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子どもの喧嘩の原因のひとつはコレ!自己中心性バイアスを探る神戸大学の研究。

2019年10月17日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

他人の視点に切り替える力とは?

神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授・林 創(はやし はじむ)先生は、コミュニケーションや社会性が、いつ頃から身についていくのかを研究している。

 

先生によると、人間がスムーズなコミュニケーションができるのは、他人の心を推測する能力があるから、つまり、相手の意図や考えを自然に読み取って、協調しながら話を進めたり、助けてあげたりできるからだという。心理学では、意図や欲求や考えといった心の状態によって行動が成り立っていると理解する枠組みのことを「心の理論」というそうだ。

 

会話の最中に、「あ、今、相手があんな表情をしたということは、相手はこんなふうに思ったかな。もしかして言い過ぎ? フォローしとかないと…」などと、相手の気持ちを推し量っているのは、「心の理論」が働いている状態なのだ。

 

他人にも自分と同じ心が宿っているとみなしたり、他人にも自分と同じように心の働きがあることを理解したり、他人の心理の理解に基づいて他人の言動を予測したりといった働きをする心の理論。たとえば、「誰かがコップに手を伸ばす」という行動を見ると、その人が何も言わなくても、「コップを取ろうとしているのだな」という意図がわかるというのも、その一つ。能力とか力とか言うのはおこがましいような気がするほど自然なことだが、いったい子どもはいつ頃から身につけているのだろうか。

「心の理論がはっきりとした形に発達するのは、4~5歳ころと言われています」と林先生。

神戸大学 大学院人間発達環境学研究科(国際人間科学部・発達科学部)の校舎

神戸大学 大学院人間発達環境学研究科(国際人間科学部・発達科学部)の校舎

研究について話す林准教授

研究について話す林准教授

 

心の理論が備わっているかどうかを確認するための「誤信念課題」と呼ばれる、有名な課題があるそうだ。

AちゃんとBちゃんが部屋の中にいて、箱が2つある。Aちゃんに、Bちゃんの目の前で右の箱にビー玉を入れてもらい部屋の外に出てもらうとする。

その後、Bちゃんに、ビー玉を左の箱に移し替えてもらう。Aちゃんを再び部屋に呼び入れて、ビー玉を探してと言うと、どちらの箱を探すと思いますか、というのが問題である。

 

さて、どっちだろう。Aちゃんは、Bちゃんがビー玉を左の箱に移すのを見ていないのだから、「右の箱を探す」が正解である。

 

しかし、3~4歳頃までの小さな子では、自分が知っているビー玉が移されたという知識に流されてしまい、「左の箱を探す」と思ってしまうのが普通なのだという。これは、自分の視点から瞬時に他人の視点に切り替えて考えることがなかなかできないから起こる錯覚。まさか、というのが正直な感想で、こんな当たり前のことがわからない時期があるというのが意外だった。

 

「わからないわけではないのです。自分の視点に注意が向きやすい、と言ったらいいでしょうか。自分の知識の呪縛から逃れられないというのか。こういう傾向を、『自己中心性バイアス』といいます。バイアスとは、客観的な見方や基準からのずれや偏りのこと。自己中心性バイアスは、自己中心という言葉を使ってはいますが、身勝手とかわがままといった意味は全くありません」

 

幼稚園ぐらいの子どもが、話す相手がそのことを知らなくても関係なく、自分の友だちのことなどをおしゃべりしたりするのも、この自己中心性バイアスのせい。もう少し大きくなってくると、その友達について相手が知らないと分かれば「うちの隣に住んでいて同じ幼稚園に通っている子だけど」などと補足して説明できるようになるという。

他人の感情をどこまで理解できるか。

自己中心性バイアスについては、これまで、他者の視点や考えを理解しているかどうかという認知的な領域の研究が主だったが、林先生とゼミの学生は今回、他者の感情を理解しているという情動的な領域について調べることにした。

 

その実験は下図のような絵を見ながらストーリーを理解し、判断してもらうものだ。積み木をわざと倒してバラバラにされるのと、うっかり倒してバラバラにされるのとでは、主人公(女の子)は、どちらがより悲しんでいるか、という設問である。

神戸大学「Research at Kobe」より転載

神戸大学「Research at Kobe」より転載

 

まずは、主人公の目の前で起こった場合、どちらがより悲しんでいるかを問う。この場合、わざと倒された方が悲しみが大きいというのが一般的な反応だ。

 

さらに今度は、上図の右(主人公が知らない条件)のように、主人公が部屋を離れた後、同じく積み木が壊された場合に、主人公はどちらがより悲しんでいるのかを答えさせる。わざと壊したのかうっかり壊したのか、見ていなければわからないのだから、どちらも悲しみの度合いは同じ、というのが正解である。

 

だが、実験では、感情の理解においても自己中心性バイアスがかかることがわかった。小学校高学年までは50%以上が、「わざと壊された方が悲しみの度合いが強い」と答えている。想像以上に高い数字だ。それだけでなく、大人でも15%程度がそう答えているという。

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「こうしたことがわかってくると、コミュニケーションの見え方が変わってきます。人間関係のトラブルでは、とくに小さい子の場合、他者の心の状態の読み誤りというのが結構多いのです」

 

たとえば、壊した子の立場から見てみると、自分はわざとではなかったのだから、壊された子もそんなに悲しく思わないはずだと錯覚してしまうこともある。しかし、壊された子がいない間の出来事だったらわざとかわざとでないかは知らない。壊した子の想定以上に、もっと怒りや悲しみを感じている場合も十分にある。それなのに、あんまり真剣に謝っていなかったなどと、感情の食い違いが起こり喧嘩を引き起こす。

 

この話を聞いて、このパターン、大人でも結構あると思ってしまった。わざとじゃない、仕方がなかった、ということを言い訳にして、相手の気持ちを必要以上に軽く見てしまうことが確かにある。

 

「人間は、自然にコミュニケーションができ、社会性を獲得しているようですが、その裏にはいろんなバイアスがあります。こういうバイアスがあるということは、心理学の研究を通してわかってきたことです。バイアスを全くゼロにすることは不可能ですが、少なくとも、こういうことが起こりがち、ということを知っているだけで、すぐに対応できるようになり、バイアスを軽減することができるでしょう」

 

子育て中だったり、保育・教育の仕事に就いている人なら、このバイアスを知っていることで適切な言葉かけができる。間違っても、「なんでそんなことがわからないの?」とか「何でそんなことで怒っているの?」なんていうことは言わなくなるし、冷静に子どもの喧嘩に対処できるというわけだ。

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人間はバイアスする生き物

「人間の思考は、バイアスがかかっていることがあり、心理学はバイアスを調べる学問でもある」という林先生。それでは、バイアスがあることを自覚しておいたほうがよいかと質問してみた。「コミュニケーションの場合はバイアスについて、できるだけ知っておいたほうがスムーズだが、他のバイアスについては、必ずしもそうとは言えない」と言いながら、先生は「アンカリング」と言われるバイアスを例に挙げてくれた。

 

アンカリングとは、先に見た数字や情報に引っ張られて、判断に影響を与えるバイアスのことだそう。たとえばバーゲンセールで、10,000円が横線で消され7,000円にプライスダウンしているとつい買いたくなってしまうが、最初から7,000円だったら買わないかもしれない。10,000円を最初に見てしまうためにそれが基準点になり、「3,000円も安い」と思ってしまう。あまりに経験がありすぎて、笑いそうになる。

 

「アンカリングを知っていたら、確かに惑わされにくくなって浪費が減るかもしれませんが、一方で、知らなかったら知らなかったで、いい買い物をしたと満足できることもある。知らないことのほうが幸せというか、下手に知ってしまうと買えなくなって、満足度が下がるかもしれませんから」

 

さすが心理学者、消費者の心はお見通しである。今回の取材で、心の発達が想像以上に段階を踏んだものであることが改めてわかると同時に、自分中心性バイアスに陥りがちな毎日について反省することができた。先生の研究テーマは、嘘や道徳性の発達だと聞き、さらに反省することになりそうではあるが、ぜひともまたお話をうかがいたいと思った。

