現在、放映中で盛り上がりをみせているNHK大河ドラマ「光る君へ」。その主人公といえば、平安時代に活躍した作家であり歌人の紫式部です。代表作は誰もが知る日本最古の長編物語『源氏物語』。この『源氏物語』と平安文学を、“恋とさすらい”というテーマのもと写本や絵巻などを通して紹介しているのが、國學院大學博物館で開催されている春の特別列品「恋とさすらいの系譜―源氏物語と平安文学」です。文学素人の筆者ですが、好奇心だけは人一倍! ということで文学の世界にダイブしてきました。
“馴染みのあるテーマ”を企画の切り口に
渋谷駅から徒歩数十分。閑静な邸宅街に建つ國學院大學の渋谷キャンパス。道を挟んだ隣に博物館があります
考古・神道・校史の充実した資料や研究成果を常設展示するほか、今回のような企画展も随時開催している國學院大學博物館。本展示はNHK大河ドラマ「光る君へ」の放送決定も意識して企画されたといいます。
「展示の企画は毎回、開催期間中の話題性なども加味して、一般の方が『おもしろそう』と興味関心を持ちやすいテーマを念頭に考えています。『源氏物語』は有名な作品ですが、大河ドラマの放映でより多くの方の関心が高まる中で、当大学が所蔵する『源氏物語』に関する豊富な資料等を発信できたらと考えました」と話すのは学芸員の佐々木理良さん。
実は『源氏物語』をメインにした企画展を2023年に開催していたことから、本展示では違うアプローチを迫られたそう。そこで、本展示の監修者で『源氏物語』をはじめ中古文学を専門とする同大学文学部日本文学科教授の竹内正彦先生より“恋とさすらい”というテーマが提案されたそうです。一般の人にも馴染みがありキャッチーなテーマであること、『源氏物語』と平安文学を“恋とさすらい”という新たな側面から紹介できることから、今回の企画展に至ったといいます。
開幕以来、幅広い年齢層の方が来館。近隣の高校や大学の学生さんたちも『源氏物語』をテーマにした授業利用で訪れているそうです。
古来から日本人が愛してやまない“恋とさすらい”
久我家嫁入本『源氏物語』(國學院大學図書館蔵)第八帖花宴巻の一場面で再会する光源氏と朧月夜
でも、なぜ“恋とさすらい”なのか――。竹内先生によると、『源氏物語』や平安文学には、“恋とさすらい”をテーマに語られる場面が多くあるといいます。これを国文学・民俗学者である折口信夫は「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」という言葉でとらえており、平安文学に限らず日本文学を生み出しているモチーフともいえるそう。『源氏物語』の光源氏や女性たちをはじめ、伊勢物語の昔男(在原業平がモデルとされる)や竹取物語のかぐや姫など、多くの主人公が物語の中で流離、つまりさすらっており、中でも光源氏や昔男の場合は、そのさすらいが叶わぬ恋と結びつけられているといいます。
「“恋とさすらい”は、特に日本文学の悲劇の発生に深くかかわっています。叶わぬ恋をあきらめることができずに罪を犯し、その罪を背負って苦難の旅を続ける者たちの姿は、悲劇の主人公の典型であり、それを聞いたり読んだりした人々はその姿に深く心を寄せたのです」と竹内先生。
「叶わぬ恋」や「片思い」などを描いた映画やドラマなどは令和の現代にも多くみられますが、日本人は平安時代よりもずっと前から“恋とさすらい”を愛してやまなかったとは、興味深いところです。
華やかな彩色画と物語を重ね、主人公に感情移入!?
久我家嫁入本『源氏物語』(國學院大學図書館蔵)第五十一帖浮舟巻の一場面で、小舟に乗る浮舟と匂宮
テーマの背景を聞き、鑑賞に向けた解像度がグッと上がったところで、いざ、展示室へ!
