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「最小限の介入」で美術品を後世へとつなぐ。京都大学の田口先生に聞く、保存修復学の世界

2024年11月28日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

“トンデモ修復”がSNSで話題になったり、大規模な修復を終えて公開された作品が注目を集めたり。美術に関心のある人にとって、保存修復はよく耳にする身近な話題ではないでしょうか。でも、どのような考えのもとで修復が行われているのか、どんな歴史を経て現在に至るのか、詳しく知る人は少ないかもしれません。イタリア・フィレンツェで保存修復を学び、現在は修復家・研究者として研究活動や修復プロジェクトに携わっている京都大学の田口かおり先生に、保存修復の歴史や考え方についてお話を伺いました。

修復はしなければしないほど良い?「最小限の介入」とは

田口先生によると、保存修復とは、作品が誕生してから今に至るまでの道のりをたどり、作品が何でできているのか、途中でどのようなことが起こったのかを調べ、傷や欠け、色褪せなどがあれば、それをどう直すべきか、あるいは直さないほうが良いのかを考えて処置することです。

 

もともと田口先生は、フィレンツェ国際芸術大学で学んで絵画修復士の資格を取得し、卒業後はフィレンツェ市内の修復工房で働いていました。しかし、多忙な日々を過ごすうちに、一度立ち止まって作品や保存修復のあり方と時間をかけて向き合いたいという思いが強くなり、いったん現場から離れて研究の道へと進んだそうです。

 

「作品を実際に直す仕事と、保存修復のあり方や理論をひも解く学問が、乖離してしまっていることが多いのではないかと感じていて。その2つを総合的に結び付けて考えていくことがすごく大事だと思うんです。個別の事例のために技術を鍛錬するのも重要ですが、美学や美術史、歴史学、文化人類学、医学、科学などが絡み合った総合的な学問として、私は保存修復学を捉えています。保存修復の発展の歴史を、さまざまな分野との交わりから見晴らしつつ再構成し、ものを残す、直すという営みの倫理や射程について複合的に考察していきたいと考えています」

フィレンツェ国際芸術大学での授業の様子。実技(写真は「裏打ち」と呼ばれる作業)はもちろん、デッサン、古典絵画技法学、美術史、修復史、文化財法などに加え、化学、生物学も学んだそう

 

田口先生によると、ものを保存する、修復するといった発想の起源は、古代ギリシアの時代。そこからどのようにして発展してきたのでしょうか。保存修復の歴史の大きな転換点の一つとして、田口先生は1966年にフィレンツェで起きた大洪水を挙げます。

 

「保存修復の世界では『before flood』『after flood』(洪水前、洪水後)と語られるほど、大きな転換点だとされています。この洪水でフィレンツェの文化財の多くが大きな被害を受けました。そこで、全世界からボランティアや技術者たちが集まって、文化財レスキューに尽力したため、保存修復の技術や考え方がぐっとレベルアップするきっかけになったんです」

 

このとき発展した技術は、現在の日本で被災文化財を救出する際にも生かされているそうです。そしてもう一つの大きな転換は、1800年代から徐々に活発になる「つくる」と「なおす」をきちんと分け、専門家を育成していこうという議論です。

 

「それまでは、芸術家が自らの作品を描き直したり、副業として修復を手がけたりするケースがよくあり、『つくる』と『なおす』の境界が曖昧でした。また、『修復の結果、もし前よりも「良い」状態に作品が変わってしまったとしても、それはそれでポジティブに受け入れることも可能』といった考えもありました」

 

しかし、「本当にそれでいいのか?」と異を唱える人たちが、美術史、考古学、建築といった各分野から現れ始めます。

 

「もうちょっと丁寧に、人や作品に流れる時間も考察するべきではないか。時間というものの価値を、捉え直したほうがいいのではないか。そんな考え方が生まれ、徐々に実っていきました。そこから少しずつ、『つくる』と『なおす』が区別され、保存修復のあり方や倫理についての議論が生まれていきます」

 

さらに、こういった議論と前後して、現代の保存修復においても重要視されている「可逆性」「適合性」についての検討も進みます。「可逆性」とは、修復で何かを付け加えるとしても、一歩前に戻ることができるような方法で行うべきだという考え方。「適合性」とは、古い材料に対して新しい材料がストレスにならないように配慮するべきだという考え方です。

 

このような考え方の中でも、特に新しかったのが「最小限の介入」という思想だと、田口先生は説明します。

 

「『最小限の介入』は、ちょっと皮肉ではありますが『修復なんてしなければしないほどいいよね』という考え方です。作品が経年変化していくのは、人間が老いるのと同じで自然な流れ。だから手を入れることが必ずしも良いわけではない。もし修復自体が作品にとってストレスになり得るのであれば、可能ならそのままにしておく、あるいは自然に老化していくのをサポートする程度で立ち止まるべきだと。修復家によって考え方はさまざまですが、私も基本的にこの考え方に賛成です。ものが持っている、生き延びようとする力を見極めて、あくまでも最小限の手助けをするように意識しています」

作品は「歴史的価値」と「美的価値」を併せ持つ

ここからは、「最小限の介入」をめざした人物の一人であり、田口先生にも大きな影響を与えたイタリアの美術史家、チェーザレ・ブランディ(1906~1988)についてお話を伺います。ブランディは近代保存修復学の礎を築いたと言われていますが、どのような考えを提唱したのでしょうか。

 

「作品には、芸術作品としての『美的』な価値と、そこに時間が刻みこむ『歴史的』な価値とがあり、この双方に配慮した上で行われる修復こそが望ましいと、ブランディは自著で語りました。そして、先ほどお話したような、作品に流れる時間や経年変化について、時に前向きに評価しました」

 

さらに、田口先生が特に面白いと感じたのは、ブランディが「「歴史的価値」を配慮して考案した「中間色」というテクニックだと言います。

 

「中間色の技法には、ブランディの考えが如実に表れていると思います。もし作品に描かれている人物の腕や指先が欠けていたら、腕のある修復家ならば、骨格や筋肉の付き方などから推測して、比較的容易に再構成できてしまう。でも、あえてそれをせず空白として残すことを、彼は提案しました。中間色という、絵画の中でのミドルくらいの色でその部分を覆うことで、欠落は欠落として尊重しようとするんです」

 

田口先生の著書の表紙は、中間色が用いられた作品、アントネッロ・ダ・メッシーナ《受胎告知》。『改訂 保存修復の技法と思想——古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(平凡社ライブラリー)

 

修復家として立ち入らず、欠落を無理やり埋めないという考え方自体が、「最小限の介入」ともつながっていると話す田口先生。この考え方には応用力があり、彼の提案が今でもさまざまな形で継承されていると語ります。

 

「でもブランディ自身は、のちにこの中間色の考え方を手放します。何が「中間の色」か、なんて人によって違うものだ、と。たしかに、誰にとっても視覚的にストレスじゃない色なんてあり得ないわけですし、修復家が中間だと思う色で埋めるのは、結局は恣意的な修復になってしまいます。でも私は、彼の問題提起やチャレンジそのものに意義があったと思っています」

 

ブランディの中間色をめぐる検討は、田口先生自身が一部携わった修復プロジェクトにも影響を与えています。なかでも思い出深い作品は、修復を経て2019年に国立西洋美術館でお披露目された、クロード・モネの大作《睡蓮、の反映》です。

 

「作品のほぼ半分が欠失している状態で、どうやって保存修復するべきか、チームの中でいろいろな議論がありました。絵具層が『ない』こと自体が作品の歴史を語る一証人でもあるので、欠失部分は再構成せずに中間色で補って展示することになりました。『モネの睡蓮における中間色とは何だろう』とさまざまな議論を重ねる中で、最終的にはキャンバスの色にほど近い色彩──ブランディがよく選択したような黄土色の中間色を思わせるような色彩です──で補うことになりました。介入の方法を考えていく中で、歴史的価値と美的価値の双方からあるべき修復のかたちを考えなさい、というブランディの言葉は、常に頭にあったように記憶しています」

保存修復の情報を、もっと外に開いていきたい

田口先生は、修復プロジェクトに携わる上で、どのようなことを大切にしているのでしょうか。

 

「欠失を埋めるにせよ、埋めないにせよ、洗浄をするにせよ、しないにせよ、どうしてそう考えたのか、一つひとつの選択について言語化する義務がある。誰にとっても正解と言えるような修復はあり得ませんが、少なくとも自分が下した決断については、後世の人がわかるような形できちんと残す必要があると思っています」

 

美術館の所蔵品であれば、修復プロジェクトの最後に、報告書が美術館に納められるそうですが、田口先生はさらにもう一歩進めて、一般の人たちともその情報を共有できればと話します。

 

「修復に関する情報がもっとオープンになり、作品を観に来た人たちも、どうしてこういう修復を行ったのか、調査の中でどんなことがわかったのか、といった詳細を知って、ディスカッションできる場がもっとたくさんあるといいなと思いますね。自由に意見を交わせる場があれば、もっと作品を身近に感じられるんじゃないかなと。保存修復の過程でわかった新しいことや興味深い情報については、可能な範囲で外に開くことを意識しています」

 

例えば国外では、大規模修復が終わるとお披露目展示があり、修復家がどんな技法や考え方で修復したのかをプレゼンして、市民がその場で質問したり意見を言ったりする場が設けられることがたびたびあるそうです。現在、オランダ・アムステルダムで修復が進んでいるレンブラントの《夜警》も、修復の進捗が公開され、定期的にワークショップが行われるなど、情報が外に開かれた状態でプロジェクトが進んでいます。

※プロジェクト(Operation Night Watch)の様子はこちら

 

「作品の解説をするとき、どうしても表層の情報に力が注がれがちです。でも、例えばそこに描かれているキリストや羊の顔は、もしかしたら後から部分的に描き足されたのかもしれない。作品は常に変容し続けていて、私たちはその一過程に立ち会っているだけなんです。だからこそ、その作品の歴史を見晴らすような展示や研究成果を示すことで、作品のレイヤーの多様さや立体感を味わえるようにしていきたいです」

 

「より複雑かつ多層的に作品について考える場を、保存修復が生み出していけたら」と笑顔で話す田口先生。最後に、私たちが美術館に行くときに注目すると良いポイントはありますか?と尋ねると、こんなふうに教えてくれました。

 

「美術館の展示の中には、側面が見えるように額装されている作品があります。そんなときは、ぜひ側面も見てください。元はもっと大きなサイズだったものがカットされていて、側面にまで絵が続いている場合があるんです。他にも、とりわけピカソの作品に多いのですが、表面の下の層が光の角度によって見えることがあります。だから正面だけでなく、斜めからもぜひ鑑賞してみてください。角度を変えるとだいぶ見え方が違ってくる場合がありますよ」

 

次に美術展に行くときは、保存修復の歴史にも思いを馳せつつ、作品を側面や斜めから見てみると、新しい発見があるかもしれません。田口先生は、美術館でのレクチャーや保存修復学に関するシンポジウムも不定期で行っているので、もっと詳しく知りたくなった人はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

分野や文化の垣根を越える新しい学術領域「雰囲気学」とは? 神戸大学の久山先生に聞いてみた。

2024年5月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「このお店は雰囲気がいいね」「最近、職場の雰囲気が悪い」「この人は雰囲気のある俳優だ」。私たちはこんな表現を日常的に使っています。でも、そもそも「雰囲気」とは何なのでしょうか?

