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かつて誰もが使ったMD(MiniDisc)。その興亡から見えてくるものとは? 京都女子大学の日高良祐先生に聞いた

2025年6月19日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

皆さんはMD(MiniDisc)を覚えているだろうか。その昔ほとんどの人が利用したMDだが、最近ではめっきり見なくなり、2025年2月末にとうとう生産終了となってしまった。そんなMDについて研究しているのが京都女子大学の日高良祐先生だ。MDの魅力や、わたしたちに与えた影響、MD興亡の歴史から見えてくるものなどを日高先生に伺った。

1992年に登場したMDが2025年2月末で生産終了に

若い人たちのなかにはMDを知らない人もいるだろうから、まず、日高先生にMDとは何かを改めて聞いてみた。

 

「CDやCD-Rなどと同じく、デジタル録音メディアのひとつです。直径12cmのCDと比べて、直径6.4cmと小さいのでミニディスク、MDと呼ばれました。音声圧縮技術が使われていて、CDと同じくらいの容量を録音できます。プラスチックのケースに入っているので丈夫です。あと実はあまり知られていませんが、数秒先のデータを読み込んだうえで音を流すので、音飛びがないんですね。そのため振動に強く、ウォークマンやカーステレオなどとの相性がいいメディアだともいえます」

 

MDは、1992年に発売開始され、1990~2000年代にかけて流通した。コミュニティラジオの番組づくりや会議の録音、フィールドレコーディングなど、さまざまな用途で使われていたが、なかでも多くの人にとって馴染み深いのはCDのダビングだろう。このCDのダビングが、日本でMDが広く使われるようになった理由の一つだと日高先生は言う。

 

「アメリカでレンタルCD業は事実上『禁止』されていますし、ほとんどの国でも同様です。でも、日本ではCDを買わなくてもレンタルしてダビングすることができる。世界的に見て、こういうことが許されている日本の音楽業界は特殊です。レンタルCD業界の成長とMDの発売時期が重なったことは、MDが日本で流行したことと無関係ではないはずです」

日本では多くの人に愛用されたが、海外ではMDはそれほど普及しなかった

 

小さいのにCDと同じくらいの容量があり、アナログカセットテープと違って頭出しも容易で、しかも屋外で音楽を聴くのにも便利。レンタルCD業界の発展と相まってMDは多くの人に使われるようになった。しかし、その後iPodなどのMP3プレーヤーの登場によりMDは衰退していき、さらにストリーミングで音楽を聴くのが主流に。いつしかMDを使う人がほとんどいなくなり、ついに2025年2月末に生産終了を迎えたのだった。

MDの時代を通して「聴く」という言葉の範囲が変わった

研究にあたっては、昔のMDのカタログやオーディオ雑誌などの分析に加えて、利用者や販売者にインタビューを行ったり、自分で現物を使うこともあるという。実際に使われていたものを集めたり調べたりしてメディア技術を研究することを、「メディア考古学」と呼んだりもすると日高先生は教えてくれた。

 

「カタログで規格などはわかりますが、現物からしか得られないことも多くあります。MDは、プレーヤーにガチャッと入れてガチャッと出すのですが、出し入れする際の音や手の感覚が独特です。自分で使ってみることで、そうしたガジェット感に魅力を感じていたユーザーたちの姿が見えてきます。また、中古市場を探っていると、MDに保存するタイプのビデオカメラなど面白いものに出会うことも。MDにもいろいろな規格やバージョンがあることがわかりますし、中古市場での需要をみることでユーザーにとっての価値付けもわかります」

CDを借りてMDにダビングし、ウォークマンなどで聴くのが当時の主流だった


当時MDがどのような使われ方をしていたのか調べていくなかで、日高先生はMDの編集機能にも注目した。皆さんは覚えているだろうか、MDには曲名などのテキストデータを自分で入力できたことを。アナログカセットテープでは本体やケースに手書きするしかなかったが、MDはそれとは異なる表現ができたのだ。

 

「デジタルメディアを考えるとき、編集機能・編集行為が重要になります。MDでは、プレーヤーの液晶画面に自分で入力したテキストデータを表示できました。耳で聴く音声データの編集と同時に、目で見るテキストデータも編集するというメディア表現ができたのです。当時のオーディオ雑誌には、曲名のところに告白文を入れて好きな子にMDをあげるという提案もありました(笑)。今では、音楽を聴くときにテキスト情報とあわせて理解するのは当たり前になっていますが、こういう感覚を広めた最初期の技術といえます」

 

MD前後で、編集の方法や概念が大きく変わったという。「今日のデジタル環境のなかで『音楽を聴く』という場合、聴覚で経験することだけでなく、テキストを読むとかデータを配信・流通させる行為も含まれるようになりました。『聴く』という言葉の範囲が変わってきているといえます」

 

また、最近、海外の一部の地域でMDリバイバルが起こっていると日高先生は話す。新譜のMDが発売されたり、MDファンによってMD誕生30周年の記念MDを自主制作されたりした。「ガジェット感をはじめ、MDに魅力を感じているユーザーは今もいます。アメリカではCDよりアナログレコードが売れているという面白い現象もあり、MDだけでなく、古いメディアへのノスタルジックなリバイバルが起こっています」

 

現代はスマートフォンが普及し、プレーヤーがなくても、ストリーミングなどによって膨大な数の音楽のなかから好きな曲を聴ける便利な時代だ。でもだからこそ、ちょっと面倒で手間のかかるものに新鮮さを感じるのかもしれない。

“Ifの世界”を考えることで今を問い直すきっかけにも

ところで、いろいろな音声メディアがあるなかで、なぜMDを研究しようとしたのだろうか。尋ねてみたところ、日高先生は「変な話ですが、実はMDでなくてもよかったんです」と笑う。やりたかったのは、社会学的な観点からデジタル化の意味の変遷や社会的な位置づけを考えることだという。それを研究するためにデジタルの民生化が起こった1990年代のメディアを調べた結果、たどり着いたのがMDだった。

 

「デジタル化の意味は揺れ動いています」と日高先生。例えば、先生によると、音楽業界ではフィジカル売り上げ、デジタル売り上げという表現がされるが、この場合のフィジカルはアナログレコードやCDのことで、デジタルはストリーミングやダウンロードを指す。CDはデジタルメディアでありながらフィジカルのカテゴリーに入れられている。

 

「CDが発売された当時の広告を見ると、最先端のデジタル技術という打ち出しがされています。技術的には間違いなくデジタルメディアなのですが、今ではフィジカル売り上げに入れられる。言葉としては奇妙ですが、マーケティング的にはフィジカル売り上げ、デジタル売り上げと表現する方が伝わりやすいのも理解できます。デジタルやデジタル化という言葉の範囲は、この20年くらいでガラッと変わっており、今なお社会的な要請や条件によって揺れ動いています」

 

ここに面白さを感じ、日高先生は、デジタルやデジタル化が社会的にどう捉えられてきているかを調べようと思ったという。現在ではデジタルといえばインターネット接続を利用したサービスや技術が想起されるが、1970~80年代では必ずしもインターネットを前提にしていなかった。

 

「今のデジタル=インターネットという考え方は、社会的な誰かの利益を代表している捉え方かもしれません。とりわけ北米・西海岸のIT企業や音楽プラットフォーム企業の利益が投影されている可能性があります」

高品質なのに廃れる製品があり、その背景から見えてくるものがあると日高先生は話す

 

言葉の概念だけでなく、技術の興亡にも社会的な背景が影響している可能性もあるという。例えば、MDに使われた音声圧縮技術ATRAC(アトラック)は、MP3とも競争関係にあった技術で、かつてはATRACを利用した音楽配信サービスもあった。「結果的にMP3が世界を覆い尽くすことになりましたが、ATRACがそうなる可能性もなくはなかった」と日高先生。

 

「今では使われなくなった少し前の技術は、いろいろな可能性を含んでいます。今とは違う“Ifの世界”を想像することで、今の捉え方を相対化して考えることができるでしょう。今のデジタルやデジタル化には、これまで何度も批判されてきたカリフォルニアン・イデオロギーやテクノ封建制といった資本主義の行き着く先のようなイデオロギーが強く含まれているように思います。まだ研究途中ではありますが、私は、デジタルやデジタル化は必ずしもそうした考え方だけのものではなく、他の何かを支える技術や発想でもあると考えています」

 

ただ単に高品質な技術が残り、劣ったものが廃れるわけでもないと、日高先生の話を聞くと気づかされる。技術や製品、サービスの流行や衰退の裏には、品質の良し悪しだけではなく、文化や社会状況、さらには企業の思惑が働いている。そして、それらが複雑に絡み合った結果、ある意味で、たまたま現在のデジタル化があるのだといえる。もしかしたら他の可能性もありえたのかも……、そんな可能性に思いを馳せるだけで、世界の見え方が少し変わってくるのかもしれない。

「ひのえうま迷信」の地域差に浄土真宗の戒めが関係? 仮説をデータで立証した大阪大学の石瀬先生に聞いた

2025年5月29日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

来年2026(令和8)年は、干支では〈ひのえうま〉(丙午)にあたる。かつて日本には、「〈ひのえうま〉生まれの女の子は災いを招く」という迷信があった。その迷信によって、過去の〈ひのえうま〉は、ほかの年に比べて出生数が少なく、さらに男女比には歪みが見られている。しかし、地域単位で見ると、歪みの少ない地域があるという。その理由をデータから検証したのが、大阪大学の石瀬寛和先生だ。歪みを抑えた要因は何だったのか、経済学者である石瀬先生が〈ひのえうま〉に着目した理由などを詳しく聞いてみた。

 

災害が多いという伝承が、女の子がもたらす災いの迷信に

干支には十干(じっかん)と十二支があり、それぞれを組み合わせると干支は60種類ができる。〈ひのえうま〉は十干の「丙」と十二支の「午」が組み合わさった年のことで、60年に一度必ず巡ってくる。ではなぜ、この年にだけ妙な迷信ができたのだろう。

