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珍獣図鑑(26):外来・在来論争に決着が!遺伝子解析から明らかにする、ハクビシン渡来の経路

2024年6月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第26回は「ハクビシン×増田隆一先生(北海道大学)」です。それではどうぞ。(編集部)


ハクビシン、その毛色はさまざま

ハクビシンは不思議な生息分布をした生き物である。関西・四国から東北にかけて広く生息しているけれど、中国地方ではほとんど見られず、九州と北海道(奥尻島を除く)にはまったく分布していない。しかし生息数が多い場所では、市街地にも顔を出すほどメジャーな存在だ。

 

そんな(場所によっては)身近な存在であるハクビシンには、長らく在来・外来論争が存在した。もとから日本に生息していたのか、人間によって持ち込まれたのか、意見が分かれていたのだ。その論争に決着をつけたのが、北海道大学大学院理学研究院で哺乳類を研究する増田隆一先生。

 

前述のとおり、奥尻島を除く北海道にハクビシンは生息していない。なぜあえて研究しようと思ったのだろう?

 

「東南アジアの研究者との共同研究で南国の動物も調べてきたんですが、タイで共同研究者の方に現地の自然環境とか動物園を案内してもらったときに、ハクビシンを見る機会がありました。それまで日本のハクビシンは写真で見たことがあったんですが、そのタイで見たハクビシンというのが、日本のハクビシンとずいぶん毛の色が違ったんです。タイの別の動物園で見ると、これもまた別種かと思うくらい見た目が違う。それ以来、ハクビシンが遺伝的多様性を獲得しつつ分布を広げて行った経緯が気になっていました。

 

私はイタチやキツネの研究もしていて、日本全国のいろんな動物園とか博物館から交通事故で持ち込まれた個体が標本として保存されているのを送ってもらうことがあります。そういうときに『最近ハクビシンの標本が増えてきたんですけど、なにか利用されませんか?』と聞かれることがあって、せっかくだからと送っていただいた各地のサンプルがだんだん蓄積されてきたので、日本全国のハクビシンのDNA解析に研究として取り組むことにしました」

 

なるほど、交通事故死したハクビシンの標本を有効活用できないかという提案がきっかけだったと。それにしても、日本とタイで毛の色がずいぶん違うというのはおもしろい。

 

ハクビシン、その毛色は地域によってさまざま。
左上:上野動物園のハクビシン 写真:photolibrary
左下:台湾のハクビシン(白鼻心)撮影 張仕緯博士・台湾農業部生物多様性研究所
右上:タイのハクビシン、タイ・ドゥジット動物園にて増田隆一撮影
右下:タイのハクビシン、タイ・カオキューオープン動物園にて増田隆一撮影

 

「ハクビシン(白鼻心または白鼻芯)はジャコウネコ科の動物で、おもに中国大陸の南部から東南アジアにかけた地域が生息地です。鼻から頭のてっぺんにかけて縦に白いストライプが入っていることから、日本ではこの名前で呼ばれています。

 

日本・台湾・ベトナムなどに生息しているハクビシンは、名前の通り明瞭なストライプが見られます。ところが、たとえばインドネシアのボルネオ島に生息するハクビシンは顔のストライプがなくて、ただ茶色っぽい顔をしています。かと思うとタイの動物園で見た個体は顔全体が白というか、グレーだったり。毛の色の多様性が非常に高い動物なんです」

 

地域によってはストライプが完全に消えてしまうということは、その模様には生存するうえではとくに意味はないということ?

 

「模様のもつはっきりとした意味は、ちょっとわからないです。ただ、ジャコウネコ科はさらに上位の食肉目という分類群に属するんですが、食肉目の動物には顔に模様をもつものが多いんです。身近なところだとタヌキとかアナグマとかアライグマなどです。理由はわかりませんが共通の祖先が顔に模様が入る遺伝子をもっていて、それを受け継いでいる可能性はあります」

顔の模様は仲間の証?(写真:photoAC)

 

東南アジアと東アジアの広い範囲に、いろいろな模様のバリエーションで生息しているハクビシン。日本にいること自体は不思議ではないような気もする。問題はいつ、どうやって日本にやってきたかということだ。

遺伝子を解析することで台湾から渡来したことを立証!

ハクビシンには外来種(人為的に持ち込まれた種)であるという説と在来種(人の手を頼らずに日本列島に到達し、定着した種)であるという説があったそうだけれど、まず外来種説にはどんな論拠があったのだろう?

 

「日本にいる在来の哺乳類、例えばニホンザル、ニホンイタチ、タヌキ 、キツネなどの化石は、更新世(今から約258万年前から約11,700年前までの期間。氷河の形成によって海面が下がり、日本列島と中国大陸が陸続きだった期間を含む)の後期までの地層から発見されています。それまでには大陸から渡ってきて、日本列島で生活していたはずなんです。しかしハクビシンの化石がみつかりません。また、現在日本にいるほとんどの哺乳類の骨は縄文時代の貝塚の跡から見つかるんですが、ハクビシンはこれにも見あたりません」

 

痕跡がいっさいないと。

 

「分布域も不自然です。大昔に日本にやってきたのであれば本州・四国・九州などでは一様に分布しているはずですし、事実在来種の動物の生息地域は連続的です。しかしハクビシンはポツポツと飛び石上に分布していて、最近になって生息地が広がっていっています。在来種と分布のパターンが違うじゃないかということも、外来種説を後押ししています」

近年分布域が拡大しているため、本州・九州全体に広がるのは時間の問題だとも言われるが、現状ハクビシンの分布域は在来種の動物に比べて局所的だ。環境省自然環境局生物多様性センターによる調査結果(2018年)より

 

たしかに、これは不自然。外来種説がかなり濃厚な気がするけれど、逆に在来種だとする根拠にはどんなものが?

 

「こちらは江戸時代の古文書に描かれたそれらしい動物の絵が根拠になっています。顔に縞模様があって、爪が出ていて、雑食性の動物だということが記載されています。ただ、ハクビシンという名前は書かれていません。古くからいた動物なのに、名前はついてないのか?という、この点には疑問が残ります」

 

うーん、在来種説の方はちょっと根拠として弱いような。そんな感じで分が悪い在来種説だけれど、増田先生が全国から集まったハクビシンの標本を遺伝子解析した研究によってついに決着がついたと。

 

「以前から台湾から渡来したとする説はあったんですが、遺伝子を解析することでそれが立証されたと考えています。

 

解析には、まずミトコンドリアDNAを使いました。通常、DNAというのは父親と母親の双方から半分ずつ子に渡されるのですが、ミトコンドリアDNAは例外的に100%母系、つまり母親からのみ渡されるため、家系を追跡するのに使われます。さらにミトコンドリアDNAは進化するスピードが非常に速い。近縁な集団同士でも違いを検出しやすいんです」

 

そんな都合の良いDNAがあるとは。

 

「最初に共同研究として日本と東南アジアのハクビシンを比べたんですが、両者は明らかに違いました。次に台湾のものと比較してみたところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかりました」

 

ミトコンドリアDNA解析によって導かれた台湾から日本への渡来ルート Masuda et al.(2010)および増田(2024)より

 

ミトコンドリアDNAを比較したところ、台湾西部と日本の関東地方、台湾東部と日本の中部・四国地方でそれぞれ同じタイプが見つかったという。

 

「このような結果から、日本のハクビシンは台湾から、それも少なくとも2つのルートで入ってきた可能性が高いと考えました。その後、ミトコンドリアDNAとは別のマイクロサテライトというDNAを使って全国の集団を調べました。これはミトコンドリアDNAと違って父親・母親の双方から受け継ぐ遺伝子です。その結果、中部・関東・四国の3つのグループが存在することがわかったんですが、台湾で見つかったグループがちょうどこの3つの中間の特徴をもっていました」

マイクロサテライトDNA解析からみた集団間の関係 Inoue et al.(2012)より

 

「それから遺伝子の多様性という点でも、日本の集団は台湾の集団よりもはるかに低いんです。これは台湾のある系統が少数日本にやってきて分散後、まだ日が浅いことの証拠だと考えられます。

 

私たちの研究室では日本在来の動物についても同じような方法で調査をしているんですが、こういうパターンを示す動物はほかにいません。日本列島に隔離されて長い年月が経過したものは、やはり大陸と比べて日本列島に特有の遺伝子の多様性を示すようになります」

 

DNAからそんなことまでわかるなんてすごい。いつどうやって持ち込まれたかまではわからないけれど、ハクビシンは外来種だと考えて間違いないようだ。

この研究については、増田先生の著書『ハクビシンの不思議: どこから来て、どこへ行くのか』(東京大学出版会)に詳しい。

外来種だとはわかったけれど......

台湾や東南アジアのような温暖な地域からやってきたにも関わらず、今日では青森(加えて、飛び地的に奥尻島)まで生息地を広げているハクビシン。意外に寒さに強いのだろうか?

 

「冬場は、おそらく民家の天井裏のような人の生活する場に近いところにいると思います。そういった場所は比較的暖かいですから。食べ物は人が出したゴミを漁ったりして、人に依存して生活することによって厳しい冬をしのいでいるんじゃないかと」

 

さすが、適応力が高い。日本の在来の生態系にも影響を与えそうだ。

 

「体のバランスをとるための長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意です。対して、日本在来の動物で性質の近いものだとタヌキやアナグマが思い浮かびますが、これらは木登りが苦手なので、生息場所としては住み分けができてるのかなと。

 

ただ、ハクビシンは食肉目といいつつもっとも好んで食べるのは果実なんです。そして果実はタヌキやアナグマなども食べますから、食べ物の点では競合してしまうでしょうね」

長くて太い尾をもつハクビシンは樹上生活が得意。その能力を活かして、都会では電線を伝って移動することも。(写真:photoAC)

 

果物、好きなのか。農家からは害獣扱いされるのも納得かも。

 

「果物を食べる性質を利用して、東南アジアや台湾では特別なコーヒー作りもされていますよ。インドネシアの言葉でコピ・ルアクと言いますが、コーヒーの実をジャコウネコ科の動物に食べさせて、未消化で出てきた種(たね)をコーヒー豆として焙煎して利用するんです。使われる動物は主にジャコウネコの仲間で、ハクビシンが使われることもあります。腸内で起こる消化と発酵の作用で、マイルドで独特な風味がつくようです。

 

日本で真似するのは難しいかもしれませんが、果実を食べたハクビシンが遠くに行って、種の入った糞をすることで、植物の種子が広がることは考えられます。種子散布者といって、植物の分布や森林の範囲を広げる役割を生態系の中で果たす可能性はあるんです」

 

なるほど、在来の自然を守るという意味では外来種はいない方がいいけれど、定着してしまった以上は生態系における役割にも目を向ける必要があるということか。

 

「ここまで生息地が広がってしまった以上、ハクビシンを完全に駆除するということは難しいでしょうから、農作物や人家への被害を最小限におさえて共存していくしかないと思うんです。

 

それは研究の上でも同じことで、日本列島において現在進行形で分布を広げているハクビシンは貴重な知見を与えてくれます。かれらを研究することが、在来種の歴史やひいては日本列島の自然史を考えることにつながっていくんじゃないかと考えています」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】ハクビシン

東南アジアから中国南部にかけて自然分布。日本には、台湾から人為的に持ち込まれたことが遺伝子解析により判明。ハクビシンという名は鼻に白いストライプがあることに由来するが、毛の色の多様性が高く、東南アジアに生息するグループではストライプのないものも。長くて太い尾をもち、樹上生活が得意。雑食だが、特に果物が大好き。

ブックレビュー(4):「やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち」

2024年6月4日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。

第4弾は、珍獣図鑑(20):草地に住む巣作り名人、カヤネズミ。保全のための奇策は川柳?で河川敷で暮らすカヤネズミについて教えてくださった畠佐代子先生の共著書、『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)を取り上げます。(編集部)


 

「やぶこぎ」という言葉に馴染みがない人もいるかもしれない。漢字で「藪漕ぎ」と書いたら、少しわかりやすくなるだろうか。人の背丈よりも高い草が生い茂る藪の中を、両手でガサガサとかき分けながら歩くことを表す言葉だ。ライターとは別に生き物の調査に従事することもある筆者(岡本)は藪の中に分け入る機会も多いのだが、押しのけた草の反発力で逆にこちらが押し戻されそうになるときは、まさに「漕ぐ」という言葉がふさわしいなと感じたりする。

 

自分でも一日中藪漕ぎした経験があるだけに、今回紹介する『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』という絵本には思わず「あるある!」と膝を打つ場面が多かった。カヤネズミ研究者として以前ほとゼロで取材させていただいた畠佐代子先生が紹介するのは、河川敷に生い茂る草むらを隠れ家として暮らす生き物たちの世界、そして藪漕ぎによってそこへ踏み込んでいく観察者の姿である。長年河川とその周辺のフィールドで研究を続けてきた畠先生がこれまでに出会ってきた景色、生き物、そしてそれらの移ろいゆく姿が、イラストレーターのモリナガ・ヨウさんの手による水彩画として浮かび上がる。そのタッチはとても優しく、魅力的だ。

