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テングザルと私たちの日常はつながってる!?京大オンライン講座「ボルネオ島でテングザル研究-フィールド研究の魅力と可能性-」を受けてみた

2024年11月19日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

テングザル…と聞いてハッとするひとは少ないでしょう。温泉に浸かったり、観光客を威嚇したりするニホンザルなどは時折メディアにも登場します。でもそこに「テングザル」の姿を見た人はいないでしょう。それもそのはず、野生のテングザルはボルネオ島にしか生息していないからです。ボルネオ島は、インドネシア・マレーシア・ブルネイの3カ国の領土がある、世界で3番目に大きい島。講師を務めた松田一希先生(京都大学野生動物研究センター教授)は、その巨大な島でテングザルの現地調査を約20年行っています。

 

旅好き、自然好き、動物好きな筆者としては、松田先生のフィールドワークはとても魅力的で、テーマを眺めているだけで旅に出たくなります。そんな気持ちを胸に秘めながら、実際に学部生時代から現地に赴き、気候も文化も違う島で野生動物を追い求め続けている研究者の実際に迫ってみたいと思い、2024年10月に開催された京都大学丸の内セミナー講座「ボルネオ島でテングザル研究-フィールド研究の魅力と可能性-」を視聴してみました。では、テングザルの島へ行ってみましょう。

よくわからないまま向かったコロンビアで発揮した“運” 

特定の動物や昆虫の研究者と聞けば、やっぱり子供の頃から虫取り網を片手に山野を駆け回り、ムシを捕まえては図鑑で調べていたんだろうなぁと想像してしまいます。だから松田先生も昔からサルが好きでサルの魅力に取り憑かれ、気づいてみれば、テングザルを追いかけ、思えば遠くに来たもんだシミジミ……と筆者は勝手に想像していました(スイマセン)。しかし現実は大きく異なるようです。松田先生曰く、

 

「(大学生のときは)化学、セラミックスをつくる無機化学の研究をしていました」

 

エエッ!!大きく違う意味で ”化け学”!!

 

松田先生が学部生時代に所属したゼミは、毎朝8時半には研究室に来て、自分の名札を裏返さなくてはならないという厳格な環境でした。4年生になって(しょうがなく)規則正しい学生生活を送り始めたら、コロンビアでクモザルの研究をしている隣の研究室の西邨顕達(にしむら あきさと)先生によく会うようになりました。あるとき、西邨先生は松田先生に「キミ、(コロンビア)行ってみない?」と声をかけます。

 

「まだ大学の4年生で、生物学も知らない、よくわからないままコロンビアに行った」

と松田先生。これが大きなきっかけになったようです。

 

当時4年生だった松田先生にとってコロンビアは異世界。「こんな動物見たことない!こんな植物見たことない!」とさまざまな衝撃を受けつつも、動植物を含むフィールド研究に惹かれていったとのこと。それに加えて松田先生は、一人で森を歩いていると、時期的に遭遇するのが困難なクモザルに1~2週間程度、ほぼ毎日出会ってしまいます。その事実が西邨先生には驚きだったようで、

 

西邨先生「キミには動物運がある!!才能がある!!」

松田先生「そうか!そうだったのか!!」

 

ということで、化学から一転、サルの研究者になるために大学院へ進学されたとのことです。いやはや、先述した僕の勝手な想像などコナミジンですよ。サルが仲介したのか人が仲介したのか、その両方か。もはや人知では語り尽くせぬ世界かもしれません。

テングザルとの出会いとボルネオ島コミュニティ

ただ、当時のコロンビアは政治情勢が悪く、長期間のフィールド研究が難しい状況でした。そんな中、松田先生は、偶然見たテレビ番組で別のサルに出会います。それがテングザルだったというわけです。しかもテレビの説明では、

 

テレビ 「テングザルの生態は未だに謎に包まれています」

松田先生「いやいや、俺には動物運がある!!」

 

