2021年7月4日、京都産業大学にて『ポストコロナ社会の文化と観光を考える』をテーマとしたシンポジウムが開催されました。
本年4月から同大学の文化学部京都文化学科に観光文化コースが開設されたことを記念し、山極壽一先生(総合地球環境学研究所所長、京都大学名誉教授)の基調講演や、4名のパネリストによる意見交換を行い、新たな京都観光の姿を探るシンポジウムでした。
私自身は神社仏閣や散策が好きで、コロナ前はよく京都に出かけていました。コロナ禍により観光が強制的に停止させられ、その後の再開を展望するとき、「観光」はどんな姿を見せるんだろう。そんな興味を抱いて参加しました。
観光文化コース開設記念シンポジウムのプログラムは下の通りです。
祇園で舞われる「京舞」披露
最初に京舞井上流の舞踊家・井上安寿子さんによる京舞が披露されました。
京舞井上流は江戸時代に京都で生まれ、能の舞などに影響を受けて発展してきた日本舞踊です。京都の五花街のうち、祇園甲部の舞妓さんや芸妓さんが舞うのがこの井上流で、井上さんはそこで舞の指導をされています。
特別公演の演目は『蛍狩』。うちわと蛍籠を手にした娘さんが蛍を追い、蛍火に恋心を重ねて舞うというもの。
『蛍狩』を舞う井上安寿子さん
わずかな顔の傾き、ちょっとした仕草、視線の置き方の変化で、女性の思いが伝わってきます。抑制が効いているからこそ、舞手から発せられる「気」のようなものが感じられるのです。
山極先生登場 ~ ゴリラ研究と観光の関係
京舞の後、今春、京都産業大学に開設された観光文化コースの設置の趣旨と教育内容を紹介、学長挨拶に続き、山極壽一先生の基調講演がありました。
山極先生は元京都大学総長で、ゴリラの研究で知られる人類学者です。
「ゴリラの研究と観光になんの関係があるんだろう」と思いましたが、先生はゴリラの研究を通じて人間社会を見ていて、今という時代を生きる人間が観光に何を求めるのか、という観点から話されました。
基調講演を行う山極壽一先生
人類が農耕牧畜を始め、定住生活を行うようになったのは、約1万2000年前。人類の歴史の中では比較的最近のことで、本来は食料を探して動き回る「遊動生活」(狩猟採集生活)の生き方が合っているそうです。
最近はAIやITの発展により、一つの土地にしばられない生き方が再び可能になりつつありますが、このような社会では、ものを所有することよりも所有物を少なくして動き回り、「行為」「体験」することに価値がおかれます。「観光においても体験が重視される」とのことで、先生自身が関わった滞在型のエコツーリズムについて紹介されました。
(エコツーリズム‥地域ぐるみで自然環境や歴史文化など、地域固有の魅力を観光客に伝えることにより、その価値や大切さが理解され、保全につながっていくことを目指していく仕組み)
コロナ禍で対面での会話・会食、芸術やスポーツなどが制約を受けたことで、これらが人間の暮らしに欠かせないものであることが浮き彫りになっています。コロナ後の観光は、小規模で滞在型、感染予防の意識をもつことに加え、五感を通じた交流が合う、という提言をされました。
人類はすっかり定住生活になじんでいると思っていましたが、今でも遊動生活(狩猟採集民の生活)が合っているという指摘は意外に感じました。定住生活よりはるかに長い間、引き継がれてきた遊動生活のDNAは簡単に消えるようなものではないということでしょうか。
これからどうなる? 京都観光
次は、「京都から展望する文化と観光のゆくえ」をテーマとしたパネルディスカッションです。
パネルディスカッションの風景
パネリストはそれぞれ「京舞」「日本庭園」「観光行政」など、京都の文化や観光の分野で仕事をされている方々です。現状やこれまでの課題について、どのようにお考えでしょうか。
前半では、それぞれの専門分野の現状やコロナ前の課題、コロナ後についての予測を順にお聞きし、後半ではコロナ後の観光への期待を伺う形で進められました。
最初に、京舞を披露した井上安寿子さんから京舞井上流の歴史や現状についての紹介がありました。
京舞井上流について解説する井上安寿子さん
京舞井上流は江戸時代後期に創始され受け継がれてきましたが、舞を披露する舞妓さんや芸奴さんは人と接することが仕事なので、コロナ禍では大変苦しい状況におかれています。
井上さんは「日本舞踊は体で伝えるものなので、稽古をしないとなまってしまう」と、人数を減らして時間を区切って稽古したり、小規模な舞の会を企画したりしていることを紹介。「できることを精一杯やるしかない」と現状を報告されました。
「コロナで人が来なくなり、当初は喜んでいた」
続いて、日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生(京都産業大学 文化学部准教授)です。
エマニュエル先生はフランス出身で、最初は観光客として来日しました。その後庭師の見習いになり、さらに研究者となったという経歴の持ち主です。
日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生
