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パンダ外交からみる中国、日本、台湾。白黒まだらの国際関係について東京女子大学の家永真幸先生に聞いてみた。

2023年6月15日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

パンダは愛くるしいという言葉がぴったりの動物だ。ニュース番組なんかで動物園のパンダがだらだら、ころころしている様子を見かけるとついつい頬が緩んでしまう。

 

そんなパンダだけど、じつは中国からレンタルしているという話はご存知だろうか。パンダ外交という言葉があるとおり、一見のほほんとしていてもシビアな国際関係の渦中にいる存在なのだ。近頃は香港や台湾をめぐって緊張感が高まっている東アジア情勢だが、これまでパンダはどんな役割を果たしてきたのだろうか。アジアの国際政治の歴史を研究している家永先生に、中国のパンダ外交、とりわけ日本や台湾との関係について伺った。

欧米でのブームがきっかけでパンダは“中国の宝”になった

家永先生がパンダ外交に興味を持ったのは、故宮博物院を題材に台湾をめぐる国際関係を研究していた博士課程在籍中の2006年頃のこと。中国から台湾にパンダが贈られるプランが持ち上がり、台湾のなかでそれを受け取るべきか否かという議論が巻き起こっていたという。

 

「台湾の故宮博物院には、内戦に負けた中国国民党政権が中国大陸から持ち出した宝物が大切に収蔵されています。一方で、大陸から持ち出せなかった“宝”であるパンダを受け取るかどうかで台湾が揺れている。このねじれに興味を持って、そもそもパンダとは中国や台湾にとってどんな存在なのかを研究しはじめました」

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

 

パンダといえば中国のシンボル。これは全世界の共通認識と言えるだろう。けれども調査をしてみると、このイメージは意外にも比較的最近になってできたものであることがわかってきたそうだ。

 

「古代中国でパンダを他国への贈り物にしたという話は知られていないので、おそらく歴史上はじめて『パンダ外交』が行われたのは中華民国時代なのですが、その中華民国政府も1930年代なかばまでパンダがどんな動物かすら把握していなかったようです。中国の奥地に棲む珍しい動物にはじめて注目したのは欧米の人びとで、30年代後半には外国人によるパンダ狩りが横行します。そこで突然、中国の内部でも国の宝であるパンダを守らなければいけないという議論が浮上しました。1930年代末には外国人によるパンダ狩りを禁止する措置がとられ、その直後の1941年には、中国からアメリカの動物園にはじめてパンダが贈呈されます」

 

これが中国による初めての「パンダ外交」だ。1941年といえば、時代は日中戦争のまっただ中。中国はアメリカに支援を呼びかける戦略のひとつとしてパンダを贈ったのだ。じつはこれに先立って、アメリカやイギリスでは中国から持ち帰られたパンダが大人気となっていたそうだ。

 

「生きたパンダがアメリカにはじめて持ち帰られたのは1936年です。このとき動物園に人びとが殺到しパンダグッズが飛ぶように売れるという世界初の“パンダブーム”が起こりました。中国政府はそれを知っていて、それだけ人気があるパンダをあなたの国には差し上げますよ、という形で上手に利用したのでしょう」

 

欧米から「発見」されることで自国の貴重な財産に気付くという構図は、日本でいえば浮世絵の再評価にも似ているだろうか。浮世絵の場合は日本で評価される前に海外に大量流出してしまったが、そこをすかさず、効果的に外交に使うところに中国のしたたかさがうかがえる。

中国共産党政権下で「友好の証」として大活躍

さて、日中戦争から第二次世界大戦を経て時代は1940年代に。中国では内戦が勃発、1949年には中華人民共和国が成立する。パンダ外交の担い手も、台湾に逃れた中国国民党から中国共産党に引き継がれた。冷戦中にパンダが贈られた先は友好国のソ連や北朝鮮だったが、中国とソ連との関係は徐々に悪化。1972年にはアメリカと和解して、関係改善の象徴としてパンダが贈られた。同年に日本がそれに続き、上野動物園にカンカンとランランがやってきたのは有名な話だ。こうした流れで西側諸国に次々とパンダ外交が行われ、パンダは「中国が関係を強化したい国への友好の証」という地位を確立する。

 

けれども、そうしたセレモニー的な和解演出に至るまでの間にも、水面下の動きはあったと家永先生は言う。アメリカでは民間の動物園が50年代からパンダ誘致を中国に申し入れていたり、日本でも動物園関係者や親中派の政治家がパンダを日本に連れてこようとしていたりと、西側でもパンダ待望論は絶えなかったらしい。人びとの期待が集まるなか、ここぞとばかりに贈られてきたパンダが対中感情の改善に一役買ったことは想像に難くない。なにせあれだけかわいいんだから……。

 

「中国政府には外交上の思惑があるわけですが、パンダにはそうした屈託がないというか、パンダ自身が魅力的であることが中国のパンダ外交の大前提にあります。愛くるしい外見もそうですし、学術的な貴重さからくる関心もあるでしょう。加えて、パンダがいれば街が賑わうという経済的なメリットに魅力を感じる人たちもいます」

 

逆説的だけれども、パンダののほほんとした雰囲気、言ってしまえば「ノンポリな感じ」がパンダ外交には不可欠だったのかもしれない。

ワシントン条約で状況が一変、繁殖研究のためのレンタル制へ

中国と各国との友好ムードを盛り立ててきたパンダ外交だが、80年代に転機が訪れた。パンダはもともと個体数の減少が心配されていたうえに、食糧である竹が生息地で一斉に枯死してしまい、いよいよ絶滅の危機が叫ばれるようになったのだ。1984年にはワシントン条約でパンダの国際取引が原則禁止され、中国政府としてもおいそれと外国に贈ることができなくなるが、一方で各国のパンダ需要はおさまらない。

 

この時代に生まれた徒花が、高額のレンタル料と引き換えに国外のイベントなどにパンダを貸し出し、またすぐに返してもらうという“レンタルビジネス”だ。ワシントン条約の穴を突いたようなこの方法は当然ながら批判を浴びて、新たに「海外に貸し出す場合はパンダを保全するための研究目的に限る」という取り決めがなされる。こう聞くとパンダビジネスを続けるためのある種の妥協案のようにも聞こえてしまうが(そうした側面もないとは言えないが)、各国の動物園でパンダの繁殖研究は至って前向きに行われているそうだ。

 

「原産地だけで保全活動を行っていると、万一の天災で全滅してしまう可能性もないとは言えません。オスとメスのつがいを長期間貸し出し、拠点を世界中に分散させつつ繁殖研究をすることはワシントン条約に照らしてもメリットがあるということで、それ以降はこの『ブリーディングローン』と呼ばれる形でのみ他国がパンダを借り受けることができるようになりました」

 

この新しい枠組みのもと、1994年に和歌山のアドベンチャーワールド、2000年に神戸の王子動物園、2011年には上野動物園に新たなパンダがやってきた。とくにアドベンチャーワールドでは繁殖に大成功している。

日本の動物園で飼育されているパンダ(2023年6月現在。日本パンダ保護協会、恩賜上野動物園、アドベンチャーワールド、神戸市立王子動物園HPをもとに編集部が作成)

“パンダの神通力”は解けかけているという声も?

こうして見ると比較的コンスタントにパンダは来日しているようだが、日中のパンダを介した交流にも、それなりに紆余曲折があるのだと家永先生は言う。上野動物園では本来、2008年に新しいパンダを迎え入れる話があったが、当時の石原慎太郎都知事が「パンダ不要論」を展開してこれを跳ね除けたのだ。2000年代以降、日本の対中感情が悪化してきたことがこの背景にある。加えて、パンダのレンタル料はペアで年間100万ドルと高額だ。結局このときは地元の商店街や子どもたちが強い要望を出したこともあって、2011年に3年遅れでリーリーとシンシンがやってきた。

 

しかしそれ以降、尖閣問題などで日中関係がさらに冷え込み、新たなパンダの来日は叶っていない。仙台にパンダを送ろうという話もあるそうだが実現していないのは、歓迎されないのであれば贈っても/受け取っても仕方がないという日中双方の懸念があるためではないかと家永先生。

 

「完全に政治的な問題であれば受け取らなければいいだけだと私は思いますが、実際に保全のための研究もされていますし、経済効果としてもレンタル料以上のメリットが見込めるから呼びたいという側面もある。変数はひとつではありません」

 

世界を見渡せば、最近でも1年に1ペア程度は中国から各国にパンダが送られているという。しかし飼料の竹の調達や温度管理など、飼育にかかるコストも大変だ。2020年にはコロナ禍で竹の入手が困難になったとして、カナダの動物園が予定よりも速くパンダを中国に返還した。「パンダを返還せざるを得ない状況は各国の経済事情の悪化のためともとれますが、中国が振るってきた『パンダの神通力』が弱まってきたのではないかという意地悪な見方をする人もいます」。パンダにとっても現実はシビアなようだ。

独立路線か対中融和か、パンダから見える台湾の逡巡

さて、冒頭でも触れた台湾問題とパンダの関係についてもう少し詳しくお聞きしよう。

歴史的に見ると、中国国民党率いる中華民国と中国共産党率いる中華人民共和国は、どちらが中国を統一するかをめぐって真っ向から対立してきた。しかし、家永先生によれば、現在の台湾問題はもはやそうではないという。

 

「戦前の台湾は日本の支配を受けたため、中国本土と台湾は長らく分断されてきました。戦後になると、台湾は中国の内戦と国際的な米ソ冷戦に巻き込まれ、アメリカをはじめ西側との関係を深めます。90年代には国民党による抑圧的な政治への反発から民主化が起こり、『中華民国』という国名こそ残したものの、住民の間では『台湾は中国の一部ではなく台湾なのだ』という意識が強まっていきました。中国は台湾を自国の一部として統一したがっているが、台湾住民の多くはもはや中国統一をめざしていない。いわば『統一問題の片務化』という状況です。その結果、とくに2000年代以降、中国はとにかく台湾が独立国家になることを徹底的に防ぐ政策をとるようになってきました」

 

そんななかで台湾にパンダが贈られたのはとても意外に思えてしまう。どんな背景があったのだろうか。

 

「実は、台湾の国政選挙と関係があります。2004年の総統選で再選された民進党の陳水扁氏は、台湾独立を強く打ち出す政策をとりました。中国側としてはこれをなんとしても阻止しなければなりません。そこで、当時下野していた国民党を取り込むことにしたのです。国民党は中国統一を争ったかつての敵ですが、少なくとも台湾独立派ではなかったからです。そこで出てきたのが、中国から国民党のリーダーにパンダを贈るという話で、それをめぐって受け取る、受け取らないの議論がおきたのです。