ゆる・かわ・キッチュな作品でときめこう!龍谷ミュージアム「日本の素朴絵」展

2019年10月10日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

この秋、龍谷ミュージアムで、「かわいい!」「やばくない?」と思わず口にしてしまう作品ばかりが勢ぞろいしている楽しい美術展が開催されている。タイトルは「日本の素朴絵」。副題が「ゆるい、かわいい、たのしい美術」なのだが、まさにそのまま、看板に偽りなしだ。

ゆるく味わい深い「素朴絵」

展示室を歩くと、観るもの観るものが、ゆるキャラの元ネタのよう。子どもの描いた絵のようだったり、本気なのか?と作者に問いかけたくなったり、そのくせ、色遣いやデザインセンスは抜群だったり、とにかく突っ込みどころが満載の作品ばかりだ。

雲水托鉢図(南天棒筆)。なんともいえないこの表情…。描いたのは明治から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶

雲水托鉢図(南天棒筆)。なんともいえないこの表情…。描いたのは明治から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶

ツッコミたくなる気持ち、わかります

ツッコミたくなる気持ち、わかります

 

素朴絵というのは、浮世絵や仏画といった絵画のジャンル名ではなく、ゆるく味わいのある表現で描かれた絵画のことで、今回の展覧会でも監修を務める跡見学園女子大学教授の矢島新氏が名付けた。

 

「素朴絵画家」といった人が存在するのではなく、素朴絵かどうかを決めるのは観る人だというところがポイントである。基準もゆるいので、突っ込み放題。作品を観つつ、「これ、素朴絵じゃなくない?」と反応している人もいるそうだが、これ、かなり正しい観方なのである。

 

実は最近、このような本流でないというかB的というのか、王道からズレたところを楽しむ美術展がいくつか開催され、サブカル女子などを中心にかなりブームになっているそう。そんな中で、今回の美術展の特色とは何か。龍谷ミュージアム学芸員・松村加奈子さんは、「一番古いもので埴輪などから大正時代まで、日本美術史の中の素朴絵を通史的に味わえるところです。長い歴史の中で、どんなふうに根付いてきたのかを感じてもらえればと思います」と話す。

垂れ幕は「soboQuiz」。さらに楽しめる仕掛けになっている

垂れ幕は「soboQuiz」。さらに楽しめる仕掛けになっている

庶民も将軍も絵描きもみーんなゆるい

100を超えるゆるかわキッチュな展示作品は、どれも、素通りすることをなかなか許してくれない。たとえば、室町時代の絵巻物「つきしま絵巻」。清盛が大輪田泊の大改修をした時のことを描いた絵物語で、激しい潮流や風を鎮めるために人柱を立てるという悲惨な話なのだが、この絵を一目見てその重たさ暗さを想像する人はまずいないだろう。

つきしま絵巻の一部。右上に平清盛の姿がある

つきしま絵巻の一部。右上に平清盛の姿がある

 

人物がかわいすぎ、着物の柄がおしゃれすぎ、建物のパースは崩れすぎ、なのに字がうますぎる。とにかく、平静ではいられない。村松さんによれば、この絵巻物を発見したのは、民芸運動の父と言われる柳宗悦だという。「幼稚な絵だが、まがいもなく美しい」とその魅力を表現したそうだ。

同じくつきしま絵巻。俯瞰してみれば、色使いも美しく整っていることがわかる

同じくつきしま絵巻。俯瞰してみれば、色使いも美しく整っていることがわかる

 

素朴絵には名もなき人の作品がいっぱい含まれている。庶民が手の届かない「上手い」作品の代替として季節行事などに用いられたケースもあるという。当時の庶民がどんな絵を描き親しんでいたのかを知ることができるのは興味深い。

 

また同時に、時の権力者など有名な人が描いた、驚くほどのゆるい絵にも会える。あまりにも振り切ったレベルだと、思わず人柄に親しみを覚えてしまう。さらに、著名な画家が描いた、何ともいえない抜け感のある絵もある。いや、うまいのは確かにうまいが、なんでこれ、その画風にしようと思いました? と聞いてみたくなるような、通常の画風との不思議な落差が存在している。

伏見人形図(伊藤若冲筆)。え!これが若冲!?

伏見人形図(伊藤若冲筆)。え!これが若冲!?

 

不思議なのは、昔から、ゆるいものが好きな人がいたのかということ。前述の雲水托鉢図や伊藤若冲の伏見人形図は、同じようなモチーフがたくさん残っており、人気だったと思われるのだそうだ。

 

「庶民文化が円熟していく中、お金持ちや特権階級の人たちが、ちょっといいね、と認めたのではないでしょうか。矢島先生は、江戸時代の半ばぐらいがひとつのターニングポイントだとおっしゃっています。この時代には心の余裕が生まれ、素朴を愛でるスタンスができてきたと言えるのかもしれません」

キュレーターぞっこんの狛犬さん

展示は「絵本と絵巻」「庶民の素朴絵」「素朴な異界」「知識人の素朴絵」「立体に見る素朴」と5つに分かれているのだが、中でも、本当にレアなものが目白押しなのが「異界」と「立体」だ。異界の展示作品は、江戸時代のUFO目撃譚を克明に記録した「漂流記集」や、小学生の絵日記から抜け出たような「大坂城堀の奇獣」、かわいくてこわすぎる「クタヘ」など、一言で言って、ぶっ飛んでいた。

1803年に常陸国(茨城県)で起きた漂流船に関する記事。“江戸時代UFO事件”として知られる。船の中にいた女性の詳細も記載され、うそかまことか、世間を騒がせた

1803年に常陸国(茨城県)で起きた漂流船に関する記事。“江戸時代のUFO事件”として知られる。船の中にいた女性の詳細も記載され、うそかまことか、世間を騒がせた

江戸時代に描かれた「クタヘ」は「件(くだん)」とも呼ばれる「予言獣」。素朴なようで、うっすらとしたこわさも…

江戸時代に描かれた「クタヘ」は「件(くだん)」とも呼ばれる「予言獣」。素朴なようで、うっすらとしたこわさも…

 

さらに、石造や焼き物の小さな狛犬たちは、あまりにもキュート。神社に奉納されていたものや、愛知県陶磁美術館の館蔵品の一部で、出品交渉に行った矢島教授と村松さんが一目ぼれしたという。

和歌山の河根丹生神社に奉納されていた獅子と狛犬(室町時代)。おもしろかわいい顔立ちに、自然と笑顔になる

和歌山の河根丹生神社に奉納されていた獅子と狛犬(室町時代)。おもしろかわいい顔立ちに、自然と笑顔になる

こちらは陶製の狛犬(江戸時代)。村松さんおすすめは真正面の表情

こちらは陶製の狛犬(江戸時代)。村松さんおすすめは真正面の表情

 

「私の専門は仏画で、いわゆるA級クラスの作品をよく見ているわけですが、それを家に飾ろうとは思わない。でも、今回展示したものは全部、自分のものにしたいという感覚があります」という村松さん。

 

完璧なものは人を寄せ付けないところがあるが、ゆるさはやはり、愛おしさをもたらすのだ。村松さんは、この狛犬に密かに名前をつけて可愛がっている。確かに、欲しい、と思う作品がいくつもあった。

 

時間の過ぎるのも忘れて、見入ってしまった。いわゆる、はまったと思う。ぐっと近づいて、こんなものが描かれている、あんな変な形がある、なんていちいち見つけたいという衝動を抑えることができなかった。かなり幸せな気分なのだが、それは癒しとか、ほっこりとかいうのと、またちょっと違う。一つひとつの作品のあり方そのものが主張してきて、それに突っ込んだりできるライブ感、のようなものか。観終わってから立ち寄ったミュージアムショップで、グッズも久しぶりに買ってしまった。