 

身近なもののはずなのに説明するのが難しい「雰囲気」について学術的に探究していこうと、2022年、神戸大学に「神戸雰囲気学研究所(KOIAS=コイアス)」が設立されました。「雰囲気学」とはどんな学問で、どのようにして研究に取り組んでいるのでしょうか。KOIASの代表を務める久山雄甫准教授にお話を伺いました。

「雰囲気学」とは? 異分野、異文化を接続してアプローチ

「雰囲気学という名前は、私がお風呂場で考えました」と笑顔で話す久山先生は、この新しい学問「雰囲気学」について次のように説明します。

 

「雰囲気は、私たちにとって身近な言葉です。『場の空気』や『時代のムード』など、雰囲気に似た言葉もよく使いますよね。でも、『雰囲気とは何か』と改めて問われると難しい。そんな曰く言い難い『雰囲気』という現象を、学問の世界でも扱えるようにしたいと考えたのが、雰囲気学の出発点です」

 

雰囲気について包括的に論じるために、雰囲気学には二つの大きな特徴があると久山先生は語ります。一つは、分野間の横断。KOIASのメンバーの専門領域は、哲学、倫理学、美学/感性学、文学、歴史学、芸術学、美術史、心理学、地理学、建築学、演劇学、言語学と多岐にわたり、異分野のコラボレーションによって研究が進められています。

久山先生

 

もう一つは、文化間の横断。哲学概念としての「雰囲気」は、1960-70年代にドイツの新現象学と呼ばれる流れの中で生まれたため、これまでは哲学の分野で、欧米の言語を中心に研究されてきました。しかしKOIASでは、そういった従来の枠組みを超えたアプローチを行っています。

 

「私の専門分野は近代ドイツ文学・思想史で、特にドイツ語の『ガイスト』という概念をテーマとしています。ガイストとは、人知をこえた『雰囲気』のほか、『精神』『霊』『気風』などの意味を表すドイツ語ですが、この概念は東アジアで『気』と呼ばれるものとしばしば重なり合います。私も博士論文では東アジアの『気』に注目し、洋の東西をまたいだ考察を試みました」

 

「雰囲気」ととらえられているものに対して文化横断的にアプローチし、ヨーロッパと東アジアの理論を接続させたいという久山先生。ただし、決してオリエンタリズムやエキゾチズムには偏らず、フラットな視点を保ちたいと強調します。

 

「これまでは欧米中心の学問のあり方がどうしても強かった。そうではなく、さまざまな文化の伝統をフラットに見ることができるようなプラットフォームを作りたいんです。ゆくゆくは、アジア・アフリカの諸地域、オセアニア、南北アメリカといったエリアの文化にも雰囲気学の対象を広げていきたいですね」

意識しないままに影響されている? 私たちと「雰囲気」の関係

設立からまだ日が浅いKOIASにとって、直近の課題は「雰囲気学の基礎概念をつくること」だと久山先生は語ります。

 

「そもそも雰囲気って、曖昧で、非学問的なイメージがあると思うんですよね。そうではなく、雰囲気を学術的に論じられる枠組みをつくることが大切なんです。共通言語となる基礎概念をつくり、そこをプラットフォームにして、さまざまな人たちとコミュニケーションを取っていきたい」

 

雰囲気に関連する現象の身近な例として、久山先生は「天気と人間の関係性」を挙げます。

 

「例えば、近代的な人間観では、天気と人間の理性の働きは切り離せると考えられていますが、実際はどうでしょうか。同じ内容の裁判でも、晴れた気持ちのいい天気の日と、大荒れでみんながすごく気分の悪い日では、判決が違うかもしれない。もちろん、あってはならないことですし、そんなことは起こらないと考えるのが近代的な人間観です。でも、もしかしたら重要なファクターとして存在するかもしれないですよね」

 

確かに私たちは、雲一つない空を見て晴れやかな気分になったり、梅雨の時期になんとなく気分が塞いだりと、少なからず天気に左右されて暮らしています。天気のほかにも、さまざまな要因からなる「雰囲気」に意思決定が影響されることは、多くの人が日常生活で経験しているでしょう。

 

「今はそういった、雰囲気に影響される我々のあり方を論じる包括的な枠組みがないんです。論じるための共通言語がつくれたら、現実の世界をより丁寧に理解したり、より良く整えたりするための道具になるかもしれない。さまざまな歴史文化に学び、現場にできるだけ寄り添って、そうした我々のあり方を見ていく。それが雰囲気学の根本にある考え方です」

 

雰囲気学を論じるための「共通言語」とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。例の一つとして、久山先生は「雰囲気的暴力」という言葉について説明してくれました。

 

「KOIAS主催のシンポジウムで私自身が勉強させていただいたことなのですが、例えば、再開発が進んで街がきれいになっていく一方で、そこでもともと暮らしていた、経済的に立場の弱い人たちが居場所を失ってしまうことがあります。きれいさが持っている隠れた暴力性によって、『ここはちょっと違うな、自分のいる場所じゃないな』と感じる人がいる。そういった力学を『雰囲気的暴力』と呼んで、KOIASでも今後議論していきたいと考えています」

 

「雰囲気的暴力」は都市論の一つのトピックとして議論できるだけでなく、政治の分野では全体主義やネット世論といった問題とも関連していると言います。

 

「雰囲気を使って、はっきりとは意識させないまま、相手を意識と無意識の間で操作できてしまうことがある。雰囲気は人心操作の道具として意図的に使うことができるんです。だからこそ、客観的、批判的に見ていかなければいけないと思います」

 

雰囲気学の基礎概念をつくることで、日常的な雰囲気の捉え方も、より複層的・多面的なものになるはずだと、久山先生は力強く語ります。

 

「さまざまな知見を合わせて、できるだけ包括的で、いろんな分野で応用してもらえるような概念体系ができたらと思っています。各分野のディシプリン(規律)を大切にしながら、ディシプリン同士を橋渡しするような共通言語をつくっていきたいですね。KOIASを立ち上げてからのこの2年ほどで、『雰囲気』はさまざまな分野や文化を橋渡しするのにとても適した面白いテーマだという確信を強めています」

雰囲気学のルーツは意外なあの人

それにしても、近代ドイツ文学を専門とする久山先生が雰囲気について注目するようになったのはどうしてでしょうか。

 

「私が主に研究しているゲーテは詩人、作家として知られていますが、自然科学者でもあり、たとえば色彩についても研究しています。色彩を物理的に解き明かしたニュートン光学とは異なり、ゲーテの『色彩論』は、色彩が人間の眼にどのように映るかという点にも注目しました。『青色の壁紙の部屋は、いくらか広く見えるが寒々しい感じがする』など、現代でいう「共感覚」に通じるかたちで、いわば『色の雰囲気』に言及しているのです」

*共感覚…ある感覚刺激によって、ほかの感覚を得る現象。(たとえば、音を聞いて色を感じるなど)

 

ゲーテ『色彩論』より。 画像:wikimedia commons

 

ゲーテは詩においても、大事なことを直接言わず、余白から雰囲気を感じさせるような表現が多いと話す久山先生。「実はゲーテ研究がドイツ哲学の雰囲気概念と結びついている」と説明します。

 

「雰囲気論の基礎をつくったのが、ドイツの哲学者であるヘルマン・シュミッツとゲルノート・ベーメという人物です。面白いことに、彼らはいずれも、優れたゲーテ研究でも知られていました。私は大学院時代、ドイツに留学しベーメ先生のもとで学んだのですが、ゲーテを研究してきた私の立場からすると、雰囲気学はゲーテ研究の延長線上に位置づけられるんです」

 

ただ、新たな学術分野としての雰囲気学は、こういったドイツ哲学からの流れに縛られず、シュミッツ、ベーメの枠を越えて批判的に展開していきたいと久山先生は続けます。

 

「雰囲気学は、各学問分野の方法論を大切にしながら、さまざまな分野の知見を統合していくことに価値があると考えています」

 

久山先生がそう語る通り、KOIASには多分野の研究者が所属しているだけでなく、ドイツ、イタリア、カナダ、スロベニア、台湾といった海外の研究機関と協定を結び、分野/文化横断的な視点から研究を進めています。

雰囲気の「計測」は可能か? アートとのコラボレーション?――垣根を超えた対話を

こうした雰囲気学の研究に注目し、連携を深める企業もあります。株式会社島津製作所は、雰囲気学の発展、また文理を融合した視点で社会課題を捉える人材育成をめざし、KOIASと共同事業契約を締結。島津製作所の若手社員とKOIASのメンバーとがディスカッションを重ねる「SHIMADZU-KOIAS雰囲気学レクチャー」を定期的に行うなどしています。

島津製作所本社(京都)でのレクチャーの様子。江戸時代の書物デザインにみられる雰囲気について紹介し、現場への応用可能性などをディスカッション。

 

「島津製作所は計測機器を扱う会社ですから、雰囲気の計測や数値化についても対話を進めていく予定です。雰囲気をすべて計測できるとは思わないですが、どこまで定量化できるのか、逆に言うと、定量化できない要素は何なのかを議論していくことは面白いし、重要だと考えています」

 

