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野生動物と共存する社会とは? 立命館大学の桜井良先生に聞いた、野生動物被害への人間目線のアプローチ

2026年2月26日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

2025年は、かつてないくらいクマ出没による人身被害のニュースが世間を騒がせた年だった。一方、あまりニュースにはならないものの、シカやイノシシといったクマ以外の動物も、農作物を食害するということで、毎年数十万頭が駆除されている。人間と動物、同じ日本列島に住む者同士、うまく折り合いをつけて生きていきたいものだと、一介の動物好きとしては思うのだが……。そんな気持ちに希望として映るのが、立命館大学・桜井良先生の研究だ。アメリカ発の「Human Dimensions(ヒューマン・ディメンション)」というアプローチをとっかかりとして、野生動物とのあるべき関わり方について聞いてきた。

お話を伺った桜井良先生

 

アメリカ発の概念「Human Dimensions」とは?

桜井先生の研究のキーワードである「Human Dimensions(ヒューマン・ディメンション)」という言葉は、どういう意味なのでしょうか?

 

「正しくは『Human Dimensions of Wildlife Management』といって、日本語では『野生動物管理における社会的側面』となります。つまり野生動物と付き合っていく上で、人間社会の側がなすべきことの研究ということになります。

野生動物の研究というと、生態学や獣医学といった、野生動物そのものを研究することが多いです。ただそれだけだと、野生動物と人間社会との間に起きる問題が解決できないということで、社会科学的なアプローチとして1970年代からアメリカで発展してきた分野がHuman Dimensionsです。

Human Dimensionsが活用されたわかりやすい事例としては、生態系再生のために実施されたオオカミ再導入が挙げられます。アメリカでもシカの増えすぎによる生態系の劣化が問題になっていて、そのための対策として絶滅したオオカミをカナダから再導入することで生態系を回復させようとしたんです」

増えすぎたシカの被害を軽減するためオオカミが再導入された場所のひとつ、イエローストーン国立公園(提供:写真AC)

 

オオカミの放獣!日本でもときどき議論にはなりますが、アメリカではすでに実行していたんですね。

 

「社会的にもインパクトのある取り組みだったと思います。畜産業の従事者は反対しますし、これは人間の側の合意形成と政策決定がとても難しい問題です。だからこそHuman Dimensionsの手法がとくに役立った事例であると言われています。イエロースートン国立公園の再導入に先んじてミシガン州で1970年代にオオカミが放された際は、その後、何者かによってオオカミが殺されて、いなくなってしまったということがあります。

つまり、最初はアメリカもあまり住民の意識を気にせずに、生態学的な合理性だけにもとづいてトップダウンで政策決定をしていたのですが、失敗して、政策決定・実施のアプローチを変える必要に迫られたのです」

 

そこでHuman Dimensionsの概念が重要になってくるということですね。具体的にはどういうことをするんでしょうか?

 

「まず地域住民の意識調査を行って、誰がどのような理由で反対しているのかをしっかりと理解した上で、普及啓発のためのコミュニケーションやディスカッションをする場が設けられました。そうした場で行政、研究者、そして反対する関係者が何度も顔を合わせて、全員が完全に賛成することはおそらくあり得なかったと思うんですけど、少しでも理解を得たり、あるいは被害が出た時の補償金などについて細部を調整していくことで、時間をかけて合意にたどり着いたとされています」

 

人間社会の側がおもなフィールドということなんですね。桜井先生の研究も、これと同じようなことを行っているのですか?

 

「関係者の意識調査、そして普及啓発のためのコミュニケーションとその効果測定というところは同じですが、もう一つ重要な要素にメディア分析があります。メディアというのは我々の意識や行動にものすごく大きな影響を与えるので、問題についてどういう報道がなされているのかを分析することはとても大切です。

意識調査、コミュニケーション、そしてメディア分析の三つを柱にして研究を進めています」

情報化社会が、問題をいっそう複雑にする

野生動物と人間社会の軋轢として、今日本で一番問題になっているのは、やはりクマのことでしょうか。報道を見ていても、クマの扱いについてはさまざまな意見があるようです。

2025年、日本各地でクマの出没が相次いだことは記憶に新しい(写真はイメージ。提供:写真AC)

 

「国民全体での議論もしていかなければなりませんが、まずは現場レベルで問題にどう対応していくかが重要かと思います。

その手がかりとして、Human Dimensionsの理論の中に、『野生動物に対する人間の許容力』というものがあります。これは生態学における『環境収容力』という言葉を意識した概念です。

ある一つの環境、例えば一つの島をイメージしてもらえるとわかりやすいですが、その中で環境を損なうことなく生きていける生物の数には限界があり、この数のことを環境収容力と言います。

それに対して、人間が許容できる野生動物の数にも限界があるんじゃないかという発想が出てきたんです。同じ地域に住んでいるクマの個体数がある一定の数を超え、被害が増えるにつれ、人々はクマの存在を許容できなくなるのでは、ということです。これが仮に0だとしたら、クマは絶滅させるしかなくなってしまいますが、逆にその数字を大きくすることができれば、野生動物との共存の道が開けてくる。そのためにはどうすればいいんだろう?というのがHuman Dimensionsにおける一つのテーマなんです」

 

まさしく、メディアの報道や普及啓発といった活動が重要になってきそうです!

 

「メディアのフレーミング効果、つまりどういう切り取り方をするかによって人々の意識に与える影響がものすごく変わると考えられています。テレビのニュースでも、使える時間が決まっているので、『クマが市街地に出没して、被害が出ました』というようなニュースがどうしても多くなってしまいます。それが積もり積もると、見ている人のクマに対する意識がどんどんネガティブになってしまう、つまり許容力が下がってしまうということがあると思います。

一方で、行政による支援や、集落ぐるみの対策をすることで、地域の人々の許容力にポジティブな影響を与えることがわかっています。同じ県内でも地域によって住民の許容力に差があることが意識調査から判明して、何が違うのかを調べてみたら、許容力の高い地域では行政の職員が頻繁に住民とコミュニケーションを取ったり、住民が協力しながら電気柵の設置をしたりしていたことがわかりました。

逆に、そうしたコミュニケーションが希薄な地域では、行政が推奨する対策に対しても住民の理解を得ることが難しく、野生動物に対する住民の意識もネガティブな傾向があったんです」

 

人間同士の信頼関係が、野生動物に対する意識や対策の有効性にも如実に現れていたということですか。

 

「私が現在、研究で関わらせてもらっている知床は、世界でもっともヒグマの生息密度が高い地域と言われています。このようにヒグマが多い地域で、住民は長期にわたり、どうやって共存してきたのか、ということを今研究していて、そのキーワードが現地で行われてきた環境教育や普及啓発など、コミュニケーションだと思っています。

地元の小中学校ではヒグマについての授業がカリキュラムに組み込まれていて、子供たちは継続してクマについて学んでいます。それもただ知識として勉強するんじゃなくて、体を動かしながら、実践を通して、ヒグマとどういう距離で出会ったらどういう行動を取るべきか、シミュレーションをしながら勉強しているんです。そういう地域では、子供たちは、もちろんヒグマを怖いと感じることはありますが、知識とスキルがあれば必要以上に恐れることはないと考えていました。つまり、許容力が高い状況にあることが分かったのです。20年近く前から、町の周りを電気柵で囲うようなハード面の対策と、ヒグマ授業というソフト面の対策の両方がなされてきたことが知床の特筆すべき点だと思います」

 

私も子供の頃に学校で交通事故の授業を毎年受けていましたが、それと同じ感じでヒグマ対策の授業があるんですね。基本的な対策を徹底すればリスクを下げられるという点でも、交通事故みたいだと思いました。

 

「知床には知床財団という野生動物の専門家の組織があって、財団の職員が地元の学校でヒグマについて教えていたりするので、他の地域でそのまま同じことができるというわけではないです。ただ、交通安全のルールについて誰もが知っていて、全国の子供たちが『赤信号になったら止まる』ことを学んでいるように、クマに出遭ったらどうすべきかも、クマが出没する可能性のある全国の学校で学ぶ必要があるのかもしれません。

大学生を見ていても、そのことを強く感じます。私が所属する政策科学部というところはどちらかというと文系の学部です。『動物が好きで好きで仕方がなくて研究しています』という学生はあまりいません。学生の大半は都会に住んでいて、森を歩いた経験がない学生もいます。そういう学生を連れて毎年知床に行くんですが、やっぱり最初はみんな身構えるんです。それが、実際に現地に行ってみると、街中にヒグマが入ってこられないように電気柵が設置してあって、またヒグマが空けられないゴミ箱の設置など必要な対策がなされていることを学びます。森に入るときはクマスプレイを持ったガイドが同行してくれます。一週間も過ごすと、メディアを通して見る情報は誇張されていて、現地の人は冷静に生きてるんだっていうことに気づいて帰っていくようです」

 

交通事故のリスクはゼロにはならないけれど、我々はそれを最小化するすべを身につけた上で自動車という便利な道具と共存しています。野生動物との関係もそうなるといいですね。

 

参考:知床財団が公開しているヒグマ対処法 https://www.shiretoko.or.jp/higumanokoto/bear/

 

桜井先生のゼミでは例年、知床で実習を行っている

 

人間と動物の関係、めざす理想とは

桜井先生は、もともと動物が好きでこの分野に進まれたのでしょうか?

 

「子供のころから野生動物が大好きだったんですが、高校の早い段階で、文系のプログラムを選んだことで、大学は法学部政治学科に進みました。大学の専攻を活かしつつ野生動物と関われないかという思いを抱いて渡米して出会ったのが、Human Dimensionsだったんです。

野生動物の生態は今でも好きで、ここのキャンパス(立命館大学大阪いばらきキャンパス)の中で自動撮影カメラも仕掛けてます。都市部にあるキャンパスでありながら、夜中になるとキツネ、タヌキ、テン、ハクビシン、アナグマなど、あらゆる種類の中型哺乳類が活動してるんです」

桜井先生の職場である立命館大学大阪いばらきキャンパス。街中にあるにも関わらず、夜になるとさまざまな動物がやってくる。写真は自動撮影カメラに写ったキツネ、アナグマ、テン

 

こんなに都市化されてる地域に、それだけいろいろな動物がいるんですね。

 

「都市の環境にうまく順応していて、巧みに生きていると思いますね。

もちろん街に動物が出てくると様々な野生動物問題が発生します。でもSDGsとか自然共生社会というスローガンで我々がめざしていたのはそういう世界だったとも思うんです。自然環境と人間社会を切り分けてしまうのではなく、双方が持続可能な形で共生していくということです」

 

たしかに、そういうものを受け入れられる社会こそが、真に豊かな社会だと思います。

 

「私が留学していたのはアメリカのフロリダなんですが、あのあたりはものすごくワニが多い地域なんです。大学のキャンパスの中にある大小さまざまな池にも普通にワニがいて、『泳がないで』とか『池の近くで子供を歩かせないで』といった標識が立ってるんです。一見、怖いと言われている野生動物でも、人間の側が注意することできちんと共存ができている。そういうのがフロリダでは実現していて、動物と共存する社会がどのようなものなのか、学ぶことができました」

留学先のフロリダでは、人間とワニとの共存が成立していた

 

クマの出没は、都市圏に住んでいてももはや他人事ではない。ちゃんとした知識を身に着けて、正しく怖がることが大切だ。それと同時に、野生動物をはじめとした自然をどう受け入れて社会を作っていくか、みんなが考えないといけない時代が来ているといえるかもしれない。

 

 

(編集者:谷脇栗太/ライター:岡本晃大)

書籍刊行記念!ほとゼロによるトークイベント「珍獣Night 第二夜」開催レポート

2025年12月23日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

2025年11月29日、ほとんど0円大学が主催するトークイベント「珍獣Night 第二夜」が大阪・梅田にて開催された(オンラインも同時開催)。

 

今夏に刊行されたほとゼロ編集部初の書籍『先生!なぜその生きものに惚れたんですか?』(玄光社)の刊行記念も兼ねるこのイベント。登壇してくれたのは、本の中で取り上げさせていただいたナマケモノ研究の村松大輔先生(奈良教育大学)、ナメクジ研究の宇高寛子先生(岡山理科大学)、そしてオオグソクムシ研究の森山徹先生(信州大学)の3人だ。

 

テーマはずばり「生きものを〈知る〉ということ」。前回のトークイベントの「生物にとって〈私〉とはなにか?」に続く深遠なテーマ設定だが、どんな話がでてくるのだろうか?

