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無意識の偏見に気づく観点とは? フェミニスト科学哲学について東京大学大学院の杉本光衣さんに聞いた

2025年5月20日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!, 大学の地域貢献

現代では、さまざまな差別や偏見が良くないことと認知されて、是正しようという運動が存在します。でもそんな現代も、例えば100年後に振り返ってみれば「ずいぶん偏見に満ちた時代だったな」と思われるかもしれません。本当の偏見というものは、その存在を意識できないからこそ、偏見なのです。

 

中立・公正・客観的に思える科学の世界もまた、そんな偏見と無縁ではないようです。知らず知らずのうちに身についてしまったが故になかなか気がつくことのできない思考の型から、どうすれば抜け出すことができるのか。東京大学大学院総合文化研究科の博士課程でフェミニスト科学哲学を研究する杉本光衣さんにお話を伺いました。

バイアスの存在に気がつけば、科学の恩恵をもっと有効に活用することができる

——科学哲学や、その中でも特に杉本さんが専門にしておられるフェミニスト科学哲学とは、そもそもどういう分野なのでしょうか?

 

「科学哲学は、科学が用いている理論や概念や方法論に対して、哲学的にアプローチしていく分野です。哲学の一分野に位置付けられるんですけれども、なかでも科学に関心を持って取り組んでいるものになります。フェミニスト科学哲学は、その中でも特にフェミニスト理論を用いて、伝統的な科学的観念や、ジェンダーバイアス等について批判したり再構築する学問分野です」

 

——科学におけるジェンダーバイアスとは、具体的にどういうものですか?

 

「フェミニスト科学哲学特有のものではないのですが、有名な事例としては、車の衝突実験用ダミー人形があります。車の衝突実験で使われるダミー人形は、中型サイズの男性モデル(175センチ・78キロ)が使われていました。交通事故の負傷率では、それに近い体型の人が低く、そこから外れる人々(女性・高齢者・肥満の方など)は高くなる傾向があったようです。衝突実験用ダミー人形は元々、米空軍のために開発されたという経緯もありますが、車を運転するのは男性だという無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)もあったのではないのでしょうか。その結果、そこから外れる人々の安全性が低くなってしまったんです。

 

このように、科学研究では、無意識のうちに男性やオスが基準になっているものがあることが明らかになっています。比較的少なくはありますが、女性が基準となったことで男性の研究が疎かになっている分野もあります。そのように、これまで意識されてこなかったバイアスに気づいて目を向けるところから始まり、誰にでも科学の恩恵がきちんと行き渡るよう再構築していこうというのが、フェミニズムからの科学へのメッセージです。AI、ライフサイエンス、都市設計など、昨今は本当にいろんな分野でそういった動きがあります」

自動車事故の実験などで使われるダミー人形は、かつて成人男性を模したものしかなかった

 

——「フェミニスト」「ジェンダー」という単語が前面に出ていますが、それだけではなくて、例えば病気・障害の有無や年齢など、人間の持つさまざまなバックグラウンドを包摂していこうとしている印象を受けました。

 

「歴史的な流れとしては、最初はジェンダーが中心となったのですが、ジェンダーしか見ていないことに対する批判も起こりました。今はもっと広く、交差性(※)も考慮して、幅広く包摂していこうという考え方が主流になっています」

 

(※)人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、世代、アビリティなどの複数のカテゴリーが二つ以上重なるときに、それぞれの困難さが掛け合わせられることで現れる特有の困難さのこと。

 

——そのような考え方は、どのようにして発展してきたんでしょうか?

 

「広い文脈としてはフェミニズム運動のなかで発展してきましたが、ジェンダーと科学という文脈に限定してお話します。

 

科学は客観的であると思われているけれども、客観的であるはずの科学にも実はジェンダーバイアスがあるのではないかということは、1960年代からフェミニスト科学論で議論されてきました。そうした議論は1980年代以降に特に盛んになってきました。人文科学分野では、フェミニスト哲学だけではなく、ジェンダー科学史、ジェンダー科学論など多くの分野で論じられるようになります。フェミニスト科学哲学者としては、サンドラ・ハーディング(UCLA栄誉教授)やヘレン・ロンジーノ(スタンフォード大学クラレンス・アーヴィング・ルイス哲学教授)が挙げられます。あるいはジェンダー科学史家のロンダ・シービンガー(スタンフォード大学歴史学科ジョン・L・ハインズ科学史教授)といった方々の著作が数多く発刊されました。

 

初めは人文系の中で、いわば概念的にやってきたことを、きちんと科学の現場に持ち込むことができたことは大きな転換点であると思っています。2000年代から欧米を中心として、科学的知識の中にジェンダーを適切に統合していく流れが生まれ、研究資金配分期間のあり方などにも反映されるようになりました」

 

——議論するだけでなく、科学研究の現場で実践できるようになったのはすごいことですね。

 

「ロンダ・シービンガーのすごいところは、そのために『ジェンダード・イノベーション』という言葉を生み出したところです。

 

彼女も最初は、ジェンダーバイアスが知識を歪めていることについての研究を行っていました。しかし、それを科学者に伝えることはできなかった。私見ですが、自分が科学者として何かを研究しているとして、そこでいきなり『あなたにはジェンダーバイアスがある』とだけ言われても困るじゃないですか。

 

そこでジェンダード・イノベーションという言葉を新しく作って、『ジェンダーに考慮することでイノベーションが生まれる、だから一緒に協力しましょう』というポジティブな主張をしました。そうすると、科学者たちの関心を集めることができた。そこから、ジェンダーバイアスの事例の収集と、それを改善するための方法論の開発を進めたんです。今ではEUの研究助成プログラムである、Horizon Europeのプログラムガイドラインにも組み込まれるなど、科学技術・イノベーション政策に反映されています」

サンドラ・ハーディングやロンダ・シービンガーといった先駆的な研究者の著書や活動が、ジェンダーと科学に関連する研究にとっての起爆剤となった。二人ともそれぞれ来日し、講演会なども実施されている。『科学と社会的不平等: フェミニズム,ポストコロニアリズムからの科学批判』サンドラ・ハーディング著(北大路書房)、『ジェンダーは科学を変える!?―医学・霊長類学から物理学・数学まで』ロンダ・シービンガー著(工作舎)

見えないバイアスに気づく手がかり

——我が身を振り返って考えてみても感じることですが、自分の中にある思考のバイアスに気がつくというのはとても高度なことであると思います。なにか方法論のようなものがあるんですか。


「各研究分野の中で具体的にどんなバイアスがあるのかということは本当にケースバイケースで、研究者の方がそれぞれで試行錯誤されている状況です。例えば、研究計画の段階で事前にジェンダーバイアスが入っていないか検討する、データ解析の段階で性を変数として見る、などさまざまです。

 

その上で私の専門領域であるフェミニスト科学哲学に話を戻すと、フェミニスト科学哲学はそもそもなぜ科学にバイアスがあるのか、バイアスがあるとして、より良い科学のあり方とはどういうものなのかなど、原理原則に立ち返って考える分野です。そこでキーワードになっているのが『客観性』や『価値中立性』です。一般的な感覚として、科学は社会的な価値(政治的な問題、ジェンダー観など)からは隔てられている「客観的なもの」と思われているのではないのでしょうか。ですが、先ほど述べたようなさまざまな研究のおかげで、実はいろいろな歴史的経緯の影響が残っていたり、女性を含めた多様な主体が無視されていたりして、社会的な価値観から完全に隔てられていないことが明らかになりました。こういう事実をとっかかりにして思考を深めていくんですね」

 

——「価値中立性」という言葉が出てきました。この場合どのようなニュアンスなのでしょうか?


「これは、ごく簡単にいうならば、理想的な科学は道徳、政治、文化などの価値を受けていないという考え方です。例えば『1+1=2』という命題にジェンダーバイアスが入る余地はないと感じますよね。ここまでは誰も反対しないと思います。ですが、精子と卵子を研究する時にも、『1+1=2』と同じぐらい観察者の価値観が入る余地がないかと言われると、きっとそうではないわけです。例えば1980年代以前の発生生物学の教科書では、卵子は「受動的」で、精子は「能動的」であるという記述がなされていました。実際は卵子も積極的な役割を果たしていることがわかっています。

 

科学研究の結果にバイアスが含まれていることはありえます。科学の理論や結果だけでなく、例えばどの研究にどれだけ資金を配分するかといったことにも、価値判断は関わってきます。フェミニスト科学哲学はこのような事実に関心を持ちながら、既存の科学におけるジェンダーバイアスや、もっと原理的に、「客観性」などの概念をどのようにアップデートしていったら良いか、などについて考えている分野です」

 

——自分がなにかを観察したり考えたりしているときの、思考の枠組みみたいなものをメタ的に見る必要があるということですね。

 

「人間は思考の枠組みがないと物事をそもそも考えることができません。どういった枠組みを設定しているのか、中でもジェンダーを含めた包摂性の観点からそういった枠組みをどう考えれば良いのかというところに、すごく関心があります」

 

——例えばジェンダーバイアスが組み込まれた「枠組み」が撤廃できたとして、その後に代わりになる価値観を構築するにはどうすればいいんでしょう?


「そこはとても重要な問いで、まさしく議論が白熱しているところです。フェミニズム的な価値観が常にいいのかと言うと、必ずしもそうではありません。フェミニズムにも間違っている部分はあり、常にアップデートがされています。そのため、科学はフェミニズム的であるべきだと規範的に主張することには当然批判が存在します。

 

私がいいなと思っている主張は、特定のバイアスに固まってしまうことが問題なのであって、いろいろなバイアスを取り込んで適度にマネジメントしていく視点が大切なんじゃないかという考え方です。より良い科学と、その恩恵がなるべく多くの人に行き渡ることを意識して、常にアップデートを続ける視点が大切かもしれません」



——たしかに、今もっている価値観をいったん捨てろと言われるよりは、ずっと実現可能性があるような気がします。


「私のもともとの専門は精神医学なのですが、精神疾患というラベルのもとでは当事者の方の声がなかなか信用されなかったり、病気を訴えても、それ自体が病気の証としてしか受け取られなかったりすることが起こりえます。

 

当事者の方の声にきちんと耳を傾けようということは提唱されてきましたが、どうしてそうしないといけないのかというところの理論立てはまだまだ改善の余地があると感じます。
いろいろなバイアスを、つまり精神障害の当事者を含めた多様なバックグラウンドの人たちの声を織り込むことで、研究に新たな展望が開けるということを理論化できれば、こういった主張に説得力を持たせられるのではないかと考えています」

変わりゆく研究者に求められる資質

——フェミニスト科学哲学という分野に興味を持たれたきっかけというのも、やはり精神医学ですか?


「そうですね。精神医学の哲学が専門ではありますが、視点を変えてみる意味合いもあって研究室の同期たちと始めたのが、ジェンダーと科学研究会だったんです。所属している研究室も女性が非常に少なく、ジェンダーについての話がしにくいと感じていたこともありました。

 

そこで偶然出会ったフェミニスト科学哲学に「これだったのか!」と膝を打ちました。精神医学の分野で当事者の声をどう反映するかということには、以前から関心があったんですけど、そのことの必要性をうまく説明する枠組みがないと感じていました。これが、先ほどお伝えした研究者たちの著書を読んでいてすごくしっくりきたんです。科学の世界では研究をしている人の属性がほとんど考慮されてこなかったのに対して、誰が研究をするのかが大事だとフェミニスト科学哲学は主張していて。じゃあフェミニスト科学哲学を精神医学の中に持ち込んでみようと、研究の方向を変えていったんです」


——どんな人が研究を担うのか、たしかにあまり気にしたことがないですね。こうやって一対一でお話している時は顔が見えるんですが。今後の研究の方向について伺ってもよろしいでしょうか?


