これまで数多くのSF映画の題材になってきた、「クローン」の存在。実はアートの世界にも「クローン文化財」と呼ばれるモノがあり、展覧会まで開催されているんです。本物の文化財と見た目は同じですが、これまでの複製品とは違う……。そんなクローン文化財を制作する東京藝術大学の宮廻正明先生に、その成り立ちや、今後の展開についてオンラインでインタビュー。進化したクローン文化財には、驚きの展開が待っていました。
インタビュー前にクローン文化財を見てびっくり!
宮廻先生にお話を伺う前に、横浜そごうで開催されていた、謎解き「ゴッホと文化財」展に行ってきました(2021年7月31日~8月31日開催)。
横浜にある「そごう美術館」で行われた、謎解き「ゴッホと文化財」展
展覧会では、ゴッホの作品のほか、モネの「睡蓮の花」、セザンヌの「サン・ラザール駅」、ドガの「ダンスのレッスン」など、さまざまな名画の複製品、いやクローン文化財が展示されていました。
とくに印象に残ったのは、ゴッホが描いた「星月夜」のクローン文化財。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で本物を観たときは、深い闇を感じる美しさに、身体中に電流が走ったのですが、クローン文化財の「星月夜」もまた素晴らしく、見事な再現力にしばらく動けなくなりました。
ゴッホ「星月夜」のクローン文化財。横浜にいながら、ゴッホの「星月夜」が楽しめるのも、クローン文化財ならでは
さらに、重ねられた色を分解した展示もありました!
「星月夜」で使われている色を分解。多くの色によって成り立っていることがわかります。
クローン文化財って、こんなこともできるの? 自由過ぎませんか? と驚いてしまった筆者。早速、宮廻先生にクローン文化財について話を聞いてみようと思います!
数年かかっていた「模写」を変えたデジタル技術
まずは文化財の基礎知識から。文化財の価値は、公開によって共有できる一方、劣化の問題があるため、非公開にして保存する方が良いという、矛盾を抱えています。
しかし保存する場所や状態によっては、欠損、剥落、変色などの劣化がおこってしまうため、これまでも文化財の保存や修復がおこなわれてきました。宮廻先生によると、絵画の場合、文化財と同じものを写し描く「模写」の手法が必要になるそうです。
「これまでの文化財保存における模写は、絵の上に薄い和紙をのせて、和紙を転がしながら確認し模写をする『上げ写し』がメインでした。たとえば法隆寺の金堂壁画は、数年間の年月をかけていろいろな絵描きの先生方が模写をされました。しかし作家の先生方はみなさん、描き方に個性があるんですね。私たちが見ると『これは、誰々先生が模写されたもの』と分かることがあるわけです」
展示会には、法隆寺の金堂壁画と釈迦三尊像のクローン文化財の写真も、展示されていました
「そこで模写をする作家の個性を出さず、なおかつ本物により近づけられないかと、デジタル技術とアナログの利点を活かした、新しい手法を考えたのです。この方法ならデジタル技術を使っているため、描く人の個性が出ることもなく、オリジナル(元の文化財)の持ち味が再現されます」と語る、宮廻先生。
クローン文化財の生みの親、宮廻正明先生にオンラインでインタビュー
ちなみに文化財の最終的な仕上げは、科学分析した絵具を使うため、分析上では、ほぼ本物と同じになるそうですよ。恐るべし、最新技術!
では、この最新技術とアナログの融合で生まれたものが、「クローン文化財」なのでしょうか?
「そうですね。最初はクローン文化財という名称ではなく『模写』というかたちで発表していました。ただ、模写は英語に訳すと『コピー』。いかにこの技術がすごくても、コピーだと海外の美術館では門前払いです。
そんな時に、東京藝術大学のある上野恩賜公園を歩いていたところ、見上げるとソメイヨシノが咲いていたのです。ソメイヨシノは、接ぎ木で増えたクローン桜。ここからインスピレーションを得て、『クローン文化財』と名付けました」
東京藝術大学ならではのネーミングだったんですね。さらに宮廻先生は、クローン文化財の商標登録をおこなったそうです。
「私たちのつくったものが売買の場に出てしまうとマーケットが混乱するため、しっかりと管理する必要があります。基本的にオリジナルを持っている美術館などにしか提供していません」
実際に宮廻先生のもとには、外国からつくりかたを教えて欲しいと、いくつかの相談がきたことも。誰にでも教えてしまうとマーケットが混乱するため、控えているそうですよ。
クローン文化財は、超ハイテクアートだった
ところで、クローン文化財は、制作にどれくらい時間がかかるのでしょうか。
「『1年くらいかかります』と言ったほうが、みなさん感動されるんでしょうけれど(笑)、うちは短いんですよ。どんなに大きいものでも、数ヶ月間でつくり上げます。絵画だけでなく仏像なども手掛けていますが、今では、大きな仏像は、ロボットがやってくれています」
ロボット! 愛嬌ある人型ロボットが、宮廻先生の言葉通りに動いて、仏像をつくっている姿が浮かび、筆者の脳内は大興奮!
