「マンガをつくるうえで大切な要素」について、考えたことはありますか? 子どもの頃から身近にあったマンガについての表現やしくみを解説してくれる特別連続講義「マンガの語り方」(全4回)の第2回目「マンガ表現のしくみ」が、2021年8月28日に行われました。
語ってくださったのは、学習院大学大学院・身体表象文化学専攻を2021年3月末に退任されたばかりの、夏目房之介先生。夏目先生といえば、日本を代表するマンガコラムニストで、NHK「BSマンガ夜話」の出演をはじめ、マンガ研究や評論の著書などを出されている方です。
今回の講義では、マンガに出てくる「あるあるなキャラクター・言葉・表現」などを、言語化して解説してくれています。これはどんなストーリーにも当てはまることなので、マンガに限らず物語を考えたい人や、アイデアに行き詰っている人にも参考になる内容になっていますよ!
※退任直前の3月6日に開催され、大好評を博した夏目房之介最終講義「マンガ研究はなぜ面白いのか」とあわせてお楽しみください。
マンガは類型的な記号表現の組み合わせで成り立っている
まず画面に、横縞柄の服を着た、頰かむり姿の男のイラストが映し出され、「職業は何だと思いますか?」「なぜそう思いましたか?」と、質問が出されました。
最初のスライドで出された、夏目先生自らが描かれたイラスト。ⓒ夏目房之介
このクイズは講義でも行われたそうで、大抵の学生は職業について「泥棒」と解答。その理由としては「頰かむりや横縞柄の服を着ていたため」と答えたそうです。中国やイタリアの学生にも同様の質問をしたところ、上記の職業は「泥棒」と言い当てたとのこと。ちなみに私も同じ回答が浮かびました。
しかし、続けて同じ学生に質問したところ、「なぜ頬かむりや横縞柄の服を着用していると泥棒なのか」の問いに、「ええと、TVの影響かな?」ともごもご状態。夏目先生いわく、他の学生たちも明確な解答はなかったそうです。実際にこのような服装をした泥棒を見たことはないけれど、何らかの影響により、上記イラストのような服装をしている人物を「泥棒」と解釈していると、夏目先生は語ります。
(キャプ)マンガではイラストを見るだけで職業がイメージできる、ステレオタイプのキャラクターが多数活躍している。ⓒ夏目房之介
マンガは、試験管を持って白衣を着用している人物は、研究熱心な博士や科学者、杖をついて着物を着て、髪の毛を一つに結んでいるのは、時折、核心をついた発言をするおばあちゃん、というように、職業や特徴がわかりやすく描かれていることが多いです。夏目先生によると、このような表現方法で描かれた絵を「人物の記号化」と呼び、作中における世界観の現実レベルにより「記号」化の程度が変わってくるそうです。
たとえば、『ドラえもん』と『ゴルゴ13』では、この「記号」の描かれ方に違いが見られ、幼い子ども向けマンガやギャグマンガなどは、記号が多く活躍しているそうです。たしかに、ドラえもんに出てくるおばあちゃんの多くは、上のイラストのように腰がまがって和服姿ですし、子どもに人気の『名探偵コナン』の阿笠博士は、白衣姿ですよね。その反対に『ゴルゴ13』に出てくる人物は、それぞれ個性があり現実にいそうなリアル感があります。
博士は博士らしく白衣を着ていると、余計な説明を省くことができるので、会話文が少なくなり、子どもでも読みやすいマンガになるのかなと感じました。このようにステレオタイプ・類型的な描き方は、マンガにとって重要な要素となっているんですね。
「役割語」の持つ、役割
次に夏目先生が語ったのは、登場人物の「話し方」についてです。マンガで高齢者や仙人、学者などが話す際に「○○なのぢゃ」という喋り方をすることがあります。しかし夏目先生自身、実際に「○○なのぢゃ」と話す高齢者に会ったことはないそうです(筆者もありません!)。それが「一つの話し方の類型として存在している」と語りました。
このような類型化された人物を想定させる特定の話し方を「役割語」と呼ぶそうです。たとえば山の手の奥様たちが話しがちな「ざます」言葉や、お嬢様言葉として使われている「~でしてよ」なども、役割語です。
ちなみに、この役割語は、日本語学者の金水敏氏によって提唱されたそうですよ。
※同氏には、以前、ほとんど0円大学でもインタビューをおこなっているので、あわせてお楽しみください。
役割語によって、キャラクターのイメージがより鮮明になりやすい。ⓒ夏目房之介
筆者も思い返してみると、子どもの頃、おじいさんは「ぢゃ」というものだと信じていたので、実際に会ったおじいさんはそう言わないことに衝撃を受けたことがあります。マンガの中で「○○ぢゃ」と話すのは「主に老人や仙人、博士などです」と、たしかに教えてもらったことなどないのに、なぜか、筆者を含めた多くの人は、さまざまな情報から役割語を認識しているんですよね。
夏目先生によると「フィクションの世界の約束ごとを、どこかで学び、リテラシー(知識やそれを活用する能力)として獲得している」そうです。
