海外の人とコミュニケーションをするときに便利な機械翻訳。道をたずねるときなど、簡単なやり取りなら問題なく成立させてくれます。でも、これが文学作品ならどうでしょう。芸術でもある文学は、機械ではさすがに訳せない気がします。それとも、進化した今の機械翻訳なら、名翻訳家のように巧みに作品を訳してしまうのでしょうか。
そんな興味に応えてくれそうな講座が、龍谷大学の「文学部コモンズカフェ」で開かれました。
大学のお昼休みの約30分を活用した同イベントでは、研究者が研究の内容をわかりやすく解説する講座が行われます。第26回となる今回のテーマは、「機械翻訳は外国文学理解の夢を見るか?-文学「解釈」の可能性-」。文学部英語英米文学科の三宅一平先生が講師を務めます。一般の人もオンラインで参加可能とのことで、申し込みをして聴講しました。

機械翻訳をした場合、どこまで解釈が反映されるか、または解釈が可能になるかが今回のテーマ(講義スライドより)
ヴォネガットのSF短編『Harrison Bergeron』を題材に
三宅先生の専門領域は、現代アメリカ文学とオーストラリア文学。なかでも、ドイツ系アメリカ人カート・ヴォネガットの作品を研究しています。
ヴォネガットは、戦後アメリカを代表する作家のひとり。代表作に、宇宙を舞台にした『タイタンの妖女』や、第二次世界大戦で捕虜になった経験を基にした『スローターハウス5』などがあります。
今回の講座の題材は、彼の短編『Harrison Bergeron』です。ここで、同作品の内容を簡単に紹介しましょう。舞台は2081年のアメリカです。そこは、完全な平等が実現された管理社会。優れた人には優れた部分を打ち消すものを身につけさせるというディストピアが描かれています。例えば、賢い人は思考を乱す音が流れるイヤホンをつけ、美しい人は醜いマスクをつけ、運動能力が高い人は重しをつけて暮らすことで“完全な平等”が達成されています。主人公のハリスン・バージェロンは、賢くて美しくて運動能力が高い少年。優れた人であるゆえに、さまざまな負荷を課せられています。
3種のサービスを活用。同じ一文でも、翻訳結果はそれぞれ
三宅先生は、まず作品の中から、物語の序盤にある以下の文章を抜粋して取り上げ、3種のサービスを使って翻訳の比較を行いました。
“They were burdened with sash-weights and bags of birdshot.”
ちなみに、単語の意味は:
“burden”=(荷を)負わせる
“sash-weights”=(上げ下げ窓の)窓枠分銅
“birdshot”=猟鳥用の散弾
……です。また、ここでのTheyは負荷を課せられている人々を指しています。
活用するサービスは、定番の機械翻訳サービス「Google翻訳」と、翻訳の精度が高いといわれる「DeepL」、それから、翻訳ソフトではありませんが、対話型人工知能の「ChatGPT」です。
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◇ Google翻訳
「彼らは重りと散弾の袋を背負っていた。」
シンプルで分かりやすい文ですね。
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◇ DeepL
「彼らはサッシュウェイトと鳥銃弾の入った袋を背負っていた。」
「彼らはサッシュウェイトと鳥銃弾の袋を背負っていた。」
「彼らはサッシュウェイトと鳥銃弾の入ったバッグを背負っていた。」
「サッシュウェイトと鳥銃弾の入った袋を背負わされた。」
4つの案が出力されました。いずれも、sash-weightsをそのまま「サッシュウェイト」とカタカナで表しています。三宅先生は、「DeepLがsash-weightsの意味を学習していなかったのではないか」と指摘します。
一方、Google翻訳では単に「散弾」と訳されたbirdshotが、こちらでは「鳥銃弾」と訳されています。馴染みのある言葉ではないかもしれませんが、「『鳥』の意味をしっかり伝えているところが特徴」と、三宅先生は言います。
また、動詞を原文の通り「背負わされた」と受動態で訳した案や、主語を省いて訳した案が提示されている点もポイント。日本語として自然な表現を、複数の案から選択できるようにしていることが分かります。
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◇ ChatGPT
前後のシーンを簡単に説明したうえで、翻訳するよう求めると、以下の文が出力されました。
「彼女たちは窓枠の重りと、小さな鉛玉(バードショット)の入った袋を抱えていた。」
上の翻訳文と一緒に、sash-weightsや bags of birdshotとは何かを説明する注釈も提示されました。
翻訳結果としては、Google翻訳とDeepLでは「背負っていた(背負わされた)」と訳されていたburdenが、ここでは「抱えていた」と訳されている点が特徴であるとのこと。burdenは、心や体への重荷を表す言葉で、背中に負うことを限定してはいません。三宅先生は「bags of birdshotのbags(複数の袋)に注目すれば、背負うよりも抱える方が自然である可能性があります」という考えを示しました。
文学作品の解釈ができる人間。その翻訳結果は……
三者三様の翻訳が出揃ったところで、「ここからは、作品の解釈という視点で文章を読んでみましょう」と三宅先生。
物語の終盤で、ハリスン・バージェロンはテレビ番組のスタジオでクーデターのようなものを起こし、自らに課せられた数々の負荷を引きちぎります。そうして自由になったハリスンは、自分の妻とした女性とともに、その場で宙に浮き上がります。しかし、浮き上がって天井にキスをしたところで、駆け付けた統治者側の人間に撃ち落とされ、2人は死んでしまいます。
この流れを念頭に置きながら、まずはsash-weightsについて考えていきます。
“They were burdened with sash-weights and bags of birdshot.”
