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今を生きるヒントが見つかる?『ホトケ・ディクショナリー』を監修した大正大学の林田先生に仏教の教えを聞いてみた

2024年10月31日 / この研究がスゴい!, 大学の知をのぞく

皆さんは「あみだくじ」や「がらんとした」といった言葉が仏教用語に由来することをご存じだろうか。例えば「がらんとした」は寺院にある大きな空間「伽藍堂」などが元になっている。そんな日常的に使っている言葉に発見があると、ちょっと話題になっているのが大正大学出版会発行の仏教慣用句事典『ホトケ・ディクショナリー(HOTOKE dictionary)』だ。その監修・解説をされた大正大学仏教学部教授の林田康順先生に、事典を通して伝えたいことなどを伺った。

108つの仏教慣用句を気軽に読める事典に

大正大学は1926年(大正15年)創立。2026年の創立100周年を記念して企画されたのが『ホトケ・ディクショナリー』だ。

 

林田康順先生によると、キリスト教系大学でも仏教系大学でも基本的に単一の宗派・分派が運営しているが、「大正大学は世界で唯一の総合仏教大学」とのこと。天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗・時宗が協働して運営していて、そのことが宗派を超えてひとつの事典にまとめあげた『ホトケ・ディクショナリー』の特徴であり、もうひとつの特徴は執筆者にあるという。

 

「仏教関係者ではなく、表現学部の榎本了壱教授が一般の人の感覚で文章を書き、それに対して各宗派の教員が宗派にとらわれずに解説を添えています。過去にも仏教関係の事典はいろいろ出版されていますが、お坊さんが書いているため、どうしても特定の宗派の教えが前面に出ていました。本書はこれまでにない事典です」

 

確かに、情報デザインやイベントプロデュースを専門とする榎本了壱先生の文章は仏教色が控えめで親しみやすく、お百度参りの項目でドラマ「101回目のプロポーズ」の話にふれるなど、ときには仏教事典らしからぬ言葉も出てきたりする。また、解説部分は数行という短さでもあり、宗派関係なくフラットに説明しているためか非常に理解しやすい。エッセイのような感覚で読めるユニークな事典だ。

文庫本サイズの『ホトケ・ディクショナリー』(大正大学出版会)

 

この『ホトケ・ディクショナリー』に取り上げられた言葉は、煩悩の数と同じ108つ。実際にどのような言葉がどう説明されているのだろうか。林田先生に思い入れのある言葉を聞いてみると、まず挙げられたのは「諦め」「空(くう)」「阿弥陀籤(あみだくじ)」だった。

 

例えば、「諦め」について。一般には、諦めとは「もう無理」「やっぱり難しいかな」などと断念することを指し、あまりよいイメージはないだろう。ところが、仏教では「諦め」は「明らかになる」ことだという。実際に書かれた解説を引用しながら説明してくれた。

 

「仏教では、世の中の真理に到達した状態を『諦観』といいます。釈尊は、苦諦(この世は苦であること)、集諦(その苦は煩悩に要因があること)、滅諦(煩悩を滅すれば悟りに到達すること)、道諦(正しい修行を実践すること)の四諦を通じて、真理への道を示されました。お医者さまが病気を見極め、原因を探り、処方を示し、治療を施すという診療・治療の進め方と同じようなものですね。私たちは、まさにお釈迦さまがおっしゃってくださった進め方で物事を解決しようとしているのです。本来の意味と現代使われている意味とのギャップをお伝えできればと思いました」と林田先生。

 

ネガティブなイメージしかなかった「諦め」という言葉に、そんな前向きな意味があったとは。諦めたら終わりなのではなく、諦めは新しいスタートのための一歩だったのだ。林田先生は「いろいろな執着を外したり、真理への道を明らかにしたりと、『諦め』はとても大切な言葉。読んでくださった方に、現代的な意味での諦めでなく、本来の意味で諦めのある人生を送っていただければと思います」と語った。

 

続いて、あとの2つの言葉もふれておきたい。「空」は般若心経などに登場する言葉、色即是空の「空」で、林田先生は「偏りやこだわりなどのない心」と簡単な言葉を用いて解説された。先にふれた「諦める」はこうした心境につながる過程であり、自分を煩悩から解放してくれる言葉のようにも感じる。

 

「阿弥陀籤」は、阿弥陀仏の光背(仏の背景に表現される光の筋)がもとになっているとのこと。「阿弥陀」には「量り知れない」という意味があり、くじの行方が分からない、ということにもつながっているそうだ。

「何でも答えがはじめからわかっているというものではありません。仏様の教えや救いのはたらきも量り知れないということをお伝えしたく選びました」と林田先生。たとえば何かに思い悩んだとき、これしかないと偏った決めつけをしてしまうことがあるかもしれない。しかし、この3つの言葉を知ると、おおらかに自分なりの答えを明らかにしようと思えそうだ。

本書には書かれていないが、林田先生によると阿弥陀籤が今のような四角い形になったのは江戸時代ごろからで、かつては光背と同じように放射状の阿弥陀籤だったという。作るのは難しいかもしれないが、それはそれで楽しそうだ

今を生きる人たちに特に知ってほしい言葉とは

今を生きる人たちに特に注目してほしい言葉を聞いてみたところ、林田先生が挙げたのは「恩人」「慈悲」「堪忍」の3つ。周りの人からもらった恩を忘れず、少しでもそれを慈悲の心で再び周りの人へ返していく…そのようなことができれば、世の中は辛く苦しいことも多いが、人生がより豊かになっていくのではないか。そういった想いで選んでくれた。

 

「恩人」については、「最近の教育ではあまり親孝行しなさいなどはいわれませんが、両親のほか、周りの人への恩や感謝の心を忘れないようにしてほしい」との思いを込めたという。恩師という言葉もあって「恩人」はまだなじみやすいが、「慈悲」は時代劇で「お慈悲でございます」などと使われるイメージしかない。「許し」や「情け」くらいの意味かなと思っていたら、少し違ったようだ。仏様が私たちにとって本当に必要なものを与えてくれることを「慈」、苦しみや悲しみを取り除いてくれることを「悲」というのだそうだ。

 

「『慈』の原語は友情、『悲』の原語は悲しみの共有という意味があります。慈悲の心として『人の喜びはわが喜び、人の悲しみはわが悲しみ』と語り継がれているのですが、日頃からぜひ実践したいものですね」と林田先生は話す。

 

そしてもう一つは「堪忍」。私たちが暮らすこの世のことを娑婆というが、別名では忍土(にんど)ともいうそうで、辛く苦しいことを“堪え忍ぶ”世界とされている。「堪忍袋の緒が切れた」という言葉はこのような背景が由来となっている。

 

もちろん“堪え忍ぶ”だけではなく、先述の「諦め」でふれたように「なぜ辛く苦しいのかその要因を明らかにし、悟りをめざしていくのが仏教の基本」と林田先生はいい、ご自身が棚経に回ったときの印象的なエピソードを教えてくれた。

 

「本書にも記載しているのですが、お仏壇に亡くなったお母さまのメモが飾ってあり、『堪忍袋の緒が切れた。切れたらまた縫え。切れたらまた縫え』と記されていました。辛いことや苦しいことは世の中にたくさんあり、人間ですから怒ってしまうこともあるでしょうし、投げ出してしまいたくなることもあるかもしれません。でも、ゼロにしてしまうのではなく、また縫い直せばいいのです。そうすれば人間関係も含めて、いろいろなことを再開し、進んでいくことができるのではないかなと思います」

互いの違いを認める柔軟な仏教は現代にこそ大切

ところで、林田先生の専門は法然浄土教や浄土宗学だ。今年の春に東京国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」が開催され、10月から12月頭にかけては京都国立博物館でも同じ特別展が開催中なので、法然や浄土宗というワードを目にした人もいるのではないだろうか。浄土宗開祖である法然とはどのような人物だったのか、聞いてみたくなった。

 

「法然上人が活躍したのは平安末期から鎌倉時代のはじめです。その頃の仏教は積善主義といって、立派な寺院をつくるなどの善行を積み重ねていくことによって、仏様に救っていただいたり悟りを開くという考え方が基本でした」と林田先生。

 

例えば、藤原道長は法成寺という大きな寺院を、その息子の藤原頼通は平等院鳳凰堂を、平清盛は源平の合戦で多くの命を奪ったことを供養しようと後白河上皇のために三十三間堂を建立した。寺や仏像を寄進することで救われると考えられていたのだが、庶民にはそんな経済的・時間的余裕はない。つまり、仏教は、貴族など建造物をつくることによって善行を積むだけの余裕のある限られた階級のものだった。

 

「ところが、法然上人は、3000人もの修行僧がいたという比叡山で智慧第一と讃えられるまでになったにも関わらず、自分には修行は務まらないとお考えになりました。自分自身の弱さや至らなさをしっかり自覚することによって、はじめて神仏に帰依し、神仏の救いを素直に信じる心が湧き上がってくるという言葉を残されました」

 

そして、積善主義に疑問を抱き、「南無阿弥陀仏」と唱えることで誰もが救われると説いた。今以上に格差社会だった時代にあって、仏様の前では貴族も庶民もみんな同じだといったも同然だ。当時の宗教界からの反発は相当に強かったようで、75歳で讃岐へ流罪となっている。ただ、法然以降、曹洞宗の祖である道元は座禅すればよいと説き、日蓮は題目を唱えればよいと説き、仏教はより広い層に受け入れられるようになる。法然は仏教の民衆化のきっかけをつくったのだった。

 

法然の浄土宗に限らず、現代の仏教は概して柔軟だと林田先生は言う。「仏教は平和の宗教といわれています。その背景には、唯一絶対の強い神を求める一神教と、多神教である仏教との違いもあるでしょう」と話す。特に日本では神道と仏教が共存し、八百万の神がいるという考えもある。

