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  • date:2020.6.11
  • author:谷脇栗太

命との向き合い方を問いかける。興福寺 × 近畿大学、学術的知見を取り入れた伝統行事「放生会」

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「生き物を大切にしよう」。
誰もが子どもの頃に教わることだが、生きていくためには多かれ少なかれ他の生き物の命をいただかなければならない時がある。こうした矛盾に向き合う受け皿になってくれるのが、たとえば仏教の教えだ。

 

五重塔で有名な興福寺では、隣接する奈良公園の猿沢池に魚を放流する「放生会(ほうじょうえ)」という伝統行事が毎年行われている。むやみな殺生を戒め、生命はみな平等であるという教えを体現する行事として親しまれてきた。

 

その放生会で今年、近畿大学の協力のもとで学術的なアプローチによって画期的な取り組みが始まったという。取材してみると、お寺と研究者それぞれの命への向き合い方、そして奈良公園に秘められた自然と人間の関わりが見えてきた。

時代を反映し、刷新される伝統行事

興福寺の放生会は、すべての生命は平等であるという仏教の教えのもと、毎年4月17日に行われる伝統行事だ。僧侶や地元の人々が手桶を使い、隣接する猿沢池に約2000尾の金魚を放流する。涼しげな風情ある猿沢池の春の風物詩として親しまれている。

 

一方で近年、環境問題に対する意識の高まりから、もともと猿沢池に生息していない金魚を放流することについてSNSなどで批判的な声も上がっていた。そこで放生会を学術的な見地から見直すべく、興福寺から協力依頼を受けたのが近畿大学の北川忠生先生(農学部環境管理学科)だ。

お寺と大学が連携する取り組みについて、北川先生にじっくりお話を伺った。

北川忠生先生。専門は保全生物学・分子進化学で、主な研究対象は日本の淡水魚。メダカの遺伝子汚染問題や、後に紹介するニッポンバラタナゴの保全活動などに取り組む

北川忠生先生。専門は保全生物学・分子進化学で、主な研究対象は日本の淡水魚。野生メダカの遺伝的撹乱の問題や、後に紹介するニッポンバラタナゴの保護活動などにも取り組む

 

――早速ですが、これまでの放生会の問題点について教えていただけますか?

 

「テレビ番組でもよく取り上げられる外来種の問題はご存知でしょうか。自然の生態系に外から別の生き物を持ち込むと、もともと存在した生物が減って最悪の場合は絶滅してしまったり、あるいは外来種と交雑してしまったりと、生態系のバランスを崩すことにつながります。


例年の放生会で放流されていた金魚は、フナを飼育用に品種改良したものです。もともと自然界に存在しない魚なので、放流されると外来種となるため、生態系保全の観点では放流は行うべきではありません。また別の観点では、せっかく放流したとしてもそれが『命を大切にすること』とは限りません。金魚は自然環境で生き延びることが難しいからです。

 

猿沢池に関しては、人工池だから放流を行っても問題ないという意見もありますが、これは正確ではありません。猿沢池の水は近くの春日山原始林の水源から地下を通って流れ込み、水かさが増すとまた地下を通って近隣の河川へと流れ出ています。猿沢池の環境が周囲の自然環境に影響を与えることも考えられます」

 

――こうした問題を受けて、魚類の保全活動に取り組んでいる北川先生に興福寺からお声がかかったわけですが、どのようにお感じになられましたか?

 

「私は奈良公園をはじめとするフィールドで在来魚の保全活動に取り組んでいて、各地で行われている魚の放流に対しても研究者として注意喚起を行っています。今回、興福寺さんの方からお声がけいただいたのは願ってもないことでした。興福寺の方も外来種問題を本当によく勉強してくださっていて、本気の姿勢を感じました。考えてみると、昔は寺子屋というものがあったように、お寺というのはもともと学術的なものを担う場所なんですよね」

 

――興福寺といえば奈良時代から続く由緒あるお寺ですが、批判を受け止めて伝統行事を刷新していく柔軟さには拍手を送りたくなります。それで、実際にはどのような取り組みを行ったのですか?

 

「今回の取り組みでは、『命を大切にする』という放生会の基本の考え方を踏まえ、金魚の代わりに、事前に行った調査で採取されたもともと猿沢池に生息している在来魚を、法要ののちに放流するという形を取りました。また、その過程で猿沢池の生態系の実態を把握し、外来種を取り除くことも大きな目的でした」

生態系の実態を把握し、正しい情報を発信する

――放生会に先立つ4月13日には、北川先生の研究室による猿沢池の調査が行われました。どんな調査だったのでしょうか?