フィールドの風景がそのまま絵本に。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

筆者は畠先生ともご縁があって、何度か河川敷の調査をご一緒させていただいたことがある。先生がカヤネズミの調査をしておられるフィールドも教えていただいた。だから1ページ目をめくって「あ!」と驚いた。なんだか見覚えのある川の風景が、もちろん個別の景色を覚えているわけはないのだが、見開きで広がっていたのだ。普段はそれほど意識していなくても、あらためてイラストとして提示されると、一口に川と言ってもそれぞれにずいぶん個性があるのだなと気付かされる。

 

川だけではなく登場する動物たちも魅力的だ。カヤネズミとハタネズミのような描き分けにくいモチーフも、シンプルな線のなかでそれぞれの個性がきっちりと表現されている。絵本の製作にあたって畠先生と一緒に藪漕ぎをしたというモリナガ・ヨウさんの力量というほかない。『やぶこぎ』にはアオサギのような大きくて有名なものから、土の下にいるのでほぼ目にする機会のないコウベモグラまで、さまざまな生き物が紹介されている。海や山に比べて決して広くはない河川敷のスペースが、これほど多くの生き物の住処になっていたのかと驚くばかりだ。

 

近年河川敷の草地が直面している問題に紙幅を割いているのも注目すべきポイントだ。植物ならオオアレチノギクやアレチウリ、動物ならミシシッピアカミミガメといった外来生物が爆発的に増殖する外来種の問題。それから、河川改修が進んだことで大水が起こりにくくなって生じる問題。大水が起こらない、というのは一見するとよいことのように思えるけれど、定期的に水に浸かることのなくなった土地は樹林化が進んで、ほっておくと草地ではなくなってしまう。カヤネズミの記事でも紹介したとおり、温暖多湿で木の育ちやすい日本列島の環境では草地とそこに暮らす生き物はとても貴重なのだ。

背より高い草に四方を囲まれて思わず空を見上げる。藪漕ぎ中の「あるある」だ。『やぶこぎ 川辺の草はらと生き物たち』(モリナガ・ヨウ、畠佐代子 くもん出版)より

 

この本の見どころについて紹介してきたが、筆者が一番注目してほしいところというか、「やぶこぎ」をして「これは……!」と息を飲んだのは、その空気感だ。藪に入った者が感じる世界観と言ってもいい。

 

藪という日本語は、芥川龍之介の小説『藪の中』のように昔からどこか常の人間の世界から離れたところにあるもの、中でなにがどうなっているのかわからない不可知なものというニュアンスで使われてきた。道も目印もないだだっ広い河川敷のオギ原に飛び込んだ者は、大げさかもしれないがその「人間の世界」から切り離された感覚を味わうことになる。実際に藪漕ぎをしたことのある筆者の実体験である。

 

自分の背よりも高いオギやヨシのカーテンに四方を遮られれば、自分がどこにいるのか、どちらを向いているのか、それどころか1m先に何があるのかさえはっきりしなくなる。町からさほど離れていないはずなのに、その喧噪はとても遠い。見上げると、視界の端をオギの葉の緑に切り取られた青い空が広がっていて、生き物を追いかけているうちに自分の足跡を見失ったかつての筆者は「ここで死んでもだれにも気付いてもらえないんだろうな」などと怖いことを考えもしたのだった。少し心細かったけれど、人間の世界から離れてカヤネズミをはじめとする草むらの世界に適応した生き物たちの世界にお邪魔させてもらっているのだと思うと、同時に胸の高鳴りを覚えた。

 

『やぶこぎ』はそんな非日常な体験の一端を垣間見させてくれる。これから河川敷のフィールドに行ってみようという人にも、かつて行ったことがある人にもオススメできる一冊だ。

 

佐代子先生からのコメント

人の背丈をはるかに越えるオギをかき分けて歩くと、たくさんの生き物に出会います。オギやヨシが生える河川敷の草はらは、私たちの身近にある自然ですが、普段注意を払う人はあまり多くありません。そのことをとても残念に思っています。子どもたちに、河川敷の草はらの魅力を伝えたい、そして生き物たちに興味を持ってほしいと思ったのが、この絵本を作るきっかけになりました。でもよいことばかりではなく、樹林化や外来種問題など、全国の河川が抱えている問題もぜひ知ってほしい。そうした私のさまざまな思いを、モリナガ・ヨウさんの繊細なタッチで形にしていただきました。絵本は初夏の河川敷をメインに扱っていますが、巻末に河川敷の四季や樹林化などの解説を入れましたので、大人の方も楽しめる内容になっていると思います。

 

モリナガ・ヨウさんからのコメント

自然系の絵本を一冊全部手掛けるのは初めての経験でした。写真をトレースして草やぶを描こうと思えば大変な手間ですが、フィールドに足を運んで植物を持ち帰り、実物の構造を一回身体に覚え込ませて、あとはその繰り返しという描き方にしたのがかえって近道でした。動物パートは、野生のものを描くのは大変なので動物園がたよりでした。けれどコロナ禍で休園してしまい、再開するやいなやスケッチブックを持って駆けつけたのもいい思い出です。絵本作りは準備期間も含め数年がかりの作業で、その間に絵本の舞台となった畠先生のフィールドも移り変わっていきます。取材写真を見ながら「この葉っぱも虫ももういないんだな」と少し不思議な気分になることもありました。

夕方になって絵本が終わる場面で背景に山の稜線が描かれています。畠先生のフィールドからの景色そのままなのですが、関西出身の友人たちから「舞台は木津川?桂川?」と絞られびっくりしました。関東民の自分にはない感覚です。

 

珍獣図鑑(25)え、交尾相手の翅を食べちゃうの!?思わず二度聞きしてしまう、リュウキュウクチキゴキブリの不思議な生態

2024年5月23日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第25回は「リュウキュウクチキゴキブリ×大崎遥花さん(京都大学)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

カマキリのオスが交尾の最中にメスに食べられてしまうことは有名である。これは性的共食いと呼ばれ、理由は明白、メスが産卵に必要な栄養を効率よく補給するためだ。

 

今回、珍獣図鑑に収録されるのはリュウキュウクチキゴキブリという、聞き慣れない名前の昆虫。カマキリと似て交尾の前後に共食いをする昆虫だが、その様子は一風変わっている。なんとオスとメスがお互いの翅(はね)だけを食べ合ってしまうというのだ。しかもこのような行動をするのは世界でリュウキュウクチキゴキブリだけだという。話を聞いた研究者たちがみな一様に首を傾げる奇妙な行動、そんなリュウキュウクチキゴキブリの生態を研究する大崎遥花さんにお話を聞いた。

翅の食べ合いに一夫一妻制、リュウキュウクチキゴキブリは珍しい生態の宝庫

朽木の中で身を寄せ合うリュウキュウクチキゴキブリ

朽木に棲むリュウキュウクチキゴキブリ。森の中で見つけた朽木を割る、いわゆる「材割り」によって採集する。(写真:大崎氏)

 

リュウキュウクチキゴキブリとは聞きなれない名前。推察するに琉球(沖縄)の朽木にいるゴキブリと読めるけれど、どんな虫なんだろう?

 

「その名の通り沖縄の森の、腐朽した木の中に棲んでいるゴキブリです。奄美群島より南にしか生息していませんが、本州でも近縁種であるオオゴキブリを観察することができます。

ゴキブリというとどうしても民家に出没するクロゴキブリやチャバネゴキブリを連想しがちですが、リュウキュウクチキゴキブリは森の中にしかいません。しかも朽木の中から滅多に出てこないので、普通に生活していたらまず目にすることのない昆虫です」

 

生息している場所については、名は体を表すような生態だということか。

 

「棲家が朽木なら、食べ物も朽木です。木の種類の選り好みはあまりないようですが、真新しい木ではだめで、白色腐朽菌というキノコをはやす菌の入った朽木なんかによく見られます。そういった棲家や食物については近縁種のオオゴキブリとそれほどかわらないんですが、おもしろいというか変わっているのはやっぱり繁殖ですね。交尾のときにお互いの翅を食べてしまうのもそうですし、他にもリュウキュウクチキゴキブリはオスとメスがつがいになるとどちらかが死ぬまで一夫一妻制を貫いて、しかも生まれてきた幼虫を共同で育てるという昆虫には非常に珍しい特徴を持ち合わせているんです」

 

翅を食べ合う以外にも、雌雄共同で子育てを!

 

「そうなんです。生物学でいう一夫一妻制には、①つがいになったうえでその決まったパートナーとだけ交配する『遺伝的一夫一妻制』と、②つがいの関係は特定のパートナーと維持しつつ交配に際しては別の相手と浮気することもある『社会的一夫一妻制』の2つがあります。例えば鳥はおしどり夫婦などと言われますが、意外にも①は満たしていなくて浮気していたりします。リュウキュウクチゴキブリも、①『遺伝的一夫一妻制』については遺伝子マーカーを使った厳密な検証に取り組んでいるところなのでまだ断言はできないんですが、②『社会的一夫一妻制』については観察結果などからほぼ間違いないとみられています。

そして両親の保護のもとで生育することを前提としているためか、生まれてくる幼虫は子育てをしない他の種のゴキブリに比べて未熟な印象を受けます。人間の子供なんかもそうですが、自立まで親の保護を受けられる生き物の場合、晩成型といって、生まれてすぐ自立することを求められる生き物よりも未熟な状態で生まれてくるという特徴があることが多いです」

1齢から7齢までのリュウキュウクチキゴキブリを並べたところ

両親の庇護を受けられる前提で生まれてくるリュウキュウクチキゴキブリの幼虫は、他のゴキブリの幼虫よりも脆弱だ。(提供:大崎氏)

 

以前に珍獣図鑑で紹介したタガメのように、子育てする昆虫はほかにもいる(編注:タガメの場合は孵化するまでの卵をオスが守る)。けれど、ゴキブリの仲間がそういうことを、しかも雌雄共同でするっていうのは意外だ。

 

どうして翅を食べてしまうのか?

ずっと同じ相手とつがいを維持して、共同で子育てするリュウキュウクチキゴキブリからは、共食いで相手を殺してしまうカマキリの刹那的な関係とは真逆の印象を受ける。そんな彼らを唯一の存在たらしめているのが、交尾の際に相手の翅を食べてしまうという習性だ。オスとメスが互いを食べ合う行動が報告されているのは、世界でもリュウキュウクチキゴキブリだけだという。具体的にはどんな感じで進行するのだろう。

 

「ペアによって多少の違いがあるんですけど、まず触角でタッチし合ったあとにグルーミングが始まります。相手の翅や背中など体表を口器で舐める行動と私は定義しています。そのグルーミングがしばらく続いた後、おもむろに翅を食べ始めます。その食べ方っていうのも、翅の横からとか先端からとか個体によってまちまちで、しかも一気に食べてしまえばいいのに、食べている途中でいきなりぷいっと離れていってしまったりとか。なぜかわからないんですけど、一時休止するみたいなフェーズがあったりするんですね。しかも再開したと思ったら食べる側と食べられる側が交代したり。ほんとにケースバイケースなんです」

リュウキュウクチキゴキブリが翅の食い合いをする様子を描いた点描画

交尾の際に起こる、翅の食い合い。イラストは大崎さん自らが描いたものだ。暗所での交尾の様子は写真に撮るのが非常に難しいのだが、「じゃあ、絵に描けばいいのでは」と思ったのがきっかけだという。

 

休止時間を挟んだりしてなんとも悠長に進むと。時間がかかりそうだ。

 

「最低でも12時間くらいはかかりますね。長いときは1日とか2日とか。動画をとるんですが、長いときは途中でカメラのSDカードを交換しないといけないので、たいへんです。そうやって休止と再開を繰り返したりしながら互いの翅を食べていって、最終的に両者の翅が基部をちょっとだけ残した状態までなくなって、翅の食べ合いは終了です。

 

ここに長い時間かけるのも本当に不思議なんです。何かを食べてるときっていうのは、外敵に対して無防備になりがちなので、本来できるだけ短時間で済ませたほうがよいものです。でもリュウキュウクチキゴキブリはそうではなさそう。なので翅の食い合いは朽木にトンネルを掘ってからその中で行うと予想しています。それにしたって短く済ませばトンネルの整備などもっと他のことにその時間を使うこともできるはず。しかも、食べた翅はほぼ未消化の状態で排泄されるので、大きな栄養源となっている可能性は低いです。生物における雌雄間の摂食を伴う配偶行動としては、栄養摂取ができる『性的共食い』や、オスからメスに食べ物を送る『婚姻贈呈』が知られていますが、リュウキュウクチキゴキブリの場合はそのいずれとも違った要因で進化した行動である可能性が高いんです」

 

栄養源としては利用されないとはますます不思議な。

じゃあどうして翅を食べ合う必要があるのか、なにか仮説はあるのだろうか?