 

書籍の中で「カラス」と「キイロシリアゲアリ」の項目を担当したライター・岡本が一般参加者に紛れて話を聞いてきました。

受付には書籍『先生!なぜその生きものに惚れたんですか?』のほか、宇高先生のナメクジ本やグッズが並ぶ

まずはそれぞれの研究対象をざっくりと紹介

タイムスケジュールは、まず各人の研究対象をざっくりと紹介してもらうミニ講義があって、5分間の休憩を挟んで、後半が「生きものを〈知る〉ということ」をテーマにしたトークセッション。基本的には前回のイベントと同じ構成なのだが、今回は前半のミニ講義の時間が少しだけ長くなったとのことだ。

ナマケモノの仲間は大きく二つに分けられるのだ、というところから説明を始める村松先生

 

トップバッターはナマケモノ研究の村松大輔先生だ。

 

ナマケモノと呼ばれる動物は大きく二つの仲間に分けられる。前脚の爪が二本のフタユビナマケモノと三本のミユビナマケモノである。フタユビナマケモノは体が大きくて、顔の前に手を近づけると噛みついてくることもあるというナマケモノらしからぬアグレッシブさを発揮することもあるのだとか。村松先生がおもに研究しているのは、小さくて大人しいミユビナマケモノの方である。

「え、24時間……?」という言葉にならないどよめきが広がる

 

村松先生の専門は動物行動学。研究の目的は、野外におけるナマケモノの動きを解明することだ。そのために捕獲したナマケモノにGPSや体温・心拍計を搭載した機械を取り付けて行動を調べたり、ナマケモノのいる木の近くに24時間張りついて観察したりすることもあるという。

 

機械を使った方法はともかく、24時間観察するのは素人目にも「それってめちゃくちゃたいへんなのでは?」という疑問が湧いてくるが、実際かなりの精神力が必要とされるらしく、その理由はとにかく動きがないことだという。

 

「動物の動きを調べるために来たのに、こんなに動かないとは」という言葉に、会場からは笑いが漏れる。

なんせ一日の8割は動かないで過ごすのだ

 

ほどよく緊張が取れてきたところで、ナメクジ研究の宇高先生にバトンタッチ。

 

ナメクジが好きで好きで仕方がなくて研究を始めたのかと思いきやそうではなくて、飼育が容易で研究している人が少ないからという理由で卒業研究のテーマとして勧められたことがきっかけだったという。

「座ると話せない体質なので立って話します」という宇高先生

日本国内でおもに見ることができる三種類のナメクジ

 

現在、日本でおもに見られるナメクジは外来種のチャコウラナメクジ、そして在来種のナメクジ(ややこしいが、これは種名がずばり「ナメクジ」なのである)とヤマナメクジだ。以前はキイロナメクジという外来種も見られたのだが、近年なぜか姿を消しつつある。さらに、目撃例はまだ少ないが、同じく外来種であるマダラコウラナメクジも発見されている。

 

このように、ナメクジ界隈では在来の二種に加えていろいろな外来種が現れたり、逆に消えたりしているのである。どうしてだろう?というのが宇高先生の研究テーマだ。

自作したというナメクジのぬいぐるみ。「ないものは作るしかありませんからね」という力強いお言葉をいただいた

 

ところで、そのような研究には、どこにどんなナメクジが分布しているのかという情報が不可欠だ。そのため、現在はナメクジ捜査網というサイトを立ち上げて日本全国津々浦々のナメクジ目撃情報を募集中である。おもにマダラコウラナメクジの情報収集のために開設したけれど、あらゆるナメクジの情報収集のきっかけになってほしいとのことだ。

前半のトリを務めてくださった森山先生

 

ミニ講義の最後は、オオグソクムシ研究の森山先生。「オオグソクムシはほとんど動きません。グラフを作ったらナマケモノと同じになると思います」というセリフに会場から笑いが起こる。そういえば、今回の珍獣はどれもあまり動かない(宇高先生いわく「ナメクジは一般に思われているよりずっとアクティブに動く」そうだが)生き物ばかりである。

有名なダイオウグソクムシと違って、オオグソクムシは体長10センチくらい、掌にのるサイズだ

 

生物の不思議を広く研究しているという森山先生がオオグソクムシに注目したきっかけは、なんとなく面白いことができないかな、という漠然としたものだった。

 

そんなわけで研究室で飼育し始めたのだが、当初の感想は

「つまんないなと思った。申し訳ないけど」

というものだったという。観察してみたら予想もしなかった行動が見られた、というわけではなかったのだ。

 

一時期はオオグソクムシの研究に見切りをつけようと思っていた。ただ、最後にオオグソクムシの入った水槽に陸地をつくり、そこにつながるスロープを作ってみた。丈夫そうだから、もしかしたら陸に上がってくる奴がいるんじゃないか。そんな思いつきからだった。

 

これが大きな転機になった。一晩たって見たら、なんとみんな上がってきていたのだ。「これはやっていくしかない」と感じたという。

呼吸も、重力の影響も苦しいはずなのに、みんな水際に並んでいる

 

本来、深い海の底で一生を過ごすはずのオオグソクムシが、そろって陸に上がってきている。このとき森山先生の脳裏に浮かんだのは、5億年前に初めて陸地に進出したアパンクラという節足動物だ。

 

オオグソクムシが陸に寄ってくる行動は、節足動物が海から陸に進出してきた秘密と関係があるかもしれない、というのが森山先生の見立てである。生命の歴史に迫る壮大なストーリーが見え隠れする研究なのだ。

生命が陸上へ進出したきっかけが、オオグソクムシからわかるかも……!?

 

野外での体を張った観察、市民の協力で進む分布調査、そして生命が陸に上がった起源へのつながりを示唆する観察記録。短い時間ながら、各先生の研究のエッセンスが凝縮されていて、刺激的な内容だった。

トークセッション「生きものを〈知る〉ということ」

5分間の休憩をとって再開。休憩時間中も登壇者のもとに質問しにいく人が絶えないのが印象的だった。ここからは、事前に寄せられた「生きものを〈知る〉ということ」に関連する質問に沿ってセッションが進められていく。

 

たとえば「生物を研究していて一番テンションが上がった瞬間や、自分だけが知っている研究対象の魅力を教えてください」という質問だ。

「ナマケモノはとにかく全部の動作がゆっくりなんですが、瞬きまでゆっくりだったのは驚きました。それくらい速くてもいいのに。それほどまでに動かないから野外でナマケモノを見つけるのは大変で、しかも木にしがみついたナマケモノにそっくりな木のコブがあったりして、野外にいるミユビナマケモノの姿を初めて見つけた時は感動しました」

 

口火を切ったのは村松先生。ナマケモノを研究している人は少ないから、参照する情報が少ない分、何をやっても新発見になるうれしさもあるという。

 

「種数に対する研究者の少なさでは負けてません」そう言って後を継いだのは宇高先生だ。

 

宇高「飼育し始めた頃、チャコウラナメクジがなかなか卵を産んでくれなくて、夢でうなされるまでに追い詰められたりもしてたんですが、それだけに初めて産卵したときには感動しましたね。あと、私も文献でしか見たことがなかったマダラコウラナメクジを初めて見つけた時はテンションが上がりました。カナダでのことだったんですが。あと、ゆっくりとしか動けないと思われてる節がありますが、ナメクジは意外と速いです。とくにマダラコウラナメクジは、油断して飼育容器の蓋を開けておくと、すぐにいなくなっちゃったりして」

 

初めて直に出会ったときの感動というのは、やはり代えがたいもののようだ。ただ、森山先生の見方は少し違うようで、

 

森山「こちらの予想もしなかったことをしてくれるのが魅力であり、いちばん興奮する瞬間です。陸に上がるオオグソクムシだったり、迷路を解かずに壁を登り始めるダンゴムシだったり。ただ私の場合は観察することでそれを見つけるだけではなくて、そういう行動を誘発するような状況を作ってやるのが好きです。人間相手でも、例えばメロンの絵が描かれた容器にオレンジジュースを入れたものを飲んでもらって、その後にただの水を飲んでもらうと、なぜか味噌汁の味がするとか言い出したりします。視点をずらせば、人間でもまだまだ不可思議なことをすることがあるんです」

 

「動きがゆっくりといえば、オオグソクムシも我々からするとゆっくり動いてるなと感じますが、何をもってゆっくりなのか?ということが大事だと思います。とにかく、フラットな気持ちで見ることが大事」

 

村松「知り合いの巻貝研究者が、ビデオ撮影したものを早送りで再生して見たら、貝の行動が感覚的に理解できるようになったと言っていました」

 

「知る」と一口に言っても、いろいろな次元、いろいろな方法があるのだと実感させられる。

 

さて、ここで次の質問に入るのだが、これは今日私が三人の話を聞いていてうっすらと抱いていた疑問をまさに代弁してくれるものだった。つまり、研究対象の生物そのものに対する探求心というよりは、それを通して見えるもっと普遍的ななにかに向けて研究をしているのではないかということだ。

 

「その生き物を知りたくて研究をしているのか、もっとほかに知りたいことがあってやっているのでしょうか?」

 

村松「哺乳類の研究者は研究対象の動物が大好きな方が多いんですが、自分はそうではないですね。もちろん好きか嫌いかと言われれば好きであることは間違いないけれど、特定の個体に思い入れを持つのはよくないし、名前を付けたりもしません。ナマケモノについて知りたいというよりは、動物の動きやその仕組みを知りたいんです」

 

森山「自分は特定の動物種への思い入れというのは持てなくて、でも飼育や実験をしていると愛着は湧いてきます。そしてそういう自分を見ながら、ではなんで愛着が湧くんだろう?というようなことを考えたりします。だから研究対象はなんでもよかったとも言えます」

「私も生き物全般が好きで、とくにナメクジが好きというわけではないですが、長い付き合いとしての愛着はありますね。飼っているナメクジを実験で殺してしまうこともあるから、過度な思い入れがないのはむしろいいことだとも感じています。ただ、グッズを作ったりはしてますけど」

 

愛情はときに目を曇らせる。研究でも、おそらくそれ以外の場面でも、愛という感情は取り扱い注意なのだ。とはいえ、長く接しているうちにどうしても自然と愛着が湧いてくるのは事実で、そうした自分の中に芽生える感情を理解しつつ、いかにフラットに対象を見るかということを強く意識しておられるように思えた。そしてそれは、生き物に過度に感情移入してしまいがちな人間の性質を戒めることでもあるのだ。

 

森山「偏見を取り払った方が、生き物の新しい行動に気がつけておもしろい。見る者の意識次第で、そのポテンシャルはすべての生き物にあると思っています。そして、そういう考え方をみんなが持ってほしいという思いで研究をしているところがあります」

 

宇高「ナマケモノってすごい名前ですよね。ナメクジの英名はSlugといって、これは怠け者という意味の俗語でもあります。でもそういう名前を付けてしまうのは人間目線での解釈の結果であって、その生き物にとってはそれが最適だったということを理解する必要があると思います」

 

生き物の生態から人間社会の教訓を読み取ろうとすることはとても危険なのだけれど、生き物を知ろうとするときに人間がはまりがちな罠をあらかじめ意識しておくことは、日常様々な場面で有用なのではないだろうか。

 

一連の話を聞いていて筆者が強く感じたのはそんなことだった。

狭い会場に人々が集まって熱心に話を聞いている様子は、まさに現代の寺子屋といった趣でした。来場者、視聴者のみなさま、ありがとうございました!

 

(編集者:谷脇栗太/ライター:岡本晃大)

国立民族学博物館の島村一平先生が語る、モンゴリアン・ヒップホップとそこにつながる遊牧民のシャーマニズム

2025年11月20日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

我々日本人がモンゴルについて考えるとき、そこには広大な草原とそこで暮らす遊牧民のイメージがつきまとう。しかし読者はご存じだろうか。遊牧で生計を立てる純粋な遊牧民が、もはやモンゴルの人口の1割に満たないことを。人口の半数(約170万人)が暮らす首都ウランバートルの過密を。医師や教師の半分以上が女性であるという、女性の社会進出事情を。そして、そんな我々が抱くイメージとはかけ離れた現実のモンゴルで、近年流行しているのがヒップホップだ。

 

モンゴルとヒップホップ。この一見すると縁の薄い両者をつなぐシャーマニズムの伝統だ。さらに音楽を通すことで、現代モンゴル社会のありようさえも垣間見ることができるのだという。ウランバートルのクラブに通ってモンゴル語を覚え、通算6年以上をモンゴルで過ごしたという、国立民族学博物館の島村一平先生に語っていただいた。

伝統的な儀礼とヒップホップに共通する「韻踏み」に注目することから研究が始まった

島村先生の専門はモンゴルのシャーマニズムの研究とのことですが、どうしてヒップホップに注目されたんですか?

