今を生きるヒントが見つかる?『ホトケ・ディクショナリー』を監修した大正大学の林田先生に仏教の教えを聞いてみた
2024年10月31日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!
皆さんは「あみだくじ」や「がらんとした」といった言葉が仏教用語に由来することをご存じだろうか。例えば「がらんとした」は寺院にある大きな空間「伽藍堂」などが元になっている。そんな日常的に使っている言葉に発見があると、ちょっと話題になっているのが大正大学出版会発行の仏教慣用句事典『ホトケ・ディクショナリー(HOTOKE dictionary)』だ。その監修・解説をされた大正大学仏教学部教授の林田康順先生に、事典を通して伝えたいことなどを伺った。
108つの仏教慣用句を気軽に読める事典に
大正大学は1926年(大正15年)創立。2026年の創立100周年を記念して企画されたのが『ホトケ・ディクショナリー』だ。
林田康順先生によると、キリスト教系大学でも仏教系大学でも基本的に単一の宗派・分派が運営しているが、「大正大学は世界で唯一の総合仏教大学」とのこと。天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗・時宗が協働して運営していて、そのことが宗派を超えてひとつの事典にまとめあげた『ホトケ・ディクショナリー』の特徴であり、もうひとつの特徴は執筆者にあるという。
「仏教関係者ではなく、表現学部の榎本了壱教授が一般の人の感覚で文章を書き、それに対して各宗派の教員が宗派にとらわれずに解説を添えています。過去にも仏教関係の事典はいろいろ出版されていますが、お坊さんが書いているため、どうしても特定の宗派の教えが前面に出ていました。本書はこれまでにない事典です」
確かに、情報デザインやイベントプロデュースを専門とする榎本了壱先生の文章は仏教色が控えめで親しみやすく、お百度参りの項目でドラマ「101回目のプロポーズ」の話にふれるなど、ときには仏教事典らしからぬ言葉も出てきたりする。また、解説部分は数行という短さでもあり、宗派関係なくフラットに説明しているためか非常に理解しやすい。エッセイのような感覚で読めるユニークな事典だ。
この『ホトケ・ディクショナリー』に取り上げられた言葉は、煩悩の数と同じ108つ。実際にどのような言葉がどう説明されているのだろうか。林田先生に思い入れのある言葉を聞いてみると、まず挙げられたのは「諦め」「空(くう)」「阿弥陀籤(あみだくじ)」だった。
例えば、「諦め」について。一般には、諦めとは「もう無理」「やっぱり難しいかな」などと断念することを指し、あまりよいイメージはないだろう。ところが、仏教では「諦め」は「明らかになる」ことだという。実際に書かれた解説を引用しながら説明してくれた。
「仏教では、世の中の真理に到達した状態を『諦観』といいます。釈尊は、苦諦(この世は苦であること)、集諦(その苦は煩悩に要因があること)、滅諦(煩悩を滅すれば悟りに到達すること)、道諦(正しい修行を実践すること)の四諦を通じて、真理への道を示されました。お医者さまが病気を見極め、原因を探り、処方を示し、治療を施すという診療・治療の進め方と同じようなものですね。私たちは、まさにお釈迦さまがおっしゃってくださった進め方で物事を解決しようとしているのです。本来の意味と現代使われている意味とのギャップをお伝えできればと思いました」と林田先生。
ネガティブなイメージしかなかった「諦め」という言葉に、そんな前向きな意味があったとは。諦めたら終わりなのではなく、諦めは新しいスタートのための一歩だったのだ。林田先生は「いろいろな執着を外したり、真理への道を明らかにしたりと、『諦め』はとても大切な言葉。読んでくださった方に、現代的な意味での諦めでなく、本来の意味で諦めのある人生を送っていただければと思います」と語った。
続いて、あとの2つの言葉もふれておきたい。「空」は般若心経などに登場する言葉、色即是空の「空」で、林田先生は「偏りやこだわりなどのない心」と簡単な言葉を用いて解説された。先にふれた「諦める」はこうした心境につながる過程であり、自分を煩悩から解放してくれる言葉のようにも感じる。
「阿弥陀籤」は、阿弥陀仏の光背(仏の背景に表現される光の筋)がもとになっているとのこと。「阿弥陀」には「量り知れない」という意味があり、くじの行方が分からない、ということにもつながっているそうだ。
「何でも答えがはじめからわかっているというものではありません。仏様の教えや救いのはたらきも量り知れないということをお伝えしたく選びました」と林田先生。たとえば何かに思い悩んだとき、これしかないと偏った決めつけをしてしまうことがあるかもしれない。しかし、この3つの言葉を知ると、おおらかに自分なりの答えを明らかにしようと思えそうだ。
今を生きる人たちに特に知ってほしい言葉とは
今を生きる人たちに特に注目してほしい言葉を聞いてみたところ、林田先生が挙げたのは「恩人」「慈悲」「堪忍」の3つ。周りの人からもらった恩を忘れず、少しでもそれを慈悲の心で再び周りの人へ返していく…そのようなことができれば、世の中は辛く苦しいことも多いが、人生がより豊かになっていくのではないか。そういった想いで選んでくれた。