さらにアートの分野では、美術館とのコラボレーションも生まれています。福島県郡山市立美術館では2024年1月30日から4月21日まで常設展「“雰囲気”を展示する」を開催。会場にKOIASのメンバーによるポップ解説が設置され、3月には久山先生によるギャラリートークも開催されました。

郡山市立美術館でのギャラリートークの様子。「季節感」「共感覚」などをテーマに、絵画のもつ雰囲気の魅力を解説。

 

「とても熱心に話を聞いてくださる方が多くて、ギャラリートークが終わった後もたくさんのコメントをいただきました。飲食店を営んでいる方が『雰囲気のお話を聞いて、先代から“お店の匂い”が大事だと言われていたのはこういうことだったのかと実感しました』とおっしゃったのが印象的でしたね。お店の匂い、つまり雰囲気づくりが大切だという話ですね」

 

今年5月には「KOIAS ART PROJECT」としてベルリンのサウンドアーティストを招いたワークショップやシンポジウムを開催。7月にも群馬を拠点とする画家を招き、ワークショップが開催される予定です。

 

「日常的な経験に即して、学問の世界でも雰囲気を語れるようにしたいというのが雰囲気学の出発点。今後もアカデミア内外の垣根を取り払って、議論や対話を大切にしていきたいですね」

 

久山先生のお話を通して、私たちは日々、知らず知らずのうちに雰囲気に流されて過ごしていると改めて気づかされました。日常生活に潜む雰囲気という存在に改めて向き合うことで、自分を客観視したり、物事を多面的に見たりできるのかもしれません。

双方向の科学コミュニケーションにつながるカードゲーム「ひみつの研究道具箱」とは?開発者の東大・松山先生に聞いてみた。

2024年4月18日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

仕事や日常生活で困ったとき、「ドラえもんの道具があればいいのにな」と妄想した経験はありませんか?

 

東京大学生産技術研究所(以下、東大生研)の松山桃世先生が開発した「ひみつの研究道具箱」は、ドラえもんが四次元ポケットから取り出す道具を彷彿とさせるようなカードゲーム。でも、ピンチを脱するための「道具」となるカードに書かれているのは、マンガやアニメに出てくる夢物語ではなく、すべて実際に東大生研で開発された最新技術です。

 

「最先端の技術を使ってピンチに挑むなんて、SFみたいで面白そう」「カードのイラストがかわいい」と興味津々のほとんど0円大学編集スタッフが、まずはゲームを体験してみました。さらに、開発者の松山先生に、カードが生まれた背景や込められた思い、活用事例についても伺いました。

東大生研の最新技術でピンチを切り抜ける!

「ひみつの研究道具箱」は、Web上で誰でも気軽に体験できます。遊び方はシンプル。まず「今月のピンチ」「学校編」「会社編」「人間関係編」「家・まち編」「日本・地球編」から挑戦したいカテゴリーを選ぶと、ピンチがランダムに1つ提示されます。さらに、ランダムに表示される5枚の技術カードを使い、与えられたピンチを切り抜けるアイデアをひねり出します。

どんなピンチが出るのかもお楽しみ。「マスクで相手の感情が読み取れない!」という日常的なものや「日照り続きで、日本全体が水不足に!」といった規模の大きなピンチもある

どんなピンチが出るのかもお楽しみ。「マスクで相手の感情が読み取れない!」という日常的なものや「日照り続きで、日本全体が水不足に!」といった規模の大きなピンチもある

 

技術カードは全部で52枚。すべて生産技術研究所で今まさに研究されている最新技術です。原子や分子といったミクロの世界で活躍する技術から、都市・地球・宇宙レベルの世界を対象とする技術まで、工学のほぼすべての分野をカバーしているのは、大学の附置研究所としては日本最大級の規模を誇る東大生研ならではです。

 

ほとんど0円大学編集部が引いたのは「隣町で致死率の高い感染症が発生!」というピンチカード。「自律型海中ロボット」「半導体フィルム」「水循環の予測」「スーパーコンクリート」「パブリックスペース設計」の5枚の技術カードでピンチに挑みます……!

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上がピンチカード。下は手札となる5枚の技術カード。緑の矢印ボタンを押すと技術の簡単な説明が表示されるが、詳細はなく想像が広がる

上がピンチカード。下は手札となる5枚の技術カード。緑の矢印ボタンを押すと技術の簡単な説明が表示されるが、詳細はなく想像が広がる

 

「ひび割れが治る・何度でも作り直せるスーパーコンクリートで、隣町との間に隔離壁を作ろう」

「もし感染していない人類のほうが少ない状態になってしまったらどうする?」

「全自動で海の中を探査する自律型海中ロボットで、子どもたちだけでも海中に避難させては?」

「海中ロボットの艦内には半導体フィルムを貼って、艦内でも娯楽が楽しめるようにして、ウイルスが死に絶えるのを待とう」

 

SFのストーリーを考えるような感覚で自由にアイデアを出し合います。一人で考えるよりも、みんなでワイワイと話しながら考えると、自分では思いもよらない発見があってより楽しめそうです。

 

このゲームは実際にはどのような場面で活用されているのでしょうか?そもそもなぜこのゲームを開発することになったのでしょう?ここからは、開発者の松山先生に詳しくお話を伺います。

市民の知を研究者に伝えるコミュニケーションツール

もともとは分子生物学の研究に携わっていた松山先生。現在は科学コミュニケーションを専門とし、研究や実践に取り組んでいます。

 

「科学コミュニケーションという言葉を聞くと、アカデミックな内容を一般の人たちにいかにわかりやすく伝えるかというアウトリーチをイメージする人が多いと思います。もちろんそれも重要で不可欠な活動ですが、市民が持っている知を研究者に伝える、逆方向のコミュニケーションもとても大切なんです」

双方向の科学コミュニケーションについて、松山先生が説明してくださったスライド

双方向の科学コミュニケーションについて、松山先生が説明してくださったスライド

 

松山先生が双方向の科学コミュニケーションの重要性を強く意識するようになったのは、東日本大震災の経験がきっかけでした。当時、日本科学未来館の科学コミュニケーターを務めていた松山先生は、来館者の人たちからさまざまな声を聞いたと言います。

 

「これまで科学技術の素晴らしさばかりを発信して、危険な側面を伝えてこなかったのではないかという批判もありましたし、情報が錯綜する中で何を信じていいかわからないという不安の声もありました。そんな声を聞いて、科学は私たちがより良く生きるための知であることを知ってもらいたいという思いが強くなって。そのためには科学の内容を伝えるだけではなく、社会・倫理・法・経済といった多様な視点で科学を捉えて、みんなで共有できるような場やツールが必要だと考えはじめました」

 

そこで松山先生は、科学技術を題材として「あなたは賛成ですか、反対ですか」「その理由は何ですか」と問いかけ、回答を付箋に書いて掲示するコーナーを作ったり、対話を通してそれぞれの意見を共有して考える場を設けたりする活動を始めました。すると、参加者が科学技術への理解を深められるのはもちろん、その場に研究者がやって来て参加者の声を聞き、「参考になった」と喜ぶ場面にもたびたび遭遇したそうです。

 

「消費者、生活者の知恵を集めて、開発段階で研究に組み込むことができれば、研究者にとっても市民にとっても、よい良い技術が生まれていくはずだと実感しました。そのためのツールを作れないかと考え、カードゲームの発想につながったんです」

 

カードゲームを作る上では、どのような点を工夫したのでしょうか。

 

「研究者が全く把握していない問題意識や価値観を知りたいわけですから、研究現場からなるべく遠いコミュニティの人たちが楽しめることを最も重視しました。そのため、デザインはやわらかい雰囲気にして、技術の説明も詳細を詰め込みすぎず、文字量を極力削って本質だけを伝えるように心がけました」

 

さらに、カードゲームを使ってワークショップを行う際にも、気を付けていることがあると言います。

 

「正解を出すのが目的ではなく、答えのユニークさや多様さを評価軸にしてくださいといつも伝えています。多様な価値観を共有することで、物事の理解が深まり、技術と自分の関係性を考えるための視点が増えていく。それが一番大切なんです」

教育や文理融合のツールとしても活用

2019年に開発された「ひみつの研究道具箱」。当初はまちづくりをテーマにしたワークショップや、東大生研の広報活動で使われていましたが、現在は主に2つの目的で活用されています。

 

1つは、教育目的。小中学校や高校で活用が広がっています。例えば、東京都中野区にある新渡戸文化中学校では、半年間にわたり「ひみつの研究道具箱」を使って探究学習を行いました。スーパーコンクリートを用いてどんなイノベーションができるか、生徒たちがワークショップや調べ学習を行い、生産技術研究所で研究者にプレゼンテーションしたそうです。

プレゼンテーションの様子

プレゼンテーションの様子

 

「プレゼンの後、研究者と一緒にディスカッションする中で、中学生から『うちのペットにあげたい』という声があがったので、研究者が白菜でスーパーコンクリート※を作ってプレゼントしたんです。すると、ペットがものすごく気に入って離さなくなったらしくて(笑)。今後は飼料としての可能性もあるかもしれないという、研究者の新たな気づきにつながりました。生徒たちも、アイデアを出して研究者と直接話せた経験が刺激になったようです」

 

※コンクリートがれきや廃棄食材など要らなくなった「ゴミ」を粉末にして、加熱しながら圧力をかけるだけで産み出せる新発想の建材・材料。食材でも強度ある建材ができる。

 

もう1つの目的は、文理融合。例えば、2024年3月に行われたリサーチ・アドミニストレーター(URA)のシンポジウムでは、違う分野の専門知をどう組み合わせて何ができるのかを探索するツールとして、「ひみつの研究道具箱」が活用されました。

 

「これまでのワークショップで見えてきたのは、社会課題解決のプロセスの中で、人文社会系と工学系がそれぞれ得意とする場面があるということです。そもそも課題とは何かを定義するのは、人文社会系の得意分野ですし、具体的にどう解決するかという場面では工学が強い。新しい技術が入ることによってどのような問題が起こり得るかを考える際には、また人文社会系の強みが生かされるでしょう。このように各ステップで両者が手を取り合って知を交換しながら進めれば、よりうまく社会課題を解決できるかもしれません。そこで、このシンポジウムでは技術カードに人文社会系のカードを加え、文理を融合させてピンチを解決するプロセスを描きました」

社会学、法学、教育学といったカードが加わり、より多様なアイデアを生む源泉となった

社会学、法学、教育学といったカードが加わり、より多様なアイデアを生む源泉となった

 