観光客として庭を見ていたときは、庭の「現在」の美しさを楽しんでいましたが、その後、庭師の見習いになると、「この庭を今後どうしていけばよいか」と常に「未来」を見ていくことに。さらに研究の対象になると、木の種類を記録したり石のサイズを測ったりと、庭がこれまでにどのようにつくられてきたかという「過去」に目を向けるようになりました。
「現在・過去・未来」と3つの時間軸で庭を見てきたエマニュエル先生は、「庭は生き物で、変化していくもの」だといいます。庭そのものが変化することもあれば、使われ方が変化する(貴族の別荘が寺院になり、さらに回遊式庭園になるなど)こともあります。
コロナ前まではキャパシティを超える観光客を受け入れてきた京都の庭園。コロナの後は、どう変化するのでしょう。
エマニュエル先生によると、コロナの影響で突然観光客が来なくなって、庭の維持管理に関わる人が「庭が生き生きしている」「庭が呼吸できる」などと話していたそうです。ところが、それがあまりにも長引くと収入が入ってこなくなり、コロナ前とは別の悪循環に陥ります。
今後について、エマニュエル先生は「無鄰菴(むりんあん:明治の元勲と言われる山県有朋が左京区に造営した別荘で、現在は京都市の所有)で人数制限をして、夜に蛍を見る催しがあったように、今後はこのような少人数・予約制・季節限定のようなイベントが増えていくのではないか」と予測します。
続いて、京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん(京都市産業観光局MICE推進室室長)です。
京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん
秋山さんは、コロナ前に起こっていた問題として観光地や市バスなどの混雑、マナーの問題を指摘しました。京都市が2025年に向けて策定した「京都観光振興計画2025」では、「市民生活と観光の調和」を掲げています。
コロナ前のオーバーツーリズムと、その対極にあるコロナ禍の状況。今後について、秋山さんは「コロナをきっかけに、自然に着目するエコツーリズムや、近場での観光が今まで以上に注目されている。キャッシュレス化や予約制の導入、少人数でゆっくりと体験するような観光は、コロナ後も残るのではないか」と予測します。
コロナでつらいのは、人と交流できないこと
この日、パネルディスカッションでファシリテーターをつとめたのは、文化政策や観光政策を専門とする平竹耕三先生(京都産業大学文化学部教授)です。ディスカッションの後半は「コロナ後の観光に期待すること」をテーマに、『人との交流』にスポットを当てて進められました。
ファシリテーターをつとめた平竹耕三先生
平竹先生は「コロナでつらいのは、人と交流できないこと」だといい、コロナ後は(オーバーツーリズムによる混雑などで)観光客と住民が対立しない、「自然な形で交流が生まれる観光」を期待します。
また、たとえば週4日は会社で働き、副業として週1~2日、自分の特技を生かして地元で観光に携わるといった働き方の変化への期待も口にされました。
エマニュエル先生からは、「交流による変化」への期待の声が上がりました。フランス人は庭を見ると植物に注目しますが、日本では庭は石を中心に解説されることが多く、求めるものとのズレがあるそうです。
「お互いの視点が組み合わされば、有意義な庭の見方ができるのではないか」との意見です。
私自身、コロナ禍になる前は観光客(特に外国人)を見かけると、いろいろな国の人に自国の文化を楽しんでもらえることが嬉しく誇らしく、「文化交流は世界平和につながる」と思ったものです。エマニュエル先生の「文化が交流を生み、学び合い、多様性を認め合うことにつながる」というお話は深くうなずけるものでした。
『人との交流』という点について、京都市の観光行政に携わる秋山さんは「観光の本質だ」と述べられ、また京舞の井上さんは「花街でもオンラインのイベントなどの取り組みを行ったが、やはり生でご覧いただきたいと思う。肌や空気で感じていただきたい」と期待をこめます。
このことは、最初に井上さんの舞を拝見したときに実感しました。舞手の「気」のようなものが感じられたのは、生で観たからこそだったと思います。
最後にファシリテーターの平竹先生が「思いやり、信頼にもとづく交流が必要」「これまでは旅先で知り合い友だちになることが多かったが、これからはSNSなどで知り合い、友だちを訪ねる観光という逆の流れも増えるのでは」という意見で、ディスカッションを締めくくりました。
持続可能な観光へ向けて
コロナ後に向けて人との交流を重視されていた点、日時予約制の継続が予測されていた点は、登壇者のみなさんの意見が一致していました。平竹先生が最後に話していた「思いやり、信頼にもとづく交流」という言葉も、観光の理想の姿を表していて印象に残ります。
コロナ禍で人が来なくなって「(庭が呼吸できるから)当初は喜んでいた」というエマニュエル先生のお話は、オーバーツーリズムの課題を象徴していると感じます。コロナ収束後は単に元通りに復活するというのではなく、文化財や自然、そこに暮らす人の生活が守られ、価値を分かち合えるような循環が生まれるといい。コロナを機に流れを仕切り直し、持続可能な観光に切り替わる転換点になったと、何年か後にふり返ることができればと思います。