ファッションの分野では、「カジュアル」「かわいい」「フォーマル」など、さまざまな表現が用いられ、ユーザーは、これらのキーワードを参考に自分に合った服を購入する。しかし、趣味嗜好に大きく左右されるそれらの表現は曖昧性を多分に含んでおり、例えばカジュアルさの度合いや「少しフォーマルに寄せるとどうなるか」などの判断は、個人の感覚に基づいて行われることが定石とされてきた。
実際、雑誌やテレビなどのメディアでよく使用される「◯◯系のフォーマル」「カジュアル寄りの◯◯」などの表現は、もともとファッションへの関心が低い人にとっては大きな壁となり、さらにファッションを敬遠する要因にもなりかねない。衣服という日常的に使用するものだけに、手軽にアドバイスしてくれるサービスなりメディアがあれば、例えば「(オフィスカジュアルって言われても)何を着ればよいのか分からない」といったフラストレーションを軽減できるのではないだろうか。
こうしたファッションの曖昧な表現を機械学習させ、コーディネートのアドバイスや解説を行うAI「Fashion Intelligence System(ファッションインテリジェンスシステム)」(以下、FIS)を研究開発したのが、早稲田大学理工学術院の大学院生で、ZOZO研究所のメンバーでもある清水良太郎さんが所属する研究グループだ。
清水さんが所属するのは、機械学習の分野で日本でもトップクラスの研究実績を持つ早稲田大学理工学術院の後藤正幸教授の研究室。後藤教授のバックアップのもと、ZOZO研究所のメンバーとともに開発したシステムについて、後藤教授と清水さんに詳しく話をお聞きした。
後藤教授(左)と清水さん(右)(本研究成果について発表した『2023年度 人工知能学会全国大会』にて)
後藤正幸/早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科教授
専門は、データサイエンス、ビジネスアナリティクス、機械学習、情報統計、情報数理応用。情報数理やデータサイエンスの基礎研究に取り組みつつ、経営工学分野、経営情報分析の広いテーマに取り組む。先進的データ分析モデルを駆使したビジネスアナリティクスを中心に、主にビジネスドメインにおける先進的なAIや機械学習の活用と分析技術の改良を通じて、データサイエンスの高度化に向けた研究に取り組んでいる。
清水良太郎/ZOZO研究所にリサーチサイエンティストとして所属、および早稲田大学理工学術院博士課程に社会人ドクターとして在籍中
2019年、早稲田大学大学院創造理工学研究科経営システム工学専攻を修了。株式会社ディー・エヌ・エーでソフトウェアエンジニアとして勤務した後、2021年1月にZOZO研究所に入所。リサーチサイエンティストを務める。2021年4月より早稲田大学大学院 創造理工学研究科 経営システム工学専攻 後藤研究室に在籍し、社会人ドクターとして「機械学習に基づく消費インテリジェンスの獲得とビジネス応用に関する研究」をテーマに研究に取り組んでいる。
ファッションへの苦手意識を克服するために生み出した新たなAI領域
AIがファッション特有の曖昧な表現を自動で解釈するFISの画期的なシステムは、どのようにして生み出されたのか。研究・開発が始まったきっかけは、意外にも清水さんのファッションに対する苦手意識に起因しているという。
「私は昔から服装に無頓着で、これまでの人生、服がダサいと言われ続けてきました。おかげで大学に入ってからは、すっかりファッションを敬遠していました。
しかし、そもそも自分はなぜ、ファッションに苦手意識を持っていたのかということを振り返ると、『オフィスカジュアル』『きれいめカジュアル』『大人カジュアル』など、ファッションを表現するための言葉には曖昧なものが多く、それらが一般的に使われていることに対して気味悪さを感じているという結論に達しました。
それならば、このもやもやした気持ちを自分の研究分野であるAIで解決できないかと思ったのが、研究を始めることになった大きなきっかけです。」
清水さん
FISの開発研究は2020年に開始されたが、早稲田大学理工学術院とZOZOはさらに時期を遡り、2017年から共同研究を開始している。その背景には、両者が技術の社会還元という目的を共有していたことがある。
「近年、ファッション系のECサイトでもユーザーの閲覧や購買履歴などの情報を元に適切な商品を提案するシステムなど、さまざまな場面でAIを利用した機械学習が導入されています。
ZOZO研究所でも研究成果を実装に結びつけて社会に還元することを最終的なゴールの一つとしており、よりビジネスへの応用を進めたいという目的が、機械学習の実績を持つ大学の研究室と一致していました」
とはいえ、今回の研究テーマに至るまでには紆余曲折があった。研究テーマの設定では、既に世の中にある研究にひっぱられがち。どうすれば、これまでにないコンセプトのものにできるか悩んでいたところ、研究室の後藤教授からのアドバイスで、ZOZOグループのファッションに関する膨大なデータを使うことで清水さん自身のファッションに対する悩み・疑問を解決するという研究のビジョンを明確にすることができたという。
AI研究領域のトップランナーが技術を結集。曖昧な表現も理解可能に
