴らしい」(佐藤先生)

 

吉原先生は、このコンクールでの経験からクライバーンが何を生み出したのかについても教えてくださいました。「クライバーンは“アメリカン・スプートニク”と評され、アメリカだけでなく世界中の市井の人々からも人気を博しました。そして、文化交流の場としての音楽コンクールとして、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを創設。今でもその運営は、個人の寄付や地域コミュニティの支えによって成り立っています」

2009年に優勝した辻井伸之さんをはじめ、日本からも毎回多くのピアニストが参加しているコンクールが誕生した背景にも、社会情勢が深く関わっていたのですね。

 

軍事・技術・経済だけでなく、芸術文化においてもアメリカが世界を率いる存在であることをアピールしていた冷戦時代。人気のある音楽家がその広告塔となっていたけれど、それだけに留まらず、芸術家個人の意思表明や、文化芸術の発展への貢献も見られ、文化芸術のあり方について考えさせられました。音楽が政府の意図として国内外に影響を及ぼしたり、聴衆の心を打ったりしたのは、音楽に言葉を越えた普遍的な力があるからだと感じました。

多様化するアメリカのクラシック業界

話題は冷戦時代から現代へ。社会的状況の変化に伴い、クラシック音楽界にもさまざまな変化が表れているそうです。特に、#MeToo運動やBlack Lives Matterを経て変わったのが、マイノリティや女性作曲家の作品の演奏機会の増加や、有色人種の演奏者が頻繁に登用されるようになったこと。

 

吉原先生は、アメリカのオーケストラでは、レパートリーや楽団員の人種に変化が見られると指摘します。従来のヨーロッパ作品に加えて、アメリカ発の音楽や黒人作曲家の作品など、演目が多様化し、楽団員にはアジア人が増加している傾向が見られるそうです。具体的には、2015年から2022年にアメリカのオーケストラが開催した演奏会で、女性や有色人種の作曲家による作品は4倍、存命の作曲家の作品は2倍も取り上げられるようになっているとのこと。人々が耳にする曲が急速に多様化しているのですね。

#MeToo運動やBLMでクラシック音楽界にも大きな変化が訪れている

#MeToo運動やBLMでクラシック音楽界にも大きな変化が訪れている

 

受容する側はどのような反応をしているのでしょうか。吉原先生によると、「まだ始まったばかりなのであまり断言できないが、ここ数年の印象を見ると多様化は歓迎されていて、これまで関心を持たなかった人々がオペラなどを見にいくようになっています。これをきっかけにクラシック音楽に興味を持ってくれるのが理想的だが、そうならなくとも、これまでのコアな客層に少しでもリーチするという意味では意義がある」とのことです。

 

一方で、それに対する反動があるのも事実で、特にオペラにおいては顕著だといいます。「オペラには物語性があり、時代や国、人種、階級などが明白です。上演回数の多い『蝶々夫人』を捉え直すという流れが生まれ、アジア人の歌手や演出家などを起用し、演出や音楽の順番を書き換えるプロダクションもあります。それに対する聴衆の反応を見ると、素晴らしいと言う人もいる反面、プッチーニ様の音楽をいじるなんて言語道断という反応もありました」

 

賛否両論出るのは当然のことなので、長期的に見てどのような結果になるか、まだなんとも言えないそうです。これからどうなっていくのか注目していきたいところです。

プロパガンダ映画における音楽の役割とは?

次に登壇したのは、フェリス女学院大学音楽学部教授の谷口昭弘先生。「ディズニーの映画と音楽に見るアメリカ」をテーマに、さまざまな作品を例に挙げながら、ディズニー映画におけるアメリカを浮き彫りにしていきます。

 

もっとも印象に残ったのは、ウォルト・ディズニー・カンパニーがアメリカ合衆国財務省の支援を得て1943年に製作した『新しい精神』というプロパガンダ映画(短編アニメーション)。軍事資金調達のため、納税を促す目的で作られたそうですが、なんとドナルドダックが納税をするシーンが。ディズニーランドを「夢の国」と呼んで楽しんだことのある人にとってはなかなかショッキングな内容ではないかと思います。ドナルドのように納税しよう! と、まさかドナルドがお手本にされていたとは。夢の国どころか現実を突きつけてくるのです。

講演はディズニー作品の動画を交えながら楽しい雰囲気で進められました 

講演はディズニー作品の動画を交えながら楽しい雰囲気で進められました

 

また、この作品では《ヤンキー・ドゥードゥル》、《コロンビア・大洋の宝》、《アメリカ》などの愛国歌が登場し、ディズニーがいかに音楽を使ってアメリカを効果的に表したかにも注目すべきなんだそう。日本やドイツが劣勢になるシーンでベートーヴェン《運命》の「ジャジャジャジャーン」が流れるなど、音楽が観ている人にアメリカやアメリカ視点を印象づける役割を果たしています。

 

谷口先生によると「戦時中のプロパガンダ映画では、音楽もプロパガンダ独自の使い方をされており、印象づけるという効果を発揮している。音楽は画面上で起こっている感情を言葉以外で伝えるという作用も期待されている」とのこと。たしかに、無意識に印象的なシーンが音楽とともにインプットされることはよくあります。音楽がイメージを植えつける効果を活用して、プロパガンダとしての効果を高めているのですね。

 

さらに、ディズニー作品では最新のテクノロジーが取り入れられていることにも大きな意味があるそうです。代表例として挙げられたのは、『ピノキオ』に登場するノヴァコードという電子オルガンと、『ダンボ』に用いられたソノヴォックスというセリフと効果音を混ぜる装置。『ピノキオ』も『ダンボ』も小さい頃に観たことがあるお馴染みの作品ですが、このような最新技術が使われていることにはまったく気がつきませんでした。前半の話にも通じることですが、最新技術を盛り込むことで、アメリカがどの分野においても世界を率いる存在であることを世界中の観客にアピールするのに役立ったわけです。

