2018年10月に大阪大学会館で開かれた「第21回コレギウム・ムジクム ベーゼンドルファー1920を囲んで」のレポートをお送りする。大阪大学が誇る「宝物」の一つ、1920年にウィーンでつくられたピアノを五感で堪能する、ピアノ好きのためのイベントだ。
建物とほぼ「同期」のピアノ
会場となった大阪大学会館のホールに入ると、小さめのステージの上にそのピアノはあった。今回のイベントは、イベントの開始前や休憩時間、開始後に参加者がピアノを弾いたり触ったりしてもよいというユニークなもの。すでにステージ上では参加者が、さまざまな角度に回りこんでピアノの姿を眺めたり、曲を弾いてみたりしている。
「ベーゼンドルファー1920」は、19世紀に創業したウィーンの名門ピアノメーカー、ベーゼンドルファー社が1920年に製作したグランドピアノ。低音が現代のピアノより4鍵多く、豊かで独特な響きを持っているのが特徴である。
2011年の大阪大学会館リニューアル時に設置されたこのピアノを選んだのが、今回のイベントを企画した大学院文学研究科音楽学研究室の伊東信宏教授だ。
ベーゼンドルファー1920の由来を話す伊東信宏教授
イベントの冒頭に、その経緯が説明された。大阪大学会館は、大阪大学の前身、旧制浪速高等学校本館イ号館として1928年に建てられた。アールデコの直線的なデザインが取り入れられた、豊中キャンパスでも一番古い建造物。伊東先生は、「現代のピアノでなく、建物と同じ頃につくられたピアノを入れたら面白いのではないか」と考え、専門家に探してもらったのがベーゼンドルファー1920だという。
アールデコ様式の大阪大学会館
「ピアノや車などの工業製品は、最新のものほど性能が良いわけではない」と先生。大量生産という目的に合わせて簡略化されていることも多く、古い時代のもののほうが凝っていることもある。現代のもののほうがよいという先入観を取り払い、一つひとつのピアノに向かい合う面白さを体感してもらおうと開いたのが、このイベントだ。
ミッションの魅力
まずは、ピアノ300年の歴史についてのレクチャーから。ピアノが生まれたのは1700年頃。チェンバロ製作者のクリストフォリがピアノもフォルテも出せるチェンバロとして開発し、その機能から「フォルテピアノ(またはピアノフォルテ)」と呼ばれた。現代のピアノも正式には同じ名前だが、古い時代のピアノを「フォルテピアノ」と呼び、現代の「モダンピアノ」と区別するのが通例になっている。
ピアノの歴史を映像と音でふり返る
先生は、映像とともに演奏の音声も流して説明。初期のピアノはほぼチェンバロのような音色だ。さらに、ハイドンの時代やベートーヴェンが活躍した1800年代のピアノの音、そしてモダンピアノの音。その違いはかなりはっきりしていた。
いよいよベーゼンドルファー1920の音を聴こうということになって登場したのが、本日のゲスト、福岡県立大学准教授・鷲野彰子さんだ。日本とニューヨーク、オランダで学んだピアニストであり、音楽学研究者でもある。
19世紀の後半から20世紀に入る頃、ピアノはほぼモダンピアノの形になった。ベーゼンドルファー1920もモダンピアノではあるが、21世紀の今のピアノにはない魅力と可能性があると鷲野先生は言う。
まず、鍵盤を押したときの感触、タッチに軽さがあることを取り上げ「すべての音を自分で操作できる可能性がある。弾いていて本当に気持ちがいい」と述べた。
さまざまなフレーズを実際に弾きながら、ベーゼンドルファーの音色を確かめていく
フォルテピアノの時代には、ぺダルなどを使って音響効果を自分でつけることができた。今のピアノはそのような操作の必要はなく、誰でもきれいな音が出るようにつくられている。鳴りはいいが、半面、細かなニュアンスを変えたくても変化させにくい。「車のオートマとミッションの違いでしょうか」と鷲野先生。
「アコースティックな楽器のよさは、楽器の響きによって教えられることです。音が鳴り、奏者はそれに反応して、次にどう弾くかという選択をしています」
ベーゼンドルファー1920にはそれができる余地が残されているという。鷲野先生のようなフォルテピアノの演奏に長けたピアニストだからこそ抱く思いなのかもしれないが、昔の楽器の面影が、より濃密な「対話」の可能性につながっていることは確かなようだ。
すき間だらけだった作品
後半は、昔の時代の演奏法について、現代との違いを鷲野先生に学んだ。大きなポイントは、さまざまな演奏法が試みられたこと。
18~19世紀には、曲の前奏を即興で演奏したり、曲の間に奏者が自作した曲を演奏したりすることも一般的だった。奏者が楽器に慣れるため、次の曲の調に慣れるためだといわれている。
鷲野先生によると、私たちは、曲の始まりを作曲家の意図したものとは間違って捉えているのかもしれないという。「現代は、楽譜に書いてある通りに演奏するのが常識です。でも、当時、作品は確固たるものでなく、すき間だらけだった」。
それについて、「音楽自体も、自立したはっきりとした輪郭のあるものではなかった」と伊東先生。楽器にせよ音楽にせよ、現代の常識とは違う側面があったことが興味深い。
最後は、鷲野先生によるベーゼンドルファー1920の演奏。「ウィーンの香りを残すベーゼンドルファーに似合う」ハイドン後期の「鍵盤楽器のソナタ変ロ長調」と、「このピアノが得意とするであろうロマン派の、しかし癖のある」シューマン『森の情景』から「別れ」の2曲だった。
ウィーン生まれの美しい音色に聞き入った
イベント終了後、多くの人がステージに上がり、思い思いの演奏で弾き心地を確かめた。ピアノを囲んで、聴いたり弾いたりしながら面白さを感じる、五感で楽しむイベントになったようだ。
1曲暗譜して弾く達者な方もちらほら