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最先端科学がブラックホールの常識を覆す! 名古屋大学✕名古屋市科学館セミナーレポート

2021年10月19日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

すっかり日没が早くなり、職場や学校からの帰り道で何気なく星を探してしまう今日この頃。これから気温が下がれば空気が澄んで、一年で最も星が綺麗に見える冬がやってくる。しかし当然ながら、宇宙に存在するのはぴかぴか光る星だけではない。むしろ、目に見えない謎が宇宙の大半を占めていると言ってもいいだろう。その代表格がブラックホールだ。2019年に歴史上初めてブラックホールの姿が撮影されたことは記憶に新しい。さらに2020年には、超大型ブラックホールの研究者3名がノーベル物理学賞を受賞するなど、何かとホットな話題が多い。

 

というわけで今回は、名古屋大学と名古屋市科学館が主催するオンラインセミナー「分野横断によるブラックホールの謎への挑戦!」に参加してきた。このセミナーは「天文学の最前線」と題して1992年に始まり、毎年夏休みに高校生や学校の先生向けに開催されているとのこと。今回は名古屋大学の4名の先生方が、それぞれの分野でのブラックホール研究の最前線を発表された。約5時間にわたる濃密な内容をぎゅっと圧縮して、4つのトピックスとして紹介したいと思う。

1.星よりも先に生まれた!? 「原始ブラックホール」が注目されている!

これまでブラックホールといえば、太陽の数十倍以上の大きさの恒星が最期を迎えた姿として知られてきた(こちらの記事も参考にされたい)。しかし近年注目を集めている「原始ブラックホール」はその常識を覆すものらしい。

 

初期宇宙を研究している多田祐一郎先生(高等研究院 YLC特任助教)によると、原始ブラックホールは仮説上の存在で、見つかっていないどころか本当にあるのかどうかもわからないものだという。しかし、もし見つかれば宇宙の始まりや暗黒物質など、さまざまな謎を解き明かす鍵になるかもしれないのだそうだ。一体どういうことなのだろうか?

 

原始ブラックホールは、原始宇宙の急激な膨張(インフレーション)に関係しているという。宇宙のはじまりには量子エネルギーのミクロなゆらぎが存在した。それがインフレーションによって引き伸ばされて、大きなゆらぎとなる。インフレーション後の宇宙は、高温のプラズマで満たされた火の玉宇宙とよばれる状態になる。そこにゆらぎが作用し、プラズマが部分的に密集することによって原始ブラックホールができた…ということなのだそうだ。ううむ、ちょっと難しいが、まだできたてホカホカの宇宙で、星よりも先に生まれたのが原始ブラックホールだった(かも)という話。

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そんな原始ブラックホールには、これまで発見されている恒星由来のブラックホールとは異なる性質がある。ひとつは、原理的にどんな質量でもありうるということ。恒星に由来するブラックホールならば太陽よりも軽いということはありえないが、原始ブラックホールならばそれもありうる。そしてもうひとつは、自転していないことだ。これらの性質に該当するブラックホールがもし見つかれば、原始ブラックホールである可能性が高いということになる。

 

そこで現在注目されているのが重力波だ。重力波とは、重力によって発生する「時空のさざ波」のこと。2つのブラックホールがお互いに引き合い、合体するときには合体重力波が発生する。アメリカのLIGO、欧州のVirgo、日本のKAGRAといった施設で重力波の観測が日々行われていて、その重力波のパターンを解析することで、質量はもちろんその天体が自転しているかどうかもある程度推測することができるのだそうだ。ここ数年の間に太陽の20~40倍の質量のブラックホールが沢山見つかっていて、これらが原始ブラックホールである可能性が指摘されている。大昔にできたブラックホール同士が、現在に至って合体して重力波を出しているのかもしれないのだ。

 

さらに、原始ブラックホールは暗黒物質(こちらの記事もご参考に)の候補のひとつとしても名前が挙がっている。太陽よりもはるかに小さい、小惑星程度の質量の原始ブラックホールが暗黒物質の正体かもしれないという。小型のブラックホールが宇宙空間を飛び回っているところを想像してみるとすごく危険な気がするが、多田先生によると、存在するとしてもシュヴァルツシルト半径は数ナノメートルで、人体をすり抜けてもほとんど影響はないはず……とのこと。一安心だ。

 

このサイズでは現在の地上施設で重力波をとらえることはできないが、打ち上げ計画が進行中の宇宙重力波望遠鏡LISAによって、宇宙空間から観測が可能になるかもしれない。暗黒物質=原始ブラックホール説の検証に期待が寄せられている。

2.ブラックホールが「重力レンズ」で地球に届く星の光を歪める!?

ブラックホールを「見る」ことは可能なのだろうか? 恒星に由来するブラックホールの場合、引き寄せられたガスが摩擦によって電磁波(X線)を発することが知られている。2019年に観測されたブラックホールの画像もこうした周囲の物質が発する電磁波を可視化したものだ。ところが、原始ブラックホールの場合はこうした物質が周りにないため、「闇夜のカラス」状態なのだという。

 

光学望遠鏡で原始ブラックホールの証拠を探している阿部⽂雄先生(宇宙地球環境研究所 客員准教授)が注目するのが、重力レンズとよばれる現象だ。恒星や銀河など、ふたつの天体が地球から見て一直線に並んだ(つまり、ふたつの星がぴったり重なり合った)とき、地球に近い方の天体の重力がレンズの働きをして、地球に遠い方の星から地球に届く光を歪める。これによって星の光がリング状に見えたり(アインシュタインリング)、いつもよりも明るく見えたりする(重力マイクロレンズ)。阿部先生はこの重力マイクロレンズによる増光を観測することで、ブラックホールを探しているという。

 

つまり、広い星空のどこかで、光る星の前を偶然ブラックホールが通り過ぎたならば、ブラックホールそのものは見えなくても重力レンズ効果による増光を観測できる可能性があるというわけ。1936年に重力レンズ効果を予言したのはあのアインシュタインだが、彼自身、この大宇宙の偶然を実際に観測できる可能性については悲観的だったそうだ。

 

しかし科学は進歩するもので、近年はハッブル宇宙望遠鏡が遠方の銀河によるアインシュタインリングを観測している。重力マイクロレンズの観測に至っては、すでに日常的に行われている。阿部先生のチームはニュージーランドにある光学望遠鏡で銀河中心方向に狙いを定め、毎年数百の普通の星による重力マイクロレンズ現象を観測しているそうだ。この方法で次にターゲットにしているのは、 多田先生のお話にも出てきた暗黒物質の可能性がある小型の原始ブラックホール。決定的な候補はまだ見つかっていないが、解析が進めば大発見につながるかもしれない。大きな謎に今にも手が届きそうな話で、ワクワクする。

重力マイクロレンズは、星の明るさの変化の差分から検出することができる

重力マイクロレンズは、星の明るさの変化の差分から検出することができる

普通の星による重力マイクロレンズによる明るさの変化を記録したグラフ

普通の星による重力マイクロレンズによる明るさの変化を記録したグラフ

3. 観測不可能なブラックホールの内側は、数学を使えばイメージできる!

続く泉圭介先生(素粒子宇宙起源研究所 講師)の発表は、「数学的なアプローチでブラックホールの内部を見る」というもの。ブラックホールの内部は巨大な重力によって時空が曲がり、一度中に入れば光でさえも外に出ることができない……つまり、観測することは絶対に不可能だ。

 

時空の曲がりを記述する方程式はアインシュタインが考案した。たとえ話で考えてみよう。地球上のある場所からある場所へ、球面を一直線に移動したとする。それを平らな地図上に表すと、一直線のルートは湾曲して見える。この湾曲の仕方をはかることで、平面に描かれた2次元の地図から地球表面(曲がった2次元の面)の丸みを計算することが可能だ。時空の曲がりという難解な概念もこれと同じで、4次元で曲がっている時空を曲がっていない4次元時空(4次元の地図)で描きあらわすことができるらしい。

 

……というのが前置き。それでは、ブラックホールという時空の曲がりはどのように理解すればいいのだろうか。

 

まずは、時間と空間をあらわす単位を統一してみよう。このとき、一番速く移動するものを基準に時間と空間を定義するとわかりやすい。つまり、光だ。光は1mを約3億分の1秒で進む。そして、どんな物質も光より速くは進めない。

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この光が進む範囲を時間と空間の座標として表すと、上の図のようになる。黄色い円錐が光速の壁だ。スタート地点から時間が進むごとに、空間の移動範囲も広くなる。どんなに速く進む宇宙船があったとしても、その移動範囲はこの光の円錐の内側に収まる。

 

さて、ここまでは大丈夫だろうか?これが曲がっていない時空での話だ。それでは、強い重力によって時空が曲がっていたらどのようなことが起こるのだろうか。答えは……円錐が傾くのだそうだ。

 

強い重力によって光円錐が一斉に大きく傾くような場所では、下の図の灰色の領域のようにどんなものも外に抜け出せない領域が発生する。これがブラックホールというわけだ。

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こうやって図にしてしてみることで、ブラックホールの仕組みが少しイメージできるようになったのではないだろうか……? さらに、ブラックホールの中心には重力場が無限大になる「特異点」が存在するということも計算によってわかっているそうだ(これはさらにややこしい話のようなので、「そうなのかぁ~」と納得しておこう)。

4. 銀河とブラックホールの超巨大な謎に迫るX線観測衛星が開発されている!

最後の発表は、物理学者でありながら観測機器の開発にも携わる中澤知洋先生(素粒子宇宙起源研究所 准教授)。仮説上の原始ブラックホールではなく、まさに今その姿が明らかになりつつあるブラックホールの話だ。

 

先ほども話に出たように、ブラックホール自体は観測できないが、近くの星から引き寄せたガスがブラックホールの周りに円盤(降着円盤)を作り、これが摩擦熱によって高温になり明るく輝いている。輝くと言っても人間の目に見える光ではなく、もっと波長の短いX線だ。そのため、ブラックホールの様子を知りたければ、X線観測で降着円盤を観測することが有力な手段となる。

ブラックホールの周りのガスは摩擦熱のためにX線を発している

ブラックホールの周りのガスは摩擦熱のためにX線を発している

 

X線観測によってどんな情報が得られるのだろうか。その鍵になるのは「鉄」だ。鉄は最も安定した元素で降着円盤にも多量に含まれているため、降着円盤が発するX線スペクトルを測ると、鉄が発する波長のスペクトルだけが突出して検出される。この性質を利用して、鉄のスペクトルのズレを測ることで、理論上は時空の歪みや降着円盤の回転速度まで計算することができるのだという。

 

ここまでが観測原理の話。それでは、中澤先生はX線観測によってどんな謎に迫ろうとしているのか?

 

中澤先生によると、すべての銀河の中心には太陽の100万倍から1億倍もの質量を持つ超巨大ブラックホールが存在しているという。そして、銀河の質量が大きいほど、その中心のブラックホールの質量も大きいことがわかっている。銀河とブラックホールが互いにどんな影響を及ぼし合って成長してきたのか、その過程は謎だらけだ。さらに最近では、超巨大ブラックホールから強烈な「風」が吹き出していることもわかってきた。光の速度の1/3にも達するこの高速の風が周囲の銀河にも影響をおよぼしているらしい。ものすごいスケールの話になってきたぞ。

 

そしてそんな超巨大な謎の数々が、X線観測によって解き明かされるかもしれないという。現在、JAXAでは宇宙空間から精密にX線を計測できる観測衛星「XRISM」の開発が進められており、2023年に打ち上げが予定されている。これによって銀河中心の超巨大ブラックホールの進化の過程や、さらには銀河の集合である銀河団というスケールでブラックホールが及ぼす影響にまで迫ることができるそうだ。

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XRISMによるX線観測で、ブラックホールの成長や周囲への影響に迫る

XRISMによるX線観測で、ブラックホールの成長や周囲への影響に迫る

 

ブラックホール研究の最先端、いかがだっただろうか。夜空の星のように輝くことはなくても、星の光をゆがめたり、X線を発したりとさまざまなシグナルを地球に送っていることを知ると、ほんの少しだけ身近に感じられた。そして、そのシグナルをなんとかとらえようとする科学の進歩にも驚かされるばかりだ。

 

頭を使って糖分が足りなくなったという方は、チョコドーナツでも食べながらブラックホールに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

【第5回】ほとゼロ主催「大学と社会とのつながりを考える勉強会」レポート。多様に進化する、大学の動画による広報活動。

2021年8月19日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、2019年より大学関係者を対象として『大学と社会とのつながりを考える勉強会』を開催しています。2021年7月3日にオンラインでお届けした第5回目の模様をレポートします(勉強会レポートの一覧はこちら)。

 