そして迎えた2008年の総統選では、中国との関係重視をうたった国民党の馬英九氏が勝利します。そこで中国側は『国民党を勝たせれば良いことがあるぞ』というメッセージを台湾住民に伝えるべく、パンダを贈ったというわけです」

 

中国とうまくやっていきましょう、という当時の世論がパンダを受け入れたということか。台湾の人びとのアイデンティティをめぐる葛藤と、中国の台湾政策の機微が透けて見えるようで興味深い。

けれども2016年の総統選では再び民進党が躍進し、蔡英文政権が誕生する。香港のデモに対する中国政府の弾圧などもあり、現在はやはり中国からは一定の距離を置きたいという世論が主流のようだ。今、台湾の人びとは「中国の宝」であるパンダに複雑な感情を抱いているのでは、とついつい邪推してしまうが……。

 

「パンダを受け入れるときこそ葛藤はありましたが、台湾の人びとはパンダそのものには好意的です。休みの日には動物園のパンダコーナーに行列ができますし、新聞の文化面でもパンダがよく登場します。だからこそ、中国としてはまだ台湾にパンダを使って揺さぶりをかける余地があるとも言えるでしょう。2008年に中国から贈られたつがいのうちオスのトアントアンが昨年死んでしまったので、中国から新たにオスのパンダを受け入れるのかどうかが今また新たな論点になっているんです」

 

ううむ、たしかに「今、パンダなんか受け取っている場合か」という声も聞こえてきそうだ。同じぐらい「今だからこそ」という声もありそうだが、いずれにしても胸中は複雑だろう。

パンダは内政と外交を見通す「窓」である

現在は台湾の内政や国際関係についてさらに踏み込んだ研究に取り組んでいるという家永先生。東アジアの国際政治を知るうえでパンダとはどんな存在なのか、改めて伺った。

 

「台湾問題は非常に複雑ですが、パンダに視点を固定してみることで、台湾が国際社会に自分たちをどう見せたいのか、そして自国内をどうまとめていきたいのかという両面が見えてきます。このように、ある社会の内政と外交を見通す窓としてパンダは興味深い存在といえるでしょう。それはもちろん中国に関しても同じです。

 

最後に、中国の内政でパンダがどんな位置づけにいるのかについてお話ししておきましょう。

まずひとつのポイントは、パンダを自国の宝として扱う中国政府の考え方は、パンダの生息地と重なるチベットを含む領域、つまり、清朝が支配していたような広い領土意識と結びついているということです。さらに最近では、中国の一般の人々が使うSNSなどでもパンダを自分たちの宝物として見る向きが強まっています。政府からすれば、パンダが世界で愛されている様子を国内に向けて宣伝することで、現政権は国際社会に受け入れられているのだというアピールに使えるというわけです。いわば、『世界に愛されるパンダの国』として人びとの意識をひとつにまとめるということが行われている、と私は見ています」

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

 

このところ世界各地でナショナリズムが高まっているといわれるが、中国の場合はパンダがそのアイコンのひとつになっているというわけだ。その対岸には国際社会がパンダに注ぐ熱視線があるわけだから、結局のところ、世界ぐるみで無垢な野生動物を政治的な『宝物』に担ぎ上げてしまっているのかもしれない。また一方では、パンダはその注目度の高さゆえに野生動物の保全の象徴にもなっている(WWF:世界自然保護基金のシンボルマークがまさにパンダだ)。ものごとは簡単にはわりきれないものだ。

 

誰もがとかく結論を急いでしまいがちな昨今、ときにはいろいろな思惑が絡み合う状況を白黒まだらのまま考えてみることも大切だ。そんな意味でもパンダは格好の題材なのではないだろうか。

 

 

 

女性たちはなぜ戦地へ? 大阪公立大学女性学研究センター講演会「女性兵士が問いかける地平」で戦争とジェンダーを考える

2023年6月1日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

戦争とジェンダーと聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

真っ先に想像するのは、兵士として戦地に赴くのは男性で、女性は男性不在の家を守る、あるいは、戦地で負傷者の看護など後方支援の役割を担う……というイメージではないでしょうか。世の中ではジェンダー平等の考え方が少しずつ広がっている一方で、戦争というイメージや実際の軍隊のなかでは、依然として強烈な男女二元論が温存されているようです。

 

そんななかでも、兵士として戦地に赴く女性たちがいます。女性たちはどうしてその道を選び、どんな体験をしてきたのでしょうか。そこに平和で平等な社会を実現するためのヒントはあるのでしょうか。2023年4月15日に大阪公立大学女性学研究センターと日本ナイル・エチオピア学会の共催で開催された講演会「女性兵士が問いかける地平―エチオピア、ルワンダ、ソ連、ウクライナの事例から」をレポートしました。

 増加する女性兵士

世界の女性兵士を取り巻く状況はどうなっているのでしょうか。各地域についての報告に先立って、大阪公立大学女性学研究センター主任の内藤葉子先生(現代システム科学研究科 教授)が趣旨説明を行いました。

 

戦争の問題はジェンダーの視点抜きには考えられない、と内藤先生は言います。というのも、冒頭に挙げたように戦争や軍国主義は社会における男女二元論的な考え方を強化することに加えて、女性はとくに戦時性暴力の被害者になりやすいなど、戦争の影響を受けやすい立場にあるからです。女性兵士はとくにそうしたジェンダー規範の影響を強く受ける存在ですが、一方で、二元論的な考え方を揺るがせる存在でもあります。ジェンダー研究者の間では、女性兵士は男性中心の軍国主義的な価値観を揺るがせうる存在となるのか、それとも女性が軍隊というシステムに取り込まれるだけなのか、議論がなされてきたそうです。

 

近年、女性兵士は世界的に増加傾向にありますが、その背景には2000年に国連安保理決議1325号が採択されたことがあるそうです。耳慣れない用語ですが、これは「紛争予防、解決、和平プロセス、平和構築のあらゆるレベルの意思決定に女性の参加を要請する」という取り決めなのだそう。この取り決めに従って、国連が紛争地に派遣するPKOでは多くの女性隊員が戦後の平和構築に貢献しています。一方、武器を手に取り戦線に立つ女性も増加しました。政治的な意図をもって女性兵士を称揚するような言説からは距離を置きつつも、女性兵士を一括りにして論じるのではなく、個別の実態を知ることが大切だと内藤先生は指摘します。

 

女性兵士が置かれた個別の状況とはどんなものなのでしょうか。そこには地域ごとにさまざまな歴史や社会背景があるようです。

 旧ソ連とウクライナ、女性兵士たちの現実

一人目の発表者は、大阪経済大学の橋本信子先生(経営学部 准教授)。橋本先生の専門は東欧の地域研究で、今回はソ連とウクライナにおける女性兵士の事例を発表しました。

 

戦地に赴いた女性については古くから記録が残っていますが、本格的に女性が戦争に参加しはじめたのは第二次世界大戦からだと橋本先生。なかでもソ連軍の女性兵士は当時80万人もいたといわれ、後方支援だけでなく戦闘や破壊工作にも参加していたそうです。意外なのは、彼女たちが志願兵だったということ。なぜ多くの女性が戦争への参加を決意したのでしょうか。

 

社会主義国であるソ連では当時、男女平等に国の役に立つべきだという意識が非常に高められていたそうです。そうしたなかで航空士として頭角を現し、若い女性の憧れの的になったのがマリア・ラスコーヴァという女性でした。1941年に勃発した独ソ戦では、ラスコーヴァが率いた女性だけの飛行機部隊に若い女性が殺到します。こうした女性兵士の増加に当初は積極的ではなかったソ連軍も、男性兵士の人員不足を補うとともにジェンダー平等を内外にアピールするため活発に女性を動員するようになります。

 

しかし、女性兵士の現実は厳しいものでした。負傷や戦死の危険にさらされることはもちろん、軍隊内でセクハラを受け、帰還したあとも周囲から性的に乱れた人として差別的な扱いを受けるなど、戦中、戦後にわたって苦しい立場に置かれたそうです。さらに、戦後の社会は女性に対して多くの子どもを生み育てることを一番に期待したため、男性と同じように戦争での功績を評価されることは稀でした。一部のエリート的な女性兵士の回顧録は例外として、無名の女性兵士が体験した辛い現実に光が当てられるようになったのは80年代に入ってからのことだそうです。

 

元女性兵士たちは戦争で受けた心身の傷を誰にも顧みられず、さらに反動のように「女性らしさ」を押し付けられるという二重の苦しみを負っていました。社会の大きな流れのなかで簡単にかき消されてしまう声をすくい上げることがいかに大切かを考えさせられます。

 

ソ連崩壊を経て、かつてのソビエト的なものへの反感から退役軍人への敬意は薄くなっていきますが、現在のプーチン政権下では再び愛国主義が盛り上がり、セクハラや差別に屈しない「強い女性兵士像」が描かれるようになっているといいます。

橋本信子先生

橋本信子先生

 

ソ連崩壊によって誕生したウクライナではどうでしょうか。

他の旧ソ連国と同じく、ウクライナももともと家父長制が強く、雇用や政治への参加などさまざまな面で男女間の格差が大きい国です。そんなウクライナでは近年、女性兵士の地位が見直されてきているといいます。

 

ウクライナでは、親露派の大統領に抗議するため人々が決起した2013年のマイダン革命ののち、ロシアからの支援を受けた東部分離派とウクライナ軍との戦闘が激化しました。このときに自国の独立を守るために戦線に向かう女性が増加しましたが、ここでも女性は戦闘員にはなれず、給与面でも男性と差があったといいます。結果として、多くの女性は軍の正規の戦闘員ではなく自衛団の一員として戦地に赴いたり、後方支援部隊として登録して戦闘に参加したりと、モチベーションの高さとは裏腹に後ろ盾の弱い状態で危険な戦闘に身を投じることになります。

 

ある女性は、マイダン革命がきっかけで自衛団に入団し東部の戦闘に参加するものの、脳を損傷して後遺症を負うことになりました。しかし正規の戦闘員ではないため軍からの補償が不十分で、失業手当や友人らの支援を得て生活しているそうです。

 

