京大×ほとぜろ コラボ企画「なぜ、人は○○なの!?」
【第5回】なぜ、人は人を分類したがるの!?
教えてくれた先生
ワシントン大学大学院人類学科博士課程修了、Ph.D。専門は文化人類学。現在の主な研究テーマは、人種・エスニシティ論および移民研究など。
人は不安だから分類してしまう
- ♠ほとぜろ
考えてみると、世の中、分類だらけですね。アンケートのプロフィール欄には選択肢が並んでいますし、WEB広告などは閲覧履歴などから勝手に分類されて興味を持つだろうと思うものが表示されています。
- ♦竹沢先生
分類して、行動を予測しているんですね。それ以前に、分類するのは人間の普遍的な本質です。人は、目や耳、本などから得たさまざまな情報を、脳の中に箱のようなものをたくさん作ってそこに投げ込んでいます。何か刺激を受けたら、箱に入っていた情報を呼び起こし、新しく入ってきたものと比較などを行って理解したり予測したりする。一つひとつの箱の中にはまたいくつかの箱があり、その中にさらに箱がありと、こういうふうにして情報を分類して整理しないと、新しいものを理解できないのです。
- ♠ほとぜろ
知らない単語に出会うと「それ何?」と聞きますけど、実は「それ、どのカテゴリー?」って聞いているんですね。
- ♦竹沢先生
そこで問題なのは、物と同じように人もカテゴリーを作って分けてしまうことです。たとえば、ジェンダー。男らしくないとか、女ならやるべきとか言ったりしますよね。それに、人種・民族もです。○○人だからだとか、○○人っぽいとか。その人個人が持っている資質だと捉えず、男か女か、そしてナニジンかなどでその人を見てしまう。とくにジェンダーや人種・民族は生まれてからずっと変わらないものだと思われがちなので、このレッテル貼りが強くあります。
理路整然とした竹沢先生の話に思わず聞き入る
- ♠ほとぜろ
変わらないカテゴリーに当てはめると安心するのでしょうか?
- ♦竹沢先生
そもそも、分類できない境界上のものに不安を抱きがちなんです。特徴づけがしにくく、頭の中で抱いているイメージを揺らがすような不安な材料になるというので、強引に分けようとか排除しようとしてしまいます。LGBTやミックスレースの人が苦労したりするのは、そういう不安定な存在のように見られるからです。
しかし、人類は歴史の中でずっとミックスを続けてきました。人類の起源はアフリカで、そこから世界中に移動したと考えられています。その道中で、ある場所から急に見た目の全く違う人が現れるなんてことはなく、緩やかに変わっていっただけです。異なる起源をもつ人類がいたわけではないし、人種が変わる境目もありません。地球上のありとあらゆるところでミックスが起こり、今に至っています。人種や民族の分類とは、当事者が特別な意味づけをしていない限り、恣意的で単なる固定概念やイメージにすぎないのです。それなのに、そこに当てはまらない人が排除されたり、受け入れられなかったりということが現実に起こっています。
人種なんてものは存在しない!
- ♠ほとぜろ
先生のお話だと、日本人という人種は存在しないのでしょうか?
