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哲学×映画『メッセージ』:私たちは未来を予期して生きている? 傑作SFを哲学で読み解く

2020年9月8日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

映画や小説、アニメ、漫画…サブカルの世界を学問の視点で掘り下げるシリーズ第3弾。

 

今回は、異星人と人類との邂逅を描いた傑作SF映画『メッセージ』。哲学的な問いが満載の本作を哲学者の視点で味わってみると、映画に込められた力強いメッセージが見えてきた。

(メイン画像のクレジット © 2016 Xenolinguistics, LLC. All Rights Reserved.)

 

  • この記事は映画『メッセージ』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

未知の他者、時間と言語

『メッセージ』(原題:Arrival)は、ドニ・ヴィルヌーヴ監督によるSF映画。日本では2017年に公開された。原作であるテッド・チャンのSF小説『あなたの人生の物語』をご存知の方も多いだろう。まずは、本作のあらすじを簡単におさらいしておこう。

 

世界各地12か所に一斉に「殻」と呼ばれる未知の飛行物体が現れる。言語学者である主人公ルイーズは物理学者イアンとともに軍に召集され、「殻」の主である異星人ヘプタポッドの言語を解読してその目的を探り出すという役割を与えられる。ヘプタポッドとの対面を重ねてルイーズはその言語を次第に理解し、コミュニケーションが取れるようになっていくが、それと同時に、まだ生まれていない自分の娘と過ごす日々を幻視するようになる。一方、協力して研究を進めていた各国は、ヘプタポッドの示したある言葉をきっかけにバラバラに対立し、軍事的緊張感が広がってゆく。

 

知覚できる世界が異星人の言語によって変容するというSF的想像力、そして結果、主人公が引き受けることになるある運命。この映画が提示するテーマをもっと深く掘り下げるため、新潟大学の宮﨑裕助先生に、哲学の視点からこの映画をどのようにみることができるかお聞きした。

映画『メッセージ』を絶賛する宮﨑先生。「なぜ今回、私がお話しすることになったかもよくわかります(笑)」

映画『メッセージ』を絶賛する宮﨑先生。「なぜ今回、私がお話しすることになったかもよくわかります(笑)」

 

未知の他者とのコミュニケーションは成立するか?

まずは率直に、映画『メッセージ』をご覧になった感想はいかがでしたか?

 

「掛け値なしに素晴らしい映画だと思いました。未知の異星人との遭遇、タイムループといったSFの古典的な主題だけでなく、宇宙人の未知の言語で未知の他者といかにコミュニケーションをはじめるか、といったこれまでのSF映画ではあまり描かれなかった点に踏み込んでいて、他者論、言語論、翻訳論、時間論等の哲学的問題にまで深く入り込むものとなっています。それだけではなく、他者が引き起こす集団心理や国家主権がはらむ政治的な問い、なによりも、不幸を背負って生まれてくる子どもをなぜ産むのか、傷つくことが分かっていてなぜ家族をつくるのか、といった家族や世代の倫理的な問いへの応答も読み取ることができますね。とにかく、さまざまに思考を誘発する点でも素晴らしいと思います」

 

外見も思考様式も地球人とは全く異なる異星人ヘプタポッドが現れ、主人公ルイーズは言語学者として対峙することになります。この異星人を先生はどのようにご覧になりましたか?

 

「未知の他者、そもそも言語をもつかどうかもわからない他者といかにコミュニケーションが可能になるのか、これは哲学における古典的な問いなのですが、往々にして人間同士、人類のなかでの議論に限定されがちでした。もちろん人間以外の動物とのコミュニケーションに関する議論もなされてきましたが、しかし異星人というのは、地球上の生物ですらないまったく異なる思考様式をそなえているわけで、想定しうる限りもっとも遠い他者なわけです。

 

この映画の素晴らしいところは、〈もっとも遠くてもっとも想像不可能な他者といかにコミュニケーションをはじめることが出来るのか〉というきわめて哲学的な問いを、異星人というモチーフを使うことで具体的に映像化して提示してみせている点です。とくに異星人が操る文字を映像として具現化させたのは感動しましたね。異星人の言語はこのように示せるのか、と」

Amy Adams as Louise Banks in ARRIVAL by Paramount Pictures

墨絵を彷彿とさせるヘプタポッドの言語。表音文字でも表意文字でもない「表義文字」とされる
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円形をした異星人の文字は本当に見事なデザインでしたね。その言語でコミュニケーションが成立していく過程が感動的でもあり、またそこに大きな誤解が生まれることが歯がゆくもありました。異なる言語をもつ他者と理解し合うことはやはり難しいのでしょうか。

 

「その前に、まずはコミュニケーションとは何かを考えてみましょう。映画のなかでは、〈原地語では『あなたはなにを意味しているのか』を意味する『カンガルー』が、誤解によってひとつの動物の種類を指すようになった〉という有名な逸話(都市伝説)が引用されていましたね。この逸話のポイントは、双方で誤解があったことがあとで分かったとしても、コミュニケーションはそれとして成り立ってしまうということです。

 

通じ合えたと思っても、実は誤解が積み重なってたまたまつじつまが合っていただけかもしれない。しかしこれは異なる未知の言語が相手の場合だけでなく、同じ言語を話している者同士のコミュニケーションでも起こりうることですよね」

 

たしかに、誤解が重なって思わぬメッセージが伝わっている状況は日常的にもよく目にします。理解し合うというのは人間同士でも難しいことです。

 

「しかしだからと言って、悲観する必要はありません。この不可能性こそ、むしろコミュニケーションにとって必要な条件なのです。逆に、まったく誤解を生じない透明なコミュニケーションを想像してみてください。なんでも言いたいことが完全に伝わるとすれば、そもそもコミュニケーションする必要すらなくなるでしょう。誤解と齟齬のない理想状態のコミュニケーションとは、実のところコミュニケーションの死なのです」

 

つまり……、もともと完全にはわかりあえない他者同士が、それでも何かを伝えようとする能動的な行為こそがコミュニケーション、ということですね。

 

「はい。さて、それでは異星人とのコミュニケーションは可能なのか。コミュニケーションの本質は誤解と齟齬ですから、まったく共通点のない異星人とのあいだでももちろん可能です。他者という概念に注目した20世紀フランスの哲学者ジャック・デリダによると、そのとき最低限必要なのは、その他者からの呼びかけに振り向くことだけです。デリダはこの他者の呼びかけへの応答を、『ウィ、ウィ(フランス語Oui, Oui──英語ではYes, Yes)』という二重の肯定として表しました。つまり呼びかけをたんに音として聞き取るだけでなく、再認し反復可能な言語として肯定し直すわけです。実際、この映画はこうしたことを丁寧に描いているからこそ、感動的なわけです。

Amy Adams (right) as Louise Banks in ARRIVAL by Paramount Pictures

映画では単語の応答を繰り返すことで異星人の文字と意味の対応を推測し、次第に会話が可能になっていく。しかし、結論を急ぐ各国はヘプタポッドのある言葉を誤解し、互いに不信感を深めることに……
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そこで私たち自身を振り返ってみると、往々にして忙しい日常に没入して他者の呼びかけにしばしば振り向くことができない。と同時に、SNSのような過剰な応答によって成り立つコミュニケーションのなかで、他者の本当に切実な呼びかけをおろそかにしてしまう。厄介なのは、そうした他者の呼びかけがどこからくるか、あらかじめわからないし予期することもできないという点です」

 

映画では異星人とコミュニケーションの第一歩を踏み出すことができた一方で、地球人どうしの不信と対立が通信回路の切断という形で描かれていました。「他者」はいつもこちらの都合に合わせてくれるわけではありませんが、だからこそその時どのように向き合うことができるのかを問われている気がします。

言語が世界の見え方を変える?

映画のなかで主人公は、異星人の言語を修得することでだんだんと時間の流れを超越して世界を認識できるようになってゆきます。実際に、世界の見え方は言語によって変わるものなのでしょうか?

 

「近代哲学の礎を築いた哲学者カントの認識論では、『感性』や『悟性』という能力のことが論じられています。『感性』は物事を知覚する能力、『悟性』は論理や概念を把握する能力です。カントはこれらの能力を可能にする枠組み、形式が、個々の経験や文化の差異にかかわりなく、人間に共通してあらかじめ定まっているのだと考えました。例えば感性の形式としては等質的で一様に延び拡がる時間や空間が想定されています。同じく悟性であれば論理学の形式が想定されています(ただしこれはあくまで全ての『人間』に共通の形式として考えられたもので、人間以外の動物やましてや宇宙人は想定されてはいません)。

 

しかし20世紀になると、哲学思想の中で『言語論的転回』と呼ばれる動きが起こります。言語そのものが認識、つまり世界の現れ方に作用するという見方が広くなされるようになったわけです。例えば、虹に含まれる色は日本語では7色であらわされますが、英語では6色、さらに世界を見渡すともっと少ない色で虹をあらわす言語もあると言われます。7色の虹と6色の虹の違いは、文化ごとの色のあり方や色彩感覚と無関係ではありません。色の語彙をたくさん持っている人は、それに応じて色の微細な違いを繊細に認識し説明できると言えます。ボキャブラリーの多寡が世界認識、カント哲学でいう『悟性』の領域に関わってくるわけです。

 

私自身の話をすると、20代半ばではじめて留学してホームステイしたとき、外国語の拙い語彙しか使いこなせなかったことで、言葉だけでなく人格までも幼くなってしまった気分を味わいました。これも世界認識が言語に依存するという実例になるでしょう。

 

そのうえで、時間についてはどうでしょうか。言語の違いが時間感覚までも変えてしまうのかどうかということは、いま言った虹などの例(悟性)と同様には扱うことはできないでしょう。しかし、時間の感覚はあらかじめ定まっているとするカントに対して反論はできます。フッサールやベルクソンといった哲学者が探究したように、時間はそもそも単線的で等質的な流れのモデルで捉えることは出来ず、個々人によって質的に多様でありうる。このことは経験に照らしてもわかることでしょう。楽しい時間はあっというまにすぎてしまいますが、退屈な時ほどなかなか時間が経たないですよね」

 

子どもの頃はとても長く感じた1年が、大人になるとあっという間に感じたり……身に覚えがあります。時間の流れが相対的なものだとすると、映画で描かれたように時間の感覚が決定的に変化してしまうことは「ありうる」ということでしょうか?

 

「この映画で主人公ルイーズはヘプタポッドの言語をマスターすることでループするような時間感覚を得て未来をも予知できるようになるわけですが、これは実際にはありそうにもないことです。ヘプタポッドたちが時空を超えて世界を認識していようとも、少なくとも、人間にはそのままそれをあてはめることはできないでしょう。というのも、人間は依然として既存の時間概念に依存して有限な生を生きているからであり、そのなかでこそ世界を認識しているからです。地球言語が母語であり、いったん世界がそれによって構築されてしまった以上、いくらヘプタポッドの言語に精通しても、パソコンのOSを切り替えるようにして別の世界に行けるわけではないでしょう。あくまで既存の時間の破れ目から、ヘプタポッド時間を垣間見るだけであり、未来予測が自在に可能になるということにはならないと思います」

(L-R) Jeremy Renner as Ian Donnelly and Amy Adams as Louise Banks in ARRIVAL by Paramount Pictures

映画では、ヘプタポッドの言語を解読・習得するうちにルイーズ(右)は未来を見通す能力を手に入れることになる 
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未来を見通せてしまうことは悲劇か、それとも?

ルイーズが未来を見通せるようになるというストーリーは、SF的な誇張というかデタラメということになりそうですね。もちろん、そのデタラメこそがSF作品の魅力とも言えるわけですが。

 

「ルイーズの予知能力に設定上無理があるとしても、ストーリー全体がデタラメだというわけではありません。むしろこう考えるべきではないでしょうか。私たちはつねに今という経験を反復されたものとしてしか生きることができず、二度目以上の世界を生きているのだ、と」

 

……どういうことでしょうか?

