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お腹の脂肪が膝の痛みを救うカギになる!? 再生医療の最先端、脂肪幹細胞治療について専門家に聞いてみた。

2022年1月13日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

iPS細胞などで耳にする機会が増えた「再生医療」。「再生」と聞くとトカゲの尻尾が生え変わるように失ったものが元に戻るイメージをしてしまうが、実際に行われている治療には世間のイメージとのギャップがあるらしい。そこで、専門家に再生医療の現在について聞いてみた。答えてくれたのは、東京大学の研究者で医師でもある齋藤先生と、齋藤先生と研究に取り組んだ千々松先生(現在は岡山大学)。

 

多くの人にとって身近な膝関節の痛みに新しい治療法でアプローチする臨床と研究を進める齋藤先生にお話しを聞きつつ、臨床を支える基礎研究の立場から千々松先生に幹細胞の研究について解説してもらった。

 

(トップ画像 写真提供:CPC株式会社)

 

<今回お話をうかがった研究者>
齋藤琢先生/東京大学大学院医学系研究科 整形外科 准教授
東京大学医学部附属病院 骨・軟骨再生医療講座 特任准教授、東京大学医学部附属病院 骨粗鬆症センター センター長を兼任。 専門疾患:変形性関節症、骨粗鬆症

 

千々松良太先生/岡山大学病院 ゲノム医療総合推進センター 助教
大阪大学 大学院生命機能研究科 修了。大阪大学 大学院医学系研究科整形外科学 特任研究員、東京大学 大学院医学系研究科骨軟骨再生医療講座 特任助教、大阪大学 大学院医学系研究科疾患データサイエンス学 特任助教などを経て現職。専門:再生医療、バイオインフォマティクス

左:齋藤琢先生 右:千々松良太先生

左:齋藤琢先生 右:千々松良太先生

 

注目されているのは「再生しない再生医療」

――再生医療と聞くと、体の一部を復活させるようなイメージがあるのですが、実際にはどのような治療が行われているのでしょうか?

 

齋藤:まず「再生医療」という言葉に誤解があると思うのですが、今はまだ試験管の中でミクロな単位の肝臓や腎臓が作れるようになってニュースになっている段階で、病気になった臓器を丸ごと再生して新しい臓器に取り替えるようなイメージには飛躍があります。完全な大きさの臓器がつくられるようになるのは、かなり先の話になります。

 

今、実用化されている再生医療は、弱っている臓器や組織に元気な細胞を加えることで、もともと私たちの身体に備わっている自然治癒力を高めるような研究・治療がメインです。「再生」と言っても完成されたものを取り換えたり、元通りにしたりするわけではありません。

 

――iPS細胞のように万能な細胞からなんでも作り出せるわけではないんですね。

 

齋藤:現在、臨床の現場で治療への導入が進んでいるのは幹細胞治療というものです。特に間葉系幹細胞を使った治療は一般にイメージされる再生医療とは大きく異なります。治療に使用される間葉系幹細胞はさまざまな組織に変化できる細胞で、すべての人のさまざまな組織、とくに皮下脂肪や骨の中に一定数存在します。

 

千々松:もう少し詳しく説明をすると、脊椎生物は受精した後の胚が、発生の初期過程で三胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)に分かれていき、将来どのような組織になるかが運命づけられます。自然には、三胚葉に分かれる前の胚に細胞が戻ることはありえませんが、iPS細胞は、成体から採った分化済みの細胞を初期胚に近い状態まで戻すことで理論上どの胚葉の細胞にもなれるため、万能細胞と呼ばれています。間葉系幹細胞は、中胚葉を由来とする組織中にある未分化性を保持した細胞で、基本的には胚葉の域を超えた別の細胞にはなりません。発生が終わった後でも身体の中にある間葉系幹細胞(組織幹細胞)は組織の恒常性維持や自然治癒の過程で、周囲の細胞へ相互作用や自らが増殖・分化することで重要な役割を果たしています。

私たちの体に元からある間葉系幹細胞。さまざまな組織に分化する。 写真提供:お茶の水セルクリニック

私たちの体に元からある間葉系幹細胞。さまざまな組織に分化する。(イラスト提供:お茶の水セルクリニック)

 

――なるほど。間葉系幹細を使った治療は、具体的にはどんな病気で取り入れられているのでしょうか?

