ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

ほとゼロ10周年記念トークイベント「珍獣Night」11月2日開催! 生き物にとっての〈私〉を3人の生物研究者が語る一夜

2024年10月3日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

「ほとんど0円大学」は今年でなんと10周年。この節目の年に読者のみなさまともっとお近づきになりたい!ということで、一般向けとしては初のトークイベントを開催いたします。おなじみの連載企画「珍獣図鑑」で取材させていただいた生物研究者3名をお招きして、ときにユルく、ときに熱く語っていただく企画となっています。

本日は、11月2日(土)に大阪の会場とオンラインで同時開催される「珍獣Night」の見どころを一足早くご紹介します!

 

◆ほとんど0円大学10周年記念トークイベント「珍獣Night」◆

日時:2024年11月2日(土)18:00~20:00

会場:MOTON PLACE(大阪・天満橋)・オンライン同時開催

参加費:会場500円(おみやげ付き)/オンライン無料

お申し込み締切:10月29日(定員に達し次第締め切らせていただきます)

詳細・お申し込みについては特設ページをご覧ください。

 

人間の常識は通用しない!? 生き物にとっての「私」に迫る

「珍獣図鑑」は、滅多にお目にかかれない珍しい生き物や、身近だけれど意外と詳しく知られていない生き物の研究者にお話を伺い、そのユニークな生態や最新の研究を紹介する名物コーナー。2020年にスタートし、これまで30種近くの生き物たちの生き様と、それに向き合う研究者のまなざしを紹介してきました。

 

そんな珍獣図鑑から生まれたのが今回のイベントです。テーマは「生き物にとって〈私〉とは何か?」

 

多くの人間にとって、〈私〉はただ一人、揺るぎないものという感覚があるもの。だからこそ、自己実現や人間関係といった悩みが尽きないわけで……。けれど生物の世界を覗いてみると、一生のうちに姿を大きく変えたり、いくつもに分裂したり、多数の個体が集まってひとつの生き物のように振る舞ったり、他の生物に寄生したり、寄生されたりと、〈私〉のあり方は決して一様ではないことに気付かされます。

 

それぞれの生物たちは一体どんな〈私〉を生きているのか? そもそも、生き物はどのようにして〈私=自己〉を獲得してきたのか? イベントでは、ナマコ研究者の一橋和義先生、アリ研究者の後藤彩子先生、変形菌研究者の増井真那さんをお呼びして、それぞれの生物の〈私〉について語り明かしていただきます。

ナマコ、アリ、変形菌の研究者によるクロストーク

「珍獣図鑑」でもとびきりユニークで驚きに満ちたお話を聞かせてくださった3名の登壇者を、過去の記事を振り返りながらご紹介していきましょう。扱う生物も研究内容もばらばらな3名のトークがどんなふうに展開されるのか、当日をぜひお楽しみに!

ナマコ研究者 一橋和義先生(東京大学医学部附属病院 助教)

ナマコの音受容を研究し、ナマコの生態を歌った楽曲も発表している一橋和義先生。「珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメ」では、海底の砂や泥に含まれるわずかな有機物を食べて暮らす省エネな生き方の秘密や、敵に襲われると消化管を吐き出す、毒をふりまくといったアグレッシブな一面を教えていただきました。とくに印象的だったのは、「人間とナマコは、ストレスに対する反応など似ている部分もある」というお話。ドロドロに溶けたり分裂したり、人間とは程遠いように思えるナマコはどんな〈私〉を生きているのか、さらに詳しく伺いたいと思います。

アリ研究者 後藤彩子先生(甲南大学理工学部 准教授)

アリ科の昆虫を研究し、女王アリだけでも数万匹を飼育する後藤彩子先生。珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる」では、社会性昆虫であるアリの繁殖分業のバリエーションや、10 年以上にわたり精子を体内に貯蔵して産卵し続けるという女王アリの驚くべき能力について伺いました。とくにキイロシリアゲアリは、複数の女王が協力してひとつの巣を作るという特異な生態があるそうです。巣全体で子孫を残すためにそれぞれ特化した役割に従事するアリたちですが、個と集団の間にどんな〈私〉を見出すことができるのでしょうか?

変形菌研究者 増井 真那さん(慶應義塾大学先端生命科学研究所(修士課程))

変形菌とはアメーバの仲間の単細胞生物で、不定形な変形体からキノコのような子実体へと変身し、胞子を飛ばして繁殖するというユニークすぎる生態の持ち主。増井真那さんは幼少期から変形菌の研究を続けています。「珍獣図鑑(10):アメーバ状からキノコのように変身! だけど菌類じゃなく動物でも植物でもない、不思議でカワイイ単細胞、変形菌」 ではその生態とともに、増井さんが変形菌の研究をはじめたきっかけなどについても伺いました。小学3年生のときから取り組んでいる研究テーマがズバリ「変形菌の自他認識」――変形菌はなぜ、どのように自己と非自己を認識しているのか、というもの。自身の姿を変えて世代交代するばかりか、他の個体と混ざり合うこともあるという変形菌の〈私〉についてたっぷり伺います。

 

会場参加者には特別なおみやげをプレゼント!

というわけで、10周年記念トークイベント「珍獣Night」のお知らせをお届けしました。ユルっとしつつもディープな、ほとゼロらしい一夜をお届けできるように準備を進めています。

 

そしてなんとなんと、会場参加の方にはおみやげとして、今回登場する生き物いずれかのアクリルキーホルダーをプレゼント! 鋭意制作中ですのでこちらもお楽しみに。

もちろん、遠方の方はオンライン配信をぜひご利用ください。一同、皆様とお会いできるのを心待ちにしています!

 

トークイベント「珍獣Night」特設ページ

 

【第10回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。大きな節目で何を・どう伝える? 周年広報のあり方とは。

2024年9月17日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、大学広報関係者を対象とした大学広報勉強会を定期的に開催しています(勉強会レポートの一覧はこちら)。2024年8月2日に開催した第10回勉強会のテーマは「目的もやり方も千差万別!? 周年広報を話し合う」。大学設立50周年、100周年……と大きな節目を迎える年は、大学の来し方を振り返り、未来へのビジョンを学内外に発信できる格好の機会です。けれど、周年と周年の間は5年、10年とスパンが開くため学内でノウハウを蓄積しづらいという側面も。

今回は日本福祉大学、青山学院、京都大学から担当者をお招きして、それぞれの大学での周年広報の事例について伺いました。

福祉の価値を再定義する、日本福祉大学 学園創立70周年プロジェクト

最初に登壇いただいたのは日本福祉大学 学園広報室長の榊原裕文さん。2023年に70周年を迎え、「Well-being for All~幸せを創造する大学へ~」というスローガンを掲げて2025年度までの3年計画で周年事業に取り組んでいる真っ最中です。特徴的なのは、周年事業を大学が抱える課題に取り組む契機として位置づけている点。「単発の打ち上げではなく、その後も継続する企画でなければ予算がつきません。周年の3年間で0を1にして、その後時間をかけて10まで積み上げていくということをこれまでも続けてきました」と榊原さん。では、今回取り組む課題とは?

日本福祉大学の榊原裕文さん

 

「世間から見た『福祉』と、本学が追求する『ふくし』の捉え方にはギャップがあります。福祉というと、世間では介護のイメージが強いですが、本学ではもっと広い意味で、「誰もがふつうにくらせるしあわせ」を考え、追求することを「ふくし」と捉えています。とくに福祉に馴染みのない若い世代に対して、どうすれば『ふくし』の価値を伝えられるかという視点で事業に取り組んでいます」

 

その事業のひとつが、70周年特設サイト内の「日本福祉大学チャレンジファイル」。日本福祉大学の教員らが、研究・教育・社会貢献活動に取り組む姿をインタビューや動画で紹介するコンテンツです。覗いてみると、スマート農業、生活保護バッシング、開発途上国の教育支援など、これも“ふくし”につながる問題なのかとハッとさせられるテーマがズラリ。ひとつひとつの記事の内容も充実していて、質・量ともにかなりの熱量です。事例紹介を通じて読者にふくしを「自分化」してほしいという思いで、最終的には70もの事例を公開する予定とのこと。この他にも、ソーシャルワーカーの源流と言われる浅賀ふさ氏の人生をたどるラジオドラマの制作、障害者アートによる中部国際空港のダストボックスのデザイン公募、障害者アートを使った新聞広告など、周年事業という枠組みの中で社会に向けた発信に取り組んでいるそうです。

「日本福祉大学チャレンジファイル」の紹介(発表スライドより)

 

最後は「福祉のイメージを変えるために、きちんと継続していく。より良く生きるということを発信し続けることを発信し続ける大学でありたい」と、周年という契機を長期的な視点で活かす大切さを語ってくださいました。

「青学マインド」を伝え共有する、青山学院150周年記念プロジェクト

次の発表は青山学院より、本部広報部 広報課長の髙木茂行さんです。学院創立150周年、大学としては75周年を迎える本年、青学では学内外を巻き込んだ周年事業を展開中です。

青山学院の髙木茂行さん

 

髙木さんによると、周年事業のねらいは150周年を祝うお祭り的な盛り上がりを通して在校生、卒業生、保護者など学院の関係者とのつながりを確認すること。その軸として最初に制定されたのが「響け、青学マインド。」というキャッチコピーでした。次に楽譜をイメージしたロゴマークを作り、学院内での周知をはかってきたそうです。

 

各部署から企画が上がり、まさに学院全体を挙げたお祭りとなっている周年事業。150周年特設サイトはそれらの情報を集約するポータルサイトとして位置づけました。

 

特設サイト内の「EverGreen150」は、教員、学生、卒業生など青山学院に関わるいろいろな人が、「1・5・0」にちなんだおすすめの作品を紹介するという一風変わったコンテンツです。その他にも、アンバサダーとして起用した学院ゆかりの芸能人へのインタビュー、青学の人や建物に関するクイズコーナーなど、いずれも「つながり」を感じさせるコンテンツが充実。著名人の起用によって学外からも注目を集めつつ、学内や卒業生一人ひとりが主役であることがしっかり伝わってきます。

特設サイト内のコンテンツ「EverGreen150」

 

11月の創立記念日に向けて、今まさにいろいろな企画が進行中。実務面でここまでを振り返って、各部署が主導する企画を全体として統括することに課題を感じていると髙木さん。学院を構成する各学校間の温度差が縮まればさらに盛り上がってくるのでは、とも分析します。

 

最後に、周年事業の意義について、「周年イベントを通して愛校心を育み、在学中はもちろん、卒業後も青山学院とつながり続けてほしい。また周年事業を通して『青学マインド』を確認し、新たなブランディングにもつなげていきたい」と締めくくりました。

長期スパンで周年を盛り上げる、京都大学125周年記念事業プロジェクト

最後の発表は、京都大学 成長戦略本部の小河布記子さん。2022年の京都大学創立125周年に向けて取り組んだプロジェクトについてお話しいただきました。京都大学の場合、周年広報の開始は4年前の2018年と早め。長期スパンの計画によって周知を拡大するとともに、広報と連携することで大学基金への寄付を募るという目的もあったそうです。

