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フェリス女学院大学の授業「コミック『ゴールデンカムイ』で学ぶ多文化共生」を聴講して、アイヌの食文化を学んできた

2024年1月23日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

超人気コミック『ゴールデンカムイ』(野田サトル/集英社)は、謎の金塊をめぐって北海道を舞台に繰り広げられる冒険譚。アニメにもなったことでアイヌ文化に興味を持つ人の裾野をぐっと広げました。さらにこの1月には人気俳優勢ぞろいの実写映画化も果たし、「金カム推し」からの「アイヌ推し」人口増加は右肩上がりです。この作品の監修者でもあるアイヌ語研究者が、横浜のフェリス女学院大学で多文化共生をテーマにした講義を行うとの情報が。フェリスで? 金カムが? 多文化共生? これは気になる……ということで、本来は在学生でないと受けられない授業に、特別な許可を得て潜入してきました!

アイヌの文化を通して、自分の文化を顧みるきっかけに

フェリス女学院大学(神奈川県横浜市)で、「コミック『ゴールデンカムイ』で学ぶ多文化共生」という授業が行われています。期間は2023年後期から24年前期にかけての1年間で、担当するのは『ゴールデンカムイ』の監修も務めたアイヌ語研究の第一人者・中川裕先生。期間中に同作の実写映画が公開される(※1)というタイミングもあってか、履修登録した学生は100人近くに上っているそうです。

体験受講に先がけて、中川先生に講義で目指していることや、ここまでの感触を聞くことができました。

※1 映画『ゴールデンカムイ』は2024年1月19日公開

中川裕先生

外部講師として招かれた中川裕先生は千葉大学名誉教授でもあります。ちなみに推しキャラクターはアイヌの美女・インカマッさん。中川先生は彼女の名付け親なのだそう!

 

「初回の授業で、学生に『ゴールデンカムイ』を知っているか聞いたら、教室の3分の2ほどが読んだことがないと答えました。『早く読んだほうがいいよ』とは言っているけれど、ネタバレにもならないよう、読んだことがない人にも面白さが伝わるよう、ていねいに授業を進めています」

 

もちろん、原作ファンも楽しめる内容を考えているという中川先生。こんな裏話も披露したそうです。

「実はこの映画には、たくさんのアイヌの人たちがスタッフとして参加しています。先日の授業では、その割合がどれぐらいかを説明しました。アイヌ文化を単に外側からなぞるのではなく、当事者がたくさん関わることで、生き生きとした作品になっていることを伝えたかったんです」

中川先生が大切にしているのは、受講生にアイヌ文化に興味を持ってもらうことと、正しい知識を持ってもらうこと。「自分の文化を絶対視せずにほかの文化と比較して相対化し、自らを顧みる機会にしてほしい」と語ります。

「また、前回の授業では『私たちはなぜ生き物を食べていいのか』ということについても考えてもらいました。アイヌの人たちは、さまざまな生き物を『カムイ』とし、カムイからの贈り物としてその命を食べている。キリスト教なら、神が許し与えたものと捉えている。しかしほとんどの日本人には、そういった根拠がありませんよね。ではなぜ、私たちは命を食べていいのでしょうか?」

 

漠然と「食べなければ生きていけない」と思っているものの、なぜそれが許されるのかと問われると、とっさに言葉が出ませんでした。

「ヒンナヒンナ」は「おいしい」という意味ではない!

さて、ここからは実際の授業の体験レポートです。この日のテーマは「アイヌの食文化」。『ゴールデンカムイ』は、アイヌの少女アシㇼパさんと和人の青年・杉元が苦楽を共にする物語ですが、随所で描かれるさまざまなアイヌ料理は、作品中の見どころの一つでもあります。

 

冒頭では先週の振り返りが行われ、『ゴールデンカムイ』読者にはおなじみの「ヒンナヒンナ」という言葉が話題に。このフレーズは食事のシーンでよく使われるので、日本語の「おいしい」とか「いただきます」に当たる言葉なのかという質問があったようです。

 

中川先生は、この言葉は食事に関係なく「ありがたい」という気持ちを表すものだと説明し、「そもそも世界では、必ず『いただきます』と言う日本のほうが特殊なんです。そうだよね?」と、中国からの留学生に問いかけました。問われた学生は頷いて、「同じような意味の言葉はあるけど実際には言いません」と回答。このやり取りに「そうか、日本が当たり前ってわけじゃないんだよな」と思わされ、さっそく自分を顧みることになりました。中川先生の狙いどおり、授業開始まもなく、日本文化の相対化を経験します。

 

さらに「本当に熊送り(※2)をするのか」との質問には「昔はしていました」と答え、現代の熊送りを描いた映画を紹介。「アイヌは生食をしないそうだが、ルイペは生ではないのか」という問いには、本当のルイペを食べられる東京のお店の情報を伝えました。いずれも上から何かを説くのではなく、学生自らが実際のアイヌのあり方に触れ、考えたり感じたりできる機会を示した中川先生。事前に話していた「興味を持ってほしい、正しく知ってほしい」という思いが強く感じられました。

※2 アイヌ語でイオマンテと呼ばれる儀式。主に子熊を1~2年育てた後に殺し、その魂を神の世界に送り返す

 

ちなみにアイヌが生食を避けるのはアニサキスなどの寄生虫を避けるためですが、ルイペは食材を凍らせる料理であり、この調理法なら寄生虫が死ぬことが科学的にもわかっているそうです。

「ルイペ」はアイヌ語で「溶ける食べ物」という意味。凍らせることで味が凝縮されておいしくなるらしい

「ルイペ」はアイヌ語で「溶ける食べ物」という意味。凍らせることで味が凝縮されておいしくなるらしい

 

歴史的なものだけでなく、現代のアイヌの普通の食事も知ってほしいと、中川先生は教室に参考書籍を回します。

『アイヌのごはん―自然の恵み』(デーリィマン社)。著者の藤村久和さんは、中川先生も尊敬するアイヌ民俗学の研究者

『アイヌのごはん―自然の恵み』(デーリィマン社)。著者の藤村久和さんは、中川先生も尊敬するアイヌ民俗学の研究者

 

サラダなど身近なものから本格的なものまで実践的なレシピが掲載されているのですが、材料が「えぞしかの心臓と横隔膜」とか「えぞたぬきの肉」などだったりで、うーむこれは近所の西友には売っていないなと思いつつ後ろの学生さんに回しました。

チタタを作るとき、「チタタチタタ」とは唱えない!

『ゴールデンカムイ』にも頻出するオハウは、いわゆる鍋料理のこと。アイヌの調理法では、焼くよりも素材を刻んで煮るのがスタンダードだそうです。「子どもの頃、よくカケスを捕まえに行った。獲ってきたものをお母さんに渡すと、団子を作ってオハウにしてくれた」といった思い出話を、中川先生はアイヌのお年寄りからよく聞いたと言います。

 

ではなぜ「焼き」ではなく、鍋料理であるオハウなのでしょうか。そこには3つの大きな理由がありました。アイヌの焼き料理は主に直火の串焼きを指しますが、そうすると串を作る手間が生じること、垂れてしまった油や肉汁は食べられないこと。そして3つ目はオハウのメリットで、山菜を乾燥させて携行していれば、戻す手間なく一緒にゆでてしまえること。言われてみれば非常に合理的です。カムイの恵みを余すところなくいただくのも、アイヌ料理の特徴なのでしょう。

 

作中ではよく、このオハウに杉元が持参した味噌を入れて食べますが、初めて味噌を目にしたアシパさんが「オソマ(ウンコ)だ!!」と大騒ぎするシーンがあります。お約束となっているギャグシーンですが、中川先生はこれを研究者の知見でしっかりと解説してくれました。

 

「アシパさんはおそらく、1890年代の生まれだと思われます。同世代のアイヌの女性による『味噌は結婚してから初めて食べた。それまでは見たことがなかった』という証言が残っている。アシパさんの勘違いも、十分にあり得た話だと思います」

味噌を味噌だと認識し、オソマと間違わずにいられるのは、物心ついたときから知っているからなのかもしれません。そういえば日本の昔話ですら、味噌と糞の相似をネタにしていますよね。再び自分の中で何かが揺らぐのを感じます。

作中のシーンを見せつつ、オハウとオソマについて説明する中川先生。アシリパさんかわいいです

作中のシーンを見せつつ、オハウとオソマについて説明する中川先生。アシパさんかわいいです

 

続いて中川先生は、こちらも作中でなじみ深い、魚や肉を刻んだ料理「チタタ」について説明。これを作るときには、アシㇼパさんの指示により、「チタタチタタ……」と繰り返し唱えるのが決まりでしたが――

 

「この料理を作るとき、別にチタタって言わないんですよ。これは野田先生の創作です」

衝撃的(?)な事実が告げられました。あんなに当たり前のようにやっているのに、これもギャグだったなんて! 序盤で中川先生が「アイヌの唱え事は口にしないと無効です。例えば水を汲むときは水の神であるワッカカムイに対して、声に出して祈りを捧げます」と話していたので、チタタもそういうおまじないの一種かと思ったのに……。

「アイヌの唱え事」の一例、夜に水を汲むときにカムイを起こすための言葉。文言は厳密に決まっているわけではなく、多くが即興なのだそうです

「アイヌの唱え事」の一例、夜に水を汲むときにカムイを起こすための言葉。文言は厳密に決まっているわけではなく、多くが即興なのだそうです

 

密かにショックを受けつつ、チタタの作り方の動画を見ることに。『ゴールデンカムイ』ではリス肉を使うのが印象的でしたが、現代のアイヌにとって一般的なのは鮭を使ったものだとのこと。地域や作る人によって材料も調理法も大きく異なる、「家庭料理」の色合いが濃い一品のようです。

鮭は鼻先の軟骨部分である「氷頭(ひず)」を使うのが決まり。そこには寄生虫がいないことを、アイヌの人たちはバッチリ知っていたようです

鮭は鼻先の軟骨部分である「氷頭(ひず)」を使うのが決まり。そこには寄生虫がいないことを、アイヌの人たちはバッチリ知っていたようです

 

鮭をさばき、昆布をあぶり、素材をひたすら叩いて刻み……。料理が完成するまでにはなんと2時間もかかったという解説にも驚愕。その忍耐強さも、食材をカムイと思えばこそなのでしょうか。作り方を見たことでチタタがぐっと身近になったような、一方で大変さが身に染みて遠くなったような……? 動画の女性、翌日は筋肉痛にならなかったかな、などと考えているうちに、盛りだくさんの授業は終了しました。

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この後もアイヌの人の信仰や、樺太アイヌからロシアに暮らす少数民族まで幅広く扱うこの授業。興味があるけどフェリスの学生ではないみなさんには、こちらのサイトがおすすめです。

https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/language/movie/

中川先生が監修するチタタプ作りの動画のほか、アイヌ語や文化を知ることができる情報が満載。さらに金カムからアイヌを学ぶ新著も発売予定です。

 

左:『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』中川裕 著、集英社、2019年 右:最新刊『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』中川裕 著、集英社、2024年2月16日刊行予定

左:『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』中川裕 著、集英社、2019年
右:最新刊『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』中川裕 著、集英社、2024年2月16日刊行予定

東京大学の人気研究者が競演する特別企画! 東大で、みんなで一緒に、戦争と平和について考えてみた。

2023年11月14日 / コラム, 体験レポート, 大学を楽しもう

東京大学で10月21日、渡邉英徳先生と小泉悠先生の特別企画「東大で戦争と平和について考える ―東大と一緒!安田講堂親子スペシャル―」(主催:東京大学基金)が行われました。ウクライナ戦争がはじまった2022年以降、さらに今年10月7日に勃発したハマスとイスラエルの大規模衝突以降、「戦争」というテーマが心に引っかかっている人は少なくないはず。事前にもらったチラシには「先生と一緒に『今』『同じ世界で』起きている戦争を考えてみませんか」の文字が。なるほど、先生が一緒に考えてくれるなら……と申し込みをし、本郷キャンパスの安田講堂に向かいました。

「知らない人とけんかはできない」戦争が終わらないのはなぜ?