 

齋藤:間葉系幹細胞の研究の歴史は長く、脊髄損傷では臨床応用されており、肝硬変など多くの疾患で臨床試験が進んでいます。新型コロナウィルス感染症の治療でも利用が試みられています。

 

私が取り組んでいるのは、加齢とともに多くの人が悩まされる膝の痛みを、お腹の脂肪から採取した幹細胞を使って治療するというものです。

 

――膝の痛みをお腹の脂肪で治療する!? 一体どういうことか、詳しく教えてください。

お腹の脂肪で膝関節の痛みを和らげる?

齋藤:私が専門としているのは特に、加齢によって膝の痛みが出る変形性膝関節症です。簡単に言うと、年齢とともに起きてくる関節の変形が痛みの原因になります。一般的に早い人では40代終わりか、もう少し年齢を重ねてから痛み始めて、10年、20年かけてゆっくり症状が進行し、だんだん痛みがひどくなります。

 

初期であれば、消炎鎮痛剤に加えて、運動療法や適切な身体の動かし方をトレーニングすることで痛みをかなり落ち着かせることができます。ただ、年数が長くなると制御ができなくなっていき、ひどくなってもヒアルロン酸の注射を打つくらいしかなく、できる治療が限られています。ヒアルロン酸の注射が効かなくなってくると手術で人工関節を入れるのが従来の一般的な治療法です。人工関節には耐久年数があるので、若いうちに手術をしてしまうと取り換えのために再手術をしないといけない可能性もでてきます。若くても痛みがひどい人や関節の変形が進んでいない人には手術を薦めるかどうか、判断が難しいのが正直なところです。

 

多くの人が抱える膝の痛みをやわらげる治療があれば、ということで、新しい治療法として脂肪由来幹細胞の治療をご提案しているのです。

 

――なるほどー。手術以外の選択肢になるんですね。脂肪から採った幹細胞を使った治療は、実際にはどういう流れで行われるのですか?

 

齋藤:まず、患者さん自身の皮下脂肪から脂肪の塊を採取します。局所麻酔をして、おへその脇に縫合の必要もないような大きさの傷をつけ、専用の機械で米粒2粒分くらいの脂肪をとり出します。そして、その脂肪のカケラから抽出した幹細胞を培養室で1カ月ほどかけて1億個まで増やして、患者さんの関節に注射するという流れです。脂肪をとり出す時に5~10分、膝に戻す注射も5分ほどなので入院の必要なく、外来診療でできるイメージです。あとは幹細胞が関節の炎症を抑え、痛みを改善してくれます。

脂肪幹細胞の顕微鏡写真 写真提供:CPC株式会社

脂肪幹細胞の顕微鏡写真(写真提供:CPC株式会社)

 

――自分の身体から取った細胞を培養して戻す、と聞くと安全で負担が少ないように思いました。

 

齋藤:特に関節の中に注射する幹細胞治療において、有害事象が起きた報告は1件もありません。ガンになるリスクもまったくないとわかっています。治療にあたって、保険適用外のため経済的な負担はありますが、身体的なリスクはほとんどないと言えます。

 

ただ、治療のメカニズムとして損傷した軟骨が完全に再生しているわけではありません。修復力を高めて長持ちさせてあげるようなイメージです。患者さんにも10代・20代の頃の膝に戻れるものではない、とお伝えしています。

膝関節の中 写真提供:お茶の水セルクリニック

膝関節の中(イラスト提供:お茶の水セルクリニック)

 

――うーん、軟骨が再生しているわけではないのに痛みが和らぐというのがよくわかりません。いくらいろんな臓器になれるような細胞だからって、都合が良すぎるような……。

 

齋藤:幹細胞が炎症を抑えるいろんな物質を出すので、関節の中の炎症を抑えるのだろう、というのが研究者の間の共通理解にはなっていますが、我々の研究室でのデータを見ると、より複雑なイベントが体内で起きていることがわかってきています。
変形性膝関節症の場合、軟骨が痛んでしまう関節内の環境を良くすることがポイントです。我々は関節内の環境を統率している主体として、関節を包んでいる滑膜に着目した研究を行っています。

 

変形性関節症になると、滑膜中にもともと存在する細胞が無秩序に増殖することや、炎症性因子を分泌すること、さらには本来滑膜には存在しない免疫細胞などが数多く入り込むようになるなど正常な関節の滑膜とは異なる病態を生じることがわかっています。