しかし実際のロボットは、宮廻先生いわく「美術館で撮ったデータをパソコン上でデジタル処理をして、地下室にあるロボットアームのところにデータを飛ばすと、対象物を削ってくれる」という、オートメーションタイプの、超機械的な「ロボット」でした。
ここでロボットにできないのが最終仕上げ。最後は藝大の中でも優秀な卒業生たちが仕上げを担当しています。仏像の場合、100種類以上のヤスリを使い分けて、完成させていくそう。先進技術と、東京藝大ならではの高い創作的技術力があるからこそ生まれたのが、クローン文化財なのですね。
模倣から新たな芸術を「スーパークローン文化財」で発信
インタビュー前に訪れた謎解き「ゴッホと文化財」展では、マネの「笛を吹く少年」が立体再現されていたり、1945年に空襲で焼失したゴッホの幻の名作、通称「芦屋のひまわり」が甦っていたり、ふつうでは考えられない展示物もありました。
左がマネの「笛を吹く少年」の立体再現、右は油彩画のクローン文化財
こちらの説明書きには「スーパークローン文化財」と書かれていたのですが、スーパーなクローン? これまで話に出てきた「クローン文化財」とは、どう違うのでしょうか。
「クローン文化財は、いかにオリジナルに近づけるかを目指してつくられます。一方、スーパークローン文化財は、オリジナルを“いかに超えるか”を目指しているのです。
たとえば、法隆寺金堂の国宝・釈迦三尊像の背後にある『大光背』。飛天と呼ばれる天人が取り付けられていたと考えられる痕跡が残っていたため、飛天も復元しました。このように欠損、剥落、変色などを元の状態に戻したクローン文化財を『スーパークローン文化財』と呼んでいます。
日本画の世界では一般的に、オリジナルの上に描き足すこと、付け足すことはタブーとされています。そこで私たちは、オリジナルとほぼ同じクローン文化財を制作して手を加えているのです。オリジナルを痛めずに、完成した当初の姿を再現しているわけです」
クローン文化財とスーパークローン文化財には、そんな違いがあったんですね。ではなぜ、スーパークローン文化財は、オリジナルを“超える”必要があるのでしょうか。
「芸術を模倣し、変容させ、超越することで、新しい芸術が生まれます。今、重要文化財などで残されている文化財も、かつて中国や韓国から渡ってきた芸術を模倣することから始まっています。そして19世紀後半から、西洋諸国で浮世絵が注目され、ジャポニズムと言われるまでになったのです」
“模倣”は、文化を躍進させる可能性を秘めているんですね。
「私たちは、デジタルとアナログを融合させてクローン文化財をつくりました。クローン文化財は、いかに現存するオリジナルの状態に近づけるかを考えてつくります。ところがそれでは、浮世絵から誕生したジャポニズムに達しないわけです。要するに、模倣の後、変容させ、超越できていない。そこでオリジナルの現状を超越した、スーパークローン文化財をつくりました」
空襲のため焼けてしまった「芦屋のひまわり」を復元した、スーパークローン文化財。このように、失われてしまった絵画を復元できるのも技術があってこそ
「欠落したものを修復するなどの場合は、美術史や保存科学の分析をおこなう先生方の意見を聞いて反映させていきます。その中でも大事にしていることは、聞く耳を持つこと。展示中に『ここが違う』とご指摘があれば、精査し謙虚に取り入れています。
ですからスーパークローン文化財には、最終版がありません。資料と現在の能力を最大限に詰め込んだものをつくっていくのです。もし修正がある場合も、デジタルを活用しているため、従来に比べて簡単に直せます」
お話を伺うまでは、クローン文化財やスーパークローン文化財は、芸術を後世に残すための手段の1つと考えていました。でも実際は、1つの芸術作品として成り立ちつつ、進化もできる。新しい概念の芸術なのですね。
スーパーから進化! ハイパー文化財は完全にSFの世界!