講義後はディスカッションや質疑応答などが行われた

講義後はディスカッションや質疑応答などが行われた

 

質疑応答の時間には、参加者から「ソフト・パワーとしての音楽の力というものが、どれほど大きな局面として政治を変える回路をもっているのでしょうか。プロパガンダの映画を見ると受容者層への影響はわかりやすいが、演奏家の主張などはどの程度伝わるのでしょうか」などの質問が寄せられました。

 

「政府主催のイベントに出ないというのは大きな意思表示ですね。政治的なものに参加しないというのもソフト・パワーの出し方の一つ」と谷口先生。吉原先生は、音楽そのものが政治を変える力を持っているのか? と考えると難しいし、冷戦のような事象の前では、バーンスタインの音楽が核戦争をやめさせられるわけではない、としながら「バーンスタインのような人物だからできたことは、彼の名声、発言力を行使して、政治的な影響を与えることはできたのです」

 

今回の講演会では、クラシック音楽とディズニーという二つの異なる観点からアメリカにおけるソフト・パワーについて学び、プロパガンダや政府の広告塔の具体例だけでなく、そこから豊かな芸術文化が発展することもある、また芸術家が意思表示をする術もあるということに気づくきっかけとなりました。

 

推し活は意外と古い歴史をもつ!? 早稲田大学演劇博物館「推し活!展」をレポート

2023年6月29日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

早稲田大学演劇博物館(通称:エンパク)といえば、1928年に坪内逍遙の古希と「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳完成を記念して設立され、世界各地のあらゆる演劇の資料100万点を収蔵する歴史ある大学博物館です。その早稲田大学演劇博物館の今季の企画展のテーマは、なんと「推し活」! 推し活と演劇博物館……なかなか結びつきませんが、いったいどんな展示なのでしょうか。

 

★過去の早稲田大学演劇博物館の記事はコチラ

今回のポスターでは、「推し活」という興味がそそられるポップな文字が!

今回のポスターでは、「推し活」という興味がそそられるポップな文字が!

 

推し活の基本は普遍的?

今回の展示は4つのセクションに分かれて、古くは室町時代や江戸時代のものから展示されています。「集める」「共有する」「捧げる」「支える」……あれ、現代の推し活と変わらないような。推しに関連するグッズなどを集めるし、SNSで共有するし、ファンクラブなどで支え、時にはプレゼントを捧げることもありますよね。

 

ちなみに、パンフレットに記載された「推し活」の定義は…

近年、好きな人やモノを応援する「推し活」が話題になっています。「推し」とは応援する対象のことを指しており、「推し」をさまざまな形で応援する行為が「推し活」と呼ばれます。「推し」への愛はさまざまな形で表現され、人々の日常を支えるひとつの柱になっています。

 

現代の生活にすっかり馴染んでいる推し活。では、江戸時代に遡って具体的な内容を見ていきましょう。

「集める」の展示風景

「集める」の展示風景

 

まず「集める」の展示で目に留まったのは、江戸時代の歌舞伎の浮世絵。好きな役者さんの浮世絵を買う……言われてみると、浮世絵はブロマイドの原型のようですね。人気役者が描かれたうちわまであります! 今でもライブにうちわを持って応援に行く光景を見かけますね。なんだ、推し活って江戸時代から変わってないじゃないですか。

 

次に見たのは「共有する」の展示。現在のようにSNSがなかった時代にも、ファンクラブでファン同士の連帯感が高まり、機関紙を通して交流が行われていたことがわかります。とくに昭和初期の宝塚歌劇団に関する展示が印象的でした。宝塚歌劇専門誌「寶塚ふあん」や「歌劇グラフ」、宝塚ファンのために刊行された日記帳「歌劇日記」などの関連出版物がズラリ! この頃から熱心なファンがいて、きっと推しの情報を一言一句逃さないように大切にしていたのでしょうね。

「共有する」の展示風景。左側に見えるのは、ファンが大切に保管していたであろう昭和22年の宝塚歌劇東京公演のポスター

「共有する」の展示風景。左側に見えるのは、ファンが大切に保管していたであろう昭和22年の宝塚歌劇東京公演のポスター

 

「支える」では、美しい衣装が展示されています。これと推し活、どのような関係があるのかな? と思い説明を読むと、資金難により足りなかった分は寄付を募ったとあります。今でいうクラウドファウンディングのような感覚でしょうか。実際にこうしてファンの支えによって成り立っていた芸術文化の一部を目の当たりにすると、推し活の意義の大きさを感じます。

 「支える」の展示風景。奥に写っている黒地のものは、人形浄瑠璃の作品「壇浦兜軍記」の登場人物阿古屋の衣装。古くなった衣装を新調する際に贔屓に足りない分を出してもらったそうです。金糸を使用しているそうで、目を見張る豪華さです!

「支える」の展示風景。奥に写っている黒地のものは、人形浄瑠璃の作品「壇浦兜軍記」の登場人物阿古屋の衣装。古くなった衣装を新調する際に贔屓に足りない分を出してもらったそうです。金糸を使用しているそうで、目を見張る豪華さです!

 

展示品は江戸時代のものからそろっているにもかかわらず、推し活の活動内容自体は意外と普遍的なものだと感じ、驚きました。共有するメディアや表現方法は変わっても、根本は変わっていないのですね。今回の展示を見なければ、まったく気づくことのない視点でした!