滑膜にも間葉系幹細胞と思われる細胞が存在しており、これが正常な関節の恒常性維持に重要な役割をしていると考えています。変形性関節症になると、この滑膜の組織幹細胞の役割も破綻してしまい、関節内は悪い環境になっています。そこに生体外で培養した幹細胞を補うことで関節の環境を良くする、というのが現在想定している治療のメカニズムです。

 

ひざに打った脂肪幹細胞はすり減った軟骨にくっつくのではなく滑膜に入り込むことはわかっていますが、なぜお腹の細胞がそのような効果を発揮するのか、どの分子が関節環境を良くするのか、までは詳細にはわかっていません。少なくとも1つの分子で語られるメカニズムではないと考えられます。

 

千々松:長く行われてきた間葉系幹細胞の研究では、軟骨が再生する可能性も期待されていましたが、悪い環境の関節に新たな軟骨を移植したとしても長期的な効果はあまり期待できません。脂肪由来の幹細胞を投与しても身体の中で軟骨にならないことはわかっていて、脂肪幹細胞治療は幹細胞が軟骨細胞に分化して組織をつくることを期待しているわけではありません。そういったところからしても再生医療と言うよりは、細胞を薬剤で投与して治療効果を期待する細胞医薬に近いとも言えます。


――薬剤と言えば、関節を良くする成分だけを取り出して薬にできないのでしょうか?

 

千々松:従来であれば治療に効果がありそうな物質を同定し精製して薬にしようとしますが、関節内に注射した薬は膝の中に長く残ることは期待できず、くり返しの注射が必要になります。一方、培養した脂肪幹細胞を注入した場合は関節の中で細胞が生き続けることから、長期的な治療効果が期待できます。

 

ただ、細胞は生き物なので栄養となる培養液や専門技師による操作が必要で、どうしても材料費や人件費のベースが高くなってしまいます。患者さんが負担する治療費を安くするためには、培養に関わる材料を開発したり、細胞をより良く効率的に増やすための技術を追求したり、といった取り組みが必要です。

採取された細胞は培養士による操作が必要 写真提供:CPC株式会社

採取された細胞は培養士による操作が必要(写真提供:CPC株式会社)

 

臨床と研究の両輪で成り立つ。メカニズムの解明を進める基礎研究の重要性

――課題はあるものの、患者さんの身体への負担が少ない幹細胞治療はますます身近になってきそうですね。そのためには、千々松先生がおっしゃるように基礎研究が鍵になってくるのでしょうか。

 

齋藤:臨床と基礎研究が両輪となって発展することが理想ですが、なかなか一筋縄ではいかないところもありますね。同じ変形性膝関節症に向き合っていても臨床の医師と基礎研究の研究者で視点が異なるので、私はマネージャーとしてお互いの専門性を理解し合えるように間に入ることを心がけています。また、一般的に基礎研究にあてられる研究費の予算が取りづらいと言われますが、大学では病院で勤務していて収益につながりやすい臨床のスタッフは雇用しやすく、研究専門のスタッフは増やしづらいという事情があります。

 

――将来自分もお世話になるかもしれないので、ぜひとも研究に投資してほしいところですが……。

 

齋藤:そうですね。我々ももっと基礎研究に力を入れられる仕組みを作りたくて、学外の企業からの協力を得て研究を行っています。2018年からは私の大学の同期生で幹細胞治療を先にスタートしていたアヴェニューセルクリニックの辻晋作医師との共同研究をきっかけに、寄付講座「骨・軟骨再生医療講座」で間葉系幹細胞の研究と治療の開発に取り組めるようになりました。形成外科で利用されはじめていた脂肪幹細胞治療を整形外科でも活用できるのではないかというとこで、スポンサー企業の協力を得て臨床と研究を進められるようになったのです。協力企業には基礎研究へのご理解をいただいて、スタッフを増やして基礎研究とビジネスに繋がる開発を半分ずつ行ってきました。

 

東京大学であるからには研究で世界一を目指さないといけないと思っていて、開発分野で得たお金を次の研究へまわして循環させられるようにしています。千々松先生は基礎研究と開発の両方で活躍してくれました。

 

――その研究の成果について少しだけ教えていただけますか?