 

「はじめて経験したことなのに、かつて味わったかのようにとらわれる感覚をデジャヴュといいますね。私はある意味であらゆる経験がこうしたデジャヴュに浸されていると考えています。本当にまったく未知の出来事が自分の身に起こったとすると、これまでの経験をもとにその出来事を知覚したり言語化したりすることができないわけですから、その出来事をたった今、経験したことすらわからないはずです」

 

つまり、自分の身に初めて起こった経験であっても、それまでに予め知識として触れていたりそれまでの似た経験から想像したりという形で、すでに予期していた出来事に当てはめて認識しているということでしょうか。

 

「そうですね。意識しようがしまいが、私たちはそのような仕方でつねにすでに未来を先取りしてしまっている。未来予知のような明確な認識ではないにせよ、ある意味では『予め知っている』わけです。逆に、通常新しいようにみえることは相対的な新しさにすぎず、つねにどこか遅れてしまっているとも言えます。デリダはこのことを、言語論の文脈で、反覆可能性という概念によって説明していますが、私はそれを拡張して、つねにすでに二度目を生きているというこの感覚を『超越論的デジャヴュ』と呼んでいます。だから本当の意味で『今、この瞬間』を生きている人間はいないのです」

 

―なるほど……。映画に即して考えてみると、これから子どもをもつ親にとって、子どもが健康で幸せに生きられるかという未来を先取りした不安は常につきまとうでしょうし、もっと言えば、生まれてきた子どもがいつかは必ず死ぬということをどんな親でも「知っている」。ルイーズの予知能力もそうした延長線上にあるものとも解釈できるかもしれませんね。

 

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未来を見通せるようになったルイーズの脳裏にフラッシュバックする、娘ハンナとの未来の思い出 
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そこで、この物語の結末についてですが、ルイーズは未来を見通すことで、将来産まれる子どもを若くして亡くし、将来夫になるイアンとも別れるという運命を知ったうえで家庭を持つことを選択します。これはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、どのようにご覧になりましたか?

 

「主人公が選択したというより、『そうせざるをえないということを知っている』ということでしょう。我が子の死が訪れてしまうことを避けられないという意味ではバッドエンドなのかもしれません。しかし、それを避けて俯瞰した視点から別の人生を選択し直すこともできないがゆえに、そしてそのことをはじめからよくわかって受け入れているがゆえに、いまここにあるみずからの生を肯定的に享受しているという点で言うなら、私はハッピーエンドと言いうると思います。

 

現代の思想で反出生主義という立場があるのをご存知でしょうか。かれらは現代社会に生まれることの不幸をあらかじめ見通して、子どもは新たに生まれてこないほうがよいことを主張しています。映画の結末を観て、もしかしたらこの考え方に近い感想を持った方もいらっしゃるかもしれません。しかし本当にそうでしょうか?

 

仮にデータを網羅して世界全体の人間の幸不幸を算出することが可能になれば、これから生まれてくる子どもの不幸が統計的に証明できるかもしれません。しかしそれは、ある一人の子どもが歩む一度きりの人生が不幸であるという証明にはなりません。人間にとって生は、俯瞰して統計的に扱えるものではなく、『誰にとっての』生か、個別の状況でいかに生きるかということと切り離して考えることはできません。そうした個別的な意味を切り離してしまうと、そもそも生そのものに意味がなくなってしまうのです。誰だって、自分の生を完全に俯瞰することはできません。統計データを取ったり、それを根拠に語ったりする人でさえそうなのです」

 

―幸せか不幸かは他人が決められることではなく、まさにその人がどう生きるかにかかっている。生きる指針が揺らいでしまいがちな現代を生きる私たちへの、切実なメッセージのようにも思えますね。

あなたの人生の物語

「最後にもうひとつ、この映画を読み解く鍵が残っています。それは、先ほどの反出生主義への反論にも関わります。

 

ルイーズは自分の娘をハンナと名づけますね。はじめから読んでも逆から読んでも『Hannah』と読めるこの名前はもちろん、循環した時間性を生きるヘプタポッド時間に重ね合わされているわけですが、Hannahといえば私はある人物を思い浮かべます。それは、20世紀のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントです。アーレントは、新しい生命がこの世に生まれることこそが世界のはじまりをなす絶対的な条件だとして、みずからの哲学の中心に据えました。アーレントにとっては人間が誕生するということは、統計的な計算に委ねうる選択問題ではなく、そこから意味や価値そのものが生まれてくる揺るぎがたい事実性そのものなのです」

 

たまたまかもしれませんが、そんな哲学者と同じ名前がつけられたのは非常に象徴的ですね。生まれることからはじまるというのはまさに本作の重要なテーマです。

 

「人間の生がたんなる計算可能な可能性ではなく存在の事実性であるということは、ハイデガー以降の実存思想という立場が追求してきた事柄です。私はここでたんに実存主義を強調するだけでなく、自分の研究しているデリダに即して次のようにお答えしておきたいと思います。

 

私のこの生はつねに挫折し後悔を繰り返してきましたし、未来に向けても先取りした過ちを繰り返さざるをえない。そんな生はけっして幸福ではありえないとも言えます。映画ではこのことは未来の我が子の死という喪のイメージを通して示されていました。しかし、こうしたやり直しのきかない有限性こそが生の条件なのです。この有限性をもし取り払うことができたとしても、失敗もなければ成功もない、生きることの意味や目的そのものも失った、生きるに値しない生にしかならないでしょう。そうではなく、こうした有限な生を肯定するところにむしろ生きるべき生、生き延びの生があるのです。

 

このことを、私は近著のデリダ論『ジャック・デリダ──死後の生を与える』のなかでデリダの思考に即して探究しています。ぜひご笑覧いただけると幸いです」

『ジャック・デリダ――死後の生を与える』(岩波書店)

宮﨑先生の著書『ジャック・デリダ――死後の生を与える』(岩波書店)

 

2時間足らずの映画のなかから、作者も意識していなかったであろう部分を含めてこれだけ豊かなメッセージを読み取ることができることに改めて驚くばかりだ。映画を観たあとの言葉にできない感動を哲学で解きほぐすことで、物語の中の出来事が決して特別ではなく、自分自身のこととして受け取ることもできた。

 

さてこれを読んでいるあなたは、人生の物語をどんなふうに紡ぎますか?

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オンラインでお話をお聞きしたのだが、画面越しに向き合う構図が劇中の異星人との対話シーンそっくりで、内心興奮していた筆者であった

 

『メッセージ』発売中 Blu-ray	2,381円(税別) 発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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研究者の質問バトン(1):タイムマシンって本当に作れるの?

2020年9月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

ある日の編集会議、ネタ出し中に編集長がこんな一言を漏らした。

 

「タイムマシンって本当に作れるんかな?」

 

タイムマシンは作れるのか? ほとぜろではこのところ壮大な宇宙の話なども扱うので、タイムトラベルだってなんとかなりそうな気がしてしまうが、できないならばできないで何か理由があるはず。なんともロマンがあって、誰かに解説してほしい疑問だ。

 

素朴な疑問にはその人の考え方や興味が表れるのでおもしろい。ラジオでは子どもたちが研究者の先生たちに鋭い質問・突飛な質問を投げかける番組も人気だ。ならば、その先生たちにも素朴な疑問があるのではないだろうか?

 

……ということで、新連載『研究者の質問バトン』がはじまります。素朴な疑問を専門家の先生にぶつけて解説してもらい、今度はその先生の抱えている素朴な疑問を別の専門家にぶつけに行く。そんなふうに、研究者の方々の疑問をリレーしていきます。どんな回答と疑問が飛び出すのでしょうか!?

 

第1回は、「タイムマシンって本当に作れるの?」という質問を、物理学者である大阪工業大学の真貝寿明先生にお聞きしました。それではどうぞ。

先生、タイムマシンって本当に作れるんですか?

――真貝先生、そもそも物理学ではタイムマシンも研究対象に入るのでしょうか?

 はじめにお断りしておきますが、私は「タイムマシン」を研究しているわけではなく、「相対性理論」を研究しています。


 タイムマシンは、時間を超えて移動する想像上の乗り物ですね。時間と空間を取り扱う物理学はアインシュタインのつくった「相対性理論」です。アインシュタインは、『質量の大きな物体があると、その周囲の時間や空間がゆがむ』という理論をつくりました。つまり、時間の進み方はどこでも一定なのではなく、観測する場所によって、はやく進んだり、ゆっくり進んだりするのです。これを表現するのに、タイムマシンという言葉はとても分かりやすいものだと思います。


 私自身は、ブラックホールや重力波を研究しています。ブラックホールは、質量が大きすぎて空間がゆがみすぎ、破れたトランポリンのようになっている領域です。重力波は、空間のゆがみが波となって伝わってくる現象で、トランポリンの振動を想像してもらえればよいでしょう。お互いの重力で引っ張り合っている複数のブラックホールが合体すると、強い重力波を発生させます。その重力波を観測することで、ブラックホールのでき方や、銀河のでき方がわかり、宇宙の膨張の速さも分かります。私は、アインシュタインの理論がどこまで正しいのかを解明するために、重力波の波を観測データから上手く取り出す方法を研究しています。

――なるほど、まさに時間や空間のゆがみを研究対象にされているのですね。相対性理論をヒントにすれば、実際に未来に行ったり過去に行ったりできるのでしょうか?

 未来に行くタイムマシンは理論上可能です。相対性理論は、速く移動していればいるほど時間の進み方がゆっくりになり、光速で移動すると時間が進まないということを予言しています。つまり、ものすごく速いロケットに乗って地球に帰還すれば、自分だけ歳をとらず、未来の世界に行けるのです。浦島太郎のような話が現実のものとなるわけですね。ただし、人類が作った最も高速の乗り物は、いまのところ国際宇宙ステーションで、秒速 7.8kmです。この速さではまだまだ時間のずれは小さく、1年間乗務しても0.01067秒だけしか地表より未来に行けません。時速900km(秒速250m)の旅客機に10000時間乗務しても、0.000012517秒しか未来に行けません。技術的にはまだまだタイムマシンは無理ですね。

 

ですが、素粒子レベルでは未来へのタイムトラベルが日常的に起こっています。宇宙から飛来する粒子(宇宙線)は、光速に近い速さのため、寿命が極端に長くなることが確かめられています。つまりその粒子だけ、時間の流れがゆっくりになっているんですね。ですから、未来に行くタイムマシンは理論がきちんと証明されていて、あとは技術的な課題を解決すればよいことになります。


 未来に行く方法としてもう一つ、重力の強い場所では時間がゆっくり進む、という事実を使う方法もあります。映画の『インターステラー』では、重力の強い星に1時間着陸しただけで、地球上では7年が過ぎてしまう、という場面がありました。

 

――なんと、小さくて気づかないような“タイムトラベル”は意外と身近に起こっているんですね。

一方で、過去に行くタイムマシンは理論上も難しいのです。過去に行くということは、時間を進めていくと元の地点にもどるということで、専門用語で「時間的閉曲線 (closed timelike curve)が存在するか」という問題になります。ブラックホールを無限に長く引き伸ばしたような「宇宙ひも (cosmic string)」があれば、その周囲を一周することでエネルギーギャップを利用して過去に行けるとする提案があります。また、「ワームホール (wormhole)」と呼ばれる、時空の異なる2点を結ぶ経路があれば過去に戻れる、とするモデルもあります。しかし、宇宙ひももワームホールも、理論上その存在が考えられているだけで観測されたことはありません。実際に存在したとしても、人類が制御できるものではないでしょう。私はワームホールに物を投げ入れたときのシミュレーションをしたことがありますが、ワームホールは不安定ですぐに閉じてしまい、ブラックホールに変化することが分かりました。ですので、たとえ100歩譲ってワームホールに飛び込めたとしても、そこでおしまいとなる可能性が高い。

 

――話が一気にややこしくなりましたが、過去へのタイムトラベルは「机上の空論」だと。


物理学は、運動方程式(因果則)・エネルギー保存則やエントロピー増大則など、時間に関する法則で成り立っています。過去へいきなり出現することを許すと、これらの法則が破綻してしまいます。ですので、過去に戻るタイムマシンは理論上は可能かもしれないけれど、おとぎ話にすぎないと多くの物理学者は考えています。

――『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は実現しそうにないですね……。

相対性理論は身近な技術に役立っている

いずれにしても、タイムマシンそのものは遠い夢ということでしょうか。

 ロケットに乗ったり、重力の強いところにいると時間の進み方がゆっくりになるということはお話しましたが、実はこの事実を踏まえないと、カーナビなどに使われているGPS(Global Positioning System、人工衛星を使った測位システム)がきちんと機能しません。GPSは、原子時計を搭載した人工衛星が地球上のどこにいても上空に4機以上あるように配置されていて、それらが出す電波から3点測量の原理で自分のいる場所を特定するシステムです。高速で飛んでいる人工衛星の時間の遅れと、重力の差により上空よりも地表の方が時間の進み方が遅くなることを計算に入れないと、GPSは正しい値を出さないのです。その意味で、相対性理論研究が、日常の役に立っていると言えるでしょう。


最近、私は、原子時計よりも100倍以上高い精度を出すことができる「光格子時計」を使った実験プロジェクトに参加させてもらいました。18桁の精度(100億年に1秒のずれに相当)をもつ時計を東京スカイツリーの展望台(高さ450m)と地表に設置して、時間の進み方を比較してみると、アインシュタインの予言通り、重力の強い地表の方が時間の進み方がゆっくりになることが確認できたのです。また、この2台の時計のズレから逆算することで、450mの高度差を数cm以内の誤差で測定できることもわかりました(詳しくはこちら)。将来的には、正確な時計を持ち歩くことで自分のいる高度が分かったり、重力の違いから地中に埋蔵されているものを発見することもできると期待されます。

 

――タイムマシンはまだまだでも、その理論はすでに生活の中で活用されていたんですね。いつか遠い未来にタイムトラベルが実現したら、先生ならどのように使いたいですか?

