ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

【第8回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。大学オウンドメディアのいまとこれからを考える

2023年8月31日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、2019年から大学広報関係者を対象に勉強会を開催しています(勉強会レポートの一覧はこちら)。2023年7月21日に開催した第8回のテーマは、ずばり「大学オウンドメディアのいまとこれから」。

 

大学の研究・教育・社会活動を広く発信するプラットフォームとしてかなり浸透してきたオウンドメディアですが、その目的や運営体制は大学によってさまざま。当然、表現方法も千差万別です。今回の勉強会では、東洋大学、千葉大学、同志社女子大学、立命館大学から担当者をお招きして、オウンドメディア立ち上げの経緯や運営ノウハウについて発表していただきました。

 

・東洋大学「LINK@TOYO」

・千葉大学「CHIBADAI NEXT」

・同志社女子大学「ひとつぶラジオ」

・立命館大学「shiRUto」

 「大人向け」に特化したことが成長の鍵。東洋大学「LINK @ TOYO」

最初に登壇いただいたのは、東洋大学 総務部広報課の中村智治さん。2017年から運営されているオウンドメディア「LINK@TOYO(https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/)」をご紹介いただきました。

 

目を引くのは、興味を惹かれる特集テーマやキーワードが散りばめられたサイトデザイン。ページを上から下へスクロールしていくだけで、気になる記事がいくつも見つかるように設計されています。「大人向けのウェブマガジン」に特化した見せ方とコンテンツの充実度は、ほとゼロ編集長・花岡も自身のブログで「現時点での大学オウンドメディアの最高峰」と紹介しているほど。 

LINK@TOYO。秀逸なサイトデザインはぜひ実際に見て確かめていただきたい。

LINK@TOYO。秀逸なサイトデザインはぜひ実際に見て確かめていただきたい。

 

そんな東洋大学のオウンドメディア(当初は「LINK UP TOYO」)がスタートしたのは2017年。スポーツで知名度が高い東洋大学ですが、多方面で活躍する研究者や卒業生を紹介することでイメージに厚みを持たせたい、なかでもとくに研究者のメディア露出を増やしていきたいというねらいがあったそうです。2020年にファンの獲得と価値向上をめざしてサイトをリニューアルしたところ、PV数がぐんと向上。今では月平均32万PVというから驚きです。この伸びを実現できた背景には、ターゲット層とコンセプトを練り直し、「社会人層の教養や学び直し」に特化したことが大きかったと中村さんは言います。

 

露出を増やすための具体的な施策にも抜かりはありません。想定キーワードの検索結果で上位10位以内という目標を設定してSEOに取り組んだり、外部のニュースサイトと連携したりと、より多くの人に届けるための地道な取り組みが今に繋がっているようです。

中村さんが「印象深い記事」として挙げるのが、睡眠や夢について研究する松田英子先生(東洋大学社会学部 教授)を取材した記事。反響が大きく、今や松田先生は名物研究者に。その後も数年ごとに切り口を変えて松田先生を取材しているそう。

中村さんが「印象深い記事」として挙げるのが、睡眠や夢について研究する松田英子先生(東洋大学社会学部 教授)を取材した記事。反響が大きく、先生への取材件数が増えるきっかけに。その後も数年ごとに切り口を変えて松田先生を取材しているそう。

 

「大学が発信したい情報だけではなく、世の中が欲している情報を提供することが重要」と中村さん。また、「PV数を意識せざるを得ない面もあるが、そこに執着しすぎず『先生たちへの取材依頼の増加』と『ブランドイメージの厚みの向上』を目標に取り組んでいきたい」と締めくくりました。

東洋大学の中村智治さん

東洋大学の中村智治さん

研究を発信するための新しい場所をつくる。千葉大学「CHIBADAI NEXT」

次に登壇いただいたのは、千葉大学 特任准教授 学長特別補佐 広報担当の日高祐一さん。

千葉大学の「CHIBADAI NEXT(https://www.cn.chiba-u.jp/)」は開設してまだ1年という新進のオウンドメディアです。研究紹介記事はもちろん、記事に紐づいた研究者データベースも充実していることが特徴。ほぼ週1回という「国立大学としてはめずらしい高頻度」(花岡談)の更新ペースからも、研究情報を発信することへの強い意志を感じるメディアとなっています。今回の発表では、その立ち上げのお話を披露していただきました。

CHIBADAI NEXT。企画・取材はもちろん、ライターやカメラマンといった外部パートナー探しも学内の編集部の大切な仕事。

CHIBADAI NEXT。企画・取材はもちろん、ライターやカメラマンといった外部パートナー探しも学内の編集部の大切な仕事。

 

2020年の学長交代を機に研究情報の発信に力を入れることになった千葉大学。しかしそもそも、大学や研究者が研究の情報を発信する機会は、論文発表など研究成果が一定の形になったタイミングに限られてしまっていると日高さんは言います。一方、ユーザー側の動向はというと、千葉大学のサイトを訪れる人の大部分は研究関係のコンテンツを見ていないということもわかりました。

 

研究を発信しようにもネタが無い、発信手段がない、社会からの関心がない、という状態。しかし裏を返せば、新しい発表の場をつくり、一つひとつの研究のストーリーを深掘りしていくことで社会との接点をつくることができるのではないか。そんな逆転の一手として持ち上がったのが、オウンドメディアを立ち上げるという手段でした。

 

こうして動き出したCHIBADAI NEXT。最終的なゴールは優秀な研究者の獲得と、他の研究機関や企業・自治体等との連携を広げることですが、より広く社会に研究情報を届けるために開設時に3つの方針を定めたそうです。

 

・記事が専門的になりすぎることを避けるため、研究者を「めざす人」や「文系の」新規事業担当者にも理解いただける内容とする。

・多様な研究内容の中から、社会の課題や潮流といった関心事と重なり合う部分を見極めて記事のテーマに落とし込む。

・予算のなかで最大限メディアの魅力を高め、かつ学内にノウハウの蓄積できるように、企画・編集・サイト運営を学内で回し、執筆・撮影を学外のプロに発注する体制を構築する。

 

こうした方針に加えて、SEO対策として研究キーワードや所属学会、メディア掲載などの情報を充実させたなどの工夫が功を奏し、半年を過ぎた頃からPV数も増加してきているそう。

 

最後に日高さんは、「広報全体で考えると、研究をオウンドメディアのコンテンツという形に落とし込んで蓄積しておくことで、メディア取材やSNS、イベント、講演会、出版など多様な展開につなげることができる」と語ってくれました。研究情報のデータベースとしてオウンドメディアを育てていく、という考え方は意外と新鮮ですが、CHIBADAI NEXTを見ればその説得力は十分です。

千葉大学の日高祐一さん

千葉大学の日高祐一さん

産休・育休の経験から辿りついた音声メディア。同志社女子大学「ひとつぶラジオ」

続いて、ラジオ番組が始まりそうな爽やかなジングルとともにご登壇いただいたのは、同志社女子大学広報課の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん。

 

同志社女子大学では、Podcastと書き起こしテキストを組み合わせたオウンドメディア「ひとつぶラジオ(https://hitotsubu.dwcla.jp/)」を2022年にスタート。巷では音声メディアが注目を集めていますが、音声をメインに据えた大学オウンドメディアはまだ多くありません。一体どうして「ラジオ」だったのか、その背景には川添さんご自身の体験がありました。

ひとつぶラジオ。柔らかい印象のサイトで、日常で役立つ話題から教養までテーマはさまざま。

ひとつぶラジオ。柔らかい印象のサイトで、日常で役立つ話題から教養までテーマはさまざま。

 

2018年の末から産休・育休を経験した川添さん。はじめての子育てで、本を読んだりテレビを見たりするのもままならない日々を経験します。単に忙しいというだけではありません。仕事で人と関わる機会がなくなったことで、新しい情報を得て、自分自身を成長させることも難しくなったと感じたそうです。

 

2020年から広報部に復帰し、新たにオウンドメディアの立ち上げを担当することになったときに、自身の経験を振り返り「教員の研究活動を素材とする」、「忙しいなかでも手軽に新しい情報に触れられる」「日々に彩りと希望を見出す契機になる」というコンセプトが定まってきました。しかしこのときはまだ、メディアの形式は決まっていません。イメージを具体化する作業のなかで「36歳で市役所勤務の女性、夫と小学生の子供二人と暮らし、猫を買っている」というペルソナをつくり、このペルソナを深掘りしていった末に、最終的にラジオという形が見えてきたそうです。

コンセプトには川添さんの実体験が活かされている。

コンセプトには川添さんの実体験が活かされている。

 

川添さん自身のライフストーリーが反映されて生まれた「ひとつぶラジオ」。川添さんは企画だけでなく、先生の話を引き出すナビゲーターとして毎回出演もされています。ナビゲーターの心構えとして、「リスナーと同じ立場で、あえてあまり事前に知識を入れずに生身でお話に反応していく」「さまざまな話し方の先生がいるなかで、できるだけ先生の個性が現れるように、自分自身が臨機応変に対応していく」といったポイントを教えていただきました。

 

音声コンテンツの制作を担当する吉井さんからは、技術面にフォーカスして「音声メディアはこんなに楽しい」というお話をしていただきました。ラジオを聞く層も今やほとんどがラジコのタイムフリー視聴。コンテンツ消費がほとんどスマホで行われているので、大学が発信するコンテンツもいかにスマホで完結するかを意識する必要があると吉井さんは言います。

 

映像制作も手掛ける吉井さんから見た音声コンテンツは、企画・制作が「早い」、制作費が「安い」、とにかく「お手軽」と良いことずくめ。「企画を始めるハードルが低いですし、少人数でワイワイ作る楽しさもある。みなさんもぜひチャレンジしてみては」とのことでした。そういえば、ポッドキャストでも教養系のトーク番組は人気ジャンルです。大学発の音声メディアはこれからもっと増えてくるかもしれません。

同志社女子大学の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん

同志社女子大学の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん

大学名を冠さず、独立したメディアとして勝負する。立命館大学「shiRUto」

最後の発表は、立命館大学 総合企画部広報課の名和拓哉さん。立命館大学の「shiRUto(https://shiruto.jp/)」は、暮らしのなかで誰もが気になる話題と研究紹介とをかけあわせたニュースサイトのような読み味が魅力のオウンドメディアです。他の大学メディアとの大きな違いは、大学名を大きく掲げていないこと。実際にサイトを見てみても、ページを一番下までスクロールしないと立命館大学の名前が出てきません。その理由とは?

