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  • date:2022.9.22
  • author:谷脇栗太

新種クジラの発見に大活躍した「ストランディングネットワーク」とは? 北大水産学部公開講座レポート

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広い海を悠然と泳ぐ。日本では古来、貴重な食肉資源としても利用されるなど人間と関わりの深い生き物ですが、その生態にはまだまだ謎が多いようです。

クジラの仲間といえば、国際的に捕鯨が厳しく管理されているというイメージもあります。巨大なクジラともなれば水槽で飼育するわけにもいかないし、一体どんなふうに研究されているのでしょうか?

ということで今回は、北海道大学水産学部の連続公開講座より、鯨類学が専門の松石隆教授による「新種のクジラをみつけるまで」をオンラインで視聴しました。

 

今回の講師、松石隆先生(北海道大学大学院水産科学研究院 教授)

今回の講師、松石隆先生(北海道大学大学院水産科学研究院 教授)

「新種クジラ発見!」の発表に至るまでの長い道のり

2019年8月31日、松石先生が率いる北海道大学と国立科学博物館のチームは、オホーツク海沿岸で発見されたクジラが新種であることを突き止め、「クロツチクジラ」と命名されました。クジラ、イルカ、シャチ、スナメリなどの仲間を含む鯨類は、これまでに世界でこの新種を含めて91種しか見つかっておらず、新種が見つかるのはとても珍しいことなのだそう。いくら海は広いといっても、体長8メートルほどもあるクジラの存在が今まで知られていなかったなんてたしかに驚きです。松石先生は、「そんな大発見に自分が立ち会うことができるなんて思ってもみなかった」と振り返ります。

 

クロツチクジラは従来のツチクジラよりも小さく、黒っぽく、口先が短い

クロツチクジラは従来のツチクジラよりも小さく、黒っぽく、口先が短い

 

実はこのクジラ、昔から北海道の漁師さんの間では「知っている人は知っている」存在だったと松石先生。オホーツク海にいるツチクジラとよく似ていて、ツチクジラよりも体が小さく、色も黒っぽいクジラがいることは1950年台の資料にも記録されていました。しかし、オホーツク海まで出向いて科学的にその存在を確かめようとする研究者はなかなかおらず、長らくの間、幻のクジラの存在が明るみに出ることはありませんでした。

 

2000年代に入って状況が変わります。2005年に知床が世界遺産になったこともあり、オホーツク海でホエールウォッチングが盛んになってきたのです。そんなホエールウォッチングのガイドをしていたのが、新種発見のキーパーソンとなった佐藤晴子さん。佐藤さんはある日、定置網にかかった奇妙なクジラの写真を入手して国立科学博物館に送ります。それは科学者の目から見ても、それまで知られていたツチクジラとは似て非なる奇妙なクジラでした。ただ、この鯨はすでに漁師さんが処分してしまった後で、この時は詳しいことはわからずじまいでした。

 

2007年、松石先生たちは「ストランディングネットワーク北海道(SNH)」を設立して、海岸に漂着したり、網にかかったりしたクジラやイルカの情報収集に本格的に乗り出しました。2009年に再び佐藤さんからクジラの頭部だけの死体の発見報告があり、今度は無事に標本を入手。DNAを解析した結果、やはりツチクジラとは明らかに別種であることがわかったのでした。ただしこれだけでは新種と確定するための証拠が足りません。SNHに寄せられた情報のおかげで最終的に6頭の標本が手に入り、遺伝的にも形態的にもそれらが既知のクジラのどれにも当てはまらないことを検証して、ようやく新種と認められたのが2019年でした。

 

佐藤さんによる最初の報告から10年以上の歳月をかけて新種と認められたクロツチクジラ。クジラの研究における標本の貴重さと、情報提供の大切さがよくわかるエピソードでした。

クジラ

イルカ・ゴンドウ

鯨類は、大きな歯で獲物を捕食する「ハクジラ」と、髭板で海水からプランクトンを漉し取る「ヒゲクジラ」に分けられる。ハクジラのうち、4メートル以下のものをイルカと呼び、クジラとイルカの中間の大きさのものをゴンドウと呼ぶ。鯨類にはそのほかにシャチ、スナメリなどが含まれる。 また、クジラのうち「大型鯨類」と定義された13種は国際捕鯨委員会によって捕鯨が制限されている。

漂着した鯨類は貴重な研究資源になる

講演の後半では、新種発見で重要な役割を果たしたストランディングネットワーク北海道(SNH)の取り組みへと話題が移ります……が、その前に。そもそも、鯨類の漂着とはどんな現象なのでしょうか。

 

松石先生によると、鯨類が海岸に漂着することを日本語では「寄鯨(よりくじら)」、英語では「ストランディング(stranding=座礁)」と呼ぶそうです。多くの場合は沖で死んだクジラやイルカが海岸に打ち上げられることを指す言葉ですが、広義にはクジラやイルカが生きたまま港や河口に迷い込んだり、定置網にかかったりすることを含む場合もあるのだそう。「新聞のネタとしてしばしば取り上げられますが、実はそれほど珍しい現象ではない」と松石先生。というのも、生きているクジラやイルカは必ずいつか死に、それらは一定の割合で浜に打ち上げられるから。寄鯨を研究に活用する上でむしろ重要なのは、打ち上げられたクジラやイルカが発見され、その報告が研究者まで届く確率を上げることだといいます。

漂着したクジラ

漂着したクジラ

寄鯨の報告件数

寄鯨の報告件数

 

日本における寄鯨の報告件数を見てみると、80年代から増加しはじめ90年代中頃に急増しています。これはクジラやイルカの個体数が増えたり死亡率が上がったりした結果というよりは、認知率が上がったためだと松石先生。国立科学博物館や日本鯨類研究所が「寄鯨を見かけたら報告してください」と周知して情報網を整備したことで、漁師さんや一般の方からの発見報告が研究機関に届くようになった成果の現れだと言います。こうした取り組みは、地域ごとのストランディングネットワークとして全国に広がっているそうです。

 

そんな寄鯨は、鯨類研究の中で重要な役割を果たしています。松石先生によれば、クジラの主な調査手法には、漂着した鯨類を解剖する「寄鯨調査」、海を泳いでいる鯨類を船の上から観察する「目視調査」、生きたクジラを捕獲して船の上で解剖する「捕獲調査」という3種類があるそうです。

 

捕獲調査はあらかじめ国際捕鯨委員会の許可を得て行う調査で、許可を得た鯨種に遭遇したら無作為に選んだ個体を捕獲します。年齢、性別、食べた物などさまざまな情報を得ることができますが、莫大な費用がかか目視調査はそれぞれの個体を詳細に調べることはできませんが、大規模に行うことでその海域の個体数の増減を推測できる重要な調査です。肝心の寄鯨調査はというと、クジラを解剖するという点では捕獲調査と同じですが、特にクジラの死因を知ることができることと、費用が比較的安くすむことが特長なのだそうです。

 

こうして調査方法を比較してみると、希少種や死因を探る詳しい研究を行うためには寄鯨調査が不可欠であることがわかります。

鯨類研究を支えるストランディングネットワーク

2007年に北海道大学水産学部が中心となって立ち上げ、2021年にNPO法人になったSNH。その目的は寄鯨の情報を収集・公表し、必要とする科学者につなぐことなのだそうです。

 

2007年から2021年の間にSNHに寄せられた発見報告は990件、1106個体にのぼります。その数も想像以上ですが、「北海道の特徴は、他の地域よりも漂着する種数が多いこと」だと松石先生。その数、実に25種類。希少種も含め、全世界で知られている鯨類の4分の1以上の種が北海道の海岸に流れ着いているというから驚きです。

北海道で漂着したクジラやイルカを見つけたら、SNHまでご一報を

北海道で漂着したクジラやイルカを見つけたら、SNHまでご一報を

 

寄鯨の情報が寄せられると、松石先生たち研究者はすぐに車に乗り込んで現場に向かいます。北海道全域の沿岸部を駆け回るのを想像するだけでも大変そうですが、そうして集められたサンプルやデータが鯨類研究に活用されているのです。