手ぬぐいやシール、ノートなどのオリジナルグッズも

手ぬぐいやシール、ノートなどのオリジナルグッズも

 

すごい展覧会です。最近、ときめきないなあ、という方、ぜひ行ってください。10月20日までの前期と10月22日~11月17日の後期では、作品の入れ替えもあるそうなので、一度行かれた方もぜひ。後期には、尾形光琳の「竹虎図」が展示されるのにちなんで、10月26日には、この絵をモデルにした京都国立博物館のゆるキャラ、トラりんがお迎えしてくれます(時間はHPで要確認)。

大阪大学総合学術博物館「四國五郎展~シベリアからヒロシマへ~」から伝わるメッセージ

2019年9月3日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

ヒロシマを描き続けた画家

大阪大学総合学術博物館では、2019年4月から約3カ月の会期で、「四國五郎展~シベリアからヒロシマへ~」が開催された。
四國五郎は広島で生まれ、ヒロシマを描き続けた市井の画家であり詩人である。カタカナの「ヒロシマ」は、世界で初めて核爆弾を落とされた町を象徴的に示した表現である。四國は戦後の広島で峠三吉らとともに反戦文化運動を展開。生涯反戦平和をテーマに制作を続け、2014年に89歳で亡くなった。

四國五郎

四國五郎

 

今、世界で、詩画人四國五郎の再評価が進んでいるという。国内はもちろんのこと、海外からも展覧会の開催や四國の絵を使った平和教育の教材を作りたいといった要望が続々と寄せられている。アメリカでは彼の作品をテキストに歴史の授業を行っている大学や、またマサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授らのグループのサイトには、元原爆資料館館長・高橋昭博氏の被爆体験を描いた四國の作品が37枚掲載され、世界中からインターネットを介して閲覧できるようになっている(こちら)。

 

表現者として戦争の悲惨さ、残酷さをどのように伝えるのかを追究し続けた四國。戦争のリアルタイムな体験者がいなくなってしまう時代に、四國の仕事は、ますますその重要性を増している。この展覧会は、再評価を担ってきた研究者の研究成果を結集し、関西初の機会として開催されたものだ。

 

子どもの頃から神童と言われるほど絵が上手く、小学校の先生が大人向けのデッサン教室に連れて行ってくれるほどの高い画力を持っていた四國。

 

画家になる夢を抱いていたが、父を早くに亡くして早くから一家の生計を支え、さらに召集後は関東軍の苛烈な戦場に赴くことを余儀なくされ、その夢は限りなく遠のくことになる。

 

対戦車用地雷を抱えて敵の戦車の下に飛び込む命を受け出撃日も決まっていたが、その1、2日前に辛くも終戦。しかし、ソ連軍の捕虜としてシベリアに抑留され苛酷な労働に従事。ようやく帰国できたのは終戦の3年後だった。

 

つまり彼は原爆を体験してはいない。しかし、いつか一緒に絵を描こうと約束していた弟・直登の被爆死を知った四國は、詩や絵画を通じた反戦・反核兵器の運動に身を投じ、その後も反戦平和のために終生戦争を描き、広島を描き続けた。

弟・直登の肖像と鎮魂歌。肖像画には「泣きながらこれを描く」とある

弟・直登の肖像と鎮魂歌。肖像画には「泣きながらこれを描く」とある

戦争体験者の心の底からの実感

シベリア抑留の記録や作品を見つめる来場者。家族連れから年配の方まで、8000人弱もの方々が訪れた

シベリア抑留の記録や作品を見つめる来場者。家族連れから年配の方まで、8000人弱もの方々が訪れた

 

シベリア抑留時代に密かに書き残し日本に持ち帰った「豆日記」が展示されていた。一切の記録の持ち出しが禁じられ、背くものには厳罰が処せられるという状況の中、どんな覚悟で持ち出したのだろう。「今ここにあることを残すことが大事なんだ。わかっている人間がやらなきゃならない。そういうことを次の世代に引き渡していくことが大事なんだ」というのが、シベリア時代の四國の口癖だったという。自分の未来も見通せない極限に近い状態でも、戦争で何が起こったのかを伝えていくことの責任を自覚していたということに驚く。

 

四國の反戦平和活動の一つ、一枚一枚手描きの反戦詩画を街頭に貼りだす「辻詩」の活動で描いた作品も展示されていた。

「辻詩 題名未詳(もう止してくれ!…)」 画鋲のあとが生々しく残る

「辻詩 題名未詳(もう止してくれ!…)」
画鋲のあとが生々しく残る

 

「辻詩 題名未詳(若者の眼は…)」

「辻詩 題名未詳(若者の眼は…)」

 

戦後もなお言論統制が敷かれていた時代。警察が来ると逮捕されるため、仲間がはがしてはまた別の場所に貼りだした。150枚~200枚ほども描いたうち、現在残ったものはたった8枚。朝鮮戦争勃発し戦争がまた近づいてくる気配を感じ、居てもたってもいられない苛立ちが伝わってくるような作品群だ。

表紙や見返しの絵を描いた『原爆詩集』。いまだ日本が連合国軍の占領下にあった1951年に500部発行

表紙や見返しの絵を描いた『原爆詩集』。いまだ日本が連合国軍の占領下にあった1951年に500部発行

 

全作品とアトリエを管理する長男の四國光さんに父親としての横顔を聞くと、「ひたすら優しく物静かで、謙虚な人でしたね。父が声を荒げているところを見たことがない。近所の子どもたちに対しても丁寧語を使い、大人のように接していました」。

四國光さん

四國光さん

 

優しい父親像と過激な反戦活動を行う平和の闘士像が合致せず、以前は不思議な感じがしたと光さん。だが、そんな温厚な父が怒った姿を、長女の美絵さんは鮮明に覚えているという。

「姉が二十歳になって初めて選挙権を得たのに、どういう理由だったか棄権した。それを知った父が、大変怒ったそうです。父のことですから、静かに深く怒るんです。姉が、『すいません。もう棄権しません』といくら言っても、『いや、女性が参政権を得るまでにどれだけ大変な思いをしたのか、あんたはわかっていない』と、延々4時間も説教をしたそうです」。

 

戦争を止めるには、選挙で戦争をしない政府を自分たちで選び取るしかないという強い思い。「戦争を体験してきた人間の、心の底からの実感、信念だったのだと思う」と光さんは話す。

表現物ならではの伝える力

「父は、何かの原稿で、『テーマではなく生き方である。』と述べています。絵描きとして平和をテーマに描くというような、軽い話ではない。平和を描く人生を選択した、そういう生き方の問題だと宣言した文章でした」という光さんの言葉が印象に残る。

 

四國五郎は何度も何度も母子をモチーフに作品を描いており、今回の展覧会でもいくつかの作品が並んでいて目を引いた。平和だが戦災を予感させるような母子、死んだ子どもを抱きかかえるベトナムの母子、戦火で死んだ母のそばでまんじりともしない子ども。どの作品も、この非人間的な冷酷さが戦争なのだと強くメッセージを伝えている。

「殺されたわが子」

「殺されたわが子」

 

「父はなぜ描いたのか、それは結局、戦争の記憶を伝えていかなければ、という使命感からでした。生きた証言者がいなくなるこれから、大事なものは、残された表現物でしょう。表現物には自分がこれだけは伝えたい、という強い想いが込められています。だから、相手に伝わり胸を打つ。接した人を感動させ、人を変えていく。それが表現の持つ力。表現物から戦争を学ぶことで、本当の戦争に近づかないようにすることが大事です」

 

四國五郎は、多くの方にわかってもらうため、伝えるために、注意深く表現を創った。例えば、原爆で亡くなった方々を描くにしても、顔をきれいに描いた。目をそらさずに見てもらえるように、特に子どもを怖がらせないように、配慮して描かれているというのだ。

 

原爆を描いた絵本『おこりじぞう』(作・山口勇子 発行・金の星社)の挿絵を描いた四國五郎が、巻末に寄せているメッセージにはこうある。

 