さらに夏目先生は、日本語を学習する際のことを例に取って解説してくださいました。「日本語で話すときに、女性言葉を使うか、男性言葉か、あるいは謙譲語で話すべきかなどは、ある程度教育として受けてはいるが、具体的にどこで習い、どこで覚えたかは、ほとんどの人が記憶していないでしょう。それでもできるのは、知らず知らずのうちにリテラシーを獲得して理解できるようになっているからです」と述べたうえで、「マンガの場合は、絵と言葉とそれを結びつけるコマの構成が、リテラシーとして成り立っているのではないかと思うのです。言い換えますと、マンガも言葉と同じようなルールや文法が成り立つのではないか」と夏目先生は語りました。
なるほど。マンガにも文法が成り立つかもしれない、とは面白い考えです。同時に物語の先が知りたくて読んでいるマンガですが、ストーリーを追いながらも、「マンガの読み方」までも、誰に習ったわけでもなく、学習しているのですね。
そうなると、マンガはとても情報量が多いため、「ぢゃ」を使う白衣の博士を登場させたほうが、スウェット姿の博士よりも説得力があり、情報も簡素化できてストーリーに入りやすいのかもしれないですね。
マンガは「ありえない虚構」と「ありうる虚構」で成り立っている
その後、マンガ研究の歴史をざっくりと説明されました。
「マンガはありえない虚構と、ありえる虚構でできている」点はマンガ表現を知るうえで、とても重要な要素だと夏目先生。ⓒ夏目房之介
次にマンガの虚構と、ありえるかもしれない虚構について語った内容が、マンガ以外のストーリー性のある映画や小説でも「あるある」な話で、非常に興味深かったです。たとえば夏目先生は「科学を無視して、何でも作ってしまう博士など、ありえないことが面白いのは、一方に現実的な世界が想定されているからなんですよ」と語ります。
『ドラえもん』がポケットの中から、いろいろな道具を出してのび太を助けてくれるという、ありえない面白さ。それと、勉強も運動もイマイチだけど、優しい主人公という、いかにもありえそうなキャラ設定。この両輪が互いにしのぎを削り、反発し助け合うことで、読者が面白さを感じるということのようです。
これは人気アニメ『鬼滅の刃』にも言えて、鬼を倒せるさまざまな技が繰り出されるという、現実社会ではありえない設定ですが、それぞれのキャラクターに共感できるストーリーがあるため人を惹きつけているのです。きっと『鬼滅の刃』が、単なる戦いの物語だけなら、あそこまでのヒットにはならなかったでしょう。
「つまり『ありえない虚構』と『ありうる虚構』の混合で、ほぼマンガやアニメは成り立っている。これは押さえておくべきポイントです」と夏目先生は強調します。
格闘技系のマンガでは、絶対ありえない技などが使われているが、その一方で「関節はこちらの方向には曲がらない」という現実的な「ありうること」を織り交ぜていくことで、荒唐無稽なエピソードの方も面白くなっていくそうです。
マンガ表現論の3要素は「絵、言葉(文字)、コマ」は、今後変化する可能性も
次にマンガ表現論について話題が及びます。夏目先生によると、現在のところマンガの構成要素は「絵」、「言葉(文字)」そして「コマ(の連続と構成)」で成り立っていると言います。
マンガ表現論の3要素。海外では「絵」と「言葉」だけの構成要素で考えられている。ⓒ夏目房之介
そこで次は、「言葉」の中でも、マンガを面白くするためによく使われている「形喩(けいゆ)」と「音喩(おんゆ)」について解説してくださいました。
(形喩の描かれたイラスト)-(形喩部分)=(時間の経過や動いている感じのしないイラスト)となる、とスライドで紹介。ⓒ夏目房之介
出典:『マンガはなぜ面白いのか』P88より
形喩とは「キャラクターの感情や心境、状態を符号化もしくはデフォルメした形状で描写し、読者に伝える手法」で、夏目先生が作った造語です。顔の紅潮を表現するためにほほに斜線を引いたり、フラフラした様子を表すために、足の周りに曲線を描いたりする表現方法です。
スライドでは、形喩の描かれたイラストから形喩のみを取り除いたイラストを見せることで、形喩の持つ意味を伝えました。スライド左側の「形喩の描かれたイラスト」の女性は、寒い中、懐中電灯の明かりを夫にあてて、困惑している様子が線で表現されています。その線を抜いてみる(スライド右上のイラスト)と、右下の暑いのか寒いのかもわからない、動きのない絵になると、わかりやすく教えてくれました。
こうやってイラストで見せられると、形喩の有無で印象はだいぶ違いますよね。とくに寒さを感じさせる線がたった数本あるだけで、より状況が伝わるようになるんだなと感心してしまいました。
このような形喩は、ヨーロッパのマンガのように写実性の高いマンガになるとあまり使われなくなるそうです。(そういわれると、ヨーロッパのマンガが気になります!)