10月21日、東京大学でその名もずばり「東大で戦争と平和について考える」なるイベントが開催されました。22回目となる東京大学ホームカミングデイの企画の一環で、登壇するのは渡邉英徳先生(情報学環・学際情報学府教授)と小泉悠先生(先端科学技術研究センター専任講師)という、メディアでも活躍する二人の人気研究者。小学生以上の子どもを含む親子対象とのことで、会場にはたくさんのキッズも訪れていました。もちろん大人もたくさんいて、約700人の参加者で安田講堂の1階席はほぼ満席となる大盛況。

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このイベントは単なる講演ではなく、それぞれの先生からの質問に対し、参加者がウェブサービスを通じてリアルタイムで回答するという双方向の仕組みで進みます。

まずは小泉先生から、「どうしてウクライナ戦争は終わらないのだと思いますか?」という質問が。

参加者はウェブサービス「Slido」を使って投票。自由回答や質問も可能。私の考えは「プーチン大統領を止める人がいないから」かなあ

参加者はウェブサービス「Slido」を使って投票。自由回答や質問も可能。私の考えは「プーチン大統領を止める人がいないから」かなあ

 

投票結果は「戦争によってお金もうけをする人がいるから」という選択肢を選んだ人がもっとも多く、33%を占めていました。これを受けて小泉先生の解説は?

 

「確かに武器を作っている会社は儲かっているところもあります。例えば戦車って1両で3億円ぐらいするんですよね。でも僕はロシアにたくさん知り合いがいるんですが、国内の経済はやっぱり苦しいそうです。『自分の会社が倒産しちゃったよ』と言っている人もいて、たぶん今回の戦争は『儲かるから』という理由で続いているものではないと思います」

 

また、2割の票を得た「話し合いが足りていないから」という選択肢についても言及。「ちょっとこれを見てください」と小泉先生が会場に流したのは、男性コメディアンが楽しそうにはしゃいでいるテレビ番組の映像でした。ピンときた方もいるでしょう、これは現ウクライナ大統領のセレンスキー氏の過去の姿です。コメディアン時代のセレンスキー氏、笑顔がとってもかわいいのですよね。報道で見る現在の彼は、いつも眉間にしわが寄った険しい顔をしていますが……。小泉先生は続けます。

 

「これはロシアのテレビ局が10年前に作った番組ですが、ウクライナ人であるセレンスキーは普通に呼ばれて出演していました。実は彼はウクライナ語よりロシア語のほうが得意だし、ロシアとウクライナはこんなに近しかった。つまりお互いのことをとてもよく知っているんです。考えてみたら、僕たちも知らない人とけんかをすることはできませんよね。きっと話し合いもたくさんあったはずなのに、それでも今の状況を防げなかった。あるいは戦争になってからも、『こんなこともうやめよう』と言えない関係になってしまった」

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投票が締め切られると、結果はスクリーンで示されます。プーチンがロシア国民の支持を集めているから、と考える人も結構いますね

 

この戦争が終わらないのはなぜなのでしょうか? 小泉先生は「一言でいえば、プーチン大統領がウクライナをロシアの一部だと思っていて、それがバラバラになったことに対して悔しい気持ちがずっとあるからではないか」と説明しました。この世に理不尽でない戦争なんてないとは思いますが、何たる理不尽。しかし小泉先生は、さらなる「理不尽」の可能性についても語ります。

 

「この戦争ではロシアがウクライナに攻め込んでいますが、過去には日本が、とくに悪くない他国を攻めて戦争しました。自ら戦争をしないのは大前提ですが、それでも日本が悪くなくても戦争に巻き込まれる恐れはある。その事態について、これまで日本ではあまり真面目に考えられてこなかったと思います」

 

まさかと思うような仲良しの友達ともけんかは起こる。戦争を防ぐためにはどうしたらいいか、そのためにどれぐらいのお金を使うのか、そうした具体的なことを誰かが考えておかなければならないと続ける小泉先生。「もしやってみたいと思ったら、ぜひ一緒に」と、未来の研究仲間になるかもしれない子どもたちに呼びかけました。

衛星画像には写らない戦争や災害の「ストーリー」を想像するために

ここで話者はバトンタッチ。はじめに、渡邉先生は、たくさんの兵隊が行進する写真を示しながら、「80年前の今日」についての話を始めました。

 