「中国には丙午や丁未(ひのとひつじ)の年には災害が多いという伝承がありました。それが江戸時代中頃までには日本へと伝わり、『〈ひのえうま〉は地震や火事が多い』といわれるようになりました。さらに江戸時代に放火事件を起こした“八百屋お七”が、1666(寛文6)年の〈ひのえうま〉に生まれといわれたうえに、歌舞伎や浄瑠璃の題材として取り上げられて、日本中に広がりました。当時は村々に劇場があり、そこで上演される歌舞伎や浄瑠璃は今でいうメディアの役割を持っていたため、影響が大きかったのでしょう。ただ、実際にお七が〈ひのえうま〉生まれかどうかは定かではありません」

 

こういった経緯により〈ひのえうま〉生まれの女の子を避けるため、該当年になると子どもの産み控えや堕胎が起こったばかりか、生まれたばかりの赤ん坊が女の子だとわかると殺害することも行われたという。「〈ひのえうま〉のときに限らず、当時は人口調整の方法として堕胎や嬰児殺(赤ちゃんの殺害)が広範に行われていたと言われています。1786(天明6)年の〈ひのえうま〉のときには神社などの前に『ひのえうまは迷信にすぎない。だから嬰児殺などを行わないように』といった内容の御触書(おふれがき)が出されたという記録もあります。こうした御触書が出たということは、嬰児殺を行う人が少なからずいたといえます」

 

浄土真宗は嬰児殺を強く戒めたという仮説を統計的に検証

では、〈ひのえうま〉とそうでない年とでは、人口や男女比の違いはどの程度あったのだろうか。石瀬先生に具体的なデータをもとに教えてもらった。

1846年、1906年、1966年の〈ひのえうま〉前後13年間の世代人口(グラフ左)と、各年の世代男女比(グラフ右)。大阪大学研究専用ポータルサイト「Resou」から引用(https://resou.osaka-u.ac.jp/

 

左のグラフから、明らかに〈ひのえうま〉の年(グラフ横軸が0)は、前後の年に比べて人口が少ない。1986年と1906年の人口は前後の年に比べて5%から10%ほど少なく、1966年には約25%も少なくなっている。また、生まれた年の人口が、女性1人に対して男性が何人かを示す右のグラフを見ると、〈ひのえうま〉の年は男性の割合が多いことがわかる。1846(弘化2)年や1906(明治39)年に男性の割合が多く、男女比の歪みが大きいのは、江戸時代や明治期には女の子を対象にした嬰児殺が広く行われていたことが推察されるという。

 

ここで気になったのが、人口グラフ(左)の1966(昭和41)年の数値。ほか2回の〈ひのえうま〉と比べて、大きく人口が減っている。その背景には、妊娠コントロールの周知のほか、「本人が迷信を信じていたというより、親や親戚といった周囲の年配者の声を気にして、〈ひのえうま〉を避けたのかもしれません」と石瀬先生は推察する。「ただ、当時の厚生省は、減少したとしても前回(1906年)と同様に5%から10%程度を見積もっていたため、25%減という結果は想定外だったようで、統計の発表に合わせて〈ひのえうま〉の影響についての調査を緊急に行っています」

 

〈ひのえうま〉の出生状況がわかったところで、石瀬先生の研究成果である「〈ひのえうま〉でも男女比に歪みが少ない地域」の話だ。石瀬先生は、特に1846(弘化2)年と1906(明治39)年の男女比の歪みに地域差があることに注目。先行研究では都道府県によって男女比の歪みに差があることは指摘されていたが、理由まではわからなかった。

 

「男女比の歪みに作用する理由はわかっていなかったものの、以前から歴史学や人口学では『浄土真宗は嬰児殺を強く戒めた』といわれていました。男女比が歪む原因が嬰児殺にあるとすると、浄土真宗の影響が強い地域では歪みが小さくなると予想できます。その仮説から、さまざまな統計資料を組み合わせて検証を進めたところ、他の宗派に比べて浄土真宗の寺院数の多い地域では、男女比の歪みが小さいことがわかりました。これにより、浄土真宗が嬰児殺を戒めたことが、〈ひのえうま〉の年でも、ある程度の役割を果たしていたと考えられます」

地図は大阪大学研究専用ポータルサイト「Resou」から引用

 

左の地図は平常年の男女比と比較して、江戸時代である1846年の〈ひのえうま〉の男女比がどれほど乖離しているかを表したもの。色が薄いほど乖離が小さい。右の地図は明治初期の総寺院数に占める浄土真宗寺院の比率を県別に記したもので、色が濃いほど寺院数が多い。2つの地図を見比べると、浄土真宗寺院の比率が高い都道府県は、男女比の乖離が小さいことがわかる。

〈ひのえうま迷信〉による人々の行動分析も経済学の一環

ところで、石瀬先生は経済学を専門とする研究者だ。〈ひのえうま〉というテーマは社会学や歴史学といった領域に思えるが、なぜ石瀬先生が?という疑問がよぎる。先生によると、研究者が条件を操作しない、実社会に自然発生する〈ひのえうま〉のような現象の観察と有用性は、経済学者も注目しているという。

 

「経済学といえば、金融政策やトランプ関税への対応策などを思い浮かべるかもしれませんが、それだけではありません。経済学は、人々が外的状況や政府・政策の変化に応じてどう行動を変えるかを考え、そして実際にどう動いたか、経済がどう変化したかをさまざまなデータから分析する学問です。なので、人が反応することは、およそ何でも経済学の対象になります」

 

消費税増税による人の購買行動の変化や生産・輸出の変化を研究するのも経済学であり、〈ひのえうま迷信〉に対して人がどう反応したかを研究するのも経済学。アプローチが非常に幅広い。

 

また、人に影響を及ぼす外的状況もあらゆるものが該当し、法律や制度といった公的な要素のほか、宗教に基づいた価値観や行動規範もその一つだ。経済成長に宗教が果たした役割は無視できないそうで、20世紀初めにはすでにドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、プロテスタントの勤勉さが経済成長につながったという研究発表している。近年、経済学の手法を使ってウェーバーの仮説を再検証する研究が行われるなど宗教の影響の分析が盛んに行われているそうだ。石瀬先生も従来から宗教が人々に与える影響や経済全体へのインパクトについて関心があったといい、日本におけるプロテスタント的な存在が浄土真宗といわれていることから、浄土真宗に着目。〈ひのえうま〉と浄土真宗の関係性を研究するにいたったという。

 

時代背景も価値観も変わった2026年の〈ひのえうま〉はどうなる?

さて、2026年の〈ひのえうま〉は、どうなるだろうか。

 

「1906(明治39)年生まれの女性が結婚をする時期になった1920年代中頃から1930年代初めの雑誌の投書欄には、〈ひのえうま〉生まれの女性から『結婚できない』という悩みが多く寄せられ、新聞でも、〈ひのえうま〉を理由に縁談を断られて自殺した女性がいたことが報じられています」と石瀬先生は話す。「そのような悩みを見聞きした世代が多くいたことが1966(昭和41)年の〈ひのえうま〉の出生減につながったのではないでしょうか」

 

そして、60年前の出生数減少の背景を踏まえ、来年の〈ひのえうま〉に対して、石瀬先生はこう言葉を結んだ。

「1964から66年頃の新聞や雑誌でも、〈ひのえうま迷信〉が盛んに取り上げられていました。『迷信に惑わされないように』と呼びかける取り組みがあることを報じるだけでなく、『ロケットが宇宙に行く時代に〈ひのえうま迷信〉なんて誰も信じないだろう』『知らない人が増えているので議論しない方がよい』『もう女の子が差別されることはないだろう』『出生数が減るなら、この年に生まれた子どもは幼稚園や高校、さらに大学に入りやすくなる』など、今でもみんながパッと思いつきそうな議論も、すでに行われていました。

 

1966年は大幅に出産が減りましたが、当時は今より若い時期の結婚・出産が多かったので、先延ばしという選択肢もありました。結婚・出産が高年齢化している今は、さまざまな要因もからみあい、先延ばしは難しいといえます。また、1966年生まれの女性が結婚できなかった、というような話もほとんどでなかったので、もはやほとんどの人は気にしていないのだろうとも思います。そう考えると、これまでの〈ひのえうま〉ほど、大きな影響にはならないと思える一方で、1966年のときの議論を調べていると『AIの時代に〈ひのえうま迷信〉なんて誰も信じないだろう』と安易に楽観視することもできません。少子化が大きな問題となっている状況下で、少しでも〈ひのえうま〉の影響を受けることになったら大変です。出産期の人だけでなく、その上の世代も含めてこのまま『気にすることではない』という雰囲気を保った状態でいることがなにより大事だと思います」

図書館そのものを学問に!?その魅力や図書館の役割について同志社大学の佐藤翔先生に聞いてみた

2025年4月17日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

図書館といえば、一般の人にとっては本を借りる場所という存在だろう。しかし、研究者にとっては図書館そのものが学問になるという。一体どのようなことを研究しているのだろうか。『図書館を学問する:なぜ図書館の本棚はいっぱいにならないのか』の著者、同志社大学の佐藤翔先生に、図書館情報学という学問のおもしろさや図書館の役割、未来などについて伺った。

図書館情報学の3つの起源・役割とは

佐藤先生は、大学生の頃から「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」というブログを開設し、図書館に関する話題などを取り上げて記事を書いてきた。その後、同じタイトルで専門誌でも連載。そして、それらからいくつかの記事を選んでまとめ、2024年12月に『図書館を学問する:なぜ図書館の本棚はいっぱいにならないのか』を出版した。

佐藤先生の著書『図書館を学問する:なぜ図書館の本棚はいっぱいにならないのか』(青弓社)

