量子テクノロジーを一般にわかりやすく! オランダ・デルフト工科大学の学生チームが大阪・関西万博で作品発表
近年よく耳にする「量子テクノロジー」は、90年代のインターネットの台頭のように、人類の生活に多大なインパクトをもたらす技術として注目を集めています。しかし、その理論は抽象的でとらえがたく、専門外の人には非常にとっつきにくいものです。
その難解な理論を一般の人々にも身近なものとして感じてもらおうと、オランダのデルフト工科大学とハーグ王立美術学院の学生チーム「Emergence Delft(エマ―ジェンス・デルフト)」は、テクノロジーとアートとデザインを融合したユニークな作品を作りました。この作品は5月22日にヒルトン大阪で展示され、現在は大阪駅に近い「ナレッジキャピタル ”ザ・ラボ”」で公開中。さらに7月24日には、大阪・関西万博のオランダパビリオンで、日本の参加者とのパネルディスカッションの際に展示される予定です。
作品に込められた意味や、チームの成り立ちについて、同チーム広報のラウレンス・スプレンガーさんとフルール・ハーゲンさん、そしてトピック・スペシャリストを務めたヨル・フレンケンさんに話を聞きました。

学生チーム「Emergence Delft」の3人のメンバー。左からフルール・ハーゲンさん、ラウレンス・スプレンガーさん、ヨル・フレンケンさん
古典的な物理学では説明できない「量子」の世界
「量子物理学」は、原子や素粒子のような最小のスケールでさまざまな現象を扱う物理学の一分野です。20世紀初頭に形作られたもので、それ以前の理論は「古典物理学」と言われます。
古典物理学はこの世の物体の動きをすべて説明できると信じられてきましたが、技術が進化し、科学者たちがより小さなスケールを調査し始めると、古典的な理論だけでは観察される物体の動き(振る舞い)をすべて説明できないことが明らかになりました。
これまでの古典力学に当てはまらないミクロの量子の振る舞いは、「重ね合わせ(スーパーポジション)」という特性に代表されます。量子が常に一つの明確な状態にあるのではなく、複数の状態で同時に存在できるということです。
ただ、量子の位置を測定しようとすると、重ね合わせが崩れ、量子は一つの明確な状態を取ります。このプロセスは「波動関数の崩壊」と呼ばれ、量子物理学における中心的な問題となっています。エマ―ジェンス・デルフトは、こうした量子の特性を、アート作品を通じて可視化することを試みました。
量子物理学を体験できる作品「Coexist(共存)」
デルフト工科大学の物理学を専攻するヨルさんは、「量子物理学の話題は、多くの人にとってはすごく遠い存在で、理解できないものに感じられています。しかし、量子テクノロジーが発展すれば、コンピュータの速度は飛躍的に高まり、現在の最も強力なスーパーコンピュータでも解決できない課題に取り組むことができます。これには、薬の開発やAIアルゴリズムの改善などが含まれており、私たちの生活を劇的に変える可能性を秘めています。だから、私たちはこれを専門外の人にも身近なものにしたいと考えました」と、チームの目的について語ります。
「量子物理学の世界に触れたり、感じたりすることができれば、専門知識を持たない人たちも政策決定者などと対話できるようになり、テクノロジーがつくる未来について、より広い社会的な議論が可能になると考えています」(ヨルさん)

エマ―ジェンス・デルフトのオフィス。3分の2のメンバーが週40時間のフルタイムで勤務している
各エマージェンスチームは6カ月間活動し、その期間に通常2つのアート作品を製作します。今回大阪で公開される作品は、第3期チームによる「Coexist(共存)」です。
この作品では、「重ね合わせ」を白い光で表現しました。白い光は、人間の目で見ることのできるすべての色を混ぜ合わせることで生まれるものなので、複数の可能性を同時に含む、重ね合わせの比喩となっています。しかし、その光を砂糖水などで屈折させ、光を一定の方向に導く偏光フィルターを通すと、見えるのは一つの色だけになります。これは、量子の重ね合わせが、観測した瞬間に一つの状態になって現れるイメージと重なります。
同作品は周りを歩けるようにつくられており、観覧者はフィルターの前で立ち止まって、白い光がそれぞれのフィルターにより別の色になって映し出されるのを見ることができます。