「子どもたちに、こわがらないで最後まで見てもらえて、しかもこのうえなくこわい絵本を描くことはむずかしい。こわいものなど描きたくはないのだが、こわいものを地上から無くするためには描かねばならない」。

『おこりじぞう』をはじめとする子ども向けの作品

『おこりじぞう』をはじめとする子ども向けの作品

 

『おこりじぞう』の原画。やわらかな筆致の中に、戦争の恐ろしさがにじむ

『おこりじぞう』の原画。やわらかな筆致の中に、戦争の恐ろしさがにじむ

 

シベリアにいて被ばくを免れた四國五郎の描くヒロシマから、想像する力と大切なものへの愛の力を知ることができた。戦争に対しての彼の怒りと悲しみの表現は、見るものに今我々は何をすべきかを訴えかけてくる。風化しつつある戦争の記憶を呼び起こすために、一生をささげた四國五郎の思いとその生き方から多くのことを学び、戦争を身近に感じることのできた展覧会だった。

 

取材協力:大阪大学21世紀懐徳堂

お茶で国家をつくる!?大阪観光大学の王先生に聞いた、あまり知られていない中国茶の話。

2019年8月22日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

中国茶の劇的変化

観光人類学、フードツーリズム、中国文化研究を専門とする大阪観光大学観光学部の王静先生は、中国茶についての面白い研究をしている。研究室を訪ねると、机の上には茶壺(ちゃこ)と呼ばれる小ぶりの急須と、茶杯(ちゃはい)というこれも小ぶりの茶碗が用意してあった。王先生は、お茶を飲む習慣が発祥したという四川省出身だ。

 

「中国茶というと、ウーロン茶やジャスミン茶が思い浮かびますよね。でも、中国大陸で一番飲まれているのは緑茶なんですよ」。

大阪観光大学 王静講師

大阪観光大学観光学部 王静講師

 

高級茶藝師という中国の国家資格も持っているということで、さっそく、高級中国茶として名高い緑茶、西湖龍井(ロンジン)茶を淹れていただく。

西湖龍井茶の茶葉

西湖龍井茶の茶葉

西湖龍井茶の産地、梅家塢村の入り口

西湖龍井茶の産地、梅家塢村の入り口

 

おっ、と思うぐらい香り高く、色は日本の緑茶より黄色がかっている。日本の緑茶とは製法が違い、蒸さないで釜で炒って発酵を止めるため、香りが残り、緑が飛ぶのだという。味はとてもすっきりして、こんなに飲みやすいものなのかと思うほど。何千年という歴史を持ったお茶は違うな、などと思っていると、先生が意外なことを口にした。

 

「中国茶は歴史や伝統のある文化というようなイメージを持たれているかもしれません。しかし1980年代後半まで、中国の民衆のあいだでは、今日のような淹れ方でお茶を飲んでいませんでした」。

 

お茶を発見して飲んだのも、栽培したのも古代中国が発祥である。宋の時代には一般市民の間でもお茶を飲むようになり、17~18世紀には世界の市場をほぼ独占。しかし、19~20世紀に入って列強の侵略や世界大戦・日中戦争で茶業は衰退した。1949年には生産量がわずか4万トンしかなく、王先生が生まれた頃にはまだ日常飲料として飲まれていなかったお茶が、現代では隆盛を極め、「国家を代表する伝統文化」となるという劇的な変化。そこにはどのようなプロセスやメカニズムがあったのかに興味を抱いて大学院生の頃から研究を始め、2017年には『現代中国茶文化考』(思文閣出版)という研究書も出した。

茶文化研究の歴史に一石を投じた『現代中国茶文化考』(思文閣出版)

茶文化研究の歴史に一石を投じた『現代中国茶文化考』(思文閣出版)

新中国の「お茶立国」

王先生によると、1949年に中華人民共和国が誕生した際、国家政策として、衰退していた茶業の恢復が優先的に図られたのだという。新中国政府は「社会主義工業化国家」を目指して国家づくりをしていく。ソ連から資源や製品、技術を輸入する代わりに、ソ連が必要とするお茶を輸出する。ソ連からは3億ドルの借款も行ったが、そのほとんどをお茶で返したという。「国家づくりをお茶にかけていたんです」。

 

また、中国国内には、お茶が生活必需品の少数民族が多かった。モンゴル族はミルクティ、チベット族はバターティ。「標高が高いので野菜は栽培できず、羊の肉やミルクなどが中心となる食事では、消化を助けビタミンを補給できるお茶が必要不可欠なんです」。そこで中国政府は、少数民族が必要なお茶を優先的に提供できるようにする政策を立てた。多民族国家を団結させるためにも、茶業の拡大は至上命題だった。

 

さらに、アジア・アフリカ諸国との外交関係でもお茶が活躍した。モロッコ、ギニア、アフガニスタン、ベトナムなどの国にお茶の栽培技術を持つ人を派遣し、現地の茶業育成を支援。こうして中国と国交を結ぶ国が増えた。また、アメリカとの国交樹立にも、茶がつなぐ役割を果たしたという。

 

国家づくりの一環で茶業を復興させていく間は、お茶の国内流通は自由に行われていなかった。1966年から約10年間続いた文化大革命で、お茶が贅沢品として排除された時期もあったが、その後、国内の工業化は進み、少数民族への供給も安定した。しかし、茶業は生産拡大を続けたため、茶葉が国家の倉庫に保管されたまま出荷できずに変質してしまうという「茶葉問題」が起こる。そこで、1980年代前半、茶の販売と継続的な発展を目的に、茶の国内・輸出の市場を一般に開放することになった。いよいよ、お茶が市民のものになった。

「国家債務の返済、外交、『民族団結』などのために茶葉生産が重視されました」

「国家債務の返済、外交、『民族団結』などのために茶葉生産が重視されました」

「茶文化」の創造

「国としては市民にお茶を買って飲んでもらいたいわけですが、何十年も飲んでいなかったお茶をどうしたら受け入れてもらえるか。そこで、『茶文化』が創造されたのです」。
研究者がお茶の歴史や風習や飲み方、お茶を飲むことの健康への効用、詩や美術、民謡などとの関わりといった総合的な内容の中国茶読本を1981年に出版した。その中で、「茶文化」という造語も登場した。さらにテレビ・新聞などのメディアや研究機関も、“何千年と続いてきた中華民族の高尚で伝統的な文化を継承していこう”という論調で情報発信し、茶文化化が進められたという。

 

また、「現代中国のお茶の文化にとって刺激になったのは台湾の茶藝でした」。台湾では1970年代まであまりお茶は飲まれていなかったという。しかし、「輸出不振の解決策として、都会で暮らす若者にも消費してもらうようなスタイルのお茶を作るため、また中華伝統文化復興運動が後押しする中で、台湾で飲茶という伝統文化を新しく継承する動きが起こったんです。昔の皇帝、貴族、文人などが飲むようなお茶の様式を文献から探して復元し始めました。このようにして生みだされたのが台湾の茶藝であり、東南アジアや日本、香港などにも伝わったわけです」。

 

1980年代に中国と台湾との交流が始まると、台湾茶芸の普及に尽力した人物が、中国で茶芸のパフォーマンスを行った。大陸の人たちは、“これこそ中国人が誇れる中華民族の文化だ”と刺激を受け、それをモデルに、1980年代末~1990年代初頭には大陸の茶芸を創造していった。台湾茶藝だけでなく、さまざまな地域の淹れ方からスタイルを模索し、今日のような淹れ方、飲み方、茶器、空間など中国茶の文化を一気に再構築した。最初に大陸の茶芸創造に力を尽くしたのは歴史学を勉強した人物だった。その人物は歴史文献を探したり、聞き取り調査をしたりして、ウーロン茶の作法を生み出した。

 

「伝統文化とは、昔からあったもの、昔から変わらず受け継がれてきたもの、と考えるのが普通でしょう。中国のお茶の文化でもそう考えられてきたところがありますが、現実にはそれほど単純ではありません。自然に成立したわけではなく、政府やマスメディア、知識人、市民などが利害関係の中で絶えず操作してきた。茶文化のこのような姿を通して、伝統や文化は創造され得るということがわかります」。