京都大学の小河布記子さん

京都大学の小河布記子さん

 

そこで重要になるのが、「いつ、誰に、何を」伝えるかということ。最初に取り組んだのはステートメントとスローガン、シンボルマークの制定でした。時計台の意匠を取り入れたシンボルマークは名刺や封筒、教職員がつけるピンバッジまであらゆる場所に展開して、学内への周知に活用。続いて記念広報誌を発行し、毎号巻頭に総長のメッセージを掲載して周年に向けた全学的な取り組みの機運を醸成していきました。

 

そして2019年に特設サイトがオープン。はじめに公開したのは、京都大学のルーツを掘り下げるコンテンツや各界で活躍する卒業生へのインタビューでした。こうした取材を通して、教職員や同窓生に周年を知ってもらうねらいもあったそうです。続いて、在学生や学内の若手研究者の活躍にスポットを当てたコンテンツで徐々に学生へも認知を広げていきます。さらに、京大周辺の思い出の場所とエピソードを投稿してもらう参加型コンテンツを公開。より多くの関係者に興味・関心を持ってもらえるよう段階的にコンテンツを充実させていきました。周年事業の集大成は、2022年6月と11月に開催された記念行事。その参加募集や開催報告にも特設サイトが活用されました。

京都大学創立125周年事業特設サイト。周年事業の終了後もアーカイブとして残されている

 

こうした広報活動と連携することで、研究・教育を支える寄付金も順調に集まったそう。4年に渡るプロジェクトを完遂するだけでも大変なことですが、さらにその先、次の周年に向けた引き継ぎが課題だと小河さんは語ります。実はそのことを意識して、打ち合わせや行事の裏方の様子なども録画で残しているのだそう。この徹底ぶりには驚かされます。「大学にとって周年とは通過点なのですが、同窓生も含めた大学関係者全員の思いを一つにして、未来に進むための大切な節目にもなると考えています」と締めくくっていただきました。

節目を祝う周年広報は、次の未来へ進む活力

休憩を挟んで後半は座談会。ここでは、周年広報の実務についての話題で盛り上がりました。

 

周年広報で避けては通れないのが、全学的な取り組みとして学内の認知を広め、協力体制を築くこと。認知の拡大については、周年のロゴマークのワッペンを作って学内に配布すると良い感触があった(青山学院・髙木さん)、周年のロゴマーク入りの名刺、発表スライド、Zoom背景などを作って浸透を図った(日本福祉大学・榊原さん)など、やはりロゴやキャッチコピーといったシンボルの力は大きいようです。京都大学の小河さんも、最初は一部局の取り組みのように捉えられて各部局との関係構築に苦労をされたそう。各部局が主催するイベントに125周年の冠をつけてもらい、その集客を広報でバックアップするなど、互いのメリットをすり合わせながら学内を巻き込んでいったというお話が印象的でした。

座談会の風景

 

周年広報でとくに手応えを感じた企画はどんなものだったのでしょうか。京都大学では、同窓生に寄稿してもらう企画がコミュニケーションツールとして役立ったといいます。「ぜひあなたに書いてほしい」と依頼すること自体が大学はあなたをリスペクトしているというメッセージになり、寄稿者から別の同窓生を紹介してもらうという広がりも生まれたそう。青山学院は芸能人を起用した企画で認知拡大をはかりましたが、髙木さんとしては著名人とそうではない卒業生・在校生がほどよく混ざりあったEverGreeen150に手応えを感じているそう。「投稿者にも満足してもらえる企画になった」と振り返ります。日本福祉大学の榊原さんは「継続性を重視しているので、今はまだ評価できない」としつつ、60周年を期に実施した「国際協力出願」や、50周年から現在まで継続しているエッセイコンテストを成功例として挙げてくれました。

 

目的や取り組みは三者三様でしたが、次の10年、50年、100年に向けて進んでゆくための活力として、周年広報の意義を改めて感じた勉強会でした。

抵抗、葛藤、そして誇りをビートに乗せて。パレスチナ・ラップについて慶應義塾大学の山本薫先生に教えてもらった。

2024年8月20日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

 

昨年10月以降、パレスチナ・ガザ地区ではイスラエル軍による侵攻によって多くの命が奪われ、地区内のほとんどの住民が避難生活を余儀なくされている。ヨルダン川西岸地区でも多くの人々が投獄され、事態が終息する兆しはなかなか見えないばかりか、長引けば長引くほど人々の置かれた状況は悪化してゆくばかりだ。

パレスチナの人々の苦しみは昨年いきなり始まったわけではない。イギリスによる委任統治期にパレスチナへのユダヤ人の入植が急増し、1948年にイスラエルが建国された。以来、80年近くに渡る占領・植民政策下で、人々は生命と自由を脅かされ続けている。

 

そんな現実をパレスチナからビートに乗せて世界に発信しているのが、パレスチナ人ラッパーたちだ。かれらはどんな現実を生き、どんな声を発しているのだろうか。パレスチナのラップミュージックを研究する山本薫先生(慶應義塾大学)にお話を伺った。
(冒頭の画像はイスラエルの都市ハイファでのDAMのコンサートの模様。提供:山本薫先生)

アラブの民衆を動かす抵抗文化としてのラップミュージック

まずはこの曲を聴いていただきたい。パレスチナ・ラップを代表するラップグループ、DAMの代表曲「Who’s The Terrorist」だ。

damrap · Who`s The Terrorist -(REMIX)مين ارهابي

 

「誰がテロリストだ? 俺がテロリスト? 自分の国に住んでるだけだぜ 誰がテロリストだ? お前がテロリストだ 俺は自分の国に住んでるだけだぜ」(和訳:山本薫先生。以下同様)とアラビア語で繰り返すフレーズによって、「イスラエルの支配体制に抗うアラブ人=テロリスト」とみなされる理不尽への抗議の意思がストレートに表現されている。昨年10月以来の状況を思い浮かべる方もいるかもしれないが、DAMがイスラエルでこの曲を発表して世界の注目を集めたのは2001年のこと。その前年の2000年にパレスチナで起きた民衆一斉蜂起(第二次インティファーダ)に触発されてできた曲だという。

DAMは山本先生が最も注目するラッパー/ラップグループのひとつだ。

 

映画や音楽といったポップカルチャーを通じて学生たちにアラブ文化を教え、パレスチナ問題にも関心を寄せてきた山本先生がパレスチナ・ラップに興味を持ったきっかけは、一本の映画との出会いだったそうだ。

 

「パレスチナのラッパーたちを追った『Slingshot Hip Hop』(2008年、アメリカ)という映画を知人に教えてもらったんです。ぜひとも観てみたいと思い、パレスチナ系アメリカ人であるジャッキー・リーム・サッローム監督を日本に招いて上映会を行いました。これが大きな反響を呼んで、2013年には『自由と壁とヒップホップ』という邦題で劇場公開されました。あわせて映画の中心的存在であるDAMの来日公演も実現し、その後もパレスチナのラッパーと交流を持ちながらパレスチナ・ラップを日本に紹介する活動を続けています」

 

 

YouTubeで公開されている『自由と壁とヒップホップ』のダイジェスト版には、DAMの来日公演の様子も収められている。こうして現在進行系のパレスチナ・ラップと邂逅した山本先生だが、その後、伝統的なアラブ文化とラップとの接点に気付かされる出来事を体験したという。

 

「2010年代初頭に、アラブ諸国の民主化運動〈アラブの春〉が起こり、民衆の抗議運動によってエジプトのムバーラク大統領が辞任に追い込まれるなど世界に大きな衝撃を与えました。そんな一連の出来事のなかで私が心を惹かれたのは、音楽や詩が社会を動かす役割を果たしていたことです。詩人が壇上に立って民衆を鼓舞したり、若いミュージシャンがそれに曲をつけたものがSNSで拡散されたり……そんなうねりの中にラッパーの姿もありました。調べてみるとエジプトだけでなく、リビアやシリア、その当時アラブの春の動きが及んでいたどこの国でも、若い人たちがラップで意思を表明して、多くの人の心を動かすという現象が起きていました。映画を通して知っていたパレスチナ・ラップと、アラブの抵抗の文化が自分の中でつながった瞬間でした」

 

山本先生によると、アラブ圏では古くから、詩で自分たちの価値観や歴史を表現することが政治や生活で重要なこととされてきたそうだ。独特の音楽的なリズムを持つアラブ詩は、歌や楽器とともに人々の耳を楽しませてきた大衆文化でもある。人々が権力に対する抗議の意思を込めて詩を読み、歌うことは、こうした伝統の上に成り立つ表現だ。欧米からやってきたラップも、こうした抵抗詩の伝統と接触することで、新しい抵抗の表現として若者を中心に受け入れられたことは想像に難くない。

一様にはくくれない「パレスチナ人」ラッパーたち

ラップミュージックは1970年代アメリカのブラック・コミュニティで生まれた。その源流を踏まえてラップとは何かを考えてみると、社会の辺縁に置かれた人々が自身の属するコミュニティを背負って立ち(いわゆる「レペゼン(represent)」)、そのリアルな感情や直面する問題をビートとリリック(詞)に乗せて表現する音楽、と言うことができるだろう。パレスチナ・ラップの場合は当然、パレスチナ人が自分たちの置かれた状況を歌う音楽、ということになる。けれど山本先生によると、そもそも「パレスチナ人」を一言で言い表すのは簡単ではないという。

 

「広い意味では、パレスチナはアラブ文化圏と呼ばれる地域の一部です。モロッコからイラクやクウェートまで広範に及ぶこれらの国々は、オスマン帝国の崩壊後、西欧諸国によって分割統治され、後に独立していった歴史を持ちます。各国はアラビア語という共通言語でゆるやかにつながりながらも、それぞれに異なる歴史や文化を育んできました。そのなかでパレスチナが特異なのは、いまだに独立国家をもつことができていないという点です。

 

パレスチナは第一次大戦後、イギリスの委任統治領となり、ユダヤ人の入植が急増しました。第二次大戦後の1947年には国連がパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議を採択し、48年にイスラエルが建国されます。それに反発するアラブ諸国との間で起きた第一次中東戦争でイスラエルはさらに領土を拡大し、多くのアラブ人が住処を追われ、難民となりました。その結果、現在パレスチナと呼ばれているヨルダン川西岸地区やガザ地区に追いやられた人々もいれば、他国に逃れた人々もいました。一方、日本ではあまり知られていませんが、イスラエル建国後もさまざまな経緯から、同地に留まって市民権を得たアラブ系の人々もいます。『パレスチナ人』の中には、パレスチナにルーツをもつこうしたすべての人々が含まれうるのです」

 

先述の『自由と壁とヒップホップ』では、イスラエルとガザ、境遇の異なるパレスチナ人ラッパーたちの交流が描かれている。その監督もまたパレスチナ系のアメリカ人であることを考えれば、国をもたないパレスチナの人々がラップを通してひとつにつながった映画とも言える、と山本先生は語る。

DAM来日時のトークイベント。右端が山本先生、左端の赤いブーツの女性が『自由と壁とヒップホップ』のジャッキー・リーム・サッローム監督。この時はDAMのリーダーのターメルが急病で来日できず、メンバー二人でステージをこなした(提供:山本薫先生)

パレスチナ・ラップの先駆的存在、DAMの葛藤と誇り

そんなパレスチナ・ラップの先駆的存在が、最初に紹介したDAMだ。1990年代末に結成された当初は英語ラップを模倣するようなスタイルだったが、アラブ系イスラエル人である彼らは2000年代からアラビア語を使い、自分たちの置かれた複雑な状況をラップを通じて発信し続けている。DAMの存在は多くの若者に影響を与え、イスラエルで、ガザで、ヨルダン川西岸で、それぞれのリアルを歌うパレスチナ・ラッパーたちが誕生することになる。DAMがラップで訴えるリアルとはどのようなものなのだろう?