人文社会系の知をカードとして落とし込むのも、そのカードを使いこなすのも、かなり難易度が高そうですが、「ひみつの研究道具箱」の新たな可能性が広がりつつあるのを感じます。

技術と自分の関係性を考えるきっかけに

「ひみつの研究道具箱」を使ったワークショップは、これまでに全国で30~40回ほど開催されてきました。さらに、Webサイト上の体験後、誰でもアイデアを投稿できるようになっているため、すでに数百個ものアイデアが集まっています。

 

「これまで蓄積してきた多くのアイデアを研究者にどのように届けていくのかが今後の課題です。先ほどの中学校での事例もそうですが、やはり市民と直接対話をして新しい刺激を受けたときに、研究者がすごく前のめりになるので、アイデアをただデータとして渡すのではなく、対話の場を設けていくことが有効ではないかと考えています」

 

まだアイデアが実現した例はないものの、これまでのワークショップで大きな手ごたえを感じていると松山先生は語ります。

 

「たまたま連れて来られて『科学なんて別に興味ない』と言っていた子が、ゲームをするうちに目をキラキラさせて楽しそうにアイデアを出している様子をたくさん目にしました。当初の目的である、科学から遠いコミュニティを巻き込む力はあると実感していますね。以前、視覚障害者の方向けにワークショップをしたときには、研究者が認識すらしていない、技術の活躍できる舞台がまだまだ多くあると感じました。さまざまなコミュニティに持ち込むことで、あっと驚くようなアイデアが得られるかもしれません」

 

動画は千葉市でのワークショップ「もしかするちば~自然×科学×まちづくり~」の様子。教育システムの高度化やリサイクルの発達など、バラエティ豊かな未来の千葉の姿が描き出された

 

さらに近年は、ELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)やRRI(Responsible Research and Innovation:責任ある研究・イノベーション)の考え方が重要視される中で、研究開発のプロセスに多様な人たちを巻き込むツールとして、「ひみつの研究道具箱」が果たす役割が高まっています。

 

これまでのワークショップでは、ゲームの第1ラウンドは練習がてら気軽なテーマ、第2ラウンドはSDGsの1つのゴールなど社会課題をテーマとして取り組んでいましたが、最近はさらに第3ラウンドを設け、「その技術は倫理的・法的・社会的にどんな問題をはらんでいますか」「正と負の両面を考えた上で、その技術を本当に実現したいですか」といった議題でさらに深く話し合う時間を作っているそうです。

 

「RRIという考え方を研究者側が意識するのはもちろんですが、これから社会を構成する若い人たちにも知ってもらいたいですし、自分たちにも関係があるんだ、関係していいんだという感覚を培ってほしい。そのためのツールとしても活用していけたらと思っています」

 

松山先生の言葉から、「ひみつの研究道具箱」は最新技術を知ったり活用法を考えてみたりして、科学の分野に親しめるだけでなく、技術と社会、技術と自分、といった関係性を考えるためのツールでもあることがよくわかります。最後に松山先生は、技術との向き合い方について、こんなふうに語ってくれました。

 

「私は、技術は何でもすべて諸手を挙げて受け入れるべきものだとは思っていないんです。大切なのは、必要な人と必要でない人がちゃんと選択できること。そして、必要でないという選択をした人が不利益を被らないことではないでしょうか。技術を使う人は恩恵を享受できればいいし、使わない人も違う形で幸せに過ごせるような社会であってほしいと願っています」

「新しい技術ができたらこれを使わなければいけない、使えない人はリテラシーが低いと切り捨てられるような社会にはならないでほしいと思っています」と話す松山先生

「新しい技術ができたらこれを使わなければいけない、使えない人はリテラシーが低いと切り捨てられるような社会にはならないでほしいと思っています」と話す松山先生

成績なし試験なし!? デンマークの国民学校「フォルケホイスコーレ」の精神から、私たちが学べることとは?東洋大学助教・矢野拓洋さんに聞いてみた。

2023年11月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

上記写真:フォルケホイスコーレの様子 ©矢野拓洋

 

試験や成績は一切なし。17歳以上なら誰でも入学できる、デンマーク発祥の教育機関「フォルケホイスコーレ」をご存じでしょうか。デンマーク語で「フォルケ」は民衆、「ホイスコーレ」は高等学校を意味します。日本では「人生の学校」とも呼ばれ、近年はフォルケホイスコーレをモデルとした施設が岩手県や北海道で設立されるなど、注目が高まっています。

 

試験も成績も存在しない不思議な学校は、どのようにして生まれたのでしょうか。今回は、建築・都市デザインの視点からフォルケホイスコーレに着目して研究している東洋大学助教の矢野拓洋さんに、フォルケホイスコーレの魅力や歴史的・文化的背景、デンマークの建築や都市空間との関係についてお話を伺います。

個人を尊重し、対話を通じて学びを深める

フォルケホイスコーレとは、いったいどんな学校なのでしょうか。矢野さんは4つの教育的特徴を挙げて説明してくれました。

 

「1つ目は、教科書を使わない、生きた言葉での対話の授業。学生たちは感情・知識・経験を統合し、自分の言葉で表現します。2つ目は、試験や成績がないこと。他人の評価軸では計らないため、自分の評価軸が身に付きます。3つ目は、共に暮らす全寮制。教員も含めフラットな人間関係の中での生活を通して、誰もがコミュニティを作る一員であるという自覚が芽生えます。4つ目は、17歳半以上なら誰でも入学できること。多様な価値観を受け入れる環境で、相手を認め、自分も認めることを学べます」

 

例えば、写真は授業中の一場面。板書をしながら話す先生の話を学生たちが聞いている、日本の学校でもよくある風景に見えますが……?

座学の授業風景…?©矢野拓洋

座学の授業風景…?©矢野拓洋

 

「実は前で話しているのは学生なんです。『このトピックについて話したい』という学生がいたら、先生と学生が自由に入れ替わるなど、先生のファシリテーションのもと、多方向性で会話中心の授業が行われています」

 

また、授業の半分くらいはグループワークで、学生同士が意見を交わしながら学びを深めていくそうです。

グループワークの様子 ©矢野拓洋

グループワークの様子 ©矢野拓洋

 

「フォルケホイスコーレでは、さまざまな場面でディスカッションが起こります。授業内容も寮生活のルールも、学生たちの声から作られていきます。『そもそも自分が何をしたいのか』が常に中心に置かれていて、学生の裁量が非常に大きいところが魅力です」

授業以外はこのような雰囲気 ©矢野拓洋

授業以外はこのような雰囲気 ©矢野拓洋

 

デンマークでは、公教育においても対話中心で自由度の高い授業が行われていそうなイメージがありますが、フォルケホイスコーレと公教育ではどのような違いがあるのでしょうか。

 

「もちろん公教育でも、対話型の授業が多く行われています。フォルケホイスコーレを作ったのは、哲学者・教育者のグルントヴィという人物ですが、彼は『デンマーク教育の父』と呼ばれていて、公教育にもかなり大きな影響を与えているんです」

 

そのような教育環境の中でも、「一度立ち止まって、自分のペースで考える時間がほしい」と考える人たちが、フォルケホイスコーレに入学する道を選んでいると言います。

 

「デンマークの義務教育は、9年生で卒業するか10年生で卒業するか、自分で選べるんです。9年生で卒業してそのまま高校に行く人もいれば、10年生まで行く人もいるし、その後にギャップイヤーをとってから高校に進む人もいます。フォルケホイスコーレは、ギャップイヤーをとる人の行き先のひとつと位置づけられており、大学入学前や休学した人、一度社会に出た人もいます。ありとあらゆる人生の選択肢の一つとして、フォルケホイスコーレがあるという感じですね」

フォルケホイスコーレの増加と、社会構成主義の普及

フォルケホイスコーレが設立されたのは1844年。その20年後、1864年にプロイセンとのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に敗れたことをきっかけに、市民の間で知への欲求が高まり、フォルケホイスコーレの爆発的な増加につながりました。

「デンマークでも1800年代までは、対話型ではなく『教科書通りの答えを覚えなさい』という一方通行の授業が中心でした。しかし、フォルケホイスコーレがデンマーク中に広がっていくと共に、対話中心の教育が公教育も含めたあらゆるところに伝播していきました」

 

矢野さんは、かつて行われていた一方通行の教育を「客観主義」、対話を通して学び合う教育を「社会構成主義」と位置づけ、フォルケホイスコーレの増加が社会構成主義的思考の普及につながり、さらには民主主義社会に寄与していると説明します。

 

「社会構成主義的な考え方が普及することで、人々が積極的に参加して、自らの意志で社会を作る文化ができていった。だからこそデンマークでは、国政選挙で毎回投票率が80%を下回らないような社会が作り上げられたのだと思います」

 

建築・都市デザインを専門とする矢野さんは、対話に基づいて答えを見いだしていく社会構成主義的なアプローチが、建築や都市空間にどのような影響を与えているのかに注目しています。

お話を伺った矢野さん(左)。世界的に有名なデンマークの建築家、ヤン・ゲール氏と

お話を伺った矢野さん(左)。世界的に有名なデンマークの建築家、ヤン・ゲール氏と

 

「社会構成的なプロセスデザインは、2000年代以降、世界中のあらゆる分野で生まれてきています。例えばソフトウェア開発では、計画→設計→実装→テストといった開発工程を小さいサイクルで繰り返す『アジャイル開発』という手法が登場しました。起業においても、試作品に対する顧客のフィードバックをもとに製品・サービスを開発していく『リーン・スタートアップ』の手法が、キャリア形成においては、偶発的な出来事をポジティブに転換させる『プランド・ハップンスタンス』の理論が生まれています」

 

都市空間においては、「タクティカル・アーバニズム」という考え方が、社会構成主義的なアプローチにあたると言います。

 

「かつての都市計画は、10年20年先まで計画を立てて、それに基づいて作っていくのが主流でした。タクティカル・アーバニズムはそうではなくて、例えば自分の家にある家具を外に出して座ってみるとか、個人でできることから始めて、そのアクションをもとにみんなで話し合っていこうという考え方です」

 

矢野先生は例として、デンマークの都市計画における、ローカルプランという制度について説明します。

 

