ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

コロナ禍の語りに耳をすませる。「オーラルヒストリー」とは何か、大阪大学の安岡先生と学生のみなさんに聞いた。

2024年3月14日 / コラム, 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

世の中がいっぺんに変わってしまった「コロナ禍」も落ち着き、ちょっと街を歩けばマスクをしていない人のほうが多いくらいには以前の光景が戻りつつある。ウイルスがいなくなったわけでは全然ないのに、筆者も含め世の中は雰囲気で動いているところが多分にあるよなと思い知らされる。

 

歴史の転換点となるような大きな出来事であっても、いつしか人は変化を乗り越え、新しい普通の生活に馴染んでゆく。その営みは忘却と引き換えだ。アベノマスク、GoToトラベル、五輪延期といった大きなニュースは記録として残る。COVID-19という感染症の研究も蓄積されていくに違いない。しかし、そのどちらにも括れないようなひとりひとりの体験はすぐに忘れ去られてしまうだろう。

 

近年、そうした市井の人々の体験を聞き取り、歴史資料として保存・活用する研究手法「オーラルヒストリー」が注目を集めている。なぜ、歴史学者が人々の主観的な語りを収集するのだろうか。オーラルヒストリーに取り組む大阪大学文学部日本学専修 准教授の安岡健一先生と、安岡先生のもとでコロナ禍の人々の声を調査し、書籍にまとめた学生の皆さんにお話を伺った。

集められたコロナ禍の声

「まぁ、まず友だち作って、みんなでご飯食べながらしゃべったりとか、普通の、何ていうか、昨年までの新入生たちがしよったことをしたいです(笑)。」

(『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』「小豆島の自粛生活」p.34より抜粋)

 

「…「留学生の問題をどうしますか」と言われたら、誰もそれについて答える準備がなってなかった。ただの捨て駒になった、留学生は。それは確かにそうだと思う。」

(同「捨て駒になった留学生」p.48より抜粋)

 

「…やっぱりいま出かけられなくて、しんどい状況にあるっていうのが、辛かったんで。それで出かけて、ちょっと〔自分の精神状態が〕良くなるんだったらもうそれは〔外出を〕したほうがいいっていうか。…」

(同「コロナ禍で「出かける」こと」pp.160-161より抜粋)

 

学生たちが編み、安岡先生が監修した『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』。ここには、大学生とその周囲の人々への聞き取り調査で収集したさまざまな「コロナ禍の声」が収められている。

『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』安岡健一監修、大阪大学日本学専修「コロナと大学」プロジェクト 編(大阪大学出版会、2023年)

『コロナ禍の声を聞く 大学生とオーラルヒストリーの出会い』安岡健一監修、大阪大学日本学専修「コロナと大学」プロジェクト 編(大阪大学出版会、2023年)

 

自粛が叫ばれるなか、息苦しさから自分の心を守るためにあちこちに出かけた大学生。

渡航制限の影響で入管や大学とのやりとりに奔走することになった留学生。

意中の同級生に想いを伝える決心をした矢先に学校が休校になってしまった高校生。

家庭内感染でかえって仲が深まったという家族。

教育現場で対応に追われた大学職員……。

 

どれもが「外出自粛」「水際作戦」「一斉休校」といったニュースの見出しで使われる言葉だけで括ることができない体験だ。コロナ禍とは何だったのかを後世の人々が知ろうとするとき、当時を生きた人々の実像にせまる貴重な資料になるだろう。

 

このように、インタビューによって個人の直接的な体験(いわば一人称の「語り」)を記録・収集する研究手法、またそのようにして書かれた歴史を「オーラルヒストリー」と呼ぶそうだ。オーラルヒストリーはこれまでの歴史研究とどう違い、なぜ必要とされているのだろうか。

忘却にあらがうために、積極的に「語り」を残していく営為

安岡先生によると、受動的に残された文献資料を研究するのではなく、研究者みずからが当事者に関わりながら積極的に資料をつくり、後世に残していくことがオーラルヒストリーの大きな特徴だという。今、そんな研究手法が注目される背景とは?

 

「歴史を振り返ると、社会が巨大な変化に直面したあと、それが忘れ去られようとしているようなタイミングでオーラルヒストリー的な動きが活発になる傾向があります。日本の歴史学で最初にオーラルヒストリー的な動きが生まれたのは明治20年代頃です。明治維新からしばらく時間が経って、それ以前の江戸幕府の時代を人々が忘れはじめた頃に『今聞いておかないと、あとから何もわからなくなる』と危惧した人がいたんです。1920年代には第一次世界大戦があり、都市化が進み、社会の様相が変わっていくなかで民俗学的な調査が盛んに行われました。

 

近年では戦後50年が大きな節目だったのではないでしょうか。国際的にも冷戦終結、ソ連崩壊の直後で、社会が巨大な断絶に直面するなかで、それまで社会的、個人的に抑止されてきたものをもう一度思い出して語るグローバルな動きが生まれ、今日につながっているのだと思います」

安岡先生のお写真

安岡健一先生。専門は日本の近現代史で、農業史から教育史まで地域に根ざしたさまざまなテーマに取り組んでいるが、どんなテーマでも聞き取り調査は欠かせないという。

 

来年で戦後80年を迎える日本社会を見渡せば、戦争の記憶をもつ人がどんどん少なくなり、他人事のように戦争を語る人が増えてきているように思う。時代は違えど、人々を突き動かした「今聞いて/語っておかなければ忘れ去られてしまう」という切迫感は筆者にもよくわかる気がする。しかも、社会や人々が出来事を忘れ去るテンポは確実に早くなっていると安岡先生。東日本大震災の発災後、あまり間もないうちから「風化させてはならない」という声が上がり、被災体験の記憶を残す取り組みが始まったのはその裏返しともいえそうだ。

 

それでは聞き取りを行うのは早ければ早いほど良いのかというと、そうとも言いきれない。「記憶が新しいうちに残しておくべきことがある一方で、時間が経ったからこそ話せることも実は沢山あるんですよね。聞き手の『今聞きたい』という気持ちと、語り手の『今語りたい』という気持ちがセットになるのであれば、絶対に残しておいたほうがいいというのが僕のスタンスです」

 

「語り」の根底には、今このときだからこそ語られるべき理由があるのだ。

主観的で個人的、だからこそ価値がある

そうすると、収集された語りのなかには語り手の主観もふんだんに織り込まれてきそうなものだ。そのときの気分や思い違いなどが含まれることで、歴史資料としての価値を下げてしまうことにならないのだろうか。

 

「オーラルヒストリーには客観的事実を明らかにする手がかりとなる側面ももちろんありますが、近年の歴史学で注目されているのは、むしろ主観の領域のほうなんです。語り手のものの見方や感情、ときには覚え間違いも含めた記憶の仕方に大きな意味があるのだということに多くの研究者が気づき始めています。

 

歴史学には、人間の感情が歴史に果たした作用に注目する『感情史』というアプローチがあります。2001年に9.11テロが起こりましたが、ああいうむき出しの暴力に触れたときの人間の感情のあり方は、そのまま社会を変える力になってしまう。そうした現実に直面したときに、それまで重視されてきたような理性や論理だけではなく、主観の領域でも歴史を捉え直して見てみようという動きが活発になりました。オーラルヒストリーもまさにこうした潮流のなかで評価されていると言っていいでしょう」

 

感情のうねりが可視化され物事を動かしてしまうSNS時代を生きていると、感情史というアプローチには非常に納得がいく。歴史上の革命の数々だって、民衆の感情の動きの総体として見ることができるだろう。

 

オーラルヒストリーで避けて通れないもうひとつの重要な要素がある。それは聞き手と語り手の関係だ。「同じ人へのインタビューでも、AさんがやるのとBさんがやるのとでは全然違う結果になるでしょう。そういう主体性を排除せず、むしろそのことの意味をきちんと記録し、考える材料として残していく。これが大事なことなんです」と安岡先生。

 

『コロナ禍の声を聞く』にも、大学生である聞き手が自分の家族や友人に対して行った聞き取りが多数収録されている。そこで語られるエピソードは単に事実をなぞるだけでなく、その人の本音や感情の動きを感じられるものばかりだ。それを読んだ筆者も、高齢にさしかかりつつある両親にいろいろな話を聞いておいたほうがいいんじゃないかと思ったりしたのだが、これもオーラルヒストリーになるのだろうか。

 

「それは良いことですね。必ずしも専門家じゃないと聞き取りができないということはありません。むしろ家族や友人、同じ地域の人といった近しい関係だからこそ聞けることというのも非常に重要です。沖縄県では以前、『子や孫につなぐ平和のウムイ事業』という取り組みが行われていました。孫世代がおじいさん、おばあさんに戦争の時の話をインタビューして、その様子を映像で記録していくというものなのですが、やはりそこで語られる話というのは『本当にこの子たちに伝えなきゃいけない』という思いがこもっていて、非常に良いんですよね……」

 

もちろん、聞き取りを意味のあるものにするためには専門知識も欠かせない。聞き取りの際のルールやテクニックに関する知識も必要だし、収集した音声や動画は保管方法や公開方法を定めてアーカイブ化することではじめて学術的な価値をもつ。市民と専門家が協働することで、良質なオーラルヒストリーが実現できるのだ。

 

「私も市民の方々と協力して、教科書に載るような大きな歴史と地域や個人の小さな歴史の間を埋めていくような研究をやっていきたいと思っています。そうした活動を通して、自分が歴史の主体であるということをそれぞれが考えられるようになっていくのが大事なのかなと思います」

 学生という立場から「コロナ禍」の歴史を編むこと

さて、ここからはコロナ禍での聞き取り調査を実践し、『コロナ禍の声を聞く』を編んだ中心メンバーである4年生のみなさんにもお話を聞いていこう。ここに収録されているのは、オーラルヒストリーを学ぶ授業の一環で、2020年、2021年に大阪大学をフィールドとして行われた聞き取り調査、そして2022年の学祭で行われた聞き取りの成果である。コロナ禍で学生生活に大きな影響を受けた当事者でもあるみなさんは、どんな気持ちで人々の声に向き合ったのだろうか。

上垣皓太朗さん(左)、草替春那さん(右)

上垣皓太朗さん(左)、草替春那さん(右)

 

書籍化の企画が動き出した頃を振り返って、「聞き取ったなかにはシビアな内容もあれば、そうではないものもあるんですが、それを僕たち学生がわいわい言いながら本にしていくということがそれ自体、歴史のつづり方のひとつなんじゃないかと。自分たちの主体的な表現として歴史を書くということに意味があるんじゃないかと思ったんです」と話してくれたのは上垣皓太朗さん。自分たちらしくオーラルヒストリーと向き合うために、授業で行った聞き取りに加えて、2022年の学祭でも聞き取りを行うことにしたそうだ。

 

けれど、聞き取りはすんなり進行するばかりではない。草替春那さんは聞き取りの難しさを語ってくれた。「学祭のブースに来てくださった方に聞き取りを行った際、これから録音しますねという段になって『私の話なんて普通のことだから(話す価値はない)』と断られることもありました。あなたの日常の語りにこそ価値があるんですということを伝えきれなかった後悔もあるし、それまで活き活きとお話しされていた方が、録音を始めた途端に固くなってしまうのもすごく難しさを感じました」

2023年の学祭での聞き取り風景

書籍の刊行後、2023年の学祭でも聞き取りを実施した(聞き取りを受けているのは筆者)

 

人と直に言葉を交わす聞き取りは、ときに強い感情を受け取ることにもなる。メンバーのみなさんは、かけがえのない言葉や感情の重みをいつも感じながら聞き取りに臨んでいたという。

 

メンバーの野村琴未さんは、学祭での聞き取りで印象的な出来事を体験したそうだ。「私たちの世代はコロナで入学式が開催できず、1年延期になったんです。ブースに来てくださった方にもその話をしたのですが、その方のお子さんも近い年齢だったそうで共感してくださって。それから戦争も始まっていろいろありますよねと話をしていたら、しばらくして(感極まって)泣き出されてしまったんです。結局それ以上お話をお聞きすることはできなかったんですが、私にとっては、自分のことにそこまで感情を寄せてくれる人がいるということを知った大きな出来事でした」。別の機会に実施した大学の職員さんへのインタビューでは、職員さんが大学生のことをどれだけ気にかけているのかを直接言葉を交わすことで実感できたという。こうした聞き取りを通して、野村さんは自分たちが大学や周囲の人に受け入れられていると感じることができたそうだ。

野村琴未さん(右)

野村琴未さん(右)

 

「時期的にも心情的にも、僕らはすごくコロナ(が避けがたいテーマ)だった」「コロナを忘れたくないというパッションで突き進んできた」と話す4年生のメンバーはこの春に卒業を迎える。頭の中にはプロジェクトを今後につなげるためのアイデアもたくさんあるという。コロナの記憶をとどめるための営みはこれからが本番だ。

「100年後から見た今」を考えるとき、自分は2123年にも生きている

人々の語りを歴史に位置づけていく営みを通して、大きな視野を持てるようになったと上垣さんは言う。「今、僕は2023年に生きているけど、100年後から見たらどう見えるんだろうということを考えるようになって、そう考えているときって、ある意味、僕は2123年にも生きているわけですよね。そんなふうに視野が広がると、小さなことにとらわれなくてもいいか、と」。

 

これには安岡先生も「それは重要やで。『今生きてる人はだいたいみんな同世代』みたいな」と同意。生きてる人はだいたいみんな同世代、なんとも風通しの良い考え方だ。

 

自分のようなちっぽけな人間も、同時代の人々とともに生きて歴史をつくっているのだ。日々流れてくる辛いニュースの見出しや数字に無力感を覚えてしまうこともあるが、それだけに括ることのできない一人ひとりの存在を思えばこそ、やはりただ「辛い時代」で終わらせたくないとも思わされる。今を生きる自分だからこそ忘れないでいられること、語り残せることもきっとあるだろう。

【第9回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。インナー向け広報で誰に・何を・どう伝える?