 

「ガザや西岸の人々もイスラエル国内のアラブ系の人々も、それぞれに困難な状況に置かれていますが、実はその困難の質はかなり異なっています。イスラエル国内のパレスチナ人は、ガザのように爆撃で命が危険にさらされたり、西岸のように町中にイスラエル軍がいて理不尽に拘束されたりするわけではありません。しかし、言動がデモの扇動とみなされれば逮捕されますし、職場でアラビア語を話しただけで仕事をクビになることもあるなど、ユダヤ人社会の中で厳しい差別と言論弾圧にさらされています。DAMはそんな差別への抵抗の意思を表明しながら、一方では、命の危険にさらされているガザや西岸の同胞たちと自分たちとでは立場が違うという負い目もリリックにしています。

 

また、DAMに限らずイスラエル出身のアラブ系の作家やラッパーたちは、いつもふたつのテーマを表現してきたと私は見ています。ひとつは、イスラエル建国前から今日までこの地で生きてきたアラブ人としての自らの存在証明。もうひとつは、パレスチナとイスラエルが共生する未来への願いです。

 

ユダヤ社会から差別され、西岸やガザの人々との間にも溝がある。イスラエルのパレスチナ人たちは四面楚歌の生を生きていますが、かれらはイスラエルかパレスチナかの二項対立では問題は決して解決しないということもよく知っています。イスラエル国内でアラブ系の人口増加率はユダヤ系を上回っており、全人口の20%に達しています。かれらは何十年も前からイスラエルの入植の歴史を見てきた生き証人であり、イスラエルの体制側から見れば目障りな存在です。かといって、どちらかがどちらかを追い出したり、根絶やしにしたりするなどということも不可能です。ふたつの国がひとつの土地で共生していくしか道はないのです」

DAMのメンバー スヘイルが、かれらのホームタウンであるイスラエル・リッダ市のアラブ人地区を案内しているところ。市当局によってアラブ人市民の家屋がとりこわされた一帯(提供:山本薫先生)

 

実は、DAMはその活動初期、イスラエルの音楽シーンでの活躍を企図して公用語であるヘブライ語の楽曲を中心に発表していたそうだ。しかし、冒頭でも触れた2000年の第二次インティファーダをきっかけとしてアラビア語楽曲に軸足を移すようになる。かれらの足跡は、アラブ系イスラエル人としての葛藤とパレスチナ人としての誇りを雄弁に物語っているようだ。山本先生が一番好きな楽曲だというDAMの「Stranger in My Own Country」では、アラブの伝統音楽の要素や古典詩をサンプリングしながら、まさにこうした葛藤と誇りが歌われている。

 

 

DAMはまた、アラブ社会内部のネガティブな問題、たとえば女性差別やルッキズム、若者に結婚や出産を強く押し付ける風潮に対しても声を上げているという。「イスラエルの支配を批判している自分たちが、アラブ社会の中で同じように差別や抑圧を生んでいるのはおかしいだろう、というとてもシンプルなメッセージです。こうした自省的な視点もパレスチナ・ラップのひとつの特徴だと思います」

 

DAMの楽曲をいくつか挙げるだけでも、かれらが自分たちの暮らす社会を多層的に捉え、そのなかでの自分たちの役割を見据えていることがわかってきた。

レペゼン・ガザの少年ラッパー、言語を超えて「音楽で生きる」ことの切実さ

一方、イスラエル軍によって封鎖されているガザ地区でも、DAMに影響を受けた世代や欧米のラップに触れた若いラッパーが活躍している。

 

「ガザや西岸のラッパーが発信する表現は、やはりイスラエルによる占領から一刻も早く開放されて、自由になりたいという願いが大前提にあります。と同時に、これはパレスチナのどの地域のラッパーにも共通していることですが、ユダヤ人という民族やユダヤ教という宗教を否定しているわけではまったくなく、対等な立場で共存したいという願いを表現の中に見て取ることができるということです。憎むべきは戦争、占領、差別であり、それらを許してきた世界のシステムなのだ、とかれらは歌います」

 

もちろん、メジャーなポップミュージックと比べれば、ラップはアングラなジャンルだ。けれど、ガザのヒップホップライブには文字通り老若男女、ヒジャブで頭を覆った女性から現代的なファッションに身を包んだ若者までさまざまな人で賑わい、ラッパーたちの言葉に共感を寄せているという。

 

2020年にYouTubeに登場したMCアブドゥルは2008年生まれで当時弱冠11歳。空爆で破壊されたガザの街を背景に、ガザの現状をリリックにした流暢な英語ラップで世界的に有名になった。若きラッパーの堂々たるパフォーマンスをご覧いただきたい。

 

 

 「パレスチナは占領されてる何十年も ここは僕らのホームだった何百年も
 この土地は世代を越え 僕の家族みんなの記憶」(MC Abdul - Palestine)

 

MCアブドゥルはインターネットで欧米のラップに触れ、独学で英語を習得したというから驚きだ。しかしこれは彼に限ったことではない。とくに外部との人的な交流がほぼ不可能なガザでは、多くの人がインターネットを通じて英語を熱心に学び、世界とつながろうとしているのだそうだ。若者が音楽や英語に打ち込む理由のひとつは、隔離されたガザからいつか外に出ていくためだという。

 

「かれらにとって『音楽で食っていく』のは切実な願いです。ヒップホップアーティストとして国外から招聘がかかれば、自由な環境のもとで自分の人生を切り拓いてゆけるかもしれないからです。実際、欧米のライブツアーに出演し、そのまま帰国せず、現地での生活を始めるラッパーも多いです。けれど、欧米の音楽シーンで活動を続けていくのも並大抵のことではありません。

 

著名なラッパーのほとんどが国を出ていくなか、あえてイスラエルやパレスチナにとどまることを選び、現地の人々が置かれた状況を世界に発信し続けるラッパーもいます。DAMもそうですし、ガザ初のラップグループPRのメンバーであるアイマンは、ガザでNGO職員として働いたり、子どもたちにラップを教える学校を作ったりと地域に根ざした活動をしながら音楽活動を続けてきました。もちろん、すでに成功しているかれらだからこそ選べた道といえるかもしれませんが……」

 

ここで立ち止まっておきたいのだが、パレスチナ問題はもとをたどれば欧州の植民地政策とユダヤ人迫害に端を発しており、現在も欧米諸国が積極的に加担している問題である。パレスチナの若者が英語で楽曲を発表し、欧米社会にフックアップされることではじめて自由を手にすることができるという現状が、そもそも歪なことなのだ。音楽が言語や国境を越えてつなぐものは確かにあるだろう。しかし、つながった先の私たちがパレスチナの現実と向き合うことから逃げてしまえば、かれらのナラティブをただ消費するだけになってしまうのではないだろうか。

ラップと同じく、グラフィティもパレスチナの人々にとって重要な抵抗の手段だ。ヨルダン川西岸地区のアーイダ難民キャンプの前に建てられた分離壁とグラフィティ(提供:山本薫先生)

グラフィティに覆われたベツレヘムの分離壁(提供:山本薫先生)

パレスチナ・ラッパーたちの今

2023年10月以降、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃によって何万人もの人が亡くなり、ガザに暮らすほとんどの人が避難を余儀なくされている。もちろんラッパーたちも例外ではない。2024年の今、パレスチナ・ラップはどうなっているのだろう。

 

「MCアブドゥルは偶然滞在中だった米国から帰国することができなくなり、ガザの家族の無事を願う悲痛な楽曲をYouTubeに投稿をしています。この先、彼がガザに戻れる日が来るのだろうかと考えると胸が痛みます。彼以外のガザのラッパーたちもほとんど国外にいて、残念ながらほとんど発信は途絶えている状況です。ガザに唯一残っていたPRのアイマンは、イスラエル軍の苛烈な攻撃が続く中、半年以上ガザからの発信を続けていましたが、家族を守るために先ごろエジプトのカイロに避難したとの報せを受けました。

 

イスラエルで活動するDAMは、ついこの間、新曲を発表しました。『くだらねぇ』を連呼し、ここに踏みとどまるか見切りをつけて外に出るか、本当に追い詰められているという心情を、内容とは裏腹に軽いダンスミュージックに乗せて歌う楽曲です。イスラエル国内では昨年10月以降、政権や社会に対して批判が一切できないような状態が続いているようで、これまで積極的に発言していた政治家や人権団体もみんな黙ってしまっています」

 

口に出すことの許されないメッセージを飲み込み、「くだらねぇ」を連呼しながらDAMは瀬戸際の抵抗を続けている。

パレスチナの人々の息遣いを受け取り、想像力をはたらかせること

最後に、パレスチナ・ラップの紹介を通じて山本先生が伝えたいことについて伺った。

 

「『パレスチナ問題は複雑だ』と言われがちですが、私はすごくシンプルな問題だと思っています。ある人間集団が別の人間集団を支配して、その権利や自由を奪っているということです。その状態を80年近くも国際社会が議論してきたのに、いまだに解消されていない。これは日本も決して無関係ではなく、世界全体で解決しなければならない問題です。

 

馴染みのない土地のことだからと敬遠してしまう人がいるのもわかります。だからこそ、音楽や映画を通して、現地に生きている人々の感じていることをダイレクトに感じてみてほしいのです。自分たちと同じ感情を持った人間が、こんな理不尽な思いを何十年も強いられている。しかもその理不尽というのは、矛盾を抱えた世界全体の構造のしわ寄せがパレスチナに集中して起きているものだという、そんなつながりに少しでも思いを馳せていただければ嬉しいです」

 

パレスチナで、イスラエルで、アメリカで、その他にもあらゆる場所でそれぞれの現実を生きる人々がいる。けれど、生きた人間の上にミサイルや爆弾が降ってくる現実など本当は決してあってはならないのだ。かれらのため、私たち自身のために、今、どんな言葉を差し出すことができるだろうか。マイクは私たちの手にも握られているはずだ。