「デンマークでは、数10年にわたる都市計画を1回で決めきるのではなく、数組の建築家がその都度さまざまなステークホルダーと協議しながらリレー形式でプランを引き継ぎながら作り上げていきます。建築を作るには時間がかかるし、数年経ったら状況が変わっていることもあるので、話し合いながら、ローカルプランを更新していく。この考え方は、フォルケホイスコーレの思想とすごくマッチしていて面白いなと感じます」

デンマークの美しい街並みの原点にある思想

デンマークの建築事務所で働いた経験を持つ矢野さんは、現地で仕事をする中で「なぜこういう建築の考え方なんだろう」「なぜこういう都市ができあがったんだろう」という疑問を掘り下げていったところ、フォルケホイスコーレが原点にあると気づいたそうです。

 

「まず出勤初日から衝撃を受けたんです。朝、事務所に着くと、所長から『君は朝が早そうだから』と鍵を渡されて。まだ2回くらいしか会ったことのないアジア人にいきなり渡すなんて、とびっくりしました。中に入ってみると、複数の建築事務所がワンフロアをシェアしているのに、間仕切りのない空間でみんなが一緒に働いていることにも驚いて。さらに、その日に行われたミーティングで、ひときわ大きな声でたくさん話している人がいたので、あの人がリーダーなのかなと思って後で話を聞きに行くと、『いやー、今日僕はインターン初日だから緊張したよ』と言われて、それもかなり衝撃でした(笑)」

 

コミュニケーションやデザインのプロセスのあり方が日本とは全く違っていることに、初日から圧倒されたと笑う矢野さん。働き始めてからも、「君はどう思う?どうしたい?」と常に意見を求められることに驚いたと言います。

 

「自分の声が人の役に立つかもしれない。自分にも人に貢献できる力があるかもしれない。デンマークで働くうちに、そんなふうに意識するようになっていきました。そして、デンマークの建築も都市も、そこにいる人たちの一つひとつの声が合わさって作られているんだと、まざまざと感じたんです。この感覚はどこからどうやって生まれてきたんだろうと調べていくうちに、フォルケホイスコーレの精神にたどり着きました」

 

例えば、街にあるゴミ箱にも、そこに住む人たちの声が反映されていると矢野さんは語ります。

ゴミ箱の側面にあるのは? ©矢野拓洋

ゴミ箱の側面にあるのは? ©矢野拓洋

 

「ゴミ箱の側面にトレーが付いています。これは空き缶やペットボトルを置いておくための場所なんです。リサイクルできる資源を集めてお金に換える人たちが、ゴミ箱の中に手を突っ込んで探さなくてもいいようにすることで、彼らは回収しやすいし、リサイクルが進めば環境にとっても良いし、街もきれいになりますよね。既存のものにプラスアルファすることでより良い社会を作ろうとしているわけです。いろんな人たちの存在を排除するのではなくインクルードしていく姿勢が、ゴミ箱一つにも表れていると感じます」

 

前述のローカルプランも同じだと、矢野さんは続けます。

 

「ローカルプランも、既存のものを否定せずに、付け足し続けてバージョンアップさせて、都市を作っていく。他者の考えを認めた上で、こうしたらもっと良くなるんじゃない?と付け足すことをひたすら繰り返していくんです」

 

矢野さんのお話から、デンマークの美しい街並みの原点には、フォルケホイスコーレの対話の精神があることがよくわかります。

日々の暮らしの中にも、対話の精神を

矢野さんは、研究・教育活動のかたわら、一般社団法人IFASの共同代表として、日本でのフォルケホイスコーレの普及にも携わっています。

 

「対話の精神や社会構成主義的な考え方を、日本でもっと広めていって、日本の教育やキャリア形成のあり方を変えていけたらと、IFASの活動を行っています。僕個人としては建築や都市が専門なので、社会構成主義的な考え方を物理的な空間として実装していきたいという思いもあります」

 

今、日本で暮らしている私たちは、フォルケホイスコーレの精神を日々の暮らしの中でどのように取り入れていけるでしょうか。最後にそう問いかけると、矢野さんは「まずは一つひとつの会話のあり方を変えてみては?」と答えてくれました。

 

「先輩や上司など組織の中で教育する立場にいる人は、自分が知っている答えを若手に押し付けてしまいがちです。勉強熱心な方も『対話が大事だ』という答えを暗記して満足してしまっているように思います。いずれも客観主義的思考といえます。『理想と現実は違う』と、つい自分にかけてしまうストッパーを外して、目の前にいる他者の言葉を信じて一緒にやってみること。そういう勇気が、フォルケホイスコーレの精神から学べるんじゃないかと思います」

 

例えば、鍵を手渡してくれた人のように。他者を尊重し、信頼する勇気を持つことから、自分も周りも少しずつ変わっていくのかもしれません。

女性学のパイオニア・上野千鶴子先生が次世代に伝えたいこととは? 東洋学園大学の公開講座をレポート

2023年9月14日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

19世紀末から20世紀初頭にかけて起こったフェミニズムは、女性の権利拡大に大きく寄与してきました。近年は、世界中に広がった「#MeToo」運動に代表されるSNSを中心とした動きが活発化し、「第四波フェミニズム」の到来とも言われています。日本でも「#Kutoo」「#わきまえない女」といったハッシュタグが話題になったことは記憶に新しいのではないでしょうか。

 

今回は、日本のフェミニズムを牽引してきた認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長で東京大学名誉教授の上野千鶴子先生が、東洋学園大学の公開講座で講演を行うと聞き、オンラインで聴講しました。

過去の公開講座レポート
不完全なものほど「侘びている」!? 東洋学園大学の公開講座で「抹茶茶碗」の奥深さを学んだ

フェミニズムが半世紀にわたって達成してきたこと

今回参加したのは、今年5月から8月にかけて全7回開催された東洋学園大学の公開講座「教養の扉を開く ~一流講師の知にふれる、珠玉の講義~」の第5回。上野千鶴子先生が、「次世代にどんな社会を手渡すか ―ジェンダー平等の明日」と題してオンライン限定で講演されました。

 

女性学のパイオニアとして知られる上野先生は、「日本でウーマンリブが生まれたのは1970年、半世紀以上前です。フェミニズムが変えたことはいくつもあります」と語り始めます。

 

「東京メトロで『痴漢は犯罪です』というポスターを見た時の感動は忘れられません。かつては『痴漢は受けて当たり前。痴漢に遭ったことのないおまえには性的魅力がない』とさえ言われていました。でも、痴漢は犯罪だとはっきり表現できるようになったのです」

 

他にも、家庭科男女共修や男女混合名簿、お茶汲みの廃止など、フェミニズムが変えたものを挙げながら、「中でもセクハラの不法行為化はとても大きい変化だった」と話す上野先生。自身の性被害を公表し、日本の「#MeToo」運動の先駆けとなったジャーナリストの伊藤詩織さんの例を取り上げ、このように指摘します。

 

「私が『空気が変わった』と感じたのは、伊藤詩織さんと作家の中島京子さんの対談を読んだ時でした。中島さんはこうおっしゃっています。『もし私たちの世代がちゃんと声をあげていれば、社会も少しは変わっていたかもしれない。詩織さんがひとりで頑張らなければならない状況にしてしまい、本当に申し訳ない』と。それまでは、年長の女性はセクハラを告発する若い女性に対して『そんなことを言い立てるとあなたのためにならないわよ』『うまくいなすのが大人の女よ』と抑える側にいた。そんな年長の世代が変わり始めたことを実感しました」

 

さらに、上野先生は「権力=状況の定義」だと語り、セクハラについて次のように説明します。

 

「セクハラの加害者は『合意の上だった』と言います。でも被害者は『いや違う、あれは強制だった。ノーが言えなかった』と言います。こうやって加害者側から被害者側へと状況の定義権を奪い返してきたことが、フェミニズムが達成したことです」

 

フェミニズムが変えられなかったこととは?

多くのことを達成してきたフェミニズム。では、フェミニズムが変えられなかったことは何でしょうか。上野先生は「一番大きな問題は、労働と経済に切り込めなかったこと」だと語ります。

 

例えば、日本の男女賃金格差は諸外国と比べると非常に大きく、韓国に次いでワースト2位。女性管理職比率も諸外国の半分から3分の1ほどに留まっています。

 

「なぜ賃金格差が大きいかと言うと、女性が稼げるポストに就いていないからです。ポストが上がらないから、給料が上がらない。(それに対して)なんでやねんと言ったら、『女性は早く辞めるから出世できない』と言われてきました」

グラフは講演のスライド資料をもとに「ほとんど0円大学」で作成

グラフは講演のスライド資料をもとに「ほとんど0円大学」で作成

 

本当に女性が早く辞めることが原因なのでしょうか。ここで上野先生は、非正規雇用の問題について言及します。

 

「日本の女性は、生産年齢人口の10人に7人が働いています。問題はこの人たちの半分以上が非正規で働いているということです。正社員は妊娠・出産を経ても25%しか離職しません。でも非正社員の人たちは、6割が離職します。多くの人が期間満了、雇い止めといった形で辞めざるを得ない状況です」

 

そして、こういった状況の背景には、男女平等法制と労働法制が関係していると言います。

 

「1985年、男女雇用機会均等法ができたのと同じ年に、労働者派遣事業法ができました。ここから怒涛のごとく、雇用の規制緩和が起きました。ジェンダー平等法制の整備と雇用の規制緩和、この2つがまるで表番組と裏番組のように、手に手を取り合って進んできたように見えます」

 

さらに、もう一つの大きな問題として、昭和型の税制・社会保障制度を挙げます。配偶者控除、第3号被保険者制度、配偶者特別控除といった制度が「女性の就労をよってたかって抑制してきた。禁止してきたと言ってもいい」と上野先生。これらの制度は「103万・106万・130万・150万円の壁」と呼ばれ、「専業主婦優遇策」などと言われてきましたが、それは間違いだと断言します。

 

「こういったルールによって、いったい誰が得をするのか。それは、妻の社会保険料を負担しなくて済む夫、主婦パートの社会保険料を負担しなくて済む使用者、就労調整をする主婦パートを低賃金に抑えることができる使用者。結局、得をするのはおじさんばかりです。専業主婦優遇策と呼ぶのは完全な間違いだと思います」

 