 

「推し活」という切り口によって出番を迎えた逸品たち

さて、展示の中でもひときわ目を引かれたのは、「捧げる」のコーナーにあった品々。森繁久彌ファンによるテヴィエ人形、市川右太衛門ファンによる大きな掛軸、森律子の等身大人形。テヴィエ人形と掛軸は、なんとファンの方の手作り。どちらも完成度が高く、ものすごい熱量を感じます。等身大人形は、帝国劇場で活躍した女優・森律子のファンから贈られたものだそう。身長はもちろん顔や手足などのサイズも本人とぴったり一致するそうで、よく見ると肌の質感までリアルに作られています。推しへの愛の表現方法もさまざまですね。

テヴィエ人形

テヴィエ人形

市川右太衛門(1907〜1999)のファンが手作りした軸

市川右太衛門(1907〜1999)のファンが手作りした軸

森律子の等身大人形

森律子の等身大人形

「捧げる」の展示風景

「捧げる」の展示風景

 

もう一つ濃いエピソードをもつ展示を紹介します。ファンが手作りした六代目中村歌右衛門のチラシのコラージュです。手元にあったチラシの写真をコラージュにしているのですが、よく見ると桜の花びらも一緒に貼られています。この花びらは、早稲田大学構内にある歌右衛門の旧邸から移植された「うこん桜」のもので、添えられていた手紙には、桜の花びらを集めるためになんと6回も大学を訪れたと記されているそうです。とても熱心な推し活に感服いたしました。

ファン手作りの六代目中村歌右衛門チラシ

ファン手作りの六代目中村歌右衛門チラシ

現在の「うこん桜」

現在の「うこん桜」

 

これらの展示品の多くは、今回の「推し活」というテーマでようやく展示されるに至り、初公開なんだそうです。企画に携わった早稲田大学演劇博物館助教の赤井紀美先生によると「収蔵品を調べると、ファンから贈られたものや、後援会の資料がたくさんありました。演者さんからまとめて寄贈していただくことが多く、その中に入っていたものが多数あります。推し活というファンの営みから焦点を当てることで、今回展示できることになりました」とのこと。

 

また、推し活というのは、ある意味でエンパクの原点なのだと、赤井先生は説明します。「そもそもこの博物館は、逍遥先生の推し活によってできたといえるかもしれません。逍遥先生は、古今東西、演劇に関するものはすべて資料として集めることを目指しました。演劇という芸術文化を愛して、ここから文化を発信したいという情熱で集めたもので、ここはできているわけですから」。なるほど、そう聞くと「推し活!展」をエンパクで開催するのは、当然の帰結なように感じてきました。

 

あなたの推し活も未来の資料に!

最後の展示コーナー「推し活の現在(いま)」では、来館者への推し活のアンケートを実施しています。事前に募集していた回答と合わせて、ずらりと並ぶ推し活への想い。これらは、早稲田大学演劇博物館が収集した2023年の推し活を記録した大切な資料となるのです。

 

事前に集まったのは300を超える回答。「あなたの『推し』は誰ですか?」「『推し』のどこが好きですか?」「あなたの『推し活』について、具体的な方法やスタイルを教えてください」「『推し活』を通してあなたの人生や生活にどんな変化がありましたか?」といった質問に、熱い想いが寄せられています。

事前に集まった回答の展示風景

事前に集まった回答の展示風景

 

ひと言に「推し活」といっても、推しは歌舞伎俳優やミュージカル俳優、アイドル、キャラクターなどさまざま。そして、推し活の方法やスタイルとなるとさらに多岐にわたります。ドラマや配信を見るなど家でできる気軽なものもあれば、「なるべく現場に出向くようにしている」という声も。「SNSで推しについて語る」「グッズを買って売り上げ貢献」といった声も散見され、展示のテーマになっていた「集める」「共有する」「支える」「捧げる」の4つの柱が現代にも通じていることがよくわかります。

 

そして、来館者が付箋に記入するコーナーでも、「『推し』へのメッセージをどうぞ」や「あなたにとって『推し活』とは?」に対して、熱のこもったコメントが数多く寄せられていました。

来館者が記入した推し活の現在。一見、柄に見えるものすべて付箋!

来館者が記入した推し活の現在。一見、柄に見えるものすべて付箋!

 

推し活の現状を資料として残すーーー今回の展示にはこのような意義もあったのですね。貴重な資料として、筆者自身の推し活についてもひっそりとコメントを残し、満足げに会場を後にしました。

 

推し活の起源や歴史なんて考えたこともありませんでした。でも、展示を見終えると、推し活がいつの時代もファンに活力や希望を与えてきただけでなく、演者を支えてきたことがわかり、芸術文化の発展に不可欠なものだったんだなぁと感じました。人類の歴史の大切な一部分と言っても過言ではないように思います。推し活についてここまで多角的に考えられる機会はなかなかないと思うので、ぜひ皆さんもこの機会をお見逃しなく!

 

嫁入本『源氏物語』全54帖が一挙公開! 國學院大學博物館で楽しむ物語絵の世界

2023年4月25日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

國學院大學博物館で開催された企画展「物語絵―嫁入本『源氏物語』全54帖公開―」は、日本人が古くから親しんできた物語と絵の組み合わせを『源氏物語』を中心に『竹取物語』や『伊勢物語』も含めて楽しむことができる展覧会です。國學院大學図書館が所蔵する貴重資料がわかりやすく展示されており、しかも入場無料。美しい絵で表現された物語の世界を満喫させていただきました。

 

全54帖が一挙に公開されるのは初めて!