選ばれし者である松田先生は、北海道大学の博士課程に進学。謎多きテングザルは先行研究がほとんどなかったようですが、その逆境に対して松田先生は、

「当時は英語が得意じゃなかった、だから、できるだけ英文の論文は読みたくなかった」

と前向きに捉え、さらに先行研究が少ないから好きなテーマで取り組めると考えられたようです。そんな流れで、松田先生は「限りなく0に近い1から研究をつくり上げる!」と意気込み、2005年にボルネオ島の東海岸に上陸しました。

松田先生のフィールド、ボルネオ島

 

現地NGOのサポートにより手に入れたボロボロの家屋にて、雨水を飲料水化し、川でエビを獲り、シャワーの代わりに川で水浴び、食料などは週に1回開かれる市場で調達、渡航後2年間は大嫌いだったドリアンも3年後には大好物となり、松田先生は着実にボルネオ島というフィールドの生活者になっていったそうです。

 

とはいえ、他国・他地域で何かを研究するということは、そこに住む人々との人間関係も疎かにはできないようです。コミュニケーションに必要なのは言語ですが、渡航当初の松田先生、マレーシア語は話せなかったものの、現地の人たちに英語を話す人が多いことが幸いだったと説明されました。さらに、コミュニティにはご近所さんだけでなく、その地域のボスみたいな権力者がいることも多く、日本から来たというと、居住と調査を円滑に進めさせてもらう代わりに何かを求められるというのもあったようです。当初は松田先生も戸惑いがあり、

 

「対価としてモノを渡したり地域の催しに参加したりするなんて無駄なことじゃないか?」

と疑問に思っていた頃もあったようです。しかし、松田先生はその都度の要請に半ば疑心をもちながらも丁寧に対応したこともあって、調査研究で何か問題が生じたときも地域ぐるみで手助けを受け、解決してもらったとのこと。

結婚式など村のさまざまな行事に参加。「多様な人との出会い、交流がフィールド開拓・研究の本質的なおもしろさ」と松田先生

20年間、フィールド研究の基盤を維持していることも成果となっている

 

「後になって、ああいった贈与やコミュニティへの参加こそが大事だったと気づかされました。最近は『コスパ』という用語が流行って、効率みたいなことばかりが強調されますが、長い目で見てどうなのか?目先のことばかり考えてちゃだめだなと」

明らかになるテングザルの生態

フィールド研究や生活の基盤を整え、松田先生はまずテングザルがいったいどのように1日を過ごし、何を食べているのかを通年調査していきました。テングザルは非常にぬかるんでいる場所を好むことはわかっていたので、川沿いを重点的に探されたようです。

奨学金で得たボートを用いて調査した

 

川沿いの木の上で夕方から翌早朝まで眠ることがわかったので、ボートさえあれば日暮れ時には結構な確率で見ることはできたといいます。彼らが川沿いを好む理由は、捕食者を回避するため。森の中でも木の上なら安全じゃないの?とも思ってしまいますが、森にはウンピョウという木登りがやたら上手な猛獣がいるとのこと。テングザルたちは、すぐ川へ逃げられる木々で休息することにより、とても入念に意味のある背水の陣を布いているわけです。

 

問題は、日が昇ってテングザルたちが森の中に姿を消してからでした。少ない先行研究では川沿いの木の上で眠るテングザルを観察しているものがほとんど。しかし松田先生は、“その後”を知りたいので、ワニ、毒ヘビ、ウンピョウなど危険生物に注意しつつ実際に森の中に足を踏み入れ、ぬかるんだ道を歩き、サルたちを追跡しました。

 

追跡調査はなんと3500時間に及び、その結果、テングザルは1日の約8割を休息に費やしていることがわかってきました。オランウータンと比較すると、彼らの休息は約5割なので、テングザルのほうがよく休息をとるようです。ちなみにテングザルよりはちょっとだけ活動的なオランウータンですが、休む以外には何をしているのかと言うと「食べて」いるそうです。