今回のテーマはズバリ「多様に進化する、大学の動画による広報活動」。Webオープンキャンパスなどコロナ禍で急速なオンライン化を余儀なくされている大学業界では、動画コンテンツの存在がますます重要になってきています。一方、若者に人気のYouTuberをはじめ、動画表現や発信のあり方そのものが多様化しており、効果的な発信方法に頭を悩ませている関係者も多いのでは。

 

そこで今回は、個性的で魅力的な動画コンテンツを継続して発信されている4大学の方々にご登壇いただき、ノウハウや考え方をたっぷりお聞きしました。

 

・近畿大学「シリーズ動画『博士の回答』」

・青山学院大学「青学TV」

・京都芸術大学「きはらラジオ」

・芝浦工業大学「芝浦ミドリプロジェクト」

素朴な疑問から学びを深めるシリーズ動画

最初の登壇者は、近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授。YouTubeで公開している「シリーズ動画『博士の回答』」について発表していただきました。ユニークなのは、動画の企画から出演、収録、編集まで、映像制作会社も職員も関わらず、すべて教員たちの手でおこなっていることです。

 

シリーズ動画「博士の回答」https://www.youtube.com/watch?v=wZypNkqC9N0&t

「博士の回答」タイトル画面。

「博士の回答」タイトル画面

 

「なーお父ちゃん、なんで1+2はできるのに、1kg+2mはでけへんの? なんでなんでなんで?」

「もー、そんなややこしいことは…近大の先生に聞いたらええねん!」

 

そんな親子の掛け合いで始まる「博士の回答」。身の回りの素朴な疑問に対して、近畿大学の教員がわかりやすく解説してくれるコンテンツです。扱うテーマは「数字と単位」「ポピドンヨード」「ブラックホール」「太陽電池」、「mRNA」、「人工知能」とさまざま。小さな疑問を入り口にすることで、子どもから大人まで楽しく学問の世界にふれることができるつくりになっています。

 

近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授

近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授

 

須藤さんが所属する理工学総合研究所では、これまで地域の生徒・児童を対象として小学校などへの出張授業をおこなってきました。新型コロナウイルスの感染拡大によって対面での出張授業が難しくなるなか、小・中学生の学習意欲の向上をめざしてこの動画シリーズを企画されたそうです。

 

大学教員がつくるYouTubeと聞くと少し意外な組み合わせにも思えますが、コロナ禍でのリモート授業が行われるなか、復習用の動画をつくってほしいという学生からの要望に応えていくうちに、先生方の動画スキルが劇的に向上したことが背景にあったといいます。そんななか、学内でコロナ対策支援プロジェクトの公募があり、「ウィズコロナ時代のオール近大教育プラットフォームの構築」という題目で応募に踏み切ったのだそうです。

 

週に1回コアメンバーが集まる雑談の場でアイデアを出し合い、テーマに関連する教員に出演を打診。完成した動画は、大学の広報担当のチェックを経て公開されます。動画作成にあたって注意していることとしては、解説は学術性、中立性を重視し、単なる研究紹介ではなく教育力のアピールにつながる内容をめざすことを挙げられました。そして何より、動画編集はなるべくやり慣れた楽な方法で、負担にならないようにすることが続けるコツとのこと。

 

「博士の回答」の視聴者は小・中学生にとどまりません。動画を蓄積していくことで、近畿大学の学生が専門外の分野に視野を広げるきっかけとなり、受験生やその保護者へのアピール、さらには広く一般向けのリカレント教育と、さまざまな波及効果をねらっているそうです。また、この動画づくりが普段接点の少ない異分野の教員同士の交流の場にもなっているそうで、「週に1回の雑談の時間が、メンバーにとってオアシスになっている」という言葉が印象的でした。

 

コロナ禍の逆境を新たな教育機会ととらえ、YouTubeをオープンな教室として使いこなしている「シリーズ動画『博士の回答』」。専門分野の知識を活かすだけではなく、教えるプロとしての先生方の気概を垣間見ることができました。

学生スタッフとともに発信するインターネットテレビ局

続いての登壇者は、青山学院大学の「青学TV」を手がけるディレクターの小沢和史さんです。ほとゼロでも2018年に取材させていただいたことのある「青学TV」は、「大学からの自由な知の発信」を掲げるインターネットテレビ局。青山学院大学の人や出来事にフォーカスする5つ+αのチャンネルがあり、映像制作のプロフェッショナルと学生スタッフが密に連携して多彩な情報を発信しています。

 

青学TV  https://aogakutv.jp/

ポップなデザインと散りばめられた動画が目を引く「青学TV」

ポップなデザインと散りばめられた動画が目を引く「青学TV」

 

OB、OGをはじめ、青山学院大学に縁のある著名人にスポットを当てた「青アンテナ」、学生スタッフが企画して青学のあれこれを取材する「今週の青学」、教員の研究紹介「アオ・ガク・モン」、青山学院大学の関係者ならだれでも自主投稿できる「AO TUBE」、駅伝をはじめとする運動部の活躍を伝える「SPORTS!」の5つがメインコンテンツ。加えて、青学145周年のコーナーでは、150周年に向けて在校生、卒業生から理事等まで青学ファミリーへのインタビューを取り上げています。

 

もともと総合文化政策学部内で実験的に立ち上げられたメディアが人気になり、現在は大学広報に位置づけられるまでに成長。学生スタッフも学部や学年の垣根を越えて、現在30名以上が在籍いているそうです。今や受験生からも「いずれ青学TVに入りたい」という声が聞かれるほど。毎週水曜の午後、キャンパス内の編集室に学生スタッフが集まって撮影や企画会議をしていたそう。現在はZoomミーティングを頻繁におこなうなど、サークル的な交流の場にもなっています。

「青学TV」ディレクターの小沢和史さん

「青学TV」ディレクターの小沢和史さん

 

青学TVの特徴として、小沢さんは4つの点を挙げます。「メディアの将来を見据えた実践の場」であること。「学生たちといっしょにつくる教育の場」であること。「エンタメ性とニュース性を重視」すること。そして「テレビ局というフォーマット」でいろいろな要素を盛り込めること。

 

エンタメ性とニュース性を大切にする背景には、視聴数(PV)を伸ばすという意識もあるそうです。なぜなら、多くの人に見てもらうことが、関わった学生の自信につながるから。そんな刺激的な場に魅了されてか、放送・映像業界に進む学生もいるそうです。卒業後もつながり続けて、青学TVを中心にしたコミュニティが広がることにも期待を寄せる小沢さんでした。

 

青学TVを学生が活躍できる場づくりととらえ、だからこそPVという目に見える指標を大切にする視点は、映像制作のプロである小沢さんならではだと感じました。学生や教職員、卒業生までがいろいろな形で関わる余地のある間口の広さは、インターネット上のもうひとつのキャンパスのよう。今後の展開にも注目したいです。

学生のため、大学職員が“勝手に”始めた生ラジオ

続いての登壇者は、大学職員でありながら顔出しでアグレッシブな発信をされている京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん。毎週金曜日に教員や学生をゲストに迎えて生配信する「きはらラジオ」は大学公式ではなく木原さんの個人アカウントで運営されていて、半ば木原さんの趣味(!!)なのだそう。

 

学生に向けたローカルな発信を目的にしているという「きはらラジオ」の魅力は、生配信ならではのラフで親密な空気感。コメント欄の投稿から話を広げたり、時には企画を募って実行するなど、双方向のコミュニケーションも取り入れています。教員にも浸透しているようで、副学長が自ら「出たい」と名乗り出たり、文芸表現学科の先生が木原さんのツイッターの文面を添削するという攻めた企画も。

 

きはらラジオ https://www.youtube.com/channel/UCH7vIy_JHxZE6VBvwYtexBA

「きはらラジオ」の一コマ。学生たちがコメント欄に集う

「きはらラジオ」の一コマ。学生たちがコメント欄に集う

 

「陰で大学を支える職員」のイメージを覆すきはらラジオですが、「時間とそこにかける思い、あとはこんなことを始めるネジの外れかたがあれば誰でもできる」と言います。

 

木原さんの活動の原動力は、「在学生に大学のことを好きになってほしい」という思いなのだそうです。2010年の入職当時、職員と学生の関係性が想像よりもドライだったことにショックを受けた木原さん。自分ができることをやろうと奮起して、毎朝大学の入り口に立って挨拶を始めます。「点数稼ぎだ」と非難されることもあったそうですが、あいさつ運動はしだいに学生や教職員を巻き込み、最後には理事長も加わる運動に発展しました。この体験から、「学生たちの大学に対する信用は、人対人の関係の中で生まれる」と確信。木原さんは、大学公式・非公式を問わずいろいろな活動を始めます。

京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん

京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん

 

そして2020年、新型コロナウイルスの感染拡大が大学にも影を落とします。入学式は延期になり、4月から登校もできないという状態に。そんな新入生のためにできることはないかと考え、木原さんは3月に新入生向けZoom懇親会を始めます。この活動が学内で評価され、4月にはSNSワークショップ「みんなでぼっちゼミ」につながります。教員がYouTubeで課題を発表して、新入生がInstagramで作品を提出するというユニークな企画は、日経新聞をはじめさまざまなメディアで取り上げられました。

 

今の状況で何ができるのかを考え、スピーディーに実行してきたという木原さん。2020年6月に「きはらラジオ」がスタートするのですが、思い立ってから最初の配信まで、わずか4日間だったそう。「再生回数は決して多くありませんが 、在学生に大学を好きになってほしいという思いで続けています。そんな思いを持った職員さんがいらっしゃったら、こうした活動をどんどんやって職員の仕事の幅を広げていってほしい」と締めくくりました。

 

個人対個人のコミュニケーションはSNSをはじめとするツールならではの新しい魅力ですが、この持ち味は組織として運営する中では発揮しづらい側面もあります。その点を個人のバイタリティで突破してしまう、木原さんの愛の深さにただただ敬服しきりでした。大学職員に限らず、社会人として仕事をする上で大切なものを教えていただいた気がします。

卒業研究から生まれた大学公認VTuber「芝浦ミドリ」

最後の登壇者は、芝浦工業大学を今年3月に卒業した林響紀さん。現在はイラストレーター・グラフィックデザイナーとして活躍されている林さんは、芝浦工業大学デザイン工学部のPRを担うVTuber(バーチャルユーチューバー)「芝浦ミドリ」を在学中に生み出しました。

 

芝浦ミドリhttps://www.youtube.com/channel/UCKZmIdPTSIzveY725aGrShw

芝浦工業大学デザイン工学部PR VTuber「芝浦ミドリ」

芝浦工業大学デザイン工学部PR VTuber「芝浦ミドリ」

 

「芝」をイメージしたグリーンの衣装が目印の芝浦ミドリ。2020年12月にYouTubeチャンネルで最初の動画が公開され、現在も芝浦工業大学やデザイン工学部をPRする動画が続々とアップされています。運営している「芝浦ミドリプロジェクト」はデザイン工学部の有志の学生の集まりなのだそうです。大学側からは企画広報課の河内さんが参画し、コンプライアンスに基づくチェックなどのバックアップをされています。

 

企業や自治体などのPRにも起用されているVTuberですが、大学PRに起用されることになった発端は、ズバリ「VTuberによる大学PRの提案」と題した林さんの卒業研究でした。卒論の中で林さんは10代の約70%がVTuberを認知しているという点に着目し、受験生向けの情報発信に起用することを提案します。大学側がこの提案を受け入れ、芝浦ミドリは実際に学部公認VTuberとしてデビューを果たしたのでした。

芝浦ミドリの生みの親・林響紀さん(左)と、芝浦工業大学企画広報課の河内惇さん(右)

芝浦ミドリの生みの親・林響紀さん(左)と、芝浦工業大学企画広報課の河内惇さん(右)

 

大学広報にVTuberを活用する利点として、林さんは3つのポイントを挙げます。一つ目に「話題性」、大学の硬いイメージと良い意味でギャップがあり、若者が親しみやすいこと。次に「即効性」、キャラクターの外見に大学の特徴を盛り込み、一目で伝えられること。最後に「利便性」、担当者が顔出しする必要がなく、オンラインで制作作業を分担できること。

 

一方で、まだ知識を持っている人が少なく運用できる人が限られること、コンテンツとしていつまで人気が続くかわからないことといった課題もあるようです。とはいえ、大学を知ってもらうきっかけとして今後ひとつの選択肢になりそうです。

 

学生が開発し、大学がアイデアを採用してバックアップするという関係性も素敵な「芝浦ミドリプロジェクト」でした。

 

見た目のインパクトだけでなく、意外とさまざまな面で大学広報と相性が良さそうなVTuber。勉強会の数日後には、人気VTuberのキズナアイが大正大学の期間限定「バーチャル学長」に就任するというニュースも話題になりました。この流れが全国の大学に広がっていくのか、ぜひ注目していきたいです。

大学による動画表現はこれからどうなる?

