ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • date:2019.4.10
  • author:南 ゆかり

京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」

【第1回】なぜ、人は死が嫌いなの!?

教えてくれた先生

出口 康夫

京都大学文学研究科教授

1962年、大阪市生まれ。京都大学文学部卒、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。専門は「数理哲学」。確率論・統計学の哲学、科学的実在論、シミュレーション科学・カオス研究の哲学、カントの数学論、スコーレムの数学思想、分析アジア哲学など多岐にわたる。

自分だけ相手だけがいない欠如感

♠ほとぜろ

シリーズ初回から、死の話題になるとは思いませんでした…。

♠出口先生

確かに、縁起はよくありませんが、救いのある話になる予定なので、安心してください。今回の「死」というのは、自分が「死ぬ」こと、そして人に「死なれる」ことを指します。ここで言う「人」とは、特に身近な相手、家族や恋人、人でなくても愛犬でも、とにかく愛しい相手のことです。自分が死ぬのは「一人称の死」、愛しい相手に死なれるのは「二人称の死」として、まずは、二人称の死について。

♠ほとぜろ

愛しい相手に「死なれる」のは嫌に決まっています。

♠出口先生

そうですね。病気で長年苦しんだ人の場合は、ある意味では死が救いになることもあるかもしれませんが、それを頭では理解していたとしても、嫌は嫌でしょう。それはなぜなのかというと、「会えなくなる」からです。その人が世界からいなくなり会うこともできないからです。大切な人を含まないで存在している世界に、非常な違和感や嫌悪感を抱くということもあるでしょう。

 

さらに、一人称の死、つまり自分が死ぬのはなぜ嫌なのでしょうか。死は苦しそうだし、死んだらおいしいものが食べられない、つまり生の快楽を享受できないということも当然あるでしょう。しかしそれだけでなく、ここでもまた、もう、ここにいる人たちに会えないことが苦痛なのです。この世界の中に自分だけがいないという欠如感。二人称の死と、ちょうど裏返しです。会えなくなることは、人は、なぜ死ぬこと、死なれることが嫌なのかという理由のうち、わりと深いところにある理由ではないでしょうか。

なぜ死んだら会えないの?

♠ほとぜろ

そういえば、なぜ死が嫌なのかを、今まで掘り下げて考えたことがありませんでした。

♠出口先生

では、掘り下げついでに、なぜ死んだら会えないのだと思いますか?

♠ほとぜろ

えっ…。

♠出口先生

普通はこんなことは考えませんよね。こういうばかばかしいことを考えるのが、哲学者なんです。哲学者にとっての一つの答えは、同一性が閉じているからです。

♠ほとぜろ

同一性が閉じている…。

♠出口先生

僕は、この世の中で、僕とだけ同一です。僕は、みなさんと同一ではないし、テーブルと同一でもない。この世の中の他の一切のものとは、同一性関係が持てない。同一性とは、自分自身に対してしか成り立たない。これを、同一性が自分自身に閉じている、哲学や数学の言葉で言うと、同一性の自己閉包性といいます。自分とだけ同一で、他全部と違う。これは、非常にへんてこりん、特殊な関係です。自分は、世界のすべての他のものとは別個、違う、非同一、異なっている。愛しい相手が死んで会えなくなるのは、自分とその相手が同一ではないから、別個の存在だからです。死は、そのことを最もラジカルに、ドラマチックに明らかにしてしまう。だから嫌なんです。

出口先生レクチャー

ホワイトボードに書きながら語る出口先生

「I」でなく「we」で考える

♠出口先生

しかし、同一性が非常に特殊な自己閉包的なあり方を持っていると、誰が決めたのでしょう。そう考えないといけないという掟もない。それを前提にして数学も成り立っているし、社会的な生活も成り立っているけど、考え方を変えてはいけないという法律はどこにもない。じゃあ、考え方を変えようというのが、僕が今哲学でやっている取り組みです。

♠ほとぜろ

自分以外は自分ではない、とは別の考え方をするというのですか? ちょっと怖いですけど。

♠出口先生

いやいや、怖くないですよ。図を書いて説明しましょう。A・B・Cと3つのものがある場合に、通常はAとBが同じで、AとCが同じなら、BとCも同じです。これを関係の推移性といいます。自己閉包性の別の表現といっていいでしょう。この三角形で完結してしまっている。しかし現代の論理学では、別の同一性の考え方が提案されています。AとBは同一、AとCは同一、でもBとCは同一ではない。これを非推移的な関係と言います。これで考えると、同一性は自分自身に閉じることなく、バーンと開けちゃうんです。

関係性説明チャート

♠ほとぜろ

開ける? なんか、閉じるよりはいい感じですね。

♠出口先生

この論理を使って、僕は、新しい考え方の枠組みを生み出すことにしました。普通は、自分というのは個人、日本語でいうと「私」、英語では「I」、人称代名詞の一人称の単数形です。しかし、僕らは自分を表す言葉をもう一つ持っています。「我々」「we」ですね。これも人称代名詞で一人称だけど、複数形です。一般的には、まず「I」があってそれがいくつか積み重なって、チームやグループになったら「we」になりますが、考える順番を逆にして、常に「we」があって、たまたま1個だけ無理して取り出したら「I」になると考えようということです。

