2020年9月15日、金星の大気から生命活動の兆候かもしれない物質が見つかったというニュースが駆け巡った。この発表に関してNASAの長官が「地球外生命探査史上最大の発見」とコメント。いよいよか!?と胸を高鳴らせつつも、金星での発見ということを意外に感じた人も多いのではないだろうか。
ほとぜろでは以前、地球外知的生命探査(SETI)について取材したことも記憶に新しい。今回は“知的”生命ではないにしても、もし本当に生命の存在が確認されれば世紀の大発見になるだろう。それに加えて、金星といえば明けの明星・宵の明星としても親しみ深い地球のお隣の惑星だ。ニュースの真相と金星研究の最新事情を、観測結果を発表した研究チームの一員である京都産業大学の佐川英夫先生に伺った。
金星に生命? 鍵となる物質「ホスフィン」とは
金星は地球とほぼ同じくらいの大きさの岩石惑星で、地球の兄弟にも例えられる星だが、その環境は大きく異なっている。大量の大気が存在するため地表の気圧は地球の90倍にのぼり、その主成分である二酸化炭素の温室効果により表面温度は460℃に達している。おまけに硫酸の雲に覆われていて、生物が存在するとはにわかに想像し難い、まさに地獄のような環境だ。しかしこの度、そんなイメージを覆すかもしれない大発見が報じられた。イギリス・アメリカ・日本の合同研究チームが、ハワイとチリの天体望遠鏡による観測で金星の大気からホスフィン(リン化水素)という物質が存在する可能性を見つけたという。この物質が、金星に生命が存在する兆候かもしれないというのだ。
分厚い大気と雲に覆われた金星。後述する金星探査機「あかつき」が撮影した写真を元に作成された疑似カラー画像(2017/8/11撮影)。© PLANET-C Project Team
早速ですが佐川先生、今回の発表、ズバリ金星に生命が存在する可能性が高いということでしょうか!?
「結論から言えば、生命が存在する証拠が発見されたというわけではなくて、その間接的な手がかりが見つかったかもしれない、という状況です。太陽系内での生命探査に関しては近年、火星でメタンガスが検出されたり、木星の衛星エウロパで衛星内部に液体の水の存在を示唆する水蒸気が観測されたりといった発表がありましたが、今回の発表がそれらと比べて特に有力と言える段階ではありません。
今回の観測はハワイとチリにある電波望遠鏡で行われたものです。金星から届く光(電波)を波長ごとに分析してみると、ある周波数の部分が僅かにですが暗くなっていました。大気中の物質は特定の波長の光を吸収する性質があるのですが、その暗くなっていた部分の波長が約1.1mmで、ホスフィンが吸収する波長と一致していたんです。ということは、光が金星から地球に届く間のどこかでホスフィンに遮られたのではないかと考えられます。
今回はまだ一度の観測結果、しかもかなり微弱な信号からホスフィン検出の可能性が報告されただけなので、まずは本当に金星にホスフィンが存在するのか、2度目、3度目の追加観測で検証していく必要があります。驚くべき観測結果であることは確かですが、個人的にはNASAのコメントは少し気が早かったかな、という印象ですね」
うむむ…。冷静な状況解説ありがとうございます。そもそも生命の兆候とされているホスフィンとはどんな物質なのでしょう?
「ホスフィンは地球の大気にもごく微量含まれますが、非常に珍しい物質です。地球上のホスフィンは主にバクテリアが排出していることが知られていて、ホスフィンの存在が地球外生命を探す際の指標になるのではないかということで注目されているんです。木星や土星といったガス惑星では自然に発生するメカニズムが明らかになっていますが、金星は地球と同じ岩石惑星です。ということは、金星の大気にホスフィンが存在するのならば、なんらかの生命が発生させているのではないか……とも考えられるわけです。
付け加えると、ホスフィンはリン原子と水素原子から構成される物質です。地球や金星のように大気中に酸素原子が多く存在する場合、リン原子は酸素原子と結びついて別の物質になってしまいます。そんな環境でホスフィンが存在するということは、なんらかの形で新しいホスフィンが常に作られ続ける仕組みが必要なのです」
つまり、もし今回検出されたホスフィンが生命由来だとすれば、過去の生命の痕跡ではなくて、まさに今生きている生命の証拠になるわけですね! そう思うと、「史上最大の発見」と言いたくなるのもわかります。
金星の大気へとズームインするアニメーション映像。Credit: ESO/M. Kornmesser/L. Calçada & NASA/JPL/Caltech
高温高圧、硫酸の雲……生命はどうやって生きている?