各大学の発表が終わり、勉強会の後半はトークセッションを行いました。ほとゼロが用意した「シリーズ物の動画を続けるコツ」、「視聴者を増やす工夫」、「今後チャレンジしたい企画や動画表現」などの質問に答えていただきつつ、登壇者同士でも質問が飛び交いました。

 

最後に、「今後、大学の動画表現はどうなっていくのか」という問いについて皆さんの意見をお聞きしました。

 

「教員としてはまずは授業が大切。学生にわかりやすい伝え方として、動画などの手段が手軽に使えるようになったのはありがたいです。あとは、今は日本で理工系の学生が減少していることに危機感を持っています。疑問を抱くことの大切さをどう伝えていくのか。若い世代のために発信を頑張りたいです」(須藤さん)

 

「僕は動画制作をメインに委託を受けている立場なので、その枠組みを越えると契約外にはなってしまうのですが、その点を気にしなければTwitterやInstagram、Clubhouse(音声SNSアプリ)などで仕掛けられることはまだまだある気がしています。これからは動画表現だけにこだわらずに、メディアの垣根を越えて全体として表現することが大切になってくると思います」(小沢さん)

 

「私たちは視聴数でお金を得たいわけではないので、たとえ200人しか見ていなくても、大学の知りたいと思って見てくれている200人なら価値があります。目的を忘れないことは大切だと思います。かつ、人々が情報を手に入れる手段は変わってきているので、次は音声メディアが必要になってくると思うので、それぞれのメディアで200人ずつ視聴者を獲得していく感覚でいければいいかなと思います」(木原さん)

 

「大学公式のハイクオリティなものと、YouTuberのような学生たちの自主的な表現活動に二極化していくと思います。実際の学生たちが興味を持つのは後者で、その情報の中には大学の良い面だけでなくマイナス面も含まれています。僕はこれが良い流れになると思っていて、大学側も外面だけでなく、中身を良くしていこうという動きに繋がっていくと思うんです」(林さん)

 

大学教員、職員、学生、そして制作のプロフェッショナルと、これまでの勉強会の中でもとりわけ多彩な方々に登壇いただいた第5回勉強会でした。新しい表現方法に挑戦するからこそ、人に何かを伝える、人と何かをつくるという素朴なコミュニケーションのあり方についても考える機会になりました。登壇者のみなさま、ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

勉強会は今後も開催を予定しています。次回もどうぞお楽しみに!

 

台湾への修学旅行をサポート! SNET台湾共同代表・赤松美和子先生に聞く「台湾との出会い方」

2021年8月10日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

日本人にとって最も馴染み深い「お隣さん」の一つである台湾。南国の気候とレトロな街並み、フレンドリーなイメージで海外旅行の定番になっているのはもちろん、台湾スウィーツもすっかり日本の若者の間で市民権を得ている。昨年は新型コロナウイルスへの対応で注目を集め、IT担当大臣オードリー・タンは日本でも一躍時の人に。最近どうも台湾が気になるぞ……という方も多いのでは。

 

台湾についてもっと知りたい。だけどどこから手をつければいいのか……と調べていたところ、見つけたのが「日本台湾修学旅行支援研究者ネットワーク(以下、SNET台湾)」。なんでも、台湾研究者が台湾への修学旅行をサポートする取り組みを行っているのだそう。一体どんな風に高校生に台湾を紹介しているのか、そこに台湾の今を知る鍵がありそう……ということで、共同代表の赤松美和子先生にお話を伺った。

初めての台湾との出会いをエスコートする 

早速ですが、どうして修学旅行をサポートする活動を始められたのでしょうか?

 

「地理的な近さや治安の良さもあり、台湾は修学旅行でもとても人気があります。2018年のデータでは、修学旅行で海外に行く高校生の3分の1にあたる5万7000人の行き先が台湾でした。しかし残念なことに、高校の歴史では台湾について学ぶ機会がほとんどありません。高校の先生たちも旅行会社の方もお忙しい中、事前学習にまでなかなか手が回らないのが現実です。

 

多くの高校生にとっては初めての海外旅行で、せっかく色々なことを学べるチャンスなのに、結果として人気の観光スポット、バスで移動しやすいコースを回るだけになってしまっている……そんなお話を台湾研究者仲間の洪郁如先生(一橋大学)、山﨑直也先生(帝京大学)からお聞きしました。それなら研究者として何かお手伝いできることがあるのではないかということで、台湾への修学旅行の事前学習やコース選定をサポートするために2018年に3人で立ち上げたのがSNET台湾です。実際の活動では、日本台湾学会に所属する研究者をはじめ、さまざまな方が協力してくださっています」

お話を伺った赤松美和子先生

お話を伺った赤松美和子先生

 

台湾といえば、中国との複雑な関係があり、日本とも関わりが深い親日国……こんなイメージで修学旅行に行くのは不十分でしょうか?

 

「確かに、『台湾は親日国だ』とよく言われますよね。インターネットで調べてみると、日本が台湾に近代化をもたらしたとか、台湾のためにダムを作ったという情報が出てきて、『だから台湾は日本に恩があり親日なんだ』と思ってしまう方もいらっしゃるようです。だけどそれらは、植民地時代にあくまで日本の都合で行われてきたことなんですよね。

 

実際、台湾の人は海外から来た人に対してフレンドリーなのですが、こちらが勘違いして上から目線で接しては失礼ですし恥ずかしいですよね。高校生には『親日台湾』というレッテルをとり払って、お互いのことをよく知り、尊敬しあえる『お友達』の関係を作ってほしい。そうすることで、台湾に限らず国際社会でいい関係を築くことができるようになります。そのための出会いのエスコートをしたいというのも、SNET台湾を始めた動機です」

 

う〜んなるほど。きちんと勉強していくことは相手への最低限の敬意を示すことでもあるわけですね。私も台湾に旅行に行ったことがあるんですが、恥ずかしながらその時はそこまで考えずに遊びまわっていました……。

 

「もちろん、日本に帰ってきてから勉強しても遅くはありませんよ! 私自身も初めは何もわからずに台湾の土を踏みましたから……。だからこそ、今の高校生にはその次のステップから始めてほしいと思ったりします」

出張講座で事前学習をサポート

具体的にはどんな取り組みをされているのでしょうか?

 

「設立当初から取り組んでいるのは、研究者による出張講座です。事前学習・事後学習の一環として高校に呼んでいただいて授業をするのですが、最近はオンライン講座がほとんどですね。その他、修学旅行に関して先生からの個別のご相談を受け付けたり、台湾に関する中高生への教育普及をテーマにした公開講座を開催したこともあります」

出張講座の様子。現在は主にオンラインで開催している

出張講座の様子。現在は主にオンラインで開催している

 

研究者の先生方から直接教わることができるのは、高校生にとっては貴重な体験ですよね。台湾についてほとんど知らない生徒さんも多いと思いますが、事前学習で工夫されていることはありますか?

 

「出張講座の形式は各校の要望に合わせています。例えば、こちらから一方的に授業をしても面白くないので、生徒さん達に事前に調べてきてもらった内容をプレゼンしてもらって、それに対して専門家としてアドバイスするという形もおすすめです。物価を調べるときに台湾元と中国元を混同してしまうような間違いもあるんですが、一生懸命調べてきてくれたのは偉いことなので、傷つけないように『両方知れてよかったね』とフォローしたり(笑)。

 

それと、高校生も知ってるような共通の話題を見つけるということも大切ですね。タピオカなんかがわかりやすいですが、PCなどのデジタル製品、ナイキのシューズ、化粧品など、意外と身の回りにたくさんある台湾製品を話題のとっかかりにしています。そういう点では、K-POPが大流行している韓国がうらやましいと同時に、もっと仲良くできればいいのに……とも思います」

 

台湾製品が身の回りに沢山あると知るだけでも、台湾を知る手がかりになりそうですね。ところで、昨年、今年とコロナの影響で修学旅行が中止になってしまった学校も多いのでは……?

 

「そうですね、残念ながら今は渡航できる状態ではないので、来年の春以降の計画のご相談が多いです。修学旅行の中止は決まったものの、『せっかくの国際交流の機会をなくしたくない』と先生が奮起されて、有志の生徒で英語でニュースレターを書いて台湾の高校生と交換し合うという取り組みをされている学校もあります。私たちはそんな生徒さんから質問をいただいて答えたりもしています。

 

それと、今はオンラインコンテンツをたくさん用意していて、今後はオンライン講義と組み合わせて事前学習を充実させたいと考えています」

 

高校でもSNET台湾でも、高校生のために今できることに取り組まれているんですね。

 旅行の計画に役立つオンラインコンテンツ

オンラインコンテンツでは、誰でも自宅で台湾について学べるそうですね。

 

「YouTube SNET台湾チャンネルでは、専門家が高校生に向けて台湾の基礎知識をレクチャーする『台湾修学旅行アカデミー』シリーズ、それに台湾の博物館の動画を翻訳して冒頭に簡単な紹介を付けた『おうちで楽しもう台湾の博物館』シリーズを公開しています」

 

実は、取材の前に『台湾修学旅行アカデミー』を拝見しました! 台湾の複雑な歴史・政治的背景が会話形式でよくわかり、勉強になりました。

「台湾修学旅行アカデミー」赤松先生のおすすめは、第1回の『台湾とは何か?』。ゲストは東京大学の松田康博先生

「台湾修学旅行アカデミー」赤松先生のおすすめは、第1回の『台湾とは何か?』。ゲストは東京大学の松田康博先生

 

「ありがとうございます! もう一つ、ぜひ見ていただきたいのは『みんなの台湾修学旅行ナビ』です。こちらは学びの目的に沿って旅行プランの組み立てをサポートするサイトになっています。現在およそ150のスポットが登録されていて、それぞれ解説や事前学習のヒントなどを掲載しています。歴史、文化、自然のほか、ジェンダー、民族、人権、エネルギー、SDGsといった社会的なテーマに関連したスポットやモデルコースを紹介しているのが特徴です」

 

テーマ設定がさすが2020年代だ……! 私もこれでコロナ明けの旅行プランを練ってみたいです。しかし、これだけの情報量だとかなり手がかかっているのでは?

 

「『みんなの台湾修学旅行ナビ』は、日本の文部科学省にあたる教育部に賛同していただいて実現しました。日本台湾学会の研究者の皆さんや、台湾の大学の先生方、台湾在住のライターさん、学芸員さんなど約50人に執筆していただいています。先生や生徒さんに改善点をヒアリングしていて、今後もバージョンアップしていく予定です。『みんなの』台湾修学旅行ナビですから、高校生に限らず、台湾旅行に行く際に活用していただけると嬉しいです!」

「みんなの台湾修学旅行ナビ」トップページ。堅苦しさは少しも感じさせないかわいいデザイン

「みんなの台湾修学旅行ナビ」トップページ。堅苦しさは少しも感じさせないかわいいデザイン

台湾に飛び込んで感じる、市民のエネルギー

学習テーマに文化や歴史だけではない社会的なテーマが並んでいるのは、それだけ台湾社会から学べることが多いということでしょうか?

 

「はい。台湾はこの20年で、ジェンダー平等、移民、若者の政治参加、環境エネルギー問題……と日本がまだまだ十分に取り組めていないさまざまな問題に積極的に取り組んできました。『みんなの台湾修学旅行ナビ』でもなるべくそうしたテーマに関係のあるスポットを掲載しています。

 

例えばLGBTというテーマでは、毎年10月の最終土曜日に開催される『台湾LGBTプライドパレード』を取り上げています。台湾はこうした市民運動をしている方々が本当に魅力的で、難しい問題を面白く説明してくれて、お話しするだけですごくエネルギーをもらえます。同じくナビで取り上げている『台湾同志ホットライン協会』は1998年に設立され、多様な性のあり方についての啓発活動を行っている団体です。LGBT当事者の子どもを持つ親御さんからの電話相談も受けていて、かつて自分の子どもで悩んだお父さん、お母さんたちがボランティアで相談員を買って出たりしています。専任の職員さんも沢山いるのですが、どうやって運営資金を調達しているのかを聞くと、年に一度パーティーを開くと、活動を支持する人々から沢山の寄付が集まるんだそうです。

 

台湾では『誰かが始めた活動を応援する』という文化が根付いているんです。現地の方々と直に接することで、高校生が何かを感じ取ってくれると嬉しいです」

「みんなの台湾修学旅行ナビ」より、台湾同志ホットライン協会のスポット紹介

「みんなの台湾修学旅行ナビ」より、台湾同志ホットライン協会のスポット紹介

 

ふむふむ。事例に学ぶだけでなく、ポジティブでエネルギッシュな空気に触れること自体が良い刺激になりそうですね。台湾のこうした空気はいつ頃からあるのでしょうか?