 

「仏教は柔軟に変わっていくという性格を持っています。それは現代人にとっても大切なことです。例えば多様性といった事柄に対しても、これまでどおりでなくてはいけない、というのではなく、その人その人にとって素晴らしいこととは何かを大切にしています」

 

最後に、これまで伺ってきたような仏教の視座からみて、林田先生は今の世界情勢をどのように感じているのだろう。先生は、この世の中に争いが絶えないことを残念に思うと話し、「恨み辛み」や「合掌」について語った。

 

「法然上人の父親は豪族で、対立関係にあった者の夜討ちに遭って命を落とします。その臨終の床で『敵を恨んではいけない。もし深い恨みを持ち続ければ、仇討ちが尽きることはない。僧侶となって悟りを求めなさい』と遺言されました。また、仏教に共通する作法に『合掌』がありますが、両手を合わせて合掌すれば喧嘩もできません。お互いの違いをしっかり認めて、争いが少しでもなくなるようにするのが仏教の基本的な考え方です。争いをなくすのは難しいことですが、仏教が少しでも現代の人に役立つことがあればと思います」

慈悲のページには「合掌」のイラストが

 

「あなたの宗教は?」と聞かれて、無宗教だと答える日本人も多いだろうが、仏教慣用句の数々にふれると、仏教の言葉や考え方は思っている以上に私たちの生活に深くなじんでいることに気づかされる。文庫本サイズの『ホトケ・ディクショナリー』は持ち運びしやすいので、通勤電車の中ででも気軽に読んでみてはいかがだろう。前向きになるヒントが見つかるかもしれないし、普段何気なく使っていた言葉に深い意味があると知るだけでも新鮮だ。

 

私たちの話し言葉は本当に変わってきたのか? 『日本語日常会話コーパス』の開発者、国立国語研究所の小磯先生に聞いてみた

2024年9月24日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

あなたは「最近の若者は自分たちとは話し方が違うな」と感じたことがあるだろうか。私たちの話し言葉は年齢とともに、あるいは時代とともに変化している。その実態を探るのに役立つが、国立国語研究所が2022年3月に公開した『日本語日常会話コーパス』だ。コーパスとはあまり耳慣れない言葉だが、一体何なのか。どんな役に立つのか。開発に携わった小磯花絵先生に話を伺った。

コーパスとは研究のために集められた大規模な言葉のデータベース

そもそもコーパスとはどういうものだろうか。小磯先生によると「実際に使われている書き言葉や話し言葉を大量かつ体系的に集め、品詞情報など研究に必要な情報を付加して、さまざまな検索・分析ができるようにされた言葉のデータベース」とのこと。言葉の研究には大量の言葉を蓄積する必要があるため、大学や国が中心となって、世界中でさまざまなコーパスがつくられている。

 

小磯先生の所属する国立国語研究所でも、ここ数年で『日本語日常会話コーパス』の他、『昭和話し言葉コーパス』『日本語歴史コーパス』など、さまざまなコーパスをつくっている。書き言葉については奈良時代から現代にいたるまで、日本語のデータを幅広く大量に蓄積しているのだ。例えば、『日本語日常会話コーパス』で「矢張り」と入力すると、「やはり」「やっぱり」「やっぱし」「やっぱ」などに変化した言葉が出てきて、品詞情報(この場合は副詞)や使われている会話における前後の文脈、話者の情報などがわかり、音声で確認することもできる。「例えば、『やっぱ』という言葉はどんな年齢・性別の人が使う傾向にあるかを調べるなど、いろいろな研究に使うことができます」と小磯先生は説明してくれた。

インタビューに応じる小磯先生。今回はオンラインで対応してもらった

 

ちなみに、イギリスでは1959年から書き言葉と話し言葉を約50万語ずつ集め、紙のカードで整理していたという。国立国語研究所でも1950年代から話し言葉の調査を行っていたそうで、大きなオープンリールの機材を肩からかけてインタビューする白黒写真が残っている。60巻、約40時間分のテープに日常会話と比較対象用のニュースや講義などの音声を録音し、言葉を書き出し、線や記号でイントネーションや音調などを細かく記されているという。

 

今のコーパスは電子化が基本だが、1950年といえば超アナログ。パソコンはもちろん、ワープロもなく、今のように簡単にコピーもできない。そんな中で現在のコーパスに劣らないほどの情報量を盛り込んだデータベースをつくっていたとは。調査に携わった研究者たちの苦労が偲ばれるとともに、とてつもない熱意が伝わってくる。この研究成果は1955年に『談話語の実態』として国立国語研究所の報告書にまとめられている。

コーパスを比べることで言葉の変化や実態が見えてくる

「こうして情報が蓄積されたコーパスは、公開して皆が研究に使えるようにするのが重要なのですが、この1950年代の資料は研究所の中で使われるだけで公開には至っていませんでした。日本において、コーパスを共有すべきという流れになったのは1980年代後半から1990年代になってからです」と小磯先生。背景にはコンピュータの性能が上がったこともある。ちょうどイギリスで1億語規模のコーパスが誕生した時代でもあった。

 

小磯先生は、1998年に国立国語研究所に入って間もないころ、講演の音声記録を中心とした『日本語話し言葉コーパス』の開発に携わった。音声認識の専門家などとの共同研究で、一般の人や研究者が講演などで話す音声をもとにしたのだ。このプロジェクトによって音声認識の精度が飛躍的にあがったという。のちの国会議事録の自動テキスト化などにも影響するような、コーパスを活用した音声認識研究の嚆矢で、「コーパスは実用につながると認識されたきっかけでした」と小磯先生は話す。また、日本でも約1億語書き言葉コーパスをつくろうと、書籍や新聞、雑誌、白書など幅広い分野の言葉をバランスよく集めた『現代日本語書き言葉均衡コーパス』の構築にも関わった。

 

「講演を中心とした話し言葉のコーパスができ、書き言葉のコーパスも一段落しました。ただ、やはり会話がないよね、という話になりました。当時、会話を対象とするコーパスはないわけではなかったのですが、音声が公開されていなかったり、話者が偏っていたりしていたのです」と小磯先生は振り返る。そこで、さまざまな場面における自然な日常会話をバランスよく収めた『日本語日常会話コーパス』の開発に取りかかった。

 

「日常生活の中で私たちがどういう言葉を使っているか。音声と動画を記録して公開することで、単に言葉だけでなく、対面でのコミュニケーションでの身ぶり手ぶりや話者の配置などを含めて総合的に研究することができます」

 

コーパスに利用する音声と動画の収集は、一般から募った40名によって主に行われた。3ヵ月間機材を貸し出しして、日常の会話を収録してもらい、家族での食事、子どもの宿題を見ているところ、ママ友とのランチ、帰省先の実家、アルバイト先、習字教室など、さまざまな場面での会話を収録してもらったという。録画されていると思うと緊張したりして自然な会話にならないかもと疑問も出そうだが、どうなのだろうか。

音声と動画の収録シーンの一部(小磯先生の資料より)

 

「圧迫感がないよう小型カメラを使用しました。また、収録期間が3ヵ月あるため、だんだんカメラのある生活に慣れてくることがほとんどです」とのこと。撮られていること自体が日常になっているのが大切なようだ。

 

こうして約200時間の会話を収めた『日本語日常会話コーパス』は2022年に本公開された。小磯先生は「日常の言葉はこんなにも違うのかと衝撃を受けました。大規模なコーパスがないとわからないことだと思いました」と話す。その事例として教えてくれたのが、先にも例にあげた「矢張り」という言葉。50時間分をまとめた段階では、「やっぱり」「やっぱ」が半数ずつで、「やはり」が一度も出てこなかったという。

 

「最終的に200時間分になったときに、雑談で3000件ほどある『矢張り』の中で『やはり』はわずか20件ほど出たくらい。こんなにも日常では『やはり』を使わないのかと。そこで、改めて書き言葉や講演などの話し言葉と比べてみました」

「書き言葉」「独話」「日常会話」と3種のコーパスで、「やはり」とその関連語を分析した結果(小磯先生提供)

 

すると、政府の刊行物である白書の中では『やっぱ』も『やっぱり』も使われず、新聞ではコラムなどで少し『やっぱり』が使われ、ブログでは『やっぱ』も『やっぱり』も登場。人前で話す学会発表では『やっぱ』は一切なし。一般の方がカジュアルに体験談を話す模擬講演では『やっぱ』も多いが、『やはり』も相当数使われていることがわかった。何となくオフィシャルな場面で「やっぱ」は使わないイメージはあったとしても、もしかすると感覚的なもので実際は違うかもしれないと思ってしまう。しかし、コーパスによって感覚的なものではないことが明らかになったのだ。

 

小磯先生は1950年代から国語研究所で集められた音声資料も再編し、2020年に『昭和話し言葉コーパス』として電子化して音声とともに公開した。そのため、当時の言葉の使われ方と比べることができる。さまざまなコーパスを活用し比べることで、多様な角度から言葉の経年変化や年齢性別による違いなどを調べることができる。

言語だけでなく、医療やAIなどさまざまな分野で応用も

「『日本語日常会話コーパス』を含め、いろいろな種類の大規模なコーパスが揃ったことによって、コーパスを使った定量的な分析で今後明らかにできることも多いのでは」とコーパスの可能性を話す。また、コーパスは公開することに意味があるとも話した。国立国語研究所でも代表的なコーパスを公開しており、登録すれば誰でも使用できる。

※無料版は機能を限定して公開。国立国語研究所 言語資源開発センター「コーパス一覧」https://clrd.ninjal.ac.jp/

 