オランウータン、テングザル、ヒト(松田先生)の1日の活動量を円グラフ化して比べた結果、その差は歴然。先生は言います。「人間が働き過ぎ」

 

オランウータンの主食は「果物」ですが、テングザルは主に「葉」(ときには果物も)を食べているようです。「動物が、何を、どうやって、どこで食べているのかを知ることによって、彼らの行動パターンが見えてくる」と松田先生。「葉」は「果物」に比べて森の中で見つけやすいので、テングザルの移動距離は長くないということが推察できるようです。

 

松田先生はここから「動物と植物の関係」もわかってくるといいます。最も大切なことは、

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① 植物を食べる

② 排泄する

③ 排泄物の中に混ざった種から芽が出る

④ 植物が育つ

⑤ ①に戻る

----------------------------------------

といった森を持続的に形成していく連鎖の関係。「絶滅危惧種であるテングザルやオランウータンなどの大きな動物がいなくなってしまうと、やがては果物の種が運ばれなくなった末に、次第に植物が減少し、いずれは動物も絶滅してしまう」

 

遠目からは森があるように見えても、そこに足を踏み入れて細かく観察すると、「果物」を実らせる植物がない…、さらに耳目を澄ませば、大型動物の存在も確認できない…、かつては存在した「森の動植物が織りなす多様性」がなくなってしまっている。こういった「森林の空洞化現象」は松田先生のフィールドなどでも実際に起き始めているそうです。

「知る」ことから世界の見方は変わる

現在、松田先生は他分野のさまざまな研究者・研究機関と共同研究をしているといいます。例えば遺伝子研究、社会構造の研究など領域横断的なものです。グローバルな拡がりの基盤になったものこそが、現地に実際に身を置いて、たった1種のサルを追いかけ、データを集積するというフィールドワークであったという松田先生のご指摘は説得力のあるものでした。

 

最後に松田先生が指摘したのは、絶滅危惧種であるテングザルやオランウータンを取り巻く環境破壊について。なかでも重大な懸念事項のひとつが、生息地である森林の減少です。ボルネオ島でも、油(パーム油)を採取するためのアブラヤシの大規模栽培がおこなわれ、彼らの生息地である森林はどんどん減っているのが事実。「対岸の火事?」そうではないようです。アブラヤシから製造されるパーム油は、例えば加工食品、洗剤、化粧品など日本に住む私たちの生活にも深く関係しています。

緑が広がっているように見えるが、実はプランテーションになっている場所も多い

 

松田先生は指摘します。「一番大事なことは、我々と関係ない話ではない、ということを知ることから」

 

そんな中で私たちにできることは、現状を知って、できる範囲で行動を起こすことだと松田先生は指摘します。例えばパーム油が含まれている製品について知ること、パーム油を用いた製品には、持続可能な採取と製造方法を採用していることを消費者に知らせるための「RSPO」(持続可能なパーム油のための円卓会議)認証マークが小さくも表示されていること、その表示の有無を購入の基準にしてみること、それら正しい情報を身近な人に伝えることなど…。

 

松田先生のお話を聞きながら、テングザルを取り巻く環境問題を自分たちの日常に引き付けることは窮屈なことでもなんでもないと筆者は感じました。だって、それを知ったときから、ボルネオ島に流れる川が自分の中を流れ、木々の上にはテングザルがいてこちらを見ている、そんな世界とつながる自分を感じさせてくれる、そんな気がしたからです。

 

デジタルアーカイブを楽しむ(5): 色メガネを外して世界中の生活を眺めてみよう!国立民族学博物館の特設サイト「月刊みんぱくアーカイブズ」!!

