漫画や映画といったポップカルチャーを見渡してもわかるように、古代エジプトほど現代人に愛されている古代文明はないだろう。中でも、神秘的なヒエログリフ――絵物語のようにも見える独特の文字に想像力が掻き立てられる人は多いのではないだろうか。
ヒエログリフの他にも古代エジプトを知る上で欠かせない文字がある。そのひとつが神官文字、ヒエラティックだ。ふたつの文字はどのように使われていたのか? 解読する方法とは? 東京大学の永井正勝先生(東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL)特任准教授)は、そんな研究の一環として古代エジプト文字のデータベース化に取り組んでいるという。失われた言語を探求する研究について伺った。
謎多き古代文字、ヒエログリフの特徴
永井先生は現在、東京大学附属図書館の研究部門に所属。ちょっと珍しい肩書きだが、研究内容が古代エジプト文字をはじめとした研究資料のデータベース化だと聞けば納得だ。2020年10月にオープンしたばかりの東京大学アジア研究図書館の立ち上げにも尽力されている。
そんな永井先生に、まずは古代エジプト文字がどんな文字なのか教えていただこう。ヒエログリフとヒエラティックの違いは後述するとして、ここではヒエログリフを例にとってその特徴を見ていきたい。
「古代エジプト文明で使われていた言語はエジプト語で、現在、話者は存在しないとされています。エジプト語を書き表すのに使われたのが、ヒエログリフ、ヒエラティックといった古代エジプト文字です。ヒエログリフの一部はギリシャ文字の原型になり、そこからローマ字が作られました」。恐竜が鳥に進化したように、古代エジプトの名残はローマ字として現役で活躍しているのだ。ただしそれは文字の形の話。文法や発音はというと……?
「ヒエログリフはご覧の通り、動物や人間などモノの形を象った象形文字です。そのため一文字がひとつの単語を表す表語文字だと思われがちなのですが、実は表音文字として使われる場合の方が多いんです」。正確には、表音文字と表語文字(いわゆる表意文字のことを、言語学的にはこう呼ぶそうだ)、それに語の意味の範疇を示す「限定符」の組み合わせで成り立っているのだそう。
左側のひとつひとつの文字の意味は「ふくろう」「マスト」「腕」「パン」だが、ここでは表音文字として〈マハト〉という音のかたまりを作る。音のかたまりだけで「墓」という意味を持つが、これが「建物」の一種であることを示すために、建物を象った限定符が最後に付け加えられる。限定符は漢字の部首のようなものと考えればよい
もうひとつ特筆すべきは、「母音を示す文字が存在しないこと」。これはヘブライ文字などの中東言語の文字にみられる特徴だが、研究者にとってはなかなか厄介だ。「わかりやすい例えに置き換えてみると、『成田(narita)』と『鳴門(naruto)』を子音だけで表記すると、どちらも『nrt』という表記になってしまいます。また、英語の動詞ならば『take』と『took』が両方『tk』になってしまうように、活用形の区別がつかないといったことも起こります。このように、子音しか書かれないため、ヒエログリフ では単語の発音や動詞の活用が見えてこないのです」。
イラストっぽくてとっつきやすそうなんて思ったら大間違いで、話を聞けば聞くほどなんとも厄介な文字のようだ。さらに困ったことに、話者がいないためもはや正しい発音を知ることはできないのである。ここで一旦まとめておくと、古代エジプト文字は「実像が掴みづらい、解読にかなり骨の折れる古代文字」なのだ!