「多様な人々を科学の中に包摂する理論的な基盤を作ることで、研究現場の人たちの助けになるような研究をしていきたいです。これまで研究に向いていないとされてきた人たちの中にも独自のものの見方があって、合理性がある。まずはそうしたものを科学研究に反映していくことの必要性を、論理的に説明できるようにしなければなりません。

 

現在関心を持っているのが、精神医学研究における患者・市民参画(PPI)と呼ばれる分野です。これは専門家しかいなかった医学の研究現場に、患者の方、市民の方が入っていくという研究スタイルです。こういった場では、専門知識を共有していない人たちをいかにして研究に包摂していくか、研究者の側のスキルも必要になってきます」

実践方法や事例なども記載されたPPIのガイドブック(日本医療開発機構)。当事者の声を科学研究の現場に反映するには、研究者にも力量が必要だ 出典:AMED患者・市民参画(PPI)ガイドブック

 

——いろいろな人をただ参加させればいいというわけではなくて、研究者にもまとめ役としての総合力が求められるということですね。


「同じ分野で博士号を取って、同じジャーナルに投稿している人たちとのみ研究をするのではなくて、その外からの意見を聞き、語りかけていかなくてはいけなくなった。でも急にそんなことをしろと言われても難しいと思います。そういった困難な仕事に取り組む人たちの、思想面のバックボーンになるような研究をめざしています」

 

***

 

フェミニスト科学哲学は科学研究におけるバイアスを扱うものですが、そのエッセンスとなる考え方は科学の中に留まるものではないと感じました。日々何気なく過ごしているうちに当たり前のこととして定着している、あるいは受け流しているものの考え方の癖みたいなものがあるかもしれない。というか、間違いなくあるんだけど、それがなんなのか。私の何にどう影響しているのか。実生活に支障の出ない範囲でときどき振り返ってみようと思います。

 

ほとんど0円大学10周年記念、初のリアルイベント「珍獣Night」開催レポート

2024年12月19日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

去る2024年11月2日、大阪・天満橋にて、ほとんど0円大学の10周年を記念した初の一般向けイベント「珍獣Night」が開催された(オンラインも同時開催)。

生き物の研究に心血を注ぐ研究者にその魅力を語っていただくほとゼロの人気コーナー、珍獣図鑑。過去にお話を伺った方の中から、ナマコ研究の一橋和義さん(東京大学)、アリ研究の後藤彩子さん(甲南大学)、変形菌研究の増井真那さん(慶應義塾大学)の三人をお招きして、「生物にとって〈私〉とは何か?」というテーマで存分に対談していただこうというのである。

 

ナマコ、アリ、変形菌というチョイス、「珍獣Night」なのに全然“獣(けもの)”じゃない!と、はじめ見た時は首を捻ったのだが、はたしてこれがどうテーマに繋がっていくのだろう?

珍獣図鑑でも記事を書かせていただいているライター・岡本が、一般の参加者に混じって聴講してきた。

場所は京阪天満橋駅から徒歩5分のイベントスペース、MOTON PLACE。

開演時間が近づくにつれて席が埋まっていき、小学生から大人まで幅広い年齢層の参加者で会場は狭いほどに。互いに面識はなくても、珍獣好きの絆で結ばれた仲、珍獣の輪だ。

まず、それぞれの生き物のおさらい

花岡編集長、続いて司会進行役の編集部・谷脇氏のあいさつもそこそこに、ナマコ、キイロシリアゲアリ、変形菌についてのおさらい講義が始まった。このイベントは間に休憩時間を挟んだ二部構成で、前半がこの三本立てのミニ講義なのだ。

まずはナマコ研究の一橋さん。

 

一橋さんは、専門分野である音楽療法の研究を進める中で得た「ヒトのような複雑な耳や脳を持たないナマコを使えば音(振動)が身体に与える影響を単純化して観察できるのでは?」という着想からナマコの音(振動)受容の研究に入ったという。

 

▶珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメ
https://hotozero.com/knowledge/animals_018/

 

音楽からナマコ研究に入った、というところからして只ならぬなにかを感じさせる一橋さんだが、その活動は純粋な研究だけにとどまらない。ひときわ異才を放つのが、ナマコの生態を啓発するために一橋さん自らが作詞作曲した唱歌『なまこも〜ど』だ。

『なまこも〜ど』の歌詞。右上に載っているのは記念品のアクリルキーホルダー。キーホルダーは他にもキイロシリアゲアリや変形菌のものがあったが、筆者は偶然にもナマコを引き当てた。

 

受付で歌詞カードを渡されたときから「歌うのか?やっぱり歌うのか?」とドキドキしていた。一橋さんが「ではせっかくなのでみんなで歌いましょう」と言ったときは「やはりきたか!」と内心手を叩いた参加者も多かったことだろう。

歌い始めてみると、これが意外にハイテンポな曲調でついていくのが大変だったけれど、その分サビの「なまなまなまなまこも〜ど」のところでは一際みんなの声が大きくなったのが印象的だった。

「キャラが濃い二人に挟まれてます」と話し始める後藤さん。会場からは笑いが。

 

ナマコの歌でほぐれた会場の空気を引き継ぐのが、後藤さんのキイロシリアゲアリ研究のお話だ。

アリの女王は、生涯一度の交尾の際に受け取った精子を使って、10年以上にわたって卵を産み続ける。どうしてそんなことができるのだろう?というのがメインの研究テーマ。

 

▶珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる
https://hotozero.com/knowledge/animals014/

 

会場には後藤さんの研究室で飼育しているキイロシリアゲアリも登場。プラケースに入れて回覧され、参加者の目を楽しませてくれた。

研究室で飼育されているキイロシリアゲアリが来場!

アリたちの様子はYouTubeでも配信中。

 

後藤さんの「眠れない夜に見てください」という締め台詞に、またしても会場からは笑い声が上がる。

最後は変形菌研究の増井さん。多種多様な変形菌の形態を写した美しい写真には、ときおり歓声が上がった。実は今回のテーマ「生物にとって〈私〉とは何か?」にもっとも近いところで研究をしている人である。

 

変形菌は二つの個体が合体して一つの個体になることができるけれど、同じ種類でも合体できるものとできないものがある。変形菌がどうやって自己と他者を区別しているのか?そもそも自分とか他人ってどんなものなのか?を探ることが増井さんの研究テーマだ。

 

▶珍獣図鑑(10):アメーバ状からキノコのように変身! だけど菌類じゃなく動物でも植物でもない、不思議でカワイイ単細胞、変形菌
https://hotozero.com/knowledge/knowledgeanimals_010/

 

究極的な目標は「生き物にとって自己とは何かを理解すること」

 

各10分程度の短い講義だったけれど、聴いた人の好奇心は大いに刺激されたようだ。講義の後には、参加者・オンライン視聴者の両方から盛んに質問が寄せられていた。

そしてトークセッション「生物にとって〈私〉とは何か?」へ

5分休憩を挟んで、一旦頭を落ち着かせてからトークセッションへと流れ込む。ここからが珍獣ナイトの本番だ。

 

「生物にとって〈私〉とは何か?」というテーマの意図。編集部・谷脇氏が「珍獣図鑑」の取材を通していろいろな生き物について知るうちに、我々人間が今日営んでいるこの生き方、自分というもののとらえ方も、無限にある可能性の一つに過ぎなかったのでは?と感じたことに一端があるという。

 

その発想に一際強い影響を与えたのが、増井さんの変形菌研究だ。変形菌は自分の情報を含ませた粘液をまとうことで自己を細胞膜の外まで拡張し、また粘液によって混ざり合える相手(自己)と混ざり合えない相手(他者)を見極めているのではないかと増井さんは考えた。このようにユニークな方法で自他の区別をする変形菌は、生物の自他境界を考察する上でうってつけな素材なのだ。

「生物にとっての自分とは、細胞膜や皮膚によって外界と隔てられた領域のことです。しかし我々がメガネを自分の体の一部だと感じることがあるように、生命には自他の境界を外へ外へと広げていく性質があるんじゃないでしょうか。僕の場合だと、自分が大好きな変形菌を貶されると、自分が傷つけられたような気がします。これだって自己が拡張していると言えるのかもしれない」

 

これに対して後藤さんのアリ研究は「社会の中の自分」「集団の中の自分」について考えるきっかけを与えてくれる。

「私」は自分一人のことであり、個人であり、それが寄り集まって社会になると我々はごく当たり前に考えている。だがアリの社会を観察していると、そうではない、いわば「私たち」という集団を基底にした生き方が見えてくる。それが一番顕著に表れるのが、女王アリであり生殖の仕組みなのである。

「アリはコロニー全体で一個体のようなもの。自分では繁殖しない働きアリは、繁殖能力のある女王アリを世話することで遺伝子を後世に残そうとします。真社会性昆虫という名前とは裏腹に、人間の社会とはかなり違うんです。仕事に疲れたサラリーマンが上司を女王アリに、自分を働きアリに例えることがよくあるけど、あれは間違いです」

 

生き物を見ることを通して人間を相対的に捉える、そうすることで何か見えてくるものがあるのではないか。生きるヒントが見つかるのではないか。ナマコ、アリ、変形菌という人間からかなり遠そうな生き物をわざわざ選択した理由も、ここにあった。

 

生きるヒント!これは是非とも聞いて帰りたい。貴重な知見を与えてくれたのは、一橋さんのナマコ研究だ。

誰しも「私」を発端とした悩みに苦しまされることが多いものだ。というか、「私」から発せられる対人関係や自己実現の欲求こそが人間のストレスの源泉と言ってもいいだろう。ナマコには脳がない。脳がないとはいえ、身体を持っている以上は外界からストレスを受けることは人間と変わらない。しかしその対処法には参考にすべき点があるという。

「人間がストレスで体調不良になるのと同じで、ナマコもストレスで溶けてしまいます。でもナマコには脳がない。ひたすらモグモグ(※砂や泥に含まれる食べ物を口に運ぼうと触手を動している様子)している。あえて言うなら、動くことが考えること。私たちも悩んでる間もとにかく手を動かすことが大事かなと」

 

生き物を観察しているとき、「人間とはどこが違うのだろう?」と考えながら見てしまうのは誰しも同じのようだ。研究している生き物の「私」観について語る研究者たちの話題は尽きることがない。

参加者からも「人間にとっての『私』は文化によって変わるものなのかもと思っていたけれど、生き物全体にまで視野を広げることでさらに自由な見方ができるような気がする」といった声が上がった。

 

ほとゼロの第1回リアルイベント「珍獣ナイト」、「私って何なんだろう?」という、誰しも抱くが普段は意識することのない壮大なテーマの余韻を参加者の胸に残しての幕引きとなったのだった。人間にとっての一番の珍獣は、他ならぬ人間なのかもしれない。

閉会した後もあちこちで議論の火は燃え続ける。

 

植物図鑑(1):食虫植物が虫を食べる理由とは?ニッチな環境で獲得したニッチな生存戦略

2024年12月12日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

ほとゼロでは、連載企画「珍獣図鑑」を中心にこれまで数々の生物とその研究者を紹介してきました。けれど実は、植物についてはまだまだ未開拓。地上のあらゆる場所に存在する植物に目を向ければ、珍獣たちにも引けを取らない、もしかしたらそれ以上に多様な生き様に出会えるのでは!?……ということで、その道の研究者にめくるめく植物の世界を案内してもらう「植物図鑑」をスタートします。

第1回は、「食虫植物×野村康之先生(龍谷大学 食と農の総合研究所 客員研究員)」です。それではどうぞ。(編集部)


食虫植物の条件

ペット兼観葉植物としてホームセンターで売られていたり、ゲームのキャラクターになったり、食虫植物は広く知られた存在だ。でも、そうしたサブカル的な消費のされ方とは裏腹に、「植物なのに虫を食べる」ということ以外に私たちはどれだけ食虫植物について知っているだろう?

「誰もがおもしろいと感じるから食虫植物は広く知られているけれど、その分誤解が広まっていると思います。私はそれに物申したいんです」と語るのは、イネ科の植物を研究する傍らライフワークとして食虫植物を愛好する野村康之さんだ。

そもそもの前提として、ある植物が食虫植物であると言われるためには、5つの能力を持っていないといけないのだという。

 

「まず獲物の昆虫をおびき寄せる誘因能力。次に、おびき寄せた獲物を捕獲する能力。3つ目が、捕獲したものを分解、つまり消化できること。4つ目が、分解したものを体の中に吸収できること。5つ目が、そうやって吸収した栄養分を糧にして生育が良くなるとか、進化生物学的に言うと適応度が上がること。これらをすべて満たしたものを(狭義の)食虫植物と呼んでいます。虫を捕獲して栄養にしているっていうのはその通りなんですけれども、実は定義の一部なんです」

 

「誘引→捕獲→消化→吸収→代謝」という一連の流れをすべて自力でできないといけないということか。動物にとっては当たり前のことだけれど、植物がこれをするとなるとぐんとハードルが上がる気がする。

 

「ただ実際は、5つの能力のうちの一部の性質が弱いものも食虫植物として扱われることがあります。有名な例が、ロリドゥラという食虫植物です。自身も消化酵素をもってはいるんですが、肉食のカメムシとの共生関係に獲物の分解をかなり頼っているんです。ロリドゥラはベタベタする植物で、このベタベタに捕まった虫をカメムシが食べて、出した糞をロリドゥラが栄養として利用します。カメムシは体表から出る特殊なワックスのおかげでロリドゥラには引っつかないんです。ロリドゥラに住処と餌を提供してもらって、一方でロリドゥラ側もカメムシに分解してもらったものを吸収することで生きているわけです」

ロリドゥラ。葉やつぼみを覆う毛のような器官、腺毛から粘液を出している

虫を捕らえる流儀はさまざま

ところで、ベタベタで昆虫を捕獲するというのはよく知られた食虫植物であるモウセンゴケに通じるものがあるけれど、食虫植物の世界では普通のやり方なのだろうか?