2024年2月20日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、大学広報関係者を対象とした勉強会を定期的に開催しています(勉強会レポートの一覧はこちら)。2023年12月21日に開催した第9回大学広報勉強会のテーマは「難しいけど、やっぱり大事! インナー向け広報を考える」。

 

インナー向け、つまり大学内部や関係者に向けた広報ということですが、その対象範囲は教職員や学生、はたまた卒業生や保護者まで幅広く、目的や方法もさまざま。外部からは見えづらいだけに、他大学でどんな施策が展開されているのか気になる関係者は多いのではないでしょうか。そこで今回は、京都産業大学、金沢大学、大阪経済大学、近畿大学の広報担当の方々に登壇いただき、それぞれの取り組みをご紹介いただきました。

 

京都産業大学 良川侑史さん「学生たちとともに取り組む、在学生向け広報活動」

金沢大学 鍜治聖子さん「在学生と保護者に、大学の“今“を伝える広報誌のつくり方」

・大阪経済大学 高濱悠紀さん「学内向けメディアで、ビジョン推進の意識を醸成する」

・近畿大学 村尾友寛さん「広報ファーストで実践する、近大流インナーブランディング」

学生の目線で必要な情報を届ける。京都産業大学「サギタリウス」

一人目の登壇者は京都産業大学より、広報部主任の良川侑史さん。学生団体が主体となって運営を手がけるWEBマガジン「サギタリウス」について発表していただきました。

 

京都産業大学の公式サイトから閲覧することができる「キャンパスWEBマガジン サギタリウス」。開いてみると、教員の紹介や就活サポート情報、学校周辺のグルメ、京都のお出かけ情報まで、学生生活に役立ちそうな情報が満載です。

「サギタリウス」トップページ

「サギタリウス」トップページ

 

サギタリウスはもともと2000年に紙の冊子としてスタートした媒体で、2020年からウェブ版にリニューアルしたそうです。毎月3本の記事更新のほか、スタッフコラムや他の学生団体と連携したスポーツ記事も配信しています。

 

そんなサギタリウスのインナー広報としての役割は、「在学生に大学を知ってもらう・好きになってもらう」、そして「在学生が知りたい情報を届ける」こと。そのため運営体制も学生が中心です。企画、取材、記事作成、発信までを約30名の学生メンバーが担い、外部の制作会社や広報部は主にそのサポートに回っているそう。記事だけにとどまらずSNSや動画でも学生目線の情報を発信しているとのことで、熱量の高さがうかがえます。

 

学生スタッフが主体となって記事を制作することで、在学生が本当に興味を持っている情報を発信できるほか、地域のお店や卒業生に取材を受けてもらいやすいというメリットもあるそうです。また、学生スタッフの活動がNHKの取材を受けたこともあり、結果的に情報発信につながっている側面も。

京都産業大学の良川侑史さん

京都産業大学の良川侑史さん

 

「最終目標は学生団体として自走すること」と良川さんは言いますが、学生ならではの難しさもあるようです。それは、新しく入った学生がようやく活動に慣れてきた頃には卒業してしまうこと。短いサイクルの中でも主体性を発揮して活動してもらうため、新しいメンバーが加入したらミーティングや研修会でとにかく早く馴染ませることが欠かせません。また、新入生にはサギタリウスを紹介するリーフレットを配布して認知拡大をねらいます。

 

そして何よりも学生スタッフが楽しんで活動に参加し、将来につなげてもらうことが大切ということで、Web記事以外の広報活動に参加してもらうこともあるそう。「教育的な側面もあるのかなと。学生が将来につながるようなチャレンジをできる場にしていきたいです」と広報にとどまらない意義を語っていただきました。

紙の冊子に込めるこだわり。金沢大学の学内広報誌「Acanthas

続いては、金沢大学 改革戦略室事務局 広報戦略室の鍜治聖子さんが登壇。金沢大学の学内広報誌「Acanthus(アカンサス)」のリニューアルについて発表していただきました。

 

金沢市内の出版社で情報誌の編集長をされていたという鍜治さん。2020年に金沢大学に入職し、はじめに手掛けたのが広報誌のリニューアルでした。それまでのAcanthasは年3回発行、学内やイベントなどで配布するほか、年に1度だけ保護者に送付されていたそう。しかし、あらゆる情報がオンラインに移行するなかで、広報活動全体のなかで紙の情報誌に割くことのできる労力、時間、コストは限られてきます。

 

「せっかく時間や労力をかけるのであれば、読んでもらえるものをつくろう」。そんな思いで鍜治さんは思い切った改革に乗り出しました。まずは発行回数を年2回に減らし、ターゲットを保護者と在学生、企業に明確化。さらに、それまで外部に頼っていた編集業務やアートディレクションを鍜治さん自らが担当し、デザイン事務所と連携して紙面も大幅にリニューアルしたそうです。

リニューアルした48号の表紙、紙面とサムネイル(デザインの指示書)。鍜治さんみずから細部までディレクションしていることがわかる

リニューアルした48号の表紙、紙面とサムネイル(デザインの指示書)。鍜治さんみずから細部までディレクションしていることがわかる

 

違いがひと目でわかるのはやはりデザイン面です。これまで各号ばらばらだった表紙デザインは、学生モデルを起用した撮り下ろし写真に統一。印象的なカメラ目線のバストアップで目を引く効果を狙います。紙面は視線の誘導を意識して、ポップでありながら読みやすくわかりやすいレイアウトに。写真撮影では表情やポーズもしっかりディレクションします。内容面では、その時々で一番伝えたいことを特集に据え、学生広報スタッフの視点を積極的に取り入れる工夫でターゲットへの訴求力を高めました。

 

生まれ変わったAcanthasへの学生や保護者からの評判は上々。クオカードがもらえるアンケートも実施し、それまでなかった量の反響が寄せられているそうです。

金沢大学の鍜治聖子さん

金沢大学の鍜治聖子さん

 

雑誌編集のプロならではのこだわりでリニューアルを成功させた鍜治さんですが、「いつまで紙媒体が必要か、どこかでオンラインに移行するタイミングが来るのでは」と冷静に分析。また、クオリティを維持するための体制づくりも必要だと今後の課題を語ってくれました。

「創発」を生みだすプラットフォーム。大阪経済大学「TALK with

3人目は大阪経済大学から、企画部広報課 課長の高濱悠紀さんがご登壇。インナーブランディングサイト「TALK with」とそれに関する取り組みをご紹介いただきました。

 

大阪経済大学では、創立100周年となる2032年に向けて新たなビジョンとミッションを掲げ、その浸透と実現に向けたインナーブランディングに取り組んでいるそうです。そのキーワードは《創発》。予期せぬものとの出会いや異質なものとのぶつかり合いが新たなものを生み出すという意味の言葉です。多様な人が集う大学という場で、人とのかかわりの中から生まれる新しい発見や異なる視点が、新たな価値を生み出す源泉になるというイメージだと高濱さんは言います。

 

この創発という概念を浸透させ、教職員の横のつながりを育むために2020年にオープンしたのが教職員向けのサイト「TALK with」です。

スタート時は、学長メッセージと「DAIKEI TALK」が2大コンテンツだった

スタート時は、学長メッセージと「DAIKEI TALK」が2大コンテンツだった

 

学長メッセージと並ぶ初期のメインコンテンツは「DAIKEI TALK」。普段は接点の少ない教職員同士が膝を突き合わせ、日常業務で考えていることやビジョンについて語り合う座談会を記事にしたものです。記事の公開に合わせて座談会参加者から読者へのアンケートを実施するなど、双方向のコミュニケーションを意識した取り組みになりました。

 

そのほかにも、教職員へのビジョンの浸透度合いを定期的なアンケートで把握したり、ワークショップを行うなど、打てる手は何でも打っていきます。トップダウン的な情報発信のみにとどまらず、多様な意見をすくい上げ、人を巻き込んで理念を広げていく仕組みこそが「TALK with」の特徴といえそうです。

 

教職員のみに公開されていた「TALK with」ですが、内容が充実するにつれて学外のステークホルダーや学生にも見てもらいたいという声が上がるように。対話の輪をさらに広げるために、2022年には満を持して学外公開に踏み切ります。さらに2023年12月にはサイトを全面リニューアル。「教職員・学生で大経大を創発の場に」という新たなコンセプトのもとターゲットを学生まで広げ、全学的なメディアとしてますます進化しているそうです。

大阪経済大学の高濱悠紀さん

大阪経済大学の高濱悠紀さん

 

コロナ禍から通常の業務に戻りつつあることで以前のように長時間の座談会は難しくなってきたものの、これからも更新頻度をさらに上げて発信を続けていきたいと高濱さん。残りの時間で広報誌と大学公式サイトの取り組みも紹介し、「今日ご報告したのはまだまだ始まったばかりの取り組みです。学生を入れることで教職員に変化が起こるのかなども含めて今後検証していきたいです」と締めくくりました。

対外広報で学生、教職員のモチベーションを上げる。近畿大学流のインナー戦略

4番目に登壇いただいたのは、近畿大学 経営戦略本部 広報室 課長補佐の村尾友寛さん。メディア広報で話題をさらう「近大」らしい、攻めのスタイルのインナーブランディングについてお話しいただきました。

 

教職員向け冊子、保護者向け冊子、保護者懇談会といった取り組みもありますが……と前置きをしたあと、村尾さんは「対外広報こそが最強のインナー広報だ!」と近大流の考え方を披露。近畿大学の広報といえば、「近大マグロ」のビジュアルを大胆にあしらった広告の数々が思い浮かびます。「他大学と横並びにならないように、“大阪の”大学らしく差別化する」そして「大学の序列に挑戦する」という広報戦略のパワフルさは大学関係者なら誰もが認めるところでしょう。

近畿大学の村尾友寛さん

近畿大学の村尾友寛さん

 

そんな外向けのブランディングがインナーにもいい影響を与える好例が、著名人を招いた“ド派手”な入学式なのだそう。「もちろんメディア向けに話題化するという狙いもあるのですが、同時に新入生に『近大に来てよかった、頑張れそうだ』と思ってもらうためにやっている側面もあります。テレビや新聞で紹介されれば、ご近所さんや地元の同級生からも『楽しそうな大学に入ったな』と声をかけてもらえて、それがまた学生の自信につながります」と村尾さん。もちろん卒業式でも著名人を招聘してド派手に送り出します。

 