 

「翅を『食べる』ことではなくて、『食べられる』ことにも意義があるんじゃないかというのを考えています。生まれ育った朽木から旅立って、新しい朽木を探す間は飛翔するのに翅が必要なんですけど、先ほど説明したようにリュウキュウクチキゴキブリは一夫一妻制なので一度パートナーを見つけた後はその朽木から移動する必要はないと予想できます。パートナーを見つけた時点で翅は不要になると考えられるんですね。しかも湿度が非常に高い朽木の中はカビやダニが発生しやすく、翅がそういったものの温床になってしまった個体も見たことがあります。翅は不要でしかも持っていると不利なので、取り去ってしまいたいんじゃないかと。

 

実際、羽蟻などは新天地に到着した後は翅を自切して捨ててしまいます。彼らの翅の基部にはあらかじめ自切のための機構が仕込まれてるんですが、リュウキュウクチキゴキブリは体が大きく重さがありますから、翅の強度を下げてしまいかねない自切の機構を獲得できなかったんじゃないかと推測しています」

 

安易に人間の行動に例えるのはよくないとはわかってはいても、結婚後はふらふらどこかに行ったりしないぞという決意表明みたいに思えてしまう。

 

「翅の食べ合いの前に、相手がパートナーにふさわしいかを見極める『配偶者選択』、メイトチョイスっていうんですけど、そのプロセスがあるはずなんです。ずっと一夫一妻を貫くということは最初のパートナー選びがかなり重要だからです。観察していると触角でちょっと触れ合っただけでその先に進まないというケースも見られます。どういう基準で相手を選んでいるのかはまだ調べていないんですが、翅の食い合いと交尾が同時並行で進むフェーズまで遷移すると、そこから先は最後まで突き進むことが多いです」

 

翅を食べ始める=パートナーの決定ということだと。翅を食べられない状況だとどうなるのか、実験してみたくなるな。

 

「博士課程にいたときに、翅をコーティングして食べられないようにしてみたらどうだろう?というのを思いついて、やってみたんです。最初は翅をプラ板で挟んでやったりして。ただリュウキュウクチキゴキブリは顎の力が強いので、しつこく齧って剥がしてしまうんですよ。しかもオスとメスが必要なので一度の実験につき最低2匹はそういう加工をしないといけなくて。それでもなんとか、翅を食べるのを妨害するやり方を確立して、その後生まれる幼虫の数などを比較してみたんですが……なんと、翅は食べても食べなくてもほとんど変わらないという結果が出たんです!

 

生き物の進化の理論的には労力がかかるのに意味のない行動というのは淘汰されて消えるはずなので、何かしらベネフィットがないとおかしいんですけど、どうにも差が出なかった。もちろんこれは飼育環境下での実験なので自然条件では違いが生まれるのかもしれませんが」

 

専用の工具まで自作して行った「翅の食べ合い妨害実験」だが、意外にも妨害の影響は出なかったという。(写真:大崎氏)

 

「さらに、『じゃあ最初から翅を取ってしまったらどうなるのか?』と思って実験しましたが、こちらも問題なく交尾は進みました。たとえば、翅の有無で相手が交尾済みかどうかを判定している、というようなことはないようです。そんな感じですので、翅の食べ合いという行動がが彼らにとってどのような意味を持っているのかを説明するには、もう少しいろいろ実験してみないといけません。先述の仮説はこの実験結果とも矛盾しないですし、他にも考えているものがあるので、いっぱい実験したいですね」

 

翅はなくてもいいとなると、ますます謎だ。そして欠けたピースを探して研究はまだまだ暗中模索状態であると。これは今後に期待!

クチキゴキブリ研究の七転八倒については、大崎さんの著書『ゴキブリ・マイウェイ』(山と溪谷社)でも詳しく紹介されている。

 

唯一のクチキゴキブリ研究者とゴキブリの出会いは中学までさかのぼる

小さい頃から昆虫には興味があった大崎さんだが、ゴキブリとの出会いは偶然の縁によるものだったそうだ。

 

「子供の頃から虫は好きだったけど、ゴキブリに興味をもったきっかけは中学のときのある授業でした。その授業では、自分の面白そうだと思ったことを自由に調べて発表することになっていて私は理科が好きだったから、理科の先生のところに「虫がやりたいです」と言いに行きました。そうしたら先生がパソコンで両生類・爬虫類用品の販売サイトを見せながら『これでなにか実験してみたらどう?』って言ってくれたんですけど、それが餌用のマダガスカルオオゴキブリだったんです。しかも先生が注文したゴキブリが後日ほんとうに届いて。初めて見る種だったのですがそのへんにいる普通のゴキブリとは違って、おもしろいなと感じるようになったんです」

大崎さんによるマダガスカルオオゴキブリのイラスト。平べったくて蛇腹のような体はリュウキュウクチキゴキブリに似ている。

 

「そのときの実験は『ゴキブリが入っていきやすい隙間のサイズは?』とか『ゴキブリに制汗剤のスプレーをかけたらどうするか?』などの行動実験をやったんですが、みんなの前で発表したら意外なくらいウケて、自分でやっておいて驚きました。

 

大学に入ってからは本格的に昆虫採集をするようになったんですけど、南西諸島に採集に行ったときにリュウキュウクチキゴキブリや彼らの変わった生態について知りました。卒業研究のテーマを何にするか悩んでいた時期に翅の食い合いのことを思い出して、珍しい行動だから研究しがいがあるんじゃないかと思って担当教員のところに持って行ったら、学術的にも意義があるとOKがもらえて、ここから今の研究が始まりました。」

 

その中学の先生がいなかったら今日のゴキブリ研究もなかったかもしれないわけか。学校の先生の役割は、我々が想像する以上に大きいようだ。

中学の授業での運命的な出会いから時を経て、ゴキブリ研究に情熱を燃やし続ける大崎さん。2023年の8月からはアメリカ・ノースカロライナ州立大学にも籍を得て、かの地でゴキブリ研究を続けている。

リュウキュウクチキゴキブリの翅の食べ合いは他の生き物に例のない現象で、なんでそんなことをするのか?がわかれば「性的共食い」や「婚姻贈呈」と並んで第3の摂食を伴う配偶行動として教科書に載るかもしれないとまで言われている。

その秘密が明らかにされる日が楽しみでならない。

 

【珍獣図鑑 生態メモ】リュウキュウクチキゴキブリ

リュウキュウクチキゴキブリが翅の食い合いをする様子を描いた点描画

琉球列島に生息する森林性のゴキブリ。台湾・八重山諸島に分布するタイワンクチキゴキブリの琉球亜種。生涯のほとんどを朽木の中で生活する。一夫一妻制で子育てをする、交尾に際してお互いの翅を食べてしまうなど特異な生態をもち、翅の食い合いの適応的意義はまだはっきりと解明されていない。

 

 

 

歴史学者が笑いにこだわるワケ。新しい学術雑誌にこめた思いを京都府立大学文学部の池田さなえ先生に聞いた。

2024年5月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

漫画にゲームに大河ドラマ。世の中は魅力的な歴史(に着想を得た)コンテンツで溢れかえっていて、我々は老若男女問わずそれらに夢中になる。歴史は人間の物語的創造性の源泉なのだ。そして、そういう物語としての歴史好きが昂じて、学問としての歴史に身を投じる人も少なくない。

 

ただし「歴史好き」が「歴史学者」になるために乗り越えなければならない壁は思いのほか高く堅牢だ。そう語るのは、京都府立大学で明治期の政治経済について研究する池田さなえ先生である。

 

自身も司馬遼太郎の『幕末』という小説集がきっかけで日本近代史に興味をもったという池田先生。歴史学の世界に新たな風を吹き込みたいという一念で創刊準備中の、一風変わった学術雑誌『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)が新聞で紹介されて話題になったことで、前述の「歴史好き」&「歴史学者」の視点の違いがいっそう浮き彫りになったという。

学術雑誌『Historia Iocularis』のテーマは「笑い」

「最近、表紙ができたんです」と池田先生

 

池田先生が現在創刊準備中であるという学術雑誌が『Historia Iocularis』(ヒストリア・イオクラリス)だ。歴史学の学術雑誌はすでにいくつもあるけれど、そういった伝統的な学術雑誌とはちがった趣旨で掲載論文を募集しているという。

 

——『Historia Iocularis』創刊の趣旨では、キーワードとして「笑い」を挙げておられます。「笑える」論文に価値を与えるプラットフォームをめざすのだと。ここでいう「笑い」というのはどういったものなのでしょうか?

 

何をもって「おもしろい」「笑える」と感じるかはとても主観的なんですが、ここで言う笑いっていうのは、水準の高さと内容のくだらなさのギャップのことです。その研究にかけた労力に対する、出てきた結果の小ささというか。

 

イグノーベル賞の話を出すとわりとわかってもらえるのですが、受賞されている研究者の方々って本当にすごい人たちで、研究もしっかりとした水準のものばかりなんです。最近だと、大通りや横断歩道などで、なぜ人は互いにぶつからないで歩けるのか?という研究がありました。

 

あったらおもしろいなとは思うんだけど、あまり研究としてはやらんよねっていう、予算がつかないし、大規模なプロジェクトでもないし。しかし研究者が真剣にやっているような研究が賞を取ってるわけです。

 

で、そういう研究って歴史学ではほぼないんです。イグノーベル賞にしても今まで歴史学から受賞したことはありません。

 

まだないんだったら作っちゃえと。同じようなことをやってしまったということなんです。

 

——なるほどギャップでしたか!理解できました。ところで内容のくだらなさについては直感的にわかるんですけど、水準の高さというのはどういうところで判断されるんですか?

 

論文を書くには史料が必要ですが、新しい史料をただ見つけただけではそんなに評価はされません。歴史学では1本の論文を書くのに新しい史料を数十とか数百とか使うのが普通なので、むしろそこからどういう論理を導くか、解釈をするかというところが大切になります。

査読では、まずこの史料の読みが正しいか、解釈が間違ってないかというところを見られます。

 

最近はとくに史料批判というのが重要になっていて、その史料がどういう経緯で残ったから、あるいは誰がどういう意図で残したものだから、論証に使えるのかということを厳しくチェックします。

 

なぜかと言うと、例えば伝記であれば書き手によって美化されているということが考えられますね。あるいは、政治家の回顧録であれば、自分に都合の悪いことは書かないとか。

 

その史料がどういう意図で、誰によって、なぜそこに残っているのかっていうことを確かめた上でじゃないと、こう書いてあるからこうだっていうような使い方はできないような時代になってるんです。

 

あとは論理構成に無理がないか、先行研究をちゃんと踏まえた内容かといった、どんな分野にでも共通する査読の仕方もしますね。

査読に耐え得るきちんとした論文を書くのはすごく大変で、1年に1本出せたらいい方っていう世界です。

 

——数十とか数百とか史料があって、一個一個に検証が必要となると、それだけですごい労力がかかりますね。

 

そうですね。 研究室でできること自体もすごく労力がかかるし、多くの場合、史料は全国に散らばっているので、足で稼ぐところが大きいです。

まずそれがどこにあるのか調べて、現地に行って、写真をパシャパシャ撮って、あるいはコピーをして。戻ってきてから翻刻したり、現代語訳をしたりする(※1)プロセスにも時間がかかったりしますね。

 

※1 翻刻はくずし字史料を活字にすること。先生の場合は現代語訳も翻刻とほぼ同時に行うが、学生の場合は二段階のプロセスとなる

 

——そういう多大な労力をかけて、ニッチでくだらなくて、でも笑える研究をやると……。すごく贅沢な試みで、素人目にもワクワクしてきます。新聞記事で紹介されてからいっきに認知度が上がったとのことですが、どんな反応がありましたか?

 

研究者の方は割と好意的なのかなと感じています。当初予想していたのは、権威を馬鹿にしているのでは、といった反発があるかなと思っていたんですけど、今のところそういうお叱りはなくて。

 

ただ、 研究者じゃない方からすると、 ちょっとどうかなと思われているかもしれません。誰でも投稿できて、おもしろく歴史のことを話せるんだと思って投稿してきた方がけっこういたんです。でも論文の体裁でなかったり査読の水準を満たしてないものはやっぱりお断りするしかなくて。

 

——歴史が好きな人は世の中に多いですから、「笑い」とか「くだらない」の部分が強調されて、誰でも気軽に歴史についての書き物が発信できる媒体だと思われてしまったと。

物語としての歴史と歴史学は似て非なるもの

新聞記事が掲載されたことで『Historia Iocularis』が広く知られるようになったのはよかったものの、趣旨に合わない投稿も多く寄せられた。そこから池田先生が強く感じたのは、物語としての歴史と歴史学の違い、また歴史好きと歴史学者の視点の差だった。その点についてはきちんと説明すべきと考えた池田先生は、雑誌の準備とは別に新書を執筆中だという。

 

——物語としての歴史と大学で学ぶ歴史学は別物ですか?