 

「今回行ったのは、猿沢池の魚類相の調査です。魚への負担が少ないモンドリという仕掛けなどを使って魚を採取し、目視による調査も合わせてどんな種類が生息しているか確認しました。

 

結果としては、一般的な在来種であるモツゴが1500尾ほどで最も多く、同じく在来種のヨシノボリなども少し見られました。外来種ではタウナギが1尾、それに捕獲はしていませんが、目視でコイも確認しました。以前は外から持ち込まれたブラックバスやガーがいた時期もあったのですが、今は想定していたよりも在来魚が多い印象でしたね」

調査は雨の中行われた。エサでおびき寄せる「モンドリ」とタモを使って魚を採取する

雨の中、6人がかりで1時間半ほどかけて行われた採集作業。計6個のモンドリを15分程度沈めて回収する作業を2箇所で2回ほど行うと、大変たくさんのモツゴが採れた。その他、タモ網でも採集を行った

採取された在来種のモツゴ。環境適応力に優れ、都市部の川などでも普通に見ることができる

採取された在来種のモツゴ。環境適応力に優れ、都市部の川などでも普通に見ることができる

 

――去年まで放流されていた金魚は見つからなかったのでしょうか?

 

「今回の調査では見つかりませんでした。金魚は池の中でよく目立つので、残念ながら野鳥に食べつくされてしまったと考えられます。自然環境に本来存在しない生き物を放つことで、その生き物自身にとっても不幸な結果となってしまうことがあります。今回の調査でもそのことが実証される結果になりました」

 

――在来種が増えたのは喜ばしいことですが、なかなか考えさせられる結果ですね……。調査を経て、放生会はどのように行われたのでしょうか。

 

「採取したモツゴ約1500尾は放生会までの数日間、大きな水槽を用意して興福寺の敷地内で飼育しました。放生会当日はそのうち200尾ほどを桶に移し替え、興福寺での法要ののち、僧侶の手で猿沢池に放流されました。今年はコロナの影響で小規模になりましたが、例年は市民の方も参加され2000尾ほどが放流されるので、水槽での飼育はそのためのシミュレーションでもあります。


手桶から池の水面へ水を撒くように放流する例年のスタイルは魚への負担になるため、今年はスロープを使ってやさしく注ぎ入れる方法に変更しました。我々大学チームは、魚の移動をアシストしたり、スムーズに放流できるようにスロープに水を流したりといった裏方のお手伝いをさせていただきました。放生会の後、残り約1300尾のモツゴも放流しています」

放生会当日の様子。僧侶による読経の後、スロープを使って放流する。スロープは民間の協力企業から提供を受けている

放生会当日の様子。僧侶による読経の後、スロープを使って放流する。スロープは民間の協力企業(株式会社ジェイテクト)から提供を受けている

 

――当日の様子は新聞やテレビなどでも取り上げられましたね。

 

「魚の調査や管理以外にもうひとつ気を遣ったのが、実はメディア対応でした。魚を放流する行事は全国各地で行われていて、中には生態系保護の観点から問題のあるものも多いのですが、ニュースではそれらを一絡げに『良いこと』として伝えてしまいがちです。そこで、今回の放生会の前に、外来種を放流することにどんな問題があるのかということを伝える事前レクチャーを記者クラブで実施しました。

 

興福寺さんと私たちの取り組みが、全国の同様の行事のモデルケースになることを願っています。正しい情報を発信して、多くの方に考えていただくきっかけにしていきたいです」

 

――一過性のイベントとしてではなくきちんと文脈を踏まえて伝えるということは大切ですよね。放生会にまつわるひとつひとつの取り組みに、日頃から保全活動に携わっている北川先生だからこその説得力と強い思いを感じました。

お寺と研究者、それぞれの“命との向き合い方”

――ここからは、お話を聞いて気になったことをツッコんでお聞きしていきたいと思います。まず、調査で採取された在来魚は池に戻されたわけですが、外来魚のほうはどうなったのでしょうか?

 

「これも事前に興福寺さんと取り決めて、池には戻さず近大で引き取って飼育することにしていました。問題は『特定外来生物』が採れた場合です。特定外来生物に指定されている生物は、採取した場所から生きたまま移動させることが禁止されているんです。通常はこうした場合にはその場で安楽死させるのですが、放生会はむやみな殺生を戒める行事でもあるので、立ち止まって考える必要があります。興福寺の僧侶の方と経典を紐解いて『殺生とは何か』というところから議論を重ね、より多くの命を守るために池に戻すことなく、外来種の命も繋ぐ術がないかという課題に向き合っています」

 

――放生会ならではのジレンマですね……。今お聞きした中で、安楽死という言葉が気になりました。日本には活け造りや踊り食いといった文化もあります。お恥ずかしいことに、魚が苦痛を感じる、ということすらあまり意識していませんでした。

 