対外的に大きな話題になるようなイメージ戦略を次々に打ち出していくことが、結果として所属する人々のモチベーションアップにつながる。これが近大流の“最強のインナーブランディング”なのだそう。実際にここ10年ほどの間に各種調査での近畿大学のブランドイメージはぐんぐんと伸びていて、それを活かした新聞広告も展開されました。

2023年の正月に掲載されたこの広告は、同年の新聞広告賞で堂々の大賞に選ばれた

2023年の正月に掲載されたこの広告は、同年の新聞広告賞で堂々の大賞に選ばれた

 

AIで生成したというちょっと派手めな近大生の画像にかぶせて、大きく「上品な大学、ランク外。」の文字。よくよく読んでいくと、「エネルギッシュである」1位、「チャレンジ精神がある」1位、「コミュニケーション能力が高い」1位……と実際のランキング結果をふまえた近大生のイメージがわかるというもの。これをインナーの観点で見ると、「『君たちはスゴいんだ』と学生に直接伝えるのもなんだかクサいので、外向けの広告を使って間接的に知らせていくスタイル」とのこと。イメージ戦略がしっかり功を奏しているからこその説得力があります。

 

もちろん教職員のモチベーションも大切です。近畿大学ではとくに教員のメディア露出を重視していて、出演が多い教員を表彰し、研究費を贈呈する制度も用意されているそう。メディア出演への反響が教員のモチベーション向上につながるという好循環を生み出すべく、広報ではフォローアップを欠かさないといいます。

 

最後に、「建学の精神である『実学教育』と『人格の陶冶』をはじめ、大学としてのビジョンを見据えつつ内外への広報に取り組んでいきたい」と締めくくっていただきました。

協力してくれる人を巻き込み、大学を変えていく、インナー広報の役割

休憩を挟んで、後半は恒例の座談会です。ほとゼロ編集長・花岡が進行役となり、4名の登壇者にざっくばらんにお話を伺いました。

 

ずばり「それぞれが思うインナー広報とは」という話題に対して、良川さんはコロナをきっかけに学生の大学へのコミット率が下がっていることを懸念し、「卒業してからも愛校心をもってもらえるよう、今のうちになんとかしないと。若手の職員に対しても同じで、つながりをつくっていくことは広報にしかできない」と危機感をにじませます。

 

「インナー広報には情報共有と行動変容のふたつの目的があるのでは。後者を重視するなら、心が動かないと行動を変えることはできないので、制作物には心を動かす仕組みが必要」と答えたのは鍜治さん。これは記事を書く側としても肝に銘じておきたい指摘です。

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とはいえ、心を動かす仕組みも一筋縄でいきません。学生へのインナー広報についての話題では、村尾さんから「今の大学生はドライで、キラキラした言葉だけでは響かないから難しい」と本音がこぼれます。良川さんも「大学が伝えたいメッセージを押し付けても学生にとっては面白くない。“タイパ”を重視する学生に対して、どんなメリットがあるのかをしっかり示す必要もある」と同意。この課題に対して、京都産業大学では学生を広報に巻き込み、近畿大学では外部向けのイメージ戦略によって間接的に伝える、という対称的なアプローチを取っているのが面白いです。

 

続いて、話題は発表であまり触れられなかった卒業生へのインナー施策に移ります。ここでは高濱さんの「大学は18歳から22歳でわかる価値だけでできているわけではない」という言葉が印象的でした。「社会に出て、家庭を持って初めてわかる大学の良さもある。ふと思い出して母校のHPにアクセスした卒業生がそういう情報に触れ、元気になってもらえるように用意しておくことが大切なのでは」。たしかに、恩師からの便りや後輩の活躍の知らせはうれしいものです。

 

インナー広報で行動を変えることができるのか? という問いに対しては、「協力してくれる人から巻き込んでいくのが腕の見せどころ」と鍜治さん、高濱さん、良川さんの意見が一致しました。

 

 

というわけで、難しいながらも取り組みがいのあるインナー広報というテーマでお届けした今回の勉強会。行動することで何かが変わり、その変化がさざ波のように広がっていく……そんなイメージを描いていただけたのではないでしょうか。

それではまた、次回の勉強会でお会いしましょう。

名文に出会う! 大阪工業大学の学生と高校生たちがつくった「文豪かるた」で遊んでみた。

2024年1月16日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

お正月の遊びはいろいろあるけれど、かるたは記憶力と反射神経が試される意外とガチなアクティビティと言えよう。競技かるたといえば藤原定家が編んだ「小倉百人一首」が有名だが、近代日本の文豪の名文をかるたにした「文豪かるた」はご存知だろうか。

 

「文豪かるた」を開発したのは、以前「水野ゼミの本屋」を取材させていただいた大阪工業大学知的財産学部 水野ゼミのみなさん。当時はまだ鋭意制作中とお聞きしていたが、2023年11月、ついに完成したという。年の瀬差し迫る昼下がり、大掃除のために集まった編集部員たちをつかまえて遊んでみた。

文豪かるた

「文豪かるた」。明治~昭和初期の文豪の代表作の一説を抜き出した読み札とイラストがあしらわれた取り札、それぞれ47枚が収録されている。デザインは同大学ロボティクス&デザイン工学部 赤井研究室が、イラストは大阪府立商業系高校の高校生らが手掛ける。

 

文学作品をはじめ著作物をさまざまな形で利活用する活動を行っている水野ゼミ。「文豪かるた」は、普段あまり本を読まない人にも文学に親しんでもらいたいという思いで開発されたそうだ。読書時間がめっきり減ってしまった大人たちの文学欲を刺激してくれるのか、期待が高まる。

それではさっそく、編集Iさん、読み札をお願いします!

 

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」

 

事情を知らない人が通りかかったら心配されそうな一文がきた。これは誰でも知っているあの作品のはずだ。えーっと「わ」、「わ」……

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」の「わ」

「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。」の「わ」

読み札はこんなかんじ。原稿用紙の柄がかわいい。

読み札はこんなかんじ。原稿用紙の柄がかわいい。

 

はいっ! 太宰治『走れメロス』でした。日没が差し迫る中、己を鼓舞して処刑場へとひた走っているあたりだ。年末進行まっただ中の編集部員と重なるものがあるが、むしろ「休暇明けの仕事に備えて帰省先から自宅に戻っている最中」の心境だと思うと、お正月にもぴったりかもしれない。

 

あれ、ちょっとまって。

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「わ」が1枚じゃないんですけど。

 

こっちは「吾輩は猫である。名前はまだない。」の「わ」だろう。かるたといえば「いろはにほへと…」各1枚ずつと思い込んでいたが、そうではないらしい。さすがに『走れメロス』と『吾輩は猫である』で迷うことはなかったが、確実に札を取るためには作品を知っていたほうが有利ということか。

 

この他にもこのトラップがちょくちょくあり、たとえば「人間」の「に」で始まる札は3枚あるし、「人生」の「じ」も2枚あるから油断できない。

 

人間やら人生やら大上段な言葉が頻出するあたり、まさに「近代的自我」が大きなテーマとされる近代文学らしい。小倉百人一首の場合、頻出語句は「花」とか「月」とかで、文字どおりの四季の風物と恋心とか人の世の儚さとかの心情が重ねられている、というのが定番といえば定番である。けっこうな温度差だが、どちらも現代人の感覚からすると「ちょっとオーバーでは?」と言いたくなるようなところはちょっと似ているかもしれない。

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」の「つ」

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」の「つ」

 

かと思えば、文豪かるたにも

「月の光も雨の音も、恋してこそはじめて新しい色と響きを生ずる。」(永井荷風『歓楽』)なんて、和歌に詠まれてきた心情表現に重なるものもあるので、当然ながら一括りにできるものでもない。

 

さて、かるたに集中しよう。

 

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。」

 

はいっ、芥川龍之介『蜘蛛の糸』! お釈迦様が垂らした一本の蜘蛛の糸に亡者が群がる、お正月的に解釈すれば初売りバーゲンを思わせる(?)シーンだ。

と、これも遊んでいるうちに気づいたのだが、同じ作者の札が2枚あったりする。

『蜘蛛の糸』と『侏儒の言葉(遺稿)』のダブル龍之介。どちらも良い顔をしている

『蜘蛛の糸』と『侏儒の言葉(遺稿)』のダブル龍之介。どちらも良い顔をしている

 

よくよく見ると絵のタッチにも個性があって、「こ」の龍之介はシンプルな線でキリッと

していて、「う」の龍之介はラフで味があるタッチだ。実はこのかるた、大阪府立の商業系高校と連携して制作されており、イラストの多くは高校生が手掛けている。この取札の個性が、文章と相まって作家の魅力を引き立てているように感じた。

 

かるたは取った枚数を競う遊びではあるが、一番の楽しみはお気に入りの札を取ることだろう。そういう意味でも絵柄は大切だし、好きな作家や知っている作品の札を取ることができると単純に嬉しい。『走れメロス』と並んで国語の教科書でおなじみのこちらの札は編集部員たちが一番の盛り上がりを見せた。

 

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」の「ご」(新美南吉『ごんぎつね』)

「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」の「ご」(新美南吉『ごんぎつね』)

筆者は撮影しながらの参加だったが、推しの宮澤賢治をちゃっかり確保できて満足。『風の又三郎』「どっどど どどうど どどうど どどう」の「ど」。

筆者は撮影しながらの参加だったが、推しの宮澤賢治をちゃっかり確保できて満足。『風の又三郎』「どっどど どどうど どどうど どどう」の「ど」。

 

というわけで、今回はガチの取り合いとはいかなかったが、イラストや気になる一文についてわいわい喋りながら遊んでみた。編集部員たちも「名前を知っている作家や作品は多いけれど、意外と全然読んでなかった」「この作家、こんなこと言ってたんだという発見があった」「作品を読んでみたくなる」と、文豪の名文を新鮮に楽しんでいた様子だ。

 

本が好きな人も、そうでもない人にもおすすめの「文豪かるた」。一文をきっかけに文学への扉が開くかもしれない。『水野ゼミの本屋』をはじめ一部の本屋さんやイベントで購入できるので、チェックしてみてはいかがだろうか。

ブックレビュー(3):「ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力」

2023年12月7日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していくコーナーです。

第3弾は、珍獣図鑑(18):省エネだけど意外に大胆! ナマコの生き方「なまこも~ど」のススメでナマコの驚きの生態の数々を楽しく教えてくださった東京大学の一橋和義先生の著書、『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』(さくら舎)を取り上げます。(編集部)


 

地道にこつこつ、考え過ぎず前向きに……そんな生き方に憧れつつ、次から次へと悩みのタネを見つけては頭を抱えてしまうのが人間という生き物だ。悩みの中にいるあなたの前に、脳がなくても元気に生きている生物界の大先輩が現れたとしたら……?

