人には、二つの死があると言われる。肉体の死と忘れ去られることの死。戦争や災害など人類の悲しみにもきっと同じように二つあるはずだ。二つ目の悲しみを迎えないために、戦争や災害など人類の悲しみの跡を巡る旅、ダークツーリズムの方法論が注目を浴びている。ダークツーリズムとは何なのか、これからどうなっていくのか。この分野の第一人者である追手門学院大学・井出明准教授にお話をうかがった。
国の光を観る。
ダークツーリズムがイギリスの学者によって提唱されたのは、1990年代のこと。戦争や災害など、人類の悲しみの跡を巡るツーリストたちが少なからずいるという現象を研究し、そうした旅のかたちを総括してそう呼んだという。
しかし、ダークとツーリズム(観光)なんて、到底マッチしそうもない単語の組み合わせのような気がする。悲しみの跡を、観光なんてしていいものなのか。
「そう考えるのは、日本の場合、高度経済成長期のマス・ツーリズムを経験して、観光=遊び・娯楽のイメージが強く刷り込まれているから。でも観光という言葉には、本来、見聞を広めその地域や文化を理解し尊敬の念を抱くといったポジティブな意味があります。近代の初期に、ツーリズムを日本語に訳す時、『国の光を観る』という四書五経の易経の中の言葉をあてたんです」
井出先生は、観光という言葉がもともと持っていた多面的な価値や意味をわかってもらうために、あえてこの言葉を使うようにしているという。その場所やそこに生きた人々、遭遇した悲しみを理解するための旅。悲しみの記憶と真摯に向き合う旅なら、不謹慎という批判はあたらない。
「ただ、ブームになって野次馬的なダークツーリズムが増えてきていることも確かです。アウシュビッツでも中の煉瓦を持って帰るなど、けしからん人たちも出てきているのは悲しいことです」
ユダヤ人の大虐殺の象徴とされるアウシュビッツ強制収容所(ドイツ)
スマトラ沖地震によって陸に打ち上げられたバンダ・アチェの洋上発電所(インドネシア)
イノベーション&カタルシスの旅。
広島市の戦後復興の象徴、原爆ドーム
悲しみの跡をたどる旅は、人に何をもたらすのだろう。
「原爆ドームなどを見て魂が揺さぶられる人は多いでしょう。とくに若い人なら、自分に近い年齢の人がたくさん亡くなった場所で、なぜ自分が生かされているのかを考え、生かされている命なら世の中の役に立つ生き方をしたいというふうに、ダークツーリズムを通じて内面的なイノベーションが起こることもあるようです」
魂がゆさぶられて、人生観がひっくり返る機会などそうそうやってこない。ダークツーリズムが注目される理由が、ここにもありそうだ。先生によれば、さらに多様な価値が指摘されているという。
「たとえば、カタルシスもその一つです。日本ではあまり意識されませんが、ヨーロッパではアリストテレス哲学以降、悲劇を鑑賞することで心のわだかまりをデトックス(解毒)するという考え方です。旅でカタルシスを味わえることが、ダークツーリズムが流行した原因の一つとも言われています」
(後編に続く)