「1943年の10月21日は学徒出陣の日。大学生が公式に戦地に送られることになったのです。翌44年の10月には、レイテ沖海戦で初めて、神風特攻隊による攻撃が行われました。たった1年で事態はそこまで進んでしまった。先ほどの写真で行進していた学生の中にも、もしかしたら特攻隊として亡くなった人がいるかもしれません」

東京大学のXアカウントでのポスト。この一人ひとりが泣いたり笑ったりして生きていたことは、写真には写っていません

東京大学のXアカウントでのポスト。この一人ひとりが泣いたり笑ったりして生きていたことは、写真には写っていません

渡邉先生のXアカウントでのポスト。「戦争の資料」と言ってしまえばそれまでですが、「人が死ぬ瞬間の写真」でもあるわけです

渡邉先生のXアカウントでのポスト。「戦争の資料」と言ってしまえばそれまでですが、「人が死ぬ瞬間の写真」でもあるわけです

 

そう聞くと、さっきは単に「たくさんの兵隊」と見えた写真が、なんだか急に違って見えてきます。それぞれの「彼」は大学では何を専攻していたのか、食堂の好きなおかずは何だったのか――。「ヒロシマ・アーカイブ」などの取り組みで知られる渡邉先生が重視しているのは、こうした「一人ひとりのストーリー」を伝えること。

 

「私たちは今、人工衛星の画像によって多くを知ることができます。ウクライナのマリウポリがどんどん壊されていく様子がわかる。一夜にして焼け野原になったガザを見ることもできる。でもそこには、その街で暮らしていた人たちの姿は写っていない。一人ひとりのストーリーを想像することはできないのです」

 

そこで始めたのが、ウクライナの3Dデータを活用した記録「ウクライナ衛星画像マップ」とのこと。現地で生活を続けるウクライナ人クリエイター・ヤロスラフさんとのコラボレーションで実現したもので、衛星画像には写らない地下のシェルターやガレキの一つひとつまでつぶさに見ることができます。子どもを含む11人が殺された地下室の画像では、子どもたちが描いたのであろう壁の絵や「ママ愛しています」の文字なども紹介され、見ているだけで胸が締め付けられました。

マップで見られるマリウポリの画像の1例。美しい劇場の「ビフォーアフター」が詳しく見られて、より切なくなります

マップで見られるマリウポリの画像の1例。美しい劇場の「ビフォーアフター」が詳しく見られて、より切なくなります

 

渡邉先生も「毎日こうした映像を見ていると心が沈んでしまう」そう…。ですが、ガザの衛星画像から「少しいいことが起きそう」な兆候があることも教えてくれました。

 

「エジプト側のラファ検問所はずっと閉じられていて、支援物資を運び込むことができていない。10月17日の画像ではバリケードが設置されているのが見えます。それが10月19日には少しバリケードの前が片付けられて、さらに最新ホヤホヤの画像ではバリケードがなくなっているのがわかる。これは間もなく支援物資の運搬が始まるのではないかということ。食料や医療品が必要な人に届いてくれればいいのですが」

 

ここで渡邉先生から今日の2問目。「日常が戦争に変わったらあなたはどのような行動をとりますか?」という質問です。

結果はこちら。「逃げたいけどどこに?」「反対活動して弾圧されるのは怖いな」など、質問に答えるだけでもいろいろ考えさせられました

結果はこちら。「逃げたいけどどこに?」「反対活動して弾圧されるのは怖いな」など、質問に答えるだけでもいろいろ考えさせられました

 

回答は「日本から逃げ出す」が最多に。しかし渡邉先生は「逃げることもできるけれど、大事なのは『その他』の選択肢だと思う」と言います。

 

「日常が戦争に変わってしまったとき、人は『自分にできること』の模索を始めるのだと思います。例えばヤロスラフさんは、自分の持つ技術を生かして戦禍を記録する活動を始めた。これが後世に残れば、戦争は嫌だという気持ちが受け継がれていくんじゃないか。こうした『もう一つ』の選択肢を考えてみてほしいのです。皆さんなら何を始めますか?」

質問スライド

 

