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  • date:2024.10.8
  • author:伊東 孝晃

1970年の大阪からひもとく。科学技術の歴史から見た万博の面白さを一橋大学・有賀暢迪先生に聞いた

今回お話を伺った研究者

有賀暢迪

一橋大学大学院 言語社会研究科 准教授

研究分野は科学技術史。京都大学総合人間学部の物理科学専攻を卒業後、同大学の大学院文学研究科で科学史を修めた。国立科学博物館の理工学研究部研究員を経て、2021年より現職。博士(文学)。著書に『力学の誕生―オイラーと「力」概念の革新―』(名古屋大学出版会)などがある。

2025年の大阪・関西万博は、日本で20年ぶりに開催される万国博覧会(以下、万博)です。その歩みは、1851年にロンドンで開かれた「大博覧会」を皮切りに、大型機械、蒸気機関、白熱電灯のイルミネーションなど各国が最新技術の発展ぶりを示す場となってきました。19世紀からの流れがある万博の中でも、科学技術史を専門とする有賀暢迪先生は、特に20世紀後半の万博に注目しているといいます。それはなぜなのか?万博を切り口にすることで何がみえてくるのか?お話を伺いました。

数少ない資料から万博の展示を読み解く

有賀先生は現在、物理学・数理科学の歴史と、科学博物館・科学アーカイブズという2つの側面で研究を行い、資料の保全などに取り組んでいるそうです。自身の研究活動の中で、どのようにして科学史と万博のリンクに行き着いたのでしょうか。

 

「私は現職に就く以前、8年間にわたって国立科学博物館にキュレーターとして勤務し、日本の近現代の科学技術史について研究を行っていました。その時期に、戦後日本の技術革新について研究するプロジェクトが発足し、私も関わることになりまして……。私はテクニカルなことは専門外なので自分なりの切り口で研究することにして、まずは国の『科学技術白書』で「技術革新」についてどのように述べられてきたのかを調べました。その流れで、技術革新が語られる場、提示される場について考えた時に行き着いたのが万博でした。万博は参加する国の科学技術に対する意識が如実に示されるので、これ以上ない研究材料なんです」

 

有賀先生の関心は、その時々の万博で、どんな技術がどのように紹介されているのかというところにあるといいます。しかし万博というイベントの特性ゆえに資料の収集などで苦労する部分も多々あるそうです。

 

「万博では終了後に開催国や参加国が公式報告書を作成しています。しかし、約半年という一過性のイベントゆえか、報告書では詳細な内容まで記載せず、開催の概要を記す程度というのが現実です。各パビリオンの詳しい展示構成や展示物リスト、図面なども記されていないので、その他の出版物や各パビリオンが作成したパンフレット、当時の新聞記事や文書など、限られた資料から当時の状況を把握して展示内容を再構成するのが私のやり方です」

 

1851年の第1回から170年以上となる歴史の中で、有賀先生は20世紀後半の万博を対象に研究に取り組んでいるとのこと。この時代のチョイスについても先生のこだわりがあるようです。

 

「私はこれまで1970年の日本万国博覧会(以下、大阪万博)を中心に研究してきました。万博の研究というと19世紀のイメージが強いので、私のように20世紀、中でも戦後に焦点を絞っているのは珍しいです。ただ、1985年のつくば万博や1990年の大阪花博、2005年の愛・地球博など大阪万博の後に日本で開催された万博は時代的に新しく、関係者もまだご健在であることが多いので、正直、歴史研究としてはやや扱いにくいと感じます。大阪万博の場合は、開催から半世紀以上が過ぎていることから、私が歴史研究者としての研究方法を駆使することで、科学技術がどのように展示されてきたかを知るお手伝いができるかと思っています」

有賀先生は万博学研究会に所属。他分野の研究者たちとともに論文を発表している。【左】佐野真由子編『万博学 万国博覧会という、世界を把握する方法』思文閣出版、2020年、【右】万博学研究会編『万博学/Expo-logy 第2号』思文閣出版、2023年

