お腹の脂肪が膝の痛みを救うカギになる!? 再生医療の最先端、脂肪幹細胞治療について専門家に聞いてみた。
2022年1月13日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!
iPS細胞などで耳にする機会が増えた「再生医療」。「再生」と聞くとトカゲの尻尾が生え変わるように失ったものが元に戻るイメージをしてしまうが、実際に行われている治療には世間のイメージとのギャップがあるらしい。そこで、専門家に再生医療の現在について聞いてみた。答えてくれたのは、東京大学の研究者で医師でもある齋藤先生と、齋藤先生と研究に取り組んだ千々松先生(現在は岡山大学)。
多くの人にとって身近な膝関節の痛みに新しい治療法でアプローチする臨床と研究を進める齋藤先生にお話しを聞きつつ、臨床を支える基礎研究の立場から千々松先生に幹細胞の研究について解説してもらった。
(トップ画像 写真提供:CPC株式会社)
<今回お話をうかがった研究者>
齋藤琢先生/東京大学大学院医学系研究科 整形外科 准教授
東京大学医学部附属病院 骨・軟骨再生医療講座 特任准教授、東京大学医学部附属病院 骨粗鬆症センター センター長を兼任。 専門疾患:変形性関節症、骨粗鬆症
千々松良太先生/岡山大学病院 ゲノム医療総合推進センター 助教
大阪大学 大学院生命機能研究科 修了。大阪大学 大学院医学系研究科整形外科学 特任研究員、東京大学 大学院医学系研究科骨軟骨再生医療講座 特任助教、大阪大学 大学院医学系研究科疾患データサイエンス学 特任助教などを経て現職。専門:再生医療、バイオインフォマティクス
注目されているのは「再生しない再生医療」
――再生医療と聞くと、体の一部を復活させるようなイメージがあるのですが、実際にはどのような治療が行われているのでしょうか?
齋藤:まず「再生医療」という言葉に誤解があると思うのですが、今はまだ試験管の中でミクロな単位の肝臓や腎臓が作れるようになってニュースになっている段階で、病気になった臓器を丸ごと再生して新しい臓器に取り替えるようなイメージには飛躍があります。完全な大きさの臓器がつくられるようになるのは、かなり先の話になります。
今、実用化されている再生医療は、弱っている臓器や組織に元気な細胞を加えることで、もともと私たちの身体に備わっている自然治癒力を高めるような研究・治療がメインです。「再生」と言っても完成されたものを取り換えたり、元通りにしたりするわけではありません。
――iPS細胞のように万能な細胞からなんでも作り出せるわけではないんですね。
齋藤:現在、臨床の現場で治療への導入が進んでいるのは幹細胞治療というものです。特に間葉系幹細胞を使った治療は一般にイメージされる再生医療とは大きく異なります。治療に使用される間葉系幹細胞はさまざまな組織に変化できる細胞で、すべての人のさまざまな組織、とくに皮下脂肪や骨の中に一定数存在します。
千々松:もう少し詳しく説明をすると、脊椎生物は受精した後の胚が、発生の初期過程で三胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)に分かれていき、将来どのような組織になるかが運命づけられます。自然には、三胚葉に分かれる前の胚に細胞が戻ることはありえませんが、iPS細胞は、成体から採った分化済みの細胞を初期胚に近い状態まで戻すことで理論上どの胚葉の細胞にもなれるため、万能細胞と呼ばれています。間葉系幹細胞は、中胚葉を由来とする組織中にある未分化性を保持した細胞で、基本的には胚葉の域を超えた別の細胞にはなりません。発生が終わった後でも身体の中にある間葉系幹細胞(組織幹細胞)は組織の恒常性維持や自然治癒の過程で、周囲の細胞へ相互作用や自らが増殖・分化することで重要な役割を果たしています。
――なるほど。間葉系幹細を使った治療は、具体的にはどんな病気で取り入れられているのでしょうか?
齋藤:間葉系幹細胞の研究の歴史は長く、脊髄損傷では臨床応用されており、肝硬変など多くの疾患で臨床試験が進んでいます。新型コロナウィルス感染症の治療でも利用が試みられています。
私が取り組んでいるのは、加齢とともに多くの人が悩まされる膝の痛みを、お腹の脂肪から採取した幹細胞を使って治療するというものです。
――膝の痛みをお腹の脂肪で治療する!? 一体どういうことか、詳しく教えてください。
お腹の脂肪で膝関節の痛みを和らげる?