 

shiRUto。サイト名には大学の「知」の面白さを伝えたいという思いを込め、読者が知に触れたその後を予感させるものに。立命館大学(Ritsumeikan University)の頭文字である「RU」のみ大文字にすることで、大学の存在を暗に示している。

shiRUto。サイト名には大学の「知」の面白さを伝えたいという思いを込め、読者が知に触れたその後を予感させるものに。立命館大学(Ritsumeikan University)の頭文字である「RU」のみ大文字にすることで、大学の存在を暗に示している。

 

オウンドメディアを開設した背景にあったのは、立命館の情報を積極的に収集しない層や、そもそも無関心な層にいかにPRするかという課題でした。そこで立命館が選んだのは、大学名を関した情報をプッシュ(自薦)することではなく、有用な情報を発信することで結果として大学情報に触れてもらう「他薦」型コンテンツの発信に取り組むことだったといいます。こうして、人々が抱える困りごと、知りたいことを取り上げ、研究者の言葉で解説を加えるというshiRUtoのスタイルが確立。2021年に行ったリニューアルでは、「社会課題の『解決』の一端を担うメディアへ」という一歩踏み込んだコンセプト方針を掲げました。

 

現在、shiRUtoはトレンドや社会のニーズ、SEOを意識した通常記事と、大学として力を入れているテーマを複数の研究者の視点で掘り下げる特集コンテンツの2本柱で構成されています。めざすのは、「困りごとを解決する手段を探せば、その先にいつもshiRUtoがある」状態を作り、「shiRUtoには社会課題を解決する知見が集約されている」という認知につなげる流れです。

 

shiRUtoは内部でも評価されるようになり、学内の研究者から「取材してほしい」と声がかかるようになっているのだそう。名和さんは最後に「今後も大学公式サイトからは一線を引いて、独立したウェブメディアとしてさらに認知されるように勝負していきたい」と締めくくりました。オウンドメディアで大学の価値を引き上げていくという本気の姿勢を見せていただき、刺激を受けた参加者も多かったのではないでしょうか。

立命館大学の名和拓哉さん

立命館大学の名和拓哉さん

オウンドメディアに正解はない、だからこそ目標と日々の積み重ねが大切

休憩を挟んで、後半は登壇者による座談会に突入。オウンドメディア運営の裏側についてさらに突っ込んだお話をお聞きして盛り上がりました。

 

「ネタ探しってどうしてる?」という問いかけには、「ヒアリングやプレスリリースのチェック、SNSでのエゴサーチなど、広報全体として積極的に情報収集している」(立命館・名和さん)、「編集部のメンバーに研究推進の担当者が入っているので情報が入って来やすい。それと、受賞関係はネタになりやすいため欠かさずチェックしている」(千葉大学・日高さん)、「広報全体として、発信できるネタがあれば声をかけていただけるように各部局に定期的にアナウンスしている。高校生向けの特設サイトで過去に扱った記事をひとつぶラジオのネタとして掘り起こすことも」(同志社女子・川添さん)、「研究推進部とミーティングをするほか、広報が把握していない情報を拾うためニュースサイトのチェックも欠かせない」(東洋大・中村さん)と各大学の事情が垣間見える回答に。

 

さらに、編集方針やプロモーション方法について、AIの活用について……などなど、話題はつきません。会場からの「評価指標をどのように設定しているか」という質問に対しては、運営年数の長い東洋大学と立命館大学が「PV数などの明確な基準を定めつつ、広報全体の視点での波及効果も大切にしている」、年数の比較的浅い同志社女子大学と千葉大学が「数値目標は定めないが、PV数などの変化はしっかり把握して対応することは必要」という答えになりました。

 

座談会の様子

座談会の様子

 

後日、時間内に取り上げることの出来なかった質問にメールで回答いただきました。「オウンドメディア運営で最も難しいことは?」という質問の答えは、4大学がほぼ一致して「継続すること」(立命館大学は目標設定、継続性、発展性)とのこと。これには大きくうなずくほかありません。

オウンドメディアに正解はない、だからこそ目標を立て、日々積み重ねていくことが大切で何よりも難しいのかもしれません。ほとゼロ編集部としても、とても良い刺激をいただいた勉強会でした。

 

 

最後にひとつ宣伝を。

今回の勉強会で取り上げさせていただいたオウンドメディアをはじめ、多くの大学や研究機関が独自にメディアを手掛けて学術・研究情報を発信しています。ほとんど0円大学を運営する株式会社hotozeroでは、そうしたメディアコンテンツをさまざまな切り口で紹介するキュレーションサイト「フクロウナビ(https://fukurou-navi.jp/)」を新たに立ち上げました。まだまだできたばかりですが、機能もコンテンツもますます充実させるべく日々奮闘中です。ほとんど0円大学ともどもよろしくお願いたします!

カラフルに光る新種鉱物、実は見過ごされてきた存在だった? 「北海道石」研究チームの石橋隆さんに伺った。

2023年7月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

今年5月、新種の鉱物が発見されたというニュースが話題になった。発表したのは相模中央化学研究所、大阪大学、九州大学の研究者らのチーム。その新種鉱物は「北海道石(ほっかいどうせき, Hokkaidoite)」といい、紫外線を当てるととても綺麗に光るらしい。そして、日本ではじめて新種登録された有機鉱物だという。

 

そもそも鉱物の新種ってどういう概念なのか? なぜ光るのか? 一体どれくらい珍しいものなのか? ……いろいろな疑問が湧いてくるが、まずはとにかく実物をこの目で見てみたい!ということで、研究チームのお一人で大阪大学総合学術博物館招聘研究員の石橋隆さんを訪ねた。

石橋隆さん(大阪大学総合学術博物館 招聘研究員)。

石橋隆さん(大阪大学総合学術博物館 招聘研究員)。

色鮮やかに光る石の正体は、太古の植物に由来する有機物の結晶

待ち合わせ場所の大阪大学中之島センターのカフェテリアで落ち合うと、石橋さんはカバンからタッパーを取り出して蓋の上に石を並べはじめた。大きいもので子どものこぶしぐらいの大きさだ。濃さの違う褐色の層は、豚バラや牛スジを煮込んだような色合いでなんだか美味しそうにも見える。

これだけでも綺麗な石ではあるが、「この光を当ててみてください」と手渡された紫外線ライトのスイッチを入れると……黄緑がかった黄色、オレンジ、紫と、石全体がみごとな蛍光カラーの光を放った!

角煮のような色合いの石が……

角煮のような色合いの石が……

紫外線ライトで光った!

紫外線ライトで光った!

 

ニュースで写真を見てはいたものの、あらためて肉眼で目にすると発色の鮮やかさに目を奪われる。

 

「よく誤解されるんですけど、この石全体はオパールという鉱物で、その中に少量の北海道石が閉じ込められているんです。一番上の層が少し緑がかった黄色っぽく光っていますよね、そこに北海道石の結晶が含まれています」と石橋さん。よくよく目を近づけて見ると、層の中に黄色く光る小さなつぶつぶが見える。これが北海道石だ。

小さなつぶつぶが見える

黄色く光る小さなつぶつぶが見える

 

なぜ紫外線ライトで光るのかというと、通常は人の目には見えない紫外線が北海道石の結晶によってエネルギー変換され、可視光線として見えているということらしい。オレンジや紫色に光っている層には、さらに小さな北海道石の粒や、結晶になれなかった北海道石と同様の成分がふくまれているのだそうだ。

 

一体どうやったらこんな不思議な石ができるのだろうか。

 

「北海道の鹿追町で産出する北海道石は、オパールに閉じ込められていることはお話ししましたが、オパールは大昔の温泉水の作用によってできたものです。地殻に豊富に含まれる二酸化ケイ素という成分をたっぷり溶かし込んだ温泉水が地表付近に上がってくると、温度や圧力が下がることでその成分が徐々に飽和・沈殿して、オパールができます。そのオパールに閉じ込められている北海道石の成分となる有機物の炭化水素は、地層中の植物遺体が火山などの熱を受けてできると推定され、それが温泉水によって地表に運ばれて、オパールの沈殿と同時に結晶化して北海道石になったと考えられます。温泉水ができるには火山活動が必要ですから、火山とも関わりの深い鉱物といえるでしょう」

 

植物の体の一部だったものが結晶になってカラフルな光を発している……目の前で起こっている大自然の不思議にめまいがしそうだ。

しかも、こうした有機物である炭化水素の結晶、つまり有機鉱物はとても珍しく、新種発見は日本で初めてのことなのだという。

 レアすぎて見過ごされていた「有機鉱物」が秘める可能性

「鉱物」と聞くと鉄などの金属の塊やダイヤモンドなどの宝石が思い浮かぶが、そもそも学術的にはどう定義されているのだろうか。

石橋さんによると、有機物・無機物の区別なく「天然に産出する結晶」のことなのだそうだ。ただし天然と言っても、人間の活動が自然界に影響してできる結晶もあれば、体内にできる尿路結石なんかも結晶といえてしまう。それだと何でもありになってしまうので、より正確には「地質学的な作用で生成された結晶」のみを鉱物と呼んでいるという。

 

新種発見というぐらいだから、鉱物にも生物と同じく「種」の分類がある。鉱物の場合は、化学組成(どんな元素からできているか)と結晶構造(元素がどのような結びつきで結晶をつくっているか)の2点で種を定義しているそうだ。化学組成、結晶構造のいずれか、もしくは両方がこれまで発見されたどの鉱物にもあてはまらない場合、国際鉱物学連合に届け出て、承認されれば晴れて新種として登録されることになる。

 

では、北海道石のような有機鉱物は鉱物研究のなかでどのような位置づけになっているのだろうか?

 

「有機物とは、生物の体を構成する物質というふうに説明されることもあります。厳密に定義するのは難しいのですが、ざっくりと言えば炭素や水素などを主成分とする物質のことと思っていただくとよいでしょう。北海道石の場合は、炭素原子22個と水素原子12個からなる『ベンゾ[ghi]ペリレン』という有機分子の結晶です。

 

現在、世界で約6000種類の鉱物が知られていますが、ケイ素や酸素、金属などからなる無機鉱物がその大部分を占めていて、有機鉱物は全体の1%程度にすぎません。実際に地球上に存在する量の比率で換算すると、それよりさらに何桁ぶんも少ないでしょう。そんなわけで、有機鉱物は鉱物学でも普段はほとんど考慮に入れられないような存在で、研究者も決して多くはないのが現状です。

これだけ珍しい有機鉱物の中でさらに、炭化水素(炭素と水素の化合物)の有機鉱物は北海道石を含めて世界で10種しか見つかっていません」

 

6000分の10! ものすごくレアな存在だということはわかったけど、今回の発見は学術的にはどんなインパクトがあるのだろうか。

⿅追町で見つかった北海道⽯を含むオパールの地層。紫外線を照射すると蛍光を発する。(撮影:⽥中陵⼆)

⿅追町で見つかった北海道⽯を含むオパールの地層。紫外線を照射すると蛍光を発する。(撮影:⽥中陵⼆)

 

「まず、これまでに見つかっていない鉱物を新種として記載すること自体に大きな意味があります。すべての研究はそこからしか始まりませんから。有機鉱物がもっとたくさん見つかるようになれば、共通する性質などもだんだんとわかってくるでしょう。

そのうえで、北海道石はこれまで縁遠かった鉱物学と有機化学という2つの分野を橋渡しする存在になると期待しています。たとえば、貴重な資源である石油が生成されるプロセスの研究にも関わってきます」

 

たしかに石油も太古の生物の遺骸が地中で変化したものだというけど、北海道石とどうつながるのだろう?

 

「今回見つかったサンプルからは、ベンゾペリレンの結晶である北海道石のほかに、同じく炭化水素の一種でコロネンの結晶であるカルパチア石という有機鉱物も見つかっています。詳しい説明は省きますが、自然界ではこのベンゾペリレンがより安定なコロネンに変化していくと考えられます。実は、これらの分子が石油にも含まれているんです。

 

北海道石を研究することでこうした有機化合物の変化のプロセスがわかってくれば、ゆくゆくは石油がどんな化学的プロセスを経て生成されているのかを解明することにもつながるかもしれません。

といっても私たちは人工石油をつくるために鉱物を研究しているわけではないので、あくまで今後の展開のひとつの可能性として、ですが……」

 

なるほどなるほど。地中に眠る有機物に目を向けることは、大きな意味では資源問題や温室効果ガスによる気候変動とも繋がってきそうだ。小さな結晶の粒には大きな可能性が秘められている……のかもしれない。

鉱物学者の眼と化学者の技で成し遂げられた「新種発見」

鉱物の世界では、多い年には年間100件ほどの新種が登録されることもあるそう。そんななかでこれまで目立たない存在だった有機鉱物が新たに見つかり、脚光を浴びるに至った経緯が気になる。北海道石はどんなふうに発見されたのだろうか?

 

「2022年の1月のことです。当時私の務めていた博物館に、アマチュア鉱物研究家の萩原昭人さんという方が教材用にと、とある石を持ち込んでくれたことがありました。そのとき受け取った北海道の愛別町産の石に、当時は日本で未発見だったカルパチア石らしき小さな粒が含まれているのを見つけたんです。すぐに分析して調べてみたところ、確かにカルパチア石でした。そこで、有機化学と鉱物の両方に詳しい相模中央化学研究所の田中陵二さんに送ってより詳しく調べてもらいました。そのときはじめて、カルパチア石だけでなく未知の有機鉱物が含まれていることがわかりました。ただ、その時点ではサンプルが少なくて、詳細な分析をする余裕がありませんでした。

 

カルパチア石と新しい鉱物は組成もよく似ていて、どちらも紫外線を当てると光るという特徴をもっていました。それで思い当たったのですが、実は、愛別町から大雪山を隔てた反対側にあたる鹿追町でも2014年に光る鉱物が見つかっているんです。そのときの発見者の報告では、鉱物が光るのは微量に含まれる金属が原因ではないかという見解が示されていたのですが、もしかすると我々が見つけたのと同じ鉱物が含まれているのではないか、と。土地の管理者などに採取許可を得て調べてみると、やはりそこから同じ新鉱物が見つかりました。しかもこちらは量も豊富にある。おかげで研究に足る量のサンプルを採取することができました」

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鹿追町での調査の様子(撮影:石橋隆)

鹿追町での調査の様子(撮影:石橋隆)

 

こうして分析が進み、石橋さんたちが発見した鉱物は、鉱物学連合の審査を経て2023年1月に新種として認められた。石についた小さな粒だけでピンときてしまうのもさすがだけれど、その後の展開もなんともドラマチックだ。「今回の発見の大部分は、有機鉱物を分析する手法の開発から手掛けてくれた田中さんの功績です」と石橋さんは語る。

 

ニュース番組などで一般の人々にも広く知れ渡ったきっかけとしては、美しく光るビジュアルとともに「北海道石(Hokkaidoite)」という堂々たるネーミングの効果も大きそうだ。どうしてこの名前になったのだろうか?

 

「普通はやっぱり遠慮もあって、都道府県のような大きな地名はあまりつけないんです。もしも後からその都道府県を代表するような鉱物が見つかってしまったら、さきにつけたほうが名前負けみたいになってしまいますし……。

今回も、たとえばもしも愛別町からしか発見されていなければ、愛別石になっていたかもしれません。けれども2箇所で発見されたので、どちらか片方の名前をとるわけにはいかないよねとなりまして。それにやはり、紫外線を当てると光るという見た目の派手さも大きいですね。これならば、北海道を冠した石として地元の皆さんにも納得していただけるだろうと。命名の際には国内の委員会にかけられるのですが、幸いそこでも異論は出ませんでした」

 

たしかに、絶対に名前負けしない納得のインパクトだ。

新種としてのお披露目も一段落して、今後は貴重な研究資源を保全していくことが課題になる。発表を行うにあたっても慎重を期し、関係各所とのすり合わせで奔走されたという。

 

「北海道全体、日本全体、人類全体の共有財産でも構わないのですが、まずは鹿追や愛別の人々に『地域の財産』として認めていただくことが大切だと思っています。そういう意図もあって今回はプレスリリースを大々的に打ち出しましたし、取材の対応でも地元の方をご紹介するようにしています。最近は、鹿追町の町長さんがテレビの取材を受けて保全に関してコメントしてくださっていたりするので、私たちとしてもありがたいですね」

 

ちなみに、鹿追町は十勝平野に広がる「とかち鹿追ジオパーク」の一部でもある。北海道石がとれる場所は保全の観点で非公開となっているが、これをきっかけに北海道の雄大な自然を訪ねてみたくなった。

北海道石から新たな学問がはじまる

北海道石発見のインパクトは、今後どんなふうに広がっていくのだろうか。最後に展望を伺った。

 

「まず、これまでほぼ無機物のみが対象とされてきた地質学や鉱物学において、有機物に着目してみようという視点は、大袈裟ではなく新たな学問分野の『芽生え』になりうると考えています。ニュースが多くの方に注目していただけたことで、これからどんどん新たな研究が出てくることに期待しています。

 

それだけではありません。先ほどは石油の話をさせていただきましたが、有機化学をはじめ色々な分野で引用・応用されていく研究成果になると思います。特に、有機鉱物の分析手法を確立した田中さんの功績が非常に大きいですね。私たちの研究を他の分野の方がどう受け取るかはまだまだ未知数ですが、たとえば、地球外で生命の痕跡を探す研究などにもつながるのではないでしょうか」

 

 

研究チームでは、北海道以外の地域でも同様の有機鉱物が見つかるのではないかという予測を立ててさらなる調査を続けているそうだ。私たちの足元でも、未知の世界が人知れずとびきり美しい光を放っているかもしれない。

 

パンダ外交からみる中国、日本、台湾。白黒まだらの国際関係について東京女子大学の家永真幸先生に聞いてみた。

2023年6月15日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

パンダは愛くるしいという言葉がぴったりの動物だ。ニュース番組なんかで動物園のパンダがだらだら、ころころしている様子を見かけるとついつい頬が緩んでしまう。

 

そんなパンダだけど、じつは中国からレンタルしているという話はご存知だろうか。パンダ外交という言葉があるとおり、一見のほほんとしていてもシビアな国際関係の渦中にいる存在なのだ。近頃は香港や台湾をめぐって緊張感が高まっている東アジア情勢だが、これまでパンダはどんな役割を果たしてきたのだろうか。アジアの国際政治の歴史を研究している家永先生に、中国のパンダ外交、とりわけ日本や台湾との関係について伺った。

欧米でのブームがきっかけでパンダは“中国の宝”になった

家永先生がパンダ外交に興味を持ったのは、故宮博物院を題材に台湾をめぐる国際関係を研究していた博士課程在籍中の2006年頃のこと。中国から台湾にパンダが贈られるプランが持ち上がり、台湾のなかでそれを受け取るべきか否かという議論が巻き起こっていたという。

 

「台湾の故宮博物院には、内戦に負けた中国国民党政権が中国大陸から持ち出した宝物が大切に収蔵されています。一方で、大陸から持ち出せなかった“宝”であるパンダを受け取るかどうかで台湾が揺れている。このねじれに興味を持って、そもそもパンダとは中国や台湾にとってどんな存在なのかを研究しはじめました」

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

 

パンダといえば中国のシンボル。これは全世界の共通認識と言えるだろう。けれども調査をしてみると、このイメージは意外にも比較的最近になってできたものであることがわかってきたそうだ。

 

「古代中国でパンダを他国への贈り物にしたという話は知られていないので、おそらく歴史上はじめて『パンダ外交』が行われたのは中華民国時代なのですが、その中華民国政府も1930年代なかばまでパンダがどんな動物かすら把握していなかったようです。中国の奥地に棲む珍しい動物にはじめて注目したのは欧米の人びとで、30年代後半には外国人によるパンダ狩りが横行します。そこで突然、中国の内部でも国の宝であるパンダを守らなければいけないという議論が浮上しました。1930年代末には外国人によるパンダ狩りを禁止する措置がとられ、その直後の1941年には、中国からアメリカの動物園にはじめてパンダが贈呈されます」

 

これが中国による初めての「パンダ外交」だ。1941年といえば、時代は日中戦争のまっただ中。中国はアメリカに支援を呼びかける戦略のひとつとしてパンダを贈ったのだ。じつはこれに先立って、アメリカやイギリスでは中国から持ち帰られたパンダが大人気となっていたそうだ。

 

「生きたパンダがアメリカにはじめて持ち帰られたのは1936年です。このとき動物園に人びとが殺到しパンダグッズが飛ぶように売れるという世界初の“パンダブーム”が起こりました。中国政府はそれを知っていて、それだけ人気があるパンダをあなたの国には差し上げますよ、という形で上手に利用したのでしょう」

 

欧米から「発見」されることで自国の貴重な財産に気付くという構図は、日本でいえば浮世絵の再評価にも似ているだろうか。浮世絵の場合は日本で評価される前に海外に大量流出してしまったが、そこをすかさず、効果的に外交に使うところに中国のしたたかさがうかがえる。