 

「捕虫方法としてはオーソドックスです。実は粘液を作る植物は食虫植物以外にもたくさん存在します。自分のことを食べに来た昆虫を妨害したり、捕まえて殺してしまったりするためだと考えられています(※)。日本在来の植物だと、モチツツジというツツジの仲間が有名ですね。『モチ』はモチモチ、ベタベタしたという意味で、葉から粘液を出すことが由来です。ほかにもシソやミントの仲間にも粘液を出すものが多いです。そもそも、シソやミントは独特な臭いの揮発成分を体表から出していますよね。あれには昆虫に対する忌避効果があります。そういう代謝物を分泌するために植物の体表に備わった器官を腺毛といって、昆虫の捕獲にベタベタを使う食虫植物が多いのは、もともとあった腺毛の機能を流用することで進化しやすかったからだと考えられます。

また、動物の体に免疫機能が備わっているように、植物も体の中に侵入してきた菌類を殺すための消化酵素を持っています。本来は体内で動く消化酵素を外に出すようになると、食虫植物みたいになるわけです。

捕食者や感染症に対抗するための防御能力の延長が食虫植物なんだってことが、遺伝子の研究で徐々にわかりつつあります」

 

※以降、「○○のため」などあたかも生物が目的を持っているかのような表現をすることがありますが、これは文章を簡便にするためであり、実際には、生物は目的をもって特定の性質を有しているわけではないことを補足しておきます。

例:食虫植物が粘液を出すのは虫を捕まえるため
✕ 食虫植物は虫を捕まえるという目的を果たすために粘液を出せるようになった。
〇 粘液を出して虫を捕まえられる個体が、捕まえない個体よりも有利で、子孫を増やし続けた結果、食虫植物の系統では粘液を出さない個体が絶滅し、粘液を出せるものが生き残った。

 

 

食虫植物の能力は突然変異によってまったくのゼロから獲得したものではなくて、あくまで植物がもともと持っていた能力を改良したものだということか。ベタベタ式のほかにはどんな捕獲方法が?

 

「モウセンゴケみたいなベタベタするタイプは粘着式とかトリモチ式と言われます。ハエトリグサに代表されるのがハサミ罠式とか虎ばさみ式とか呼ばれる罠。ウツボカズラは落とし穴式。一般に有名なのはこの3つの方式です」

 

粘着式(モウセンゴケ)、ハサミ罠式(ハエトリグサ)、落とし穴式(ウツボカズラ)の3つは食虫植物の有名どころだ。

 

「次の2つは一般に馴染みがないと思います。1つが吸い込み式。タヌキモという水草だけが該当します。種類によっては1ミリとか、それくらいの小さな袋を持っているんですが、この袋の中は普段、外よりも水圧が低い状態(陰圧)に保たれています。その状態で餌が袋の口にぶつかると、口が開いて水ごと獲物を吸い込むんです。袋の中で消化と分解をして、死骸はずっと中に残り続けるのでどんどん袋が黒ずんでいきます。

最後が迷路式、ウナギ筒やエビ籠に例えられることもある筒状の罠です。筒の内側には逆毛が生えていて、中に入った微生物は奥に進むことしかできません。進んだ先には小さい袋状の空間があって、そこで消化されます。ゲンリセアという食虫植物だけに備わっていて、地中の微生物を捕まえるのに使われます」

左:タヌキモとその捕虫嚢(吸い込み式)、右:ゲンセリアとその捕虫器(迷路式)

 

たしかに、吸い込み式の袋や迷路で捕虫する方法はあまり知られていないかも。こうして並べてみると粘着式はだいぶ初歩的というか、他の4つが動く部位があったり複雑な形をしていたりするのに比べるとだいぶ単純だ。

 

「初歩的というのはその通りで、ほとんどの食虫植物は粘着式を雛型にして進化したものであると考えられています。粘着物質と消化酵素を袋に貯めるようになると落とし穴式になり、分泌のタイミングを獲物が捕まった時に限定すると、ハサミ罠式のようになると。ゲンリセアとタヌキモには遺伝的に近縁なムシトリスミレという食虫植物がいるんですが、このムシトリスミレは粘着式を採用しています。吸い込み式や迷路式の罠も、粘着式の構造が発展したものだと考えられます」

 

いろいろな形のある食虫植物だが、もとをたどればその出発点は粘着式がほとんどだと。これは意外だ。

獲物の種類に応じて千差万別な戦略が

食虫植物にとっては粘着物質や消化酵素の存在がとても重要ということがわかった。ではハエトリグサが閉じるときのような高速の動きはどうやって実現しているんだろう?

 

「かつては、細胞に水を出し入れすることで生じる膨圧や、細胞自体の成長で動きのメカニズムを説明しようとする説がありました。ただ、その仕組みではハエトリグサの動きのスピードは実現できないことがわかって、今では蓄積された弾性エネルギーがちょっとした衝撃で一気に放出される、バネ仕掛けのようなシステムが最有力です。台所のシンクって、お湯をかけたらベコンと大きな音が鳴るじゃないですか。金属原子一個一個がほんの少しずつ熱で膨張することで、全体のたわみの方向がいっきに変わるというダイナミックな動きが起こる。同じように一個一個の細胞が少しずつ動くことであの動きが実現できてるんじゃないかと」

ため込んだ力を一気に放出するシステムによって、ハエトリグサはハエを捕獲できる反射速度を実現している。

 

「開くときですが、こちらは細胞が成長しているのでゆっくりとしています。また動いた時に葉の呼吸量が増加するとともに、ATP(アデノシン三リン酸)がかなり消費されることがわかっています。ATPは生物の体内のエネルギー通貨で、完全に枯渇するとエネルギー切れになります。

『売り物のハエトリグサをいじめちゃダメだよ』というのを講義なんかでよく言うのはそのためです。弱らせてしまうし、ハエトリグサにとっても店にとってもそんな迷惑なことはないから」

 

なるほど、ハエトリグサの罠はダイナミックな動きをする分、使用可能な回数が決まっていたのか。万一その回数内で捕獲ができなかった場合は、そのままエネルギー切れになると。

 

「ハエトリグサの生き方って博打的なんですよね。罠の消費するエネルギーが多くて使用可能な回数も少ないけれど、成功すれば大きな獲物を捕まえられます。モウセンゴケは大きくて力が強い虫は捕まえられません。つまり、粘着式は小さく力の弱い虫をたくさん捕まえる戦略です。

ウツボカズラはさらに変わった戦略をとっていて、その多くがアリを狩ることに特化しています。ウツボカズラが多く生育する熱帯では、アリが占めるバイオマス(生物由来の資源量)が大きいためです。

ウツボカズラの口のところは、乾いていると滑りにくく、湿っていると滑りやすくなります。乾いているときに来たアリはウツボカズラの蜜を舐めて無事に巣まで帰ることができて、そいつがもたらした情報をもとにさらに多くのアリがウツボカズラに向かっていきます。この時に空気が湿っていると、アリは滑って中に落ちてしまうんです。一見すると、常に虫を捕まえられるようにしておいた方が良さそうではある。でも、あえて虫を捕まえないモードを設けることで、アリみたいな社会性昆虫はたくさん罠にかかるんです。

ウツボカズラにしろハエトリグサにしろモウセンゴケにしろ、それぞれ狙ってる獲物が違って、ベストな獲物を選択した植物が生き残った結果が今の姿なんです」

ウツボカズラは虫を捕るモードと捕らないモードを切り替えることで、社会性昆虫であるアリを効率的に捕獲できるようにしている。口の部分が湿度が高いときに滑りやすくなるのは、車のタイヤが雨の日に滑りやすくなるのと同じ原理(ハイドロプレーニング現象)だそうだ。

 

置かれた環境で生き残ろうとした結果が今の姿だと。では、そもそも食虫植物はなぜ虫を捕るようになったのだろう?

 

「食虫植物はわかっているだけで世界中に900種弱しかいません。名前がついてる植物は大体20万から30万種いて、その中の1パーセントに満たない種数でしかない。そういう稀な生態は、特定の限られた環境に適応して進化したんだろうと考えられます。

よくある誤解で、食虫植物は鬱蒼としたジャングルにひっそり生えているところを想像されることが多いと思いますが、実際は日当たりのいい開けた環境に多く生育します。食虫植物が虫を捕まえる理由は、光合成ができないからではなくて、土壌の養分が貧弱な環境に生えているからです。

植物は光合成で得られる炭水化物だけでなく、窒素、リン酸、カリウムといった栄養成分がなければ生きられません。それらの不足を補うために編み出した解決策が、虫を捕まえることだったわけです。

貧栄養な環境が成立する典型的な場所が湿地です。水が多く酸欠気味な湿地では、微生物による分解が遅くなりやすく、その分、植物にとって利用できる栄養も少なくなります。この環境では、栄養が少ないから植物は体を大きくすることができない。さらに地中に酸素がほとんどないから、根を伸ばそうとしても酸欠で腐ってしまう。その結果、背の高い植物が育たないので、逆に日当たりは良くなるんです。

食虫植物に共通する性質が、こういう環境で進化してきたことによって生じています。まず根が貧弱です。湿地では水のために根を張り巡らす必要はないし、養分は虫から獲得できます。さらに日光を巡って周囲の植物と競争する必要がないため、小型の種が多いです。

これは私の推測ですが、そういう環境では、蓄えた資産を少しでも奪われるのは致命的になりえます。葉を1枚かじられるにしても、栄養豊富な環境と貧栄養な環境では損失の大きさが変わってきます。食虫植物の祖先は、虫を捕まえる前の段階から防御にたくさん投資してたんじゃないかと思うんです。それをどんどんアグレッシブに、虫を捕まえて分解するようにしたら、より効率的に栄養を摂取できるようになった。そうして進化をしたのが食虫植物なんじゃないか。ただ、これを検証するのは簡単なことではないので、あくまで仮説です」

モウセンゴケをはじめとして、日本で見られる食虫植物もほとんどが湿地に生息している。

失われつつある生息地

食虫植物の生息地である湧水池や溜池、湿原などの湿地。しかしそうした場所は急速に失われつつあるという。

 

「日本には21種類の食虫植物がいて、中でも多いのがモウセンゴケの仲間とタヌキモの仲間です。モウセンゴケの仲間で代表的なのが、モウセンゴケとコモウセンゴケとトウカイコモウセンゴケの3種で、割とどこでも見ることができます。私が今いる、龍谷大学瀬田キャンパスの敷地内にもいますよ。滋賀県は食虫植物の生育地がたくさんあります。

ただ、そうした場所ももれなく減ってますね。埋め立てられたり、湿地としては残っていても太陽光パネルで覆われていたり。

植物学者の牧野富太郎をモチーフとした主人公の『らんまん』という朝ドラがありましたね。その中で取り上げられたムジナモという植物が食虫植物なんです。国内最後の生育地だった埼玉県の宝蔵寺沼では、ソウギョという植物を食べる外来魚が入ってしまっており、存続が危ぶまれていました。そのムジナモは現在ほとんど見ることができませんが、昔、日本の各地に生育していました。最近になって別の産地が見つかって、食虫植物界隈ではこの再発見に盛り上がっていました。それでもピンチであることには変わりはありません」

ムジナモ

絶滅が危惧される食虫植物、ムジナモ。日本で最初に見つけたのは、植物学者の牧野富太郎だ。

 

ニッチな環境に適応できたのはよかったものの、環境そのものが消滅してしまってはどうしようもないということか。

 

「保全のためには食虫植物の生態を研究する必要があります。私自身としてはどうやったらみんなに食虫植物やその研究を知ってもらえるかという、アウトリーチにより一層の関心があります。みんなの関心が高まることで、巡り巡って保全にもつながっていくでしょうから。

それに、食虫植物というのは自分にとって植物を見るための物差しなんです。今の研究で使っているのは主にシロイヌナズナやイネ科の植物ですが、食虫植物という極端な生態をもつ植物、それを通して見ることで、それ以外の植物の生き方が理解できると思っています」

 

【植物図鑑:生態メモ】食虫植物

昆虫の誘引、捕獲、消化、吸収、代謝の5つの能力を備えた植物の総称。モウセンゴケ、ハエトリグサ、ウツボカズラなどはとくに有名。900種弱が種として記載されている。日当たりが良く土壌中の栄養に乏しい湿地の環境に適応進化した結果、食虫能力を獲得したと考えられている。

動物の死体に湧いたウジを全部数える。死体を巡る生き物たちの意外な営みについて日本大学の橋詰茜さんに聞いた

2024年10月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「アライグマの死体に湧いた数万匹のウジを全部回収した研究者がいる!」そんな驚きの投稿がXで話題になりました。注目されたのは日本大学生物資源科学研究科の博士課程に在籍する橋詰茜さんの研究ですが、意外なことに当初は死体を食べにくる動物を観察するだけで、ウジを調べるつもりはなかったそうです。ウジを数えるにいたった経緯をうかがうと、その背景には「死体」という資源を舞台に複雑に絡み合う、多種多様な生き物たちの営みがあることがわかってきました。 指導教員の中島啓裕先生(日本大学生物資源科学部動物学科 准教授)にも同席していただいたインタビューの模様をどうぞ!

