ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • date:2022.8.9
  • author:柳智子

「水のような、空気のような書体を作りたい」 書体設計士・鳥海修さんの話を成安造形大学で聞く

駅の看板やスマホ、パソコン、本や新聞など、私たちが毎日のように接している文字。ふだん意識することはないが、一文字ずつ、人の手でデザインして作られている。

これまでに100以上もの書体開発にかかわってきた書体設計士の鳥海修(とりのうみ おさむ)さんも、文字を作る人だ。

鳥海さんが開発した書体「游明朝」「游ゴシック」「ヒラギノ明朝」「ヒラギノゴシック」などはMacとWindowsの二大OSに搭載され、Webや書籍、雑誌、高速道路の看板などでも目にすることができる。きっと多くの人が、意識することなく接しているだろう。

 

ほとんど作り手の意図を感じさせないようなたたずまいで知識や情報や知恵を伝える媒介となる、そんな書体を作る人は日々どんな思いで文字と向き合っているのだろう。

鳥海さんによる講演「インフラとしての文字」が成安造形大学(滋賀県)で行われ、聴講させていただいた。梅雨が明けてまもない猛暑の日、学生と一般の方あわせて約70名が会場で耳をかたむけた。

講師プロフィール

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鳥海 修 1955年山形県生まれ。多摩美術大学卒業。79年株式会社写研入社。89年に有限会社字游工房を鈴木勉、片田啓一の3名で設立。株式会社SCREENグラフィックソリューションズの「ヒラギノシリーズ」、「こぶりなゴシック」などを委託制作。自社ブランドとして「游書体ライブラリー」の「游明朝体」、「游ゴシック体」など、ベーシック書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。

「活字の元」の衝撃

まずは、鳥海さんと文字デザインとの出会いのお話から。

鳥海さんは山形県遊佐町の出身。まわりに田んぼが広がる風景の中で育ち、車が好きだった鳥海さんは車のデザイナーをめざすようになる。美大のプロダクトデザイン学科を受けるが不合格となり、グラフィックデザイン学科に進学。だがグラフィックデザインには、「申し訳ないけど、まったく興味がなかった」という。

3年生のときに文字デザインの授業を選択したのも、文字デザインが好きだったからではなく1、2年生のときもやっていたレタリングで単位を取れそうだから、という理由だった。

 

文字デザインの授業では、当時TBSテレビでテレビ番組のタイトルを書いていた先生に連れられ、寄席文字を書く橘流家元の橘右近(たちばな うこん)など、文字を職業としている人たちのもとを訪れることがあった。

一番影響を受けたのが毎日新聞社だった。毎日新聞社に行くと、隅の方できれいなレタリングをしている人がいて、一文字8cmから10cmのカタカナを書いている。何をするための文字かわからず聞いてみると、「活字の元だよ」と答えてくれた。

 

今でこそ、パソコンにさまざまなフォントが入っていて活字は身近な存在になっているが、当時は鉛でできた金属活字と、写植(写真植字…ネガ状の文字を印画紙に印字する技術)しかなかった時代。金属活字や写植を扱うのは専門の業者で、一般の人が扱ったり目にしたりするものではなかった。

 

それまで新聞や本の文字が「人の手で作られている」と考えたことが無かった鳥海さんは、レタリングの文字が「活字の元」と聞いて、頭が混乱する。個性や自己主張のようなものをグラフィックデザインに感じていた鳥海さんにとって、新聞や本で目にする活字が人の手でデザインされていると知ったときの衝撃は大きかった。

 

その時、毎日新聞社に小塚昌彦という人がいた。のちに「小塚明朝」などの書体を作った人だが、その人が言ったひとことが、鳥海さんの進路を決定づけた。

「小塚さんが、『日本人にとって、活字は水であり、米である』と言ったんですよ。その言葉を聞いたときに、私は『これ、やりたい』と思ったんです。そのときから今にいたるまで、私はそれ(活字)しかやっていない」。

「落ちても入るつもりだった」文字を作る会社

誰が作ったかわからないような、読みやすくてきれいな文字を自分も作りたい。大学4年の夏、大学で文字デザインの求人を見て入社試験を受けたのが、写真植字機や書体を作る「写研」という会社だった。一社しか受けず、「落ちても入るつもりだった」という。

 