- ♦竹沢先生
現在の日本人は、縄文人と大陸からの渡来人とのミックスだと言われています。とくに畿内の人にはミックスが多い。畿内は長らく文化の中心地で、渡来人がよく来ていたからでしょう。逆にアイヌと沖縄の人たちは遺伝学的にも形質人類学的にも比較的近いといわれています。これは地理的な条件でそこまで渡来人がなかなか到達しなかったため、縄文人と渡来人のミックスが起きにくかったからだと考えられています。渡来人の時代が終わってしばらくの間、日本は隔離されていたわけですが、人類の歴史の長さから考えると大した期間ではありません。
- ♠ほとぜろ
人種ってないようなものなんですね。
- ♦竹沢先生
これはぜひ知っておいてほしいことですが、生物学的には人種というものはありません。人種とは、皮膚の色や頭髪、身長、頭の形など身体的形質をもとに分類した人間集団である、というような理解が一般的にあると思います。しかし、そもそも、これらの形質をすべてセットとして共有している集団など存在しません。特徴を細かく見ていけば、私とあなたより、私とはるか遠くの国に住んでいる外国人との方が近しいことだってたくさんあるのです。
- ♠ほとぜろ
学校で人種について習ったような気がします。あれって嘘だったんでしょうか……。
- ♦竹沢先生
人種については、今から200年以上前にヨーロッパで研究が始まり科学知として受け入れられてきたのですが、実は科学ではありませんでした。
18世紀から19世紀にかけて活躍したドイツの人類学者の父と呼ばれるヨハン・ブルーメンバッハは、頭蓋骨の比較などから人類を5つに分類しました。旧約聖書にあるノアの箱舟が漂着したというアララト山はコーカサス山脈のすぐ南にありますが、ブルーメンバッハが活躍した近代科学の黎明期には、この辺りに注目するのが一種の流行でした。そこから人類が生まれたとみんな信じていたのです。彼は、コーカサス山脈で見つかったある一つの頭蓋骨を研究してコーカシアという人種名を付け、その頭蓋骨が一番美しく、そこから地理的に離れていくほど醜く退化していくと考えました。この考えに影響を受けて、ヨーロッパのコーカソイド、アジアのモンゴロイド、アフリカのネグロイドというような人種の概念が生まれました。人種概念は、ユダヤキリスト教の世界観と自民族中心主義的な考え方から生まれた、科学的根拠のない説にすぎないのです。
人種についての考えが大きく変わったのは、第二次世界大戦後です。ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺が人種主義に基づくものであったことが、世界に衝撃を与えました。その反省から、戦後、1951年にユネスコが「人種の本質と人種の違いに関する声明」を出し、人種というのは社会的な神話であると発表しました。しかし、それは時代的にはまだ早くて、生物学者にとってはなかなか受け入れられないことでした。
そのうちに、DNAの二重らせん構造の発見があり、人類の誕生はあちこちにあるのでなく、アフリカのみを起源として起こったことが明らかになります。科学の進展に伴って、人種というような分類は全く意味をなさなくなってきたのです。なのに、一部の教科書にはまだ、あたかも生物学的な人種があるかのような記述がなされているのは問題です。
- ♠ほとぜろ
長く生きてきましたが、人種などないと知ったのは今日が初めてです。すごく驚きました。
- ♦竹沢先生
遺伝学的に解析すると、皮膚の色などは、例外的に大陸間の違いが大きいことは知られています。しかし、それは大陸間の違いが気候と関係があるからです。他の遺伝子については、大陸間の差異より大陸内での差異の方が大きいのです。
人種ではなく、その人を見ることが大切
- ♠ほとぜろ
よく、黒人だから身体能力が高い、とか言われますよね。
- ♦竹沢先生
そうですね。そんなものは全く根拠がないと真っ向から否定する人がいたり、そうはいっても違うじゃないか、と言う人がいたりします。ただ一つ言えるのは、身体能力で一括りにできる「黒人」なんかいないということです。その意味では「アフリカ人」も存在しません。アフリカには、世界一身長の低いムブティ(ピグミー)と呼ばれる人から、世界で一番背の高いディンカ もいる。今、世界にいる私たちだって、元をたどればアフリカのごく一部地域から出ていった人が先祖です。
「黒人」や「アフリカ人」というのは、そもそもヨーロッパから見た呼び名でしかないので、その意味では黒人だからスポーツができるとは言えません。ケニア出身のマラソン選手には速い人がたくさんいますが、あれもケニア人だから足が速いわけではないんです。国の強化支援があり、朝から晩まで谷のようなところをトレーニングしている。その人がしっかりと努力しているから速いのです。
- ♠ほとぜろ
努力しているのに、ケニア人だから、と言われたら、たまったものではありませんね……。
- ♦竹沢先生
私たちは常識だと思っていることについて、もう少しその成り立ちから批判的に捉え直すことが必要でしょう。欧米ではなく、アジアにいるからこそ見えることもあります。知らず知らずのうちに、人を分類するだけでなく、⚪︎⚪︎人かによって憧れたり見下したりしていないか。それは結局、日本に住むいろいろな外国人に対する接し方や態度にも関わってくることだと思います。
今回の ま と め
人が人を分類したがるのは、莫大な情報を整理して理解するため!でもそこには偏見や誤解が潜んでいる!
※先生のお話を聞いて、ほとぜろ編集部がまとめた見解です
おすすめの一冊
『さらばモンゴロイド―「人種」に物言いをつける』
(神部武宣著 株式会社生活書院発行 2007年)
近代の幕開けに創られた「科学的人種概念」とされるものの正体を暴くという発想で書かれた先駆的な本です。時代的な背景や思想の系譜について、私が解説をしています。
※特設サイトTOPページに戻る⇒こちら