 

「昔からそうだったわけではなく、民主化が達成されてからここ20年の変化が目覚ましいですね。国際関係が不安定なこともあり、これから先、国をどうしたいかを自分自身の問題として考えて行動している人が多いです。もちろん、それぞれの人が持っている意見はさまざまですし、市民活動も決して良い面ばかりではないのですが、それでも思いを行動に表す人は尊重される気風があります。

 

次世代を育てるということにも熱心で、企業の社長さんが母校に奨学金を作ったという話もよく聞きます。選挙の時もそうですね。都市部に出てきている若者は実家に帰って投票することになるんですが、そのために市井の人々が寄付を出しあってバスを手配することもあるそうなんです。若者にチャンスを与えようという気風は学問の世界にもあって、私自身、初めて学会発表をさせてもらえたのは台湾の学会だったんですよ」

 

2014年には「ひまわり学生運動」が大きなニュースになりましたが、台湾の若者のアクティブさは大人の後押しもあってこそなんですね。私たち大人こそ、台湾から学べることがたくさんありそうです。

台湾を知ることで、日本やアジアが見えてくる

ところで、赤松先生ご自身は台湾のどんなところに魅力を感じておられるんですか?

 

「一番好きなのは、多様性に対する包容力ですね。私の専門である文学で言えば、テキスト自体が公用語の中国語だけでなく台湾語で書かれていたり、ときどき日本語や英語が出てきたりもします。台湾には先住民族の方々や、さまざまなルーツを持つ移民もたくさん暮らしていて、そんな多様性を文学も包摂してきたんです。作家自身も活動的で、夏休みに作家を囲んで文学ファンたちが集い、合宿を行う『文学キャンプ』という文化が根付いています。人と人が出会い、対話することで文学も前進してきました」

 

憧れの作家と過ごせる文学キャンプ、面白そうです! 文学がしっかり社会とつながっているんですね。

 

「そうですね。台湾はアジアで初めて同性婚を合法化した国ですが、台湾の文学や映画は30年前から同性間の関係を描いてきました。新しい作品が書かれたらすぐに研究の俎上に乗せられ、創作と研究が一緒に発展してきたのも台湾の特徴です。社会を動かすにはそうした言葉の力がとても大切です。私が台湾文学研究者だから感じるのかもしれませんが、ある意味、文学や映画が台湾社会を引っ張ってきたとも言えますね」

 

またいずれ、台湾文学や映画についてもお話を伺いたいです。最後に改めてお聞きしたいのですが、日本で台湾への注目が高まっている今、私たちはどんな視点で台湾について学べばよいでしょうか?

 

「多くの日本人に台湾が印象付けられた出来事といえば、2011年の東日本大震災で台湾から多くの義援金が送られたことでした。その時は『親日台湾』のイメージから抜け出すことはできなかったのですが、今回のコロナ禍で日本から見た台湾のイメージが変わりましたよね。台湾内部の政治体制にまで注目が集まったのは大きな変化だと思います。この機会にもう一歩踏み込んで、オードリー・タンの活躍の背景にある市民社会の方にも目を向けてほしいです。

 

そして、台湾から学べることがたくさんあるということはお話ししてきた通りですが、それでは日本はどうなのか、アジアの国々の関係はどうかというところまで視点を広げてみていただきたいです。台湾を知ることは、日本やアジアについてより深く感じ、相対化して考えられる機会になると思います。台湾に限らず、いろいろな国の人とお友達になれば見える世界が広がりますよ」

 

ありがとうございました!

 

 

 

定番の観光スポットをめぐるだけでは見落としてしまう台湾の魅力をたっぷり伺うことができた。また旅行に行ける日を楽しみに、あなただけの台湾旅行プランを考えてみてはいかがだろうか?

「家族」の中の見えない関係性を、哲学と社会学で解きほぐす。立命館大学のセミナー「人間関係のデモクラシー」レポート

2021年8月3日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

一番身近な存在であるがゆえに一筋縄ではいかないのが「家族」という人間関係。かけがえのない安らぎを与えてくれる一方で、プライベートな関係であるだけに、知らず知らず負担が誰かに集中してしまうことも。

 

近年、多様な家族のあり方について議論される機会が増えてきましたが、それでも多くの人にとって家族の関係性は「選べないもの」で「変えられないもの」と思われがち。しかし、本当にそうなのでしょうか?

 

家族をはじめとする人間関係のあり方に、学問の視点でメスを入れるオンラインセミナーがあると聞き、立命館大学教養教育センター主催の「人間関係のデモクラシー−“家族”から思考する」を聴講しました。

現代フランス哲学から考える、自由と平等を実現する「代わりばんこ」

「今まさに起こっている社会問題や学生の悩みに対して、教員と学生がフラットに出会い自由に語り合う場」としてスタートした立命館大学のオンライン企画「SERIESリベラルアーツ:自由に生きるための知性とはなにか」。2021年度の第1回目となる今回のセミナーは、“家族”を起点にして哲学と社会学の視点から人間関係にまつわる問題を取り上げる内容です。

 

一人目の発表者は、立命館大学衣笠総合研究機構助教の横田祐美子さん。「自由と平等のための輪番制」と題して横田さんが注目するのは、家族というシステムです。親密でプライベートな関係性でありながら、普段は気づきにくい家庭内の序列、力関係が対外的な場面で現れると言います。

横田祐美子さん。中学生の頃から学校に提出する保護者欄に父親の名前だけを書くことに疑問を感じて、ときどき母親の名前に入れ替えていたそう

横田祐美子さん。中学生の頃から学校に提出する保護者欄に父親の名前だけを書くことに疑問を感じて、ときどき母親の名前に入れ替えていたそう

 

例えば、年賀状で家族の名前を書く順番はいつもお父さん、お母さん、子供の順番。結婚式や披露宴では、席順や挨拶の順番も新郎側の次に新婦側、父親の次に母親と厳格に序列化されています。もっと些細な場面でも、学校に提出する書類の保護者欄に書くのは大抵お父さんの名前……人によっては些細なことに感じられるかもしれませんが、こうした「当たり前」が反復されることで、家族内での権力関係が固定化されているのではないか? と横田さんは考えます。

 

この序列に小さな違和感を持っていた人、実は多いのではないでしょうか? 筆者の家庭は父親が亭主関白というわけでもありませんでしたが、だからこそ、公的な場面でいつも父親が家族の代表になる、イコール母親が一歩下がる形になることにちょっとした居心地の悪さを感じたものです。でも母親自身が不満に思っている様子もないし、結局それが「当たり前」と流してしまっていたかも……。

 

では、そんな「当たり前」をどうやったら打破できるのか? ここで登場するのが現代フランス哲学です。

 

横田さんによると、現代フランス哲学は「同じものの反復に差異を導入する」ことを試みてきたそうです。その中でも、自由と平等を実現する手段として哲学者のジャック・デリダが著書『ならず者たち』で唱えているのが「代わるがわる」。人間は時間と空間から逃れることができないため、ある人が占有している時空間に、別の人が同時に存在することはできません。それは別の人を排除しているということでもあります。だから、代わりばんこに席替えをすることでしか自由と平等は実現できないというわけ。

デリダが唱える「来たるべき民主主義(デモクラシー)」では、権力の座は回転する車輪のように輪番制になっていて、誰もがそこに出入りできる(横田さんの発表スライドより)

デリダが唱える「来たるべき民主主義(デモクラシー)」では、権力の座は回転する車輪のように輪番制になっていて、誰もがそこに出入りできる(横田さんの発表スライドより)

 

横田さんが実践しているという「代わりばんこ」のアクションは至って明快。自分の結婚式を挙げるときに、親族に「結婚式のデモクラシー」と題したマニュフェストを配ったそうです。新郎→新婦の順で進む式次第の半分を新婦→新郎に入れ替え、高砂の席順も途中で入れ替える。結婚式という家父長制が強い場面でも、「代わりばんこ」を導入することで平等を体現できることを身をもって示しました。その後も、年賀状の宛名の順番など、折に触れて「代わりばんこ」を実践し、徐々に家族や周囲に浸透してきたそう。

 

このお話を聞きながら筆者は心の中で喝采を送っていたのですが、一方で実践するにはすごく勇気がいるし、特に高齢の親族を説得するのは大変そう。黙って従っておいたほうが楽なのでは……そんな風に考える人の気持ちも正直少しわかってしまいます。

 

こんな気持ちに対して横田さんは、「相手につまずきを与え、考えるきっかけを作るのが大切。差異の到来を恐れず、とにかく一度挑戦してみて」と背中を押します。

性別二元社会から自由になるための「日常におけるレジスタンス」

後半の発表は大阪市立大学文学部准教授の平山亮さん。「家庭における役割と性差のつくられ方」と題して、ジェンダーの問題について社会学の視点から考えます。

 

役割とは何かを考えるために平山さんが挙げたのは、成人した娘に何かにつけて口を出すある母親の例。日々の行動を把握して、人間関係にまで口を出してくる……カウンセラーは「母親としての役割を過剰に身につけた結果」と診断したということなのですが、本当にそうなのでしょうか。もしこれが母親ではなくご近所さんだったとしたら、ストーカー行為になるのでは……?

平山亮さん。「社会学の面白いところは、今見えているものがひっくり返されること。枠組みをぶっ壊される感じが楽しい」

平山亮さん。「社会学の面白いところは、今見えているものがひっくり返されること。枠組みをぶっ壊される感じが楽しい」

 

ストーカーと見なされかねない行為が、なぜ母親のお節介の延長に見えてしまうのか。それは私たち自身が、「彼女は母親だ」という情報をもとに、その人の行動を「母親とは普通こういうもの」という母親役割と結び付けて解釈しているからだと平山さんは言います。

 

「〇〇とは普通こういうもの」という共有された考え方を、「規範」と言います。役割とは、ある立場に関する規範のこと。その中でも「女とは/男とはこういうもの」という「性役割」に着目してみると、「女性=ケアをする存在」という性役割を前提にした秩序(「性別分業」)が見えてきます。ケアとは家事や育児、介護などに限らず、「他者が必要とすること、したいことが実現できるよう下支えすること」全般を言います。

 

この世には女と男の2つの性しかない、とする性別二元社会では、女性にとっての他者は男性に当たります。したがって、性別分業とは「男性がしようとしていることを女性が支え、邪魔しない」ための秩序だと言えます。だとすれば、男子が医師になる機会を奪わないため、という名目で女子を不当に不合格にした医学部入試の問題や、結婚にともなう改姓の不利益を男性が被らないように、女性が姓を変えることを当然とする婚姻制度、そんな女性の生きづらさを訴えると「男の生きづらさにも配慮せよ」と、女が男の問題に目配せしないと「いけないこと」をしているかのように言われること……全て、「男を支えるのが女だ」……という性別分業が根底にあると平山さんは指摘します。

 

「女性の方が気配りができる」「女性の方が感情的」という、つい言ってしまいがちな言説にも注意が必要です。言うまでもなく、これらは該当しない事例がいくらでもありうる偏見です。しかし、気配りができる男性がいれば「女子力高い男子」に分類し、感情的な男性がいれば「男は乱暴な生き物だから」と別のステレオタイプに結びつけるというふうに、巧妙に例外を排除しながら「女と男はいかに本質的に異なる存在か」が語られ続けてきました。平山さんによると、「行動を性役割に沿って解釈することで、私たち自身が『女と男はやっぱり違う』というリアリティを作り上げている」のです。社会学ではこれを「“doing” gender」と呼ぶそうです。doingになぜ引用符(“ ”)が付いているかというと、これは人々が性役割に沿って行動している、のではなく、そのように行動している“ように見える”という意味を込めているからです。

「男と女はこんなに違うのだ」というリアリティを、私たち自身が作り上げてしまっている(平山さんの発表スライドより)

「男と女はこんなに違うのだ」というリアリティを、私たち自身が作り上げてしまっている(平山さんの発表スライドより)

 

「女子力高い!」なんて安易に使ってしまってなかったかな……と筆者も胸に手を当ててみます。それでは、男女で区別することを当然視する社会にどうやって抵抗していけばいいのでしょうか?