入社したとき、まわりはほとんどが高校や専門学校を卒業した人だったが、彼らにできることが鳥海さんにできなかった。烏口や溝引きとよばれる描画用具や技法を使って文字を作るのだが、線もきれいに引けないし形もうまく取れない。社内で一番字が上手な人のところに行って話を聞いたり、社内の書道部に入ったり。仕事をするというよりも勉強していたような感じだった。

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写研に勤めて10年後、同じ会社に勤めていた3名で「字游工房」という会社を設立。そこで作ったヒラギノ書体がMacとWindowsに搭載され、大日本印刷株式会社の秀英体、凸版印刷株式会社の游明朝など、日本の主だった本文書体を数多く手がけることになる。

谷川俊太郎に捧げる書体

2017年から2018年にかけて、鳥海さんは谷川俊太郎さんの詩のために専用のかな書体を作った。そのとき、いくつかの書体を試作して谷川さんに見せたところ、あろうことか谷川さんは、「文字に興味がない」と言う。自分は詩を書くところまでが仕事だから、と。

 

谷川さんを知れば知るほど、詩を読めば読むほど谷川さんという人のイメージは固定できず、「谷川さんの書体を作るなど不遜すぎる」と思うようになる。せめて谷川さんに笑われない書体を作ろうと、「谷川さんに捧げる」つもりで書体を作ったところ、なんと!「私たちの文字」という詩を書いてくれたそうだ。この書体づくりの経緯は『本をつくる』(河出書房新社)にくわしい。

『本をつくる』(河出書房新社)より

『本をつくる』(河出書房新社)より

 

この本を読むと、書体とはここまで考え抜いて作られるものか、と気が遠くなる。谷川さんが好きだという良寛(江戸時代後期の僧侶・歌人・書家)の字、谷川さんの詩や意識下にあるもの、文字の歴史、そして鳥海さん自身。すべてが数ミリ角の文字の中に詰まっていると思えてくる。

読みやすい文字は3500年の歴史の上にある

書体を設計するうえで、文字の歴史を知ることは欠かせないと言う鳥海さん。今回の講演会では、中国で生まれた甲骨文字から説きおこし、現代までの日本の文字の歴史についても解説いただいた。

日本に漢字が伝えられたのは弥生時代。飛鳥時代の終わり(六世紀ごろ)から漢字の音訓を借りて日本語の音をあらわす万葉仮名が発展し、平安時代はその一部を取り出して変形するなどアレンジされた「かな文字」があらわれる。

(※万葉仮名…「山」を「也麻(やま)」などと表す。仮名が発達する以前に用いられた表記法)

 

下は、かな芸術の頂点といわれる『高野切古今集(第一種)伝 紀貫之筆』。

『高野切古今集(第一種)伝 紀貫之筆』を解説する鳥海さん

『高野切古今集(第一種)伝 紀貫之筆』を解説する鳥海さん

 

鳥海さんらがひらがなを作るとき、「どこに帰ってくるのかというと、ここに帰ってくる」のだそうだ。「バックにこういうものがあると知っているだけで随分違う」という。

 

書体は読みやすくきれいでなければならない。個性を出してはいけないと言われるが、「人がつくる以上、個性は出る」と鳥海さんは言う。なるべく自分から出てくる形を尊重して文字を作りたい。だが、読みやすい文字は3500年の漢字の歴史の上にある。つねに歴史が下地にあり、そこにデバイスや時代の変化を加味して文字を作ることが重要だという。

 

鳥海さんが理想の文字をめざす姿勢には妥協がなく、まるで修行僧のようなのだが、講演会は終始笑顔で、受講生に「作っていて楽しいひらがなは何ですか」と聞かれると「全部楽しい。 面相筆一本で、『うおぉ!』と言う位、印象が変わったりする。そういうのが楽しい」と屈託がない。

大学3年で「活字の元」を人が作っていることを知ったときの驚き、興味、好奇心が今でも原点になっているという。

 

「文字は社会のインフラ、文化の礎」「文字は知識や情報を得たり、物語を読んで感動したりするお手伝いのためにある。『これ、鳥海が作った』と思わせてはいけない」「水のような、空気のような書体を作りたい」……。

鳥海さんが文字について語る言葉は、どれも鳥海さんが作る文字に似て控えめで、すぅっと心に届いて、根を下ろす。そんな言葉であり、仕事だと思った。

 

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