こうした状況を受けて女性兵士の地位の改善を求める運動が展開され、2016年に法改正が実現します。新しい法律では、軍で女性が就くことのできる職種や役職が拡大され、正式に戦闘にも参加できるようになりました。国連安保理決議の方針とも合致するこうした変化を、ウクライナの世論やジェンダー問題の研究者は肯定的に受け止めているといいます。

 

「ただ、それは進歩と捉えていいのでしょうか。私は留保したいと思います」と橋本先生。ソ連の例を見ると、高い志を持って戦地に向かった女性を待っていたのは、戦後の大きな揺り戻しでした。今後のウクライナではどうでしょうか。また、女性が戦地に赴くことは、社会全体が軍事化していく流れにつながるともいえます。大きな流れのなかで誰かが切り捨てられていく状況を注視していく必要がある、と発表を締めくくりました。

エチオピア、抑圧された日常を逃れて兵士になった女性たち

続いての発表者は上智大学の眞城百華先生(総合グローバル学部 教授)。眞城先生が取り上げたのは、1975~1991年のエチオピア内戦における、ティグライという地域の女性兵士の状況です。当時、エチオピアでは軍事政権に対抗していくつもの解放戦線が戦闘を展開していました。そのうちのひとつ、ティグライ人民解放戦線(TPLF)は、欧米の思想に触れたエリート学生たちを中心として1975年に結成。武器を手に取り軍事政権と戦ったなかには、2~3万人の女性兵士がいたそうです。

 

彼女たちが戦線に参加した背景には、TPLFが当時のアフリカとしては先進的な女性解放運動の側面をもっていたことが関係しています。農村居住者が大半をしめるティグライでは厳格な家父長制が根強く、女性は重い労働負担を負い、父親や配偶者の所有物のように扱われていました。TPLFはこうした農村を軍事政権から守るかわり、女性の財産権の保障や教育の向上、政治への参加といった当時としては先進的な考え方を持ち込み、浸透させていったそうです。それまで抑圧されていた女性たちは積極的にTPLFの活動に参加し、兵士として志願して戦闘に加わるようになりました。眞城先生が行った聞き取り調査では、女性兵士になった理由として「家父長的慣習やジェンダー規範から逃亡し、開放されたかったから」と答える女性が非常に多かったそうです。実際にTPLFの部隊内では性暴力の禁止や男女平等が徹底されていたようで、「兵士となって初めて男女平等を経験した」と証言する女性もいるほど。TPLFという場が女性たちにとっていかに魅力的だったかがわかる反面、日常よりも戦場が救いとなるような当時の状況を思うと胸が痛みます。

 

1984年にはTPLFの内部にティグライ女性兵士協会が設立され、ティグライ社会の女性問題に対する「10の約束」が公表されます。このように、女性兵士は戦闘だけでなく、女性解放のために自ら声を上げる存在になっていきました。

 

軍事政権の打倒後、TPLFは国政政党のひとつとして政治に関わり、女性解放を推進していきます。一方で、エチオピア国軍として部隊に残ることができたのはTPLFのなかでも男性兵士だけで、ほとんどの女性兵士は職を失うことになりました。また、エチオピアでも先のソ連と同じような揺り戻しがやってきて、元女性兵士に対する蔑視や家父長制の強化が見られるそうです。

 

エチオピアでは2020年から新たな内戦が勃発し、TPLFは再び反政府勢力となっています。眞城先生はこのことで元女性兵士たちから新たな証言が出てくるかもしれないとしつつ、「女性が解放闘争に参画したことでその社会のジェンダー規範がどう変わったのか、その女性たちが変革主体としてどう評価されているのかをこれからも検証していかなければなりません」と締めくくりました。

眞城百華先生

眞城百華先生

ルワンダ、軍事化する社会とアイデンティティに葛藤する若者たち

最後は、愛媛大学の近藤有希子先生(法文学部 講師)がルワンダにおける軍事化の進行と若い女性の選択について発表しました。

 

長い間フトゥとトゥチの人びと間で抗争が繰り返され、1994年には大虐殺で100日間に50万人が犠牲になったルワンダですが、内戦集結後はトゥチ系の政権によってエスニシティ(民族主義)の否定と男女格差の是正が進められ、現在では下院議員のじつに61.3 %を女性が占める国となっています。こう聞くと聞こえはいいもの、実際のところはトゥチに偏った権力構造の隠蔽と対外的なアピールのための施策にとどまっているのではないかと近藤先生は指摘します。

 

また、ルワンダでは近年、軍事化が進行しているといいます。都市部では銃を持った軍人が巡回し、国家の政策に異を唱えるような言論を取り締まることができる法律が制定されました。さらに、社会的に弱い立場にある人々や学生、教師らに対して思想教育を含む「再教育キャンプ」が実施されるなど、軍国主義の空気は人々の生活の中に入り込んでいます。

 

発表では、近藤先生の友人であるAさんとRさんの事例が取り上げられました。2人はそれぞれルワンダ東北部と南西部の農村に暮らすフトゥの若い女性で、ともに軍隊に志願した経験があります。彼女たちが軍隊に入ろうとした理由には、ルワンダ社会の変化も関係しているようです。

 

農業が盛んなルワンダでは、従来、父から息子へ土地を分け与える形で経済が営まれてきました。しかし近年では人口の急増により土地不足が加速し、農村は危機的な状況に。若者はむしろ貨幣経済での成功を夢見て、都市に集まる傾向にあるそうです。女性の財産権を保証する法整備と相まって、若い世代では経済的に自立した「強い女性」への憧れが生まれているといいます。

 

当時学生だったAさんは、近藤先生に対して「軍に入れば強くなってユキのボディーガードにもなれる」と言い、またRさんは「私が貧しいままだと、恋人は他のお金持ちの子をつかまえるかも」と志願の動機をもらしたそうです。こうした言葉の端々から、自立した強い女性への憧れと、経済的な苦境が彼女たちを軍隊という選択に向かわせたことが見て取れます。一方で、家族や恋人は彼女たちが軍隊に入ることをあまり良く思っていないようで、そこには「女の子なのに」という言葉がつきまといます。そのためAさんは、恋人に対して軍隊ではなく警察に入るのだと嘘をつきます。

 

もうひとつ注目すべきは、Aさんが近藤先生に対して「自分はトゥチの血筋だ」と出自を偽っていたという話です。トゥチが優遇される社会で、彼女たちはジェンダーだけでなく民族的アイデンティティにも葛藤を抱えているのです。

 

結局、2人が軍に入隊することはなかったそうです。個人にとっては自分の人生を歩むための積極的な選択だったとしても、農村部の若者が行き詰まった現状を打開するために軍に入隊するという社会構造自体が大きな問題をはらんでいる、と近藤先生。

 

現状からなんとか抜け出したいという希望を持った若者が軍事化に絡め取られていく。もしそれが自分の友人だったら、どんな顔でその前途を応援すればいいのか……遠い国の話ではなく、今ここにいる私たちにも突きつけられている問題のように感じました。

近藤有希子先生

近藤有希子先生

女性兵士という存在が問いかけるもの

3名の発表を受けた同志社大学の秋林こずえ先生(グローバル・スタディーズ研究科 教授)のコメントが印象的でした。秋林先生も参画するフェミニスト平和運動では、冒頭に挙げた国連安保理決議1325号の採択に尽力してきたそうです。そのねらいは、ジェンダー二元論を強化する軍事主義に対抗して、ジェンダー平等をめざすことで世界の紛争をなくそうというものでした。けれど現実には、多くの女性を戦地に送り込み、社会全体の軍事化を加速させる方向に作用してしまっています。

 

そこで秋林先生は問いかけます。女性兵士という存在は、社会のジェンダー規範を変える前に軍事主義に取り込まれてしまったのか。それとも、女性が軍の中に入ることで、ジェンダー二元論や軍事主義を揺るがすような兆しは見えたのだろうか?

 

この投げかけに対する橋本先生、眞城先生、近藤先生の回答は、一時的なジェンダー平等の機運の高まりはあるかもしれないが、女性兵士という存在が社会全体を変えられるかどうかには疑問がある、というものでした。眞城先生は、「女性兵士に担わせるにはあまりにも重すぎるテーマなのでは」としたうえで、女性兵士がいるような状況がなぜ生まれたのかを議論するきっかけを作っていければ、と答えました。

 

 

近年、日本では戦争について語ることや、戦争を知っている人の話に耳を傾けることが難しくなってきているように思います。その一方で、日本社会を巡る状況はむしろ「戦前」に近づいているのではないか、という声も聞かれます。人を抑圧する社会がいかに戦争へと向かっていってしまうのか、そこで人々はどんな体験をしてきたのか、今こそ知り、語っていくべきことだと思いました。

 

神話と地層からひもとく「国引きの大地」の歴史! 島根大学の入月俊明先生に聞いた、ロマン溢れるジオパークの世界。

2023年4月20日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

AIが何でも答えてくれる世の中になっても、神様や怪物が活躍する神話・伝承のロマンは色あせない。それは古代の人々の想像力をとおして、世界の驚異を再発見できるからではないだろうか。たとえば大地はどうやって生まれたのか、地震や水害はなぜ起こるのか――こうした驚きや疑問は、現在では地球科学という学問に結実している。

 

そんな壮大な神話・伝承の世界と地球科学のつながりを学ぶのに格好の場所がある。島根県松江市と出雲市にまたがる「島根半島・宍道湖中海ジオパーク」だ。島根大学で古生物学・地質学を研究し、ジオパークの教育普及活動にも取り組む入月俊明先生に、大地と人がおりなす出雲地方の歴史、そしてジオパークの役割についてたっぷり教えていただいた。

お話を伺った入月俊明先生

お話を伺った入月俊明先生

「国引き神話」が息づくジオパーク

そもそもジオパークとは、大地や地球を意味する〈geo〉と公園を意味する〈park〉をあわせた言葉だ。「簡単に表現すると、地球科学的に意義のある場所や景観が計画的に保全され、観光や教育などに活用されている地域、ということができるでしょう」と入月先生は教えてくれた。国内のジオパークには日本ジオパーク委員会が認定する日本ジオパークとユネスコが認定する世界ジオパークの2種類があり、日本全国のジオパークの数は2023年3月現在でなんと46箇所にのぼるという。意外に身近な存在のようだ。

 

そのうちのひとつ、島根半島・宍道湖中海ジオパークは、島根半島と中国山地、その間に挟まれた出雲平野や汽水湖である宍道湖と中海と、さまざまな地形を含むエリアである。島根大学が旗振り役となり、自治体や地域の人々の熱心な取り組みによって2017年に日本ジオパークに認定されたそうだ。そこで一体どんなことが学べるのだろうか?