 

※編集部注:本文中に動物の死骸やウジの画像が登場します。苦手な方はご注意ください。

 

橋詰茜さん(左)と、指導教官の中島啓裕先生(右)

自動撮影カメラでなにかやろう!から研究が始まった

 

――動物の死体利用というテーマで研究をされようと思ったきっかけっていうのは、どういったことだったんでしょうか?

 

橋詰:中島先生の研究室がもともと自動撮影カメラを使った研究をされていたので、私も卒業研究ではカメラを使った研究テーマに取り組むつもりでした。ただ、なかなか具体的なことを思いつかなくて悩んでいたんですが、先生の方から「カメラの前に死体を置いてみるのはどう」とアドバイスをもらって。直感的に「あ、それおもしろそう」と感じたのがはじまりですね。

赤外線センサーで動物の接近を検知して自動で静止画像や動画を撮影してくれる自動撮影カメラの登場によって、これまではきわめて難しかった野生環境下での動物の行動観察ができるようになった。

 

――目的よりも自動撮影カメラという手段がはじめにあったんですね。

 

橋詰:実際に研究を始める前にいろいろ調べていて、動物写真家の宮崎学さんの写真集に出会ったんですが、宮崎さんも一眼レフを自分で改造して自動撮影できるようにしたものを使っておられたんです。野外で死んだシカなどの動物が分解されていく様子を撮った写真もあって、死体にいろいろな生き物が寄ってきて最後に骨になるまでのプロセスが一枚一枚綺麗な写真で並んでるんですけどそれを見ているとすごくワクワクしました。自分の研究でもこんな写真が撮れるのかなとか思いながら、でも最初はそういう大きな動物の死体を手に入れることができないので、ヘビの餌用の冷凍マウスを購入して、卒業研究ではそれを野外に置いてどうなるのか観察しました。

 

――たしかに、死体を手に入れるのはなかなか大変そうです。ネズミは、どんな感じで分解されたんでしょう?

 

橋詰:クマとかタヌキとかテンとか、食肉目の動物がやってはくるんですが、分解というよりはその場でさっと食べてしまったり、どこかへ持ち去ってしまう感じでした。なので結論としては「いろいろな食肉目が来るんだな」ということで卒業論文もまとめたんですが、やっぱりもっと大きな死体だとどうなるんだろうということが気になるようになってきて。運の良いことに、ちょうど修士課程に進んだタイミングで中島先生の大学時代のお知り合いの方から駆除されたアライグマの死体をいただけることになったんです。そこから、食肉目の死体の分解に研究が進むことになりました。

動物が死体を食べに来ない!

アライグマの死体が確保できたことで、念願の「大きな死体が野外で分解される様子」を観察できるようになった橋詰さん。しかし得られた結果は予想と大きく違うものだったという。

 

橋詰:初めは、いろんな動物が食べにきて、 そこで奪い合ったりする様子が映るんだろうと思っていたし、そういうのを観察したかったんですけど、いざデータを回収して見てみたら、もう全然来なくて。

あっという間にハエの幼虫、いわゆるウジが湧いて分解されちゃって、その残りカスをちょっとだけ動物が食べるみたいな感じでした。なので最初は期待外れだなと残念に思ってました。

アライグマの死体を利用できるようになったことで、満を持して動物の死体が分解される過程を観察できるようになった。

 

――死体は食肉目の動物に食べられていると予想していたのに、実際はほとんどウジに食べられていたということですね。

 

橋詰:そうなんです。

自動撮影カメラを使った観察とは別に、死体がどう分解されるのか実地での経過観察もしていて、本当にあっという間にウジが湧いて、時期にもよりますが1週間くらいで骨になってしまうんです。

法医学の世界では、野外に放置された死体がどういうふうに分解されていくかっていうのを、これは死亡してからの時間の経過を特定するためなんですけど、細かく研究されていて、ウジが分解をそうとう早めているという見解があるようです。

それで、博士課程に進む前にいったん日大の事務職に就職したんですが、その間もデータは取り続けていて、修士の2年間と合わせて全部で4年分のデータが貯まっていました。その間死体に食肉目が来ることはなくはないけれど、ウジに食べ尽くされることの方が圧倒的に多かったんです。で、それらを論文にまとめようとしていた頃に、ちょうどスペインのモレオンという研究者の研究で「食肉目は食肉目の死体を食べない」っていう論文が出て、それを読んで「なんじゃこりゃ!」ってなりました。

 

――それはまた数奇なタイミング……。

 

橋詰:腐敗した死体を食べることによる病原菌の感染を嫌がってるとか、あるいは昆虫による分解が早すぎて競争に負けちゃってるとか、「微生物、昆虫、食肉目による早い者勝ちの分解競争」というストーリーをわれわれは考えてたんです。でもその論文は、死体の鮮度に関係なく食肉目は食肉目を食べることを避けると主張していて。初めそれを読んだ時は、とんでもない向かい風を受けたような気がしました。

ただ、食肉目とそれ以外の死体では野外における分解のプロセスが違うんだという視点をその論文からもらったのと、中島先生とも議論したりしているうちに、逆に「死体を食べに来なかったこと」を突き詰めたほうが研究に広がりを見出せるんじゃないかと感じるようになってきたんです。

 

中島:われわれの観察でも、食肉目は食肉目をほぼ食べない、食べるとしても腐敗しきったものを少しだけ食べるというのは4年間共通してたんですよね。鹿のような草食獣の死体だったら、腐ってても腐ってなくてもちゃんと食べるんです。やっぱりこれは何かあるだろうと。

近縁種を食べることへの忌避っていうのは、共通する病原体への感染リスクを避けるためにもそういう形質が進化してきたのではないかということは予想できます。でも時間がたってウジが1回湧いた後だったらセーフになるというあたりも、本当に面白いと思いました。

さらに食肉目に食われないということは、それだけ長い期間死体が残存することで、そこにウジが湧いて生態系により広く還元されるような期間になっていることがストーリーとして見えてきたんです。

 

――予想外の結果が出たけれど、でもそのおかげで違う切り口のストーリーが見えてきたと。同じ現象を観察していてもとらえ方によってピンチにもチャンスにもなるということですか。着眼点って大事ですね。

鳥がウジをついばみに来た!

新たな視点を得て、思いがけない方向に広がりを見せた研究。橋詰さんが注目したのは、食肉目の死体に湧いたウジと、ウジを食べに来た鳥だ。

 

橋詰:鳥がウジを食べに来ていること自体は、最初の観察からわかっていたので、どれぐらい食べているかを調べてみようと思ったんです。動物に食べられないように囲った場所に、水を張った子供用プールを設置して、アライグマの死体を中心に置いて、分散していくウジが死体の外に出た時に水に溺れるので、それを網で回収して一部をひたすら並べて数えて、重さの比から数を推定しました。それで、4kgの死体から約24万頭のウジが発生するということがわかりました。

子供用プールを使ってウジを回収する

プールから回収したウジ

 

――うわ!多い!めちゃくちゃたいへんそうです。

 

橋詰:鳥の方は動画を観察して、ウジをつつく回数を数えました。そうすると意外にも鳥に食べられるのは全体の1パーセント程度でしかないということがわかったんです。

ウジは肉を食べながらどんどん成長していって、三齢幼虫(蛹になる前段階)になってから死体の表面にしばらくとどまって、あるタイミングでいっせいに蛹になるために死体から分散していくんです。で、鳥がウジを食べるとき、死体の上にうじゃうじゃいるウジには手をつけなくて、分散を始めてから死体の外に散り散りになっているのをちまちま食べているっていう、非効率なことをしていることがわかりました。

ウジは蛹になる前に食べた死肉を全部消化して排泄して消化管を空っぽにすることが知られていて、そういうクリーンになったタイミングで食べようとしてるんじゃないかと考えています。

ウジをついばみに来た鳥(自動撮影カメラによる映像)

 

中島:食肉目に食われなかった死体が生態系に残存して、代わりにウジが湧いて、そのウジを鳥が食べに来ました……だったらストーリーとしてはすごくわかりやすいんですけど、もう一段挟まってて、鳥にとっても死体に湧いたウジって、寄生虫や病原菌のリスクのある存在で、なかなか食べないんですよね。

死体ってそういうリスクが支配する空間になっていて、死体という栄養たっぷりの資源がどう配分されていくかも、リスク依存で決まっている。これは今まで生態学者があまり考えてこなかったことです。

鳥は腐肉にはなるべく触りたくない、でもウジは食べたい。だから分散したところを狙う。問題は、なぜ鳥はそれを知っているかなんです。そうやってウジを食べに来るのは幼鳥ばかりで、死体のそばのウジを食ってお腹を下した経験をしてる個体がそんなにいるはずないじゃないですか。死体が危ない存在であるってことを後天的か先天的かわかりませんが知っていて、我々と同じように例えば死臭でそれを感知して避けるということをしているんです。

動物がリスクを察知して回避する行動の研究は、死体研究とは別の文脈でいくつもされていて、例えば飼育下の霊長類が糞を拒否する行動とかですね。匂いはしないけど見た目は糞そっくりなものを人工的に作って置いておくと、そういうのもちゃんと嫌がるんです。

われわれも蓮の実のぶつぶつを気持ち悪がったりしますが、あれは皮膚病にかかった皮膚の患部がああいう様相を呈することがあって、そういうものと結びつけて人間が感知してしまうからじゃないかと言われています。そういうリスク検知の誤作動が差別にまで繋がっていくこともあります。われわれは生態系の中での死体利用という小さなところから研究を始めたんですが、そのパースペクティブがどんどん広がっていって、どの切り口からまとめるのがいいのか考えるのは難しいんだけど、すごくおもしろいと思います。

 

蓮の実のブツブツを見るとゾワッとする、あるいは腐ったものの匂いを嗅ぐと気分が悪くなるような感覚が人間にはある。同じようなものを動物たちも持っているのかもしれない。(画像出典:phtolibrary https://www.photolibrary.jp

 

――今はまだ表に出しづらい情報かもしれませんが、橋詰さんとしては今後どういう方向に研究を進展させていきたいですか?