 

コロナ禍の語りに耳をすませる。「オーラルヒストリー」とは何か、大阪大学の安岡先生と学生のみなさんに聞いた。

2024年3月14日 / コラム, 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

世の中がいっぺんに変わってしまった「コロナ禍」も落ち着き、ちょっと街を歩けばマスクをしていない人のほうが多いくらいには以前の光景が戻りつつある。ウイルスがいなくなったわけでは全然ないのに、筆者も含め世の中は雰囲気で動いているところが多分にあるよなと思い知らされる。

 

歴史の転換点となるような大きな出来事であっても、いつしか人は変化を乗り越え、新しい普通の生活に馴染んでゆく。その営みは忘却と引き換えだ。アベノマスク、GoToトラベル、五輪延期といった大きなニュースは記録として残る。COVID-19という感染症の研究も蓄積されていくに違いない。しかし、そのどちらにも括れないようなひとりひとりの体験はすぐに忘れ去られてしまうだろう。

 

近年、そうした市井の人々の体験を聞き取り、歴史資料として保存・活用する研究手法「オーラルヒストリー」が注目を集めている。なぜ、歴史学者が人々の主観的な語りを収集するのだろうか。オーラルヒストリーに取り組む大阪大学文学部日本学専修 准教授の安岡健一先生と、安岡先生のもとでコロナ禍の人々の声を調査し、書籍にまとめた学生の皆さんにお話を伺った。

集められたコロナ禍の声

「まぁ、まず友だち作って、みんなでご飯食べながらしゃべったりとか、普通の、何ていうか、昨年までの新入生たちがしよったことをしたいです(笑)。」

(『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』「小豆島の自粛生活」p.34より抜粋)

 

「…「留学生の問題をどうしますか」と言われたら、誰もそれについて答える準備がなってなかった。ただの捨て駒になった、留学生は。それは確かにそうだと思う。」

(同「捨て駒になった留学生」p.48より抜粋)

 

「…やっぱりいま出かけられなくて、しんどい状況にあるっていうのが、辛かったんで。それで出かけて、ちょっと〔自分の精神状態が〕良くなるんだったらもうそれは〔外出を〕したほうがいいっていうか。…」

(同「コロナ禍で「出かける」こと」pp.160-161より抜粋)

 

学生たちが編み、安岡先生が監修した『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』。ここには、大学生とその周囲の人々への聞き取り調査で収集したさまざまな「コロナ禍の声」が収められている。

『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』安岡健一監修、大阪大学日本学専修「コロナと大学」プロジェクト 編(大阪大学出版会、2023年)

『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』安岡健一監修、大阪大学日本学専修「コロナと大学」プロジェクト 編(大阪大学出版会、2023年)

 

自粛が叫ばれるなか、息苦しさから自分の心を守るためにあちこちに出かけた大学生。

渡航制限の影響で入管や大学とのやりとりに奔走することになった留学生。

意中の同級生に想いを伝える決心をした矢先に学校が休校になってしまった高校生。

家庭内感染でかえって仲が深まったという家族。

教育現場で対応に追われた大学職員……。

 

どれもが「外出自粛」「水際作戦」「一斉休校」といったニュースの見出しで使われる言葉だけで括ることができない体験だ。コロナ禍とは何だったのかを後世の人々が知ろうとするとき、当時を生きた人々の実像にせまる貴重な資料になるだろう。

 

このように、インタビューによって個人の直接的な体験(いわば一人称の「語り」)を記録・収集する研究手法、またそのようにして書かれた歴史を「オーラルヒストリー」と呼ぶそうだ。オーラルヒストリーはこれまでの歴史研究とどう違い、なぜ必要とされているのだろうか。

忘却にあらがうために、積極的に「語り」を残していく営為

安岡先生によると、受動的に残された文献資料を研究するのではなく、研究者みずからが当事者に関わりながら積極的に資料をつくり、後世に残していくことがオーラルヒストリーの大きな特徴だという。今、そんな研究手法が注目される背景とは?

 

「歴史を振り返ると、社会が巨大な変化に直面したあと、それが忘れ去られようとしているようなタイミングでオーラルヒストリー的な動きが活発になる傾向があります。日本の歴史学で最初にオーラルヒストリー的な動きが生まれたのは明治20年代頃です。明治維新からしばらく時間が経って、それ以前の江戸幕府の時代を人々が忘れはじめた頃に『今聞いておかないと、あとから何もわからなくなる』と危惧した人がいたんです。1920年代には第一次世界大戦があり、都市化が進み、社会の様相が変わっていくなかで民俗学的な調査が盛んに行われました。

 

近年では戦後50年が大きな節目だったのではないでしょうか。国際的にも冷戦終結、ソ連崩壊の直後で、社会が巨大な断絶に直面するなかで、それまで社会的、個人的に抑止されてきたものをもう一度思い出して語るグローバルな動きが生まれ、今日につながっているのだと思います」

安岡先生のお写真

安岡健一先生。専門は日本の近現代史で、農業史から教育史まで地域に根ざしたさまざまなテーマに取り組んでいるが、どんなテーマでも聞き取り調査は欠かせないという。

 

来年で戦後80年を迎える日本社会を見渡せば、戦争の記憶をもつ人がどんどん少なくなり、他人事のように戦争を語る人が増えてきているように思う。時代は違えど、人々を突き動かした「今聞いて/語っておかなければ忘れ去られてしまう」という切迫感は筆者にもよくわかる気がする。しかも、社会や人々が出来事を忘れ去るテンポは確実に早くなっていると安岡先生。東日本大震災の発災後、あまり間もないうちから「風化させてはならない」という声が上がり、被災体験の記憶を残す取り組みが始まったのはその裏返しともいえそうだ。

 

それでは聞き取りを行うのは早ければ早いほど良いのかというと、そうとも言いきれない。「記憶が新しいうちに残しておくべきことがある一方で、時間が経ったからこそ話せることも実は沢山あるんですよね。聞き手の『今聞きたい』という気持ちと、語り手の『今語りたい』という気持ちがセットになるのであれば、絶対に残しておいたほうがいいというのが僕のスタンスです」

 

「語り」の根底には、今このときだからこそ語られるべき理由があるのだ。

主観的で個人的、だからこそ価値がある

そうすると、収集された語りのなかには語り手の主観もふんだんに織り込まれてきそうなものだ。そのときの気分や思い違いなどが含まれることで、歴史資料としての価値を下げてしまうことにならないのだろうか。

 

「オーラルヒストリーには客観的事実を明らかにする手がかりとなる側面ももちろんありますが、近年の歴史学で注目されているのは、むしろ主観の領域のほうなんです。語り手のものの見方や感情、ときには覚え間違いも含めた記憶の仕方に大きな意味があるのだということに多くの研究者が気づき始めています。

 

歴史学には、人間の感情が歴史に果たした作用に注目する『感情史』というアプローチがあります。2001年に9.11テロが起こりましたが、ああいうむき出しの暴力に触れたときの人間の感情のあり方は、そのまま社会を変える力になってしまう。そうした現実に直面したときに、それまで重視されてきたような理性や論理だけではなく、主観の領域でも歴史を捉え直して見てみようという動きが活発になりました。オーラルヒストリーもまさにこうした潮流のなかで評価されていると言っていいでしょう」

 

感情のうねりが可視化され物事を動かしてしまうSNS時代を生きていると、感情史というアプローチには非常に納得がいく。歴史上の革命の数々だって、民衆の感情の動きの総体として見ることができるだろう。

 

オーラルヒストリーで避けて通れないもうひとつの重要な要素がある。それは聞き手と語り手の関係だ。「同じ人へのインタビューでも、AさんがやるのとBさんがやるのとでは全然違う結果になるでしょう。そういう主体性を排除せず、むしろそのことの意味をきちんと記録し、考える材料として残していく。これが大事なことなんです」と安岡先生。

 

『コロナ禍の声を聞く』にも、大学生である聞き手が自分の家族や友人に対して行った聞き取りが多数収録されている。そこで語られるエピソードは単に事実をなぞるだけでなく、その人の本音や感情の動きを感じられるものばかりだ。それを読んだ筆者も、高齢にさしかかりつつある両親にいろいろな話を聞いておいたほうがいいんじゃないかと思ったりしたのだが、これもオーラルヒストリーになるのだろうか。

 

「それは良いことですね。必ずしも専門家じゃないと聞き取りができないということはありません。むしろ家族や友人、同じ地域の人といった近しい関係だからこそ聞けることというのも非常に重要です。沖縄県では以前、『子や孫につなぐ平和のウムイ事業』という取り組みが行われていました。孫世代がおじいさん、おばあさんに戦争の時の話をインタビューして、その様子を映像で記録していくというものなのですが、やはりそこで語られる話というのは『本当にこの子たちに伝えなきゃいけない』という思いがこもっていて、非常に良いんですよね……」

 

もちろん、聞き取りを意味のあるものにするためには専門知識も欠かせない。聞き取りの際のルールやテクニックに関する知識も必要だし、収集した音声や動画は保管方法や公開方法を定めてアーカイブ化することではじめて学術的な価値をもつ。市民と専門家が協働することで、良質なオーラルヒストリーが実現できるのだ。

 

「私も市民の方々と協力して、教科書に載るような大きな歴史と地域や個人の小さな歴史の間を埋めていくような研究をやっていきたいと思っています。そうした活動を通して、自分が歴史の主体であるということをそれぞれが考えられるようになっていくのが大事なのかなと思います」

 学生という立場から「コロナ禍」の歴史を編むこと

さて、ここからはコロナ禍での聞き取り調査を実践し、『コロナ禍の声を聞く』を編んだ中心メンバーである4年生のみなさんにもお話を聞いていこう。ここに収録されているのは、オーラルヒストリーを学ぶ授業の一環で、2020年、2021年に大阪大学をフィールドとして行われた聞き取り調査、そして2022年の学祭で行われた聞き取りの成果である。コロナ禍で学生生活に大きな影響を受けた当事者でもあるみなさんは、どんな気持ちで人々の声に向き合ったのだろうか。

上垣皓太朗さん(左)、草替春那さん(右)

上垣皓太朗さん(左)、草替春那さん(右)

 

書籍化の企画が動き出した頃を振り返って、「聞き取ったなかにはシビアな内容もあれば、そうではないものもあるんですが、それを僕たち学生がわいわい言いながら本にしていくということがそれ自体、歴史のつづり方のひとつなんじゃないかと。自分たちの主体的な表現として歴史を書くということに意味があるんじゃないかと思ったんです」と話してくれたのは上垣皓太朗さん。自分たちらしくオーラルヒストリーと向き合うために、授業で行った聞き取りに加えて、2022年の学祭でも聞き取りを行うことにしたそうだ。

 