 

平山さんによると、「やっぱり男は〜だよね」とか、「女なんだから〜すべきではない」といった二分法的なものの見方・評価に対して、「それは違うんじゃないですか?」とこまめに異議を挟んでいくことが大切なのだそうです。平山さんはこれを「日常におけるレジスタンス」と呼びます。気づきの種をばら撒くことで周りの人の行動が変わり、私たち自身の“doing” genderも少しずつ変わっていくかもしれません。

 

発表の締めくくりで平山さんが言った「一人では変わらないが、ひとりでには変わらない。一人ひとりができる範囲で行動することで、少しずつ変えていくことができる」という言葉が印象的でした。 

小さなアクションの積み重ねが社会を変える

ここ数年さまざまな場面で議論されるようになったジェンダー問題。その根っこを掘っていくと、一人ひとりの意識と行動が問われているということがお二人の話でよくわかりました。そこで横田さんと平山さんが提案するのは、小さなアクションで別の見方・やり方を示すことでした。発表の後のトークセッションでは、そんなアクションに関する質問が視聴者から寄せられました。

 

「指摘したことに対して『言い方に気をつけなさい』と言われたら?」という質問にお二人は、人間関係なので失礼にならないような配慮も大切としつつも、「絶対に怒らないといけない場面では、ちゃんと怒ることが必要(横田さん)」、「怒りを表明した人を周囲の人が支えてあげて(平山さん)」とアドバイス。

 

現状を変える必要を感じていない人との向き合い方に関しては、「『あなたは積極的に変えようとしてくれなくてもいいけれど、私が変えたいと思うところを変えられる自由は保障して、私の邪魔はしないで』というコミュニケーションも時には必要なのではないか」という平山さんのアドバイスが印象的でした。

 

この他にも様々な質問が寄せられ、話題はDV、職業としてのケア労働者の待遇、哲学が抱える身体性の軽視の問題にまで広がりました。日頃から研究と実践の両方に取り組むお二人のお話は、困っている人には環境を変えるための武器に、そうでない人には気づきの種になるものばかりでした。

 

今回のセミナーのタイトルに掲げられている「人間関係」という言葉。これって「私とあなた」「私と身近な誰か」の関係性のことで、社会というものはその延長でしかないのかもしれません。家族や周囲の人と正面から対話することが、ほんの少し社会を変える一歩になるのかも……そんなふうに考えるきっかけになったひとときでした。

右から横田さん、平山さん、モデレーターの柳原恵さん(立命館大学産業社会学部准教授)

右から横田さん、平山さん、モデレーターの柳原恵さん(立命館大学産業社会学部准教授)

 

セミナーの模様はYouTubeでも配信されています。

Ritsumeikan Channel

 

「SERIESリベラルアーツ:自由に生きるための知性とはなにか」の最新情報はこちら。
立命館大学教養教育センター

 

珍獣図鑑(11):17年に一度の大発生! 周期ゼミの遺伝子に仕掛けられた“時計”を探せ

2021年7月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第11回目は、「17年に一度の大発生」がニュースで話題になっている周期ゼミについて、京都大学の曽田貞滋先生にお聞きしました。それではどうぞ。(編集部)


実は3種類のセミが混ざっている!?

北米で大発生中の17年ゼミ、街路樹をびっしり覆っている映像はかなりインパクトがあります。一体どんなセミなのでしょうか?

 

「まず、17年ゼミというのは1種のセミではありません。今年大発生している17年ゼミは、3系統のセミが同時に発生しているんです。

 

土の中で幼虫として長い時間を過ごし、13年や17年という周期で一斉に羽化を行うセミを周期ゼミと呼んでいますが、分類としては北米大陸東部に生息するセミ科チッチゼミ亜科のマジシカダ属のセミを指します。マジシカダ属のセミは3つの系統(種群)に分けられますが、それぞれの種群に13年ゼミ、17年ゼミがいて、現在7種(13年ゼミ4種、17年ゼミ3種)が知られています。それぞれの系統は見た目こそよく似ていますが、オスの鳴き声が全く異なるので、明確に聞き分けることができます」

曽田先生らのグループがゲノム解析で明らかにした周期ゼミの3系統。同系統の13年ゼミと17年ゼミは遺伝的に非常に近く、外見では見分けがつかない

曽田先生らのグループがゲノム解析で明らかにした周期ゼミの3系統。同系統の13年ゼミと17年ゼミは遺伝的に非常に近く、外見では見分けがつかない

 

むむむ!? 17年ゼミだけで3種いるんですか。今年発生したのは「ブルードⅩ(テン)」というセミだとニュースで聞きましたが。

 

「ブルードというのは、発生年ごとに割り当てられた集団の呼称ですね。1893年を起点として、そこから1年ごとに発生する17年ゼミの集団がブルードⅠ〜ⅩⅦ、同じように13年ゼミがブルードⅩⅧ〜ⅩⅩⅩと名付けられています。これは仮定上の割り当てなので、実際にはこれまで発生が確認されていないブルードや絶滅してしまったブルードもあり、現存するブルードは17年ゼミで12個、13年ゼミで3個です。

 

各ブルードは発生年だけでなく、発生地域も棲み分けられています。今年発生しているブルードⅩは、東海岸から内陸部まで広く分布していて、その中に首都ワシントンD.C.も含まれるので大きなニュースになっているんでしょうね」

全ブルードの分布図。北部に17年ゼミ、南部に13年ゼミのブルードが分布している

全ブルードの分布図。北部に17年ゼミ、南部に13年ゼミのブルードが分布している

 

分布図を見るとまるでパズルみたいですね。3つに分かれた系統のそれぞれが13年ゼミと17年ゼミに分岐しているのも、発生年ごとに分布が綺麗に棲み分けられているのも、すごく不思議だ…!

じっくり育って天敵を数で圧倒。驚きの生存戦略

そもそも、13年と17年って人間ならば中学生、高校生の年頃。昆虫としては異様に長生きですね。日本ではセミというと7年ぐらいで成虫になるイメージです。

 

「昆虫ではアリの女王が10年以上生きることが知られていますが、幼虫の期間が周期ゼミほど長いものは非常に珍しいですね。氷河期の寒冷な気候のもとで十分に成長するため、幼虫として長い時間を過ごすように進化したという説があります。

 

ちなみに、日本で馴染み深いクマゼミやアブラゼミは幼虫の期間がはっきり決まっているわけではなく、同じ年に産卵された卵でも羽化のタイミングは5年後だったり8年後だったりとバラバラです」

 

寿命の長い周期ゼミは研究対象としても長く付き合っていく覚悟が要りそうですね……。一度に大量に発生するのも何か生存に有利になる理由があるのでしょうか。

 

「限られた地域で天敵が食べ尽くせないほど一気に大発生することで、より多くの個体が生き延びることができ、繁殖の機会も増えるのだと考えられます。ちなみに、周期ゼミは日本で見かけるセミほど俊敏に飛び回ることもなく、羽化した場所からほとんど動かずに交尾・産卵します。遠くに飛んでいくような個体は、群れでいることのメリットを受けられないため子孫を残せないのでしょう」

現地調査で撮影した13年ゼミ。あまり動かないので簡単に捕まえられる(撮影:曽田貞滋)

現地調査で撮影した13年ゼミ。あまり動かないので簡単に捕まえられる(撮影:曽田貞滋)

 

じっくりと体を成長させ、圧倒的な物量で天敵を凌駕する……何だかバトル漫画かパニック映画のキャラクターみたいですが、天敵にとっては入れ食い状態ですね。生態系のバランスが崩れてしまったりしないんでしょうか?

 

「そうですね。現地で調査をしていると、お腹の部分だけを食いちぎられてまだ生きているセミをよく見かけます。セミはいくらでもいるので、リスや鳥などは美味しい部分だけを食べてあとは捨ててしまうのでしょう。そのほかの天敵としてはセミに寄生するハエカビの1種(真菌類)がいます。腹部に寄生して生殖能力を奪うのですが、寄生されたセミはゾンビのように交尾相手を探し、交尾行動をとることで菌を媒介してしまいます。

 

いずれにしても13年または17年に1度なので、セミのおかげで天敵の小動物が一時的に増えることはあっても、生態系のバランスが崩れるということはなさそうです」

お腹だけを食べられ、まだ生きているセミ。地面から木に登ってくる様子はゾンビのよう(撮影:曽田貞滋)

お腹だけを食べられ、まだ生きているセミ。地面から木に登ってくる様子はゾンビのよう(撮影:曽田貞滋)

 

ところで、周期ゼミは「素数ゼミ」とも呼ばれていますね。なぜ13年や17年という素数周期(!?)で発生するのでしょうか?

 

「13と17の最小公倍数は13×17=221ですね。理論上、13年ゼミと17年ゼミは221年に1度しか出会わないことになります。このように素数周期で発生することで、他の周期ゼミとの交配の機会が減り、大発生の周期が維持されてきたのではないかという説があります」

 

たとえば13年ゼミと17年ゼミが交配して一部が15年ゼミになったら、大発生のメリットが薄れてしまうということですね。他の周期とぶつかりやすい周期のセミが淘汰されて、素数周期のセミが生き残ったと……うまくできていますね!

 

「数理生物学者の吉村仁さんがこの説を発表した時は、自然界の法則の美しさに私自身とても心を動かされ、周期ゼミに関心を持つきっかけにもなりました。

 

しかし、この説には落とし穴があって、13年、14年、15年……といったさまざまな周期がある年を起点に一斉にスタートしない限り、素数だから他の周期とぶつかりにくいとは言えないんですよ。近年は、研究者の間では素数とは別の見方が主流になっています」

魔法の数字は素数ではなく「4」だった!?

素数とは別の見方ですか。曽田先生はどんな視点で周期ゼミを研究されているんでしょうか?

 

「私の関心は、地球上の生物が多様な進化を遂げてきた秘密を、その生活史——発育や生殖といった一生のサイクル、またそれらが環境とどう関わっているか——から明らかにすることです。これまでオサムシなどさまざまな昆虫を研究対象にしてきました。周期ゼミは非常に面白い生活史をもつ昆虫として注目していましたが、調査に加わった直接のきっかけは、2007年に吉村仁さんが始められた全ブルードのサンプリング調査に参加したことでした。以来、周期ゼミの系統進化をゲノム解析を用いて研究しています。

 

現在の課題は、13年と17年という周期の違いがどのようにして起こるのか、具体的には、周期ゼミの幼虫期の長さがどのように制御されているのかを明らかにすることです」

 

ふむふむ。「なぜ」ではなく「どのように」というところがミソでしょうか。セミは土の中で13年や17年を計るタイマーを持ってるんでしょうか……?

 

「1日や1年といった単位ならまだしも、十何年間も時間を計って一斉に羽化するなんて普通はできないですよね。

 

そこで、鍵になる魔法の数字は『4』です。実は、周期ゼミの中にも本来の発生年とは違うタイミングで羽化してしまう個体がいるのですが、そうした『はぐれ者』は本来の発生年の4年前、あるいは、まれにですが4年後に見られることが知られているんですね。

 

そこで、こんな仮説を考えてみました。周期ゼミの幼虫には4年ごとに羽化するかどうかを判定する『チェックポイント』のようなものがあって、ある体重を超えた翌年に一斉に羽化するとすれば……4×3+1=13、4×4+1=17で、13年と17年の発生周期の説明がつきます。羽化が4年ずれた『はぐれ者』は、4年ごとの判定の時点で他の個体よりも成長が早かったり、遅かったりした個体ということになります。

4年周期で体重をチェックする仕組みが働き、体重が閾値を超えた翌年に羽化している?

4年周期で体重をチェックする仕組みが働き、体重が閾値を超えた翌年に羽化している?

 

この考え方であれば、なぜ3系統からそれぞれ13年、17年ゼミが分岐したのかについても説明がつきます。たとえばあるブルードの17年ゼミの幼虫に成長を促すような何らかの変化が起こることで、本来よりも4年早く羽化して13年周期に移行することが考えられます。その周期がまた17年に戻ると、もとの周期とずれた分、ブルードの移動が起こります。元に戻らずに13年周期のまま遺伝的に固定されると、13年ゼミになると考えられるわけです」

 

うわーっ、パズルのピースがピッタリ嵌る感覚! ゾクッとしました!

 

「この説が示唆しているのは、13年周期と17年周期の違いには、周期ゼミが持っている可塑性(もともと遺伝子に組み込まれた、環境条件に応じて現れる変化)と、遺伝子そのものの変異という両側面が働いているのではないかということです。どこまでが可塑性で説明できて、どんな点で遺伝的な違いが働いているのかは未解明です。

 

そこで私は、13年ゼミと17年ゼミの幼虫の成長速度の違いが遺伝的に決まっているのではないかと仮説を立てました。現在、これを二つの手法で検証しようとしています。一つは13年ゼミと17年ゼミの全ゲノムを解読して、幼虫の成長速度に関係する遺伝子の違いを調べること。もう一つは土の中の幼虫を採取して成長の状態を確認するとともに、4年ごとに発現しているはずの『チェックポイント』に関わる遺伝子を特定することです。今年はコロナのため渡米はできませんが、現地の研究者にも協力してもらって研究を進めています」

十分な体重に成長した幼虫は羽化前年に目が赤くなる。17年ゼミの幼虫を掘り出してみると、4年早く羽化の兆候が見られる「はぐれ者(straggler)」も

十分な体重に成長した幼虫は羽化前年に目が赤くなる。17年ゼミの幼虫を掘り出してみると、4年早く羽化の兆候が見られる「はぐれ者(straggler)」も(撮影:曽田貞滋)

2019年に行った幼虫発掘調査の様子

2019年に行った幼虫発掘調査の様子

今年、研究者が注目するのは「ブルードの地図」

さっきは「謎は全て解けた!」という気分になってしまいましたが、本当のところはまだまだ分からないことだらけなんですね。研究の最前線を伺ったところで、今年の「ブルードⅩ」の大発生は、研究者の間ではどんなところに注目されているんでしょうか?