 

歴史に限らず、人間が過去のことを語ろうとするとどうしても物語になってしまうんですよね。たとえ身近な過去であっても、知人に最近あったことを話すときでも、 そこには物語性が発生します。

 

——たしかに、身に覚えがあります。昔のことを話す時とか、自分のことなのによく覚えてなかったりして、想像で補って話を作っちゃってることとかがあって。

 

一方で歴史学は学問なので、仮説を立てて、それに対して、証拠を一つひとつ集めて論理的に説明をしないといけない。その違いはわかりにくいもので、慣れていないと論文でさえ物語に見えてしまうんです。

 

だから大学では論理的に読む訓練をまずさせられます。論理的に読む力がないと、小説と同じような感じで、起こった出来事を起承転結という形でとらえてしまうんです。

 

ただ、授業で学生に読ませるための論文を探すと、ちょうどよいものがなかなか見つからないんです。権力とか国家構造とか、抽象的で難解なテーマを扱った論文では、「なんとなく歴史が好き」で専攻を決めた学生の興味を引けません。かといって論文としての水準は妥協したくない。とっつきやすさと水準の高さを両立した論文というのは本当に少なくて、そうした苦労が『Historia Iocularis』創刊の原動力にもなりました。

 

——ただ「歴史のおもしろい話」を集めているだけでは歴史学にはならないと。歴史物の漫画やゲームから歴史が好きになって、それで大学で歴史を専攻した人たちにとっては厳しい現実ですね。

 

そうなんです。ただそういう苦い経験を与えることも教育としては必要だと感じています。

『Historia Iocularis』を通じて一般の歴史愛好家の方とコミュニケーションをする機会が何度もあったんですけど、その方々の中には、大学の歴史教員は物語をいじくり回して、それでお金をもらっている仕事だ、というような誤解を抱いてる人も多いんですよね。

 

ただの歴史好きのまま学生を卒業させてしまうのは、そういった誤解が世に広まるのを助長することだと思うんです。

 

少なくとも大学で歴史学を学ぶ人には、たとえそれによって歴史が嫌いになってしまってもいいから、歴史学がどういうものなのかということを伝えないとダメだなと。その上でおもしろいと思ってもらえれば大成功なんですけど、そういう人っていうのは物語としての歴史におもしろさを感じる人とは違うタイプなんじゃないかと思います。

 

——どういう人が歴史学に向いていると思われますか?

 

理系から文転してきた人が何人かいますが、そういう学生の方が歴史学のおもしろさをわかってくれる傾向はあります。ちゃんとデータを揃えないと何も言えませんよ、そしてデータを論理的に組み合わせないといけませんよ、ということに慣れている学生たちなので。あくまで一つの傾向ですが。

 

ある学生は関西の粉物(※2)文化の変遷を調べることにしたんですが、そういったものを提供するお店の統計というのはやっぱりなくて、そこでどうしたかというと、電話帳を使っていました。電話帳に掲載された店舗の数を見ることで、業界の盛衰を可視化しようとしたんですね。もちろんそれだけで粉物消費のすべてを把握できるわけはないんですけど、検証方法として、目の付け所がとてもおもしろい。歴史学者が感じる論文のおもしろさって、実はそういうところだったりします。

 

※2 お好み焼き、たこ焼き、焼きそばといった小麦粉をつかった料理全般を指す言葉

 

——電話帳!それはたしかになかなか思いつかないですね。なるほど検証の過程を楽しめる人の方が歴史学には向いているわけですか。

創刊の原点になった「キモい研究者になろう!」の決意

いろいろな思いがからまって旗揚げされた『Historia Iocularis』だが、池田先生の研究に対する思い入れによるところも大きい。

 

——池田先生の専門は明治時代の政治経済史、とくに皇室の財産や政治家の品川弥二郎(※3)だと伺っています。素人目にはとてもお堅そうな分野ですが、ご自身でも遊びのある論文は書かれるのでしょうか?

 

※3 1843(天保14)〜1900(明治33)年。萩藩士の長男として生まれ、吉田松陰に学び尊王攘夷運動に奔走。欧州留学から帰国後、農商務省の次官、ドイツ駐在日本公使、内務大臣などを歴任

 

そうですね。タイトルからしておもしろそう、みたいなのはないんですが、真面目な論文に擬態させたようなものばかり書いています。

 

ヤジ……品川弥二郎は書簡の中で自分のことをこう呼んでるように茶目っ気のある男でもあるんですよ。そういうヤジの愛おしいところが読む人に伝わるように、なおかつちゃんとした学術誌に掲載されるように料理するっていうところに心を砕いてます。

 

近々公開される論文(月刊『日本歴史』2024年8月号に掲載予定)では、ヤジが自分自身をヤジと呼ぶようになったのはいつ頃からなのかっていうことを、彼の書簡で手に入るものすべてを徹底的に分析しました。この時期以降はずっとヤジという署名と一人称を使っていることを明らかにしたんです。

 

ヤジのここを見てほしい!っていう思いで書いたんですけど、真面目な理由としては、まずこれを明らかにすることによって、品川弥二郎の書簡のうち年代不明のものに関しては、年代をある程度推定することができるようになります。

 

あとは一人称が品川弥二郎という要人に与えた影響ですね。「僕」という一人称がいつ頃から使われるようになったかを調べた先行研究があるんですが、一人称というのは自意識とか自己認識に関わる問題で結構大事なんです。

 

発端は個人的なくだらない思いつきでしたが、でもそれが論文雑誌に載るっていうことは、意味付けがある程度評価されたのではないかと思うんです。

政治家・官僚である品川弥二郎が書簡の中で好んで用いたという一人称、「ヤジ」。本文中や署名欄にも記載がある(赤丸部分は池田先生による)
出典:明治22(1889)年1月15日付井上馨宛品川弥二郎書簡(国立国会図書館憲政資料室所蔵「井上馨関係文書 書簡の部」資料番号512‐1)

 

——ちゃんとした大義名分があればふざけた思いつきから始まったものでも真面目な研究として評価されるということですね。

 

品川弥二郎は京都に別荘を持っていて、そこから広がっている人脈というかネットワークをマトリックス図にして示したっていう研究があるんです。こんな図なんですが……。

ヤジ・マトリックス

 

このマトリックスも十分気持ち悪いんですけど、私がこの論文で1番好きなのが、ヤジが確実に京都にいたっていう期間を図にしたものです。

ヤジ・在京期間図

 

品川弥二郎が京都に別荘を置いてから亡くなるまでの間、明治 20年から32年まで、日記とか書簡とか、あと新聞記事で政治家の動向を追った記事をすべてしらみつぶしにチェックして作りました。自分で作ったものなのにすっごく気持ち悪くて、私は大好きなんですね。

それをある学会で発表したら、みんなからキモイキモイの大合唱で、「品川のストーカーかよ」とまで言われて、なんかゾクゾクしたんですね。私、気持ち悪い研究者になろうって。

 

その話を先輩にしたら、「もっとすごい人がいるよ。日本古代史の研究者の角田文衛先生は、ある妃の日記を調べることでその妃の生理周期を当てたんだよ」と教えてもらって。

 

——それは……(笑) 相当の熱意がないとできないことですね。

 

でも私はそこに衝撃を受けて。こんなに些細なことの探究にここまでの労力を費やしてる人たちがいて、やり方次第で評価もされて、それは笑っちゃうようなおかしなことなんですけど、そこに救いみたいなものを見出してしまったんです。

 

——救いですか。

 

以前は仕事として学問の探究よりは学生サービスが重視されるような環境にいたんですが、それでも研究への思いは断ち切れなくて。それで、どうせ期待されてないんだったら好きにやろうって開き直ったんですけど、それが報われた気がしたのが研究が笑いに昇華された瞬間だったんです。

 

同じような経験を、今は研究から離れてしまっているけれど、心の中に歴史学への思いが熾火のようにくすぶっている他の人たちにもしてほしいと感じました。

そこから発展して、笑いには社会を救済する力もあるんじゃないかと私は感じたんです。というのも歴史学は戦後ずっと差別とか戦争とか抑圧とかに対して怒っていて、もちろん理不尽に対する怒りというのは社会をよくしていく上で必要なことではあるんですが、怒ることが歴史学の権威とかアイデンティティと一体化しちゃってる現状があるんです。

 

——怒りを露わにすることで連帯感を高めたり自分の立場を明確にすることはSNSなどでも見られます。歴史学にもそういうことがあるんですか。

 

これはあくまで例えなんですけど、三角関数不要論とか古文漢文不要論なんかがよくSNSなどで槍玉に挙げられますよね。教育者は、自分の存在理由に関わる問題でもあるので、とくにそういうことに対しては怒ってたりして。

 

古文漢文不要論が盛り上がることについては私も内心穏やかじゃないんですけど、怒ると対話がそこで終わっちゃうと私は思っているんですね。

 

よく学生には、三角関数と古文漢文を学校教育で教えなくなった世界を考えてみましょう、たとえば、その知識のある側の人がみんなで詐欺グループを作る小説があったらどうか、とか話しています。東野圭吾の『ガリレオ』みたいな世界観ですね。そういう話をすると、学生は笑うんですけど、同時にけっこうちゃんと考えてくれるんです。どうして三角関数や古文漢文や、ひいては教養が必要なのかということについて。

 

怒りで解決できないことが笑いで解決できるっていうことは確実にあるし、そこを突き詰めていくことで、歴史学の新しい存在理由も見出せるんじゃないかと思っています。

 

***

 

「笑える」と言ってしまえば簡単だが、そこにはいろいろな思いが込められている。『Historia Iocularis』は「年内には刊行したい!」という池田先生の意気込みのもと、鋭意準備中だ。詳細は未定だが創刊イベントも企画中だという。また歴史学と歴史学者の立場について書いた新書については、『Historia Iocularis』よりも一足先に刊行される予定だ。

珍獣図鑑(22):海を渡るサワガニ!遺伝子解析で明かされた分散の歴史と驚くべき能力とは

2024年1月30日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第22回は「サワガニ×竹中將起先生(信州大学 特任助教)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

サワガニはありふれた生き物である。

海のカニたちのように高級食材として珍重されることはないし、山の近くの川に行けば簡単に採集できるので生き物好きの人々の話題に上ることもあまりない。けれどその採集の手軽さゆえに、子供の頃に飼育したことがある人は多いと思う。

 

そんなサワガニの「どこにでもいる」性質を逆手にとった研究をしているのが、信州大学の竹中先生のグループだ。

日本全国のサワガニの遺伝的なつながりを調べていく中で、伊豆半島や関東の一部に住むサワガニと、遠く離れた九州・南西諸島のサワガニとが遺伝的にきわめて近縁であるという予想外の結果が得られたという。

なぜだろう?

そこにはサワガニの驚くべき能力が隠されていたのである。

一生を内陸ですごすカニ、サワガニ

サワガニ。

サワガニ。(長野県で撮影)

 

身近な生き物であるがゆえに、あらためて考えると「どこにでもいる」「見た目がかわいい」以外にほとんどサワガニについて知らないことに気がついた。驚きの能力の前に、サワガニの生態について教えていただくことに。

 

「『沢のカニ』という名前の通り、河川の上流域であったり、山間部を流れる渓流に生息しているカニです。

春から初夏にかけての繁殖期にはメスは卵や生まれた稚蟹をおなかに抱えて保護します。

特徴的なのは卵から生まれてくる時の姿です。海に住んでいるカニや、モクズガニのように河川と海を行き来する両側回遊性のカニは卵からプランクトンの状態で生まれます。このプランクトン期は海で過ごさないと成長できないので彼らは海から離れて生活することができないんですが、サワガニの稚蟹は、成体とほぼ同じ姿で生まれるため一生を内陸で生活できます」

 

なんと、サワガニ以外のカニは海に出ないと成長できないと! むしろこっちのほうが意外。

 

「そうなんです。そもそもサワガニの遺伝子解析をしようと考えたのも、この海に下らないという性質に注目したからです。

私の専門は生物系統地理という分野で、日本列島の生き物がどこからやってきて、どういうふうに生息域を広げていったのかといったことに興味がありました。海峡や急峻な地形で細かく区切られた日本列島はこうした研究に適しています。生き物の集団が分断されることで遺伝子に変異が蓄積しやすく、そうした変異を比較することでその生き物がどうやって伝播していったかが推測できるからです。

同じような理由で、研究対象にはあまり移動しない生き物が適任です。というのも行動範囲が広い生き物だと、同じ遺伝子をもった個体が広範囲に拡散してしまうので地域性が出にくいんです。

カニにしても、プランクトン期にいったん海に下ってしまうとそこから先はどこまでも移動できてしまいます。その点サワガニは、陸を歩いて移動はできるんですけど、生まれた川からそう遠くまでは移動しないはず。だから生物系統地理の研究としては最適だと考えました」

 

なるほど、そこから全国のサワガニを解析し始めたと。

 

「数が必要な研究の対象としてはほんとにいいと思います。すぐに見つかりますから、とりあえず現地に行きさえすれば捕れる。別の目的で遠出をしたときに、同行者にちょっと待っておいてもらって捕りに行ったりもしましたね。あとは遠出する知人にお願いしたり。

しかも、これは私も驚いたんですけど、サワガニってあんなにありふれた生き物なのに体系的な研究があまりされてこなかったことがわかりました」

サワガニが生息する渓流。

サワガニが生息する渓流。

 

特定の地域に生息するサワガニに関する研究はあったものの、日本全国のサワガニを比較した研究は見つからなかったという竹中先生。

研究のブルーオーシャンは身近なところに転がっていたというわけか。

そして順調にサンプルの数を増やしながらサワガニの系統地理解析を進めていく中で、不可思議なデータに行き当たったという。

屋久島のサワガニの親戚が伊豆半島に?