次に、俗にいうオノマトペ(擬音擬態語)と同じ意味になる「音喩」の解説が行われました。音喩も、夏目先生が考えた造語なのですが、「ガタッ」や「うわああああ」など、言葉にはできない感覚的な表現は外国人に人気があるそうです。
この音喩にはさまざまな使い方があるそうです。たとえばマンガのページ全体に斜めに「キキキキー」と描かれ、そのわきに車がとまるような絵があったとします。その場合、音喩がコマの真ん中に載っているため、読者が最初に目にするのは、音喩という場合もあります。
「音喩はコマよりも強い、目線の運び屋でもあるわけです。コマに近い働きもしている。手書きで描かれているため絵画性もあります」と音喩の重要性を語ってくださいました。
ちなみに夏目先生は、そんな音喩について外国人から取材されたこともあり、その注目ぶりに夏目先生ご自身も驚いたようでした。
最後にマンガ表現論の三要素の1つである「コマ」についての話となりました。
コマに対する考え方はとても複雑で、日本では1960年代にマンガ論が始まると、「絵、言葉、そしてコマ」が注目され、解釈されるようになりました。しかしヨーロッパなどでは、絵と言葉でマンガを考えることが伝統的なのだそうです。
「たしかに論理的に言いまして、『絵と言葉』という概念の対と、『コマ』という概念を同レベルで並べてしまうのは無理があります。ただマンガの歴史的にコマというものが、前面にでるかたちで日本のマンガが発展してきたため、今後は概念の構造を変えていく必要があると思っているところです」
と自らスライドで示した「マンガ表現論の三大要素」に対して、結果的に否定するコメントを述べた点は、とても興味深く感じました。
「コマに関しては短い時間ではできないので」という前置きで表示された、図版スライド。ふだん何気なく見ているマンガの構造が、とてもわかりやすく記されています。ⓒ夏目房之介
出典:『マンガの読み方』P199、P205より
さらにコマに関しては、「マンガ論の少し上のレベルといえる『視覚文化史』あるいは『物語論』という形まで、抽象度を上げてもう一度考え直す必要がある」と訴えました。要するに、マンガだけを見ていないで、他の分野を交えた視点で考えることが大切ということです。
その例として、夏目先生は、「絵巻などのコマのない世界と、コマのあるマンガを比べてみると、視覚文化史的に視野を広げて考えていける」と語りました。
これはとても斬新なご提案です。同じように紙面に描く、ストーリー性のある絵でありながら、全然違う見え方のする2つを比べることで、また違うコマの法則や特徴が見えてくるのではないでしょうか。
さらに夏目先生は、マンガ研究家の野田謙介氏や伊藤剛氏が、コマやフレームについての概念を、改めて考えていこうという動きがあることに触れ「そういうものを取り入れていく必要があるのではないか」と結び、講義は終了しました。
ふだんマンガを読むときに「コマ」について考えたことはなかったので、改めてコマを見てみると、思った以上にバリエーションが多くコマの奥深さを感じました。
同時に、最近ではネットでマンガを観る人も多いので、そういう場合のコマ割りの役割はどうなるのか……今後の夏目先生の研究がさらに気になる講義でした。
今後、第3回、第4回と続くので、興味のある方は視聴してみてはいかがでしょうか。