2024年10月17日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

国立民族学博物館は1977年、大阪府吹田市に開館した、文化人類学ないし民族学に関する研究所を備えた博物館である。通称は「みんぱく」(以下、「みんぱく」と記載)。世界各地の人間の生活について「文化」を切り口に、収蔵・展示・研究活動を行っている。対象が世界の「文化」であるから資料の数は膨大であり、建物のキャパシティもかなり広大だ。

 

みんぱくでは、開館当時から『月刊みんぱく』を刊行してきた。『月刊みんぱく』は、世界各地の日常や関連する用具等について、そこを調査フィールドとする研究者によってエッセイやコラム風に紹介される。だから、学術書とは異なり、広く一般の人々にもわかりやすい言葉で、異文化の一端に触れることができるわけだ。しかも現在ではそれら『月刊みんぱく』の一部が、『月刊みんぱくアーカイブズ』として、誰もが自由に閲覧できるように公開されている。

 

自分が生きる日本、社会、世間、会社……などなど、ともすれば常識や日常が一枚岩であるかのような閉塞感を感じてしまう人もいるかもしれない。だけど世界は広い。少し視野を広げてみれば、自分を取り巻く環境などほんの些細な事に過ぎないのではないか? そんな期待を胸に膨らませながら、早速アーカイブズを覗いてみた。

「みんぱく」の愛称で親しまれる、国立民族学博物館

収蔵資料も豊富ならアーカイブズも豊富!

『月刊みんぱく』は、2005年4月号から2023年12月号まで各号のPDFを読むことができ、創刊号から2005年3月号までは目次が公開されている。ざっと特集タイトルの並びを見るだけでも文化の多様性を感じることができる。というか、国や地域、民族や部族など、それぞれの生活文化がテーマなので、本誌面の1記事でひとつに絞って紹介するというのは難しい。だからここではいったん、私たち(というか全人類)にとって間違いなく、いやたぶんおそらく、身近であるだろう「衣」・「食」・「住」に絞って、興味深かった記事を紹介したい。日常の「わたし」や「常識」といった〝ものさし″を意識しつつ読んでみるとさらに興味が湧いてくると思う。

言葉をもたぬ「衣」、語りかける

まずは『月刊みんぱく』2019年6月号の特集「サウジアラビア女性の暮らしの半世紀」から、「衣」に関する紹介をしよう。この特集では、サウジアラビア女性の生活史や、同地を調査した人類学者の片倉もとこ氏(1937-2013)の足跡について、7人の研究者・関係者が寄稿している。ここで取り上げたいのは、縄田浩志先生(同館特別客員教授、片倉もとこ記念砂漠文化財団代表理事)の論考だ。イスラームの聖地メッカが所在するサウジアラビアの西部にワーディ・ファーティマと呼ばれる地域がある。中近東を主な研究フィールドとした片倉氏が、約半世紀前に調査を行っていた地域である。縄田先生の論考では、片倉先生が収集した資料と追跡調査の結果を交え、ワーディ・ファーティマの生活文化、特に女性の日常について紹介されている。

『月刊みんぱく』2019年6月号 特集 サウジアラビア女性の暮らしの半世紀

 

さて、「ムスリムの女性」と言われると一般的にどのようなイメージを思い浮かべるだろうか?多くの場合、メディアの影響もあって、真っ黒なベールに全身を包み込み、「なんとなく不自由そうな女性たち」を想像する方も少なくないのではないだろうか。実際、サウジアラビアのベールは、「うすい黒色の紗」であり、それを頭も含めて全身にかけるという。この一見一読だけで理解を終われば、確かに彼女たちは(私たちの日常に比べて)不自由そうだと思ってしまうのも無理はないかもしれない。そのような画一化されたイメージに対して片倉氏は以下のように述べている。

 

「砂よけ、紫外線よけにもなりますが、これをかぶると、わたしのほうから外は大変よく見えるのです。しかし、向こうからわたしの顔は、シワもシミも、全体の顔もよく見えないのです。…(中略)…サウディアラビアの女性たちは、匿名の解放感をエンジョイし、ショウ・ウィンドウにならべられて、値踏みされる商品になることをきっぱりとこばんでいる、ということでしょう。」(p.3、『旅だちの記』2013年、中央公論新社からの引用箇所)

