初夏から夏にむかうこの季節、色とりどりの花や緑があふれています。
花と緑の風景に心癒やされる人は多いと思いますが、そんな植物の力を利用した「園芸療法」というものがあるのをご存じでしょうか。
園芸療法とはどんなことをするのでしょう。 “趣味の園芸”とはまた違うものなのでしょうか?
園芸療法の専門家にお話を伺うため、日本で唯一の公的な園芸療法教育機関である兵庫県立淡路景観園芸学校、兵庫県立大学大学院のキャンパス(兵庫県・淡路島)を訪れました。
兵庫県立淡路景観園芸学校、兵庫県立大学大学院のキャンパス
兵庫県立淡路景観園芸学校が設立されたのは1999年。3つの課程があり、その中の一つ(景観園芸専門課程)を発展させる形で、兵庫県立大学の研究科(専門職大学院)が開設されました。
今回は学校のキャンパスにある『園芸療法ガーデン』をご案内いただきながら、園芸療法課程の講師をつとめる金子みどり先生にお話を伺いました。先生自身もこの学校で学び、現在は園芸療法の実践・教育・研究に携わっておられます。
左:園芸療法ガーデン入り口。園芸療法の教育、調査・研究の場でもあります。 右上:訪問時はチューリップが見ごろでした。 右下:『触れる花壇』。手で触る感触を楽しめる植物が植えられています。
■園芸療法とは
――園芸療法と、「趣味の園芸」とは違うものなのでしょうか?
園芸の作業を行うことは変わらないんですが、園芸療法の場合、加齢や障がい、病気などの理由でなんらかの支援を必要とする方を対象にします。
相手の方の健康状態やニーズに合わせて活動のねらいを設定し、そのねらいに合わせた園芸活動を行います。
趣味の園芸との主な違いを表すと、下の表のようになりますね。
こうした園芸療法を行う場合、相手の方の障がいや病気、支援方法、植物の栽培などについて、専門的な知識や技能が必要です。そうした知識・技能を身につけ、支援者として関わっていくのが園芸療法士ということになりますね。
花や緑といった植物は、それだけで私たちに安らぎや元気を与えてくれます。趣味の園芸は、そういった植物や園芸活動が主役になります。
園芸療法では、支援の必要な方が主役です。園芸療法士は、主役が輝けるように、植物や園芸活動の魅力を使ってプログラムを作り、演出し、進行を支えます。舞台に例えると、園芸療法プログラムの脚本家、演出家、黒子を兼ねたような存在ですね。
――なるほど。園芸療法はどんな方を対象に、どのような場所で行われているのでしょう。
高齢の方の場合、主に高齢者施設(特別養護老人ホームやデイサービスなど)に暮らしていたり通ったりしている方が対象となります。障がいのある方の場合は、障がい者支援施設に入所していたり、通ったりしている方もいらっしゃいますね。
医療の分野では、主に病院の精神科や回復期リハビリテーション病棟、緩和ケア病棟などの患者さんが対象となります。
教育の分野では、学校(小中高、特別支援学校)や幼稚園・保育園などの子どもたちに対して行うこともあります。
園芸療法が行われる場所は、こうした医療・福祉・教育関連の施設が多いですが、健康な方を対象に公園や団地で行うこともありますよ。その場合は健康維持や介護予防、コミュニティの活性化などが目的となりますね。子育て支援や、引きこもりの人へのアプローチとして行うこともあります。
――活動の内容は具体的にはどのようなものですが?