 

「島根半島・宍道湖中海ジオパークには、『出雲国風土記の自然と歴史に出合う大地』というサブタイトルがついています。風土記とは、全国各地の文化や歴史、伝承などを記録した書物ですが、そのなかで唯一ほぼ完全な形で内容が現代に伝わっているのが、733年にできた出雲国風土記なのです。島根県には当時記された景観がまだ多く残っていることもあり、出雲国風土記に代表されるような歴史や文化を育んだ大地を地球科学的な視点で見てみよう、というのがこのジオパークのコンセプトとなっています」

 

スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治や国譲り神話をはじめ、超有名な神話・伝承が数多く伝わる出雲地方だが、そのなかでも出雲国風土記に登場する「国引き神話」はとくに地元で親しまれているそうだ。「『くにびきマラソン』に『くにびき国体』、島根ではとにかくいろいろなものに『くにびき』という言葉がつきます」と入月先生。

 

「国引き神話とは、神様(八束水臣津野命・やつかみずおみつぬのみこと)が国をつくったときに、出雲は小さすぎるので、韓国(新羅の岬)、隠岐島(隠岐・佐岐)、能登半島(越の都都)から4つの土地を綱で引っ張って繋ぎ合わせた……という神話です。このつなぎ合わされた土地が島根半島で、綱を結えつけた山が三瓶山と大山、綱は海岸線になったといわれています」

 

土地を引っ張ってきてつなげてしまうなんて突飛な発想に思えるが、言われてみれば島根半島の不思議な形、どうやってできたのかとても気になる。それを知るためには、出雲国風土記よりもさらにずっと昔に遡る必要があるそうだ。

神様が海の向こうから土地を引っ張ってきた!?

神様が海の向こうから土地を引っ張ってきて島根半島を作った!?

地質や地形から見えてくる大地の歴史

入月先生によると、島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質学的な個性として、「数千万年前から現在に至るまでの特徴的な地層や岩石を連続的に、比較的コンパクトなエリア内で見ることができること」があるという。まず見てほしいのが出雲地方の地質図。塗り分けられた色だけを見ても、島根半島側と中国山地側、その間に挟まれた平野と宍道湖・中海エリアで組成が全く違うことがわかる。

地質図

島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質図.入月俊明ほか(2023)島根半島・宍道湖中海ジオパーク(松江・出雲)の岩石・地層パンフレットをもとに改変

 

この図を頭に入れつつ、時系列に沿ってその成り立ちを教えてもらった。

 

中国山地側は主に花崗岩からなる古い岩石があり、日本列島がまだ大陸の一部だった頃のものだそうだ。約2000万年前には火山活動によって大地が割れ、湖や川ができた。島根半島を形作っている地層はこれ以降にできたもので、湖や川だった頃の泥の上についたワニの足跡や、スッポンやビーバーの化石も見つかっているという。さらなる火山活動で裂け目は広がり、海水が流れ込んで日本海ができる。

日本海ができる前に川や湖だった地層から発掘された様々な化石

日本海ができる前に川や湖だった地層から発掘された様々な化石

 

1500万年前頃には、フィリピン海プレートが沈み込むことで現在のように曲がった形の日本列島の形が徐々にできてくる。このときから中国地方は押し上げられるように隆起したそうだ。ジオパークにはこの時期の火山活動などに由来するダイナミックな地形・地質がたくさん残っている。島根半島にある国の天然記念物の「多古の七ツ穴」はその代表だ。それだけではなく、生物相も豊かだったようだ。「東日本の日本海側は当時深い海の底だったため、この時期の化石はあまり産出しないのですが、中国地方の日本海側は海が押し上げられて浅かったため、貝や魚、アシカやアザラシ、クジラの骨といったたくさんの化石が見つかっています」。

火山活動によって複雑に入り組んだ地質が形成され、もろいところが海水に侵食されて洞窟のようになったものが「海食洞」。9つもの海食洞が連なる「多古の七ツ穴」(松江市島根町多古)は巨大な生き物の巣のようにも見えてくる。写真提供:召古裕士氏

火山活動によって複雑に入り組んだ地質が形成され、もろいところが海水に侵食されて洞窟のようになったものが「海食洞」。9つもの海食洞が連なる「多古の七ツ穴」(松江市島根町多古)は巨大な生き物の巣のようにも見えてくる。写真提供:召古裕士氏

「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形(松江市島根町須々海海岸)。海底の斜面を砂や泥の混じった乱泥流が流れ降り,砂と泥が交互に重なった層ができ、堆積岩となる。その地層が海面上に隆起し、波の侵食を受けることで細かく割れやすい泥岩の層がへこみ、独特の凸凹が形成される。写真提供:召古裕士氏

「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形(松江市島根町須々海海岸)。海底の斜面を砂や泥の混じった乱泥流が流れ降り,砂と泥が交互に重なった層ができ、堆積岩となる。その地層が海面上に隆起し、波の侵食を受けることで細かく割れやすい泥岩の層がへこみ、独特の凸凹が形成される。写真提供:召古裕士氏

 

1200万年前ごろには、フィリピン海プレートに押された海底がシーツの皺のように隆起して、現在の島根半島にあたる土地が海底から姿を現す。島根半島を南北方向に切って断面を見てみると、地層はぐにゃぐにゃに曲がり(褶曲)、いくつもの断層が走っている。

 

「この地層の褶曲や断層が、現在見られる山や谷といった地形ときれいに一致しているんです。さらによく見ると、島根半島全体は山と山の間にできたくぼみ(折絶)によって4つのブロックに分かれていることがわかります。古代の人々は、この景観を見て国引き神話を生み出したのではないでしょうか」

断面図

山地~平野部~島根半島の断面図。点線は地層が傾いたり、曲がっていること(褶曲)を示し、黒い太線は地層がずれていること(断層)を示す。

サブエリア

島根半島は地形によって4つのサブエリアに分けることができ、それらは4つの土地に相当する。各土地の境目を折絶と呼んでいた。図版提供:島根半島・宍道湖中海(国引き)ジオパーク推進協議会

 

国引き神話で大陸から土地を引っ張ってきたという点も、4つの土地をつなぎ合わせて島根半島ができているという点も、科学的な仮説と比較してみると当たらずとも遠からずなのだ。神話が真実とは言えないものの、景観から大地の記憶を読み解こうとした古代の人々の想像力にはただただ驚嘆するしかない。

 

さて、時は下って縄文時代ごろ。海面上昇によって中国山地と島根半島の間に海が入り込み、深い湾ができる。さらに、中国山地から流れ出た土砂が島根半島でせき止められて、平らな砂州や入り江が発達する。これが現在の出雲平野で、山地と半島の間に取り残された海が宍道湖・中海という汽水湖になった。

 

こうして長い時間のなかで、何度も複雑な過程を経て現在の景観が出来上がってきたのだ。神話や伝承よりもさらに壮大な大地のロマンを感じるのは筆者だけではないだろう。

大地の恵みに支えられた出雲地方の人々の営み

人の営みにも目を向けてみよう。島根半島が大陸から吹きつける北風を防ぐ壁の役割を果たしたため、平野部には人が住み着き、港ができた。古代においては大陸に面した日本海側が交易の拠点となっていたため、いろいろな人が海を渡って出雲平野にたどり着き、住み着くようになる。こうしたなかで豊かな文化が育まれていった。「土砂の堆積によって年々広がってゆく土地、そして海の彼方からやってくる人々との交流から、国引き神話が生まれたのかもしれません」。

 

島根県の特産品である宍道湖のシジミや出雲蕎麦などの食材は言うに及ばず、出雲地方の伝統産業である製鉄も大地の歴史の上に成り立っている。

 

日本列島が大陸の一部だった頃の大地を構成する花崗岩は、鉄を多く含んでいる。そのため、出雲地方では花崗岩由来の砂粒の中から砂鉄を取り出して製鉄する技術が発達したそうだ(もののけ姫にも登場する「たたら製鉄」がこれにあたる)。砂粒を洗い流して砂鉄を取り出す鉄穴流し(かんなながし)が行われていたのが、中国山地から宍道湖へと流れ込む斐伊川(ひいかわ)。一説によると、度々氾濫を繰り返して人々を苦しめた斐伊川はあのヤマタノオロチのモデルになったとも言われている。

それだけでなく、製鉄は地形すらも変えてしまう。鉄穴流しで流された砂が斐伊川の河床に大量に溜まったために、周囲の平地よりも海抜が高い「天井川」になっているそうだ。

砂の堆積により天井川となった斐伊川

砂の堆積により天井川となった斐伊川

 

島根県と関わりの深い石材も大地の恵みの産物だと入月先生。出雲日御碕灯台や美保関灯台をはじめ建材や石畳に使われている森山石は、日本海ができる前の湖や川などに堆積した砂や泥に由来する堆積岩で、島根半島東部で産出する。一方、軟らかくて加工がしやすいため石灯籠や狛犬などに用いられる来待石(きまちいし)は、火山活動が活発だった1400万年前頃に火山灰と砂が混ざって海底に堆積した結果できた堆積岩で、松江市で採掘が行われている。こうした人間の営みもまた、大地の歴史の一部として未来に残っていくのだ。

柱状節理日御碕

石造灯台としては日本一の高さを誇り、国の重要文化財にも指定されている出雲日御碕灯台(写真右手)にも森山石が使われている。眼下に広がる大地は、1600万年前の海底下にあった流紋岩の溶岩ドーム(ドーム状の地形をした溶岩)で、柱状節理(溶岩の冷却時の収縮に伴う割れ目)が顕著に発達している。

過去と現在を知り、未来を予測する研究の舞台

島根半島・宍道湖中海ジオパークは学んで楽しむだけでなく、最新の学術研究の舞台でもある。どんな研究が行われているのだろうか。

 

「私たちが現在主に取り組んでいるのは、宍道湖・中海の湖底の堆積物を採取して縄文・弥生時代の気候変動の様子を調べる研究です。堆積物に含まれるプランクトンや小型底生生物などの非常に小さな化石を調べることで、当時の気温をはじめとする環境変化がわかるのです。中海は過去に干拓事業が行われ、現在またそれをもとに戻そうという動きもあり、人間の活動が環境に及ぼす影響がダイレクトに観察できる貴重なスポットです。過去から現在に至る環境の変化が明らかになれば、私たちの活動が未来の環境に及ぼす影響も予測できるようになるかもしれません。

 

さらに昔、人間が登場する以前の地質時代に関しては、学生といろいろな場所で化石を採取して環境変化や生物の進化を追っています。たとえば私の研究室所属の博士後期課程のある学生は、日本海に魚類がどのように入ってきて多様化していったのかを化石から明らかにしようとしています。珍しいところでは、日本最古の鮎の化石も島根から見つかっているんですよ」

宍道湖で取られた柱状堆積物

宍道湖で柱状堆積物を採取する

宍道湖南岸工事現場での化石調査

宍道湖南岸工事現場での化石調査

 

低地で汽水湖が発達している島根半島・宍道湖中海ジオパークは、とても研究に適した場所なのだそうだ。そんな貴重な学術的基盤を支え、未来に向けた提言を行っていくことが大学の役割なのだと入月先生は語ってくれた。

 

最後に、ジオパークや身近な景観を楽しむためのポイントは?