「Coexist(共存)」の白い光は、さまざまなフィルターを通してみると、それぞれ別の色に見える ©Emergence Delft
作品をつくるプロセスの中で、チームメンバーたちはこの重ね合わせの概念が、人間社会と似ていることに気づきました。
「現代社会には、さまざまな視点が存在するにもかかわらず、各人が自分のフィルター(視点)を通して見ると、それらが共存できないもの、対立するものとしてとらえられがちです。それは、社会における分断を生み出し、分極化を加速させてしまいます。でも、量子の重ね合わせのように、複数のものが同時に存在できる状態として捉えることもできるはずです」と、フルールさんは説明します。
「それぞれの視点は独自でありながら、全体を形づくる大切な一部です。私たちが互いの声に本当の意味で耳を傾け、目を向ける努力をすれば、意見の違いの中にこそ、分断を超えたつながりや、より深い意味が見えてくるかもしれません」と、ラウレンスさんは加えました。
工科大と美大の学生がコラボ、「多様な視点」は社会の縮図
エマ―ジェンス・デルフトは、約1年半前に4人の学生のイニシアティブで始まりました。デルフト工科大学のキャンパス内にある「ドリームホール」という、7つの学生チームが入居できる建物に拠点を構えていますが、チームメンバーには同大学の学生のみならず、ハーグ王立美術学院でアートやデザインを専攻する学生も含まれます。
現在のメンバーは約30人。そのうち20人は大学を1年休学し、フルタイムでこのプロジェクトに取り組んでいるといいます。
「3月にメンバー募集をして、1カ月以上かけて選考します。大学の単位にもならないし、給料ももらえないし、本当にやる気のある学生だけがこのプロジェクトに参加しています。メンバーは工業デザイン、コンピューターサイエンス、航空宇宙工学など、理工系の学生から、美術や哲学を専攻する文系の学生までさまざまです。多様な分野の人たちが一緒に協力することで、より大きなものが生まれると確信しています」と、ラウレンスさんは述べます。

「ドリームホール」では7つの異なる学生チームが、さまざまなプロジェクトに取り組んでいる。3年ごとに入居審査がある
プロジェクトはリサーチから始め、コンセプトづくりに約2カ月半の時間をかけます。みんなで出し合った多様なアイデアを一つに集約していくのは大変な作業だそうですが、それはデザイン専攻などの学生からなる「コンセプトチーム」がデザイン思考の方法などを使いながらまとめていきます。
「すべての学生は、それぞれの得意分野に応じた役割を担います。コンセプトが固まったら、機械工学や電気工学の学生たちからなる『製作チーム』の出番です。それぞれのフェーズに応じて、チームの誰もが活躍できる瞬間があるんです」(フルールさん)
ヨルさんによれば、このような多分野の学生との協働は、学びの多いものだといいます。「実際に社会に出て働くようになると、いろんな専門の人たちと一緒に仕事をすることになります。それを学生時代にできるのは、とても貴重な体験ですね」
彼らの作品は、まさに多様な仲間との「共存」から生まれたものなのです。
5月に大阪で作品公開! 7月には万博会場でパネルディスカッションも
エマ―ジェンス・デルフトは、5月22日にヒルトン大阪で開催された「ハイテクとデジタル化」に関する会議で、「Coexist(共存)」を披露しました。この会議はオランダ政府の主導で開催されたもので、同日にはウィレム=アレクサンダー国王が、ディルク・ベルヤールツ経済大臣とライネッテ・クレーファー外交貿易・開発協力大臣とともに出席し、この作品を鑑賞しました。
会議の後、同作品は2カ月にわたって、大学や企業がイノベーションを紹介する場である、大阪の「ナレッジキャピタル ザ・ラボ」で展示されています。さらに、7月24日には大阪・関西万博のオランダパビリオンで、日本の参加者とのパネルディスカッションに合わせて展示される予定です。

「大阪でたくさんの人に作品を見てもらいたいです」と話す3人のチームメンバー
7月24日のパネルディスカッションのテーマは、「新技術への架け橋、アートとテクノロジーの融合」と「量子力学の未来と共通の土台」です。日本の大学や企業関係者の参加が見込まれています。
アートとテクノロジーを掛け合わせた、このユニークな作品がきっかけとなり、専門を超えた対話が促されるとともに、この作品が日本とオランダを結ぶ架け橋となることが期待されます。

大阪・関西万博のオランダパビリオン
Emergence Delftは、大阪でのパネルディスカッションへの参加お申し込