会場に入ってすぐのところに展示されているのは、嫁入本『源氏物語』の装飾箱。寛文8年(1668)頃に製作されたこちらの箱には、各帖冒頭に絵を付した『源氏物語』が収められています。久我家が、このような美しい箱に入れられた『源氏物語』を姫君の嫁入道具として用意したそうです。今回の展示は前期(2023年1月28日~2月26日開催)と後期(3月1日~3月26日開催)に分かれていて、この箱の引き出しの右側(一の引き出し〜三の引き出し)が前期に、左側(四の引き出し〜六の引き出し)が後期に公開されていました。

嫁入本『源氏物語』装飾箱。木製の小さめな引き出しをイメージしていたのですが、思っていたよりもしっかりとしている印象。各引き出しに書かれた文字が流麗で美しい

嫁入本『源氏物語』装飾箱。木製の小さめな引き出しをイメージしていたのですが、思っていたよりもしっかりとしている印象。各引き出しに書かれた文字が流麗で美しい

 

学芸員の佐々木理良さんに企画展についてうかがったところ、企画展の目玉は嫁入本『源氏物語』54帖の一挙公開ではありますが、見て欲しいポイントは他にもあるとのこと。

「本学では『源氏物語』だけでなく、絵巻物や物語絵という切り口でも研究しているので、『竹取物語』や『伊勢物語』なども含めて“物語絵”というタイトルで展示しました。日本人がかなり古くから、物語を読み込むために絵を用いていたことを紹介したかったのです」

 

「54帖一挙公開」と「物語絵」と大きな見どころが2つもある今回の企画展。では実際に、どのような展示なのでしょう。早速、見ていきましょう。

 

物語の勉強にも絵の勉強にも!

企画展のタイトルは「物語絵」で、主役は物語と絵。西洋では聖書の内容を理解するためにステンドグラスや宗教画が描かれていましたが、日本でも古来から、物語を理解するために絵が活用されていたのですね。どのような場面について書かれているのか、絵を見れば一目瞭然。『源氏物語』は登場人物が多くて苦手意識があったのですが、絵の美しさに惹かれ、次第に『源氏物語』の世界に入り込んでいきました。

 

今回展示されている嫁入本『源氏物語』54帖は、江戸時代に描かれたものですが、保存状態が良く、とても細かいところまで見ることができます。物憂げな表情や目線、月のニュアンス……精緻に描かれていて、見入ってしまいます。そして、そして、物語の本文と展示の解説も読むと、まるで答え合わせをしているようで、なかなか楽しかったです。どういう場面なのか、どのような心情から生まれた表情なのか。文字からだけでは想像しにくい情景が、絵の力によって想像しやすくなりました。

手前に展示されているのが絵の部分。壁のパネルでも主要な場面が解説されていて、物語の流れも把握することができます

手前に展示されているのが絵の部分。壁のパネルでも主要な場面が解説されていて、物語の流れも把握することができます

こちらは本文とともに引き出しに収められていた注釈書類の展示。うーん、達筆すぎてぱっと見で読むことはできなかったので、絵のありがたみを感じました

こちらは本文とともに引き出しに収められていた注釈書類の展示。うーん、達筆すぎてぱっと見で読むことはできなかったので、絵のありがたみを感じました

 

また、物語絵ならではの感じ方もありました。1枚の絵の中にその場面の時間の流れまで表されているように見えます。例えば、『竹取物語』のかぐや姫が旅立つ場面では、かぐや姫の行動だけでなく、あたかも登場人物の心の機微まで伝わってくるようでした。物語の中のある一瞬を切り取って描かれているというよりも、文章で表されている場面の時間の流れまでも表しているようです。静止画なのに絵がここまで語ってくるように感じるのは、物語とテキストの相乗効果のように思いました。

『竹取物語』の展示。初めての古典の授業で暗唱した「今は昔、竹取の翁といふものありけり……」とすぐに思い浮かび、展示を見てもすぐにどの場面なのかピンときました

『竹取物語』の展示。初めての古典の授業で暗唱した「今は昔、竹取の翁といふものありけり……」とすぐに思い浮かび、展示を見てもすぐにどの場面なのかピンときました

 

充実した資料で展示をより楽しめる

今回の企画展は、会場で展示を鑑賞する以外にも、さまざまな楽しみ方があります。一つは、YouTubeに公開されている解説動画です。なんと、針本正行氏(國學院大學学長)自らが解説をしてくれています。

 

★針本学長による『源氏物語』第51帖「浮舟巻」はコチラ

 

筆者は國學院大學に向かう電車のなかで予習をしたのですが、そのおかげで展示を見たときに「おぉ〜これが浮舟か!」とより一層わくわくしました。解説をふまえて見てみると、やはり細部までじっくりと目を留めたくなりますね。

 嫁入本『源氏物語』第51帖「浮舟巻」。動画で解説を聞いたので興味が湧き、こちらの絵はよりじっくりと鑑賞できました

嫁入本『源氏物語』第51帖「浮舟巻」。動画で解説を聞いたので興味が湧き、こちらの絵はよりじっくりと鑑賞できました

 

また、私が訪れた後期の会期中は前期の展示がデジタルミュージアムで公開されていました(会期中のみの公開のため、現在は非公開となっています)。デジタルミュージアムであれば好きなときに観ることができるので、とても便利に感じました。

会場には十二単の展示も。國學院大學博物館の公式YouTubeやInstagramでは、装束の着装をタイムラプスで撮影した動画も公開されていて、興味深かったです

会場には十二単の展示も。國學院大學博物館の公式YouTubeやInstagramでは、装束の着装をタイムラプスで撮影した動画も公開されていて、興味深かったです

 