「研究には再現性が重要です。コーパスを使って同じような条件で分析して同じ結果が出れば、研究の正しさを保証することができます。コーパスに限らず、現在はどの分野でも研究データを公開することで研究不正を防ぐとともに、研究を前進させることに資するといわれています。また、いろいろなデータを組み合わることでより対象領域を広げて研究ができるようになってきているので、できるだけデータは公開する流れになっています」

 

実際に、小磯先生も研究領域は言語だけに留まらず、他分野との共同研究もすでに進んでいる。

「『日本語日常会話コーパス』をつくって公開したことによって、私たちと同じ分野だけでなく、思いもよらなかった分野からお声がけをいただきました。例えば医学分野では、自閉スペクトラム症、コミュニケーション障害といわれる人たちのコーパスがあれば、より多くのことがわかるのではないかと考えています。基礎研究に留まらず、自分の専門がダイレクトに社会に役立つ可能性があると感慨深く、とても興味深く研究を進めているところです」

 

もともとコーパスは、データを扱うという性質上から情報処理分野との接点が深く、特に話し言葉を集めたコーパスの開発には音声認識の技術が関わっていたり、AIが自然な言葉を話せるようにしたりと、情報処理分野での応用が行われてきた。「言語分野や情報処理分野だけでなく、まだまだ可能性があると気づかされました。そうした新たな分野にも踏み込んでいきたい」と小磯先生。高度な言葉を話すのは人間だけといわれるが、人間にとって言葉は非常に重要な要素だ。考えるにも何をするにも言葉がなくてははじまらない。だからこそ、言葉を核にした研究によって、今後さらに思わぬ発見や新しい技術が生まれてくるかもしれない。

羽毛や消化管まで残る化石の謎を探るため“化石化”を研究する名古屋大の片田さんに聞いてみた

2024年2月13日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

古生代の海には奇妙なかたちの生きものが泳いでいたり、ジュラ紀や三畳紀には巨大な恐竜たちが跋扈していたり、人類が誕生するはるか昔の地球にロマンを感じる人は多いだろう。これら昔の生物に思いを馳せられるのも、化石が残っているからこそ。ところが、化石よりも化石になる過程=“化石化”に注目している研究者もいるという。その一人、名古屋大学の片田はるかさんに話を伺い、化石化に着目したきっかけや古生物学の魅力について教えていただいた。

なぜ化石となって残ることができたのか、その理由を探る

始祖鳥、アンモナイト、ティラノサウルス…。いろいろな化石が見つかっているが、化石とは大昔の生物の遺骸などが地中で保存され、他の生物に食べられることなく、微生物分解されながら、周りの土砂などから石のもとになる成分が染み込んで鉱物(石)に置き換わったもの。硬くて残りやすいので骨や歯、貝殻の化石が多く見られる。化石ができるには、環境にもよるが少なくとも1万年はかかるといわれ、その間に地殻変動や圧力、熱などで壊れるとなくなってしまうため、私たちが目にする化石は奇跡の産物ともいえる。そんな化石があることで生物を特定したり、生物の進化史や行動様式を知ることができるのだが、片田さんの興味は化石そのものではなく、化石になる過程だ。

 

「化石から生物の生態や機能を調べる研究者の方が多いと思いますが、私はその化石がどうやってできたのか、生物が化石になるまでの歴史を知りたいと思いました。化石の中には、消化管や胃の内容物、羽毛など驚くようなものが残っている化石もあり、過程や環境によって千差万別です。それらがどうして保存されたのかを知りたいのです」と話す。“化石化”についての研究はそこまで盛んではなく、明らかになっていないことが多いという。

 

生物の特定などのため骨の形に注目するなら、化石の成分には特に意識しなくてもよい。化石になる過程に注目するなら、化石を構成する鉱物の成分や元素、微生物がどう分解したのか、まわりの環境・地層はどうだったかなどを研究することになる。化石と化石化では研究手法が異なるのだ。

 

そもそも片田さんが化石化を研究することになったのは偶然ともいえることだったという。大学の卒業研究にあたって、本来はモンゴルへ化石の調査に行くはずだったが、コロナ禍で海外渡航や屋外調査が難しく、愛知県の「蒲郡市生命の海科学館」から標本を借りることになった。

 

「ものすごく幸運な機会で、普段は簡単に触れない標本を貸していただきました。科学館の標本なので壊しても傷つけてもいけません。そこで、化学と鉱物学からのアプローチによって、化石の持つ情報を明らかにしようと考えました」と片田さん。

 

このとき片田さんが借りた標本は、マルレラまたはマーレラと呼ばれる節足動物の一種。5億年ほど前のカンブリア紀の生物で、長い角のような突起を持つ不思議な姿をしている。

「マルレラは、おしりの辺りに黒っぽいシミのようなものがある化石が多いんです。これまでシミの由来や血液成分の有無などが議論されてきましたが、まだ決着がついていません。それが面白いなと思って、私もシミの分析をしました」

マルレラはこのような生き物だったと考えられている(片田さん私物のフィギュア)

マルレラはこのような生き物だったと考えられている(片田さん私物のフィギュア)

 

具体的には、化学的な特徴を明らかにするためにX線顕微鏡で化石表面スキャンし、どこにどんな元素がどのような濃度であるのか調べる元素マッピングを行う。これによって、どういう元素で化石がつくられているかがわかる。ただ、同じ元素でもいろいろな鉱物がつくれるので、特定するためにレーザー光を使用するラマン分光分析という方法で鉱物を測定していく。そうして化石を壊すことなく成分や元素を分析できるのだ。

 

それらの分析の結果、シミに血液由来成分は見られず、またシミの大きさと体の大きさに相関関係があることから、片田さんは「シミは生体由来のもの」との結論を導き出し、卒業論文にまとめたそうだ。

今はハダカイワシの化石を対象に、発光器まで残った理由を研究

博士課程(後期)に進んだ今、片田さんはどんな研究をしているのだろうか。

「今は、ぐっと時代が新しくなって、1700万年前くらい前のハダカイワシの化石を研究しています」と片田さん。ハダカイワシは深海魚で、目が大きく、脇腹の辺りから発光するのが特徴だ。

 

「愛知県南知多町の師崎(もろざき)層群からは、骨だけでなくお腹の発光器まで残っているハダカイワシの化石が発見されました。この珍しい化石の発見はニュースでも取り上げられたので、覚えている人もいるかもしれません」

ハダカイワシの実物と化石

ハダカイワシの実物と化石

お腹部分に発光器がある

お腹部分に発光器がある

 

なぜ発光器まで残るほどの保存ができたのか。元素マッピングや鉱物学的な分析の結果から、片田さんは黄鉄鉱という鉄と硫黄からなる金属鉱物が関係していると考えた。今、黄鉄鋼ができる環境や条件などについて論文をまとめているところだという。

 

化石化の研究では、保存状態のよい理由、環境やプロセスなどを調べること多いが、片田さんが特に注目しているのは化石化における化学反応(元素の移動)だ。

 

「化石の元になった元素はどこから来たのか。もともと生物が持っていた元素は化石になった後、外へ出ていったのか、あるいは化石として残っているのか。元素の移動まで明らかにしたいと思って研究しています」と片田さん。

 

「古生物学では、よほど新しい時代などでない限り、化石の元になった生物はもう地球上に存在しないことがほとんどです。でも、ラッキーなことにハダカイワシは今も深海で生きています。生物がもともと持っていた元素も化石になっている元素もわかるので、その間に何が起こったのかを明らかにしたいと考えています」

 

シーラカンスとは比べようもないが、ある意味ハダカイワシも生きた化石といえるだろう。元素の移動がわかれば、化石化する・しない条件もわかるかもしれない。

余談だが、ハダカイワシという名前は、網にかかると鱗がすぐに取れてハダカのようになってしまうことに由来する。高知県では「やけど」と呼ばれ、丸干しなどが名物になっている。見た目はちょっとアレだが、とても美味しいという。ごく身近なところに古い時代とのつながりがあったとは感慨深い。

博物館などで、化石の魅力や自然界の複雑さを伝えたい

ところで、化石の魅力とは何か、改めて片田さんに伺ってみた。

 

「姿かたちは多少変わっても、大昔の生物が目の前にあって、それを見ていることにシンプルに感動します」と話した。今とは大きさも形もまったく違う生物たちが生きていたと思うと、驚きや自然の不思議を感じてしまう。その辺りは一般の人たちと同じ感覚だが、研究者ならではのユニークな視点だと感じたのは「死なないことが化石の一番の魅力」という点だった。

 

「化石はだいぶ前に死んでいるので、逃げることなく、ずっとそのままいてくれるのでいい」と片田さん。「また、化石は石なので、元の生物と同じ形をしていても、成分や硬さ、手触りがぜんぜん違います。でも、多くの人は生物として認識します。生物としての側面もあり、岩石や鉱石としての側面もある。それが化石の魅力です」

 

こうした化石や鉱石、古生物学の魅力を伝えたいと、片田さんはサイエンスコミュニケーターとしての活動も行っている。昔から理科教育や博物館教育に興味があったという。大学1年時から名古屋市科学館で鉱物や化石を用いたワークショップを行ったり、名古屋大学博物館でイベントの企画・運営にも携わってきた。来館者に説明する際に気をつけているのは、一方的な関係にしないことだと片田さんは話す。

 

「私の持っている情報をただ渡せばいいのではないと気づきました。私には私の好きな分野、知っていることがありますが、相手には相手の好きな分野、知っていることがある。たとえ小さな子どもであっても、私より詳しいこともあります。ある種のリスペクトを持ち、対等の相手として接することが大切だと考えています」

 

押し付けにならず、主体的かつ双方向的なサイエンスコミュニケーションを目指しているのだ。化石や古生物学の研究はもちろん、博物館教育にも興味を持つ片田さん。将来の進路として学芸員を考えている。

研究についての展望を語る片田さん

研究についての展望を語る片田さん

 

「自分の研究をしながら、サイエンスコミュニケーターとして化石の魅力や自然科学の面白さ、重要性、自然界の複雑さなどを伝える活動をしたい」と話した。

 

大昔の生物が化石として残るだけでも奇跡的なことだと話す片田さん。次に化石を目にする機会があれば、化石そのものの姿だけでなく、それができる過程も想像して、自然界の複雑さを感じてみたい。

「妖精って何?」佐賀大学・木原先生に聞く、妖精が教えてくれること。

2024年1月18日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

ファンタジー小説や映画ですっかりおなじみになっている妖精。何となく知った気になっているものの、改めて考えると妖精って何?妖怪との違いは?などと疑問が湧いてくる。そこで、妖精学を研究している佐賀大学の木原先生にお話を聞いてみることにした。実際に妖精に出会った経験をお持ちなので、おもしろいお話が聞けるに違いない。

 

妖精とは何か。鬼太郎は妖精で、一反木綿は妖怪?

