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動物の死体に湧いたウジを全部数える。死体を巡る生き物たちの意外な営みについて日本大学の橋詰茜さんに聞いた

2024年10月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「アライグマの死体に湧いた数万匹のウジを全部回収した研究者がいる!」そんな驚きの投稿がXで話題になりました。注目されたのは日本大学生物資源科学研究科の博士課程に在籍する橋詰茜さんの研究ですが、意外なことに当初は死体を食べにくる動物を観察するだけで、ウジを調べるつもりはなかったそうです。ウジを数えるにいたった経緯をうかがうと、その背景には「死体」という資源を舞台に複雑に絡み合う、多種多様な生き物たちの営みがあることがわかってきました。 指導教員の中島啓裕先生(日本大学生物資源科学部動物学科 准教授)にも同席していただいたインタビューの模様をどうぞ!

 

※編集部注:本文中に動物の死骸やウジの画像が登場します。苦手な方はご注意ください。

 

橋詰茜さん(左)と、指導教官の中島啓裕先生(右)

自動撮影カメラでなにかやろう!から研究が始まった

 

――動物の死体利用というテーマで研究をされようと思ったきっかけっていうのは、どういったことだったんでしょうか?

 

橋詰:中島先生の研究室がもともと自動撮影カメラを使った研究をされていたので、私も卒業研究ではカメラを使った研究テーマに取り組むつもりでした。ただ、なかなか具体的なことを思いつかなくて悩んでいたんですが、先生の方から「カメラの前に死体を置いてみるのはどう」とアドバイスをもらって。直感的に「あ、それおもしろそう」と感じたのがはじまりですね。

赤外線センサーで動物の接近を検知して自動で静止画像や動画を撮影してくれる自動撮影カメラの登場によって、これまではきわめて難しかった野生環境下での動物の行動観察ができるようになった。

 

――目的よりも自動撮影カメラという手段がはじめにあったんですね。

 

橋詰:実際に研究を始める前にいろいろ調べていて、動物写真家の宮崎学さんの写真集に出会ったんですが、宮崎さんも一眼レフを自分で改造して自動撮影できるようにしたものを使っておられたんです。野外で死んだシカなどの動物が分解されていく様子を撮った写真もあって、死体にいろいろな生き物が寄ってきて最後に骨になるまでのプロセスが一枚一枚綺麗な写真で並んでるんですけどそれを見ているとすごくワクワクしました。自分の研究でもこんな写真が撮れるのかなとか思いながら、でも最初はそういう大きな動物の死体を手に入れることができないので、ヘビの餌用の冷凍マウスを購入して、卒業研究ではそれを野外に置いてどうなるのか観察しました。

 

――たしかに、死体を手に入れるのはなかなか大変そうです。ネズミは、どんな感じで分解されたんでしょう?

 

橋詰:クマとかタヌキとかテンとか、食肉目の動物がやってはくるんですが、分解というよりはその場でさっと食べてしまったり、どこかへ持ち去ってしまう感じでした。なので結論としては「いろいろな食肉目が来るんだな」ということで卒業論文もまとめたんですが、やっぱりもっと大きな死体だとどうなるんだろうということが気になるようになってきて。運の良いことに、ちょうど修士課程に進んだタイミングで中島先生の大学時代のお知り合いの方から駆除されたアライグマの死体をいただけることになったんです。そこから、食肉目の死体の分解に研究が進むことになりました。

動物が死体を食べに来ない!

アライグマの死体が確保できたことで、念願の「大きな死体が野外で分解される様子」を観察できるようになった橋詰さん。しかし得られた結果は予想と大きく違うものだったという。

 

橋詰:初めは、いろんな動物が食べにきて、 そこで奪い合ったりする様子が映るんだろうと思っていたし、そういうのを観察したかったんですけど、いざデータを回収して見てみたら、もう全然来なくて。

あっという間にハエの幼虫、いわゆるウジが湧いて分解されちゃって、その残りカスをちょっとだけ動物が食べるみたいな感じでした。なので最初は期待外れだなと残念に思ってました。

アライグマの死体を利用できるようになったことで、満を持して動物の死体が分解される過程を観察できるようになった。

 

――死体は食肉目の動物に食べられていると予想していたのに、実際はほとんどウジに食べられていたということですね。

 

橋詰:そうなんです。

自動撮影カメラを使った観察とは別に、死体がどう分解されるのか実地での経過観察もしていて、本当にあっという間にウジが湧いて、時期にもよりますが1週間くらいで骨になってしまうんです。

法医学の世界では、野外に放置された死体がどういうふうに分解されていくかっていうのを、これは死亡してからの時間の経過を特定するためなんですけど、細かく研究されていて、ウジが分解をそうとう早めているという見解があるようです。

それで、博士課程に進む前にいったん日大の事務職に就職したんですが、その間もデータは取り続けていて、修士の2年間と合わせて全部で4年分のデータが貯まっていました。その間死体に食肉目が来ることはなくはないけれど、ウジに食べ尽くされることの方が圧倒的に多かったんです。で、それらを論文にまとめようとしていた頃に、ちょうどスペインのモレオンという研究者の研究で「食肉目は食肉目の死体を食べない」っていう論文が出て、それを読んで「なんじゃこりゃ!」ってなりました。

 

――それはまた数奇なタイミング……。

 

橋詰:腐敗した死体を食べることによる病原菌の感染を嫌がってるとか、あるいは昆虫による分解が早すぎて競争に負けちゃってるとか、「微生物、昆虫、食肉目による早い者勝ちの分解競争」というストーリーをわれわれは考えてたんです。でもその論文は、死体の鮮度に関係なく食肉目は食肉目を食べることを避けると主張していて。初めそれを読んだ時は、とんでもない向かい風を受けたような気がしました。

ただ、食肉目とそれ以外の死体では野外における分解のプロセスが違うんだという視点をその論文からもらったのと、中島先生とも議論したりしているうちに、逆に「死体を食べに来なかったこと」を突き詰めたほうが研究に広がりを見出せるんじゃないかと感じるようになってきたんです。

 

中島:われわれの観察でも、食肉目は食肉目をほぼ食べない、食べるとしても腐敗しきったものを少しだけ食べるというのは4年間共通してたんですよね。鹿のような草食獣の死体だったら、腐ってても腐ってなくてもちゃんと食べるんです。やっぱりこれは何かあるだろうと。

近縁種を食べることへの忌避っていうのは、共通する病原体への感染リスクを避けるためにもそういう形質が進化してきたのではないかということは予想できます。でも時間がたってウジが1回湧いた後だったらセーフになるというあたりも、本当に面白いと思いました。

さらに食肉目に食われないということは、それだけ長い期間死体が残存することで、そこにウジが湧いて生態系により広く還元されるような期間になっていることがストーリーとして見えてきたんです。

 

――予想外の結果が出たけれど、でもそのおかげで違う切り口のストーリーが見えてきたと。同じ現象を観察していてもとらえ方によってピンチにもチャンスにもなるということですか。着眼点って大事ですね。

鳥がウジをついばみに来た!

新たな視点を得て、思いがけない方向に広がりを見せた研究。橋詰さんが注目したのは、食肉目の死体に湧いたウジと、ウジを食べに来た鳥だ。

 

橋詰:鳥がウジを食べに来ていること自体は、最初の観察からわかっていたので、どれぐらい食べているかを調べてみようと思ったんです。動物に食べられないように囲った場所に、水を張った子供用プールを設置して、アライグマの死体を中心に置いて、分散していくウジが死体の外に出た時に水に溺れるので、それを網で回収して一部をひたすら並べて数えて、重さの比から数を推定しました。それで、4kgの死体から約24万頭のウジが発生するということがわかりました。

子供用プールを使ってウジを回収する

プールから回収したウジ

 

――うわ!多い!めちゃくちゃたいへんそうです。

 

橋詰:鳥の方は動画を観察して、ウジをつつく回数を数えました。そうすると意外にも鳥に食べられるのは全体の1パーセント程度でしかないということがわかったんです。

ウジは肉を食べながらどんどん成長していって、三齢幼虫(蛹になる前段階)になってから死体の表面にしばらくとどまって、あるタイミングでいっせいに蛹になるために死体から分散していくんです。で、鳥がウジを食べるとき、死体の上にうじゃうじゃいるウジには手をつけなくて、分散を始めてから死体の外に散り散りになっているのをちまちま食べているっていう、非効率なことをしていることがわかりました。

ウジは蛹になる前に食べた死肉を全部消化して排泄して消化管を空っぽにすることが知られていて、そういうクリーンになったタイミングで食べようとしてるんじゃないかと考えています。

ウジをついばみに来た鳥(自動撮影カメラによる映像)

 

中島:食肉目に食われなかった死体が生態系に残存して、代わりにウジが湧いて、そのウジを鳥が食べに来ました……だったらストーリーとしてはすごくわかりやすいんですけど、もう一段挟まってて、鳥にとっても死体に湧いたウジって、寄生虫や病原菌のリスクのある存在で、なかなか食べないんですよね。

死体ってそういうリスクが支配する空間になっていて、死体という栄養たっぷりの資源がどう配分されていくかも、リスク依存で決まっている。これは今まで生態学者があまり考えてこなかったことです。

鳥は腐肉にはなるべく触りたくない、でもウジは食べたい。だから分散したところを狙う。問題は、なぜ鳥はそれを知っているかなんです。そうやってウジを食べに来るのは幼鳥ばかりで、死体のそばのウジを食ってお腹を下した経験をしてる個体がそんなにいるはずないじゃないですか。死体が危ない存在であるってことを後天的か先天的かわかりませんが知っていて、我々と同じように例えば死臭でそれを感知して避けるということをしているんです。

動物がリスクを察知して回避する行動の研究は、死体研究とは別の文脈でいくつもされていて、例えば飼育下の霊長類が糞を拒否する行動とかですね。匂いはしないけど見た目は糞そっくりなものを人工的に作って置いておくと、そういうのもちゃんと嫌がるんです。

われわれも蓮の実のぶつぶつを気持ち悪がったりしますが、あれは皮膚病にかかった皮膚の患部がああいう様相を呈することがあって、そういうものと結びつけて人間が感知してしまうからじゃないかと言われています。そういうリスク検知の誤作動が差別にまで繋がっていくこともあります。われわれは生態系の中での死体利用という小さなところから研究を始めたんですが、そのパースペクティブがどんどん広がっていって、どの切り口からまとめるのがいいのか考えるのは難しいんだけど、すごくおもしろいと思います。

 

蓮の実のブツブツを見るとゾワッとする、あるいは腐ったものの匂いを嗅ぐと気分が悪くなるような感覚が人間にはある。同じようなものを動物たちも持っているのかもしれない。(画像出典:phtolibrary https://www.photolibrary.jp

 

――今はまだ表に出しづらい情報かもしれませんが、橋詰さんとしては今後どういう方向に研究を進展させていきたいですか?

 

橋詰:鳥とウジの関係以外にもこれまでいろんなことを観察していて、そのあたりのデータを整理して、ひとつずつ論文にしていきたいです。

ひとつは、食肉目の死体は食肉目に食べられない上に、湧いたウジもほとんどが食べられずに成虫になります。つまりたくさんのハエが繁殖できるような資源なんです。

アメリカのイエローストーンでハエを大量に捕まえて調べた研究だと、ハエの成虫に含まれる安定同位体を調べるとそいつがどういう死体由来で繁殖したかっていうのがわかるんですけど、たくさん草食動物いるはずなのに大部分が肉食動物由来のハエだったという結果が報告されています。おそらく、そういうことがいろんな場所で起こっていて、ハエはハチやチョウに比べて気温が低い時でも活動できるので、春先や冬に花を咲かせる植物の花粉媒介者として機能してるのかもなと思っています。そういう食肉目の死体の波及効果を調べてみたいですね。

 

――それが立証されたら、すごくおもしろいですね。生態系のピースがうまく噛み合っているというか。

 

橋詰:生物学では、研究者ごとに専門とする生き物の領域がある程度決まっていることが多いんですが、私はやっていくうちに知りたいことがどんどん増えてきちゃって。なんかちょっと収拾はつかなくなってるかもしれませんが、生き物と生き物の繋がりが分類群を越えて見えてくるといいなと思います。

死体を扱うのはたいへん。でも、思わぬ体験も

研究の発展性やおもしろさについて熱弁してくれた橋詰さん。一方で、当然そこには死体を扱うが故の困難も。

 

橋詰:アライグマの死体を直接観察した時はもうめちゃめちゃ臭くてびっくりしました。50メートルぐらい離れていてもそこに死体があるのがわかるぐらい。私はそこまで抵抗はなかったんですけど、臭いに対する感性って人それぞれで、一緒に手伝ってくれる人が辛そうにしてて申し訳ないことはありました。

ただ、現物を目の前にしているが故の体験もあって、死体の重さを測っているときにウジの山から熱気を感じて、手袋した状態で手を突っ込んでみたんです。そうしたらウジがめっちゃ熱かったんです。あとでちゃんと計測してみたら50度ぐらいの熱があって、それ自体はすでに知られている現象だったんですが、なんのためにそういうことになるのかはまだわかっていないみたいで。