 

今回紹介するのは、一橋和義先生が今年8月に上梓した『ナマコは平気! 目・耳・脳がなくてもね! 5億年の生命力』。ポジティブすぎるタイトルにふさわしく中身も愉快だ。失恋のショックで深い海の底に沈んでしまった「ぼっちゃん」と、マナマコの「アルマータ姉さん」(マナマコの学名Apostichops armataに由来する)が関西弁でしゃべくりまくり、ときには歌も交えつつナマコの生き様を学んでゆくミュージカル仕立てのナマコ入門書となっている。

笑って泣ける掛け合いで、人間の常識をやわらかく解体してくれる

以前の「珍獣図鑑」のインタビューでは、ストレスを感じると内臓を吐き出す、魚を殺せる毒を持っている、分身の術のように体の一部を切り離すことができる……など、意外にアグレッシブなナマコの生態についてたっぷり教えていただいた。本書ではそれらについてさらに詳細に知ることができるだけでなく、ダンスパーティーのような繁殖方法や、一部のナマコがもつ冬眠ならぬ夏眠の習性など、「まだあったのか」と唸らされるようなユニークな生態が次々と明らかになっていく。

 

そしてなんと言っても、面倒見のいいアルマータ姉さんと生き方に悩むぼっちゃんの掛け合いが楽しい。たとえばこんな具合だ。

ナマコには脳がないと知ったぼっちゃんは、目を輝かせてアルマータ姉さんに質問する。

 

(以下引用)

「脳がなくてもええん」

「ええよ」

「頭よくなくてええん」

「ええよ」

「勉強せんで、ええん」

「無理な勉強は体に毒やで、せんでええよ」

「じゃあ何もせんでええん」

「息はしなはれ」(中略)

「ところで姉さんは鼻はどこにあるん」

「お尻で、息しまんねん。こんなふうにや、ふ~ふ~ふ、ほ~~、ふ~ふ~ふ、ほ~」

(引用終わり)

 

アルマータ姉さん、なんという包容力! 自分がひどく落ち込んでいるとき、誰かに「息してるだけでええよ」と言われたら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。

もちろんこれはナマコの体の構造を説明するうえでの話の流れなのだが、人間が囚われている常識をやわらかく解体してナマコ流の生き方を示す語り口は、ただ知識だけを教わるよりもよほど心に響くものがある。お尻で息をするアルマータ姉さんが、ユーモラスだけどなんだかカッコよく見えてくるのだ。

 

人間とはかけはなれた生態をもつ生き物について学ぼうとするとき、こんなふうに相手をリスペクトすることはとても大切だと思う。人間の基準だけでジャッジしていると、その生き物にとっての合理性を見落としてしまうからだ。以前のインタビューでも、一橋先生は「人間の視点とナマコの視点を行き来することで気づくことがたくさんある」と仰っている。ぼっちゃんとアルマータ姉さんのやりとりには、まさにそんな視点が生きているように思えた。

本文はストーリーのパートと解説パートで構成されている

本文はストーリーのパートと解説パートで構成されている

 

そんなストーリーパートを詳細に補完する解説パートも、ナマコについてわかっていることをただ説明するだけではないのがミソだ。「ナマコの食事量と糞」という項目ではナマコの糞(といってもほとんどが砂粒だ)をスプーンですくって重さや長さを測ったり、「ナマコの切断再生実験」ではナマコを2分割、3分割して再生する様子を観察したりと、リアルな実験・観察の様子が写真つきで解説されている。

 

中には、ドロドロに溶けた状態の2匹のシカクナマコをひとつに丸めて再生させて合体するか試してみる、オオイカリナマコ(ウミヘビのように長い体をもつナマコ)の体をロープみたいに結んで、自力で解くのにかかる時間を測るなど、思わず「何じゃそりゃ」とツッコミたくなるような(しかし至って真面目な!)実験もある。科学や生物が好きな人なら、摩訶不思議なナマコの虜になること間違いない。

 

ぼっちゃんとアルマータ姉さんは、意地悪な魚を撃退したり、まっぷたつに分裂したり(!)、多種多様なナマコや海の生き物と出会ったりしながら海を探検していく。その中でぼっちゃんは何を発見するのか、結末はぜひ本書を読んで見届けてほしい。

 

  • 一橋和義先生からのコメント

地球上に暮らす多くの生物の数だけ世界観はあると思います。それら多くの世界観の中の一つとして、拙著がナマコの生態に興味を持っていただけるきっかけの一つになれたら、とてもうれしく思います。人間だけの世界観、物差しで自分や他の人、物事を見てはかるのなら、この豊かで可能性に満ちた世界を十分に満喫できなく、つまらなく、なんてもったいないことでしょう! 自らが囚われている心の中の小さなバケツをひっくり返し、心の中に多種多様な生物が生きる大きな海、宇宙をもてたなら、どんなにかのびのびとでき豊かで幸せなことしょう! ぜひ、いろいろな世界観を知って自分を幸せにしてあげてくださいね!

 

 

 

おもちゃ meets 宇宙! 月面を探査する変形ロボット「SORA-Q」の生みの親、同志社大学の渡辺公貴先生に聞く開発秘話

2023年9月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

アポロ11号の月面着陸から50年余。今再び、各国による月へのレースが過熱している。この8月にはインドの無人探査機が月面着陸に成功して世界を驚かせたところだが、日本でもJAXAが行う月面着陸実証計画「SLIMプロジェクト」が進行中。9月7日に打ち上げが成功し、日本初の月面着陸成功に向けて期待が高まっている。

 

そんなSLIMプロジェクトに一風変わったロボットが参加しているらしい。。国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(以下「JAXA」)、タカラトミー、ソニーグループ株式会社、同志社大学が共同開発した「SORA-Q(ソラキュー)」だ。このSORA-Q、おもちゃのようなかわいらしい見た目とは裏腹に、大きな使命を負っているという。タカラトミーでロボット玩具などの開発に携わり、現在は同志社大学教授である渡辺公貴先生の研究室を訪ね、開発秘話とSORA-Qのミッションについてお聞きした。

丸い機体に変形玩具の技術とロマンが詰まった月面探査ロボット!

まずはさっそく「SORA-Q」を見せていただいた。ボール状の外殻が半分に割れて、中からカメラやしっぽ(スタビライザー)が飛び出している。手のひらに乗るサイズでとても軽い。実はこれは9月に一般販売されたプロダクトモデルだが、大きさや形、変形、動き方は月に送られる実機とほとんど変わらないという。

「SORA-Q」プロダクトモデル。特撮番組に出てきそうなデザインが少年心をくすぐる。

「SORA-Q」のプロダクトモデルである「SORA-Q Flagship Model」。特撮番組に出てきそうなデザインが少年心をくすぐる。

左がプロダクトモデル、右は月面に送られる実機により近いテストモデル。外殻部分がプロダクト版よりも薄く、軽量化されている。一部パーツが透明なのはテスト時に内部を確認しやすくするため。

左がプロダクトモデル、右は月面に送られる実機により近いテストモデル。外殻部分がプロダクト版よりも薄く、軽量化されている。一部パーツが透明なのはテスト時に内部を確認しやすくするため。

 

球形のロボットといえば、筆者は2000年の映画「ジュブナイル」に登場したテトラが真っ先に思い浮かぶ世代である。テトラは(なぜかカタコトで)喋ったりするかわりに手足を付けてもらわないと動けなかったが、SORA-Qは変形して元気に動き回る。どちらかというとトランスフォーマーだ。

 

変形して机の上を走り回るSORA-Q。トランスフォーマーなどの変形玩具を多く手掛けるタカラトミーらしいロボットだ。

 

プロダクト版は専用のアプリをインストールしたスマホで操縦する。本体のカメラの映像もリアルタイムに確認できる。

プロダクト版は専用のアプリをインストールしたスマホで操縦する。本体のカメラの映像もリアルタイムに確認できる。

 

左右の外殻をえっちらおっちら回転させてクロールするように動き回る姿がいじらしいが、この動きにこそ、月面のでこぼこな砂地を攻略するための秘訣があるという。ある生き物から着想を得たそうだが、その生き物とは何だかわかるだろうか?

答えはのちほど渡辺先生に教えていただくとして、SORA-Qが月面でどんな活躍をするのかをお聞きした。

日本の宇宙技術開発の鍵!? 月面の砂・レゴリスのデータを集める

SLIMに搭載されるSORA-Qの大きな役割は、月面の低重力環境下における超小型ロボットの探査技術を実証することだという。SLIM着陸機が月面に近づいたら、SORA-Qはボール状の形態のまま放出される。落ちたところで変形・移動して着陸機「SLIM」の様子を内蔵カメラで撮影し、さらに動き回って砂の上にできた轍を撮影したり、搭載されている加速度センサーで走行ログを取ったりする。それらのデータを中継機(LEV1)介して地球に送るまでがSORA-Qのミッションだ。

 

なぜ砂地の情報が必要なのだろうか?

 

「月面を覆う砂のことをレゴリスと呼びます。隕石が月面に衝突して両者が砕け散ることで生じたレゴリスは長い時間をかけて降り積もり、場所によって数センチから10メートルぐらいの厚みで堆積しています。

 

現在、トヨタとJAXAの共同で大型月面ローバー『ルナクルーザー』の開発が進められているのですが、かなりの重さになるローバーを月面に持って行ってうまく走行できるかどうかを知るためには、まずレゴリスの状況を知る必要があります。地球の6分の1の重力でレゴリスがどの程度フカフカなのか、あるいはそうでもないのか。重たいタイヤが沈み込んでしまわないかどうか……SORA-Qには、将来の有人探査に向けてこうした情報を集めることが期待されています」

 

せっかく莫大な労力とお金をかけてローバーを月面に送っても、走行できなければ意味がない。かといって、6分の1重力でのレゴリスの振る舞いは実験室で簡単に再現できるものでもない。月面へのレースでアメリカ、ロシア、中国、そしてインドが先行するなか、SORA-Qがもたらす「生の月面」の情報は日本の宇宙技術開発の遅れを取り戻す意味でも非常に重要なのだ。

 

今年4月にはSORA-Qを載せた日本の民間プロジェクト「HAKUTO-R」が月面着陸に挑戦したが、残念ながら着陸失敗という結果に。宇宙関係者はSLIMプロジェクトの成功を固唾をのんで見守っている。

SLIM着陸機から放出されるSORA-Q(LEV-2)のイメージ。SORA-Qが収集したデータはbluetoothで小型探査ロボットLEV-1に送られ、LEV-1から地球に送信される。(Credit:JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学)

SLIM着陸機から放出されるSORA-Q(LEV-2)のイメージ。SORA-Qが収集したデータはbluetoothで小型探査ロボットLEV-1に送られ、LEV-1から地球に送信される。(Credit: JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学)

玩具メーカーが月面探査ロボットをつくった理由

月面探査ロボットを開発することになったきっかけは、JAXAの公募だったそうだ。タカラトミーに在職中だった渡辺先生がたまたま見つけたその公募は、月や火星での活動を想定した「昆虫型ロボット」の共同開発パートナーを募集するというもの。大学や民間の宇宙開発企業が手を挙げるなか、玩具メーカーとして応募に踏み切ったわけだが、渡辺先生にはもちろん勝算があった。

 

「当時私はタカラトミーの戦略開発部という部署にいて、既存の玩具の枠を越えたような新しい玩具を開発するべく、先端技術に関する情報を日常的に集めていました。昆虫型ロボットの公募に応募したのも、JAXAとならば何か面白いものがつくれそうだと思ったからです。

 

公募の7年前には『i-SOBOT(アイソボット)』という小型ロボットを開発しまして、それがなんと2008年の『今年のロボット』で経済産業大臣賞(つまり大賞)をいただいたという実績があります。おもちゃに限らずその年に発表されたあらゆるロボットの中でのナンバーワンに選ばれたのは相当大きな評価で、その年に開催された北海道洞爺湖サミットでもお土産として参加各国のエネルギー大臣にプレゼントされるほどでした。そんなタカラトミーならば何か面白いものをつくれるんじゃないかということで、めでたくJAXAの共同研究のパートナーとして採用いただくことになりました」

 

もともと同社には、玩具に限らず社会の役に立つものをつくろうという社風があるのだという。玩具メーカーとしてのノウハウを宇宙開発に活かすというのもある意味、当然の発想だったのだろう。

渡辺先生にとって思い入れが深い「i-SOBOT」。小さな体の中に17個のモーターが入っていて、器用に全身のバランスを取りながら歩いたり踊ったり多彩な動きを見せる。精巧なだけでなく、子供が遊んでも壊れない頑丈さも持ち合わせている。

渡辺先生にとって思い入れが深い「i-SOBOT」。小さな体の中に17個のモーターが入っていて、器用に全身のバランスを取りながら歩いたり踊ったり多彩な動きを見せる。精巧なだけでなく、子供が遊んでも壊れない頑丈さも持ち合わせている。

 

そうして動き出した共同研究。探査機の研究をするJAXAの久保田孝教授へのヒアリングを行うなかで、「タカラトミーといえばトランスフォーマーのような変形ロボット。球体から変形するロボットをつくってみては」という話が出たという。球形であることにはもちろんちゃんとした意味がある。ロケットに搭載する際に場所を取らないし、自分を守る外殻と車輪を兼ねた構造を実現できる。着陸船から月面に向かってポンと放出されても平気だから、探査機を月面に降ろすためのスロープを用意する必要もない。宇宙開発は1kgの物体を打ち上げるのに1億円のコストがかかる世界だ。小さく、軽くてすむ球形の構造はある意味で最適解といえる。

 