 

「シャーマニズムの盛んな地域に出向いて、フィールドワークをするじゃないですか。儀礼の場ではシャーマンが太鼓を叩きながら、精霊を憑依させるための歌を歌ったりするんですが、この歌詞がね、韻を踏んでるんです。頭韻(※)なんですけど」

※単語の後ろで韻を踏む「脚韻」に対して、単語の頭で韻を踏むものを「頭韻」と呼ぶ。

シャーマンが使う革張りの太鼓を叩いて見せてくれる島村先生。ボンボンボンという迫力のある音だ

 

「調査が終わってウランバートルに帰ってくると、ちょうど2000年頃からヒップホップが流行り始めてて、ラジオからラップが流れてくるんです。それがまた、韻を踏んでるわけです。町でも田舎でも、やってることは全然違うのに、韻を踏んでるやないかと。これが気になって、ヒップホップに興味を持って、クラブに行ったりし始めました」

 

かたや大昔からある伝統儀礼、かたやアメリカから入ってきた最新の音楽。その二つに共通点があったということですね。

 

「もともと遊牧民にはシャーマニズムに限らず韻を踏む語りの文化があって、これは韻がある種の記憶装置だからなんです。押韻によって生まれる言葉のリズムが文を記憶しやすくしてくれるとともに、語りに際して言葉から次の言葉へとぽんぽんと移っていくということができるようになる。頻繁に移動を繰り返す遊牧民はモノをたくさん所有することができない。その結果、書く文化ではなく、歌い語る文化を発達させてきました。その歌い語りの文化の延長上にシャーマニズムがあり、さらに現代詩やヒップホップが続くわけです」

 

韻には実用的な意味があるということですか。

 

「韻というと、日本人はどうしてもダジャレのレベルで捉えがちです。ただこれには言語的な制約という理由もあって、たとえば日本語の動詞って『言う』とか『食べる』とか、とにかく全部、最後が母音の『う』の音で終わりますよね。日本語の動詞の語尾に関しては綺麗な法則があって、多様な韻が踏みづらい。だから日本のラッパーたちは、みんな倒置法を使うんですよ。最後を名詞で終わらせないと、音にバリエーションが出てこないですね。英語やモンゴル語にはひとつの母音で動詞が終わるという法則性がないので、豊かなライムが展開しやすい。

 

さらにモンゴル語がラップで有利なのは、子音を重ねられるところです。例えば『ありがとう』はモンゴル語で『Баярлалаа(Bayarlalaa)』(※)ですが、これを日本人が発音しようとするとものすごく難しい」

※無理矢理カタカナで表記すると「バヤルララー」。しかし実際の発音は「ルララー(rllaa)」の部分がrとlという子音がほぼ三連続して出てくるため発音が難しい。

 

Баярлалаа、難しいですね......。

 

「でしょ?私も1000回くらい練習しました。モンゴル語は子音を最高で4つとか5つ重ねることができて、しかも破裂音や、日本語にはない口蓋摩擦音という音もあって、パーカッシブな音の組み立てがしやすいんです。日本語で同じことをやろうとすると促音、つまり『っ』を入れるくらいしかない。

 

例えば日本語ラップの初期の名曲、Dragon Ashの『Grateful Days』(1999年)で考えてみましょう。ラッパーZeebraの〈俺は東京生まれヒップホップ育ち 悪そうな奴はだいたい友達〉というバースが有名ですね。あれが出た当時、〈ヒップホップそだち〉と〈だいたいともだち〉で脚韻を踏んでる、これがラップなんだと理解した人が多かったわけです。ただすごいのはそれより後のところで、〈渋谷六本木そう思春期も早々にこれにぞっこんに カバンなら置きっぱなしてきた高校に〉の部分です。まず〈かばんならっ〉と〈置きっぱなしてきった〉と小さい「つ」(促音)を入れて発音することで音をパーカッシブにしている。さらに〈〈高校に〉を〈こっこうに〉と発音することで、前のぞっこんに〉と促音を使ったパーカッシブな韻を構成しています」

 

なるほど、あの歌にはそんなすごいテクニックが隠れていたんですね!

 

「リズミカルになってかっこいいですよね。日本のミュージシャンたちが研究を重ねてようやく花開いた技法です。逆に言えばモンゴル語話者たちはそうした試行錯誤をせずとも、そのままラップの世界に入ることができた。最初はモンゴルのラップもいまいちだったんですけど、ものの数年でそういう洗練された技法を使いこなせるようになったのは、やっぱりモンゴル語という言語がラップ向きだったからだと思います」

ヒップホップが映す現在のモンゴル

ヒップホップから社会が見えるというのは、どういうことでしょうか?

 

「モンゴルのラッパーたちは、音楽を通してすごくダイレクトに政治や社会を批判するわけです。まずラップの文化自体が、社会の下層に追いやられたニューヨークの黒人やラティーノたちの中から生まれた文化であるということ。2PacやPublic Enemyといった社会派ラッパーは有名ですね。モンゴルの初期のラッパーたちも、例えば2Pacにインスパイアーされた人が多かったんで、そういう社会派のメッセージをこめた曲を作る人が多くいたんです。

 

新型コロナウイルスが蔓延していた時に、モンゴル政府はすごく極端な感染封じ込め策を実施していたんですが、そのやり方を批判したラッパーがいて。2Pacを尊敬する彼のステージネームはPacrap(パクラップ)と言うんですが、『Give Me Justice』つまり私たちに正義をくれっていう曲が大バズりして、もちろんそれだけが原因ではないんですが、デモが起こって内閣が総辞職するということがありました」

 

Pacrap - Give Me Justice 2 (Official Music Video)

 

内閣総辞職まで!それはすごいですね。モンゴルのヒップホップには社会を動かす力があるんですね。

 

「モンゴルの首都ウランバートルは非常に過密な都市です。中心部に高層住宅があって、その北側にはゲル地区と呼ばれる、要するにスラムに近い地域が広がっています。上下水道が完備されてなくて、電気は来ているけど冬の暖房には石炭や、ひどいところだと古タイヤを燃やしたりもしていて。そうして出た煙が盆地に留まることで、冬場の大気汚染は世界最悪の水準だと言われています。

 

モンゴルのヒップホップはそのゲル地区から生まれた文化なんです。社会主義が終了した直後、90年代のゲル地区の市場では、外国から買い付けてきた音楽のカセットテープなんかが売られていました。つまりスラムが外国の文化を仕入れる最先端の現場だったわけです。その市場が磁場となってラップに興味をもつ人たちが集まってきた。モンゴル最初のヒップホップ・グループのDain ba Enkh(ダイン・バ・エンヘ)、『戦争と平和』という意味なんですが、そのコアとなるメンバーが出会ったのは、1996年、ゲル地区の市場でのことでした」

 

一番の貧困地区に、外国から最新の文化が入ってきて、それに触発されてグループができた。すごくドラマチックです。

 

「そういう経緯でモンゴルのヒップホップが生まれたので、貧富の格差や環境問題を織り込んだ曲作りをするのは当然です。

 

ただ、最初の頃が一番先鋭化していたとは思います。そこは本家のアメリカも一緒だとは思いますが。その後、2000年代に登場したグループであるICE TOPは、政治や社会問題も歌うのですが、それに限定せず、恋愛などをテーマにした曲も作ることで人気を博しました。彼らはどちらかというと普通の家庭の出身です」

島村先生はICE TOPのメンバーにもインタビューをしたことがあるという。写真はそのときにもらったサイン入りのファーストアルバム

 

「こっちはThunderZという、今一番勢いのある若手の一人です。この人はゲル地区の出身で、この曲では貧乏でもひたすら努力して成り上がってきたんだ、というメッセージを伝えています。高校生のときにラップコンテストで優勝したときの映像を最初にもってくるという演出もしていますね」

 

ThunderZ - Bugd Tegees Ehledeg (Official Music Video)

 

すごい。まるで自分の半生を歌にこめて伝えているみたいです。

 

「で、その同じ人が、こういうのを歌っていたり」

 

ThunderZ, Bilgang - Bi Chinii Naiz Zaluu Baij Bolhuu ? (Official Music Video)

 

めちゃくちゃポップです!同じアーティストが作ったとは思えないくらい別物ですね。

 

「シリアスな歌ばっかり出してると売れなくなってくるというのも事実で、戦略的にいろいろなものを出して、生き残ろうとしてるんです。商業主義に取り込まれているというのは、どうしてもあるかもしれません」

音楽で政治を語る

「モンゴルの現状を象徴するような曲として紹介したいのがこれです。ICE TOPをはじめとするモンゴルのヒップホッパーたち、さらにロシア連邦のブリヤート共和国や中国の内モンゴル自治区のアーティストが共演しています」

 

ICE TOP - TOONOT (Official Music Video)

 

「ブリヤート共和国や内モンゴル自治区には多数のモンゴル系住民が暮らしていて、モンゴル人と言うのはいわば分断された状態にあります。特に中国側では、近年モンゴル語教育が廃止されるなど弾圧が強化されています。

 

この曲は、実際の撮影はそれぞれの国で別々に行っているんですが、そうした散り散りになったモンゴルのアーティストが曲の中で一同に会することで、モンゴル人の窮乏と団結の必要性を訴えています」

 

ものすごく政治的ですね。

 

「いや本当に。ただ、モンゴルだけでなく世界のヒップホップ・ミュージックを調査している研究者を集めて『辺境のラッパーたち―立ち上がる「声の民族誌」』(青土社)という本を作ったんですが、そこで実感したのはモンゴルよりもむしろ日本の特殊性です。日本には『音楽に政治を持ち込むな』という意見の人がまだまだ大勢いて、政治色のある音楽が存在しないわけではないけれど、そういう音楽がメジャーになることもほぼないじゃないですか。世界的に見れば音楽で政治的なメッセージを発信するのは、アーティストにとっても消費する側にとってもごく当たり前のことで、その点では日本こそが例外中の例外だということがわかりました」

 

世界中の「変わってるな、おもしろいな」と思うものを調べていくと、実は自分たちこそが世界の中の変わり者だったということに気づいてしまったということですか。文化人類学の真価ともいえる気がします。

日常の言葉の外にある、非日常の言葉。韻が開く世界

「日本が世界から取り残されそうになっている今こそ、文化人類学は必要とされているし、純粋におもしろい学問だと思います。

 

多くの学問の世界では、誰がやっても同じ結果が出る、再現性ということが重視されますが、文化人類学はそれと対極にあるというか、とても一回性の強い世界だと思っています。同じ場所で同じものを見ていても、時と場合と調査者によって違った切り口や結果が出てしまうものなんです。逆に言えば、たとえ学部生であっても斬新な切り口の研究ができてしまうということでもあります」

 

それは希望がもてます。

 

「ラップやシャーマンが語る精霊の言葉に注目するというのは、その点でも非常におもしろいと感じていて。というのもフィールドワークでインタビューをしていても、必ずしも相手が本当のことを話してくれているとは限らない。モンゴル人は比較的はっきりものを言う民族ですが、それでも人に話したくないことというのはあるんです。

 

押韻によって語られる言葉にはそのジレンマを突破する力があるかもしれません。いわば普段我々を縛っている言葉の意味を壊すことによって、意図せずに語られる世界があるかもしれない」

 

言葉の意味を壊す、ですか。

 

「シャーマンが語る精霊の言葉は、意味としてはけっこう無茶苦茶で、儀礼の場にはそれらを我々にもわかる意味の通った言葉に翻訳してくれる人が同行しています。シャーマン本人もそのことを自覚していて、『あー、自分は今、無茶苦茶なことを言ってるな』と意識しながら話すこともあるそうです。あるシャーマンは『精霊とは言葉そのものかもしれない』と言っていました。つまり韻踏みとは超越的な発話のためのある種のテクノロジーで、それによって普段自分が意識的に紡いでいる言葉とは別の言葉が生み出される」

 

ドラムを打ち鳴らすモンゴルのシャーマン。
2015年、ウランバートル市郊外にて 撮影:島村一平

 

「これと似ているのがフリースタイルのラップです。よく『ゾーンに入る』というような言い方がされますが、普段の会話が意味中心主義の発話だとするならば、そこでなされるのは音声中心主義の発話であって、出てくる言葉は意味や常識の呪縛から解放されている。そこには抑制された怒りであったり、苦悩であったり、普通のインタビューでは話さない、話したくないものが滲み出てくるかもしれない。神秘性と同時に新規性が宿るんです。今ちょっと韻を踏んでみました。

 

事前に形式を決めて挑むインタビューに対して、そうした型を作らずに自由な会話を紡いでいくやり方を非構造インタビューと言います。精霊の言葉やラップは、究極の非構造インタビューなんじゃないかと思います」

 

意識を経由せずに深層心理から汲み取ってきた究極の自分語りといえるかもしれませんね。

 


 

今年(2025年)の夏にモンゴルを訪問した筆者(岡本)は、計らずもICE TOPの解散ライブ(ただし現地のモンゴル人の意見では「言ってるだけで実際は解散しないんじゃないの」ということだった)を見る機会に恵まれた。モンゴル語の歌詞の内容はもちろんわからないのだが、いかつい男たちの口から流れてくる音は耳に新鮮で躍動感があり、リズムに合わせて体を揺らしながら眺めているだけでも楽しかった。モンゴルらしく馬頭琴の奏者が登場したときはおおいに色めき立った。そして最後には、ダメ押しのようにステージから盛大に打ち上げられる花火。ヒップホップのライブというより、もはや夏祭りなのではというてんこ盛りの演出を、一同大いに楽しんだのだった。

すぐそばに高層住宅が立ち並ぶ、市街地のど真ん中でもお構いなしに花火を打ち上げるド迫力のライブ!