最後に子どもたちからの質問に答えながら、小泉先生は「津波などの自然災害は止められない。でも戦争は止められる。どうせムダだと無気力でいないことが大切」と語りました。「なんで地球全体の政府を作って平和に暮らせないんですか?」という質問には、小泉先生が「ほんとにそうだよね。僕もそう思っていますが、人種や宗教の違いなどの難しい問題があって、なかなかそうはなれない。でも長い時間をかければ、いつかはできると思ってるんだよね。それが1000年後になるのか100年後になるのか、それは僕たち次第だと思います」と回答。また、渡邉先生は「争うのは人間の性で、世界政府ができてもその気持ちはなくならないかもしれない」と答え、次のように続けました。

 

「ひとつ思うのは、文字で書くとけんかになりやすいということ。SNSではどれだけ気を使っていても、必ず『何言ってんだ!』と言ってくる人がいます(笑)。でもデータやマップであれば文句を言われないので、もしかしたら言葉が災いしているのかも。未来ではもっといいコミュニケーションの方法を見つけてほしいですね」

 

キッズへの期待を込めて渡邉先生がこう締めようとすると、質問者からまさかの追撃が。

「言葉を使わないコミュニケーションはできないと思います。例えばテレパシーとかを使うとしても、それだって言葉を口に出さずに伝えることだから」

 

このキッズの発言に、小泉先生が「イカみたいに体をピカピカさせるのとかはどう?」と援護射撃しますが、相手も「体の表現だけじゃ細かいことは伝わらないと思う」と譲らず議論は白熱。会場は笑いに包まれ、小泉先生が「もしかしたら、言葉では細かいことが伝わりすぎるから揉めるのかもしれないね」と引き取って、その場は一区切りになりました。確かにイカは戦争しません。目指すか、イカ……。

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ヘビーな話題から、一気に和やかな雰囲気になった質問タイム。子どもからの「なんでですか?」という言葉には特別なパワーを感じます

 

さて、帰宅後にテレビを見ていると、「支援物資を積んだトラックがラファからガザへ入った」というニュースが流れました。この日の参加者はきっとみんな、渡邉先生の話を思い出したことでしょう。戦地を知ろうと思えば知ることができ、少し先の予測さえもできる時代。関心を持ちさえすれば、遠い国のことも、決して手の届かないことではなくなるのだと感じました。

「平和へのメッセージマップ」で、平和のために今できることを

企画はこれで終わりではなく、こうして自分なりに考えたことを、さらに身近なアクションにつなげる機会も用意されていました。対談の参加者に渡邉先生が投稿を募った「平和へのメッセージマップ」。投稿は参加者のみとなりますが、閲覧は誰でも可能。さまざまな人の思いに交じって自分の投稿が地図上に表示されると、「自分の日常も『今』『同じ世界』を作っているストーリーの一つ」であることが感じられるはず。ガザは今何時なのかな。マリウポリって今日は何度かな。そんなことを考えるだけでも、この瞬間そこにいる人たちのストーリーが、少し浮かんでくる気がします。

 ウクライナとパレスチナへのものが多めですが、メッセージは世界中に向けて投稿されています

ウクライナとパレスチナへのものが多めですが、メッセージは世界中に向けて投稿されています

 

「エビデンス偏重」に物申す! 大阪大学・異分野の研究者が本音で語る「客観性の落とし穴」とは。

2023年9月26日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

AIを使ったフェイクニュースの増加も取り沙汰される昨今。あなたは未知の情報の正確性を、何をよすがに判断していますか? 科学的根拠などの「客観性」を重視する人も多いと思いますが、今回の講座では「客観性の“落とし穴”」をテーマにするといいます。えっ、客観性があればそれでいいわけじゃないってこと? 落とし穴って一体どこにあるんだろう? そんな疑問を解決すべく、8月25日に開催された講座を受講してみました。

敵か味方か? 質的アプローチと量的アプローチの関係

SpringX超学校とは、さまざまな分野のスペシャリストから学び、対話するプログラム。グランフロント大阪北館2SpringXで開催されているこの講座を、オンラインで視聴しました。

 

今回ご紹介するのは「エビデンスと共に考える『いのち』と『くらし』を豊かにする講座」シリーズ、第5回「客観性の落とし穴?」です。講師は、大阪大学大学院人間科学研究科教授の村上靖彦先生と三浦麻子先生。さっそく村上先生が、6月に上梓した書籍『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)の内容を紹介しながら、今回の対談の意図を語りました。

 