同特集 河田尚子・藤本悠子「半世紀前の被写体女性に会う」p.5より

 

実際にフィールドワークを行い、自身が参与観察者となってベールを纏い、現地女性との会話も含めて調査した片倉氏の視野は深い。現象の表面的な違いに惑わされず、自分が着けている色メガネを外し、そのうえで「現地の女性」の視点から衣服の文化的・社会的意味を明らかにしている。それは日本からは遠く離れた地で生活をする女性と「衣」を通じて、逆説的に日本社会のジェンダー論を照射する示唆さえ与えてくれるようだ。

不均衡な「食」文化 

続いては「食」に関する記事を、2021年12月号の特集「塩と人」から見ていこう。オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニは、古くから中央砂漠を中心に生活してきた。砂漠の気温は1年を通して34度前後と過酷だ。現代では砂漠だけでなく都市部にも足を運ぶが、近代以前までの主たる生業であった移動型の狩猟・採集は今も続けられている。しかし現地を研究フィールドとする平野智佳子先生(当時、同館助教 現在、同准教授)によれば、現代のアボリジニに関わる問題のひとつに、「塩」による「健康被害」が挙げられているという。特に指摘される食物が、ジャンクフードである。

『月刊みんぱく』2021年12月号 特集 塩と人

 

ジャンクフードには以下のような特徴がある。

 

●塩分が相当程度用いられている(塩気の効いたポテトは美味しい)。

●比較的安価であり、購入の敷居が低い

 

これら諸条件に加わるのが、

 

●アボリジニの食分配ルール

アボリジニは仲間同士で食物を分け与えるというルールを大切にしており、この分配ルールが離合集散を繰り返す遊動生活の基盤になってきたという。だから食べ物は皆に分け与えられることが多い(ポテトは分配しやすい)。

 

これらの結果として、幼少期からポテトを咥えるアボリジニの子どもを見て、ある人には彼らがジャンクに頼った不健康な人たちとして映り、塩分の過剰摂取者として捉えられる。

 

同特集 平野智佳子「ジャンクフードをわけ合う」p.8より

 

しかし、そもそもアボリジニは塩を食材として用いてこなかった。彼らがオーストラリア大陸に移ってきたのは約5万年前頃と考えられているが、以後、西洋人に発見され、植民地化されるまで ”塩を用いた食品”(西洋型の食生活)は存在していなかった。かつてそこには、アボリジニの知恵と経験に基づく塩の無い健康的な食文化があった。

 

そんな食文化を一変させたのが18世紀後半以降から始まる白人の入植である。様々な食材や嗜好品と共に持ち込んだのが、塩あるいは塩を用いた食品であり、それらは時間の経過と共に労働対価や物々交換によってアボリジニの生活に浸透していった。この記事で平野先生は指摘する。

「よそ者が大量の塩を持ち込んだのだ。にもかかわらず『塩のある生活に適応して生きよ』というのは入植者側の身勝手な言い分であろう」(p.9)

 

食というのは生物としての機能を維持するための摂取活動だけではなく、文化的・歴史的・社会的あるいは政治的な意味が存在している。

ガチャではなく他者と「住」む

最後は「住」に関する記事だ。2015年10月号では「混住」が特集されている。混住とは、家族ではない他人同士がひとつの空間で生活を共にすること。日本では近年、シェハウスが増加している。コロナ禍中は若干減少したものの、現在では再び増加傾向にあるという。シェアハウスとは、簡単に言えば一軒家やマンションの一室などを他人同士で暮らす住空間である。台所、トイレ、お風呂など水回りは共有スペースとなる。彼らがシェアハウスに一生涯住み続けることは稀で、あくまで一時的な居住を前提に利用する人が多いようだ。

