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  • date:2020.5.19
  • author:谷脇栗太

身近な生物が美味しい蕎麦に!? 龍谷大学農学部、失われた「姉川クラゲ」への挑戦。

「姉川クラゲ」をご存知だろうか。名前は知らなくても「雨上がりの運動場で見かけるワカメのようなアレ」と聞いたらピンと来る方も多いだろう。正式名称を「イシクラゲ」という、この身近で不思議な生物から、なんと美味しい蕎麦が作られたという。

取材をしてみると、そこには失われた食文化を現代に甦らせ、新たな地場産業を創出する「農」の研究者たちの物語があった。

 

不思議な生物が蕎麦になるまで

2020年2月、龍谷大学瀬田キャンパスでちょっと変わった蕎麦の試食会が行われた。その名も「姉川くらげそば」。

滋賀県の伊吹山地、姉川流域の一部でかつて食されていた「姉川クラゲ」の粉末を、同じく伊吹山地が発祥として知られる蕎麦に練りこんだ。見た目は普通の蕎麦と変わらず、食感はツルツルとコシの良いお蕎麦だ。取材陣からは「蕎麦らしくて美味しい」と好意的な感想が聞かれた。

 

姉川くらげそばの開発にあたったのは、龍谷大学農学部の4学科(植物生命科学科、資源生物科学科、食品栄養学科、食料農業システム学科)を横断するプロジェクトチーム。一体なぜ姉川クラゲに着目し、その先に何を目指しているのだろうか。携わった4名の先生方にお話を伺った。

左から古本先生、朝見先生、玉井先生、坂梨先生。

左から古本先生、朝見先生、玉井先生、坂梨先生。

 

「もともと生物としてのイシクラゲに興味を持っていました。見た目は海藻のようですが実はバクテリアの仲間で、栄養のない場所でも光合成や大気中の窒素を栄養源にして繁殖し、乾燥状態などさまざまな環境変化にも耐えるすごい生命力を秘めているんです。あるとき、瀬田キャンパスのある滋賀県にかつてイシクラゲを食用にしていた地域があるという話を聞きつけたのが姉川クラゲとの出会いでした。食材としてのイシクラゲを研究し、大量生産することができれば、忘れられた食文化を新たな地場産業として甦らせることができるのではないかと考えました」

 

こう語るのは、プロジェクトの発起人である資源生物科学科・玉井鉄宗先生。農学部の同僚の古本先生、朝見先生、坂梨先生に声をかけ、それぞれの研究室の学生たちも参加する形で2018年に分野の垣根を超えた一大プロジェクトがスタートした。

伊吹山地に自生するイシクラゲ。雨などの水分を吸うと、学校の運動場や道端で見覚えのある「ワカメのような姿」になる。

伊吹山地に自生するイシクラゲ。雨などで水分を吸うと、学校の運動場や道端で見覚えのある「ワカメのような姿」になる。

 

食文化とDNAから見えてきた、イシクラゲの物語

プロジェクトではイシクラゲをただ食用に栽培するだけではなく、その背景となる物語を掘り起こすことが重要だった。実際に姉川地域でどのように食卓に上がっていたのか、姉川地域のイシクラゲは生物学的にはどんな特徴があるのか、そうしたバックボーンを掘り下げ、イシクラゲを「姉川クラゲ」として捉え直すのだ。

 

姉川地域でのイシクラゲの食習慣の調査を担当したのは、食料農業システム学科・坂梨健太先生の研究室だ。滋賀の食事文化研究会や伊吹山文化資料館といった機関の協力のもと、現在もイシクラゲを採取して食べている方や、当時の調理法を覚えている方を訪ねて聞き取り調査を行った。イシクラゲは昭和20〜30年ごろまでは一部地域で山菜と同じように食されていた。特に伊吹山付近の石灰岩質の土地で雪解けの頃に採取したイシクラゲを乾燥させて保存し、味噌汁に入れたり酢の物にしたりしていたことがわかった。しかし、その後はワカメなどの海藻に取って代わられ、食習慣は廃れていったという。

調査を通して、忘れられつつあったイシクラゲと姉川地域との繋がりが見えてきた。さらに、坂梨先生と玉井先生、古本先生はイシクラゲの食文化が現在も残る沖縄県宮古島でも調査を行った。

 

かつてイシクラゲは天ぷらや酢の物などで食されていた。

かつてイシクラゲは天ぷらや酢の物などで食されていた。

 

続いて、DNAからイシクラゲを調査したのは植物生命科学科・古本強先生の研究室。姉川地域のイシクラゲと宮古島のイシクラゲ、そして大学周辺で採取したイシクラゲのDNAを比較した。その結果、大学周辺で採取したものはイシクラゲとは別種であったり、あるいは他の生物が混在していたりとあまり綺麗な状態ではなかったが、姉川と宮古島のものはDNAに若干の違いはあるものの、どちらも混ざり気のないイシクラゲであることがわかった。