 

橋詰:鳥とウジの関係以外にもこれまでいろんなことを観察していて、そのあたりのデータを整理して、ひとつずつ論文にしていきたいです。

ひとつは、食肉目の死体は食肉目に食べられない上に、湧いたウジもほとんどが食べられずに成虫になります。つまりたくさんのハエが繁殖できるような資源なんです。

アメリカのイエローストーンでハエを大量に捕まえて調べた研究だと、ハエの成虫に含まれる安定同位体を調べるとそいつがどういう死体由来で繁殖したかっていうのがわかるんですけど、たくさん草食動物いるはずなのに大部分が肉食動物由来のハエだったという結果が報告されています。おそらく、そういうことがいろんな場所で起こっていて、ハエはハチやチョウに比べて気温が低い時でも活動できるので、春先や冬に花を咲かせる植物の花粉媒介者として機能してるのかもなと思っています。そういう食肉目の死体の波及効果を調べてみたいですね。

 

――それが立証されたら、すごくおもしろいですね。生態系のピースがうまく噛み合っているというか。

 

橋詰:生物学では、研究者ごとに専門とする生き物の領域がある程度決まっていることが多いんですが、私はやっていくうちに知りたいことがどんどん増えてきちゃって。なんかちょっと収拾はつかなくなってるかもしれませんが、生き物と生き物の繋がりが分類群を越えて見えてくるといいなと思います。

死体を扱うのはたいへん。でも、思わぬ体験も

研究の発展性やおもしろさについて熱弁してくれた橋詰さん。一方で、当然そこには死体を扱うが故の困難も。

 

橋詰:アライグマの死体を直接観察した時はもうめちゃめちゃ臭くてびっくりしました。50メートルぐらい離れていてもそこに死体があるのがわかるぐらい。私はそこまで抵抗はなかったんですけど、臭いに対する感性って人それぞれで、一緒に手伝ってくれる人が辛そうにしてて申し訳ないことはありました。

ただ、現物を目の前にしているが故の体験もあって、死体の重さを測っているときにウジの山から熱気を感じて、手袋した状態で手を突っ込んでみたんです。そうしたらウジがめっちゃ熱かったんです。あとでちゃんと計測してみたら50度ぐらいの熱があって、それ自体はすでに知られている現象だったんですが、なんのためにそういうことになるのかはまだわかっていないみたいで。

死体に湧いたウジが熱をもつ。直接観察していたからこそ気がつけた現象だ。

死体に湧いたウジが熱をもつ。直接観察していたからこそ気がつけた現象だ。

サーモグラフィーでとらえた発熱の様子(下段の6~9日目)

 

――ウジが熱を! 死体が分解される現象自体は小学校の理科の教科書にも載っている生態系の基本的な現象だけど、実際はものすごく複雑なことが同時多発的に起こっているんですね。知れば知るほど興味が湧いてきます。

 

中島:こういうマイナーな研究がSNSで反響をもらったことも、今言われたことと関連がある気がします。

死体は普通、忌避されるような対象じゃないですか。病気を持ってるかもしれない、そもそも汚い。でもだからこそ、そういうものに対する興味を人間は無意識に持つんじゃないかと思うんです。

それにこの研究は生物と生物の間の繋がりの研究じゃないですか。日常生活では気づけないような繋がりや関係性が実は世の中には溢れていて、それを知ることで、自分を取り巻く世界が豊かになった気が少なくとも僕はするんですよね。

知らないところでそんな世界があったんだと思ってもらえる人が1人でもいたら、僕はSNSを使う意義っていうのはあるんじゃないかと思っています。

 

 

死体は、それを見つけた生き物にただ食べられて終わりではない。死体を舞台にした種々の生き物の営みが複雑に絡み合って、死体のもっていたエネルギーは立ち昇る煙が薄れるようにしてじわじわと拡散しながら生態系へと帰っていく。そこには、まだまだ解明されていない秘密が山積しているのだ。

中島先生が最後に言われたように、生きることの地続きにある死というものへの関心を、人間はみんな持っていると思う。

奇しくも、お盆休み中の貴重な時間をいただいてのインタビューだったこともあって、話をうかがいながら命というものの行末に思いを馳せずにはいられないのだった。

 

 

紫式部も食べた味?幻の甘味「甘葛煎」復活秘話を奈良女子大学の前川佳代先生に聞いてきた

2024年9月3日 / 大学発商品を追え!, 大学の知をのぞく

今、「源氏物語」が熱い。作者である紫式部の生涯を描いた大河ドラマ「光る君へ」放送の賜物である。そんな「光る君へ」や「源氏物語」には「椿餅」というお菓子が登場する。最古の和菓子であり、現在も和菓子店で見かけることのある椿餅は、気軽に平安時代の味を味わえることもあって、目端が利く視聴者の間で話題になったのだとか。

ただ、平安時代の椿餅と現代の椿餅では材料に決定的な違いがある。それは、最も大切な“甘さ”を出すための甘味料だ。砂糖は現代でこそそこらじゅうに溢れているけれど、平安時代にはとても貴重なもので、食べ物というよりは薬として使われていたようだ。では何で甘味をつけていたのだろう?

そこで登場するのが、甘葛煎(あまづらせん)である。

 

甘葛煎について残されている記録は多くないけれど、その中には清少納言の「枕草子」や「今昔物語集」所収の「芋粥」といった、いわゆる有名どころの古典作品も含まれている。それほど貴族社会に浸透していた甘葛煎ではあるものの、その製造は海外からの砂糖流入の増加にともない急速に廃れていった。江戸時代にはすでに原材料・製造方法ともに不明のロスト・テクノロジーになっていたという。

 

そんな甘葛煎の原料・製法を突き止め、現代に復活させようとしているのが、奈良女子大学の前川佳代先生を筆頭とするグループだ。そもそも甘葛煎の正体は何だったのか?現代人が食べても美味しいと感じるものなのか?今、甘葛煎を普及させる意味とは?尽きない疑問を抱えて、お話を伺いに奈良女子大学にお邪魔してきた。

奈良女子大学の正門

奈良女子大学へ。

幻の甘味、その正体は意外に身近な植物だった

――よろしくお願いします。さっそくですが、甘葛煎の正体はなんだったんでしょうか?

 

ナツヅタ(ツタ)という植物は冬になると樹液に糖分を貯め込み、その糖度は最高で20%以上にもなります。これを採取して、煮詰めて5〜10倍に濃縮したものが甘葛煎だと私たちは考えています。

 

――ツタ!ツタにそんなに糖分があるとは意外です。

 

煮詰めていないものは「甘葛汁」や「みせん」と呼ばれ、これも料理に使ったり、そのまま飲むこともあったようです。

今昔物語集に『芋粥』というお話が収録されています。これは、宴席で少量お裾分けされた芋粥を一度でいいから飽きるほど食べてみたいという願望をもった下級役人の話なんですけど、ここで出てくる芋粥という料理は薄く切った山芋を「みせん」で煮たものだったと考えています。

再現した甘葛煎をはじめとして、テーブルに広げられたさまざまな資料を交えつつこちらの疑問に答えてくださった前川佳代先生。

 

――『芋粥』は芥川龍之介の同名の小説のもとになったお話ですよね。そこにも登場していたとは。当時はポピュラーな食材だったのでしょうか?

 

甘葛煎が市場で売られていたという記録はあるんですけれども、現代の我々が砂糖を使うような感覚で庶民が口にできていたかというと、それはないと思います。

ただ貴族社会においては普及していたようで、というのも日本各地で生産させて税金として納めさせていたようなんです。北は現在の山形から南は鹿児島まで、生産されていたという記録が残っているんです。

 

――そんなに大規模に生産されてたんですか!でも、ということはナツヅタという植物自体はそれほど珍しいものではない?

 

まったく珍しい植物ではないです。なんなら本学(奈良女子大学)のキャンパスにも生えてますよ。すぐそこなのでちょっと見に行きましょうか。

 

取材地のカフェテリアを出てキャンパスに繰り出す一同。「あれです」と言って立ち止まった前川先生が指をさす先には、ツタに巻きつかれた立派なクスノキが。

大きな葉をつけて木に絡みつくツタが、甘葛煎の材料になるナツヅタだ。

ツタ本体も太い。左のツタが途中で切れているが、これは以前、甘葛煎作りをした時に伐採したものだそう。

前川先生いわく「恐竜の足跡みたい」な形の葉が特徴だ。

「こうして見るとあちこちにありますね!」

 

あちこちに生えるナツヅタを見てから、ふたたびカフェテリアに戻ってきた。

 

――キャンパス内のあちこちに生えていました。言われてみれば、意識しないだけでうちの近くにも生えているのを見たことがあるような気もします。こんな身近なものにそんな利用法があったなんて。

 

甘葛煎作りはナツヅタの糖度が上昇する真冬に行うんですが、とにかく寒いんですよね。それで休憩のときに焚き火をしていて、樹液をとった後のナツヅタを火にくべたら、煙にのってかすかに甘い香が周囲に立ち込めて。「これじゃん!」ってみんなで大はしゃぎしました。火にくべたナツヅタからジュワジュワ出てきた樹液を舐めてみた、勇気ある最初の一人がいたんだろうなって。

 

――煙まで甘いってすごいですね!昔の人はそうやってナツヅタの甘さを見つけたのかもしれないと。前川先生たちは、どうやってナツヅタに辿り着いたんですか?

 

ナツヅタが材料だと特定して、現代で最初に甘葛煎作りを成功させたのはじつは我々ではなくて、もとは北九州市で小倉薬草研究会という会の会長をしておられた石橋顕先生の研究でした。

石橋先生以前にも、江戸時代末期の紀州藩で藩医をしていた畔田伴存(くろだ ともあり)がツタで甘葛煎を再現したり、昭和初期の植物病理学者である白井光太郎(しらい みつたろう)がツタ原料説を提唱していた記録が残っていて、石橋先生はそうした文献を参考にしつつ甘葛煎作りをしておられたんです。

はじめ、我々が石橋先生に連絡をとって甘葛煎作りを教えていただきたいとお願いした時に、「そういう連絡をいただくことは多いんだけど、最後までやり遂げてくれる人はなかなかいないし、材料探しもたいへんだから……」というようなことを言われて断られそうになってしまって。

ただ、そう言われてキャンパス内を散策してみたらそこらじゅうでナツヅタが見つかって。これならいけるんじゃないかということで再度お願いしたら了承をいただけて、2011年に先生をキャンパスにお招きして教授していただいたんです。

 

――断続的に甘葛煎作りを再現しようとする人が現れるんですね。

 

そうなんですよ。作ろうとしてみる人はいる。ただそれが広まることはなくて、どうしても個人の営みに終始してしまうんです。

最初、我々も一回再現したらそれでおしまいのつもりでした。これはあくまで石橋先生の研究だったので。ただ、そのあと石橋先生も亡くなられて、このままじゃまた忘れ去られるぞということになって。

空気ポンプを使ってツタから樹液を押し出す石橋氏発案のやり方に代わって、現在採用されているのが遠心力を使った樹液採取法、名付けて「あまづらブンブン」だ。適当な長さに切ったツタの片側にビニール袋をかぶせて、手でもってブンブン振り回す。遠心力で断面から溢れた樹液がビニール袋に貯まる仕組み。

ナツヅタの断面を観察すると、細かい穴が無数に開いているのがわかる。ここから樹液が溢れてくるのだ。満月のタイミングで伐採すると樹液の量が増えることなど、長く続けることでツタのもつ不思議な性質もわかってきたのだそう。

 

それで、せっかくよみがえった甘葛煎がまた消滅しないように、甘葛煎を実際に作ってみるワークショップを各地でやっています。甘葛煎を作るには、大人30人で一日がかり。樹液を1ℓあつめても、それを煮詰めると100ccくらいにしかなりません。真冬に作業をするので、甘みを求める大変さとそれに従事したであろう農民たち、対して労力なしでその成果を得られる貴族たちがいた世界のことを、参加者には身をもって体感していただくことになります。もちろん、その美味しさもですね。この体験は、社会や理科、食育といった学習にもつながるので、大変な作業は大人が段取りして、小学校の総合学習の時間にお邪魔したこともありました。奈良では、奈良を愛する「奈良あまづらせん再現プロジェクト」のメンバーで毎年再現しています。

甘葛煎は作った人しか食べられませんが、より多くの方々に甘葛煎の味を味わっていただきたいという思いで、甘葛煎の味わいに極力近づけた甘味料の開発にも取り組んできました。念願の「甘葛シロップ」は昨年完成し、奈良市内のお店で販売しています。

 

せっかくなので本物の甘葛煎と甘葛シロップ、舐め比べてみますか?

 

――いいんですか!貴重なものなのに。

 

せっかくですから。

各地で開催したワークショップで作った甘葛煎。それぞれ微妙に色が違うけれど、おしなべて黄色っぽい、蜂蜜みたいな色だ。

甘葛煎と甘葛シロップ、その味は……?

小さな匙で、ほんの少しすくって口に運ぶ。樹液と聞いてからメープルシロップみたいな味を想像していたのに、実際はもっと癖のない、黄金糖みたいな香ばしさのある甘さが舌に広がった。と、その味は後を引かずにスッと消えてなくなった。しつこくなく、植物の汁を煮詰めただけとは思えないくらい雑味のない、上品な潔さのある味だと思った。

そしてこちらが、甘葛煎を再現して作った「甘葛シロップ」(右端の瓶は平成10年産の本物の甘葛煎)。小規模生産なこともあって、ロットによって色が少しずつ違うんだとか。

 

続いては、甘葛煎の味わいを再現して作った市販品の「甘葛シロップ」。こちらは紙コップに少量注いでいただく。本物より少し甘味が強くて果物的な酸味がある気がするけれど、これは一度に口に含んだ量が多いからだろうか。

甘葛煎にあった、口の中に広がった甘さが間を置かずにスッと消えていく感じ。この不思議な感触が一番の特徴だと思うのだけれど、甘葛シロップにもちゃんとその不思議な「スッ」感があった。

 

――どちらも美味しいです。甘葛シロップは、甘葛煎の後を引かない不思議な甘さが再現されてますね。どうやって作っているんでしょう?