けれど、聞き取りはすんなり進行するばかりではない。草替春那さんは聞き取りの難しさを語ってくれた。「学祭のブースに来てくださった方に聞き取りを行った際、これから録音しますねという段になって『私の話なんて普通のことだから(話す価値はない)』と断られることもありました。あなたの日常の語りにこそ価値があるんですということを伝えきれなかった後悔もあるし、それまで活き活きとお話しされていた方が、録音を始めた途端に固くなってしまうのもすごく難しさを感じました」

2023年の学祭での聞き取り風景

書籍の刊行後、2023年の学祭でも聞き取りを実施した(聞き取りを受けているのは筆者)

 

人と直に言葉を交わす聞き取りは、ときに強い感情を受け取ることにもなる。メンバーのみなさんは、かけがえのない言葉や感情の重みをいつも感じながら聞き取りに臨んでいたという。

 

メンバーの野村琴未さんは、学祭での聞き取りで印象的な出来事を体験したそうだ。「私たちの世代はコロナで入学式が開催できず、1年延期になったんです。ブースに来てくださった方にもその話をしたのですが、その方のお子さんも近い年齢だったそうで共感してくださって。それから戦争も始まっていろいろありますよねと話をしていたら、しばらくして(感極まって)泣き出されてしまったんです。結局それ以上お話をお聞きすることはできなかったんですが、私にとっては、自分のことにそこまで感情を寄せてくれる人がいるということを知った大きな出来事でした」。別の機会に実施した大学の職員さんへのインタビューでは、職員さんが大学生のことをどれだけ気にかけているのかを直接言葉を交わすことで実感できたという。こうした聞き取りを通して、野村さんは自分たちが大学や周囲の人に受け入れられていると感じることができたそうだ。

野村琴未さん(右)

野村琴未さん(右)

 

「時期的にも心情的にも、僕らはすごくコロナ(が避けがたいテーマ)だった」「コロナを忘れたくないというパッションで突き進んできた」と話す4年生のメンバーはこの春に卒業を迎える。頭の中にはプロジェクトを今後につなげるためのアイデアもたくさんあるという。コロナの記憶をとどめるための営みはこれからが本番だ。

「100年後から見た今」を考えるとき、自分は2123年にも生きている

人々の語りを歴史に位置づけていく営みを通して、大きな視野を持てるようになったと上垣さんは言う。「今、僕は2023年に生きているけど、100年後から見たらどう見えるんだろうということを考えるようになって、そう考えているときって、ある意味、僕は2123年にも生きているわけですよね。そんなふうに視野が広がると、小さなことにとらわれなくてもいいか、と」。

 

これには安岡先生も「それは重要やで。『今生きてる人はだいたいみんな同世代』みたいな」と同意。生きてる人はだいたいみんな同世代、なんとも風通しの良い考え方だ。

 

自分のようなちっぽけな人間も、同時代の人々とともに生きて歴史をつくっているのだ。日々流れてくる辛いニュースの見出しや数字に無力感を覚えてしまうこともあるが、それだけに括ることのできない一人ひとりの存在を思えばこそ、やはりただ「辛い時代」で終わらせたくないとも思わされる。今を生きる自分だからこそ忘れないでいられること、語り残せることもきっとあるだろう。

【第9回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。インナー向け広報で誰に・何を・どう伝える?

2024年2月20日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、大学広報関係者を対象とした勉強会を定期的に開催しています(勉強会レポートの一覧はこちら)。2023年12月21日に開催した第9回大学広報勉強会のテーマは「難しいけど、やっぱり大事! インナー向け広報を考える」。

 

インナー向け、つまり大学内部や関係者に向けた広報ということですが、その対象範囲は教職員や学生、はたまた卒業生や保護者まで幅広く、目的や方法もさまざま。外部からは見えづらいだけに、他大学でどんな施策が展開されているのか気になる関係者は多いのではないでしょうか。そこで今回は、京都産業大学、金沢大学、大阪経済大学、近畿大学の広報担当の方々に登壇いただき、それぞれの取り組みをご紹介いただきました。

 

京都産業大学 良川侑史さん「学生たちとともに取り組む、在学生向け広報活動」

金沢大学 鍜治聖子さん「在学生と保護者に、大学の“今“を伝える広報誌のつくり方」

・大阪経済大学 高濱悠紀さん「学内向けメディアで、ビジョン推進の意識を醸成する」

・近畿大学 村尾友寛さん「広報ファーストで実践する、近大流インナーブランディング」

学生の目線で必要な情報を届ける。京都産業大学「サギタリウス」

一人目の登壇者は京都産業大学より、広報部主任の良川侑史さん。学生団体が主体となって運営を手がけるWEBマガジン「サギタリウス」について発表していただきました。

 

京都産業大学の公式サイトから閲覧することができる「キャンパスWEBマガジン サギタリウス」。開いてみると、教員の紹介や就活サポート情報、学校周辺のグルメ、京都のお出かけ情報まで、学生生活に役立ちそうな情報が満載です。

「サギタリウス」トップページ

「サギタリウス」トップページ

 

サギタリウスはもともと2000年に紙の冊子としてスタートした媒体で、2020年からウェブ版にリニューアルしたそうです。毎月3本の記事更新のほか、スタッフコラムや他の学生団体と連携したスポーツ記事も配信しています。

 

そんなサギタリウスのインナー広報としての役割は、「在学生に大学を知ってもらう・好きになってもらう」、そして「在学生が知りたい情報を届ける」こと。そのため運営体制も学生が中心です。企画、取材、記事作成、発信までを約30名の学生メンバーが担い、外部の制作会社や広報部は主にそのサポートに回っているそう。記事だけにとどまらずSNSや動画でも学生目線の情報を発信しているとのことで、熱量の高さがうかがえます。

 

学生スタッフが主体となって記事を制作することで、在学生が本当に興味を持っている情報を発信できるほか、地域のお店や卒業生に取材を受けてもらいやすいというメリットもあるそうです。また、学生スタッフの活動がNHKの取材を受けたこともあり、結果的に情報発信につながっている側面も。

京都産業大学の良川侑史さん

京都産業大学の良川侑史さん

 

「最終目標は学生団体として自走すること」と良川さんは言いますが、学生ならではの難しさもあるようです。それは、新しく入った学生がようやく活動に慣れてきた頃には卒業してしまうこと。短いサイクルの中でも主体性を発揮して活動してもらうため、新しいメンバーが加入したらミーティングや研修会でとにかく早く馴染ませることが欠かせません。また、新入生にはサギタリウスを紹介するリーフレットを配布して認知拡大をねらいます。

 

そして何よりも学生スタッフが楽しんで活動に参加し、将来につなげてもらうことが大切ということで、Web記事以外の広報活動に参加してもらうこともあるそう。「教育的な側面もあるのかなと。学生が将来につながるようなチャレンジをできる場にしていきたいです」と広報にとどまらない意義を語っていただきました。

紙の冊子に込めるこだわり。金沢大学の学内広報誌「Acanthas

続いては、金沢大学 改革戦略室事務局 広報戦略室の鍜治聖子さんが登壇。金沢大学の学内広報誌「Acanthus(アカンサス)」のリニューアルについて発表していただきました。

 

金沢市内の出版社で情報誌の編集長をされていたという鍜治さん。2020年に金沢大学に入職し、はじめに手掛けたのが広報誌のリニューアルでした。それまでのAcanthasは年3回発行、学内やイベントなどで配布するほか、年に1度だけ保護者に送付されていたそう。しかし、あらゆる情報がオンラインに移行するなかで、広報活動全体のなかで紙の情報誌に割くことのできる労力、時間、コストは限られてきます。

 

「せっかく時間や労力をかけるのであれば、読んでもらえるものをつくろう」。そんな思いで鍜治さんは思い切った改革に乗り出しました。まずは発行回数を年2回に減らし、ターゲットを保護者と在学生、企業に明確化。さらに、それまで外部に頼っていた編集業務やアートディレクションを鍜治さん自らが担当し、デザイン事務所と連携して紙面も大幅にリニューアルしたそうです。

リニューアルした48号の表紙、紙面とサムネイル(デザインの指示書)。鍜治さんみずから細部までディレクションしていることがわかる

リニューアルした48号の表紙、紙面とサムネイル(デザインの指示書)。鍜治さんみずから細部までディレクションしていることがわかる

 

違いがひと目でわかるのはやはりデザイン面です。これまで各号ばらばらだった表紙デザインは、学生モデルを起用した撮り下ろし写真に統一。印象的なカメラ目線のバストアップで目を引く効果を狙います。紙面は視線の誘導を意識して、ポップでありながら読みやすくわかりやすいレイアウトに。写真撮影では表情やポーズもしっかりディレクションします。内容面では、その時々で一番伝えたいことを特集に据え、学生広報スタッフの視点を積極的に取り入れる工夫でターゲットへの訴求力を高めました。

 

生まれ変わったAcanthasへの学生や保護者からの評判は上々。クオカードがもらえるアンケートも実施し、それまでなかった量の反響が寄せられているそうです。

金沢大学の鍜治聖子さん

金沢大学の鍜治聖子さん

 

雑誌編集のプロならではのこだわりでリニューアルを成功させた鍜治さんですが、「いつまで紙媒体が必要か、どこかでオンラインに移行するタイミングが来るのでは」と冷静に分析。また、クオリティを維持するための体制づくりも必要だと今後の課題を語ってくれました。

「創発」を生みだすプラットフォーム。大阪経済大学「TALK with

3人目は大阪経済大学から、企画部広報課 課長の高濱悠紀さんがご登壇。インナーブランディングサイト「TALK with」とそれに関する取り組みをご紹介いただきました。

 

大阪経済大学では、創立100周年となる2032年に向けて新たなビジョンとミッションを掲げ、その浸透と実現に向けたインナーブランディングに取り組んでいるそうです。そのキーワードは《創発》。予期せぬものとの出会いや異質なものとのぶつかり合いが新たなものを生み出すという意味の言葉です。多様な人が集う大学という場で、人とのかかわりの中から生まれる新しい発見や異なる視点が、新たな価値を生み出す源泉になるというイメージだと高濱さんは言います。

 

この創発という概念を浸透させ、教職員の横のつながりを育むために2020年にオープンしたのが教職員向けのサイト「TALK with」です。

スタート時は、学長メッセージと「DAIKEI TALK」が2大コンテンツだった

スタート時は、学長メッセージと「DAIKEI TALK」が2大コンテンツだった

 

学長メッセージと並ぶ初期のメインコンテンツは「DAIKEI TALK」。普段は接点の少ない教職員同士が膝を突き合わせ、日常業務で考えていることやビジョンについて語り合う座談会を記事にしたものです。記事の公開に合わせて座談会参加者から読者へのアンケートを実施するなど、双方向のコミュニケーションを意識した取り組みになりました。

 

そのほかにも、教職員へのビジョンの浸透度合いを定期的なアンケートで把握したり、ワークショップを行うなど、打てる手は何でも打っていきます。トップダウン的な情報発信のみにとどまらず、多様な意見をすくい上げ、人を巻き込んで理念を広げていく仕組みこそが「TALK with」の特徴といえそうです。

 