 

ちょっとした未来を見てみたいですね。自分の書いた本がどれだけベストセラーになっているか、とか(笑)。

真貝先生の素朴な疑問は?

――タイムマシンについてわかりやすく教えてくださり、ありがとうございました!

ところで、先生は、何か疑問に思っていらっしゃることはありますか?


そうですね、犬は人間の言葉をどこまで理解できているのかが気になります。

 

――犬ですか。


私の家には犬がいるのですが、歳をとってきて、最近は歩かずに寝てることが多くなりました。こっちが構って欲しくて、「散歩に行こう」とか「シャンプーしよう」とか言うと、ソーシャルディスタンスを取ろうとして、ソファの下に隠れてしまいます。どこまで人間の言葉をわかっているのでしょうか。結構理解している気がします。また、分からない言葉を使うと首をかしげますが、その反応は一般的なのでしょうか。興味深いです。

 

――犬と人間は長い付き合いですが、どこまでわかりあえているのかは気になりますね。
それでは、次回は「犬は人間の言葉をどこまで理解できているの?」を専門家の方にお聞きしてみます。

 

(つづく)

最新の知見と医療現場のリアルが集結。日本循環器学会学術集会をオンラインで聴講してみた。

2020年8月25日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

専門の研究に携わっている人以外はなかなか参加する機会のない「学会」。どんなことが行われているのか気にならないだろうか? そこで、専門知識を持たない一般人が学会に潜入して、難しい内容はさておきその雰囲気だけでもお伝えしようというのが今回の企画。

 

潜入したのは医学系の学会のひとつ、日本循環器学会。2020年7月27日から8月2日までの一週間、オンラインで開催された「第84回日本循環器学会学術集会(JCS 2020)」の様子をレポートする。門外漢には縁遠く思える学会だが、聴講してみると身近な医療の「今」が見えてきた。

 

※ほとぜろでは、第84回日本循環器学会学術集会の一般公開プログラム「人生100年時代の健康長寿」の登壇者へのインタビューを行いました。こちらも是非ご覧ください。

日本循環器学会はこんな学会

日本循環器学会について調べてみると、会員数なんと27,000名を超える日本有数の学会組織だという。そのうち循環器専門医が15,000名というから、最前線で診療を行っている現場のお医者さんが多数を占める学会ということがわかる。

 

第84回日本循環器学会学術集会は2020年3月に開催が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で今回の日程に延期、加えて、全プログラムをWeb会議システム「Zoom」を用いてのオンライン開催にするという異例の対応がとられている。今回の大会会長を務める京都大学の木村剛先生によると、「2年以上かけて準備してきましたが、コロナの影響で開催が危ぶまれました。しかしコロナ以前の観念に縛られずに新しいパラダイムを構築する必要があると感じ、全面オンラインでの開催に踏み切りました」とのこと。かつてないほどに医療と健康に注目が集まる今、学術集会ではどんな議論が交わされるのだろうか?

 

そもそも、門外漢の一般人が聴講してついていけるものなのか、せめて何か掴めるといいな、と思いつつ、当日を迎えた。

期待感が高まるオープニングセレモニー

学会初日の7月27日。学術集会の公式ページの日程表からオープニングセレモニーを選択してアクセスする。時間になると、司会の方のアナウンスとともに京都大学交響楽団とサンドアート集団「SILT」によるパフォーマンスが始まる。なかなかに華々しい開幕だ。

セレモニーは華やかなパフォーマンスからはじまった

セレモニーは華やかなパフォーマンスからはじまった

 

つづいて京都の妙心寺退蔵院住職・松山大耕氏がビデオ出演し、古代の感染症からスティーブ・ジョブズの思想まで幅広く言及しながら新型コロナ時代の今、私たちが出来ることは何かを語った。

 

そののち、木村剛先生が登壇してこの学術集会が掲げるテーマを3つの要点で説明。簡単にまとめると……

・これまでの欧米基準のデータに基づくガイドラインを見直し、日本独自のデータを使って診療を変えていこう。

・治療方法のメリット・デメリットを開示して、個々の症状や患者さんの意思に配慮して治療方針を決める「Shared Decision Making」を推進しよう。

・仲間内だけの情報交換にとどまらず、広く情報を発信するとともに外部の知見も取り入れて持続可能な診療体制を作っていこう。

 

実際はもう少し難しい言葉で説明されていたが、どれも感覚としては理解しやすいテーマだ。よく覚えておこう。

JCS 2020のテーマを説明する木村先生

JCS 2020のテーマを説明する木村先生

 

最後は、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥先生と、COVID-19クラスター対策班としてメディアでもおなじみの北海道大学(現在は京都大学)教授の西浦博先生による記念対談。事前収録されたこの対談の模様は、先行してYouTubeで公開されて話題になった。冷静で多角的な現状分析は心強く感じられた。

患者に向き合う医療をめざす、2型糖尿病治療

公式サイトの日程表には連日さまざまなセッション(ひとつのテーマについて数名が発表するプログラムの単位)がズラリと並んでいて、それぞれライブ視聴、あるいは後日オンデマンド配信で視聴することができる(一部の公開プログラムを除き、事前に発行されたIDが必要)。

 

日程表からはじめに選んだのは、「2型糖尿病治療のパラダイムシフト:HbA1c至上主義からの離脱」というセッション。動脈硬化や心筋梗塞といった循環器病とも関わりが深い糖尿病だが、これまで重視されてきたHbA1c(血中の糖化ヘモグロビンの割合)のコントロールをめざす治療だけでは問題があるという。筋書きとしては取っ付きやすそうなので、視聴してみよう。

 

司会の先生の挨拶の後、パワーポイントを画面共有する形で発表がスタート。ちなみに、質問はZoomのチャットのような機能で投稿することができる。それを司会の先生が拾って発表者に投げかける。これは挙手よりもハードルが低くていいかもしれない。

「こんな時、あなたならどうする?」という5択のアンケート。聴講者が回答した結果がすぐに表示される。こうしたやりとりもオンラインならではで面白い

「こんな時、あなたならどうする?」という5択のアンケート。聴講者が回答した結果がすぐに表示される。こうしたやりとりもオンラインならではで面白い

 

肝心の発表内容は、当たり前のことだが専門用語が飛び交ううえに、スライドはほぼ全て英語。今回はメキシコからの発表者もいて、その方は喋り言葉も英語ではないか。こうなると理解どころではない。どうしよう、という気持ちとやっぱりね、という気持ちが半々だが、発表が進むごとになんとなくわかってくることもある。5名の発表を合わせてひとつのストーリーになるようにうまく構成されているのだ。ざっくりまとめると、

 

事例紹介① → 事例紹介② → これまでの診療の問題点を整理 → それに代わる視点の提示 → 現状に即した診療方法のポイントを整理

 

という感じ。ひとつひとつの専門用語がわからなくても、大きな流れが掴めると意外とついていけているような気分になる。

 

門外漢なりに理解した論旨としては、「2型糖尿病は、HbA1cを下げることばかりに偏重するといろいろなリスクがあるよ。血圧やコレステロール値などにもトータルに気を配って、何より患者さんのQOLを損ねないように話し合いながら長い目で取り組んでいく必要があるよ」ということ。3番目に発表された京都大学医学部付属病院の小笹寧子先生のおっしゃった「先生方は、モニターに表示される数字ばかりをみていませんか? 目の前の患者さんに向き合いましょう」という言葉が印象的だった。

 

そうか、医学系の学会というのは学術的な研究発表の場であると同時に、お医者さんが診療について意見交換し、勉強する場でもあるのだ。

新型コロナウイルス下の医療現場から

もうひとつ聴講したのは、「新型コロナウィルスパンデミックに循環器内科医として立ち向かう」と題されたセッション。新型コロナウイルス感染症といえば肺炎が取り上げられるが、実は急性心筋梗塞をはじめ循環器系の深刻な症状も引き起こす。Zoomでの発表を視聴するのに慣れてきたのと、日頃ニュースで接するコロナの予備知識も少し手伝って、先ほどよりも詳しい内容が頭に入ってきた。

 

こちらのセッションは、まず感染症専門の先生から日頃の診療での感染拡大防止についての提言があり、次に医療現場で実際に行われている感染対策や抱えている課題の共有、急性心筋梗塞の治療とコロナ対策、最後に新型コロナウイルス感染症それ自体の病態についての分析という構成。感染拡大防止と従来の医療の質の確保、地域医療の維持など、現場が抱える課題は山積だ。

 

興味深かったのは最後の、岐阜市民病院の西垣和彦先生の発表。早い時期から新型コロナ関係の研究論文を読み漁りSNSを活用して勉強会も行ってきた西垣先生は、「コロナの病態の本質はウイルスが凝固線溶系を過剰に刺激することによって起こる『血栓』だ」と指摘。心臓や血管を専門とする循環器内科だからこそ知っておくべきとして、最新の論文を勉強し、臨床に活かしていく必要性を訴えた。

 

セッションの前半で感染拡大防止で大変な現場の状況を聞いた直後だったので、日常での診療、感染防止に加えてさらに論文を読んで勉強となると、本当に休む暇もないのではないかと心配になる。だからこそ、こうした場で知見を共有することが大切なのだろう。

西垣先生のスライドにはときどき岐阜の名所が差し挟まれる。マスクしよう!

西垣先生のスライドにはときどき岐阜の名所が差し挟まれる。マスクしよう!

明日の医療をつくる、アクティブな学会

以上、今回は第82回日本循環器学会学術集会のオープニングレセプションと2つのセッションを聴講してみたわけだが、想像以上に医療現場のリアルな課題や努力を垣間見ることができた貴重な体験だった。こうした医療の内幕を一般人がすべて知っている必要はないのかもしれないけど、いつ誰が当事者になるかわからないのが医療の問題。どんな議論がなされているのか知っておくに越したことはないだろう。

学会というとどうしても堅苦しいイメージがあったが、聴講してみると実はとてもアクティブな場であることがわかった。これから学会のオンライン化がますます進みそうなので、いろいろな学会に注目してみると面白いのではないだろうか。

古生物学×『ジュラシック・パーク』:恐竜研究者に聞いた、学説で見る恐竜映画の楽しみ方

2020年8月13日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

映画や小説、アニメ、漫画…サブカルの世界を学問の視点で掘り下げるシリーズ第2弾。

今回は、現代に蘇った恐竜が大騒動を巻き起こすSF映画の金字塔『ジュラシック・パーク』の楽しみ方を、古生物学の研究者に聞いてみた。

恐竜のイメージを刷新した傑作! 