“妖精”と聞けば、小さくて羽が生えていて…と、ティンカー・ベルのような姿を思い浮かべる人が多いだろう。実際のところ、妖精の定義はあるのだろうか。木原先生は「あくまでも持論ですが」と断りをいれつつ、妖精の定義を話してくれた。

 

木原先生によると、妖精、妖怪、幽霊の違いを考えるとわかりやすいという。幽霊は、憑依することはあるかもしれないが、手を繋いだり一緒に過ごしたりはできないことから、実体として存在していないといえる。それに対して妖精や妖怪については、相撲を取ったり一緒に遊んだりといった話が数多く残っている。現実の世界にいて、触れることができる存在と区別ができる。では、妖精と妖怪の違いは何か?

 

「私は、恋愛対象になるかどうかの違いだと、学生に説明しています」と木原先生。
「妖怪を恋人にしたいかと問われるとNOでも、妖精だったらYESと答える人が多いでしょう。人魚姫を例にするとわかりやすいのですが、妖精ならお互いに恋をしたり、片思いしたりできる。でも、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる一反木綿や、顔が魚で体が人間の魚人に恋できるでしょうか。つまり、顔をはじめ人間により近いのが妖精ということになります」

 

木原先生は、妖精と妖怪の違いはドキドキ感や人間としての感情を持てるかどうかだと語る。確かに、ペットなら楽しいかもしれないが、一反木綿や魚人が自分の恋人になるのは想像しにくい。ただ、この定義には異論も多く、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげる氏は妖精と妖怪に差はないという考えだったのだとか。先生の説では、一反木綿や塗り壁は妖怪で、鬼太郎や猫娘は妖精。さらに、砂かけ婆や子泣きじじいも妖精ということになるが・・・。以前、学生から「子泣きじじいも恋愛対象になるのか?」と質問された際には、「若いから疑問に思うだけで、高齢になったら素敵! と思う可能性もある」と返したそうだ。

 

シンデレラの靴が履けないのは彼女が妖精だから

皆さんは、グリム童話『靴屋のこびと』を覚えているだろうか。夜中の間にこびとが靴づくりを手伝ってくれるという心温まる話だ。このこびとは、アイルランドの妖精レプラコーンだといわれている。手伝ってくれるのはありがたいが、レプラコーンは片方の靴しかつくらないという。なぜ片方だけなのか?


「それはシンデレラ仕様だからだと、考えられています。皆さん誤解していますが、実はシンデレラも妖精なんです」と木原先生。妖精は、半身は地上(この世)に、もう半身は天(あの世)にいる存在なのだという。片足だけガラスの靴を履いているシンデレラも、片足は地上、もう一方の足は天と、二つの次元を生きているといえる。誰もシンデレラのガラスの靴を履けなかったのは、妖精の靴だったからなのだ。

 

妖精の本場アイルランドやスコットランドはもちろん、世界各国に妖精にまつわる話が童話や民話として残っている。先生によると、日本の『鶴の恩返し』のツルも、妖精がツルに化けたもの。「ツルは片足だけ地面に足をつけていることが多い。となると、シンデレラの理屈と同じで、妖精ということになります」。

 

先生の話で、妖精の存在がどんどんリアルになってくる。そんな妖精たちは人間と触れあい、さらに結婚したり、子どもを生んだりといった話も残る。「火のないところに煙は立たないというように、実際に人間が妖精に遭遇したのではないか。妖精にまつわる話は、フィクションであると同時に事実でもあったのだろうと思っています」と木原先生。何らかの事実を元に、フィクションとして広がったというのが木原先生の考えだ。

 

アイルランドで出会った妖精がライフワークに

なぜ先生は、妖精は“存在する”と肯定できるのだろう。先生と妖精との出会いについても聞いてみた。19歳のときのイギリス旅行で、アイルランドのダブリンに足を伸ばした先生は、現地の人に「もうダブリンではあまり見かけないが、もっと西に行けば妖精に出会えるよ」と薦められたそうだ。まだ妖精という存在を信じていなかったものの、とりあえずさらに西にあるスライゴへと向かった先生。


スライゴはダブリンの北西に位置する海辺の街

 

スライゴに到着したものの宿もなく困っていたところ、そこで出会ったおじいさんの家に泊めてもらうことになった。その家に、空の鳥かごがあったので不思議に思って聞いたら…。「妖精の家だと真顔で言うんです」と木原先生。「うちは貧乏なのに妖精がぜいたくばかりするので、おばあさんが叱ったところ、妖精が出て行ってしまった、と」。アイルランドでは妖精が身近な存在なのだろうが、それにしてもごく当たり前に、妖精を話題にするのに驚く。日本でも、座敷童に会えるかも知れない宿が紹介されたりするが、そのような感覚なのだろうか。

 

おじいさんから「妖精はイニスフリー島にいる」と聞いた先生は、さっそく島へ向かう。イニスフリー島はギル湖の中にある島で、先生が訪ねたとき、まさに妖精が白鳥の背中に乗るところに出会ったという。「大きさは30cmから50cmくらい。フワッと輝いていました。何か共鳴するものがあって、恐ろしいとは思いませんでしたね。たとえるなら、きれいな女性に出会ったときのようなトキメキ、ワクワク感がありました」

白鳥に乗って移動する妖精がいるとは、想像するだけで神秘的だ(写真はイメージ)

白鳥に乗って移動する妖精がいるとは、想像するだけで神秘的だ(写真はイメージ)


意図したわけでもなく、偶然に偶然が重なってのことだった。この出会いから木原先生は「妖精は一生探し続ける価値がある」と考える。当時は妖精を学問として研究している人がいない中、探検家や冒険家のように、ライフワークとして研究しようと決めたそうだ。

 

最近の日本でも妖精の存在が信じられ、いろいろな目撃談がある。木原先生も、沖縄の大宜味村で妖精が建てた家に暮らしていた人を取材したと話す。また、ドラマ『北の国から』の作者として知られる倉本聰氏は、著書『ニングル』の中で「富良野の森にニングルはいたのだ」と記しているという。なお、ニングルとは北海道の森に住む小さな妖精のこと。

 

日本にも妖精がいるのなら、どうすれば出会えるのだろうか。尋ねてみると「妖精を探すときに注目するのは際(キワ)です」と木原先生は教えてくれた。あの世とこの世の狭間、キワに立つものが妖精だ。夕暮れか夜明け、つまり朝と夜のキワだったり、何らかの狭間で妖精に出会えるという。そういえば、先ほどから登場するシンデレラも、12時という今日と明日のキワで魔法が溶けてしまう。

 

興味深い話も伺った。童謡『かごめかごめ』に「夜明けの晩に鶴と亀がすべった」という歌詞があるが、この一文だけでも3つのキワが含まれている。夜明けという朝と夜のキワ、天と地のキワに存在する鶴、そしてカメは水と陸のキワを象徴する。どこか不穏な雰囲気のある『かごめかごめ』には、もしかすると妖精や異界につながるメッセージが込められているのかもしれない。

 

妖精という異質な存在を考えることで想像力が育まれる

ところで、妖精という存在は人間にとってどのような意味があるのだろう。「信じる人も信じない人もいるだろうが、妖精は人間界と異界をつなぐもの。異界の気配みたいなものを絶えず醸し出してくれている。妖精や異界について考えようとすることで人間の想像力が育まれていくのではないでしょうか」と木原先生。

 

どの国でも「昔は妖精がいたんだけど…」という声を聞いたそうだが、今、妖精を見ることができないのは、私たち人間の想像力が衰えてきているからかもしれない。アイルランドでは、もともと妖精は巨人だったが、人間が敬わなくなったため、どんどん小さくなっていったという説もあるという。大人になるほど、また現代になるほど、豊かな想像力が失われていくということか。見えないものに心を寄せる、そんな余裕があっても楽しいだろうと思う。

 

ちなみに、19歳で初めて妖精に出会った木原先生は、その後、スコットランドなどで2回、妖精と出会ったそうだ。だが、本気で研究を始めると出会わなくなったという。「でも、いいんです。片思いが好きだから(笑)」と木原先生。「妖精学ほど探求していてワクワクするものはありません。死ぬ間際でも考えているだろうし、きっと死んでからも研究していると思います」と、妖精への熱い思いを語ってくれた。

「非流暢に話す」とは? 京都大学・定延先生に“非流暢性”の 研究とその先にあるものを聞いた。

2023年11月28日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

皆さんは自分のしゃべりに自信がある?ない?「えーっと、私はねぇ、ちょっと、流暢にしゃべれないから」という方もいるはず。筆者自身も、よくつっかえるし、「あの-」などと余計な言葉も多いし、しゃべりには全然自信がない。でも、近年、「非流暢に話す」ことが研究されていると聞き、がぜん興味を抱いた。何を目指して研究するのか?いったいどんな利点があるのか?「非流暢に話す」ことを研究テーマのひとつにしている京都大学の定延利之先生に話を伺った。