奇しくも、渡辺先生もそれに先立って球体ロボットを研究していたところで、昆虫型にはあえてこだわらず「月面の砂の上を歩く球体ロボット探査機」というコンセプトができあがった。

月面攻略のヒントは、生き物の動きを再現する「玩具ならではの工夫」だった

球形の外殻が半分に割れて、それを車輪のようにして移動する。言葉にすれば単純なコンセプトだが、これが実際につくってみるとなかなかうまくいかなかったそうだ。

 

「スタートから1年経ってJAXAで評価会があったのですが、そのときに発表した機体では、砂地で13度までの傾斜しか登ることができなかったんです。実際に月面でちょっとした穴ぼこがあれば身動きが取れなくなってしまう。発表に対する反応は悪くなかったのですが、自分では『お話にならないな』と思っていました」

 

とはいえひとまず球体ロボットのコンセプトが好評を得たことで、チャンスは次につながることになった。プロジェクトの終了後、JAXAとタカラトミーは月面での運用を前提にさらに踏み込んだ共同研究に向けて契約を締結したのだ。具体的には、JAXAが取り組む小型月着陸実証機SLIMに球形ロボットを搭載するという計画だ。球形ロボットが月面で活躍する未来が一気に現実味を帯びてくるが、そのぶんさらにシビアな制約が開発チームの前に立ちはだかる。

 

「SLIMに搭載するために、直径は80mm以下、質量は300g以下にしなければいけなくなったんです。評価会で発表した直径100mmの機体でも13度の傾斜を登るので精一杯でしたが、80mmにすると10度でも登れない。それですごく悩みました。一晩だけすごく悩んだら、ある動物が思い浮かんだんです」

 

それは、ウミガメだった。

 

孵化したばかりのウミガメの赤ちゃんは、親が産卵のために砂浜に掘った深い穴を器用に登っていくではないか。その秘密は、左右交互に砂を掻くヒレの動きにありそうだ。この動きを球体ロボットで再現できれば、傾斜のある砂地を攻略できるかもしれない。

 

そこで渡辺先生は、玩具でよく使われるある工夫を取り入れることにした。「ここに車輪で前に進む動物の玩具があります。動物がただ車のようにスーッと進んでも面白くないですよね。そこでちょっとした工夫をしてやります。車輪の軸をずらしてやることで、上下にカタカタ揺れるような動物らしい動きになるんです」

 

軸をずらすというシンプルな工夫が効果てきめんだった。球形ロボットの回転する左右の半球の中心軸を少しずらしてやると、ロボットはウミガメのように器用に砂を掻いて砂地を登り始めた!

 

「完成形のSORA-Qでは、砂が自重で崩れてできる角度に近い30度の傾斜でも元気よく登れるようになりました」。渡辺先生が言うとおり、その動きはまるで生き物のように見えるから不思議だ。ウミガメの他に、ヒレを使って干潟を飛び跳ねるように移動するハゼの仲間の動きも参考にしているそうだ。

 「家庭で遊べる宇宙探査ロボット」で宇宙を身近に感じてほしい

SORA-Qが現在の形になるまでには、もう一つの苦労があった。それは、宇宙探査ロボットであるとともに玩具としても成り立たせるためのデザインだ。

 

「もともと、宇宙利用とともに一般向けのビジネスにもつなげるという枠組みで共同研究を行っていたんです。ですが、宇宙でも使えて、玩具としても魅力的なものをと考えたときに、どんなものをつくるのかが実は非常に難しかった。というのも、宇宙に持っていくものというのは意外とみんなシンプルなんです」

 

検討段階では、その道で超有名なデザイナーが手掛けた、それはもう惚れ惚れするようなデザイン案もあったそうだ。しかし、デザインが複雑になればなるほど隙間にレゴリスが入って故障してしまうリスクが上がる。実用性を考慮して最終的に落ち着いたのが今の形だという。お蔵入りになってしまったという案を見てみたかったような気もするが、やはりそこは「月面での実用に耐えるロボット」でなければ意味がないだろう。

 

9月2日にはタカラトミーから「SORA-Q Flagship Model」が一般発売された。公式サイトによると対象年齢は8歳以上。月面で活躍するのとほぼ同じロボットで小学生が遊ぶことができるなんて、まるでドラえもんのような話だ。

 

「理系離れと言われる世の中ですが、SORA-Qを通じてお子さんたちに宇宙や科学技術を身近に感じてもらえると嬉しいです」と渡辺先生は話す。

手作りの持ち運び用ケースに収められたSORA-Q。中高生に向けた科学講座でも活躍しているという。

手作りの持ち運び用ケースに収められたSORA-Q。中高生に向けた科学講座でも活躍しているという。

必要とされる場所に、必要とされるロボットを

定年を間近に控えた2020年、渡辺先生はタカラトミーを辞し、かねてから講義を受け持っていた同志社大学に有期の教授として着任した。SORA-Qの開発が一段落した現在は、宇宙開発の未来を担う学生たちを指導しつつ、現在は内閣府が進めるムーンショットプロジェクト目標3の一端を担う新たなロボット開発で大忙しだという。「宇宙で活躍するロボットをつくるのは、i-SOBOTの頃のような開発とは全く違いますね。SORA-QでJAXAと共同研究した経験が今とても役立っています」。

 

最後に、渡辺先生の考えるロボット開発の今後について伺った。

 

「ロボット開発には、世の中の需要に応えることと、そのために必要な技術的要素を満たすことの両方が必要です。技術のみを追究した見世物のようなロボットをつくっても使い所がなければあまり意味がないと私は考えています。ファミレスに配膳ロボットが普及したのは、コロナ禍で接触機会をなるべく減らしたいという需要があったからですよね。i-SOBOTのようなロボットは何かをしてくれるわけではないですが、最先端の技術を所有したい、という需要を満たすことができます。反対に、需要があっても技術が追いつかなければロボットはつくれません。

 

どんなものをいくらで提供できるのかというマーケティング的な面も含めて、出口をしっかり見据えて研究開発すべきですし、私自身もそうありたいと思っています」

 

近い将来、月に人間が暮らすようになれば、今よりもっとたくさんのロボットがその生活を支えることになるだろう。そんな未来の種はそれこそ子供の頃に遊んだ玩具のような、案外身近なモノのなかにあるのかもしれない。

【第8回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。大学オウンドメディアのいまとこれからを考える

2023年8月31日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、2019年から大学広報関係者を対象に勉強会を開催しています(勉強会レポートの一覧はこちら)。2023年7月21日に開催した第8回のテーマは、ずばり「大学オウンドメディアのいまとこれから」。

 

大学の研究・教育・社会活動を広く発信するプラットフォームとしてかなり浸透してきたオウンドメディアですが、その目的や運営体制は大学によってさまざま。当然、表現方法も千差万別です。今回の勉強会では、東洋大学、千葉大学、同志社女子大学、立命館大学から担当者をお招きして、オウンドメディア立ち上げの経緯や運営ノウハウについて発表していただきました。

 

・東洋大学「LINK@TOYO」

・千葉大学「CHIBADAI NEXT」

・同志社女子大学「ひとつぶラジオ」

・立命館大学「shiRUto」

 「大人向け」に特化したことが成長の鍵。東洋大学「LINK @ TOYO」

最初に登壇いただいたのは、東洋大学 総務部広報課の中村智治さん。2017年から運営されているオウンドメディア「LINK@TOYO(https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/)」をご紹介いただきました。

 

目を引くのは、興味を惹かれる特集テーマやキーワードが散りばめられたサイトデザイン。ページを上から下へスクロールしていくだけで、気になる記事がいくつも見つかるように設計されています。「大人向けのウェブマガジン」に特化した見せ方とコンテンツの充実度は、ほとゼロ編集長・花岡も自身のブログで「現時点での大学オウンドメディアの最高峰」と紹介しているほど。 

LINK@TOYO。秀逸なサイトデザインはぜひ実際に見て確かめていただきたい。

LINK@TOYO。秀逸なサイトデザインはぜひ実際に見て確かめていただきたい。

 

そんな東洋大学のオウンドメディア(当初は「LINK UP TOYO」)がスタートしたのは2017年。スポーツで知名度が高い東洋大学ですが、多方面で活躍する研究者や卒業生を紹介することでイメージに厚みを持たせたい、なかでもとくに研究者のメディア露出を増やしていきたいというねらいがあったそうです。2020年にファンの獲得と価値向上をめざしてサイトをリニューアルしたところ、PV数がぐんと向上。今では月平均32万PVというから驚きです。この伸びを実現できた背景には、ターゲット層とコンセプトを練り直し、「社会人層の教養や学び直し」に特化したことが大きかったと中村さんは言います。

 

露出を増やすための具体的な施策にも抜かりはありません。想定キーワードの検索結果で上位10位以内という目標を設定してSEOに取り組んだり、外部のニュースサイトと連携したりと、より多くの人に届けるための地道な取り組みが今に繋がっているようです。

中村さんが「印象深い記事」として挙げるのが、睡眠や夢について研究する松田英子先生(東洋大学社会学部 教授)を取材した記事。反響が大きく、今や松田先生は名物研究者に。その後も数年ごとに切り口を変えて松田先生を取材しているそう。

中村さんが「印象深い記事」として挙げるのが、睡眠や夢について研究する松田英子先生(東洋大学社会学部 教授)を取材した記事。反響が大きく、先生への取材件数が増えるきっかけに。その後も数年ごとに切り口を変えて松田先生を取材しているそう。

 

「大学が発信したい情報だけではなく、世の中が欲している情報を提供することが重要」と中村さん。また、「PV数を意識せざるを得ない面もあるが、そこに執着しすぎず『先生たちへの取材依頼の増加』と『ブランドイメージの厚みの向上』を目標に取り組んでいきたい」と締めくくりました。

東洋大学の中村智治さん

東洋大学の中村智治さん

研究を発信するための新しい場所をつくる。千葉大学「CHIBADAI NEXT」

次に登壇いただいたのは、千葉大学 特任准教授 学長特別補佐 広報担当の日高祐一さん。

千葉大学の「CHIBADAI NEXT(https://www.cn.chiba-u.jp/)」は開設してまだ1年という新進のオウンドメディアです。研究紹介記事はもちろん、記事に紐づいた研究者データベースも充実していることが特徴。ほぼ週1回という「国立大学としてはめずらしい高頻度」(花岡談)の更新ペースからも、研究情報を発信することへの強い意志を感じるメディアとなっています。今回の発表では、その立ち上げのお話を披露していただきました。

CHIBADAI NEXT。企画・取材はもちろん、ライターやカメラマンといった外部パートナー探しも学内の編集部の大切な仕事。

CHIBADAI NEXT。企画・取材はもちろん、ライターやカメラマンといった外部パートナー探しも学内の編集部の大切な仕事。

 

2020年の学長交代を機に研究情報の発信に力を入れることになった千葉大学。しかしそもそも、大学や研究者が研究の情報を発信する機会は、論文発表など研究成果が一定の形になったタイミングに限られてしまっていると日高さんは言います。一方、ユーザー側の動向はというと、千葉大学のサイトを訪れる人の大部分は研究関係のコンテンツを見ていないということもわかりました。

 

研究を発信しようにもネタが無い、発信手段がない、社会からの関心がない、という状態。しかし裏を返せば、新しい発表の場をつくり、一つひとつの研究のストーリーを深掘りしていくことで社会との接点をつくることができるのではないか。そんな逆転の一手として持ち上がったのが、オウンドメディアを立ち上げるという手段でした。

 

こうして動き出したCHIBADAI NEXT。最終的なゴールは優秀な研究者の獲得と、他の研究機関や企業・自治体等との連携を広げることですが、より広く社会に研究情報を届けるために開設時に3つの方針を定めたそうです。

 

・記事が専門的になりすぎることを避けるため、研究者を「めざす人」や「文系の」新規事業担当者にも理解いただける内容とする。

・多様な研究内容の中から、社会の課題や潮流といった関心事と重なり合う部分を見極めて記事のテーマに落とし込む。

・予算のなかで最大限メディアの魅力を高め、かつ学内にノウハウの蓄積できるように、企画・編集・サイト運営を学内で回し、執筆・撮影を学外のプロに発注する体制を構築する。

 