FISの研究開発にあたり、データの集積源として使用したのが、ZOZOが提供するファッションコーディネートアプリ「WEAR」だ。
ユーザーがコーディネートの画像に説明文やタグを付与して投稿するアプリで、ここで蓄積されたデータをもとにAIの学習とシステム構築が行われた。
ファッションコーディネートアプリ「WEAR」のサービス紹介ページよりキャプチャ
ファッションコーディネートアプリ「WEAR」画面(例)
清水さんは「ファッションの分野でAIを利用してシステムを作る場合、ファッションに対する感性が洗練されている方が完成度が高くなると考え、学習させるデータは“量より質”を念頭にデータ選定・抽出にあたりました。
今回はWEARを使用することにより、約2万件もの信頼性の高い投稿データを集めることができ、その結果『このファッションを少しフォーマルにするとどうなるか?』『このファッションは、どれぐらいカジュアルか?』『このファッションのどのあたりが大人カジュアルか?』といった質問に対し、具体的な答えをAIで示せるようになりました」
FISの提案システム(イメージ)。トライ&エラーを繰り返して精度を高めていった。
コーディネートへの質問に対し、的確な回答を提示するFIS。どのような仕組みで精度の高い受け答えを実現させているのだろうか。
後藤教授は「たとえば、人の身長が高い、低いというものは順番をつけられますよね。ただ、何センチからは身長が高い、低い、ということが決められているわけではありません。
今回、FISの開発で行ったことも、たとえば服装が『フォーマルか、フォーマルでないか』を決めるのではなく、服装のフォーマルな人の順に並んでもらうことができるようにするイメージです。
そのために、どのくらいフォーマルかを数値で表し(定量化)、人によって多少ちがいはあっても『この辺りが、みんなの考えるフォーマルですね』と、一般の人が合意できるような学習をさせています」
ここでいちばん重要なことは、先述のように学習データとして信頼のおけるデータを選定すること。そして、「どのくらい○○か(カジュアルか、フォーマルか、など)」を学習させるための数式の最適化だという。
清水さんは「ユーザーの投稿内容を学習し、検索精度などに関して一般的な定量評価を実施するだけでなく、AIの回答のクオリティを上げるため、過去にファッション業界で働いていた経験のある方々などの専門家や、自信がなかったり専門的な知識を持ち合わせていなかったりする非専門家の方々にもアンケートを取るような検証を実施したりもしています。
たとえば、一枚のコーディネート画像には前景(モデルの人物)や背景(建物や景色など)が含まれており、さらにその前景の中には様々なパーツ(帽子、頭、シャツ、腕など)が含まれています。ファッション画像を学習する際は、これらの特徴を詳細に捉えてあげる必要があります。コーディネート画像の特徴を上手く抽出した上で、それらとタグ(「カジュアル」「フォーマル」など)の関係性がどのようになっているかを学習します。
さらにAI学習で算出された数値と正しい値の誤差を計算する損失関数を、どのようにデザインした上で最適化を行うかが極めて重要です。私は、学習モデルや損失関数のデザインをメインで担当しました」
後藤教授によると、この損失関数のデザインというものが「絶妙な職人技」なのだそうだ。
研究成果により、ファッションのハードルを低く
ブラッシュアップを重ね、社会実装への期待も高まっているFISは、今後、ファッション業界全体のサービスを向上させるオープンイノベーションとしての活用が期待されている。清水さんが思い描くFISの進化や展望は、どのようなものだろうか。
清水さん
「ファッションに関して自分の抱いていた悩み・疑問が、結果的に『曖昧な表現をさまざまな方法で解釈する』という、これまでAIが踏み込んでいなかった領域まで広がったことは驚きであり、うれしい出来事でした。
まずは、私のようにファッションに苦手意識を持っている人に利用してもらい、ファッションへの意識を変えてもらえたらと思います」
「研究を重ねていくうちに、ファッションの定義が感覚的なものだけでなく、数値化できる部分もあるということが分かり、私も長年抱いていたファッションに対する苦手意識を払拭することができて、今でははっきりと『ファッションが好き』と言えます。FISによって今日着る服に迷わないなど、ファッションの悩みを軽減することに少しでも寄与できれば嬉しいです」
AIは専門的な情報を学習すると知識が蓄積され、どんどん賢くなっていく。今回は女性のファッションを対象にデータを集積したが、今後は男性やキッズ、シニアなど幅広い層のデータを集積し、よりバリエーション豊かな受け答えができるよう進化させていきたいという。
後藤教授は今回のFISの研究について、「単に手法を開発したというだけでなく、感覚的な表現を数値化し、アプリで活用するという新しい研究領域を開拓した点が画期的」と話す。
FISにより、ファッションへの苦手意識を克服した清水さんの体験は、AIと人間の共存を考える上でも大きな示唆を与えてくれそうだ。
本研究は現時点では実用化には至ってはいないが、今後、将来的な実用化を目標にさらに研究を進めていくという。FSIの研究が社会実装され、コーディネートを相談できる日がくることを楽しみにしたい。