他人の視点に切り替える力とは?
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授・林 創(はやし はじむ)先生は、コミュニケーションや社会性が、いつ頃から身についていくのかを研究している。
先生によると、人間がスムーズなコミュニケーションができるのは、他人の心を推測する能力があるから、つまり、相手の意図や考えを自然に読み取って、協調しながら話を進めたり、助けてあげたりできるからだという。心理学では、意図や欲求や考えといった心の状態によって行動が成り立っていると理解する枠組みのことを「心の理論」というそうだ。
会話の最中に、「あ、今、相手があんな表情をしたということは、相手はこんなふうに思ったかな。もしかして言い過ぎ? フォローしとかないと…」などと、相手の気持ちを推し量っているのは、「心の理論」が働いている状態なのだ。
他人にも自分と同じ心が宿っているとみなしたり、他人にも自分と同じように心の働きがあることを理解したり、他人の心理の理解に基づいて他人の言動を予測したりといった働きをする心の理論。たとえば、「誰かがコップに手を伸ばす」という行動を見ると、その人が何も言わなくても、「コップを取ろうとしているのだな」という意図がわかるというのも、その一つ。能力とか力とか言うのはおこがましいような気がするほど自然なことだが、いったい子どもはいつ頃から身につけているのだろうか。
「心の理論がはっきりとした形に発達するのは、4~5歳ころと言われています」と林先生。
神戸大学 大学院人間発達環境学研究科(国際人間科学部・発達科学部)の校舎
研究について話す林准教授
心の理論が備わっているかどうかを確認するための「誤信念課題」と呼ばれる、有名な課題があるそうだ。
AちゃんとBちゃんが部屋の中にいて、箱が2つある。Aちゃんに、Bちゃんの目の前で右の箱にビー玉を入れてもらい部屋の外に出てもらうとする。
その後、Bちゃんに、ビー玉を左の箱に移し替えてもらう。Aちゃんを再び部屋に呼び入れて、ビー玉を探してと言うと、どちらの箱を探すと思いますか、というのが問題である。
さて、どっちだろう。Aちゃんは、Bちゃんがビー玉を左の箱に移すのを見ていないのだから、「右の箱を探す」が正解である。
しかし、3~4歳頃までの小さな子では、自分が知っているビー玉が移されたという知識に流されてしまい、「左の箱を探す」と思ってしまうのが普通なのだという。これは、自分の視点から瞬時に他人の視点に切り替えて考えることがなかなかできないから起こる錯覚。まさか、というのが正直な感想で、こんな当たり前のことがわからない時期があるというのが意外だった。
「わからないわけではないのです。自分の視点に注意が向きやすい、と言ったらいいでしょうか。自分の知識の呪縛から逃れられないというのか。こういう傾向を、『自己中心性バイアス』といいます。バイアスとは、客観的な見方や基準からのずれや偏りのこと。自己中心性バイアスは、自己中心という言葉を使ってはいますが、身勝手とかわがままといった意味は全くありません」
幼稚園ぐらいの子どもが、話す相手がそのことを知らなくても関係なく、自分の友だちのことなどをおしゃべりしたりするのも、この自己中心性バイアスのせい。もう少し大きくなってくると、その友達について相手が知らないと分かれば「うちの隣に住んでいて同じ幼稚園に通っている子だけど」などと補足して説明できるようになるという。
他人の感情をどこまで理解できるか。
自己中心性バイアスについては、これまで、他者の視点や考えを理解しているかどうかという認知的な領域の研究が主だったが、林先生とゼミの学生は今回、他者の感情を理解しているという情動的な領域について調べることにした。
その実験は下図のような絵を見ながらストーリーを理解し、判断してもらうものだ。積み木をわざと倒してバラバラにされるのと、うっかり倒してバラバラにされるのとでは、主人公(女の子)は、どちらがより悲しんでいるか、という設問である。
神戸大学「Research at Kobe」より転載
まずは、主人公の目の前で起こった場合、どちらがより悲しんでいるかを問う。この場合、わざと倒された方が悲しみが大きいというのが一般的な反応だ。