中国共産党政権下で「友好の証」として大活躍

さて、日中戦争から第二次世界大戦を経て時代は1940年代に。中国では内戦が勃発、1949年には中華人民共和国が成立する。パンダ外交の担い手も、台湾に逃れた中国国民党から中国共産党に引き継がれた。冷戦中にパンダが贈られた先は友好国のソ連や北朝鮮だったが、中国とソ連との関係は徐々に悪化。1972年にはアメリカと和解して、関係改善の象徴としてパンダが贈られた。同年に日本がそれに続き、上野動物園にカンカンとランランがやってきたのは有名な話だ。こうした流れで西側諸国に次々とパンダ外交が行われ、パンダは「中国が関係を強化したい国への友好の証」という地位を確立する。

 

けれども、そうしたセレモニー的な和解演出に至るまでの間にも、水面下の動きはあったと家永先生は言う。アメリカでは民間の動物園が50年代からパンダ誘致を中国に申し入れていたり、日本でも動物園関係者や親中派の政治家がパンダを日本に連れてこようとしていたりと、西側でもパンダ待望論は絶えなかったらしい。人びとの期待が集まるなか、ここぞとばかりに贈られてきたパンダが対中感情の改善に一役買ったことは想像に難くない。なにせあれだけかわいいんだから……。

 

「中国政府には外交上の思惑があるわけですが、パンダにはそうした屈託がないというか、パンダ自身が魅力的であることが中国のパンダ外交の大前提にあります。愛くるしい外見もそうですし、学術的な貴重さからくる関心もあるでしょう。加えて、パンダがいれば街が賑わうという経済的なメリットに魅力を感じる人たちもいます」

 

逆説的だけれども、パンダののほほんとした雰囲気、言ってしまえば「ノンポリな感じ」がパンダ外交には不可欠だったのかもしれない。

ワシントン条約で状況が一変、繁殖研究のためのレンタル制へ

中国と各国との友好ムードを盛り立ててきたパンダ外交だが、80年代に転機が訪れた。パンダはもともと個体数の減少が心配されていたうえに、食糧である竹が生息地で一斉に枯死してしまい、いよいよ絶滅の危機が叫ばれるようになったのだ。1984年にはワシントン条約でパンダの国際取引が原則禁止され、中国政府としてもおいそれと外国に贈ることができなくなるが、一方で各国のパンダ需要はおさまらない。

 

この時代に生まれた徒花が、高額のレンタル料と引き換えに国外のイベントなどにパンダを貸し出し、またすぐに返してもらうという“レンタルビジネス”だ。ワシントン条約の穴を突いたようなこの方法は当然ながら批判を浴びて、新たに「海外に貸し出す場合はパンダを保全するための研究目的に限る」という取り決めがなされる。こう聞くとパンダビジネスを続けるためのある種の妥協案のようにも聞こえてしまうが(そうした側面もないとは言えないが)、各国の動物園でパンダの繁殖研究は至って前向きに行われているそうだ。

 

「原産地だけで保全活動を行っていると、万一の天災で全滅してしまう可能性もないとは言えません。オスとメスのつがいを長期間貸し出し、拠点を世界中に分散させつつ繁殖研究をすることはワシントン条約に照らしてもメリットがあるということで、それ以降はこの『ブリーディングローン』と呼ばれる形でのみ他国がパンダを借り受けることができるようになりました」

 

この新しい枠組みのもと、1994年に和歌山のアドベンチャーワールド、2000年に神戸の王子動物園、2011年には上野動物園に新たなパンダがやってきた。とくにアドベンチャーワールドでは繁殖に大成功している。

日本の動物園で飼育されているパンダ(2023年6月現在。日本パンダ保護協会、恩賜上野動物園、アドベンチャーワールド、神戸市立王子動物園HPをもとに編集部が作成)

“パンダの神通力”は解けかけているという声も?

こうして見ると比較的コンスタントにパンダは来日しているようだが、日中のパンダを介した交流にも、それなりに紆余曲折があるのだと家永先生は言う。上野動物園では本来、2008年に新しいパンダを迎え入れる話があったが、当時の石原慎太郎都知事が「パンダ不要論」を展開してこれを跳ね除けたのだ。2000年代以降、日本の対中感情が悪化してきたことがこの背景にある。加えて、パンダのレンタル料はペアで年間100万ドルと高額だ。結局このときは地元の商店街や子どもたちが強い要望を出したこともあって、2011年に3年遅れでリーリーとシンシンがやってきた。

 

しかしそれ以降、尖閣問題などで日中関係がさらに冷え込み、新たなパンダの来日は叶っていない。仙台にパンダを送ろうという話もあるそうだが実現していないのは、歓迎されないのであれば贈っても/受け取っても仕方がないという日中双方の懸念があるためではないかと家永先生。

 

「完全に政治的な問題であれば受け取らなければいいだけだと私は思いますが、実際に保全のための研究もされていますし、経済効果としてもレンタル料以上のメリットが見込めるから呼びたいという側面もある。変数はひとつではありません」

 

世界を見渡せば、最近でも1年に1ペア程度は中国から各国にパンダが送られているという。しかし飼料の竹の調達や温度管理など、飼育にかかるコストも大変だ。2020年にはコロナ禍で竹の入手が困難になったとして、カナダの動物園が予定よりも速くパンダを中国に返還した。「パンダを返還せざるを得ない状況は各国の経済事情の悪化のためともとれますが、中国が振るってきた『パンダの神通力』が弱まってきたのではないかという意地悪な見方をする人もいます」。パンダにとっても現実はシビアなようだ。

独立路線か対中融和か、パンダから見える台湾の逡巡

さて、冒頭でも触れた台湾問題とパンダの関係についてもう少し詳しくお聞きしよう。

歴史的に見ると、中国国民党率いる中華民国と中国共産党率いる中華人民共和国は、どちらが中国を統一するかをめぐって真っ向から対立してきた。しかし、家永先生によれば、現在の台湾問題はもはやそうではないという。

 

「戦前の台湾は日本の支配を受けたため、中国本土と台湾は長らく分断されてきました。戦後になると、台湾は中国の内戦と国際的な米ソ冷戦に巻き込まれ、アメリカをはじめ西側との関係を深めます。90年代には国民党による抑圧的な政治への反発から民主化が起こり、『中華民国』という国名こそ残したものの、住民の間では『台湾は中国の一部ではなく台湾なのだ』という意識が強まっていきました。中国は台湾を自国の一部として統一したがっているが、台湾住民の多くはもはや中国統一をめざしていない。いわば『統一問題の片務化』という状況です。その結果、とくに2000年代以降、中国はとにかく台湾が独立国家になることを徹底的に防ぐ政策をとるようになってきました」

 

そんななかで台湾にパンダが贈られたのはとても意外に思えてしまう。どんな背景があったのだろうか。

 

「実は、台湾の国政選挙と関係があります。2004年の総統選で再選された民進党の陳水扁氏は、台湾独立を強く打ち出す政策をとりました。中国側としてはこれをなんとしても阻止しなければなりません。そこで、当時下野していた国民党を取り込むことにしたのです。国民党は中国統一を争ったかつての敵ですが、少なくとも台湾独立派ではなかったからです。そこで出てきたのが、中国から国民党のリーダーにパンダを贈るという話で、それをめぐって受け取る、受け取らないの議論がおきたのです。

そして迎えた2008年の総統選では、中国との関係重視をうたった国民党の馬英九氏が勝利します。そこで中国側は『国民党を勝たせれば良いことがあるぞ』というメッセージを台湾住民に伝えるべく、パンダを贈ったというわけです」

 

中国とうまくやっていきましょう、という当時の世論がパンダを受け入れたということか。台湾の人びとのアイデンティティをめぐる葛藤と、中国の台湾政策の機微が透けて見えるようで興味深い。

けれども2016年の総統選では再び民進党が躍進し、蔡英文政権が誕生する。香港のデモに対する中国政府の弾圧などもあり、現在はやはり中国からは一定の距離を置きたいという世論が主流のようだ。今、台湾の人びとは「中国の宝」であるパンダに複雑な感情を抱いているのでは、とついつい邪推してしまうが……。

 

「パンダを受け入れるときこそ葛藤はありましたが、台湾の人びとはパンダそのものには好意的です。休みの日には動物園のパンダコーナーに行列ができますし、新聞の文化面でもパンダがよく登場します。だからこそ、中国としてはまだ台湾にパンダを使って揺さぶりをかける余地があるとも言えるでしょう。2008年に中国から贈られたつがいのうちオスのトアントアンが昨年死んでしまったので、中国から新たにオスのパンダを受け入れるのかどうかが今また新たな論点になっているんです」

 

ううむ、たしかに「今、パンダなんか受け取っている場合か」という声も聞こえてきそうだ。同じぐらい「今だからこそ」という声もありそうだが、いずれにしても胸中は複雑だろう。

パンダは内政と外交を見通す「窓」である

現在は台湾の内政や国際関係についてさらに踏み込んだ研究に取り組んでいるという家永先生。東アジアの国際政治を知るうえでパンダとはどんな存在なのか、改めて伺った。

 

「台湾問題は非常に複雑ですが、パンダに視点を固定してみることで、台湾が国際社会に自分たちをどう見せたいのか、そして自国内をどうまとめていきたいのかという両面が見えてきます。このように、ある社会の内政と外交を見通す窓としてパンダは興味深い存在といえるでしょう。それはもちろん中国に関しても同じです。

 

最後に、中国の内政でパンダがどんな位置づけにいるのかについてお話ししておきましょう。

まずひとつのポイントは、パンダを自国の宝として扱う中国政府の考え方は、パンダの生息地と重なるチベットを含む領域、つまり、清朝が支配していたような広い領土意識と結びついているということです。さらに最近では、中国の一般の人々が使うSNSなどでもパンダを自分たちの宝物として見る向きが強まっています。政府からすれば、パンダが世界で愛されている様子を国内に向けて宣伝することで、現政権は国際社会に受け入れられているのだというアピールに使えるというわけです。いわば、『世界に愛されるパンダの国』として人びとの意識をひとつにまとめるということが行われている、と私は見ています」

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

 

このところ世界各地でナショナリズムが高まっているといわれるが、中国の場合はパンダがそのアイコンのひとつになっているというわけだ。その対岸には国際社会がパンダに注ぐ熱視線があるわけだから、結局のところ、世界ぐるみで無垢な野生動物を政治的な『宝物』に担ぎ上げてしまっているのかもしれない。また一方では、パンダはその注目度の高さゆえに野生動物の保全の象徴にもなっている(WWF:世界自然保護基金のシンボルマークがまさにパンダだ)。ものごとは簡単にはわりきれないものだ。

 