花や野菜の栽培、フラワーアレンジメントなどの創作活動、香りや触覚など五感を使うプログラムなどがあります。
写真提供(「栽培」の写真): NPO法人 園芸療法と歩む会
栽培は、花や野菜の種まきや苗の植え付け、水やり、収穫など。家庭の園芸と大きく変わりませんが、何を育てるか、どんな作業を行うかなどは、相手の方に合わせて決めています。
写真提供(左): NPO法人 園芸療法と歩む会
創作活動には、生け花や押し花、草花を使った小物づくり(リースづくりなど)があります。
上の写真はフラワーアレンメントの一種ですが、吸水性のあるスポンジをお弁当箱に入れて花を挿しています。
どなたにも取り組んでいただきやすいプログラムです。
料理や食品の加工(梅酒、梅干し、ジャムづくりなど)もありますよ。
下はかりんの実。収穫して、かりん酒をつくったりします。
香りを利用するプログラムもあります。
花や葉の香りを直接かぐほか、ハーブ(ミントやローズマリーなど)やキンセンカなどの花びらをお湯にうかべて手を浸す手浴(しゅよく)も喜ばれますね。
植物に手で触れる活動もあるんですよ。こちらの葉に、ちょっと触ってみてください。
(細く柔らかな毛がびっしり生えていて、動物の毛皮みたい。ビロードのような手触りで、とても柔らかいです。)
ラムズイヤーという植物(英語で 『子羊の耳』という意味。和名は『ワタチョロギ』)です。ふわふわとして柔らかく、みなさん驚かれます。つい触ってしまいたくなりますね。
緑のある公園や庭を散策したり、葉ずれや鳥の声、せせらぎの水音など、自然の環境音に耳を傾けたりすることもあります。
どの活動でも、支援するスタッフや他の参加者との間に会話が生まれたり、気持ちを共有したりすることができますね。人とのかかわりも、大切な要素です。
――いろいろな活動があるんですね。活動の内容は、どのように決めるのでしょうか。
たとえば栽培の場合、植物の世話をするという役割をもち、その生長を見ることで意欲が生まれ、自分が役に立っているという感覚をもつことができます。そうした効果をめざし、意欲の低下や自信の喪失がみられる方に対して計画します。
また、意欲や自信をもつことは、認知機能を保つことにもつながります。高齢者や認知症の方に対し、認知症の進行予防を目的に行うことも多いですね。
栽培では水やりや収穫などで継続的に体を動かすので、身体の機能回復や体力の維持・向上をめざしたい場合などにも行います。
特別支援学校の生徒がカモミールの花を乾燥させているところ。ハーブの入浴剤になります。
障がいのある方に就労支援として行ったり、人との会話や状況の読み取りに課題がある方に、社会的スキルの向上をめざして行ったりすることもあります。
フラワーアレンジメントなどの創作活動の場合、たとえば全身の筋力が弱くなっていても、手先を動かす機能が保たれていれば取り組んでいただくことができます。花を見たり活けたりすることに興味がある方、クラフト作業を楽しめる方には満足感を持っていただきやすく、おすすめすることが多い活動です。
どの活動も本人の思いや心身の状態に合わせて計画・実施しますが、周りの人とのコミュニケーションが生まれ、「できること」が引き出されて生活の質の向上が期待できるところは共通していますね。
――相手の方の状態に合わせて活動内容を計画していくところに、園芸療法士の専門性が発揮されるんですね。
実施された方の反応はどのようなものですか?
農家で生まれ育ったという90歳代の方が、栽培しているミニダイコンを見て「根元まで土入れて、お日さんに当てて、夜露にも当てて」と、スタッフに教える側になることがありました。その方は認知症の症状があったんですが、ミニダイコンの栽培が昔の経験を思い出すきっかけとなったようです。
ふだんの生活で発揮することのない力が、実はたくさん潜んでいるということですね。園芸療法は、そんな力を引き出すきっかけづくりになります。
創作活動でも、自身の健康に不安を感じていた認知症の方がフラワーアレンジメントを作りあげ、笑顔になったりされます。自分らしさを発揮できて、自信につながるのですね。
(写真はイメージです)写真提供:NPO法人 園芸療法と歩む会
――植物の力を借りて、その人らしく生きることを援助することができるんですね。
先生が園芸療法を行ってきた中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?