教職員のみに公開されていた「TALK with」ですが、内容が充実するにつれて学外のステークホルダーや学生にも見てもらいたいという声が上がるように。対話の輪をさらに広げるために、2022年には満を持して学外公開に踏み切ります。さらに2023年12月にはサイトを全面リニューアル。「教職員・学生で大経大を創発の場に」という新たなコンセプトのもとターゲットを学生まで広げ、全学的なメディアとしてますます進化しているそうです。

大阪経済大学の高濱悠紀さん

大阪経済大学の高濱悠紀さん

 

コロナ禍から通常の業務に戻りつつあることで以前のように長時間の座談会は難しくなってきたものの、これからも更新頻度をさらに上げて発信を続けていきたいと高濱さん。残りの時間で広報誌と大学公式サイトの取り組みも紹介し、「今日ご報告したのはまだまだ始まったばかりの取り組みです。学生を入れることで教職員に変化が起こるのかなども含めて今後検証していきたいです」と締めくくりました。

対外広報で学生、教職員のモチベーションを上げる。近畿大学流のインナー戦略

4番目に登壇いただいたのは、近畿大学 経営戦略本部 広報室 課長補佐の村尾友寛さん。メディア広報で話題をさらう「近大」らしい、攻めのスタイルのインナーブランディングについてお話しいただきました。

 

教職員向け冊子、保護者向け冊子、保護者懇談会といった取り組みもありますが……と前置きをしたあと、村尾さんは「対外広報こそが最強のインナー広報だ!」と近大流の考え方を披露。近畿大学の広報といえば、「近大マグロ」のビジュアルを大胆にあしらった広告の数々が思い浮かびます。「他大学と横並びにならないように、“大阪の”大学らしく差別化する」そして「大学の序列に挑戦する」という広報戦略のパワフルさは大学関係者なら誰もが認めるところでしょう。

近畿大学の村尾友寛さん

近畿大学の村尾友寛さん

 

そんな外向けのブランディングがインナーにもいい影響を与える好例が、著名人を招いた“ド派手”な入学式なのだそう。「もちろんメディア向けに話題化するという狙いもあるのですが、同時に新入生に『近大に来てよかった、頑張れそうだ』と思ってもらうためにやっている側面もあります。テレビや新聞で紹介されれば、ご近所さんや地元の同級生からも『楽しそうな大学に入ったな』と声をかけてもらえて、それがまた学生の自信につながります」と村尾さん。もちろん卒業式でも著名人を招聘してド派手に送り出します。

 

対外的に大きな話題になるようなイメージ戦略を次々に打ち出していくことが、結果として所属する人々のモチベーションアップにつながる。これが近大流の“最強のインナーブランディング”なのだそう。実際にここ10年ほどの間に各種調査での近畿大学のブランドイメージはぐんぐんと伸びていて、それを活かした新聞広告も展開されました。

2023年の正月に掲載されたこの広告は、同年の新聞広告賞で堂々の大賞に選ばれた

2023年の正月に掲載されたこの広告は、同年の新聞広告賞で堂々の大賞に選ばれた

 

AIで生成したというちょっと派手めな近大生の画像にかぶせて、大きく「上品な大学、ランク外。」の文字。よくよく読んでいくと、「エネルギッシュである」1位、「チャレンジ精神がある」1位、「コミュニケーション能力が高い」1位……と実際のランキング結果をふまえた近大生のイメージがわかるというもの。これをインナーの観点で見ると、「『君たちはスゴいんだ』と学生に直接伝えるのもなんだかクサいので、外向けの広告を使って間接的に知らせていくスタイル」とのこと。イメージ戦略がしっかり功を奏しているからこその説得力があります。

 

もちろん教職員のモチベーションも大切です。近畿大学ではとくに教員のメディア露出を重視していて、出演が多い教員を表彰し、研究費を贈呈する制度も用意されているそう。メディア出演への反響が教員のモチベーション向上につながるという好循環を生み出すべく、広報ではフォローアップを欠かさないといいます。

 

最後に、「建学の精神である『実学教育』と『人格の陶冶』をはじめ、大学としてのビジョンを見据えつつ内外への広報に取り組んでいきたい」と締めくくっていただきました。

協力してくれる人を巻き込み、大学を変えていく、インナー広報の役割

休憩を挟んで、後半は恒例の座談会です。ほとゼロ編集長・花岡が進行役となり、4名の登壇者にざっくばらんにお話を伺いました。

 

ずばり「それぞれが思うインナー広報とは」という話題に対して、良川さんはコロナをきっかけに学生の大学へのコミット率が下がっていることを懸念し、「卒業してからも愛校心をもってもらえるよう、今のうちになんとかしないと。若手の職員に対しても同じで、つながりをつくっていくことは広報にしかできない」と危機感をにじませます。

 

「インナー広報には情報共有と行動変容のふたつの目的があるのでは。後者を重視するなら、心が動かないと行動を変えることはできないので、制作物には心を動かす仕組みが必要」と答えたのは鍜治さん。これは記事を書く側としても肝に銘じておきたい指摘です。

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とはいえ、心を動かす仕組みも一筋縄でいきません。学生へのインナー広報についての話題では、村尾さんから「今の大学生はドライで、キラキラした言葉だけでは響かないから難しい」と本音がこぼれます。良川さんも「大学が伝えたいメッセージを押し付けても学生にとっては面白くない。“タイパ”を重視する学生に対して、どんなメリットがあるのかをしっかり示す必要もある」と同意。この課題に対して、京都産業大学では学生を広報に巻き込み、近畿大学では外部向けのイメージ戦略によって間接的に伝える、という対称的なアプローチを取っているのが面白いです。

 

続いて、話題は発表であまり触れられなかった卒業生へのインナー施策に移ります。ここでは高濱さんの「大学は18歳から22歳でわかる価値だけでできているわけではない」という言葉が印象的でした。「社会に出て、家庭を持って初めてわかる大学の良さもある。ふと思い出して母校のHPにアクセスした卒業生がそういう情報に触れ、元気になってもらえるように用意しておくことが大切なのでは」。たしかに、恩師からの便りや後輩の活躍の知らせはうれしいものです。

 

インナー広報で行動を変えることができるのか? という問いに対しては、「協力してくれる人から巻き込んでいくのが腕の見せどころ」と鍜治さん、高濱さん、良川さんの意見が一致しました。

 

 

というわけで、難しいながらも取り組みがいのあるインナー広報というテーマでお届けした今回の勉強会。行動することで何かが変わり、その変化がさざ波のように広がっていく……そんなイメージを描いていただけたのではないでしょうか。

それではまた、次回の勉強会でお会いしましょう。

名文に出会う! 大阪工業大学の学生と高校生たちがつくった「文豪かるた」で遊んでみた。

2024年1月16日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

お正月の遊びはいろいろあるけれど、かるたは記憶力と反射神経が試される意外とガチなアクティビティと言えよう。競技かるたといえば藤原定家が編んだ「小倉百人一首」が有名だが、近代日本の文豪の名文をかるたにした「文豪かるた」はご存知だろうか。

 

「文豪かるた」を開発したのは、以前「水野ゼミの本屋」を取材させていただいた大阪工業大学知的財産学部 水野ゼミのみなさん。当時はまだ鋭意制作中とお聞きしていたが、2023年11月、ついに完成したという。年の瀬差し迫る昼下がり、大掃除のために集まった編集部員たちをつかまえて遊んでみた。

文豪かるた

「文豪かるた」。明治~昭和初期の文豪の代表作の一説を抜き出した読み札とイラストがあしらわれた取り札、それぞれ47枚が収録されている。デザインは同大学ロボティクス&デザイン工学部 赤井研究室が、イラストは大阪府立商業系高校の高校生らが手掛ける。

 

文学作品をはじめ著作物をさまざまな形で利活用する活動を行っている水野ゼミ。「文豪かるた」は、普段あまり本を読まない人にも文学に親しんでもらいたいという思いで開発されたそうだ。読書時間がめっきり減ってしまった大人たちの文学欲を刺激してくれるのか、期待が高まる。

それではさっそく、編集Iさん、読み札をお願いします!

 

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」

 

事情を知らない人が通りかかったら心配されそうな一文がきた。これは誰でも知っているあの作品のはずだ。えーっと「わ」、「わ」……

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」の「わ」

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」の「わ」

読み札はこんなかんじ。原稿用紙の柄がかわいい。

読み札はこんなかんじ。原稿用紙の柄がかわいい。

 

はいっ! 太宰治『走れメロス』でした。日没が差し迫る中、己を鼓舞して処刑場へとひた走っているあたりだ。年末進行まっただ中の編集部員と重なるものがあるが、むしろ「休暇明けの仕事に備えて帰省先から自宅に戻っている最中」の心境だと思うと、お正月にもぴったりかもしれない。

 

あれ、ちょっとまって。

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「わ」が1枚じゃないんですけど。

 

こっちは「吾輩は猫である。名前はまだない。」の「わ」だろう。かるたといえば「いろはにほへと…」各1枚ずつと思い込んでいたが、そうではないらしい。さすがに『走れメロス』と『吾輩は猫である』で迷うことはなかったが、確実に札を取るためには作品を知っていたほうが有利ということか。

 

この他にもこのトラップがちょくちょくあり、たとえば「人間」の「に」で始まる札は3枚あるし、「人生」の「じ」も2枚あるから油断できない。

 

人間やら人生やら大上段な言葉が頻出するあたり、まさに「近代的自我」が大きなテーマとされる近代文学らしい。小倉百人一首の場合、頻出語句は「花」とか「月」とかで、文字どおりの四季の風物と恋心とか人の世の儚さとかの心情が重ねられている、というのが定番といえば定番である。けっこうな温度差だが、どちらも現代人の感覚からすると「ちょっとオーバーでは?」と言いたくなるようなところはちょっと似ているかもしれない。

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」の「つ」

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」の「つ」

 

かと思えば、文豪かるたにも

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」(永井荷風『歓楽』)なんて、和歌に詠まれてきた心情表現に重なるものもあるので、当然ながら一括りにできるものでもない。

 

さて、かるたに集中しよう。

 

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。」

 

はいっ、芥川龍之介『蜘蛛の糸』! お釈迦様が垂らした一本の蜘蛛の糸に亡者が群がる、お正月的に解釈すれば初売りバーゲンを思わせる(?)シーンだ。

と、これも遊んでいるうちに気づいたのだが、同じ作者の札が2枚あったりする。

『蜘蛛の糸』と『侏儒の言葉(遺稿)』のダブル龍之介。どちらも良い顔をしている

『蜘蛛の糸』と『侏儒の言葉(遺稿)』のダブル龍之介。どちらも良い顔をしている

 

よくよく見ると絵のタッチにも個性があって、「こ」の龍之介はシンプルな線でキリッと

していて、「う」の龍之介はラフで味があるタッチだ。実はこのかるた、大阪府立の商業系高校と連携して制作されており、イラストの多くは高校生が手掛けている。この取札の個性が、文章と相まって作家の魅力を引き立てているように感じた。