誰もがとかく結論を急いでしまいがちな昨今、ときにはいろいろな思惑が絡み合う状況を白黒まだらのまま考えてみることも大切だ。そんな意味でもパンダは格好の題材なのではないだろうか。

 

 

 

女性たちはなぜ戦地へ? 大阪公立大学女性学研究センター講演会「女性兵士が問いかける地平」で戦争とジェンダーを考える

2023年6月1日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

戦争とジェンダーと聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

真っ先に想像するのは、兵士として戦地に赴くのは男性で、女性は男性不在の家を守る、あるいは、戦地で負傷者の看護など後方支援の役割を担う……というイメージではないでしょうか。世の中ではジェンダー平等の考え方が少しずつ広がっている一方で、戦争というイメージや実際の軍隊のなかでは、依然として強烈な男女二元論が温存されているようです。

 

そんななかでも、兵士として戦地に赴く女性たちがいます。女性たちはどうしてその道を選び、どんな体験をしてきたのでしょうか。そこに平和で平等な社会を実現するためのヒントはあるのでしょうか。2023年4月15日に大阪公立大学女性学研究センターと日本ナイル・エチオピア学会の共催で開催された講演会「女性兵士が問いかける地平―エチオピア、ルワンダ、ソ連、ウクライナの事例から」をレポートしました。

 増加する女性兵士

世界の女性兵士を取り巻く状況はどうなっているのでしょうか。各地域についての報告に先立って、大阪公立大学女性学研究センター主任の内藤葉子先生(現代システム科学研究科 教授)が趣旨説明を行いました。

 

戦争の問題はジェンダーの視点抜きには考えられない、と内藤先生は言います。というのも、冒頭に挙げたように戦争や軍国主義は社会における男女二元論的な考え方を強化することに加えて、女性はとくに戦時性暴力の被害者になりやすいなど、戦争の影響を受けやすい立場にあるからです。女性兵士はとくにそうしたジェンダー規範の影響を強く受ける存在ですが、一方で、二元論的な考え方を揺るがせる存在でもあります。ジェンダー研究者の間では、女性兵士は男性中心の軍国主義的な価値観を揺るがせうる存在となるのか、それとも女性が軍隊というシステムに取り込まれるだけなのか、議論がなされてきたそうです。

 

近年、女性兵士は世界的に増加傾向にありますが、その背景には2000年に国連安保理決議1325号が採択されたことがあるそうです。耳慣れない用語ですが、これは「紛争予防、解決、和平プロセス、平和構築のあらゆるレベルの意思決定に女性の参加を要請する」という取り決めなのだそう。この取り決めに従って、国連が紛争地に派遣するPKOでは多くの女性隊員が戦後の平和構築に貢献しています。一方、武器を手に取り戦線に立つ女性も増加しました。政治的な意図をもって女性兵士を称揚するような言説からは距離を置きつつも、女性兵士を一括りにして論じるのではなく、個別の実態を知ることが大切だと内藤先生は指摘します。

 

女性兵士が置かれた個別の状況とはどんなものなのでしょうか。そこには地域ごとにさまざまな歴史や社会背景があるようです。

 旧ソ連とウクライナ、女性兵士たちの現実

一人目の発表者は、大阪経済大学の橋本信子先生(経営学部 准教授)。橋本先生の専門は東欧の地域研究で、今回はソ連とウクライナにおける女性兵士の事例を発表しました。

 

戦地に赴いた女性については古くから記録が残っていますが、本格的に女性が戦争に参加しはじめたのは第二次世界大戦からだと橋本先生。なかでもソ連軍の女性兵士は当時80万人もいたといわれ、後方支援だけでなく戦闘や破壊工作にも参加していたそうです。意外なのは、彼女たちが志願兵だったということ。なぜ多くの女性が戦争への参加を決意したのでしょうか。

 

社会主義国であるソ連では当時、男女平等に国の役に立つべきだという意識が非常に高められていたそうです。そうしたなかで航空士として頭角を現し、若い女性の憧れの的になったのがマリア・ラスコーヴァという女性でした。1941年に勃発した独ソ戦では、ラスコーヴァが率いた女性だけの飛行機部隊に若い女性が殺到します。こうした女性兵士の増加に当初は積極的ではなかったソ連軍も、男性兵士の人員不足を補うとともにジェンダー平等を内外にアピールするため活発に女性を動員するようになります。

 

しかし、女性兵士の現実は厳しいものでした。負傷や戦死の危険にさらされることはもちろん、軍隊内でセクハラを受け、帰還したあとも周囲から性的に乱れた人として差別的な扱いを受けるなど、戦中、戦後にわたって苦しい立場に置かれたそうです。さらに、戦後の社会は女性に対して多くの子どもを生み育てることを一番に期待したため、男性と同じように戦争での功績を評価されることは稀でした。一部のエリート的な女性兵士の回顧録は例外として、無名の女性兵士が体験した辛い現実に光が当てられるようになったのは80年代に入ってからのことだそうです。

 

元女性兵士たちは戦争で受けた心身の傷を誰にも顧みられず、さらに反動のように「女性らしさ」を押し付けられるという二重の苦しみを負っていました。社会の大きな流れのなかで簡単にかき消されてしまう声をすくい上げることがいかに大切かを考えさせられます。

 

ソ連崩壊を経て、かつてのソビエト的なものへの反感から退役軍人への敬意は薄くなっていきますが、現在のプーチン政権下では再び愛国主義が盛り上がり、セクハラや差別に屈しない「強い女性兵士像」が描かれるようになっているといいます。

橋本信子先生

橋本信子先生

 

ソ連崩壊によって誕生したウクライナではどうでしょうか。

他の旧ソ連国と同じく、ウクライナももともと家父長制が強く、雇用や政治への参加などさまざまな面で男女間の格差が大きい国です。そんなウクライナでは近年、女性兵士の地位が見直されてきているといいます。

 

ウクライナでは、親露派の大統領に抗議するため人々が決起した2013年のマイダン革命ののち、ロシアからの支援を受けた東部分離派とウクライナ軍との戦闘が激化しました。このときに自国の独立を守るために戦線に向かう女性が増加しましたが、ここでも女性は戦闘員にはなれず、給与面でも男性と差があったといいます。結果として、多くの女性は軍の正規の戦闘員ではなく自衛団の一員として戦地に赴いたり、後方支援部隊として登録して戦闘に参加したりと、モチベーションの高さとは裏腹に後ろ盾の弱い状態で危険な戦闘に身を投じることになります。

 

ある女性は、マイダン革命がきっかけで自衛団に入団し東部の戦闘に参加するものの、脳を損傷して後遺症を負うことになりました。しかし正規の戦闘員ではないため軍からの補償が不十分で、失業手当や友人らの支援を得て生活しているそうです。

 

こうした状況を受けて女性兵士の地位の改善を求める運動が展開され、2016年に法改正が実現します。新しい法律では、軍で女性が就くことのできる職種や役職が拡大され、正式に戦闘にも参加できるようになりました。国連安保理決議の方針とも合致するこうした変化を、ウクライナの世論やジェンダー問題の研究者は肯定的に受け止めているといいます。

 

「ただ、それは進歩と捉えていいのでしょうか。私は留保したいと思います」と橋本先生。ソ連の例を見ると、高い志を持って戦地に向かった女性を待っていたのは、戦後の大きな揺り戻しでした。今後のウクライナではどうでしょうか。また、女性が戦地に赴くことは、社会全体が軍事化していく流れにつながるともいえます。大きな流れのなかで誰かが切り捨てられていく状況を注視していく必要がある、と発表を締めくくりました。

エチオピア、抑圧された日常を逃れて兵士になった女性たち

続いての発表者は上智大学の眞城百華先生(総合グローバル学部 教授)。眞城先生が取り上げたのは、1975~1991年のエチオピア内戦における、ティグライという地域の女性兵士の状況です。当時、エチオピアでは軍事政権に対抗していくつもの解放戦線が戦闘を展開していました。そのうちのひとつ、ティグライ人民解放戦線(TPLF)は、欧米の思想に触れたエリート学生たちを中心として1975年に結成。武器を手に取り軍事政権と戦ったなかには、2~3万人の女性兵士がいたそうです。

 

彼女たちが戦線に参加した背景には、TPLFが当時のアフリカとしては先進的な女性解放運動の側面をもっていたことが関係しています。農村居住者が大半をしめるティグライでは厳格な家父長制が根強く、女性は重い労働負担を負い、父親や配偶者の所有物のように扱われていました。TPLFはこうした農村を軍事政権から守るかわり、女性の財産権の保障や教育の向上、政治への参加といった当時としては先進的な考え方を持ち込み、浸透させていったそうです。それまで抑圧されていた女性たちは積極的にTPLFの活動に参加し、兵士として志願して戦闘に加わるようになりました。眞城先生が行った聞き取り調査では、女性兵士になった理由として「家父長的慣習やジェンダー規範から逃亡し、開放されたかったから」と答える女性が非常に多かったそうです。実際にTPLFの部隊内では性暴力の禁止や男女平等が徹底されていたようで、「兵士となって初めて男女平等を経験した」と証言する女性もいるほど。TPLFという場が女性たちにとっていかに魅力的だったかがわかる反面、日常よりも戦場が救いとなるような当時の状況を思うと胸が痛みます。

 

1984年にはTPLFの内部にティグライ女性兵士協会が設立され、ティグライ社会の女性問題に対する「10の約束」が公表されます。このように、女性兵士は戦闘だけでなく、女性解放のために自ら声を上げる存在になっていきました。

 

軍事政権の打倒後、TPLFは国政政党のひとつとして政治に関わり、女性解放を推進していきます。一方で、エチオピア国軍として部隊に残ることができたのはTPLFのなかでも男性兵士だけで、ほとんどの女性兵士は職を失うことになりました。また、エチオピアでも先のソ連と同じような揺り戻しがやってきて、元女性兵士に対する蔑視や家父長制の強化が見られるそうです。

 

エチオピアでは2020年から新たな内戦が勃発し、TPLFは再び反政府勢力となっています。眞城先生はこのことで元女性兵士たちから新たな証言が出てくるかもしれないとしつつ、「女性が解放闘争に参画したことでその社会のジェンダー規範がどう変わったのか、その女性たちが変革主体としてどう評価されているのかをこれからも検証していかなければなりません」と締めくくりました。

眞城百華先生

眞城百華先生

ルワンダ、軍事化する社会とアイデンティティに葛藤する若者たち

最後は、愛媛大学の近藤有希子先生(法文学部 講師)がルワンダにおける軍事化の進行と若い女性の選択について発表しました。

 