 

さっきの図で関係を考えてみましょう。新しい枠組みでは、このAは「we」そのもの、私だけど私たち。この「we」を、「we」としての自己「self as we」と名付けます。「we」にはいろんなメンバーが含まれていて個人としての私もいるし、家族や恋人や愛犬もいる。それが一つにまとまって「we」と呼ばれています。そして、「we」とそれぞれのメンバーの間には、ぴったりと隙間がないぐらい同一性が成り立っています。なのに、メンバーBとメンバーCは、通常の意味で同一かというと違います。普通はこんな関係はあり得ません。同一という言葉からしたらおかしい、論理的じゃないと通常は解釈されてきました。しかし、別の論理を持てばおかしくない。論理を変えて、本気でその論理の上で生きていけばいいのです。

京大チャート①京大チャート②

♠ほとぜろ

全員が「we」と同じだけど、メンバーそれぞれは違う。違わないと、複数にならないですもんね。その考え方だとさっきの死の問題はどうなりますか?

♠出口先生

「self as we」という形で自分を考えると、死者も自分(we)の中にあります。死のうが生きようが、自分(we)の外に行ってしまうことはない。生き残った人も「会えない、会いたい」と思う必要はなくなります。死が決定的に自分と他者を分けてしまう、という事態が少しは変わる。自分という中に相手が入るというふうに考え直すことが可能になります。

♠ほとぜろ

なくなった人が自分の中にいる、という感覚は実際にもありそうですね。

♠出口先生

そう、死者と一緒にいるという、よく使われる言い方がありますね。でも、通常の同一性だと、そばにいる、お星さまになって見守っていてくれるという存在で、まだ自分とは壁があるし別個のものです。「self as we」で、「we」の中に死者が入るという新しい同一性の考え方なら、ちょっとだけかもしれないけれども、大切な人に死なれた後の人生をよりポジティブに生きることができるのではないでしょうか。

「we」が社会を変える

♠ほとぜろ

この考え方を、もうどこかで発表されたりとかされているのですか?

♠出口先生

「self as we」の中で死の問題を考えるという提案を、台湾やメキシコでも発表しました。聴衆の中には泣く人もいました。台湾やメキシコでも大地震が起こっていたので、誰かをなくしている人だったのでしょう。日本の「3.11」などでもそうですが、地震などで人をなくすと、生き残ったことに対する罪悪感、サバイバーズギルトがより強くなることがあります。それにどう向き合うか、「self as we」は哲学者としての提案でもあります。今、この考え方について英語で本を書いているところ。タイトルは、『Self and Contradiction(自己と矛盾)』です。

講演風景

台湾大学での講演風景

♠ほとぜろ

死の問題以外にも、「self as we」が役立つ場面はあるのでしょうか。

♠出口先生

「self as we」にしたら、倫理や社会的責任についても変わってきます。たとえば、犯罪。犯罪を社会的災害とみる考え方があります。一番の責任は犯罪者が負わなければならないところがあるが、僕らもそれに責任がないわけではありません。二度と起こらないように、起こったとしてもそれがそんなにひどくならないようにするために世界を変えていく責任は持っている。近代の刑法は、必ず責任者とそうでない人とを分けますが、我々の中には、そんなにきれいに分けられない、という気持ちがどこかにある。「self as we」の考え方を浸透させて五世代ぐらい先になれば、法制度さえもラジカルに変わる可能性もあるでしょう。

 

ただ、気をつけないといけないのは、道徳的に良い「we」と悪い「we」があることです。道徳的に良いのは、常に「we」を広げていくこと。悪い「we」とは、「we」を閉じてしまうことです。閉じた「we」の典型例は、ナチズムやファシズム、最近ではアメリカファーストもそうです。

♠ほとぜろ

この新しい考え方に対する反応はどうなんでしょうか。

♠出口先生

アジアの人には受けはいいですよ。近代社会は、西欧の考え方が基盤になっているので、僕らが持っている自分とか世界とかと他人との関係に関する直感と合っていないところがある。連帯責任やみんな無責任はだめだけれど、それなりの仕方で責任概念を組み直さないといけないと感じている人もいる。そういう要求に、一つの像を与えることができるかもしれません。個人主義の根付いた西欧の考えとは異質。狭い意味での西欧の枠組みをもう少し広げて、他の文化や伝統を持った人々の考えを救えるような、そんなフレームワークを構築したいと思っています。

今回の   

人が死を嫌がるのは、「私以外は私じゃない」という考え方にとらわれているから!

※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です

出口先生がユニット長を務める人社未来形発信ユニットの初シンポジウム「アジア人文学の未来」が4月27日(土)に開催されます(詳細はこちら)。 ◎特設サイトTOPページに戻る⇒こちら

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