実は、話し言葉は宿命的に非流暢だった

定延先生は、言語学や日本語文法などが専門。記述言語(書き言葉)ではなく、音声言語(話し言葉)に着目し、現在はその非流暢性について研究を進めている。

 

定延先生によると「音声言語が言語の本場」という。その理由の一つは、文字のない言語は珍しくないこと。世界に数千ある言語のうち約4割は文字を持たないという。もう一つの理由は、自然習得できるのは音声言語のみだから。確かに、話し言葉は子どものころから自然と覚えて話せるようになるが、文字の場合は教育を受けなければ身につかない。

 

「人間という生きものにとって本質的なのは音声言語だといわれています。そして、音声言語は宿命的に非流暢です」と定延先生は話す。それは文字と音声の性質の違いによる。古くから文字は保存・運搬できたが、音声はなんらかの機器がなければできない。また、読む速度にあわせて速く書くのは非現実的だが、話す速度に聞く速度をあわせることは簡単だ。

 

「文字は保存・運搬できるので、いつどこで誰が読むかわからず、どうしてもフォーマルになる傾向がある。一方、音声は“ここだけの”“いま顔をつきあわせているあなたとの”話になり、相手の反応を見ながら話すので即興的になる。推敲はできず、非流暢になる傾向にあります」

 

これまでは障害などがない限り母語なら流暢に話すのが当たり前だと思っていた。世間一般でもおそらくそうで、流暢に話せないのは、緊張や焦り、頭の中が整理できていないなど、話し手に何らかの原因があるとされていただろう。ところが、そもそも音声言語は非流暢なものだったのだ。

 

とはいえ、音声言語の非流暢性が認められてきたのは、それほど古い話ではないという。
「伝統的な言語学では、理想的には母語話者の話し手は流暢に話すものと考えられてきて、非流暢性は顧みられることがありませんでした」と定延先生。流れが変わってきたのは2000年代に入り、話し言葉研究用の大規模なデータベース(「日本語日常会話コーパス」など)ができてから。大量の話し言葉データを調べた結果、母語話者、つまり生まれてからずっと日本語を話している人たちも基本的には非流暢だとわかってきたのだ。

「あのー」も「ほ、ほんとに?」も非流暢の一種

非流暢性にはどのようなものがあるのだろう。定延先生によると、話している途中でテーマが変わっていく場合などを別にして、簡単に形式だけをみれば大きく3つにわけられるとのこと。

 

一つめは、「えー」「あのー」などの言葉でフィラーといい、間つなぎ語といわれるもの。日本語にも数十個あるという。二つめは、スラスラと話さず細切れに話す、コマ発話と呼ばれるもの。「昨日のね、夜に、京都で、田中さんとね…」などのように、内容的には理路整然としていても、文節ごとに細かく区切って話すことをいう。三つめは、つっかえたり、音を伸ばしたりするもの。例えば、「ほ、ほとんどゼロ円大学」や「ほとーんどゼロ円大学」など、出だしでつっかえたり、単語の途中で音を切ったり伸ばしたりするのがこれにあたる。

 

どれも、誰もが日常的に使っている言葉や話し方ではないだろうか。こうした非流暢な話し言葉には、何らかの役割や意味がありそうだと考えてしまう。実際に、フィラーは間をつなぐため、コマ発話は相手がわかりやすいようにするため…といった“説”はあるという。しかし、定延先生は「こうした話し方は無意識にしているもの。非流暢性を利用する場合もありますが、そのための道具として非流暢な言い方が開発されたのではないでしょう。どういうことなのか、そこも知りたいことのひとつです」と話す。

文節ごとに細かく区切って話すコマ発話の例

文節ごとに細かく区切って話すコマ発話の例

 

定延先生の研究プロジェクト(非流暢な発話パターンに関する学際的・実証的研究)には、記述言語学や大量のデータを分析するコーパス言語学といった言語学分野に加え、会話分析、言語教育、言語障害、AIでの音声合成など、さまざまな分野の研究者が集まっている。

 

「非流暢といってもいろいろあります。最近ようやく光があたってきた母語話者の非流暢性、語学学習者の非流暢性、言語障害を持つ人の非流暢性。これら3つの違いや共通点を明らかにしようとしています」と定延先生。例えば、日本語を母語とする人の非流暢性と日本語を母語とせず、それを学んでいる人の非流暢性の違いがわかれば、日本語学習者にこれまでとは違う教え方が可能になるという。

 

「語学を勉強するときはスラスラと話す練習をしますが、実際の母語話者はたどたどしく話すことが多い。そのパターンを学習者に教えれば、アナウンサーのようには話せなくても、普通の母語話者のようにうまく話すことができるはずです。母語話者と学習者の差をできるだけなくすことができます」

 

同様に、健常な人の非流暢性との違いや共通点を明らかにすることで、言語障害のある人とのコミュニケーションに役立てることもできる。
「話す言葉や話し方で不平等がおきないようにしたい」というのが定延先生の思いだ。「そんな社会にするために必要な基礎的知識を開拓しているところです」

定延先生の研究は、たとえるならブラックライト

「近現代の言語学研究者たちは『言語学の本場は音声言語にある』と認めつつ、文字言語を専門にすることが多い。そんな中、非流暢な音声言語という、ちょっと変わったところをあえて見ています」と、定延先生は自身の研究をブラックライトにたとえて説明してくれた。ブラックライトとは特殊な紫外線を発するライトで、通常の光では得られない反応が出るため、汚れや傷のチェック、宝石の鑑定などに使われている。

 

「よく推理ドラマなどに出てきますが、ブラックライトをあてると肉眼で見えない血痕などが壁に浮かび上がる。非流暢性の研究にはそういうところがあります」

 

実際に、母語話者の非流暢な発話を詳しく調べてみると、いろいろな規則性が見つかったという。流暢性の研究では発見できなかったことが、まるで特殊な光で浮かび上がったかのように見つかり、説明がつくようになったのだ。

 

「規則性がわかれば学ぶことができます。だからこそ、日本語学習者に教育でき、また、AIの音声合成にも活かすことができるのです」と定延先生。

人間とつきあうAIは非流暢に話すようになる

現在、定延先生たちは、母語話者のように非流暢に話す音声合成システムを開発している。よどみなく話すようにするのではなく、あえて非流暢に話す合成音声とはかなりユニークだ。

 

aとbは人間の言葉か?合成された音声か?

 

「方言を含めて、普通の人の普通の発話をAIに学習させようとしています。よく先生にスラスラしゃべられると身につかないということがありますが、インタラクティブにすることが大事。AIが話す場合でも、何かを読んでいるのではなく、聞き手を見て考えながらしゃべっていると感じてもらうことが大切になります。そのためには、母語話者流の適度な非流暢性が必要だと考えています」

 

AIの話し方を不自然に感じるのは、非流暢性が足りなかったとは。ただ、人間の声と区別がつかない合成音声が開発されれば、悪用される恐れもあるので使い方には注意が必要と定延先生は話す。しかし、今後ますます対話型AIがいろいろな場面で人間と関わるのは間違いない。

 

「今は電子文字コミュニケーションで対話していますが、いずれは音声出力で対話するAIが登場します。最初は、ちゃんとした言葉をちゃんとした発音で話すものでしょう。もっと生活に入り込むと、もっと親しみやすい合成音声で話すAIが必要になります。アナウンサーではなく、普通の人間のような内容と構文で話し、ところどころ非流暢に話す。もし人間とつきあうAIをつくるんだったら、言語の研究はそこまで行かないといけないと思っています」

 

40年近くにわたって言語を研究してきた定延先生。研究生活でよかったことを尋ねてみると、「謎が解ける瞬間は何ものにも代えがたい」との答えが返ってきた。

 

「わからなかったことがサッとわかる、その瞬間は自分と世界だけがあると感じます。その瞬間をすべて足しても数時間ないだろうけど、わかる瞬間は何ものにも代えがたい」

穏やかな語り口の定延先生

穏やかな語り口の定延先生

 

最後に、定延先生から「非流暢でいこう」とのメッセージをいただいた。誰もがアナウンサーや司会者のように流暢に話せるわけではないし、そうしなくても大丈夫。ゆっくり、たどたどしく話しても、お互い認めあえばきっとコミュニケーションはうまくいく。

 

 

◎動画の答え:①~③とも「b」が合成音声

農業と水産業が融合する陸上養殖とは? 琉球大学の竹村先生と羽賀先生に聞いてみた。

2023年9月7日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

魚の養殖は海や川で行うもの…というのは、もはや過去の常識なのか、最近では山の中や都会のビル内でも養殖が行われているのをよく耳にする。とはいえ、海に囲まれた沖縄県で陸上養殖をしているはやや不思議に感じないだろうか。養殖しているのは、沖縄県では馴染みのあるミーバイ(ハタ)。クエの仲間である高級魚で、淡泊な白身が美味しく、バター焼きや鍋料理、魚汁が人気という。沖縄県で陸上養殖を行うことになったきっかけやその狙いなどについて、琉球大学の竹村明洋先生と羽賀史浩先生に話を伺った。

先生のお写真

【今回お話を伺った研究者】

◎竹村明洋(写真右)/琉球大学 理学部 教授 (水産学)

農水一体型サステイナブル陸上養殖共創コンソーシアムプロジェクトリーダー。大学院生の頃から魚類の生殖活動の仕組みに興味を持ち、現在はサンゴ礁に生育する魚類の活動リズムについて時間生物学的な観点から研究を続けている。