死体に湧いたウジが熱をもつ。直接観察していたからこそ気がつけた現象だ。

死体に湧いたウジが熱をもつ。直接観察していたからこそ気がつけた現象だ。

サーモグラフィーでとらえた発熱の様子(下段の6~9日目)

 

――ウジが熱を! 死体が分解される現象自体は小学校の理科の教科書にも載っている生態系の基本的な現象だけど、実際はものすごく複雑なことが同時多発的に起こっているんですね。知れば知るほど興味が湧いてきます。

 

中島:こういうマイナーな研究がSNSで反響をもらったことも、今言われたことと関連がある気がします。

死体は普通、忌避されるような対象じゃないですか。病気を持ってるかもしれない、そもそも汚い。でもだからこそ、そういうものに対する興味を人間は無意識に持つんじゃないかと思うんです。

それにこの研究は生物と生物の間の繋がりの研究じゃないですか。日常生活では気づけないような繋がりや関係性が実は世の中には溢れていて、それを知ることで、自分を取り巻く世界が豊かになった気が少なくとも僕はするんですよね。

知らないところでそんな世界があったんだと思ってもらえる人が1人でもいたら、僕はSNSを使う意義っていうのはあるんじゃないかと思っています。

 

 

死体は、それを見つけた生き物にただ食べられて終わりではない。死体を舞台にした種々の生き物の営みが複雑に絡み合って、死体のもっていたエネルギーは立ち昇る煙が薄れるようにしてじわじわと拡散しながら生態系へと帰っていく。そこには、まだまだ解明されていない秘密が山積しているのだ。

中島先生が最後に言われたように、生きることの地続きにある死というものへの関心を、人間はみんな持っていると思う。

奇しくも、お盆休み中の貴重な時間をいただいてのインタビューだったこともあって、話をうかがいながら命というものの行末に思いを馳せずにはいられないのだった。

 

 

紫式部も食べた味?幻の甘味「甘葛煎」復活秘話を奈良女子大学の前川佳代先生に聞いてきた

2024年9月3日 / 大学発商品を追え!, 大学の知をのぞく

今、「源氏物語」が熱い。作者である紫式部の生涯を描いた大河ドラマ「光る君へ」放送の賜物である。そんな「光る君へ」や「源氏物語」には「椿餅」というお菓子が登場する。最古の和菓子であり、現在も和菓子店で見かけることのある椿餅は、気軽に平安時代の味を味わえることもあって、目端が利く視聴者の間で話題になったのだとか。

ただ、平安時代の椿餅と現代の椿餅では材料に決定的な違いがある。それは、最も大切な“甘さ”を出すための甘味料だ。砂糖は現代でこそそこらじゅうに溢れているけれど、平安時代にはとても貴重なもので、食べ物というよりは薬として使われていたようだ。では何で甘味をつけていたのだろう?

そこで登場するのが、甘葛煎(あまづらせん)である。

 

甘葛煎について残されている記録は多くないけれど、その中には清少納言の「枕草子」や「今昔物語集」所収の「芋粥」といった、いわゆる有名どころの古典作品も含まれている。それほど貴族社会に浸透していた甘葛煎ではあるものの、その製造は海外からの砂糖流入の増加にともない急速に廃れていった。江戸時代にはすでに原材料・製造方法ともに不明のロスト・テクノロジーになっていたという。

 

そんな甘葛煎の原料・製法を突き止め、現代に復活させようとしているのが、奈良女子大学の前川佳代先生を筆頭とするグループだ。そもそも甘葛煎の正体は何だったのか?現代人が食べても美味しいと感じるものなのか?今、甘葛煎を普及させる意味とは?尽きない疑問を抱えて、お話を伺いに奈良女子大学にお邪魔してきた。

奈良女子大学の正門

奈良女子大学へ。

幻の甘味、その正体は意外に身近な植物だった

――よろしくお願いします。さっそくですが、甘葛煎の正体はなんだったんでしょうか?

 

ナツヅタ(ツタ)という植物は冬になると樹液に糖分を貯め込み、その糖度は最高で20%以上にもなります。これを採取して、煮詰めて5〜10倍に濃縮したものが甘葛煎だと私たちは考えています。

 

――ツタ!ツタにそんなに糖分があるとは意外です。

 

煮詰めていないものは「甘葛汁」や「みせん」と呼ばれ、これも料理に使ったり、そのまま飲むこともあったようです。

今昔物語集に『芋粥』というお話が収録されています。これは、宴席で少量お裾分けされた芋粥を一度でいいから飽きるほど食べてみたいという願望をもった下級役人の話なんですけど、ここで出てくる芋粥という料理は薄く切った山芋を「みせん」で煮たものだったと考えています。

再現した甘葛煎をはじめとして、テーブルに広げられたさまざまな資料を交えつつこちらの疑問に答えてくださった前川佳代先生。

 

――『芋粥』は芥川龍之介の同名の小説のもとになったお話ですよね。そこにも登場していたとは。当時はポピュラーな食材だったのでしょうか?

 

甘葛煎が市場で売られていたという記録はあるんですけれども、現代の我々が砂糖を使うような感覚で庶民が口にできていたかというと、それはないと思います。

ただ貴族社会においては普及していたようで、というのも日本各地で生産させて税金として納めさせていたようなんです。北は現在の山形から南は鹿児島まで、生産されていたという記録が残っているんです。

 

――そんなに大規模に生産されてたんですか!でも、ということはナツヅタという植物自体はそれほど珍しいものではない?

 

まったく珍しい植物ではないです。なんなら本学(奈良女子大学)のキャンパスにも生えてますよ。すぐそこなのでちょっと見に行きましょうか。

 

取材地のカフェテリアを出てキャンパスに繰り出す一同。「あれです」と言って立ち止まった前川先生が指をさす先には、ツタに巻きつかれた立派なクスノキが。

大きな葉をつけて木に絡みつくツタが、甘葛煎の材料になるナツヅタだ。

ツタ本体も太い。左のツタが途中で切れているが、これは以前、甘葛煎作りをした時に伐採したものだそう。

前川先生いわく「恐竜の足跡みたい」な形の葉が特徴だ。

「こうして見るとあちこちにありますね!」

 

あちこちに生えるナツヅタを見てから、ふたたびカフェテリアに戻ってきた。

 

――キャンパス内のあちこちに生えていました。言われてみれば、意識しないだけでうちの近くにも生えているのを見たことがあるような気もします。こんな身近なものにそんな利用法があったなんて。

 

甘葛煎作りはナツヅタの糖度が上昇する真冬に行うんですが、とにかく寒いんですよね。それで休憩のときに焚き火をしていて、樹液をとった後のナツヅタを火にくべたら、煙にのってかすかに甘い香が周囲に立ち込めて。「これじゃん!」ってみんなで大はしゃぎしました。火にくべたナツヅタからジュワジュワ出てきた樹液を舐めてみた、勇気ある最初の一人がいたんだろうなって。

 

――煙まで甘いってすごいですね!昔の人はそうやってナツヅタの甘さを見つけたのかもしれないと。前川先生たちは、どうやってナツヅタに辿り着いたんですか?

 

ナツヅタが材料だと特定して、現代で最初に甘葛煎作りを成功させたのはじつは我々ではなくて、もとは北九州市で小倉薬草研究会という会の会長をしておられた石橋顕先生の研究でした。

石橋先生以前にも、江戸時代末期の紀州藩で藩医をしていた畔田伴存(くろだ ともあり)がツタで甘葛煎を再現したり、昭和初期の植物病理学者である白井光太郎(しらい みつたろう)がツタ原料説を提唱していた記録が残っていて、石橋先生はそうした文献を参考にしつつ甘葛煎作りをしておられたんです。

はじめ、我々が石橋先生に連絡をとって甘葛煎作りを教えていただきたいとお願いした時に、「そういう連絡をいただくことは多いんだけど、最後までやり遂げてくれる人はなかなかいないし、材料探しもたいへんだから……」というようなことを言われて断られそうになってしまって。

ただ、そう言われてキャンパス内を散策してみたらそこらじゅうでナツヅタが見つかって。これならいけるんじゃないかということで再度お願いしたら了承をいただけて、2011年に先生をキャンパスにお招きして教授していただいたんです。

 

――断続的に甘葛煎作りを再現しようとする人が現れるんですね。

 

そうなんですよ。作ろうとしてみる人はいる。ただそれが広まることはなくて、どうしても個人の営みに終始してしまうんです。

最初、我々も一回再現したらそれでおしまいのつもりでした。これはあくまで石橋先生の研究だったので。ただ、そのあと石橋先生も亡くなられて、このままじゃまた忘れ去られるぞということになって。

空気ポンプを使ってツタから樹液を押し出す石橋氏発案のやり方に代わって、現在採用されているのが遠心力を使った樹液採取法、名付けて「あまづらブンブン」だ。適当な長さに切ったツタの片側にビニール袋をかぶせて、手でもってブンブン振り回す。遠心力で断面から溢れた樹液がビニール袋に貯まる仕組み。

ナツヅタの断面を観察すると、細かい穴が無数に開いているのがわかる。ここから樹液が溢れてくるのだ。満月のタイミングで伐採すると樹液の量が増えることなど、長く続けることでツタのもつ不思議な性質もわかってきたのだそう。

 

それで、せっかくよみがえった甘葛煎がまた消滅しないように、甘葛煎を実際に作ってみるワークショップを各地でやっています。甘葛煎を作るには、大人30人で一日がかり。樹液を1ℓあつめても、それを煮詰めると100ccくらいにしかなりません。真冬に作業をするので、甘みを求める大変さとそれに従事したであろう農民たち、対して労力なしでその成果を得られる貴族たちがいた世界のことを、参加者には身をもって体感していただくことになります。もちろん、その美味しさもですね。この体験は、社会や理科、食育といった学習にもつながるので、大変な作業は大人が段取りして、小学校の総合学習の時間にお邪魔したこともありました。奈良では、奈良を愛する「奈良あまづらせん再現プロジェクト」のメンバーで毎年再現しています。

甘葛煎は作った人しか食べられませんが、より多くの方々に甘葛煎の味を味わっていただきたいという思いで、甘葛煎の味わいに極力近づけた甘味料の開発にも取り組んできました。念願の「甘葛シロップ」は昨年完成し、奈良市内のお店で販売しています。

 

せっかくなので本物の甘葛煎と甘葛シロップ、舐め比べてみますか?

 

――いいんですか!貴重なものなのに。

 

せっかくですから。

各地で開催したワークショップで作った甘葛煎。それぞれ微妙に色が違うけれど、おしなべて黄色っぽい、蜂蜜みたいな色だ。

甘葛煎と甘葛シロップ、その味は……?

小さな匙で、ほんの少しすくって口に運ぶ。樹液と聞いてからメープルシロップみたいな味を想像していたのに、実際はもっと癖のない、黄金糖みたいな香ばしさのある甘さが舌に広がった。と、その味は後を引かずにスッと消えてなくなった。しつこくなく、植物の汁を煮詰めただけとは思えないくらい雑味のない、上品な潔さのある味だと思った。

そしてこちらが、甘葛煎を再現して作った「甘葛シロップ」(右端の瓶は平成10年産の本物の甘葛煎)。小規模生産なこともあって、ロットによって色が少しずつ違うんだとか。

 

続いては、甘葛煎の味わいを再現して作った市販品の「甘葛シロップ」。こちらは紙コップに少量注いでいただく。本物より少し甘味が強くて果物的な酸味がある気がするけれど、これは一度に口に含んだ量が多いからだろうか。

甘葛煎にあった、口の中に広がった甘さが間を置かずにスッと消えていく感じ。この不思議な感触が一番の特徴だと思うのだけれど、甘葛シロップにもちゃんとその不思議な「スッ」感があった。

 

――どちらも美味しいです。甘葛シロップは、甘葛煎の後を引かない不思議な甘さが再現されてますね。どうやって作っているんでしょう?

 

成分分析をしまして、まず甘味成分。個体差はありますが、ショ糖、果糖、ブドウ糖がおおよそ3:1:1の割合で含まれていることがわかりました。ですが、単にそれらを混ぜてもただ甘いだけにしかならなくて。甘葛煎の、糖度がとても高いにも関わらず甘さが引いていく秘密はなんなんだろうという課題が残りました。

2017年に予算がついて、糖以外の成分についても分析をした結果、どうもタンニンが効いているんじゃないかということになったんです。タンニンって渋味とか苦味の成分なので、それが甘味をマスキングしているんじゃないかと。

それで、いろいろなタンニンを試しているうちに、「あ、これ近いかも」と感じるものがあって、それがなんと柿渋だったんです。

 

――柿渋!柿と言えば奈良の名産品ですが、その柿のタンニンが甘葛煎再現にぴったりだったと。偶然なんでしょうが、不思議な話ですね。

 

本当に。成分分析をお願いした奈良県農業研究開発センターの濱崎さんがおっしゃるには、タンニンというのは何千種類もあるそうで、柿渋がうまく合ったのは奇跡的なことだそうです。

ただ、それでも本物との微妙な違いはまだありますね。理想を言えば、ナツヅタからタンニンを抽出して添加できれば一番なんですが、それだと食品として販売するためのハードルがすごく上がってしまって。味的に近いものができたとは思いますが、さらに改良していきたいですね。

一押しの甘葛煎メニューは枕草子にも出てきたかき氷(削り氷)だ。(写真提供:前川佳代先生)

古代の人々の感性や思考を、私たちと地続きに感じてほしい

――甘葛煎復活にそこまで熱心に取り組んでおられる理由はなんなのでしょうか?

 

今我々のいる場所を俯瞰的に見て、歴史の地続きであることを感じてもらいたいんです。1000年前の世界って、現代とは完全な別天地というか、ほぼファンタジーの世界とその住人みたいにとらえられてるんじゃないかと思うことがあるんです。でも実際はそうではありません。

甘葛煎についての記述は清少納言の「枕草子」にもあって、そこでは「けずりひ(削り氷)にあまづら入れて新しきかなまり(金碗)に入れたる」(削った氷に甘葛煎をかけて金属の器に盛ったもの)が「あてなるもの」(高貴で上品なもの)とされています。これは今のところ日本最古のかき氷の記録です。彼らは冬に作った氷を氷室で夏まで保存することを知っていたし、ナツヅタの樹液から甘葛煎を作ることも知っていたし、暑いときに氷菓を食べる贅沢も知っていたんです(贅沢だと思っていたかどうかはわかりませんが)。

現代ってすごく便利な時代で、そこに慣れてしまうとどうしても歴史の世界に対して上から目線になってしまうというか、「昔は酷い生活をしていたんだろうな」「昔の人はなにもわかってなかったんだろうな」みたいな見方をしてしまうと思うんです。でもそうじゃなくて、昔の人は身の回りの現象を理解していたし、不味いものを食べていたわけでもなかった。思考力や感性が現代人と比べて劣るわけではなかった。

 

――たしかに。古典を読んでると、感受性や観察力なんかはむしろ昔の人の方が高かったんじゃないかと思うことすらあります。

 

ナツヅタは米や野菜と違って品種改良されていないので、甘葛煎の味も1000年前とほぼ変わっていないはずです。その甘葛煎がこんなに美味しい。古代の貴族たちと味覚を共有することで、昔の人たちも私たちと同じ人間だったんだと、感じる糸口になってほしいんです。

 

 

誰でも、予備知識がなくても楽しめる食べ物は、直感的に古代を感じる手段としてはうってつけだ。前川先生は甘葛煎以外にも何種類もの平安時代スイーツを再現している。昨今の平安時代ブームに乗ってますます知名度が上がることに期待です!

小麦粉と米粉を水と塩で練って、油で揚げた「索餅(さくべい)」というお菓子もご馳走になった。ほんのりと塩味の利いた素朴な味と噛み応えのある食感が美味しい!

湖底の縞模様から紐解く古代の気候。そこにはマヤ文明衰退のヒントが!?立命館大学の北場先生に古気候学の最前線について聞いてきた

2024年8月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

今年も台風の季節がやってきた。夏の風物詩ともいえる台風だけれど、この頃は気候変動の影響で激甚化した豪雨災害が、必ずといっていいほど毎年どこかで発生するから、とてもそんな風流な見方ばかりもしていられない。

 

日本を遥か遠く離れた中米で紀元前1200年頃から16世紀頃まで、3000年にわたり栄えたマヤ文明。その衰退の謎と気候変動の関連を調べているのが、古気候学者の北場育子先生だ。何百年、何千年前の気候を解き明かす鍵は、湖底に沈んだ鉱物や生物の死骸などの物質が堆積してできた年縞(ねんこう)と呼ばれる縞模様である。

チチェン・イツァ(メキシコのマヤの遺跡)。これほどの文明がなぜ衰退したのでしょうか…?

花粉を見れば、気候がわかる

周囲の環境を反映しながら湖の底に堆積していく年縞。分析技術の進歩にしたがってそこから引き出せる情報も増加の一途をたどっている。中でも、年縞から気温と降水量などのデータを引き出すもっとも有力な手がかりは、花粉だという。

湖の底から掘り出された年縞。この縞模様が情報の宝庫だ

 

――北場先生の専門は古気候学、中でも年縞研究だと伺っています。どんなことをして、なにがわかるんでしょうか?

 

「年縞というのは、1年に1枚積もる、薄い地層のことです。日本みたいに明瞭な四季があると、湖には季節によって違うものが運ばれてきます。それが積もってシマシマの地層になります。年縞は1枚が1年という時間に相当するので、それを1枚ずつ数え上げることで、1年ずつ時間をさかのぼっていくことができます。その縞模様の中をさらに細かく調べることで、その年に起った出来事がわかるんです。

 

私たちは、大きなくくりでいうと地質学者です。フィールドに出かけて地層を取ってきて、実験室で分析するということをしています。分析にもいろいろありますが、私の一番の専門は花粉分析です。過去の気温や降水量を復元するには、花粉を見るのが一番いいんです。

 

その土地に生える植物というのは、気温と降水量によって決まっています。たとえば、熱帯雨林を見たら、暑くてジメジメしてるんだろうなぁ、って感じると思うし、東北地方のブナの森を見ると、ここは涼しくて雪が多いんだな、って想像できる。ケッペンの気候区分※を学校で習われた方もいるかと思いますが、その土地の気候っていうのは『森の風景』に現れているんです。」

 

※世界の気候区分法。植物分布に注目して考案され熱帯気候・乾燥気候など複数に区分したもの。

 

――なるほど、花粉によって状況証拠的に気候を調べていくわけですね。

 

「そうなんです。年縞の中から花粉の化石を取り出して、それを顕微鏡で『モミ、ブナ、マツ、ツガ、スギ、ブナ……』とひたすら数えていくんです。1サンプルでだいたい500個ぐらいの花粉を数えて、モミが〇%、ブナが〇%……と割合を計算します。そこから気温や降水量を復元していきます。

 

日本は南北に長い島国なので、亜熱帯から亜寒帯まで幅広い気候帯をカバーしています。なので、世界的に見ても、花粉から気候を復元するには理想的なんです。日本では、現在各地に積もりつつある花粉の割合を調べたデータベースが整備されています。たくさんある地点の中から、過去の花粉の割合と似た組成を持つ地点を統計的な手法を使って探し出します。あとはアメダスの気象データを使ってその場所の気温や降水量を参照することで、その年縞が積もった時代の気候がわかるんです。

 

福井県に水月湖という湖があります。この湖には過去7万年間、年縞が積もり続けています。地質学の業界では世界的に有名な湖です。たとえば水月湖の約2万年前の年縞からは、現代の知床や信州の亜高山帯と似た花粉が見つかっています。当時は氷期の真っ最中で今よりも12℃くらい気温が低かったということがわかっています。」

年縞から取り出された花粉の写真。植物の種類ごとに形が違う花粉を同定しながらその数を数えていく。とても根気のいる作業だ

 

――マヤ文明を年縞から調べる研究でも、やはり花粉が指標になるんでしょうか?

 

「マヤ地域でも気温や降水量を定量的に復元するためのデータベースを作ろうとはしたんですが、そもそも熱帯の植物はあまり花粉を作らないので思うようにはいきませんでした。日本の森には、スギやヒノキみたいに風で花粉が運ばれていく木がたくさん生えています。風で花粉を運ぶと、受粉するかどうかは運任せになるので、木が花粉を大量に作って飛ばすんですね。それに引き換え熱帯では、昆虫が花粉を運んでくれるので、少ししか花粉を作らなくても確実に受粉できます。そういう花粉が中心なので、統計的な処理には向かないんですね。

 

ただ、定量的な気候の復元は難しくても、花粉はとってもいい指標になります。たとえば、雨が増えて、湖の水位が上がると、スイレンの花粉が増えたりします。

 

ほかにも、トウモロコシは古代マヤ人の主食だったんですが、マヤ人たちが徹底的にお世話をして栽培化した植物なので、トウモロコシの花粉というのは遠くまで飛ばないんですね。なので、トウモロコシの花粉が見つかれば、その近くでマヤ人がトウモロコシを育てていたという証拠になります。

 

それ以外にも、マヤ人が森を切り拓いたら木の花粉が減って草の花粉が増えるとか、気候のほかにもマヤ人の暮らしぶりが垣間見えたりするところがおもしろいですね。」

年縞形成の鍵は酸欠

年縞は情報の宝庫だ。では、そもそも年縞とはどうやってできるものなのだろうか?

 

――年縞って、どうやってできていくものなんでしょう?

 

「基本的には、季節によって違うものが湖に運ばれてきて、それが積もることで縞模様ができていきます。

 

日本では、明瞭な四季があるので、季節によって違うものが積もる、っていうのは、どこの湖でも起こっているんです。だけど、年縞は珍しい。それはどうしてかというと、年縞のある湖っていうのは、湖の底に酸素がないんですね。湖の底に酸素があると、虫とか貝とか魚なんかが棲みついて、巣穴を掘ったりしてせっかく積もった縞を壊してしまうんです。なので、せっかく季節によって違うものが積もっても、生き物に壊されてしまって残らないんです。

 

たとえば、日本の水月湖の場合だと、まず春に珪藻(ケイソウ)という殻をもったプランクトンが大繁殖します。それが水中の栄養を使い果たすと死んで沈んで、春の層を作ります。

 

梅雨の時期になると雨が周囲の土を洗い流して湖に運んできます。これが梅雨の層です。

雨は土と共にミネラルや栄養分を運んでくるので、それらを使って今度は別の種類のプランクトンが繁殖します。それが死んで積もったのが夏の層になります。

 

秋にはまた別の珪藻が繁殖して、秋の層を作ります。

晩秋に入ると、寒くなって湖表面の水が冷やされます。冷たい水は重くなって沈みます。この時、湖底に酸素を運んでいくんですね。その酸素が湖底の鉄分と反応して、シデライトという鉱物を作ります。これが晩秋の層です。

 

冬になると中国大陸から偏西風に乗って黄砂が運ばれてきて、冬の層を形成します。

これが『理想的な』年縞です。基本的には季節の移ろいにしたがって、こんな風に年縞ができていくんですが、とはいえ、自然が作るものなので理想通りにはいきません。もう秋がきたかなっていう頃にまた夏の暑さがぶり返すようなことってあるじゃないですか。そういう時は、夏の層が1年に2枚できたりすることもあるみたいです。」

水月湖の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、平均0.7mmほど

 

――なるほど、日本の明瞭な四季に合わせて、春夏秋冬+αで形成されるんですね。マヤの年縞はどうですか?

 

「マヤ文明は、メキシコのユカタン半島を中心に栄えた文明です。この地域には、乾季と雨季、2つの季節があります。乾季には白い縞、雨季には黒い縞ができます。

まず乾季には雨が降らなくなって、湖の水が蒸発して水位が下がっていくんです。マヤ地域の地盤は石灰岩でできています。石灰岩はカルシウムを多く含んでいるので、湖の水にはカルシウムが溶け込んでいます。乾季になって湖の水位が下がると、水に溶けきれなくなったカルシウムが析出して、沈んで白い層になります。

 

雨季になると、今度は雨が降って栄養分が湖に流れ込みます。すると、その栄養を使ってプランクトンが繁殖します。だけど、湖の栄養を使い尽くしてしまうと、プランクトンは死んでしまいます。この死骸が湖底に沈んで黒い層を作ります。

 

ほかにも、雨季の層には雨が運んできた鉄やチタンがたくさん含まれています。年縞に含まれるカルシウムや鉄、チタンなど、元素の含有量を細かく調べることで、この年には干ばつが起こったとか、大雨が降ったとか、古代マヤ人が経験した当時の『お天気』までわかってしまうんです。」

所変われば年縞の状態も変わる。写真はペテシュバトゥン湖(グアテマラ)の湖底から掘り出された年縞。1年分の年縞の厚さは、なんと1cm!まさに破格の分厚さだ

 

――すごい分厚さ!これは分析のしがいがありそうですね。

 

最新の元素分析を使えば、マヤ文明が栄えた時代の1日ごとの気象データを取ることも夢じゃない!

年縞のすごいところ、それは、細かく分析すればそれだけ細かい時間での気候の変化を追えるところにある。年縞研究が古気候学のブレイクスルーと言われる所以だ。そして、それを可能にしたのが最新の分析機器なのだ。

 

――どういう方法を使って分析をするのでしょうか?