 

「ブルードⅩは比較的大きいブルードで、ブルードⅥとブルードⅩⅣというプラスマイナス4年違いのブルードと接しています。アメリカの研究者はブルードⅩの詳細な発生地図を作って、隣接するブルードとの関係を明らかにしようとしています。先ほど説明したような4年違いの『はぐれ者』は、通常はそのうち消失してしまいますが、一部は定着してブルードの地図を書き換えるのではないかと見られています。ブルードの変化の仕組みに興味を持つ研究者にとって、今年は重要なチャンスなのではないでしょうか。

 

また、アメリカでは市民参加型のブルード研究の発展も期待されています。2019年には、セミを発見した一般の人が画像付きで場所や日時を投稿できる『Cicada Safari』というアプリがリリースされ、研究に役立てられています」

 

ゲノム解析から大陸規模の調査まで、目が眩みそうなスケール感のお話でした。改めて、生物の多様性ってすごいですね。

 

「地球上の生命は、はじめは単細胞生物から始まり、様々な大きさ、形に多様化してきました。そしてその生活史も非常に多様化しています。生活史の多様性は、生物の多様性を支えています。多様な生活史がどのように制御されているのか、どのように進化したのか、それを明らかにすることはダーウィン以来の進化研究のフロンティアのひとつと言えるでしょう。

 

周期ゼミの生活史は極めて例外的なものに見えますが、巧妙な制御の仕組みとその進化過程を明らかにすることは、生命の多様化の計り知れない潜在力を理解することにつながると考えています」

2018年、京都大学での周期ゼミワークショップに集まった日本・アメリカ・中国の研究者たち

2018年、京都大学での周期ゼミワークショップに集まった日本・アメリカ・中国の研究者たち

 

【珍獣図鑑 生態メモ】周期ゼミ

magicicada3のコピー

セミ科チッチゼミ亜科のマジシカダ属のセミで、北米東部に生息する。形態・鳴き声で明らかに区別できる3系統(種群)があり、それぞれの種群に13年ゼミと17年ゼミがいて、現在7種(13年ゼミ4種、17年ゼミ3種)が知られている。長い期間を幼虫として土の中で過ごし、13年または17年の周期で一斉に羽化する。「ブルード」と呼ばれる年次集団ごとに発生地域が棲み分けられていて、羽化した場所からほとんど移動せずに繁殖を行う。

最も重い犯罪を作れ! 現役東大院生が開発した「刑法ポーカー」で遊んでみた。

2021年6月8日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

ここ数年、人気が再燃しているアナログゲーム。多彩なゲームシステムやデザインもさることながら、ありとあらゆる題材がゲームになっていることも魅力のひとつ。日々いろいろな大学や研究者を取材しているほとぜろとしては、学問のエッセンスが詰まったゲームを遊んでみたい!

 

ということで、今回ご紹介するのは「刑法ポーカー」。なんと現役の東京大学院生が開発した、遊びながら刑法が学べるポーカーなんだとか。さっそく遊んでみて、開発者にもお話を伺いました!

さっそく遊んでみた

ブラックを基調にしたクールなデザインが目を引く「刑法ポーカー」。基本的なルールはお馴染みのポーカーと同じで、5枚の手札を揃えて「役」を作るというもの。ただし、刑法ポーカーでは「最も重い罪」を作った人が勝ちとなります。

刑法ポーカー

刑法ポーカー

5枚ずつ手札を配り、じゃんけんで順番を決めて、2回ずつ手札を交換。

5枚ずつ手札を配り、じゃんけんで順番を決めて、2回ずつ手札を交換。

ドン!

ドン!

 

上の画像では「傷害致死罪」が成立! 罪の重さはというと、3年〜20年の懲役。これはそこそこの役なのでは。他のプレーヤーは役ができなかったので、このプレーヤーの勝ちです。やったぁ!?

 

犯罪なだけに素直に喜んでいいのか戸惑いますが、役ができるとやっぱり達成感を覚えてしまう……!

 

ではここでカードの説明を。犯罪を構成するカードは大きく分けて「客観的構成要件(青いカード)」と「主観的構成要件(黄色いカード)」の2種類。今回の役を見てみると、「暴行の故意」があった上で、実際に「暴行」が行われ(ここまでで暴行罪が成立)、その「因果関係」で「死亡結果」が発生した場合に傷害致死罪という犯罪が成立するというわけ。暴行罪を犯した結果、相手が死んでしまうというより重い結果が発生しているので、こういう犯罪を「結果的加重犯」というのだそう。

 

なるほど〜、「遊びながら学べる」ってこういうことだったのか。

 

こんな感じで、「暴行罪」から「強盗致死罪」(説明書によると「刑法ポーカーのロイヤルストレートフラッシュ」!)、ボーナスカードである「外患誘致罪」*までいろいろな犯罪を作って罪の重さを競います。
*外国と手を組んで日本に対して武力行使させるなど、外国に軍事上の利益を与える犯罪。量刑は死刑のみという刑法上最も重い犯罪だが、現在まで適用された例はない。

暴行罪と業務上横領罪のコンボ(併合罪)

暴行罪と業務上横領罪のコンボ(併合罪)

 

カード2枚の「暴行罪」は比較的簡単に作れるので、上の画像のように左の2枚で「暴行罪」、右の3枚で「業務上横領罪」(※特殊カード使用)が成立することも。シチュエーションとしては、横領がバレてヤケになって誰かを殴ったということ…? なかなかどうしようもない奴だな…などと想像しつつ。

 

逆に、役としては強い「強盗致傷罪」や「殺人罪」は構成要件となるカードが希少だったり、カードを5枚フルに揃える必要があったりするため、滅多にお目にかかれません。

 

初心者でもサクッと遊べる「未修コース」のほか、刑法を学んだことがある・がっつりプレイしたい人向けの拡張ルール「既修コース」も用意されています。こちらでは客観的事実と主観的に認識した事実が食い違う状態(法律用語で「抽象的事実の錯誤」)でも役が作れるなど、ゲームとしてもさらに作り込まれている模様。

 

知識がなくても普通のポーカーと同じ感覚で遊べますが、刑法を勉強するつもりで挑めばさらに奥深く楽しめそう!

役と量刑の一覧は手元で確認できるよう、カードにまとめられているのでご安心を

役と量刑の一覧は手元で確認できるよう、1枚のカードにまとめられているのでご安心を

開発者が伝授するオススメの遊び方

基本的な遊び方が分かったところで、どんな人が作ったのか興味が湧いてきました。

 

ということで、メールでお話を伺ったのは刑法ポーカーの開発者、伊藤誠悟さん。現在は東京大学法学政治学研究科を休学し、司法修習生として研修に励んでおられる伊藤さんに、刑法ポーカー開発の経緯やさらなる楽しみ方を教えていただきました。

 

——まずお聞きしたいのですが、一体なぜ刑法をポーカーにしようと思ったんでしょうか?

 

学部時代は慶應義塾大学法学部の刑法を研究するゼミに所属していたのですが、とにかく自由なゼミで、卒業にあたって卒業論文か卒業制作のどちらかを選ぶことができたんです。先輩の代では、刑法の判例をカルタにしたものや、刑法のクイズをアタック25形式で出題するものなどが作られていたので、それに倣って作ったのが刑法ポーカーでした。

 

開発にあたってはゼミの教授や刑法を学んだことがない友達にもプレイしてもらって、理論的に正しく、ゲームとして面白く、初心者でも楽しめるバランスを追求しました。

伊藤さんが卒業制作として開発した、商品化される前の刑法ポーカー

伊藤さんが卒業制作として開発した、商品化される前の刑法ポーカー

 

——まさかの卒業制作だったんですね。刑法を学んだことがない人が楽しむためのコツはありますか?

 

まずは未修コースで遊んでいただき、慣れてきたら既修コースにもチャレンジしてみてください。ルールが複雑になる分、より楽しめるはずです。

 

自分の手札を見て「これはどういう状況なのか」と想像してみるのもオススメです。例えば「殺人の実行行為」「殺人の故意」「死亡結果」はあるのに「因果関係」がない場合には、「殺意を持って被害者にナイフを突き刺したところ、被害者が救急車に運ばれ、その道中で事故に遭って死亡した」というケースが考えられます。

 

——役として成立していなくてもイマジネーションで遊べる! これはすごく面白そうです。ちなみに、重い犯罪を作って勝ちを競うことって日常ではなかなかないと思いますが、刑法ポーカーはどういう目線で遊ぶのが正解なんでしょうか?

 

私としては「とにかく楽しんでほしい!」と思っているので、検察官になりきって楽しむも良し、犯罪者になりきって楽しむも良しです。ぜひお好みのスタイルで遊んでください。もっとも、法教育に用いる場合には、倫理的な観点から、検察官目線でのプレイを推奨します。

 

検察官になりきって遊ぶなら、量刑(刑罰の重さ)を自分で調べてみるのもオススメです。六法をお持ちであれば六法を引いて、なければインターネットで検索して、自分の役の量刑を調べてみてください。

 

——検察官か、犯罪者か。なりきりプレイも楽しそうです。最後に、刑法ポーカーの今後の展開は?

 

刑法ポーカーは、いつかアプリでも遊べるようにできたら、と考えています。また、刑法ポーカーの別バージョンとして、他の犯罪を追加したものや、こども向けのもの、弁護士として無罪を目指すもの等を構想しています。さらに、刑法ポーカーの民法バージョンも、一つのアイデアとして温めています。

 

今後、刑法ポーカーを通して、より多くの方に刑法を知っていただけたら、それが何より嬉しいです。さらに、そこから刑法に関心を持って、刑法を学んでくださる方が現れれば、作者冥利に尽きます。今後、私も刑法ポーカーを用いて、法教育を行いたいと考えています。

 

——ありがとうございました!

 

 

刑法ポーカーを楽しむ秘訣は、知識もさることながら想像力にありそう。ぜひぜひチャレンジしてみてはいかが?

都会の鳥は面白い! 北海道教育大学・三上修先生が提案する「電柱鳥類学」とは?

2021年6月3日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

鳥たちが繁殖や子育てに飛び回る春から夏は、バードウォッチングにもってこいの季節。緑豊かな山や森に出かけたい一方で、梅雨の時期に遠出するのはなかなか億劫でもあります。

 

「身近な街中にもたくさんの鳥が暮らしていますよ」と教えてくれたのは、都市の鳥類を研究する三上修先生(北海道教育大学 教授)。なんでも、「電柱」に注目して観察することで鳥と人間のいろいろな関係が見えてくるのだとか。一体どういうこと? 都会のバードウォッチングのコツと合わせて聞いてきました。

三上修先生。電柱だけでなくマンホールの蓋やお城巡りもお好きなのだそう

三上修先生。電柱だけでなくマンホールの蓋やお城巡りもお好きなのだそう

スズメやカラス、身近な鳥が面白い!

三上先生の研究対象は都市の鳥類だそうですね。街中の鳥といえばスズメやカラスでしょうか。恥ずかしながら、身近すぎて観察しようと思ったこともありませんでした。

 

「都会の鳥だって観察してみると面白いですよ。わざわざ山や森に足を運ばなくても、通勤中や散歩ついでに観察できる分、意外な発見も多いんです。特に個体数の多いスズメが狙い目ですね。たとえば、初夏から夏にかけて、子スズメを観察できることはご存知ですか?」

 

スズメの子どもですか。あまり見たことがないような……

 

「今の時期、成鳥に混じってくちばしの端がまだ黄色いスズメがいると思います。それが巣立ったばかりの子スズメなんです。かわいいのでぜひ見つけてみてください。言ってしまえば当たり前のことですが、鳥たちはただそこにいるだけではなくて、私たちと同じように街中で生活して子孫を残しているんです」

親に餌をねだる子スズメ。くちばしの端が黄色いのが見分けるポイント

親に餌をねだる子スズメ。くちばしの端が黄色いのが見分けるポイント

 

そう思うとおもしろいですね! 街で鳥を観察するとき、どんな点に注目すればいいでしょうか?