 

テーマは「図書館の本棚はいっぱいにならないのか」「なぜ図書館は月曜日に閉まっているのか」「雨が降ると図書館に来る人は増えるのか、減るのか」「人々は図書館のどんな写真をSNSで発信しているのか」などさまざま。そういえばなぜだろう?と思わせる素朴な疑問が並ぶ。データを集めて分析した結果をまとめたものだが、堅苦しさはなく、楽しみながら読めそうだ。「もしかしたら役に立つ、あるいは役に立たないかもしれないけどおもしろかったりするかもしれない知識と人間がいるぞ!」という発信(著書から抜粋)だという。

 

佐藤先生の専門である図書館情報学とはどのような学問なのだろうか。尋ねたところ「私は3つの起源・役割から成立した学問だと捉えています」と教えてくれた。

 

「1つめは職員の養成。19世紀後半、アメリカの大学や専門学校で、図書館で働く専門的な職員を養成する課程が設けられるようになったのがもともとの起源です。2つめとしては、20世紀前半になると、図書館のサービスや運営に役立つ新しい知識を、実践からではなく、実験や調査・分析から科学的に生み出そうとする人たちが現れます。これが“図書館学”のはじまりとされています。最後の3つめは、図書館にこだわらず、人が資料や情報を探したり管理しやすくするための方法や原理を研究しようというもの。コンピュータが登場したことも時代背景として影響しています。1950年代ごろに、この3つめが加わったことで“図書館情報学”と呼ばれるようになりました」

 

図書館情報学の魅力について、佐藤先生は「図書館や情報の管理などに役立てるという“やりたいこと”がはっきりしていて、それに対してのアプローチはかなり多様です。いろいろなやり方の人たちが似たようなフィールドを研究しているのがおもしろい」と話した。システム開発・検証に取り組む人もいれば、インタビューや観察をもとにしたり、歴史を研究する人もいる。佐藤先生はというと、数値化できるデータを分析する量的調査・量的研究を行うことが多いそうだ。

 

「日本では、学校の図書室を含めると、ほとんどの人が一度は図書館を利用したことがあるのではないでしょうか。誰でも自分の経験や印象に基づいて図書館を語ることができますが、経験を基にすると『人それぞれ』で終わってしまいます。でも、数字で出せると説得力があります。特に若手の頃は、経験ではベテランの先生には適いませんから。量的調査はわかりやすいですし、その割には意外な結果が出てくることもあるんです」

 

データは日本図書館協会が毎年発行する『日本の図書館』やオンラインで見ることができる「日本の図書館統計」、国立国会図書館が2014年に実施した「図書館利用者の情報行動の傾向及び図書館に関する意識調査」などを活用しているという。

データ分析で図書館に関する素朴な疑問にアプローチ

佐藤先生は著書について、学問としてのおもしろさの発信のほかに、もう一つの狙いとしてこの本を「新・図書館学序説」に位置づけたいと語った。「私がこの本で扱っているテーマは、かつての“図書館学”と地続きにあるもの。リバイバルみたいなことをやっています」とも話す。ちなみに、『図書館学序説』とはアメリカで1933年に刊行されたピアス・バトラー(研究者・1884-1953年)の著書のことだ。

 

なぜリバイバルなのかというと、かつては、佐藤先生が著書で取り上げたようなテーマを研究している人は多かったという。例えば、何段目の本がよく借りられるかという研究は1930年代に先行研究があった。1990年頃にも雨の日の利用者数に関する研究があったが、それ以降あまり見られなくなったという。

 

「図書館のサービスや運営に役立つような素朴な疑問に、データの分析で応えるタイプの研究は、かつての図書館学では王道だったはずなんです。ですが、今は研究する人が少なくなっています。ひと段落した感があるのかもしれませんが、実はそうでもないと私は思っています。研究が盛んだった100年前から30年前と、今とでは状況が異なっています。それを見直してやり直したい。私の立場としては図書館情報学者ですが、“図書館情報学”と名乗る前の“図書館学”として研究していそうなテーマを取り上げています」

 

確かに、スマートフォンで本や漫画が読めたり、生成AIが調べものをしてくれたりする現代と、100年前とでは(30年前でも)時代が違いすぎる。今の私たちが図書館に求めるものは以前とは大きく異なっているだろう。

 

現在、日本には市町村あるいは都道府県が運営する公共の図書館が3,292館あり(2024年12月時点)、これら図書館の利用者数は減っているという。図書館の方から相談を受けることもあり、また、ご自身も研究テーマにしているのが「利用登録者数をいかに増やすか」だと佐藤先生はいう。

 

「日本の図書館統計」から2018年までの図書館総数と来館者数を抽出して、一館あたりの来館者数を算出しその推移を示したもの

 

「図書館に来ない人のなかには、本は好きだけど自分で買う人もいれば、忙しくて図書館に行けない人もいます。昔はよく来ていたけれど来なくなった人、本や図書館にあまり興味のない人、本にも図書館にも関心のない人もいます。誰にアプローチをするかが重要だと考えています」

 

単純に、本は好きだけど来ていない人にアプローチすればよいのでは、と思ってしまうが、実は違うとのこと。図書館を利用しそうな素養がある人が来ていないということは、それなりの理由があるからだ。「図書館が忙しい人に時間をあげることはできないし、24時間開館などもすぐには難しい。アプローチできるのは、本や図書館にあまり興味のない人」と佐藤先生。「日本人の半数ほどは読書が好きでないとの調査結果もあります。本好きにならなくてもよいけど図書館に来てもらうにはどうすればよいか、それが最近のテーマです」

 

本や図書館にあまり興味のない人をいかに呼び込むか。そのヒントを掴むため、佐藤先生はいろいろな調査を進めている。ある市営図書館からの依頼でデータ分析したところ、新規登録は出生・出産、卒業・進学、就職・退職というライフステージの変化に伴って増えることや、10代未満の子どもの定着率が高いことなどがわかったそうだ。とすると、親子で参加するイベントの開催や進学・就職の時期に周知するなどが有効かもしれないと語った。

 

千葉県柏市立図書館のデータから。2017年~2019年までの新規登録者が17~19年の間に資料を一冊以上借りたか、また、借り出し回数の平均値・中央値を示したもの(登録した年は90%近くが借りているものの、翌年になると半数に減っている)

2017年の登録者限定だが、年代と一冊以上資料を借りた利用者の割合を示したもの。10歳未満は利用継続者が多く、親世代(30代)も比較的定着率が高い

 

図書館は人が集まる場所としても期待される

ただ、図書館の利用者数は減っているとはいえ、図書館の存在意義が失われたわけではなさそうだ。例えば大学図書館。「図書館に足を運ぶ研究者は減っていますが、一方で図書館の重要性は増しています。ほとんどの大学では図書館が電子ジャーナル(学術誌)などを有料で契約し、大学構内からアクセスすると見られるようになっています。いくつもの媒体と契約するので、その金額は億単位。東大では数億円といわれています」。個人で賄えるものでなく、図書館が契約してくれるかどうかは研究者にとっては死活問題といえる。

 

一般の図書館でも、電子書籍を貸出するところが少しずつ出てきているが、AIが浸透しているなか、紙でしか流通していない本や資料などを図書館がデジタル化して発信する役割も求められるという。

 

「生成AIはインターネット上の情報を組み合わせることで、出典のある正しい情報に基づいた回答をつくっています。ただ、存在しない文献を提示するといったことがあり、『やはり図書館で調べものをすることって大事だよね』なんていう話にもなりがちですが、AIが正しく答えてくれたほうが便利なことには違いありません(笑)。そのためにはAIがアクセスできるデジタル情報が豊富に必要です。なかには、地域・郷土資料や大学の資料など、その図書館にしかない情報も。そうした情報をオンラインに発信していく役割が図書館に求められていると思います」

 

また、人の集まる場所としての役割も重要だ。「誰もが無料で入れて、屋根があって、好きに過ごせる空間はそんなにありません」と佐藤先生。紙の資料のデジタル化がさらに進むと、空いたスペースは人が利用できる空間になっていくと考えられる。「本を読む・借りる」「資料を探す」以外で、図書館に親しむ機会も出てくるだろう。

 

最近では、カフェやキッズスペースを併設していたり、建物やインテリアが素敵だったりと、従来のイメージとは異なる図書館が登場している。借りた本を駅前のポストに返却できるシステムを取り入れたり、図書館を利用したコンクール(図書館を使った調べる学習コンクールなど)を開催するところもある。散歩のついでや時間が空いたときにでも、ちょっと図書館に立ち寄ってみてはいかがだろうか。

 

図書館まで足を運ぶのはちょっと……という人は、まずインターネットで図書館を利用するという手も。佐藤先生によれば、国立国会図書館のデジタルコレクションでは、著作権保護期間が満了したものをはじめ、絶版など書店に流通していない本や資料を公開しており、個人でも登録すれば無料で閲覧できるという。そこから図書館になじみを持つようになるかもしれない。

 

「自分の生活圏に図書館という場所があると知ってもらって、情報を入手する際のひとつの選択肢としてもらえればと思います。『そういえば図書館があったな』『図書館に行けばこれができるな』と、何かの折に役立つことがあるかもしれません」と佐藤先生は話した。

「個人的に図書館は好きですが、図書館好きが図書館は大事と言っていても説得力がない。客観的なデータを収集し調査していきたい」と話す佐藤先生

 

「これからも、もっと図書館にまつわる素朴な疑問に取り組んでいきたいです。極論をいえば『図書館はあった方がよいのか』という根源的な疑問もあると思います。私自身はあった方がよいと思って研究しているのですが、なぜそういえるのか、図書館を活用することで世の中にどんなよいことがあるのかなどを客観的に明らかにしたいと考えています」