 

「特徴的な景観を目にしたときに、どうしてそんな景観ができたのかを想像してみるといろいろな発見があります。そのとっかかりとして、地元のジオガイドさんに案内してもらうのもいいでしょう。目で見るだけでなく特産品を味わったり、シーカヤックなど体験型のレジャーに挑戦したりと、その土地を五感で楽しんでみてください。

 

研究者として一番嬉しいのは、風景や地形を入り口にして地球科学に興味を持ってくださることです。高校では地学を教わらなかったという人も多いのですが、地球そのものを扱う大切な学問です。大地の恵みはもちろん、地震や火山活動といった自然災害について知ってうまく付き合っていく上でも、ジオパークを活用していただければと思います」

 

 

山々や海岸線、あるいは街なかのちょっとした起伏にも大地のロマンは隠されている。古代の人々になったつもりで想像を膨らませてみてはいかがだろうか。

 

大学アプリレビューvo.25 ドライアイをおてがるチェック。順天堂大学「ドライアイリズム」

2023年4月11日 / コラム, 大学アプリレビュー

目玉がゴロゴロ、まばたきシパシパ。デスクワークをしているとなかなか避けられないドライアイですが、「ちょっと目が乾いているだけ」なんて放っておくと、頭痛や視力低下につながることもある侮れない疾患です。 今回は、順天堂大学発のアプリ「ドライアイリズム」をご紹介。2分程のテストでその日のドライアイの状態がチェックできるだけでなく、毎日の計測データを提供することでドライアイの研究に活用される双方向型のアプリとなっています。 最近ずっと目が疲れがちな筆者が、実際にアプリを試してみました!

 

iOS の画像 (3)

まずは基本情報を入力。一見「これってドライアイに関係あるの?」という項目もありますが、ビッグデータ解析にかけられるため正確に答えておきましょう。

 

 iOS の画像 (2)

こちらがホーム画面。調査項目がいくつかあるようですが、まずはドライアイ測定をやっていきましょう。

ドライアイ測定の項目は、

・まばたき測定(30秒で何回まばたきするか)

・まばたき我慢(まばたきを何秒間我慢できるか)

・OSDI診断(目の症状に関するアンケート調査)

の3項目で所要時間は2分程度。まずは、まばたき測定から。

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こんなかんじでガイドの位置に顔を合わせると、自動でまばたきの回数を計測してくれます。そして……

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9回! 3秒に1回もまばたきしている計算。思ったよりもめちゃくちゃまばたきしていました。

今度はできるだけまばたきを我慢して、その秒数を診断しますが……アイタタタ。あっという間に目が乾いて全然我慢できませんでした。

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6.2秒。どうも長いほうではなさそうですね。

このあと、ドライアイの診断で用いられる目の症状に関するアンケートに応えて診断終了です。結果は……?

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正式な診断ではないものの、やっぱり軽度のドライアイとの結果。薄々わかってはいましたが、他人から指摘されるとちゃんと目を労ってあげないと……という気持ちになります。

 

さて、一度ホーム画面に戻ります。

「生活習慣調査」、「うつ病チェック」はアンケート式の調査項目で、ドライアイ測定と合わせて毎日記録していくことで、睡眠時間などの生活習慣やうつ傾向とドライアイとの相関がわかるというもの。「労働生産性」は目の症状がどれだけ仕事や学業の能率に影響しているかを自己診断するものでした。

 

こうしたデータはアプリを通して開発チームに送信され、プライバシー情報を含まないビッグデータとして研究に役立てられるそうです。(アプリ初回起動時に研究協力の同意確認がありますが、同意はいつでも撤回できるようになっています。)

 

そのほかには、その日同じようにアプリを使っている人たちのドライアイ症状が地図上にマッピングされるドライアイマップや、日々の変化を振り返ることができるカレンダーなどの機能がありました。

iOS の画像 (1)

「みんなもドライアイなんだ」という連帯感を生むため……ではなく、地域ごとの気候やお天気による傾向を可視化するものだと思われます

 

 

ところで、どうしてドライアイのアプリに「うつ病チェック」が含まれているのか不思議に思いませんか? 調べてみると、順天堂大学医学研究科の村上晶教授、猪俣武範准教授らがまさにこの「ドライアイリズム」を使ってビッグデータ解析を行った研究結果を見つけることができました(プレスリリースはこちら)。

 

その研究結果とは、「ドライアイの自覚症状が重い人ほど抑うつ症状を併発していることが多い」というもの。なんでも、ドライアイとうつ病にはホルモン、代謝、神経学的不均衡など共通した危険因子があり、実際にアプリで収集したビッグデータを解析することで両者の相関関係が明らかになったそうです。ここからは筆者の想像になりますが、ドライアイの症状がある人はそれだけ生活習慣に問題を抱えていたり、デジタル環境でストレスを受けやすかったりもするでしょう。心のケアにも要注意かもしれません。

 

診断もお手軽だし、こんなふうに研究に活かされているのを知ると「続けてみようかな」という気持ちになりやすいかも。目の症状が気になる方は試してみてはいかがでしょうか。

 

記事を書き終え、目を労るために近所の公園でぼんやりお花を見てきました。春だなあ

記事を書き終え、目を労るために近所の公園でぼんやりお花を見てきました。春だなあ

時代、地域、ジャンルも超えて……異文化に触れる「音楽」記事まとめ

2023年3月23日 / まとめ, トピック

WBC日本優勝の興奮も冷めやらぬ中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
言語や地域の壁を超えて世界中の人々が熱くなれるモノといえば、音楽も負けていません。異文化同士の接触から生まれる音楽、時代を超えて生まれ変わる音楽……そんな「越境する音楽」にまつわる記事を集めました。

 

 

●ヘヴィメタルとポップ・ミュージックで民謡を。京都市立芸大のセミナーで聞くポピュラー音楽と民俗/民族音楽との関係 
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アルメニアの民俗音楽とポップ・ミュージックが融合した「東欧演歌」に、ヘヴィメタルに民族楽器や民謡風の音階を取り入れた「フォーク・メタル」。ルーツを求め、ジャンルを越境する音楽の系譜を紹介するセミナーレポートです。YouTube動画とともにどうぞ!

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/denon8_kcua2023/

 

 

●世界の大学!第4回:ヒップホップで外交する。ターンテーブルで授業する。ノースカロライナ大学、マーク・カッツ博士インタビュー
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文化における世界共通言語と言えるまでに成長したヒップホップですが、アメリカでは政府による外交プログラムにも取り入れられているそう。そのディレクターとしてアーティストとともに世界中を飛び回った研究者が、ヒップホップ外交の可能性や難しさについて語る貴重なインタビューです。

http://hotozero.com/column/world004/

 

 

●『蝶々夫人』だけではなかった 音楽のジャポニスム~京都市立芸術大学のセミナーをレポート
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近代化とともに西洋から日本に流入してきた印象の強い音楽文化ですが、実は19世紀のヨーロッパでは日本を題材にした音楽がブームになっていたそう。名ばかりの日本風から日本の音階や詩歌を取り入れ発展させたものへと、徐々に洗練されてゆく流れが興味深いセミナーレポートです。

http://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/

 

 

●EXPO’70を震撼させた音響を全身に浴びる! 京都市立芸大「バシェ音響彫刻」展レポート 
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1970年大阪万博を前衛的な音色で彩ったバシェ兄弟の音響彫刻。設計図もなくバラバラの状態で保管されていた「音を奏でる彫刻」が復元され、一堂に会した展示と演奏会のレポートです。自由で力強い響きを動画でお楽しみください!

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/kcua_baschet/

 

 

●楽器を通して時間や地域を越えた旅に出る~武蔵野音楽大学楽器ミュージアムの楽器コレクション 
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最後は、古今東西さまざまな楽器を収蔵する武蔵野音楽大学楽器ミュージアムの体験レポート。ナポレオン3世に贈られた豪華絢爛なピアノから『スーホの白い馬』でお馴染みのモンゴルの馬頭琴まで、海を越え、時代を越えて集まった貴重な実物展示の様子を紹介しています。

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/musashino-music_museum/

 

 

 私たちを異文化へと誘ってくれる魅力的な音楽の数々。体で感じ、背景を知ってもっと楽しんでみませんか?