村上先生の専門は哲学、現象学(基礎精神病理学・精神分析学博士)。医療現場や貧困地区の子育て支援の現場などで当事者にインタビューを実施し、個々の経験を重視することで社会的・文化的背景の理解を深める質的な研究を行っています。

 

「僕自身はインタビューや参与観察の手法で研究を続けていて、一人のインタビューで本を書くこともあります。でもこれについて『サンプルが少なすぎる』とか『一人だけのコメントでは客観性が足りない』とか言われることがあるんです。客観性が足りないことは悪なのか。この疑問が、僕が本を書いた動機でした」

書籍を手にする村上先生。「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」という学生の指摘に違和感をもったことも、執筆のきっかけに

書籍を手にする村上先生。「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」という学生の指摘に違和感をもったことも、執筆のきっかけに

 

エビデンスが示せる量的アプローチでなければ客観性がないと思われ、客観性がないと思われれば「それってあなたの感想ですよね」なんて、どこかで聞いたような言葉で切り捨てられてしまう――そんな機会が増えたことに、村上先生は危機感を抱いたのかもしれません。

 

「例えば偏差値は客観的データですが、それだけで人をジャッジするような今の社会の風潮は、いわゆる優生思想の発想に行きつくおそれもあると思います。客観性のみで真理をつかまえられると考える人がいるのなら、それは違うんじゃないかと思うんですが……三浦先生、どうでしょうか?」

村上先生がこう疑問を投げかけた相手は、同じく大阪大学大学院で教授を務める三浦麻子先生。ビッグデータやテキストマイニングなどを用いた社会心理学を専門としています。

村上先生と三浦先生。研究者同士の議論もみどころ

村上先生と三浦先生。研究者同士の議論もみどころ

 

ちょっと難しいですが、社会のあり方を「傾向や分布がわかるたくさんの客観的データ=量的アプローチ」で研究する三浦先生に、「少ないけれどじっくり掘り下げた、当事者性のあるデータ=質的アプローチ」という、正反対ともみえる方法をとる村上先生が意見を求めた、というわけです。二人とも大阪大学感染症総合教育研究拠点の教授も兼任しており、2020年以来のコロナ禍に共同研究を行ったそうです。

三浦先生が扱うのはスライドにあるようなデータ。左の『異なる景色』は村上先生と共同研究を行ったインタビュー調査

三浦先生が扱うのはスライドにあるようなデータ。左の『異なる景色』は村上先生と共同研究を行ったインタビュー調査

 

村上先生の問いに対し、「もちろん私も、量的データだけが正しいなんて思っていません」と答える三浦先生。

「この複雑なコロナ禍を、客観的な量的アプローチだけで読み解くのは無理だと確信していました。だからこそ村上先生に共同研究をお願いしたわけで、質的研究と量的研究は敵同士なんかではなく、どちらもなくてはならない両輪だと思いますよ」

愚問だと言わんばかりに、データやエビデンスばかりを偏重することを否定しました。その一刀両断ぶりは清々しいほどですが、しかし三浦先生自身も「落とし穴」を感じることがあるようです。

 

「統計的手法でものごとを数値化することを初めて経験した学生が、瞬間的に『無双状態』になるのをよく目にします。まずは分布を見ろといつも言っているのですが、“回帰分析”とか、いきなり難しいことをやりたがるんですよね。こうした例からも、数値のエビデンスが人の心をつかむのに利用されやすい側面はあるかもしれないと思っています」

 

新しいことを覚えたときに万能感を覚える気持ちは、わかる人も多いはずです。まして量的アプローチで扱う膨大な数のデータを使いこなすことができたら、ひょっとすると神様のような感覚になってしまうのかもしれません。データ自身に罪はなくても、使い方が悪ければ…というリスクについて、三浦先生はさらに語ります。

 

「でも実は、人を動かすには、数値よりも、言葉は悪いですがお涙ちょうだい的なエピソードのほうが効果的であることもわかっているんです。問題は量的か質的かといった測定方法ではなく、悪意とデータが結びつき、誤った使い道で利用されることです。私は世の中は数値だけでは測れないということを学生に伝えたいと思っているし、優生思想のような考え方が正しくないと知らしめるためにこそ量的研究があると考えています」