こうした方針に加えて、SEO対策として研究キーワードや所属学会、メディア掲載などの情報を充実させたなどの工夫が功を奏し、半年を過ぎた頃からPV数も増加してきているそう。

 

最後に日高さんは、「広報全体で考えると、研究をオウンドメディアのコンテンツという形に落とし込んで蓄積しておくことで、メディア取材やSNS、イベント、講演会、出版など多様な展開につなげることができる」と語ってくれました。研究情報のデータベースとしてオウンドメディアを育てていく、という考え方は意外と新鮮ですが、CHIBADAI NEXTを見ればその説得力は十分です。

千葉大学の日高祐一さん

千葉大学の日高祐一さん

産休・育休の経験から辿りついた音声メディア。同志社女子大学「ひとつぶラジオ」

続いて、ラジオ番組が始まりそうな爽やかなジングルとともにご登壇いただいたのは、同志社女子大学広報課の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん。

 

同志社女子大学では、Podcastと書き起こしテキストを組み合わせたオウンドメディア「ひとつぶラジオ(https://hitotsubu.dwcla.jp/)」を2022年にスタート。巷では音声メディアが注目を集めていますが、音声をメインに据えた大学オウンドメディアはまだ多くありません。一体どうして「ラジオ」だったのか、その背景には川添さんご自身の体験がありました。

ひとつぶラジオ。柔らかい印象のサイトで、日常で役立つ話題から教養までテーマはさまざま。

ひとつぶラジオ。柔らかい印象のサイトで、日常で役立つ話題から教養までテーマはさまざま。

 

2018年の末から産休・育休を経験した川添さん。はじめての子育てで、本を読んだりテレビを見たりするのもままならない日々を経験します。単に忙しいというだけではありません。仕事で人と関わる機会がなくなったことで、新しい情報を得て、自分自身を成長させることも難しくなったと感じたそうです。

 

2020年から広報部に復帰し、新たにオウンドメディアの立ち上げを担当することになったときに、自身の経験を振り返り「教員の研究活動を素材とする」、「忙しいなかでも手軽に新しい情報に触れられる」「日々に彩りと希望を見出す契機になる」というコンセプトが定まってきました。しかしこのときはまだ、メディアの形式は決まっていません。イメージを具体化する作業のなかで「36歳で市役所勤務の女性、夫と小学生の子供二人と暮らし、猫を買っている」というペルソナをつくり、このペルソナを深掘りしていった末に、最終的にラジオという形が見えてきたそうです。

コンセプトには川添さんの実体験が活かされている。

コンセプトには川添さんの実体験が活かされている。

 

川添さん自身のライフストーリーが反映されて生まれた「ひとつぶラジオ」。川添さんは企画だけでなく、先生の話を引き出すナビゲーターとして毎回出演もされています。ナビゲーターの心構えとして、「リスナーと同じ立場で、あえてあまり事前に知識を入れずに生身でお話に反応していく」「さまざまな話し方の先生がいるなかで、できるだけ先生の個性が現れるように、自分自身が臨機応変に対応していく」といったポイントを教えていただきました。

 

音声コンテンツの制作を担当する吉井さんからは、技術面にフォーカスして「音声メディアはこんなに楽しい」というお話をしていただきました。ラジオを聞く層も今やほとんどがラジコのタイムフリー視聴。コンテンツ消費がほとんどスマホで行われているので、大学が発信するコンテンツもいかにスマホで完結するかを意識する必要があると吉井さんは言います。

 

映像制作も手掛ける吉井さんから見た音声コンテンツは、企画・制作が「早い」、制作費が「安い」、とにかく「お手軽」と良いことずくめ。「企画を始めるハードルが低いですし、少人数でワイワイ作る楽しさもある。みなさんもぜひチャレンジしてみては」とのことでした。そういえば、ポッドキャストでも教養系のトーク番組は人気ジャンルです。大学発の音声メディアはこれからもっと増えてくるかもしれません。

同志社女子大学の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん

同志社女子大学の川添麻衣子さんと、株式会社バンバンバンの吉井和久さん

大学名を冠さず、独立したメディアとして勝負する。立命館大学「shiRUto」

最後の発表は、立命館大学 総合企画部広報課の名和拓哉さん。立命館大学の「shiRUto(https://shiruto.jp/)」は、暮らしのなかで誰もが気になる話題と研究紹介とをかけあわせたニュースサイトのような読み味が魅力のオウンドメディアです。他の大学メディアとの大きな違いは、大学名を大きく掲げていないこと。実際にサイトを見てみても、ページを一番下までスクロールしないと立命館大学の名前が出てきません。その理由とは?

 

shiRUto。サイト名には大学の「知」の面白さを伝えたいという思いを込め、読者が知に触れたその後を予感させるものに。立命館大学(Ritsumeikan University)の頭文字である「RU」のみ大文字にすることで、大学の存在を暗に示している。

shiRUto。サイト名には大学の「知」の面白さを伝えたいという思いを込め、読者が知に触れたその後を予感させるものに。立命館大学(Ritsumeikan University)の頭文字である「RU」のみ大文字にすることで、大学の存在を暗に示している。

 

オウンドメディアを開設した背景にあったのは、立命館の情報を積極的に収集しない層や、そもそも無関心な層にいかにPRするかという課題でした。そこで立命館が選んだのは、大学名を関した情報をプッシュ(自薦)することではなく、有用な情報を発信することで結果として大学情報に触れてもらう「他薦」型コンテンツの発信に取り組むことだったといいます。こうして、人々が抱える困りごと、知りたいことを取り上げ、研究者の言葉で解説を加えるというshiRUtoのスタイルが確立。2021年に行ったリニューアルでは、「社会課題の『解決』の一端を担うメディアへ」という一歩踏み込んだコンセプト方針を掲げました。

 

現在、shiRUtoはトレンドや社会のニーズ、SEOを意識した通常記事と、大学として力を入れているテーマを複数の研究者の視点で掘り下げる特集コンテンツの2本柱で構成されています。めざすのは、「困りごとを解決する手段を探せば、その先にいつもshiRUtoがある」状態を作り、「shiRUtoには社会課題を解決する知見が集約されている」という認知につなげる流れです。

 

shiRUtoは内部でも評価されるようになり、学内の研究者から「取材してほしい」と声がかかるようになっているのだそう。名和さんは最後に「今後も大学公式サイトからは一線を引いて、独立したウェブメディアとしてさらに認知されるように勝負していきたい」と締めくくりました。オウンドメディアで大学の価値を引き上げていくという本気の姿勢を見せていただき、刺激を受けた参加者も多かったのではないでしょうか。

立命館大学の名和拓哉さん

立命館大学の名和拓哉さん

オウンドメディアに正解はない、だからこそ目標と日々の積み重ねが大切

休憩を挟んで、後半は登壇者による座談会に突入。オウンドメディア運営の裏側についてさらに突っ込んだお話をお聞きして盛り上がりました。

 

「ネタ探しってどうしてる?」という問いかけには、「ヒアリングやプレスリリースのチェック、SNSでのエゴサーチなど、広報全体として積極的に情報収集している」(立命館・名和さん)、「編集部のメンバーに研究推進の担当者が入っているので情報が入って来やすい。それと、受賞関係はネタになりやすいため欠かさずチェックしている」(千葉大学・日高さん)、「広報全体として、発信できるネタがあれば声をかけていただけるように各部局に定期的にアナウンスしている。高校生向けの特設サイトで過去に扱った記事をひとつぶラジオのネタとして掘り起こすことも」(同志社女子・川添さん)、「研究推進部とミーティングをするほか、広報が把握していない情報を拾うためニュースサイトのチェックも欠かせない」(東洋大・中村さん)と各大学の事情が垣間見える回答に。

 

さらに、編集方針やプロモーション方法について、AIの活用について……などなど、話題はつきません。会場からの「評価指標をどのように設定しているか」という質問に対しては、運営年数の長い東洋大学と立命館大学が「PV数などの明確な基準を定めつつ、広報全体の視点での波及効果も大切にしている」、年数の比較的浅い同志社女子大学と千葉大学が「数値目標は定めないが、PV数などの変化はしっかり把握して対応することは必要」という答えになりました。

 

座談会の様子

座談会の様子

 

後日、時間内に取り上げることの出来なかった質問にメールで回答いただきました。「オウンドメディア運営で最も難しいことは?」という質問の答えは、4大学がほぼ一致して「継続すること」(立命館大学は目標設定、継続性、発展性)とのこと。これには大きくうなずくほかありません。

オウンドメディアに正解はない、だからこそ目標を立て、日々積み重ねていくことが大切で何よりも難しいのかもしれません。ほとゼロ編集部としても、とても良い刺激をいただいた勉強会でした。

 

 

最後にひとつ宣伝を。

今回の勉強会で取り上げさせていただいたオウンドメディアをはじめ、多くの大学や研究機関が独自にメディアを手掛けて学術・研究情報を発信しています。ほとんど0円大学を運営する株式会社hotozeroでは、そうしたメディアコンテンツをさまざまな切り口で紹介するキュレーションサイト「フクロウナビ(https://fukurou-navi.jp/)」を新たに立ち上げました。まだまだできたばかりですが、機能もコンテンツもますます充実させるべく日々奮闘中です。ほとんど0円大学ともどもよろしくお願いたします!

カラフルに光る新種鉱物、実は見過ごされてきた存在だった? 「北海道石」研究チームの石橋隆さんに伺った。

2023年7月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

今年5月、新種の鉱物が発見されたというニュースが話題になった。発表したのは相模中央化学研究所、大阪大学、九州大学の研究者らのチーム。その新種鉱物は「北海道石(ほっかいどうせき, Hokkaidoite)」といい、紫外線を当てるととても綺麗に光るらしい。そして、日本ではじめて新種登録された有機鉱物だという。

 

そもそも鉱物の新種ってどういう概念なのか? なぜ光るのか? 一体どれくらい珍しいものなのか? ……いろいろな疑問が湧いてくるが、まずはとにかく実物をこの目で見てみたい!ということで、研究チームのお一人で大阪大学総合学術博物館招聘研究員の石橋隆さんを訪ねた。

石橋隆さん(大阪大学総合学術博物館 招聘研究員)。

石橋隆さん(大阪大学総合学術博物館 招聘研究員)。

色鮮やかに光る石の正体は、太古の植物に由来する有機物の結晶

待ち合わせ場所の大阪大学中之島センターのカフェテリアで落ち合うと、石橋さんはカバンからタッパーを取り出して蓋の上に石を並べはじめた。大きいもので子どものこぶしぐらいの大きさだ。濃さの違う褐色の層は、豚バラや牛スジを煮込んだような色合いでなんだか美味しそうにも見える。

これだけでも綺麗な石ではあるが、「この光を当ててみてください」と手渡された紫外線ライトのスイッチを入れると……黄緑がかった黄色、オレンジ、紫と、石全体がみごとな蛍光カラーの光を放った!

角煮のような色合いの石が……

角煮のような色合いの石が……

紫外線ライトで光った!

紫外線ライトで光った!