男女雇用機会均等法、労働者派遣事業法、そして第3号保険者制度。この3つが制定された1985年が、「女性の分断」「女性の貧困」「女女格差(女性間における格差)」の元年であったと上野先生は語ります。

 

「ここから女の人たちが分断されていった。男並みに働く総合職と、『私はそこまで働けない』という非正規職、そして育児・介護専従者。女性が3層に分解され、貧困や格差が生まれていきました」

 

近年よく目にする、女性の分断・貧困・格差といった言葉。これらが40年近く前から始まっていたことにハッとさせられます。

 

日本がジリ貧から脱するための処方箋

フェミニズムが変えられなかった、労働と経済の問題。根本にある原因は一体何なのでしょうか。

 

「諸悪の根源は、日本型雇用。これは私たち社会学者も経済学者もほぼ意見が一致しています。日本型雇用とは、終身雇用・年功序列給与体系・企業内組合の3点セット。これらは組織的・構造的に女性を排除する効果があることがわかっています」

 

こうした性差別のツケによって、「このままでは日本はジリ貧になる」と上野先生は警告します。

 

「日本のGDPは世界3位ですが、国民一人あたりのGDPは24位に転落しました。生産性は28位です。国民負担率、男女賃金格差、ジェンダーギャップ指数も順位が低い。日本はジリ貧になり、二流国になりました。これは人災です」

 

数値ではっきりと現実を目にすると、思わず気持ちが暗くなってしまいますが、上野先生は「処方箋はある」と力強く語ります。

 

「どうしたらいいか、もう答えは出ています。日本型雇用をやめることです。女性を積極的に雇用し、均等処遇を行っている企業ほど、売上高経常利益率が高いことが調査からもわかっています。つまりそのほうが『儲かりまっせ』ということなんです。このまま変わらなければ、ジリ貧になるだけ。現状維持をするだけでも、変化し続けなければならない。危機感を持たなければ、日本社会は変化しません」

 

「こんな日本は変わりますか?」と問われたら、「YES」と答えると上野先生は言い切ります。「なぜなら、私たちが変えてきましたから。だから、あなたにも変えられます」。

 

被害者、加害者、そして傍観者にならないために

最後に、今回の講演のテーマとして掲げられている「どんな社会を次世代に手渡したいのか」について、上野先生はこう語ります。

 

「私はあなた方に加害者にも被害者にもなってほしくない。女がじっと我慢して被害者で居続けることは、次の誰かにとって加害者になることです。そして、とりわけ傍観者になってほしくない。沈黙は同意、笑いは共犯です。言葉を飲み込んだり、つられて笑ったりするのではなく、直ちにその場でイエローカードを出してほしいのです」

 

そして、現在は高齢者介護を研究テーマとしている上野先生は、「フェミニズムは、弱者が弱者のままで尊重される社会を求める思想です。私たちが手渡したい社会は、弱者が安心して生きられる社会。その弱者の中には、子どもやお年寄り、障害者、そして女が入っています」と講演を締めくくりました。

 

質疑応答の時間には、「社会を変えていくために、個人レベルでは何から始めたらいい?」「女性が自分らしくキャリアを構築するには?」「女性管理職を増やそうとして男性から『逆差別だ』と言われたら、どう切り返せばいい?」といった質問が次々と寄せられ、上野先生が厳しくも温かいアドバイスで激励する姿が印象的でした。

 

上野先生の講演を通じて、フェミニズムが変えたこと、変えられなかったことを振り返り、傍観者ではなく自分事として向き合っていくこと、小さなことからでも一つずつ声を上げていくことの大切さを改めて感じました。

手話コミュニケーションはコロナ禍をどう乗り越えた? 関西学院大学 手話言語研究センターで聞いてみた。

2023年7月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

コロナ禍において、私たちの暮らし方や働き方は大きく変化しました。特にコミュニケーション面では、マスクでお互いの表情が読み取りづらかったり、オンラインのやり取りで意思疎通がスムーズにいかなかったり。初めは多くの人が戸惑ったことでしょう。

 

そこでフト気になったのが、手話によるコミュニケーション。日常生活や仕事で手話を用いる人たちは、さまざまな制限があった中で不便を感じることはなかったのでしょうか。また、日常が戻りつつある今、コロナ禍で得た知見はどのように活用できるのでしょうか。全国でも数少ない手話研究の拠点である関西学院大学 手話言語研究センターで、センター長の松岡克尚先生、主任研究員の下谷奈津子先生と前川和美先生にお話を伺いました。

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【今回お話を伺った研究者】
◎松岡 克尚(写真中)/関西学院大学人間福祉学部社会福祉学科 教授 、関西学院大学手話言語研究センター長
博士(社会福祉学)関西学院大学社会学研究科社会福祉学専攻博士課程後期課程修了 。障害者の生活支援に貢献できるソーシャルワークが求められていると考え、障害学の考え方を導入しながら「障害者ソーシャルワーク」を理論化することを研究テーマにしている。
◎下谷 奈津子(同右)/関西学院大学手話言語研究センター 主任研究員 特別任期制助教
Gardner-Webb大学アメリカ手話学科学士課程修了、香港中文大学大学院言語学科修士課程修了。2023年度より現職。手話通訳士としても国内外で活動している。NHK Eテレ『みんなの手話』を監修。
◎前川 和美(同左)/関西学院大学手話言語研究センター 主任研究員 特別任期制助教
兵庫教育大学大学院学校教育研究科修士課程修了(特別支援教育)。2019年度より研究特別任期制助教、2023年度より現職。また、NPO法人手話教師センター理事として活動している。NHK Eテレ『みんなの手話』を監修。

 

手話は手指だけじゃない! 重要な役割を担う“非手指要素”

手話は「手で話す」と表記することから、手指で表現するというイメージがあります。マスクをしていても手は自由に動かせるので、コミュニケーションを取る上ではあまり不便はないのでしょうか。
そんな疑問を投げかけると、下谷奈津子先生は「手話には手指以外の要素もたくさんあるんですよ」と説明してくれました。

 

「手話における手指以外の表現を『非手指要素=NM(Non-Manuals)』と呼びます。例えば顔なら、鼻を除くすべてのパーツ。眉・目・頬・口・舌がNMの要素にあたります。眉の上げ下げや、頬を膨らませたりすぼめたり。他にも、頭や上半身もNMに含まれるので、首を横に振る、頷く、肩をすぼめる、胸を張るといったさまざまな表現があります。これらのNMは、文法の機能を持っているんです」

 

文法の機能とは……? すぐには理解できずにいると、前川和美先生が手話で「実際にやってみましょうか」と返してくれました(なお、ろう者の前川先生への取材は、手話通訳の方が入って進行しました)。 そして見せてくれたのは、「佐藤さんですか」と「佐藤さんはどこですか」という手話。

前川先生による「佐藤さんですか」(左)と「佐藤さんはどこですか」の手話

前川先生による「佐藤さんですか」(左)と「佐藤さんはどこですか」の手話

 


「2つの違いがわかりますか?」と前川先生。一見、同じようですが、首の動かし方が違うような……?

 

「そうです。手の動きは全く同じで、首の動きだけが違います。『佐藤さんですか』というYes/No疑問文の時は、顔を軽く下に向ける動作。『佐藤さんはどこですか』というWH疑問文の時は、首を横に振る動作をしていました」(前川先生)

 

「このように、NMには文全体の構造を決める役割があります。もう少し小さい単位で言うと、顔の下半分は副詞的な機能があると言われています」(下谷先生)

 

続いて、前川先生が見せてくれたのは「一生懸命勉強する」「特に問題なく勉強する」「ダラダラ勉強する」という3つの表現。

 

顔の表現が全く違うので、手話がわからない筆者でも一目瞭然! 「すごく表情が豊かですね」と思わず感想を漏らすと、2人はこんなふうに説明してくれました。

 

「ろう者は表情が豊かだとよく言われます。でも文法として必要なのでやっているだけなんです。それがNMというものです」(前川先生)

「一生懸命勉強する」「ダラダラ勉強する」の手話表現を比べると、その違いは一目瞭然

「一生懸命勉強する」「ダラダラ勉強する」の手話表現を比べると、その違いは一目瞭然

 

「『一生懸命』の時は歯を食いしばるような感じで、『問題なく』の時は口をとがらせる感じ。 『ダラダラ』の時は舌を少し出します。雰囲気でなんとなく伝わるので、手話はジェスチャーのようだと思われがちです。でも、10人いたら10人全員が『ダラダラ=舌を出す』という規則性がある。ですから、NMは文法の一部なんです」(下谷先生)

 

マスク生活で改めて気づいた、NMの大切さ

実際に手話を見せながら説明していただいて、NMが文法であることがよくわかりました。顔の下半分に副詞的な機能があるということは、マスクで下半分が隠れてしまうとかなり困るのではないでしょうか。

 

マスク生活で苦労したことは?と尋ねると、下谷先生は「私のように聴者で手話を学習している者と、手話を母語として用いるろう者では、また違うかもしれませんが」と前置きしつつ、こう語ります。

 

「私の場合は、マスクを外して伝えたり、マウスシールドを使ってみたりと、いろいろな試行錯誤がありました。でも感染対策を考えると、やはり電車など公共の場ではマスクをしたまま話すことになるので、なかなかうまく伝えられない場面もありましたね」(下谷先生)

 

例えば、「パーキング」と特典を意味する「ポイント」という手話。どちらも手でアルファベットのPの字を表し、口の形で「パーキング」「ポイント」と表現するそうです。

 

「パーキングもポイントも手話は同じP」と下谷先生

「パーキングもポイントも手話は同じP」と下谷先生

 

「以前、前川先生にパーキングの話をしようと手をPの形にして、マスクの下で『パーキング』と口型で表したのですが、口が見えないので前川先生には『ポイント』と伝わってしまって。『なぜ急にポイントの話をしているんだろう』と前川先生は不思議に思ったようで、話がかみ合わないことがありました(笑)」(下谷先生)

 

「たぶん私だったら、『パーキング』の手話の前に『車』という手話を付け足して伝えるでしょうね。ろう者同士だと、お互いが自然にそういった工夫をするので、マスクでの会話でもそんなに苦労しないんですよ。そこが日本手話を母語とするろう者と聴者の違いかなと思います」(前川先生)

 

バイクに乗っていてヘルメットで顔が見えない時は、手指のみで表現する。傘を持っていたら片手で、荷物で両手がふさがっていたら顔のみで。そんなふうに普段から対応しているため、前川先生はマスク生活でも特に困らなかったのだとか。

 

「音声言語では口は一つしかないですが、手話は発声器官が複数あるんですよね。だから、使えない部分があっても他で補うことができる。ろう者の方たちは、日常的にそうしているので慣れていらっしゃるし、『これが使えないから工夫しよう』と意識さえせずに自然にできるんでしょうね」(下谷先生)

 

コロナ禍を経て、「NMの大切さを改めて実感しました」と振り返る下谷先生。前川先生も「手話学習者はNMが足りないなと気づいて、学生にももっと指導していかないといけないと強く感じましたね」と頷きます。

 

手話×テクノロジーが描く未来とは?