ちなみに、常設展もかなり見応えがありました。「考古ゾーン」「神道ゾーン」「校史ゾーン」に分かれていて、國學院大學ならではの充実した資料が展示されています。特に、なまずの御神輿の展示には目が釘付けに……。企画展「物語絵―嫁入本『源氏物語』全54帖公開―」は残念ながらすでに終了していますが、5月14日までは企画展「土御門家がみた宇宙−江戸時代の天文観測−」が開催されています。こちらの企画展では、代々天文道をもって朝廷に仕えた土御門家の天文観測の史料が公開されているとのこと。興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。

國學院大學博物館の外観。5月14日までは、企画展「土御門家がみた宇宙−江戸時代の天文観測−」を展示

國學院大學博物館の外観。5月14日までは、企画展「土御門家がみた宇宙−江戸時代の天文観測−」を展示

パイプオルガンを通して言葉を超越した祈りを捧げる〜青山学院大学チャリティ・コンサート

2023年1月24日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

写真:青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂(青山キャンパス)

 

2022年11月11日に青山学院大学(青山キャンパス)で開催されたパイプオルガンのチャリティ・コンサート「平和の祈り チャリティ・コンサート〜主は恵み深く、その慈しみはとこしえに~」に足を運びました。全国の大学がさまざまな形でウクライナを支援していますが、青山学院大学では、今回のコンサートの収益やクリスマス礼拝の献金をウクライナをはじめとする紛争地域における食糧援助や難民支援を行なう団体に寄付するそうです。演奏は、青山学院中等部・高等部の卒業生でもあるオルガニストの大平健介さん。音楽を楽しむだけでなく、平和について思いを馳せて祈りを捧げた特別なひとときをレポートします。

祈りを捧げて心がひとつになった瞬間

チャリティ・コンサートを始めるにあたり、学院宗教部長・大学宗教主任の伊藤悟先生から平和への祈りが捧げられ、青山学院大学のガウチャー記念礼拝堂は、温かな静寂に包まれました。

伊藤先生が「コロナ禍やウクライナ情勢、世界中の紛争、身近な事件をおぼえ、私たちに何ができるでしょうか? 祈りましょう。共に祈りましょう。何もできないときでも、祈ることができます。これはとても大きなことです」とお話しされると、客席も想いを重ねて祈りました。コンサート開始前、まさに皆の心が一つになった瞬間でした。

伊藤先生の「祈りと共にコンサートを始めます」という言葉が印象的でした。これから始まるのは、単なるパイプオルガンのコンサートではありません。コンサートのタイトルは「平和の祈り」。主催者、演奏者、お客さん全員が、平和に対する思いを一つにして共有する時間なのです。

学院宗教部長・大学宗教主任・教育人間科学部教授の伊藤悟先生。

学院宗教部長・大学宗教主任・教育人間科学部教授の伊藤悟先生。

 

言葉を超越した祈り

演奏が始まると、一気に音楽の世界に引き込まれました。パイプオルガンの音色で会場が満たされ、身体に染み渡るように響きます。建物と一体化したような大きなパイプオルガンを、両手両足を用いて、まさに全身全霊で演奏するオルガニストの大平健介さん。聴くほうもまた、身体全体でオルガンの響きを感じ取っているようでした。

 

大平さんが自ら選んだコンサートの副題は、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」。「今回のチャリティ・コンサートの趣旨は、青山学院大学が大切にしているキリスト教の精神と、タイトルの通り、平和の祈りでした。そのため、礼拝の中の音楽をイメージして、コンサートというよりはメッセージ性のある選曲を心がけました」とのこと。

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大平健介(おおひら・けんすけ)

東京藝術大学及び同大学院卒業。DAAD給費留学生としてヴュルツブルク及びミュンヘン音楽大学にて教会音楽と現代音楽を学ぶ。文化庁新進芸術家海外研修員。2016年IONニュルンベルク国際オルガンコンクール優勝。現在、日本キリスト教団聖ヶ丘教会首席オルガニスト、明治学院大学横浜主任オルガニスト、アンサンブル室町芸術監督、TAJIMI CHOIR JAPAN 多治見少年少女合唱団とシニアコア アーティスト・イン・レジデンス。

 

今回大平さんが組んだプログラムは、バッハやブラームスなど良く知られた作曲家と現代の作曲家の作品が織り交ぜられた多彩な内容。演奏会中は、数曲ごとに大平さんが作品紹介をしてくださいました。どこの国出身の作曲家によっていつ頃書かれたのか、どのような特徴のある作品なのか、何も知らずに聴くよりも、音楽に気持ちを向けられます。親しみやすい語り口調も相まって、心穏やかに祈りと音楽に集中できました。

各作品の解説やオルガンへの思いを語る大平さん。「このパイプオルガンが組み立てられるところから見て憧れていたので、こうして演奏できることに感謝しています」

各作品の解説やオルガンへの思いを語る大平さん。「このパイプオルガンが組み立てられるところから見て憧れていたので、こうして演奏できることに感謝しています」

 

特に心に残ったのは、2人の大作曲家の信仰の深さを感じる2作品。まず、ブラームスが亡くなる前年に作曲した《11のコラール前奏曲》からの2曲は、筆者自身、もともとブラームスが大好きなのもありますが、旋律の美しさはもちろんのこと、内声部の一音一音まで丁寧に奏でられ、じっくりと味わうように聴き惚れました。ブラームスはどんな暗闇でも、自分の聖書を見つけることができたそうです。

 