長い間フトゥとトゥチの人びと間で抗争が繰り返され、1994年には大虐殺で100日間に50万人が犠牲になったルワンダですが、内戦集結後はトゥチ系の政権によってエスニシティ(民族主義)の否定と男女格差の是正が進められ、現在では下院議員のじつに61.3 %を女性が占める国となっています。こう聞くと聞こえはいいもの、実際のところはトゥチに偏った権力構造の隠蔽と対外的なアピールのための施策にとどまっているのではないかと近藤先生は指摘します。

 

また、ルワンダでは近年、軍事化が進行しているといいます。都市部では銃を持った軍人が巡回し、国家の政策に異を唱えるような言論を取り締まることができる法律が制定されました。さらに、社会的に弱い立場にある人々や学生、教師らに対して思想教育を含む「再教育キャンプ」が実施されるなど、軍国主義の空気は人々の生活の中に入り込んでいます。

 

発表では、近藤先生の友人であるAさんとRさんの事例が取り上げられました。2人はそれぞれルワンダ東北部と南西部の農村に暮らすフトゥの若い女性で、ともに軍隊に志願した経験があります。彼女たちが軍隊に入ろうとした理由には、ルワンダ社会の変化も関係しているようです。

 

農業が盛んなルワンダでは、従来、父から息子へ土地を分け与える形で経済が営まれてきました。しかし近年では人口の急増により土地不足が加速し、農村は危機的な状況に。若者はむしろ貨幣経済での成功を夢見て、都市に集まる傾向にあるそうです。女性の財産権を保証する法整備と相まって、若い世代では経済的に自立した「強い女性」への憧れが生まれているといいます。

 

当時学生だったAさんは、近藤先生に対して「軍に入れば強くなってユキのボディーガードにもなれる」と言い、またRさんは「私が貧しいままだと、恋人は他のお金持ちの子をつかまえるかも」と志願の動機をもらしたそうです。こうした言葉の端々から、自立した強い女性への憧れと、経済的な苦境が彼女たちを軍隊という選択に向かわせたことが見て取れます。一方で、家族や恋人は彼女たちが軍隊に入ることをあまり良く思っていないようで、そこには「女の子なのに」という言葉がつきまといます。そのためAさんは、恋人に対して軍隊ではなく警察に入るのだと嘘をつきます。

 

もうひとつ注目すべきは、Aさんが近藤先生に対して「自分はトゥチの血筋だ」と出自を偽っていたという話です。トゥチが優遇される社会で、彼女たちはジェンダーだけでなく民族的アイデンティティにも葛藤を抱えているのです。

 

結局、2人が軍に入隊することはなかったそうです。個人にとっては自分の人生を歩むための積極的な選択だったとしても、農村部の若者が行き詰まった現状を打開するために軍に入隊するという社会構造自体が大きな問題をはらんでいる、と近藤先生。

 

現状からなんとか抜け出したいという希望を持った若者が軍事化に絡め取られていく。もしそれが自分の友人だったら、どんな顔でその前途を応援すればいいのか……遠い国の話ではなく、今ここにいる私たちにも突きつけられている問題のように感じました。

近藤有希子先生

近藤有希子先生

女性兵士という存在が問いかけるもの

3名の発表を受けた同志社大学の秋林こずえ先生(グローバル・スタディーズ研究科 教授)のコメントが印象的でした。秋林先生も参画するフェミニスト平和運動では、冒頭に挙げた国連安保理決議1325号の採択に尽力してきたそうです。そのねらいは、ジェンダー二元論を強化する軍事主義に対抗して、ジェンダー平等をめざすことで世界の紛争をなくそうというものでした。けれど現実には、多くの女性を戦地に送り込み、社会全体の軍事化を加速させる方向に作用してしまっています。

 

そこで秋林先生は問いかけます。女性兵士という存在は、社会のジェンダー規範を変える前に軍事主義に取り込まれてしまったのか。それとも、女性が軍の中に入ることで、ジェンダー二元論や軍事主義を揺るがすような兆しは見えたのだろうか?

 

この投げかけに対する橋本先生、眞城先生、近藤先生の回答は、一時的なジェンダー平等の機運の高まりはあるかもしれないが、女性兵士という存在が社会全体を変えられるかどうかには疑問がある、というものでした。眞城先生は、「女性兵士に担わせるにはあまりにも重すぎるテーマなのでは」としたうえで、女性兵士がいるような状況がなぜ生まれたのかを議論するきっかけを作っていければ、と答えました。

 

 

近年、日本では戦争について語ることや、戦争を知っている人の話に耳を傾けることが難しくなってきているように思います。その一方で、日本社会を巡る状況はむしろ「戦前」に近づいているのではないか、という声も聞かれます。人を抑圧する社会がいかに戦争へと向かっていってしまうのか、そこで人々はどんな体験をしてきたのか、今こそ知り、語っていくべきことだと思いました。

 

神話と地層からひもとく「国引きの大地」の歴史! 島根大学の入月俊明先生に聞いた、ロマン溢れるジオパークの世界。

2023年4月20日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

AIが何でも答えてくれる世の中になっても、神様や怪物が活躍する神話・伝承のロマンは色あせない。それは古代の人々の想像力をとおして、世界の驚異を再発見できるからではないだろうか。たとえば大地はどうやって生まれたのか、地震や水害はなぜ起こるのか――こうした驚きや疑問は、現在では地球科学という学問に結実している。

 

そんな壮大な神話・伝承の世界と地球科学のつながりを学ぶのに格好の場所がある。島根県松江市と出雲市にまたがる「島根半島・宍道湖中海ジオパーク」だ。島根大学で古生物学・地質学を研究し、ジオパークの教育普及活動にも取り組む入月俊明先生に、大地と人がおりなす出雲地方の歴史、そしてジオパークの役割についてたっぷり教えていただいた。

お話を伺った入月俊明先生

お話を伺った入月俊明先生

「国引き神話」が息づくジオパーク

そもそもジオパークとは、大地や地球を意味する〈geo〉と公園を意味する〈park〉をあわせた言葉だ。「簡単に表現すると、地球科学的に意義のある場所や景観が計画的に保全され、観光や教育などに活用されている地域、ということができるでしょう」と入月先生は教えてくれた。国内のジオパークには日本ジオパーク委員会が認定する日本ジオパークとユネスコが認定する世界ジオパークの2種類があり、日本全国のジオパークの数は2023年3月現在でなんと46箇所にのぼるという。意外に身近な存在のようだ。

 

そのうちのひとつ、島根半島・宍道湖中海ジオパークは、島根半島と中国山地、その間に挟まれた出雲平野や汽水湖である宍道湖と中海と、さまざまな地形を含むエリアである。島根大学が旗振り役となり、自治体や地域の人々の熱心な取り組みによって2017年に日本ジオパークに認定されたそうだ。そこで一体どんなことが学べるのだろうか?

 

「島根半島・宍道湖中海ジオパークには、『出雲国風土記の自然と歴史に出合う大地』というサブタイトルがついています。風土記とは、全国各地の文化や歴史、伝承などを記録した書物ですが、そのなかで唯一ほぼ完全な形で内容が現代に伝わっているのが、733年にできた出雲国風土記なのです。島根県には当時記された景観がまだ多く残っていることもあり、出雲国風土記に代表されるような歴史や文化を育んだ大地を地球科学的な視点で見てみよう、というのがこのジオパークのコンセプトとなっています」

 

スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治や国譲り神話をはじめ、超有名な神話・伝承が数多く伝わる出雲地方だが、そのなかでも出雲国風土記に登場する「国引き神話」はとくに地元で親しまれているそうだ。「『くにびきマラソン』に『くにびき国体』、島根ではとにかくいろいろなものに『くにびき』という言葉がつきます」と入月先生。

 

「国引き神話とは、神様(八束水臣津野命・やつかみずおみつぬのみこと)が国をつくったときに、出雲は小さすぎるので、韓国(新羅の岬)、隠岐島(隠岐・佐岐)、能登半島(越の都都)から4つの土地を綱で引っ張って繋ぎ合わせた……という神話です。このつなぎ合わされた土地が島根半島で、綱を結えつけた山が三瓶山と大山、綱は海岸線になったといわれています」

 

土地を引っ張ってきてつなげてしまうなんて突飛な発想に思えるが、言われてみれば島根半島の不思議な形、どうやってできたのかとても気になる。それを知るためには、出雲国風土記よりもさらにずっと昔に遡る必要があるそうだ。

神様が海の向こうから土地を引っ張ってきた!?

神様が海の向こうから土地を引っ張ってきて島根半島を作った!?

地質や地形から見えてくる大地の歴史

入月先生によると、島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質学的な個性として、「数千万年前から現在に至るまでの特徴的な地層や岩石を連続的に、比較的コンパクトなエリア内で見ることができること」があるという。まず見てほしいのが出雲地方の地質図。塗り分けられた色だけを見ても、島根半島側と中国山地側、その間に挟まれた平野と宍道湖・中海エリアで組成が全く違うことがわかる。

地質図

島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質図.入月俊明ほか(2023)島根半島・宍道湖中海ジオパーク(松江・出雲)の岩石・地層パンフレットをもとに改変

 

この図を頭に入れつつ、時系列に沿ってその成り立ちを教えてもらった。

 

中国山地側は主に花崗岩からなる古い岩石があり、日本列島がまだ大陸の一部だった頃のものだそうだ。約2000万年前には火山活動によって大地が割れ、湖や川ができた。島根半島を形作っている地層はこれ以降にできたもので、湖や川だった頃の泥の上についたワニの足跡や、スッポンやビーバーの化石も見つかっているという。さらなる火山活動で裂け目は広がり、海水が流れ込んで日本海ができる。

日本海ができる前に川や湖だった地層から発掘された様々な化石

日本海ができる前に川や湖だった地層から発掘された様々な化石

 

1500万年前頃には、フィリピン海プレートが沈み込むことで現在のように曲がった形の日本列島の形が徐々にできてくる。このときから中国地方は押し上げられるように隆起したそうだ。ジオパークにはこの時期の火山活動などに由来するダイナミックな地形・地質がたくさん残っている。島根半島にある国の天然記念物の「多古の七ツ穴」はその代表だ。それだけではなく、生物相も豊かだったようだ。「東日本の日本海側は当時深い海の底だったため、この時期の化石はあまり産出しないのですが、中国地方の日本海側は海が押し上げられて浅かったため、貝や魚、アシカやアザラシ、クジラの骨といったたくさんの化石が見つかっています」。

火山活動によって複雑に入り組んだ地質が形成され、もろいところが海水に侵食されて洞窟のようになったものが「海食洞」。9つもの海食洞が連なる「多古の七ツ穴」(松江市島根町多古)は巨大な生き物の巣のようにも見えてくる。写真提供:召古裕士氏

