映画作品やゲーム、占いなどに使われる「ルーン文字」。下の写真の石碑に刻まれているような文字であるが、ご存じだろうか。今は日常言語としては使われていない失われた文字であり、その神秘的な雰囲気が人々をひきつけている。しかし魔術的、神秘的なイメージが先行し、実際どんな文字だったのか?という点が見えにくくなっているのも確かだ。そこで今回、北欧中世史を専門とし、ルーン文字に詳しい歴史学者、立教大学の小澤実教授に、ルーン文字が辿ってきた足跡や使われ方についてお話を伺った。
立教大学文学部の小澤実先生。ルーン石碑や古アイスランド語等の文字史料、墓地や船舶等の考古資料も利用して研究を行っている
石、金属、木に書いた文字
「ルーン文字が生まれたのは、おそらく今のデンマークの南の辺り。当時周辺にはローマ帝国の公用文字として利用されていたラテン文字の世界がありました」と、小澤先生。ラテン文字とは、今私たちが使っているABC…というラテン・アルファベットのことだ。紀元前30年頃、ローマ帝国は地中海世界を統一し、その後、アルプスを越えてヨーロッパにまで領土を拡大した。1世紀には、文字を持っていなかったゲルマン世界のすぐそばまでローマ帝国の勢力が伸び、ラテン文字に影響を受けて2世紀頃に作られたのがルーン文字だとされている。
ルーン文字のアルファベットは、最初の6文字をとって「フサルク(fuþark)」と呼ばれる。後に文字数や形が変化していくが、出現当初の24文字のフサルクは「古フサルク」と呼ばれ区別されている。ローマ人たちは紙やパピルスを使っていたがゲルマン世界では紙がなく、書く材料といえば石、木、金属などであったため、直線で書けるような素朴な形になったらしい。
「現在残っている古フサルクは、400例ほど。事例が少なすぎて、ルーン文字がなぜ、どのようにして生まれたのかははっきりわかりません」と小澤先生は語る。ローマ時代には、ゲルマン人がローマに行って兵士になったり、商取引で行き来をしたりしていた。その人たちが、自分たちも文字を持ちたい、使いたいということで作った可能性はある。しかし、残っている古フサルクのほとんどが武器や防具、お守りなどに刻まれた短い単語で、「古フサルクには、どちらかといえばお願いや呪いなど、宗教的な機能を持たせて書かれたものが多い」とのこと。
「これはルーン文字だけでなく漢字もそうだったのでしょうが、文字自体がまだ珍しく多くの人は文字が読めないため、文字に特殊な意味や機能を持たせていた、ということはあり得ます。その意味では、呪術的な要素があったかもしれません」
ルーン石碑をのこしたヴァイキング
誕生の頃はゲルマン世界で広く(ただし限定された人々の間で)使われていたルーン文字は、キリスト教の影響を受けるにつれてラテン・アルファベットにとって代わられていく。その中で北欧は、キリスト教の影響を受けながらもルーン文字が残った。ヴァイキングの時代には16文字に削減されたルーン文字(新フサルク)が主要文字として使われ続けた。
ヴァイキングは、9世紀頃から11世紀頃までにスカンディナビア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々。牧畜、農耕、漁労を中心にしていた北欧人が、イングランドやイスラム、ビザンツなど文化や言葉が違う人たちとコミュニケーションをしながら交易をするようになったのがヴァイキングの時代といえる。少数の人たちしか使えなかったルーン文字も、この時代には、日常的なコミュニケーションの道具になっていた。
「あまり書いたものをのこしていないヴァイキングですが、内外での戦闘やなんらかの理由で命を落とした人たちの業績や生涯を記念するために石碑を建てる習慣がありました。ルーン文字で書かれたこうした石碑をルーン石碑といい、北欧全体に今でも3000程度がのこっています」
デンマークのイェリング石碑。小石碑はゴーム王が妻を記念して、大石碑はハーラル青歯王が両親を記念して建立させた(ハーラル青歯王は、現代では無線通信技術「Bluetooth」の名前の由来としても知られる)
※出典:Casiopeia / CC BY-SA 2.0 DE
石碑は1mから2mぐらいのものが多く、一枚の岩の表面に文字や絵が描かれている。今も人目につく道路や広場などで雨ざらしになっているし、工事によって発掘されることも多いそうだ。学生時代にヴァイキングの研究を始めた小澤先生は、北欧留学中にルーン石碑が道端に普通に建っているのを見て、面白いと感じたという。ヴァイキング自身が書いた石碑は、当時のことがわかる一級の史料といえるからだ。
ヴァイキングには、海賊や略奪のイメージがつきまとう。しかし普段は農業や漁業を生業とし、高度な造船技術を使って交易にも能力を発揮した人々だったことがわかっている。イギリスやフランスの教会や修道院のお宝を略奪していたのも事実だが、そこばかりがクローズアップされていたのは、「記録を残しているのが、被害者側だから」。
「ラテン語や古英語のテキストを読むと、北からまた野蛮人が来たとか、そんなことが書いてある。でもよく読んでみると、北からだけでなく隣の領地から来たという記述もあります」
