映画や小説、アニメ、漫画…サブカルの世界を研究者とともに読み解いてみたい。そんな思いから、先生方に選んでいただいた1作品を取り上げ掘り下げる新企画がスタート。
第1回目は言語学×『もののけ姫』。
語っていただくのは、大阪大学文学部教授の金水 敏先生。
金水先生は、《役割語》という話し言葉のジャンルを提唱し、注目を集めている日本語学者だ。
でも《役割語》と『もののけ姫』がどう関係あるんだろう?
まずは《役割語》について、先生にわかりやすく教えてもらうことにした。
日本語学者の金水 敏先生。子ども時代に好きだったアニメは『鉄腕アトム』
物語だけの言葉づかい《役割語》
子どもの頃から親しんできた漫画やアニメ、小説などのフィクション。その中に出てくる、
「それは、ワシなんじゃ」
「わたくし、料理もできましてよ」
「ウチの子は凄いんざます」
なんて、口調のキャラクター。
現実にはそんな話し方の人っていないよね、と思いつつ、
「それは、ワシなんじゃ」→年配の博士
「わたくし、料理もできましてよ」→召使がいるようなお嬢様
「ウチの子は凄いんざます」→嫌味なお金持ち
という具合に、すんなりそのキャラを想像できてはいないだろうか?
「こんなふうに言葉遣いからキャラクターを把握する能力は、日本人に強く見られる傾向なんですよ」
と、自作のカルタを使いながら説明してくれた金水先生。
確かに、話し方だけでなんとなくどういうキャラがしゃべっているのか想像できるなあ…と納得!
金水先生は、この「特定の人物像を思い浮かべることができる言葉遣い」を《役割語》と名付けて1996年から研究している。
先生によれば、《役割語》を理解していれば、さまざまなフィクション作品をより深く楽しめるし、作り手の意図すら分析できてしまうという。
実際に先生は、いくつかのフィクション作品を《役割語》を通じて研究。その研究欲は国民的アニメ・ジブリ作品にも及び、先生が開講しているジブリアニメを分析する講義は阪大生に大人気。教室満杯の220名の学生が集まり、留学生の受講も多いとか。ジブリ人気は国境を越えるようだ。
「講義では、『ルパン三世カリオストロの城』から『千と千尋の神隠し』までを題材に《役割語》を解説し、キャラクターと物語の構造を分析しています」と先生。その中でもとくに「分析しがいがある」と語るのが『もののけ姫』だ。
「『カリオストロの城』は初期作品だけに構造が単純。ですが『千と千尋の神隠し』以降の作品、例えば『ハウルの動く城』などは登場人物の性格が複雑すぎます。『もののけ姫』も複雑な構造の物語ではあるのですが、《役割語》を通じてその複雑性を紐解くことができるんですね」と、DVDで『もののけ姫』を流しながらクールに語る金水先生。
この取り合わせちょっと面白いなーと思いつつ、先生の分析に耳を傾けた。
その内容を、次で詳しく紹介しよう。
『もののけ姫』を《役割語》で分析
さて、金水先生による『もののけ姫』分析の前に、簡単にストーリーを説明しておこう。
知っている人も多いだろうけど、この物語は中世日本を舞台にしたファンタジー。主人公アシタカはタタリ神にかけられた呪いを解くため、神が住むという深い森に向かう。そこでは製鉄のため森を破壊している女傑・エボシ御前と、彼女の命を狙う“もののけ姫”・サンが対立。アシタカは両者の立場を理解したうえで、森と人が争わずに済む道を探り始めるが、さらに森の主であるシシ神の不死の力を狙う朝廷勢力や、タタラ場の軍事力を警戒する武士たちが加わり、四つ巴の展開に…というのが大まかなストーリー。初期の宮崎駿作品と比べると複雑な物語構成となっていて、テーマも深くて難解さがある。
「それでも私たちは、約2時間にまとめられたアニメを通じて宮崎駿監督が伝えたい作品テーマや物語の骨子を感覚的に理解できます。監督がとても上手に《役割語》を活用していることがその一つの理由なんですね」と金水先生。
先生によれば、『もののけ姫』をはじめジブリアニメは、古今東西に見られる典型的な《ヒーローの旅》によく当てはまるらしい。この《ヒーローの旅》は神話の分析から始まり、ジブリはもちろん村上春樹作品まであらゆる物語の雛形となっているのだが、掘り下げると長くなるので泣く泣く割愛する。詳しくは先生の著書『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(2003年 岩波書店)に書かれているので、ぜひ手に取って欲しい。
関西弁キャラの変遷についても紹介されていて、大阪人としては興味深い