病院の緩和ケア病棟で園芸療法を行っていたとき、水栽培のクロッカスをお持ちしたことがあります。
相手の方はもと小学校の教員だった70歳代の女性でした。根っこがあちこちの方向にたくましく伸びている様子を見て、「私はこの根っこみたいに、人とちがう方向に行っていたのね」と、自分の生き方をふり返っていらっしゃったことがありました。
私たちと同じように生まれ、生長し、いずれ枯れるものだからこそ、そのように感じられたのではないでしょうか。クロッカスの姿に自分の生き方を重ねていらっしゃったのが印象的でした。
■園芸療法を日常生活に取り入れる方法
――金子先生は、園芸療法士になる前は保健師として働いておられたんですね。
どのようなきっかけで、園芸療法士へ転身されたんですか?
私が保健師として勤めていたのは企業の健康管理室だったんですが、会社の成果主義に疲れて健康管理室に足を運んでこられる方も多かったです。私自身もそのような企業風土に疲れを感じていましたが、休みの日に片道1時間半かけて家庭菜園に通い、一日中畑仕事をするとすっかり元気になって、「また一週間がんばろう」と思えました。
あるとき新聞で園芸療法のことが紹介されているのを見て、「これは私が毎週家庭菜園でやっていることと同じだ!」と。いろいろと調べて、学校で本格的に学ぶことにしました。
――体は健康でも、ストレスや精神的な疲れを感じている方は多いと思います。
園芸療法のエッセンスを日常生活に手軽に取り入れる方法はあるのでしょうか。
切り花を飾ったり、部屋に観葉植物を置いたりされる方もいらっしゃいますね。
2020年の調査で、家で植物を育てている方の半数以上(54.3%)が、植物を育てて「穏やかで安らいだ気持ちになった」と回答しています(※)。
コロナ禍で、自宅でのリモートワークをしていた方への調査でも、部屋に植物を置いていた方の6割近く(59.2%)が「心が落ち着く」と答えています(※)。
部屋に植物を置くのは、手軽な方法ではないでしょうか。
※引用元:令和2年度制作「こんなときこそ植物のすごい癒しの力を」全国鉢物類振興プロジェクト協議会
ラベンダー
栽培するなら香りのよいものに目を向けてもいいですね。例えばラベンダーの香りは副交感神経を刺激し、リラックスした気分になる効果があります。
創作活動もストレス軽減に役立ちます。フラワーアレンジメントの場合、ストレスの指標ホルモン(唾液中コルチゾール値)が、フラワーアレンジメントの後では有意に低下するという結果が出ています。
白井はる奈他(2012)地域在住の中高年成人に対するフラワーアレンジメントの介入効果―心理面の変化と唾液中コルチゾール値に着目して―.佛教大学保健医療技術学部論集第6号
――気分がよくなるだけでなく、体にいい影響があることが明らかにされているんですね。
緑のある環境に身を置いたり、道端に咲いているような身近な草花に目を向けたりするだけでもいいんですよ。
本物の植物でなくても、心地よさを感じる自然景観のビデオや写真、絵を見るだけで、脳がリラックス状態になることがわかっています。
「やってみてもいいな」「やってみたい」と思えることを意識してみるといいですね。
――草花を眺めて心が和むのは多くの人が経験していることだと思いますが、科学的な裏付けがあることを知ると、
納得しますね。意識して取り入れてみたいと思います。
■園芸療法ガーデンのご案内
今回は学校の広い庭を案内いただき、草花と触れ合いながらの取材となりました。本当に気持ちがよく、植物がもつ癒しの力を実感しました。
園芸療法ガーデンでは、紹介した内容のほかにも興味深いものを拝見できました。
高さの違う花壇が並んでいます。なぜ高さが違うのかというと・・
左の低いほうの花壇は、車いすに座るとちょうど良い高さ(約60 cm)。
右の高いほうの花壇は、立ったまま作業ができ、腰に負担がかからない高さ(約80cm)になっています。
しゃがんだ姿勢を続けるのは、たしかに辛いことがありますね。自分が園芸をする際は、無理のない姿勢を心がけたいと思います。
学校の庭は365日、一般に開放されています。ぶらぶら歩くだけでも気持ちがいいですが、ボランティアガイドによる案内も定期的に行われています。解説を聞くといろいろな工夫を知ることができて、より楽しめますよ。
淡路景観園芸学校の庭。一般の人も自由に出入りできます。