◎羽賀史浩(同左)/琉球大学 研究推進機構 共創拠点運営部門 特命教授。博士(工学)

同コンソーシアム副プロジェクトリーダー。自動車メーカーの総合研究所で燃料電池やリチウムイオン電池などの材料研究、人材育成、研究企画などに携わり、2019年から琉球大学へ。


「タンパク質危機」対策として陸上養殖に着目

「きっかけは、プロテインクライシスに危機感を持っている民間会社から相談を受けたことです。再生可能エネルギーを活用した陸上養殖を行いたいという話で、じゃあやりましょうかと軽く答えてしまったのがはじまりでした」。プロテインクライシスとは「タンパク質危機」ともいい、人口増加やそれによる食肉消費量増加、さらに温暖化や飼料高騰などの影響により、世界規模でタンパク質の供給量が不足すること。早ければ2025年から2030年にかけて訪れるといわれ、その解決策として代替たんぱく質や昆虫食、養殖が注目されている。

 

陸上養殖の話が具体的に進み、自治体の許可を得て養殖場所は県内の中城町に決定。一般社団法人中城村養殖技術研究センター(通称NAICe/ナイス)を設立し、陸上養殖の研究に着手したのが、5年ほど前だという。

理学部海洋自然科学科 教授の竹村明洋先生は生物成長促進研究を担当

理学部海洋自然科学科 教授の竹村明洋先生は生物成長促進研究を担当


中城村養殖技術研究センターで養殖しているのは、ミーバイの一種、アーラミーバイ(ヤイトハタ)という魚種。アーラミーバイを選んだ理由について竹村先生は「ひとつには沖縄県がミーバイを養殖対象魚種に指定していることがあります。また、アーラミーバイは成長が早いうえ病気に強く、養殖に適していたから」と語る。

 

アーラミーバイは高級魚として知られると同時に、釣りのターゲットとしても人気で、中には体長1mから2mサイズになるものもある。ただ、養殖する場合は出荷後のことも考え、一尾まるごとを煮付けや姿蒸しにして皿に盛ったときに見栄えのよいサイズを目安にしているという。「重さにすると600gから800gを目安にしていますが、そこまで育てるのに通常の養殖では1年かかります。これをなるべく早くしたい。成長を2倍早めて半年にすることが目標です。研究では1.5倍くらいまではできていて、あともうちょっと早められるかなと感じています」と、竹村先生は状況を説明する。

 

早く大きく、かつおいしく成長させることができれば、それだけ光熱費やエサ代といったランニングコストが下がり、収益性も確保できる。その実現に向け、琉球大学が中心となってさまざまな養殖技術を研究・開発しているのだ。
「生きものの特性を重視し、魚にとって心地よい環境をつくってあげて大きく育てています。魚にとって心地よい環境と、消費者にとっての安心安全。その両方が大切」と竹村先生。水温や光、色、塩分濃度を操作して魚がストレスを感じない環境に整え、エサ喰い(エサの転換効率)をよくして、早く成長するように工夫している。

 

そうして育てたアーラミーバイは、「琉大ミーバイ」あるいは県外向けには「美らハタ」というブランド名をつけ、沖縄県内のホテルやスーパーで販売したり、琉球大学の学食で提供したりするほか、通信販売も展開。例えば、オリオンビールの公式通販では、「琉大ミーバイじゅーしぃの素」「アクアパッツァじゅーしぃの素」「ミーバイ汁」を販売している。今回は「ミーバイ汁」を取り寄せ、食べてみた。
じゅわっと味わい深いミーバイの身とプリッとした魚皮、しっかりと歯ごたえのある島豆腐のバランスがよく、行儀は悪いが白ご飯にかけたらさぞおいしいだろうなと感じるお味。柔らかな白身だからかアーラミーバイの身はやや崩れていたが、その分、汁いっぱいに魚の旨味が染み渡るようだった。

ミーバイ汁はレトルトパウチなので、パウチのまま熱湯で温めるだけと調理も簡単

ミーバイ汁はレトルトパウチなので、パウチのまま熱湯で温めるだけと調理も簡単


陸上養殖の先へ。めざすのは“農水一体型”の沖縄モデル確立

ところで、周囲が海に囲まれた沖縄県において、陸上養殖のメリットとは何だろうか? 素人目線では海水温の上昇といった影響を受けないことかと考えていたら、竹村先生が真っ先にあげたのは「漁業権の問題」だった。海上では漁業権を持っている漁師しか養殖ができず、さらに養殖に適した場所も内湾などに限られるうえに、エサで水が汚れて赤潮の発生につながることもある。「もう海上養殖は限界にきている」と竹村先生は言う。「その点、陸上なら漁業権は関係なく、海を汚す心配もなく、魚が心地よい環境をコントロールしやすいという利点があります」

 

陸上養殖のなかでも、琉球大学が行っているのは農水一体型の完全閉鎖循環式だ。完全閉鎖循環式というのは、飼育水を浄化しながら循環利用する方法で、海を汚すことはない。さらに「農業との親和性を持たせた閉鎖循環式にしたいと考えた」というように、農業から出る植物性残渣を魚のえさに使用し、魚から出る排泄物などを肥料にして農業に利用するなど、グルグル循環させているのが特徴。また、電気エネルギーがかかるのが陸上養殖のデメリットだが、なるべく太陽光や風力といった再生可能エネルギーを使うことによってエネルギーコストを下げるよう工夫している。「農水一体型サステイナブル陸上養殖というひとつのモデル、システムをつくることが大きな目標です」

 

農水一体型というアイデアが生まれた背景については、おもしろい話も伺った。「もともと農業や水産業、林業といった一次産業は、それぞれ別のものという考えが一般的にありました。でも、高校生を交えたワークショップで『自分たちが大人になる頃には、そんな区分けはしていないかも』と言われ、ハッとしました。農業と水産業は別々などと勝手に分けているだけで、実は一体化できるのではないかと検討しはじめたのです」

 

次世代の陸上養殖を追究するなか、若い世代の柔軟な発想によって大人の思い込みが覆され、新たな研究につながったという話はなかなか象徴的だ。一次産業、特に水産業は高齢化が進み、沖縄県では80代の人が現役漁師だったりするという。サステイナブルで収益性も高い、新しい一次産業が生まれることで、「若い人たちが魅力を感じて参入してくれれば」と竹村先生は語った。


全国の大学、企業、自治体との共同研究で変わる琉大

ちなみに、「農水一体型」に関してはまだ研究段階。ミーバイ商品をECショップで販売するオリオンビールから、ビール製造過程で出る麦芽カスなどの廃棄物を受け、魚のエサに利用にできないか研究中だ。ほかにも、さまざまな大学や企業が新しい陸上養殖システムの研究に参画している。

 

5年ほど前に始まった琉大ミーバイの陸上養殖研究は、その後、大学や県の枠を超えてさらに進化することとなった。2021年、琉球大学は「農水一体型サステイナブル陸上養殖共創コンソーシアム」を設立。当初28機関でのスタートだったが、現在は全国の大学やオリオンビールをはじめとする企業、自治体など70以上の機関が参画するまでになった。コンソーシアムの拠点ビジョンとして「私たちは農業と水産業の垣根をとりさり、世界の若者が主役として職を育て提供する循環社会を実現する」を掲げて、情報交換・交流から共同研究までさまざまな活動を行っている。

 

共創拠点運営部門特命教授の羽賀史浩先生によると、コンソーシアムの中でも共同研究を行うのは「琉球大COI-NEXTプロジェクト」参画機関のメンバーで、6つの研究課題を設けて役割分担をしながら研究を進めている。

研究推進機構共創拠点運営部門 特命教授の羽賀先生はプロジェクト成果の社会実装担当

研究推進機構共創拠点運営部門 特命教授の羽賀先生はプロジェクト成果の社会実装担当


「例えば、『再生可能エネルギー100%による電源供給』という研究では、福井大学や大阪工業大学といった県外の大学先生たちと一緒に研究していますし、『物質循環型農水一体養殖技術の開発』という研究では東京海洋大学の先生がリーダーになるなど。テーマごとに得意分野の先生たちが中心となってプロジェクトを進めています」。このように、陸上養殖技術のみならず、再生可能エネルギーやICTの活用までテーマは多岐にわたる。

 

農水一体型サステイナブル陸上養殖共創コンソーシアムは、始まって間がないが、「いろいろな人と関わりながら一つのものをつくりあげていくなかで、大学も変わってきている」と竹村先生。

 

琉球大学が陸上養殖に着手したきっかけも、農水一体型を思いついたきっかけも、さらにはオリオンビールとの共同研究も、実は「たまたま」「人との出会い」があったからという。養殖の在り方を変えようとする大きなプロジェクトのはじまりが、偶然の人との出会いだというのは印象深い。「琉大ミーバイは一つのきっかけ、シンボル。ミーバイを売るのが目的ではなく、これをきっかけに大学が変わっていけば」と話すように、開かれた大学として、さまざまな人と交流を進めてきた背景があってこそだと感じた。

日本最大級の偽文書「椿井文書」とは? 大阪大谷大の特別展で実物を見てみた

2023年5月18日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

贋作や偽文書、最近ではフェイクニュースなど、いつの時代にも世の中にはニセモノが存在し、関わる人を惑わせるわけですが、つい最近までホンモノとして信じられていた文書群があることをご存知でしょうか。それが「椿井文書(つばいもんじょ)」です。一体どのような文書なのか自分の目で見たくなり、大阪大谷大学博物館の春季特別展「椿井文書をめぐる人々―拡散する偽文書-」に訪れ、特別展にあわせて4月15日(土)に開催された博物館講座「尾張椿井家文書の史料的価値」も聞いてきました。

*冒頭の絵図は、椿井文書の一つとされる「河州石川郡磯長山寺伽藍全図会」(個人蔵)