人は裏切られても協力する?社会的ジレンマを研究する立正大学の山本先生に聞いてみた

2025年4月8日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

人は生活する上で、他者との協力が欠かせない。だからこそ、さまざまな思惑や悩みも生じる。人の協力の進化について研究する立正大学の山本仁志先生は、実験を通じて「人は裏切られても協力する」という結果を導き出した。どのような実験だったのか、またこの研究のベースにある「ゲーム理論」とはどのようなものか。さらには、その理論や実験から得られる知見を日常生活で生かす方法などについて、山本先生にざっくばらんに伺った。

人は、自分の利得を追求するものだが…

「人は裏切られても協力する」という結果は、どのような実験で導き出されたのだろうか。まずは、その実験の前提にあるゲーム理論の概略について、素人にもわかるように山本先生に教えてもらった。

 

「人は、いろいろな場面で『もっともよい状態』をめざします。例えば、仕事と趣味と日常生活のバランスを考えたり、効率のよい電車の乗り換え方法をアプリで探したりしますよね。自分の利得が一番になるように行動するのが当たり前です。

一方、ゲーム理論の世界では、自分の利得が、自分の選択だけでなく相手の行動によっても左右されます。自分がベストだと思った方法が、相手の行動によって最悪になることもあり得ます。お互いに影響を与えあう状況でどう行動すればよいのかを考えるのがゲーム理論なのです。今回の実験はゲーム理論の中でも、もっとも単純化したゲームのひとつ、『囚人のジレンマ』を用いて行っています」

山本先生

(山本先生の資料をもとに、ほとんど0円大学編集部で作成)

 

「囚人のジレンマ」では、2人のプレイヤーが登場して、それぞれが「協力」「非協力」のどちらかの行動を選ぶ。そして、自分の行動と相手の行動がどんな組み合わせになるかによって、それぞれの利益が決まる。両者が「協力」ならお互いに+3点。両者が「非協力」ならお互いに+1点。

それなら両者とも「協力」を選べばよさそうなものだが、そう単純ではない。自分が「協力」を選んだとしても相手が「非協力」を選べば、相手だけが得をする(自分は+0点、相手は+5点)からだ。逆に、相手が協力を選んだときに自分が非協力を選べば、自分だけが得をする(自分は+5点、相手は+0点)。

 

この場合、どう行動するのが最適なのだろう? 「非協力を選ぶと悪者みたいになるから……」などと躊躇してしまいそうだが、そのあたりの感情を脇におき、ただの手札として考えれば「答えは明確です」と山本先生は断言する。

 

「相手がどちらを選ぶとしても自分は非協力を取るほうが利益が多く、相手側から見ても同じことがいえます。だから、非協力を取るのが合理的な判断です。ただ、双方が協力すれば誰も損しないので、その方が明らかによい。でも、もし相手が非協力を選んだら……と考えると無限ループにはまってしまう。まさにこれがジレンマなのです」

(山本先生の資料をもとに、ほとんど0円大学編集部にて作成)

社会にはジレンマがいっぱい

「こうした状況は社会にも多く見られます」と山本先生。例えば、牛丼チェーン店の価格設定。競合する2社が適正な価格で勝負すればそこそこ利益は上がるが、どちらか一方が値下げをして客を集め、もう1社も対抗して値下げすれば、不毛な値下げ合戦に突入しかねない。

環境問題も同様だ。他国が二酸化炭素排出量を減らすなか、自国だけが排出量を気にせず生産拡大すれば利益を上げることができる。だからといって、すべての国がどんどん二酸化炭素を排出すれば大変なことになってしまう。

「みんなが『自分だけ得しよう』と行動すると、結局、お互いの利益にならないところに帰着してしまう。それが『囚人のジレンマ』です。人間関係があるところにジレンマあり。社会にはこうした状況がたくさんあります。そのとき、どんな仕掛け・仕組みがあれば協力がうまくいくのかについて、私はいろいろな角度から研究をしています」

 

「囚人のジレンマ」に関してはシミュレーションや実験により多くの研究がなされている。今回、山本先生は被験者を募り、ゲームから離脱するオプションの導入や手番のタイプなど、いくつかの拡張をおこなった実験を実施したところ、従来のゲーム理論モデルとは異なる予想外の結果になったという。

 

実験は被験者が得点を競うオンラインゲームで、2人だけで何回かプレイしてもらうというもの。じゃんけんのように一緒のタイミングに選択する「同時手番」と、順番に選択する「逐次手番」の2パターンで、計194名のにより行われた。

(山本先生の資料をもとに、ほとんど0円大学編集部にて作成)

 

山本先生によると、「同時手番」が囚人のジレンマの典型であり、一方、自然界では「逐次手番」の方が多いそうだ。なお、実験では被験者に予見を与えないよう事前にプレイ回数は教えず、「協力」「非協力」という表現も使わなかったという。

 

理論モデルでは、逐次手番で相手が非協力だった場合、次の手番で自分が協力するケースは0%に近い数字になるはずだった。ところが実験結果は61.0%と、予想よりずっと高い割合になったのだ(※)。わかりやすく表現すると、約6割の被験者が「裏切られた後でも協力しようとした」といえる。

※「同時手番」では52.3%だった

 

「人で実験したところ、理論上の最適解である『相手が非協力であれば自分も非協力』とは異なる結果になりました。理論で予想したよりも、より寛容になっています。

その理由については推測でしかありませんが、おそらく、人は1回の非協力は許して様子を見るのではないでしょうか。『仏の顔も3度まで』といいますが、1、2回のエラーや間違いに対して少し遊びをもたせるということでしょう。日常生活でいうと、親切にしたかったけど忙しかったなど、悪意じゃない場合もあります。人が“様子見戦略”を取っていることが今回の結果に反映されたと考えています」

 

科学技術が発達して生成AIなども登場したが、人には、コンピュータでは計算しきれない部分があると改めてわかって非常に興味深い。

人にとって、「寛容」が本来の姿なのかも

実は、協力は動物にもあるという。「動物界だけでなく、細菌レベルでも自己の利益を犠牲にして他者に利益を与える行動が広く見られます」と山本先生は話す。

 

協力には直接互恵と間接互恵の2種類があり、人以外の動物には直接互恵のみが見られるという。直接互恵とは同じ相手と繰り返し出会うことを前提に、その人に対して協力するかしないかを選ぶこと。たとえば恩返しはプラスの直接互恵で、復讐はマイナスの直接互恵にあたる。

間接互恵は、第三者からの評判を通して得られる協力・非協力の関係をいい、これはほぼ人間にしかないそうだ。

(山本先生の解説をもとに、ほとんど0円大学編集部で作成)

 

「ことわざの『情けは人のためならず』は、まさに間接互恵のこと。間接互恵には3者以上がかかわる社会構造と、評判を伝える言語能力が必要なので、人類にしか成り立ちません。間接互恵は人間どうしの協力を促し、人類が大きく成功し発展した基盤といえます」

 

今回、紹介した実験は直接互恵にあたるが、山本先生はこの間接互恵についても今後、取り上げたいとのこと。実際のところ、人は直接互恵と間接互恵の両方を考えて暮らしているので、両者をうまく統合する枠組みをつくって実験やシミュレーションをしたいという。また、人とAIが共存してこうした互恵的状況にAIが入ってきたとき、人はどう変わるのか、AIはどう振る舞うべきかも考えていきたいと話し、すでにこの観点からの研究も進めているという。

 

最後に、ゲーム理論や「囚人のジレンマ」の研究から、私たちがヒントにするべきことを聞いてみると、「寛容の重要さ」だと答えてくれた。

 

「ゲーム理論は、自分がもっとも高い利得を得るにはどう行動すればよいかを理論的に研究するものなので、ある意味で冷たい学問だといえます。その世界でさえ、寛容に振る舞うことが高い利益を得られる作戦になるとの研究結果が出ています。

寛容や許しは道徳的に正しいからそうあるべきだという考えはもちろんありますが、実は寛容であることは本人の利得につながり、より生き残りに有利であるということはゲーム理論からも言えるかもしれません」

 

最適解を求めるはずの実験でも、寛容さの重要性が見られるというのが意外だ。不寛容な時代、不寛容社会などといわれて久しいが、人にとっては寛容があるべき姿なのかもしれない。

 

「もちろん、ひたすら寛容であってもダメなので、寛容でありながらも最後の防波堤のようなものはつくる必要があります。どういう形がベストかは、今まさに研究を進めているところです」

 

山本先生の「協力は動物にもあるが、間接互恵はほぼ人間にしかない」という話は興味深い。人間社会をより心地のよいものにするには、きっと間接互恵が大きな役割を持つ。直接には知らない誰かに対しても寛容であることが大切なのだろうと感じた。

小さな骨も積もれば山となる!動物考古学の世界を名古屋大学の新美先生に聞いてみた

2025年2月27日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

皆さんは、動物考古学という言葉を聞いたことがあるだろうか。考古学は一般にも知られているだろうが、動物考古学はあまり馴染みがないかもしれない。動物考古学とはどのような学問なのか、何を知ろうとしているのか。名古屋大学博物館准教授の新美倫子先生に、現在取り組んでいるという縄文犬の復元も含め、動物考古学の魅力などを伺った。

小さな骨も多数集まることで強力な仮説につながる

考古学が遺跡などを発掘して遺物を調べる学問ということはイメージしやすいが、動物考古学とは何を研究するのだろうか。まずは、その辺りから聞いてみた。新美先生によると、「動物の骨や魚の骨、貝殻などをもとに、過去の文化や生活を復元するのが動物考古学の仕事」とのこと。遺跡を発掘すると土器や石器、青銅器などいろいろなものが出てくるが、その中でも動物考古学者は、昔の人が食べたカスや儀礼に用いた動物の骨、貝殻などに着目する。

 