それにしても、高温高圧のうえに硫酸の雲に覆われている過酷な環境で存在できる生命ってどんなものでしょう……?
「それにはまず、ホスフィンが発見された高度が関係しています。金星の地表付近からの光は分厚い大気に阻まれて地球に届かないため、今回観測してホスフィンが検出されたのは地表から高度50〜60kmより上空の大気と考えられます。地球でも高度が上がるほど気温が下がるように、金星でも高度50〜60km付近では気温は0〜30℃程度にまで下がります。実は、金星でもそうした十分な高度に何らかのプラットフォームがあれば生命が存在できるのではないかという論文は1960年代以降ときどき発表されているんです。
とはいえ、酸性度が非常に高い環境は生命にとって大変過酷です。私は生物の専門家ではないので単なる想像の域を出ませんが、金星に生命がいるとしたら、地球の生命とは細胞レベルで全く違う特徴を備えているのではないでしょうか。研究チームの中では、硫酸の雲の中には水分子も存在していて、その中ならば安全に生息できるのではないか……といった仮説も出ています」
まさに私たちの常識を超えた存在です。仮説を立てるのにも生物学的なアプローチが大切になりそうですね。
「地球とは全く違う環境での生命のあり方を探求する分野をアストロバイオロジー、宇宙生物学といいます。このところ日本でも研究者が増えていて、活発な分野なんですよ。そもそも、英国カーディフ大学のジェーン・グリーブスをはじめとする今回の研究チームの主要メンバーは、アストロバイオロジーの研究者たちなんです。太陽系外の惑星での生命探査をめざしていて、その手法の一つとしてホスフィン検出が使えるかどうかを身近な惑星で検証するのが今回の実験の目的だったようです。そのチームに私は金星の専門家として参加しています」
金星でホスフィンが検出されたのは「灯台下暗し」だったんですね。ですがもう一つ疑問があります。そもそも金星には地球のような海がありませんが、生命が存在するとしたらどのように誕生したのでしょうか?
「実は、気温が今ほど高くなかった大昔には金星にも海があったのではないかという研究もあります。金星が地球と同じように生まれたとしたとしたら、海があっても不思議ではないですよね。太古の海で生命が誕生した可能性もあるでしょう。気温が上がるにつれて海は蒸発し、水は宇宙空間に逃げてしまったか、あるいは地面の下に染み込んだのか、詳しいことはわかっていません。地上が過酷な環境になり居場所を追われた生命のうち、風に巻き上げられて上空にたどり着いたものだけがなんとか今日まで生きてきた。そんなふうにも考えられますが、現段階ではすべて想像にすぎません。
今回、もしホスフィンが金星に存在するということが確定すれば、こうした想像上の話を解明していく突破口ができることになります。そこからたとえば金星の生命はどんな姿をしているか、生命はどこで誕生したのかといったさまざまな研究につながっていくでしょう」
海を追われて大気に進出した生命……地球とは違った波乱万丈なドラマがありそうです。ホスフィンの検出は金星研究の重要な第一歩だということがわかりましたが、研究の今後の展開はいかがでしょうか?