 

北京オリンピックでは、世界に影響を与えた古代中国の四大発明、羅針盤、火薬、紙、印刷術と肩を並べて、お茶が紹介された。また、2016年、杭州で開かれたG20でも世界から来た人をお茶の先生たちがもてなすなど、中国茶の価値はますます向上し、世界に誇れる「文化」となっている。

茶は中国のアイデンティティとなった

茶は中国のアイデンティティとなった

中国茶の魅力

中国茶には、名称があるものだけでも、千以上にのぼる種類があるのだそうだ。「私自身、中国茶が大好きだから研究をしている」と言う王先生に、中国茶をどう楽しんだらよいのかアドバイスしてもらった。茶芸は作法も難しそうに見えるが、実は、ルールはそれほど厳格ではなく、「楽しく、美味しく飲めるのが一番」だという。お茶の種類によって最適な抽出温度やどんな茶器を使うかなど基準はあるが、「ほとんどのお茶は100度で淹れても大丈夫。茶器も、自分の好きなものを使えばいいと思います。淹れていくうち、飲んでいくうちに、自分好みに調整していくのも楽しいですよ」。

「気軽に楽しめばいいんです」と語る

「気軽に楽しめばいいんです」と語る

 

王先生は毎朝、故郷・四川省のお茶を淹れ、一人のお茶の時間を楽しんでいる。「忙しい毎日だからこそ、気持ちを整理したり、自分と向き合ったりするために一人の時間はすごく大切。お茶を飲むと気分がすっきりし頭もクリアになります」。

 

また、お茶を通して誰かとつながることができるのも魅力だと言う。気持ちが沈んだ時など、お世話になっている人や力をくれた人と一緒に飲んだお茶を意図的に選んで飲むようにする。すると、隣で励ましてくれるような感じがするのだそうだ。

 

「例えば周恩来は、最期を迎えることになる病院に入院しているとき、『六安瓜片(ろくあんかへん)が飲みたい』と頼んだそうです。その理由は『叶挺(ようてい)と一緒に飲んだお茶だから』というもの。叶挺は、周恩来の若い頃の仲間で、早くに亡くなった人です。人生の最期に、大切な誰かを思い出すとき、一緒に経験した他の何でもなく、お茶を飲みたいと思う。茶とはそういう存在です」。

 

そう言いながら王先生は、今度は、「九曲紅梅」という紅茶を淹れてくれた。学生時代、杭州へと調査に行った際に知り合ったお茶の研究者ご夫妻が送ってくれたという。ほんのり花のような香りが漂い、ほっと安らぐ感じ。飲んでみると、これが紅茶なのかと思うほど、包み込まれるような何ともいえずやさしい味だ。「このやさしさは、その先生そのものだと思ったりします」。

茶は人と人をつなぐ仲介者となる

茶は人と人をつなぐ仲介者となる

 

お茶に国民国家の形成を支える力があったとは驚きだったし、また、茶文化が現代に必要な形で構築されたことを知って文化を見る目が変わった。そしてさらに、「お茶を飲む」ことで、誰かとつながっている記憶を呼び起こされるという話が深くて、心に残った。お茶自体もお茶の時間も、値千金。中国茶で、もしかしたら生き方が変わるかもしれない。とりあえず何か買って飲んでみたくなった。

大阪大学×大阪ガス「アカデミクッキング」で学ぶ熟年夫婦クライシス回避法

2019年5月7日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

近頃、熟年夫婦の離婚が増えており、同居20年以上の夫婦の離婚率は18%にものぼっているのだそうだ。夫の言動が原因で妻の心や体が不調になる「夫源病」を提唱して注目される、大阪大学大学院人間科学研究科招へい教授・石蔵文信先生の講義に加え、さらに先生おすすめ「男のええ加減料理」の実技も体験できるという「アカデミクッキング vol.67」に参加してきた。

 

ちなみに「アカデミクッキング」は、食や料理を切り口に教養を身につける大阪大学と大阪ガスによる人気コラボ講座。ほとぜろでは、これまでに幾度となく取材しているので、過去記事に興味がある方は、ぜひこちらも合わせてチェックして欲しい。

熟年離婚の本当の理由

石蔵先生は、中高年男性に多い生活習慣病やメンタル疾患を「男性更年期障害」として、大阪市内の病院で現在も外来診療を続けている。診療の場で先生の話を聞くうちに、付き添いで来られた奥様の更年期障害の症状が治まってしまうこともあったとか。そんな先生が、熟年夫婦が定年後の長い期間ストレスのない良好な関係で過ごせるよう、まずは夫婦の相互理解のポイントを医学的見地から講義してくれた。

講義風景

メディアにもよく登場する石蔵先生は話が上手で面白い

 

先生が最初に取り上げたのは、東京でセレブが住むと言われる世田谷区に患者の多い「世田谷病」について。定年後、お金やプライドがあるため「二度目の勤め先」を選り好みし、結局家に居ついてしまった夫によって妻がノイローゼになるというケースを、そう呼ぶのだという。「老後はちょっと貧乏がいい。お金がないと週に3、4日は働きに行くから、夫は健康になるし妻も楽。老後の問題はお金や健康だけでなく、むしろ夫婦関係や居場所づくりのほうが重要だ」と、先生は注意を喚起する。

 

さらに話題は、夫婦関係の問題点へ。「われわれ夫は、いつ頃から嫌われるようになると思います?」と先生の問いかけに参加者から笑いが漏れる。シングルマザーを対象にした調査では「子どもが0~2歳のときに離婚した人が一番多い」などのデータや、育児を妻に押し付けることで夫婦不和が起こる「産後クライシス」の問題を指摘。「熟年離婚は急に起こるのではなく、30年以上前から我慢してきて積もり積もったものが60歳ぐらいでドーンと爆発する」と結論付けた。

 

先生が示した「熟年離婚の理由ベスト20」にはちょっと驚いた。浮気、酒癖、暴力、借金、これら「いかにも」な理由は4~7位。これよりどんなすごい理由があるのかとみると、3位「甲斐性がない」、2位「暴言を吐く」、1位「家事を手伝わない」だった。これが離婚の原因になるのかというラインナップではあるが、つまりはそれが積み重ねである証なのだろう。「奥さんは、昔つらい目に遭わされたことを執念深く根に持っておられる、そう思っておく必要があるんです」

離婚イメージ

離婚理由1位は、浮気でもDVでもギャンブルでもなかった!

上から目線は厳禁

「夫源病」は、夫の何気ない言動や存在そのものが原因となる。夫は、多くの場合、それが妻にとってストレスを与えているとは気づいていないのだ。たとえば、どんな言動が問題なのかについて、先生は例を挙げて説明する。

 

「一番問題なのは、上から目線で接すること。『おい』『おまえ』と呼んだり、『メシまだか?』と言ったりすると、奥さんは『家政婦扱い』に感じてしまいます。このような態度は、最近、夫から妻へのモラル・ハラスメント(モラハラ)とも認識されるようになってきました」。その他、妻が外出するときに「どこいくの?」「何時に帰るの?」「俺のメシどうなってんの?」と精神的に圧迫したり、家計簿のチェック、趣味に同行したがるなどもNG。「対等な一個人として見ていますか、ということですね」。妻が専業主婦だと特に「食わせてやっている」という意識になるのが問題だと、先生はいう。

 

「これを改善する方法はとても簡単です。奥さんを名前で呼んでください」と先生。「『ママ』『お母さん』という呼び方も問題。妻からすると、『あんたを生んだ覚えはない』となります。甘えるんじゃない、子どもじゃないんだからと。だから、名前で呼びましょう。対等感が出てきます」

夫の依存が妻には重荷

上から目線よりも、さらに根が深そうだったのが、夫が妻に依存している問題だ。老後を迎えた夫と妻が相手に対して求めるものは何かを比較したデータがちょっと怖い。

 