「出土した骨一点一点がどの動物のものなのか、どこの部位のものなのかを見極め、そのデータを集めて評価します。実は、骨一点一点はあまり大したことがないんですね。例えば青銅器なら、立派な鏡が出土したとなれば一点だけでも大きな意味を持つことがありますが、動物骨の場合、そうでないことが多い。ですが、集団となったときにはじめて大きな意味がわかり、強力な仮説を立てられたりします。その点がおもしろいと考えています」

出土したシカとオットセイの骨(戸井貝塚)。津軽海峡に面した場所にある戸井貝塚は、函館市の縄文時代を代表する貝塚とされる

 

一つひとつは文字通り小さな存在でも、数が集まるとガラリと意味が変わるというのは興味深い。新美先生と動物考古学の出会いも、発掘実習で見たたくさんの魚の骨にあったそうだ。何となく文学部で考古学を専攻した先生は、発掘実習で北海道のオホーツク海岸へ行き、12世紀頃の住居跡を発掘することになった。炉やかまどの跡に昔の灰が残っていたので、指導教授の指示で灰をふるいにかけてみると、よく焼けた魚の椎骨がたくさん出てきたという。調べてみると、コマイというタラの仲間の魚だとわかり、さらに、獲った時期も推察できた。

 

「オホーツク海岸では、冬の寒い時期になるとコマイが産卵のために海岸に近づくので、その時期だと簡単に獲れます。たくさんの骨があることから、おそらく冬に獲ったのだろうと。昔の骨から魚の種類がわかることにも驚きましたが、獲った時期などもわかる。小さなカケラからいろいろなことがわかるのだなと感心しました。それで、この動物考古学を専門にしてみようと思ったのです」

縄文時代の沖縄でブタを飼育!?定説を覆したことも

ところで、先生はどのようにデータを集めているのだろう。もしかすると超最先端のAI技術を使っているのかもと思って聞いてみたが、まずはカードへの手書きという、意外にもアナログなものだった。出土したもの一点一点の種類や大きさ、特徴、スケッチなどをカードに書き記して集め、次にエクセルなどで集計するとのこと。若い研究者には直接パソコンに記録する人もいるが、新美先生はあくまで手書きにこだわっている。

 

「原始的な方法ですが」といいつつ、手書きにこだわる理由を話した。「その方が記憶に残ります。同じ資料でも見る人によって引き出せる情報量が異なるため、考古学では経験を重ねることが大切。手書きして記憶に残すことで、『そういえば、10年前に見たあの遺跡で同じ資料があったな』などと引き出すことができるのです」。よく、書いて覚えろといわれるが、新美先生も書くことで記憶に留める意味は大きいと話した。

先生による手書きのカード。特徴などが細かく書かれている

 

たくさんの資料を見て、カードに手書きし、データを取って集計する。そうした経験を積み重ねてきた新美先生。学生の頃に指導教授から「資料の声を聴け」といわれたそうだが、40歳を過ぎてからやっと本当に資料の声を“聴ける”ようになったと変化を感じるという。その一つの例として、沖縄県嘉手納町にある野国貝塚での発見について話してくれた。

 

新美先生は、野国貝塚から出土した約7200年前の野生のイノシシと言われていた骨を、実はイノシシではなく、家畜化されたブタであることを明らかにした。ブタは、人間が飼育した野生のイノシシが、長い年月をかけて家畜化した動物とされる。ブタを盛んに利用する食文化をもつ沖縄では、遺跡から出土するイノシシの骨が、実はブタなのでは?という議論が長年あったそうだ。

 

「野生のイノシシなのか、ブタの疑いがあるのか。今でこそ『これは怪しい』とわかるようになりましたが、若い頃の私ならわからなかったかもしれません」と話す。知人のつてで沖縄県立埋蔵文化財センターにあった資料を見せてもらった先生は、ちょっとした骨の形の違いや質感の違いから疑問を持ち、詳しく調べたところ、下顎骨の特徴からブタだとわかったという。

出土した下顎の骨。左右の写真ともに、第三後臼歯(人間で言えば「親知らず」)がひどくすり減っており、高齢だとわかる。通常なら野生ではこんな高齢になるまで生き残ることができない

下顎の骨に凹みがある。これはイノシシからブタへの家畜化の過程であらわれる特徴だという

 

野生動物を家畜化する際には、早く大きくなるよう改良するので、骨も急激に大きくなり、密度が低く“ボソボソ”とした質感になることがあるという。動物の種類を見分けるには、そうした質感を判別できるかという経験も重要になる。

 

しかも、野国貝塚から出土したブタの骨はかなりの量だった。数点だけだったら、7200年前の沖縄には中国大陸から輸入されたブタがいたのだなという話で終わる。しかし、多数のブタの骨が見つかったとなると、意味が変わってくる。

 

「昔の家畜飼育は、いまのように厳重に隔離していないため、もし周りに野生のイノシシがいればすぐに混血してしまいます。でも、野国貝塚から出土した骨には混血の形跡は見られず、どれも明確にブタといえるものでした。つまり、中国大陸から多数のブタが輸入され、周りに野生のイノシシがいない状況で飼育されていたことがわかります。これも、たくさんの資料があったからいえることです」

 

また、これまでの定説では、日本でブタの飼育がはじまったのは約3000年前の弥生時代からとされていた。新美先生は、多数のブタの骨を判別することでその定説を覆し、7200年前の縄文時代には沖縄でブタが飼育されていたことを示した。まさに、一点一点はそれほど重要でなくても、多数集まることで強力な説を出すことができたのだ。

“縄文犬”は大切な狩猟のパートナーだった

新美先生は、ブタの研究の他、縄文犬の復元にも携わっている。名古屋市瑞穂公園にある縄文時代の貝塚、大曲輪(おおぐるわ)貝塚からは土器や石器、人骨などの他、犬の骨が出土した。この犬の骨をもとに縄文犬を復元し、一般公開するプロジェクトが進んでいるそうだ。

 

縄文犬とは、縄文時代に飼われていた犬のこと。「体は小さめで、今でいう柴犬くらいのサイズ。縄文犬は狩猟のパートナーだったので、手足の筋肉が発達してガッチリしています。顔は丸みのある柴犬とは違って、犬の先祖である狼に近く、顔幅が細くて額から鼻にかけての段差が小さく、目はキツネのようにつりあがっていいます」。

縄文犬の頭蓋骨。前述の「額から鼻にかけての段差が小さい」ということがわかる

 

体のサイズはわかるが、筋肉の発達具合まですべて骨からわかるのが驚きだ。筋肉がつく骨の部位の状態によって、筋肉が発達しているかどうかがわかるという。ちなみに、毛の色や耳の形、尻尾の形など、骨からわからないことについては、骨の形が先祖である狼に近いことからも狼に準じて考えたそうだ。

 

少し話は逸れるが、縄文時代と弥生時代で犬の扱い方がガラリと変わるという興味深い話も伺った。「縄文時代はパートナーとして犬を大切にし、死んだらちゃんとお墓をつくってあげていました。弥生時代になると、犬のお墓はほとんどありません。それは弥生時代以降、犬が食肉家畜になったため。一夜にしてとはいいませんが、急にお墓がつくられなくなりました」と新美先生。それは、弥生時代には水田耕作などさまざまな文化や生活習慣などが伝わるが、その中に犬は食べるための家畜とする考えも含まれていたから。「流行りものになびきがちな日本人の特性かもしれませんが、みんな弥生文化の波に乗っちゃったんですね」

 

こうしたことがわかるのも、出土した骨のあり方からだ。縄文時代には、犬は丸くなって眠っているような姿で葬られていることが多い。一方、弥生時代には、食べたあとの骨、つまり解体されてバラバラになった骨が他の骨と一緒に捨てられている。時代が近くなるにつれ犬を大切にするようになったのかと思いきや、より時代の古い縄文時代の方が現代の感覚に近いのが不思議だ。

 

さて。縄文犬の復元に話を戻すと、会えるのは2026年とのこと。現在、名古屋市瑞穂公園では、2026年の第20回アジア・アジアパラ競技大会に向けて陸上競技場(パロマ瑞穂スポーツパーク)の改築中であり、大曲輪貝塚の展示施設も新設の最中だ。縄文犬の模型がオープンと同時に展示される予定という。「きっと『縄文犬は柴犬みたい!』という人がいるかもしれませんが、顔の形が全然違うので、ぜひ注目して見てください」と話した。

 

私たちが博物館などで動物の骨などを目にするとき、注目すると良いポイントについても聞いてみた。「ぜひ近づいて質感の違いを見てほしい」と新美先生。同じ哺乳類でも陸上の動物と水中の動物では表面の質感がかなり異なると話す。「イルカやクジラは表面に小さな孔があってザラザラ。シカやウマ、ウシは表面が緻密で硬くてツルツル。魚は触ったら手がカサカサするような質感です。まぁ、こんなにマニアックに見る人はいないかもしれませんが(笑)」。質感の違いがわかるようになれば、小さな破片でも動物がどの部類のものか判断ができるようになるらしいので、機会があれば試してみたい。

 

最後に、今後研究したいテーマについて聞いてみると、「うっかりブタを研究しはじめたけど、ブタの問題は結構大きい」と冗談交じりに話した。「沖縄のブタの研究を続けつつ、本州のブタも研究したい。弥生時代には九州や本州にブタが導入されたことは既にわかっています。最近、九州で出土したブタの骨を見たのですが、遺跡によって形に違いがありました。その違いを明らかにすることで、弥生文化の伝来ルートや広がり方を追いかけられるかもしれません。全時代・日本全国にわたって、“ブタのきた道”を研究したいと思っています」。

 

古い動物の骨をたくさん調べることで、人と動物の関係や文化の流れまでわかる。動物考古学のおもしろさの一端にふれた気がした。

 

 