1993年公開の『ジュラシック・パーク』。スティーブン・スピルバーグがメガホンを取り、生命の力強さを描き出した不朽の名作だ。シリーズ化され、2021年に最新の第6作の公開を控えているが、その原点が本作である。簡単にあらすじをおさらいしておこう。

 

恐竜を研究する古生物学者のグラントは、発掘調査のスポンサーである実業家ハモンドに招かれ、二人の学者とともに南米コスタリカ沖のヌブラル島を訪れる。そこは、遺伝子技術によって蘇った恐竜たちが闊歩するテーマパーク「ジュラシック・パーク」だった。ハモンドの孫である2人の子供たちも加わり、生き生きと動きまわる恐竜たちに目を見張る一行だったが、恐竜の胚の略奪を目論むライバル会社の陰謀によってパークのセーフティシステムがダウン。獰猛な肉食恐竜たちが待ち受けるパークで恐怖のサバイバルに巻き込まれてゆく。

 

この映画の魅力は何と言っても、特殊撮影技術と最新のCGを駆使して“リアル”に描かれた恐竜たちの姿だ。しかし、公開から30年近くが経過し、その間に恐竜の姿や生態についてはどんどん新発見や新説が発表され、恐竜は羽毛に覆われていた、なんて話も耳にする。

 

ここで、福井県立大学恐竜学研究所の柴田正輝先生にご登場いただこう。ズバリ、恐竜研究者は『ジュラシック・パーク』のことをどんな風に見ているんですか?

 

「『ジュラシック・パーク』公開当時、私は大学に入学する前後の年齢でしたが、それまでの恐竜のイメージを一気に刷新した衝撃的な映画だったことを覚えています。それまで一般的な恐竜のイメージといえば、巨大なトカゲであったり、あるいはゴジラのように直立してノシノシ歩く怪獣であったりといったイメージが主流でした。『ジュラシック・パーク』によって、実は恐竜は俊敏に動くことができ、頭も賢く、現代の生物と変わらないような生活をしていたということが映像として広く一般の方にも広まりました」

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インターネットも普及していない時代、専門書でしか触れられなかったような当時の最新の恐竜像を一般の人にも広めたという意味で、映画の力は大きかったようだ。でも、専門家としては映画の中での不正確な描写が気になったりしてしまうのでは?

 

「もちろん誇張された演出もありますが、大枠ではきちんと研究者の監修のもとで当時の最新の学説を取り入れているので、特にシリーズ1作目の本作に関しては研究者の間でも高く評価されていると言っていいと思いますね」

 

そう聞いて、本作のファンとして少しホッとした。それでは、一体どんなところに当時の最新の研究成果が描かれていたのだろうか?

鳥の賢さは恐竜ゆずり? 当時最新の学説で描かれた恐竜の姿 

『ジュラシック・パーク』で特に印象的なのは、恐竜の賢さだ。ヴェロキラプトルという肉食恐竜がやすやすと人間の施設に侵入し、群れで狩りを行うシーンは子供心にちょっとしたトラウマになっている。恐竜は知能が高かったというのも、当時の研究成果として分かっていたことなのだろうか?

 

「恐竜の生態を考える際に、現生の生物が参考になります。従来、恐竜は爬虫類と近縁だと考えられていましたが、研究によってむしろ鳥類に近かったということがわかっています。なので、現在の鳥にできることは恐竜もできたのではないか、と考えられるわけです。ヴェロキラプトルの属するドロマエオサウルス類は特に鳥に近く、身体のわりに脳が大きかったことが化石からもわかっています」

 

なるほど、現在の鳥類だとカラスの知能の高さなどはよく知られている。そういえば、映画の中でも主人公のグラント博士は「恐竜は鳥の祖先なんだ」ということを言ってまわりを驚かせていた。

 

「恐竜が鳥に進化したということは今でこそ一般によく知られていますが、80年代に盛んに議論された、当時としては新しい学説でした。羽毛の生えた恐竜の化石が発見されたのが1995年なので、映画はちょうどこの説が立証されていく過渡期のタイミングですね。ヴェロキラプトルをはじめとする小型の獣脚類は、現在の研究では全身が羽毛に覆われていたと考えられています。1993年の時点では羽毛のなかったヴェロキラプトルも、2015年の続編『ジュラシック・ワールド』ではさすがに羽毛姿で描かれるかと期待しましたが、最初の設定をそのまま引き継いだ姿になっていましたね」

シリーズを通して活躍する人気恐竜ヴェロキラプトルは、実際はもっと小型で全身が羽毛に覆われていたと考えられている

シリーズを通して活躍する人気恐竜ヴェロキラプトルは、実際はもっと小型で全身が羽毛に覆われていたと考えられている

 

当時最新の学説が今では当たり前になって、さらに新しい事実がわかってきているというわけだ。最近ではティラノサウルスにも羽毛が生えていたという説も聞くが、そうするとパークのラスボス的存在であるティラノサウルスのイメージがだいぶ変わってしまうような……。

 

「現在の研究では、恐竜は恒温動物で、体温を一定に保つために羽毛を発達させたと考えられています。ただ、ティラノサウルスのように身体が大きいと、保温よりもむしろ熱を逃がす方が重要になります。ゾウにあまり毛が生えていない理屈と同じですね。また、近年になってティラノサウルスの皮膚の化石も見つかっていて、そこには羽毛の痕跡は見られませんでした。これらのことから、少なくとも成長したティラノサウルスには羽毛は生えていなかったか、生えていたとしても痕跡程度のものだったと考えられます。なので、ティラノサウルスは映画で描かれている姿に近かったかもしれません」

一時期は羽毛に覆われたティラノサウルスの復元図が流行したが、その後、2015年に鱗に覆われた皮膚の化石が見つかっている

一時期は羽毛に覆われたティラノサウルスの復元図が流行したが、その後、2015年に鱗に覆われた皮膚の化石が見つかっている

 

ちなみに、劇中でも恐竜は恒温動物として描かれているが、これも当時としては新しい学説だったという。それまではワニやトカゲのような変温動物とする考え方もあったのだ。代謝率の大きい恒温動物だからこそ、長時間走り続けたり、活動的に動きまわることができたと考えられている。

もし恐竜が変温動物だったら、もう少し地味な映画になっていたかもしれない

もし恐竜が変温動物だったら、もう少し地味な映画になっていたかもしれない

 

「気になる描写は他にもいろいろとあるのですが、そもそも恐竜の姿や生態は科学的に確かな証拠があること以外は仮説に過ぎませんから、作り手の裁量で補う余地が大きい題材なんです。たとえば恐竜の皮膚の色や鳴き声などは、科学的にある程度の推測はできるものの、実際に確認することはできないので、映画でどんなふうに表現しても嘘にはなりません。そんな中でどの仮説を採用するのか、あるいはフィクションとして大胆に演出してしまうのかというところも見所ですね」

 

科学的な研究成果を踏まえつつ、最終的にはクリエイターの自由な想像力で作られたもの。そう割り切った上で、映画の中の間違い探しを楽しんでみるのもいいかもしれない。

恐竜を蘇らせることは可能か?

次は誰もが気になる疑問について聞いてみたい。映画では中生代の琥珀(化石化した天然樹脂)の中に閉じ込められた蚊から恐竜の遺伝子を取り出し、クローン技術で恐竜を再生させていたが、実際にそんなことは可能なのだろうか? 

 

「近年は恐竜の化石から骨格だけでなくタンパク質が見つかったり、琥珀の中から恐竜の尻尾が見つかったこともあります。しかし、タンパク質の構造が残っていたとしても、何千万年も前の遺伝子は壊れてしまっているため、現在の技術では恐竜の遺伝情報を復元することは不可能ですね。ただし、科学技術が進めば可能性はゼロではないと思います。

 

それとは別のアプローチで恐竜の再生に挑戦した例もあります。それは、鳥を先祖返りさせるという方法。ニワトリの遺伝子を操作することで、恐竜に近い形質を復元しようとするものです。こうした研究は進化の過程を知るのには役立ちますが、本物の恐竜の遺伝子情報がわからない限りは、恐竜そのものを復活させる研究とは言えないでしょうね」

 

そんな発想があったとは! それではもし仮に、どうにかして未来の技術で恐竜が蘇ったとすると、柴田先生はどんなパークに行ってみたいですか?

 

「恐竜が蘇ってしまったら我々の仕事がなくなってしまうので、それは勘弁してほしいですが(笑)、私が研究している福井の恐竜を実際に見てみたいですね。福井の恐竜は1億2000万年ほど前、アジアで恐竜が多様化した時期のものです。その後、アジアの恐竜が北米に渡って、ティラノサウルスやトリケラトプスといったお馴染みの恐竜に進化したんです。福井で発見された5種類の恐竜は、見た目こそ派手ではありませんが、恐竜の進化の過程を解き明かす上ではとても重要な存在なんですよ」

ジュラシック・パークを体感したいなら、恐竜王国・福井に足を運んでみよう。福井駅前にある、柴田先生も発見に携わった「フクイティタン」のロボット。「実際にはこんなに首は上がらなかったはずですが、大きく見せるための『演出』です(笑)」

ジュラシック・パークを体感したいなら、恐竜王国・福井に足を運んでみよう。福井駅前にある、柴田先生も発見に携わった「フクイティタン」のロボット。「実際にはこんなに首は上がらなかったはずですが、大きく見せるための『演出』です(笑)」

ロマン溢れる古生物学の魅力

映像やセリフのあちこちに恐竜研究の成果がちりばめられた『ジュラシック・パーク』。実際に映画をきっかけにして古生物学の道に進んだという人も多いのではないだろうか。

 

「世界的な恐竜研究者の中にも、ゴジラに影響を受けたという人は何人かいらっしゃいますね。これからの若い研究者ならば『ジュラシック・パーク』に影響を受けているかもしれません。恐竜だけではなく、古生物学者という職業についても描かれていますしね。発掘には予算が必要なので、スポンサーの頼みをしぶしぶ受けてしまうという設定もリアルだと思いました(笑)」

 

そんなところまでリアルだったとは……! では、古生物学を研究することの魅力はどんなところにあるのだろう?

 

「古生物学というのは、ひとつひとつ確実な証拠を積み重ねて仮説を立てていく探偵のような仕事です。生きている恐竜を見ることができないので、今日お話ししたことも大部分は仮説にすぎません。新たな証拠が見つかれば仮説は簡単に覆ってしまうこともあり、そんな大発見に立ち会えるかもしれないところが魅力のひとつです。

 

もうひとつは、現場で化石や地質を見るだけで、何千万年、何億年前の環境や生物を頭の中で思い描けてしまうことですね。他の研究者と地層を見ながら『ここは川がこう流れて、こんな植物があって……』と議論できるのはとても楽しいです」

 

古生物学者には地層が『ジュラシック・パーク』に見えているのか! 羨ましい……。

内モンゴルの発掘現場で、プロトケラトプスの頭骨を持つ柴田先生。

内モンゴルの発掘現場で、プロトケラトプスの頭骨を持つ柴田先生。

最先端の映画は、科学の進歩を記すマイルストーン

仮説が日々塗り替えられていく古生物学の世界。30年前に当時の最先端を描いた『ジュラシック・パーク』は、そこから現代の恐竜研究がどれだけ進歩したかというマイルストーンとして見ることができるわけだ。

 

最後に、先生にとっての『ジュラシック・パーク』の楽しみ方とは?