夫の要望にあって妻にないのは「共通の趣味など持って一緒に過ごしたい」「家や家庭のことに関心を持ってほしい」、その逆で妻の要望にあって夫にないのは「お互い干渉しないで自由に暮らしたい」「自分の身の回りのことは自分でしてほしい」「家事を分担してほしい」。夫は「家にいて2人で楽しく過ごしたい」と寄り添っているのに、妻は「私は私で外で楽しくやりたいから、自分のことは自分でやって」と愛想のかけらもない。「これはある意味、水と油。ここが一番のネックだとわかった」と先生。どちらかが折れざるを得ないが、先生の長い治療経験からすると、妻の願いをかなえたほうが熟年離婚の予防にはかなり有効だという。

 

愛媛県の先生が3千人を5年間追跡調査して、老後に夫と暮らす妻はそうでない妻に比べて死亡率が2倍になるという物騒な結果も出ている。「高血圧や糖尿病でもそれほど高くないので、夫は、妻に健康被害を及ぼす非常にパワフルな因子です」。夫の依存は妻に負担をかけており、そんな夫は妻に先立たれると非常に危ない。「だから、家事を覚えて自立することが大事。家事の中でも、毎日しなければならない料理を覚える効用はここにあります」

講義風景2

衝撃的な事実に、時に笑いが、時にざわめきが会場を包む

男の意地を取り戻す料理

夫が家にいるようになった妻にとって、とくに負担なのは昼食だ。妻の昼ご飯は前の晩や朝のご飯の残りであり、おなかがすいてなかったらお菓子を食べて終わり。ええかげんな時間にええかげんなごはんを食べている。サラリーマンだった夫のほうは、12時から1時にご飯を食べる習慣が40年ぐらい続いている。悪気はないが、11時ぐらいになると妻に「今日の昼ごはんは何?」と聞いてしまい、11時半ぐらいになると暇だから食卓に座って待ってしまう。家電が充実している現代は、午前中の早い時間に家事が終わる。午前10時頃から晩御飯の準備をする午後4時ぐらいまで妻の時間だったのが、夫が定年したことで、この時間が侵害されてしまうのだ。

 

そこで先生は、妻が用事で出かけたいというなら、「出ていくなら出ていけばいい。俺のメシは自分でつくる」と言えるように料理を覚えようとすすめる。料理や身の回りのことをちゃんとできるようになったら、妻は「この人はひょっとしたら私がおらんようになっても生きていけるのでは」という危機感を持つ。危機感を持つと人は優しくなる。「俺の昼メシはどうするんや」と泣きつくのでなく、男の意地を取り戻して自立しよう。だから、料理教室なのである。

食の自立をめざして

先生の講義が終わり、実技にとりかかる皆さん。メニューは、一人キムチ鍋。料理教室は何人かのグループで人数分を作るのが一般的だが、今回は1人ずつ土鍋が配布され自分の鍋料理をつくっていく。自立が目的の料理なんだから、そうでなくっちゃ。

 

料理は初めてという方もいらっしゃるようで、はたから見ていると緊張感のようなものが感じられる。というか、とにかく黙々と料理に取り組んでいる感じなのだ。この静けさが、女性の料理教室とは全く違う眺めだと大阪ガスの担当の方からうかがった。

調理風景

和気あいあい、とはまた違う雰囲気で調理は進む

 

鍋に水を沸かしている間に、材料を洗って切って、沸いたら鍋に入れて、火が通ったら調味料を入れる。先生は「僕の料理は、『なんやこれ、なめとんのか』というぐらい簡単」とおっしゃっていたが、確かに、初心者らしい方でも戸惑いは少ないように見えた。結構あっという間に仕上がってしまった。

調理風景1

味つけは「キムチ鍋の素」のみ。この潔さが初心者にはうれしい

 

できた方から別室で試食。皆さん、アツアツでおいしそうな一人鍋を、ご飯と一緒に平らげていく。食事中に少しお話をうかがってみると、みなさん、石蔵先生のお話に少なからず衝撃を受けたよう。「うすうすは感じていたことだが、文字にして並べられるとショック。でも納得はできた」という方や、「退職直後は外に出ようと意識していたが、だんだん家にいる時間が長くなっている」と話される方もいらっしゃった。「これから週に一度ぐらいはやれたら」と意欲的な方も。料理経験のある方からは「一人前ってこんな分量なのかと勉強になった」という感想もあった。

試食風景

料理語の食事は、先生も一緒に。料理も終えて会場は少し和やかな雰囲気に

 

生物学的に言っても、子育ての終わった熟年夫婦はそもそも危機なのだろう。夫婦でいる必要がもうそれほどないのであれば、そこから夫婦で過ごす意味を2人で作っていかないといけないのかもしれない。その最低条件として、自立と尊重は欠かせないんだろうなと思う。石蔵先生、男性に優しい料理をこれからもどんどん紹介してください。

 

取材協力:大阪大学21世紀懐徳堂

言葉の力。神戸女学院大学が伝えたかったメッセージとは。

2019年4月11日 / 大学を楽しもう, 大学PRの世界

「女は大学に行くな、」の衝撃

2018年4月、神戸女学院大学が出した交通広告が話題をさらった。同大学のスクールカラー「濃青色」に白一色の文字が潔い電車のドア横広告。「女は大学に行くな、」という衝撃的なコピーに引き付けられて最後まで読むと、4月の入学シーズンにふさわしい、大学生を励ます熱いメッセージだということがわかる。

 

「女は大学に行くな」なんて言われた時代に比べ、今は、自由に学び進路を選択できる。正解がない時代だから迷いも葛藤もあるだろうが、学ぶ自由の幸福を、忘れないで大切にしてほしい。シンプルなデザインだけに、言葉の力がダイレクトに伝わってくる。

 

これを見た人たちが、SNSで「泣きそうになった」「グッときた」「かっこいい広告」などと感想を寄せ、一気に拡散した。この広告を担当した学長室課長・樽本裕見子さんと学長室広報・松本崇さんは、「インターネットニュース、新聞、そしてテレビと取材に来られ、SNSの拡散力をまざまざと見せつけられた思い」と語る。だが、そもそもは、この広告は出す予定ではなかったという。

神戸女学院大学_松本さん

「想像以上の反響だった」と、学長室広報・松本さん

伝統校にしかできない発信

「副産物といったらいいでしょうか」。スクールカラーに白文字のみのメッセージ広告は2017年度に3回、それだけの予定だった。だが、その3回目、2018年3月掲出予定の広告を作る際、コピーアイデアの一つだった「女は~」が目に留まったのだ。

 

「これは面白いと思いました。入学を迎えた学生さんたちに大学で学ぶことの意味をアピールしたい。伝統校にしか出せない広告になるのではないかと思ったのです」

神戸女学院大学_樽本さん

広告への手応えを語る、学長室課長・樽本さん

 

2018年は神戸女学院大学が新制大学として設置されて70周年にあたる年。3月25日が認可日で、3月の広告は、「新制大学設置認可70周年」がテーマの一つだった。同大学は1875年に宣教師たちが開いた私塾をルーツとしており、高等教育機関として認められることは長らく関係者の悲願であった。また、東京女子大、津田塾大などと並んで新制大学として認可された最初の女子大学の一つであり、関西では関関同立とともに最初に認可された。

 

考えてみれば、広告でジェンダーを語れるのは、女子大の特権といっていい。女性活躍推進法施行など「女性」は旬の話題でもあったが、女子教育の長い伝統があるからこそ「女は大学に行くな、という時代があった。」というコピーにも血が通う。

 

新制大学設置認可70周年という節目の年だからこその意味が際立つ。学ぶ意味を問い、これから大学で学ぶ人に向けたメッセージになれば。「うちしか出せない、今しか出せない、出したいと心から思いました」。担当者の熱意が執行部にも伝わり、予定になかった4月の広告を打つことになった。

 

