感性を数値化してものづくりに活用
洋服を買いに行って、「これ、いいかも」という服を見つけた体験は、誰にでもあるだろう。では、「何がよかったの?」と問われたら、どう説明するだろう。形、色や柄、触り心地、フィット感、イメージ…気に入った理由を人に説明するのはなかなか大変。考えてみると洋服の好みとは相当に個人的なものであり、さらに多くの要素が絡まり合った複雑なものなのでは、と想像できる。
しかし、こうした複雑な人間の感じ方や価値観を科学的にとらえるテクノロジーは感性工学として発展しており、すでに多くのものづくりに生かされている。そのリーダー的存在の一つである関西学院大学 感性価値創造研究センター(理工学部 人間システム工学科)では、自動車や家電、化粧品など多彩な企業との共同研究によって一人ひとりの感性を大切にしたプロダクトデザインやサービスデザインを実現している。
感性価値創造研究センターのある三田キャンパス
今回取材したのは、2019年9月、髙島屋5店舗の紳士服オーダーサロン「タカシマヤ スタイルオーダー サロン」に導入された接客ツール「感性AIソムリエ」。スーツのオーダーをする際に、画面上で求めるイメージや気になるワードを指定すると最適な生地を提案するというシステムで、同センターとファッション系のITベンチャー、デジタルファッション社、アパレルメーカー、センチュリーエール社の3者が共同開発したものだ。「スッキリとした」「真面目に見える」「落ち着いて見える」「清潔感のある」などという40種類のワードの中から、イメージに合ったワードを3つまで選ぶと、AIがそれに合った最適な生地を5種類提案してくれ、提案された生地は店頭で触って確かめることもできる。
人の印象とものの物理特性を結びつける
このツールで活用されているのは、代表的なAI技術である機械学習の技術だ。機械学習とは、膨大な教師データからコンピュータが一定のルールやパターンなどを分析し、新たなデータに対しても、学習したパターンによって予測や決定を自動的に行うもの。この場合は、ものを見た時に人がどのような印象を抱くのかというデータをたくさん取り、ものと印象が結びつくパターンを学習させておく。その結果を使って、求める印象からそれに合ったものを選び出すという仕組みだ。
「しかし、初めからスーツを見た時の印象を集めるわけにはいかないのです。ドナルド・ノーマンという認知科学者は、『デザインは審美的、機能的、物語的の3つの部分で構成されている』と言っていますが、だからこそ、同じスーツを見ても人によっていろいろな印象を持ってしまいます。基本研究としては、まず審美的な対象物として柄から始めることにしました。柄なら、色やパターンによってある程度共通して人が感じる印象というものがありますから」と説明してくれたのは同センター特任准教授・飛谷謙介先生だ。
研究について話す飛谷先生
洋服に使われる柄、アールデコなど歴史的なトレンドとなった柄など、豊富な柄のデータを収集する会社からデータを集め、研究活用した。印象の方は、アンケート実験によってある対象物とそれに対する印象のセットを大量に集め、さらに、統計処理によって、多くの人が同じように感じる、というところだけを抽出。それを物理特性と結びつけていく。
「ものに対して抱く『光沢がある』とか『ザラザラする』といった質感を、ものの表面の形状や光の吸収・反射などの物理特性と関連づけてモデル化しています。それをさらに、『高級感がある』など、物理特性とは関連づけしにくい印象へと結びつけていきます」
同センターの研究スタッフには心理学研究者も多く、人間が何かものを見たときの認知プロセスのモデル化に取り組むことで、より精度の高い感性のシミュレーションが実現するのだという。「感性AIソムリエ」は、このような研究を経て、生地の提案をすることができるようになった。
髙島屋の店頭では、「自分の選んだ言葉に合わせて提案してくれるので、選ばれた生地を見て自分の好き嫌いがわかるようになる」「客観的な提案をされている印象があり、参考にしやすい」などお客さまに好評価を得ている。
取材時には、「感性AIソムリエ」のワンピース版アプリケーションを少し体験させていただいた。グランフロント大阪で開催のイベント「K.G. mini Fes. ~来て、 見て、 触って。 関西学院大学の研究の魅力を」(2019年9~10月)で展示されていたものだ。
グランフロント大阪でのイベントで展示されていた、「感性AIソムリエ」のワンピース版アプリケーション。オリジナルのワンピースがデザインできる。はじめに「清涼感のある」「上品な」などのイメージする言葉を選ぶ
選んだ言葉に合わせて柄が提案される
セレクトした柄の位置や大きさをタッチパネルで調整したら、できあがり!
形にも対応できるシステムへ
今後は、「さまざまなハードルを越え、さらに技術を進化させていきたい」と語る飛谷先生。その一つは、季節ごとに出る新作への対応だ。人力で対応するのではなく、システムが自分で進化していくような枠組みを作るのが目標だという。また、形への対応も課題だ。どのような形のスーツを望むかによって生地選びにも影響を与えるので、避けては通れないテーマだという。スーツを着た状態で三次元形状を取ってCG化するか、二次元のパターン(型紙)を活用するかの2方向で研究を進めている。スーツの場合は、長い歴史の中で寸法の比率などは最適化されているため、パターンを使って形を表現することも十分に考えられるという。
「このシステムは、『感性デジタルビスポーク』と名付けています。お店でビスポーク(注文服)に対応しているプロフェッショナルは、顧客のいろいろな要素を考慮に入れてその人の目的に合ったスーツを解として提示しているわけです。我々のシステムは第一歩を踏み出したばかりですが、熟練の人のお手伝いができるよう、できることを探してさらに進化を続けていきたいと思っています」
同センターでは、人がモノに触れた際に感じる触感のモデル化の研究も進んでおり、もしかすると、形に続いて肌触りなどについての印象も組み合わせる、などという進化も今後はあり得るのかもしれない。
イベントで展示された触感ぴったり化実験のツール。手前の白いパネルにふれると・・・
自分がそのパネルをどのように触感で感じるかが数値化される。このようなデータを大量に収集し、研究に活かしていく
店頭では、自分が選んだ生地に満足したかという正解データを同時に取って、ブラッシュアップに活用しているという。AIシステムは、使う人が増えれば増えるほどデータが増えて、いろいろな人のニーズに対応できるものになっていく。ビスポークなんて縁がないと思っている人こそ、こんなツールをきっかけに、自分の感性に合ったものを選んでもらう楽しさを感じてみてはいかがだろう。