「あるとき後輩が『琉球列島で採集した個体と伊豆半島で採集した個体が近縁です』と言って解析したデータを持ってきたんです。

いや、そんなわけないやろと。初めは実験ミスかなにかのせいだと思ったんですが、何度確かめても同じ結果が出るんですね」

 

これはなにか面白いことが始まる予感……。起承転結の転にあたる展開だ。

 

「もともとサワガニ属は東南アジアとか台湾とか、南方に起源をもつ生き物です。それが琉球列島や日本列島が陸続きだった時代に陸地を伝って徐々に北上して分布を広げてきたのだろうと考えていました。

伊豆半島に生息する系統が、隣接する関東地方の系統よりも遠く離れた琉球列島の系統に近縁だというのは、この仮説では説明できないことなんです。

 

これを説明するには、陸伝いに伝播したグループとは別に、琉球列島から海を渡って直接伊豆半島に移動したグループがいると考えるしかないなと」

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

 

一生内陸で過ごすと思われていたサワガニが海を越えて移動していたかもしれないと! これは大発見! しかしどうしてそんなことが可能だったんだろう?

海水でも平気だった!サワガニが持っていた驚きの能力

「私たちが一番気になったのもそこなんです。先ほど説明したようにサワガニは生まれてから死ぬまで淡水の中で生活するカニです。文献によっては明確に『海水中では生きられない』と書かれているものもあります。仮に洪水などで海まで流されることがあっても、別の場所に漂着するまで生きてられないんじゃないかと。

一応確かめてみるかということになって、海水と同じ濃度の塩水を入れた容器でサワガニを飼育する実験をしてみました。そうしたらなんと、驚くべきことに2週間たってもほとんどの個体が生き残っていたんです!」

 

すごい、定説がくつがえったわけだ!

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

 

「そうなんです。しかもサワガニはただ海水中で生きられるだけではなくて、淡水と海水を行き来する他のカニと比べても塩分に対する高い順応力を持つことがわかりました。そうしたカニは普通、川が海に注ぎ込む汽水域と呼ばれる淡水と海水が混ざりあう環境でしばらく体を慣らしてから本格的に海に下るんです。

ところがサワガニはそうした順応期間なしにいきなり海水に入れても平気だということが分かったんです。はじめはちょっと信じられませんでした」

 

海水と無縁の環境で生きているサワガニが塩分に対して高い耐性をもっていたなんて、本当に驚きだ。2週間も生きられるなら運の良い個体は海を越えて新天地にたどりつけそう。

 

「もちろん、新天地にたどりついたからと言ってすぐにそこに定着できたとは思えません。先住のサワガニとの競争に負けて淘汰されたものの方が多かったでしょう。

南西諸島に行くとサワガニの住んでいそうな渓流がそのまま海に注いでいるような環境を頻繁に見ることができます。そういう場所では増水によってサワガニが海に流されてしまうことも多かったと考えられます。

長い時間をかけて多くのトライアンドエラーが繰り返されて、伊豆半島のような定住しやすい場所に流れ着いたごく一部の系統だけが今日まで残ったんだと思います」

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

 

伊豆半島が定着するのに都合がよかった理由はなんだろう?

 

「伊豆半島はもともと独立した火山島だったものがプレートの動きで本州に合体してできた半島です。合体した時期はおよそ60万年前と比較的歴史が浅く、そのため今日でも伊豆半島には独特の生物相が残っているんです。サワガニが渡来した頃はまだ本州と合体する前で、陸伝いに伝播してきた系統がいない空白地帯だったのかもしれません」

 

なるほど、競争相手がいない状態だった可能性が高いと。

 

「同じような条件の地形である三浦半島や房総半島でも漂着した個体の子孫が見つかるのでは?と思って調べてみたところ、まさしくそういう系統が見つかりましたね」

 

サワガニの分布は日本列島の地質形成と対応しているわけですか。どんどん話が大きくなるな。

赤だけじゃないサワガニの色。じつは隠蔽種がたくさんいるかも

素朴な疑問だけれど、伊豆半島は現在では本州と接続して、サワガニについていえば琉球列島起源の系統と本州の系統の生息域が陸上で接している状態だ。同じサワガニ同士、交配で遺伝子が混ざっちゃうことはないのだろうか?

 

「いわゆる浸透交雑ですね。そういう例も見つかっています。

有性生殖する生き物のDNAは、ミトコンドリアDNAが母親、核DNAが父親・母親両方から受け継いだものですが、ミトコンドリアが伊豆の系統、核が本州の系統というサワガニが見つかっています。つまり伊豆の母親と本州の父親の間で生まれた個体がすでにいるわけです。

まだ詳しいことはわかりませんが、徐々に交雑が広がりつつあるという可能性もあります」

 

60万年という途方もない時間のようだが、そのくらいではまだ混ざらないと。

 

「伊豆半島はサワガニ以外でも固有の生物が観察される場所です。陸続きになったあとも生き物の移動を妨げるなんらかの障壁があるのかもしれません。ただ種によっては本州との新棟交雑が完了してしまっているものもいるので、そうなる場合とならない場合で何が違うのかはよくわかっていません。

交雑といえばおもしろいのが、伊豆・三浦・房総の系統はみんな青い色をしているんですが、関東の丹沢山地にも青いサワガニが見つかっています。つまり遺伝子的には本州の系統なのに、体色だけは伊豆の系統と同じものがいるんです。海を越えて持ち込まれた青い体色という形質が本州の系統に伝播したのかもしれません」

 

青いサワガニがいるとは!

 

「一般的にカニといえば赤というイメージを持たれる人が多いですが、サワガニについていえば赤、黒、褐色、青、そしてまれに金色の個体が見つかるなど、体色は多様です。」

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

 

「海流で分散した伊豆系統のサワガニが青い体色をもつというのもそうですが、ほかの地域でもサワガニの色には強い地域性があります。ただ同じ地域に2つ以上の体色が存在する例もあって、体色の決定は遺伝的な要因というよりも生息環境によるものであるとこれまでは言われてきました」

 

ここまで見た目が違うならもう別種では?と思ってしまうけれど、遺伝子レベルでの別物かはわからないと。

 

「体色による線引きが可能かはまだわかりませんが、現在サワガニと呼ばれている種がいくつかに分かれる可能性はありますよ。

これまでも屋久島のヤクシマサワガニや甑(こしき)島のコシキサワガニのように島ごとに種分化したサワガニはいくつも記載されてきましたが、今回の研究で九州や四国に生息するサワガニも、ほとんど別種といっていいほど遺伝的に離れていることがわかりました。これらは外見による区別が困難ないわゆる隠蔽種の可能性があります。近い将来に、我々がサワガニと呼んできた生き物がさらにいくつかの種に分かれるかもしれません」

 

地域変異の大きな生き物が、詳しく調査された結果何種類にも細分化されるというのはままあることだが、サワガニにもその波が来るかもしれない。これはなんだかワクワクしてくる。

 

「フィールドでは地形と生物の関係みたいなことを意識しているので、「この場所とこの場所だと遺伝的に分かれるんじゃないかな?」みたいな小さな仮説をたてながら採集しています。それを実験室に持ち帰って解析したら、実際その通りになってたりとか。前述の三浦半島や房総半島で採集した個体が海流で分散してきた系統だったのは、まさにその仮説が当たった例です。今後もそういったフィールドでの感触と実験室での裏付けを両輪にした研究をしていきたいです」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】サワガニ

サワガニ。

一生を河川の中・上流域で過ごす淡水ガニ。日本列島の青森以南で普通に見られ、捕獲が簡単であるため子供たちからの人気も高い。地域によって青、黒、褐色、赤などの体色が見られ、ごくまれに金色の個体が発見されることもある。きれいな水にしか住めないため、水質階級I(綺麗な水)の指標生物ともなっている。

 

死神「無常」の研究者(厦門大学)が中国民俗学を推す理由

2023年11月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

死神というと、黒いローブをかぶって大きな鎌をもった姿を想像する人が多いと思う。こうしたイメージはおもに西洋で流布した死神の姿がもとになっている。

死神に注目して博士論文に仕上げ、著書にまでしてしまったのが大谷亨先生だ。ただし、大谷先生が関心をもったのは鎌にローブの死神ではない。名前も姿もまったく違う中国の死神である。その名前を「無常鬼」(もしくは単に「無常」)という。

著書名はずばり、『中国の死神』

ある日、X(旧Twitter)のTLにインパクトのある書影が流れてきた。表紙の中央にはおっさんの人形の写真が載っているのだが、この人形の顔色がすこぶる悪い。しかも口からは真っ赤な長い舌がだらんと出ていて、その周りは血で濡れている。まるで縊死しているようだ。そしてその表情とは裏腹に、頭にはパーティー帽子のような円錐形の愉快な帽子をかぶっているのである。

インパクトのある書影はこちら。大谷亨著『中国の死神』(青弓社)

インパクトのある書影はこちら。大谷亨著『中国の死神』(青弓社)

 

気になったのでさっそく買って読んでみることにした。

『中国の死神』と題されたこの本、難しい専門書かと思いきや、中国各地で採集された無常のカラー写真がふんだんに配されていて、読んでいてとても楽しい。ところどころに大谷先生がフィールドワーク中に体験した珍道中がコラムとして挟まれていて、こちらも思わず吹き出してしまうほどおもしろい。そして肝心の本編は、各地の廟や文献から収集された膨大な無常が探偵のような手つきで整理され、その知られざる来歴があぶり出されていく、まるでミステリー小説のような内容となっている。

 

書籍の内容をここで詳述することはしないが、私が一番驚いたのは無常の外見である。当初、表紙のおっさんは「死神(無常)」によって殺された人かなにかだと思っていたのだが、そうではなかった。「無常そのもの」だったのである。

前述した西洋の死神がただただ怖ろしいイメージであるのとちがって、無常はどことなくコミカルである。もちろん初見で「殺された人に見える」と感じたくらいだから、コミカルというのもやや語弊があるのだが、なんだろう……やっぱりちょっと可笑しいのだ。

白と黒のペアで現れて魂をさらっていく死神、無常

大谷先生の無常研究について詳しく知りたい人は著書を読んでいただくとして、ここでは無常に出会ったきっかけや、本に書ききれなかった最新の無常事情などをまじえて伺ってみたいと思う。

白無常・黒無常のペアで現れる

白無常・黒無常のペアで現れる

 

——普通の人は無常と言われてもピンときません。そもそも無常ってなんなのか、簡単に教えてください。

 

「一言で言うと、やはり死神ですね。普段は冥界にいるんですが、寿命が尽きた人のもとにやって来て、その魂を捕らえる存在です。

一般的には、白い服を着た『白無常』と黒い服を着た『黒無常』のペアでやって来ると言われています。

この二人には性格の違いがあって、白無常の方は死神でありながらときに貧者を助ける財神のような一面を見せます。例えばこんなお話があります。

 

***

 

あるところに博打に狂って多額の借金を作った男がいた。もはやこれまでと首をくくろうとしたところ、白無常が現れる。白無常の帽子をかぶると姿を消せるという噂を思い出した男は、帽子を貸してくれと白無常に懇願する。白無常は渋るが、根負けして『過度な悪事をしないように』と忠告のうえ3日間だけ帽子を貸すことに。はたして、約束はあっさり破られ、男は帽子を使って姿を消し、盗みを繰り返す。ところが、約束の3日をすぎた翌朝、不注意で帽子に穴を開けてしまう。しかたがないので白い糸で帽子を繕いふたたび盗みに入ったところ、糸が消えずに残り、それがもとで逮捕される。これまでの悪事も露見し、重い罰を課せられたのだった。

 

***

 

死神のエピソードとは思えないようなお話ですが、こうしたある種の滑稽譚に登場するのはほぼ白無常です。反対に黒無常は情け容赦がない、残酷な性格として描かれるケースが目立ちます」

 

——ただ単に死をもたらすだけでなく、ときに願い事を叶えてくれる存在として伝えられることもあると。ところで、舌を出してるのはとても可笑しく見えるんですが、どういう意味があるんでしょうか?

 

「『首つり自殺をした人が無常になった』という伝承があって、だから白無常は舌が出ているというのが通説です。一方、これはまだ漠然と考えているだけなので本にも書かなかったのですが、中国に限らず多くの地域で魔除け的な存在は舌を出した姿で描かれます。なので、ひょっとすると無常の舌を出した造形にも深層的な意味があるのかもしれません」

 

——なるほど、首吊りの姿だと思うとやはり少し怖いですね。

 

「そう、コミカルだったり怖かったり、二面性のある存在なんです、無常というのは」

無常は死神だけど親しみやすい?

寿命が尽きた人間の魂を連れ去ってしまうかと思えば、悪事の手助けをしてくれることもある、まるでトリックスターのような無常は、現在でもお祭りの日に(そのかぶり物が)街を練り歩いたりする、中国の庶民にとってはポピュラーな存在だという。

廟のお祭りでは無常に扮した人が街を練り歩くのだという

廟のお祭りでは無常に扮した人が街を練り歩くのだという

 

——なぜそこまで庶民に人気なのでしょう?