大阪とモントリオール、2つの万博が伝えた科学の未来

有賀先生にとって万博研究のスタート地点であり、現在も調査を続けている1970年の大阪万博は、当時過去最多の約6000万人が来場しました。その熱狂ぶりは当時を知らない世代も、映像などで見たことがあるのではないでしょうか。

 

「『戦後日本の技術革新』という視点で考えると、1970年の大阪万博について調べるのは必然でした。大阪万博は日本で初めて開催された万博であり、2010年の上海万博までは来場者数のトップを守り続けるなど、興行的にも大成功を収めています。高度経済成長期の勢いもあいまって社会現象となったことで、人々の記憶に残り続けているのではないかと思います」

 

さまざまなパビリオンで紹介された科学技術は、来場者に未来への期待感や絶大なインパクトを与えました。日本政府のパビリオン・日本館は、大阪万博で最大規模をほこり、大規模な展示(模型)のほか、巨大スクリーンによる映像が多用され、観覧通路の全長は1.2キロ、観覧所要時間は約2時間というものだったそうです。

 

有賀先生が調査した資料(「『日本政府館』出展概要」1969年)によれば、科学技術分野については「『あす』への夢と希望を、高い水準に達した日本の科学技術を通じて展示する所」と宣言されていました。具体的にどのような展示物があったのでしょう。

 

「企業のパビリオンで展示されていた携帯電話の原型や『人間洗濯機』などは比較的よく語られているので、ご存じの方も多いと思います。日本政府のパビリオンでは、動くリニアモーターカーの模型が特に注目を集めました。他にも耐震建築や、公害を発生させない未来のコンビナートの模型、原爆の悲惨さを表現した巨大タペストリーなども、諸外国と比べてユニークなものだったと思います」

 

日本以外の参加国に目を移すと、当時冷戦状態にあったアメリカとソ連の展示内容には、大きな注目が集まったといいます。

 

「これもよく知られていると思いますが、大阪万博の中で最も人気の高かった展示物が、アメリカ館の『月の石』でした。実はアメリカ館では科学技術関連の展示を宇宙開発だけに絞っていて、月着陸船の実物のほか、船外活動用の宇宙服などを紹介していたのが特徴的でした。これはアメリカが宇宙開発のトップを走っているイメージを打ち出したいという意図があったものと思われます。

 

一方、ソ連も宇宙開発に関連した大がかりな展示を行いましたが、さまざまな科学技術の中の一つとして紹介していました。総合力を見せつけようとしている印象です。他の国では、インドも原子力など科学技術関連の展示を行っていたという記録があり、驚きました。この点はまだ深く調べていないのですが、当時のインドの立ち位置についても考える材料になりますね」

 

インドは1957年にアジア初の原子炉の運転を開始しており、技術をアピールする機会として万博をとらえていたのではないか、と考えられそうです。

 

また、戦後の科学技術史を研究するうえで有賀先生が大阪万博との比較対象にしているのが、1967年にカナダで開催されたモントリオール万博です。両者は開催時期や規模感、展示内容が近く、モントリオール万博の発展型が大阪万博であるという見方もできるそうです。

 

「モントリオール万博は映像をふんだんに使用した展示を行うなど、大阪万博に継承される要素を多分に含んでいたことで知られています。私は大阪万博とモントリオール万博を比較する論文を書いたのですが、科学技術に関していうと、アメリカとソ連が先に述べた宇宙開発関連の展示を大阪万博と似た内容ですでに行っています。他国の展示ではフランスの超音速旅客機コンコルド、イギリスのホバークラフト(浮上航行を行う高速船・会場で実際に運行した)などが特徴的な技術です」

 

大阪万博やモントリオール万博といった20世紀後半の万博研究を通して、有賀先生が着目するポイントとは、どのようなものなのでしょうか。

 