姉川地域でイシクラゲの採取地や採取時期が限られていた理由は、より純粋なイシクラゲを採取するためであったことが想像できる。

 

一見すると同じイシクラゲでも、DNAを分析するとその正体がわかる。

一見すると同じイシクラゲでも、DNAを分析するとその正体がわかる。

 

試行錯誤の栽培、そして蕎麦との出会い

一方、玉井先生の研究室では食用イシクラゲの大量生産に向けた栽培の研究が行われていた。試行錯誤を重ねるうちに、イシクラゲはアルカリ性の土壌で、カルシウムが多く、窒素が少なく、日当たりがよい環境を好むことがわかってきた。また、栽培には水を大量に必要とするが、水道水で栽培を試みると失敗してしまった。意外なことに、イシクラゲは水道水に含まれる塩素に弱かったのだ。そうすると栽培条件は、自然の湧き水が大量に使える場所、ということになる。

「当然といえば当然ですが、姉川クラゲの故郷・伊吹山地こそ栽培に最も適した環境だったのです」と玉井先生。研究は現在も進行中だ。

 

もしこの記事を読んでイシクラゲを口にしたくなった方がいても、手近なものを自分で採取して食べてはいけないということを付け加えておこう。

先のDNA調査でもわかったとおり、手近に生えているものが純粋なイシクラゲであるとは限らないし、玉井先生によるとイシクラゲはストレス耐性が強いぶん、農薬や除草剤などの有害な物質であっても体内に溜め込むことができてしまう。それだけに安全で衛生的な食用イシクラゲ栽培をする技術の確立が期待されるのだ。

一方、そうした並外れたストレス耐性を持つだけに生理活性物質が大変豊富に含まれており、中国ではさまざまな効能をもつ漢方薬として流通している。

プロジェクトの要となる栽培方法の確立は、現在も進行中だ。

プロジェクトの要となる栽培方法の確立は、現在も進行中だ。

 

食文化、DNA、栽培の研究を経て、ここまでのプロジェクトの集大成として食品への加工を担当する食品栄養学科・朝見祐也先生の研究室にバトンが渡った。

イシクラゲと聞いて朝見先生の頭に浮かんだのは、蕎麦粉のつなぎとして布海苔という海藻を練りこんだ新潟の郷土料理「へぎそば」だった。日本の蕎麦栽培の発祥は伊吹山地といわれており、蕎麦と姉川クラゲと合わせれば格好の特産品になるだろう。

早速へぎそばを参考に実験してみると、イシクラゲからは粘りをひきだすことができずつなぎとしては使えなかったが、粉末にして生地に練りこむことで蕎麦のコシが良くなることがわかった。保存性に優れた乾麺に加工することも決まり、県内の製麺所に持ち込んで製作したのが、冒頭の試食会で振る舞われた「姉川くらげそば」だ。

普通の蕎麦より蕎麦らしい!? と好評の姉川くらげそば。

普通の蕎麦より蕎麦らしい!? と好評の姉川くらげそば。

製品化の最後にものをいうのは、実際に食べて味や食感を確かめる官能検査だ。

製品化の最後にものをいうのは、実際に食べて味や食感を確かめる官能検査だ。

 

イシクラゲは無味無臭なため、蕎麦の風味を邪魔しない。食感が良くなるほかには色が若干黒くなるが、これは「蕎麦らしさ」という意味ではプラスにはたらいた。実際、試食会に参加した各媒体からは「歯ごたえが良い」「風味が良い」「伸びにくい」といった感想が寄せられた。

試食会の他、現地調査などでお世話になった方々にもさっそく持参し、喜ばれているという。とはいえ、まだまだ試作段階だ。「今後は試食の人数を増やして、より美味しい蕎麦を目指したい」と朝見先生は語る。

 

こうして、分野を横断した姉川クラゲの研究がひとつの成果に結実した。

農業という広い世界の中でひとつの研究が他の研究と結びつき、地域の暮らしに生かされてゆく。これは、プロジェクトを通して先生方が実務面で調査を担当した学生たちに伝えたかった農学の本質だ。

 

姉川クラゲプロジェクトのこれから

プロジェクトの今後の展開は栽培方法の確立にかかっている。
大量生産の手法が確立できれば、姉川地域の農家で栽培したイシクラゲを製品化できる。蕎麦だけではなく、クセのないイシクラゲは天ぷらや炒め物などどんな料理にも合う。おまけに健康機能性も高いので、高級食材として地元の料亭で振る舞うこともできるだろう。サプリメントや化粧品にも加工できる可能性も秘めていると、玉井先生は語る。

 

姉川クラゲは、伊吹山地の自然や人々の暮らしが綴られた一冊の本のようだ。研究者たちの情熱によって解読され、新たな一章が書き加えられようとしているその物語は、私たちが身近な自然の恵みを活用することで生きてきたことを思い出させてくれる。
いつの日か、伊吹山を眺めながら姉川クラゲのフルコースを味わってみたいものだ。

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