『月刊みんぱく』2015年10月号 特集 混住

 

田中雅一先生(当時、京都大学教授 現在、国際ファッション専門職大学教授)が特集内の論考「コンタクト・ゾーンとしてのシェアハウス」で注目しているのは、若者の自立を支援するシェアハウスである。居住者の悩みはさまざまだろうが、家族、学校、会社など社会へ踏み出す一歩として、シェアハウスでの生活をひとつの契機にしたいという想いがあるのだろう。

 

シェアハウスで他者と同居と聞けば、なかなか濃密でプライバシーが守られにくい印象を受ける。しかし、シェハウスではかならずしも濃密な人間関係が築かれているというわけでもないようだ。そんな「弱い関係」の居住者同士の間にも、対話は必然的に生じる。居住者は住環境の中で自然と相談する者/相談される者になるわけだ。ここで読み取れるのは、彼らの相談は決して格式ばった「相談」ではなく、居住者同士の何気ない会話から生じるということだろう。

 

「閑(ひま)だからいつも人の悩みを聞き続けているうちに、自分の一言がときには相手の『背中を押す』力をもつことに気づいたと語る学生もいた。…(中略)…これをきっかけに二人が親しい友人になったりするわけでもなく、背中を押された者は、ハウスからさっと飛び立って行くのである。」(p.3)

 

2024年現在になっても、住空間と言えば、未だに家族との「夢のマイホーム」というイメージを刷り込むような時代錯誤的とも言えるテレビCMが流れている。シェアハウスに身を寄せる者たちの行動は、まるで絶対に正しいとは言い切れない社会的規範や常識に対する待避所になっているような印象を受ける。もしかするとそれは緩やかな抵抗の実践なのかもしれない。この先、単身者の増加に加え、血縁、地縁、社縁などの更なる希薄化が進むことも予想される。長屋暮らしは過去のものだが、日常的な他者との接触の希薄化が、逆説的に他者を緩やかに希求する方向へ進んでいるのかもしれない。その結果として安心と安息の場としてのシェアハウスは今後も求め続けられる可能性がある。

日常を窮屈に感じたら、異文化への扉を開いてみよう

以上、「月刊みんぱくアーカイブズ」を早足ではあるが紹介させていただいた。「国立民族学博物館」と聞くと少し恐縮してしまう感じもあるが、平たく言えば、「世界の生活文化」の博物館である。 だから、本誌で紹介させていただいた内容などほんの一部に過ぎない。世界には私たちの知らない多様な民族や文化が存在している。それは翻って、私たちの日常もほんの一部に過ぎないということを意味している。

 

知的好奇心、外国好き、旅行好きな人はもちろん、例えば「今の生活にちょっと疲れちゃったな……」、「常識ってなんだか窮屈だな……」と感じている人にもオススメです。世界は広く、常識もいろいろ。是非、他者と異文化へのドアノブに手を伸ばすように、このアーカイブズを旅してみてはどうでしょうか。

 

動物やペットは民法でどう扱われてる?明治大学の法学入門講座を受けてみた

2024年7月2日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「あなたは犬派?猫派?」どちらでしょうか。2024年5月、明治大学で「動物から始める法学入門-動物に関する裁判例を読んでみよう- 文系も理系も集まれ!~法学部編~」と題された公開講座が開催されました。

3匹の猫と生活をしている筆者は、1匹目の捨て猫を育ててから猫の魅力に取り憑かれ、今では猫がいない生活など考えられない…となってしまった「猫派」。法律という視点から何が学べるのか!?と関心をもち、オンラインで視聴しました。

ペットを含む動物は「物」に過ぎないのか!?