「ヒーローのお約束として、肉体・精神面や生育環境で『何かが欠けている』というのがあります。アシタカの場合は呪いにより村を追われたという『欠損』がヒーローの条件を満たしています。そんな彼の言葉遣いは、王族の血を引く若者という設定が伝わるよう品のあるものとなっています」
あれ?アシタカって王族だったの? と、うろ覚えの記憶を探った私だが、そのあたりをわかっていなくても、アシタカがリーダー教育を受けた良いところのお坊ちゃんだ、ということはアニメを通じてなんとなく理解していた。これが《役割語》の力か。
以下、先生による『もののけ姫』主要キャラクターと《役割語》の働きをまとめてみた。
◆アシタカ(主人公)
折り目正しく品のある話し方の《役割語》で表現されたキャラ。「戦闘シーンや荒ぶる神に対しては、毅然とした格の高い話し方に。それがヒーローとしての立ち位置や、王族の血を引く若者というキャラクター性を高めていますね」と先生。
◆サン(もののけ姫)
「戦闘美少女キャラですが、誰に対してもぶっきらぼうなタメ口で、少し片言なところがあります。そこが、社会性のなさ(もののけに育てられた捨て子)であることが伝わる《役割語》となっています」と先生。また時々、頼りなげな女性口調となるところがヒロイン性の表現となっているとのこと。
◆エボシ御前
威厳のある話し方を基本に、「ざまあないよ」というような砕けた言葉が混じるキャラクター。「芸能者上がりの出自を匂わせる効果のある《役割語》となっています」と先生。
◆ジコ坊
老人的・賢者的な物言いが、ヒーロー物語のパターンとして物語導入に現れる典型的な導き手を想起させるキャラクター。先生は「お坊さんのようで下品な言葉も使うところに、二面性が垣間見られますね。一筋縄ではいかないキャラであることを《役割語》が伝えています」と分析。
◆モロの君
サンを育てたメスの犬神。男性的な強さを持った成熟した女性、というヒーロー物語の典型的登場人物の役割を果たす。時代劇風の男言葉が高い品格と強さを表現。「そこに時折、母親らしい口調の《役割語》を加えることで、サンへの愛情が表現されています」。
物語の受け手が自分を重ね合わせやすいよう、主人公は標準語なことが多い。一方、登場が限られるエキストラ的キャラクターほど、田舎言葉などステレオタイプな《役割語》を使用していることが多い
以上、コンパクトにまとめたけれど、「なるほど!」と腑に落ちた人も多いのではないだろうか。私たちは《役割語》に託された、たくさんの情報を無意識のうちに把握。だから作中に説明がなくても、感覚的に物語を理解できていたのだ。
先生によれば、《役割語》は大衆文化やフィクションの発展とともに進化してきたもの。江戸時代にはすでに当たり前のように使われていたという。
「《役割語》は、受け手にキャラクターを明快に差し出すことができるため、創り手にとってとても便利なんですね。だから日本のフィクションにたくさん使われています。
またフィクションを見たり読んだりする受け手にとっても、《役割語》の使われ方をチェックすることで、キャラクター造形はもちろん、さらにはそのキャラクターがいかに物語の構成や展開に寄与しているかを知ることができるんですよ」
そうか、先生は《役割語》を研究することで、ご自身が興味あるフィクションを、めちゃめちゃ深く楽しんでいるわけですね!
「ただし《役割語》は、キャラクターの特徴を誇張させる表現手法であるので、差別や偏見と結びつきやすい側面もあります。日本語を使う私たちは、現実とフィクションの違いを理解した上で、《役割語》が豊かにしてくれる物語世界を楽しまないといけないですね」
《役割語》のクリエイティビティ
《役割語》は日本語特有のものではない。例えば英語圏でも『ハリー・ポッター』シリーズのように、独特な言葉づかいのキャラクターが頻出する作品は存在する。ただ、「日本語ほどクリエイティブな《役割語》を持つ言語は少ない」と金水先生。例えば世界的人気作家・村上春樹の小説にも、『騎士団長殺し』の騎士団長など、特徴的な言葉づかいのキャラクターが登場し、物語に奥行きを与えている。
「私たち人間は役割や他者との区別を持って生きています。日本人は、現実での言葉づかいはもちろん、フィクションの中でもそのバリエーションを発達させてきました。それは世界の文字文化・言語文化の中でも特異であり、現実と内面世界の両方で豊かな感性を持つ日本人の特性なのかもしれません。またそうした傾向が、ジャパニメーションをはじめ、日本のクリエイティビティを下支えしていると言えるでしょう」
ジブリアニメや村上春樹作品をはじめ、日本のフィクションは海外でも多くの人々に愛されている。だが日本語を母国語とする私たちは、作品をとりわけ深く楽しむことができる。とりあえずこの週末は、ジブリアニメをレンタルしてみよう。