大学の本屋といえば、購買部の中にある本の販売コーナーがまず思い浮かぶ。しかし大阪には、大学から街なかに飛び出して運営されているちょっと変わった本屋さんがある。
「水野ゼミの本屋」を運営しているのは、大阪工業大学知的財産学部の水野五郎先生(知的財産学部 教授)とゼミ生のみなさん。ただ本屋を運営するだけでなく、自分たちで作った本を販売したり、イベントを開催したりと多彩な活動に取り組んでいて、2022年7月の開店以来、読書好きの人々が集まる場所になっているそうだ。
理工系大学のゼミがどうして本屋さんをはじめたのか、一体どんな本が売られているのか、「水野ゼミの本屋」を訪ねて聞いてみた。
レトロなビルの4階に「水野ゼミの本屋」はある。
大阪の中心地・梅田から徒歩15分、南森町駅からすぐのレトロなビルの4階に「水野ゼミの本屋」はあった。今回はもちろん調べてきたけれど、偶然見つけたら「こんなところにナイスな本屋さんが!」と驚いてしまいそう。重い扉を開けると温かみのある木製の本棚が並んでいる。
「水野ゼミの本屋」の内観
水野ゼミの本屋は、今密かなブームになっている「シェア型書店」の形式で運営されている。月間契約で棚を貸し出し、それぞれの書店主さんが自分が持っている本を陳列・販売している。ライトノベルに特化した棚、イタリア語の本が並ぶ棚など、書店主さんの個性がうかがえるのも楽しいポイント。近隣のFMラジオのパーソナリティさんも棚を持っているのだとか。
本を購入できるだけでなくイベントスペースも設けられていて、書店主さんによるさまざまなコンセプトの読書会をはじめ本にまつわるイベントが頻繁に行われているそう。「書店とイベントスペースを融合した“本のライブハウス”というコンセプトです」と水野先生。そう聞くと、並んでいる本も活き活きして見えてくる。
内装は、同じく大阪工業大学のロボティクス&デザイン工学部空間デザイン学科の学生が担当したそう。釘を使わず板と紐だけで組み立てられている書棚はオシャレで実用的だ。
本棚の奥には読書会などに使えるスペースが。こちらは『ピノッキオの冒険』を語る読書会の様子(提供:水野ゼミ)
著作権を実践的に学ぶなかで誕生した「大学発の本屋」
そもそも水野ゼミとはどんなゼミで、なぜ本屋さんを始めたのだろうか?
「法律や経営について学ぶ知的財産学部のなかでも、水野ゼミでは著作権を専門に研究しています。ゼミの研究テーマである『著作物としての本の利活用』の一環として、本屋の運営や出版活動に取り組んでいるんです」と教えてくれたのは、ゼミ生の青谷夏野さん(知的財産学部3年)。
たとえば、古本を販売して売上をどこかに寄付したり、まちライブラリーを作って地域おこしをしたりするのが本の「外側」の利活用だとすれば、水野ゼミでは本の「中身」、つまり書かれたテキストに注目する。具体的には、過去に発表された文学作品の権利関係について検討して、著作権が切れた作品のテキストを使ったグッズを開発したり、埋もれた名作を書籍として復刊したりしているそうだ。「そうやって作ったものを販売するための場所が必要だったということと、せっかくなら本を売るだけじゃなく、本に囲まれて本好きの人が集まるようなイベントができればいいよねと。その両方を満たす場所として立ち上げたのが水野ゼミの本屋です」。
なるほど。著作権について学ぶだけではなく、実際にフル活用してみたら本屋を作ることになった……ということか。大学でこんな経験をできるなんて、なんだかすごく羨ましい。
水野ゼミに入るために工学部から転学部してきたという青谷さん。手に持っているのは青谷さんが中心となって復刊した中平文子『女のくせに』の特装本。
ところで、著作物の利活用といっても、著作権が切れていればOKというわけではないと水野先生。「著作物のテキストを活用したり、商品名として作家の名前を使用したりする際には、著作権だけでなく商標権やパブリシティ権、不正競争防止法といったさまざまな権利や法律がかかわってきます。学生たちは座学で学んだ知識を踏まえて、実際にどういった活用ができるのかを実践しているんです」。
ちなみに、日本国内の作品の場合、原則として作者の死後70年の保護期間が満了した作品はパブリックドメインとして誰でも自由に活用できることになっている。一方、海外の作品に対しては国ごとに異なる保護期間が加算されたり(戦時加算)、翻訳作品の場合は翻訳者にも著作権が発生したりと、素人にはわかりにくい例も多い。また、法律的に問題がなくても、作家の関係者の利害や、ファンの方々の心情への配慮が必要な場合もある。判断に迷ったら専門家に相談したほうがいいとのことだ。