 

「過去の気候(気象)変動を細かく知るためにまず必要なのは、過去の時間をはかる正確な時計です。年縞のすごいところは、その1枚1枚が1年という時間に対応しているところです。なので、まず、肉眼や顕微鏡を使って、年縞を1枚残らず数え上げます。また、年縞に含まれる葉っぱの化石をすべて拾い上げ、そこに含まれる放射性炭素(14C)を測定します。放射性炭素は、時間の経過とともに一定の速さで減っていくという性質を持っています。なので、この性質を利用して、その葉っぱが挟まっていた年縞が何年前にできたのかを推定できるんです。これら2つの手法を数学的な方法で組み合わせることによって、きわめて精密な時計を手に入れることができるんです。

 

こうして正確に年代のわかった年縞の中に含まれる元素を、さらに細かく測定することで、その年に降った雨の量がわかります。測定には蛍光X線スキャナという装置を使います。物質にX線を当てると、ある特殊なX線(蛍光X線)が返ってきます。このX線の色や強さは、そこに含まれる元素によって違います。この装置を使えば、年縞に含まれる元素を0.1mmというピンポイントで調べることができるんです。

 

たとえば、ペテシュバトゥン湖では、厚さ1cmの年縞の中を60ミクロン(0.06mm)おきに分析しました。すると、1年あたりの測定点は、200点近くにおよびます。つまり過去何百年にもわたって、平均すると2日に1点のデータが取れたことになるんです。」

蛍光X線スキャナ。古気候学のブレイクスルーである年縞研究を支えるのは、こうした最新の分析機器なのだ

 

――何百年も前のデータが日単位で!ちょっと想像もできないすごさです。

 

「ただ、私たちが現在手にしているペテシュバトゥン湖の年縞は、過去600年ほどの時間しかカバーしていません。栄華を誇ったマヤの大都市が次々に衰退した時代(紀元後800年から1000年ごろ)には届いていないんです。2025年には、この地層を基盤まで掘り抜くことを計画しています。」

 

年縞を掘削する様子。僻地での調査では自作の道具が大活躍するそうだ

 

マヤ文明衰退と「暴れる気候」の関係は解明されるのか

2025年の掘削調査は、科研費の研究課題「『暴れる気候』と人類の過去・現在・未来」の一環として実施されるものだ。

この研究では、気候の動態には3つのモードが存在するとしている。1つ目は気候が徐々に変動する「気候変動」、2つ目が突発的に発生する「異常気象」や「極端気象」、そして3つ目が気候が慢性的に不安定化し気象災害が頻発する「暴れる気候」である。

 

――マヤ文明の衰退の前後で年縞の様子は変わっているのでしょうか?

 

「ぜんぜん違いますね。黒っぽいシマシマから白っぽいシマシマに、見た目がガラッと変わるんです。

サン・クラウディオ湖(メキシコ)で採取された年縞。サン・クラウディオの都市にマヤ人が暮らしていた時期には黒っぽい年縞が、衰退期を経て都市が放棄されてからは白っぽい年縞が堆積していることがわかる

 

ちょうどこのころ、年縞からマヤ人の『トイレの痕跡』が消えるんです。自然界には、重い窒素と軽い窒素があります。重い窒素は自然界にはほとんど存在しないんですが、食物連鎖で濃縮されるという性質を持っています。なので、食物連鎖の上位にいる人間の排泄物には重い窒素がたくさん含まれています。年縞の中に含まれる窒素の重さを測っていくことで、人間の痕跡をたどることができるんです。このトイレの痕跡が、黒っぽい縞が終わるころに、突然なくなるんです。つまり、人々がサン・クラウディオの町を放棄して、いなくなってしまったんです。これが紀元後900年ぐらい、ちょうどマヤの衰退期にあたります。

 

――そんなことまでわかるんですね。そして、高度に栄えていたマヤ文明の都市が短い期間で放棄されてだれもいなくなったというのは、なんだか背筋の寒くなる思いがします。

 

「元素の分析から、人々がサン・クラウディオの町を放棄したのと同じころ、サン・クラウディオを『暴れる気候』が襲っていたこともわかりました。つまり、当時の人々は、干ばつや大雨の頻発する時代を生きていたんです。

 

マヤ文明は、高度に発達した『すごい文明』です。ほかの古代文明と違って大河川に依存することもなく、湿った熱帯から乾燥したサバンナまで幅広い地域に繁栄することができました。つまり気候に対して強靭な適応力を持っていたんです。なのに、謎の衰退を遂げてしまった。世界最高品質のペテシュバトゥン湖の年縞を使って『暴れる気候』と文明の関係を明らかにしていきたいと思っています」

マヤ文明衰退の引き金は「暴れる気候」だったのだろうか?

 

 

「暴れる気候」がマヤ文明衰退の引き金だったかもしれないという話を聞くとき、どうしても自分たちの社会のこれからを絡めて考えずにはいられない。未曾有の気候動態を前にして文明がどう対応したのか、あるいは対応できなかったのかを探ることは、私たちの社会がこれから先どう生き延びていくのかを考えるための手がかりを、一つでも多く手もとに確保しておくことにもつながっているのだ。

珍獣図鑑(26):外来・在来論争に決着が!遺伝子解析から明らかにする、ハクビシン渡来の経路

2024年6月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第26回は「ハクビシン×増田隆一先生(北海道大学)」です。それではどうぞ。(編集部)


ハクビシン、その毛色はさまざま

ハクビシンは不思議な生息分布をした生き物である。関西・四国から東北にかけて広く生息しているけれど、中国地方ではほとんど見られず、九州と北海道(奥尻島を除く)にはまったく分布していない。しかし生息数が多い場所では、市街地にも顔を出すほどメジャーな存在だ。

 

そんな(場所によっては)身近な存在であるハクビシンには、長らく在来・外来論争が存在した。もとから日本に生息していたのか、人間によって持ち込まれたのか、意見が分かれていたのだ。その論争に決着をつけたのが、北海道大学大学院理学研究院で哺乳類を研究する増田隆一先生。

 

前述のとおり、奥尻島を除く北海道にハクビシンは生息していない。なぜあえて研究しようと思ったのだろう?

 

「東南アジアの研究者との共同研究で南国の動物も調べてきたんですが、タイで共同研究者の方に現地の自然環境とか動物園を案内してもらったときに、ハクビシンを見る機会がありました。それまで日本のハクビシンは写真で見たことがあったんですが、そのタイで見たハクビシンというのが、日本のハクビシンとずいぶん毛の色が違ったんです。タイの別の動物園で見ると、これもまた別種かと思うくらい見た目が違う。それ以来、ハクビシンが遺伝的多様性を獲得しつつ分布を広げて行った経緯が気になっていました。

 

私はイタチやキツネの研究もしていて、日本全国のいろんな動物園とか博物館から交通事故で持ち込まれた個体が標本として保存されているのを送ってもらうことがあります。そういうときに『最近ハクビシンの標本が増えてきたんですけど、なにか利用されませんか?』と聞かれることがあって、せっかくだからと送っていただいた各地のサンプルがだんだん蓄積されてきたので、日本全国のハクビシンのDNA解析に研究として取り組むことにしました」

 

なるほど、交通事故死したハクビシンの標本を有効活用できないかという提案がきっかけだったと。それにしても、日本とタイで毛の色がずいぶん違うというのはおもしろい。

 

ハクビシン、その毛色は地域によってさまざま。
左上:上野動物園のハクビシン 写真:photolibrary
左下:台湾のハクビシン(白鼻心)撮影 張仕緯博士・台湾農業部生物多様性研究所
右上:タイのハクビシン、タイ・ドゥジット動物園にて増田隆一撮影
右下:タイのハクビシン、タイ・カオキューオープン動物園にて増田隆一撮影

 

「ハクビシン(白鼻心または白鼻芯)はジャコウネコ科の動物で、おもに中国大陸の南部から東南アジアにかけた地域が生息地です。鼻から頭のてっぺんにかけて縦に白いストライプが入っていることから、日本ではこの名前で呼ばれています。

 

日本・台湾・ベトナムなどに生息しているハクビシンは、名前の通り明瞭なストライプが見られます。ところが、たとえばインドネシアのボルネオ島に生息するハクビシンは顔のストライプがなくて、ただ茶色っぽい顔をしています。かと思うとタイの動物園で見た個体は顔全体が白というか、グレーだったり。毛の色の多様性が非常に高い動物なんです」

 

地域によってはストライプが完全に消えてしまうということは、その模様には生存するうえではとくに意味はないということ?

 

「模様のもつはっきりとした意味は、ちょっとわからないです。ただ、ジャコウネコ科はさらに上位の食肉目という分類群に属するんですが、食肉目の動物には顔に模様をもつものが多いんです。身近なところだとタヌキとかアナグマとかアライグマなどです。理由はわかりませんが共通の祖先が顔に模様が入る遺伝子をもっていて、それを受け継いでいる可能性はあります」

顔の模様は仲間の証?(写真:photoAC)

 

東南アジアと東アジアの広い範囲に、いろいろな模様のバリエーションで生息しているハクビシン。日本にいること自体は不思議ではないような気もする。問題はいつ、どうやって日本にやってきたかということだ。

遺伝子を解析することで台湾から渡来したことを立証!

ハクビシンには外来種(人為的に持ち込まれた種)であるという説と在来種(人の手を頼らずに日本列島に到達し、定着した種)であるという説があったそうだけれど、まず外来種説にはどんな論拠があったのだろう?

 

「日本にいる在来の哺乳類、例えばニホンザル、ニホンイタチ、タヌキ 、キツネなどの化石は、更新世(今から約258万年前から約11,700年前までの期間。氷河の形成によって海面が下がり、日本列島と中国大陸が陸続きだった期間を含む)の後期までの地層から発見されています。それまでには大陸から渡ってきて、日本列島で生活していたはずなんです。しかしハクビシンの化石がみつかりません。また、現在日本にいるほとんどの哺乳類の骨は縄文時代の貝塚の跡から見つかるんですが、ハクビシンはこれにも見あたりません」

 

痕跡がいっさいないと。

 

「分布域も不自然です。大昔に日本にやってきたのであれば本州・四国・九州などでは一様に分布しているはずですし、事実在来種の動物の生息地域は連続的です。しかしハクビシンはポツポツと飛び石上に分布していて、最近になって生息地が広がっていっています。在来種と分布のパターンが違うじゃないかということも、外来種説を後押ししています」

近年分布域が拡大しているため、本州・九州全体に広がるのは時間の問題だとも言われるが、現状ハクビシンの分布域は在来種の動物に比べて局所的だ。環境省自然環境局生物多様性センターによる調査結果(2018年)より

 

たしかに、これは不自然。外来種説がかなり濃厚な気がするけれど、逆に在来種だとする根拠にはどんなものが?

 

「こちらは江戸時代の古文書に描かれたそれらしい動物の絵が根拠になっています。顔に縞模様があって、爪が出ていて、雑食性の動物だということが記載されています。ただ、ハクビシンという名前は書かれていません。古くからいた動物なのに、名前はついてないのか?という、この点には疑問が残ります」

 

うーん、在来種説の方はちょっと根拠として弱いような。そんな感じで分が悪い在来種説だけれど、増田先生が全国から集まったハクビシンの標本を遺伝子解析した研究によってついに決着がついたと。

 

「以前から台湾から渡来したとする説はあったんですが、遺伝子を解析することでそれが立証されたと考えています。

 

解析には、まずミトコンドリアDNAを使いました。通常、DNAというのは父親と母親の双方から半分ずつ子に渡されるのですが、ミトコンドリアDNAは例外的に100%母系、つまり母親からのみ渡されるため、家系を追跡するのに使われます。さらにミトコンドリアDNAは進化するスピードが非常に速い。近縁な集団同士でも違いを検出しやすいんです」

 

そんな都合の良いDNAがあるとは。

 

「最初に共同研究として日本と東南アジアのハクビシンを比べたんですが、両者は明らかに違いました。次に台湾のものと比較してみたところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかりました」

 

ミトコンドリアDNA解析によって導かれた台湾から日本への渡来ルート Masuda et al.(2010)および増田(2024)より

 

ミトコンドリアDNAを比較したところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかったという。

 

「このような結果から、日本のハクビシンは台湾から、それも少なくとも2つのルートで入ってきた可能性が高いと考えました。その後、ミトコンドリアDNAとは別のマイクロサテライトというDNAを使って全国の集団を調べました。これはミトコンドリアDNAと違って父親・母親の双方から受け継ぐ遺伝子です。その結果、中部・関東・四国の3つのグループが存在することがわかったんですが、台湾で見つかったグループがちょうどこの3つの中間の特徴をもっていました」

マイクロサテライトDNA解析からみた集団間の関係 Inoue et al.(2012)より

 

「それから遺伝子の多様性という点でも、日本の集団は台湾の集団よりもはるかに低いんです。これは台湾のある系統が少数日本にやってきて分散後、まだ日が浅いことの証拠だと考えられます。

 

私たちの研究室では日本在来の動物についても同じような方法で調査をしているんですが、こういうパターンを示す動物はほかにいません。日本列島に隔離されて長い年月が経過したものは、やはり大陸と比べて日本列島に特有の遺伝子の多様性を示すようになります」

 

DNAからそんなことまでわかるなんてすごい。いつどうやって持ち込まれたかまではわからないけれど、ハクビシンは外来種だと考えて間違いないようだ。

この研究については、増田先生の著書『ハクビシンの不思議: どこから来て、どこへ行くのか』(東京大学出版会)に詳しい。

外来種だとはわかったけれど......