 

かるたは取った枚数を競う遊びではあるが、一番の楽しみはお気に入りの札を取ることだろう。そういう意味でも絵柄は大切だし、好きな作家や知っている作品の札を取ることができると単純に嬉しい。『走れメロス』と並んで国語の教科書でおなじみのこちらの札は編集部員たちが一番の盛り上がりを見せた。

 

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」の「ご」(新美南吉『ごんぎつね』)

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」の「ご」(新美南吉『ごんぎつね』)

筆者は撮影しながらの参加だったが、推しの宮澤賢治をちゃっかり確保できて満足。『風の又三郎』「どっどど どどうど どどうど どどう」の「ど」。

筆者は撮影しながらの参加だったが、推しの宮澤賢治をちゃっかり確保できて満足。『風の又三郎』「どっどど どどうど どどうど どどう」の「ど」。

 

というわけで、今回はガチの取り合いとはいかなかったが、イラストや気になる一文についてわいわい喋りながら遊んでみた。編集部員たちも「名前を知っている作家や作品は多いけれど、意外と全然読んでなかった」「この作家、こんなこと言ってたんだという発見があった」「作品を読んでみたくなる」と、文豪の名文を新鮮に楽しんでいた様子だ。

 

本が好きな人も、そうでもない人にもおすすめの「文豪かるた」。一文をきっかけに文学への扉が開くかもしれない。『水野ゼミの本屋』をはじめ一部の本屋さんやイベントで購入できるので、チェックしてみてはいかがだろうか。

ブックレビュー(3):「ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力」

2023年12月7日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。

第3弾は、珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメでナマコの驚きの生態の数々を楽しく教えてくださった東京大学の一橋和義先生の著書、『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』(さくら舎)を取り上げます。(編集部)


 

地道にこつこつ、考え過ぎず前向きに……そんな生き方に憧れつつ、次から次へと悩みのタネを見つけては頭を抱えてしまうのが人間という生き物だ。悩みの中にいるあなたの前に、脳がなくても元気に生きている生物界の大先輩が現れたとしたら……?

 

今回紹介するのは、一橋和義先生が今年8月に上梓した『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』。ポジティブすぎるタイトルにふさわしく中身も愉快だ。失恋のショックで深い海の底に沈んでしまった「ぼっちゃん」と、マナマコの「アルマータ姉さん」(マナマコの学名Apostichops armataに由来する)が関西弁でしゃべくりまくり、ときには歌も交えつつナマコの生き様を学んでゆくミュージカル仕立てのナマコ入門書となっている。

笑って泣ける掛け合いで、人間の常識をやわらかく解体してくれる

以前の「珍獣図鑑」のインタビューでは、ストレスを感じると内臓を吐き出す、魚を殺せる毒を持っている、分身の術のように体の一部を切り離すことができる……など、意外にアグレッシブなナマコの生態についてたっぷり教えていただいた。本書ではそれらについてさらに詳細に知ることができるだけでなく、ダンスパーティーのような繁殖方法や、一部のナマコがもつ冬眠ならぬ夏眠の習性など、「まだあったのか」と唸らされるようなユニークな生態が次々と明らかになっていく。

 

そしてなんと言っても、面倒見のいいアルマータ姉さんと生き方に悩むぼっちゃんの掛け合いが楽しい。たとえばこんな具合だ。

ナマコには脳がないと知ったぼっちゃんは、目を輝かせてアルマータ姉さんに質問する。

 

(以下引用)

「脳がなくてもええん」

「ええよ」

「頭よくなくてええん」

「ええよ」

「勉強せんで、ええん」

「無理な勉強は体に毒やで、せんでええよ」

「じゃあ何もせんでええん」

「息はしなはれ」(中略)

「ところで姉さんは鼻はどこにあるん」

「お尻で、息しまんねん。こんなふうにや、ふ~ふ~ふ、ほ~~、ふ~ふ~ふ、ほ~」

(引用終わり)

 

アルマータ姉さん、なんという包容力! 自分がひどく落ち込んでいるとき、誰かに「息してるだけでええよ」と言われたら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。

もちろんこれはナマコの体の構造を説明するうえでの話の流れなのだが、人間が囚われている常識をやわらかく解体してナマコ流の生き方を示す語り口は、ただ知識だけを教わるよりもよほど心に響くものがある。お尻で息をするアルマータ姉さんが、ユーモラスだけどなんだかカッコよく見えてくるのだ。

 

人間とはかけはなれた生態をもつ生き物について学ぼうとするとき、こんなふうに相手をリスペクトすることはとても大切だと思う。人間の基準だけでジャッジしていると、その生き物にとっての合理性を見落としてしまうからだ。以前のインタビューでも、一橋先生は「人間の視点とナマコの視点を行き来することで気づくことがたくさんある」と仰っている。ぼっちゃんとアルマータ姉さんのやりとりには、まさにそんな視点が生きているように思えた。

本文はストーリーのパートと解説パートで構成されている

本文はストーリーのパートと解説パートで構成されている

 

そんなストーリーパートを詳細に補完する解説パートも、ナマコについてわかっていることをただ説明するだけではないのがミソだ。「ナマコの食事量と糞」という項目ではナマコの糞(といってもほとんどが砂粒だ)をスプーンですくって重さや長さを測ったり、「ナマコの切断再生実験」ではナマコを2分割、3分割して再生する様子を観察したりと、リアルな実験・観察の様子が写真つきで解説されている。

 

中には、ドロドロに溶けた状態の2匹のシカクナマコをひとつに丸めて再生させて合体するか試してみる、オオイカリナマコ(ウミヘビのように長い体をもつナマコ)の体をロープみたいに結んで、自力で解くのにかかる時間を測るなど、思わず「何じゃそりゃ」とツッコミたくなるような(しかし至って真面目な!)実験もある。科学や生物が好きな人なら、摩訶不思議なナマコの虜になること間違いない。

 

ぼっちゃんとアルマータ姉さんは、意地悪な魚を撃退したり、まっぷたつに分裂したり(!)、多種多様なナマコや海の生き物と出会ったりしながら海を探検していく。その中でぼっちゃんは何を発見するのか、結末はぜひ本書を読んで見届けてほしい。

 

  • 一橋和義先生からのコメント

地球上に暮らす多くの生物の数だけ世界観はあると思います。それら多くの世界観の中の一つとして、拙著がナマコの生態に興味を持っていただけるきっかけの一つになれたら、とてもうれしく思います。人間だけの世界観、物差しで自分や他の人、物事を見てはかるのなら、この豊かで可能性に満ちた世界を十分に満喫できなく、つまらなく、なんてもったいないことでしょう! 自らが囚われている心の中の小さなバケツをひっくり返し、心の中に多種多様な生物が生きる大きな海、宇宙をもてたなら、どんなにかのびのびとでき豊かで幸せなことしょう! ぜひ、いろいろな世界観を知って自分を幸せにしてあげてくださいね!

 

 

 

おもちゃ meets 宇宙! 月面を探査する変形ロボット「SORA-Q」の生みの親、同志社大学の渡辺公貴先生に聞く開発秘話

2023年9月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

アポロ11号の月面着陸から50年余。今再び、各国による月へのレースが過熱している。この8月にはインドの無人探査機が月面着陸に成功して世界を驚かせたところだが、日本でもJAXAが行う月面着陸実証計画「SLIMプロジェクト」が進行中。9月7日に打ち上げが成功し、日本初の月面着陸成功に向けて期待が高まっている。

 

そんなSLIMプロジェクトに一風変わったロボットが参加しているらしい。。国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(以下「JAXA」)、タカラトミー、ソニーグループ株式会社、同志社大学が共同開発した「SORA-Q(ソラキュー)」だ。このSORA-Q、おもちゃのようなかわいらしい見た目とは裏腹に、大きな使命を負っているという。タカラトミーでロボット玩具などの開発に携わり、現在は同志社大学教授である渡辺公貴先生の研究室を訪ね、開発秘話とSORA-Qのミッションについてお聞きした。

丸い機体に変形玩具の技術とロマンが詰まった月面探査ロボット!

まずはさっそく「SORA-Q」を見せていただいた。ボール状の外殻が半分に割れて、中からカメラやしっぽ(スタビライザー)が飛び出している。手のひらに乗るサイズでとても軽い。実はこれは9月に一般販売されたプロダクトモデルだが、大きさや形、変形、動き方は月に送られる実機とほとんど変わらないという。

「SORA-Q」プロダクトモデル。特撮番組に出てきそうなデザインが少年心をくすぐる。

「SORA-Q」のプロダクトモデルである「SORA-Q Flagship Model」。特撮番組に出てきそうなデザインが少年心をくすぐる。

左がプロダクトモデル、右は月面に送られる実機により近いテストモデル。外殻部分がプロダクト版よりも薄く、軽量化されている。一部パーツが透明なのはテスト時に内部を確認しやすくするため。

左がプロダクトモデル、右は月面に送られる実機により近いテストモデル。外殻部分がプロダクト版よりも薄く、軽量化されている。一部パーツが透明なのはテスト時に内部を確認しやすくするため。

 

球形のロボットといえば、筆者は2000年の映画「ジュブナイル」に登場したテトラが真っ先に思い浮かぶ世代である。テトラは(なぜかカタコトで)喋ったりするかわりに手足を付けてもらわないと動けなかったが、SORA-Qは変形して元気に動き回る。どちらかというとトランスフォーマーだ。

 

変形して机の上を走り回るSORA-Q。トランスフォーマーなどの変形玩具を多く手掛けるタカラトミーらしいロボットだ。

 

プロダクト版は専用のアプリをインストールしたスマホで操縦する。本体のカメラの映像もリアルタイムに確認できる。

プロダクト版は専用のアプリをインストールしたスマホで操縦する。本体のカメラの映像もリアルタイムに確認できる。

 

左右の外殻をえっちらおっちら回転させてクロールするように動き回る姿がいじらしいが、この動きにこそ、月面のでこぼこな砂地を攻略するための秘訣があるという。ある生き物から着想を得たそうだが、その生き物とは何だかわかるだろうか?

答えはのちほど渡辺先生に教えていただくとして、SORA-Qが月面でどんな活躍をするのかをお聞きした。

日本の宇宙技術開発の鍵!? 月面の砂・レゴリスのデータを集める

SLIMに搭載されるSORA-Qの大きな役割は、月面の低重力環境下における超小型ロボットの探査技術を実証することだという。SLIM着陸機が月面に近づいたら、SORA-Qはボール状の形態のまま放出される。落ちたところで変形・移動して着陸機「SLIM」の様子を内蔵カメラで撮影し、さらに動き回って砂の上にできた轍を撮影したり、搭載されている加速度センサーで走行ログを取ったりする。それらのデータを中継機(LEV1)介して地球に送るまでがSORA-Qのミッションだ。

 

なぜ砂地の情報が必要なのだろうか?