王権と信仰を支えた“聖刻文字”と“神官文字”
古代エジプトでは文字を扱えるのは一部の限られた人々だけで、用途によって主に2種類の文字が使い分けられていた。元となる原エジプト文字から枝分かれした、ヒエログリフ(聖刻文字)とヒエラティック(神官文字)だ。
ヒエログリフ(左)とヒエラティック(右)。
「ヒエログリフは宗教や王室に関わる文書に用いられた文字で、儀礼に関する呪文、王の歴史記録、王名リストなどに用いられました。王室建造物や神殿の壁画などに彫られることでディスプレイの役割を果たしたことが特徴です。
一方、ヒエラティックは主に書記の役人が使用していました。建設事業などの記録のほか、有力者の自伝や教訓、文学作品や書簡に至るまで、様々な文書をパピルスなどへ手書きするために使われました」
古代エジプトでは王は神と同一視されていた。王=神に捧げる言葉を刻むための威厳ある文字がヒエログリフであり、後世まで残り続ける神殿などの建造物の壁画や棺などを飾ることに主眼が置かれていたのだ。それに対して、より実用的に幅広く使われた書き文字がヒエラティックというわけだ。「ヒエラティックはヒエログリフの単なる崩し文字だと考えられがちですが、これは大きな誤解だと強調しておきたいです。建造物に彫られる王室の歴史記録にヒエラティックを用いたり、パピルスに記す行政文書にヒエログリフを用いたりすることはありません。古代エジプトは、用途の異なる二つの文字を必要とする社会だったんです」。
ヒエログリフとヒエラティックは原エジプト文字から早い段階で枝分かれしていた。
また、ヒエログリフとヒエラティックからは筆記体ヒエログリフが、ヒエラティックからはデモティック(民衆文字)がそれぞれ派生した。これらの文字のうち特にヒエログリフは、王権や信仰と強く結びついた文字だった。3000年以上続いたその歴史の中で語彙や文法は徐々に変化してゆく。文字を扱う書記や神官が自らの特権を強化するためか、単語の綴り方がどんどん複雑化する傾向があったようだ。さらに、アマルナ時代(アメンホテプ4世の治世である紀元前1417〜1362年頃。神官の権力増大を抑えるため、宗教改革や遷都が行われた)以降になると言文一致の方向に舵が切られ、文法や文体が刷新された。
そんな古代エジプト文字の終焉もまた、権力と信仰の変遷とともに訪れる。ローマの侵攻によってエジプト王朝が滅び、その後神官たちの間で細々と守られてきた文字もキリスト教の台頭とともに廃れていった。イシス神殿に刻まれた紀元後394年8月24日の日付以降、ヒエログリフによる記録は残っていない。
翻訳の手がかりになった「コプト文字」
それではエジプト語は完全に滅びてしまったのかというと、実はそうではないらしい。現在ヒエログリフやヒエラティックの解読が進んでいるのも、エジプト語が形を変えて長らく生き残っていたからなのだそうだ。
「古代エジプト文字が廃れてからも、エジプト語自体はギリシャ文字を逆輸入する形で取り入れて、コプト語(またはコプト・エジプト語)として連綿と残り続けました。自然言語としてのコプト語の話者は17世紀にほぼ消滅したと考えられていますが、その後もキリスト教のコプト教会で典礼言語として使用され続けています」
コプト文字はほとんどがギリシャ文字からなるが、一部デモティック由来の文字が追加されている
ロゼッタストーンの解読によってヒエログリフの解明を飛躍的に進めた18世紀の言語学者・シャンポリオンも、コプト語を習得していたという。彼はコプト語をエジプト語だと見抜いていたために、ヒエログリフを表音文字として解読することができたのだとか。
「言語を解明するのに不可欠なのは、やはり『音』の要素です。古代エジプト語の発音の手がかりとしては、コプト語が有力です。元のエジプト語から変化はしているものの、コプト語ならばヒエログリフやヒエラティックではわからなかった母音の発音もわかります。また、数は少ないものの、楔形文字やギリシャの歴史家が残した記録にも王の名前などの固有名詞が残されていて、ヒエログリフやヒエラティックのそれぞれの文字の発音を推測する手がかりになっています」
発音がわかれば、古い時代のエジプト語の面影を残すコプト語と比較することで語の意味を推測することもできる。本物の古代エジプト語を耳で聞くことは叶わないものの、遺跡に残された文字とかろうじて生き残ったコプト語によって、失われた言語が解明されてきたというわけだ。
古代エジプト文字をデータベース化する
さて、そんなヒエログリフとヒエラティックに、現代のエジプト研究者はどのように向き合っているのだろうか。ここで永井先生はある問題を指摘する。
「これまでのエジプト学は、実際にパピルスや遺跡の壁に書かれた原文ではなく、それを現代の研究者が書き写した史料集に頼ってきた側面があります。史料集は手書きの原文を活字に直したようなものと考えていただくとよいでしょう。原資料が1等資料とすると、そうした史料集は原資料から4段階も間接的になった5等資料として位置付けるべきものとなります。特に、ヒエログリフの崩し字だと思われていたヒエラティックの原文にいたっては、研究者はヒエログリフに『翻刻』された資料を用いて翻訳を行ってきたのです」