今を生きるヒントが見つかる?『ホトケ・ディクショナリー』を監修した大正大学の林田先生に仏教の教えを聞いてみた

2024年10月31日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

皆さんは「あみだくじ」や「がらんとした」といった言葉が仏教用語に由来することをご存じだろうか。例えば「がらんとした」は寺院にある大きな空間「伽藍堂」などが元になっている。そんな日常的に使っている言葉に発見があると、ちょっと話題になっているのが大正大学出版会発行の仏教慣用句事典『ホトケ・ディクショナリー(HOTOKE dictionary)』だ。その監修・解説をされた大正大学仏教学部教授の林田康順先生に、事典を通して伝えたいことなどを伺った。

108つの仏教慣用句を気軽に読める事典に

大正大学は1926年(大正15年)創立。2026年の創立100周年を記念して企画されたのが『ホトケ・ディクショナリー』だ。

 

林田康順先生によると、キリスト教系大学でも仏教系大学でも基本的に単一の宗派・分派が運営しているが、「大正大学は世界で唯一の総合仏教大学」とのこと。天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗・時宗が協働して運営していて、そのことが宗派を超えてひとつの事典にまとめあげた『ホトケ・ディクショナリー』の特徴であり、もうひとつの特徴は執筆者にあるという。

 

「仏教関係者ではなく、表現学部の榎本了壱教授が一般の人の感覚で文章を書き、それに対して各宗派の教員が宗派にとらわれずに解説を添えています。過去にも仏教関係の事典はいろいろ出版されていますが、お坊さんが書いているため、どうしても特定の宗派の教えが前面に出ていました。本書はこれまでにない事典です」

 

確かに、情報デザインやイベントプロデュースを専門とする榎本了壱先生の文章は仏教色が控えめで親しみやすく、お百度参りの項目でドラマ「101回目のプロポーズ」の話にふれるなど、ときには仏教事典らしからぬ言葉も出てきたりする。また、解説部分は数行という短さでもあり、宗派関係なくフラットに説明しているためか非常に理解しやすい。エッセイのような感覚で読めるユニークな事典だ。

文庫本サイズの『ホトケ・ディクショナリー』(大正大学出版会)

 

この『ホトケ・ディクショナリー』に取り上げられた言葉は、煩悩の数と同じ108つ。実際にどのような言葉がどう説明されているのだろうか。林田先生に思い入れのある言葉を聞いてみると、まず挙げられたのは「諦め」「空(くう)」「阿弥陀籤(あみだくじ)」だった。

 

例えば、「諦め」について。一般には、諦めとは「もう無理」「やっぱり難しいかな」などと断念することを指し、あまりよいイメージはないだろう。ところが、仏教では「諦め」は「明らかになる」ことだという。実際に書かれた解説を引用しながら説明してくれた。

 

「仏教では、世の中の真理に到達した状態を『諦観』といいます。釈尊は、苦諦(この世は苦であること)、集諦(その苦は煩悩に要因があること)、滅諦(煩悩を滅すれば悟りに到達すること)、道諦(正しい修行を実践すること)の四諦を通じて、真理への道を示されました。お医者さまが病気を見極め、原因を探り、処方を示し、治療を施すという診療・治療の進め方と同じようなものですね。私たちは、まさにお釈迦さまがおっしゃってくださった進め方で物事を解決しようとしているのです。本来の意味と現代使われている意味とのギャップをお伝えできればと思いました」と林田先生。

 

ネガティブなイメージしかなかった「諦め」という言葉に、そんな前向きな意味があったとは。諦めたら終わりなのではなく、諦めは新しいスタートのための一歩だったのだ。林田先生は「いろいろな執着を外したり、真理への道を明らかにしたりと、『諦め』はとても大切な言葉。読んでくださった方に、現代的な意味での諦めでなく、本来の意味で諦めのある人生を送っていただければと思います」と語った。

 

続いて、あとの2つの言葉もふれておきたい。「空」は般若心経などに登場する言葉、色即是空の「空」で、林田先生は「偏りやこだわりなどのない心」と簡単な言葉を用いて解説された。先にふれた「諦める」はこうした心境につながる過程であり、自分を煩悩から解放してくれる言葉のようにも感じる。

 

「阿弥陀籤」は、阿弥陀仏の光背(仏の背景に表現される光の筋)がもとになっているとのこと。「阿弥陀」には「量り知れない」という意味があり、くじの行方が分からない、ということにもつながっているそうだ。

「何でも答えがはじめからわかっているというものではありません。仏様の教えや救いのはたらきも量り知れないということをお伝えしたく選びました」と林田先生。たとえば何かに思い悩んだとき、これしかないと偏った決めつけをしてしまうことがあるかもしれない。しかし、この3つの言葉を知ると、おおらかに自分なりの答えを明らかにしようと思えそうだ。

本書には書かれていないが、林田先生によると阿弥陀籤が今のような四角い形になったのは江戸時代ごろからで、かつては光背と同じように放射状の阿弥陀籤だったという。作るのは難しいかもしれないが、それはそれで楽しそうだ

今を生きる人たちに特に知ってほしい言葉とは

今を生きる人たちに特に注目してほしい言葉を聞いてみたところ、林田先生が挙げたのは「恩人」「慈悲」「堪忍」の3つ。周りの人からもらった恩を忘れず、少しでもそれを慈悲の心で再び周りの人へ返していく…そのようなことができれば、世の中は辛く苦しいことも多いが、人生がより豊かになっていくのではないか。そういった想いで選んでくれた。

 

「恩人」については、「最近の教育ではあまり親孝行しなさいなどはいわれませんが、両親のほか、周りの人への恩や感謝の心を忘れないようにしてほしい」との思いを込めたという。恩師という言葉もあって「恩人」はまだなじみやすいが、「慈悲」は時代劇で「お慈悲でございます」などと使われるイメージしかない。「許し」や「情け」くらいの意味かなと思っていたら、少し違ったようだ。仏様が私たちにとって本当に必要なものを与えてくれることを「慈」、苦しみや悲しみを取り除いてくれることを「悲」というのだそうだ。

 

「『慈』の原語は友情、『悲』の原語は悲しみの共有という意味があります。慈悲の心として『人の喜びはわが喜び、人の悲しみはわが悲しみ』と語り継がれているのですが、日頃からぜひ実践したいものですね」と林田先生は話す。

 

そしてもう一つは「堪忍」。私たちが暮らすこの世のことを娑婆というが、別名では忍土(にんど)ともいうそうで、辛く苦しいことを“堪え忍ぶ”世界とされている。「堪忍袋の緒が切れた」という言葉はこのような背景が由来となっている。

 

もちろん“堪え忍ぶ”だけではなく、先述の「諦め」でふれたように「なぜ辛く苦しいのかその要因を明らかにし、悟りをめざしていくのが仏教の基本」と林田先生はいい、ご自身が棚経に回ったときの印象的なエピソードを教えてくれた。

 

「本書にも記載しているのですが、お仏壇に亡くなったお母さまのメモが飾ってあり、『堪忍袋の緒が切れた。切れたらまた縫え。切れたらまた縫え』と記されていました。辛いことや苦しいことは世の中にたくさんあり、人間ですから怒ってしまうこともあるでしょうし、投げ出してしまいたくなることもあるかもしれません。でも、ゼロにしてしまうのではなく、また縫い直せばいいのです。そうすれば人間関係も含めて、いろいろなことを再開し、進んでいくことができるのではないかなと思います」

互いの違いを認める柔軟な仏教は現代にこそ大切

ところで、林田先生の専門は法然浄土教や浄土宗学だ。今年の春に東京国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」が開催され、10月から12月頭にかけては京都国立博物館でも同じ特別展が開催中なので、法然や浄土宗というワードを目にした人もいるのではないだろうか。浄土宗開祖である法然とはどのような人物だったのか、聞いてみたくなった。

 

「法然上人が活躍したのは平安末期から鎌倉時代のはじめです。その頃の仏教は積善主義といって、立派な寺院をつくるなどの善行を積み重ねていくことによって、仏様に救っていただいたり悟りを開くという考え方が基本でした」と林田先生。

 

例えば、藤原道長は法成寺という大きな寺院を、その息子の藤原頼通は平等院鳳凰堂を、平清盛は源平の合戦で多くの命を奪ったことを供養しようと後白河上皇のために三十三間堂を建立した。寺や仏像を寄進することで救われると考えられていたのだが、庶民にはそんな経済的・時間的余裕はない。つまり、仏教は、貴族など建造物をつくることによって善行を積むだけの余裕のある限られた階級のものだった。

 

「ところが、法然上人は、3000人もの修行僧がいたという比叡山で智慧第一と讃えられるまでになったにも関わらず、自分には修行は務まらないとお考えになりました。自分自身の弱さや至らなさをしっかり自覚することによって、はじめて神仏に帰依し、神仏の救いを素直に信じる心が湧き上がってくるという言葉を残されました」

 

そして、積善主義に疑問を抱き、「南無阿弥陀仏」と唱えることで誰もが救われると説いた。今以上に格差社会だった時代にあって、仏様の前では貴族も庶民もみんな同じだといったも同然だ。当時の宗教界からの反発は相当に強かったようで、75歳で讃岐へ流罪となっている。ただ、法然以降、曹洞宗の祖である道元は座禅すればよいと説き、日蓮は題目を唱えればよいと説き、仏教はより広い層に受け入れられるようになる。法然は仏教の民衆化のきっかけをつくったのだった。

 

法然の浄土宗に限らず、現代の仏教は概して柔軟だと林田先生は言う。「仏教は平和の宗教といわれています。その背景には、唯一絶対の強い神を求める一神教と、多神教である仏教との違いもあるでしょう」と話す。特に日本では神道と仏教が共存し、八百万の神がいるという考えもある。

 

「仏教は柔軟に変わっていくという性格を持っています。それは現代人にとっても大切なことです。例えば多様性といった事柄に対しても、これまでどおりでなくてはいけない、というのではなく、その人その人にとって素晴らしいこととは何かを大切にしています」