 

「頭の中で描いていた恐竜の姿を映像で再確認することは、研究者にとっても良い刺激になります。ですが、研究に役立てようと思いながら観ているわけでもありません。この描写はあの学説をもとにしているな、とか、この登場人物はあの研究者をモデルにしているな、とか、今回はどんな恐竜が出てくるのかな、とか、現在の学説と食い違うところも含めてそんな見方で楽しんでいますね。古生物学を学べば、『ジュラシック・パーク』に限らず、それより古い恐竜映画ももっともっと楽しく観れるようになりますよ」

銀河に満ちる「ダークマター」を探していたら、未知の素粒子を発見か!? 科学ニュースを神戸大学の先生に聞いてみた。

2020年8月11日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

2020年6月17日、ダークマターの探索実験で未知の素粒子「太陽アクシオン」発見か!? というニュースが駆け巡った。発表したのは「XENON1T(ゼノン1トン)」という装置でダークマターの探索実験を行う国際共同実験グループ(東京大学、名古屋大学、神戸大学が参加する、米国・ヨーロッパ・日本を中心としたグループ)。物理学に詳しくなくても、素粒子といえば「カミオカンデ」でニュートリノを観測した小柴昌俊さん、ニュートリノに質量があることを証明した梶田隆章さんなど、歴代のノーベル物理学賞受賞者を思い浮かべる方は多いのではないだろうか。

 

ノーベル賞につながるかもしれない大ニュースだが、どれだけスゴいことなのだろうか。そもそもダークマターって?

 

XENON実験に参加している神戸大学の身内賢太朗先生にお話を伺うと、極小の現象から宇宙の謎に迫る科学の最先端が見えてきた。

見えない宇宙の重さをはかる

「ダークマター」、あるいは「暗黒物質」。無性にワクワクする言葉の響きだが、宇宙の成り立ちに関わる超重要な、そして正体不明の物質なのだという。

 

「ダークマターは、宇宙全体の質量の5分の2を占める未知の物質です。存在することだけは知られていますが、直接観測されたことはなく、その正体は謎に包まれているんです。現代の科学が抱える最大の謎のひとつと言っていいでしょう」

 

と身内先生。観測できないものが、どうして存在するとわかるのだろうか?

 

「ハンマー投げの選手を思い浮かべてください。重い鉄球を遠くまで投げようとすると、当然速く回転する必要があり、選手も強い力で鉄球を引っ張らないといけませんよね。このように、質量を持った物体同士が万有引力で引き合いながら回転運動をするとき、その速度は互いの物体の質量によって決まります。こんなふうにして、地球の公転周期と公転半径から、太陽の質量を求めることができます。

 

同じように、私たちの銀河系について考えてみましょう。銀河には約1000億個の恒星が存在するので、銀河全体の重さは太陽の約1000億倍というふうに、ある程度計算で求めることができます。銀河の中心部は星が密集していて、外側にいくにつれて疎らになっていく(つまり、中心部が重く、辺縁部が軽い)ので、先ほどの例で考えると銀河の中心に近いほど回転速度が速く、外側にいくに従って遅くなると仮定できます。しかし、天文学者が実際に回転速度を観測してみると、銀河の外側でも回転速度はほとんど変わりませんでした。この仮定と実際に観測で得られた速度の差にあたる分、銀河には質量を持った目に見えない物体が満たされていると考えられます。この物体こそが、ダークマターなのです! 」

回転曲線

銀河の回転曲線観測の概念図。

 

「ダークマターは宇宙空間をあらゆる方向に自由に飛び回りながら、銀河全体をスッポリ包み込むようにして分布しています。その質量によって、銀河系がバラバラにならないようにつなぎとめる、砲丸投げのチェーンのような役割を果たしています」

銀河を取り囲むように分布するダークマターのイメージ(紫色)。ダークマターハローと呼ばれる(ハローhaloは太陽や月にかかる暈や、天使の後光などの意味)

銀河を取り囲むように分布するダークマターのイメージ(紫色)。ダークマターハローと呼ばれる(ハローhaloは太陽や月にかかる暈や、天使の後光などの意味)

 

目には見えないのに、銀河の重さとしてたしかに存在するダークマター。それをなんとか観測しようとしているのが身内先生であり、XENON実験なのだ。それでは、ダークマターを研究すると、一体どんなことがわかるのだろう。

 

「ダークマターは宇宙の歴史に深く関わっています。宇宙が進化する中で、ダークマターが濃く分布するところに銀河や星が生まれたと考えられているからです。ダークマターから星の材料になるような通常の物質が生まれたのか、あるいはその逆かはわかりませんが、ダークマターと通常の物質の間に何らかの相互作用があったと考えられるでしょう。その正体がわかれば、ビッグバン以降、宇宙がどのように進化してきたのかを明らかにする重要な材料になります」

 

なんと、ダークマターは宇宙の歴史を紐解く鍵だったのか。現在、その正体にどこまで迫れているのだろうか?

 

「現在のところ、ダークマターは未知の素粒子だと考えられています。その質量と、通常の物質との反応の仕方がわかれば、ダークマターの正体を突き止めたと言えるでしょう。

素粒子物理学の世界には1970年代に提唱された標準理論という理論体系があるのですが、ダークマターが未知の素粒子だとすれば、この標準理論が大きく塗り替えられることになります。現在は理論物理学者たちによって新たな理論が模索され、ダークマターの候補となる新たな素粒子についてもいくつもの仮説が立てられています」

 

宇宙の歴史から突然、素粒子の世界にクローズアップ。話のスケール感にクラクラしてきた。極大の世界と極小の世界がつながるのが物理学の最先端であり、その「わけのわからなさ」が身内先生がダークマター研究に惹かれる理由なのだそうだ。

銀河団(10の24乗メートル)からダークマター(10のマイナス24乗メートル)まで、物理学で扱う守備範囲はなんと50桁!

銀河団(10の24乗メートル)からダークマター(10のマイナス24乗メートル)まで、物理学で扱う守備範囲はなんと約50桁!

 

「地球や太陽は銀河の中を一方向に秒速200kmで進んでいますが、ダークマターも同じぐらいの速度で銀河の中をいろいろな方向に飛び回っていると考えられています。私たちの地球は、大雨の中で自転車をこぐみたいに、飛び交うダークマターの中を進んでいるんです。手のひらを広げると、毎秒10の5乗個ものダークマターが降り注いでいる計算になります。また、地球の公転方向や太陽系が銀河系の中を進む方向との関係で、降り注ぐダークマターは6月はやや多く、12月はやや少なくなる季節変動があると言われています」

 

ダークマターは今も地球に降り注いで、私たちの身体をすり抜けているのだ! 季節によって量が変動するという点も、意外と身近な存在に感じられる。俳句に詠むなら夏の季語になるのだろうか。

 

しかし、目にも見えず、触れることもできないものを一体どうやって観測するのだろう?

 

「ダークマターはとても小さいので大抵のものはすり抜けてしまいますが、通常の物質とぶつかることでビリヤードのように原子核を撥ねとばすことがあるはずです。この現象を観測するのが、XENON実験をはじめとした直接探索のねらいです」

ダークマターを見つける3つの方法

ダークマターの探索は、大きく3つの手法で行われているという。

 

「ひとつは『直接探索』、XENON実験のように、通常の物質にぶつかった際の現象を観測する方法です。続いて『間接探索』、これは銀河の中心などダークマターが密集している場所でダークマター同士が衝突して対消滅する際に発生する信号を観測しようとするもので、国際宇宙ステーションなどで行われています。最後に『加速器実験』。通常の物質同士を衝突させることで、ダークマターを生み出そうとするもので、スイスとフランスの国境地帯に跨る世界最大の加速器CERNなどで行われています。3つの手法で質量と物質との相互作用を明らかにしようというのが、ダークマター探索の全貌です」

 

 

どれもダークマターと通常の物質の相互作用に着目して、見えない相手を追い詰めようとしているわけだ。では、直接探索にあたる XENON実験は、具体的にはどんな方法を使っているのだろうか?

 

「XENON1Tは、樽のような容器の中に超高純度の液体キセノンを1トン満たした装置です。そこら中を飛び交っているダークマターがたまたまキセノンの原子核に当たって撥ねとばすと、ごくわずかな光を出します。これを超高精度の光センサー(光電子増倍管)で観測するのです。液体キセノンを使うのは、ダークマターの『的』となる原子核が大きく、かつ取り扱いやすいため。粒子同士の衝突で生じる現象を検出するという大まかな原理はニュートリノを観測するスーパーカミオカンデと似ていますが、XENON1Tはスーパーカミオカンデの1000分の1のエネルギーの反応でも捉えることができる感度を備えています。

 

実験は2016年から2018年までの2年間、イタリアのサングラッソ国立研究所の地下で行われました。その結果を精査してまとめたのが、みなさんがニュースでご覧になった発表です」

液体キセノン検出器の検出原理。ダークマターがキセノンの原子核を跳ね飛ばしたときに発生する微弱な光を、光電子増倍管でキャッチする

液体キセノン検出器の検出原理。ダークマターがキセノンの原子核を跳ね飛ばしたときに発生する微弱な光を、光電子増倍管でキャッチする

世紀の新発見か!? 導き出された3つの可能性

それではいよいよ、今回の実験の結果についてお聞きしてみよう。

 

「XENON1T装置では、ターゲットであるダークマターの他に、もともと検出器の中に含まれる放射性同位体など、既知の要因で引き起こされる現象が観測されることが予測されていました。しかし、実際に実験結果を見てみると、事前の予測を上回る量の『過剰な』事象が検出されたのです。この時点ではさまざまな要因が考えられますから、チームではそれらの可能性をひとつひとつ検証して潰していきました。結果として、今回『超過』として記録された反応の正体を3つの可能性に絞り込むことができました。

 

ひとつめは、液体キセノン中に含まれていた水素の放射性同位体、トリチウムの崩壊を検出した可能性です。トリチウムは自然界に存在する物質のため、この場合は大きな発見とは言えません。ただ、次の実験に活かせる貴重なデータとは言えるでしょう。

 

次に、未知の素粒子『太陽アクシオン』である可能性です。アクシオンは、標準理論を補完してより完全な理論を説明できる、パズルのピースのような素粒子として存在が予言されていました。実は、ダークマターの有力候補の一つでもあります。ただし、今回可能性が疑われているのは太陽で生成される『太陽アクシオン』という種類のもので、ダークマター候補とは異なります。それでも、もし太陽アクシオンならば最新の物理学を塗り替える大発見ですし、別種のアクシオンとしてダークマターが存在する可能性を示唆する非常にエキサイティングな結果になります。

 

最後の容疑者は、ニュートリノです。ニュートリノ自体はすでに知られている素粒子ですが、スーパーカミオカンデでも検出できないような微弱な反応を捉えることのできる検出器が、ニュートリノの新しい性質を捉えたのではないかという可能性が考えられます。

 

今回はダークマターの検出ではありませんが、太陽アクシオン、もしくはニュートリノの新しい性質が確認された場合、まさに世紀の大発見となるでしょう!」

XENON実験とダークマター探索のこれから

今回3つに絞られた可能性は、今後どのように検証されていくのだろうか? 実は、もうすでに次の実験の準備が着々と進められているという。

 

「引き続いて今年から開始するXENONnT(ゼノンNトン)装置による実験の準備を進めています。次は液体キセノンを4トンに増やして、より高精度の探索を行います。この実験で、先ほど挙げた3通りの可能性から真犯人を突き止め、さらに本命であるダークマターの検出を目指しています。

 

ダークマター探索は、装置の大型化によって年々精度が上がってきている状況で、先ほど少し触れた季節変動によってダークマターを特定しようとする実験が進められています。私はそれだけでは不十分だと考えていて、『NEWAGE実験』を立ち上げて研究を続けてきました。ダークマターが飛んできた方向を観測することで、より突っ込んだダークマターの性質を明らかにすることをめざしています。

 

実験装置が海外にあるXENON実験ではコロナの影響を受けて歯がゆい思いもしましたが、ダークマターの発見、そして詳しい性質の解明に向けて日々着実に歩みを進めています」

NEWAGE実験の写真

NEWAGE実験の検出器と身内先生

 

途方もなく大きな宇宙や銀河と、極小の素粒子。私たちを取り囲む謎と不思議に満ちた世界の一端を覗かせてもらった。いつか近い未来に「ダークマター発見!」のニュースが世界を駆け巡ることを期待しつつ、手のひらを広げて今も通り過ぎてゆくダークマターに思いを馳せてみてはいかがだろうか。

 

食用コオロギが地球を救う!? ベンチャーを立ち上げた徳島大学の先生たちに聞いてみた。

2020年7月30日 / 大学発商品を追え!, 大学の知をのぞく

先日、無印良品から発売されて話題沸騰の「コオロギせんべい」。食用コオロギをパウダー状にして練りこんだという、それだけ聞くとかなり新感覚のおやつだ。

 

パッケージの説明によると、「これからの地球のことを考えて、コオロギのパウダー入りのせんべいを作りました」とのこと。一体どういうことなのか? コオロギせんべいに使われているコオロギパウダーを開発した徳島大学へ取材すると、未来の食卓の風景を変えるかもしれない食用コオロギの“今”が見えてきた。

 

コオロギせんべいはどんな味?