「私たちの研究では、時として生き物の命を奪わなければならない場面がどうしてもでてきます。そのため、研究倫理に則って生き物がなるべく苦痛を感じないであろう方法で処理することが求められます。小さい魚類の場合はエタノールに浸して一瞬で意識を奪うか、氷で水温を下げて活動を停止させて死滅させるといった方法が取られます。おっしゃるように日本では魚食文化が根づいていることもあり、研究における魚類の扱いについては明文化されているわけではありませんが、海外の学術雑誌に投稿する際は、こうした適切な手段が明記されていないと論文自体を受け取ってもらえません」

 

――お寺では仏の教えが、研究では研究倫理が指針になるわけですね。命に向き合う姿勢という根本の部分で、お寺と研究者の考え方には近しいものがあるのかもしれませんね。

人と共生するからこそ、豊かな自然が維持される

――もうひとつお聞きしたいことがあります。猿沢池が自然の水系の中に位置しているということは先ほど伺いましたが、それを取り巻く奈良公園の環境を先生はどのように見ていらっしゃいますか?

 

「もともと猿沢池は春日山系から水が流れ込む湿地だったそうです。湿地では良質の粘土がよく採れるので、その土を使って興福寺の堂塔に葺く瓦が焼成されました。放生会のために作られた池だと思っている方もいらっしゃいますがそれは間違いで、興福寺放生会はもっと時代を下った戦前から始まった比較的新しい行事なのだと興福寺さんに伺いました。

 

奈良公園の木造文化財の周囲には池があることが多いのですが、これらは防火の目的で自然の水系を利用して整備されたものなのだそうです。そして、それらの池は人の手によって適度に維持管理されることで、生き物が棲みつき生態系が出来上がっています。

 

15年ほど前、そんな奈良公園のとある池で、県内では絶滅したと思われていたニッポンバラタナゴという魚が見つかりました。この魚はドブガイやヨシノボリといった他の生物と密接な関係にあって、豊かな生態系が維持されている環境でしか繁殖できません。この発見は、奈良公園がいかに豊かな環境かを見直すきっかけになりました」

ペタキンオス

地元では「ペタキン」の通称で知られるニッポンバラタナゴ(上がオス、下がメス)。環境省レッドリストでIA類に分類される絶滅危惧種で、奈良県では1970年代を境に絶滅したと思われていたが、2005年に奈良公園で発見。北川先生は生息環境の保全や繁殖活動に取り組んでいる

地元では「ペタキン」の通称で知られるニッポンバラタナゴ(上がオス、下がメス 撮影:森宗智彦氏)。環境省レッドリストでIA類に分類される絶滅危惧種で、奈良県では1970年代を境に絶滅したと思われていたが、2005年に奈良公園で発見。北川先生は生息環境の保全や繁殖活動に取り組んでいる

 

――自然の水の流れに人の手が加わることで、豊かな生態系が維持されてきたんですね。近頃注目を集めている里山の維持管理の問題にも通じるところがあるように思います。

 

「本来、人間の暮らしは自然か人工かにはっきり割り切れるものではなくて、人の手で自然を利用し、維持管理することで成り立ってきました。奈良公園は都市部に近い平地にもかかわらず、寺社仏閣のおかげで日本古来の自然と人間の営みが共生できている全国的にも貴重な場所です。宗教財や文化財があることで生物多様性にとってもタイムカプセルになっているんですね。そんな奈良公園の中でも猿沢池は街に近い場所にあり、人と自然が一番近くで接点を持てる場所と言えるかもしれません」

放生会と猿沢池のこれから

――最後に、北川先生の考える放生会の今後についてお聞かせいただけますか?

 

「興福寺さんに寄せられていた意見の中には、そもそも放生会という行事自体を中止すべきだという声もありました。それもひとつの考え方ですが、今回のようなやり方ならば猿沢池の環境を定期的にチェックして改善することにも繋がりますし、またそうやって良い環境を保てないと放生会自体も続けられません。そうした持続的なサイクルの中で伝統行事を続けて、身近な自然に向き合い続けていくことに意味があるのではないでしょうか。今後は事前調査の段階から市民の方に手伝っていただき、環境教育につなげていきたいですね。

 

まだアイデア段階ですが、新しいプロジェクトについても話し合っています。興福寺には瓦の葺き替えの際に出た古い瓦がたくさん保存されており、これを何かに役立てられないかという提案がありました。瓦を猿沢池の底に沈めてやると、モツゴなどの小魚の格好の隠れ家や産卵場になると考えられます。興福寺の瓦は猿沢池の土から作られたということは先ほどもお話ししましたが、それをまたもとの場所で再利用することで、在来種の棲みやすい環境づくりに役立てたいと考えています」

 

 

環境問題がますます進行する現代。人間と自然との関係をどのように修復していくのかは私たちにとって厄介な宿題だが、放生会を通して命の大切さに思いを馳せることがそのヒントになるのではないだろうか。興福寺と北川先生の取り組みに、今後も注目していきたい。

 


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