 

千々松:研究では、関節の恒常性維持機構の一端としての組織幹細胞の役割や、脂肪幹細胞治療のメカニズムとして、投与した細胞自らが分化するわけではなく関節内の周囲の細胞への影響を介して関節環境改善に寄与することを明らかにしているところです。開発面では脂肪幹細胞の基礎研究から得た知見を基に、幹細胞培養液や培養基材の開発に取り組みました。培養液はこれまで海外製のものが主で、日本の再生医療の資本が海外に流出している状態です。日本の産業として自立した治療法とすべく、国内製で安定的に治療が行える体制作りの一役を企業と協力して行っています。

 

 

 

「開発が治療費の軽減に繋がるところからしても、研究と臨床が繋がって人の役に立てるのが幹細胞の研究に取り組む何よりの魅力です」と言う千々松先生。齋藤先生に再生医療の今後について聞いてみると、「幹細胞治療の研究はいろんな可能性を秘めています。メカニズムを追求することで新しい治療法を生み出せるかもしれません」と未来に期待できる答えが返ってきた。

 

まだまだ可能性を秘めた再生医療。痛みに苦しむ人に寄り添う臨床と基礎研究をつないで最先端の道を切り拓いていく人がいたり、治療へと繋がる研究の大切さを知れたり、将来は筆者も患者になるかもしれないと思いながらお話を伺うと心強いサポーターがいてくれるように思えた。再生医療の世界に目を向けてみると、ヒトの身体の不思議を解き明かす楽しみも隠れている。再生医療の研究を通して人体の謎にふれてみてはどうだろう。

団地映画で観る戦後史。米沢女子短期大学・今井瞳良先生に聞く映画から読み解く住まい

2021年9月14日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

街にそびえる鉄筋コンクリート造の集合住宅、団地。「団地」と聞くと、それぞれに浮かぶイメージがあるのではないだろうか? 筆者は小学生の頃、団地に住んでいた仲のいい友人と別れるのがいつも棟の階段下で、友人が話す家族の話とコンクリートの建物が結びつけられずに、中がどうなっているかわからない不思議な家だと思っていた。その時から今でも団地を目にすると未知な魅力を感じてしまう。

 

調べてみると団地に惹きつけられる人は多く、団地は映画やドラマの舞台にもなっている。団地妻、昭和ノスタルジー、ホラー……。団地自体に馴染みがなくても団地と結びつくイメージはどこからやってくるのか?  団地の謎を解くべく、団地が舞台の映画を軸に戦後日本をひも解く『団地映画論 居住空間イメージの戦後史』という本を出された今井先生にインタビューをさせてもらった。

団地映画って?

まず、「団地映画」とはどんな映画を指すのだろうか?

 

「基本的に団地が出てくる映画はすべて団地映画と言えますが、正式にはやや複雑なところがあります。1955年に設置された日本住宅公団によって〇〇団地と呼ばれるものがつくられていきますが、公営住宅や一戸建ての住宅地も団地と呼ばれることがあります。本では日本住宅公団が建てた鉄筋コンクリート造の集合住宅をベースにしながらも広く捉えていて、とにかく一瞬でも団地が出てくる映画を見つけて、120作ほどを一覧にまとめました」

『団地映画論 居住空間イメージの戦後史』,水声社,2021

『団地映画論 居住空間イメージの戦後史』,水声社,2021

 

120作もあることにまず驚きだが、ではなぜ団地映画に注目して研究をされているのか。

 

「日本映画において、団地は60年代から今までずっと登場し、その中には有名な監督による作品や映画史的に重要なものもあります。団地という空間を軸に日本映画史を追っていくと、日本が『戦後』とどう向き合ってきたのか、流れで捉えられるのです」

 

団地は、戦後の住宅不足解消のために1955年に日本住宅公団が設立され、展開されていった歴史的背景があるそうだ。それまでの木造住宅とは違い、鉄筋コンクリート造で燃えない団地は、戦災の記憶を乗り越える住宅でもあったという。映画史で重要な作品が団地を舞台にしていると聞くと、さらに興味がそそられる。団地映画は奥が深そうだ。

憧れ、日常、ノスタルジー…変化する団地のイメージ

今井先生は映画を研究する時に「映画の中で団地がどう撮られているのか」を分析し、他の研究や同時代の言説との突き合わせをすると言う。団地のイメージはどのように移り変わってきたのだろうか。

 