「最近は、猫を飼う人が増えているみたいですね。2015年頃には空前の猫人気となり、『ネコノミクス』なんて言葉も流行りました。2017年には猫の飼育頭数が犬の飼育頭数を上回ったようです」

 

そう語るのは、明治大学法学部教授の吉井啓子先生。私たちにとって身近な存在である動物・ペットに法律がどう関わっているのか?ペットが関わる裁判とはどういった内容なのか?など現代のペット事情について、法律を切り口に、フランスなど諸外国の法律との比較も交えながら研究されています。

国民生活センターに相談が寄せられたペットに関するトラブルは、2022年で1500件を超えるという。「ちなみに我が家にも猫がいます」という吉井先生

 

しかし「ペットや動物に関わる事件と裁判」と聞くと、ちょっと痛ましい出来事を想像してしまう筆者です…。そういえば、今年1月に羽田空港で日航機の炎上事故がありましたが、事故後にテレビやSNSなどで取り上げられたのがペットの同乗に関する議論でした。ペットはスーツケースと同列化されるような「物」(モノ)ではなく、人間の「家族」であり「乗客」なのではないのか?そんな問いが提起されたわけです。この問いかけは法律ではどのように規定されているのでしょうか。

 

まず吉井先生が紹介したのは「動物愛護法」の場合です。動物愛護法では、「動物は命あるもの」であるため、虐待や遺棄した場合は、動物虐待罪として罰金または懲役刑に処されることや、生体販売される犬と猫についてはマイクロチップの装着・所有者情報の登録義務などを定めています。ちなみにここで規定される「愛護動物」には魚類や両生類は含まれていません。

「動物愛護法」において、愛護動物はスライドの④-一、二のように規定されている

 

さかなクンが愛する魚類が含まれてないのは考える余地があるものの、人間と動物の共生や命ある動物を守ろうねという意識は感じられます。「動物愛護法」だけ読めば、「動物は物に過ぎない」という考え方は法律には存在しないんじゃない?とも思えてきたりしますね。

 

次は「民法」の場合です。吉井先生によれば、社会における動物の見方や位置づけは時代と共に変化してきているといいます。それは、愛玩対象としての「ペット」という用語が、伴侶としての意味合いをもつ「コンパニオン・アニマル」に代わってきているという事実からもうかがえます。

 

しかし「民法」での動物の規定は、社会の変化に追いついていないようです。というのも以下のような規定があるのです。

 

・動物は人の権利の客体となる「物」である(85条)

・その他の無生物と同様に「動産」である(86条2項)

 

「日本の民法における動物の位置づけは起草当時のままなんです。つまり動物は人の権利の客体となる『物』であり、無生物としての『動産」に過ぎない、とされています」

 

起草当時とは、なんと明治時代(愕然)。ということは、日本における動物の法的な位置づけは100年以上放置されてきたともいえます。

 

一方、海外の法律についてもお話がありました。オーストリア、スイス、フランスの「民法」では動物を単なる「物」とは捉えていないといいます。例えばフランスでは、動物を「感受性を備えた生命」と定義し、動物を「物」から切り離して、特別視する条文を入れているそうです。なるほど、フランスが先進的なのか日本が遅れているのか、おそらく後者が正解なんでしょうけど、外国と比較することで浮き彫りになっちゃいますね。もはや「ヨソはヨソ、ウチはウチ」では済まなさそうな話です。

 

少し残念ではあるけれど、日本の「民法」では未だに「動物は物・動産に過ぎない」という現実を知ることができました。では、そのような法律のもとで動物を巡る裁判にはどのような事例があって、結果はどうなるのか?さらに興味が湧いてきました。

動物をめぐる裁判例でみえた民法との狭間

吉井先生曰く、ペットに関する裁判や裁判例について、まず私たちが知っておくべきことは「損害賠償」にも、「慰謝料」「財産的価値」「治療費」「葬儀費」などがあることです。「慰謝料」とは、飼い主が受けた精神的苦痛に対して支払われる金銭的賠償であり、「財産的価値」とは、ペットの金銭的価値となります。

 