齋藤:私が専門としているのは特に、加齢によって膝の痛みが出る変形性膝関節症です。簡単に言うと、年齢とともに起きてくる関節の変形が痛みの原因になります。一般的に早い人では40代終わりか、もう少し年齢を重ねてから痛み始めて、10年、20年かけてゆっくり症状が進行し、だんだん痛みがひどくなります。
初期であれば、消炎鎮痛剤に加えて、運動療法や適切な身体の動かし方をトレーニングすることで痛みをかなり落ち着かせることができます。ただ、年数が長くなると制御ができなくなっていき、ひどくなってもヒアルロン酸の注射を打つくらいしかなく、できる治療が限られています。ヒアルロン酸の注射が効かなくなってくると手術で人工関節を入れるのが従来の一般的な治療法です。人工関節には耐久年数があるので、若いうちに手術をしてしまうと取り換えのために再手術をしないといけない可能性もでてきます。若くても痛みがひどい人や関節の変形が進んでいない人には手術を薦めるかどうか、判断が難しいのが正直なところです。
多くの人が抱える膝の痛みをやわらげる治療があれば、ということで、新しい治療法として脂肪由来幹細胞の治療をご提案しているのです。
――なるほどー。手術以外の選択肢になるんですね。脂肪から採った幹細胞を使った治療は、実際にはどういう流れで行われるのですか?
齋藤:まず、患者さん自身の皮下脂肪から脂肪の塊を採取します。局所麻酔をして、おへその脇に縫合の必要もないような大きさの傷をつけ、専用の機械で米粒2粒分くらいの脂肪をとり出します。そして、その脂肪のカケラから抽出した幹細胞を培養室で1カ月ほどかけて1億個まで増やして、患者さんの関節に注射するという流れです。脂肪をとり出す時に5~10分、膝に戻す注射も5分ほどなので入院の必要なく、外来診療でできるイメージです。あとは幹細胞が関節の炎症を抑え、痛みを改善してくれます。
――自分の身体から取った細胞を培養して戻す、と聞くと安全で負担が少ないように思いました。
齋藤:特に関節の中に注射する幹細胞治療において、有害事象が起きた報告は1件もありません。ガンになるリスクもまったくないとわかっています。治療にあたって、保険適用外のため経済的な負担はありますが、身体的なリスクはほとんどないと言えます。
ただ、治療のメカニズムとして損傷した軟骨が完全に再生しているわけではありません。修復力を高めて長持ちさせてあげるようなイメージです。患者さんにも10代・20代の頃の膝に戻れるものではない、とお伝えしています。
――うーん、軟骨が再生しているわけではないのに痛みが和らぐというのがよくわかりません。いくらいろんな臓器になれるような細胞だからって、都合が良すぎるような……。
齋藤:幹細胞が炎症を抑えるいろんな物質を出すので、関節の中の炎症を抑えるのだろう、というのが研究者の間の共通理解にはなっていますが、我々の研究室でのデータを見ると、より複雑なイベントが体内で起きていることがわかってきています。
変形性膝関節症の場合、軟骨が痛んでしまう関節内の環境を良くすることがポイントです。我々は関節内の環境を統率している主体として、関節を包んでいる滑膜に着目した研究を行っています。
変形性関節症になると、滑膜中にもともと存在する細胞が無秩序に増殖することや、炎症性因子を分泌すること、さらには本来滑膜には存在しない免疫細胞などが数多く入り込むようになるなど正常な関節の滑膜とは異なる病態を生じることがわかっています。
滑膜にも間葉系幹細胞と思われる細胞が存在しており、これが正常な関節の恒常性維持に重要な役割をしていると考えています。変形性関節症になると、この滑膜の組織幹細胞の役割も破綻してしまい、関節内は悪い環境になっています。そこに生体外で培養した幹細胞を補うことで関節の環境を良くする、というのが現在想定している治療のメカニズムです。
ひざに打った脂肪幹細胞はすり減った軟骨にくっつくのではなく滑膜に入り込むことはわかっていますが、なぜお腹の細胞がそのような効果を発揮するのか、どの分子が関節環境を良くするのか、までは詳細にはわかっていません。少なくとも1つの分子で語られるメカニズムではないと考えられます。
千々松:長く行われてきた間葉系幹細胞の研究では、軟骨が再生する可能性も期待されていましたが、悪い環境の関節に新たな軟骨を移植したとしても長期的な効果はあまり期待できません。脂肪由来の幹細胞を投与しても身体の中で軟骨にならないことはわかっていて、脂肪幹細胞治療は幹細胞が軟骨細胞に分化して組織をつくることを期待しているわけではありません。そういったところからしても再生医療と言うよりは、細胞を薬剤で投与して治療効果を期待する細胞医薬に近いとも言えます。
――薬剤と言えば、関節を良くする成分だけを取り出して薬にできないのでしょうか?
