コロナ禍以降、「ポストコロナ」という言葉がしばしば使われます。
ほかにも、政治ではポスト安倍やポスト菅、思想運動ではポストモダン、ポスト構造主義など、さまざまな分野でさまざまな〈ポスト〉が溢れています。
〈ポスト〉とは、ラテン語で「~の後」を意味する接頭辞。
今回は「ポストヒューマンの後に誰が来るのか?」というなんだか気になるタイトルのオンラインシンポジウムに参加してみました。
ポストヒューマンをテーマとする連続シンポジウムの最終回
今回参加したのは、成城大学グローカル研究センターが主催する全5回のシンポジウム「ポストヒューマニティ時代の身体とジェンダー/セクシュアリティ」の最終回。
「〈ポスト〉の思想——ポストヒューマンの後に誰が来るのか?」というテーマで開催されました。
第1回~4回のシンポジウムでは、ポストヒューマンをキーワードに、トランスジェンダーアスリート、フェムテック、生殖技術、シンデレラテクノロジーというテーマを取り上げてきました。最終回となる今回は、関西大学文学部総合人文学科教授の門林岳史さんが登壇し、これまでの回を総括としてお話されました。
【第1回のレポート】スポーツにおける多様性とは?成城大学の公開講座でLGBTについて考える。
【第2回のレポート】いま注目が集まるフェムテック。その可能性とわかりやすさゆえの罠とは?
【第3回のレポート】不妊治療大国・日本における生殖技術の課題と可能性とは?
【第4回のレポート】女の子の「盛る技術」を支援する、シンデレラテクノロジーの世界をのぞいてみよう!
登壇者プロフィル
門林 岳史さん
関西大学文学部教授。専門分野はメディア研究、美学・芸術学、社会学。著書に「クリティカル・ワード メディア論 理論と歴史から〈いま〉が学べる」(共著、2021年)などがある。
フェミニズムの流れを汲む批判的なポストヒューマン
門林さんは、この全5回のシンポジウムの企画のベースとなっている書籍、ロージ・ブライドッティ『ポストヒューマン 新しい人文学に向けて』の翻訳者の一人。初めに自己紹介として、2008年に学会誌『表象』でポストヒューマン特集の企画・編集を担当したことなど、自身とポストヒューマンのこれまでの関わりについて説明します。
ただし、門林さんの主な研究領域はメディア論。自身が専門として引き受けようとしているのは、ポストヒューマンではなくポストメディアという概念だと言います。
「ポストメディアという概念を思考する中で、そもそも〈ポスト〉とは何かを根本的に考えなければいけないと、ずっと思ってきました。今日は、ポストメディアという概念の〈ポスト〉を通じて考えてきたこと、その構想の一部をお話しようと思います」
まず初めに「ポストヒューマンの論点」と題して、ポストヒューマンから派生するさまざまな用語を整理します。
門林さんが取り上げたのは、ポストヒューマン、ポストヒューマニズム、ポストヒューマニティ、ポストヒューマニティーズという4つの用語。これまでの4回のシンポジウムでも使われていた用語ですが、筆者はあまり違いがわからず混同していたので、今回は初めに用語解説があったことで理解の助けになりました。
特にわかりやすかったのは、ポストヒューマンについての解説。人間がコンピュータテクノロジーと接続されて、これまでの人間の知性よりも優れた知性のあり方を発揮するようになるかもしれない、という未来志向で楽観的なポストヒューマン観がある一方で、テクノロジーの発展が人間の本来のあり方を揺るがしてしまうのではないかと警鐘を鳴らす論者もいると、門林さんは説明します。
「僕自身が関心を持って追ってきたのは、両者のどちらでもなく、両者に対して批判的な目を向けるような、いわば批判的なポストヒューマンという立場。ダナ・ハラウェイからキャサリン・ヘイルズ、さらにロージ・ブライドッティへと引き継がれてきた論点です。これははっきりと言っておいたほうが良いことだと思いますが、フェミニズムの理論的な展開の中から出てきたものです。ポストヒューマンをただ肯定あるいは否定するのではなく、批判的に捉えることによって、私たちは今どのような存在であるのかを思考しようとする。そうした運動に僕自身は関心や共鳴を持っています」
〈ポスト〉の思想をたどりながら、ポストヒューマンを考える