台湾や東南アジアのような温暖な地域からやってきたにも関わらず、今日では青森(加えて、飛び地的に奥尻島)まで生息地を広げているハクビシン。意外に寒さに強いのだろうか?

 

「冬場は、おそらく民家の天井裏のような人の生活する場に近いところにいると思います。そういった場所は比較的暖かいですから。食べ物は人が出したゴミを漁ったりして、人に依存して生活することによって厳しい冬をしのいでいるんじゃないかと」

 

さすが、適応力が高い。日本の在来の生態系にも影響を与えそうだ。

 

「体のバランスをとるための長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意です。対して、日本在来の動物で性質の近いものだとタヌキやアナグマが思い浮かびますが、これらは木登りが苦手なので、生息場所としては住み分けができてるのかなと。

 

ただ、ハクビシンは食肉目といいつつもっとも好んで食べるのは果実なんです。そして果実はタヌキやアナグマなども食べますから、食べ物の点では競合してしまうでしょうね」

長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意。その能力を活かして、都会では電線を伝って移動することも。(写真:photoAC)

 

果物、好きなのか。農家からは害獣扱いされるのも納得かも。

 

「果物を食べる性質を利用して、東南アジアや台湾では特別なコーヒー作りもされていますよ。インドネシアの言葉でコピ・ルアクと言いますが、コーヒーの実をジャコウネコ科の動物に食べさせて、未消化で出てきた種(たね)をコーヒー豆として焙煎して利用するんです。使われる動物は主にジャコウネコの仲間で、ハクビシンが使われることもあります。腸内で起こる消化と発酵の作用で、マイルドで独特な風味がつくようです。

 

日本で真似するのは難しいかもしれませんが、果実を食べたハクビシンが遠くに行って、種の入った糞をすることで、植物の種子が広がることは考えられます。種子散布者といって、植物の分布や森林の範囲を広げる役割を生態系の中で果たす可能性はあるんです」

 

なるほど、在来の自然を守るという意味では外来種はいない方がいいけれど、定着してしまった以上は生態系における役割にも目を向ける必要があるということか。

 

「ここまで生息地が広がってしまった以上、ハクビシンを完全に駆除するということは難しいでしょうから、農作物や人家への被害を最小限におさえて共存していくしかないと思うんです。

 

それは研究の上でも同じことで、日本列島において現在進行形で分布を広げているハクビシンは貴重な知見を与えてくれます。かれらを研究することが、在来種の歴史やひいては日本列島の自然史を考えることにつながっていくんじゃないかと考えています」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】ハクビシン

東南アジアから中国南部にかけて自然分布。日本には、台湾から人為的に持ち込まれたことが遺伝子解析により判明。ハクビシンという名は鼻に白いストライプがあることに由来するが、毛の色の多様性が高く、東南アジアに生息するグループではストライプのないものも。長くて太い尾をもち、樹上生活が得意。雑食だが、特に果物が大好き。

ブックレビュー(4):「やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち」

2024年6月4日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。

第4弾は、珍獣図鑑(20):草地に住む巣作り名人、カヤネズミ。保全のための奇策は川柳?で河川敷で暮らすカヤネズミについて教えてくださった畠佐代子先生の共著書、『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)を取り上げます。(編集部)


 

「やぶこぎ」という言葉に馴染みがない人もいるかもしれない。漢字で「藪漕ぎ」と書いたら、少しわかりやすくなるだろうか。人の背丈よりも高い草が生い茂る藪の中を、両手でガサガサとかき分けながら歩くことを表す言葉だ。ライターとは別に生き物の調査に従事することもある筆者(岡本)は藪の中に分け入る機会も多いのだが、押しのけた草の反発力で逆にこちらが押し戻されそうになるときは、まさに「漕ぐ」という言葉がふさわしいなと感じたりする。

 

自分でも一日中藪漕ぎした経験があるだけに、今回紹介する『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』という絵本には思わず「あるある!」と膝を打つ場面が多かった。カヤネズミ研究者として以前ほとゼロで取材させていただいた畠佐代子先生が紹介するのは、河川敷に生い茂る草むらを隠れ家として暮らす生き物たちの世界、そして藪漕ぎによってそこへ踏み込んでいく観察者の姿である。長年河川とその周辺のフィールドで研究を続けてきた畠先生がこれまでに出会ってきた景色、生き物、そしてそれらの移ろいゆく姿が、イラストレーターのモリナガ・ヨウさんの手による水彩画として浮かび上がる。そのタッチはとても優しく、魅力的だ。

フィールドの風景がそのまま絵本に。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

筆者は畠先生ともご縁があって、何度か河川敷の調査をご一緒させていただいたことがある。先生がカヤネズミの調査をしておられるフィールドも教えていただいた。だから1ページ目をめくって「あ!」と驚いた。なんだか見覚えのある川の風景が、もちろん個別の景色を覚えているわけはないのだが、見開きで広がっていたのだ。普段はそれほど意識していなくても、あらためてイラストとして提示されると、一口に川と言ってもそれぞれにずいぶん個性があるのだなと気付かされる。

 

川だけではなく登場する動物たちも魅力的だ。カヤネズミとハタネズミのような描き分けにくいモチーフも、シンプルな線のなかでそれぞれの個性がきっちりと表現されている。絵本の製作にあたって畠先生と一緒に藪漕ぎをしたというモリナガ・ヨウさんの力量というほかない。『やぶこぎ』にはアオサギのような大きくて有名なものから、土の下にいるのでほぼ目にする機会のないコウベモグラまで、さまざまな生き物が紹介されている。海や山に比べて決して広くはない河川敷のスペースが、これほど多くの生き物の住処になっていたのかと驚くばかりだ。

 

近年河川敷の草地が直面している問題に紙幅を割いているのも注目すべきポイントだ。植物ならオオアレチノギクやアレチウリ、動物ならミシシッピアカミミガメといった外来生物が爆発的に増殖する外来種の問題。それから、河川改修が進んだことで大水が起こりにくくなって生じる問題。大水が起こらない、というのは一見するとよいことのように思えるけれど、定期的に水に浸かることのなくなった土地は樹林化が進んで、ほっておくと草地ではなくなってしまう。カヤネズミの記事でも紹介したとおり、温暖多湿で木の育ちやすい日本列島の環境では草地とそこに暮らす生き物はとても貴重なのだ。

背より高い草に四方を囲まれて思わず空を見上げる。藪漕ぎ中の「あるある」だ。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

この本の見どころについて紹介してきたが、筆者が一番注目してほしいところというか、「やぶこぎ」をして「これは……!」と息を飲んだのは、その空気感だ。藪に入った者が感じる世界観と言ってもいい。

 

藪という日本語は、芥川龍之介の小説『藪の中』のように昔からどこか常の人間の世界から離れたところにあるもの、中でなにがどうなっているのかわからない不可知なものというニュアンスで使われてきた。道も目印もないだだっ広い河川敷のオギ原に飛び込んだ者は、大げさかもしれないがその「人間の世界」から切り離された感覚を味わうことになる。実際に藪漕ぎをしたことのある筆者の実体験である。

 

自分の背よりも高いオギやヨシのカーテンに四方を遮られれば、自分がどこにいるのか、どちらを向いているのか、それどころか1m先に何があるのかさえはっきりしなくなる。町からさほど離れていないはずなのに、その喧噪はとても遠い。見上げると、視界の端をオギの葉の緑に切り取られた青い空が広がっていて、生き物を追いかけているうちに自分の足跡を見失ったかつての筆者は「ここで死んでもだれにも気付いてもらえないんだろうな」などと怖いことを考えもしたのだった。少し心細かったけれど、人間の世界から離れてカヤネズミをはじめとする草むらの世界に適応した生き物たちの世界にお邪魔させてもらっているのだと思うと、同時に胸の高鳴りを覚えた。

 

『やぶこぎ』はそんな非日常な体験の一端を垣間見させてくれる。これから河川敷のフィールドに行ってみようという人にも、かつて行ったことがある人にもオススメできる一冊だ。

 

佐代子先生からのコメント

人の背丈をはるかに越えるオギをかき分けて歩くと、たくさんの生き物に出会います。オギやヨシが生える河川敷の草はらは、私たちの身近にある自然ですが、普段注意を払う人はあまり多くありません。そのことをとても残念に思っています。子どもたちに、河川敷の草はらの魅力を伝えたい、そして生き物たちに興味を持ってほしいと思ったのが、この絵本を作るきっかけになりました。でもよいことばかりではなく、樹林化や外来種問題など、全国の河川が抱えている問題もぜひ知ってほしい。そうした私のさまざまな思いを、モリナガ・ヨウさんの繊細なタッチで形にしていただきました。絵本は初夏の河川敷をメインに扱っていますが、巻末に河川敷の四季や樹林化などの解説を入れましたので、大人の方も楽しめる内容になっていると思います。

 

モリナガ・ヨウさんからのコメント

自然系の絵本を一冊全部手掛けるのは初めての経験でした。写真をトレースして草やぶを描こうと思えば大変な手間ですが、フィールドに足を運んで植物を持ち帰り、実物の構造を一回身体に覚え込ませて、あとはその繰り返しという描き方にしたのがかえって近道でした。動物パートは、野生のものを描くのは大変なので動物園がたよりでした。けれどコロナ禍で休園してしまい、再開するやいなやスケッチブックを持って駆けつけたのもいい思い出です。絵本作りは準備期間も含め数年がかりの作業で、その間に絵本の舞台となった畠先生のフィールドも移り変わっていきます。取材写真を見ながら「この葉っぱも虫ももういないんだな」と少し不思議な気分になることもありました。

夕方になって絵本が終わる場面で背景に山の稜線が描かれています。畠先生のフィールドからの景色そのままなのですが、関西出身の友人たちから「舞台は木津川?桂川?」と絞られびっくりしました。関東民の自分にはない感覚です。

 

珍獣図鑑(25)え、交尾相手の翅を食べちゃうの!?思わず二度聞きしてしまう、リュウキュウクチキゴキブリの不思議な生態

2024年5月23日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第25回は「リュウキュウクチキゴキブリ×大崎遥花さん(京都大学)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

カマキリのオスが交尾の最中にメスに食べられてしまうことは有名である。これは性的共食いと呼ばれ、理由は明白、メスが産卵に必要な栄養を効率よく補給するためだ。

 

今回、珍獣図鑑に収録されるのはリュウキュウクチキゴキブリという、聞き慣れない名前の昆虫。カマキリと似て交尾の前後に共食いをする昆虫だが、その様子は一風変わっている。なんとオスとメスがお互いの翅(はね)だけを食べ合ってしまうというのだ。しかもこのような行動をするのは世界でリュウキュウクチキゴキブリだけだという。話を聞いた研究者たちがみな一様に首を傾げる奇妙な行動、そんなリュウキュウクチキゴキブリの生態を研究する大崎遥花さんにお話を聞いた。

翅の食べ合いに一夫一妻制、リュウキュウクチキゴキブリは珍しい生態の宝庫

朽木の中で身を寄せ合うリュウキュウクチキゴキブリ

朽木に棲むリュウキュウクチキゴキブリ。森の中で見つけた朽木を割る、いわゆる「材割り」によって採集する。(写真:大崎氏)

 

リュウキュウクチキゴキブリとは聞きなれない名前。推察するに琉球(沖縄)の朽木にいるゴキブリと読めるけれど、どんな虫なんだろう?

 

「その名の通り沖縄の森の、腐朽した木の中に棲んでいるゴキブリです。奄美群島より南にしか生息していませんが、本州でも近縁種であるオオゴキブリを観察することができます。

ゴキブリというとどうしても民家に出没するクロゴキブリやチャバネゴキブリを連想しがちですが、リュウキュウクチキゴキブリは森の中にしかいません。しかも朽木の中から滅多に出てこないので、普通に生活していたらまず目にすることのない昆虫です」

 

生息している場所については、名は体を表すような生態だということか。

 

「棲家が朽木なら、食べ物も朽木です。木の種類の選り好みはあまりないようですが、真新しい木ではだめで、白色腐朽菌というキノコをはやす菌の入った朽木なんかによく見られます。そういった棲家や食物については近縁種のオオゴキブリとそれほどかわらないんですが、おもしろいというか変わっているのはやっぱり繁殖ですね。交尾のときにお互いの翅を食べてしまうのもそうですし、他にもリュウキュウクチキゴキブリはオスとメスがつがいになるとどちらかが死ぬまで一夫一妻制を貫いて、しかも生まれてきた幼虫を共同で育てるという昆虫には非常に珍しい特徴を持ち合わせているんです」

 

翅を食べ合う以外にも、雌雄共同で子育てを!