火山活動によって複雑に入り組んだ地質が形成され、もろいところが海水に侵食されて洞窟のようになったものが「海食洞」。9つもの海食洞が連なる「多古の七ツ穴」(松江市島根町多古)は巨大な生き物の巣のようにも見えてくる。写真提供:召古裕士氏

「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形(松江市島根町須々海海岸)。海底の斜面を砂や泥の混じった乱泥流が流れ降り,砂と泥が交互に重なった層ができ、堆積岩となる。その地層が海面上に隆起し、波の侵食を受けることで細かく割れやすい泥岩の層がへこみ、独特の凸凹が形成される。写真提供:召古裕士氏

「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形(松江市島根町須々海海岸)。海底の斜面を砂や泥の混じった乱泥流が流れ降り,砂と泥が交互に重なった層ができ、堆積岩となる。その地層が海面上に隆起し、波の侵食を受けることで細かく割れやすい泥岩の層がへこみ、独特の凸凹が形成される。写真提供:召古裕士氏

 

1200万年前ごろには、フィリピン海プレートに押された海底がシーツの皺のように隆起して、現在の島根半島にあたる土地が海底から姿を現す。島根半島を南北方向に切って断面を見てみると、地層はぐにゃぐにゃに曲がり(褶曲)、いくつもの断層が走っている。

 

「この地層の褶曲や断層が、現在見られる山や谷といった地形ときれいに一致しているんです。さらによく見ると、島根半島全体は山と山の間にできたくぼみ(折絶)によって4つのブロックに分かれていることがわかります。古代の人々は、この景観を見て国引き神話を生み出したのではないでしょうか」

断面図

山地~平野部~島根半島の断面図。点線は地層が傾いたり、曲がっていること(褶曲)を示し、黒い太線は地層がずれていること(断層)を示す。

サブエリア

島根半島は地形によって4つのサブエリアに分けることができ、それらは4つの土地に相当する。各土地の境目を折絶と呼んでいた。図版提供:島根半島・宍道湖中海(国引き)ジオパーク推進協議会

 

国引き神話で大陸から土地を引っ張ってきたという点も、4つの土地をつなぎ合わせて島根半島ができているという点も、科学的な仮説と比較してみると当たらずとも遠からずなのだ。神話が真実とは言えないものの、景観から大地の記憶を読み解こうとした古代の人々の想像力にはただただ驚嘆するしかない。

 

さて、時は下って縄文時代ごろ。海面上昇によって中国山地と島根半島の間に海が入り込み、深い湾ができる。さらに、中国山地から流れ出た土砂が島根半島でせき止められて、平らな砂州や入り江が発達する。これが現在の出雲平野で、山地と半島の間に取り残された海が宍道湖・中海という汽水湖になった。

 

こうして長い時間のなかで、何度も複雑な過程を経て現在の景観が出来上がってきたのだ。神話や伝承よりもさらに壮大な大地のロマンを感じるのは筆者だけではないだろう。

大地の恵みに支えられた出雲地方の人々の営み

人の営みにも目を向けてみよう。島根半島が大陸から吹きつける北風を防ぐ壁の役割を果たしたため、平野部には人が住み着き、港ができた。古代においては大陸に面した日本海側が交易の拠点となっていたため、いろいろな人が海を渡って出雲平野にたどり着き、住み着くようになる。こうしたなかで豊かな文化が育まれていった。「土砂の堆積によって年々広がってゆく土地、そして海の彼方からやってくる人々との交流から、国引き神話が生まれたのかもしれません」。

 

島根県の特産品である宍道湖のシジミや出雲蕎麦などの食材は言うに及ばず、出雲地方の伝統産業である製鉄も大地の歴史の上に成り立っている。

 

日本列島が大陸の一部だった頃の大地を構成する花崗岩は、鉄を多く含んでいる。そのため、出雲地方では花崗岩由来の砂粒の中から砂鉄を取り出して製鉄する技術が発達したそうだ(もののけ姫にも登場する「たたら製鉄」がこれにあたる)。砂粒を洗い流して砂鉄を取り出す鉄穴流し(かんなながし)が行われていたのが、中国山地から宍道湖へと流れ込む斐伊川(ひいかわ)。一説によると、度々氾濫を繰り返して人々を苦しめた斐伊川はあのヤマタノオロチのモデルになったとも言われている。

それだけでなく、製鉄は地形すらも変えてしまう。鉄穴流しで流された砂が斐伊川の河床に大量に溜まったために、周囲の平地よりも海抜が高い「天井川」になっているそうだ。

砂の堆積により天井川となった斐伊川

砂の堆積により天井川となった斐伊川

 

島根県と関わりの深い石材も大地の恵みの産物だと入月先生。出雲日御碕灯台や美保関灯台をはじめ建材や石畳に使われている森山石は、日本海ができる前の湖や川などに堆積した砂や泥に由来する堆積岩で、島根半島東部で産出する。一方、軟らかくて加工がしやすいため石灯籠や狛犬などに用いられる来待石(きまちいし)は、火山活動が活発だった1400万年前頃に火山灰と砂が混ざって海底に堆積した結果できた堆積岩で、松江市で採掘が行われている。こうした人間の営みもまた、大地の歴史の一部として未来に残っていくのだ。

柱状節理日御碕

石造灯台としては日本一の高さを誇り、国の重要文化財にも指定されている出雲日御碕灯台(写真右手)にも森山石が使われている。眼下に広がる大地は、1600万年前の海底下にあった流紋岩の溶岩ドーム(ドーム状の地形をした溶岩)で、柱状節理(溶岩の冷却時の収縮に伴う割れ目)が顕著に発達している。

過去と現在を知り、未来を予測する研究の舞台

島根半島・宍道湖中海ジオパークは学んで楽しむだけでなく、最新の学術研究の舞台でもある。どんな研究が行われているのだろうか。

 

「私たちが現在主に取り組んでいるのは、宍道湖・中海の湖底の堆積物を採取して縄文・弥生時代の気候変動の様子を調べる研究です。堆積物に含まれるプランクトンや小型底生生物などの非常に小さな化石を調べることで、当時の気温をはじめとする環境変化がわかるのです。中海は過去に干拓事業が行われ、現在またそれをもとに戻そうという動きもあり、人間の活動が環境に及ぼす影響がダイレクトに観察できる貴重なスポットです。過去から現在に至る環境の変化が明らかになれば、私たちの活動が未来の環境に及ぼす影響も予測できるようになるかもしれません。

 

さらに昔、人間が登場する以前の地質時代に関しては、学生といろいろな場所で化石を採取して環境変化や生物の進化を追っています。たとえば私の研究室所属の博士後期課程のある学生は、日本海に魚類がどのように入ってきて多様化していったのかを化石から明らかにしようとしています。珍しいところでは、日本最古の鮎の化石も島根から見つかっているんですよ」

宍道湖で取られた柱状堆積物

宍道湖で柱状堆積物を採取する

宍道湖南岸工事現場での化石調査

宍道湖南岸工事現場での化石調査

 

低地で汽水湖が発達している島根半島・宍道湖中海ジオパークは、とても研究に適した場所なのだそうだ。そんな貴重な学術的基盤を支え、未来に向けた提言を行っていくことが大学の役割なのだと入月先生は語ってくれた。

 

最後に、ジオパークや身近な景観を楽しむためのポイントは?

 

「特徴的な景観を目にしたときに、どうしてそんな景観ができたのかを想像してみるといろいろな発見があります。そのとっかかりとして、地元のジオガイドさんに案内してもらうのもいいでしょう。目で見るだけでなく特産品を味わったり、シーカヤックなど体験型のレジャーに挑戦したりと、その土地を五感で楽しんでみてください。

 

研究者として一番嬉しいのは、風景や地形を入り口にして地球科学に興味を持ってくださることです。高校では地学を教わらなかったという人も多いのですが、地球そのものを扱う大切な学問です。大地の恵みはもちろん、地震や火山活動といった自然災害について知ってうまく付き合っていく上でも、ジオパークを活用していただければと思います」

 

 

山々や海岸線、あるいは街なかのちょっとした起伏にも大地のロマンは隠されている。古代の人々になったつもりで想像を膨らませてみてはいかがだろうか。

 

大学アプリレビューvo.25 ドライアイをおてがるチェック。順天堂大学「ドライアイリズム」

2023年4月11日 / コラム, 大学アプリレビュー

目玉がゴロゴロ、まばたきシパシパ。デスクワークをしているとなかなか避けられないドライアイですが、「ちょっと目が乾いているだけ」なんて放っておくと、頭痛や視力低下につながることもある侮れない疾患です。 今回は、順天堂大学発のアプリ「ドライアイリズム」をご紹介。2分程のテストでその日のドライアイの状態がチェックできるだけでなく、毎日の計測データを提供することでドライアイの研究に活用される双方向型のアプリとなっています。 最近ずっと目が疲れがちな筆者が、実際にアプリを試してみました!

 

iOS の画像 (3)

まずは基本情報を入力。一見「これってドライアイに関係あるの?」という項目もありますが、ビッグデータ解析にかけられるため正確に答えておきましょう。

 

 iOS の画像 (2)

こちらがホーム画面。調査項目がいくつかあるようですが、まずはドライアイ測定をやっていきましょう。

ドライアイ測定の項目は、

・まばたき測定(30秒で何回まばたきするか)

・まばたき我慢(まばたきを何秒間我慢できるか)

・OSDI診断(目の症状に関するアンケート調査)

の3項目で所要時間は2分程度。まずは、まばたき測定から。

IMG_5627

こんなかんじでガイドの位置に顔を合わせると、自動でまばたきの回数を計測してくれます。そして……

IMG_5628

9回! 3秒に1回もまばたきしている計算。思ったよりもめちゃくちゃまばたきしていました。

今度はできるだけまばたきを我慢して、その秒数を診断しますが……アイタタタ。あっという間に目が乾いて全然我慢できませんでした。

IMG_5629

6.2秒。どうも長いほうではなさそうですね。

このあと、ドライアイの診断で用いられる目の症状に関するアンケートに応えて診断終了です。結果は……?