 

成分分析をしまして、まず甘味成分。個体差はありますが、ショ糖、果糖、ブドウ糖がおおよそ3:1:1の割合で含まれていることがわかりました。ですが、単にそれらを混ぜてもただ甘いだけにしかならなくて。甘葛煎の、糖度がとても高いにも関わらず甘さが引いていく秘密はなんなんだろうという課題が残りました。

2017年に予算がついて、糖以外の成分についても分析をした結果、どうもタンニンが効いているんじゃないかということになったんです。タンニンって渋味とか苦味の成分なので、それが甘味をマスキングしているんじゃないかと。

それで、いろいろなタンニンを試しているうちに、「あ、これ近いかも」と感じるものがあって、それがなんと柿渋だったんです。

 

――柿渋!柿と言えば奈良の名産品ですが、その柿のタンニンが甘葛煎再現にぴったりだったと。偶然なんでしょうが、不思議な話ですね。

 

本当に。成分分析をお願いした奈良県農業研究開発センターの濱崎さんがおっしゃるには、タンニンというのは何千種類もあるそうで、柿渋がうまく合ったのは奇跡的なことだそうです。

ただ、それでも本物との微妙な違いはまだありますね。理想を言えば、ナツヅタからタンニンを抽出して添加できれば一番なんですが、それだと食品として販売するためのハードルがすごく上がってしまって。味的に近いものができたとは思いますが、さらに改良していきたいですね。

一押しの甘葛煎メニューは枕草子にも出てきたかき氷(削り氷)だ。(写真提供:前川佳代先生)

古代の人々の感性や思考を、私たちと地続きに感じてほしい

――甘葛煎復活にそこまで熱心に取り組んでおられる理由はなんなのでしょうか?

 

今我々のいる場所を俯瞰的に見て、歴史の地続きであることを感じてもらいたいんです。1000年前の世界って、現代とは完全な別天地というか、ほぼファンタジーの世界とその住人みたいにとらえられてるんじゃないかと思うことがあるんです。でも実際はそうではありません。

甘葛煎についての記述は清少納言の「枕草子」にもあって、そこでは「けずりひ(削り氷)にあまづら入れて新しきかなまり(金碗)に入れたる」(削った氷に甘葛煎をかけて金属の器に盛ったもの)が「あてなるもの」(高貴で上品なもの)とされています。これは今のところ日本最古のかき氷の記録です。彼らは冬に作った氷を氷室で夏まで保存することを知っていたし、ナツヅタの樹液から甘葛煎を作ることも知っていたし、暑いときに氷菓を食べる贅沢も知っていたんです(贅沢だと思っていたかどうかはわかりませんが)。

現代ってすごく便利な時代で、そこに慣れてしまうとどうしても歴史の世界に対して上から目線になってしまうというか、「昔は酷い生活をしていたんだろうな」「昔の人はなにもわかってなかったんだろうな」みたいな見方をしてしまうと思うんです。でもそうじゃなくて、昔の人は身の回りの現象を理解していたし、不味いものを食べていたわけでもなかった。思考力や感性が現代人と比べて劣るわけではなかった。

 

――たしかに。古典を読んでると、感受性や観察力なんかはむしろ昔の人の方が高かったんじゃないかと思うことすらあります。

 

ナツヅタは米や野菜と違って品種改良されていないので、甘葛煎の味も1000年前とほぼ変わっていないはずです。その甘葛煎がこんなに美味しい。古代の貴族たちと味覚を共有することで、昔の人たちも私たちと同じ人間だったんだと、感じる糸口になってほしいんです。

 

 

誰でも、予備知識がなくても楽しめる食べ物は、直感的に古代を感じる手段としてはうってつけだ。前川先生は甘葛煎以外にも何種類もの平安時代スイーツを再現している。昨今の平安時代ブームに乗ってますます知名度が上がることに期待です!

小麦粉と米粉を水と塩で練って、油で揚げた「索餅(さくべい)」というお菓子もご馳走になった。ほんのりと塩味の利いた素朴な味と噛み応えのある食感が美味しい!

湖底の縞模様から紐解く古代の気候。そこにはマヤ文明衰退のヒントが!?立命館大学の北場先生に古気候学の最前線について聞いてきた

2024年8月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

今年も台風の季節がやってきた。夏の風物詩ともいえる台風だけれど、この頃は気候変動の影響で激甚化した豪雨災害が、必ずといっていいほど毎年どこかで発生するから、とてもそんな風流な見方ばかりもしていられない。

 

日本を遥か遠く離れた中米で紀元前1200年頃から16世紀頃まで、3000年にわたり栄えたマヤ文明。その衰退の謎と気候変動の関連を調べているのが、古気候学者の北場育子先生だ。何百年、何千年前の気候を解き明かす鍵は、湖底に沈んだ鉱物や生物の死骸などの物質が堆積してできた年縞(ねんこう)と呼ばれる縞模様である。

チチェン・イツァ(メキシコのマヤの遺跡)。これほどの文明がなぜ衰退したのでしょうか…?

花粉を見れば、気候がわかる

周囲の環境を反映しながら湖の底に堆積していく年縞。分析技術の進歩にしたがってそこから引き出せる情報も増加の一途をたどっている。中でも、年縞から気温と降水量などのデータを引き出すもっとも有力な手がかりは、花粉だという。

湖の底から掘り出された年縞。この縞模様が情報の宝庫だ

 

――北場先生の専門は古気候学、中でも年縞研究だと伺っています。どんなことをして、なにがわかるんでしょうか?

 

「年縞というのは、1年に1枚積もる、薄い地層のことです。日本みたいに明瞭な四季があると、湖には季節によって違うものが運ばれてきます。それが積もってシマシマの地層になります。年縞は1枚が1年という時間に相当するので、それを1枚ずつ数え上げることで、1年ずつ時間をさかのぼっていくことができます。その縞模様の中をさらに細かく調べることで、その年に起った出来事がわかるんです。

 

私たちは、大きなくくりでいうと地質学者です。フィールドに出かけて地層を取ってきて、実験室で分析するということをしています。分析にもいろいろありますが、私の一番の専門は花粉分析です。過去の気温や降水量を復元するには、花粉を見るのが一番いいんです。

 

その土地に生える植物というのは、気温と降水量によって決まっています。たとえば、熱帯雨林を見たら、暑くてジメジメしてるんだろうなぁ、って感じると思うし、東北地方のブナの森を見ると、ここは涼しくて雪が多いんだな、って想像できる。ケッペンの気候区分※を学校で習われた方もいるかと思いますが、その土地の気候っていうのは『森の風景』に現れているんです。」

 

※世界の気候区分法。植物分布に注目して考案され熱帯気候・乾燥気候など複数に区分したもの。

 

――なるほど、花粉によって状況証拠的に気候を調べていくわけですね。

 

「そうなんです。年縞の中から花粉の化石を取り出して、それを顕微鏡で『モミ、ブナ、マツ、ツガ、スギ、ブナ……』とひたすら数えていくんです。1サンプルでだいたい500個ぐらいの花粉を数えて、モミが〇%、ブナが〇%……と割合を計算します。そこから気温や降水量を復元していきます。

 

日本は南北に長い島国なので、亜熱帯から亜寒帯まで幅広い気候帯をカバーしています。なので、世界的に見ても、花粉から気候を復元するには理想的なんです。日本では、現在各地に積もりつつある花粉の割合を調べたデータベースが整備されています。たくさんある地点の中から、過去の花粉の割合と似た組成を持つ地点を統計的な手法を使って探し出します。あとはアメダスの気象データを使ってその場所の気温や降水量を参照することで、その年縞が積もった時代の気候がわかるんです。

 

福井県に水月湖という湖があります。この湖には過去7万年間、年縞が積もり続けています。地質学の業界では世界的に有名な湖です。たとえば水月湖の約2万年前の年縞からは、現代の知床や信州の亜高山帯と似た花粉が見つかっています。当時は氷期の真っ最中で今よりも12℃くらい気温が低かったということがわかっています。」

年縞から取り出された花粉の写真。植物の種類ごとに形が違う花粉を同定しながらその数を数えていく。とても根気のいる作業だ

 

――マヤ文明を年縞から調べる研究でも、やはり花粉が指標になるんでしょうか?

 

「マヤ地域でも気温や降水量を定量的に復元するためのデータベースを作ろうとはしたんですが、そもそも熱帯の植物はあまり花粉を作らないので思うようにはいきませんでした。日本の森には、スギやヒノキみたいに風で花粉が運ばれていく木がたくさん生えています。風で花粉を運ぶと、受粉するかどうかは運任せになるので、木が花粉を大量に作って飛ばすんですね。それに引き換え熱帯では、昆虫が花粉を運んでくれるので、少ししか花粉を作らなくても確実に受粉できます。そういう花粉が中心なので、統計的な処理には向かないんですね。

 

ただ、定量的な気候の復元は難しくても、花粉はとってもいい指標になります。たとえば、雨が増えて、湖の水位が上がると、スイレンの花粉が増えたりします。

 

ほかにも、トウモロコシは古代マヤ人の主食だったんですが、マヤ人たちが徹底的にお世話をして栽培化した植物なので、トウモロコシの花粉というのは遠くまで飛ばないんですね。なので、トウモロコシの花粉が見つかれば、その近くでマヤ人がトウモロコシを育てていたという証拠になります。

 

それ以外にも、マヤ人が森を切り拓いたら木の花粉が減って草の花粉が増えるとか、気候のほかにもマヤ人の暮らしぶりが垣間見えたりするところがおもしろいですね。」

年縞形成の鍵は酸欠

年縞は情報の宝庫だ。では、そもそも年縞とはどうやってできるものなのだろうか?

 

――年縞って、どうやってできていくものなんでしょう?

 

「基本的には、季節によって違うものが湖に運ばれてきて、それが積もることで縞模様ができていきます。

 

日本では、明瞭な四季があるので、季節によって違うものが積もる、っていうのは、どこの湖でも起こっているんです。だけど、年縞は珍しい。それはどうしてかというと、年縞のある湖っていうのは、湖の底に酸素がないんですね。湖の底に酸素があると、虫とか貝とか魚なんかが棲みついて、巣穴を掘ったりしてせっかく積もった縞を壊してしまうんです。なので、せっかく季節によって違うものが積もっても、生き物に壊されてしまって残らないんです。

 

たとえば、日本の水月湖の場合だと、まず春に珪藻(ケイソウ)という殻をもったプランクトンが大繁殖します。それが水中の栄養を使い果たすと死んで沈んで、春の層を作ります。

 

梅雨の時期になると雨が周囲の土を洗い流して湖に運んできます。これが梅雨の層です。

雨は土と共にミネラルや栄養分を運んでくるので、それらを使って今度は別の種類のプランクトンが繁殖します。それが死んで積もったのが夏の層になります。

 

秋にはまた別の珪藻が繁殖して、秋の層を作ります。

晩秋に入ると、寒くなって湖表面の水が冷やされます。冷たい水は重くなって沈みます。この時、湖底に酸素を運んでいくんですね。その酸素が湖底の鉄分と反応して、シデライトという鉱物を作ります。これが晩秋の層です。

 

冬になると中国大陸から偏西風に乗って黄砂が運ばれてきて、冬の層を形成します。

これが『理想的な』年縞です。基本的には季節の移ろいにしたがって、こんな風に年縞ができていくんですが、とはいえ、自然が作るものなので理想通りにはいきません。もう秋がきたかなっていう頃にまた夏の暑さがぶり返すようなことってあるじゃないですか。そういう時は、夏の層が1年に2枚できたりすることもあるみたいです。」

水月湖の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、平均0.7mmほど

 

――なるほど、日本の明瞭な四季に合わせて、春夏秋冬+αで形成されるんですね。マヤの年縞はどうですか?