2021年10月4日~10日には、東京・丸ビル「藝大アーツイン丸の内2021」で、クローン文化財、スーパークローン文化財のほかに、ハイパー文化財が展示されました。
このハイパー文化財とは、どのあたりがハイパーなのでしょうか?
「ハイパー文化財は、現実にないものをつくりたいという考えで制作しています。奈良の法隆寺の釈迦三尊像は、門外不出なので本堂から出たことはありません。これをクローン文化財としてつくり、富山県高岡市で人の目に触れることができました。『現在』の釈迦三尊像をクローン文化財としてつくったので、次に『過去』、つまり欠損や変色した箇所を修復したスーパークローン文化財を制作しました。
『現在』と『過去』の釈迦三尊像ができ、次は何をするか。『未来』をつくらないといけないと私たちは考えました」
未来をつくる? まさにSFの世界ですが、一体、未来の釈迦三尊像とは……。
「我々は釈迦三尊像の未来を、ガラスとアクリルでつくりました。仏様の頭にある螺髪(らほつ)は、右巻きの渦巻きになっています。しかし世の中を見ても、渦巻き型の髪の毛は見たことないでしょう? パンチパーマはありますけどね(笑)」
たしかに、仏様レベルの渦巻きヘアの人に、出会ったことはないですね。
ガラスとアクリルでつくられた釈迦三尊像のハイパー文化財/画像提供:東京藝術大学COI拠点
「しかも、最初につくられたオリジナルの頭は青く塗られているという文献がありますが、実際は青い髪が地毛の人はいません。ではなぜ仏様の頭が渦巻いて青いのかと考えました。
釈迦三尊像の頭の青は、空や水と同じ青です。永遠につながると色は青くなるのです。
これをヒントに、下から光を当てると頭の渦巻きから天井に星が現れる、ガラスの釈迦三尊像をつくったのです。このように『未来』を想像して現実にないものをつくるのが、ハイパー文化財です。芸術と仮説と妄想ですね」
ちなみに「藝大アーツイン丸の内2021」では、スーパークローン文化財(過去)、クローン文化財(現在)、そしてハイパー文化財(未来)と3体の釈迦三尊像が並び、展示されました。
「藝大アーツイン丸の内2021」で展示された、3体の釈迦三尊像。左からスーパークローン文化財(過去)、ハイパー文化財(未来)、クローン文化財(現在)/画像提供:東京藝術大学COI拠点
門外不出の釈迦三尊像に加えて、時空を超えた3体も外に出るなんて、クローンだからこそできること。そもそも、本物は1体しかないので、“並ぶ”こと自体、本来はファンタジーの世界です。
クローン文化財を、地域の人材育成につなげたい
先ほど話にも出た、富山県高岡市でお披露目になった法隆寺の釈迦三尊像のクローン仏像には、同市の銅器鋳造の職人さんたちが携わったそう。
「藝大にも工芸科があるためブロンズ像はつくれますが、高岡市は鋳物のプロがいる地域なので、お願いしました。
法隆寺の釈迦三尊像をつくるにあたり、これまで独自で仕事をされていた職人さんたちが、一つになり共同作業で制作したのです。今まで自分たちの技術を表に出さなかった職人さんたちが、この釈迦三尊像の制作によって協働するコミュニティができたことは、良かったですね」
職人さんたちの技術向上や地域活性につながる、いい取り組みですね。
「たしかに、一緒につくることで技術が進歩したと思います。地域のみんなで力を寄せあって、法隆寺の釈迦三尊像をつくって、観に行って。地域が栄える1つの大きな礎になったのではないでしょうか」
では最後に、宮廻先生の今後の展望を教えてください。
「最終的な目標として、人材育成ができればと考えています。ミャンマーやアフガニスタンなど、文化財の破壊や流出がある地域で、信頼できる人や機関に私たちの技術を伝えて、その地域の人たちで文化を守れたらいいなと思っています。ただ戦争などの影響でそれは実現していません。またルールが浸透しなければ量産されてしまい、マーケットは混乱します。その辺りの仕組みがしっかりした段階で、考えていきたいですね」