「団地が登場した50年代から60年代にかけては、鉄筋コンクリート造で多くが5階建ての高層住宅だった建物や設備自体が新しく、住んでいる人も若くて、憧れの場所でした。その後、70年代から80年代にかけて一般的な見慣れた光景になり、だんだん古いものになっていくというのが大きな流れです。

 

90年代頃になってくると、物心ついたときから団地があった人たちが大人になっていき『懐かしいもの』としてのイメージが立ち上がってきます。理想化された古き良きものとしてノスタルジックに懐古されるイメージと、建設から50年近く経って老朽化しているものというイメージの2つに分かれて今に至ります」

 

なるほど。世代によって団地のイメージはかなり違いそうだ。

 

団地イメージを捉えるには、ルポライターの記事や、団地住民が書いた団地エッセイなど、多くの資料が手がかりになるらしい。今井先生は「団地が新しかった60年代あたりは団地での生活が社会的に注目を集めた時期で、社会学者を中心に、かなり調査が行われました」と話す。

 

「たとえば、団地に住んでいた評論家の塩田丸男さんはエッセイで、『団地は燃えないって言われているけど、家具は燃えるから気を付けた方がいい』といったことを書いています。これは、入居者の責任ではない火災による家屋の損壊は公団の負担による修理だが、家具は対象外なので火災保険を掛けた方がいいという、かなり具体的なアドバイスでした。また、女性が書く場合には、育児をするのに団地ではどういう場所に気を付けたらいいのか、ということも書かれました」。リアルな団地生活が垣間見える団地エッセイが出版されていたことからしても、いかに団地生活が憧れの対象だったかがわかるように思える。

 

一方で、50年代から60年代にかけては、公団が想定していたよりも子供が増えてしまって保育園が足りなくなるなど現実には色々な問題があったそうだ。そんなリアルな団地の母親たちを描いた映画があるという。

 

「二歳の男の子が主人公で、育児書を原作にした市川崑監督の『私は二歳』(1962年)では、団地を舞台に母親たちがいろんな情報共有をしている場面が非常に細かく撮られています。他にも、団地エッセイ『2DK夫人』(塩田丸男著)が原作の『団地・七つの大罪』(1963年)というオムニバス映画では、各話ごとに団地に住む人たちの生活が描かれていき、最終話の第七話は、第一話から第六話に出ていた主婦たちが自治会室に集まって『公団と相談してランドリーシステムを団地に導入できた』という話を婦人会でしている場面から始まります」

二歳児が主役の市川崑監督『私は二歳』(1962年)  価格 DVD ¥3,080(税込)発売元・販売元 KADOKAWA

市川崑監督『私は二歳』(1962年)
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『私は二歳』
価格 DVD ¥3,080(税込)
発売元・販売元 KADOKAWA

団地映画のもつ批評性とは

団地映画は団地での生活をステレオタイプ的に描いてきただけではなく、私たちが思い浮かべるイメージを裏切るようなものもある。「団地妻映画はその典型ですね。部屋の中で悶々としていて、性的に満たされない女性が一人でいるというのが団地妻のイメージと言えますが、日活ロマンポルノの団地妻シリーズ『昼下りの情事』(1971年)、『しのび逢い』(1972年)といった作品で団地妻は外に出て行っています。実は、団地妻は密室で退屈していたわけではなく、外に出てなおかつ他の団地妻たちと連帯していたというのが描かれている。団地妻のイメージをつくったのは映画にもかかわらず、実際の映画に登場するのは“密室の中で退屈する団地妻”とは相反する団地妻でした」

 

頻繁に外出する団地妻というのは確かに想像がつかない。団地妻映画のもう一つのポイントは、会社と繋がっていなければ生きていけないような「夫の脆さ」が描かれているところにもあると言う。団地妻と言えば孤独な姿を想像していたが、ロマンポルノに登場した団地妻シリーズには“密室にこもる団地妻“から脱しようとする「団地妻」と会社に組み込まれた「団地夫」の夫婦という定型があったらしい。

 