 

島村先生に取材を申し込んだのは、たまたまその一端に触れたモンゴリアン・ヒップホップについてもっと知りたいという個人的な関心もあってのことだった。幸い、多くのアーティストたちがYouTubeにPVをアップしている。これからも楽しんでいきたいと思う。

 

なお本文中で紹介したアーティストは男性に偏ってしまったけれど、もちろん女性のアーティストもたくさん活躍中だ。島村先生の一押しはNENEというラッパー。以下の曲は、UKAという大御所女性シンガーとのコラボ曲だが、「ちょっとキュンとしますよ」とのことだ。

 

UKA x NENE - Us tsaital hamt /Official Music Video/

 

読者も「これは!」と思うアーティストを探してみてはいかがだろうか。

 

 

(編集者:谷脇栗太/ライター:岡本晃大)

海と川を行き来し、海由来の物質を川へ届ける小さな魚たちについて京大理学研究科の田中良輔さんに聞いた

2025年10月9日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

東北や北海道では、産卵のために大挙して川を遡るサケが秋の風物詩とされてきました。しかし最近では、環境の変化から、川に帰ってくるサケの数が減ったというニュースも頻繁に耳にします。

このサケのように海と川を行き来する魚は、人間の口に入るだけでなく、生き物の餌となる資源を、排泄物や自身の死骸という形で海から川に運び上げてくれる貴重な存在です。

こうした魚の中でも、とくにアユやハゼ科の魚類のように、川でふ化した後すぐに海に移動し、再び川に戻って成長・繁殖する魚(両側回遊性魚類)を研究するのが、京都大学大学院理学研究科の田中良輔さんです。

 

これまでサケ科の魚に比べてはるかに小さな魚の遡上が河川の環境に与える影響は、ほとんど研究されてきませんでした。そんな小さな魚たちの“海らしさ”を計測することで、「海と川の複雑な関係に新たな視点が得られた」と田中さんは言います。“海らしさ”、そして新たな視点とはどのようなものでしょうか。共同研究者である國島大河先生(摂南大学講師)にも同席頂いたインタビューをどうぞ!

田中さん(右)と、共同研究者の國島先生

そもそも、なぜ海と川を行き来するのか

 
――そもそもの質問ですが、魚が川から海へ下るのはなぜなんでしょう?

 

田中「移動先でメリットを得られるからです。日本周辺だと、海の方が川よりも餌が豊富なので、例えば私が研究している魚(両側回遊性魚類)であれば、エサの豊富な環境で成長期を過ごすことが、海と川をわざわざ移動することのデメリットよりも大きくなるようです」

ベニサケの遡上の様子。川を遡上する魚と聞いて真っ先に思い浮かぶのはサケだが、実際はいろいろな魚が、いろいろな時期に海と川を行き来している。(画像提供:京都大学生態学研究センター 佐藤拓哉准教授)

 

――田中さんが研究している「両側回遊性魚類」とは、どういうものですか?

 

田中「川で孵化した後すぐに海へ下り、そこでしばらく過ごしてから、再び戻った川で残りの成長と産卵をする生態をもつ魚類で、アユやハゼ科の魚が含まれます。どのくらいの期間を海で過ごすかは種によってまちまちです」

田中さんが研究している両側回遊性魚類には、アユやハゼ科の魚が含まれる。遡上してくる時期は種ごとにバラバラだ

 

田中「生涯の中で海と川を行き来する魚(通し回遊性魚類)は、産卵と成長のタイミングで海と川のどちらにいるかによって3つのグループに分けることができます。

私の研究している両側回遊性魚類のほか、サケのように海で成長して川で産卵する魚(遡河回遊性魚類)、ウナギのように川で成長して海で産卵する魚(降河回遊性魚類)です」

――いろいろな生態があるんですね。

 

遡上の仕方は十魚十色

 
――田中さんは両側回遊性魚類の「海らしさ」に注目したとのことですが、「海らしさ」とはどういうものですか?

 

田中「ここで言う『海らしさ』は、魚の体を構成する物質のうち、海由来の物質の割合を指しています。

海で餌を食べると、海由来の物質が体に蓄積されます。逆に、川で餌を食べた時には川由来の物質が蓄積されます。ずっと海にいる魚の体は100パーセント海由来の物質でできていると考えられますが、これが川に入って餌を食べることで、徐々に川由来の物質に置き換わっていくんです」

 

――川で長く生活するほどに、海らしさは失われていくということですね。

 

田中「そうなんです。そして海らしさの失われ方にもバリエーションがあるんです。

産卵のために遡上してくるサケなどの場合、川ではほとんど餌を食べないので、100パーセントに近い海らしさを維持したまま上流にやってきます。つまり魚体の重量はそのまま、海から川に運び込まれた栄養量とみなすことができます。

一方、両側回遊性魚類の場合はもっと複雑で、移動にかける時間やその途中で食べる餌の量、ひいては海らしさが種ごと、個体ごとにバラバラです」

実験に使った9種類の魚の海らしさ。種ごとに大きな違いが見られたという。
(グラフ中の黒点は中央値、エラーバーは95%信用区間、ヒストグラムは事後分布を表す)

 

田中「種間の比較だと、ボウズハゼやオオヨシノボリといった、川の中ではより上流に住む種ほど海らしさが残っていました。上流に到達することに専念するため、あまり餌を食べたりせずに遡上しているからではないかと考えています。

さらに種内の比較だと、捕獲タイミングが早いほど、また体サイズが小さい個体ほど高い海らしさを維持している傾向がありました」

同じ種であっても海らしさの度合はさまざま。(A)ゴクラクハゼは捕獲のタイミングが早いほど高い海らしさを示した。(B)ルリヨシノボリは体が小さいほど、また移動時期が早いほど高い海らしさを示した。
((A)では、点は中央値、エラーバーは95%信用期間、ヒストグラムは事後分布を表す。(B)において、中央線は推定値の中央値、網掛け部分は95%信用期間を表す)

 

――川に来てから日が浅かったり、成長できていなかったり、川で餌を食べていない個体ほど海らしさが高いということですか。遡上の仕方によってこれだけ海らしさに違いがあるのはおもしろいですね。

どのように計る? 魚の体の「海らしさ」

 

――魚の体の海らしさって、どうやって計るものなんですか?

 

田中「硫黄を指標とした安定同位体分析という手法で計りました。同じ種類の元素でも、含まれる中性子の数の違いによって重さが微妙に違う原子を同位体と言いますが、硫黄の場合、中性子が16個の原子(32S)と18個の原子(34S)があって、海由来の物質の方が34Sの割合が高く、重いということがわかっているんです」

 

國島「硫黄に限らず、安定同位体や微量元素は魚類の生態を調べる研究によく使われています。

例えば魚の頭の中にある耳石(体のバランスを司る炭酸カルシウムの結晶)は、周りの水に含まれる物質を取り込んで成長するんですが、年輪のようになった層を一つ一つ調べることで、その時に海と川のどちらにいたかが追跡できます。スズキの仲間でそういった研究をしている方もいます」

ヒラスズキの耳石

ヨシノボリ類の稚魚から耳石を取り出す作業

 

――そんなことまでわかるんですか!

 

田中「僕が研究している魚は、稚魚なので体長がだいたい2センチぐらいしかありません。筋肉を乾燥させてすりつぶし、粉にしてから分析しています。0.1ミリグラム単位ぐらいの精度で、余計なものが入らないように専用のケースに入れないといけないので、とても根気がいります」

容器に詰められた粉末サンプル。写真はスズキのもの

 

――たしかに、とても細かい作業です。

 

田中「分析に使う装置自体もとても高価で繊細で、しかも学外の機関(総合地球環境学研究所)のものを借りて実験したので、神経をすり減らしました」

 

――サンプルにする魚は、どのように捕まえるんですか?

 

田中「地獄網という網を使っています。河口の方に口を向けてセットすると、川の上流に向かって泳いできた魚が入っていくタイプの網です。それを和歌山県最南端の串本町というところ、このあたりは黒潮の関係で両側回遊性魚類の多様性が高いところなんですが、そこの川に網を張って、シーズンごとに泊りがけで採集をしています」

地獄網。ハゼ科の稚魚は川岸の近くを泳ぐ性質があるので、地獄網も岸のすぐそばに設置するのだとか

 

――地獄網とは、すごい名前ですね! しかし蟻地獄みたいというか、ものすごい数の魚が入りそうです。

 

田中「数としては非常にたくさん入ることもあります。だから研究目的や、職業として漁師をしておられる方でないと使えないことになっています。私が採集する魚は一匹一匹が小さいので、一度に採れる重さは100gに満たない程度ですが、数としては数百匹から千匹の魚が入ったりします。その魚たちを一匹ずつ同定して種ごとに分けるんですが、これがまたすごく大変です」

 

國島「魚を種ごとに分けるのは、ソーティングと呼ばれる作業です。ヨシノボリの仲間などは、稚魚がどれもすごく似ていて苦労しますね」

フィールドで大まかにソーティングされた魚類

 

いろいろな生き方をしている魚がいる

 
――住み込みでの採集に、実験室での細かく膨大な作業と、とても大変な印象を受けますが、この研究を始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

 

田中「もともと生き物や魚が好きで、大学生の時に、現在も指導していただいている佐藤拓哉先生と出会い、修士課程の研究として海と川のつながりというテーマをいただきました。修士課程までは神戸大学にいて卒業後はいったん就職したんですが、もう一度魚の研究をしたいと思い、神戸大学から京都大学に移られた佐藤先生の研究室に入らせてもらって、今に至ります」

河川内での魚類観察

 

國島「私と田中さんが知り合ったのも佐藤先生のつながりです。当時、私は和歌山県海南市にある和歌山県立自然博物館の学芸員だったんですが、和歌山県をフィールドとした研究で飼育実験ができる場所が欲しいと佐藤先生が言ってこられて、私が飼育担当という形で共同研究をすることになりました。2年前に現在の職場(摂南大学)に移ってきましたが、その時のつながりで今も一緒に研究をしています」

 

――魚好きの縁という感じで感慨深いですね。その肝心の魚が、最近減ってきているというニュースをよく聞きます。

 

田中「本当に。僕がフィールドにしている川でも『昔は遡上する魚影で川の中に黒い帯ができたみたいだった』という話を、川の近くに住んでいる人から聞くことがありました」

 

――遡上する魚が減ることで海から川への資源供給も減って、川全体がやせ細ってしまうんじゃないかと心配になります。

 

田中「魚が減っている原因としてはいろいろなことが考えられますが、私が個人レベルでできることとしては、まず正しい知識を多くの人に知ってもらうことじゃないかと思っています。

多様な魚類が海と川のつながりを作り出しているのに、両側回遊性魚類は注目されてこなかったということが、今日お話しした研究のスタートになっています。いろいろな生態の魚がいて、それぞれをきちんと見ることで海と川のつながりを正確にとらえられるということを示せた点では、意義があるかなと考えています」

 

國島「いろんな生き方をしている魚がいるということを、なんとなくでも多くの人が知っていることが大事なのかなと思います。例えば堰の横に魚道を作るにしても、サケやアユのような、人間が欲しがる魚のためだけではなく、小さい魚でも上がれるような魚道を作ろうという方向に意識が向くかもしれません」

 

――地道な調査によって、今起こっていることを正確に把握することが保全の第一歩ということですね。今後はどういう方向に研究を進めていく予定ですか?

 

田中「両側回遊性魚類が海由来の物質をどれぐらい運んでいるかというところが少しずつわかってきたので、今後は個別の魚種の生態と海らしさの失われ方の関係をさらに詳しく解明しつつ、そのようにして運ばれた資源が川の生態系にどう影響を与えているかを調べることで、海と川のつながりの解像度を上げていきたいと思います」

 

~ ~ ~

 

海と川のつながりという点では注目されてこなかった、両側回遊性魚類の研究をする人が出てきたこと、またそれを可能にするだけの技術の成長に、科学の地道な進歩というものを感じました。またそのようにして得られた知見を、我々の暮らすこの世界を良くしていくことに役立てるためには、一人一人がそのことに関心をもつ必要があるのです。お話を伺ったことで、「この川にはサケはいないけど、もしかしたら両側回遊性魚類なら上がってきているのかもしれない」という気持ちで近所の川を見ることができそうです。

 

 

(編集者:柳 智子/ライター:岡本晃大)

先端技術のガバナンスについて立命館大学の川村仁子先生に聞く中で見えてきた、宇宙開発を導くルールのこれから

2025年8月7日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

90年代には連日のように宇宙人ネタを扱うテレビ番組が放送されていたものですが、そういうオカルトすれすれの宇宙ネタは、今やすっかり下火になったような気がします。では人類が宇宙に関心をなくしたのかというと、もちろんそうではなく、宇宙ベンチャーをはじめ世の中は空前の宇宙開発ブームといっていい状況にあります。そしてそんな実利的な宇宙開発の影で、地球外生命体とのコンタクトに備えた議論も少しずつ進められてきたようです。

 

今回は、宇宙開発を進める上で必要とされているルール、すなわち「宇宙法」と、いつか来るかもしれない地球外生命体との邂逅に備えて展開されている議論ついて、立命館大学で国際関係学を研究されている川村仁子先生にお聞きしました。

先端科学技術にはルールが必要。その先駆けが宇宙開発

――川村先生のご専門は先端科学技術のガバナンスだと伺っています。これは「宇宙法」とどのような関係があるのでしょうか?