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【裁判例1】飼い主への慰謝料の事例

トリミング中に起きた猫の尻尾切断事故 2012年、東京地方裁判所

 

概要:ペットの猫をトリマーに連れて行ったところトリミング中に誤って尻尾を切断されてしまった。

   結果、猫は人を恐れるようになり、飼い主は精神的な苦痛を受けた。

判決:「動物は生命を持たない動産とは異なる、飼い主との間で愛情関係を育みうる」存在であり、

   損害賠償(慰謝料)の請求が認められた。

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判決では、慰謝料が認められましたが、財産的価値は争点にもなりませんでした。なぜかというと、当時、その猫は命に別条がなかったことに加えて、9歳を経過していたからです。わかりやすい例で言えば、新車、中古車でしょうか。10万キロも走っている車の財産的価値は特殊な場合を除いて算出するのが難しい。同様に、ペットもまた時間の経過と共に財産的価値は下がってくるとのこと。

 

 

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【裁判例2】ペットの財産的価値の事例

盲導犬の交通事故死をめぐる慰謝料と財産的価値 2010年、名古屋地方裁判所

 

概要:盲導犬育成団体から無償で貸与されていた盲導犬が車の交通事故で死んでしまった。

   盲導犬育成団体は事故を起こした運転手に対して損害賠償請求を行った。

判決:団体に生じた損害賠償(財産的価値)として260万円の請求が認められた。

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ニ…ニヒャクロクジュウ万円!?!とも感じてしまいますが、盲導犬の飼育、育成には、相当な時間、費用、労力がかかることは想像に難くないですね。これはまさに動物の財産的価値が評価された事例といえます。

 

 

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【裁判例3】ペットの治療費に関する事例
フレキシリード(伸び縮みするリード)の欠陥により飼い犬が重度の障害を負った 2011年、名古屋高裁

 

概要:買主は販売業者に対して「製造物責任法3条」に基づき損害賠償を請求した。

判決:慰謝料30万、治療費42万、リードの欠陥調査等のため支出した72万円余の損害賠償請求を認めた。

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この判決で注目すべきは治療費42万円。この額は犬自体の価値(財産的価値)を大きく上回ると考えられる、と吉井先生。このような治療費を損害として認める判決が出てきたことは画期的だったそうです。

 

 

 

以上、いろいろな裁判例をみてきましたが、民法の規定がありながらも、動物は通常の「物」とは異なる扱いを受けていることがわかりました。「物」とは異なる動物の性質について言及したり、それに基づいて判断したりする裁判例が増えてきているのが実際のところのようです。

 

「しかし、民法においては相変わらず動物は動産扱いです。近い将来、紹介した海外のような条文を日本も置くことになるのかもしれません。ただその点に関する議論はまったく熟していない状況です」

動物と法、今後の課題とは? 

吉井先生によれば、動物と法に関する問題は、今後も増加する可能性があるといいます。

例えば、「ペット」の安楽死については、誰がそれを選択・決定できるのかといった問題。動物の飼い主には、その動物が亡くなるまで養う終生飼養義務があるけれど、ペットと飼い主双方の高齢化も進んでいるそうです。さらに今後増えていく可能性のある老犬、老猫介護ホームに関わる動物の保管環境と飼い主との契約上の問題など。

なるほど、動物と法、飼い主とペットの問題は、社会問題にも深く根差しているんですね。

 

筆者が飼っている1頭目の猫は捨て猫だったのですが、今回の講義を聞いて「無償で譲り受けた猫や犬の財産的価値はないと考えてもいい」ということもわかってしまいました。

「でも、無償で譲り受けた猫や犬が、トリミング中に尻尾を切断されたら、財産的価値はないにしても、精神的損害に対する金銭的賠償である慰謝料に含めて補填される可能性はある」というお話も聞き、少し安心。人生の伴侶としての大切さを、法学という新たな視点から感じることができました。

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