化粧をすることで気持ちが前向きになったり、「さあ、出かけよう」と気持ちが切り替わったり。外見によって気持ちにも変化が起こることは、多くの人が経験することだと思います。
メークやスキンケアを通じて心身の健康の維持・向上をめざす化粧療法のお話を、武庫川女子大学武庫川化粧品イノベーションセンター(M-COSMIC)の市民講座で聞いてきました。
今回の講師は武庫川女子大学客員教授の谷都美子先生です。谷先生は化粧品会社で営業、美容研究、商品開発やマーケティングなどに従事。2014年より化粧療法に取り組んでおられます。
講師紹介
谷 都美子 武庫川女子大学薬学部 健康生命薬科学科客員教授
(一社)日本介護美容セラピスト協会代表理事、(一社)日本化粧医療学会理事、化粧医療専門士、化粧医療アンバサダー。
まずは、化粧療法とはどういうものか?というお話から。
化粧というと、ふだんの生活で一般の人がする化粧や、プロのメーキャップアーティストが俳優やモデルにするような化粧を思い浮かべますが、ほかにもいろいろな種類があります。
*講座スライドをもとに作成
これらはすべて化粧療法に分類されるのですが、谷先生が取り組んでいるのは主に高齢者施設などで行われる介護美容です。外見を整えると自分に自信をもち、人と積極的に関わりたくなったりするのは、介護美容を利用する方も同じ。表情が明るくなり、コミュニケーションへの意欲が高まります。
気持ちも装う化粧は「気粧」
外見は、その人の内面にも大きな影響を与えていると言えそうですが、どのくらい気になるものなのでしょう。
65歳以上の高齢者(男女)を対象に行われた調査「高齢者が気になること」(特定非営利法人 老いの工学研究所、2017年)によると、高齢男女が気になることの1位は「身体能力の衰え」、2位が「認知症」で「外見の衰え」は5位。一方、女性だけに限定すると「外見の衰え」と答えた人は2位で、1位の「認知症」に次いで多い結果となっています。
男性と比較すると、女性は外見を気にする人がより多く、その分キレイになったときの心の変化も大きいようです。
化粧療法の「ビフォーアフター」の写真を見せていただくと、効果は一目瞭然です。
肌や唇の色が明るくなるだけでなく、表情が別人のようにイキイキと変化しているのに驚きます。「今さら化粧なんて」と最初はしり込みしていた方からも、実際に化粧をすると「気分がいい」「コロッと気持ちが変わる」「最高!」などの感想が聞かれるとのこと。「化粧は気持ちを装う『気粧』」という先生の言葉に納得です。
きれいな色、香り…、化粧で楽しくリハビリ
こうした化粧は、介護や美容についての訓練を受けた資格をもつセラピストが行いますが、「すべてプロにおまかせというわけではなく、本人も考えたり手を動かしたりして参加します」と谷先生。
口紅やチークなど「どんな色がいいですか?」と問いかけて好きな色を考えてもらい、できる範囲で手を動かしてもらうそうです。
突然ですが、クイズです。認知症予防に一番効果的な化粧は、次のどれだと思いますか?
①ファンデーション ②チーク ③アイメーク ④眉 ⑤口紅
会場では多くの人の手が「口紅」で挙がったのですが、正解は「眉」。眉を左右対称にきれいに描くには、集中力や、眉墨を持って正確に動かす指先の力が必要。思考や判断をつかさどる脳の前頭葉も活性化します(眉以外の化粧にもその効果はあります)。
日常的に化粧をすることで、たとえば容器のキャップを開けられなかった人が開けられるようになるなどのリハビリ効果も期待できるそうです。
調査データもいくつか見せていただきました。下図の左側のグラフは、週1回の化粧療法を3カ月間続けたときの免疫力の変化をあらわしています。
出典:日本免疫学会発表 宇野・谷
免疫力が上昇するほか、食欲や睡眠の質が改善、高齢者うつが少なくなる、さらに人間関係がよくなるなどの効果もみられます。谷先生はつねづね「美容は美だけでなく、健康につながる」と主張しているそうですが、それがよくわかる結果です。
人間は中身が大事とも思いますが、人が他人と出会ったときにまず見るのは、やはり顔。顔という自分の看板に自信をもつことで何かと調子が良くなるという話を聞くと、人間って社会的な生き物なんだな、と改めて感じます。
「触れるケア」の効果に注目
化粧をするときは相手の顔に触れることになりますが、顔は他人に触れられることに抵抗を感じるプライベートゾーン。「いきなり顔に触れることはせず、抵抗を比較的感じにくい腕にやさしく触れて、心を開いてもらってから顔の化粧を行います」(谷先生)。
やさしく触れることで痛みや不安をやわらげ、気持ちを落ち着かせる「触れるケア」はエビデンスのある技術で、認知症の緩和ケア、がんの緩和ケア、障害児医療、ストレスケアなど多岐にわたり活用されているそうです。
谷先生も、東日本大震災の被災地で2012年から5年間にわたり約6400人にハンドマッサージのケアをされています。
ハンドマッサージの様子
ハンドマッサージを利用した人の感想は「難しいこと抜きに気持ちよかった」「心までほんわかした」「距離が縮まった」など。肌と肌のふれあいによるコミュニケーションは相手の心に寄り添い、悲しいときや傷ついたときの心の支えになります。
触れ方のコツは?
触れるケアでの気持ちいい触れ方とは、どのようなものでしょう。講座では、触れ方のコツも教えていただきました。
まずはアイコンタクト。そして、プライベートゾーンから離れた、触れられても抵抗が少ない部分に触れます。まず肩からひじにかけて触れながらコミュニケーションをとり、手や顔に触れます。
谷先生によると、気持ちいいと感じてもらうのに大切なのは「ゆっくりと」触れること。一秒に4~5cmくらいのゆっくりとしたスピードだと副交感神経が優位になって心が落ち着きますが、一秒に10cmの速さだと交感神経が優位になり、落ち着かなくなってしまいます。
ゆっくりと触れると、皮膚の神経線維(「C触覚繊維」とよばれる)が反応し、オキシトシンが分泌されるそうです。オキシトシンは「愛情ホルモン」「幸せホルモン」ともよばれるホルモンで、母性行動の促進、痛みや不安の軽減、愛着・愛情形成などのはたらきがあります。
前腕や顔など産毛の生えているところにはC触覚繊維が多く、ストレスを感じたときなど、自分でなでるようにしても気持ちが落ち着くそうです。
小学校でも授業にハンドマッサージを取り入れているところがあり、コロナ禍でいら立っていた子どもが落ち着いたり、親子でハンドマッサージをして元気になったりという効果があるといいます。もともと元気な人でも気持ちが軽くなる効果があり、「言葉だけでなく、身体を通じて思いやりやつながりを感じられるところが大切です」と谷先生。
化粧で外見を美しくすることや、肌に触れるコミュニケーションが心身の健康につながる。ふだんの生活でも、自分自身や身近な人のためにできることが増えそうです。