IMG_5630

正式な診断ではないものの、やっぱり軽度のドライアイとの結果。薄々わかってはいましたが、他人から指摘されるとちゃんと目を労ってあげないと……という気持ちになります。

 

さて、一度ホーム画面に戻ります。

「生活習慣調査」、「うつ病チェック」はアンケート式の調査項目で、ドライアイ測定と合わせて毎日記録していくことで、睡眠時間などの生活習慣やうつ傾向とドライアイとの相関がわかるというもの。「労働生産性」は目の症状がどれだけ仕事や学業の能率に影響しているかを自己診断するものでした。

 

こうしたデータはアプリを通して開発チームに送信され、プライバシー情報を含まないビッグデータとして研究に役立てられるそうです。(アプリ初回起動時に研究協力の同意確認がありますが、同意はいつでも撤回できるようになっています。)

 

そのほかには、その日同じようにアプリを使っている人たちのドライアイ症状が地図上にマッピングされるドライアイマップや、日々の変化を振り返ることができるカレンダーなどの機能がありました。

iOS の画像 (1)

「みんなもドライアイなんだ」という連帯感を生むため……ではなく、地域ごとの気候やお天気による傾向を可視化するものだと思われます

 

 

ところで、どうしてドライアイのアプリに「うつ病チェック」が含まれているのか不思議に思いませんか? 調べてみると、順天堂大学医学研究科の村上晶教授、猪俣武範准教授らがまさにこの「ドライアイリズム」を使ってビッグデータ解析を行った研究結果を見つけることができました(プレスリリースはこちら)。

 

その研究結果とは、「ドライアイの自覚症状が重い人ほど抑うつ症状を併発していることが多い」というもの。なんでも、ドライアイとうつ病にはホルモン、代謝、神経学的不均衡など共通した危険因子があり、実際にアプリで収集したビッグデータを解析することで両者の相関関係が明らかになったそうです。ここからは筆者の想像になりますが、ドライアイの症状がある人はそれだけ生活習慣に問題を抱えていたり、デジタル環境でストレスを受けやすかったりもするでしょう。心のケアにも要注意かもしれません。

 

診断もお手軽だし、こんなふうに研究に活かされているのを知ると「続けてみようかな」という気持ちになりやすいかも。目の症状が気になる方は試してみてはいかがでしょうか。

 

記事を書き終え、目を労るために近所の公園でぼんやりお花を見てきました。春だなあ

記事を書き終え、目を労るために近所の公園でぼんやりお花を見てきました。春だなあ

時代、地域、ジャンルも超えて……異文化に触れる「音楽」記事まとめ

2023年3月23日 / まとめ, トピック

WBC日本優勝の興奮も冷めやらぬ中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
言語や地域の壁を超えて世界中の人々が熱くなれるモノといえば、音楽も負けていません。異文化同士の接触から生まれる音楽、時代を超えて生まれ変わる音楽……そんな「越境する音楽」にまつわる記事を集めました。

 

 

●ヘヴィメタルとポップ・ミュージックで民謡を。京都市立芸大のセミナーで聞くポピュラー音楽と民俗/民族音楽との関係 
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アルメニアの民俗音楽とポップ・ミュージックが融合した「東欧演歌」に、ヘヴィメタルに民族楽器や民謡風の音階を取り入れた「フォーク・メタル」。ルーツを求め、ジャンルを越境する音楽の系譜を紹介するセミナーレポートです。YouTube動画とともにどうぞ!

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/denon8_kcua2023/

 

 

●世界の大学!第4回:ヒップホップで外交する。ターンテーブルで授業する。ノースカロライナ大学、マーク・カッツ博士インタビュー
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文化における世界共通言語と言えるまでに成長したヒップホップですが、アメリカでは政府による外交プログラムにも取り入れられているそう。そのディレクターとしてアーティストとともに世界中を飛び回った研究者が、ヒップホップ外交の可能性や難しさについて語る貴重なインタビューです。

http://hotozero.com/column/world004/

 

 

●『蝶々夫人』だけではなかった 音楽のジャポニスム~京都市立芸術大学のセミナーをレポート
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近代化とともに西洋から日本に流入してきた印象の強い音楽文化ですが、実は19世紀のヨーロッパでは日本を題材にした音楽がブームになっていたそう。名ばかりの日本風から日本の音階や詩歌を取り入れ発展させたものへと、徐々に洗練されてゆく流れが興味深いセミナーレポートです。

http://hotozero.com/column/japonisme-music_kcua2022/

 

 

●EXPO’70を震撼させた音響を全身に浴びる! 京都市立芸大「バシェ音響彫刻」展レポート 
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1970年大阪万博を前衛的な音色で彩ったバシェ兄弟の音響彫刻。設計図もなくバラバラの状態で保管されていた「音を奏でる彫刻」が復元され、一堂に会した展示と演奏会のレポートです。自由で力強い響きを動画でお楽しみください!

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/kcua_baschet/

 

 

●楽器を通して時間や地域を越えた旅に出る~武蔵野音楽大学楽器ミュージアムの楽器コレクション 
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最後は、古今東西さまざまな楽器を収蔵する武蔵野音楽大学楽器ミュージアムの体験レポート。ナポレオン3世に贈られた豪華絢爛なピアノから『スーホの白い馬』でお馴染みのモンゴルの馬頭琴まで、海を越え、時代を越えて集まった貴重な実物展示の様子を紹介しています。

http://hotozero.com/enjoyment/learning-report/musashino-music_museum/

 

 

 私たちを異文化へと誘ってくれる魅力的な音楽の数々。体で感じ、背景を知ってもっと楽しんでみませんか?

 

ブックレビュー(2):「ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語」

2023年3月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していきます。

 

第2弾は、研究者の質問バトンで「犬はどこまで人間の言葉がわかるの?」という疑問に答えてくださった麻布大学の菊水健史先生と、同じく麻布大学の永澤美保先生の共著『ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語』を取り上げます。(編集部)


夢の中に昔飼っていたイヌが出てきて、人間の言葉であれこれ話してくれる。目が覚めてちょっとがっかりする……そんなことがよくある。筆者が犬と暮らしていたのはもう十年以上も前だけど、イヌと分かりあいたいという気持ちはなかなか消えない。

 

菊水先生への前回の取材では、イヌは身近な人間の言葉をある程度聞き分けたり、気持ちに共感したりしている……というお話を聞かせていただいたけど、本当のところ、私たちはイヌのことをどこまで理解できているのだろうか。そして、イヌたちは私たちの暮らしのなかで何を感じているのだろうか。

『ヒト、イヌと語る コーディーとKの物語』は、菊水先生(本文中では「K」)とそのパートナーであるスタンダード・プードルのコーディー、両者の視点から「ヒトとイヌが共にいること」を語るとてもユニークな科学エッセイだ。

 イヌとヒトの視点を行き来しながら描く日常

本書では、ブリーダーのもとで生まれたコーディーがKと出会い、成長し、たくさんの家族や仲間と絆を深めてゆく過程が描かれる。たとえば、まだ幼いコーディーから見たKとのボール遊びの場面はこんなふうだ。

 

「今日のKは、僕の大好きな「クジラボール」を投げて遊んでいる。Kは投げっぱなしなので、僕が拾いに行ってやらなければならない。これは青と白がはっきり分かれていて、芝生に落ちてもわかりやすいし、拾ってきてやるついでに軽く噛むとキューキューと音が鳴るのが楽しくて、僕はKにボールを渡して、もう一度投げるように促す。…」

 

コーディーは「ご主人様!」というタイプではないみたいで、Kに対する「仕方ないなあ」という態度がなんとも微笑ましい。続いて、同じ場面がKの視点から語られる(ちなみに、Kのパートは菊水先生ご本人が、コーディーのパートは永澤先生が執筆されている)。

 

「… 公園のボール遊びは楽しい。噛むと音の出るおもちゃは、おそらくイヌの狩猟本能を刺激するのか、一生懸命探して捕まえる。イヌの視力はヒトの五分の一から一〇分の一しかないが、その代わり動体視力は優れている。おそらく色を見るための錐体細胞が少ない分、明暗を見分ける桿体細胞が多くて、影の動きに対して敏感だからだろう。…」

 

コーディーがコントラストのはっきりした「クジラのボール」を気に入っているのには、どうやらイヌの目の仕組みも関係しているようだ。こんなふうに、イヌから見えている(であろう)世界、ヒトから見たイヌの様子、両者を橋渡しする科学の目によって、コーディーとKが共に暮らすさまざまな場面が描かれていく。やがて家族や仲間が増え、コーディーとKの関係も円熟していく様子がたまらなく良い。

 

本文3章扉絵より。実は、本書のイラストは筆者・谷脇が担当させていただきました。

本文3章扉絵より。実は、本書のイラストは筆者谷脇が担当させていただきました。

 進化のはてに、イヌとヒトが共にあるということ

見えている世界の違う者同士が、寄り添いあって生きている。イヌとヒトの関係は本当に不思議だ。

 

本書のまえがきで紹介されている研究によると、ヒトの親子の絆や信頼関係の形成に関係するオキシトシンという分子が、ヒトとイヌとの間でも作用しているという。ヒトの言葉を聞き分けたり共感したりする能力については以前の取材でもお聞きしたが、さらに、イヌはヒトと共生するようになって新しい表情筋を獲得した、という話も出てくる(上目遣いで訴えかけてくるような表情をするときの、 目の周りの筋肉だそうだ)。

 

イヌは進化の過程でヒトとともに生きることを選択し、コミュニケーションの手段を発達させてきた。コーディーとKの日常はとても個人的な体験として描かれているけれど、一方でこうした壮大な進化の歴史の一部でもあるのだ。

 

 

筆者は冒頭でイヌが喋る夢の話をしたが、イヌは喋れないのではなくて、ものすごく頑張ってヒトの声に耳を傾け、ヒトに話しかけているではないか。飼っていたイヌの話をもっと聞いて、もっと話しかけてあげればよかった……と少しだけ悔やんでいる。

イヌと暮らしている人にとって、本書は日常の見え方が変わる一冊になるだろう。イヌと暮らしたことのある人、これからイヌを迎える人にもぜひ読んでもらいたい。

 

菊水健史先生からのコメント

今回は研究者としてではなく、イヌの一飼い主として記載しました。自分の犬研究において、初めて迎い入れたコーディーとの実際の生活から学んだことが沢山ありました。研究的なことだけではありませんでした。イヌを迎えたことによる自分の生活の変化、特に生活の彩りがかわり、とても活動的な生活を送ることができました。今回は、そのようなコーディーへの恩返しの意味も含まれています。研究者のみならず、一般の方にも楽しんでもらえればと思っております。

 

永澤美保先生からのコメント

私のイヌ研究はコーディーとの出会いから本格的に始まったといっても過言ではありません。研究者の端くれとして、長らくイヌを擬人化したい衝動に蓋をしてきましたが、この本では思い切り解禁しました。でも、そうしたくなることこそがイヌの魅力です。この本を読むことで、皆さんも想像力たくましくイヌに寄り添い、イヌとの生活を楽しんでもらえることを願っております。

 

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