結果的に良い評価が多かったとはいえ、もちろん、否定的な反応もあった。「専業主婦はだめだというのか」などの怒りの電話もかかってきた。中には、同じことを親に言われて大学に行けず、自分で稼いだお金で大学を出たので、これを読んで心が痛んだという人もいたという。出す前からある程度のマイナス評価は想定しながらも、あえて、女性がひっかかるような言葉を使った。そう聞いてメッセージを読み返すと、学びは生き方につながるのだと、改めて思う。その本質を思い出そう、と問題提起するのにエッジが必要なのは、確かにそうだろう。

リベラルアーツを形に

とはいえ、「女は~」の、真っ向勝負で切れ味がいいテイストは、2017年度の交通広告全体に共通している。この交通広告では、大学ブランディングから生まれた新しいタグライン(ブランドのキャッチフレーズやスローガン)をモチーフにして、大学の認知度をアップすることをめざしていた。

 

新タグラインは、「私はまだ、私を知らない。」というもの。神戸女学院大学はリベラルアーツを教育の特色にしており、幅広い教養を身につけて社会に出たときの土台をしっかりと作るというところに重きを置いている。まさにその特色を正面から言い切っていて、「何にでもなれる」という教養を磨くことのメリットをアピールしたタグラインである。資格取得系の学部がもてはやされ、就職という出口ばかりに注目した大学選びが一般化する昨今、勇気ある訴求といってもいい。

2018年3月広告-2

神戸女学院大学の70周年を機につくられたタグライン

 

だからなのか、教学理念の一つとしてゆるぎないリベラルアーツをアピールするのに、女子大の広告らしからぬ「文字だけで勝負する」という方法を選んだところに、気概のようなものが感じられる。「私たちとしても斬新だった」と担当者は言う。同大学の校舎はヴォーリズ建築の重要文化財で、その魅力から多くの広報物にも活用してきたのだが、この時は封印した。

 

2017年6月に電車のドア横を飾った第一弾の広告。いろいろな問いかけの中、ひときわ大きなフォントサイズで迫ってくるのは「学問は、就活か。」。これを見て、「確かに、そうだよね」と思ったのは私だけではないだろう。卒業生からは「よくぞやってくれた」と電話があったという。

2017年6月広告

 

続いて11月にも同様に、問いかけ型の広告を打った。今度は、「労働は、時間か。」という問いかけに年齢を併記した。下は19歳から上は83歳まで、それぞれの世代が抱くかもしれない葛藤を代弁し、学び続けることの大切さを発信した。さて、年齢の数字は何を示しているだろうか。答えは、素数だとか。その理由は「人生は割り切れないから」だと聞いて、再び「そうだよね」と思う。

2017年11月広告

 

2018年3月には、卒業シーズンとあって「人生は、いつだって途中だ。あなたの卒業が、いい通過点でありますように。」というメッセージとタグラインで、中吊り広告で電車をジャック。そして4月の話題作の登場となった。

2018年3月広告-1

 

さらに、2018年12月には、一転、全面に卒業生の写真を使った電車のドア横広告を掲載する。雰囲気は柔らかくなったが、メッセージは一貫してリベラルアーツである。それぞれ自分が想定していなかったことに、今熱中している卒業生が登場する「わからないから、おもしろい。」シリーズだ。新制大学設置認可70周年記念誌として発行した卒業生20人のインタビュー集からピックアップした卒業生で、記事の詳細は公式HP掲載のデジタルブックで読むことができる。

2018年12月広告-1

すべての女子学生にエールを

一連の交通広告で、「インターネットを通じた波及力の大きさを感じるとともに、一番響いているのは、学生、教職員、卒業生など関係者だったことにも驚いた」と担当者。スタンスを明確に宣言した広告が、大学に対する誇りにつながったのだろうと推測している。

 

もっとも、学生向けにはさまざまなメッセージをすでに発信し続けている。卒業生のインタビュー集は先輩たちの生き方から学んでほしいと学生向けに作ったものであり、新タグラインができたときにはその意味を説明し幅広い教養を身につけようと啓蒙するリーフレットを作って配布もしている。

学生向けツール

在学生に配られたインタビュー集『Stories』と、啓蒙リーフレット『私はまだ、私を知らない。』

学生向けツール中面

『Sotries』には、神戸女学院大学出身の、あの有名アナウンサーのインタビューも…

 

「学生が主役ですから」と担当者は言うが、そのまなざしがもしかしたらこれらの大学広告の一番の魅力になっているのかもしれない。どの広告でも、コピーは学生を励ましている。自学だけでなく、あらゆる女子学生(もしくは学びたい女性すべてかもしれない)に学びの価値を示して、エールを贈り続けている。「これからも、本学の学びの姿勢をアピールし続ける」とのこと。どんな言葉の力で学ぶ女性たちを励ましてくれるのか、今後も楽しみにしていきたい。

 

「おいしい」の凄みを体験。京の料理人と研究者が食感と向き合う龍谷大イベントへ!

2019年4月9日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「食感」は、料理のおいしさを決める重要な要素。この食感に、京都の日本料理の名店で腕をふるうプロの料理人と研究者が真剣に向き合ってさまざまにトライするシンポジウムが龍谷大学主催により開かれた。その名も「食感の日本料理」。会場はホテルの宴会場、試食付き。シンポジウムらしくない、楽しいイベントだった。

日本料理の新機軸を生み出す!?

このシンポジウムを企画した、龍谷大学「食の嗜好研究センター」では、研究者と料理人がコラボしておいしい日本料理創成のための実験研究を行っている。研究者の実験+料理人の料理=基本実験+応用実験を行いながら、日本料理の新たな方向性や発想を探るというのが基本姿勢だ。ここで示されたものが、明日からどこかの料理店で食べられるというものではないのだが、いずれ潮流となる何かがここから生み出される、そんなワクワクするような研究なのである。

シンポジウムの趣旨を紹介する「食の嗜好研究センター」センター長の伏木亨教授(龍谷大学農学部食品栄養学科)

シンポジウムの趣旨を紹介する「食の嗜好研究センター」センター長の伏木亨教授(龍谷大学農学部食品栄養学科)

 

その成果を毎年シンポジウムで報告しており、今年のテーマは「食感」。京都の名だたるお店の料理人が登場し、自分の仕事の中での食感への関心を語り、新しい食感に挑戦した作品を発表した。食感を巡って今までになかった料理法、食材の利用法がいくつも提案され、その試作品が参加者に提供され実際に味わうことができるという趣向だ。

「食べ進む仕掛け」×「ヘテロ感」

第1部は、研究者と料理人の1対1のセッション形式。実際の研究でもこんな感じなのかなと思わせるような、研究者×料理人の議論がライブで行われる。
「食感を操る日本料理」のテーマでは、たん熊北店3代目主人・栗栖氏と味の素株式会社イノベーション研究所の研究者・川崎氏が、そもそも食感とは何かを紐解く。

川崎氏(左)と栗栖氏(右)。ふわふわ、モチモチなどの食感用語は、英語は約77、中国語は約144あるといわれるが、日本語はなんと450(!)近くあるという

川崎氏(左)と栗栖氏(右)。ふわふわ、モチモチなどの食感用語は、英語は約77、中国語は約144あるといわれるが、日本語はなんと450(!)近くあるという

 

研究者の「食感は、日本料理にとってどう大切なのか」という問いに、「見た目と口の中に入れたときの食感の違いで楽しませるのが我々の仕事」と答える栗栖氏。料理人の想いに触れることができるのも、このシンポジウムの楽しさだと気づいた。

 

その後、料理人が伝統の琥珀豆腐を題材にして、新しい食感の創造に挑戦した「実験」を紹介。食べ進むうちに「あれ?」「あれ?」と食感への期待を裏切っていくような料理をめざし、伝統料理を予期しなかった偶然の出会いを楽しむ料理にアップデートする試みである。

貝柱や長芋など食感の違う素材を使ってごま豆腐をつくり、さらにだしゼラチンで包んで固めて琥珀豆腐として仕上げる過程が披露された

貝柱や長芋など食感の違う素材を使ってごま豆腐をつくり、さらにだしゼラチンで包んで固めて琥珀豆腐として仕上げる過程が披露された

 