 

「先端科学技術の研究開発の促進とリスク管理のための国際的な法とガバナンスを専門としています。その一環として宇宙法にも取り組んでいます。もともとは国際関係における共和主義思想(政治思想の一つ。恣意的な権力の支配からの自由をもとめる自律した個人による政治のための思想)を研究していました。共和主義には、自主的にガバナンスを形成していくという特徴がありますが、現代でこのような特徴が見られる分野の一つが、先端科学技術だったんです。この分野は変化のスピードが非常に速いため、従来の国際法や条約だけで対応するのは難しく、国家以外の主体、例えば民間団体や専門家グループが作るルールが重要な役割を果たすようになっています。こうした非国家主体による自主規制は、これを法と呼ぶのはおかしいという考え方もありますが、場合によっては法律に近いはたらきをするため『グローバル・ロー』や『ノンステート・ロー』と呼ばれます。

 

こういう考え方は昔からあって、例えば宗教法は、信者にとってはときに国の法律よりも強い拘束力があります。私たちが飛行機に乗るときに、荷物が重量制限に収まるかでドキドキすることがありますが、こういった重さの制限や運送契約としての航空券の発行、発券データのやり取りなどは、航空会社同士の国際組織である国際航空運送協会(IATA)の取り決めに依存しているところがあります。

 

宇宙法は先端科学技術分野の国際的なガバナンスとして比較的歴史が長く、先進的です。1950年代後半から国際的な取り組みが始まり、グローバルなガバナンスの先行事例として機能してきました。宇宙諸条約などの国際法だけでなく、たとえばISOが策定するスペースデブリ(ロケットの打ち上げなどによって発生し、地球周辺の宇宙空間に残されるゴミ。以下、デブリ)に関する設計基準などは、国家が作った法ではなく、民間団体が作ったルールが、実質的には世界共通の基準として使われています。宇宙法は先端科学技術分野におけるガバナンスの、重要なモデルケースとなり得ると考えています。他の分野、たとえばナノテクやAIには、そこまでの枠組みはまだ存在していません」

 

――ガバナンスのない科学技術、たしかにこれは恐ろしいことが起こる気がします。

 

「そう、極度に危険な技術は、一度問題が発生すれば、国境を超えて甚大な被害を及ぼします。さらに、これらの研究プロジェクトは極めて国際的であり、関与する主体も一国に収まらないグローバルな構造になっています。たとえば核融合炉開発をめざす『イーター(ITER)プロジェクト』では、アメリカ、ロシア、中国、EU、インド、そして日本など、政治的に対立する国々でさえ協力せざるを得ない状況があります。

 

だからこそ、グローバルな視点からのリスク管理が不可欠です。ただ、規制が厳しすぎると、人類の希望となり得るような技術発展の足を引っ張りかねない。技術の発展を適切に促進しつつ、同時にリスクを管理する。バランスをとる必要があります」

 

――宇宙法が50年代ぐらいから構築され始めていたのは、宇宙開発競争が冷戦の期間を通じて激化していったことや、核戦争にたいする恐怖心がベースにあるんでしょうか?

 

「それは大きいと思います。第二次世界大戦の頃からロケット技術が注目され始め、1950年代にはソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功しました。これをきっかけに、米ソ間で宇宙開発競争が激化します。その中で最も恐れられたのが、核兵器の使用でした。宇宙ロケット技術はそのまま核ミサイル技術として使えるからです。米ソはもちろん仲は悪かったのですが、核戦争が起こる現実的なリスクも常に意識していました。

 

当時は、核戦争の脅威が市民レベルでも身近なものでした。昨今では私たちも、ウクライナ情勢などで核戦争のリスクを意識することがありますが、冷戦期のように世界中の人々が『核戦争が起こるかもしれない』と本気で考えていた時代と比べると、切迫感のレベルはまったく異なります。各家庭に核シェルターを作ったり、私の祖母も『毒ガスマスクを買った』と話していたことがあります。

 

基本的な宇宙諸条約ができていったのが60年代から80年代なので、まさにそうした時代の真っただ中のことでした。

 

しかし、冷戦の終結とともに国際関係の改善への期待がふくらみ、核戦争への危機意識は薄れていきました。その結果、条約や法律の規制に囚われるよりも、自由に自分たちの利益を追求するような宇宙開発の状況が生まれていったのではないかと思います」

宇宙ロケットは核兵器の運搬手段としてもポテンシャルが高かったので、冷戦の期間を通して米ソの宇宙開発競争が繰り広げられた。画像はアポロ11号のロケットと人類初の月面着陸の様子(出展:NASA)

 

多極化する宇宙開発と宇宙法

――代表的なのはイーロン・マスク氏のスペースXですが、日本でも堀江貴文氏がロケット開発を始めるなど、宇宙開発への参入がますます多極化していく中で、宇宙法はどうなっていくんでしょうか?

 

「『宇宙法』と呼ばれているものの多くは、国際法、つまり国家間の条約というかたちで制定されていますが、その数は非常に限られています。代表的なのが1967年に発効された『宇宙条約』です。これを補足・具体化する形で、『宇宙救助返還協定』や『宇宙物体登録条約』、『宇宙損害責任条約』『月協定』などが続きました。『宇宙救助返還協定』は、宇宙飛行士がトラブルに巻き込まれた場合、国家間で協力して安全に帰還させることを定めています。『宇宙物体登録条約』と『宇宙損害責任条約』は、宇宙に打ち上げる物体の登録義務と、責任の所在(登録国が全責任を負う)を規定しています。そして『月協定』は、月に関する活動を対象とした唯一の国際的な取り決めですが、加盟国は極めて少なく、アメリカ、中国、ロシアなどは加盟していません。


これらの宇宙法が整備された1950年代後半から1980年代までの時期は、国家主導の宇宙開発が前提でした。


しかし、現在の宇宙開発は状況が一変しています。大企業だけでなく中小企業も宇宙産業に参入できる時代になりました。宇宙開発を担う国家も、先進国だけではありません。グローバルサウスと呼ばれる国の中にも、宇宙開発に積極的な国々が増えています。特に赤道直下の国々は、宇宙開発にとって地理的に有利です。というのも、ロケットの打ち上げにはエンジンの推力だけでなく、地球の自転による運動エネルギーも活用できるからです。地球の自転速度は自転軸からの距離がもっとも遠い赤道上で最大となり、北極や南極に近づくほど遅くなります。赤道から遠ざかるほど、自転の助けが得られにくくなり、その分を補うためにより多くの推力や燃料が必要になるからです。彼らはその地の理を生かして、利益を得ようとしています。


こうした変化によって、従来の宇宙法が想定していなかった課題が浮き彫りになっています。宇宙条約では、宇宙空間へのアクセスと研究は自由としながらも、主権は及ばないとされています。宇宙で得た資源や成果に対する所有権をどうするのかという問題が未解決のままです。


また、現在深刻化している問題としてデブリがあります。特に地球の周りはデブリで溢れており、イーロン・マスク氏のStarlink衛星も含め、制御不能になった衛星がたくさん残されてるんですが、デブリ問題を既存の宇宙諸条約で対応するには限界があり、また、強い拘束力のある国際的な合意は存在せず、国連の宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)や宇宙局といった組織のガイドラインはあるものの、実効性には限界があります。


人類が本格的に宇宙に進出しようとしている今、国際的な実効性のあるのルールを作らないと、宇宙空間が無法地帯となり、この先ちょっと恐ろしいことになるんじゃないかという気がしています」

宇宙開発は大国が占有する時代ではなくなった。そこには新たな問題も(出展:スペースX公式サイト)

 

――人類全体の利益を考えたら、ルールを決めて互いに譲り合う方がいいけれども、自分たちのことだけを考えたら好き放題できる状況が続いた方がいいという、ジレンマが宇宙空間にもあるっていうことなんですね。

 

「好き放題やってもその権利が保証されないと、その人にとっても結局デメリットなので、本当に合理的に考えれば譲り合った方がいい。ただ私としても宇宙開発は発展してほしいし、法律がその足止めになるようなものになってはいけないとは思います。もしかしたら生きている間に宇宙旅行に行ける可能性もある中で、開発を安全・安心に続けるためにもルールは必要です。そういうところを合意できればよいと考えています」

 

いろいろな課題がある中、もし地球外生命からのコンタクトがあったらどうするのか?

――宇宙の利用については、基本的なルール作りでも未だ合意に至れていないということでした。話が少し飛びますが、人類がそういう段階で、じゃあ地球外生命が来たらどうするんだ、みたいな話ができるのか、聞いていて心配になるところもあるんですけれど、どんな感じなんでしょうか?

 

「世界で初めて知的生命体が発する電波をキャッチしようとした『オズマ計画』(1960年)を筆頭に、地球外生命体を見つけ出そうとする試みはいくつも存在しますが、仮に地球外生命体とコンタクトがあった場合にどのように対応すべきかという議論も並行して進みました。


この議論の中心となったのがSETI(Search for Extraterrestrial Intelligence:地球外知的生命探査)です。1970年代には米ソの著名な科学者や歴史学者、思想家などが参加した会議が開催され、現在も国際的なSETIの学会で研究が続いています。そしてそこで登場したのが『メタロー(Metalaw)』という概念です。これは、地球外生命体と接触した際に、どのような行動規範や原則に基づいて行動すべきかという問いに対する理論的枠組みです。


1960年代から80年代にかけてそういう議論がピークを迎えたんですが、特に注目すべきは、1977年に国連の報告書が発表されたことです。この報告書では、例えばある天文台が地球外から何かしらのコンタクトをキャッチしたときにどう振る舞うべきかといったことがまとめられています。まず信号が本物かを検証して、その上でもし本物なら国の機関などに通報し、個人が勝手に返答しないとか、そういう具体的な行動指針を国連が出すような時代だったんです。1940年代後半に発生した『ロズウェル事件』が再び話題になったのもこの頃です」

UFOの墜落を政府が隠蔽している、という都市伝説の源流であるロズウェル事件。実際はアメリカ陸軍の気球の墜落であったとされている ※写真はイメージです

 

――たしかに昔は「ロズウェル事件」などの地球外生命を扱ったテレビ番組がよく放送されてたような印象があります。最近は全然見ないですね。宇宙に対する関心が良くも悪くも実利的と言うか、現実的な観点に移ってきているような気がします。

 

「SETIの頭文字も、当初は『Communication(交信)』の”C”でCETIでしたが、のちに『Search(探索)』の“S”へと変化しました。当面は出会うことが難しいだろうということで、探索に重点が移ってきたんです。


もし仮に地球に何かが来るとしたら、地球人よりも遥かに高度な科学技術を持った存在ということになります。高度な科学技術の発展には、コミュニケーション能力や社会性も必須なので、そのような存在が、宇宙人との戦いを描いたSF映画のように、地球に来ていきなり攻撃してくるといった可能性は極めて低い。逆に、人間の方がそういうことをしてしまいそうで危ういわけです。それに、仮に地球よりも水準の低い文明を見つけてしまったとして、植民地時代のようなことが繰り返されないとも限りません。人間は地球上でさえ争いを繰り返している状態ですから。そんな未熟な状態で、宇宙に出て行こうとすること自体が危うい。コンタクトは現状では難しいと思いますが、仮に接触できた場合の最低限の行動規範、カントの定言命法※のような、相手を傷つけない、干渉しないといった、ごく初歩的な道徳原則が必要になるでしょう。現在も、そういった議論がメタローの枠組みで進められています」


※自己の意志の規則が、同時に普遍的な立法原則として有効でありうるように行動しなさい、というカント倫理学における根本的な原理のこと。

 

――地球外の文明との接触を考えることで、逆説的に人間とはどういう生き物なのかということと向き合わざるを得ないということですね。

 

「これまで人間が、自分とは全く異なる他者に出会ったときに何をしてきたのか。その歴史を振り返りながら、どう関係を築いていくべきかを考えることが、いま求められているのだと思います。


私は歴史的な思想もずっと研究してきたんですが、人類の知性は18世紀後半か19世紀の、大戦前あたりがピークだったのかなと思うことがあります。特に人文・社会科学の発展は。科学技術は発展していますが、肝心のそれを運用する人間の知性はむしろ下降曲面にあるんじゃないかと。このままでは人間は自分を滅ぼすために技術を使ってしまうのではないか。

 

他の星まで行けるような高度な技術文明は、大量破壊兵器を作る技術も手に入れているはずなんです。でも同時にそれを制御する方法も見つけているはずです。そうでないと科学技術の悪い面が自分たちに向かってきてしまうので。今の人類はその状況にあって、このまま『人類って短かったね、恐竜より短かったね』と異星人に総括される存在になるかどうかの瀬戸際にいるのではないでしょうか。科学技術は使い方が大事なのですが、残念ながら技術開発先行で議論が進むので、こういう話は盛り上がりにくいですね」

 

***

最後に、先生は「メタローは、今はまだ漠然とした倫理や道徳の議論をするしかないですが、実際に地球外文明と接触する段になると一気に発展すると思います」と付け加えました。そんな日がいつ来るのか、そもそも本当に来るのかわかりませんが、宇宙人に見られても恥ずかしくない地球を作るという目標を共有することが今の人類には必要なのかなと思いました。

 

 

(編集者:河上由紀子/ライター:岡本晃大)

 

無意識の偏見に気づく観点とは? フェミニスト科学哲学について東京大学大学院の杉本光衣さんに聞いた

2025年5月20日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!, 大学の地域貢献

現代では、さまざまな差別や偏見が良くないことと認知されて、是正しようという運動が存在します。でもそんな現代も、例えば100年後に振り返ってみれば「ずいぶん偏見に満ちた時代だったな」と思われるかもしれません。本当の偏見というものは、その存在を意識できないからこそ、偏見なのです。

 

中立・公正・客観的に思える科学の世界もまた、そんな偏見と無縁ではないようです。知らず知らずのうちに身についてしまったが故になかなか気がつくことのできない思考の型から、どうすれば抜け出すことができるのか。東京大学大学院総合文化研究科の博士課程でフェミニスト科学哲学を研究する杉本光衣さんにお話を伺いました。

バイアスの存在に気がつけば、科学の恩恵をもっと有効に活用することができる

——科学哲学や、その中でも特に杉本さんが専門にしておられるフェミニスト科学哲学とは、そもそもどういう分野なのでしょうか?