 

「まずは種類に注目してみることですね。よく見るカラスにも、ハシブトガラスとハシボソガラスという2種類がいます。くちばしが太くて気性の荒いカラスが前者で、くちばしが細くてクルミを高いところから落として割るような賢いカラスが後者です。ハシボソガラスは地面が好きなので、だいたい30秒以上地上に降りていればハシボソガラスの確率が高い、とか、知っていると面白いことがいろいろあります。

 

そのほか、ドバト、キジバト、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、ハクセキレイ…だいたい10種類ぐらい覚えておけば、街中で出会う鳥はほぼ見分けられます」

 

スズメ、カラス、ハト、そのほかはまとめて小鳥……という認識で生きてきたので、明日から世界観が変わりそうです。

 

「次に季節による変化ですね。たとえばスズメの場合、子育てをする春から夏はあちこちでバラバラに行動し、秋から冬は群れでかたまって過ごしています。たくさんの鳥に出会いたければ、春から夏、とくに早朝の時間帯に観察するのがおすすめです。

 

あとは、街のつくりによっても見られる鳥の種類が変わります。緑豊かなお寺や公園があれば鳥が集まりますし、池やお堀といった水場があれば水鳥も見られます」

 

そういえば、以前住んでいた近くにお寺があって、そのお堀にいつもアオサギがいました。引っ越してから見かけなくなったなぁ。人間が作った街の中で、鳥も居心地の良い場所を探して生活しているんですね。

ハシボソガラスとハシブトガラス。くちばしの形や鳴き声の違いが見分けるポイント

ハシボソガラスとハシブトガラス。くちばしの形や鳴き声の違いが見分けるポイント

鳥たちの新たな止まり木、電柱・電線

ところで、三上先生は昨年『電柱鳥類学』という本を出版されましたね。一体なぜ、電柱に注目されたのでしょうか?

 

「都市のスズメを研究している中で、スズメたちは住宅や街路樹など、人間が作った環境を利用して巣作りを行っていることがわかりました。その中でも、場所によりますが3割〜5割程度のスズメが電柱に巣を作っていたんです。これはまず電柱のことを知る必要があると思い、部位の名前や役割を調べるうちに、電柱そのものに俄然興味がわいてきました。それ以来、電力会社さんとも協力しながら、電柱や電線を利用する鳥を調査しています。

 

電線や電柱が街中に普及しはじめたのは昭和以降です。電柱や電線を利用する鳥たちを観察すると、そうした新しい環境に鳥たちがどのように適応しているのか、その習性や人間との関係がよく見えてきます」

三上先生の著書『電柱鳥類学 スズメはどこに止まってる?』(岩波書店)

三上先生の著書『電柱鳥類学 スズメはどこに止まってる?』(岩波書店)

 

いろいろ気になるのですが、まず、鳥が電柱や電線を利用するってどういうことでしょうか?

 

「電柱に巣を作るということもありますが、より一般的なのは、電柱や電線に止まるという行動ですね。見通しの良い高い場所から安全を確認したり、餌を探したり、鳥たちはさまざまな理由で電柱や電線に止まっていると考えられます。

 

中でも、スズメやカラスは特によく電柱や電線を利用しています。スズメとカラスが電線のどの高さによく止まるのかを観察して数えてみると、スズメは上段から下段までまんべんなく止まり、カラスはより高いところを好むことがわかりました。

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電線の上・中・下段の好みだけでなく、スズメは電柱から遠い電線の真ん中の方に、カラスは電柱に近い端っこの方に止まる傾向があるそう

電線の上・中・下段の好みだけでなく、スズメは電柱から遠い電線の真ん中の方に、カラスは電柱に近い端っこの方に止まる傾向があるそう

 

ここからは私の解釈になりますが、スズメは地面近くの餌をついばんだり、広い範囲を飛んで移動したりと忙しく動き回っています。そのため、その時々で都合のよい高さの電線を止まり木として利用しているのでしょう。一方、カラスはスズメよりも行動範囲が広いため、広範囲を見渡して飛び立ちやすい高い位置を好むと考えられます。またカラスは群れるのですけれど、互いの仲があまり良くないので、他のカラスが自分より上に止まるのを嫌っているのかもしれません。こんなふうに、電柱や電線を利用する様子にも鳥の個性が表れているんです」

 

なるほど。人間でも、電車に乗ったら端っこに座るのが好きな人、群れるのが好きな人、すぐ降りるから立っておきたい人、いろいろいますもんね。

電柱に巣を作る鳥と人間の攻防

スズメは電柱に巣を作ることもあるとおっしゃっていましたが、それって私でも観察することはできますか?

 

「電柱の腕金(電線を支えるために水平に取り付けられた金属の棒で、中は空洞になっている)の中に巣材を運び込んで巣を作ります。電柱の下を通ると、スズメの雛の鳴き声が聞こえることがあります。観察していると、親鳥が餌を咥えて腕金の中に入っていくのを見ることができると思います。ここがスズメの巣です。

腕金の中の巣に餌を運ぶスズメ

腕金の中の巣に餌を運ぶスズメ

 

観察のポイントは、スズメが子育てをする春から夏、静かな早朝を狙うことです。交通量が増えてくる時間帯だと鳴き声は自動車の音にかき消されてしまいます。また、近くで人間が見ているとなかなか巣に戻ろうとしない親鳥もいます。

 

早朝の限られた時間、歩き回って巣を探す調査はなかなか大変なのですが、スズメの巣自体が珍しいかというと実はそうでもありません。オス・メスのつがい1組につき1つの巣があると考えれば、例えば自宅から駅までの間でスズメを10羽見かけたら、その付近にだいたい5つぐらいは巣がある計算になります」

 

意外と身近にたくさんありそう! 探してみたくなりますね。ところで、電柱に巣を作ってしまって危なくないのでしょうか? 例えば停電の原因になったりとか……。

 

「電柱を管理している電力会社さんのお話によると、スズメの巣自体は停電の原因にはならないようですね。スズメが感電してしまうということもありません。ただ、スズメの巣を狙ってやってくる動物が停電の原因になることがあります」

 

動物ですか。ネコ……はさすがに電柱には登らなさそうですが。

 

「ヘビですね。腕金のスズメの巣を目当てに電柱に登ったヘビが、長い体で2本の電線をまたいだり、電線に触れた状態で腕金に触れたりすると、ヘビの身体に電流が流れて停電の原因になってしまうんです。

 

停電を防ぐために人間側も工夫していまして、スズメが巣を作らないように開口部を塞いであるタイプの腕金もあります。ちなみにこの塞ぎ方にも電力会社やメーカーごとに色々なタイプがあって、観察してみると面白いですよ。もっとも、近年は都市部でヘビを見かけること自体が少なくなっていますが……」

 

電柱の上でそんな攻防が行われていたんですね! それにしても、腕金の塞ぎ方の違いに注目する着眼点、さすがです。

 

「人間にとって厄介なのはスズメよりもカラスの巣ですね。都市部のカラスは樹上だけでなく電柱の上にも巣を作るのですが、巣材にハンガーなどの金属が混じっていると停電の原因になってしまいます。

 

そこで、電力会社さんではカラスの巣を見つけ次第撤去したり、危険な巣材のみを取り除いたりされています。巣を撤去した後はカラスが戻ってこないようにカラス除けの風車を設置するなど、暮らしの安全のために日々奔走してくださっているんです。私も研究の一環で巣の撤去に立ち会わせていただいたり、カラスに関する情報交換をさせていただいたりとお世話になっています」

 

鳥と人間、同じ空間で暮らしているとトラブルもありますよね……。暮らしの安全を守ってくれている現場の方々に感謝です。

電柱に作られたカラスの巣

電柱に作られたカラスの巣は、停電の原因になることも

 

駅前のムクドリ、都市ならではの鳥がいる風景

電柱と鳥といえば、夕方になると駅前の電柱や電線にたくさん鳥が集まってビヨビヨとすごい声で鳴いています。ちょっとギョッとしてしまうんですが、あれは何なんでしょうか。

 

「それはムクドリですね。夕方、ねぐらに帰る前に電柱に集まる習性があります。人間の気配があると猛禽類などの天敵が寄りつかないため、あえて賑やかな駅前などを待ち合わせ場所にするんでしょうね。そのまま電線の上をねぐらにする場合もあります。

 

ムクドリに限らず、電線に集まる鳥は路上に糞を落とすので、人間から嫌がられることが多いですね。対策として、鳥が止まりづらいトゲトゲを設置している電線や電柱もあります」

電線にズラッと並んだムクドリの群れ

電線にズラッと並んだムクドリの群れ

 

人間が鳥の対策に追われる一方で、鳥の方は人間のいる環境を好んでいる場合もあるんですね! それにしても、電柱なんて自然の木々に比べるとごく最近現れたものなのに、鳥たちの間でそれを利用する習性がしっかり定着しているのは何故なんでしょうか?

 

「鳥は学習能力が高い生き物です。他の個体が取った行動を真似ることで、習性が伝播していくんです。そうした習性は世代間や地域間で受け継がれながら広がっていきます。電柱に止まったり巣を作ったりする習性も、こうした学習能力のおかげで数年から数十年という短期間で定着してきたんでしょうね。

 

もっと長い時間をかけて都市の鳥を観察していくと、そうした習性がリアルタイムで更新されてゆく様子も明らかになるかもしれません」

 

鳥たちは私たちが思っているよりずっと賢いのかも。なんとか仲良くやっていきたいものですね。

都市が変われば鳥たちも変わる!?

先生は研究者として、鳥と人間の関係をどんなふうに見ておられますか?

 

「はい。緑豊かな自然こそが鳥にとって理想の環境と考えられがちですが、一概にそうともいえない部分もあって、スズメやツバメは日本ではもはや都市部にしか生息していません。かれらにとっては人間がいる環境の方が、天敵の多い野山よりも安全だからでしょう。俳句や絵画、ことわざなどにもいろいろな鳥が登場するように、文化という側面でも都市の鳥は身近な存在です。大切にしていきたいですね。

 

もちろん、人間にとって害になる部分は対策も必要ですし、私も研究者として協力を惜しみません。それと同時に、身近に鳥がいること自体が、私たちが自然について学ぶ貴重な機会にもなっています。多くの人に鳥のことをもっとよく知ってもらい、面白がってもらえたらと思っています」

 

最後に、都市の鳥を研究することで今後どんなことが分かってきそうでしょうか。

 

「これはまだ構想段階なのですが、街中で見られる鳥から、その都市の歩んできた歴史を垣間見ることができるのではないかと考えています。

 

私が住んでいる函館は昔からたびたび大火に見舞われてきた歴史があります。そのため、延焼を防ぐ防火帯が整備され、たくさんの樹木が植えられました。そのおかげで現在、街の中でもたくさんの種類の鳥を見ることができます。大火という歴史、防火帯という人々の智慧があり、それらが街で見られる鳥にあらわれているのです。

防火帯として整備された函館市街の“グリーンベルト”

函館市街を見下ろすと、防火帯として“グリーンベルト”が張り巡らされているのがわかる

 

街の成り立ちとそこに見られる鳥の関係を知ることができれば、街の魅力を再発見することにもつながるでしょう。もっともこうした研究を行うには、実際にその土地で暮らしてみないとはじまりません。なかなか時間がかかりそうです」

 

鳥を通して街の歴史が見えてくる……想像するだけでワクワクしますね。
ありがとうございました!

新種発見の陰に歴史あり。生物を名付け、整理する「分類学」について東京大学・岡西政典先生に教えてもらった。

2021年5月11日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「新種発見」。生物学者でなくとも、耳にすればなんともワクワクする言葉だ。先日ホトゼロでもご紹介した新種のルリゴキブリ属のほか、SNSがきっかけで発見された新種のダニに「twitter」という学名がつけられたニュースも記憶に新しい。

 

ところで、ある生物が新種としてデビューするためにはさまざまなハードルがある。大前提として、それまでに発見されたすべての生物種が、誰が見てもわかるように一定のルールで分類されていることが必要だ。今まで誰にも発見されていないことが証明できて初めて、その生物が新種であると言えるのだから。

 

そんな生物の分類に日夜励んでいるのが、分類学の研究者だ。そこには一体どんなドラマがあるのだろうか? クモヒトデの分類を専門とする東京大学の岡西政典先生に、分類学とはどんな学問なのかをお聞きした。

新種発見だけじゃない。生物に名前をつけ、整理する学問

さっそくですが、分類学とはどんな学問なのでしょうか?

