贋作や偽文書、最近ではフェイクニュースなど、いつの時代にも世の中にはニセモノが存在し、関わる人を惑わせるわけですが、つい最近までホンモノとして信じられていた文書群があることをご存知でしょうか。それが「椿井文書(つばいもんじょ)」です。一体どのような文書なのか自分の目で見たくなり、大阪大谷大学博物館の春季特別展「椿井文書をめぐる人々―拡散する偽文書-」に訪れ、特別展にあわせて4月15日(土)に開催された博物館講座「尾張椿井家文書の史料的価値」も聞いてきました。
*冒頭の絵図は、椿井文書の一つとされる「河州石川郡磯長山寺伽藍全図会」(個人蔵)
研究者さえ騙されてしまった、江戸時代のフェイク
大阪大谷大学博物館では春と秋に特別展を開催しており、特別展期間中は一般の人も見学することができます。やや照明を落とした春季特別展会場内には、家系図や書状、巻物、絵図などが展示され、多くの人たちが一つひとつの展示物にじっくりと見入っていました。中には「確かにこの辺りの文字は……」などとつぶやく人もいて、歴史好きの方々の熱い思いが伝わってきました。
家系図や書状、巻物、絵図など、約40点のが展示されている
そもそも「椿井文書」とは何でしょうか。会場にあった説明によると、江戸時代後期に山城国相楽郡椿井村(現在の京都府木津川市)出身の椿井政隆(1770~1837年)が創作した偽文書群の総称とのこと。実際には江戸時代につくられたにも関わらず、中世に作成されたという体裁をとっています。ホンモノの中世史料として研究者が用いたり、町おこしに使われた例もあるというので、椿井文書が与えた影響は大きいといえます。今回の特別展は、椿井文書の特徴はもちろん、偽文書が拡散された経緯や背景が垣間見られるものとなっていました。
偽文書をつくる動機は、家や地域を由緒正しく見せたり、何らかの出来事の正当性を高めたり、あるいは売買が絡むのであれば金銭目的などが考えられます。椿井文書がつくられたのも同様に「うちが本家本流だ」と主張することが主な目的だったようです。また、権威づけを求める寺社などの依頼に応じて系図や絵図を作成するケースもあったといいます。そうして創作された文書は、なんと1000点以上にものぼるのだとか。
今回展示されているのは40点ほどですが、びっしりと書かれた文字や精緻な古地図などから察するに、作成するには相当なエネルギーが必要だったでしょう。文書によっては、書き足したような印象が出るようにあえて途中から筆跡を変えていたり、さまざまな用紙を使ったり、巻物の装丁を古めかしく演出していたり、さまざまな工夫が見られます。寺社や古城跡の周囲を描いた絵図などは、実際の地形とも合致していたようで、現地まで行ったのだろうかと椿井政隆の熱量や妄想力には感心するばかりです。
一人の人物が作成したと疑われないよう、さまざまな布や紙を使用していた
一方で、冗談でつくったと言い訳できるようにするため、実際には存在しない日付を用いたり、名前と花押の位置を微妙に変えたりするなどの細工も随所に散りばめられています。「フェイクだ!」と突っ込まれた際の対策まで考えているとは、なかなか抜け目がないといえます。
椿井文書は、こうした巧妙な技術を駆使して作成されたことや、椿井政隆本人ではなく第三者が販売したことなどから信ぴょう性が高まり、広く拡散したと考えられています。そして、ホンモノとして近畿の自治体史などに使われ、研究者が活用することになったのでした。
「筒城天王宝堅流記」(大阪大谷大学図書館蔵)
偽文書も、作成時の歴史観や思想を分析する役に立つ
特別展で椿井文書の実物を楽しんだ後は、同館2階で博物館講座「尾張椿井家文書の史料的価値」を聴講しました。講師の馬部隆弘先生は2023年3月まで大阪大谷大学で教鞭を取り、現在は中京大学文学部の教授を務めています。椿井文書が話題になったのは、先生の著書『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中公新書/2020年3月刊)が世に出てから。この講座では、尾張椿井家文書を中心に、著書刊行後の研究でわかったことをお話しくださいました。
博物館講座で熱弁をふるう馬部隆弘先生
椿井家は、戦国期には山城国一揆にも関わったと考えられる家でしたが、その後各地に仕えるようになります。先生の研究から、尾張藩の重臣に仕えた尾張椿井家、徳川家に仕えた旗本椿井家、椿井政隆の属する山城椿井家は交流があったことが判明しました。3つの椿井家は、家系をめぐって主張が食い違っており、椿井政隆は山城椿井家を本家だと装うために尾張椿井家へ偽文書を送っていたと考えられます。
ところで、ニセモノとわかった時点で偽文書に価値はなくなるのでしょうか。ニセの情報からは正しい歴史がわからないので、もう研究する意味はなくなるのでは?という疑問が沸きます。
馬部先生は「研究者も長らく偽文書の史料的価値を見出していませんでした。ただ、ここ最近は偽文書に対する視線が変わってきています。作者の歴史像や思想を分析する素材としては有効なのです」と話します。椿井政隆が生きてい江戸時代、人々は何を重んじていたかが偽文書から読み取れるというのです。文書の真偽だけでなく、ニセモノをつくってまで表現したかったことを考えると、その時代や人物像を少し身近に感じられるような気がします。
あいにくの雨にも関わらず多くの歴史愛好家が聴講
尾張椿井家文書には、尾張椿井家に代々伝わってきた古文書もあれば、椿井政隆から送られた家系図や古文書があるのですが、それらを研究していると、「どこからが嘘で、どこまでが本当なのか混乱することもある」と馬部先生。そんな迷宮にはまってしまうような感覚も偽文書研究の面白さのひとつかもしれません。
これだけ偽文書について語りながら、実は、馬部先生は江戸時代や椿井文書が専門ではないというので驚きました。主なテーマは戦国期の畿内政治史で、「椿井文書はあくまで趣味で、本当の研究は細川氏綱や玄蕃頭国慶(細川国慶)」と馬部先生。細川国慶が三度の飯より大好きだと話します。でも、趣味で続けている偽文書の研究によって専門分野の細川国慶に関する大きな発見があったそうで、嘘から出たまことではありませんが、これもまた驚きです。
講演後、少し時間があったので再び博物館へ。あらためて偽文書を見ながら、椿井政隆のいた江戸時代とはどのような時代だったのかとか、椿井政隆は意外と偽文書づくりを楽しんでいたのかも?などと思いを巡らせました。椿井文書は、令和の人間も引き付ける魅力があるようです。
なお、大阪大谷大学博物館の令和5年度春季特別展「椿井文書をめぐる人々―拡散する偽文書-」は6月19日(月)まで入館無料で開催されています。興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。