 

ブックレビュー(2):「ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語」

2023年3月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していきます。

 

第2弾は、研究者の質問バトンで「犬はどこまで人間の言葉がわかるの?」という疑問に答えてくださった麻布大学の菊水健史先生と、同じく麻布大学の永澤美保先生の共著『ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語』を取り上げます。(編集部)


夢の中に昔飼っていたイヌが出てきて、人間の言葉であれこれ話してくれる。目が覚めてちょっとがっかりする……そんなことがよくある。筆者が犬と暮らしていたのはもう十年以上も前だけど、イヌと分かりあいたいという気持ちはなかなか消えない。

 

菊水先生への前回の取材では、イヌは身近な人間の言葉をある程度聞き分けたり、気持ちに共感したりしている……というお話を聞かせていただいたけど、本当のところ、私たちはイヌのことをどこまで理解できているのだろうか。そして、イヌたちは私たちの暮らしのなかで何を感じているのだろうか。

『ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語』は、菊水先生(本文中では「K」)とそのパートナーであるスタンダード・プードルのコーディー、両者の視点から「ヒトとイヌが共にいること」を語るとてもユニークな科学エッセイだ。

 イヌとヒトの視点を行き来しながら描く日常

本書では、ブリーダーのもとで生まれたコーディーがKと出会い、成長し、たくさんの家族や仲間と絆を深めてゆく過程が描かれる。たとえば、まだ幼いコーディーから見たKとのボール遊びの場面はこんなふうだ。

 

「今日のKは、僕の大好きな「クジラボール」を投げて遊んでいる。Kは投げっぱなしなので、僕が拾いに行ってやらなければならない。これは青と白がはっきり分かれていて、芝生に落ちてもわかりやすいし、拾ってきてやるついでに軽く噛むとキューキューと音が鳴るのが楽しくて、僕はKにボールを渡して、もう一度投げるように促す。…」

 

コーディーは「ご主人様!」というタイプではないみたいで、Kに対する「仕方ないなあ」という態度がなんとも微笑ましい。続いて、同じ場面がKの視点から語られる(ちなみに、Kのパートは菊水先生ご本人が、コーディーのパートは永澤先生が執筆されている)。

 

「… 公園のボール遊びは楽しい。噛むと音の出るおもちゃは、おそらくイヌの狩猟本能を刺激するのか、一生懸命探して捕まえる。イヌの視力はヒトの五分の一から一〇分の一しかないが、その代わり動体視力は優れている。おそらく色を見るための錐体細胞が少ない分、明暗を見分ける桿体細胞が多くて、影の動きに対して敏感だからだろう。…」

 

コーディーがコントラストのはっきりした「クジラのボール」を気に入っているのには、どうやらイヌの目の仕組みも関係しているようだ。こんなふうに、イヌから見えている(であろう)世界、ヒトから見たイヌの様子、両者を橋渡しする科学の目によって、コーディーとKが共に暮らすさまざまな場面が描かれていく。やがて家族や仲間が増え、コーディーとKの関係も円熟していく様子がたまらなく良い。

 

本文3章扉絵より。実は、本書のイラストは筆者・谷脇が担当させていただきました。

本文3章扉絵より。実は、本書のイラストは筆者谷脇が担当させていただきました。

 進化のはてに、イヌとヒトが共にあるということ

見えている世界の違う者同士が、寄り添いあって生きている。イヌとヒトの関係は本当に不思議だ。

 

本書のまえがきで紹介されている研究によると、ヒトの親子の絆や信頼関係の形成に関係するオキシトシンという分子が、ヒトとイヌとの間でも作用しているという。ヒトの言葉を聞き分けたり共感したりする能力については以前の取材でもお聞きしたが、さらに、イヌはヒトと共生するようになって新しい表情筋を獲得した、という話も出てくる(上目遣いで訴えかけてくるような表情をするときの、 目の周りの筋肉だそうだ)。

 

イヌは進化の過程でヒトとともに生きることを選択し、コミュニケーションの手段を発達させてきた。コーディーとKの日常はとても個人的な体験として描かれているけれど、一方でこうした壮大な進化の歴史の一部でもあるのだ。

 

 

筆者は冒頭でイヌが喋る夢の話をしたが、イヌは喋れないのではなくて、ものすごく頑張ってヒトの声に耳を傾け、ヒトに話しかけているではないか。飼っていたイヌの話をもっと聞いて、もっと話しかけてあげればよかった……と少しだけ悔やんでいる。

イヌと暮らしている人にとって、本書は日常の見え方が変わる一冊になるだろう。イヌと暮らしたことのある人、これからイヌを迎える人にもぜひ読んでもらいたい。

 

菊水健史先生からのコメント

今回は研究者としてではなく、イヌの一飼い主として記載しました。自分の犬研究において、初めて迎い入れたコーディーとの実際の生活から学んだことが沢山ありました。研究的なことだけではありませんでした。イヌを迎えたことによる自分の生活の変化、特に生活の彩りがかわり、とても活動的な生活を送ることができました。今回は、そのようなコーディーへの恩返しの意味も含まれています。研究者のみならず、一般の方にも楽しんでもらえればと思っております。

 

永澤美保先生からのコメント

私のイヌ研究はコーディーとの出会いから本格的に始まったといっても過言ではありません。研究者の端くれとして、長らくイヌを擬人化したい衝動に蓋をしてきましたが、この本では思い切り解禁しました。でも、そうしたくなることこそがイヌの魅力です。この本を読むことで、皆さんも想像力たくましくイヌに寄り添い、イヌとの生活を楽しんでもらえることを願っております。

 

大学から街に飛び出し、本で人をつなぐ。大阪工業大学「水野ゼミの本屋」レポート

2023年2月7日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

大学の本屋といえば、購買部の中にある本の販売コーナーがまず思い浮かぶ。しかし大阪には、大学から街なかに飛び出して運営されているちょっと変わった本屋さんがある。

 

「水野ゼミの本屋」を運営しているのは、大阪工業大学知的財産学部の水野五郎先生(知的財産学部 教授)とゼミ生のみなさん。ただ本屋を運営するだけでなく、自分たちで作った本を販売したり、イベントを開催したりと多彩な活動に取り組んでいて、2022年7月の開店以来、読書好きの人々が集まる場所になっているそうだ。

 

理工系大学のゼミがどうして本屋さんをはじめたのか、一体どんな本が売られているのか、「水野ゼミの本屋」を訪ねて聞いてみた。

レトロなビルの4階に「水野ゼミの本屋」はある。

 

大阪の中心地・梅田から徒歩15分、南森町駅からすぐのレトロなビルの4階に「水野ゼミの本屋」はあった。今回はもちろん調べてきたけれど、偶然見つけたら「こんなところにナイスな本屋さんが!」と驚いてしまいそう。重い扉を開けると温かみのある木製の本棚が並んでいる。

「水野ゼミの本屋」の内観

「水野ゼミの本屋」の内観

 

水野ゼミの本屋は、今密かなブームになっている「シェア型書店」の形式で運営されている。月間契約で棚を貸し出し、それぞれの書店主さんが自分が持っている本を陳列・販売している。ライトノベルに特化した棚、イタリア語の本が並ぶ棚など、書店主さんの個性がうかがえるのも楽しいポイント。近隣のFMラジオのパーソナリティさんも棚を持っているのだとか。

 

本を購入できるだけでなくイベントスペースも設けられていて、書店主さんによるさまざまなコンセプトの読書会をはじめ本にまつわるイベントが頻繁に行われているそう。「書店とイベントスペースを融合した“本のライブハウス”というコンセプトです」と水野先生。そう聞くと、並んでいる本も活き活きして見えてくる。

内装は、同じく大阪工業大学のロボティクス&デザイン工学部空間デザイン学科の学生が担当したそう。釘を使わず板と紐だけで組み立てられている書棚はオシャレで実用的だ

内装は、同じく大阪工業大学のロボティクス&デザイン工学部空間デザイン学科の学生が担当したそう。釘を使わず板と紐だけで組み立てられている書棚はオシャレで実用的だ。

『ピノッキオの冒険』を語る読書会の様子(提供:水野ゼミ)

本棚の奥には読書会などに使えるスペースが。こちらは『ピノッキオの冒険』を語る読書会の様子(提供:水野ゼミ)

著作権を実践的に学ぶなかで誕生した「大学発の本屋」

そもそも水野ゼミとはどんなゼミで、なぜ本屋さんを始めたのだろうか?

 

「法律や経営について学ぶ知的財産学部のなかでも、水野ゼミでは著作権を専門に研究しています。ゼミの研究テーマである『著作物としての本の利活用』の一環として、本屋の運営や出版活動に取り組んでいるんです」と教えてくれたのは、ゼミ生の青谷夏野さん(知的財産学部3年)。

 

たとえば、古本を販売して売上をどこかに寄付したり、まちライブラリーを作って地域おこしをしたりするのが本の「外側」の利活用だとすれば、水野ゼミでは本の「中身」、つまり書かれたテキストに注目する。具体的には、過去に発表された文学作品の権利関係について検討して、著作権が切れた作品のテキストを使ったグッズを開発したり、埋もれた名作を書籍として復刊したりしているそうだ。「そうやって作ったものを販売するための場所が必要だったということと、せっかくなら本を売るだけじゃなく、本に囲まれて本好きの人が集まるようなイベントができればいいよねと。その両方を満たす場所として立ち上げたのが水野ゼミの本屋です」。

 

なるほど。著作権について学ぶだけではなく、実際にフル活用してみたら本屋を作ることになった……ということか。大学でこんな経験をできるなんて、なんだかすごく羨ましい。

水野ゼミに入るために工学部から転学部してきたという青谷さん。手に持っているのは青谷さんが中心となって復刊した中平文子『女のくせに』の特装本。

水野ゼミに入るために工学部から転学部してきたという青谷さん。手に持っているのは青谷さんが中心となって復刊した中平文子『女のくせに』の特装本。

 

ところで、著作物の利活用といっても、著作権が切れていればOKというわけではないと水野先生。「著作物のテキストを活用したり、商品名として作家の名前を使用したりする際には、著作権だけでなく商標権やパブリシティ権、不正競争防止法といったさまざまな権利や法律がかかわってきます。学生たちは座学で学んだ知識を踏まえて、実際にどういった活用ができるのかを実践しているんです」。

 

ちなみに、日本国内の作品の場合、原則として作者の死後70年の保護期間が満了した作品はパブリックドメインとして誰でも自由に活用できることになっている。一方、海外の作品に対しては国ごとに異なる保護期間が加算されたり(戦時加算)、翻訳作品の場合は翻訳者にも著作権が発生したりと、素人にはわかりにくい例も多い。また、法律的に問題がなくても、作家の関係者の利害や、ファンの方々の心情への配慮が必要な場合もある。判断に迷ったら専門家に相談したほうがいいとのことだ。

本屋だけでなく、読書会やビブリオバトルの講師として精力的に読書の楽しみを伝える水野先生。研究者としては民事訴訟法、知的財産訴訟などがご専門。

本屋だけでなく、読書会やビブリオバトルの講師として精力的に読書の楽しみを伝える水野先生。研究者としては民事訴訟法、知的財産訴訟などがご専門。

名作の復刊からネガティブ名言まで、本と人をつなぐプロジェクトの数々

水野ゼミの本屋で販売もされているゼミ発の本やグッズを見せていただこう。まずは桜色の表紙が美しい上品な文庫本。青空文庫にも載っていない埋もれた名作を掘り起こして、水野ゼミで独自編集したという復刊本なのだそうだ。

左から『さくらむすび』『さくらむすび 弐』『女のくせに』

左から『さくらむすび』『さくらむすび 弐』『女のくせに』。

 