 

「そうなんです。生物学でいう一夫一妻制には、①つがいになったうえでその決まったパートナーとだけ交配する『遺伝的一夫一妻制』と、②つがいの関係は特定のパートナーと維持しつつ交配に際しては別の相手と浮気することもある『社会的一夫一妻制』の2つがあります。例えば鳥はおしどり夫婦などと言われますが、意外にも①は満たしていなくて浮気していたりします。リュウキュウクチゴキブリも、①『遺伝的一夫一妻制』については遺伝子マーカーを使った厳密な検証に取り組んでいるところなのでまだ断言はできないんですが、②『社会的一夫一妻制』については観察結果などからほぼ間違いないとみられています。

そして両親の保護のもとで生育することを前提としているためか、生まれてくる幼虫は子育てをしない他の種のゴキブリに比べて未熟な印象を受けます。人間の子供なんかもそうですが、自立まで親の保護を受けられる生き物の場合、晩成型といって、生まれてすぐ自立することを求められる生き物よりも未熟な状態で生まれてくるという特徴があることが多いです」

1齢から7齢までのリュウキュウクチキゴキブリを並べたところ

両親の庇護を受けられる前提で生まれてくるリュウキュウクチキゴキブリの幼虫は、他のゴキブリの幼虫よりも脆弱だ。(提供:大崎氏)

 

以前に珍獣図鑑で紹介したタガメのように、子育てする昆虫はほかにもいる(編注:タガメの場合は孵化するまでの卵をオスが守る)。けれど、ゴキブリの仲間がそういうことを、しかも雌雄共同でするっていうのは意外だ。

 

どうして翅を食べてしまうのか?

ずっと同じ相手とつがいを維持して、共同で子育てするリュウキュウクチキゴキブリからは、共食いで相手を殺してしまうカマキリの刹那的な関係とは真逆の印象を受ける。そんな彼らを唯一の存在たらしめているのが、交尾の際に相手の翅を食べてしまうという習性だ。オスとメスが互いを食べ合う行動が報告されているのは、世界でもリュウキュウクチキゴキブリだけだという。具体的にはどんな感じで進行するのだろう。

 

「ペアによって多少の違いがあるんですけど、まず触角でタッチし合ったあとにグルーミングが始まります。相手の翅や背中など体表を口器で舐める行動と私は定義しています。そのグルーミングがしばらく続いた後、おもむろに翅を食べ始めます。その食べ方っていうのも、翅の横からとか先端からとか個体によってまちまちで、しかも一気に食べてしまえばいいのに、食べている途中でいきなりぷいっと離れていってしまったりとか。なぜかわからないんですけど、一時休止するみたいなフェーズがあったりするんですね。しかも再開したと思ったら食べる側と食べられる側が交代したり。ほんとにケースバイケースなんです」

リュウキュウクチキゴキブリが翅の食い合いをする様子を描いた点描画

交尾の際に起こる、翅の食い合い。イラストは大崎さん自らが描いたものだ。暗所での交尾の様子は写真に撮るのが非常に難しいのだが、「じゃあ、絵に描けばいいのでは」と思ったのがきっかけだという。

 

休止時間を挟んだりしてなんとも悠長に進むと。時間がかかりそうだ。

 

「最低でも12時間くらいはかかりますね。長いときは1日とか2日とか。動画をとるんですが、長いときは途中でカメラのSDカードを交換しないといけないので、たいへんです。そうやって休止と再開を繰り返したりしながら互いの翅を食べていって、最終的に両者の翅が基部をちょっとだけ残した状態までなくなって、翅の食べ合いは終了です。

 

ここに長い時間かけるのも本当に不思議なんです。何かを食べてるときっていうのは、外敵に対して無防備になりがちなので、本来できるだけ短時間で済ませたほうがよいものです。でもリュウキュウクチキゴキブリはそうではなさそう。なので翅の食い合いは朽木にトンネルを掘ってからその中で行うと予想しています。それにしたって短く済ませばトンネルの整備などもっと他のことにその時間を使うこともできるはず。しかも、食べた翅はほぼ未消化の状態で排泄されるので、大きな栄養源となっている可能性は低いです。生物における雌雄間の摂食を伴う配偶行動としては、栄養摂取ができる『性的共食い』や、オスからメスに食べ物を送る『婚姻贈呈』が知られていますが、リュウキュウクチキゴキブリの場合はそのいずれとも違った要因で進化した行動である可能性が高いんです」

 

栄養源としては利用されないとはますます不思議な。

じゃあどうして翅を食べ合う必要があるのか、なにか仮説はあるのだろうか?

 

「翅を『食べる』ことではなくて、『食べられる』ことにも意義があるんじゃないかというのを考えています。生まれ育った朽木から旅立って、新しい朽木を探す間は飛翔するのに翅が必要なんですけど、先ほど説明したようにリュウキュウクチキゴキブリは一夫一妻制なので一度パートナーを見つけた後はその朽木から移動する必要はないと予想できます。パートナーを見つけた時点で翅は不要になると考えられるんですね。しかも湿度が非常に高い朽木の中はカビやダニが発生しやすく、翅がそういったものの温床になってしまった個体も見たことがあります。翅は不要でしかも持っていると不利なので、取り去ってしまいたいんじゃないかと。

 

実際、羽蟻などは新天地に到着した後は翅を自切して捨ててしまいます。彼らの翅の基部にはあらかじめ自切のための機構が仕込まれてるんですが、リュウキュウクチキゴキブリは体が大きく重さがありますから、翅の強度を下げてしまいかねない自切の機構を獲得できなかったんじゃないかと推測しています」

 

安易に人間の行動に例えるのはよくないとはわかってはいても、結婚後はふらふらどこかに行ったりしないぞという決意表明みたいに思えてしまう。

 

「翅の食べ合いの前に、相手がパートナーにふさわしいかを見極める『配偶者選択』、メイトチョイスっていうんですけど、そのプロセスがあるはずなんです。ずっと一夫一妻を貫くということは最初のパートナー選びがかなり重要だからです。観察していると触角でちょっと触れ合っただけでその先に進まないというケースも見られます。どういう基準で相手を選んでいるのかはまだ調べていないんですが、翅の食い合いと交尾が同時並行で進むフェーズまで遷移すると、そこから先は最後まで突き進むことが多いです」

 

翅を食べ始める=パートナーの決定ということだと。翅を食べられない状況だとどうなるのか、実験してみたくなるな。

 

「博士課程にいたときに、翅をコーティングして食べられないようにしてみたらどうだろう?というのを思いついて、やってみたんです。最初は翅をプラ板で挟んでやったりして。ただリュウキュウクチキゴキブリは顎の力が強いので、しつこく齧って剥がしてしまうんですよ。しかもオスとメスが必要なので一度の実験につき最低2匹はそういう加工をしないといけなくて。それでもなんとか、翅を食べるのを妨害するやり方を確立して、その後生まれる幼虫の数などを比較してみたんですが……なんと、翅は食べても食べなくてもほとんど変わらないという結果が出たんです!

 

生き物の進化の理論的には労力がかかるのに意味のない行動というのは淘汰されて消えるはずなので、何かしらベネフィットがないとおかしいんですけど、どうにも差が出なかった。もちろんこれは飼育環境下での実験なので自然条件では違いが生まれるのかもしれませんが」

 

専用の工具まで自作して行った「翅の食べ合い妨害実験」だが、意外にも妨害の影響は出なかったという。(写真:大崎氏)

 

「さらに、『じゃあ最初から翅を取ってしまったらどうなるのか?』と思って実験しましたが、こちらも問題なく交尾は進みました。たとえば、翅の有無で相手が交尾済みかどうかを判定している、というようなことはないようです。そんな感じですので、翅の食べ合いという行動がが彼らにとってどのような意味を持っているのかを説明するには、もう少しいろいろ実験してみないといけません。先述の仮説はこの実験結果とも矛盾しないですし、他にも考えているものがあるので、いっぱい実験したいですね」

 

翅はなくてもいいとなると、ますます謎だ。そして欠けたピースを探して研究はまだまだ暗中模索状態であると。これは今後に期待!

クチキゴキブリ研究の七転八倒については、大崎さんの著書『ゴキブリ・マイウェイ』(山と溪谷社)でも詳しく紹介されている。

 

唯一のクチキゴキブリ研究者とゴキブリの出会いは中学までさかのぼる

小さい頃から昆虫には興味があった大崎さんだが、ゴキブリとの出会いは偶然の縁によるものだったそうだ。

 

「子供の頃から虫は好きだったけど、ゴキブリに興味をもったきっかけは中学のときのある授業でした。その授業では、自分の面白そうだと思ったことを自由に調べて発表することになっていて私は理科が好きだったから、理科の先生のところに「虫がやりたいです」と言いに行きました。そうしたら先生がパソコンで両生類・爬虫類用品の販売サイトを見せながら『これでなにか実験してみたらどう?』って言ってくれたんですけど、それが餌用のマダガスカルオオゴキブリだったんです。しかも先生が注文したゴキブリが後日ほんとうに届いて。初めて見る種だったのですがそのへんにいる普通のゴキブリとは違って、おもしろいなと感じるようになったんです」

大崎さんによるマダガスカルオオゴキブリのイラスト。平べったくて蛇腹のような体はリュウキュウクチキゴキブリに似ている。

 

「そのときの実験は『ゴキブリが入っていきやすい隙間のサイズは?』とか『ゴキブリに制汗剤のスプレーをかけたらどうするか?』などの行動実験をやったんですが、みんなの前で発表したら意外なくらいウケて、自分でやっておいて驚きました。

 

大学に入ってからは本格的に昆虫採集をするようになったんですけど、南西諸島に採集に行ったときにリュウキュウクチキゴキブリや彼らの変わった生態について知りました。卒業研究のテーマを何にするか悩んでいた時期に翅の食い合いのことを思い出して、珍しい行動だから研究しがいがあるんじゃないかと思って担当教員のところに持って行ったら、学術的にも意義があるとOKがもらえて、ここから今の研究が始まりました。」

 

その中学の先生がいなかったら今日のゴキブリ研究もなかったかもしれないわけか。学校の先生の役割は、我々が想像する以上に大きいようだ。

中学の授業での運命的な出会いから時を経て、ゴキブリ研究に情熱を燃やし続ける大崎さん。2023年の8月からはアメリカ・ノースカロライナ州立大学にも籍を得て、かの地でゴキブリ研究を続けている。

リュウキュウクチキゴキブリの翅の食べ合いは他の生き物に例のない現象で、なんでそんなことをするのか?がわかれば「性的共食い」や「婚姻贈呈」と並んで第3の摂食を伴う配偶行動として教科書に載るかもしれないとまで言われている。

その秘密が明らかにされる日が楽しみでならない。

 

【珍獣図鑑 生態メモ】リュウキュウクチキゴキブリ

リュウキュウクチキゴキブリが翅の食い合いをする様子を描いた点描画

琉球列島に生息する森林性のゴキブリ。台湾・八重山諸島に分布するタイワンクチキゴキブリの琉球亜種。生涯のほとんどを朽木の中で生活する。一夫一妻制で子育てをする、交尾に際してお互いの翅を食べてしまうなど特異な生態をもち、翅の食い合いの適応的意義はまだはっきりと解明されていない。

 

 

 

歴史学者が笑いにこだわるワケ。新しい学術雑誌にこめた思いを京都府立大学文学部の池田さなえ先生に聞いた。

2024年5月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

漫画にゲームに大河ドラマ。世の中は魅力的な歴史(に着想を得た)コンテンツで溢れかえっていて、我々は老若男女問わずそれらに夢中になる。歴史は人間の物語的創造性の源泉なのだ。そして、そういう物語としての歴史好きが昂じて、学問としての歴史に身を投じる人も少なくない。

 

ただし「歴史好き」が「歴史学者」になるために乗り越えなければならない壁は思いのほか高く堅牢だ。そう語るのは、京都府立大学で明治期の政治経済について研究する池田さなえ先生である。

 

自身も司馬遼太郎の『幕末』という小説集がきっかけで日本近代史に興味をもったという池田先生。歴史学の世界に新たな風を吹き込みたいという一念で創刊準備中の、一風変わった学術雑誌『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)が新聞で紹介されて話題になったことで、前述の「歴史好き」&「歴史学者」の視点の違いがいっそう浮き彫りになったという。

学術雑誌『Historia Iocularis』のテーマは「笑い」

「最近、表紙ができたんです」と池田先生

 

池田先生が現在創刊準備中であるという学術雑誌が『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)だ。歴史学の学術雑誌はすでにいくつもあるけれど、そういった伝統的な学術雑誌とはちがった趣旨で掲載論文を募集しているという。

 

——『Historia Iocularis』創刊の趣旨では、キーワードとして「笑い」を挙げておられます。「笑える」論文に価値を与えるプラットフォームをめざすのだと。ここでいう「笑い」というのはどういったものなのでしょうか?

 

何をもって「おもしろい」「笑える」と感じるかはとても主観的なんですが、ここで言う笑いっていうのは、水準の高さと内容のくだらなさのギャップのことです。その研究にかけた労力に対する、出てきた結果の小ささというか。

 

イグノーベル賞の話を出すとわりとわかってもらえるのですが、受賞されている研究者の方々って本当にすごい人たちで、研究もしっかりとした水準のものばかりなんです。最近だと、大通りや横断歩道などで、なぜ人は互いにぶつからないで歩けるのか?という研究がありました。

 

あったらおもしろいなとは思うんだけど、あまり研究としてはやらんよねっていう、予算がつかないし、大規模なプロジェクトでもないし。しかし研究者が真剣にやっているような研究が賞を取ってるわけです。

 

で、そういう研究って歴史学ではほぼないんです。イグノーベル賞にしても今まで歴史学から受賞したことはありません。

 

まだないんだったら作っちゃえと。同じようなことをやってしまったということなんです。

 

——なるほどギャップでしたか!理解できました。ところで内容のくだらなさについては直感的にわかるんですけど、水準の高さというのはどういうところで判断されるんですか?

 

論文を書くには史料が必要ですが、新しい史料をただ見つけただけではそんなに評価はされません。歴史学では1本の論文を書くのに新しい史料を数十とか数百とか使うのが普通なので、むしろそこからどういう論理を導くか、解釈をするかというところが大切になります。

査読では、まずこの史料の読みが正しいか、解釈が間違ってないかというところを見られます。

 

最近はとくに史料批判というのが重要になっていて、その史料がどういう経緯で残ったから、あるいは誰がどういう意図で残したものだから、論証に使えるのかということを厳しくチェックします。

 

なぜかと言うと、例えば伝記であれば書き手によって美化されているということが考えられますね。あるいは、政治家の回顧録であれば、自分に都合の悪いことは書かないとか。

 

その史料がどういう意図で、誰によって、なぜそこに残っているのかっていうことを確かめた上でじゃないと、こう書いてあるからこうだっていうような使い方はできないような時代になってるんです。

 

あとは論理構成に無理がないか、先行研究をちゃんと踏まえた内容かといった、どんな分野にでも共通する査読の仕方もしますね。

査読に耐え得るきちんとした論文を書くのはすごく大変で、1年に1本出せたらいい方っていう世界です。

 

——数十とか数百とか史料があって、一個一個に検証が必要となると、それだけですごい労力がかかりますね。

 

そうですね。 研究室でできること自体もすごく労力がかかるし、多くの場合、史料は全国に散らばっているので、足で稼ぐところが大きいです。

まずそれがどこにあるのか調べて、現地に行って、写真をパシャパシャ撮って、あるいはコピーをして。戻ってきてから翻刻したり、現代語訳をしたりする(※1)プロセスにも時間がかかったりしますね。

 

※1 翻刻はくずし字史料を活字にすること。先生の場合は現代語訳も翻刻とほぼ同時に行うが、学生の場合は二段階のプロセスとなる

 

——そういう多大な労力をかけて、ニッチでくだらなくて、でも笑える研究をやると……。すごく贅沢な試みで、素人目にもワクワクしてきます。新聞記事で紹介されてからいっきに認知度が上がったとのことですが、どんな反応がありましたか?

 

研究者の方は割と好意的なのかなと感じています。当初予想していたのは、権威を馬鹿にしているのでは、といった反発があるかなと思っていたんですけど、今のところそういうお叱りはなくて。

 

ただ、 研究者じゃない方からすると、 ちょっとどうかなと思われているかもしれません。誰でも投稿できて、おもしろく歴史のことを話せるんだと思って投稿してきた方がけっこういたんです。でも論文の体裁でなかったり査読の水準を満たしてないものはやっぱりお断りするしかなくて。

 

——歴史が好きな人は世の中に多いですから、「笑い」とか「くだらない」の部分が強調されて、誰でも気軽に歴史についての書き物が発信できる媒体だと思われてしまったと。

物語としての歴史と歴史学は似て非なるもの

新聞記事が掲載されたことで『Historia Iocularis』が広く知られるようになったのはよかったものの、趣旨に合わない投稿も多く寄せられた。そこから池田先生が強く感じたのは、物語としての歴史と歴史学の違い、また歴史好きと歴史学者の視点の差だった。その点についてはきちんと説明すべきと考えた池田先生は、雑誌の準備とは別に新書を執筆中だという。

 

——物語としての歴史と大学で学ぶ歴史学は別物ですか?

 

歴史に限らず、人間が過去のことを語ろうとするとどうしても物語になってしまうんですよね。たとえ身近な過去であっても、知人に最近あったことを話すときでも、 そこには物語性が発生します。

 

——たしかに、身に覚えがあります。昔のことを話す時とか、自分のことなのによく覚えてなかったりして、想像で補って話を作っちゃってることとかがあって。

 

一方で歴史学は学問なので、仮説を立てて、それに対して、証拠を一つひとつ集めて論理的に説明をしないといけない。その違いはわかりにくいもので、慣れていないと論文でさえ物語に見えてしまうんです。

 

だから大学では論理的に読む訓練をまずさせられます。論理的に読む力がないと、小説と同じような感じで、起こった出来事を起承転結という形でとらえてしまうんです。

 

ただ、授業で学生に読ませるための論文を探すと、ちょうどよいものがなかなか見つからないんです。権力とか国家構造とか、抽象的で難解なテーマを扱った論文では、「なんとなく歴史が好き」で専攻を決めた学生の興味を引けません。かといって論文としての水準は妥協したくない。とっつきやすさと水準の高さを両立した論文というのは本当に少なくて、そうした苦労が『Historia Iocularis』創刊の原動力にもなりました。

 

——ただ「歴史のおもしろい話」を集めているだけでは歴史学にはならないと。歴史物の漫画やゲームから歴史が好きになって、それで大学で歴史を専攻した人たちにとっては厳しい現実ですね。

 

そうなんです。ただそういう苦い経験を与えることも教育としては必要だと感じています。

『Historia Iocularis』を通じて一般の歴史愛好家の方とコミュニケーションをする機会が何度もあったんですけど、その方々の中には、大学の歴史教員は物語をいじくり回して、それでお金をもらっている仕事だ、というような誤解を抱いてる人も多いんですよね。

 

ただの歴史好きのまま学生を卒業させてしまうのは、そういった誤解が世に広まるのを助長することだと思うんです。

 

少なくとも大学で歴史学を学ぶ人には、たとえそれによって歴史が嫌いになってしまってもいいから、歴史学がどういうものなのかということを伝えないとダメだなと。その上でおもしろいと思ってもらえれば大成功なんですけど、そういう人っていうのは物語としての歴史におもしろさを感じる人とは違うタイプなんじゃないかと思います。

 

——どういう人が歴史学に向いていると思われますか?

 

理系から文転してきた人が何人かいますが、そういう学生の方が歴史学のおもしろさをわかってくれる傾向はあります。ちゃんとデータを揃えないと何も言えませんよ、そしてデータを論理的に組み合わせないといけませんよ、ということに慣れている学生たちなので。あくまで一つの傾向ですが。

 

ある学生は関西の粉物(※2)文化の変遷を調べることにしたんですが、そういったものを提供するお店の統計というのはやっぱりなくて、そこでどうしたかというと、電話帳を使っていました。電話帳に掲載された店舗の数を見ることで、業界の盛衰を可視化しようとしたんですね。もちろんそれだけで粉物消費のすべてを把握できるわけはないんですけど、検証方法として、目の付け所がとてもおもしろい。歴史学者が感じる論文のおもしろさって、実はそういうところだったりします。

 

※2 お好み焼き、たこ焼き、焼きそばといった小麦粉をつかった料理全般を指す言葉

 

——電話帳!それはたしかになかなか思いつかないですね。なるほど検証の過程を楽しめる人の方が歴史学には向いているわけですか。

創刊の原点になった「キモい研究者になろう!」の決意

いろいろな思いがからまって旗揚げされた『Historia Iocularis』だが、池田先生の研究に対する思い入れによるところも大きい。

 

——池田先生の専門は明治時代の政治経済史、とくに皇室の財産や政治家の品川弥二郎(※3)だと伺っています。素人目にはとてもお堅そうな分野ですが、ご自身でも遊びのある論文は書かれるのでしょうか?

 

※3 1843(天保14)〜1900(明治33)年。萩藩士の長男として生まれ、吉田松陰に学び尊王攘夷運動に奔走。欧州留学から帰国後、農商務省の次官、ドイツ駐在日本公使、内務大臣などを歴任

 

そうですね。タイトルからしておもしろそう、みたいなのはないんですが、真面目な論文に擬態させたようなものばかり書いています。

 

ヤジ……品川弥二郎は書簡の中で自分のことをこう呼んでるように茶目っ気のある男でもあるんですよ。そういうヤジの愛おしいところが読む人に伝わるように、なおかつちゃんとした学術誌に掲載されるように料理するっていうところに心を砕いてます。

 

近々公開される論文(月刊『日本歴史』2024年8月号に掲載予定)では、ヤジが自分自身をヤジと呼ぶようになったのはいつ頃からなのかっていうことを、彼の書簡で手に入るものすべてを徹底的に分析しました。この時期以降はずっとヤジという署名と一人称を使っていることを明らかにしたんです。

 

ヤジのここを見てほしい!っていう思いで書いたんですけど、真面目な理由としては、まずこれを明らかにすることによって、品川弥二郎の書簡のうち年代不明のものに関しては、年代をある程度推定することができるようになります。

 

あとは一人称が品川弥二郎という要人に与えた影響ですね。「僕」という一人称がいつ頃から使われるようになったかを調べた先行研究があるんですが、一人称というのは自意識とか自己認識に関わる問題で結構大事なんです。

 

発端は個人的なくだらない思いつきでしたが、でもそれが論文雑誌に載るっていうことは、意味付けがある程度評価されたのではないかと思うんです。

政治家・官僚である品川弥二郎が書簡の中で好んで用いたという一人称、「ヤジ」。本文中や署名欄にも記載がある(赤丸部分は池田先生による)
出典:明治22(1889)年1月15日付井上馨宛品川弥二郎書簡(国立国会図書館憲政資料室所蔵「井上馨関係文書 書簡の部」資料番号512‐1)

 

——ちゃんとした大義名分があればふざけた思いつきから始まったものでも真面目な研究として評価されるということですね。

 

品川弥二郎は京都に別荘を持っていて、そこから広がっている人脈というかネットワークをマトリックス図にして示したっていう研究があるんです。こんな図なんですが……。

ヤジ・マトリックス

 

このマトリックスも十分気持ち悪いんですけど、私がこの論文で1番好きなのが、ヤジが確実に京都にいたっていう期間を図にしたものです。

ヤジ・在京期間図

 

品川弥二郎が京都に別荘を置いてから亡くなるまでの間、明治 20年から32年まで、日記とか書簡とか、あと新聞記事で政治家の動向を追った記事をすべてしらみつぶしにチェックして作りました。自分で作ったものなのにすっごく気持ち悪くて、私は大好きなんですね。

それをある学会で発表したら、みんなからキモイキモイの大合唱で、「品川のストーカーかよ」とまで言われて、なんかゾクゾクしたんですね。私、気持ち悪い研究者になろうって。

 

その話を先輩にしたら、「もっとすごい人がいるよ。日本古代史の研究者の角田文衛先生は、ある妃の日記を調べることでその妃の生理周期を当てたんだよ」と教えてもらって。

 

——それは……(笑) 相当の熱意がないとできないことですね。

 

でも私はそこに衝撃を受けて。こんなに些細なことの探究にここまでの労力を費やしてる人たちがいて、やり方次第で評価もされて、それは笑っちゃうようなおかしなことなんですけど、そこに救いみたいなものを見出してしまったんです。

 

——救いですか。

 

以前は仕事として学問の探究よりは学生サービスが重視されるような環境にいたんですが、それでも研究への思いは断ち切れなくて。それで、どうせ期待されてないんだったら好きにやろうって開き直ったんですけど、それが報われた気がしたのが研究が笑いに昇華された瞬間だったんです。

 

同じような経験を、今は研究から離れてしまっているけれど、心の中に歴史学への思いが熾火のようにくすぶっている他の人たちにもしてほしいと感じました。

そこから発展して、笑いには社会を救済する力もあるんじゃないかと私は感じたんです。というのも歴史学は戦後ずっと差別とか戦争とか抑圧とかに対して怒っていて、もちろん理不尽に対する怒りというのは社会をよくしていく上で必要なことではあるんですが、怒ることが歴史学の権威とかアイデンティティと一体化しちゃってる現状があるんです。

 

——怒りを露わにすることで連帯感を高めたり自分の立場を明確にすることはSNSなどでも見られます。歴史学にもそういうことがあるんですか。

 

これはあくまで例えなんですけど、三角関数不要論とか古文漢文不要論なんかがよくSNSなどで槍玉に挙げられますよね。教育者は、自分の存在理由に関わる問題でもあるので、とくにそういうことに対しては怒ってたりして。

 

古文漢文不要論が盛り上がることについては私も内心穏やかじゃないんですけど、怒ると対話がそこで終わっちゃうと私は思っているんですね。

 

よく学生には、三角関数と古文漢文を学校教育で教えなくなった世界を考えてみましょう、たとえば、その知識のある側の人がみんなで詐欺グループを作る小説があったらどうか、とか話しています。東野圭吾の『ガリレオ』みたいな世界観ですね。そういう話をすると、学生は笑うんですけど、同時にけっこうちゃんと考えてくれるんです。どうして三角関数や古文漢文や、ひいては教養が必要なのかということについて。

 

怒りで解決できないことが笑いで解決できるっていうことは確実にあるし、そこを突き詰めていくことで、歴史学の新しい存在理由も見出せるんじゃないかと思っています。

 

***

 

「笑える」と言ってしまえば簡単だが、そこにはいろいろな思いが込められている。『Historia Iocularis』は「年内には刊行したい!」という池田先生の意気込みのもと、鋭意準備中だ。詳細は未定だが創刊イベントも企画中だという。また歴史学と歴史学者の立場について書いた新書については、『Historia Iocularis』よりも一足先に刊行される予定だ。

珍獣図鑑(22):海を渡るサワガニ!遺伝子解析で明かされた分散の歴史と驚くべき能力とは

2024年1月30日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第22回は「サワガニ×竹中將起先生(信州大学 特任助教)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

サワガニはありふれた生き物である。

海のカニたちのように高級食材として珍重されることはないし、山の近くの川に行けば簡単に採集できるので生き物好きの人々の話題に上ることもあまりない。けれどその採集の手軽さゆえに、子供の頃に飼育したことがある人は多いと思う。

 

そんなサワガニの「どこにでもいる」性質を逆手にとった研究をしているのが、信州大学の竹中先生のグループだ。

日本全国のサワガニの遺伝的なつながりを調べていく中で、伊豆半島や関東の一部に住むサワガニと、遠く離れた九州・南西諸島のサワガニとが遺伝的にきわめて近縁であるという予想外の結果が得られたという。

なぜだろう?

そこにはサワガニの驚くべき能力が隠されていたのである。

一生を内陸ですごすカニ、サワガニ

サワガニ。

サワガニ。(長野県で撮影)

 

身近な生き物であるがゆえに、あらためて考えると「どこにでもいる」「見た目がかわいい」以外にほとんどサワガニについて知らないことに気がついた。驚きの能力の前に、サワガニの生態について教えていただくことに。

 

「『沢のカニ』という名前の通り、河川の上流域であったり、山間部を流れる渓流に生息しているカニです。

春から初夏にかけての繁殖期にはメスは卵や生まれた稚蟹をおなかに抱えて保護します。

特徴的なのは卵から生まれてくる時の姿です。海に住んでいるカニや、モクズガニのように河川と海を行き来する両側回遊性のカニは卵からプランクトンの状態で生まれます。このプランクトン期は海で過ごさないと成長できないので彼らは海から離れて生活することができないんですが、サワガニの稚蟹は、成体とほぼ同じ姿で生まれるため一生を内陸で生活できます」

 

なんと、サワガニ以外のカニは海に出ないと成長できないと! むしろこっちのほうが意外。

 

「そうなんです。そもそもサワガニの遺伝子解析をしようと考えたのも、この海に下らないという性質に注目したからです。

私の専門は生物系統地理という分野で、日本列島の生き物がどこからやってきて、どういうふうに生息域を広げていったのかといったことに興味がありました。海峡や急峻な地形で細かく区切られた日本列島はこうした研究に適しています。生き物の集団が分断されることで遺伝子に変異が蓄積しやすく、そうした変異を比較することでその生き物がどうやって伝播していったかが推測できるからです。

同じような理由で、研究対象にはあまり移動しない生き物が適任です。というのも行動範囲が広い生き物だと、同じ遺伝子をもった個体が広範囲に拡散してしまうので地域性が出にくいんです。

カニにしても、プランクトン期にいったん海に下ってしまうとそこから先はどこまでも移動できてしまいます。その点サワガニは、陸を歩いて移動はできるんですけど、生まれた川からそう遠くまでは移動しないはず。だから生物系統地理の研究としては最適だと考えました」

 

なるほど、そこから全国のサワガニを解析し始めたと。

 

「数が必要な研究の対象としてはほんとにいいと思います。すぐに見つかりますから、とりあえず現地に行きさえすれば捕れる。別の目的で遠出をしたときに、同行者にちょっと待っておいてもらって捕りに行ったりもしましたね。あとは遠出する知人にお願いしたり。

しかも、これは私も驚いたんですけど、サワガニってあんなにありふれた生き物なのに体系的な研究があまりされてこなかったことがわかりました」

サワガニが生息する渓流。

サワガニが生息する渓流。

 

特定の地域に生息するサワガニに関する研究はあったものの、日本全国のサワガニを比較した研究は見つからなかったという竹中先生。

研究のブルーオーシャンは身近なところに転がっていたというわけか。

そして順調にサンプルの数を増やしながらサワガニの系統地理解析を進めていく中で、不可思議なデータに行き当たったという。

屋久島のサワガニの親戚が伊豆半島に?

「あるとき後輩が『琉球列島で採集した個体と伊豆半島で採集した個体が近縁です』と言って解析したデータを持ってきたんです。

いや、そんなわけないやろと。初めは実験ミスかなにかのせいだと思ったんですが、何度確かめても同じ結果が出るんですね」

 

これはなにか面白いことが始まる予感……。起承転結の転にあたる展開だ。

 

「もともとサワガニ属は東南アジアとか台湾とか、南方に起源をもつ生き物です。それが琉球列島や日本列島が陸続きだった時代に陸地を伝って徐々に北上して分布を広げてきたのだろうと考えていました。

伊豆半島に生息する系統が、隣接する関東地方の系統よりも遠く離れた琉球列島の系統に近縁だというのは、この仮説では説明できないことなんです。

 

これを説明するには、陸伝いに伝播したグループとは別に、琉球列島から海を渡って直接伊豆半島に移動したグループがいると考えるしかないなと」

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

 

一生内陸で過ごすと思われていたサワガニが海を越えて移動していたかもしれないと! これは大発見! しかしどうしてそんなことが可能だったんだろう?

海水でも平気だった!サワガニが持っていた驚きの能力

「私たちが一番気になったのもそこなんです。先ほど説明したようにサワガニは生まれてから死ぬまで淡水の中で生活するカニです。文献によっては明確に『海水中では生きられない』と書かれているものもあります。仮に洪水などで海まで流されることがあっても、別の場所に漂着するまで生きてられないんじゃないかと。

一応確かめてみるかということになって、海水と同じ濃度の塩水を入れた容器でサワガニを飼育する実験をしてみました。そうしたらなんと、驚くべきことに2週間たってもほとんどの個体が生き残っていたんです!」

 

すごい、定説がくつがえったわけだ!

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

 

「そうなんです。しかもサワガニはただ海水中で生きられるだけではなくて、淡水と海水を行き来する他のカニと比べても塩分に対する高い順応力を持つことがわかりました。そうしたカニは普通、川が海に注ぎ込む汽水域と呼ばれる淡水と海水が混ざりあう環境でしばらく体を慣らしてから本格的に海に下るんです。

ところがサワガニはそうした順応期間なしにいきなり海水に入れても平気だということが分かったんです。はじめはちょっと信じられませんでした」

 

海水と無縁の環境で生きているサワガニが塩分に対して高い耐性をもっていたなんて、本当に驚きだ。2週間も生きられるなら運の良い個体は海を越えて新天地にたどりつけそう。

 

「もちろん、新天地にたどりついたからと言ってすぐにそこに定着できたとは思えません。先住のサワガニとの競争に負けて淘汰されたものの方が多かったでしょう。

南西諸島に行くとサワガニの住んでいそうな渓流がそのまま海に注いでいるような環境を頻繁に見ることができます。そういう場所では増水によってサワガニが海に流されてしまうことも多かったと考えられます。

長い時間をかけて多くのトライアンドエラーが繰り返されて、伊豆半島のような定住しやすい場所に流れ着いたごく一部の系統だけが今日まで残ったんだと思います」

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

 

伊豆半島が定着するのに都合がよかった理由はなんだろう?

 

「伊豆半島はもともと独立した火山島だったものがプレートの動きで本州に合体してできた半島です。合体した時期はおよそ60万年前と比較的歴史が浅く、そのため今日でも伊豆半島には独特の生物相が残っているんです。サワガニが渡来した頃はまだ本州と合体する前で、陸伝いに伝播してきた系統がいない空白地帯だったのかもしれません」

 

なるほど、競争相手がいない状態だった可能性が高いと。

 

「同じような条件の地形である三浦半島や房総半島でも漂着した個体の子孫が見つかるのでは?と思って調べてみたところ、まさしくそういう系統が見つかりましたね」

 

サワガニの分布は日本列島の地質形成と対応しているわけですか。どんどん話が大きくなるな。

赤だけじゃないサワガニの色。じつは隠蔽種がたくさんいるかも

素朴な疑問だけれど、伊豆半島は現在では本州と接続して、サワガニについていえば琉球列島起源の系統と本州の系統の生息域が陸上で接している状態だ。同じサワガニ同士、交配で遺伝子が混ざっちゃうことはないのだろうか?

 

「いわゆる浸透交雑ですね。そういう例も見つかっています。

有性生殖する生き物のDNAは、ミトコンドリアDNAが母親、核DNAが父親・母親両方から受け継いだものですが、ミトコンドリアが伊豆の系統、核が本州の系統というサワガニが見つかっています。つまり伊豆の母親と本州の父親の間で生まれた個体がすでにいるわけです。

まだ詳しいことはわかりませんが、徐々に交雑が広がりつつあるという可能性もあります」

 

60万年という途方もない時間のようだが、そのくらいではまだ混ざらないと。

 

「伊豆半島はサワガニ以外でも固有の生物が観察される場所です。陸続きになったあとも生き物の移動を妨げるなんらかの障壁があるのかもしれません。ただ種によっては本州との新棟交雑が完了してしまっているものもいるので、そうなる場合とならない場合で何が違うのかはよくわかっていません。

交雑といえばおもしろいのが、伊豆・三浦・房総の系統はみんな青い色をしているんですが、関東の丹沢山地にも青いサワガニが見つかっています。つまり遺伝子的には本州の系統なのに、体色だけは伊豆の系統と同じものがいるんです。海を越えて持ち込まれた青い体色という形質が本州の系統に伝播したのかもしれません」

 

青いサワガニがいるとは!

 

「一般的にカニといえば赤というイメージを持たれる人が多いですが、サワガニについていえば赤、黒、褐色、青、そしてまれに金色の個体が見つかるなど、体色は多様です。」

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

 

「海流で分散した伊豆系統のサワガニが青い体色をもつというのもそうですが、ほかの地域でもサワガニの色には強い地域性があります。ただ同じ地域に2つ以上の体色が存在する例もあって、体色の決定は遺伝的な要因というよりも生息環境によるものであるとこれまでは言われてきました」

 

ここまで見た目が違うならもう別種では?と思ってしまうけれど、遺伝子レベルでの別物かはわからないと。

 

「体色による線引きが可能かはまだわかりませんが、現在サワガニと呼ばれている種がいくつかに分かれる可能性はありますよ。

これまでも屋久島のヤクシマサワガニや甑(こしき)島のコシキサワガニのように島ごとに種分化したサワガニはいくつも記載されてきましたが、今回の研究で九州や四国に生息するサワガニも、ほとんど別種といっていいほど遺伝的に離れていることがわかりました。これらは外見による区別が困難ないわゆる隠蔽種の可能性があります。近い将来に、我々がサワガニと呼んできた生き物がさらにいくつかの種に分かれるかもしれません」

 

地域変異の大きな生き物が、詳しく調査された結果何種類にも細分化されるというのはままあることだが、サワガニにもその波が来るかもしれない。これはなんだかワクワクしてくる。

 

「フィールドでは地形と生物の関係みたいなことを意識しているので、「この場所とこの場所だと遺伝的に分かれるんじゃないかな?」みたいな小さな仮説をたてながら採集しています。それを実験室に持ち帰って解析したら、実際その通りになってたりとか。前述の三浦半島や房総半島で採集した個体が海流で分散してきた系統だったのは、まさにその仮説が当たった例です。今後もそういったフィールドでの感触と実験室での裏付けを両輪にした研究をしていきたいです」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】サワガニ

サワガニ。

一生を河川の中・上流域で過ごす淡水ガニ。日本列島の青森以南で普通に見られ、捕獲が簡単であるため子供たちからの人気も高い。地域によって青、黒、褐色、赤などの体色が見られ、ごくまれに金色の個体が発見されることもある。きれいな水にしか住めないため、水質階級I(綺麗な水)の指標生物ともなっている。

 

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