「はい。2019年にチリのアルマ望遠鏡で観測し、そのデータを一年がかりで分析した結果が今回の発表でした。とはいえ、はじめに申し上げたとおり解析できたのはあくまで微弱な信号だったので、分析手法の妥当性を改めて検証する必要があると考えています。追加観測も計画されていたのですが、コロナの影響で望遠鏡が使えなくなってしまったんです。ようやく再開の目処がついたので、来年には追加観測が行えるはずです。
研究チームとしての進捗とは別に、今回の発表が多くの人に注目されたおかげで、他分野の研究者も金星に関心を寄せてくださっていることを実感しています。知人の研究者からも『こういう研究をやっているけど金星の研究に使えないか』と声をかけていただきました。ここから金星研究の新しいストリームができると面白いですね」
今回の観測で活躍した、チリのアタカマ砂漠に広がるアルマ望遠鏡。可動式の66台のパラボラアンテナがひとつの巨大な電波望遠鏡として機能している。Credit: ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), A. Marinkovic/X-Cam
金星研究の最前線、日本の探査機「あかつき」が活躍中
そういえば、ニュースでは火星に関する発見がよく取り上げられている印象がありますが、金星に関する新発見は珍しい気がします。
「そうですね。火星には探査機が数多く打ち上げられ、地表の様子などもかなりわかってきています。これは長期的な探査ロードマップがうまく機能しているということで、特にNASAが火星への有人飛行を最終目標に掲げているということが大きいでしょう。
一方、金星の探査機はここ20年で2機だけで、探査の質、量ともに火星に大きく遅れをとっています。金星の場合は大気があまりにも分厚いため、周回機から地表付近を探査するのが難しいということもあるでしょう。現在運用されている唯一の金星探査機が、2010年に日本が打ち上げた『あかつき』です」
金星へ向かう「あかつき」の想像図。2010年に試みられた軌道投入が失敗したものの、2015年に姿勢制御エンジンの噴射により再投入に成功。2016年から観測を開始したという、ドラマティックなエピソードの持ち主だ
日本の探査機が活躍中なんですね! それで、金星研究はどこまで進んでいるのでしょうか?
「あかつきは天気予報でお馴染みの『ひまわり』と同じように、金星版の気象衛星というユニークな発想で打ち上げられました。金星の雲の動きを写真で捉え、風の流れを詳細に観察することで、これまで金星最大の謎とされてきた『スーパーローテーション』のメカニズムを解き明かす研究が進められています。
スーパーローテーションとは、金星大気中を100m/秒以上で吹き荒れる暴風です。金星は地球と違い自転速度が非常にゆっくりで、1回転するのに243日もかかります。大気だけがなぜこれほどの速さで吹いているのかは大きな謎でした。しかし近年、あかつきの活躍によってスーパーローテーションが維持されているメカニズムが少しずつ解明されつつあります。
ホスフィンの話に戻りますと、金星の生命について考える際も、大気はどんなふうに流れているのか、硫酸の雲はどこから来るのかなど、金星が実際はどんな環境なのかがよくわかっていなくては議論が進みません。スーパーローテーションをはじめ、大気そのものを理解するということが金星のサイエンスにとって非常に重要なことだと考えています」
環境を理解することが生命を理解することにもつながるわけですね。さまざまな方向から金星の姿が明らかになってくるのが楽しみです。
惑星科学がめざすもの
地球の一番近くの軌道を回る惑星なのに、まだまだ謎だらけの金星。それにしても、どうしてこんなにも地球とかけ離れた環境ができあがったのでしょうか。暴風と硫酸の雲の中で暮らしているかもしれない生命のことを考えると、なんとも不思議な気分になります。
「はい、それを解き明かすのが惑星科学という分野の研究であり、私の目標です。金星、地球、火星は地球型惑星と呼ばれるグループで、なんとなく似通った星なのかなと思ってしまいますが、調べてみると全く異なる個性を持っていることがわかります。おそらく同じように形成されたはずなのに、一体何が原因で違う道を歩んだのか。あるいは逆に、どの惑星にも共通する普遍的な法則があるのではないか。太陽系内であれ系外であれさまざまな惑星を研究することで、地球という惑星がなぜ今のような姿をしているのかを客観的に明らかにしたいという思いで研究を続けています。
私が惑星について初めて勉強しはじめてから20年経ちますが、その間にも惑星科学の常識はどんどん塗り変わっています。次の20年でまた新たな事実が出てくるでしょう。そんな発見にぜひとも注目していただきたいです」
Zoomでインタビューに答えてくださった佐川先生。「惑星研究は欧州では天文学の基礎にもなったものですが、日本の場合、特に惑星大気の研究は地球の大気や磁気圏の研究から発達したという側面もあり、両者の違いも面白いです」
近くにあるようでまだまだ遠い金星だが、研究の最前線を知ることで心の距離はほんの少しだけ近づいたような気がする。今の時期なら、夜明けの東の空にひときわ明るく輝く金星が見えるはずだ。ちょっと早起きして、宇宙の兄弟に想いを馳せてみてはいかがだろうか。