ネット先行発売直後から大反響を呼び、品薄状態が続いているコオロギせんべい。ほとぜろ編集部でも購入してさっそく試食してみた。香ばしい風味はえびせんを思わせるが、ややあっさりした上品な後味。コオロギせんべいという字面のインパクトとは裏腹に、おやつに出てきても何の違和感もない美味しいおせんべいだ。

「コオロギせんべい」は無印良品からネット限定で発売。好評のため品薄が続いている。

「コオロギせんべい」は無印良品からネット限定で発売。大好評のため品薄が続いている(2020年7月7日現在)。

えびせんのような旨味もありつつ、さっぱりしていて腹持ちがいい。3時のおやつにぴったりだ

えびせんのような旨味もありつつ、さっぱりしていて腹持ちがいい。3時のおやつにぴったりだ

 

コオロギせんべいに練りこまれている褐色の粉が、食用コオロギを丸ごと乾燥させたパウダーだ。一袋55gに約30匹分ものコオロギパウダーが使われているという。せんべいを頬張りながら30匹のコオロギを想像すると、なんとも不思議な気分になる。しかも、この1枚に地球の未来を変えるほどの可能性が秘められているのだ。

 

ブームの火付け役は国連の報告書

徳島大学でコオロギを研究しながら、大学発ベンチャーの株式会社グリラスで食用コオロギの普及に取り組む三戸太郎先生(生物資源産業学部 准教授)、渡邉崇人先生(生物資源産業学部 助教)にお話を伺った。

 

「コオロギせんべいの開発は、無印良品の方からお声がかかったんです。無印良品がヘルシンキに出店した際に、現地でサステイナブルな食品としてコオロギが流行っているということを担当の方が聞きつけたそうで、国内で食用コオロギの養殖を行っている私たちにコンタクトを取ってくださいました」

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三戸太郎先生(左)と渡邉崇人先生(右)。

 

欧米では昆虫食文化が徐々に広がっていて、オーガニック食品を扱う店などでは食用昆虫が手に入るのだという。ブームのきっかけとなったのは2013年、国連食糧農業機構(FAO)が発表した、世界の食糧問題の解決策の一つとして昆虫食を推奨する報告書だ。

 

「コオロギは家畜の肉に匹敵するぐらいタンパク質が豊富なんです。味や見た目も昆虫の中では決して悪くないんですよ」と三戸先生は言う。牛などの家畜は飼育に大量の水を必要とし、温室効果ガスを発生させるなど、地球環境への負荷が大きいことが問題視されている。そこで、家畜に代わる環境負荷の少ないタンパク源として期待されているのが昆虫食だ。その中でもコオロギは大量生産に適していて、特に注目を集めている。まさしく、コオロギは地球を救う……かもしれないのだ。

 

「心の壁さえ突破できればですが……」と渡邉先生。たしかにブームが来ているとはいえ、やはりまだ世間的にはマイナーな存在で、昆虫を食べるということに抵抗のある人も多い。そういう意味でも、安心・安全、サステイナブルな取り組みで知られる無印良品からコオロギせんべいが発売されたことは、潮目を変える大きな一歩と言えそうだ。

記事冒頭の乾燥コオロギを粉末状にしたのが、こちらのコオロギパウダー。

乾燥コオロギ(記事冒頭写真)を粉末状にしたのが、こちらのコオロギパウダー。欧米諸国では健康意識の高い層を中心に食卓に取り入れられ始めている。

 

基礎研究から、食用コオロギのベンチャー企業へ

三戸先生、渡邉先生はもともと昆虫の発生などの基礎研究が専門だ。どういう経緯でベンチャーを立ち上げて食用コオロギの事業に取り組むことになったのだろうか?

 

きっかけは、徳島大学での学部の改組だったという。「もともとは工学部生物工学科の所属だったのですが、改組で生物資源産業学部に籍を置くことになりました。これを機に、基礎研究に加えて社会に還元できる応用的な研究も手がけていきたいと考えたんです」

 

コオロギは昆虫の中でも特に大量生産に向いていて、栄養価の点でも優秀な食糧になる。そのことはわかっていたが、食用コオロギの研究に周囲の反応はあまり良くなかった。

 

「昆虫を直接食べるのは心理的なハードルが高いから、コオロギを増やして養殖魚の餌にした方がいいという声もあったんです。ですがわざわざ増やしたものを一度魚に食べさせるとなると、ビジネスとしても資源としても非効率的であまりやる意味がありません。険しい道であることはわかっていましたが、敢えて直接食べられる食用コオロギの道を選びました」

フタホシコオロギ。目が白いのは突然変異による。

フタホシコオロギ。目が白いアルビノは自然界では低確率で発生する突然変異だが、アルビノ同士を掛け合わせることで養殖できる。

 

食用にするのは、奄美大島や沖縄に生息するフタホシコオロギ。もともと基礎研究にも使用していて、体が大きいのが特徴だ。その中でも、アルビノと呼ばれる目が白い系統は、そうでない系統よりも気性が穏やかで飼育時の匂いも少ない。特徴的な外見は安全性を担保するトレーサビリティの点でも有用だ。何より、食べてみて普通の色のコオロギよりも美味しいということがわかった。今回発売されたコオロギせんべいに使われているのも目が白いコオロギだ。

 

こうして2016年にコオロギの食用化に向けた研究が始まった。しかし、企業からの問い合わせは来るものの、なかなか産学連携事業として結実しない。それは、昆虫食の心理的なハードルの高さを物語っていた。渡邉先生はそこで諦めず、アメリカで食用コオロギを生産しているスタートアップ企業を視察。世界の流れは確実に動いていることを実感した。

 

そこで、食用化を自分たちの手で一歩進めるために2019年5月に立ち上げたのが、大学発ベンチャーとして食用コオロギを生産する株式会社グリラスだ。研究で培った品質管理と加工工程のノウハウで食品開発に携わるとともに、コオロギ生産のハブとして食用コオロギに参入を考えている企業に技術提供を行うことで食用コオロギの普及をめざしている。そんなところに、無印良品の「コオロギせんべい」の話が舞い込んできた。

 

ここ数年、日本国内でも昆虫食需要は徐々に注目されはじめていたが、「コオロギせんべい」で扉が一気に開いた。今後の課題は、産業として成り立つレベルの大量生産技術の確立だ。現在はコオロギの餌やりや水換えに人間の手が欠かせないが、生産量を増やしていくには機械化・自動化が必須だ。また、食品業界のフードロスを活用した飼育技術の確立もめざす。

フタホシコオロギを飼育している“グリラスファーム”。プラケースがぎっしり並ぶ。現状、餌やりや水替えは手作業で行っている。

フタホシコオロギを飼育している“グリラスファーム”。プラケースがぎっしり並ぶ

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現状、餌やりや水替えは手作業で行われている。生後30日あまりで出荷できる大きさに成長する

 

食用コオロギを当たり前の存在に

コオロギせんべいの次は、どんなコオロギ食品を口にすることができるのだろうか。

 

「今回はお菓子でしたが、嗜好品ではなく日常的な食事としても浸透していけると嬉しいですね」

 

欧米ではすでに小麦粉の代替としてコオロギパウダーが市販されており、健康志向が強い人に高タンパク食品として支持されているという。あらゆるものを食材にしてしまうイメージのある日本に先駆けて、欧米で昆虫食文化が広がっているのは少し意外な気もするが……。

 

「日本の食文化はもともと『食べてはいけないもの以外はなんでも食べる』という考え方、対して西洋では『食べていいと決められたもの以外は食べてはいけない』という考え方なのではないでしょうか。国連の報告書で昆虫食が推奨されたことをきっかけに、欧米の方が『食べていいもの』としてポジティブに昆虫食を選びとっているように思います」

 

コオロギせんべいでコオロギを食べることへのハードルが下がれば、次はパウダーではなくコオロギの形そのままを生かした食品も展開したいという。実は、コオロギせんべいも開発段階では「姿焼き」のようにコオロギをそのままの形でスナックにする構想があったが、昆虫を製造ラインに乗せることができる食品工場が見つからなかった。それも仕方のないことで、これまでの感覚なら虫は食品工場の大敵だ。パウダーなら、と引き受けてくれたのが今回のせんべいの工場だったという経緯だ。

 

そんなコオロギ本来の味は、「そら豆のフライに似ていて、パリパリ噛んでいるうちにエビのような旨味が広がってきます」。なんとも美味しそう、おつまみにもってこいだ……と素直に想像できてしまうあたり、コオロギせんべいを通して筆者とコオロギとの距離が縮まった証拠だろうか。

 

「現在はコオロギを使っているということ自体が話題になっている段階ですが、理想は食用コオロギが日常的な食習慣に定着することです。おやつ時に『えびせんとコオロギせん、どっち食べる?』というような会話が当たり前になるといいですね」

 

徳島発のコオロギが私たちの食卓を変える日は、そう遠くないかもしれない。

「ひねくれ」視点でカルチャーの扉を開く。立教大学発、フリーマガジン『Seel』編集部に聞いてみた。

2020年7月9日 / コラム, 学生たちが面白い, 大学を楽しもう

先日「フリペ専門店で聞く! 大学生が作る超個性的なフリーペーパーの魅力」という記事をお届けした。その中でも特にハイセンスで熱量の高い紙面で存在感を放っていたのが、立教大学の学生たちによるカルチャー系フリーマガジン『Seel』だ。ページを開いてみると泥臭いまでのカルチャー愛が溢れる本格的な内容で、大学生活に密着した「学生フリペ」のイメージをいい意味で覆された。

 

『Seel』を作っているのは一体どんな学生なのだろうか? 4月に刊行された最新の「Music meets…」特集号を手に、立教大学のSeel編集部にオンライン取材を敢行した。

 

ディープな視点でカルチャーを発信する『Seel』とは何者だ?

まず最初に言っておこう。大学生でも社会人でも、カルチャーを愛する人は『Seel』を手にとって是非読んでみてほしい。「現代短歌」をエモで切り取ったり、ニッチな「ZINE」カルチャーを熱っぽく語ったり、知るのがちょっと怖い「食」の秘密を掘り下げたりと、毎号ひとつのカルチャーをちょっと変わった視点で掘り下げている、フリーペーパーながら本格的なカルチャーマガジンだ。「THE DOOR TO CULTURE」というコンセプトどおり、1冊読めばそのジャンルで押さえておくべきトピックや面白がり方がわかり、もっと深く知りたくなるだろう。

 

配布場所は学内やイベント出展のみならず、都内を中心にした書店、カフェ、ギャラリー等に設置されている他、Seel編集部のサイトからバックナンバーの取り寄せにも対応している。

ポップでちょっとレトロな紙面が目を引く。一見しただけで熱量の高さが伝わってこないだろうか

ポップでちょっとレトロな紙面が目を引く。一見しただけでも熱量の高さが伝わってこないだろうか

 

そんな『Seel』を発行しているのは、立教大学のサークル「Seel編集部」。

今回、代表の高浦康佑さん、副代表・広報代表の小野塚暁世さん、営業代表の前田月さんにお話をお聞きした。

 


お話を聞いた人

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左から高浦さん、小野塚さん、前田さん。3人とも現代心理学部の3年生。


 

 

――まずは、Seel編集部がどんな団体なのか教えていただけますか?