窓枠分銅であるsash-weightsは、重たい窓の上げ下げを楽にする道具です。なので、「これは優れた人々に課された負荷を表していながら、同時に、重い負荷からの解放も表している可能性があります」と三宅先生。
さらに、窓は外界が見えるものであり、外界との障壁にもなるものです。「窓を開ける分銅を持たされている人々は、外界に飛び出す希望を持たされている、と解釈することもできます」とも指摘していました。
次はbirdshotです。
負荷から解放されたハリスンは、結局は銃で撃たれてしまいます。birdshotは、自由を制限する重しであり、自由を求める人を撃ち殺す道具でもあるわけです。「そう考えると、自由を求めて鳥のように浮かんだハリスンが、最後に撃ち落とされてしまう結末は、初めから暗示されていたのかもしれません」と、三宅先生は言います。
以上のことを考慮すると、sash-weightsやbirdshotを単に「重り」や「散弾」と訳すのは、ちょっと簡単すぎる気がします。sashやbirdのイメージをもう少し明確に伝えなければ、物語を深く理解することができなくなるかもしれませんね。

物語全体のテーマと照らし合わせた解釈を深めることで、訳出も変わることがわかる(講義スライドより)
さて、これらの解釈を踏まえて、三宅先生は、以下のように翻訳しました。
「彼らは、窓枠分銅と、鳥撃ち用の鉛弾の詰まった袋を身につけさせられていた。」
機械翻訳と大きく異なるわけではありませんが、窓や鳥などのキーワードがきちんと盛り込まれていますね。
ただし、こちらは三宅先生の解釈に基づく翻訳です。「人によっては異なる解釈をするかもしれないし、そもそもヴォネガットはそこまで考えていなかったかもしれません」とのこと。翻訳文の正解を導き出すことは、どうやら機械にも人間にも難しいようです。一筋縄ではいかない文学の世界ですが、それでも、「解釈こそが文学の楽しみではないか」と、三宅先生は言います。
世の中には、「機械翻訳があれば、原文を読む必要はない」という人もいます。でも、一つひとつの単語の意味を考えたり、文章から作家の意図を探したりして、作品をあれこれ解釈していくおもしろさは、機械が翻訳した文章では味わえないかもしれません。文学を読み解く楽しみを体験するには、やはり自ら原文に当たる必要がありそうです。
とは言え、知らない外国語で書かれた作品であれば、そもそも原文を読むことはできません。海外の文学作品を解釈する楽しみは、結局は、その言語を習得した人しか味わえないのでしょうか。
ここで、三宅先生はひとつのアイデアを提示します。今回、3種の翻訳サービスを比較してみて、それぞれが異なる特徴をもっていることがわかりました。「もしかしたら、複数の高性能な機械翻訳を駆使することで、原文の意味に肉薄していくことができるかもしれません」。
講座は「機械翻訳は外国文学理解の夢を見るか?」というタイトルでスタートしましたが、最後は「(我々人間は)機械翻訳に外国文学理解の夢を見るか?」というテーマで締めくくられました。
どんなに機械翻訳が進化しても、自ら原文を読んで解釈する楽しみは変わらないこと。また、機械翻訳が進化することで、知らない言語で書かれた文学作品を解釈して楽しむ可能性が生まれること。2つの希望が感じられる講座でした。