 

「マヤ文明は、メキシコのユカタン半島を中心に栄えた文明です。この地域には、乾季と雨季、2つの季節があります。乾季には白い縞、雨季には黒い縞ができます。

まず乾季には雨が降らなくなって、湖の水が蒸発して水位が下がっていくんです。マヤ地域の地盤は石灰岩でできています。石灰岩はカルシウムを多く含んでいるので、湖の水にはカルシウムが溶け込んでいます。乾季になって湖の水位が下がると、水に溶けきれなくなったカルシウムが析出して、沈んで白い層になります。

 

雨季になると、今度は雨が降って栄養分が湖に流れ込みます。すると、その栄養を使ってプランクトンが繁殖します。だけど、湖の栄養を使い尽くしてしまうと、プランクトンは死んでしまいます。この死骸が湖底に沈んで黒い層を作ります。

 

ほかにも、雨季の層には雨が運んできた鉄やチタンがたくさん含まれています。年縞に含まれるカルシウムや鉄、チタンなど、元素の含有量を細かく調べることで、この年には干ばつが起こったとか、大雨が降ったとか、古代マヤ人が経験した当時の『お天気』までわかってしまうんです。」

所変われば年縞の状態も変わる。写真はペテシュバトゥン湖(グアテマラ)の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、なんと1cm!まさに破格の分厚さだ

 

――すごい分厚さ!これは分析のしがいがありそうですね。

 

最新の元素分析を使えば、マヤ文明が栄えた時代の1日ごとの気象データを取ることも夢じゃない!

年縞のすごいところ、それは、細かく分析すればそれだけ細かい時間での気候の変化を追えるところにある。年縞研究が古気候学のブレイクスルーと言われる所以だ。そして、それを可能にしたのが最新の分析機器なのだ。

 

――どういう方法を使って分析をするのでしょうか?

 

「過去の気候(気象)変動を細かく知るためにまず必要なのは、過去の時間をはかる正確な時計です。年縞のすごいところは、その1枚1枚が1年という時間に対応しているところです。なので、まず、肉眼や顕微鏡を使って、年縞を1枚残らず数え上げます。また、年縞に含まれる葉っぱの化石をすべて拾い上げ、そこに含まれる放射性炭素(14C)を測定します。放射性炭素は、時間の経過とともに一定の速さで減っていくという性質を持っています。なので、この性質を利用して、その葉っぱが挟まっていた年縞が何年前にできたのかを推定できるんです。これら2つの手法を数学的な方法で組み合わせることによって、きわめて精密な時計を手に入れることができるんです。

 

こうして正確に年代のわかった年縞の中に含まれる元素を、さらに細かく測定することで、その年に降った雨の量がわかります。測定には蛍光X線スキャナという装置を使います。物質にX線を当てると、ある特殊なX線(蛍光X線)が返ってきます。このX線の色や強さは、そこに含まれる元素によって違います。この装置を使えば、年縞に含まれる元素を0.1mmというピンポイントで調べることができるんです。

 

たとえば、ペテシュバトゥン湖では、厚さ1cmの年縞の中を60ミクロン(0.06mm)おきに分析しました。すると、1年あたりの測定点は、200点近くにおよびます。つまり過去何百年にもわたって、平均すると2日に1点のデータが取れたことになるんです。」

蛍光X線スキャナ。古気候学のブレイクスルーである年縞研究を支えるのは、こうした最新の分析機器なのだ

 

――何百年も前のデータが日単位で!ちょっと想像もできないすごさです。

 

「ただ、私たちが現在手にしているペテシュバトゥン湖の年縞は、過去600年ほどの時間しかカバーしていません。栄華を誇ったマヤの大都市が次々に衰退した時代(紀元後800年から1000年ごろ)には届いていないんです。2025年には、この地層を基盤まで掘り抜くことを計画しています。」

 

年縞を掘削する様子。僻地での調査では自作の道具が大活躍するそうだ

 

マヤ文明衰退と「暴れる気候」の関係は解明されるのか

2025年の掘削調査は、科研費の研究課題「『暴れる気候』と人類の過去・現在・未来」の一環として実施されるものだ。

この研究では、気候の動態には3つのモードが存在するとしている。1つ目は気候が徐々に変動する「気候変動」、2つ目が突発的に発生する「異常気象」や「極端気象」、そして3つ目が気候が慢性的に不安定化し気象災害が頻発する「暴れる気候」である。

 

――マヤ文明の衰退の前後で年縞の様子は変わっているのでしょうか?

 

「ぜんぜん違いますね。黒っぽいシマシマから白っぽいシマシマに、見た目がガラッと変わるんです。

サン・クラウディオ湖(メキシコ)で採取された年縞。サン・クラウディオの都市にマヤ人が暮らしていた時期には黒っぽい年縞が、衰退期を経て都市が放棄されてからは白っぽい年縞が堆積していることがわかる

 

ちょうどこのころ、年縞からマヤ人の『トイレの痕跡』が消えるんです。自然界には、重い窒素と軽い窒素があります。重い窒素は自然界にはほとんど存在しないんですが、食物連鎖で濃縮されるという性質を持っています。なので、食物連鎖の上位にいる人間の排泄物には重い窒素がたくさん含まれています。年縞の中に含まれる窒素の重さを測っていくことで、人間の痕跡をたどることができるんです。このトイレの痕跡が、黒っぽい縞が終わるころに、突然なくなるんです。つまり、人々がサン・クラウディオの町を放棄して、いなくなってしまったんです。これが紀元後900年ぐらい、ちょうどマヤの衰退期にあたります。

 

――そんなことまでわかるんですね。そして、高度に栄えていたマヤ文明の都市が短い期間で放棄されてだれもいなくなったというのは、なんだか背筋の寒くなる思いがします。

 

「元素の分析から、人々がサン・クラウディオの町を放棄したのと同じころ、サン・クラウディオを『暴れる気候』が襲っていたこともわかりました。つまり、当時の人々は、干ばつや大雨の頻発する時代を生きていたんです。

 

マヤ文明は、高度に発達した『すごい文明』です。ほかの古代文明と違って大河川に依存することもなく、湿った熱帯から乾燥したサバンナまで幅広い地域に繁栄することができました。つまり気候に対して強靭な適応力を持っていたんです。なのに、謎の衰退を遂げてしまった。世界最高品質のペテシュバトゥン湖の年縞を使って『暴れる気候』と文明の関係を明らかにしていきたいと思っています」

マヤ文明衰退の引き金は「暴れる気候」だったのだろうか?

 

 

「暴れる気候」がマヤ文明衰退の引き金だったかもしれないという話を聞くとき、どうしても自分たちの社会のこれからを絡めて考えずにはいられない。未曾有の気候動態を前にして文明がどう対応したのか、あるいは対応できなかったのかを探ることは、私たちの社会がこれから先どう生き延びていくのかを考えるための手がかりを、一つでも多く手もとに確保しておくことにもつながっているのだ。

珍獣図鑑(26):外来・在来論争に決着が!遺伝子解析から明らかにする、ハクビシン渡来の経路

2024年6月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第26回は「ハクビシン×増田隆一先生(北海道大学)」です。それではどうぞ。(編集部)


ハクビシン、その毛色はさまざま

ハクビシンは不思議な生息分布をした生き物である。関西・四国から東北にかけて広く生息しているけれど、中国地方ではほとんど見られず、九州と北海道(奥尻島を除く)にはまったく分布していない。しかし生息数が多い場所では、市街地にも顔を出すほどメジャーな存在だ。

 

そんな(場所によっては)身近な存在であるハクビシンには、長らく在来・外来論争が存在した。もとから日本に生息していたのか、人間によって持ち込まれたのか、意見が分かれていたのだ。その論争に決着をつけたのが、北海道大学大学院理学研究院で哺乳類を研究する増田隆一先生。

 

前述のとおり、奥尻島を除く北海道にハクビシンは生息していない。なぜあえて研究しようと思ったのだろう?

 

「東南アジアの研究者との共同研究で南国の動物も調べてきたんですが、タイで共同研究者の方に現地の自然環境とか動物園を案内してもらったときに、ハクビシンを見る機会がありました。それまで日本のハクビシンは写真で見たことがあったんですが、そのタイで見たハクビシンというのが、日本のハクビシンとずいぶん毛の色が違ったんです。タイの別の動物園で見ると、これもまた別種かと思うくらい見た目が違う。それ以来、ハクビシンが遺伝的多様性を獲得しつつ分布を広げて行った経緯が気になっていました。

 

私はイタチやキツネの研究もしていて、日本全国のいろんな動物園とか博物館から交通事故で持ち込まれた個体が標本として保存されているのを送ってもらうことがあります。そういうときに『最近ハクビシンの標本が増えてきたんですけど、なにか利用されませんか?』と聞かれることがあって、せっかくだからと送っていただいた各地のサンプルがだんだん蓄積されてきたので、日本全国のハクビシンのDNA解析に研究として取り組むことにしました」

 

なるほど、交通事故死したハクビシンの標本を有効活用できないかという提案がきっかけだったと。それにしても、日本とタイで毛の色がずいぶん違うというのはおもしろい。

 

ハクビシン、その毛色は地域によってさまざま。
左上:上野動物園のハクビシン 写真:photolibrary
左下:台湾のハクビシン(白鼻心)撮影 張仕緯博士・台湾農業部生物多様性研究所
右上:タイのハクビシン、タイ・ドゥジット動物園にて増田隆一撮影
右下:タイのハクビシン、タイ・カオキューオープン動物園にて増田隆一撮影

 

「ハクビシン(白鼻心または白鼻芯)はジャコウネコ科の動物で、おもに中国大陸の南部から東南アジアにかけた地域が生息地です。鼻から頭のてっぺんにかけて縦に白いストライプが入っていることから、日本ではこの名前で呼ばれています。

 

日本・台湾・ベトナムなどに生息しているハクビシンは、名前の通り明瞭なストライプが見られます。ところが、たとえばインドネシアのボルネオ島に生息するハクビシンは顔のストライプがなくて、ただ茶色っぽい顔をしています。かと思うとタイの動物園で見た個体は顔全体が白というか、グレーだったり。毛の色の多様性が非常に高い動物なんです」

 

地域によってはストライプが完全に消えてしまうということは、その模様には生存するうえではとくに意味はないということ?

 

「模様のもつはっきりとした意味は、ちょっとわからないです。ただ、ジャコウネコ科はさらに上位の食肉目という分類群に属するんですが、食肉目の動物には顔に模様をもつものが多いんです。身近なところだとタヌキとかアナグマとかアライグマなどです。理由はわかりませんが共通の祖先が顔に模様が入る遺伝子をもっていて、それを受け継いでいる可能性はあります」

顔の模様は仲間の証?(写真:photoAC)

 

東南アジアと東アジアの広い範囲に、いろいろな模様のバリエーションで生息しているハクビシン。日本にいること自体は不思議ではないような気もする。問題はいつ、どうやって日本にやってきたかということだ。

遺伝子を解析することで台湾から渡来したことを立証!

ハクビシンには外来種(人為的に持ち込まれた種)であるという説と在来種(人の手を頼らずに日本列島に到達し、定着した種)であるという説があったそうだけれど、まず外来種説にはどんな論拠があったのだろう?

 

「日本にいる在来の哺乳類、例えばニホンザル、ニホンイタチ、タヌキ 、キツネなどの化石は、更新世(今から約258万年前から約11,700年前までの期間。氷河の形成によって海面が下がり、日本列島と中国大陸が陸続きだった期間を含む)の後期までの地層から発見されています。それまでには大陸から渡ってきて、日本列島で生活していたはずなんです。しかしハクビシンの化石がみつかりません。また、現在日本にいるほとんどの哺乳類の骨は縄文時代の貝塚の跡から見つかるんですが、ハクビシンはこれにも見あたりません」

 

痕跡がいっさいないと。

 

「分布域も不自然です。大昔に日本にやってきたのであれば本州・四国・九州などでは一様に分布しているはずですし、事実在来種の動物の生息地域は連続的です。しかしハクビシンはポツポツと飛び石上に分布していて、最近になって生息地が広がっていっています。在来種と分布のパターンが違うじゃないかということも、外来種説を後押ししています」

近年分布域が拡大しているため、本州・九州全体に広がるのは時間の問題だとも言われるが、現状ハクビシンの分布域は在来種の動物に比べて局所的だ。環境省自然環境局生物多様性センターによる調査結果(2018年)より

 

たしかに、これは不自然。外来種説がかなり濃厚な気がするけれど、逆に在来種だとする根拠にはどんなものが?