 

「分類学とは、同じ特徴を持った生物同士を集めて名づけることで、人間が認識できるようにする学問です。私の場合はクモヒトデという海棲生物を扱っています。船で海に出てクモヒトデを採集し、標本にして、その形を顕微鏡で観察し、時にはDNA配列を解析します。そのようにして標本がどの種にあたるのかを同定(生物の名前が、既知のどの名前に当てはまるかを決定すること)していき、その中から新種を見つけて論文として発表するというのが主な研究内容です」

 

ふむふむ、ざっくり言うと、新種を発見して命名する学問ということですか?

 

「分類学イコール新種の発見かと言われれば、必ずしもそうではありません。むしろ、つけた名前が安定的に使われるように情報を整理し続けてゆくことこそが分類学の仕事だと私は考えています。

岡西先生が手に持っているのはクモヒトデの仲間、テヅルモヅルの標本

岡西先生が手に持っているのはクモヒトデの仲間、テヅルモヅルの標本

 

例えば、海洋環境を保全する取り組みでは生物種の数が一つのバロメーターになります。この海域に10年前は何種類の生物がいたが、今は環境破壊のために何種類しか残っていない、といった具合ですね。ですが、一つの学名で呼ばれていた生物がよく調べれば3種に分類できたり、別々の海域で発見されて別の学名をつけられていた生物が同じ1種の生物だったりということが現実によくあります。このように、名前のつけ方に混乱があると自然界を正しく把握することができませんよね。だから、あらゆる活動の基礎を作るために名前を安定させるということはとても大切なんです」

 

なるほど、新発見の生物に新しい学名をつけるだけでなく、これまで使われてきた学名を整理することも重要なんですね。逆にいえば、学名ってそんなにしょっちゅう変わるものなんでしょうか?

 

「はい。学名とは属名と種小名で構成された生物種固有・世界共通の名前ですが、分類学の父とも呼ばれる博物学者リンネが現在使われている二名法の学名を提唱したのが1758年のことです。原則としてその種を最初に発表した研究者に命名権がありますが、リンネ以降260年以上の歴史の中で、複数の研究者が同一種の学名を別々の名前で発表してしまっていたり、あとから分類が見直されたりすることもあるため、その都度文献を遡って整理することが必要になるんです」

 

260年分の学名を整理する必要があるんですか!

 

「そうなんですよ。分類学では古い文献も無視するわけにはいかない。そうなると昔から知られている有名な種ほど文献が多いので、学名の整理も混迷を究めます。

 

実は、みなさんよくご存知のサザエがまさにその好例です。サザエにはこれまでいくつかの学名がつけられていたのですが、それを整理していくと有効な学名がひとつもなかったことが明らかになり、2017年にようやく新種として《Turbo sazae》※と命名されました。これには非常に複雑な経緯があるのですが、長らく中国産のナンカイサザエと同種と思われていたことに加え、誰もが知っている有名種だったために過去についた学名を疑ってみる研究者が少なかったということも混乱の原因のひとつでしょう」
※編注:種名は斜体での表記が推奨されていますが、サイトの仕様により平体表記となっています。

 

今まで学名のついていない生き物を美味しくいただいていたと思うと、不思議な感じです。

 

「現在学名がついている生物種は約200万種と言われています。地球全体の生物種数は研究者によって見解が異なりますが、その大部分はまだ学名のついていない未記載種(まだ種名が与えられていない種)です。新種記載だけでもまだまだ手が足りていない状況ですが、既知の種も検証を繰り返していくことで学名の安定性を保たなければいけないので、分類学者の仕事は当分尽きそうにありません」

海でクモヒトデを採集する岡西先生。一度にある程度まとめて採集して、標本にしたものを長い時間をかけて分類してゆく(写真提供:藤田敏彦[国立科学博物館])

海でクモヒトデを採集する岡西先生。一度にある程度まとめて採集して、標本にしたものを長い時間をかけて分類してゆく(写真提供:藤田敏彦[国立科学博物館])

 

新種発見は地道な作業の連続

新種の記載について、もう少し具体的に教えてください。

 

「まず、生物の種とは何かということですが、ここでは交配して子孫を残すことができる個体群のことだと考えてください。その上で、分類の基本となるのは多くの場合は生物の形態、つまり形の違いです。私が研究しているクモヒトデの場合は、標本から切り出した組織を電子顕微鏡で観察して形態を把握します。

 

さて、ここで重要なのは、採取した標本をこれまで知られているクモヒトデと比較することです。過去に発見・命名された生物種には、学名やその形態的特徴を記した命名の根拠となる『記載論文』が存在します。クモヒトデのグループのあらゆる種の記載論文に目を通し、調べたい標本の特徴と照らし合わせます。その特徴がこれまでに発見されたどの種にも当てはまらない場合、その標本は新種である可能性が浮上します。

 

次にやることは記載論文の執筆です。学名をつけ、タイプ標本(その種の名前の基準となる標本)を示し、形態を詳細に記述し、それがこれまで知られているどの種の特徴にも当てはまらないことを示します。この記載論文が査読を経て学術誌に掲載されて、はじめてひとつの『新種』が世に出るのです」

クモヒトデの分類のために100年以上前の記載論文を調べることもしばしば

クモヒトデの分類のために100年以上前の記載論文を調べることもしばしば

 

これまで発見されたどの種でもないことを証明するのって、かなり大変そうですね。

 

「分類群によりますが、属(種のひとつ上の階層)から種を絞り込む段階で数本から数十本の論文を読むことになりますね。論文に書かれている形態的特徴は文章だけでは理解できない場合も多いので、その種の標本を保管している研究機関に足を運んだりしながら、自分の頭の中にあらゆるクモヒトデのデータを蓄積していく必要があります。ひたすら外国語の文献を読み込む作業に何度も心が折れそうになりましたよ。

 

そうやって毎日文献やいくつもの標本に向き合って同定を続けていると、とつぜん目の前がひらけるような、ブレイクスルーが起こる瞬間があるんです。最初のブレイクスルーは、論文に書かれた特徴と目の前の標本がぴったり一致する瞬間です。これは論文をもとに正しく同定できるようになった証拠です。次のブレイクスルーは、既知の種の特徴が完全に頭の中に入り、これまで観察した標本の中にどの種とも一致しない標本があるぞ、と閃く瞬間です。今でも研究の中でそんな瞬間はありますが、標本を保管している棚からはじめて新種を見出した時の閃きは忘れられません」

 

目の前の標本と過去の研究者の業績にとことん向き合って、頭の中にデータベースが出来上がってはじめて新種にたどり着けるわけですね。そして論文執筆……なんとも地道な作業ですが、そのぶん喜びもひとしおでしょうね。

岡西先生がはじめて新種記載した思い出のクモヒトデSquamophis amamiensis (Okansihi and Fujita, 2009) (写真撮影:藤田敏彦[国立科学博物館])

岡西先生がはじめて新種記載した思い出のクモヒトデSquamophis amamiensis (Okansihi and Fujita, 2009) (写真撮影:藤田敏彦[国立科学博物館])

 

デジタル化とDNA解析によるこれからの分類学

 「今まではそんな苦労があったんですが、分類学はデジタルと相性がいいことが救いですね。論文もwebで検索・閲覧できるものが増えてきましたし、種によっては標本を3Dスキャンしたデータが公開されている場合もあります。また、現在では動物の新種記載の際にZooBankというオープンアクセスのデータベースに登録することが必須となっていて、学名を一元的に把握することができるようになりました。作業的な部分は格段に簡素化できるようになりつつあるので、これからはもっと研究が加速していくでしょう」

 

最新技術の恩恵ですね。なんだかホッとしました。そういえば、同定にDNAの解析も使うとおっしゃっていましたね。

 

「形態で見分けがつきづらい種でも、DNAを解析すればはっきりと見分けることができます。近年はとくに、先ほどのサザエのように昔から知られていた種をDNA解析することで、実は外見上よく似た複数の種がいることが明らかになる例が多いですね。

 

この点は明快で便利なのですが、解析したい生物の組織からDNAを抽出して解析するには手間とコストがかかるため、現状ではすべての標本をDNA解析にかけるというわけにはいきません。やはり基本的には目で見た形態の違いに頼ることが多いです。ただし、もともと分離培養することが前提となっている細菌などの分類では、DNA解析を用いることが主流です」

 

DNA解析は進化の過程を研究する際にも使われると思うんですが、分類学では形態の違いに加えて進化系統も分類の基準になったりするのでしょうか?

 

「分類学において系統をどう扱うかは、分類群やそれぞれの研究者によってスタンスが分かれるところですね。分類は自然界の姿をなるべくそのまま反映しているのが望ましいので、その意味では系統も考慮にいれるべきかもしれません。実際に、分類学でも系統に主眼を置いたアプローチを取ることはあります。

 

ただ、分類学者が行うのはあくまで人間が自然界を認識するための名前を付ける行為なので、DNA解析で明らかになった系統が従来の分類法と矛盾する時に、かえって混乱を招くことは避けなければなりません。そこで、植物学では従来の分類学の規制に拠らない、DNA情報に基づいたAPG(Angiosperm Phylogeny Group)体系というものが発表されています。その方がスタンスの違う研究者同士のコミュニケーションがスムーズにいくのかもしれません」

 

形態に着目する従来の考え方が土台としてありつつ、新しい考え方も模索されているのですね。うーむ、奥が深い。

UMAに憧れた少年が、クモヒトデに魅せられて

ところで、岡西先生が分類学の道に進まれたのにはどんな理由があったのでしょうか?

 

「昔から珍しい生き物が好きで、子どもの頃はスカイフィッシュとかのUMA(未確認生物)に夢中になりました。だけど、テレビでUMAを探す番組を見ていても結局見つからないんですよね。UMAと並んで好きだったのが深海生物です。これもテレビ番組で、深海艇のカメラの前を大きなサメが通り過ぎるところを見ては『すげー!』と興奮していました。いつか自分も珍しい生き物にたくさん出会いたいと夢見ていて、大学で分類学研究室の存在を知ったときは迷わずその扉を叩きました」

 

まさかUMAがきっかけとは! 岡西先生が研究されているクモヒトデもかなり独特な見た目ですね。

 

「学部2年のときに海で生き物を採集する実習があって、偶然採集したのがクモヒトデとの出会いでした。それがなんとなく印象に残っていて、分類学の研究室で卒業研究のテーマを決めるときに先生から渡された図鑑をペラペラめくっていてクモヒトデに目が止まり、じゃあこれにします、と。

 

クモヒトデは形も面白いのですが、私はこの鱗の質感が好きですね。顕微鏡で拡大すると本当にかっこいいんです。研究対象としては、組織が硬く形がはっきりしているので同定がしやすい部類だと思いますね、テヅルモヅルは組織が柔らかいので少し事情が違いますが。化石としても残りやすいので、海底の砂つぶからクモヒトデの骨片の化石を選り分けて観察したりもしています」

岡西先生が魅せられたというクモヒトデの鱗の顕微鏡写真

岡西先生が魅せられたというクモヒトデの鱗の顕微鏡写真

クモヒトデの仲間の中でもひときわ奇妙な見た目のテヅルモヅル。細かく枝分かれした腕が特徴(写真撮影:山内洋紀[京都大学白浜水族館])

クモヒトデの仲間の中でもひときわ奇妙な見た目のテヅルモヅル。細かく枝分かれした腕が特徴(写真撮影:山内洋紀[京都大学白浜水族館])

 

先生はこれまで何種ぐらい新種を記載されたのでしょうか。

 

「クモヒトデは世界中で約2100種、日本では340~350種が知られていて、私はこれまで21種を新種として記載してきました。新種が発見されるペースは分類群によってかなり差があって、他の勢いのある分類群と比べればクモヒトデの新種はそれほど多くはありませんね」

 

先ほど新種記載の苦労をお聞きしたので21種でも眩暈がしそうですが、上には上がいるのですね……。最後に、今後の目標を教えてください。

 

「最近、私の中で研究に対する考え方が少し変わってきています。クモヒトデはある程度分類が進んでいる分類群だと捉え、生息域や生息環境といった生態的なデータやDNA解析を駆使して、包括的に研究をまとめられないかと考えているんです。研究者人生をかけて、日本産クモヒトデを詳細に網羅した図鑑を作り上げたいですね」

 

 

新種発見のニュースの陰にある地道で奥深い分類学の世界、いかがだっただろうか。道端の草木や小さな昆虫、すべて誰かが文献を調べつくして名付けた、あるいはこれから名付けられるのだと想像すると、なんだかとても愛おしく感じられる。さらにディープな世界を知りたい方は、岡西先生の著書も手に取ってみてほしい。

 

5/11追記:取材後の2021年4月30日、岡西先生らの研究グループは相模湾で新種クモヒトデを発見したことを発表した(プレスリリースはこちら)。日進月歩で進展している研究の今後がますます楽しみだ。

 

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