 

「まず、無常が神様としてはランクが低い存在だというのが、重要な理由としてあげられます。人間の世界でもそうですが、たとえば学校や会社で困ったことがあったときに、いきなり校長先生や社長に相談に行くのはやや気が重いですよね。なので、新人教師とか1年上の先輩とか、自分にとってより身近な存在にまずは相談しがちです。神様に対しても同じような心理が働くみたいです。

また、意外かもしれませんが、死神であるということも親しみやすさにつながっています。宝くじを当てたいとか、パチンコで勝ちたいとか、そういう我々庶民が抱きがちな俗っぽい願いごとってきちんとした神様のところにはもって行きにくいらしいんです」

 

——なるほど。たしかにさきほどの姿が見えなくなる帽子を貸してくれる話なんかも、まっとうな神様ならそもそも取り合ってくれなさそうです。

 

「今、無常信仰がもっとも盛んなのは東南アジアなんですが、少し前まではアウトローな人たちの信仰する神様という扱いだったようです。今でこそ無常を祀る廟があちこちに建てられて、一般の人たちにも人気がありますが」

無常との出会いは古い新聞に掲載された一枚の挿絵だった

——著書『中国の死神』にはフィールドワークで採集したという無常のカラー写真がたくさん収録されていますが、大谷先生が初めて無常と遭遇したときの状況を教えていただけますか?

 

「『中国の小人と巨人』というテーマで修士論文を書いていた時のことです。『点石斎画報』という古い新聞をペラペラめくっていると、ある記事の挿絵にひょろ長い帽子をかぶって長い舌を吐き出した奇妙なキャラクターが描かれていました。脳髄にビビビッとくるものを感じたので、修士論文をほっぽらかして調べてみると、無常という死神であることがわかりました。しかも、中国ではかなり有名な存在だといいます。ところが、それ以上の情報がなかなか出てこない。それもそのはず、無常はその知名度の高さとは裏腹に、ほとんど研究がなされていなかったんです。『これはいいテーマになる!』と確信しました」

『点石斎画報』に掲載された無常の挿絵

『点石斎画報』に掲載された無常の挿絵

 

——そうした偶然と直感がのちの無常採集・研究につながったと。ところで、大谷先生が一番気に入っている無常っていたりします?

 

「無常であれば平等に愛してる、と言いたいところですが、山東省で見つけた『吉大哥(ジーダーグー)』と呼ばれる無常はとくに気に入っています。そいつは片方の靴が脱げていて、手にきゅうりを握っているというヘンテコないで立ちなんです。

当初は『かわいいレア無常ゲット!』くらいのノリでした。しかし、後に中沢新一(思想家・人類学者)さんの『人類最古の哲学』(講談社)という本を読んでいるときに、ある興味深い記述を見つけたんです。その本によると、この世とあの世を往来し、死や富をもたらす両義的存在というのがユーラシア各地に伝承されているそうなんですが、それらの共通項として、片足がなかったり、片足を引きずっていたり、片方の靴が脱げていたりする特徴があるというんです。吉大哥そのものですよね……。それ以来、靴脱げの造形に対する見方がガラリと変わりました。かわいいだけじゃなくて神話的な深みを秘めていたんだなと」

山東省で発見された靴脱げ無常

山東省で発見された靴脱げ無常

 

——それはおもしろい!『中国の死神』では、無常が生まれる過程で他の中国妖怪から影響を受けた可能性が示されていましたが、議論の射程が一気にユーラシア全体にまで広がったわけですね。

今この瞬間も広がり続ける無常信仰、底知れない中国民俗学の世界

——片方の靴が脱げていて、手にはきゅうりを握っているという姿は前述の白無常・黒無常の類型に当てはまらない異質なものです。さらに著書の中では金門島(台湾の離島)で採集されたブサカワ無常(大谷先生が命名)も収録されていました。無常というのは、今も種類が増え続けているものなのでしょうか?

 

「爆増中ですね。先ほども言ったとおり、現在もっとも無常信仰が活発なのは東南アジア、とくにマレーシアやシンガポールなんですが、そうした無常信仰最前線の地域では新種の無常が続々と誕生しています。あ、ちょっと僕のコレクションを持ってきてもいいですか?」

 

おもむろに席を立つ大谷先生。

戻ってくると、その手にはカラフルな無常の神像が。

「これは白無常です」

「これは白無常です」

「これは黒無常。ここまでは一般的な無常ですね」

「これは黒無常。ここまでは一般的な無常ですね」

「これは金銭的なご利益に特化した金銭伯という無常」

「これは金銭的なご利益に特化した金銭伯という無常」

「これは親孝行な孝子爺という無常」

「これは親孝行な孝子爺という無常」

 

——なんでもありなんですね。

 

「ある意味そうですね。まだ入手できていない新種無常の像もいろいろあるんですが、コンプリートを目指しています。というわけで、『中国の死神』は大陸編として無常の歴史をまとめましたが、今後は東南アジアにも研究の手を広げて、無常信仰の新たな展開について調べていきたいなと思っています」

 

——ワクワクしますね!それと同時に、これだけ広がりのある「無常」というテーマが今までほぼ手つかずだったことに驚かされます。

 

「でも実はそれって別に不思議なことじゃないんです。だって、そもそも中国は単純に気が遠くなるほど国土が広大なわけで、先人が手をつけていないものなんてそこらじゅうにごろごろ転がっている。中国民俗学の最大の魅力はそんなとらえどころのなさにあるとさえ個人的には思っています」

 

——無常信仰をはじめこれまで重視されてこなかった庶民文化なんかは特に開拓のしがいがあるジャンルかもしれませんね。

 

「まさにそうですね。日本に流通する中国情報も、政治経済系の話題か、そうでなければ中国の珍奇さを嘲笑するB級中国系の話題に偏っていますよね。実にもったいない。自戒を込めて言いますが、これだけ未知のものが手つかずの状態にあるんですから、テンプレ化した切り口でカビの生えたネタを使いまわしている場合じゃないはずです」

 

─珍奇なものを茶化さないで真正面から真面目に語るという姿勢が、もしかすると『中国の死神』が好評を得ている最大の理由かもしれませんね。

 

「だとしたらたいへん嬉しいですね。個人的なモットーとしても、天下国家を真面目に語るのと同じように、ときに珍奇にあるいは陳腐に見える普通の人々の生活をクソ真面目に語っていきたいなと思っています。また、そんな態度こそが日本人のより深い中国理解にもつながっていくのかなと、自分の研究にほんのちょっとでも意義があるとすればそこらへんかなと考えています」

 

知らないものがごろごろしている、と言われれば嫌でも好奇心が湧いてくるというもの。「中国にちょっとでも関心のある人は、ぜひ彼の地を訪れてビビビっとくるなにかを探してほしい」と大谷先生は語る。中国渡航のハードルがまだまだ高い昨今、まずは『中国の死神』を手に取られてみてはいかがだろうか。いい予行演習になること請け合いである。

 

東京駅直近の博物館「インターメディアテク」で骨格標本作りについて聞いてきた

2023年10月10日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

日本の政治経済の中心である東京・丸の内。その高層ビル街の一角に見る人の好奇心を刺激する不思議な空間が存在することをご存知だろうか。その名をインターメディアテク(IMT)、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働運営する入館料無料の博物館である。

 

今回お話を伺ったのは、このインターメディアテクの一角で毎月3日間ほど、来館者と触れ合いながら展示品となる交連骨格標本を製作している中坪啓人さんだ。

博物館の展示品作りという、ほとゼロでもあまり取り上げてこなかったテーマ。その気になる作業内容から、博物館に展示する上で「良い標本」とはどんなものなのかといったことまで、掘り下げて聞いてみた。

東京駅から歩いて5分、おしゃれな商業施設の中に突然現れるヴンダー・カンマー

東京駅・丸の内南口を出ると正面にそびえる超高層ビル「JPタワー」。低層階部分に昭和モダニズムを代表する歴史建築である旧東京中央郵便局舎を保存しつつ、その上に新しい高層ビルが建っている、建築マニアの間で腰巻きビルと呼ばれる構造だ。

インターメディアテクが位置するのは5階ある歴史建築部分のうちの2・3階部分。周りはおしゃれな店が軒を連ねる商業施設である。

現在は商業施設として利用されている旧東京中央郵便局舎。インターメディアテクが位置するのはその2・3階部分だ。

現在は商業施設として利用されている旧東京中央郵便局舎。インターメディアテクが位置するのはその2・3階部分だ。

エスカレーターを降りてすぐのエントランスを抜けると、そこには博物館が。

エスカレーターを降りてすぐのエントランスを抜けると、そこには博物館が。

 

買い物客や仕事帰りの人々が大勢行き交う商業施設の中にあえて設置されたのは、その場所的意外性からなにか新しいものが生まれるのではないか、普段博物館に来ないような人たちにも展示を訴求できるのではないかという期待からである。

インターメディアテクという名称も、各種の表現メディアをつなぐことで新しい文化を創造することを目的とした「間メディア実験館」に由来しているそうだ。

展示物にはミンククジラや

展示物にはミンククジラや

マサイキリンのような大型の動物も!ここが駅前のビルの中だということを忘れそうになる。

マサイキリンのような大型の動物も!ここが駅前のビルの中だということを忘れそうになる。

月に3日、展示室の片隅に作業机を置き、展示品の交連骨格標本を組み立てる

ヌートリアの骨を組み立てる中坪さん。作業机の周辺には骨の組み立てに使う道具のほか、来館者から時折寄せられる質問に答えるための資料が用意してある。(※撮影の為にマスクを外しています)

ヌートリアの骨を組み立てる中坪さん。作業机の周辺には骨の組み立てに使う道具のほか、来館者から時折寄せられる質問に答えるための資料が用意してある。(※撮影の為にマスクを外しています)

 

そんなインターメディアテクの片隅で、月に3日間ほど展示品である骨格標本作りを実演するのが、インターメディアテク寄附研究部門特任研究員である中坪啓人さん。

 

骨格標本とは死んだ動物の骨を取り出し、長期間保存するための処理をしたもののことである。骨を組み立てて動物が生きていた頃の姿を再現したものを、とくに交連骨格標本と呼ぶこともある。材料になる動物の死骸は、飼育下で死んだものや野外で事故死・自然死したり、有害駆除により捕殺されたものが持ち込まれたものだ。

その製作には

 

・記録 死んだ動物についての、サイズなどの情報を記録する

・剥皮 動物の皮を剥ぐ

・除肉 内臓、筋肉、腱、さらに脳に代表される神経などを取り除く

・溶解 手作業で取り除けなかった軟部組織を溶解し除去する

・脱脂 骨の中の油分を取り除く

・漂白 脱色し骨を白くする

・組み立て 骨を解剖学的に間違いのない姿に組み立てる

・付属物の製作 主に台座を木で、支柱を金属で作る

 

といった工程がある。

このうち、感染対策や薬品の取り扱いに注意が必要な「記録」から「漂白」までは専用の作業スペースで行うため、展示室で中坪先生が実演しているのは「組み立て」である。

ニホンザルの骨格。バラバラになった骨は平面的に収納できてあまり場所をとらないため、多くの収蔵品は組み立てられていない状態で保管される。ただ、このままだと生前の姿を想像することが難しい。

ニホンザルの骨格。バラバラになった骨は平面的に収納できてあまり場所をとらないため、多くの収蔵品は組み立てられていない状態で保管される。ただ、このままだと生前の姿を想像することが難しい。

動物を内側から支える骨格の構造を見ることができるのが、交連骨格標本の面白いところなのだ。

動物を内側から支える骨格の構造を見ることができるのが、交連骨格標本の面白いところなのだ。

組み立ては技術的に安定した針金がいい

 

多くのパーツから構成される動物の全身骨格を解剖学的に正しい状態に組み上げるのに地道な作業が求められるのはなんとなく想像がつくところ。では、具体的にはどういうことをしているのだろうか。

 

――バラバラの骨を組み立てるのは、どうやっているんでしょうか?

 

「骨の中に針金を通して繋いでいきます。ドリルで骨の両端の関節面に穴をあけて、片方の穴から針金を入れ、内部に骨髄腔と呼ばれる空間のある骨はそこを経由して、反対側の穴から出します。これを繰り返すことで1本の針金で複数の骨をひと繋ぎにします。作業をご覧の方からはよく「ビーズ細工みたい」と言われます。針金の一番最後の端を『コイル留め』というやり方で巻いてドリルの穴よりも大きく、抜けないようにしたら固定完了です。

小さな動物だと、骨と骨をつなげる関節靭帯だけを残して、それ以外を除去して作ります。つまりそもそも骨がバラバラにならないような作り方をします。接着剤は基本的には使わないようにしています」

 

――接着剤なしで!ものすごい労力がかかりそうです。

 

「おっしゃる通り、接着剤を使った場合に比べると作業時間が6倍くらいかかります。それもあり、欧米の博物館を中心に接着剤を使った組み立てがすでに主流です。

ただ、針金にも有利な点はたくさんあって、まず保存性が実証されているということです。東京大学の前身である第壱大學区医学校に解剖学教師として招聘されたウィルヘルム・デーニッツが持ち込んだ教材なんかがそうなんですが、150年くらい前に針金で組み立てられた標本がまだきちんと残っています。それに対して、接着剤が骨に与える影響や、樹脂である接着剤が紫外線や温度・湿度の変化によってどのくらい経年劣化するのか、どのくらいの期間接着が保てるのかといったことはまだまだ未検証です。

衝撃に強いことも針金のよいところです。標本が揺れたり倒れたりした時に、接着剤だと接着面に負荷が集中して割れてしまうことがあるんですけど、針金は適度にしなることで負荷を分散させてくれます。輸送時の振動に加えて、地震が多い日本ではとくにこの点は大きいですね。

さらに一度組み立てたものを分解できるのも針金のいいところです。日本の博物館はこの可逆性を重視する傾向があります。展示用に組み立てたものをバラバラの状態に戻して研究用に使うことがあるんです。逆に、欧米の博物館ではそういったことはあまりしないようで、そのため接着剤の利用が進んでいるという事情もあるようです。

バラバラとまではいかないまでも、大まかに分解できるだけでも他館への貸し出しなどの輸送がしやすくなるのも利点ですね。標本の活用できる範囲が広がります」

 

――なるほど、輸送しやすさ。そういう視点もあるんですね。

 

「ただ、接着剤でもいったん接着したものをきれいに剥がすことのできる製品などが出てきていますから、試しに使ってみたりはしています。アクリル樹脂みたいにガチガチに固くなるのではなくて、ある程度は接着面の柔軟性が維持されるようなものだと衝撃にも耐えてくれるのかなと思います」

 

まだまだ技術の進歩の余地があるということか。これはおもしろい!