 

「科学哲学は、科学が用いている理論や概念や方法論に対して、哲学的にアプローチしていく分野です。哲学の一分野に位置付けられるんですけれども、なかでも科学に関心を持って取り組んでいるものになります。フェミニスト科学哲学は、その中でも特にフェミニスト理論を用いて、伝統的な科学的観念や、ジェンダーバイアス等について批判したり再構築する学問分野です」

 

——科学におけるジェンダーバイアスとは、具体的にどういうものですか?

 

「フェミニスト科学哲学特有のものではないのですが、有名な事例としては、車の衝突実験用ダミー人形があります。車の衝突実験で使われるダミー人形は、中型サイズの男性モデル(175センチ・78キロ)が使われていました。交通事故の負傷率では、それに近い体型の人が低く、そこから外れる人々(女性・高齢者・肥満の方など)は高くなる傾向があったようです。衝突実験用ダミー人形は元々、米空軍のために開発されたという経緯もありますが、車を運転するのは男性だという無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)もあったのではないのでしょうか。その結果、そこから外れる人々の安全性が低くなってしまったんです。

 

このように、科学研究では、無意識のうちに男性やオスが基準になっているものがあることが明らかになっています。比較的少なくはありますが、女性が基準となったことで男性の研究が疎かになっている分野もあります。そのように、これまで意識されてこなかったバイアスに気づいて目を向けるところから始まり、誰にでも科学の恩恵がきちんと行き渡るよう再構築していこうというのが、フェミニズムからの科学へのメッセージです。AI、ライフサイエンス、都市設計など、昨今は本当にいろんな分野でそういった動きがあります」

自動車事故の実験などで使われるダミー人形は、かつて成人男性を模したものしかなかった

 

——「フェミニスト」「ジェンダー」という単語が前面に出ていますが、それだけではなくて、例えば病気・障害の有無や年齢など、人間の持つさまざまなバックグラウンドを包摂していこうとしている印象を受けました。

 

「歴史的な流れとしては、最初はジェンダーが中心となったのですが、ジェンダーしか見ていないことに対する批判も起こりました。今はもっと広く、交差性(※)も考慮して、幅広く包摂していこうという考え方が主流になっています」

 

(※)人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、世代、アビリティなどの複数のカテゴリーが二つ以上重なるときに、それぞれの困難さが掛け合わせられることで現れる特有の困難さのこと。

 

——そのような考え方は、どのようにして発展してきたんでしょうか?

 

「広い文脈としてはフェミニズム運動のなかで発展してきましたが、ジェンダーと科学という文脈に限定してお話します。

 

科学は客観的であると思われているけれども、客観的であるはずの科学にも実はジェンダーバイアスがあるのではないかということは、1960年代からフェミニスト科学論で議論されてきました。そうした議論は1980年代以降に特に盛んになってきました。人文科学分野では、フェミニスト哲学だけではなく、ジェンダー科学史、ジェンダー科学論など多くの分野で論じられるようになります。フェミニスト科学哲学者としては、サンドラ・ハーディング(UCLA栄誉教授)やヘレン・ロンジーノ(スタンフォード大学クラレンス・アーヴィング・ルイス哲学教授)が挙げられます。あるいはジェンダー科学史家のロンダ・シービンガー(スタンフォード大学歴史学科ジョン・L・ハインズ科学史教授)といった方々の著作が数多く発刊されました。

 

初めは人文系の中で、いわば概念的にやってきたことを、きちんと科学の現場に持ち込むことができたことは大きな転換点であると思っています。2000年代から欧米を中心として、科学的知識の中にジェンダーを適切に統合していく流れが生まれ、研究資金配分期間のあり方などにも反映されるようになりました」

 

——議論するだけでなく、科学研究の現場で実践できるようになったのはすごいことですね。

 

「ロンダ・シービンガーのすごいところは、そのために『ジェンダード・イノベーション』という言葉を生み出したところです。

 

彼女も最初は、ジェンダーバイアスが知識を歪めていることについての研究を行っていました。しかし、それを科学者に伝えることはできなかった。私見ですが、自分が科学者として何かを研究しているとして、そこでいきなり『あなたにはジェンダーバイアスがある』とだけ言われても困るじゃないですか。

 

そこでジェンダード・イノベーションという言葉を新しく作って、『ジェンダーに考慮することでイノベーションが生まれる、だから一緒に協力しましょう』というポジティブな主張をしました。そうすると、科学者たちの関心を集めることができた。そこから、ジェンダーバイアスの事例の収集と、それを改善するための方法論の開発を進めたんです。今ではEUの研究助成プログラムである、Horizon Europeのプログラムガイドラインにも組み込まれるなど、科学技術・イノベーション政策に反映されています」

サンドラ・ハーディングやロンダ・シービンガーといった先駆的な研究者の著書や活動が、ジェンダーと科学に関連する研究にとっての起爆剤となった。二人ともそれぞれ来日し、講演会なども実施されている。『科学と社会的不平等: フェミニズム,ポストコロニアリズムからの科学批判』サンドラ・ハーディング著(北大路書房)、『ジェンダーは科学を変える!?―医学・霊長類学から物理学・数学まで』ロンダ・シービンガー著(工作舎)

見えないバイアスに気づく手がかり

——我が身を振り返って考えてみても感じることですが、自分の中にある思考のバイアスに気がつくというのはとても高度なことであると思います。なにか方法論のようなものがあるんですか。


「各研究分野の中で具体的にどんなバイアスがあるのかということは本当にケースバイケースで、研究者の方がそれぞれで試行錯誤されている状況です。例えば、研究計画の段階で事前にジェンダーバイアスが入っていないか検討する、データ解析の段階で性を変数として見る、などさまざまです。

 

その上で私の専門領域であるフェミニスト科学哲学に話を戻すと、フェミニスト科学哲学はそもそもなぜ科学にバイアスがあるのか、バイアスがあるとして、より良い科学のあり方とはどういうものなのかなど、原理原則に立ち返って考える分野です。そこでキーワードになっているのが『客観性』や『価値中立性』です。一般的な感覚として、科学は社会的な価値(政治的な問題、ジェンダー観など)からは隔てられている「客観的なもの」と思われているのではないのでしょうか。ですが、先ほど述べたようなさまざまな研究のおかげで、実はいろいろな歴史的経緯の影響が残っていたり、女性を含めた多様な主体が無視されていたりして、社会的な価値観から完全に隔てられていないことが明らかになりました。こういう事実をとっかかりにして思考を深めていくんですね」

 

——「価値中立性」という言葉が出てきました。この場合どのようなニュアンスなのでしょうか?


「これは、ごく簡単にいうならば、理想的な科学は道徳、政治、文化などの価値を受けていないという考え方です。例えば『1+1=2』という命題にジェンダーバイアスが入る余地はないと感じますよね。ここまでは誰も反対しないと思います。ですが、精子と卵子を研究する時にも、『1+1=2』と同じぐらい観察者の価値観が入る余地がないかと言われると、きっとそうではないわけです。例えば1980年代以前の発生生物学の教科書では、卵子は「受動的」で、精子は「能動的」であるという記述がなされていました。実際は卵子も積極的な役割を果たしていることがわかっています。

 

科学研究の結果にバイアスが含まれていることはありえます。科学の理論や結果だけでなく、例えばどの研究にどれだけ資金を配分するかといったことにも、価値判断は関わってきます。フェミニスト科学哲学はこのような事実に関心を持ちながら、既存の科学におけるジェンダーバイアスや、もっと原理的に、「客観性」などの概念をどのようにアップデートしていったら良いか、などについて考えている分野です」

 

——自分がなにかを観察したり考えたりしているときの、思考の枠組みみたいなものをメタ的に見る必要があるということですね。

 

「人間は思考の枠組みがないと物事をそもそも考えることができません。どういった枠組みを設定しているのか、中でもジェンダーを含めた包摂性の観点からそういった枠組みをどう考えれば良いのかというところに、すごく関心があります」

 

——例えばジェンダーバイアスが組み込まれた「枠組み」が撤廃できたとして、その後に代わりになる価値観を構築するにはどうすればいいんでしょう?


「そこはとても重要な問いで、まさしく議論が白熱しているところです。フェミニズム的な価値観が常にいいのかと言うと、必ずしもそうではありません。フェミニズムにも間違っている部分はあり、常にアップデートがされています。そのため、科学はフェミニズム的であるべきだと規範的に主張することには当然批判が存在します。

 

私がいいなと思っている主張は、特定のバイアスに固まってしまうことが問題なのであって、いろいろなバイアスを取り込んで適度にマネジメントしていく視点が大切なんじゃないかという考え方です。より良い科学と、その恩恵がなるべく多くの人に行き渡ることを意識して、常にアップデートを続ける視点が大切かもしれません」



——たしかに、今もっている価値観をいったん捨てろと言われるよりは、ずっと実現可能性があるような気がします。


「私のもともとの専門は精神医学なのですが、精神疾患というラベルのもとでは当事者の方の声がなかなか信用されなかったり、病気を訴えても、それ自体が病気の証としてしか受け取られなかったりすることが起こりえます。

 

当事者の方の声にきちんと耳を傾けようということは提唱されてきましたが、どうしてそうしないといけないのかというところの理論立てはまだまだ改善の余地があると感じます。
いろいろなバイアスを、つまり精神障害の当事者を含めた多様なバックグラウンドの人たちの声を織り込むことで、研究に新たな展望が開けるということを理論化できれば、こういった主張に説得力を持たせられるのではないかと考えています」

変わりゆく研究者に求められる資質

——フェミニスト科学哲学という分野に興味を持たれたきっかけというのも、やはり精神医学ですか?


「そうですね。精神医学の哲学が専門ではありますが、視点を変えてみる意味合いもあって研究室の同期たちと始めたのが、ジェンダーと科学研究会だったんです。所属している研究室も女性が非常に少なく、ジェンダーについての話がしにくいと感じていたこともありました。

 

そこで偶然出会ったフェミニスト科学哲学に「これだったのか!」と膝を打ちました。精神医学の分野で当事者の声をどう反映するかということには、以前から関心があったんですけど、そのことの必要性をうまく説明する枠組みがないと感じていました。これが、先ほどお伝えした研究者たちの著書を読んでいてすごくしっくりきたんです。科学の世界では研究をしている人の属性がほとんど考慮されてこなかったのに対して、誰が研究をするのかが大事だとフェミニスト科学哲学は主張していて。じゃあフェミニスト科学哲学を精神医学の中に持ち込んでみようと、研究の方向を変えていったんです」


——どんな人が研究を担うのか、たしかにあまり気にしたことがないですね。こうやって一対一でお話している時は顔が見えるんですが。今後の研究の方向について伺ってもよろしいでしょうか?