展示は「和歌」「源氏物語」「竹取物語」「伊勢物語」と大きく4つのブロックに分かれており、各物語のブロックは“恋とさすらい”にまつわる一場面の写本と、それに対応する色彩画や和歌によって構成されていました。それぞれにあらすじを書いたパネルが掲示されていて、筆者のような文学素人にも見やすく理解しやすい工夫がされています。あらすじを読んでから色彩画を見つめていると、不思議と主人公の心情が鮮やかに見えてくるようでした。
冒頭の「和歌」のブロックには、『古今和歌集』と『新古今和歌集』が展示されていました。平安文学史に名を刻む作家の多くは教養のベースとして和歌をたしなんでいたそう。たとえば『古今和歌集』の収録歌は『源氏物語』の「花宴(はなのえん)巻」に引用され、「須磨(すま)巻」の物語形成にも影響を与えるなど、和歌は平安文学において重要な役割を果たしたとされます。
和歌や平安文学を個別の作品としてしか見ていなかったのですが、こうしたつながりを知ることができるのも本展示の見どころだと思います。
『竹取物語絵巻』(國學院大學図書館蔵)より、かぐや姫の昇天
『竹取物語』のブロックでは、「罪」を犯したために地上世界にさすらってきたとされるかぐや姫が昇天する一場面が。現存する最古の物語文学に描かれている女性もまたさすらっていることがわかります。どこか物悲しい雰囲気が伝わってくるよう。
『伊勢物語絵巻』(國學院大學図書館蔵)より、東下りの途中で有名な和歌を詠む昔男
二条后高子との禁忌が叶わず、傷つき友と旅にでる昔男の東下り。途中で「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」という有名な和歌を詠んでいる『伊勢物語』の一場面です。昔男の憂いを帯びた表情が切ない…。
久我家嫁入本『源氏物語』第12帖 須磨巻(國學院大學図書館蔵)より、叶わぬ恋に走った光源氏。須磨に流謫され、都を思いつつ琴を弾く有名な場面。じっと見ているとポロンポロンと音色が聞こえてきそうです
久我家嫁入本『源氏物語』第13帖 明石巻(國學院大學図書館蔵)より。当初は躊躇したものの、手紙のやり取りで興味を惹かれた光源氏が馬に乗って明石の君のもとに訪れる場面
久我家嫁入本『源氏物語』第22帖 玉鬘巻(國學院大學図書館蔵)より、さすらう女君たちの一人、玉鬘。強引な求婚から逃げる場面
『源氏物語』のブロックでは、全54帖から「花宴(はなのえん)巻」「須磨(すま)巻」「明石(あかし)巻」「玉鬘(たまかづら)巻」「浮舟(うきふね)巻」の5つの場面がピックアップされ、それぞれの“恋とさすらい”物語が展開されていました。『源氏物語』は最後まで読み通すのは大変な長編なので、こうしたテーマのもと気軽に楽しめるのは魅力的です。
必見! 谷崎潤一郎の朱筆入れ草稿
最後に『源氏物語』つながりで展示されていた、谷崎潤一郎の『源氏物語』新訳の草稿にくぎ付けに。『春琴抄』などの小説で有名な谷崎潤一郎ですが、戦前に刊行された旧訳(『潤一郎訳源氏物語』)、戦後に刊行された新訳(『潤一郎新約源氏物語』)、新々訳(『谷崎潤一郎新々訳源氏物語』)という3種類の源氏物語の現代語訳も発表しており、同大学ではその草稿類を所蔵しています。新訳には新たに書かれた草稿はなく、旧訳に朱書きを入れて創作されたそう。谷崎潤一郎の「直筆」の朱書きのみならず、新訳に至る生々しい創作過程の一端を垣間見たようで興奮してしまいました。これまでにほとんど公開されたことがない希少性の高い展示品だそうです。一見の価値あり!
『源氏物語』や他の平安文学作品を、一から知ろうと思うとなかなかハードルが高いのですが、今回の “恋とさすらい”のように身近なテーマから知ることで、少しだけ身近に感じられたような気がしました。そして知らない世界を体感することは、知識だけではなく楽しみが広がるということもあらためて実感した企画展でした。
6月16日(日)まで開催されているので、ぜひ足を運んでみてください。
【お知らせ】
なかなか時間が取れない忙しい方、そして行きたいけれど遠方で叶わない方に朗報です! 現在、春の特別列品「恋とさすらいの系譜―源氏物語と平安文学―」の展示解説動画をYouTubeで配信中!気軽に企画展を鑑賞することができます。また、解説動画で前知識を身に付けてからリアル鑑賞するとグッと知識が深まりそうです。
▶春の特別列品「恋とさすらいの系譜―源氏物語と平安文学―」を展示解説!〔YouTube〕