また、晩年は聖職者となったリストの《オルガンのためのミサ》より「サンクトゥス・ベネディクトゥス」からも、作曲家の信仰や祈りが伝わってきました。オルガンがもつ底力が発揮されて、オルガンも全力で歌っているようです。リストといえば超絶技巧のイメージが強いかもしれませんが、オルガン曲の重厚感ある響きには、また一味違う魅力があります。

 

コンサートは休憩なしの1時間半ほどで、10曲が演奏されました。とても聴きごたえがあって大満足だったのですが、さらにアンコールで嬉しいことが起きました。大平さんが青山学院の中等部のときに礼拝で聴いて好きになった曲ということで演奏されたのは、メンデルスゾーンの「オルガン・ソナタ第6番」のフィナーレ。ミッションスクール出身の筆者も、かつて学校の礼拝で耳にし、一番好きになった曲です。勝手に嬉しくなって、目頭が熱くなったのでした。

「人智を超えた力があると信じる」礼拝のための音楽

コンサート終了後、大平さんに、演奏に込めた思いについてもお話をうかがいました。

 

「聴いてくださる方たちにとって、何か特別な時間になるようにプログラミングしました。普段の生活や仕事を忘れて、自分と神様の時間、あるいは自分だけの時間に思いを馳せることが、他人に気持ちが向く余裕につながるのではないかと思います。

 

教会音楽は神様のための音楽、賛美のための音楽であり、それは私たちが捧げて喜びを感じるものでもあると思います。礼拝のために作られた音楽を奏でて、そのために作られたパイプオルガンで奏でることによって生まれる力は、普通の音楽会とは異なります。人智を超えた力があると僕は信じています」

 

大平さんの意図の通り、礼拝堂の穏やかな雰囲気のなかで、迫力がある重厚な響きや華やかな音色、または時に心が鎮まるような落ち着いた調べを全身で感じて、普段の生活を忘れられる時間でした。そして、音楽を通して祈りを捧げているようでした。

 

言葉を超越した祈りを会場にいる全員が共有するというのは、なかなか普通のコンサートでは経験できません。大平さん自身も「演奏会というよりは、礼拝で弾くような気持ちでした。音楽を通して礼拝を捧げるような、全員が祈るような時間にしたかったのです。伊藤先生の導入も素晴らしくて、お客さんの心の準備ができたところで演奏会を始められました」とのこと。まさにそのような特別な時間を過ごさせていただきました!

パイプオルガンの多彩な音色を引き出す

大平さんが今回の選曲をした背景には、もう一つの重要な意図があるそうです。それは、パイプオルガンの魅力を最大限に引き出して、“進化し続ける現代の楽器”として紹介すること。どういうことなのでしょうか?

 

「パイプオルガンは、日本には1970年代に入ってきました。今では日本はオルガン大国となり、サントリーホールをはじめとする都内のコンサートホール、そして大学にも、青山学院大学、国際基督教大学、立教大学など、立派なオルガンがあります。実は、パイプオルガンはみなさんが思っているほど遠い存在ではなくて、当たり前の存在になっているんですが、いまだに日本ではバッハの《トッカータとフーガ》や《主よ人の望みよ喜びよ》のイメージが強く、1970〜80年頃から変わっていません。僕は演奏家として、このようなイメージや固定観念を取り払いたいと思いました。

パイプオルガンは今日の私たちのための楽器で、ヨーロッパでは現代の作曲家による作品が演奏されています。今日のコンサートでも、そういう姿を伝えたいと思いました」

スイスのマティス社によるパイプオルガン。2713本のパイプからできているそうです。

スイスのマティス社によるパイプオルガン。2713本のパイプからできているそうです。

 

パイプオルガンの普及と認識にズレがあるのですね。たしかに、今回大平さんが組んだプログラムには、1900年以降に書かれた比較的新しい作品が取り入れられています。例えば、マッター(1937〜)やヨハンセン(1961〜)の作品は、現代曲だからと身構えてしまうことはなく、すんなりと聴くことができました。

 

また、大平さんは青山学院大学のパイプオルガンに「オルガニストとしてだけでなく、一人の卒業生として、これまでの道のりへの感謝を込めた」といいます。パイプオルガンには一つひとつ個性があり、マティス社のオルガンにも得意とする音色、苦手な音色があります。「この楽器が一番歌えるプログラムを届けることで、オルガンの魅力を知っていただけたら」と、思いを語ってくれました。

 

筆者も聴いているときに、さまざまな音色を駆使して演奏してもらえて、オルガンも喜んでいるだろうなと思いました。

キリスト教の教育理念に基づいたコンサート企画

ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに企画された今回のチャリティ・コンサート。企画を担当した宗教センター事務室の佐々木さんによると、青山学院大学では毎年クリスマス献金として礼拝や各部署で献金を集めて募金をしていますが、今年は今回のコンサートを含めて3回のチャリティ・コンサートを企画したそうです。

 

パイプオルガンのコンサートにした理由については「オルガン音楽は主に教会やキリスト教の大学でしか演奏されないので、こうした機会をつくるのも教育の一環と考えたこと、また礼拝とは別に、こうしたコンサートの形で地域貢献できたらという思いもありました」とのこと。宗教センターでは、キリスト教音楽の普及も大切にしてイベントの企画をしているそうです。

 

チャリティ・コンサートの収益は、ワールド・ビジョンジャパン、アルペなんみんセンター、Mennonite Central Committeeの3団体に寄付され、ウクライナをはじめ、世界の紛争地域での食糧援助や難民支援などに役立てられます。また、青山学院大学宗教センター所属の学生団体(聖歌隊、ハンドベル・クワイア等)も、今年は定期演奏会とクリスマスコンサートをチャリティ・コンサートとして開催しています。