 

高浦 立教大学に複数あるフリーペーパー制作団体のうちのひとつで、毎号「ひねくれた視点」でカルチャーを発信しているのが僕たちSeel編集部です。現在部員は30名。団体としては10年ほどの歴史があり、年3回発行している『Seel』は最新号で37号を数えます。

 

――『Seel』を発行するうえでのこだわりを教えていただけますか?

 

高浦 「THE DOOR TO CULTURE」というコンセプトを掲げていまして、読んだ方がそのカルチャーに興味をもつきっかけになることや、物事をおもしろおかしく捉える視点を知ってもらうことを意識しています。そして、紙で発行するということにもこだわっていますね。これは先輩から聞かされたことなのですが、修正が容易なwebとは違い、ずっと形に残ってしまう紙のメディアだからこそ、書いたことに責任が持てるのだと思っています。

 

――毎号5000部を発行している『Seel』、反響はいかがですか?

 

高浦 学内では最新号をチェックして読んでくれる人が多いのが嬉しいですね。僕たちは大学の名前を大きく出して活動しているわけではないのですが、学外のイベントに参加した際でも『Seel』を知っていて応援してくださる方がいらっしゃいます。これまで先輩方が築いてこられたクオリティや熱量が読者の方に伝わっているのを感じて誇らしい気持ちになります。


――毎号クオリティの高い発信を続けられる秘密は何なのでしょうか?

 

高浦 全員参加の制作体制でしょうか。部員はwebやイベント等で情報発信を行う広報・企業様と広告出稿の交渉をする営業・紙面のビジュアルを担うデザインの部署に分かれているのですが、紙面の制作には全部員が参加します。まず、全員がそれぞれ考え抜いた企画を持ち寄ってプレゼンし、その中から面白くて『Seel』らしいものを投票によって選びます。テーマが決まったら、編集部全体で企画内容をブラッシュアップして、コンテンツごとに班に分かれて紙面を制作しています。

 

――最初のテーマ選びから紙面の制作まで、部員さん全員が関わって作っておられるのですね。内容の充実ぶりも納得です!

 

「音楽×人生」。最新号はこうして生まれた!

――続いて、最新号「Music meets…」の見どころをお聞きしたいと思います。この号では「音楽×人生」をキーワードに、日常の中での音楽の聴き方や、お気に入りの音楽との出会い方などが取り上げられています。誰もが共感したり日常に取り入れたりできる身近なテーマだと思いました。
この企画を発案されたのは小野塚さんとのことですが、どうして音楽というテーマに挑戦しようと思ったのですか?

 

小野塚 私自身がバンド活動をしていることもあって、音楽は一度扱ってみたいテーマでした。そこで大切になるのが、広大な音楽の世界をどういう切り口で見せるかということです。今回は音楽を聴く側の視点に絞って、「音楽×人生」という切り口で企画を提案しました。大きなテーマなので覚悟は要りましたね。企画段階で内容についてもかなり作りこんでいました。

「人によって趣向や捉え方が全然違うテーマなので、提案には覚悟が要った」と小野塚さん

「人によって趣向や捉え方が全然違うテーマなので、提案には覚悟が要った」と小野塚さん

 

――企画発案者として、小野塚さんが特にこだわったコンテンツはありますか?

 

小野塚 どのコンテンツもものすごく苦労して作ったので選ぶのが難しいのですが、敢えて「前書き・後書き」ページを推したいです。ここは「音楽×人生」というコンセプトを象徴的に伝える大切なページなんです。前書きは「人生は音楽だ。」とありますが、音楽編集ソフトの画面のデザインで、人生のストーリーの積み重ねをひとつの音楽に例えています。後書きは逆に「音楽は人生だ。」というコピーで、スマホのプレイリストを写しています。一曲目が『世界の始まる日』、次に『mama』……もうお分かりでしょうか。

 

「音楽×人生」というテーマをビジュアルで伝える前書きと後書き。

「音楽×人生」というテーマをビジュアルで伝える前書きと後書き。

 

――こちらはプレイリストを人生に喩えているわけですね!

 

小野塚 人生は一曲の音楽で、音楽の積み重ねがまたひとつの人生で……というフラクタルな感じを表現したくて、デザイン担当の部員と一緒に詰めて作っていきました。

 

それではページをめくって本文に入りますが、冒頭は「音楽の起源」ですね。

音楽の起源について考えたことはあるだろうか? 遊びの一環から音楽が生まれたとする「遊戯起源説」、感情の高ぶりと肉体の動きから音楽が生まれたとする「肉体衝動説」などが論じられている

音楽の起源について考えたことはあるだろうか? 遊びの一環から音楽が生まれたとする「遊戯起源説」、感情の高ぶりと肉体の動きから音楽が生まれたとする「肉体衝動説」などが論じられている

 

小野塚 『Seel』のコンテンツはジャンルの初心者から玄人まで誰でも楽しめるように配慮しているのですが、誰もが当たり前に親しんでいる音楽というテーマだからこそ「音楽ってそもそもなんだろう?」という根本的な問いかけから始めることにしたんです。

 

高浦 最初に前提知識をしっかり押さえることで、後のページでひねくれた視点を提示しやすくなるんですよ。こうしたページを担当する班は、学校図書館をフル活用して知識を深めながら記事を作っています。

 

――ネットに情報があふれている中、学校図書館を活用されているのも素晴らしいです。

「日常と音楽の交差点」というページでは、いろいろなシチュエーションを想定してそれに合う音楽が紹介されています。こういう詩的で「エモい」表現や言葉遣いも『Seel』の特徴ですよね。

 

「窓に滴る雨粒を横目に、ぼーっと時間をやり過ごす。なんとなく、このままでいたいなぁなんて思ったり、思わなかったり。」そんな時ヘッドフォンから流れてくる音楽は……? エモい表現でカルチャーをぐっと身近に引き寄せてくれる

「窓に滴る雨粒を横目に、ぼーっと時間をやり過ごす。なんとなく、このままでいたいなぁなんて思ったり、思わなかったり。」そんな時ヘッドフォンから流れてくる音楽は……? エモい表現でカルチャーをぐっと身近に引き寄せてくれる

 

前田 文章については、けっこう格好つけて書いているところがあると思います(笑)

 

小野塚 部員同士で文章を添削していくのですが、そこで『Seel』っぽい文体が代々受け継がれているのかもしれませんね。

 

――そしてサニーデイサービスの曽我部恵一さんへのインタビュー、最後に部員さんによる座談会、とそれぞれの音楽との付き合い方がクローズアップされていきます。

 

毎号その道のプロや有識者が登場するインタビューは必見だ

毎号その道のプロや有識者が登場するインタビューは必見だ

「平成生まれの音楽クロニクル」は、5人の編集部員が好きなアーティストや音楽の聴き方を語り合う座談会

「平成生まれの音楽クロニクル」は、5人の編集部員が好きなアーティストや音楽の聴き方を語り合う座談会

 

小野塚 曽我部さんには、新しい音楽との出会い方についてもお聞きしました。「無理に新しい音楽を聴こうとせずに、青春時代に好きになった音楽をずっと聴きつづけていてもいいんじゃないか」という言葉は少し意外でしたが、いい意味で肩の力が抜けました。いいインタビューなので是非読んでいただきたいです。

 

前田 最後の座談会は私も参加しているんですけど、人によって好きなジャンルも聴き方も全然違って、とっても楽しかったですよ。これをきっかけに他の部員が聴いている曲を聴いてみたりもしました(笑)

 

――音楽という切り口から、みなさんが日々どんなことを考えているのかが伝わってきた気がします。身近な人と音楽の話で盛り上がってみたくなりました!

 

『Seel』と僕らのこれから

――そんな最新号を刊行されたばかりですが、みなさんが考える『Seel』のこれからについて聞かせていただけますか?

 

高浦 僕たちのひねくれた視点を面白がってくれる人が周りにいることも嬉しいのですが、読者の方の中にもSeel的な視点がずっと残ってくれたらさらに嬉しいですね。

 

小野塚 私は『Seel』に携わったことでカルチャーや自分の考えを発信する楽しさを知ってしまったので、今後もそういうことに関わっていきたいと思うようになりました。『Seel』を卒業してもカルチャーからは離れられないと思います。

 

前田 読んでいるうちにいろんな角度から物事を見ることができるようになるのが『Seel』の良さだと思っています。「THE DOOR TO CULTURE」の言葉どおり、これからも誰かがカルチャーを好きになる扉であってほしいですね。

 

 

 

ひねくれた視点とは裏腹に、とことん一途にカルチャーに惚れ込んでいる姿が印象的だったSeel編集部のみなさん。学生団体として世代を超えて受け継がれるからこそ、柔軟な視点と変わらぬ熱量を保ち続けていられるのかもしれない。

 

最後にみなさんにそれぞれのオススメの号をお聞きした。Seel編集部サイトのメールフォームよりバックナンバーを1冊から取り寄せることができるので、参考にしてみてはいかがだろうか(品薄のものもあるので、まずはお問い合わせを)。新しいカルチャーの扉を叩いてみよう。

 

高浦さん:「ラップをしよう。」「漫才」ラップや漫才を日常生活に取り入れてみたら……という試みで、日常と地続きにテーマを切り取っている。この2冊に出会い入部を決めた

高浦さん:「ラップをしよう。」「漫才」ラップや漫才を日常生活に取り入れてみたら……という試みで、日常と地続きにテーマを切り取っている。この2冊に出会い入部を決めた

 

小野塚さん:「現代短歌」初めて本格的に制作に参加した号。「エモい」という感情を短歌に、という企画。短歌の世界が一気に身近になる入門書としてオススメ。

小野塚さん:「現代短歌」初めて本格的に制作に参加した号。「エモい」という感情を短歌に、という企画。短歌の世界が一気に身近になる入門書としてオススメ。

 

前田さん:「ZINEってなんだ?」初めて制作に参加した号。個性的な「ZINE」カルチャーを濃厚に紹介。ニッチなものを好きな自分でいいんだ、と肯定してくれる。

前田さん:「ZINEってなんだ?」初めて制作に参加した号。個性的な「ZINE」カルチャーを濃厚に紹介。ニッチなものを好きな自分でいいんだ、と肯定してくれる。

命との向き合い方を問いかける。興福寺 × 近畿大学、学術的知見を取り入れた伝統行事「放生会」

2020年6月11日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「生き物を大切にしよう」。
誰もが子どもの頃に教わることだが、生きていくためには多かれ少なかれ他の生き物の命をいただかなければならない時がある。こうした矛盾に向き合う受け皿になってくれるのが、たとえば仏教の教えだ。

 

五重塔で有名な興福寺では、隣接する奈良公園の猿沢池に魚を放流する「放生会(ほうじょうえ)」という伝統行事が毎年行われている。むやみな殺生を戒め、生命はみな平等であるという教えを体現する行事として親しまれてきた。

 

その放生会で今年、近畿大学の協力のもとで学術的なアプローチによって画期的な取り組みが始まったという。取材してみると、お寺と研究者それぞれの命への向き合い方、そして奈良公園に秘められた自然と人間の関わりが見えてきた。

時代を反映し、刷新される伝統行事

興福寺の放生会は、すべての生命は平等であるという仏教の教えのもと、毎年4月17日に行われる伝統行事だ。僧侶や地元の人々が手桶を使い、隣接する猿沢池に約2000尾の金魚を放流する。涼しげな風情ある猿沢池の春の風物詩として親しまれている。

 

一方で近年、環境問題に対する意識の高まりから、もともと猿沢池に生息していない金魚を放流することについてSNSなどで批判的な声も上がっていた。そこで放生会を学術的な見地から見直すべく、興福寺から協力依頼を受けたのが近畿大学の北川忠生先生(農学部環境管理学科)だ。

お寺と大学が連携する取り組みについて、北川先生にじっくりお話を伺った。

北川忠生先生。専門は保全生物学・分子進化学で、主な研究対象は日本の淡水魚。メダカの遺伝子汚染問題や、後に紹介するニッポンバラタナゴの保全活動などに取り組む

北川忠生先生。専門は保全生物学・分子進化学で、主な研究対象は日本の淡水魚。野生メダカの遺伝的撹乱の問題や、後に紹介するニッポンバラタナゴの保護活動などにも取り組む

 

――早速ですが、これまでの放生会の問題点について教えていただけますか?