80年代から90年代になると男性にとっての空間の問題を描き出す作品も出てくる。「団地の2DKの間取りは、子供部屋と夫婦の寝室、ダイニングキッチンで構成されていて、主婦は家事を通してすべての空間に関わらないといけないのに対して、働きに出る父親は夜帰ってきて寝るだけと想定された空間設計になっています。スペースが限られているので、目的が限定されてしまうと男性は家族の空間に関われない。そのような空間を舞台にして、『家族ゲーム』(1983年)では家族を再構築できない父親、『トカレフ』(1994年)では家族がいなくなっても家族を求めてしまう父親といった男性像が描かれます。対して、『毎日が夏休み』(1994年)では、団地から引っ越して、一戸建ての書斎で父親が子どもに勉強を教えたり、一緒に仕事をしたりします。この映画では、2DKの居住空間には存在しない『目的が定まっていない場所』があることで男性が家族を再構築できる余地があるように描かれています」

 

団地映画は現実を映し出すだけでなく、映画を通して空間への批評も投げかけていたようだ。団地映画が団地イメージをつくってきたという単純なことではなく、映画と団地イメージは相互に影響してきたらしい。

在りつづける団地だからこそ、見渡せる戦後史

老朽化した空間とノスタルジー的な空間で二極化していったとされる90年代以降、団地はどのように映画に登場するのか。

 

「老朽化したイメージに団地の空間的な特性を反映した多くのホラー映画が作られました。たとえば『仄暗い水の底から』(2002年)では鉄筋コンクリート造の強固な境界が水によって侵食される恐怖が、『クロユリ団地』(2013年)では孤独死の問題がホラーのモチーフになっています。一方、ノスタルジックに描いているものだと『みなさん、さようなら』(2013年)では、一生団地から出ないという主人公の17年間が、理想郷だった団地が時代の流れによって変化していく様子とともに描かれました。映画ではなくドラマですが『限界団地』(2018年)は、子供の頃に住んでいた団地に主人公が老人になって戻ってきて、団地を「夢のニュータウン」として再び活性化しようと奮闘します」

 

近年ではホラーとノスタルジーのイメージからさらに細分化していっているそうだ。これからも名作が生まれていきそうな団地映画だが、特に印象に残っている映画を聞いてみた。

 

「単純に映画としてめちゃくちゃおもしろかったもので、まさにタイトルが『団地』(2016年)という映画があります。この映画では、息子を亡くした老夫婦が現実を受け止めながら生活していく様子がコメディとして描かれています。団地は、戦争という悲惨な記憶を乗り越えて新しい社会をつくろうと登場した歴史的背景があるので、映画の中での夫婦の生活と団地の歴史が同期していて、正当な団地映画だと言えます。まだ正確な位置づけができていないので、この映画は改めて論文にしたいと思っています」

『団地』Blu-ray&DVD 2017/1/6 発売 Blu-ray:5,280円(税込) DVD:4,290円(税込) 発売元:キノフィルムズ/木下グループ 販売元:ハピネット・メディアマーケティング © 2016「団地」製作委員会

阪本順治監督『団地』(2016年)
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『団地』Blu-ray&DVD 2017/1/6 発売 Blu-ray:5,280円(税込)  DVD:4,290円(税込)
発売元:キノフィルムズ/木下グループ 販売元:ハピネット・メディアマーケティング
© 2016「団地」製作委員会

 

筆者もインタビュー後に『団地』を観てみたが、過去から現在に繋がる明るさがあっただけでなく、『団地映画論』で知った歴史性・批評性も垣間見え、論文で今井先生の分析を読むのが楽しみになった。筆者が団地に抱えていた「中身の見えない未知な場所」というイメージも詰まっていたのが嬉しかった。

 

今井先生に今後の研究について伺うと、映画研究から文学研究へと拡がる答えが返ってきた。
「『団地映画論』ではあまり扱えなかったのですが、60年代・70年代に小説では『内向の世代』と呼ばれる一派があり、政治的な問題から撤退した内面のことを書いています。その中に団地を舞台にしたものが多いので、小説と映画の比較、小説における団地を考えていきたいですね」
 

さらに、映画研究では団地とは違った軸で戦後の日本をひも解く研究を進めていくという。
「戦後の空間として団地が復興を担う中間層の健康な身体を管理する空間だったのに対して、同じ戦後にはハンセン病や精神病、結核など病者の空間が国立療養所として再編されていった歴史があるので、病院や療養所といった空間と映画についても考えたいと思っています」と力強く語ってくれた。

 

団地映画が「途切れることなく在りつづけてきた」という先生の言葉が印象深く残っている。長く在りつづけるからこそ多くのイメージと結びつきながら、映画は団地を通して住まいを映してきた。団地映画だからこそ見られる空間に注目して映画を楽しんでみてはどうだろう。

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