キリスト教教育の大学として「募金を通して支援することの大切さや、そういう方々に思いを寄せることを一つの教育理念としています」と話す佐々木さん。学生たちの活動にも、このような理念が活きているのですね。

 

平和への祈りをともに捧げ、音楽という言葉を超越した祈りを共有する特別な時間となった今回のチャリティ・コンサート。

パイプオルガンの魅力を最大限に引き出すプログラム、そして大平さんの感謝や祈りがこもった素晴らしい演奏に、心の芯から満たされました。

伝統工芸をいかに継承していくか? 京都アカデミアウィーク講演会「KYOTO Traditional Crafts〜京の伝統工芸〜」で伝統工芸の課題と未来への取り組みを学ぶ

2023年1月17日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

京都外国語大学の村山弘太郎先生(国際貢献学部グローバル観光学科 准教授)は、京都の伝統工芸を絶やさぬために、さまざまな活動に取り組んでいます。京都の9大学が連携し、京都や京都の大学の魅力を伝えるために東京で開催された「京都アカデミアウィーク2022」の講演会の一つ、「KYOTO Traditional Crafts〜京の伝統工芸〜」で、現在伝統工芸がどのような状況におかれているのか、そして、これからどうなっていくのか、お話をうかがってきました。


※「京都アカデミアウィーク2021」「京都アカデミアウィーク2019」「京都アカデミアウィーク2018」とあわせてお楽しみください

当日は、各大学の資料をはじめ、伝統工芸品や名産品、京都観光や京都移住に関する情報まで、さまざまな形で「旬の京都」の魅力が紹介されていました

当日は、各大学の資料をはじめ、伝統工芸品や名産品、京都観光や京都移住に関する情報まで、さまざまな形で「旬の京都」の魅力が紹介されていました

 

伝統工芸が直面している課題とは?

京都の伝統工芸の一番の特徴は、伝統工芸が生活に息づいていることだそうです。街中に仕事場が点在していて、職人が身近な存在であり、さらに、今でも茶会や華道の催しなどが毎日のように行われているため、使用される機会も多くあるとのこと。たしかに、筆者が伝統工芸と聞いて思い出すのは、小学校のときに林間学校で体験した和紙作りくらいで、生活の中に自然と存在していたというよりは、特別に知る機会を用意されたときに触れたという感じです。さすが歴史ある街、京都。伝統工芸との関わり方も違うのですね。

 

しかし、現在では伝統工芸品が使用される重要な場面である祭礼は、深刻な課題に直面しているそうです。少子高齢化によって人や資金が集めにくい状況が続いてきたところにコロナ禍が拍車をかけ、祭礼や民俗行事の継承は危機に瀕しているのが現実。せっかく生活と一体となって発展してきた伝統工芸が、このままでは続かない……何百年もかけて培われてきた大切な文化が失われてしまいますね。そこで村山先生はまず、課題の要因でもっとも重要な「人」にしぼり、ゼミの学生たちとともに解決策に取り組んだそうです。

 

(1) 技術や手順の継承

急務として挙げられるのが、祭具や衣装の準備などのやり方を継承すること。たしかに町内で祭具の組み立て方を知っているのが一人だけなんてこともある現状では、継承していくことは難しいですよね。祭礼の準備をしているところを動画で撮影して共有することで、より多くの人が伝統を引き継いでいけるようにサポートしたそうです。

 

(2) 負担の軽減

祭礼における人的負担が大きいことも、継承していくうえで大きな壁に。村山先生は、負担を軽減するために、外部化できる仕事を見極める必要があると判断したそうです。実際にボランティアとして学生を導入して、どこまでなら外部の人が請け負うことができるのか探っていったとのこと。例えば、今年開催された滋賀県大津市の大津祭では、京都外国語大学の学生たちがちまき作り(ちまきとは大津祭で販売される笹の葉で作られた疫病・災難除けのお守りのこと)と販売の手伝いを担ったそうです。

村山弘太郎先生は、史学専攻で古文書なども専門的に学び、西陣の氏神の祭礼である今宮祭の調査を始めたのをきっかけに、伝統工芸の継承にも関心を抱くようになったそうです

村山弘太郎先生は、史学専攻で古文書なども専門的に学び、西陣の氏神の祭礼である今宮祭の調査を始めたのをきっかけに、伝統工芸の継承にも関心を抱くようになったそうです

 

「伝統工芸継承の危機」と聞いても聴講前はピンときませんでしたが、具体的なお話をうかがうにつれて、いかに伝統的な行事が多くの方たちの支えによって継承されてきたのか、実感することができました。今年3年ぶりの開催ということで、筆者は東京から意気揚々と祇園祭に出かけてお祭り気分を満喫したのですが、何百年も丁寧に引き継がれてきた伝統があってこそお祭りを楽しめたのですね。頭が下がる思いです。

 

もう一つ、伝統工芸の継承において大切なのは、伝統工芸が何かをきちんと認識することだと、講演会を通して伝わってきました。村山先生が講演の中で「伝統工芸とはなんですか? “古くから伝わる手工業”として、“古くから”とは何年以上続いているものを指しますか? 機械化はどこまで許容されるのでしょうか?」と参加者に問われ、筆者は答えに詰まってしまいました。いかに自分の認識が曖昧であったのか、自覚させられます。

 

それに対して、わかりやすい例えを用いて説明してくださいました。「年月で考えると、よく100年が目安に挙がると思います。“創業100年の造り酒屋”と聞くと伝統があるように感じるかもしれませんが、100年前の1922年といえば、江崎グリコ創業、サンデー毎日創刊、小学館設立……どうでしょうか。年月の問題ではなさそうですよね」

 