下谷先生は、コロナ禍に得た気づきとして、オンラインでのコミュニケーションの例も挙げてくれました。

 

「ろう者の方は視覚で多くの情報を受け取っているので、画面上のちょっとしたことでもすごく気になるのだと教わりました。例えば視線一つでも、画面と平行に目を合わせていないと、上から見下ろしているように見えて気になってしまう。画面の背景がごちゃごちゃしていると、聴者にとっての雑音のように感じる。オンラインではそういった細かい配慮が必要だという気づきがありました」(下谷先生)

 

この話を聞いて、前川先生はこう付け加えます。

 

「聴者の方は、オンラインミーティングの時に後ろでがやがやと音がしていたら、ノイズだと感じますよね。ごちゃごちゃした背景だと気になるのは、それと同じなんです。他にも、例えば背景のブラインドが開いていたら『まぶしくて見づらいので閉めてください』とはっきりお伝えするようにしています」(前川先生)

 

お互いが快適に話せるような配慮が必要だし、もし相手が気づいていなければきちんと伝えることが大切。それは聴者もろう者も同じなんですね。

 

コロナ禍にオンラインのコミュニケーションが広まり定着したことで、自宅でのオンライン学習で手話を学べる環境も整いつつあります。また、AIの技術も進んできたことによって、手話と音声言語の機械通訳や、日本手話とアメリカ手話の機械翻訳なども、今後は可能になっていくと予想されています。

 

取材に同席していたセンター長の松岡克尚先生も、今後の手話とテクノロジーの融合に期待を寄せています。

 

「手話通訳者の高齢化が進み、人手不足の問題が起こっている中で、これからはAIが大きな役割を担っていくでしょう。もちろんAIの導入によって手話通訳者の活躍の場が奪われるかもしれないという問題点も見逃してはならないと思います。いずれにせよ、本センターの研究活動でも、理論言語学や社会言語学からのアプローチだけでなく、さまざまなテクノロジーと関連する工学的な研究が増えていくのではないかと思っています。加えて技術社会学や倫理学との接点も問われてくるのではないでしょうか 」(松岡先生)

 

手話言語研究センターでは、AIが手話表現を認識する手話学習ゲーム「手話タウン」の開発協力にも取り組んでいます。また、今年(2023年)9月には「AIと新たな手話学習」をテーマとする国際シンポジウムの開催も予定しているそうです。

日本財団と香港中文大学が共同開発し関西学院大学手話言語研究センターとGoogleが協力した学習ゲーム「手話タウン」。https://signtown.org/

日本財団と香港中文大学が共同開発し関西学院大学手話言語研究センターとGoogleが協力した学習ゲーム「手話タウン」。https://signtown.org/

 

コロナ禍を経てオンラインの活用が進んだり、同時にAIの技術も発展していたりと、手話コミュニケーションを取り巻く環境は大きく変化していることがよくわかりました。

 

「今後もっと技術が進めば、ろう者の学生が大学で授業を受ける時に、AI通訳が机の上に立体的に表れて、一人ひとりに手話通訳者が付くような環境も実現するかもしれない。ろう者が宇宙飛行士になって、AIの手話通訳を使って宇宙で会話ができる日も来るかもしれません」と笑顔で語る前川先生の姿を見ていると、こちらまでワクワクした気持ちになりました。

 

 

能楽は「最も古くて最もアバンギャルドな舞台芸術」!東洋学園大学の公開講座で伝統芸能の世界にふれる

2022年5月31日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

現存する世界最古の舞台芸術と言われる能楽。ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本が世界に誇る伝統芸能です。とはいえ、日本に住んでいても、一度も能楽堂に足を運んだことがない人も多いのではないでしょうか。

 

筆者も実はその一人。歌舞伎は何度か観たことがありますが、能はちょっと敷居が高いイメージがあります。昨年放送されていた、能楽師の一家を描いたテレビドラマがきっかけで、能に興味が湧き始めたのですが、実際に観に行くのはまだ少しハードルが……。今回、東洋学園大学の公開講座テーマで能を取り上げると聞き、能を知るための初めの一歩として参加してみることにしました。

リベラルアーツを学ぶ、連続公開講座がスタート

今回参加したのは、学問領域にとらわれない幅広い教養(リベラルアーツ)を学ぶ東洋学園大学の公開講座。2022年度はSDGsをテーマに、キャンパスでの対面講座とオンラインでのライブ配信とのハイブリッド形式で、全7回にわたって開催されます。筆者は、「今こそ必要な芸術文化の心~日本人の忘れ物」と題して2022年4月30日に開催された第1回の講座を、オンラインで聴講しました。

 

登壇者は、シテ方宝生流能楽師の辰巳満次郎さん。能楽初心者の筆者にとっては、能楽師の方のお話は難しく感じてしまうかも……と少し心配していましたが、辰巳さんの親しみやすく軽妙な語り口に、あっという間に引き込まれていきました。

観る人の想像力にゆだねる、引き算の美学

辰巳さんの肩書にあるシテ方とは主役の意味だそう。ただ「現代のシテ方は、キャストと裏方を兼ねた役割です」と辰巳さん。まず初めに辰巳さんは、能楽の歴史について解説してくれました。能と言えば、歴史の授業で習った観阿弥・世阿弥を思い浮かべますが、能楽はもっと前の時代から行われてきたと辰巳さんは話します。

 

「能を大成させたのが観阿弥・世阿弥親子。そのため、彼らが活躍した時代から数えて『能の歴史は約600年』と紹介されることがありますが、私から言わせるとちょっと違う。能楽は今から1400年近く前、聖徳太子が側近の秦河勝に作らせたのが始まりだと伝えられています。記録としては、1250年ほど前、奈良・興福寺の創建の頃、修二会の儀式として行われたという記述が残っています」

 

600年前の室町時代から続いているというだけでも十分に長い歴史だと思っていましたが、実は倍以上の歴史があったと聞いて驚きます。

東洋学園_1

 

能舞台の写真をスライドで見せながら、辰巳さんは解説を続けます。

「能舞台は、場所・時・次元を創造する空間。ご覧の通り、舞台の上には何もない。セットというものが基本的にないんですね。何もないからこそ、観ている人が想像して作り出す。そのために余計なものを作らない。そういう引き算の考え方が特徴です」

能楽作品『葵上』の一場面。タイトルになっている葵上は一切登場せず、病で臥せっている様子を一枚の装束を舞台上に置くことで表現している

能楽作品『葵上』の一場面。タイトルになっている葵上は一切登場せず、病で臥せっている様子を一枚の装束を舞台上に置くことで表現している

 

能の演者には、シテ(主役)、ワキ(脇役)、アイ(間狂言)の役割があり、登場人物は主に3~6名。音楽も笛・小鼓(こづつみ)・大鼓(おおづつみ)・太鼓の4名のみで演奏されるのだとか。人数の少なさからも、引き算の美学が伝わってきます。

 

さらに、「能には当時の最先端の技術が取り入れられていた」と辰巳さんは説明します。

東洋学園_3

 

「能舞台は建物の中にあるのに、わざわざ屋根がある。なぜ屋根が必要かというと、音響のためです。いわば、世界一古い反響板ですね。客席のどこにいても音が同時に届くように、屋根の角度がすべて計算されています。さらに、舞台の前に白洲(しらす)という玉砂利が敷き詰められた縁があります。これはいわば、世界一古い照明技術。玉砂利に太陽光が反射して、舞台の中を照らしているんです」

 

このような技術が駆使されていることから、「能楽は、最も古くて最もアバンギャルド」と評する辰巳さん。「技術面だけでなく、観る人の想像力にゆだねるという表現も含めて、アバンギャルド=前衛的な演劇だと思います。それが能の面白さであり、日本らしさでもある」と楽しそうに話します。

能の所作を実演&一緒に体験!

能の歴史や能ならではの表現方法について、30分ほどお話されたところで、辰巳さんの息子であり能楽師である辰巳和磨さんも壇上に登場。ここからは、辰巳さんの解説のもと、和磨さんが能の所作の実演を見せてくださいます。
まずは「構え(静止した状態)」と「運び(すり足)」を実演。能楽師の美しい姿勢や所作に思わず目を奪われます。

すり足を実演する辰巳和磨さん。足の裏を床につけ、かかとを上げずに歩く

すり足を実演する辰巳和磨さん。足の裏を床につけ、かかとを上げずに歩く

 

続いて、能の喜怒哀楽を実演。たとえば、「クモラス」という下を向く所作で、悲しみを表現します。さらにもっと悲しい表現、泣いていることを表す所作は「シオリ」といって、左手で目を覆うようにして、涙を押さえる動きをします。

「シオリ」の動き。「ゆっくり泣くことによって、深い悲しみを表します。悲しければ悲しいほど、動作はゆっくりと」と辰巳さん

「シオリ」の動き。「ゆっくり泣くことによって、深い悲しみを表します。悲しければ悲しいほど、動作はゆっくりと」と辰巳さん

 

ここで、「皆さん一緒にやりましょう。その場でお立ちください」と促す辰巳さん。筆者もパソコンの前で立ち上がって、会場の皆さんと一緒に「シオリ」の動きにチャレンジしてみました。単純な動きのように見えますが、真似をしてみてもなかなか能楽師と同じようにならないもの。「手のポジションや向きが大事です。熱を測っているみたいな人もいますし、昨日飲みすぎたみたいな人もいますね」とおどける辰巳さんの言葉に思わず笑ってしまいます。

 

体験してみて特に面白かったのは、辰巳さんによる立ち方のアドバイス。「足は親指、手は小指に力を入れてください。そうすると、肩の力が抜けて安定します」という言葉を聞いて意識してみると、それだけで体の安定感が変わるのがわかります。特に手の小指を意識すると、肩の力がすっと抜けるのが実感できました。この立ち方のコツは、スポーツや武道、ダンスのほか、電車でつり革を持つ時など普段の生活の中でも役立つそうです。

 

他にも、泣く所作である「シオリ」よりも絶望的な悲しみを表す「両手(もろて)シオリ」や、怒りを表す「拍子を踏む」「面を切る」といった所作の実演を見せていただき、能のさまざまな感情表現を楽しく学ぶことができました。

能面の実物を見せながら解説してくれる一幕も。今回持参してくださった「しかみ」の面は、生まれながらの鬼を表したもので、約900年前のものだとか

能面の実物を見せながら解説してくれる一幕も。今回持参してくださった「しかみ」の面は、生まれながらの鬼を表したもので、約900年前のものだとか

 

能楽とSDGsの関係とは?