 

最後に、これまで伺ってきたような仏教の視座からみて、林田先生は今の世界情勢をどのように感じているのだろう。先生は、この世の中に争いが絶えないことを残念に思うと話し、「恨み辛み」や「合掌」について語った。

 

「法然上人の父親は豪族で、対立関係にあった者の夜討ちに遭って命を落とします。その臨終の床で『敵を恨んではいけない。もし深い恨みを持ち続ければ、仇討ちが尽きることはない。僧侶となって悟りを求めなさい』と遺言されました。また、仏教に共通する作法に『合掌』がありますが、両手を合わせて合掌すれば喧嘩もできません。お互いの違いをしっかり認めて、争いが少しでもなくなるようにするのが仏教の基本的な考え方です。争いをなくすのは難しいことですが、仏教が少しでも現代の人に役立つことがあればと思います」

慈悲のページには「合掌」のイラストが

 

「あなたの宗教は?」と聞かれて、無宗教だと答える日本人も多いだろうが、仏教慣用句の数々にふれると、仏教の言葉や考え方は思っている以上に私たちの生活に深くなじんでいることに気づかされる。文庫本サイズの『ホトケ・ディクショナリー』は持ち運びしやすいので、通勤電車の中ででも気軽に読んでみてはいかがだろう。前向きになるヒントが見つかるかもしれないし、普段何気なく使っていた言葉に深い意味があると知るだけでも新鮮だ。

 

私たちの話し言葉は本当に変わってきたのか? 『日本語日常会話コーパス』の開発者、国立国語研究所の小磯先生に聞いてみた

2024年9月24日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

あなたは「最近の若者は自分たちとは話し方が違うな」と感じたことがあるだろうか。私たちの話し言葉は年齢とともに、あるいは時代とともに変化している。その実態を探るのに役立つが、国立国語研究所が2022年3月に公開した『日本語日常会話コーパス』だ。コーパスとはあまり耳慣れない言葉だが、一体何なのか。どんな役に立つのか。開発に携わった小磯花絵先生に話を伺った。

コーパスとは研究のために集められた大規模な言葉のデータベース

そもそもコーパスとはどういうものだろうか。小磯先生によると「実際に使われている書き言葉や話し言葉を大量かつ体系的に集め、品詞情報など研究に必要な情報を付加して、さまざまな検索・分析ができるようにされた言葉のデータベース」とのこと。言葉の研究には大量の言葉を蓄積する必要があるため、大学や国が中心となって、世界中でさまざまなコーパスがつくられている。

 

小磯先生の所属する国立国語研究所でも、ここ数年で『日本語日常会話コーパス』の他、『昭和話し言葉コーパス』『日本語歴史コーパス』など、さまざまなコーパスをつくっている。書き言葉については奈良時代から現代にいたるまで、日本語のデータを幅広く大量に蓄積しているのだ。例えば、『日本語日常会話コーパス』で「矢張り」と入力すると、「やはり」「やっぱり」「やっぱし」「やっぱ」などに変化した言葉が出てきて、品詞情報(この場合は副詞)や使われている会話における前後の文脈、話者の情報などがわかり、音声で確認することもできる。「例えば、『やっぱ』という言葉はどんな年齢・性別の人が使う傾向にあるかを調べるなど、いろいろな研究に使うことができます」と小磯先生は説明してくれた。

インタビューに応じる小磯先生。今回はオンラインで対応してもらった

 

ちなみに、イギリスでは1959年から書き言葉と話し言葉を約50万語ずつ集め、紙のカードで整理していたという。国立国語研究所でも1950年代から話し言葉の調査を行っていたそうで、大きなオープンリールの機材を肩からかけてインタビューする白黒写真が残っている。60巻、約40時間分のテープに日常会話と比較対象用のニュースや講義などの音声を録音し、言葉を書き出し、線や記号でイントネーションや音調などを細かく記されているという。

 

今のコーパスは電子化が基本だが、1950年といえば超アナログ。パソコンはもちろん、ワープロもなく、今のように簡単にコピーもできない。そんな中で現在のコーパスに劣らないほどの情報量を盛り込んだデータベースをつくっていたとは。調査に携わった研究者たちの苦労が偲ばれるとともに、とてつもない熱意が伝わってくる。この研究成果は1955年に『談話語の実態』として国立国語研究所の報告書にまとめられている。

コーパスを比べることで言葉の変化や実態が見えてくる

「こうして情報が蓄積されたコーパスは、公開して皆が研究に使えるようにするのが重要なのですが、この1950年代の資料は研究所の中で使われるだけで公開には至っていませんでした。日本において、コーパスを共有すべきという流れになったのは1980年代後半から1990年代になってからです」と小磯先生。背景にはコンピュータの性能が上がったこともある。ちょうどイギリスで1億語規模のコーパスが誕生した時代でもあった。

 

小磯先生は、1998年に国立国語研究所に入って間もないころ、講演の音声記録を中心とした『日本語話し言葉コーパス』の開発に携わった。音声認識の専門家などとの共同研究で、一般の人や研究者が講演などで話す音声をもとにしたのだ。このプロジェクトによって音声認識の精度が飛躍的にあがったという。のちの国会議事録の自動テキスト化などにも影響するような、コーパスを活用した音声認識研究の嚆矢で、「コーパスは実用につながると認識されたきっかけでした」と小磯先生は話す。また、日本でも約1億語書き言葉コーパスをつくろうと、書籍や新聞、雑誌、白書など幅広い分野の言葉をバランスよく集めた『現代日本語書き言葉均衡コーパス』の構築にも関わった。

 

「講演を中心とした話し言葉のコーパスができ、書き言葉のコーパスも一段落しました。ただ、やはり会話がないよね、という話になりました。当時、会話を対象とするコーパスはないわけではなかったのですが、音声が公開されていなかったり、話者が偏っていたりしていたのです」と小磯先生は振り返る。そこで、さまざまな場面における自然な日常会話をバランスよく収めた『日本語日常会話コーパス』の開発に取りかかった。

 

「日常生活の中で私たちがどういう言葉を使っているか。音声と動画を記録して公開することで、単に言葉だけでなく、対面でのコミュニケーションでの身ぶり手ぶりや話者の配置などを含めて総合的に研究することができます」

 

コーパスに利用する音声と動画の収集は、一般から募った40名によって主に行われた。3ヵ月間機材を貸し出しして、日常の会話を収録してもらい、家族での食事、子どもの宿題を見ているところ、ママ友とのランチ、帰省先の実家、アルバイト先、習字教室など、さまざまな場面での会話を収録してもらったという。録画されていると思うと緊張したりして自然な会話にならないかもと疑問も出そうだが、どうなのだろうか。

音声と動画の収録シーンの一部(小磯先生の資料より)

 

「圧迫感がないよう小型カメラを使用しました。また、収録期間が3ヵ月あるため、だんだんカメラのある生活に慣れてくることがほとんどです」とのこと。撮られていること自体が日常になっているのが大切なようだ。

 

こうして約200時間の会話を収めた『日本語日常会話コーパス』は2022年に本公開された。小磯先生は「日常の言葉はこんなにも違うのかと衝撃を受けました。大規模なコーパスがないとわからないことだと思いました」と話す。その事例として教えてくれたのが、先にも例にあげた「矢張り」という言葉。50時間分をまとめた段階では、「やっぱり」「やっぱ」が半数ずつで、「やはり」が一度も出てこなかったという。

 

「最終的に200時間分になったときに、雑談で3000件ほどある『矢張り』の中で『やはり』はわずか20件ほど出たくらい。こんなにも日常では『やはり』を使わないのかと。そこで、改めて書き言葉や講演などの話し言葉と比べてみました」

「書き言葉」「独話」「日常会話」と3種のコーパスで、「やはり」とその関連語を分析した結果(小磯先生提供)

 

すると、政府の刊行物である白書の中では『やっぱ』も『やっぱり』も使われず、新聞ではコラムなどで少し『やっぱり』が使われ、ブログでは『やっぱ』も『やっぱり』も登場。人前で話す学会発表では『やっぱ』は一切なし。一般の方がカジュアルに体験談を話す模擬講演では『やっぱ』も多いが、『やはり』も相当数使われていることがわかった。何となくオフィシャルな場面で「やっぱ」は使わないイメージはあったとしても、もしかすると感覚的なもので実際は違うかもしれないと思ってしまう。しかし、コーパスによって感覚的なものではないことが明らかになったのだ。

 

小磯先生は1950年代から国語研究所で集められた音声資料も再編し、2020年に『昭和話し言葉コーパス』として電子化して音声とともに公開した。そのため、当時の言葉の使われ方と比べることができる。さまざまなコーパスを活用し比べることで、多様な角度から言葉の経年変化や年齢性別による違いなどを調べることができる。

言語だけでなく、医療やAIなどさまざまな分野で応用も

「『日本語日常会話コーパス』を含め、いろいろな種類の大規模なコーパスが揃ったことによって、コーパスを使った定量的な分析で今後明らかにできることも多いのでは」とコーパスの可能性を話す。また、コーパスは公開することに意味があるとも話した。国立国語研究所でも代表的なコーパスを公開しており、登録すれば誰でも使用できる。

※無料版は機能を限定して公開。国立国語研究所 言語資源開発センター「コーパス一覧」https://clrd.ninjal.ac.jp/

 

「研究には再現性が重要です。コーパスを使って同じような条件で分析して同じ結果が出れば、研究の正しさを保証することができます。コーパスに限らず、現在はどの分野でも研究データを公開することで研究不正を防ぐとともに、研究を前進させることに資するといわれています。また、いろいろなデータを組み合わることでより対象領域を広げて研究ができるようになってきているので、できるだけデータは公開する流れになっています」

 