答えは、1974年に定められた「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に、伝統工芸の定義が明記されていて、京都では17の伝統的工芸品が指定されているそうです。

 

【京都の伝統工芸】

西陣織、京鹿の子絞、京友禅、京小紋、京くみひも、京繍、京黒紋付染、京仏壇、京仏具、京漆器、京指物、京焼・清水焼、京扇子、京うちわ、京石工芸品、京表具、京人形

 

具体的に認識することで、伝統工芸の継承にどのようなことが必要なのか、どのような対策が有効なのか見えてくるといいます。

祭礼をお手伝いした際の写真を見せながらお話しいただきました。祭具という“伝統工芸品の塊”をどのようにメンテナンスしていくのかも難しい問題といいます。なかには150年間修理されることがなかった道具もたくさんあるそう

祭礼をお手伝いした際の写真を見せながらお話しいただきました。祭具という“伝統工芸品の塊”をどのようにメンテナンスしていくのかも難しい問題といいます。なかには150年間修理されることがなかった道具もたくさんあるそう

 

伝統工芸のプロモーションで職人に焦点を当てる

次に、伝統工芸を受け継いでいくためにどのような取り組みが見られるのか紹介していただきました。西陣織や和傘など、伝統技術を用いて現代生活に合わせた商品開発を行った例もあるそう。プロモーションなどの努力を重ねて、認知されるようになってはいるものの、このような成功例はまだ珍しいそうです。ここでまた別の課題が見えてきます。村山先生は、たとえいい製品があったとしても、若い世代に届かなければ、長年継承されてきたものが途絶えてしまうと考え、伝統工芸のプロモーションにも重点を置くようになったそうです。

 

村山先生が所属する京都外国語大学国際貢献学部の独自のプログラム「Community Engagement Program」では、伝統工芸体験や旅館でのインターンシップを行っているほか、伝統工芸商品のプロモーションのために、職人の紹介動画の制作も始めたそう。村山先生は、動画を撮影する過程を見守るなかで、伝統工芸そのものの紹介に疑問を抱き、ただ商品の紹介をするだけでなく、職人さんに焦点を当てたほうが面白いのではないかと気づいたそうです。

 

講演会では、実際にプロモーション動画を制作した学生さん2人も京都からオンラインで登場し、体験を話してくれました。「撮影には慣れていなくて試行錯誤したが、結果的にいいものができた。自分たちに何ができるか考え、伝えたいことは何かを意識して作りました」とのこと。

「今後もインタビューをして、その人自身についてのストーリーを聞き出して、動画に収めていきたい。いろんな人にお話も聞きたいし、どんどん発信していきたい」と意欲的な姿勢を見せてくれました。

 

紹介された職人さんの一人、京都で100年以上続く窯元の四代目となる陶芸家の林侑子さんも同じく富山の個展会場からオンラインで登壇。「伝統工芸は身近なものだと伝えていくことが大切だと思っています。その一歩として創作活動を知ってもらういい機会になりました」と動画について振り返りました。

 

村山先生はお話の中で、伝統工芸の継承において大切なことの一つは「若い世代に伝えること」とおっしゃっていたので、大学生から見て興味深いと思う内容を盛り込んで動画を作成し発信していくのは、とても意義のあることだと感じました。

陶芸家の林侑子さんの作品。土鋏を用いた技術で繊細な模様が描かれています

陶芸家の林侑子さんの作品。土鋏を用いた技術で繊細な模様が描かれています

 

京都観光の新たな楽しみ方! 伝統工芸に触れて興味を持つ簡単な方法

講演会後に村山先生にお話をうかがいました。

 

京都の伝統工芸の一番の魅力を教えてください。

「日常の中でいろいろな伝統工芸が生きていることですね。決して製品や作品だけが生きているのではなく、それを作った職人さんたちも一緒にいて、隣に住んでいる。例えば、住んでいるマンションの理事長が職人さんというケースも聞くくらい、京都ではそこらじゅうで伝統工芸と隣り合わせです。職住一体という言葉を表していますよね。日常に溶け込んでいることが、京都の伝統工芸の特徴であり、魅力でもあります」

 

村山先生がこれから一番伝えていきたいことはなんでしょうか?

「興味を持っていただきたいということですね。古いものだという固定概念や先入観を持たないで、まずは興味を持つこと。伝統産業も伝統工芸も、今の世の中にそぐわないと切り捨てるのではなく、自分で直接見たり触ったりしたうえで何か感じてほしいです」

 

観光で京都に行って寺社仏閣を見ても、伝統工芸と意識することはあまりないですよね。伝統工芸に触れるおすすめの方法はありますか?

「仏像や建物は見ますよね。一緒にたくさん飾りがついていますよね。その飾りにまで目を向けたらいいのではないでしょうか。例えば、提灯に吊り下がっている房紐や、お寺の本堂にかかっている幕などの荘厳具。また、御神輿にもたくさんの飾りがついていますよね。あまり注目されないですが、これらはすべて伝統工芸品なのです。

 

このような、これまでは仏像や建物、拝殿などを見て終わっていたところを、もう一歩進んで、飾りもすべて伝統工芸品だと思って見てみてください。どうやって作られているんだろう? なんて呼ばれているんだろう? そういう視点が生まれたら面白いと思います」

 

なるほど! 建物や仏像を見に行ったときに装飾に注目してみるという、ほんの少し違う視点を取り入れるだけで、伝統工芸に触れる機会はたくさん生まれるのですね。観光で好きな神社やお寺などの歴史ある場所を訪れた際に、一歩踏み込んで、細部にある伝統工芸に注目するよう意識してみたいと思います。そうして興味を持つことこそ、伝統工芸の継承における第一歩となるのです。

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