あまり意識していなかったけれど、日本人って日本語が好きなんだな。訪れて、改めてそう実感したのが、東京都立川市の国立国語研究所(以下、国語研)で7月20日(土)に行われた「ニホンゴ探検2024」です。コロナ禍でのオンライン開催を経て、今年は5年ぶりに現地開催。午前11時半の開場時には受付に長い列ができており、研究所の方も驚くほどの大盛況となりました。今回は、人気の「図書室・資料室ツアー」のレポートをお届けします。
日本語表現の幅広さを改めて知る1日
予想を上回る来場者数だったそうで、研究所の方もうれしい悲鳴
会場に入ると、まず「1日研究員証」なるものを作ることができます。周りを見ると、子どもも大人も、大半の来場者がこの手作りのIDを首から下げて歩いています。インテリジェンス漂い心躍る響き、「研究員」。心なしか、行き交う1日研究員たちもキリリとして見えます。
多くの学校が夏休み初日を迎えたこの日、親子の来場者も多くいました。ちびっ子研究員も就任
研究員には外国人も多くいます。こちらはチワン族の研究員さんによる色の表現の解説
さまざまな参加型・体験型の展示もあり、とにかく会場はにぎやか
驚いたのは、来場者に外国人と思われる方もいたこと。自国の言葉に興味を持ってもらえるのは単純にうれしいものでした。
いざ潜入! 図書室&一般非公開の資料室へ!
今日の最大の目的は、「図書室・資料室ツアー」です。国語研の「研究図書室」と「研究資料室」には、1948年の設立以来、76年にわたって収集してきたさまざまな資料が収められています。その様子を見せてもらえるというレアな企画に、当日は申し込みが殺到。全3回の整理券配布に漏れ、涙を飲んだ来場者も少なくなかったそうで……。次回のチャンスを狙う人は、早めのご来場をおすすめします!
さて、ツアーの冒頭、研究員の方が国語研の役割を説明してくれました。日本語の語彙や文法、方言などを研究して伝えていくことはもちろん、日本語教育も大きなミッションの一つだとのこと。前者は想像していたとおりでしたが、かつては実際に外国人向けの日本語教育ビデオも手がけていたとは知りませんでした。日本で暮らす外国人が増える今、日本語教育の必要性も増していることでしょう。また日本語の研究についても、研究員さんたちのやることはかなり増えているのではないでしょうか。SNSなどを見ていると、日本語がすごいスピードで変化しているのを感じるからです。
1974年から1995年まで制作されていた「日本語教育映像教材」シリーズ。空港の税関のやり取りで「これ」「それ」などの指示語を学ぶシーン
「ことばの変化をとらえる継続調査」の解説では、山形県鶴岡市での調査についてのお話が。「猫」という単語を、標準語では表記どおり「ネコ」と発音します。しかし鶴岡市の、とくに年配の方の発音を録音したものを聞かせてもらうと、かなりしっかり「ネゴ」と濁っていることに驚きます。もちろんアクセントも絶妙に違って、これはこれで、なんだか温かい音。東北出身ではないのに、えも言われぬ懐かしい気持ちになりました。
山形県鶴岡市における言語調査についての説明。実際の方言の音声も聞けました
ただ、高度経済成長期の1950年ごろから、この濁った発音をする人は大きく減ったのだそうです。方言が絶滅してしまったわけではないのですが、「この話し方ができる人は今もいるけれど、それが日常的なものではなくなっている」とのこと。それってつまり、メインで使われる言葉の順位が変わったということですよね。公用語が変わったり英語が浸透したりすることで、世代によって「母語」が異なる国がありますが、それに近いものを感じました。
コンパクトな講義のあとは、いよいよ「研究資料室」に進みます。
スチールの棚がズラリと並んでいる資料室内は、一般開放エリアに比べて温度が低くなっていることに気づきました。古い紙資料や音声の記録媒体が保管されているので、しっかりと室温管理がされているそうです。
76年の歴史を感じさせる手書きのカードたち。膨大な言葉のデータが静かに眠っています
先ほど聞かせてもらった鶴岡市の方言の録音データのほかにも、ここには希少な音声データが、さまざまな媒体で保管されています。オープンリールからカセットテープ、MDと、メカ好きや音楽好きにもたまらないその変遷を見ることができました。最近、データ保存のために使用されているのは、LTO(Linear Tape Open)という長期保存に適したメディア。容量も大きく、資料室の音源データをLTO6本に収めることができてしまうのだとか。
ツアー参加者からも「懐かしい!」という声が上がった音声記録媒体
奥へ進むと、いろいろな雑誌が収められた本棚のエリアに入りました。これらはかつて、研究所が実施した雑誌の言語調査のために収集されたものです。研究所では同じ雑誌を3冊買って、2冊はスクラップ用(ページ両面を保存するためには2冊必要なのです)、1冊は閲覧用としたそうです。ちなみに新聞ではなく雑誌を対象にしたのは、より書き手が多く、語彙や表現が多様だから。確かに、とくにファッション雑誌などは、意図的に新しい言葉を作り出してきたイメージがありますよね。えーとほら、「美魔女」とか。
ハンドルを回すと動かせるタイプの棚には、70年以上前の雑誌『キング』などが。内容が気になる……。古本好きも垂涎ですね
時代を超えた文字の資料も公開
さてさて、最後は「研究図書室」へ。
こちらは申請すれば一般の人も利用可能。研究などの目的であれば、貸し出しはできませんが、図書室の資料だけでなく資料室の資料も閲覧することができます。申し込みの詳細は国語研のHPへ。
国立国語研究所 https://www.ninjal.ac.jp/
テーブルの上には、価値ありげな巻き物が置かれています。ここでは、国語研所蔵の貴重な資料を見せてもらうことができました。
『古今文字讃』は弘法大師空海が中国から伝えたもの。中国戦国時代の書体集で、当時の様々な書体(フォント)がまとめられています。国内の写本も数が少なく、とくに上中下巻の三つが揃っているのはここだけだそうです。しかし! 今は令和、IT全盛の便利な時代。国語研のデータベース(※)にアクセスすれば、家にいながらにして電子版を見ることができます。現代のオリジナルフォントのようにも見える魅力的ないにしえの文字は、一見の価値ありです。
※国立国語研究所データベース『古今文字讃』
https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/cv/kokonmojisan/
「古今文字讃」に収められた書体。Tシャツとかグッズにしたいかわいらしさがありますね
もう一つの資料『百万塔陀羅尼経』は、制作年代が確認できるものでは世界最古の印刷物で、700年代後半に作られたとされています。
虫食いがちょっと無惨ですが、いやいや1200年以上前だと思えば立派なものです
写真左手前の細長い紙は経文が刷られたもので、当時は右の小さな塔の中に納めてありました。これを時の天皇が全国のお寺に配り、国の安寧を願ったとのこと。お経もひとつの「言葉」であり、それを残し伝えるために、紙や印刷技術が必要だったのだなとしみじみします。手紙や本など、紙を使って言葉を残すことが急激に減っている現代。この記事だってこんなに言葉を連ねていますが、スマホやパソコンの画面を消せば、手元には何も残りませんよね。100年後、200年後の研究資料室には、どんな記録媒体が収蔵されているのでしょうか。
言葉と文字の歴史を感じたところで、ツアーは終了となりました。
さまざまなメディアの発達で、いわゆる「標準語」がこれまで以上に全国に広がり、方言を話す人はどんどん減っているでしょう。鶴岡市で「ネゴ」ではなく「ネコ」と発音する人が増えたように、私たちも知らず知らずのうちに、おじいちゃんやおばあちゃんが使ってきた言葉を失っているのかもしれません。あらゆる変化のスピードが上がる現代で言葉を研究する人は、社会の動きにもつねに敏感でないといけないのでしょうね。いやー、難しそうですがとてもおもしろそうでもあります。ますます日本語が好きになりました!