ヴァイキングが活動した時代は、今のドイツ、フランス、イタリアのもとになるような国ができた頃。ヨーロッパには、北のヴァイキングだけでなく、南からはイスラム教徒、東からはマジャール人などが侵入し、日本の戦国時代のような戦乱期だった。
「ヴァイキングには野蛮というだけではない文化的な側面が数多く見られます。たとえば、スカルド詩人と呼ばれる人たちは、ヴァイキングの首領の戦いに随行して戦の様子を詩にあらわし、宴会などで節にのせて語りました。残っている詩は、言葉を言い換えたり韻を踏んだり、高度なテクニックを使った文芸志向の高いものです。また、ヨーロッパの中で彼らの造船技術は圧倒的に優れており、彫刻が施されるなど美術的にも高い価値を持っています。ブローチやペンダント、腕輪といった銀細工の宝飾品も芸術的です」
ヴァイキング時代の終わりには、デンマーク王、ノルウェー王、スウェーデン王らが出てきて、さまざまなヴァイキングを統合して国をつくった。北欧はキリスト教化していき、12世紀にはラテン語が公用語となり文字もラテン・アルファベットが使われるようになった。
「かつてはそこでルーン文字は消えたとされていたのですが、現在世界遺産になっているノルウェーのベルゲンにあるブリッゲン地区で、1955年に起きた火災の処理作業中、ルーン文字で書かれたタグが発見されました。これによって中世になってもルーン文字が使われていたことがわかりました。商人の世界などでは、ラテン文字と並行して使われ続けていたようです」
今、ルーン文字がいる場所
一部では使われていたが、一般的には忘れられた存在となったルーン文字は、16~17世紀に再び注目を浴びる。
「ルネサンス期のヨーロッパ人は、いかに自分たちがギリシア・ローマ文明とつながっていたかということを重視しました。ところが北欧はいくら辿ってもギリシアやローマとはつながらない。そんな時に、現在の歴史学の水準では間違った解釈なのですが、『自分たちの祖先であるゴート人が利用していた、ギリシア文字やラテン文字よりも古い文字』としてルーン文字が呼び出され、プライドの源泉になったのです」
さらに19世紀ロマン主義の時代には、一つの民族は一つの言語を持つといったナショナリズム的な考え方とも結びつき、自分たちのアイデンティティを示す言葉として、北欧やドイツの言語学者によるルーン文字の研究が活発になる。「『グリム童話集』で知られるW・グリムもその一人です」。同時に、宗教学者たちが、過去の人たちの宗教意識を知ろうと呪術に関わりそうなものを収集・分類しはじめ、呪いや祈りが書かれたものがたくさんあるルーン文字にも関心が集まったという。
「それが極端な形になったのが、ナチズムです。ゲルマン至上主義、アーリア人至上主義の思想を持っていたナチスは、学問的には全くもって間違っているのですが、ルーン文字がゲルマン人の純粋な文字だと考え、シンボルとして使うようになりました。その一方で、20世紀には、ルーン文字の占いもヨーロッパの各地で流行します」
ルーン文字とオカルト的なものの結びつきは、それぞれの文字自体が意味を持つとされたことと深く関係があるようだ。
「このルーン文字にはこのような意味がある、というようなことを記した中世以降の文献が残っています。そこから、ルーン文字は神秘的な文字と言われるのだと思いますが、文字と意味の対応関係がなぜそうなのか、どこまで古く対応関係を遡れるのか、といったことは、必ずしも明らかではありません」
現在も、ゲームや小説、そして最近は映画『ミッドサマー』の劇中で使われたこともあってか、ネット上ではルーン文字についてさまざまな解釈が行われている。その風潮について小澤先生は、「エヴァンゲリオンが放送されたときに、マニアがこぞって聖書解釈をしたようなものでしょうか。そういう反応が世間で起こることは面白いですね。ルーン文字の2000年の歴史の中で、今は今なりのルーン文字の役割がある、ということに興味を抱きます」
ルーン文字の消長も、近現代での受け入れられ方にも、単に「ルーン=神秘」というイメージには回収されない、さまざまなドラマがあった。想像とは少し違って商売や文芸にも秀でていたヴァイキング。その彼らがルーン文字の石碑にしか自分たちのことを遺していないというのは心をくすぐられる。また近世・近代に、自分たちの「ルーツ」を求める人々に利用されていったことも興味深い。「古さ」や「神秘性」を醸し出すのにうってつけの文字として注目されてきたのも何だかわかる気がする一方、ナチズムのような負の遺産を背負わされてしまったことに歯がゆさも覚える。普段使っている漢字に意味があることを改めて思い出したりもした。人が文字に込めたものの大きさを実感できた、ルーン文字への旅だった。
ちなみに、学問的に正確な理解のもとでルーンを創作物に取り入れている例はありますか?との質問に小澤先生は、「『指輪物語』で知られるトールキンです。オックスフォード大の言語学者だった彼は、ルーン文字の深い理解に基づいて、作中のエルフ語などを創案しました」