 

「月面を覆う砂のことをレゴリスと呼びます。隕石が月面に衝突して両者が砕け散ることで生じたレゴリスは長い時間をかけて降り積もり、場所によって数センチから10メートルぐらいの厚みで堆積しています。

 

現在、トヨタとJAXAの共同で大型月面ローバー『ルナクルーザー』の開発が進められているのですが、かなりの重さになるローバーを月面に持って行ってうまく走行できるかどうかを知るためには、まずレゴリスの状況を知る必要があります。地球の6分の1の重力でレゴリスがどの程度フカフカなのか、あるいはそうでもないのか。重たいタイヤが沈み込んでしまわないかどうか……SORA-Qには、将来の有人探査に向けてこうした情報を集めることが期待されています」

 

せっかく莫大な労力とお金をかけてローバーを月面に送っても、走行できなければ意味がない。かといって、6分の1重力でのレゴリスの振る舞いは実験室で簡単に再現できるものでもない。月面へのレースでアメリカ、ロシア、中国、そしてインドが先行するなか、SORA-Qがもたらす「生の月面」の情報は日本の宇宙技術開発の遅れを取り戻す意味でも非常に重要なのだ。

 

今年4月にはSORA-Qを載せた日本の民間プロジェクト「HAKUTO-R」が月面着陸に挑戦したが、残念ながら着陸失敗という結果に。宇宙関係者はSLIMプロジェクトの成功を固唾をのんで見守っている。

SLIM着陸機から放出されるSORA-Q(LEV-2)のイメージ。SORA-Qが収集したデータはbluetoothで小型探査ロボットLEV-1に送られ、LEV-1から地球に送信される。(Credit:JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学)

SLIM着陸機から放出されるSORA-Q(LEV-2)のイメージ。SORA-Qが収集したデータはbluetoothで小型探査ロボットLEV-1に送られ、LEV-1から地球に送信される。(Credit: JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学)

玩具メーカーが月面探査ロボットをつくった理由

月面探査ロボットを開発することになったきっかけは、JAXAの公募だったそうだ。タカラトミーに在職中だった渡辺先生がたまたま見つけたその公募は、月や火星での活動を想定した「昆虫型ロボット」の共同開発パートナーを募集するというもの。大学や民間の宇宙開発企業が手を挙げるなか、玩具メーカーとして応募に踏み切ったわけだが、渡辺先生にはもちろん勝算があった。

 

「当時私はタカラトミーの戦略開発部という部署にいて、既存の玩具の枠を越えたような新しい玩具を開発するべく、先端技術に関する情報を日常的に集めていました。昆虫型ロボットの公募に応募したのも、JAXAとならば何か面白いものがつくれそうだと思ったからです。

 

公募の7年前には『i-SOBOT(アイソボット)』という小型ロボットを開発しまして、それがなんと2008年の『今年のロボット』で経済産業大臣賞(つまり大賞)をいただいたという実績があります。おもちゃに限らずその年に発表されたあらゆるロボットの中でのナンバーワンに選ばれたのは相当大きな評価で、その年に開催された北海道洞爺湖サミットでもお土産として参加各国のエネルギー大臣にプレゼントされるほどでした。そんなタカラトミーならば何か面白いものをつくれるんじゃないかということで、めでたくJAXAの共同研究のパートナーとして採用いただくことになりました」

 

もともと同社には、玩具に限らず社会の役に立つものをつくろうという社風があるのだという。玩具メーカーとしてのノウハウを宇宙開発に活かすというのもある意味、当然の発想だったのだろう。

渡辺先生にとって思い入れが深い「i-SOBOT」。小さな体の中に17個のモーターが入っていて、器用に全身のバランスを取りながら歩いたり踊ったり多彩な動きを見せる。精巧なだけでなく、子供が遊んでも壊れない頑丈さも持ち合わせている。

渡辺先生にとって思い入れが深い「i-SOBOT」。小さな体の中に17個のモーターが入っていて、器用に全身のバランスを取りながら歩いたり踊ったり多彩な動きを見せる。精巧なだけでなく、子供が遊んでも壊れない頑丈さも持ち合わせている。

 

そうして動き出した共同研究。探査機の研究をするJAXAの久保田孝教授へのヒアリングを行うなかで、「タカラトミーといえばトランスフォーマーのような変形ロボット。球体から変形するロボットをつくってみては」という話が出たという。球形であることにはもちろんちゃんとした意味がある。ロケットに搭載する際に場所を取らないし、自分を守る外殻と車輪を兼ねた構造を実現できる。着陸船から月面に向かってポンと放出されても平気だから、探査機を月面に降ろすためのスロープを用意する必要もない。宇宙開発は1kgの物体を打ち上げるのに1億円のコストがかかる世界だ。小さく、軽くてすむ球形の構造はある意味で最適解といえる。

 

奇しくも、渡辺先生もそれに先立って球体ロボットを研究していたところで、昆虫型にはあえてこだわらず「月面の砂の上を歩く球体ロボット探査機」というコンセプトができあがった。

月面攻略のヒントは、生き物の動きを再現する「玩具ならではの工夫」だった

球形の外殻が半分に割れて、それを車輪のようにして移動する。言葉にすれば単純なコンセプトだが、これが実際につくってみるとなかなかうまくいかなかったそうだ。

 

「スタートから1年経ってJAXAで評価会があったのですが、そのときに発表した機体では、砂地で13度までの傾斜しか登ることができなかったんです。実際に月面でちょっとした穴ぼこがあれば身動きが取れなくなってしまう。発表に対する反応は悪くなかったのですが、自分では『お話にならないな』と思っていました」

 

とはいえひとまず球体ロボットのコンセプトが好評を得たことで、チャンスは次につながることになった。プロジェクトの終了後、JAXAとタカラトミーは月面での運用を前提にさらに踏み込んだ共同研究に向けて契約を締結したのだ。具体的には、JAXAが取り組む小型月着陸実証機SLIMに球形ロボットを搭載するという計画だ。球形ロボットが月面で活躍する未来が一気に現実味を帯びてくるが、そのぶんさらにシビアな制約が開発チームの前に立ちはだかる。

 

「SLIMに搭載するために、直径は80mm以下、質量は300g以下にしなければいけなくなったんです。評価会で発表した直径100mmの機体でも13度の傾斜を登るので精一杯でしたが、80mmにすると10度でも登れない。それですごく悩みました。一晩だけすごく悩んだら、ある動物が思い浮かんだんです」

 

それは、ウミガメだった。

 

孵化したばかりのウミガメの赤ちゃんは、親が産卵のために砂浜に掘った深い穴を器用に登っていくではないか。その秘密は、左右交互に砂を掻くヒレの動きにありそうだ。この動きを球体ロボットで再現できれば、傾斜のある砂地を攻略できるかもしれない。

 

そこで渡辺先生は、玩具でよく使われるある工夫を取り入れることにした。「ここに車輪で前に進む動物の玩具があります。動物がただ車のようにスーッと進んでも面白くないですよね。そこでちょっとした工夫をしてやります。車輪の軸をずらしてやることで、上下にカタカタ揺れるような動物らしい動きになるんです」

 

軸をずらすというシンプルな工夫が効果てきめんだった。球形ロボットの回転する左右の半球の中心軸を少しずらしてやると、ロボットはウミガメのように器用に砂を掻いて砂地を登り始めた!

 

「完成形のSORA-Qでは、砂が自重で崩れてできる角度に近い30度の傾斜でも元気よく登れるようになりました」。渡辺先生が言うとおり、その動きはまるで生き物のように見えるから不思議だ。ウミガメの他に、ヒレを使って干潟を飛び跳ねるように移動するハゼの仲間の動きも参考にしているそうだ。

 「家庭で遊べる宇宙探査ロボット」で宇宙を身近に感じてほしい

SORA-Qが現在の形になるまでには、もう一つの苦労があった。それは、宇宙探査ロボットであるとともに玩具としても成り立たせるためのデザインだ。

 

「もともと、宇宙利用とともに一般向けのビジネスにもつなげるという枠組みで共同研究を行っていたんです。ですが、宇宙でも使えて、玩具としても魅力的なものをと考えたときに、どんなものをつくるのかが実は非常に難しかった。というのも、宇宙に持っていくものというのは意外とみんなシンプルなんです」

 

検討段階では、その道で超有名なデザイナーが手掛けた、それはもう惚れ惚れするようなデザイン案もあったそうだ。しかし、デザインが複雑になればなるほど隙間にレゴリスが入って故障してしまうリスクが上がる。実用性を考慮して最終的に落ち着いたのが今の形だという。お蔵入りになってしまったという案を見てみたかったような気もするが、やはりそこは「月面での実用に耐えるロボット」でなければ意味がないだろう。

 

9月2日にはタカラトミーから「SORA-Q Flagship Model」が一般発売された。公式サイトによると対象年齢は8歳以上。月面で活躍するのとほぼ同じロボットで小学生が遊ぶことができるなんて、まるでドラえもんのような話だ。

 

「理系離れと言われる世の中ですが、SORA-Qを通じてお子さんたちに宇宙や科学技術を身近に感じてもらえると嬉しいです」と渡辺先生は話す。

手作りの持ち運び用ケースに収められたSORA-Q。中高生に向けた科学講座でも活躍しているという。

手作りの持ち運び用ケースに収められたSORA-Q。中高生に向けた科学講座でも活躍しているという。

必要とされる場所に、必要とされるロボットを

定年を間近に控えた2020年、渡辺先生はタカラトミーを辞し、かねてから講義を受け持っていた同志社大学に有期の教授として着任した。SORA-Qの開発が一段落した現在は、宇宙開発の未来を担う学生たちを指導しつつ、現在は内閣府が進めるムーンショットプロジェクト目標3の一端を担う新たなロボット開発で大忙しだという。「宇宙で活躍するロボットをつくるのは、i-SOBOTの頃のような開発とは全く違いますね。SORA-QでJAXAと共同研究した経験が今とても役立っています」。

 

最後に、渡辺先生の考えるロボット開発の今後について伺った。

 

「ロボット開発には、世の中の需要に応えることと、そのために必要な技術的要素を満たすことの両方が必要です。技術のみを追究した見世物のようなロボットをつくっても使い所がなければあまり意味がないと私は考えています。ファミレスに配膳ロボットが普及したのは、コロナ禍で接触機会をなるべく減らしたいという需要があったからですよね。i-SOBOTのようなロボットは何かをしてくれるわけではないですが、最先端の技術を所有したい、という需要を満たすことができます。反対に、需要があっても技術が追いつかなければロボットはつくれません。

 

どんなものをいくらで提供できるのかというマーケティング的な面も含めて、出口をしっかり見据えて研究開発すべきですし、私自身もそうありたいと思っています」

 

近い将来、月に人間が暮らすようになれば、今よりもっとたくさんのロボットがその生活を支えることになるだろう。そんな未来の種はそれこそ子供の頃に遊んだ玩具のような、案外身近なモノのなかにあるのかもしれない。

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