 

ニュースで写真を見てはいたものの、あらためて肉眼で目にすると発色の鮮やかさに目を奪われる。

 

「よく誤解されるんですけど、この石全体はオパールという鉱物で、その中に少量の北海道石が閉じ込められているんです。一番上の層が少し緑がかった黄色っぽく光っていますよね、そこに北海道石の結晶が含まれています」と石橋さん。よくよく目を近づけて見ると、層の中に黄色く光る小さなつぶつぶが見える。これが北海道石だ。

小さなつぶつぶが見える

黄色く光る小さなつぶつぶが見える

 

なぜ紫外線ライトで光るのかというと、通常は人の目には見えない紫外線が北海道石の結晶によってエネルギー変換され、可視光線として見えているということらしい。オレンジや紫色に光っている層には、さらに小さな北海道石の粒や、結晶になれなかった北海道石と同様の成分がふくまれているのだそうだ。

 

一体どうやったらこんな不思議な石ができるのだろうか。

 

「北海道の鹿追町で産出する北海道石は、オパールに閉じ込められていることはお話ししましたが、オパールは大昔の温泉水の作用によってできたものです。地殻に豊富に含まれる二酸化ケイ素という成分をたっぷり溶かし込んだ温泉水が地表付近に上がってくると、温度や圧力が下がることでその成分が徐々に飽和・沈殿して、オパールができます。そのオパールに閉じ込められている北海道石の成分となる有機物の炭化水素は、地層中の植物遺体が火山などの熱を受けてできると推定され、それが温泉水によって地表に運ばれて、オパールの沈殿と同時に結晶化して北海道石になったと考えられます。温泉水ができるには火山活動が必要ですから、火山とも関わりの深い鉱物といえるでしょう」

 

植物の体の一部だったものが結晶になってカラフルな光を発している……目の前で起こっている大自然の不思議にめまいがしそうだ。

しかも、こうした有機物である炭化水素の結晶、つまり有機鉱物はとても珍しく、新種発見は日本で初めてのことなのだという。

 レアすぎて見過ごされていた「有機鉱物」が秘める可能性

「鉱物」と聞くと鉄などの金属の塊やダイヤモンドなどの宝石が思い浮かぶが、そもそも学術的にはどう定義されているのだろうか。

石橋さんによると、有機物・無機物の区別なく「天然に産出する結晶」のことなのだそうだ。ただし天然と言っても、人間の活動が自然界に影響してできる結晶もあれば、体内にできる尿路結石なんかも結晶といえてしまう。それだと何でもありになってしまうので、より正確には「地質学的な作用で生成された結晶」のみを鉱物と呼んでいるという。

 

新種発見というぐらいだから、鉱物にも生物と同じく「種」の分類がある。鉱物の場合は、化学組成(どんな元素からできているか)と結晶構造(元素がどのような結びつきで結晶をつくっているか)の2点で種を定義しているそうだ。化学組成、結晶構造のいずれか、もしくは両方がこれまで発見されたどの鉱物にもあてはまらない場合、国際鉱物学連合に届け出て、承認されれば晴れて新種として登録されることになる。

 

では、北海道石のような有機鉱物は鉱物研究のなかでどのような位置づけになっているのだろうか?

 

「有機物とは、生物の体を構成する物質というふうに説明されることもあります。厳密に定義するのは難しいのですが、ざっくりと言えば炭素や水素などを主成分とする物質のことと思っていただくとよいでしょう。北海道石の場合は、炭素原子22個と水素原子12個からなる『ベンゾ[ghi]ペリレン』という有機分子の結晶です。

 

現在、世界で約6000種類の鉱物が知られていますが、ケイ素や酸素、金属などからなる無機鉱物がその大部分を占めていて、有機鉱物は全体の1%程度にすぎません。実際に地球上に存在する量の比率で換算すると、それよりさらに何桁ぶんも少ないでしょう。そんなわけで、有機鉱物は鉱物学でも普段はほとんど考慮に入れられないような存在で、研究者も決して多くはないのが現状です。

これだけ珍しい有機鉱物の中でさらに、炭化水素(炭素と水素の化合物)の有機鉱物は北海道石を含めて世界で10種しか見つかっていません」

 

6000分の10! ものすごくレアな存在だということはわかったけど、今回の発見は学術的にはどんなインパクトがあるのだろうか。

⿅追町で見つかった北海道⽯を含むオパールの地層。紫外線を照射すると蛍光を発する。(撮影:⽥中陵⼆)

⿅追町で見つかった北海道⽯を含むオパールの地層。紫外線を照射すると蛍光を発する。(撮影:⽥中陵⼆)

 

「まず、これまでに見つかっていない鉱物を新種として記載すること自体に大きな意味があります。すべての研究はそこからしか始まりませんから。有機鉱物がもっとたくさん見つかるようになれば、共通する性質などもだんだんとわかってくるでしょう。

そのうえで、北海道石はこれまで縁遠かった鉱物学と有機化学という2つの分野を橋渡しする存在になると期待しています。たとえば、貴重な資源である石油が生成されるプロセスの研究にも関わってきます」

 

たしかに石油も太古の生物の遺骸が地中で変化したものだというけど、北海道石とどうつながるのだろう?

 

「今回見つかったサンプルからは、ベンゾペリレンの結晶である北海道石のほかに、同じく炭化水素の一種でコロネンの結晶であるカルパチア石という有機鉱物も見つかっています。詳しい説明は省きますが、自然界ではこのベンゾペリレンがより安定なコロネンに変化していくと考えられます。実は、これらの分子が石油にも含まれているんです。

 

北海道石を研究することでこうした有機化合物の変化のプロセスがわかってくれば、ゆくゆくは石油がどんな化学的プロセスを経て生成されているのかを解明することにもつながるかもしれません。

といっても私たちは人工石油をつくるために鉱物を研究しているわけではないので、あくまで今後の展開のひとつの可能性として、ですが……」

 

なるほどなるほど。地中に眠る有機物に目を向けることは、大きな意味では資源問題や温室効果ガスによる気候変動とも繋がってきそうだ。小さな結晶の粒には大きな可能性が秘められている……のかもしれない。

鉱物学者の眼と化学者の技で成し遂げられた「新種発見」

鉱物の世界では、多い年には年間100件ほどの新種が登録されることもあるそう。そんななかでこれまで目立たない存在だった有機鉱物が新たに見つかり、脚光を浴びるに至った経緯が気になる。北海道石はどんなふうに発見されたのだろうか?

 

「2022年の1月のことです。当時私の務めていた博物館に、アマチュア鉱物研究家の萩原昭人さんという方が教材用にと、とある石を持ち込んでくれたことがありました。そのとき受け取った北海道の愛別町産の石に、当時は日本で未発見だったカルパチア石らしき小さな粒が含まれているのを見つけたんです。すぐに分析して調べてみたところ、確かにカルパチア石でした。そこで、有機化学と鉱物の両方に詳しい相模中央化学研究所の田中陵二さんに送ってより詳しく調べてもらいました。そのときはじめて、カルパチア石だけでなく未知の有機鉱物が含まれていることがわかりました。ただ、その時点ではサンプルが少なくて、詳細な分析をする余裕がありませんでした。

 

カルパチア石と新しい鉱物は組成もよく似ていて、どちらも紫外線を当てると光るという特徴をもっていました。それで思い当たったのですが、実は、愛別町から大雪山を隔てた反対側にあたる鹿追町でも2014年に光る鉱物が見つかっているんです。そのときの発見者の報告では、鉱物が光るのは微量に含まれる金属が原因ではないかという見解が示されていたのですが、もしかすると我々が見つけたのと同じ鉱物が含まれているのではないか、と。土地の管理者などに採取許可を得て調べてみると、やはりそこから同じ新鉱物が見つかりました。しかもこちらは量も豊富にある。おかげで研究に足る量のサンプルを採取することができました」

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鹿追町での調査の様子(撮影:石橋隆)

鹿追町での調査の様子(撮影:石橋隆)

 

こうして分析が進み、石橋さんたちが発見した鉱物は、鉱物学連合の審査を経て2023年1月に新種として認められた。石についた小さな粒だけでピンときてしまうのもさすがだけれど、その後の展開もなんともドラマチックだ。「今回の発見の大部分は、有機鉱物を分析する手法の開発から手掛けてくれた田中さんの功績です」と石橋さんは語る。

 

ニュース番組などで一般の人々にも広く知れ渡ったきっかけとしては、美しく光るビジュアルとともに「北海道石(Hokkaidoite)」という堂々たるネーミングの効果も大きそうだ。どうしてこの名前になったのだろうか?

 

「普通はやっぱり遠慮もあって、都道府県のような大きな地名はあまりつけないんです。もしも後からその都道府県を代表するような鉱物が見つかってしまったら、さきにつけたほうが名前負けみたいになってしまいますし……。

今回も、たとえばもしも愛別町からしか発見されていなければ、愛別石になっていたかもしれません。けれども2箇所で発見されたので、どちらか片方の名前をとるわけにはいかないよねとなりまして。それにやはり、紫外線を当てると光るという見た目の派手さも大きいですね。これならば、北海道を冠した石として地元の皆さんにも納得していただけるだろうと。命名の際には国内の委員会にかけられるのですが、幸いそこでも異論は出ませんでした」

 

たしかに、絶対に名前負けしない納得のインパクトだ。

新種としてのお披露目も一段落して、今後は貴重な研究資源を保全していくことが課題になる。発表を行うにあたっても慎重を期し、関係各所とのすり合わせで奔走されたという。

 

「北海道全体、日本全体、人類全体の共有財産でも構わないのですが、まずは鹿追や愛別の人々に『地域の財産』として認めていただくことが大切だと思っています。そういう意図もあって今回はプレスリリースを大々的に打ち出しましたし、取材の対応でも地元の方をご紹介するようにしています。最近は、鹿追町の町長さんがテレビの取材を受けて保全に関してコメントしてくださっていたりするので、私たちとしてもありがたいですね」

 

ちなみに、鹿追町は十勝平野に広がる「とかち鹿追ジオパーク」の一部でもある。北海道石がとれる場所は保全の観点で非公開となっているが、これをきっかけに北海道の雄大な自然を訪ねてみたくなった。

北海道石から新たな学問がはじまる

北海道石発見のインパクトは、今後どんなふうに広がっていくのだろうか。最後に展望を伺った。

 

「まず、これまでほぼ無機物のみが対象とされてきた地質学や鉱物学において、有機物に着目してみようという視点は、大袈裟ではなく新たな学問分野の『芽生え』になりうると考えています。ニュースが多くの方に注目していただけたことで、これからどんどん新たな研究が出てくることに期待しています。

 

それだけではありません。先ほどは石油の話をさせていただきましたが、有機化学をはじめ色々な分野で引用・応用されていく研究成果になると思います。特に、有機鉱物の分析手法を確立した田中さんの功績が非常に大きいですね。私たちの研究を他の分野の方がどう受け取るかはまだまだ未知数ですが、たとえば、地球外で生命の痕跡を探す研究などにもつながるのではないでしょうか」

 

 

研究チームでは、北海道以外の地域でも同様の有機鉱物が見つかるのではないかという予測を立ててさらなる調査を続けているそうだ。私たちの足元でも、未知の世界が人知れずとびきり美しい光を放っているかもしれない。

 

パンダ外交からみる中国、日本、台湾。白黒まだらの国際関係について東京女子大学の家永真幸先生に聞いてみた。

2023年6月15日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

パンダは愛くるしいという言葉がぴったりの動物だ。ニュース番組なんかで動物園のパンダがだらだら、ころころしている様子を見かけるとついつい頬が緩んでしまう。

 

そんなパンダだけど、じつは中国からレンタルしているという話はご存知だろうか。パンダ外交という言葉があるとおり、一見のほほんとしていてもシビアな国際関係の渦中にいる存在なのだ。近頃は香港や台湾をめぐって緊張感が高まっている東アジア情勢だが、これまでパンダはどんな役割を果たしてきたのだろうか。アジアの国際政治の歴史を研究している家永先生に、中国のパンダ外交、とりわけ日本や台湾との関係について伺った。

欧米でのブームがきっかけでパンダは“中国の宝”になった

家永先生がパンダ外交に興味を持ったのは、故宮博物院を題材に台湾をめぐる国際関係を研究していた博士課程在籍中の2006年頃のこと。中国から台湾にパンダが贈られるプランが持ち上がり、台湾のなかでそれを受け取るべきか否かという議論が巻き起こっていたという。

 

「台湾の故宮博物院には、内戦に負けた中国国民党政権が中国大陸から持ち出した宝物が大切に収蔵されています。一方で、大陸から持ち出せなかった“宝”であるパンダを受け取るかどうかで台湾が揺れている。このねじれに興味を持って、そもそもパンダとは中国や台湾にとってどんな存在なのかを研究しはじめました」

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

Zoomで取材に応じてくださった家永真幸先生

 

パンダといえば中国のシンボル。これは全世界の共通認識と言えるだろう。けれども調査をしてみると、このイメージは意外にも比較的最近になってできたものであることがわかってきたそうだ。

 

「古代中国でパンダを他国への贈り物にしたという話は知られていないので、おそらく歴史上はじめて『パンダ外交』が行われたのは中華民国時代なのですが、その中華民国政府も1930年代なかばまでパンダがどんな動物かすら把握していなかったようです。中国の奥地に棲む珍しい動物にはじめて注目したのは欧米の人びとで、30年代後半には外国人によるパンダ狩りが横行します。そこで突然、中国の内部でも国の宝であるパンダを守らなければいけないという議論が浮上しました。1930年代末には外国人によるパンダ狩りを禁止する措置がとられ、その直後の1941年には、中国からアメリカの動物園にはじめてパンダが贈呈されます」