 

「テレビ番組でもよく取り上げられる外来種の問題はご存知でしょうか。自然の生態系に外から別の生き物を持ち込むと、もともと存在した生物が減って最悪の場合は絶滅してしまったり、あるいは外来種と交雑してしまったりと、生態系のバランスを崩すことにつながります。


例年の放生会で放流されていた金魚は、フナを飼育用に品種改良したものです。もともと自然界に存在しない魚なので、放流されると外来種となるため、生態系保全の観点では放流は行うべきではありません。また別の観点では、せっかく放流したとしてもそれが『命を大切にすること』とは限りません。金魚は自然環境で生き延びることが難しいからです。

 

猿沢池に関しては、人工池だから放流を行っても問題ないという意見もありますが、これは正確ではありません。猿沢池の水は近くの春日山原始林の水源から地下を通って流れ込み、水かさが増すとまた地下を通って近隣の河川へと流れ出ています。猿沢池の環境が周囲の自然環境に影響を与えることも考えられます」

 

――こうした問題を受けて、魚類の保全活動に取り組んでいる北川先生に興福寺からお声がかかったわけですが、どのようにお感じになられましたか?

 

「私は奈良公園をはじめとするフィールドで在来魚の保全活動に取り組んでいて、各地で行われている魚の放流に対しても研究者として注意喚起を行っています。今回、興福寺さんの方からお声がけいただいたのは願ってもないことでした。興福寺の方も外来種問題を本当によく勉強してくださっていて、本気の姿勢を感じました。考えてみると、昔は寺子屋というものがあったように、お寺というのはもともと学術的なものを担う場所なんですよね」

 

――興福寺といえば奈良時代から続く由緒あるお寺ですが、批判を受け止めて伝統行事を刷新していく柔軟さには拍手を送りたくなります。それで、実際にはどのような取り組みを行ったのですか?

 

「今回の取り組みでは、『命を大切にする』という放生会の基本の考え方を踏まえ、金魚の代わりに、事前に行った調査で採取されたもともと猿沢池に生息している在来魚を、法要ののちに放流するという形を取りました。また、その過程で猿沢池の生態系の実態を把握し、外来種を取り除くことも大きな目的でした」

生態系の実態を把握し、正しい情報を発信する

――放生会に先立つ4月13日には、北川先生の研究室による猿沢池の調査が行われました。どんな調査だったのでしょうか?

 

「今回行ったのは、猿沢池の魚類相の調査です。魚への負担が少ないモンドリという仕掛けなどを使って魚を採取し、目視による調査も合わせてどんな種類が生息しているか確認しました。

 

結果としては、一般的な在来種であるモツゴが1500尾ほどで最も多く、同じく在来種のヨシノボリなども少し見られました。外来種ではタウナギが1尾、それに捕獲はしていませんが、目視でコイも確認しました。以前は外から持ち込まれたブラックバスやガーがいた時期もあったのですが、今は想定していたよりも在来魚が多い印象でしたね」

調査は雨の中行われた。エサでおびき寄せる「モンドリ」とタモを使って魚を採取する

雨の中、6人がかりで1時間半ほどかけて行われた採集作業。計6個のモンドリを15分程度沈めて回収する作業を2箇所で2回ほど行うと、大変たくさんのモツゴが採れた。その他、タモ網でも採集を行った

採取された在来種のモツゴ。環境適応力に優れ、都市部の川などでも普通に見ることができる

採取された在来種のモツゴ。環境適応力に優れ、都市部の川などでも普通に見ることができる

 

――去年まで放流されていた金魚は見つからなかったのでしょうか?

 

「今回の調査では見つかりませんでした。金魚は池の中でよく目立つので、残念ながら野鳥に食べつくされてしまったと考えられます。自然環境に本来存在しない生き物を放つことで、その生き物自身にとっても不幸な結果となってしまうことがあります。今回の調査でもそのことが実証される結果になりました」

 

――在来種が増えたのは喜ばしいことですが、なかなか考えさせられる結果ですね……。調査を経て、放生会はどのように行われたのでしょうか。

 

「採取したモツゴ約1500尾は放生会までの数日間、大きな水槽を用意して興福寺の敷地内で飼育しました。放生会当日はそのうち200尾ほどを桶に移し替え、興福寺での法要ののち、僧侶の手で猿沢池に放流されました。今年はコロナの影響で小規模になりましたが、例年は市民の方も参加され2000尾ほどが放流されるので、水槽での飼育はそのためのシミュレーションでもあります。


手桶から池の水面へ水を撒くように放流する例年のスタイルは魚への負担になるため、今年はスロープを使ってやさしく注ぎ入れる方法に変更しました。我々大学チームは、魚の移動をアシストしたり、スムーズに放流できるようにスロープに水を流したりといった裏方のお手伝いをさせていただきました。放生会の後、残り約1300尾のモツゴも放流しています」

放生会当日の様子。僧侶による読経の後、スロープを使って放流する。スロープは民間の協力企業から提供を受けている

放生会当日の様子。僧侶による読経の後、スロープを使って放流する。スロープは民間の協力企業(株式会社ジェイテクト)から提供を受けている

 

――当日の様子は新聞やテレビなどでも取り上げられましたね。

 

「魚の調査や管理以外にもうひとつ気を遣ったのが、実はメディア対応でした。魚を放流する行事は全国各地で行われていて、中には生態系保護の観点から問題のあるものも多いのですが、ニュースではそれらを一絡げに『良いこと』として伝えてしまいがちです。そこで、今回の放生会の前に、外来種を放流することにどんな問題があるのかということを伝える事前レクチャーを記者クラブで実施しました。

 

興福寺さんと私たちの取り組みが、全国の同様の行事のモデルケースになることを願っています。正しい情報を発信して、多くの方に考えていただくきっかけにしていきたいです」

 

――一過性のイベントとしてではなくきちんと文脈を踏まえて伝えるということは大切ですよね。放生会にまつわるひとつひとつの取り組みに、日頃から保全活動に携わっている北川先生だからこその説得力と強い思いを感じました。

お寺と研究者、それぞれの“命との向き合い方”

――ここからは、お話を聞いて気になったことをツッコんでお聞きしていきたいと思います。まず、調査で採取された在来魚は池に戻されたわけですが、外来魚のほうはどうなったのでしょうか?

 

「これも事前に興福寺さんと取り決めて、池には戻さず近大で引き取って飼育することにしていました。問題は『特定外来生物』が採れた場合です。特定外来生物に指定されている生物は、採取した場所から生きたまま移動させることが禁止されているんです。通常はこうした場合にはその場で安楽死させるのですが、放生会はむやみな殺生を戒める行事でもあるので、立ち止まって考える必要があります。興福寺の僧侶の方と経典を紐解いて『殺生とは何か』というところから議論を重ね、より多くの命を守るために池に戻すことなく、外来種の命も繋ぐ術がないかという課題に向き合っています」

 

――放生会ならではのジレンマですね……。今お聞きした中で、安楽死という言葉が気になりました。日本には活け造りや踊り食いといった文化もあります。お恥ずかしいことに、魚が苦痛を感じる、ということすらあまり意識していませんでした。

 

「私たちの研究では、時として生き物の命を奪わなければならない場面がどうしてもでてきます。そのため、研究倫理に則って生き物がなるべく苦痛を感じないであろう方法で処理することが求められます。小さい魚類の場合はエタノールに浸して一瞬で意識を奪うか、氷で水温を下げて活動を停止させて死滅させるといった方法が取られます。おっしゃるように日本では魚食文化が根づいていることもあり、研究における魚類の扱いについては明文化されているわけではありませんが、海外の学術雑誌に投稿する際は、こうした適切な手段が明記されていないと論文自体を受け取ってもらえません」

 

――お寺では仏の教えが、研究では研究倫理が指針になるわけですね。命に向き合う姿勢という根本の部分で、お寺と研究者の考え方には近しいものがあるのかもしれませんね。

人と共生するからこそ、豊かな自然が維持される

――もうひとつお聞きしたいことがあります。猿沢池が自然の水系の中に位置しているということは先ほど伺いましたが、それを取り巻く奈良公園の環境を先生はどのように見ていらっしゃいますか?

 

「もともと猿沢池は春日山系から水が流れ込む湿地だったそうです。湿地では良質の粘土がよく採れるので、その土を使って興福寺の堂塔に葺く瓦が焼成されました。放生会のために作られた池だと思っている方もいらっしゃいますがそれは間違いで、興福寺放生会はもっと時代を下った戦前から始まった比較的新しい行事なのだと興福寺さんに伺いました。

 

奈良公園の木造文化財の周囲には池があることが多いのですが、これらは防火の目的で自然の水系を利用して整備されたものなのだそうです。そして、それらの池は人の手によって適度に維持管理されることで、生き物が棲みつき生態系が出来上がっています。

 

15年ほど前、そんな奈良公園のとある池で、県内では絶滅したと思われていたニッポンバラタナゴという魚が見つかりました。この魚はドブガイやヨシノボリといった他の生物と密接な関係にあって、豊かな生態系が維持されている環境でしか繁殖できません。この発見は、奈良公園がいかに豊かな環境かを見直すきっかけになりました」

ペタキンオス

地元では「ペタキン」の通称で知られるニッポンバラタナゴ(上がオス、下がメス)。環境省レッドリストでIA類に分類される絶滅危惧種で、奈良県では1970年代を境に絶滅したと思われていたが、2005年に奈良公園で発見。北川先生は生息環境の保全や繁殖活動に取り組んでいる

地元では「ペタキン」の通称で知られるニッポンバラタナゴ(上がオス、下がメス 撮影:森宗智彦氏)。環境省レッドリストでIA類に分類される絶滅危惧種で、奈良県では1970年代を境に絶滅したと思われていたが、2005年に奈良公園で発見。北川先生は生息環境の保全や繁殖活動に取り組んでいる

 

――自然の水の流れに人の手が加わることで、豊かな生態系が維持されてきたんですね。近頃注目を集めている里山の維持管理の問題にも通じるところがあるように思います。

 

「本来、人間の暮らしは自然か人工かにはっきり割り切れるものではなくて、人の手で自然を利用し、維持管理することで成り立ってきました。奈良公園は都市部に近い平地にもかかわらず、寺社仏閣のおかげで日本古来の自然と人間の営みが共生できている全国的にも貴重な場所です。宗教財や文化財があることで生物多様性にとってもタイムカプセルになっているんですね。そんな奈良公園の中でも猿沢池は街に近い場所にあり、人と自然が一番近くで接点を持てる場所と言えるかもしれません」

放生会と猿沢池のこれから

――最後に、北川先生の考える放生会の今後についてお聞かせいただけますか?

 

「興福寺さんに寄せられていた意見の中には、そもそも放生会という行事自体を中止すべきだという声もありました。それもひとつの考え方ですが、今回のようなやり方ならば猿沢池の環境を定期的にチェックして改善することにも繋がりますし、またそうやって良い環境を保てないと放生会自体も続けられません。そうした持続的なサイクルの中で伝統行事を続けて、身近な自然に向き合い続けていくことに意味があるのではないでしょうか。今後は事前調査の段階から市民の方に手伝っていただき、環境教育につなげていきたいですね。

 

まだアイデア段階ですが、新しいプロジェクトについても話し合っています。興福寺には瓦の葺き替えの際に出た古い瓦がたくさん保存されており、これを何かに役立てられないかという提案がありました。瓦を猿沢池の底に沈めてやると、モツゴなどの小魚の格好の隠れ家や産卵場になると考えられます。興福寺の瓦は猿沢池の土から作られたということは先ほどもお話ししましたが、それをまたもとの場所で再利用することで、在来種の棲みやすい環境づくりに役立てたいと考えています」

 

 

環境問題がますます進行する現代。人間と自然との関係をどのように修復していくのかは私たちにとって厄介な宿題だが、放生会を通して命の大切さに思いを馳せることがそのヒントになるのではないだろうか。興福寺と北川先生の取り組みに、今後も注目していきたい。

 

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