組み立ては最終工程、実はきれいな骨にするまでが大変

 

――動物の死骸から白くて綺麗な骨を取り出すには、どんな作業が必要なんでしょうか?

 

「骨を構成するリン酸カルシウムの構造物をいためずに、肉や脂などの軟組織を除去する工程を『骨にする』と呼んでいます。皮や肉を刃物を使って手作業でおおまかに除去し、それだけでは取り切れない軟組織は酵素を使って処理します。

骨格標本を作り始めた当初は水酸化ナトリウムの入った水で煮て肉を溶かしたりしていたんですが、あるとき鍋の蓋を開けたら全てが溶けてしまってなにも残っていないことがありました。水酸化ナトリウムやパイプ洗浄剤(これも骨格標本の指南書などでよく登場する)に含まれる次亜塩素酸ナトリウムはリン酸カルシウムの方にも重大なダメージを与えてしまうんです。

現在はどこにでも売っている食器用洗剤に含まれるプロテアーゼというタンパク質を分解する酵素を主に使っています。骨にダメージを与えずに軟組織を分解できるのが利点です。具体的には、電気で保温できる容器を60℃に設定し、中にお湯と一緒に肉がついた骨と酵素(洗剤)を入れます。あとは3〜6時間ほどつけておけばOKです。

ほかに『温浴法』と呼んでいる方法もあります。70〜80℃のお湯で出汁を取って取って取り切って、骨だけにする方法だと考えてください。お湯を煮立たせない、骨をいきなりお湯に入れず、水から煮るようにする、骨に急激な温度変化を与えないなどの注意点はありますが、使用するのは水道水と水温維持のための炊飯器だけなのでお手軽です。

最初の3日くらいで筋肉がほぐれてきて、さらに4日くらいで軟骨や腱が柔らかくなります、それで骨の外側のクリーニングは終わりです。もう2週間ほど、週に1回の頻度でお湯を交換しながら処理を続けることで、骨の内側の骨髄をなるべく溶かし出します」

 

――めちゃくちゃ時間がかかりますね!

 

「次の工程はさらに長いですよ! 酵素を使った処理では骨の中にある骨髄の油分を取り切ることができないんです。なのでアセトンとアルコール類の混合液に浸して脱脂を行います。期間は3ヶ月ぐらい。最後にアセトンを少しとって揮発させて、そこに脂が残らないようなら脱脂は完了です」

骨の内部に残った骨髄や油脂を取り切るには長い時間が必要。残留すると劣化の原因にもなるので、おろそかにできない作業だ。

骨の内部に残った骨髄や油脂を取り切るには長い時間が必要。残留すると劣化の原因にもなるので、おろそかにできない作業だ。

 

「ほかに骨を白くする漂白という工程もありますね。脱脂の前か後のどちらかに過酸化水素水を使って行います。殺菌や消臭目的で実施し結果的に漂白されることもあるのですが、あくまで見た目が綺麗になるだけで保存性には影響しないのではないかと考えています。

 

ここまでで骨から余計なものを取り除く作業は終わり。最後に、骨の強度を高めたり、汚れが直接骨につかないないようにするために文化財用のアクリル樹脂に浸して骨全体をコーティングしたら完成です」

 

展示場で見られるのは骨格標本作りのごく一部分であって、ここにいたるまでにすさまじい労力と時間が投入されている。その工程についてはさらに細かいテクニックなどについてもお話を聞かせてもらったのだが、ここでは話を再度骨の組み立てに戻そう。

ときには演出も。ポージングは奥が深い

――組み上がった骨のポージングがいきいきとしていますね。

 

「インターメディアテクは来館者に、まず自分の目で観て確かめ、自分で考えてもらう場所を目指しています。限られた滞在時間の中でいかに展示物と向き合ってもらうかということを考えてまずやったことが、(動物の種名以外の)説明文をつけないということです。それでも展示物をチラッと見て、名前をちょっと読み、視界に入れている程度で満足してしまう来館者も少なくありませんでした。せっかく実際に目で見る機会なので短い時間でも展示物に意識を向けてほしい、そのために交連骨格標本はどうしたらよいか課題は残りました。

 

その解決策としてやったのが、ポージングに動きをつけるということです。これは言葉遊びですが動物というのは『動く物』と書きます。さらに骨というのは体を支える支持器官であると同時に筋肉と同じ運動器官でもあります。機械に例えると骨は部品の一つです。その部品が機械の一部として機能している様子を見せてこそ、来館者に訴えかける力を持たせられるのではないか。そう考えて、実験館として実践を通して試してみることにしました」

シャイヤーという品種の馬の骨格。前足を上げていななく姿は、古典馬術でクールベット(Courbette)と呼ばれる動作を参考にした。この品種が軍馬として使われた背景と初代館長の要望でこの姿勢に決めたんだとか。

シャイヤーという品種の馬の骨格。前足を上げていななく姿は、古典馬術でクールベット(Courbette)と呼ばれる動作を参考にした。この品種が軍馬として使われた背景と初代館長の要望でこの姿勢に決めたんだとか。

 

――そんな意図があったんですか。

 

「そのために絵画などに見られる構図を参考にすることもあります。たとえばこれは中国漢時代の石刻に描かれたウマと人の姿ですが、

出典: 『四川成都漢墓磚畫像』 (『造形上のウマのポーズ表現に見るPoetical Realityの分析』(柴田 1994 美術解剖学雑誌)に掲載されたものを改変)

出典: 『四川成都漢墓磚畫像』 (『造形上のウマのポーズ表現に見るPoetical Realityの分析』(柴田 1994 美術解剖学雑誌)に掲載されたものを改変)

 

前後に伸びた馬の四肢と、逆に縮まった体幹や騎乗者の対比が扇形の配置を作ることで、全体として躍動や疾走を演出しています。

 

ポイントはこの扇形で、これはひょっとして上下を逆にしてもいいんじゃないかと考えて、構図を流用して作ったのがこのイヌの骨格標本です」

画像17

 

――かっこいい!

 

「ほかにも、顎が上がっていると疲れているように見えるので下げ気味に、さらに体重が加わっている指はより大きく曲げて、体重が加わっていない指はよりだらんとさせるなど、対比させてわかりやすくするための演出も加えています。絵画の技法にも躍動感を感じさせるために一人の人物の動作の中に複数の時間軸を盛り込むアニメーションのような方法があるそうです。そうしてできたものは解剖学的には完全な正確さではないんだけど、展示を見た人にその姿を強く印象づけることができるのではないかという、これも実験的な試みです。

 

ただ繰り返すようですが解剖学の教育には不向きなので、そういう目的で作るときには演出を加えないように注意しないといけません。なにかを作るのには目的があって、その目的が達成されるものがいいものなんじゃないかと考えます」

 

――なるほど。デザイン工学の話にも通じるような気がします。

 

「支柱を曲線的に加工しているのも同じような理由ですね。支柱がまっすぐだと、見る人に『支えられて立っている』という印象を与えてカカシみたいになってしまう。そうじゃなくて、自立しているんだというふうに捉えてもらいたいんです。

 

それにね、動きのある姿の方が作りやすいんです。直立不動姿勢の標本も作ったことがあるんですが、左右対称になってないんじゃないかとか、照明の当たり方で見え方が変わってるんじゃないかとかそんなことばかり考えないといけなくて、神経がすり減って辛かったですね」

一冊の本との出会いから、今の仕事が始まった

――どうして骨格標本作りをするようになったのでしょうか?

 

「国立公園の管理や動物調査をする人を養成する専門学校に通っていたんですが、そのころに出会ったこの本がきっかけです。当時「この本、半額でいいよ」と言われたのでそれにつられて買いました。

骨格標本作製法(八谷昇・大泰司紀之著、北海道大学出版会)

骨格標本作製法(八谷昇・大泰司紀之著、北海道大学出版会)

 

それまではそこまで骨に興味があるというわけではなかったんですが、本が手に入ったからやってみるかということで。当時、とある公園でカラスが死んでいるっていうことを聞きつけて、それを拾ってきて見よう見まねで作ったのが最初ですね。自分の技術っていうのは、この本に書いてあることの延長なんです。

 

卒業後はOBのつてで国立公園で働いたこともあります。そのときのおもな仕事が、冬山のエサ不足で死んだシカを処理するというものだったんですが、その死んだシカを骨にして、公園のビジターセンターの展示物にしたりもしていました。

専門学校のOB3人で参加した国立公園での一冬の仕事。そのとき3人そろいで入手した解体用のナイフは今でも現役だそう。

専門学校のOB3人で参加した国立公園での一冬の仕事。そのとき3人そろいで入手した解体用のナイフは今でも現役だそう。

 

その仕事のあと、これまた学校の後輩のつてで東京大学の総合研究博物館に出入りし始めました。はじめは無給でしたが、それが1ヶ月単位でお金が出るようになって、アルバイトになってパートタイムになって、非常勤になり今にいたります」

 

研究熱心なその姿からは少し意外だが、決して熱烈にこの仕事を志していたというわけではなかったと。職人気質というのは強い志望動機の中から炎のように立ち上がるのではなく、単調に見える繰り返しの中で少しずつ育まれるものなのかもしれない。

 

そんな中坪さんだが、最近は海外の品評会にも作品を持ち込んでいるという。

 

「今年の2月にオーストリアのザルツブルクで開催されたヨーロッパ剥製大会の骨格標本部門に作品を持っていきました。そのときは分解できるように作ったカラスの骨格標本をスーツケースに押し込んで、壊れないか心配しながら持ち込みました」

世界中の標本製作者が作品を持ち込んで出来を競うヨーロッパ剥製大会。持ち込んだのはハシブトガラスの交連骨格標本だ。

世界中の標本製作者が作品を持ち込んで出来を競うヨーロッパ剥製大会。持ち込んだのはハシブトガラスの交連骨格標本だ。

細かく分解できるようにして、壊さないよう梱包するのに苦労したのだとか。

細かく分解できるようにして、壊さないよう梱包するのに苦労したのだとか。

 

ちなみに剥製大会への参加は仕事ではなくプライベートで、費用もすべて自分で負担したとのこと。やはり熱意がすごい。

中坪さんは来館者の見えるところで作業しているから注目を集めやすいが、ここインターメディアテクに限らず全ての展示物や収蔵品にはそれを作った人がいて、博物館はそういう表から見えない人々の個人的研鑽によって支えられているのだ。次に展示物を見るときは、製作者の意図や注目してほしいポイントに思いを馳せてみるのも面白いかもしれない。

 

 

自宅のゲルで暮らすモンゴル研究者に聞いた、遊牧社会で生き抜くのに必要な力

2023年9月28日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

家畜の餌となる草を求めて広大な草原を転々とする遊牧民の生活。最近はノマド・ワークなどという言葉が普及するくらい、その場所や人に縛られないイメージは定住生活者を魅了してやまない。

文化人類学者としてモンゴルの遊牧文化を研究する堀田あゆみ先生も遊牧民とその文化に魅了された一人である。研究と実益を兼ねてモンゴルの移動式住居ゲルを自宅の一部として使用しているという。

今回は、なんとそんな堀田先生の自宅ゲルにお招きいただき、専門である遊牧文化のモノの所有についてのお話やゲルのあれこれについて伺ってきた。

住宅地に突如現れる遊牧民の住居・ゲル

7月の中頃、取材のため教えてもらった大阪府内の住所に向かった。場所は日本のどこにでもありそうな古い住宅地で、道は細く複雑だ。だだっ広いモンゴルの草原とはまるで対照的なこの場所で、どんなふうにゲルが登場するのだろう?そんなことを考えながら車を走らせていたら、大きな空き地があるでもなく、民家の軒先に寄り添うように建てられたゲルが現れた。

緩衝地帯があるわけでもない。住宅地にいきなり、ゲル。これはおもしろい。

 

「民家」の方のインターホンを鳴らし、挨拶もそこそこに上がらせていただく。ゲルを建てるために四角い敷地の縁に沿うようにL字型の木造家屋を建て、中央のスペースにウッドデッキを作ってその上にゲルを設置しているのだという。家からウッドデッキに出る扉を開けると、目の前にゲルの扉がある。堀田先生はこうして、その時の気分や天気によって二つの世界を行ったり来たりしているのだ。

では、われわれもゲルの世界にお邪魔させていただこう。

ウッドデッキに続く扉を開くと、そこにはゲルの入口が!

ウッドデッキに続く扉を開くと、そこにはゲルの入口が!