 

これが中国による初めての「パンダ外交」だ。1941年といえば、時代は日中戦争のまっただ中。中国はアメリカに支援を呼びかける戦略のひとつとしてパンダを贈ったのだ。じつはこれに先立って、アメリカやイギリスでは中国から持ち帰られたパンダが大人気となっていたそうだ。

 

「生きたパンダがアメリカにはじめて持ち帰られたのは1936年です。このとき動物園に人びとが殺到しパンダグッズが飛ぶように売れるという世界初の“パンダブーム”が起こりました。中国政府はそれを知っていて、それだけ人気があるパンダをあなたの国には差し上げますよ、という形で上手に利用したのでしょう」

 

欧米から「発見」されることで自国の貴重な財産に気付くという構図は、日本でいえば浮世絵の再評価にも似ているだろうか。浮世絵の場合は日本で評価される前に海外に大量流出してしまったが、そこをすかさず、効果的に外交に使うところに中国のしたたかさがうかがえる。

中国共産党政権下で「友好の証」として大活躍

さて、日中戦争から第二次世界大戦を経て時代は1940年代に。中国では内戦が勃発、1949年には中華人民共和国が成立する。パンダ外交の担い手も、台湾に逃れた中国国民党から中国共産党に引き継がれた。冷戦中にパンダが贈られた先は友好国のソ連や北朝鮮だったが、中国とソ連との関係は徐々に悪化。1972年にはアメリカと和解して、関係改善の象徴としてパンダが贈られた。同年に日本がそれに続き、上野動物園にカンカンとランランがやってきたのは有名な話だ。こうした流れで西側諸国に次々とパンダ外交が行われ、パンダは「中国が関係を強化したい国への友好の証」という地位を確立する。

 

けれども、そうしたセレモニー的な和解演出に至るまでの間にも、水面下の動きはあったと家永先生は言う。アメリカでは民間の動物園が50年代からパンダ誘致を中国に申し入れていたり、日本でも動物園関係者や親中派の政治家がパンダを日本に連れてこようとしていたりと、西側でもパンダ待望論は絶えなかったらしい。人びとの期待が集まるなか、ここぞとばかりに贈られてきたパンダが対中感情の改善に一役買ったことは想像に難くない。なにせあれだけかわいいんだから……。

 

「中国政府には外交上の思惑があるわけですが、パンダにはそうした屈託がないというか、パンダ自身が魅力的であることが中国のパンダ外交の大前提にあります。愛くるしい外見もそうですし、学術的な貴重さからくる関心もあるでしょう。加えて、パンダがいれば街が賑わうという経済的なメリットに魅力を感じる人たちもいます」

 

逆説的だけれども、パンダののほほんとした雰囲気、言ってしまえば「ノンポリな感じ」がパンダ外交には不可欠だったのかもしれない。

ワシントン条約で状況が一変、繁殖研究のためのレンタル制へ

中国と各国との友好ムードを盛り立ててきたパンダ外交だが、80年代に転機が訪れた。パンダはもともと個体数の減少が心配されていたうえに、食糧である竹が生息地で一斉に枯死してしまい、いよいよ絶滅の危機が叫ばれるようになったのだ。1984年にはワシントン条約でパンダの国際取引が原則禁止され、中国政府としてもおいそれと外国に贈ることができなくなるが、一方で各国のパンダ需要はおさまらない。

 

この時代に生まれた徒花が、高額のレンタル料と引き換えに国外のイベントなどにパンダを貸し出し、またすぐに返してもらうという“レンタルビジネス”だ。ワシントン条約の穴を突いたようなこの方法は当然ながら批判を浴びて、新たに「海外に貸し出す場合はパンダを保全するための研究目的に限る」という取り決めがなされる。こう聞くとパンダビジネスを続けるためのある種の妥協案のようにも聞こえてしまうが(そうした側面もないとは言えないが)、各国の動物園でパンダの繁殖研究は至って前向きに行われているそうだ。

 

「原産地だけで保全活動を行っていると、万一の天災で全滅してしまう可能性もないとは言えません。オスとメスのつがいを長期間貸し出し、拠点を世界中に分散させつつ繁殖研究をすることはワシントン条約に照らしてもメリットがあるということで、それ以降はこの『ブリーディングローン』と呼ばれる形でのみ他国がパンダを借り受けることができるようになりました」

 

この新しい枠組みのもと、1994年に和歌山のアドベンチャーワールド、2000年に神戸の王子動物園、2011年には上野動物園に新たなパンダがやってきた。とくにアドベンチャーワールドでは繁殖に大成功している。

日本の動物園で飼育されているパンダ(2023年6月現在。日本パンダ保護協会、恩賜上野動物園、アドベンチャーワールド、神戸市立王子動物園HPをもとに編集部が作成)

“パンダの神通力”は解けかけているという声も?

こうして見ると比較的コンスタントにパンダは来日しているようだが、日中のパンダを介した交流にも、それなりに紆余曲折があるのだと家永先生は言う。上野動物園では本来、2008年に新しいパンダを迎え入れる話があったが、当時の石原慎太郎都知事が「パンダ不要論」を展開してこれを跳ね除けたのだ。2000年代以降、日本の対中感情が悪化してきたことがこの背景にある。加えて、パンダのレンタル料はペアで年間100万ドルと高額だ。結局このときは地元の商店街や子どもたちが強い要望を出したこともあって、2011年に3年遅れでリーリーとシンシンがやってきた。

 

しかしそれ以降、尖閣問題などで日中関係がさらに冷え込み、新たなパンダの来日は叶っていない。仙台にパンダを送ろうという話もあるそうだが実現していないのは、歓迎されないのであれば贈っても/受け取っても仕方がないという日中双方の懸念があるためではないかと家永先生。

 

「完全に政治的な問題であれば受け取らなければいいだけだと私は思いますが、実際に保全のための研究もされていますし、経済効果としてもレンタル料以上のメリットが見込めるから呼びたいという側面もある。変数はひとつではありません」

 

世界を見渡せば、最近でも1年に1ペア程度は中国から各国にパンダが送られているという。しかし飼料の竹の調達や温度管理など、飼育にかかるコストも大変だ。2020年にはコロナ禍で竹の入手が困難になったとして、カナダの動物園が予定よりも速くパンダを中国に返還した。「パンダを返還せざるを得ない状況は各国の経済事情の悪化のためともとれますが、中国が振るってきた『パンダの神通力』が弱まってきたのではないかという意地悪な見方をする人もいます」。パンダにとっても現実はシビアなようだ。

独立路線か対中融和か、パンダから見える台湾の逡巡

さて、冒頭でも触れた台湾問題とパンダの関係についてもう少し詳しくお聞きしよう。

歴史的に見ると、中国国民党率いる中華民国と中国共産党率いる中華人民共和国は、どちらが中国を統一するかをめぐって真っ向から対立してきた。しかし、家永先生によれば、現在の台湾問題はもはやそうではないという。

 

「戦前の台湾は日本の支配を受けたため、中国本土と台湾は長らく分断されてきました。戦後になると、台湾は中国の内戦と国際的な米ソ冷戦に巻き込まれ、アメリカをはじめ西側との関係を深めます。90年代には国民党による抑圧的な政治への反発から民主化が起こり、『中華民国』という国名こそ残したものの、住民の間では『台湾は中国の一部ではなく台湾なのだ』という意識が強まっていきました。中国は台湾を自国の一部として統一したがっているが、台湾住民の多くはもはや中国統一をめざしていない。いわば『統一問題の片務化』という状況です。その結果、とくに2000年代以降、中国はとにかく台湾が独立国家になることを徹底的に防ぐ政策をとるようになってきました」

 

そんななかで台湾にパンダが贈られたのはとても意外に思えてしまう。どんな背景があったのだろうか。

 

「実は、台湾の国政選挙と関係があります。2004年の総統選で再選された民進党の陳水扁氏は、台湾独立を強く打ち出す政策をとりました。中国側としてはこれをなんとしても阻止しなければなりません。そこで、当時下野していた国民党を取り込むことにしたのです。国民党は中国統一を争ったかつての敵ですが、少なくとも台湾独立派ではなかったからです。そこで出てきたのが、中国から国民党のリーダーにパンダを贈るという話で、それをめぐって受け取る、受け取らないの議論がおきたのです。

そして迎えた2008年の総統選では、中国との関係重視をうたった国民党の馬英九氏が勝利します。そこで中国側は『国民党を勝たせれば良いことがあるぞ』というメッセージを台湾住民に伝えるべく、パンダを贈ったというわけです」

 

中国とうまくやっていきましょう、という当時の世論がパンダを受け入れたということか。台湾の人びとのアイデンティティをめぐる葛藤と、中国の台湾政策の機微が透けて見えるようで興味深い。

けれども2016年の総統選では再び民進党が躍進し、蔡英文政権が誕生する。香港のデモに対する中国政府の弾圧などもあり、現在はやはり中国からは一定の距離を置きたいという世論が主流のようだ。今、台湾の人びとは「中国の宝」であるパンダに複雑な感情を抱いているのでは、とついつい邪推してしまうが……。

 

「パンダを受け入れるときこそ葛藤はありましたが、台湾の人びとはパンダそのものには好意的です。休みの日には動物園のパンダコーナーに行列ができますし、新聞の文化面でもパンダがよく登場します。だからこそ、中国としてはまだ台湾にパンダを使って揺さぶりをかける余地があるとも言えるでしょう。2008年に中国から贈られたつがいのうちオスのトアントアンが昨年死んでしまったので、中国から新たにオスのパンダを受け入れるのかどうかが今また新たな論点になっているんです」

 

ううむ、たしかに「今、パンダなんか受け取っている場合か」という声も聞こえてきそうだ。同じぐらい「今だからこそ」という声もありそうだが、いずれにしても胸中は複雑だろう。

パンダは内政と外交を見通す「窓」である

現在は台湾の内政や国際関係についてさらに踏み込んだ研究に取り組んでいるという家永先生。東アジアの国際政治を知るうえでパンダとはどんな存在なのか、改めて伺った。

 

「台湾問題は非常に複雑ですが、パンダに視点を固定してみることで、台湾が国際社会に自分たちをどう見せたいのか、そして自国内をどうまとめていきたいのかという両面が見えてきます。このように、ある社会の内政と外交を見通す窓としてパンダは興味深い存在といえるでしょう。それはもちろん中国に関しても同じです。

 

最後に、中国の内政でパンダがどんな位置づけにいるのかについてお話ししておきましょう。

まずひとつのポイントは、パンダを自国の宝として扱う中国政府の考え方は、パンダの生息地と重なるチベットを含む領域、つまり、清朝が支配していたような広い領土意識と結びついているということです。さらに最近では、中国の一般の人々が使うSNSなどでもパンダを自分たちの宝物として見る向きが強まっています。政府からすれば、パンダが世界で愛されている様子を国内に向けて宣伝することで、現政権は国際社会に受け入れられているのだというアピールに使えるというわけです。いわば、『世界に愛されるパンダの国』として人びとの意識をひとつにまとめるということが行われている、と私は見ています」

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

家永先生のパンダ外交に関する研究成果は『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)にまとめられている

 

このところ世界各地でナショナリズムが高まっているといわれるが、中国の場合はパンダがそのアイコンのひとつになっているというわけだ。その対岸には国際社会がパンダに注ぐ熱視線があるわけだから、結局のところ、世界ぐるみで無垢な野生動物を政治的な『宝物』に担ぎ上げてしまっているのかもしれない。また一方では、パンダはその注目度の高さゆえに野生動物の保全の象徴にもなっている(WWF:世界自然保護基金のシンボルマークがまさにパンダだ)。ものごとは簡単にはわりきれないものだ。

 

誰もがとかく結論を急いでしまいがちな昨今、ときにはいろいろな思惑が絡み合う状況を白黒まだらのまま考えてみることも大切だ。そんな意味でもパンダは格好の題材なのではないだろうか。

 

 

 

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