スマホやパソコン、印刷物や街の看板など、わたしたちの日常には広告があふれています。看板、チラシやロゴマークなど、現代の広告の元祖ともいえる宣伝媒体はすでに江戸時代に現れていました。
当時、こうした広告メディアの役割を担っていたのが浮世絵です。浮世絵といえば北斎や広重の風景画や美人画などを思い浮かべますが、浮世絵には開店やセールの告知を目的に描かれたもの、また遊びとして人気を集めた謎解きの絵などもあり、いずれも現代のグラフィックデザインや広告表現に通じるものがあるといいます。
グラフィックデザインの視点からこうした浮世絵にアプローチする講座「江戸の文字と絵~グラフィックデザインの視点から読み解く浮世絵~」が共立女子大学・共立女子短期大学で行われ、視聴してみました。講師は共立女子大学家政学部准教授で、デザイン学を専門とする田中裕子先生です。
田中裕子先生 🄫学校法人共立女子学園
今見ても斬新 江戸の広告
200年以上にわたり平和な時代が続いた江戸時代、商工業の発展とともに多様な宣伝物が登場しました。
まずはちょっと目を引く看板をご覧ください。下は京の町の様子が描かれた『洛中洛外図屏風(舟木本)』の一部です。髪を結う人、その向こうに、クシや赤い紐のついたはさみのようなものが描かれたものが見えます(点線内)。
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文字が一文字も書かれていませんが、「絵看板」とよばれるものです。髪結い床(理髪店)を表しています。
下は、大坂の薬種問屋が江戸に出店したことを知らせる引札(チラシ広告)。腹痛、のぼせなどの薬効や商品名、店の所在地などが書かれています。
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絵の左右に、小さな屋根の下に商品名の入った看板が描かれています。店頭に柱を立てて掲げる「建て看板」とよばれるもので、遠くからでもお店があるとわかります。公道に柱を立てるため幕府の許可が必要で、メンテナンス費用もかなりかかったとのこと。この店は看板だけでは足りずに、引札を刷って宣伝していたというわけです。
引札はもとより宣伝を目的としていますが、中には美人画に便乗した広告もあったようです。下は『大丸屋前の三美人』(歌川国貞画)で、店の商標(ロゴマーク)が染め抜かれたのれんを背に、当時の最新ファッションの江戸小紋を着た芸者が描かれています。
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大丸呉服店は当時の江戸を代表する大店。「店の軒下にかかる暖簾に白抜きロゴマークがきわだち、力強い書体と着物の細かい柄とのコントラストが見事」「ロゴマークと美人の重なり具合も絶妙」と田中先生。のれんのすき間からは店の奥で反物を売っている様子が見え、美人画ではありますが「実質は新商品の宣伝」(田中先生)。大丸呉服店と浮世絵の版元が提携し、制作費を折半して作られたと考えられています。
元祖・推しアイテム
浮世絵で美人画とならんで人気だったのは、歌舞伎役者の絵です。江戸時代、役者などの胸から上の部分をドーンと誇張して描いた大首絵が人気になりますが、その元となったと考えられているのが、下の「扇絵」と呼ばれるもの。歌舞伎役者の上半身が描かれています。
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線に沿って切り抜き、扇にできるほか、屏風やふすまに貼ってインテリアとしても楽しむことができます。作者の勝川春章は葛飾北斎の師匠でもあった人。春章の扇絵はそれまで定型的に描かれていた役者の個性をとらえ、半身像として描いた点が画期的だったといわれています。
これに似たものとして、うちわに人気役者が描かれた「団扇(うちわ)絵」も見せていただきました。
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現代の人が推しのコンサートに持参するうちわの元祖でしょうか。現代人と変わらぬミーハーぶりが興味深いです。
江戸のマルチクリエイター
こうした広告や推しアイテムは、浮世絵師が今でいうデザイナーやイラストレーター、戯作者(小説家)がコピーライターのような役割で制作されましたが、中には自分の店の商品やラベル、包装紙などをデザインし、店全体をプロデュースするアートディレクター兼マルチクリエイターのようなことをしていた人もいました。それが山東京伝という人です。
山東京伝は絵師でしたが、小説などの読み物を出版して人気作家となり、現在の銀座一丁目でキセルと紙たばこの入れ物を売る店を経営していました。京伝が自らデザインする煙草入れのデザイン、ラベル、包装紙やチラシなどは「京伝好み」と呼ばれ、評判のブランドだったようです。
たとえば下は、京伝によるチラシ(引札)です。しかし、ただのチラシではありません。絵と文字がまじった「謎絵」入りのチラシです。
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さて、この意味するところは? 冒頭の読み解き方を教えていただきました。
下図の赤枠内、上の方に浮いて見える黒っぽいものは錠前、その下で煙を上げているのは香炉です。
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煙の左側にレ点(返り点)がついているので、錠前と香炉をひっくり返して「口上(コウジョウ)」。一行目は「はばかりながら口上」、次の行は「まずもって おのおの様 ますますご機嫌よく…」と続きます。
書かれている内容は商売繁盛のお礼と今後の贔屓を願うものですが、これで商品を包装して客に配ったところ、引札欲しさの客が殺到したそうです。
18世紀の江戸の識字率は同時代の他の国の都市と比べても高く、70%を超えていたといわれます。寺子屋が普及していて文字を読める人が多かったことが、さまざまな広告があふれていた背景にあるようです。
脱力必須 「遊び絵」の世界
講座の後半は「江戸の文字絵と遊び絵」を紹介いただきました。文字絵は「へのへのもへじ」でおなじみですが、絵文字は絵で文字を表現するものです。下の参考画像では猫がいろんな恰好をして文字を形づくっています。
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自然に描かれていて感心します。一方、人間がちょっと無理のあるポーズで表した絵文字も見せていただきましたが、それはそれで「こんなポーズ、人間にはできない」という感じで笑えます。
遊び絵には、なぞなぞに仕立てられたものもあります。「判じ絵」とよばれるもので、たとえば下の『江戸名所はんじもの』(歌川重宣)では、絵で江戸の地名をあらわしています。
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いくつか読み解き方を教えてもらいました。
(図の上)カサに「あ」と「か」の字が書かれています。
(右下)輪の内側に「ふ」の字が書かれた将棋の駒。そして蚊が二匹描かれています。一匹には濁点「゛」がついています。
(中央下)葉が四枚、それぞれ濁点「゛」がついています。
答は、出てきた順に「あかさか(赤坂)、ふかがわ(深川)、しば(芝)」。
さらに力の抜けそうな判じ絵がぞくぞくと登場しました。
下も江戸の名所案内図で、真ん中の円は江戸城にあたります。
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いくつかの絵を見てみます。
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江戸城のそばに象が描かれています。体の半分は門から出ています。
半蔵門です。
その少し上を見ると
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左上の方では、板が川に浮いているようです。
その右下には、開いた本と、煙の上がる香炉が。
答は、順に「板橋、本郷」です。
こういった具合で、際限なく楽しめるつくりになっています。
こうした遊び絵は庶民の間で大流行。判じ絵など浮世絵一枚の値段はかけそば一杯分くらい(300~500円)で、版元(今でいう出版社)と関わりのある書店で売られ、町人から殿様まで老若男女が購入できたそうです。
今回紹介された浮世絵はメリハリの効いたデザインが小気味よく、とくに遊び絵は描く人自身が面白がって描いていることがうかがえて痛快です。インパクトがあって人を楽しませる江戸の浮世絵、そしてクリエイターの才能と遊び心に脱帽です。