「通常の技術史の視点では、万博で紹介されたテクノロジーが何年後に実現したか、という点に注目が集まります。私はそれよりも、万博における科学技術の表現のされ方に興味があり、そういった現象から時代背景が見えてくると思っています。月の石がブームとなったのも、前年にアポロ11号の月面着陸があったからで、時代を象徴しているわけですよね。そもそも国家が科学技術を支援するようになったのが20世紀のことなので、万博での展示から参加国の社会状況が見えてくるのも非常に興味深いところです」

大阪万博のソ連館パンフレットと、モントリオール万博の公式ガイドブック。万博の展示について研究する上では、こうした資料が重要な情報源となる。所蔵:(株)乃村工藝社[博覧会資料COLLECTION]

複雑化するテーマとエンターテインメント性の両立という課題

万博では毎回、開催の意図を示すためのテーマが設けられています。参加する国や企業はテーマに沿って展示の方向性を検討しますが、初期の万博にはこういった概念がなく、テーマの登場も万博が進化した一つの要素となっているそうです。

 

「20世紀初頭までの万博や博物館では今日のようなキュレーションという考え方がなく、とにかくたくさん珍しいものや新しいものを並べることに比重が置かれていました。言葉としても『展示』ではなくて『陳列』と呼ばれています。陳列をメインとした万博にも楽しさはあるのですが、おそらく時代とともに見せ方が成立しなくなったことから、さまざまな要素を組み合わせた展示が試みられ、テーマが必要とされたのではないでしょうか。1933年のシカゴ万博で初めて『進歩の一世紀』というテーマが登場しました。モントリオール万博では初めてテーマ館のパビリオンが作られ、大阪万博でも『人類の進歩と調和』と謳われたように現代の万博においてテーマは重要な役割を果たしています」

 

現在の万博において必要不可欠となっているテーマ。科学の進歩や社会の状況に応じて、その内容も社会課題と向き合ったものが増えるなど、変化が見られるようになってきました。

 

「大阪万博が開かれた1970年ぐらいまでは、科学技術の進歩に対してギリギリ楽観視できていました。それ以降になると公害をはじめとする社会問題が顕著になってきて、科学の進歩・発展が必ずしも人類の幸せや明るい未来に直結しないという意識が人々の間に広まっていきます。そうなると万博でもただ最新の科学技術を見せるだけでは成立しなくなるので、近年の万博のように『環境問題について来場者も一緒に考えましょう』というような方向性に進んでいったのではないかと……。2025年の大阪・関西万博でも『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマが設けられていますが、格差や対立、介護・福祉といった課題にAIやバイオテクノロジーがどう向き合うのかといった展示がなされるのではないかと思います」

 

近年の万博では、テーマをはじめとしてシリアスな印象が強くなることにより、人々の関心を遠ざけている側面もあるのではと有賀先生は語ります。

 

「万博はもともと、参加する国の産業を振興することを目的としつつ、見に来る人が楽しむことによって成立していました。一般のお客さんが足を運んで楽しいと思わないことには、イベントとしての万博はなかなか成功しないのではないでしょうか。そのためにも、今後の万博では、近年よく見られる『社会課題の解決』というテーマを全面に出しつつも、テクノロジーとエンターテインメントと学びを融合させた展示のあり方を、より強く常に意識することが重要かと思います」

 

万博は長い歴史の中、科学が社会や人々の暮らしとどのようにつながってきたかを示してきました。多くの情報に触れることができるようになった現在、科学は「未来を実現させるための技術」から「生活を便利にする身近なもの」という認識が広まっており、万博の科学展示のあり方も先進性だけにとどまらない価値観が求められています。私たちが体験した最新の科学技術が未来でどのように活かされるのか。今後の開催の中でその答えを確認することも万博の楽しみ方の一つになるのではないでしょうか。

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