 

ゲルとは、モンゴル遊牧民の移動生活に最適化された組立式の住居である。

 

移動を頻繁に繰り返すゲルの構造で重視されるのは、軽さと組み立て・解体の容易さだ。カラマツの木で作った部材を格子状に組んだ壁と天窓から放射状に組まれた屋根棒、さらに真ん中で屋根を支える2本の柱。釘は使わず、部材同士を紐で結んで組み上げる。壁と屋根を羊毛フェルトで覆い、最後に外側に白い布をかぶせて紐で固定したら完成である。慣れると大人3~4人で、設営に2時間、解体に1時間くらいしかかからないらしい。

 

夏は壁の覆いとフェルトをまくり上げて風通しよくすることで涼しく、冬は地面と接する部分に盛土をして気密性を高めることで暖かく過ごせる優れものだ。丸い形は風を受け流すのに最適で、軽量ながら強風に吹き飛ばされるということもまずない。

ゲルには「部屋割り」というものは存在しないが、場所によって役割分担はある。一番奥(入り口から見て反対側)はホイモルといって、ゲルの中で一番大切な場所だ。通常は仏壇や家族写真など、家族以外の人に見せたいものが置かれている。

ゲルには「部屋割り」というものは存在しないが、場所によって役割分担はある。一番奥(入り口から見て反対側)はホイモルといって、ゲルの中で一番大切な場所だ。通常は仏壇や家族写真など、家族以外の人に見せたいものが置かれている。

そして入り口から見て左側は男性のスペース、右側が女性のスペースだ。客人がきたときの対応は男性側、家事は女性側で行われる。

そして入り口から見て左側は男性のスペース、右側が女性のスペースだ。客人がきたときの対応は男性側、家事は女性側で行われる。

雨が少ないモンゴルでは、採光と風通しのため夏の日中はゲルの天窓はほぼ開けっぱなしだ。天窓から下がっている赤い紐は、強風が吹いた時に重しを吊るしたり、家族総出で掴まってゲルが吹き飛ばされないようにするために使用される。

雨が少ないモンゴルでは、採光と風通しのため夏の日中はゲルの天窓はほぼ開けっぱなしだ。天窓から下がっている赤い紐は、強風が吹いた時に重しを吊るしたり、家族総出で掴まってゲルが吹き飛ばされないようにするために使用される。

 

このように、モンゴルの気候と移動を繰り返す遊牧民の生活に最適化されたのがゲルなのである。気になる日本の風土にマッチするのかどうかについて堀田先生に聞いてみたところ……ずばり「向いていない」とのこと。モンゴルで使われているものをそのまま持ってくると、やはり雨の多さや湿度の高さが致命的であっという間に腐食が進んでしまうらしい。

そこで、モンゴルで調達した部材を使いつつ、フェルトを諦め、さらに外側の布を防水シートに交換している。土の上にじかに設置しないのも湿気対策の一環だ。

「設置しっぱなし」もよくないので定期的に解体と設営をしている。堀田先生曰く「一箇所に留まることを退廃とみなす」という遊牧民の価値観をそのまま反映した住居がゲルなのだ。

たいへんである。よほどのゲル愛、モンゴル愛がなければここまでできまい。

 

ゲルから「家屋」の方に戻った我々(日本の7月のゲルの中は蒸し暑いのだ)は、まずモンゴルに情熱をかけ、研究までするようになったきっかけを聞いてみることにした。

きっかけは「自然と人間の共生」

「私は子どもの頃『人間と自然の共生のバランス』を探ることに関心がありました。どこまでなら共生でどこからが搾取なのか、みたいなことをもやもやと考えてたんですが、その頃たまたま遊牧民の生活について知って興味を持ったんですね。

 

モンゴルに関する本をいろいろ読んでいると、遊牧民の生活は自然と共生していて、しかも彼らはモノにあまり執着しないということが書いてあったんです。

どうやったらそんな境地に至れるんだろう? 同じ人間なのに…と、衝撃を受けるのと同時に、『自然と人間の共生』のヒントがここにあるんじゃないかと感じました」

 

モンゴルに関心をもった堀田先生は高校卒業後にモンゴル語を学ぶための留学をした。モンゴルの首都ウランバートルでホームステイするうちに、そこで見た光景に違和感を覚えたという。

 

「話を聞くためには言葉がわからないとダメだろうと思い語学留学をしました。そのときは遊牧民的な草原の生活はできなくてウランバートルのアパートでホームステイをしたんですが、不法投棄されたゴミが目立つのが気になったんです。またアパート地区の周りには地方から移住してきた人たちがゲルで暮らす地区があったんですが、そのゲル地区でゴミの野焼きが原因の大気や土壌の汚染が問題になり始めた時期でもありました。そういったものを見ていて、どうも本で読んだ話と違うなあと感じ始めたんです」

遊牧地域におけるゴミ処分の様子。

遊牧地域におけるゴミ処分の様子。

 

「帰国後は大学に進学して『ウランバートルの廃棄物処理システム』について調べ、修士課程では『住民の環境意識』をテーマにしました。そしてその過程で根本的な疑問を抱きました。

当時日本のJICA(国際協力機構)やその他の国際機関がモンゴルのゴミ処理システムを改善する事業をしていましたが、ゴミとか廃棄物というもののとらえ方が我々とモンゴル人ではたして同じなのかと。都市で生活しているとはいえ数世代前までは草原で遊牧をしていた人々なので、ゴミに対する認識にも遊牧民の価値観が反映されているのではないかと考えたんです。

そしてゴミについての認識を知るためにはまずモノについての認識を知らなければなりません。ゴミというのはモノが最終的に行きつく形態ですから。そこで、博士課程の研究で今日まで続く『モンゴル遊牧民の物質文化』というテーマをやることにしたんです」

「遊牧民はモノに執着しない」は幻想!?

ゲルでの住み込み調査(2016年2月)

ゲルでの住み込み調査(2016年2月)

 

遊牧民はモノをどう捉えているのか?

そんなテーマで研究を始めた堀田先生だが、実際にゲルの中で遊牧民とともに生活しはじめると彼らのモノに対する並々ならぬ執着に圧倒されっぱなしであったという。

 

「遊牧民のモノに関する研究というのはこれまでにもあるんですが、それらはモノの量に注目したものが主流でした。たしかに彼らの持ち物は日本人に比べれば少ないですし、今風に言うとミニマリスト的理想を実践しているように見えるかもしれません。それゆえ『遊牧民は頻繁に移動するので最小限のもので暮らしていて家具も簡素である』という、彼ら自身がモノを持たないことに価値を見出しているかのような解釈が付与され続けてきたんです。

 

かくいう私も調査地に入るまではそういう話を信じていたので、実際にゲルで暮らし始めてからは周囲の人たちの私の持ち物に対する関心の高さに驚きましたね。

例を上げると、スーツケースを開けて中身をいじってたら背後から音もなく近づいてきて中に何が入っているのか覗き込んでいたということがありました。隣のゲルのおばさんが私のブーツをやたらほめてくれるなと思ったら、おもむろに試着を始めて『うーん、私の足にぴったり。あゆみは裸足で帰ることになるわね』と言われたことも。ほかにも、こちらの着ているTシャツを指して『そのTシャツ初めて見た!うちに置いてく?』と聞いてきたり。

事例を上げたらキリがないですが、このままだと身ぐるみはがされる!と思うくらい彼らのモノに対する関心の高さには圧倒されました」

 

こちらが持っているモノについて知りたい、譲ってほしいという周囲からの圧力がすごかったと。

 

「慣れるまではたしかにたいへんでしたが、しばらくすると彼らと我々ではモノやその所有に対する考え方、執着のあり方が根本的に違うんだということがわかってきました。

日本人の言うモノへの執着って、対象の占有を問題にしていると思うんですね。所有者の手元にそのモノがあるということが重視されるのが我々農耕タイプの社会だとすると、所有と占有が必ずしも結びついていないのが遊牧社会だと言えます。

 

遊牧社会でももちろん所有権は存在しますが、その一方で貸借か譲渡かをはっきりさせない『融通』が頻繁に発生します。これはあるモノを必要とする人がそれを持っている人のところに行き、交渉によって渡してもらうことなんですが、すぐに返却するのか、督促されるまで返さないのか、あるいは返却しないのかは当事者間の関係性や対象のモノによってケースバイケースです。

 

そもそも遊牧民はモノを交渉によって人の手から手へ移っていくフローとみなしています。そこで重要なのは所有者が誰なのかということではなく、必要になったときにそのモノが利用できるということなんですね。なので、遊牧民はモノの所有には執着しませんが、ことモノの利用ということになると並々ならぬ執着心を見せます」

 

なるほど……、我々日本人からするといまいちピンとこない価値観かもしれないが、ところ変われば常識も変わるというもの。しかしこの常識の存在に気づいてから、前述の持ち物に対する関心の強さについても腑に落ちたという。

遊牧社会で生き抜くために必要なもの、それは情報収集と交渉の力

「私が最初『身ぐるみを剥がされる!』と感じたくらいの持ち物への関心、あれはつまり交渉だったんです。日本人の感覚だと交渉というのはする側もされる側もそれなりの覚悟が必要だと思いますが、モンゴル人の交渉は本当にカジュアルで、ほとんど『とりあえず言ってみた』の延長です。そのやり方も、可愛くおねだりや泣き落としから高圧的なものまで相手やモノによってさまざまです。とはいえ、そういったスキルが一朝一夕で身につくわけではないのも事実です。モンゴルの子供たちは、自分の要求を相手に伝え、どういう条件を提示すれば上手くいくかということを実践形式で学んで育ちます。

 

で、面白いのが、こういったモノをめぐる交渉というのがモンゴル帝国時代から行われていたってことなんですよ。13世紀の半ばに帝国を訪れたフランスの修道士もモノをせがまれた様子をしっかりと記録してます。

 

そして、交渉スキルと同じくらい大切になってくるのが情報収集の力ですね。厳しい自然の中で生きる遊牧生活には臨機応変な判断力とそのための情報を集める力がそもそも必要不可欠です。例えば日中にゲルの扉を開けっぱなしにしておくのも、室内にいながら外でされる会話や人の行き来を把握しておくためです」

日中は開けっぱなしにされるというゲルの扉。風に乗って聞こえてくる外の会話は貴重な情報だ。さらに馬や車に乗って移動する音が聞こえてくれば、音の移動する方向やエンジン音の特徴などから誰がどこへ向かったのかがわかることもあるんだとか。まるで潜水艦のソナーのように、室内にいながら外部の情報をもたらしてくれる窓口、それがゲルの扉なのである。

日中は開けっぱなしにされるというゲルの扉。風に乗って聞こえてくる外の会話は貴重な情報だ。さらに馬や車に乗って移動する音が聞こえてくれば、音の移動する方向やエンジン音の特徴などから誰がどこへ向かったのかがわかることもあるんだとか。まるで潜水艦のソナーのように、室内にいながら外部の情報をもたらしてくれる窓口、それがゲルの扉なのである。

 

「情報が大切なのはモノを巡る交渉でも同じです。交渉のスタート地点は『誰のところに何があるか』という情報を得ることなので、機会さえあれば相手がなにを持っているのかを探ろうとしますし、逆に絶対に人に渡したくないものについては隠すという情報管理も行われます。

 

ここで話が最初に戻るんですが、ゴミの野焼きが問題になっているという話がありました。あれも、じつは情報管理の延長にある習慣だったんじゃないかと思うんです。捨てるだけならべつに燃やす必要はないはずです。なのにそんなことをするのは、そのまま放置すると断片的とはいえ自分たちの持ち物についての情報を晒してしまうことになるからじゃないかと。他人に拾われたり情報を晒すことを完璧に防ぐには燃やすという行為が必要だったんじゃないかと思うんです。ガラスや金属のような燃やせないものが増えた現代ではそれが環境問題につながっているわけですが」

 

話がつながった。

ゲルは人が集まる場所

最後に、ふたたびゲルの中に入って羊のくるぶしの骨を使ったモンゴルの遊びを教えてもらった。

モンゴル語でシャガイという羊のくるぶしの骨を使う。

モンゴル語でシャガイという羊のくるぶしの骨を使う。

床に転がし、上を向いた面によって「羊」「山羊」「馬」「ラクダ」という目が割り当てられる。おはじきみたいにしてルールにそってぶつけ合って遊ぶのだ。

床に転がし、上を向いた面によって「羊」「山羊」「馬」「ラクダ」という目が割り当てられる。おはじきみたいにしてルールにそってぶつけ合って遊ぶのだ。

 

ゲルを建ててから、人がやってくる機会が増えたと堀田先生は言う。訪問者は興味本位で「これはなんですか?」と聞いてくる人から、解体・設営を手伝ってくれる人までさまざまだ。

もともと遊牧民は自分のゲルにやってきた人を拒むということをしない。だから、自分以外に誰もいない草原で地平線にゲルを見つけた時の安心感はひとしおなのだ。そういう場所を日本にも作りたいと考えたのが、ゲルを建てた動機でもあるのだそうだ。

 

既製品を使わず、知り合いの遊牧民に材料から見立ててもらった思い入れ抜群のゲル。今はそこに新たなライフヒストリーが蓄積されていくことが、モノをテーマにした研究者としてうれしい毎日なのだそうである。

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