「多様な人々を科学の中に包摂する理論的な基盤を作ることで、研究現場の人たちの助けになるような研究をしていきたいです。これまで研究に向いていないとされてきた人たちの中にも独自のものの見方があって、合理性がある。まずはそうしたものを科学研究に反映していくことの必要性を、論理的に説明できるようにしなければなりません。

 

現在関心を持っているのが、精神医学研究における患者・市民参画(PPI)と呼ばれる分野です。これは専門家しかいなかった医学の研究現場に、患者の方、市民の方が入っていくという研究スタイルです。こういった場では、専門知識を共有していない人たちをいかにして研究に包摂していくか、研究者の側のスキルも必要になってきます」

実践方法や事例なども記載されたPPIのガイドブック(日本医療開発機構)。当事者の声を科学研究の現場に反映するには、研究者にも力量が必要だ 出典:AMED患者・市民参画(PPI)ガイドブック

 

——いろいろな人をただ参加させればいいというわけではなくて、研究者にもまとめ役としての総合力が求められるということですね。


「同じ分野で博士号を取って、同じジャーナルに投稿している人たちとのみ研究をするのではなくて、その外からの意見を聞き、語りかけていかなくてはいけなくなった。でも急にそんなことをしろと言われても難しいと思います。そういった困難な仕事に取り組む人たちの、思想面のバックボーンになるような研究をめざしています」

 

***

 

フェミニスト科学哲学は科学研究におけるバイアスを扱うものですが、そのエッセンスとなる考え方は科学の中に留まるものではないと感じました。日々何気なく過ごしているうちに当たり前のこととして定着している、あるいは受け流しているものの考え方の癖みたいなものがあるかもしれない。というか、間違いなくあるんだけど、それがなんなのか。私の何にどう影響しているのか。実生活に支障の出ない範囲でときどき振り返ってみようと思います。

 

 

(編集者:河上由紀子/ライター:岡本晃大)

ほとんど0円大学10周年記念、初のリアルイベント「珍獣Night」開催レポート

2024年12月19日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

去る2024年11月2日、大阪・天満橋にて、ほとんど0円大学の10周年を記念した初の一般向けイベント「珍獣Night」が開催された(オンラインも同時開催)。

生き物の研究に心血を注ぐ研究者にその魅力を語っていただくほとゼロの人気コーナー、珍獣図鑑。過去にお話を伺った方の中から、ナマコ研究の一橋和義さん(東京大学)、アリ研究の後藤彩子さん(甲南大学)、変形菌研究の増井真那さん(慶應義塾大学)の三人をお招きして、「生物にとって〈私〉とは何か?」というテーマで存分に対談していただこうというのである。

 

ナマコ、アリ、変形菌というチョイス、「珍獣Night」なのに全然“獣(けもの)”じゃない!と、はじめ見た時は首を捻ったのだが、はたしてこれがどうテーマに繋がっていくのだろう?

珍獣図鑑でも記事を書かせていただいているライター・岡本が、一般の参加者に混じって聴講してきた。

場所は京阪天満橋駅から徒歩5分のイベントスペース、MOTON PLACE。

開演時間が近づくにつれて席が埋まっていき、小学生から大人まで幅広い年齢層の参加者で会場は狭いほどに。互いに面識はなくても、珍獣好きの絆で結ばれた仲、珍獣の輪だ。

まず、それぞれの生き物のおさらい

花岡編集長、続いて司会進行役の編集部・谷脇氏のあいさつもそこそこに、ナマコ、キイロシリアゲアリ、変形菌についてのおさらい講義が始まった。このイベントは間に休憩時間を挟んだ二部構成で、前半がこの三本立てのミニ講義なのだ。

まずはナマコ研究の一橋さん。

 

一橋さんは、専門分野である音楽療法の研究を進める中で得た「ヒトのような複雑な耳や脳を持たないナマコを使えば音(振動)が身体に与える影響を単純化して観察できるのでは?」という着想からナマコの音(振動)受容の研究に入ったという。

 

▶珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメ
https://hotozero.com/knowledge/animals_018/

 

音楽からナマコ研究に入った、というところからして只ならぬなにかを感じさせる一橋さんだが、その活動は純粋な研究だけにとどまらない。ひときわ異才を放つのが、ナマコの生態を啓発するために一橋さん自らが作詞作曲した唱歌『なまこも〜ど』だ。

『なまこも〜ど』の歌詞。右上に載っているのは記念品のアクリルキーホルダー。キーホルダーは他にもキイロシリアゲアリや変形菌のものがあったが、筆者は偶然にもナマコを引き当てた。

 

受付で歌詞カードを渡されたときから「歌うのか?やっぱり歌うのか?」とドキドキしていた。一橋さんが「ではせっかくなのでみんなで歌いましょう」と言ったときは「やはりきたか!」と内心手を叩いた参加者も多かったことだろう。

歌い始めてみると、これが意外にハイテンポな曲調でついていくのが大変だったけれど、その分サビの「なまなまなまなまこも〜ど」のところでは一際みんなの声が大きくなったのが印象的だった。

「キャラが濃い二人に挟まれてます」と話し始める後藤さん。会場からは笑いが。

 

ナマコの歌でほぐれた会場の空気を引き継ぐのが、後藤さんのキイロシリアゲアリ研究のお話だ。

アリの女王は、生涯一度の交尾の際に受け取った精子を使って、10年以上にわたって卵を産み続ける。どうしてそんなことができるのだろう?というのがメインの研究テーマ。

 

▶珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる
https://hotozero.com/knowledge/animals014/

 

会場には後藤さんの研究室で飼育しているキイロシリアゲアリも登場。プラケースに入れて回覧され、参加者の目を楽しませてくれた。

研究室で飼育されているキイロシリアゲアリが来場!

アリたちの様子はYouTubeでも配信中。

 

後藤さんの「眠れない夜に見てください」という締め台詞に、またしても会場からは笑い声が上がる。

最後は変形菌研究の増井さん。多種多様な変形菌の形態を写した美しい写真には、ときおり歓声が上がった。実は今回のテーマ「生物にとって〈私〉とは何か?」にもっとも近いところで研究をしている人である。

 

変形菌は二つの個体が合体して一つの個体になることができるけれど、同じ種類でも合体できるものとできないものがある。変形菌がどうやって自己と他者を区別しているのか?そもそも自分とか他人ってどんなものなのか?を探ることが増井さんの研究テーマだ。

 

▶珍獣図鑑(10):アメーバ状からキノコのように変身! だけど菌類じゃなく動物でも植物でもない、不思議でカワイイ単細胞、変形菌
https://hotozero.com/knowledge/knowledgeanimals_010/

 

究極的な目標は「生き物にとって自己とは何かを理解すること」

 

各10分程度の短い講義だったけれど、聴いた人の好奇心は大いに刺激されたようだ。講義の後には、参加者・オンライン視聴者の両方から盛んに質問が寄せられていた。

そしてトークセッション「生物にとって〈私〉とは何か?」へ

5分休憩を挟んで、一旦頭を落ち着かせてからトークセッションへと流れ込む。ここからが珍獣ナイトの本番だ。

 

「生物にとって〈私〉とは何か?」というテーマの意図。編集部・谷脇氏が「珍獣図鑑」の取材を通していろいろな生き物について知るうちに、我々人間が今日営んでいるこの生き方、自分というもののとらえ方も、無限にある可能性の一つに過ぎなかったのでは?と感じたことに一端があるという。

 

その発想に一際強い影響を与えたのが、増井さんの変形菌研究だ。変形菌は自分の情報を含ませた粘液をまとうことで自己を細胞膜の外まで拡張し、また粘液によって混ざり合える相手(自己)と混ざり合えない相手(他者)を見極めているのではないかと増井さんは考えた。このようにユニークな方法で自他の区別をする変形菌は、生物の自他境界を考察する上でうってつけな素材なのだ。

「生物にとっての自分とは、細胞膜や皮膚によって外界と隔てられた領域のことです。しかし我々がメガネを自分の体の一部だと感じることがあるように、生命には自他の境界を外へ外へと広げていく性質があるんじゃないでしょうか。僕の場合だと、自分が大好きな変形菌を貶されると、自分が傷つけられたような気がします。これだって自己が拡張していると言えるのかもしれない」

 

これに対して後藤さんのアリ研究は「社会の中の自分」「集団の中の自分」について考えるきっかけを与えてくれる。

「私」は自分一人のことであり、個人であり、それが寄り集まって社会になると我々はごく当たり前に考えている。だがアリの社会を観察していると、そうではない、いわば「私たち」という集団を基底にした生き方が見えてくる。それが一番顕著に表れるのが、女王アリであり生殖の仕組みなのである。

「アリはコロニー全体で一個体のようなもの。自分では繁殖しない働きアリは、繁殖能力のある女王アリを世話することで遺伝子を後世に残そうとします。真社会性昆虫という名前とは裏腹に、人間の社会とはかなり違うんです。仕事に疲れたサラリーマンが上司を女王アリに、自分を働きアリに例えることがよくあるけど、あれは間違いです」

 

生き物を見ることを通して人間を相対的に捉える、そうすることで何か見えてくるものがあるのではないか。生きるヒントが見つかるのではないか。ナマコ、アリ、変形菌という人間からかなり遠そうな生き物をわざわざ選択した理由も、ここにあった。

 

生きるヒント!これは是非とも聞いて帰りたい。貴重な知見を与えてくれたのは、一橋さんのナマコ研究だ。

誰しも「私」を発端とした悩みに苦しまされることが多いものだ。というか、「私」から発せられる対人関係や自己実現の欲求こそが人間のストレスの源泉と言ってもいいだろう。ナマコには脳がない。脳がないとはいえ、身体を持っている以上は外界からストレスを受けることは人間と変わらない。しかしその対処法には参考にすべき点があるという。

「人間がストレスで体調不良になるのと同じで、ナマコもストレスで溶けてしまいます。でもナマコには脳がない。ひたすらモグモグ(※砂や泥に含まれる食べ物を口に運ぼうと触手を動している様子)している。あえて言うなら、動くことが考えること。私たちも悩んでる間もとにかく手を動かすことが大事かなと」

 

生き物を観察しているとき、「人間とはどこが違うのだろう?」と考えながら見てしまうのは誰しも同じのようだ。研究している生き物の「私」観について語る研究者たちの話題は尽きることがない。

参加者からも「人間にとっての『私』は文化によって変わるものなのかもと思っていたけれど、生き物全体にまで視野を広げることでさらに自由な見方ができるような気がする」といった声が上がった。

 

ほとゼロの第1回リアルイベント「珍獣ナイト」、「私って何なんだろう?」という、誰しも抱くが普段は意識することのない壮大なテーマの余韻を参加者の胸に残しての幕引きとなったのだった。人間にとっての一番の珍獣は、他ならぬ人間なのかもしれない。

閉会した後もあちこちで議論の火は燃え続ける。

 

 

(編集者:谷脇栗太/ライター:岡本晃大)

植物図鑑(1):食虫植物が虫を食べる理由とは?ニッチな環境で獲得したニッチな生存戦略

2024年12月12日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

ほとゼロでは、連載企画「珍獣図鑑」を中心にこれまで数々の生物とその研究者を紹介してきました。けれど実は、植物についてはまだまだ未開拓。地上のあらゆる場所に存在する植物に目を向ければ、珍獣たちにも引けを取らない、もしかしたらそれ以上に多様な生き様に出会えるのでは!?……ということで、その道の研究者にめくるめく植物の世界を案内してもらう「植物図鑑」をスタートします。

第1回は、「食虫植物×野村康之先生(龍谷大学 食と農の総合研究所 客員研究員)」です。それではどうぞ。(編集部)


食虫植物の条件

ペット兼観葉植物としてホームセンターで売られていたり、ゲームのキャラクターになったり、食虫植物は広く知られた存在だ。でも、そうしたサブカル的な消費のされ方とは裏腹に、「植物なのに虫を食べる」ということ以外に私たちはどれだけ食虫植物について知っているだろう?

「誰もがおもしろいと感じるから食虫植物は広く知られているけれど、その分誤解が広まっていると思います。私はそれに物申したいんです」と語るのは、イネ科の植物を研究する傍らライフワークとして食虫植物を愛好する野村康之さんだ。

そもそもの前提として、ある植物が食虫植物であると言われるためには、5つの能力を持っていないといけないのだという。

 

「まず獲物の昆虫をおびき寄せる誘因能力。次に、おびき寄せた獲物を捕獲する能力。3つ目が、捕獲したものを分解、つまり消化できること。4つ目が、分解したものを体の中に吸収できること。5つ目が、そうやって吸収した栄養分を糧にして生育が良くなるとか、進化生物学的に言うと適応度が上がること。これらをすべて満たしたものを(狭義の)食虫植物と呼んでいます。虫を捕獲して栄養にしているっていうのはその通りなんですけれども、実は定義の一部なんです」

 

「誘引→捕獲→消化→吸収→代謝」という一連の流れをすべて自力でできないといけないということか。動物にとっては当たり前のことだけれど、植物がこれをするとなるとぐんとハードルが上がる気がする。

 

「ただ実際は、5つの能力のうちの一部の性質が弱いものも食虫植物として扱われることがあります。有名な例が、ロリドゥラという食虫植物です。自身も消化酵素をもってはいるんですが、肉食のカメムシとの共生関係に獲物の分解をかなり頼っているんです。ロリドゥラはベタベタする植物で、このベタベタに捕まった虫をカメムシが食べて、出した糞をロリドゥラが栄養として利用します。カメムシは体表から出る特殊なワックスのおかげでロリドゥラには引っつかないんです。ロリドゥラに住処と餌を提供してもらって、一方でロリドゥラ側もカメムシに分解してもらったものを吸収することで生きているわけです」

ロリドゥラ。葉やつぼみを覆う毛のような器官、腺毛から粘液を出している

虫を捕らえる流儀はさまざま

ところで、ベタベタで昆虫を捕獲するというのはよく知られた食虫植物であるモウセンゴケに通じるものがあるけれど、食虫植物の世界では普通のやり方なのだろうか?