研究者さえ騙されてしまった、江戸時代のフェイク

大阪大谷大学博物館では春と秋に特別展を開催しており、特別展期間中は一般の人も見学することができます。やや照明を落とした春季特別展会場内には、家系図や書状、巻物、絵図などが展示され、多くの人たちが一つひとつの展示物にじっくりと見入っていました。中には「確かにこの辺りの文字は……」などとつぶやく人もいて、歴史好きの方々の熱い思いが伝わってきました。

家系図や書状、巻物、絵図など、約40点のが展示されている

家系図や書状、巻物、絵図など、約40点のが展示されている

 

そもそも「椿井文書」とは何でしょうか。会場にあった説明によると、江戸時代後期に山城国相楽郡椿井村(現在の京都府木津川市)出身の椿井政隆(1770~1837年)が創作した偽文書群の総称とのこと。実際には江戸時代につくられたにも関わらず、中世に作成されたという体裁をとっています。ホンモノの中世史料として研究者が用いたり、町おこしに使われた例もあるというので、椿井文書が与えた影響は大きいといえます。今回の特別展は、椿井文書の特徴はもちろん、偽文書が拡散された経緯や背景が垣間見られるものとなっていました。

 

偽文書をつくる動機は、家や地域を由緒正しく見せたり、何らかの出来事の正当性を高めたり、あるいは売買が絡むのであれば金銭目的などが考えられます。椿井文書がつくられたのも同様に「うちが本家本流だ」と主張することが主な目的だったようです。また、権威づけを求める寺社などの依頼に応じて系図や絵図を作成するケースもあったといいます。そうして創作された文書は、なんと1000点以上にものぼるのだとか。

 

今回展示されているのは40点ほどですが、びっしりと書かれた文字や精緻な古地図などから察するに、作成するには相当なエネルギーが必要だったでしょう。文書によっては、書き足したような印象が出るようにあえて途中から筆跡を変えていたり、さまざまな用紙を使ったり、巻物の装丁を古めかしく演出していたり、さまざまな工夫が見られます。寺社や古城跡の周囲を描いた絵図などは、実際の地形とも合致していたようで、現地まで行ったのだろうかと椿井政隆の熱量や妄想力には感心するばかりです。

一人の人物が作成したと疑われないよう、さまざまな布や紙を使用していた

一人の人物が作成したと疑われないよう、さまざまな布や紙を使用していた

 

一方で、冗談でつくったと言い訳できるようにするため、実際には存在しない日付を用いたり、名前と花押の位置を微妙に変えたりするなどの細工も随所に散りばめられています。「フェイクだ!」と突っ込まれた際の対策まで考えているとは、なかなか抜け目がないといえます。

 

椿井文書は、こうした巧妙な技術を駆使して作成されたことや、椿井政隆本人ではなく第三者が販売したことなどから信ぴょう性が高まり、広く拡散したと考えられています。そして、ホンモノとして近畿の自治体史などに使われ、研究者が活用することになったのでした。

「筒城天王宝堅流記」(大阪大谷大学図書館蔵)

「筒城天王宝堅流記」(大阪大谷大学図書館蔵)

 

偽文書も、作成時の歴史観や思想を分析する役に立つ

特別展で椿井文書の実物を楽しんだ後は、同館2階で博物館講座「尾張椿井家文書の史料的価値」を聴講しました。講師の馬部隆弘先生は2023年3月まで大阪大谷大学で教鞭を取り、現在は中京大学文学部の教授を務めています。椿井文書が話題になったのは、先生の著書『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中公新書/2020年3月刊)が世に出てから。この講座では、尾張椿井家文書を中心に、著書刊行後の研究でわかったことをお話しくださいました。

博物館講座で熱弁をふるう馬部隆弘先生

博物館講座で熱弁をふるう馬部隆弘先生

 

椿井家は、戦国期には山城国一揆にも関わったと考えられる家でしたが、その後各地に仕えるようになります。先生の研究から、尾張藩の重臣に仕えた尾張椿井家、徳川家に仕えた旗本椿井家、椿井政隆の属する山城椿井家は交流があったことが判明しました。3つの椿井家は、家系をめぐって主張が食い違っており、椿井政隆は山城椿井家を本家だと装うために尾張椿井家へ偽文書を送っていたと考えられます。

 

ところで、ニセモノとわかった時点で偽文書に価値はなくなるのでしょうか。ニセの情報からは正しい歴史がわからないので、もう研究する意味はなくなるのでは?という疑問が沸きます。

 

馬部先生は「研究者も長らく偽文書の史料的価値を見出していませんでした。ただ、ここ最近は偽文書に対する視線が変わってきています。作者の歴史像や思想を分析する素材としては有効なのです」と話します。椿井政隆が生きてい江戸時代、人々は何を重んじていたかが偽文書から読み取れるというのです。文書の真偽だけでなく、ニセモノをつくってまで表現したかったことを考えると、その時代や人物像を少し身近に感じられるような気がします。

あいにくの雨にも関わらず多くの歴史愛好家が聴講

あいにくの雨にも関わらず多くの歴史愛好家が聴講

 

尾張椿井家文書には、尾張椿井家に代々伝わってきた古文書もあれば、椿井政隆から送られた家系図や古文書があるのですが、それらを研究していると、「どこからが嘘で、どこまでが本当なのか混乱することもある」と馬部先生。そんな迷宮にはまってしまうような感覚も偽文書研究の面白さのひとつかもしれません。

 

これだけ偽文書について語りながら、実は、馬部先生は江戸時代や椿井文書が専門ではないというので驚きました。主なテーマは戦国期の畿内政治史で、「椿井文書はあくまで趣味で、本当の研究は細川氏綱や玄蕃頭国慶(細川国慶)」と馬部先生。細川国慶が三度の飯より大好きだと話します。でも、趣味で続けている偽文書の研究によって専門分野の細川国慶に関する大きな発見があったそうで、嘘から出たまことではありませんが、これもまた驚きです。

 

講演後、少し時間があったので再び博物館へ。あらためて偽文書を見ながら、椿井政隆のいた江戸時代とはどのような時代だったのかとか、椿井政隆は意外と偽文書づくりを楽しんでいたのかも?などと思いを巡らせました。椿井文書は、令和の人間も引き付ける魅力があるようです。

 

なお、大阪大谷大学博物館の令和5年度春季特別展「椿井文書をめぐる人々―拡散する偽文書-」は6月19日(月)まで入館無料で開催されています。興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

昆虫が人類の危機を救う!? 九州大学のシンポジウムで食糧難と昆虫食について考えてみた。

2022年8月30日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

皆さんは昆虫を食べたことがありますか? あるいは、食べたいと思いますか? 筆者自身は殻付きのエビやシャコでも極力触りたくないので、昆虫となると、目も口もきつくきつく閉じてしまいます。ですが、やがて来る食糧不足への対策として“昆虫食”は避けて通れないかも…。ということで、7月13日にオンライン形式で行われた九州大学のシンポジウム「知の形成史#3 食資源としての昆虫~昆虫の新たな価値創造~」を聞いてきました。

 

肉が足りない!タンパク質クライシスがもう目の前に

このシンポジウムは九州大学の人社系協働研究・教育コモンズが主催。3回目となる今回の講師は、九州大学経済学研究院 産業マネジメント部門 助教の荒木啓充先生です。

 

先生はまず「昆虫とは何か?」という話からはじめました。必ずしも「虫=昆虫」ではなく、例外はあるものの、定義は6本脚、頭・胸・腹の3部構成、頭に一対の触覚があること。仲間と思いがちですが、クモやムカデ、ダンゴムシは昆虫ではないというのがちょっと意外でした。

調べてみると、辞書にも「昆虫:昆虫類に属する節足動物の総称。体は頭・胸・腹の三部からなる」とありました(シンポジウム スライドより)

調べてみると、辞書にも「昆虫:昆虫類に属する節足動物の総称。体は頭・胸・腹の三部からなる」とありました(シンポジウム スライドより)

数字のデータから、食用昆虫の必要性について講演する荒木先生(写真右)

数字のデータから、食用昆虫の必要性について講演する荒木先生(写真右)

 

その昆虫は、世界にどのくらいいるのか?今、世界中で100万種の昆虫がいるそうで、地球上の全生物種における割合はなんと54%! 種の半分以上が昆虫ということになります。そのうち食べられている昆虫は1900種あり、伝統的に昆虫を食べる人は20億人もいるのだとか。世界の人口はそろそろ80億人に達するといわれているので、乱暴に平均すれば、4人に1人が昆虫を食べていることになります。

食べられる昆虫が1900種! この数字だけでも驚きです(シンポジウム スライドより)

食べられる昆虫が1900種! この数字だけでも驚きです(シンポジウム スライドより)

 

昆虫を食べるといえば、思い浮かぶのは、ぷくぷくとした幼虫を食べるアフリカの人たち、タガメやコオロギのフライが並ぶ東南アジアの屋台…。ごく限られた地域の限られた人しか昆虫を食べないと思っていたので、4人に1人という数字は驚きです。

 

荒木先生によると、日本でもほんの5、60年ほど前まではさまざまな昆虫が食べられていたそうです。そういえば、蜂の子やイナゴの佃煮は信州地方の名物ですし、今でも土産物屋やスーパーでごく普通に購入できますね。

『昆虫食先進国ニッポン』(亜紀書房/野中健一著)内の「昆虫食日本分布図」には、蜂の子やイナゴの佃煮など、昔から全国各地で昆虫が食べられていることが記載されています(シンポジウム スライドより)

『昆虫食先進国ニッポン』(亜紀書房/野中健一著)内の「昆虫食日本分布図」には、蜂の子やイナゴの佃煮など、昔から全国各地で昆虫が食べられていることが記載されています(シンポジウム スライドより)