 

「こちらは江戸時代の古文書に描かれたそれらしい動物の絵が根拠になっています。顔に縞模様があって、爪が出ていて、雑食性の動物だということが記載されています。ただ、ハクビシンという名前は書かれていません。古くからいた動物なのに、名前はついてないのか?という、この点には疑問が残ります」

 

うーん、在来種説の方はちょっと根拠として弱いような。そんな感じで分が悪い在来種説だけれど、増田先生が全国から集まったハクビシンの標本を遺伝子解析した研究によってついに決着がついたと。

 

「以前から台湾から渡来したとする説はあったんですが、遺伝子を解析することでそれが立証されたと考えています。

 

解析には、まずミトコンドリアDNAを使いました。通常、DNAというのは父親と母親の双方から半分ずつ子に渡されるのですが、ミトコンドリアDNAは例外的に100%母系、つまり母親からのみ渡されるため、家系を追跡するのに使われます。さらにミトコンドリアDNAは進化するスピードが非常に速い。近縁な集団同士でも違いを検出しやすいんです」

 

そんな都合の良いDNAがあるとは。

 

「最初に共同研究として日本と東南アジアのハクビシンを比べたんですが、両者は明らかに違いました。次に台湾のものと比較してみたところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかりました」

 

ミトコンドリアDNA解析によって導かれた台湾から日本への渡来ルート Masuda et al.(2010)および増田(2024)より

 

ミトコンドリアDNAを比較したところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかったという。

 

「このような結果から、日本のハクビシンは台湾から、それも少なくとも2つのルートで入ってきた可能性が高いと考えました。その後、ミトコンドリアDNAとは別のマイクロサテライトというDNAを使って全国の集団を調べました。これはミトコンドリアDNAと違って父親・母親の双方から受け継ぐ遺伝子です。その結果、中部・関東・四国の3つのグループが存在することがわかったんですが、台湾で見つかったグループがちょうどこの3つの中間の特徴をもっていました」

マイクロサテライトDNA解析からみた集団間の関係 Inoue et al.(2012)より

 

「それから遺伝子の多様性という点でも、日本の集団は台湾の集団よりもはるかに低いんです。これは台湾のある系統が少数日本にやってきて分散後、まだ日が浅いことの証拠だと考えられます。

 

私たちの研究室では日本在来の動物についても同じような方法で調査をしているんですが、こういうパターンを示す動物はほかにいません。日本列島に隔離されて長い年月が経過したものは、やはり大陸と比べて日本列島に特有の遺伝子の多様性を示すようになります」

 

DNAからそんなことまでわかるなんてすごい。いつどうやって持ち込まれたかまではわからないけれど、ハクビシンは外来種だと考えて間違いないようだ。

この研究については、増田先生の著書『ハクビシンの不思議: どこから来て、どこへ行くのか』(東京大学出版会)に詳しい。

外来種だとはわかったけれど......

台湾や東南アジアのような温暖な地域からやってきたにも関わらず、今日では青森(加えて、飛び地的に奥尻島)まで生息地を広げているハクビシン。意外に寒さに強いのだろうか?

 

「冬場は、おそらく民家の天井裏のような人の生活する場に近いところにいると思います。そういった場所は比較的暖かいですから。食べ物は人が出したゴミを漁ったりして、人に依存して生活することによって厳しい冬をしのいでいるんじゃないかと」

 

さすが、適応力が高い。日本の在来の生態系にも影響を与えそうだ。

 

「体のバランスをとるための長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意です。対して、日本在来の動物で性質の近いものだとタヌキやアナグマが思い浮かびますが、これらは木登りが苦手なので、生息場所としては住み分けができてるのかなと。

 

ただ、ハクビシンは食肉目といいつつもっとも好んで食べるのは果実なんです。そして果実はタヌキやアナグマなども食べますから、食べ物の点では競合してしまうでしょうね」

長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意。その能力を活かして、都会では電線を伝って移動することも。(写真:photoAC)

 

果物、好きなのか。農家からは害獣扱いされるのも納得かも。

 

「果物を食べる性質を利用して、東南アジアや台湾では特別なコーヒー作りもされていますよ。インドネシアの言葉でコピ・ルアクと言いますが、コーヒーの実をジャコウネコ科の動物に食べさせて、未消化で出てきた種(たね)をコーヒー豆として焙煎して利用するんです。使われる動物は主にジャコウネコの仲間で、ハクビシンが使われることもあります。腸内で起こる消化と発酵の作用で、マイルドで独特な風味がつくようです。

 

日本で真似するのは難しいかもしれませんが、果実を食べたハクビシンが遠くに行って、種の入った糞をすることで、植物の種子が広がることは考えられます。種子散布者といって、植物の分布や森林の範囲を広げる役割を生態系の中で果たす可能性はあるんです」

 

なるほど、在来の自然を守るという意味では外来種はいない方がいいけれど、定着してしまった以上は生態系における役割にも目を向ける必要があるということか。

 

「ここまで生息地が広がってしまった以上、ハクビシンを完全に駆除するということは難しいでしょうから、農作物や人家への被害を最小限におさえて共存していくしかないと思うんです。

 

それは研究の上でも同じことで、日本列島において現在進行形で分布を広げているハクビシンは貴重な知見を与えてくれます。かれらを研究することが、在来種の歴史やひいては日本列島の自然史を考えることにつながっていくんじゃないかと考えています」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】ハクビシン

東南アジアから中国南部にかけて自然分布。日本には、台湾から人為的に持ち込まれたことが遺伝子解析により判明。ハクビシンという名は鼻に白いストライプがあることに由来するが、毛の色の多様性が高く、東南アジアに生息するグループではストライプのないものも。長くて太い尾をもち、樹上生活が得意。雑食だが、特に果物が大好き。

ブックレビュー(4):「やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち」

2024年6月4日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。

第4弾は、珍獣図鑑(20):草地に住む巣作り名人、カヤネズミ。保全のための奇策は川柳?で河川敷で暮らすカヤネズミについて教えてくださった畠佐代子先生の共著書、『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)を取り上げます。(編集部)


 

「やぶこぎ」という言葉に馴染みがない人もいるかもしれない。漢字で「藪漕ぎ」と書いたら、少しわかりやすくなるだろうか。人の背丈よりも高い草が生い茂る藪の中を、両手でガサガサとかき分けながら歩くことを表す言葉だ。ライターとは別に生き物の調査に従事することもある筆者(岡本)は藪の中に分け入る機会も多いのだが、押しのけた草の反発力で逆にこちらが押し戻されそうになるときは、まさに「漕ぐ」という言葉がふさわしいなと感じたりする。

 

自分でも一日中藪漕ぎした経験があるだけに、今回紹介する『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』という絵本には思わず「あるある!」と膝を打つ場面が多かった。カヤネズミ研究者として以前ほとゼロで取材させていただいた畠佐代子先生が紹介するのは、河川敷に生い茂る草むらを隠れ家として暮らす生き物たちの世界、そして藪漕ぎによってそこへ踏み込んでいく観察者の姿である。長年河川とその周辺のフィールドで研究を続けてきた畠先生がこれまでに出会ってきた景色、生き物、そしてそれらの移ろいゆく姿が、イラストレーターのモリナガ・ヨウさんの手による水彩画として浮かび上がる。そのタッチはとても優しく、魅力的だ。

フィールドの風景がそのまま絵本に。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

筆者は畠先生ともご縁があって、何度か河川敷の調査をご一緒させていただいたことがある。先生がカヤネズミの調査をしておられるフィールドも教えていただいた。だから1ページ目をめくって「あ!」と驚いた。なんだか見覚えのある川の風景が、もちろん個別の景色を覚えているわけはないのだが、見開きで広がっていたのだ。普段はそれほど意識していなくても、あらためてイラストとして提示されると、一口に川と言ってもそれぞれにずいぶん個性があるのだなと気付かされる。

 

川だけではなく登場する動物たちも魅力的だ。カヤネズミとハタネズミのような描き分けにくいモチーフも、シンプルな線のなかでそれぞれの個性がきっちりと表現されている。絵本の製作にあたって畠先生と一緒に藪漕ぎをしたというモリナガ・ヨウさんの力量というほかない。『やぶこぎ』にはアオサギのような大きくて有名なものから、土の下にいるのでほぼ目にする機会のないコウベモグラまで、さまざまな生き物が紹介されている。海や山に比べて決して広くはない河川敷のスペースが、これほど多くの生き物の住処になっていたのかと驚くばかりだ。

 

近年河川敷の草地が直面している問題に紙幅を割いているのも注目すべきポイントだ。植物ならオオアレチノギクやアレチウリ、動物ならミシシッピアカミミガメといった外来生物が爆発的に増殖する外来種の問題。それから、河川改修が進んだことで大水が起こりにくくなって生じる問題。大水が起こらない、というのは一見するとよいことのように思えるけれど、定期的に水に浸かることのなくなった土地は樹林化が進んで、ほっておくと草地ではなくなってしまう。カヤネズミの記事でも紹介したとおり、温暖多湿で木の育ちやすい日本列島の環境では草地とそこに暮らす生き物はとても貴重なのだ。

背より高い草に四方を囲まれて思わず空を見上げる。藪漕ぎ中の「あるある」だ。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

この本の見どころについて紹介してきたが、筆者が一番注目してほしいところというか、「やぶこぎ」をして「これは……!」と息を飲んだのは、その空気感だ。藪に入った者が感じる世界観と言ってもいい。

 

藪という日本語は、芥川龍之介の小説『藪の中』のように昔からどこか常の人間の世界から離れたところにあるもの、中でなにがどうなっているのかわからない不可知なものというニュアンスで使われてきた。道も目印もないだだっ広い河川敷のオギ原に飛び込んだ者は、大げさかもしれないがその「人間の世界」から切り離された感覚を味わうことになる。実際に藪漕ぎをしたことのある筆者の実体験である。

 

自分の背よりも高いオギやヨシのカーテンに四方を遮られれば、自分がどこにいるのか、どちらを向いているのか、それどころか1m先に何があるのかさえはっきりしなくなる。町からさほど離れていないはずなのに、その喧噪はとても遠い。見上げると、視界の端をオギの葉の緑に切り取られた青い空が広がっていて、生き物を追いかけているうちに自分の足跡を見失ったかつての筆者は「ここで死んでもだれにも気付いてもらえないんだろうな」などと怖いことを考えもしたのだった。少し心細かったけれど、人間の世界から離れてカヤネズミをはじめとする草むらの世界に適応した生き物たちの世界にお邪魔させてもらっているのだと思うと、同時に胸の高鳴りを覚えた。

 

『やぶこぎ』はそんな非日常な体験の一端を垣間見させてくれる。これから河川敷のフィールドに行ってみようという人にも、かつて行ったことがある人にもオススメできる一冊だ。

 

佐代子先生からのコメント

人の背丈をはるかに越えるオギをかき分けて歩くと、たくさんの生き物に出会います。オギやヨシが生える河川敷の草はらは、私たちの身近にある自然ですが、普段注意を払う人はあまり多くありません。そのことをとても残念に思っています。子どもたちに、河川敷の草はらの魅力を伝えたい、そして生き物たちに興味を持ってほしいと思ったのが、この絵本を作るきっかけになりました。でもよいことばかりではなく、樹林化や外来種問題など、全国の河川が抱えている問題もぜひ知ってほしい。そうした私のさまざまな思いを、モリナガ・ヨウさんの繊細なタッチで形にしていただきました。絵本は初夏の河川敷をメインに扱っていますが、巻末に河川敷の四季や樹林化などの解説を入れましたので、大人の方も楽しめる内容になっていると思います。

 

モリナガ・ヨウさんからのコメント

自然系の絵本を一冊全部手掛けるのは初めての経験でした。写真をトレースして草やぶを描こうと思えば大変な手間ですが、フィールドに足を運んで植物を持ち帰り、実物の構造を一回身体に覚え込ませて、あとはその繰り返しという描き方にしたのがかえって近道でした。動物パートは、野生のものを描くのは大変なので動物園がたよりでした。けれどコロナ禍で休園してしまい、再開するやいなやスケッチブックを持って駆けつけたのもいい思い出です。絵本作りは準備期間も含め数年がかりの作業で、その間に絵本の舞台となった畠先生のフィールドも移り変わっていきます。取材写真を見ながら「この葉っぱも虫ももういないんだな」と少し不思議な気分になることもありました。

夕方になって絵本が終わる場面で背景に山の稜線が描かれています。畠先生のフィールドからの景色そのままなのですが、関西出身の友人たちから「舞台は木津川?桂川?」と絞られびっくりしました。関東民の自分にはない感覚です。

 

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