「『さくらむすび』『さくらむすび 弐』は、著作権が切れていて、大手の出版社で未刊行や絶版で古本市場にもあまり出回っていない、青空文庫にも収録されていないという条件を満たした文学作品の中から、さくらというテーマで選定した作品を本にしたものです」

 

簡単にはお目にかかれない名作をどうやって探してきたのかというと、国立国会図書館や古本市を利用して「これは」と思う作品を探し出し、ゼミ内だけでなく一般の読者の人に向けた読書会を開いてみんなが面白いと思う作品を選んでいったそう。底本からテキストを打ち直すのも手作業だそうで、上品な表紙からは想像もつかない労作だ。

 

『女のくせに』は、青谷さんが中平文子という作家に惚れ込んで復刊にこぎつけた一冊。「彼女は俳優、新聞記者、資生堂の服飾デザイナーとマルチに活躍したすごい女性なのですが、一方でものすごい恋愛体質でスキャンダルも耐えませんでした。今でもなかなか居ないような自由奔放な生き方で明治・大正時代を駆け抜けた人です。『どんな人生過ごしてんねん!』とツッコミを入れながら読んでいただけると面白いかなと」。

 

一方、ゼミ生の松吉蒼馬さん(知的財産学部3年)が紹介してくれたのは、自由な発想ではがきに言葉を書き付ける「己書(おのれしょ)」と文学作品をかけ合わせたイベント。「ポジティブな言葉が選ばれることの多い己書だからこそ、『恥の多い人生を送ってきました(太宰治『人間失格』)』のようなネガティブワードを書いてみると面白いねということになったんです」と松吉さん。己書の師範の先生を招いたワークショップは水野ゼミの本屋の人気企画なのだそうだ。

文学作品に登場する名言を「己書」に。

文学作品に登場するネガティブ名言を「己書」に。(提供:水野ゼミ)

ゼミ生の松吉さん。ポッドキャストで「水野ゼミのラジオ」を勝手に(!)始めて毎週配信しているという。制作中の新製品「文豪かるた」のチラシとともに。

ゼミ生の松吉さん。ポッドキャストで「水野ゼミのラジオ」を勝手に(!)始めて毎週配信しているという。制作中の新製品「文豪かるた」のチラシとともに。

 

さらに、「こんなものも作っています」と見せていただいたのは、金魚鉢型のインテリアや薔薇の折り紙。著作権の切れた作品を使った「本に見えない本」。同じく大阪工業大学の空間デザイン学科の学生と共同開発したものだそうだ。「製本された本に対して苦手意識を持っているような人にも、違う切り口で作品に親しんでもらおうということで企画しました」と水野先生。百貨店などに出店しても、足を止めて見てくれる人が多いそう。

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空間デザイン学科の学生と共同開発した「本に見えない本」たち。権利関係だけでなく、製造コストの管理なども実践的に学んでいる。 上:櫻間中庸「金魚は青空を食べてふくらみ」をモチーフにしたインテリア 下:小川未明「野ばら」のテキストを折り込んだ折り紙の薔薇

空間デザイン学科の学生と共同開発した「本に見えない本」たち。権利関係だけでなく、製造コストの管理なども実践的に学んでいる。
上:櫻間中庸「金魚は青空を食べてふくらみ」をモチーフにしたインテリア
下:小川未明「野ばら」のテキストを折り込んだ折り紙の薔薇

大学を飛びだした本屋の今後の展望

インタビュー中もイベントやグッズの話が次々と飛びだして、話はなかなか尽きなかった。青谷さん、松吉さんをはじめゼミ生の力がなければ水野ゼミの本屋は形にならなかったと水野先生。「イベントや取材を通して、外部の人から評価されることが彼らの自信につながっていると思います」。

 

水野ゼミに欠かせないお二人に今後の展望を伺った。

 

青谷さんは、もっとお客さんに来てもらうことが目標だという。「読書会だけでなく、いろいろなイベントを通して本に対する間口をもっと広げたいです。あと、これは個人的な願いですが、近隣の堀川戎神社で古本市を開催するとか、西天満というエリア自体を本で活性化できればいいなとも思っています」。

 

松吉さんは、大阪市の高校生と連携して「文豪かるた」を制作中。このプロジェクトを完成させることが目下の目標だ。さらに、「マスコットキャラクターを作りたいです。本に挟まっているスリップ(売上票)をモチーフにしたジャック・ザ・スリッパーというキャラクターを考えていて……」と野望を語ってくれた(「そんなこと考えてたの!?」と水野先生)。

 

 

大学を飛びだした水野ゼミの本屋は、街や人と関わりながらもっともっと大きくなっていきそうだ。本好きの方も、逆に本に苦手意識があるという方も、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろうか。

珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメ

2023年1月12日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第18回は「ナマコ×一橋和義先生(東京大学医学部附属病院 助教)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

ネットニュースに一喜一憂したり、人間関係に頭を抱えたり、とかくストレスが多い世の中だ。なんとかもっとシンプルに生きられないものか……正月ボケの頭でそんなふうに思っていると、YouTubeからこんな歌が流れてきた。

 

 ♪

 お前は能無し!て怒鳴られた それでも私は にっこにこ

 だってナマコも 脳ないもん 心臓肝臓 目 耳ないよ

 筋肉ペラペラ 省エネモード 硬さの変わる 皮膚厚く

 砂を食べて生きてます 省エネ第一 地球の未来

 私の生き方 なまなまなまなま なまこも~ど

 (「なまこもーど」全編動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=TW54Cax8Vm0 )

 

なんだか聴いているだけで力が抜けてくるようなこの歌、「なまこもーど」を歌っているのが一橋和義先生。ナマコの魅力とナマコ的生き方を世に広めるために歌まで作ってしまった一橋先生に、ナマコの生態について伺った。

「省エネモード」の秘訣は硬さの変わる分厚い皮膚

いろいろ聞きたいことがありすぎるのだけど、そもそもナマコってどんな生き物なんだろうか?

 

「ナマコは棘皮動物といって、ウニやヒトデと同じグループです。歌詞にあるとおり海底の砂や泥に含まれる微量の有機物を栄養源にしています。自分からはあまり動かずに、足元にある砂や泥をただひたすらもぐもぐ食べて、砂や泥をきれいにして排泄する。そうやって生きています」

 

かなり慎ましいというか、淡白というか。そんな食生活で、どうやってあのぷりんぷりんの体を維持しているのだろう。

 

「ナマコの体のほとんどは、筋肉ではなく分厚い皮膚(真皮)、いわばコラーゲンの塊なんです。この皮膚の中にはキャッチ結合組織という仕組みがあって、皮膚を自在に硬くしたり柔らかくしたりすることができます。このキャッチ結合組織は、筋肉を収縮させるときの1/4から1/5という非常に少ないエネルギー消費で動作させることができ、硬さの変わる皮膚で外敵から身を守ったり、筋肉の代わりに姿勢を保持したりするのに役立っています。

 

では筋肉はどこにあるかですが、ナマコを切り開いて内側を見てみると、縦に5本、ぺらぺらの白い帯状のものがついています。ほとんど存在感がないのですが、これがナマコの筋肉です」

サンゴのお花畑を歩くクロナマコ

サンゴのお花畑を歩くクロナマコ

捕獲前は柔らかかったシカクナマコが(左)、捕獲するとストレスを感じてカチコチに(左)

捕獲前は柔らかかったシカクナマコが(左)、捕獲するとストレスを感じてカチコチに(左)

 

最低限の筋肉で体を動かし、硬さの変わる分厚い皮膚で姿勢をキープするというのがナマコスタイル。人間はデスクワークしているだけでも全身が疲れてしまうけれど、ナマコはキャッチ結合組織という自前の防具兼サポーターのおかげでいつでも脱力していられる。だからあくせく動き回らずに、海底のわずかな栄養分で生きていけるのだ。うらやましいぞ。

忍者顔負け!? ナマコ流護身術

そうは言っても、これだけのんびり生きていたら天敵に襲われ放題なのではないかと心配になってしまう。どうやって身を守っているのだろうか。

 

ナマコは強いストレスを感じると肛門や体壁を融かした穴から消化管を含む内臓を吐き出してしまう習性(吐臓)があり、襲われると内臓を外敵に与えて本体は逃げるという説があります。また、体の一部を切り離して(これを自切といいます)逃げることもあります。再生能力も驚異的で、吐き出した消化管や切り離した部位はしばらくすると再生してしまいます。

 

それに加えて、ナマコは魚にとって強烈な毒となる物質(魚毒)を分泌することができるんです。小さい水槽でナマコと魚を一緒に飼育したら、魚はあっという間に死んでしまうほどです」

内臓を吐き出したクロナマコ

内臓を吐き出したクロナマコ

(左)シカクナマコをつかむと、その部分の皮膚を切り離した (右)残された本体。切り離した部分はまた再生する

(左)シカクナマコをつかむと、その部分の皮膚を切り離した
(右)残された本体。切り離した部分はまた再生する

 

飛び道具、分身、毒! 漫画に出てくる忍者か何かみたいだ。魚からすれば絶対に近寄りたくない相手だろう。

 

「ナマコの毒に関して面白いのが、カクレウオという魚の存在です。毒のおかげでたいていの魚はナマコを避けるのですが、カクレウオはナマコのことが大好きです。泳ぎも上手くない小さな魚なのですが、ナマコのお尻の穴の中に棲んで他の魚から身を守っているんです。シカクナマコにストレスを与えるとドロドロに融けてしまうのですが、そのとき中からカクレウオが出てくることがあります。普通の魚ならすぐに死んでしまうような毒があたりに漂っていてもカクレウオは平気です。一体どうやって毒に抵抗しているのか、とても興味をそそられます」

 

みんなが恐れるナマコを恐れないばかりか棲み着いてしまうカクレウオ、人間社会で言えばものすごい世渡り上手なのかもしれない。

 

シカクナマコをもみほぐすと体が融けて、中からカクレウオが飛び出してくる(01:55~)

融けたシカクナマコの中から出てきたカクレウオ。普通の魚ならすぐに死んでしまうような毒が漂っているはずだが、平気な様子でまだお尻に隠れようとしている

融けたシカクナマコの中から出てきたカクレウオ。普通の魚ならすぐに死んでしまうような毒が漂っているはずだが、平気な様子でまだお尻に隠れようとしている

 

ところでその毒、スーパーで売られているナマコの刺身にも含まれているのだろうか?