さらに今度は、上図の右(主人公が知らない条件)のように、主人公が部屋を離れた後、同じく積み木が壊された場合に、主人公はどちらがより悲しんでいるのかを答えさせる。わざと壊したのかうっかり壊したのか、見ていなければわからないのだから、どちらも悲しみの度合いは同じ、というのが正解である。
だが、実験では、感情の理解においても自己中心性バイアスがかかることがわかった。小学校高学年までは50%以上が、「わざと壊された方が悲しみの度合いが強い」と答えている。想像以上に高い数字だ。それだけでなく、大人でも15%程度がそう答えているという。
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「こうしたことがわかってくると、コミュニケーションの見え方が変わってきます。人間関係のトラブルでは、とくに小さい子の場合、他者の心の状態の読み誤りというのが結構多いのです」
たとえば、壊した子の立場から見てみると、自分はわざとではなかったのだから、壊された子もそんなに悲しく思わないはずだと錯覚してしまうこともある。しかし、壊された子がいない間の出来事だったらわざとかわざとでないかは知らない。壊した子の想定以上に、もっと怒りや悲しみを感じている場合も十分にある。それなのに、あんまり真剣に謝っていなかったなどと、感情の食い違いが起こり喧嘩を引き起こす。
この話を聞いて、このパターン、大人でも結構あると思ってしまった。わざとじゃない、仕方がなかった、ということを言い訳にして、相手の気持ちを必要以上に軽く見てしまうことが確かにある。
「人間は、自然にコミュニケーションができ、社会性を獲得しているようですが、その裏にはいろんなバイアスがあります。こういうバイアスがあるということは、心理学の研究を通してわかってきたことです。バイアスを全くゼロにすることは不可能ですが、少なくとも、こういうことが起こりがち、ということを知っているだけで、すぐに対応できるようになり、バイアスを軽減することができるでしょう」
子育て中だったり、保育・教育の仕事に就いている人なら、このバイアスを知っていることで適切な言葉かけができる。間違っても、「なんでそんなことがわからないの?」とか「何でそんなことで怒っているの?」なんていうことは言わなくなるし、冷静に子どもの喧嘩に対処できるというわけだ。
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人間はバイアスする生き物
「人間の思考は、バイアスがかかっていることがあり、心理学はバイアスを調べる学問でもある」という林先生。それでは、バイアスがあることを自覚しておいたほうがよいかと質問してみた。「コミュニケーションの場合はバイアスについて、できるだけ知っておいたほうがスムーズだが、他のバイアスについては、必ずしもそうとは言えない」と言いながら、先生は「アンカリング」と言われるバイアスを例に挙げてくれた。
アンカリングとは、先に見た数字や情報に引っ張られて、判断に影響を与えるバイアスのことだそう。たとえばバーゲンセールで、10,000円が横線で消され7,000円にプライスダウンしているとつい買いたくなってしまうが、最初から7,000円だったら買わないかもしれない。10,000円を最初に見てしまうためにそれが基準点になり、「3,000円も安い」と思ってしまう。あまりに経験がありすぎて、笑いそうになる。
「アンカリングを知っていたら、確かに惑わされにくくなって浪費が減るかもしれませんが、一方で、知らなかったら知らなかったで、いい買い物をしたと満足できることもある。知らないことのほうが幸せというか、下手に知ってしまうと買えなくなって、満足度が下がるかもしれませんから」
さすが心理学者、消費者の心はお見通しである。今回の取材で、心の発達が想像以上に段階を踏んだものであることが改めてわかると同時に、自分中心性バイアスに陥りがちな毎日について反省することができた。先生の研究テーマは、嘘や道徳性の発達だと聞き、さらに反省することになりそうではあるが、ぜひともまたお話をうかがいたいと思った。