千々松:従来であれば治療に効果がありそうな物質を同定し精製して薬にしようとしますが、関節内に注射した薬は膝の中に長く残ることは期待できず、くり返しの注射が必要になります。一方、培養した脂肪幹細胞を注入した場合は関節の中で細胞が生き続けることから、長期的な治療効果が期待できます。
ただ、細胞は生き物なので栄養となる培養液や専門技師による操作が必要で、どうしても材料費や人件費のベースが高くなってしまいます。患者さんが負担する治療費を安くするためには、培養に関わる材料を開発したり、細胞をより良く効率的に増やすための技術を追求したり、といった取り組みが必要です。
臨床と研究の両輪で成り立つ。メカニズムの解明を進める基礎研究の重要性
――課題はあるものの、患者さんの身体への負担が少ない幹細胞治療はますます身近になってきそうですね。そのためには、千々松先生がおっしゃるように基礎研究が鍵になってくるのでしょうか。
齋藤:臨床と基礎研究が両輪となって発展することが理想ですが、なかなか一筋縄ではいかないところもありますね。同じ変形性膝関節症に向き合っていても臨床の医師と基礎研究の研究者で視点が異なるので、私はマネージャーとしてお互いの専門性を理解し合えるように間に入ることを心がけています。また、一般的に基礎研究にあてられる研究費の予算が取りづらいと言われますが、大学では病院で勤務していて収益につながりやすい臨床のスタッフは雇用しやすく、研究専門のスタッフは増やしづらいという事情があります。
――将来自分もお世話になるかもしれないので、ぜひとも研究に投資してほしいところですが……。
齋藤:そうですね。我々ももっと基礎研究に力を入れられる仕組みを作りたくて、学外の企業からの協力を得て研究を行っています。2018年からは私の大学の同期生で幹細胞治療を先にスタートしていたアヴェニューセルクリニックの辻晋作医師との共同研究をきっかけに、寄付講座「骨・軟骨再生医療講座」で間葉系幹細胞の研究と治療の開発に取り組めるようになりました。形成外科で利用されはじめていた脂肪幹細胞治療を整形外科でも活用できるのではないかというとこで、スポンサー企業の協力を得て臨床と研究を進められるようになったのです。協力企業には基礎研究へのご理解をいただいて、スタッフを増やして基礎研究とビジネスに繋がる開発を半分ずつ行ってきました。
東京大学であるからには研究で世界一を目指さないといけないと思っていて、開発分野で得たお金を次の研究へまわして循環させられるようにしています。千々松先生は基礎研究と開発の両方で活躍してくれました。
――その研究の成果について少しだけ教えていただけますか?
千々松:研究では、関節の恒常性維持機構の一端としての組織幹細胞の役割や、脂肪幹細胞治療のメカニズムとして、投与した細胞自らが分化するわけではなく関節内の周囲の細胞への影響を介して関節環境改善に寄与することを明らかにしているところです。開発面では脂肪幹細胞の基礎研究から得た知見を基に、幹細胞培養液や培養基材の開発に取り組みました。培養液はこれまで海外製のものが主で、日本の再生医療の資本が海外に流出している状態です。日本の産業として自立した治療法とすべく、国内製で安定的に治療が行える体制作りの一役を企業と協力して行っています。
「開発が治療費の軽減に繋がるところからしても、研究と臨床が繋がって人の役に立てるのが幹細胞の研究に取り組む何よりの魅力です」と言う千々松先生。齋藤先生に再生医療の今後について聞いてみると、「幹細胞治療の研究はいろんな可能性を秘めています。メカニズムを追求することで新しい治療法を生み出せるかもしれません」と未来に期待できる答えが返ってきた。
まだまだ可能性を秘めた再生医療。痛みに苦しむ人に寄り添う臨床と基礎研究をつないで最先端の道を切り拓いていく人がいたり、治療へと繋がる研究の大切さを知れたり、将来は筆者も患者になるかもしれないと思いながらお話を伺うと心強いサポーターがいてくれるように思えた。再生医療の世界に目を向けてみると、ヒトの身体の不思議を解き明かす楽しみも隠れている。再生医療の研究を通して人体の謎にふれてみてはどうだろう。