 

これまでにSNHを活用して書かれた学術論文はなんと42件以上。典型的なものの一つは回遊ルートや分布に関する研究で、例えば、漂着したクジラを調べることで、それまで希少種だと思われていたクジラが、実は北海道の太平洋側にごく普通に生息していることがわかった……という例もあるそう。そんな中でも「教育機関として何よりも嬉しいことは、鯨博士が出てくれること」と松石先生。SNHを活用してこれまで6人以上が博士論文を出していて、そのテーマはイルカの食性、クリックス音(周囲を探知するために発する音)、寄生虫まで多岐にわたるそうです。

 

どの研究も、漂着したクジラやイルカを見つけた誰かの一報がないと始まらなかったと想像すると、なんだか少し親近感が湧いてきます。

寄鯨が教えてくれる、人間とクジラ・イルカの関係

クジラやイルカを知ることは、私たちの生活とも無関係ではありません。SNHの活用例として、松石先生はこんな話も教えてくれました。

 

海の生態系の上位に位置するクジラやイルカは、海に放出された有害な化学物質を体内に濃縮蓄積(生体濃縮)してしまうことが知られています。SNHで集められたサンプルを調査した研究によって、北海道沿岸のイルカの体内にPCBなどの化学物質が蓄積されていることがわかりました。PCBは、絶縁材として使われていた物質で、現在では製造・使用が原則禁止されています。海水やプランクトンを調べても希薄すぎて検出されず、鯨類の体内で濃縮されることでその海洋汚染の実態が明らかになってきたそうです。

 

また、こんな興味深い話もあります。

 

松石先生は、漁師さんが不漁のときに「俺たちがとっている魚がイルカに食われている」と言うのをよく聞くそう。しかし実際に調べてみると、イルカは人間が食べる魚をあまり食べていないようだと松石先生は言います。北海道沿岸に多数生息するイシイルカの食性を調べた研究では、人間が食べるスルメイカではなく、もっと深いところに生息するテカギイカを主に食べていることがわかったそうです。

 

SNHの取り組みは、意外な形で伝統文化にも貢献しているそうです。

 

日本近海ではほとんど見られなくなり、捕鯨も禁止されているセミクジラ。しかし最近は個体数が回復傾向にあるのか、ときどき漂着の報告があるそうです。ところで、セミクジラが海水から餌を漉しとるときに使う「髭板」は、昔から文楽人形の仕掛けに使われていました。しかし現在は髭板の入手が困難で、他の材料で代用されているそうです。そのことを知っていた松石先生は、漂着したセミクジラから取った髭板を大阪の国立文楽劇場に寄贈したのだそう。このプレゼントは大変喜ばれ、文楽劇場を通じて文楽人形だけでなく地方の伝統行事で使う人形の修復などにも使われることになったといいます。

 

伝統的な海の恵みであり、同じ海で暮らす隣人であり、海洋汚染の告発者でもあり……。寄鯨から広がるエピソードを聞くと、人間にとってクジラやイルカがいかに身近で貴重な存在であるかを考えさせられます。

鯨類と人間の共存をめざして

講演の最後にSNHのこれまでの活動を振り返って、「最初は気軽な気持ちで始めたSNHですが、今や私たちの標本をあてにしてくれている研究機関もあるので、頑張って続けていければと思っています」と松石先生。「保護活動も大切ですが、一方で漁師さんの生活や私たちの食文化とのバランスもある。研究活動を通じて、希少生物の保護、そして鯨類と人間との共存にもつなげていきたいです」と締めくくりました。

 

野生動物研究の大変さと面白さがつまった新種クジラ発見のエピソードから、漂着した鯨類を利用した研究まで、普段は知ることのできない鯨類研究についてたっぷり知ることのできた公開講座でした。SNHでは北海道沿岸に漂着した鯨類の情報を募集しているほか、寄付や会員として活動を応援することもできるそうです。ご興味のある方は、SNHのウェブサイト(https://kujira110.com/)を覗いてみては?

 


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