真実はいつもひとつ!――ではない、複雑な現実の世界

村上先生はここまでの話を受けて、「三浦先生は『まず分布を』と指導されているそうですが、そこに注目すると何が見えるのでしょう?」と尋ねました。そこは確かに気になるところ。専門家でない限り、集めたデータの読み解き方さえ想像しにくいのではないでしょうか。そして量が膨大になるほど個のイメージがぼんやりし、数字以外の「意味」が薄まってしまうような……。村上先生もその点が気になったようです。

 

「例えば同じ診断名の人を集めても、30人いれば30通りの全然違った経験があるはず。僕はその個別性と、マイナーな属性に注目して研究しているのですが――」

30人の対象者を「30のサンプルサイズ」と捉えてしまうと見えなくなるものがあるとしたら、その見えなくなるものこそが、村上先生の着目したいものなのでしょう。この問いに三浦先生は、「量的統計でこそ見えるマイノリティーもいる」と答えました。

 

「分布を見ることで、平均から外れた層が少なからずいることがわかります。コロナ禍の調査でいえば、感染対策を絶対にしない人たちの割合は岩盤のように動かなかった。少数派のすべてをつかむにはもちろん足りない部分もあると思いますが、『こんな風に人々の意見が分散しているんだ』という全体像をつかみ、多様であることを可視化することが重要なのです」

 

確かに少数派の存在をつかむには、多数派のあり方も理解しておく必要があります。村上先生も「僕のやっていることは、スコープが小さくて限定的なこと。例えば西成でインタビューをしたときは、貧困の統計データを読み込んでから行いました。客観的数値のデータの上に乗っかる形で僕の研究があるわけですもんね」とうなずきました。

 

質的研究と量的研究は反対のものであるかのように始まったこの対談ですが、実は互いに補い合うべきもので、むしろ敵ではなく味方同士であることがわかってきた気がします。

 

「三浦先生と話していて気付いたのは、質と量の視点をごちゃごちゃにして考えることがまずいんだということです。方法論の違いで見えてくるものは変わるし、そもそも僕は真理は多様なものだと思っています。悪意とデータが結びついてしまうことは、質的データでももちろん起きている。そこは世界観というか、倫理観といってもいいと思うのですが、それを研究者がどう提示するかがすごく大事なんだなと」

 

当事者性を重視する村上先生の調査では、現場に近いあまり、「正しくない世界観」に飲まれてしまうこともあるといいます。貧困層や病気の人の周囲には多くの支援者がいて、本人や支援者の考え方に偏りがあると、研究もそれに引っ張られるリスクがあるのだとか。村上先生は言葉を選びながら説明しましたが、そうした事態を防ぐために必要なものは、やはり「客観性」なのではないでしょうか。三浦先生も「私たちの手法はどちらも必要で、研究の両輪であるべき」と何度も繰り返しました。

「今日は学びがありました」と締めくくる村上先生に三浦先生が「そんな学生みたいなこと言わないの!」と返し、会場では笑いが起こりました

「今日は学びがありました」と締めくくる村上先生に三浦先生が「そんな学生みたいなこと言わないの!」と返し、会場では笑いが起こりました

 

この日二人の意見が合った一番大きなポイントは「真実は一種類ではない」ということでした。印象的だったのは三浦先生の「教え子でも『このデータは客観的に測定したんだから妥当性がありますよね?』なんて聞いてくる学生もいます。でも、妥当性が必ずあるなんていうことは甚だしい誤解」という言葉。私たちは、ともすると学問に「唯一の正解」を期待してしまいがちです。揺らがないはずの数値データならなおさら、そこに単純明快な答えがあると思ってしまうのではないでしょうか。不安なときほどその傾向は強くなり、コロナ禍には、手探りを続ける研究者よりも「何かを迷いなく断言してくれる人」の言葉が求められたように思います。

 

しかしこの率直な対談を聞いて感じたのは、研究者こそ悩んで迷って、多様で複雑な世界と向き合っているということ。客観性や数値データによる「エビデンス」を、複雑な世界を単純化するための道具程度に考えるなら、それこそ三浦先生の言う「甚だしい誤解」なのではないでしょうか。村上先生の考える「落とし穴」も、同じようなところにありそうです。

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