本屋だけでなく、読書会やビブリオバトルの講師として精力的に読書の楽しみを伝える水野先生。研究者としては民事訴訟法、知的財産訴訟などがご専門。
名作の復刊からネガティブ名言まで、本と人をつなぐプロジェクトの数々
水野ゼミの本屋で販売もされているゼミ発の本やグッズを見せていただこう。まずは桜色の表紙が美しい上品な文庫本。青空文庫にも載っていない埋もれた名作を掘り起こして、水野ゼミで独自編集したという復刊本なのだそうだ。
左から『さくらむすび』『さくらむすび 弐』『女のくせに』。
「『さくらむすび』『さくらむすび 弐』は、著作権が切れていて、大手の出版社で未刊行や絶版で古本市場にもあまり出回っていない、青空文庫にも収録されていないという条件を満たした文学作品の中から、さくらというテーマで選定した作品を本にしたものです」
簡単にはお目にかかれない名作をどうやって探してきたのかというと、国立国会図書館や古本市を利用して「これは」と思う作品を探し出し、ゼミ内だけでなく一般の読者の人に向けた読書会を開いてみんなが面白いと思う作品を選んでいったそう。底本からテキストを打ち直すのも手作業だそうで、上品な表紙からは想像もつかない労作だ。
『女のくせに』は、青谷さんが中平文子という作家に惚れ込んで復刊にこぎつけた一冊。「彼女は俳優、新聞記者、資生堂の服飾デザイナーとマルチに活躍したすごい女性なのですが、一方でものすごい恋愛体質でスキャンダルも耐えませんでした。今でもなかなか居ないような自由奔放な生き方で明治・大正時代を駆け抜けた人です。『どんな人生過ごしてんねん!』とツッコミを入れながら読んでいただけると面白いかなと」。
一方、ゼミ生の松吉蒼馬さん(知的財産学部3年)が紹介してくれたのは、自由な発想ではがきに言葉を書き付ける「己書(おのれしょ)」と文学作品をかけ合わせたイベント。「ポジティブな言葉が選ばれることの多い己書だからこそ、『恥の多い人生を送ってきました(太宰治『人間失格』)』のようなネガティブワードを書いてみると面白いねということになったんです」と松吉さん。己書の師範の先生を招いたワークショップは水野ゼミの本屋の人気企画なのだそうだ。
文学作品に登場するネガティブ名言を「己書」に。(提供:水野ゼミ)
ゼミ生の松吉さん。ポッドキャストで「水野ゼミのラジオ」を勝手に(!)始めて毎週配信しているという。制作中の新製品「文豪かるた」のチラシとともに。
さらに、「こんなものも作っています」と見せていただいたのは、金魚鉢型のインテリアや薔薇の折り紙。著作権の切れた作品を使った「本に見えない本」。同じく大阪工業大学の空間デザイン学科の学生と共同開発したものだそうだ。「製本された本に対して苦手意識を持っているような人にも、違う切り口で作品に親しんでもらおうということで企画しました」と水野先生。百貨店などに出店しても、足を止めて見てくれる人が多いそう。
空間デザイン学科の学生と共同開発した「本に見えない本」たち。権利関係だけでなく、製造コストの管理なども実践的に学んでいる。
上:櫻間中庸「金魚は青空を食べてふくらみ」をモチーフにしたインテリア
下:小川未明「野ばら」のテキストを折り込んだ折り紙の薔薇
大学を飛びだした本屋の今後の展望
インタビュー中もイベントやグッズの話が次々と飛びだして、話はなかなか尽きなかった。青谷さん、松吉さんをはじめゼミ生の力がなければ水野ゼミの本屋は形にならなかったと水野先生。「イベントや取材を通して、外部の人から評価されることが彼らの自信につながっていると思います」。
水野ゼミに欠かせないお二人に今後の展望を伺った。
青谷さんは、もっとお客さんに来てもらうことが目標だという。「読書会だけでなく、いろいろなイベントを通して本に対する間口をもっと広げたいです。あと、これは個人的な願いですが、近隣の堀川戎神社で古本市を開催するとか、西天満というエリア自体を本で活性化できればいいなとも思っています」。
松吉さんは、大阪市の高校生と連携して「文豪かるた」を制作中。このプロジェクトを完成させることが目下の目標だ。さらに、「マスコットキャラクターを作りたいです。本に挟まっているスリップ(売上票)をモチーフにしたジャック・ザ・スリッパーというキャラクターを考えていて……」と野望を語ってくれた(「そんなこと考えてたの!?」と水野先生)。
大学を飛びだした水野ゼミの本屋は、街や人と関わりながらもっともっと大きくなっていきそうだ。本好きの方も、逆に本に苦手意識があるという方も、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろうか。