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  • date:2020.12.23
  • author:南 ゆかり

ひたすら読み続けた先に見えてきた。インド古代文献解明に向けた新たなアプローチ

今回お話を伺った研究者

天野恭子

京都大学白眉センター 特定准教授

大阪大学大学院文学研究科博士課程からドイツ留学、フライブルク大学印欧語比較言語学科博士課程修了。大阪大学大学院文学研究科助手から子育て期間を経て、京都大学人文科学研究所日本学術振興会特別研究員(RPD)、大阪大学文学研究科招聘研究員、京都大学文学研究科非常勤講師ののち現職。著書に「Maitrāyaṇī Saṁhitā I-II : Übersetzung der Prosapartien mit Kommentar zur Lexik und Syntax der älteren vedischen Prosa」(Hempen Verlag, 2009)

Q. 先生はサンスクリット文献学の研究をされているとうかがいました。具体的には、どのような研究をされているのか教えてください。

私は、サンスクリット語で書かれた古代インドの宗教文献、ヴェーダ文献を研究しています。当時のインドの人々は自然神を信仰しており、供物を供え、神様をたたえて交流する儀礼を行っていました。そのような祭式儀礼に使われた神をたたえる言葉や祭式儀礼の方法を記した文献が、紀元前1500年からその後1000年くらいの期間にわたってたくさんつくられました。それらを総称してヴェーダ文献と呼ばれています。

 

ヴェーダ文献の中で私が専門に研究しているのは、紀元前900年ごろに成立したと言われる『マイトラーヤニー・サンヒター(以下、MS)』。祭式を哲学的に解釈する、もう少し簡単に言えば、なぜこのように行うのかという理屈を説明した文献です。

 

当時のインドの祭式は、自然の運行になぞらえて行われました。たとえば、夕方にミルクを火にくべる祭式には、太陽を火に戻すという意味があります。朝になったらもう一度ミルクを献供するのですが、これには、夜の間は太陽を火の中に保っておき、朝にもう一度太陽を火の中から生み出して昇らせるという意味が込められています。また、何かの行為を3回行う場合に、その意味は、世界は天と地と空でできているからだ、というように、一つひとつの祭式には自然と結びついた意味があり、それを説明しているのです。

 

インド哲学は、このような解釈の文献がもとになって発展しました。MSはその中で最も古い文献であり、その意味で重要な文献ですが、読み解くのが難しいことから、長い間未訳のままで残っていました。

interview_2

『マイトラーヤニー・サンヒター』との出会いを語る、天野先生

 

私がMSに出会ったのは、いろいろな文献を読んで修士論文のテーマを探していた頃です。もちろん相当に難しいものでしたが、一つひとつの単語を丹念に調べ、文の構造を考えていくと、ふっと扉が開いて手が差し伸べられる瞬間があるのです。誠実に向き合えば応えてくれるMSに魅かれ、これをライフワークにしよう、と決めてしまいました。その後ドイツのフライブルク大学に留学して研究を続け、全4巻からなるMSの1、2巻をドイツ語に訳出して論文にまとめ博士号を取りました。

 

帰国して大学の助手をした後、大学を辞めて4人の子育てをしましたが、その間も博士論文の見直し作業を進め、2009年にようやく出版することができました。未訳だったMSが一部ながら翻訳されたことで参照できる原典が増え、儀礼の解釈などの研究が進展するなど、ヴェーダ文献研究にも大きな影響を与えていると思います。初めて翻訳された重要文献の出版ということで、世界の様々なメジャー雑誌で紹介されるなど大きな反響がありました。2011年に海外の国際学会に招待されて講演したのを皮切りに、海外での講演も行っています。

MS

ドイツ語で出版した『マイトラーヤニー・サンヒター』の翻訳本

Q. 重要文献である『マイトラーヤニー・サンヒター』が、これまで翻訳されなかったのはどのようなところが難しかったからでしょうか? 

いくつかポイントがありますが、まず、サンスクリット語の言語としての難しさがあります。サンスクリット語を解釈する際には語彙や語形の解釈に複数の可能性が出てくる場合が多いんです。さらに、単語の間にスペースがある英語、文節に分けることができる日本語などと違って、単語の切れ目や文の切れ目にも複数の可能性があります。一つひとつの単語の意味、文の構造、前の文とのつながりなどを考え尽くしてようやく意味が見えてくる、という具合なので、非常に読むのに時間がかかります。

 

また、ヴェーダ文献とは、もともと口伝えだったものが書き留められたもので、MSにおいても写本が数種類見つかっています。それらは比較すると少しずつ違っているので、チェックして正しい語形を選んだり再建したりしなければなりません。そのうえ、MSは説明にすごく少ない言葉しか使わないんです。そこには彼らが背景として持っている理論体系や世界観がこめられているのに、さっと読んだだけでは読み取れない。たとえば、ミルクを絞るのに桶を使わず土鍋を使う、ということにとてもこだわったりするのですが、その説明についてはとても言葉足らずなのです。他の個所や他の文献を読み解いて、関係ありそうなところを突き合わせることで、ようやく何が問題にされているのかがわかる、そんな難しさもあります。土鍋によるミルク絞りの議論に関して言うと、土鍋は土でできているので大地そのものと考えられていて、ミルクは種子や精子と同じものと考えられていました。大地は種子を受け入れ育むものであるという世界観が、この背景にはありました。

MS中身

天野先生が翻訳に取り組むヴェーダ文献『マイトラーヤニー・サンヒター』

Q. 難しい文献だからこそ、挑戦し甲斐があるということでしょうか。『マイトラーヤニー・サンヒター』を研究する面白さは、どんなところにありますか?

確かに、難解なパズルを解くような言語学的な面白さに魅かれてMS研究を続けてきたというところはあります。しかし、研究を進めるうちに、文献成立に至る当時の社会状況にも興味を抱くようになりました。それは、MSが一時にできあがったのではなく、長い時間をかけて様々な人たちの影響を受けながら考えを発展させ、成立していったものであることがわかってきたからです。

 

これを知ったのは、MSの各章で言葉遣いが変わっていることに気づいたことがきっかけです。この文献だけを読み込んでいたためにわかったのだろう、それぐらい微妙な変化です。MSがつくられ始めた紀元前900年頃から、400~500年ぐらいの間、少しずつ書き足されていったのだと思います。とくに面白いと思ったのは、土着の人たちの信仰や言葉がけっこう取り入れられていることでした。一見、言語もヴェーダに揃えようとしているように見えますが、ちょっとした言葉遣いに土着信仰の影響が垣間見えるのです。ヴェーダはバラモン教の聖典です。バラモン教には厳しい階級制のもと他のカーストとは混ざらないといった排他的なイメージがありますが、意外にそうではなかったかもしれないと思うようになりました。MSの時代には、保守的な人たちもいるでしょうが、他から何かを取り入れようとした人たちもいて、もう少しフレキシブルにネットワークを築いていたように読み取れました。こうして、MSに対して最初に抱いていた、古代の閉じられた世界の産物というイメージが一新され、この中に時代を超えた人の動きや社会の動きが読み取れる可能性を感じるようになったことで、さらにMSの面白みにはまりました。

Q. 情報科学の先生と共同研究を進めていらっしゃるそうですね。意外なコラボなのですが、きっかけと研究テーマについて教えてください。

先ほどお話した、MSがその発展の中で受けた様々な影響が言語に表れている、という気づきがきっかけで、ヴェーダ文献が成立した背景となる社会の動きを解き明かせるのではないか、という発想が生まれてきました。ヴェーダ文献には、いつどこで、誰がどうやってつくったのかという情報が一切なく、成立した経緯や背景の詳しいことはわかりません。私は、MSの中に内容や言語の変化が見られたことをヒントに、もともとは同じような部族・種族でいた人々がいくつかのグループに分かれて暮らしたり活動したりしながら、互いにあるいは異部族と接触したり影響を与え合ったりして文献が成立していくという仮説のもと「相互影響モデル」を打ち立てました。その相互影響の状況をもう少し詳しく知ることができたら、文献がどういうふうにできていったかや、思想、儀礼の発展プロセスなどが、もっとわかってくるのではないかと考えました。

 

最初は、MSを白地図に見立て、ある言語現象が集中的にあらわれる場所や、まったくあらわれない場所を言語層の違いとして、それが何の影響を受けた結果なのかも含めて手書きで記述しようとしてみました。人間の力では限界がありプログラムの手を借りないといけないことはすぐわかりましたが、どうしたらいいか思い浮かびません。当時私は、出産のためにアカデミックキャリアを中断した研究者のリスタートを支援する日本学術振興会特別研究員(RPD)として大学での研究生活に戻ろうとしている頃でした。言語が違っても似たような考え方の研究をしている人はいないかと、いろいろと探しました。漢文を対象に、語彙の使い方の分析によって作者を判定するなどの研究をしている先生を見つけ、研究方法について教えてもらいに行きました。いろいろな情報系の研究者にも会いました。そんな中で、少しずつ自分がやりたいことが固まり、徐々に協力者もあらわれてきました。

 

ようやく目標に到達するための共同研究をスタートさせることができたのは、2020年4月です。テーマは「データ駆動科学が解き明かす古代インド文献の時空間的特徴」。ヴェーダ文献にあらわれる言語現象をデータ化し、一つの文献の中でどのように変化しているのか、他の文献との関連はどうなっているのかなどを分析したいと思っています。共同研究者は京都大学学術情報メディアセンター特定講師の夏川浩明先生で、情報可視化の研究者。情報可視化とは、膨大な数値データを画像に変換し視覚的な解析を可能にし、物事の因果関係を明らかにしたり、新しい現象を発見したりするための方法論です。私が求めている、言語現象の背後にあるものやそれらの関係を探るのに、データ解析や可視化が非常に役立つと考えました。夏川先生のほうは、これまで脳内の神経ネットワークや生物学ネットワーク、生態系ネットワークなど自然科学の分野を情報科学のアプローチで研究してきましたが、古代文献というまったく違う人文科学における多様で大規模なデータへ応用範囲を広げることに興味を持ったそうです。

 

サンスクリット文献学は、これまで、基本的にはサンスクリットがわかる人だけの閉じた学問でした。しかし、他の学問の方法論でサンスクリットの文献を解明するのに役立つものがあれば、どんどん取り入れるべきだと思います。また、サンスクリット文献学自体も、共有できる方法論や研究成果を様々な分野に波及させていける可能性があるはず。その意味で、共同研究は非常に重要だと思っています。今回の共同研究では、データサイエンスの研究者が古代インドをどう見ていくのかにも、とても興味があります。

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天野先生と夏川先生による研究ディスカッションの様子。来年2月12日に、本プロジェクトのワークショップ「古代文献の言語分析から読み解く社会背景のダイナミズム―『データ駆動型科学が解き明かす古代インド文献の時空間的特徴』第1回ワークショップ―」が開催される。詳細は、本プロジェクトのウェブサイトをご覧ください

Q. 共同研究は、どのように進めていらっしゃるのでしょうか。また、達成したい目標についてお聞かせください。

共同研究には、2本の柱があります。一つは、ヴェーダ文献の中で祝詞がどこに出てくるのかを調べてインデックスをつくった既存研究を活用し、どのような祝詞がどこに出てくるのかを分析・整理して文献同士の関係性を明らかにしようとするものです。一つの文献の中のコンテンツの関係や、時期によるコンテンツの変化、文献同士の関係性の変化など表現したいデータがいくつかあるので、それらをどうつなげて、どう見せられるのか、可視化の仕方を検討しているところです。

MS_CHART

MSと『アタルヴァヴェーダ』という呪術的伝統を持つ文献の関係(祝詞の共起)を示すデータ

 

もう一つは、MSからサンスクリット語のデータベースをつくることです。文献を読み込んでデータ化しようとする時、一つの単語に対して、これはこの動詞の過去形の三人称単数である、といった文法形の解析をしてデータベースをつくらないと、自然言語処理による言語分析はできません。ところがサンスクリット語は、英語で言えば全部の単語を発音記号でつなげて書いているようなものなので、自動的に解析することはほぼ不可能。他の方法で分析しようと考えていたところへ、サンスクリット語の自動解析にトライし、半ば実現しているドイツ人研究者と出会うことができました。彼は、MSのような文献の解析をすることでディープラーニングによりプログラムの精度も上がるのでやってみたいと思っていたそうですが、複数の解釈の可能性がある際の解決の難しさがハードルとなっていました。そこで、彼が分析にかけ、複数の可能性が出てきたものを私が確定し、それを彼がデータベースに組み入れるという協力体制を構築し、データベース化を進めることになりました。

 

文法解析データができると、文献の関係性の分析は非常にやりやすくなります。ある特徴的な構文に着目し、どういう使われ方をしているのかを判断して AやBなどと分類し、この文献にはAが多い、ここはBが多い、といった分析を手作業でやるのと比べ、コンピュータならけた違いの用例を扱うことができ、その分考察の精度も上がります。めざしているのは、MSのみならず同時代の文献全部をデータ化し、語彙の分布や特徴的な構文の抽出などを自動で行い、関係性をあぶり出せるようにするという夢のような成果です。

 

2年間で、文献の成立を担うグループ同士の関係性が時間によって変わっていくという、その外枠をまずつくることを目標にしています。それ以降はオープンサイエンスのような形をとり、データをどんどん充実させていくことができれば素晴らしいと思います。文献学では、一つの単語に的を絞り、学派や文献によって使い方がどう違うかといった、とても細かいことをたくさん研究しています。それら一つひとつの成果を、この時代のこの関係についての研究、という具合に位置づけを明確にできれば議論がより発展し、今までの研究もより生きてくるのではないかと思います。

 

共同研究と並行して、MSの残りのドイツ語訳も続けています。目標は3年以内の出版。MSには「待たせてごめんね、もっと頑張るからもう少し待っててね」という気持ちです(笑)。

Q. 古代インドの文献というと、私たちの生活には縁遠い気がしてしまいます。この研究は、どのように現代の私たちの役に立つと思いますか?

その、縁遠いことが、ポイントかもしれませんね。遠く離れたインド、しかも古代に思いをはせることは、時間と空間を超えて精神が旅をすることであり、そのことによって世界の見え方が変わったり広がったりすることが大切ではないかと考えています。古代インドの人たちは、自然に近いところで生きていました。MSのような祭式哲学をもとに、もう少し後の時代になると、さらに内面化させて突き詰めたウパニシャッド哲学が出てきます。そこでは、「梵我一如」つまり自分と宇宙は一つという悟りの境地が説かれますが、その頃のインドでは、今よりももっと自然にそういったことが理解できたのではないでしょうか。こうした現代とはまったく違う視野への転換、また同時に共感が得られるところが、古典を読む素晴らしさだと思っています。

 

サンスクリット文献学が現代の人々にどう役に立つかと聞かれたら、確かに答えるのが難しいのですが、しかし、私たち研究者はその問いから目を背けてはいけないと思います。そんな気持ちもあって、古代インドについて一般の方にも興味を持ってもらうことをめざした一般公開講座を、昨年から始めました。尼をしている姉のお寺に場所を借り、バラモン教やウパニシャッド哲学などについてお話をしました。難しいこと、何か異質なものという反応よりは、意外に共感を持って聞いてくださる方が多く、喜ばれたという手ごたえがありました。今年は新型コロナウイルスの流行もあってお休みしましたが、来年も継続してやる予定です。他の先生方にも声をかけ日本仏教や仏教美術、インド仏教などにも広げて、2021年2月から5回のリレー講座を行う予定です(詳細はこちら⇒ 一般公開講座「仏教とその源流~祈りと儀礼~」)。

 

言語学的な興味でMSの研究を始め、インド自体には興味のなかった私ですが、MSの翻訳を出した時、インドの人にとても喜ばれました。思ってもいなかった反応だったので、こうやって文化の保存という意味でインドの人たちのお役に立てることに感動しました。また、国際学会でインドの研究者に声をかけていただいたり、インドの大学から招待講義を依頼されたり、研究を通じてつながりができてきているのもうれしいことです。研究を進め、MSがどこでつくられたのがもう少し解明できたら、その場所をぜひ自分で歩いてみたいと思っています。

笠原寺講演2019写真

昨年はじめて取り組んだお寺を会場にした一般公開講座の様子

 

この記事にご興味を持っていただいた方へ

天野先生は研究活動を推進していくために、以下のような方との情報交換を望んでいます。
ご興味を持っていただいた方はお気軽にご連絡ください。

  • サンスクリット文献学に興味のある他分野の研究者
  • 文献を通じて、成立した時代背景や文化等の解明に取り組む研究者
  • 文献学と情報科学の共同研究に取り組むあるいは興味のある研究者
  • サンスクリット文献学、あるいは研究と子育ての両立などについて、講演等を依頼されたい方 など

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