 

「捕虫方法としてはオーソドックスです。実は粘液を作る植物は食虫植物以外にもたくさん存在します。自分のことを食べに来た昆虫を妨害したり、捕まえて殺してしまったりするためだと考えられています(※)。日本在来の植物だと、モチツツジというツツジの仲間が有名ですね。『モチ』はモチモチ、ベタベタしたという意味で、葉から粘液を出すことが由来です。ほかにもシソやミントの仲間にも粘液を出すものが多いです。そもそも、シソやミントは独特な臭いの揮発成分を体表から出していますよね。あれには昆虫に対する忌避効果があります。そういう代謝物を分泌するために植物の体表に備わった器官を腺毛といって、昆虫の捕獲にベタベタを使う食虫植物が多いのは、もともとあった腺毛の機能を流用することで進化しやすかったからだと考えられます。

また、動物の体に免疫機能が備わっているように、植物も体の中に侵入してきた菌類を殺すための消化酵素を持っています。本来は体内で動く消化酵素を外に出すようになると、食虫植物みたいになるわけです。

捕食者や感染症に対抗するための防御能力の延長が食虫植物なんだってことが、遺伝子の研究で徐々にわかりつつあります」

 

※以降、「○○のため」などあたかも生物が目的を持っているかのような表現をすることがありますが、これは文章を簡便にするためであり、実際には、生物は目的をもって特定の性質を有しているわけではないことを補足しておきます。

例:食虫植物が粘液を出すのは虫を捕まえるため
✕ 食虫植物は虫を捕まえるという目的を果たすために粘液を出せるようになった。
〇 粘液を出して虫を捕まえられる個体が、捕まえない個体よりも有利で、子孫を増やし続けた結果、食虫植物の系統では粘液を出さない個体が絶滅し、粘液を出せるものが生き残った。

 

 

食虫植物の能力は突然変異によってまったくのゼロから獲得したものではなくて、あくまで植物がもともと持っていた能力を改良したものだということか。ベタベタ式のほかにはどんな捕獲方法が?

 

「モウセンゴケみたいなベタベタするタイプは粘着式とかトリモチ式と言われます。ハエトリグサに代表されるのがハサミ罠式とか虎ばさみ式とか呼ばれる罠。ウツボカズラは落とし穴式。一般に有名なのはこの3つの方式です」

 

粘着式(モウセンゴケ)、ハサミ罠式(ハエトリグサ)、落とし穴式(ウツボカズラ)の3つは食虫植物の有名どころだ。

 

「次の2つは一般に馴染みがないと思います。1つが吸い込み式。タヌキモという水草だけが該当します。種類によっては1ミリとか、それくらいの小さな袋を持っているんですが、この袋の中は普段、外よりも水圧が低い状態(陰圧)に保たれています。その状態で餌が袋の口にぶつかると、口が開いて水ごと獲物を吸い込むんです。袋の中で消化と分解をして、死骸はずっと中に残り続けるのでどんどん袋が黒ずんでいきます。

最後が迷路式、ウナギ筒やエビ籠に例えられることもある筒状の罠です。筒の内側には逆毛が生えていて、中に入った微生物は奥に進むことしかできません。進んだ先には小さい袋状の空間があって、そこで消化されます。ゲンリセアという食虫植物だけに備わっていて、地中の微生物を捕まえるのに使われます」

左:タヌキモとその捕虫嚢(吸い込み式)、右:ゲンセリアとその捕虫器(迷路式)

 

たしかに、吸い込み式の袋や迷路で捕虫する方法はあまり知られていないかも。こうして並べてみると粘着式はだいぶ初歩的というか、他の4つが動く部位があったり複雑な形をしていたりするのに比べるとだいぶ単純だ。

 

「初歩的というのはその通りで、ほとんどの食虫植物は粘着式を雛型にして進化したものであると考えられています。粘着物質と消化酵素を袋に貯めるようになると落とし穴式になり、分泌のタイミングを獲物が捕まった時に限定すると、ハサミ罠式のようになると。ゲンリセアとタヌキモには遺伝的に近縁なムシトリスミレという食虫植物がいるんですが、このムシトリスミレは粘着式を採用しています。吸い込み式や迷路式の罠も、粘着式の構造が発展したものだと考えられます」

 

いろいろな形のある食虫植物だが、もとをたどればその出発点は粘着式がほとんどだと。これは意外だ。

獲物の種類に応じて千差万別な戦略が

食虫植物にとっては粘着物質や消化酵素の存在がとても重要ということがわかった。ではハエトリグサが閉じるときのような高速の動きはどうやって実現しているんだろう?

 

「かつては、細胞に水を出し入れすることで生じる膨圧や、細胞自体の成長で動きのメカニズムを説明しようとする説がありました。ただ、その仕組みではハエトリグサの動きのスピードは実現できないことがわかって、今では蓄積された弾性エネルギーがちょっとした衝撃で一気に放出される、バネ仕掛けのようなシステムが最有力です。台所のシンクって、お湯をかけたらベコンと大きな音が鳴るじゃないですか。金属原子一個一個がほんの少しずつ熱で膨張することで、全体のたわみの方向がいっきに変わるというダイナミックな動きが起こる。同じように一個一個の細胞が少しずつ動くことであの動きが実現できてるんじゃないかと」

ため込んだ力を一気に放出するシステムによって、ハエトリグサはハエを捕獲できる反射速度を実現している。

 

「開くときですが、こちらは細胞が成長しているのでゆっくりとしています。また動いた時に葉の呼吸量が増加するとともに、ATP(アデノシン三リン酸)がかなり消費されることがわかっています。ATPは生物の体内のエネルギー通貨で、完全に枯渇するとエネルギー切れになります。

『売り物のハエトリグサをいじめちゃダメだよ』というのを講義なんかでよく言うのはそのためです。弱らせてしまうし、ハエトリグサにとっても店にとってもそんな迷惑なことはないから」

 

なるほど、ハエトリグサの罠はダイナミックな動きをする分、使用可能な回数が決まっていたのか。万一その回数内で捕獲ができなかった場合は、そのままエネルギー切れになると。

 

「ハエトリグサの生き方って博打的なんですよね。罠の消費するエネルギーが多くて使用可能な回数も少ないけれど、成功すれば大きな獲物を捕まえられます。モウセンゴケは大きくて力が強い虫は捕まえられません。つまり、粘着式は小さく力の弱い虫をたくさん捕まえる戦略です。

ウツボカズラはさらに変わった戦略をとっていて、その多くがアリを狩ることに特化しています。ウツボカズラが多く生育する熱帯では、アリが占めるバイオマス(生物由来の資源量)が大きいためです。

ウツボカズラの口のところは、乾いていると滑りにくく、湿っていると滑りやすくなります。乾いているときに来たアリはウツボカズラの蜜を舐めて無事に巣まで帰ることができて、そいつがもたらした情報をもとにさらに多くのアリがウツボカズラに向かっていきます。この時に空気が湿っていると、アリは滑って中に落ちてしまうんです。一見すると、常に虫を捕まえられるようにしておいた方が良さそうではある。でも、あえて虫を捕まえないモードを設けることで、アリみたいな社会性昆虫はたくさん罠にかかるんです。

ウツボカズラにしろハエトリグサにしろモウセンゴケにしろ、それぞれ狙ってる獲物が違って、ベストな獲物を選択した植物が生き残った結果が今の姿なんです」

ウツボカズラは虫を捕るモードと捕らないモードを切り替えることで、社会性昆虫であるアリを効率的に捕獲できるようにしている。口の部分が湿度が高いときに滑りやすくなるのは、車のタイヤが雨の日に滑りやすくなるのと同じ原理(ハイドロプレーニング現象)だそうだ。

 

置かれた環境で生き残ろうとした結果が今の姿だと。では、そもそも食虫植物はなぜ虫を捕るようになったのだろう?

 

「食虫植物はわかっているだけで世界中に900種弱しかいません。名前がついてる植物は大体20万から30万種いて、その中の1パーセントに満たない種数でしかない。そういう稀な生態は、特定の限られた環境に適応して進化したんだろうと考えられます。

よくある誤解で、食虫植物は鬱蒼としたジャングルにひっそり生えているところを想像されることが多いと思いますが、実際は日当たりのいい開けた環境に多く生育します。食虫植物が虫を捕まえる理由は、光合成ができないからではなくて、土壌の養分が貧弱な環境に生えているからです。

植物は光合成で得られる炭水化物だけでなく、窒素、リン酸、カリウムといった栄養成分がなければ生きられません。それらの不足を補うために編み出した解決策が、虫を捕まえることだったわけです。

貧栄養な環境が成立する典型的な場所が湿地です。水が多く酸欠気味な湿地では、微生物による分解が遅くなりやすく、その分、植物にとって利用できる栄養も少なくなります。この環境では、栄養が少ないから植物は体を大きくすることができない。さらに地中に酸素がほとんどないから、根を伸ばそうとしても酸欠で腐ってしまう。その結果、背の高い植物が育たないので、逆に日当たりは良くなるんです。

食虫植物に共通する性質が、こういう環境で進化してきたことによって生じています。まず根が貧弱です。湿地では水のために根を張り巡らす必要はないし、養分は虫から獲得できます。さらに日光を巡って周囲の植物と競争する必要がないため、小型の種が多いです。

これは私の推測ですが、そういう環境では、蓄えた資産を少しでも奪われるのは致命的になりえます。葉を1枚かじられるにしても、栄養豊富な環境と貧栄養な環境では損失の大きさが変わってきます。食虫植物の祖先は、虫を捕まえる前の段階から防御にたくさん投資してたんじゃないかと思うんです。それをどんどんアグレッシブに、虫を捕まえて分解するようにしたら、より効率的に栄養を摂取できるようになった。そうして進化をしたのが食虫植物なんじゃないか。ただ、これを検証するのは簡単なことではないので、あくまで仮説です」

モウセンゴケをはじめとして、日本で見られる食虫植物もほとんどが湿地に生息している。

失われつつある生息地

食虫植物の生息地である湧水池や溜池、湿原などの湿地。しかしそうした場所は急速に失われつつあるという。

 

「日本には21種類の食虫植物がいて、中でも多いのがモウセンゴケの仲間とタヌキモの仲間です。モウセンゴケの仲間で代表的なのが、モウセンゴケとコモウセンゴケとトウカイコモウセンゴケの3種で、割とどこでも見ることができます。私が今いる、龍谷大学瀬田キャンパスの敷地内にもいますよ。滋賀県は食虫植物の生育地がたくさんあります。

ただ、そうした場所ももれなく減ってますね。埋め立てられたり、湿地としては残っていても太陽光パネルで覆われていたり。

植物学者の牧野富太郎をモチーフとした主人公の『らんまん』という朝ドラがありましたね。その中で取り上げられたムジナモという植物が食虫植物なんです。国内最後の生育地だった埼玉県の宝蔵寺沼では、ソウギョという植物を食べる外来魚が入ってしまっており、存続が危ぶまれていました。そのムジナモは現在ほとんど見ることができませんが、昔、日本の各地に生育していました。最近になって別の産地が見つかって、食虫植物界隈ではこの再発見に盛り上がっていました。それでもピンチであることには変わりはありません」

ムジナモ

絶滅が危惧される食虫植物、ムジナモ。日本で最初に見つけたのは、植物学者の牧野富太郎だ。

 

ニッチな環境に適応できたのはよかったものの、環境そのものが消滅してしまってはどうしようもないということか。

 

「保全のためには食虫植物の生態を研究する必要があります。私自身としてはどうやったらみんなに食虫植物やその研究を知ってもらえるかという、アウトリーチにより一層の関心があります。みんなの関心が高まることで、巡り巡って保全にもつながっていくでしょうから。

それに、食虫植物というのは自分にとって植物を見るための物差しなんです。今の研究で使っているのは主にシロイヌナズナやイネ科の植物ですが、食虫植物という極端な生態をもつ植物、それを通して見ることで、それ以外の植物の生き方が理解できると思っています」

 

【植物図鑑:生態メモ】食虫植物

昆虫の誘引、捕獲、消化、吸収、代謝の5つの能力を備えた植物の総称。モウセンゴケ、ハエトリグサ、ウツボカズラなどはとくに有名。900種弱が種として記載されている。日当たりが良く土壌中の栄養に乏しい湿地の環境に適応進化した結果、食虫能力を獲得したと考えられている。

 

 

(編集者・イラストレーター:谷脇栗太/ライター:岡本晃大)

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