パピルスや遺跡の壁に残された手書きの原資料を書き写し、標準的な字形に整えて出版されたものが5等資料にあたる。あくまで間接的な資料であることに注意が必要だ
そんなエジプト研究の慣習のなかで、永井先生は可能な限り原資料に当たることにこだわってきた。そのきっかけは、博士論文執筆時の指導教官とのやりとりだったという。
「当時、私はヒエラティックで書かれた文学作品を研究していました。最初はエジプト学の慣習どおりヒエログリフに翻刻された5等資料を使って論文を書いていたのですが、ある時、指導教官に『なんで本物を見ないんですか? それでは博士号を出せません』と言われたんです。原文を見ないと言語研究とは言えない、と」
腹を括ってヒエラティックを一から勉強してみると、毎日どんどん読めるようになっていくのが楽しかったそう。「ロシアのエルミタージュ美術館の学芸員研究室でパピルス写本の原典を撮影することができたので、その写真を見ながら、すでに出されていた5、6種類の翻刻資料をチェックしていきました。すると翻刻の間違いが次々に出てくるんですね。だから、自分が世界一正しい文字解釈を出してやるという気になってくるわけです」
こうして原資料の大切さを痛感した永井先生。時は流れて、現在取り組んでいるのはヒエラティックをはじめとする文字資料のデータベース化だ。2012年にスタートしたヒエラティックデータベースプロジェクト(Hieratic Database Project)では、大英博物館が所蔵する原資料を撮影した画像データに、書かれている文字の1つ1つの種類を認定したのち、その文字の発音、単語の解釈といった言語分析データ(アノテーション)を付加してデータベース化している。
「Hieratic Database Project」の画面。原資料の写真に子音転写、文字、単語といった付加情報が紐づけられている。膨大な情報の入力作業はもちろんすべて人力だ
永井先生によると、データベース化には大きく二つの動機があるという。
「ひとつは、研究手段としてのデジタル化です。一文字、一単語ずつ解釈を明確にして入力していかなければならないので、誤魔化しがきかず、必然的に原典と深く向き合うことになります。このような作業を行うことによって、自分自身の解釈や入力内容の揺れをチェックすることができるようになります。
もうひとつは、研究資源のオープン化です。資料画像とそれに関連する言語解釈をセットにして、将来的には誰でもアクセスできるようにすることで、貴重な資料の保存や後進育成、エジプト学全体の発展に貢献できればと考えています」
さらに、2019年には1909年初版のヒエラティック字典『Hieratische Paläographie』(George Möller著、全4巻)をデジタル化し、研究者がヒエラティックを容易に比較検討できるデータベースとして公開した。これには世界中のエジプト研究者から反響があり、50カ国以上からアクセスがあるという。
100年以上現役で使われている定番のヒエラティック字典をデジタル化した「Hieratische Paläographie DB」。異なる巻次やページを跨いでひとつの画面上で文字を比較できることが画期的。画像データは東京大学アジア研究図書館のデジタルアーカイブ、インターフェースは筑波大学のサーバーを使用している
今後はヒエラティックの辞書や、ヒエログリフ資料のデータベース化にも取り組んでいく。想像するだけでも果てしない時間と労力がかかりそうだが……「残された人生でどこまでできるかというところですが、エジプト学を志す学生の語学教育も兼ねて、現在、4つの大学の学生・院生さんにも手伝ってもらっています」。誰もが使えるデータベースを作る営みが、そのまま若手研究者の育成の場にもなっているというわけだ。まさにエジプト学に金字塔を打ち立てるような取り組み、といったら喩えが安直すぎるだろうか。
古代から未来へつなぐ知のリレー
幼少の永井少年がエジプトに興味を持ったきっかけは、ルパン3世やインディ・ジョーンズ、テレビの旅番組だったという。それでは、今感じていらっしゃるエジプト語研究の魅力は?
「エジプト語はまだまだ未解明な部分の多い言語です。言語研究という視点では、見えている部分をつなぎ合わせて見えない部分を推測していく過程に魅力を感じています。そしてデータベースを共有していくことで、さまざまな知がそこに集まり発展していく。『データを開いて、知を結ぶ』ことを進めていきたいです。100年後も引用されるような研究成果を残したいですね」
古代エジプト人が記した文字と向き合い、先達の研究者の仕事に学び、データベースや研究成果として次世代につなげる永井先生の取り組み。ヒエログリフやヒエラティックを目にするとき、私たちは壮大な知のリレーの一端に立ち会っているのかもしれない。
じっくりお話を聞かせてくださった永井先生。写真は東京大学アジア研究図書館にて