実験を経て「いつもの琥珀豆腐やなと思って油断していると、長芋はシャキシャキ、シャリシャリ、貝柱はコンフィにするとぐにゅぐにゅとして、ゴマ豆腐はモチモチ。食べ進むうちに口の中の感じ方が変わっていくという仕掛けをしてみたんです」(栗栖氏)

 

このように、今回のシンポジウムではほとんどすべての発表で、素材や作り方を始め実験の目論見を料理人自らが説明。その発想のあり様をリアルに感じられる。

 

それを受けて研究者は、この新しい挑戦を分析。川崎氏は「ヘテロ感」に着目した。「ヘテロ感」とは、食品業界でよく使われる不均一さやコントラストを感じる感覚のことだそうだ。箸でつまんで口に入れやすいように正方形に切り出してある日本料理は、一見、不均一さがないようなのに、口に入れるとヘテロなものを感じる。そこが「日本料理らしい」食感の仕掛けだという。実験、そして考察。科学の対話の中で、日本料理に新しい可能性が見えてくるセッションである。

食感とはポエムである

続いて行われたセッション、平等院表参道竹林・下口氏と龍谷大学農学部・山崎准教授による「食感で季節を想う」では、和菓子の餡(あん)と砂糖というシンプルな素材で、色も形も香りも使わずただ食感のみで季節を表現するというチャレンジングな試みが披露された。

「もちもち、ふかふか、ふっくら、人肌恋しい」冬のイメージと「サラサラ、みずみずしい、つるん、ひんやり」の夏のイメージが、それぞれ見事にお菓子に。こちらは冬の雪もち。

「もちもち、ふかふか、ふっくら、人肌恋しい」冬のイメージと「サラサラ、みずみずしい、つるん、ひんやり」の夏のイメージが、それぞれ見事にお菓子に。こちらは冬の雪もち。

 

下口氏が食感で季節を表現する上で抱いたコンセプトは、「よろこび、想像、残心」。また会えたという喜びと、記憶からさまざまに呼び起こされる季節のイメージ、そして過ぎていく季節への名残惜しさを、食感に詰め込んでいるというのである。伝える料理人と受け止めるお客さんと。食感を大事にする日本料理には「お客さんとの見えないやり取りが非常に多い」という下口氏の一言が印象に残る。

 

これを受けて山崎氏は「食感とは詩のようだ」。食べる側の経験や記憶の積み重ねが、料理人のイメージを受け止められるかどうかを決める。「それは教養であり、食文化。食感とは、単に硬い柔らかいではなく、極めて高度な想像力や感覚ということになる」と分析した。よく「日本料理は繊細」とか決まり文句のように言われるが、その裏にある奥深さや凄みのようなものが伝わってきた気がした。

すごすぎる、日本料理

セッションの後の第2部は、休憩をはさんでゲストの料理人たちによるプレゼンテーションが8本。休憩中には、実験料理の中から3品と竹林さん自慢の巻きずし「万福巻」の皿が配膳され、後半のプレゼンテーションを聞きながら試食できる。

実験料理の中からどの3品をいただけるかは当日のお楽しみ

実験料理の中からどの3品をいただけるかは当日のお楽しみ

配膳の様子

配膳の様子

 

私のお皿に並んだのは、一子相伝なかむら・中村氏の「たらこの真丈?」※、京料理直心房さいき・才木氏の「濃厚な食感」、菊乃井・村田氏の「食感のカツ用」、と題された3品である。

※真丈(しんじょ):柔らかいかまぼこのようなもので、海老のすり身を昆布だしや卵白ですりのばして調味し仕上げたもの。

左上から時計回りに「濃厚な食感」「食感のカツ用」「万福巻」「たらこの真丈?」

左上から時計回りに「濃厚な食感」「食感のカツ用」「万福巻」「たらこの真丈?」

 

「たらこの真丈?」は、高野豆腐を使って、粒粒がありつつ柔らかいというたらこの食感を出すという驚きの料理。「濃厚な食感」は、モチモチ感を突き詰めるとどうなるのかという疑問を追究した本当に濃厚なビワマス料理。そして「食感のカツ用」は、肉ではなく大豆たんぱくで作っているのが信じられないカツサンドだ。

 

どれも前提としてとびきりおいしいが、プレゼンを聞きながら食べると、言葉で聞いたときのイメージを実際の食感で確かめることになり、食べる前の期待感も試食後の納得感も倍増する感じ。日本料理の奥深さに、圧倒される数時間となった。

ビワマスを使った「濃厚な食感」についてプレゼンする才木氏。それぞれの料理人が料理の複雑な工程や工夫ポイントを解説

ビワマスを使った「濃厚な食感」についてプレゼンする才木氏。それぞれの料理人が料理の複雑な工程や工夫ポイントを解説

 

食感の果たす役割がこれほど重いということを、恥ずかしながら、今まで知らなかった。おいしさが言葉で語られることの魅力にも、初めて気づいた気がする。おいしさって、すごいです。

龍谷大学アプリ「ru navi」で英語問題を試してみると…。これで無料とはお得!

2019年4月2日 / コラム, 大学アプリレビュー

何をするにも中途半端なすきま時間に、“お勉強アプリ”があると意外と重宝する。書店に行くと学びなおしの本がずらりと並んでいたりするが、本を持ち歩くとなると結構かさばるし、できればスマホでサクッといきたい。

 

そんなときに便利でおすすめなのが、「大学PRの世界」でも紹介した龍谷大学アプリ「ru navi」の一メニュー「整序英作文小テスト」だ。簡単なプロフィール登録さえすれば、誰でも無料で使える。もともと受験生向けアプリだが、プロフィールの属性には「社会人」や「保護者」も用意されている。

 

内容は、龍谷大学の英語入試問題3年分から選んだ104問の整序英作文問題だ。1問解いてしまうまでは、解き直しはできても正解は見られないようになっていて、とにかく自分なりに答えを出してしまえる。頻出分野や重要問題が精選されていて結構なやり応え。よく使われるイディオムや文法を思い出すのに役立つだろう。

アプリのトップ画面。メニューの一番下の「整序英作文小テスト」をタップ

アプリのトップ画面。メニューの一番下の「整序英作文小テスト」をタップ

ずらーっと2016~2018年の過去問題が並ぶ

ずらーっと2016~2018年の過去問題が並ぶ

 

問題をタップすると、このような穴埋め問題が表示される。

下に並ぶ選択肢の単語をタップし、空欄をタップして埋めていく

下に並ぶ選択肢の単語をタップし、空欄をタップして埋めていく

空欄を埋めると自動的にすぐ結果が出る

空欄を埋めると自動的にすぐ結果が出る

 

何よりいいのは、やりっぱなしではないこと。英語が苦手な人が紙テキストで学び直す場合によくあるのが、問題を解いて間違っていても解説を読んで理解するのが億劫で、放置してしまうケースだろう。

 

その点このアプリは、問題を解いた後なら英語の先生の解説動画(5分弱)を見ることができ、その際の板書データも確認でき、さらには整序した英文をネイティブの音声で聞きながら合わせて発音練習をすることができる。一度やった問題も、最初の画面に戻るとまたゼロからスタートできるので何度でもチャレンジOKだ。

解説動画で理解が深まる 

解説動画で理解が深まる

間違えた問題は「×」が表示されるので、復習にも便利

間違えた問題は「×」が表示されるので、復習にも便利

 

手軽なのになかなかの満足感があり、もっとやってみようという気持ちになった。解説動画の先生は予備校の先生だから、「これ、よく出ます」とか「覚えておきましょう」とかの発声が、当たり前だがとてもこなれていて、受験生感覚を味わえるのもいい感じだ。今は英語だけだが、今後はさらに科目を増やしていくことも検討中だそう。今年は龍谷アプリで、Let’s study ! ですね。

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