実演タイムの後は「能の中に残る日本人の忘れ物」と題して、「おしまい」「千秋楽」など、能の用語が語源となった言葉を紹介。さらに、今回の連続講座のテーマであるSDGsと能との関わりについても、辰巳さんの考えをお話してくださいました。

 

SDGsの目標4「質の高い教育をみんなに」について、「能の引き算の美学を通じて、想像力、あるいは創造力を養うことができる。足し算されたものばかりに囲まれて、想像・創造する力を使わなくなってしまうのは非常によろしくない。そういった面で、能は質の高い教育に寄与できると思います」とお話されていたのが印象的でした。

 

そして講座の最後には、辰巳さんが自ら、能の演目「杜若(かきつばた)」の一場面を会場で実演。辰巳さんによる謡が始まると、会場の空気が一変し、心地よい緊張感に包まれていくのが画面越しにも感じられました。

伊勢物語を題材とした恋物語「杜若」を実演する辰巳さん

伊勢物語を題材とした恋物語「杜若」を実演する辰巳さん

 

「杜若の精が花にたわむれて美しく舞い、夜が明けると消え去っていく。その様子を引き算でやりますから、皆さんが足し算をして想像してくださいね」という辰巳さんの言葉を手がかりに、想像力を膨らませていくのはとても楽しい体験でした。

 

質疑応答の時間には、「能の流派の違いを教えてください」「能楽師の家に生まれたら、必ず継ぐ運命なのでしょうか」「能のゆっくりした動きは体に負担がかかると思いますが、普段は食事や運動などどんなことに気を付けていますか」といった興味深い質問が寄せられ、辰巳さんが一つひとつ丁寧に回答していました。チャット画面にも質問や感想が次々と書き込まれていて、参加者の皆さんが楽しみながら学んでいる姿が伝わってきました。筆者自身も、見て聞いて体験して、能を身近に感じることができた豊かで楽しいひとときでした。

マスクで顔の魅力をアップするために知っておきたい。 北海道大学の河原純一郎教授に聞いてみた

2022年3月24日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

長引くコロナ禍で、マスクを手放せない生活が続いています。「この人と何度も会っているけど、そういえばマスクをした顔しか見たことがないな」なんて思うことも珍しくなくなりました。

 

「マスク美人」「マスク映えメイク」といった言葉も生まれるほど、マスクをしている時の顔の印象を良くしたいと考える人もたくさんいるようです。

でも実際に、マスクをつけることで顔の印象が良くなったり悪くなったりすることはあるのでしょうか? あるとすれば、なぜそんなことが起こるのでしょう?

マスクに関する研究に取り組んでいる北海道大学大学院文学研究院教授の河原純一郎先生にお話を伺いました。

コロナ禍の前後で、マスクによる顔の印象が変化

認知行動科学を専門とする河原先生は、コロナ禍以前からマスクの存在に注目し、研究に取り組んできました。そもそもなぜ、マスクについて研究しようと思ったのでしょうか。

 

「10年ほど前から、大学で授業をする際、花粉症やインフルエンザの時期でもないのにマスクをしている学生を見かけるようになりました。マスクをすると表情が読み取りにくく、授業の反応がわかりづらいんです。それで、なぜ彼ら・彼女らがマスクをするのか気になったのが最初のきっかけでした」

 

河原先生は2013年頃から研究をスタート。マスクによって親しみやすさや見た目の魅力がどのように変化するのか、さまざまな調査や実験を行ってきました。そんな中、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが宣言された2020年3月以降から、マスクの着用が余儀なくされる社会に。

 

「コロナ禍の直前に実験したデータを持っているのは、おそらく我々の研究グループしかいなかったので、前後で比較した研究を行うのは社会的な使命だと考えました」

 

そこで河原先生は、これまでも共同研究を行ってきた福山大学の宮崎由樹准教授や、河原先生の研究室のメンバーである鎌谷美希さんらと共に、実証実験を行いました。

 

「もともとの顔の魅力(マスクなしで事前測定)が、マスク装着によってどのように変化するかを2020年に測定したところ、もともとの魅力が高い人がマスクを装着すると魅力が低下し、逆にもともとの魅力が低い人は魅力が向上して見えることがわかりました。コロナ禍以前である2016年に測定したデータでは、マスク装着によって一様に魅力が低下していましたが、コロナ禍以降の2020年に測定したデータでは、もともとの魅力に応じて違いが見られたのです」

s-プレスリリースのグラフ

 

コロナ禍の前後でこのような変化が生じた理由について、河原先生は「遮蔽」と「不健康さ」という2つのキーワードで説明します。

 

「一つ目は遮蔽、つまりマスクによって顔の下半分が隠れて、良い特徴も悪い特徴も見えなくなることです。たとえば、肌が綺麗だとか左右のバランスが取れているといった魅力的な特徴が隠されると、その人の魅力は下がります。逆に、肌荒れや傷、左右のアンバランスさといった特徴が隠れると、魅力が上がると考えられます」

 

この遮蔽の効果を確かめるため、マスクではなくノートを使って顔の下半分を隠したところ、同じ結果が見られたそうです。マスクかそれ以外のものかは関係なく、単純に顔の半分が隠れることで、みんな魅力が近いように見えるというわけですね。

s-Kawahara_mask_20220222

「もう一つ、不健康さという要素があります。コロナ禍以前の聞き取り調査では、マスクをしていると不健康な印象を持つと答えた人が5割いました。コロナ禍以降に同じ調査をすると、不健康と答えた人は3割弱に。マスク着用が常識という社会になったので、ネガティブな印象を持つ人が減ったんですね。それによって不健康さという要素の影響は少なくなる一方で遮蔽の効果が残ったことで、もともと魅力が高い人の魅力が低下するという結果になったと考えています」

s-プレゼンテーション2

 

顔の魅力の評価には、複雑な要素が関連

マスクによって魅力が上がる人、下がる人がいることがわかりましたが、そもそも私たちはなぜマスクを外した時にギャップを感じるのでしょう。マスクの下の顔を、私たちはどんな方法で想像しているのでしょうか。

 

「マスクの下の顔のイメージを何で補っているのか、研究の中でもまだはっきりわかっていないんです。たとえば平均的な顔で補っているのか、あるいは中程度の魅力の顔を当てはめているのか。もしマスクの下に典型的な口を想像しているとしたら、人は典型的なものを美しいと感じる傾向があるので、マスクを外した時にがっかりすることが起こりやすいのかもしれません」

 

元来人間は、自分の振る舞いを正しく予測できないものだと河原先生は語ります。

 

実際には顔を見ずに頭の中での想像で「マスクをしたら魅力があがると思いますか? 下がると思いますか?」という質問に答えるアンケート調査をした後、実際にマスクをした顔を見て評価を測定する実証実験では、回答に差が生じるケースがあります。おそらく、自分が意識でコントロールできないものを使って魅力を評価しているため、アンケートと実証実験でズレが生じているのだと思います。人はこれまで自分が経験してきたこと、言葉にならないことを総動員して、魅力の評価をしているのではないでしょうか」

 

マスクをした顔を見て好印象を持ったり、外した顔を見てがっかりしたりするのは、自分勝手だなと感じていましたが、自分のコントロール外のところで起こっていることだと聞いてなんだか腑に落ちました。

 

さらに河原先生は、海外の事例についても紹介してくれました。

 

「アメリカで行われた実験では、ちょうど大統領選の時期と重なっていたこともあり、トランプ派はアンチ・マスク、バイデン派はマスク推奨という形で、政治的な立場とマスクに対する行動に関連性がみられました。また、黒人に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が大きな問題になっていた時期という背景もあったせいか、たとえば黒人の方が布マスクやバンダナをしているとネガティブな印象を持つ人が多いなど、その人がもともと持っている人種に対する意識も関係してくるようです」

 

なるほど、政治的な立場や偏見など、さまざまな要素が関連しているんですね。マスクをすれば魅力が上がる、下がるといった単純な話ではなく、想像以上にたくさんのことが複雑に絡み合っていることに驚きます。

 マスクの色と顔の印象の関係性とは?

河原先生は、マスクの色にも着目して研究を進めています。たとえば黒いマスクに対しては、不健康だという印象を持つ人がコロナ禍以降も多いことや、ピンク色のマスクをつけると血色の良さが連想されるため魅力が上がることなどが明らかになっています。

最近は不織布マスクの色も多様化していますが、どんなマスクを選べばより魅力的に見せることができるのでしょう。

 

「色については引き続き研究を進めているところですが、マスクをつけている人の属性やイメージが影響しているのではないかと考えています。たとえば、警察の人がピンク色のマスクをつけていたら、あまり強そうには見えないですよね。花嫁さんだったら白色やかわいらしい明るい色のイメージがあるので、黒マスクをつけていたら違和感を覚えるかもしれません。このように、その人の属性や場面に相応しいと感じるマスクをつけているほうが、魅力が上がるのではないでしょうか」

 

属性や場面によって左右されるということは、自分に似合っているマスクやTPOに相応しいマスクをしているほうが、印象が良くなる可能性がありますね。マスク生活はまだしばらく続きそうなので、選ぶ時の参考にしたいと思います。

 

河原先生の今後の研究で、マスクの色による印象と属性との関係性が明らかになると、アメリカの研究で政治観や人種観が垣間見えたように、現代の日本におけるジェンダー観も見えてくるかもしれません。新しい研究結果が発表されるのが楽しみです。

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