続いて門林さんは、今回のシンポジウムの主題である「〈ポスト〉の思想」について、ポストヒューマン、ポストモダン、ポスト構造主義、ポストメディアといった用語を例に挙げながら、〈ポスト〉という接頭辞によって考えられていることとは何かを考察していきます。主に取り上げられたのは、ポストモダンについて。〈ポスト〉という言葉が何らかの逆説を孕んでしまうような状況について、ポストモダンをめぐるさまざまな言説を紹介しながら解説してくれました。
さらに、シンポジウムの副題である「ポストヒューマンの後に誰が来るのか?」について、ジャン=リュック・ナンシーが編んだ『主体の後に誰が来るのか?』という本を参照しながら考察。この本では「主体の後に誰が来るのか?」というナンシーの問いかけに対して、さまざまな論者の回答が寄せられていますが、シンポジウムの中ではジル・ドゥルーズとジャック・デリダの回答が紹介されていました。
哲学者たちの言葉の引用が続き、筆者にとっては難解に感じる内容でしたが、印象的だったのは最後に引用されたブライドッティの言葉。
「ブライドッティは著書『ポストヒューマン』の中で、『わたしは、ポストヒューマン的窮状を、思考・知識・自己表象についてのオルタナティヴな図式の追及に力を賦与する(エンパワー)契機と捉える。ポストヒューマン的状況は、わたしたちが実際に誰に、そして、何に生成変化しようとしつつあるのかについて、批判的かつ創造的に思考するようわたしたちを駆り立てているのである』と書いています。つまり、私たちは主体という概念をもう1回練り直さなければならないと、非常に力強く言っているんですね」
「エンパワーする契機」「批判的かつ創造的に思考するよう駆り立てている」という言葉から、これまでの4回のシンポジウムで見てきたケーススタディが思い起こされ、批判的なポストヒューマンが持つ力強さや希望が感じられました。
ポストヒューマニティ論の中核論点とは
シンポジウムの後半では、成城大学グローカル研究センターPD研究員の竹﨑一真さん、成城大学社会イノベーション学部教授の山本敦久さんも加わり、3人でのディスカッションが行われました。
自身の著書『ポスト・スポーツの時代』をまとめる際、ブライドッティの本も参考にしたという山本さんは、「今日のお話を聞いて、〈ポスト〉とは時間や空間を複数化することで、前のものを批判的に捉え返し、まだ新しい概念が見つからない状態のまま次に向かっている移行状況を創造的に考えることなのかなと思いました」とコメントしました。
参加者からは「ポストヒューマニティ時代において、教えるという業務がもはや簡単には成り立たないことが想像できるが、ではどのように学ぶことが可能なのか」「VRやARも含め、ポストリアルな時代にポストヒューマンはどうなっていくのか」といった質問が寄せられ、3人での議論が進んでいきました。
議論の終盤では、「ヒューマニティの時代における主体はヨーロッパ人男性に限られていて、ポストヒューマニティの時代には女性や多様な性自認を持つ者も主体性を獲得していく。その点において、ジェンダー/セクシャリティはポストヒューマニティ論の中核論点だと思いましたが、この理解は妥当でしょうか」という質問があり、門林さんは「その通りです」と回答。
「ポストヒューマンをめぐる議論は、基本的にフェミニズムから始まっている。男女に固定された性区分がおのずと崩れているような時代の状況を指摘するための概念でもあり、あるいは性区分を積極的にかく乱させていくための概念としても使われています」(門林さん)
このお話を受けて、「まさに今回の一連のシンポジウムを端的にまとめたような質問とコメントだと思います」と竹﨑さんも同意していました。
その後も議論が尽きない中、あっという間に終了時刻に。第1回~4回はケーススタディが中心だったのに対して、今回は理論的なお話が中心だったため、難しく感じる部分はありましたが、頭の中がぐるぐるとかき回されるような刺激的な時間でした。
ジェンダーやセクシャリティについては、最近はメディアで取り上げられることも多く、もともと関心は持っていましたが、今回の一連のシンポジウムでさまざまな議論や最新の研究にふれることができ、より興味が深まりました。