 

今、昆虫食が注目される背景に人口増や食糧問題があるのは想像がつきますが、一体どのくらい深刻なのか気になるところです。

2010年から2050年にかけて、人口は1.3倍に増える見通しですが、畜産物の需要は1.8倍にまで上がると考えられています。人口増加の割合よりも多くなるのは、所得水準と食肉消費に関係があるからとのこと。

「何かがんばったらお肉を食べようと考えるのは世界共通の話で」と、荒木先生。「所得が上がると食肉の消費量が上がる。新興国の所得水準が上がると、それに伴って食肉の消費量が増えることになります」

人口増加にともなった食料需要量や畜産物需要量の見通しグラフ(シンポジウム スライドより)

人口増加にともなった食料需要量や畜産物需要量の見通しグラフ(シンポジウム スライドより)

 

畜産物を増やすには、飼料をつくるための農地も必要です。でも、温暖化の影響で、2010年から2050年で農地面積はわずか2%しか増えないと予測されています。需要は180%増えるのに、農地はたった2%しか増えないとは! さらに、温暖化で気温が上がると、畜産の生産性そのものも下がってしまいます。

魚の養殖にとっても飼料不足やエサ代の高騰は大きな問題。つまり、牛や豚、鶏、魚などのあらゆる肉が足りなくなることに。その結果として起こるのが、“タンパク質クライシス”です。

 

「2025年から2030年に、タンパク質クライシスが訪れるといわれています。実は世界の穀物消費の約1/3は飼料ですが、タンパク質の需要量がどんどん上がっていって、今の穀物供給量では追いつかなくなると予想されているんです」

早ければ3年後。決して遠い未来のことではなく、大人にとって3年なんてあっという間です。そこまで危機的な状況にあるというのです。「がんばったから焼き肉!」は夢のまた夢、本物の肉を食べられるのは富裕層だけという日も近いかもしれません。

 

このように、人口増加や食肉消費量増加、地球温暖化、飼料高騰によって、将来的には食糧需要量が食糧供給量を上回ると考えられ、新たな代替タンパク質が必要とされています。期待されている代替タンパク質は3つ。大豆などの植物・藻類由来のもの、培養肉など合成物質、そして昆虫由来のタンパク質です。

期待される代替タンパク質として、話題の3種類(シンポジウム スライドより)

期待される代替タンパク質として、話題の3種類(シンポジウム スライドより)

 

荒木先生は、「牛肉や豚肉よりも、昆虫を好んで食べる人は少ないでしょうが、いろいろな社会的問題を踏まえて昆虫が注目されている」と話しました。また、FAO(国連食糧農業機関)が2013年に出したレポート「食品及び飼料における昆虫類の役割に注目する報告書」も大きな転機で、これを機に昆虫食ブームがはじまったといいます。

 

昆虫食のメリットは?どうすれば昆虫を食べたくなる?

では、昆虫食のメリットは何か。荒木先生は、昆虫食の社会的意義として「飼料効率・可食部」「温室効果ガス」「飼育にかかる資源」「感染症リスクの軽減」「有機物の分解」という5つの観点から説明してくれました。

 

まず、「飼料効率・可食部」について。可食部は牛40%、豚55%、鶏55%に比べて、昆虫(コオロギ)は80%と高く、「カイコの幼虫なんて100%、捨てるところがない」と荒木先生。牛や豚は、胃や腸などをホルモンとして食べているので可食部は多そうと思いましたが、意外と少ないのですね。確かに、革は靴や服、バッグなどに利用できるとばいえ、食べられる部分は半分強になるのでしょう。また、必要なエサの量も大きく異なります。牛の場合、可食部1kgあたりに10kgもの飼料が必要なのに対し、コオロギは2kg程度で済みます。

可食部80%という驚異の数字をたたき出す昆虫(シンポジウム スライドより)

可食部80%という驚異の数字をたたき出す昆虫(シンポジウム スライドより)

 

「温室効果ガス」は、コオロギはほとんど出さず、牛の1/2000くらいだそうです。「飼育にかかる資源」も昆虫は少なく、1kgのタンパク質を生産するために必要な面積で比べると、鶏や豚に比べて昆虫(ミールワーム)は半分以下。牛に比べるとさらに少なくて済むといいます。

 

そして、荒木先生が「これが結構大切」と指摘したのが、「感染症リスクの軽減」です。今世界中で問題となっている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をはじめ、エボラ出血熱や鳥インフルエンザなどは人獣共通感染症。動物から人に伝播可能な感染症ですが、昆虫は系統的に哺乳類とはかなり離れたところにあるため、人獣共通感染症のリスクが低いといわれています。

「例えば、鶏インフルエンザが発症すれば、養鶏場全てを対象に何万羽という鶏を殺処分することになる可能性があります。昆虫の場合は、昆虫が媒介する感染症もあるものの、少なくとも人獣共通感染症のリスクは低い」と説明しました。

昆虫は感染症のリスクも低いなんて人間にとっていいことだらけ!(シンポジウム スライドより)

昆虫は感染症のリスクも低いなんて人間にとっていいことだらけ!(シンポジウム スライドより)

 

さらに、昆虫は食資源であるだけでなく、「有機物の分解者」でもあります。そこで、「食品廃棄物を雑食性の昆虫にエサとして与え、その昆虫を家畜のエサにしたり人間が食べたり…。まさにサスティナブル、循環型の食糧供給プロセスができる」と荒木先生。これが、昆虫食が注目されているもう一つのポイントだそうです。

 

こうして説明されると、いいことだらけのようですが、果たして昆虫は体によいのかが心配です。

「まだ研究レベルの段階の話もある」としつつ、荒木先生は昆虫の栄養価について解説しました。昆虫の種類によってバラつきはあるものの、今食べている肉と同じくらいのタンパク質含有量があり、バッタにいたっては牛やサバの3、4倍ものタンパク質を含むとか。先生も触れていましたが、バッタといえば畑を荒らす害虫の代表格で、高い農薬を使い、高タンパク質含量のバッタを駆除しているという皮肉が現実に行われているそうです。また、アミノ酸や脂質も、既存の肉と変わらず、むしろビタミンやミネラルは昆虫の方が豊富だとか。

 

さらに、機能性も優れています。バッタやカイコ、コオロギはオレンジジュースの5倍の抗酸化物質を含み、他にも抗肥満作用や腸内細菌改善の機能を持つ昆虫もいるそうです。

「栄養素だけでなく、機能的にも優れている」というのが荒木先生の結論でした。

タンパク質含有量がぶっちぎりで1位のバッタ。明日からバッタを見る目が変わるかも?!(シンポジウム スライドより)

タンパク質含有量がぶっちぎりで1位のバッタ。明日からバッタを見る目が変わるかも?!(シンポジウム スライドより)

 

さて、ここまでの話を踏まえて、あなたは昆虫を食べますか?

 

昆虫食には社会的意義があり、昆虫が栄養面・機能性でも優れていることがわかりました。筆者は、そんなに肉が足りないなら、昆虫からタンパク質を摂るのも仕方がないと思います。ただし、原型を留めていなければ…です。やはり「どうしても見た目が…」という人もいるでしょう。

昆虫食が普及するには、社会的意義や栄養価をアピールするだけでなく、粉末にして原型を見せないなど、食べ方や伝え方にもひと工夫いりそうです。大豆ミートのように、昆虫を粉末にしてナゲット型に整えれば、意外といけるかもしれません。

 

それでも食べない! という方へ。「実は、私たちは日常的に昆虫を食べているんです」と荒木先生。ハムやソーセージ、かまぼこ、いちごジャムなどの赤色着色料として使われるコチニール色素の原料は、なんとカイガラムシでした。知らなかったとはいえ、私たちは既に昆虫を口にしていたのですね。“タンパク質クライシス”を目前にした今、昆虫食は意外と身近なものと捉え、前向きに考える必要があると感じました。

普段食べているハムやいちごジャムまで! 普段からすでに昆虫を口にしていた可能性大(シンポジウム スライドより)

普段食べているハムやいちごジャムまで! 普段からすでに昆虫を口にしていた可能性大(シンポジウム スライドより)

(写真左)オンラインショップでの即日完売された無印良品の「コオロギせんべい」。(写真右)兵庫県佐用町産コオロギを使用した「こおろぎカレー マッサマン風」(シンポジウム スライドより)

(写真左)オンラインショップでの即日完売された無印良品の「コオロギせんべい」。(写真右)兵庫県佐用町産コオロギを使用した「こおろぎカレー マッサマン風」(シンポジウム スライドより)

 

最後に、荒木先生は面白い話を教えてくれました。昆虫といえばアンリ・ファーブル著『ファーブル昆虫記』ですが、著者のひ孫にあたるヤン・ファーブルが昆虫タンパク配合ビールの開発に携わったのだそう。その名も「BEETLES BEER」。昆虫食もビールならハードルが低い! と探してみましたが、残念ながら今は売り切れでした。

昆虫タンパク配合ビールならば、ハードルが低いので試してみたい!(シンポジウム スライドより)

昆虫タンパク配合ビールならば、ハードルが低いので試してみたい!(シンポジウム スライドより)

 

アンリ・ファーブルは2023年に生誕200年を迎えるので、もしかすると、来年あたり昆虫食ブームはさらに盛り上がりを見せるかもしれませんね。

 

なお、九州大学でも大学公式グッズとしてカイコクッキーの商品開発を進めているそうです。この秋、生協で発売予定なので、ぜひお楽しみに。

 

▼「ほとんど0円大学」の過去の記事でも、食用コオロギの取り組みをご紹介!

食用コオロギが地球を救う!? ベンチャーを立ち上げた徳島大学の先生たちに聞いてみた。

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