実際に、小磯先生も研究領域は言語だけに留まらず、他分野との共同研究もすでに進んでいる。

「『日本語日常会話コーパス』をつくって公開したことによって、私たちと同じ分野だけでなく、思いもよらなかった分野からお声がけをいただきました。例えば医学分野では、自閉スペクトラム症、コミュニケーション障害といわれる人たちのコーパスがあれば、より多くのことがわかるのではないかと考えています。基礎研究に留まらず、自分の専門がダイレクトに社会に役立つ可能性があると感慨深く、とても興味深く研究を進めているところです」

 

もともとコーパスは、データを扱うという性質上から情報処理分野との接点が深く、特に話し言葉を集めたコーパスの開発には音声認識の技術が関わっていたり、AIが自然な言葉を話せるようにしたりと、情報処理分野での応用が行われてきた。「言語分野や情報処理分野だけでなく、まだまだ可能性があると気づかされました。そうした新たな分野にも踏み込んでいきたい」と小磯先生。高度な言葉を話すのは人間だけといわれるが、人間にとって言葉は非常に重要な要素だ。考えるにも何をするにも言葉がなくてははじまらない。だからこそ、言葉を核にした研究によって、今後さらに思わぬ発見や新しい技術が生まれてくるかもしれない。

羽毛や消化管まで残る化石の謎を探るため“化石化”を研究する名古屋大の片田さんに聞いてみた

2024年2月13日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

古生代の海には奇妙なかたちの生きものが泳いでいたり、ジュラ紀や三畳紀には巨大な恐竜たちが跋扈していたり、人類が誕生するはるか昔の地球にロマンを感じる人は多いだろう。これら昔の生物に思いを馳せられるのも、化石が残っているからこそ。ところが、化石よりも化石になる過程=“化石化”に注目している研究者もいるという。その一人、名古屋大学の片田はるかさんに話を伺い、化石化に着目したきっかけや古生物学の魅力について教えていただいた。

なぜ化石となって残ることができたのか、その理由を探る

始祖鳥、アンモナイト、ティラノサウルス…。いろいろな化石が見つかっているが、化石とは大昔の生物の遺骸などが地中で保存され、他の生物に食べられることなく、微生物分解されながら、周りの土砂などから石のもとになる成分が染み込んで鉱物(石)に置き換わったもの。硬くて残りやすいので骨や歯、貝殻の化石が多く見られる。化石ができるには、環境にもよるが少なくとも1万年はかかるといわれ、その間に地殻変動や圧力、熱などで壊れるとなくなってしまうため、私たちが目にする化石は奇跡の産物ともいえる。そんな化石があることで生物を特定したり、生物の進化史や行動様式を知ることができるのだが、片田さんの興味は化石そのものではなく、化石になる過程だ。

 

「化石から生物の生態や機能を調べる研究者の方が多いと思いますが、私はその化石がどうやってできたのか、生物が化石になるまでの歴史を知りたいと思いました。化石の中には、消化管や胃の内容物、羽毛など驚くようなものが残っている化石もあり、過程や環境によって千差万別です。それらがどうして保存されたのかを知りたいのです」と話す。“化石化”についての研究はそこまで盛んではなく、明らかになっていないことが多いという。

 

生物の特定などのため骨の形に注目するなら、化石の成分には特に意識しなくてもよい。化石になる過程に注目するなら、化石を構成する鉱物の成分や元素、微生物がどう分解したのか、まわりの環境・地層はどうだったかなどを研究することになる。化石と化石化では研究手法が異なるのだ。

 

そもそも片田さんが化石化を研究することになったのは偶然ともいえることだったという。大学の卒業研究にあたって、本来はモンゴルへ化石の調査に行くはずだったが、コロナ禍で海外渡航や屋外調査が難しく、愛知県の「蒲郡市生命の海科学館」から標本を借りることになった。

 

「ものすごく幸運な機会で、普段は簡単に触れない標本を貸していただきました。科学館の標本なので壊しても傷つけてもいけません。そこで、化学と鉱物学からのアプローチによって、化石の持つ情報を明らかにしようと考えました」と片田さん。

 

このとき片田さんが借りた標本は、マルレラまたはマーレラと呼ばれる節足動物の一種。5億年ほど前のカンブリア紀の生物で、長い角のような突起を持つ不思議な姿をしている。

「マルレラは、おしりの辺りに黒っぽいシミのようなものがある化石が多いんです。これまでシミの由来や血液成分の有無などが議論されてきましたが、まだ決着がついていません。それが面白いなと思って、私もシミの分析をしました」

マルレラはこのような生き物だったと考えられている(片田さん私物のフィギュア)

マルレラはこのような生き物だったと考えられている(片田さん私物のフィギュア)

 

具体的には、化学的な特徴を明らかにするためにX線顕微鏡で化石表面スキャンし、どこにどんな元素がどのような濃度であるのか調べる元素マッピングを行う。これによって、どういう元素で化石がつくられているかがわかる。ただ、同じ元素でもいろいろな鉱物がつくれるので、特定するためにレーザー光を使用するラマン分光分析という方法で鉱物を測定していく。そうして化石を壊すことなく成分や元素を分析できるのだ。

 

それらの分析の結果、シミに血液由来成分は見られず、またシミの大きさと体の大きさに相関関係があることから、片田さんは「シミは生体由来のもの」との結論を導き出し、卒業論文にまとめたそうだ。

今はハダカイワシの化石を対象に、発光器まで残った理由を研究

博士課程(後期)に進んだ今、片田さんはどんな研究をしているのだろうか。

「今は、ぐっと時代が新しくなって、1700万年前くらい前のハダカイワシの化石を研究しています」と片田さん。ハダカイワシは深海魚で、目が大きく、脇腹の辺りから発光するのが特徴だ。

 

「愛知県南知多町の師崎(もろざき)層群からは、骨だけでなくお腹の発光器まで残っているハダカイワシの化石が発見されました。この珍しい化石の発見はニュースでも取り上げられたので、覚えている人もいるかもしれません」

ハダカイワシの実物と化石

ハダカイワシの実物と化石

お腹部分に発光器がある

お腹部分に発光器がある

 

なぜ発光器まで残るほどの保存ができたのか。元素マッピングや鉱物学的な分析の結果から、片田さんは黄鉄鉱という鉄と硫黄からなる金属鉱物が関係していると考えた。今、黄鉄鋼ができる環境や条件などについて論文をまとめているところだという。

 

化石化の研究では、保存状態のよい理由、環境やプロセスなどを調べること多いが、片田さんが特に注目しているのは化石化における化学反応(元素の移動)だ。

 

「化石の元になった元素はどこから来たのか。もともと生物が持っていた元素は化石になった後、外へ出ていったのか、あるいは化石として残っているのか。元素の移動まで明らかにしたいと思って研究しています」と片田さん。

 

「古生物学では、よほど新しい時代などでない限り、化石の元になった生物はもう地球上に存在しないことがほとんどです。でも、ラッキーなことにハダカイワシは今も深海で生きています。生物がもともと持っていた元素も化石になっている元素もわかるので、その間に何が起こったのかを明らかにしたいと考えています」

 

シーラカンスとは比べようもないが、ある意味ハダカイワシも生きた化石といえるだろう。元素の移動がわかれば、化石化する・しない条件もわかるかもしれない。

余談だが、ハダカイワシという名前は、網にかかると鱗がすぐに取れてハダカのようになってしまうことに由来する。高知県では「やけど」と呼ばれ、丸干しなどが名物になっている。見た目はちょっとアレだが、とても美味しいという。ごく身近なところに古い時代とのつながりがあったとは感慨深い。

博物館などで、化石の魅力や自然界の複雑さを伝えたい

ところで、化石の魅力とは何か、改めて片田さんに伺ってみた。

 

「姿かたちは多少変わっても、大昔の生物が目の前にあって、それを見ていることにシンプルに感動します」と話した。今とは大きさも形もまったく違う生物たちが生きていたと思うと、驚きや自然の不思議を感じてしまう。その辺りは一般の人たちと同じ感覚だが、研究者ならではのユニークな視点だと感じたのは「死なないことが化石の一番の魅力」という点だった。

 

「化石はだいぶ前に死んでいるので、逃げることなく、ずっとそのままいてくれるのでいい」と片田さん。「また、化石は石なので、元の生物と同じ形をしていても、成分や硬さ、手触りがぜんぜん違います。でも、多くの人は生物として認識します。生物としての側面もあり、岩石や鉱石としての側面もある。それが化石の魅力です」

 

こうした化石や鉱石、古生物学の魅力を伝えたいと、片田さんはサイエンスコミュニケーターとしての活動も行っている。昔から理科教育や博物館教育に興味があったという。大学1年時から名古屋市科学館で鉱物や化石を用いたワークショップを行ったり、名古屋大学博物館でイベントの企画・運営にも携わってきた。来館者に説明する際に気をつけているのは、一方的な関係にしないことだと片田さんは話す。

 

「私の持っている情報をただ渡せばいいのではないと気づきました。私には私の好きな分野、知っていることがありますが、相手には相手の好きな分野、知っていることがある。たとえ小さな子どもであっても、私より詳しいこともあります。ある種のリスペクトを持ち、対等の相手として接することが大切だと考えています」

 

押し付けにならず、主体的かつ双方向的なサイエンスコミュニケーションを目指しているのだ。化石や古生物学の研究はもちろん、博物館教育にも興味を持つ片田さん。将来の進路として学芸員を考えている。

研究についての展望を語る片田さん

研究についての展望を語る片田さん

 

「自分の研究をしながら、サイエンスコミュニケーターとして化石の魅力や自然科学の面白さ、重要性、自然界の複雑さなどを伝える活動をしたい」と話した。

 

大昔の生物が化石として残るだけでも奇跡的なことだと話す片田さん。次に化石を目にする機会があれば、化石そのものの姿だけでなく、それができる過程も想像して、自然界の複雑さを感じてみたい。

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