「恩人」については、「最近の教育ではあまり親孝行しなさいなどはいわれませんが、両親のほか、周りの人への恩や感謝の心を忘れないようにしてほしい」との思いを込めたという。恩師という言葉もあって「恩人」はまだなじみやすいが、「慈悲」は時代劇で「お慈悲でございます」などと使われるイメージしかない。「許し」や「情け」くらいの意味かなと思っていたら、少し違ったようだ。仏様が私たちにとって本当に必要なものを与えてくれることを「慈」、苦しみや悲しみを取り除いてくれることを「悲」というのだそうだ。
「『慈』の原語は友情、『悲』の原語は悲しみの共有という意味があります。慈悲の心として『人の喜びはわが喜び、人の悲しみはわが悲しみ』と語り継がれているのですが、日頃からぜひ実践したいものですね」と林田先生は話す。
そしてもう一つは「堪忍」。私たちが暮らすこの世のことを娑婆というが、別名では忍土(にんど)ともいうそうで、辛く苦しいことを“堪え忍ぶ”世界とされている。「堪忍袋の緒が切れた」という言葉はこのような背景が由来となっている。
もちろん“堪え忍ぶ”だけではなく、先述の「諦め」でふれたように「なぜ辛く苦しいのかその要因を明らかにし、悟りをめざしていくのが仏教の基本」と林田先生はいい、ご自身が棚経に回ったときの印象的なエピソードを教えてくれた。
「本書にも記載しているのですが、お仏壇に亡くなったお母さまのメモが飾ってあり、『堪忍袋の緒が切れた。切れたらまた縫え。切れたらまた縫え』と記されていました。辛いことや苦しいことは世の中にたくさんあり、人間ですから怒ってしまうこともあるでしょうし、投げ出してしまいたくなることもあるかもしれません。でも、ゼロにしてしまうのではなく、また縫い直せばいいのです。そうすれば人間関係も含めて、いろいろなことを再開し、進んでいくことができるのではないかなと思います」
互いの違いを認める柔軟な仏教は現代にこそ大切
ところで、林田先生の専門は法然浄土教や浄土宗学だ。今年の春に東京国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」が開催され、10月から12月頭にかけては京都国立博物館でも同じ特別展が開催中なので、法然や浄土宗というワードを目にした人もいるのではないだろうか。浄土宗開祖である法然とはどのような人物だったのか、聞いてみたくなった。
「法然上人が活躍したのは平安末期から鎌倉時代のはじめです。その頃の仏教は積善主義といって、立派な寺院をつくるなどの善行を積み重ねていくことによって、仏様に救っていただいたり悟りを開くという考え方が基本でした」と林田先生。
例えば、藤原道長は法成寺という大きな寺院を、その息子の藤原頼通は平等院鳳凰堂を、平清盛は源平の合戦で多くの命を奪ったことを供養しようと後白河上皇のために三十三間堂を建立した。寺や仏像を寄進することで救われると考えられていたのだが、庶民にはそんな経済的・時間的余裕はない。つまり、仏教は、貴族など建造物をつくることによって善行を積むだけの余裕のある限られた階級のものだった。
「ところが、法然上人は、3000人もの修行僧がいたという比叡山で智慧第一と讃えられるまでになったにも関わらず、自分には修行は務まらないとお考えになりました。自分自身の弱さや至らなさをしっかり自覚することによって、はじめて神仏に帰依し、神仏の救いを素直に信じる心が湧き上がってくるという言葉を残されました」
そして、積善主義に疑問を抱き、「南無阿弥陀仏」と唱えることで誰もが救われると説いた。今以上に格差社会だった時代にあって、仏様の前では貴族も庶民もみんな同じだといったも同然だ。当時の宗教界からの反発は相当に強かったようで、75歳で讃岐へ流罪となっている。ただ、法然以降、曹洞宗の祖である道元は座禅すればよいと説き、日蓮は題目を唱えればよいと説き、仏教はより広い層に受け入れられるようになる。法然は仏教の民衆化のきっかけをつくったのだった。
法然の浄土宗に限らず、現代の仏教は概して柔軟だと林田先生は言う。「仏教は平和の宗教といわれています。その背景には、唯一絶対の強い神を求める一神教と、多神教である仏教との違いもあるでしょう」と話す。特に日本では神道と仏教が共存し、八百万の神がいるという考えもある。
「仏教は柔軟に変わっていくという性格を持っています。それは現代人にとっても大切なことです。例えば多様性といった事柄に対しても、これまでどおりでなくてはいけない、というのではなく、その人その人にとって素晴らしいこととは何かを大切にしています」
最後に、これまで伺ってきたような仏教の視座からみて、林田先生は今の世界情勢をどのように感じているのだろう。先生は、この世の中に争いが絶えないことを残念に思うと話し、「恨み辛み」や「合掌」について語った。
「法然上人の父親は豪族で、対立関係にあった者の夜討ちに遭って命を落とします。その臨終の床で『敵を恨んではいけない。もし深い恨みを持ち続ければ、仇討ちが尽きることはない。僧侶となって悟りを求めなさい』と遺言されました。また、仏教に共通する作法に『合掌』がありますが、両手を合わせて合掌すれば喧嘩もできません。お互いの違いをしっかり認めて、争いが少しでもなくなるようにするのが仏教の基本的な考え方です。争いをなくすのは難しいことですが、仏教が少しでも現代の人に役立つことがあればと思います」
「あなたの宗教は?」と聞かれて、無宗教だと答える日本人も多いだろうが、仏教慣用句の数々にふれると、仏教の言葉や考え方は思っている以上に私たちの生活に深くなじんでいることに気づかされる。文庫本サイズの『ホトケ・ディクショナリー』は持ち運びしやすいので、通勤電車の中ででも気軽に読んでみてはいかがだろう。前向きになるヒントが見つかるかもしれないし、普段何気なく使っていた言葉に深い意味があると知るだけでも新鮮だ。