 

「ナマコの毒は苦味、渋み、えぐみ成分としても知られているサポニンの一種で、人間にとっては無害です。中国では煮て乾燥させてを繰り返して毒の成分を少なくして食べますが(サポニンの仲間は朝鮮人参にも含まれ、薬効が尊ばれ、ここでは薬効がある量は残されている)、スーパーや魚屋さんで売られているマナマコなどは生で食べても具合が悪くなるようなことはありません(血を固まりにくくする成分を含むため、抗血栓効果に関する研究もありますが、出血している人や出血が止まりにくい状態にある人には禁忌です)。種類によっては渋柿の何倍もの渋み、えぐみがあるものがあり、生で食べる場合は生食用で売られているもの以外は食べない方がよいでしょう。サポニンは水虫の治療薬になることも知られていて、実際にナマコから成分を抽出して作られているホロスリンという市販薬もあります」

 

食用に供されるマナマコは、当然ながら生で食べても問題ないとのことで一安心。一橋先生によると、むしろ最近はナマコに抗癌作用のある物質が含まれていることが注目されているそうだ。魚にとっては毒のナマコが、人間にとっては薬にもなるとは面白い。

ナマコと人間は似た者同士?

ナマコは私たちの常識からかけ離れた身体能力と生態をもつことがわかったが、一橋先生は「ナマコと人間はものすごく遠い存在というわけでもないんです」という。一体どういうことだろうか?

 

「それぞれの生存戦略を考えてみると、人間は目、耳といった感覚器、そこから得た情報を素早く処理する脳、さらに動き回るための心臓や筋肉を発達させ、エネルギーをさくさん消費して目的を果たすという方向に進化してきました。いっぽうナマコは、脳を発達させずに省エネな体の作りを追求し、内臓も捨ててしまえるような再生能力を身につけました。両者は真逆の価値を生きているといえるでしょう。

 

ですが、生き物としてのベーシックなあり方は両者に共通しているのではないかと思うのです。一定以上のストレスを与えたナマコが消化管を吐き出したり融けてしまったりするように、人間もストレスが過剰になれば身体を壊してしまいますし、そこからの回復過程も非常によく似ています」

子どもたちにもてあそばれたストレスでドロドロに融けたシカクナマコ。これだけ融けても再生できるというから驚きだ

子どもたちにもてあそばれたストレスでドロドロに融けたシカクナマコ。これだけ融けても再生できるというから驚きだ

 

たしかに、内臓を吐き出すほど極端ではないけれど、人間もストレスでお腹が痛くなるなんてことはしょっちゅうある。逆に言えば、ナマコにも傷つきやすい「心」があるということ?

 

「感情というのは発達した脳があってはじめて表現できるものですが、ナマコの動きを観察していると、人間の感情の動きとなんとなく似ているなと感じることはよくあります。たとえば、同じような刺激を与えても、毎回同じ反応を返してくれるわけではないという不確定さ、曖昧さがそうです。また、一匹のナマコがストレスで消化管を吐き出すと、つられて同じ水槽のナマコが次々と消化管を吐き出し始めることがあるんですが、(他のナマコの痛みに共感しているみたいで)これも人間みたいだなと思います。私たちも、感情が一つの方向に流れ始めるとみんなそっちについていってしまうということがありますよね。

 

これは私の印象なのですが、人間にもナマコと同じシンプルな生き物としてのベースがまずあって、私たちが感情や思考と呼んでいるものはその上に乗っかって機能しているにすぎないのではないでしょうか。感覚器を通した情報や高度な脳機能だけでなく、体全体のネットワークから生まれてくるような情報もひっくるめて私たちの『心』などができているのではないかと思うのです。別の言い方をすれば、人間が普段意識している具象の世界というのは私たちのほんの一部で、水面下にはナマコが生きているような曖昧模糊とした抽象の世界が広がっている……そんなイメージを持っています」

 

人間をやっているとあれこれ細かいことで悩んだりもするけれど、そんな意識だって身体に付随するオマケに過ぎないのかもしれない……そう考えると気分がちょっと軽くなってくる。

 

ナマコに音を聴かせてみると?

ユニークな視点でナマコと向き合っている一橋先生だけど、その研究内容もやっぱりユニークなのだそうだ。

 

「現在取り組んでいるのは、『音』に対するナマコの反応を調べる研究です。実は私はナマコとは別に音楽療法の研究もしているのですが、このテーマに関しては、音楽療法の基礎研究として、耳や脳を持たないナマコを使えば音(つまり振動)が身体に与える影響を単純化して観察できるのではという発想からスタートしました。

 

もともとは、ナマコの再生能力を調べる実験と、ピアノ演奏者の自律神経活動を測る実験というまったく別の実験を同時に進めていました。ピアノの実験のために音楽コースの学生にピアノの演奏をしてもらっているときに、せっかくだからナマコにピアノ演奏を聴かせてみようということになって、音楽室にナマコを持っていきました。そうしたら、シューマンのある曲の低い音が連続するところで、ナマコが活動的になってナマコを入れていたお皿から出ようとしたんです。それを見て私は考えました。もしかするとナマコは海のなかで自分がいるべき環境を振動で知覚していて、たまたまそれに近い音に向かって動いていったんじゃないかと……。

ナマコにピアノを聴かせている様子

ナマコにピアノを聴かせている様子

 

振動というのは、まだ目や耳を持つ生物が登場する以前から存在した原始的な生物も感じ取っていたであろう生命にとってプリミティブな刺激です。振動に対するナマコの反応を解析することで、生物にとってどんな振動がある環境が良い環境なのかを明らかにしたいと考えています。さらに言えば、音の環境を良くすることによって人間を含めた生命活動に良い影響をもたらすことができるのではないか、という大きな目標もあります」

 

たとえば、あるパターンの振動がナマコにとって良い影響をもたらすということがわかれば、人間の病気を治療したり、免疫力を高めたりするのに応用できるかもしれない。突飛に聞こえるけれど、さっきの「生命としてのベースは同じ」という話に通じる発想だ。具体的にはどんな方法で研究しているのだろうか?

 

「ナマコの共鳴振動数に近い音を流して、それに対するナマコの反応を映像解析ソフトで解析するという実験をしています。たしかに音を聞かせることで収縮するような反応が見られることはあるのですが、先ほども言ったとおりいつも同じ反応が返ってくるわけではないので苦労しています。最近考えているのは、我々の時間軸とナマコの時間軸がかなり違うのではないかということですね。ナマコはとてもゆっくりした時間を生きていて、刺激に対する反応速度やタイミングも我々が考えるよりずいぶん違いうのでは、と。現在はその点を考慮しつつ、いろいろな種類のナマコでデータを取っているところです」

 

沖縄の黒島研究所にて、いろいろな種類のナマコに音を聞かせる一橋先生

沖縄の黒島研究所にて、いろいろな種類のナマコに音を聞かせる一橋先生

ナマコの世界と人間の世界、行き来してみてわかること

ところで、一橋先生はナマコとどんなふうに出会ったのだろう?

 

「学生のときに失恋をして、すごく落ち込んで下宿先から実家に帰っちゃったことがあるんです。心配した友人が手紙をくれて、その返事に『僕は海の底に沈んだナマコ以下だ……』みたいなことを書いたんですね。今まで気にも留めなかったナマコなんて言葉が出てきたのが自分で引っかかって、魚屋さんに行ってナマコをつついてみたら硬さが変わって面白いなと。それから俄然興味が湧いてしまって、同じ大学の研究者に話を聞きに行ったりしました。当時医学系の学生で、音楽療法の勉強も始めていたのですが、授業を抜け出して興味あるナマコのことを調べていたらある先生にえらく怒られましたね。そういうことがあって、音楽と動物行動学と両方できる神戸大学に入り直して、両方の研究を始めたんです」

 

まさか失恋がきっかけだったとは……!

研究だけにとどまらず、ナマコ飼育でお世話になった水族館で音楽と生物の協働によるコンサートを企画するなど、音楽を使ったサイエンスコミュニケーションにも積極的に取り組んできた一橋先生。冒頭で紹介した「なまこも~ど」も、沖縄の黒島研究所のタッチプールで行った講義の内容を歌にしたものなのだそうだ。歌詞にはナマコの生態だけでなく、大学で講義を受け持った学生たちへのエールも込められているという。

 

「学生たちが社会に出て上司に怒られたりしたときに、脳(能)がないナマコも立派に生きていることを思い出して、必要以上にストレスを感じたり自分を卑下することなくニコニコしていられるといいなという思いを込めました。そしたらさっそく学生の間でナマコが合言葉になって、テストで悪い点を取っても『ナマコ、ナマコ』と笑い飛ばすお気楽なクラスになってしまいました(笑)」

 

学生時代の一橋先生にとって落ち込んだ気持ちの象徴だったナマコが、「なまこも~ど」ではポジティブの象徴になっていることがなんだか感慨深い。だけど、そんなにナマコに感情移入してしまって研究に支障が出たりしないんだろうか?

 

「研究者としてナマコの世界を理解するためには、人間であることを一旦忘れてナマコになりきらなければなりません。私はナマコが棲んでいる海に行って、周囲の環境をナマコと同じように感じてみることを大切にしています。ナマコの気持ちになって海に浮かんでいたら、どうやら溺れていると勘違いされて近くの岸に人が集まってきてしまったことはありますけどね(笑)

 

一方で、人間の視点とナマコの視点を行き来しながら世の中を見ることで気づくこともあります。たとえば、現代社会では『効率的な生き方』が重視されがちですが、ナマコのようにまったく別の生き方もあるかもしれません。また、とりわけ日本は自分の感情を表に出すことが良しとされない社会ですが、ナマコのようにダイナミックにストレスを表現してみれば気持ちが楽になるかもしれません。ナマコから学べることはまだまだたくさんありそうです」

ナマコのように寝転んでナマコに音を聞かせている一橋先生

ナマコのように寝転んでナマコに音を聞かせている一橋先生

 

【珍獣図鑑 生態メモ】ナマコ

サンゴのお花畑を歩くクロナマコ

棘皮動物門ナマコ綱に分類される動物の一群。全世界で約1500種、日本近海には約200種が分布している。触手を使って海底の砂や泥を口に運び、付着した有機物を摂取する。硬さの変わる分厚い皮膚は、身を守ったり姿勢を維持したりするのに役立つ。ストレスがかかると消化器等の内臓を吐き出す、身体を切り離して逃げるなど、高い再生能力を活かして身を守っている。体表からは魚にとって強烈な毒となる物質を分泌する。

 

 

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