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“マグレブ文学”が教えてくれる「現代を生きるとは?」 筑波大学の青柳先生にその魅力を聞いてきた

2024年6月20日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

最近、“マグレブ文学”が日本でひそかに流行っているという。出版社から専門のシリーズが刊行されたり、書店でブックトークが開催されたりしているそうだ。海外文学好きなのに、“マグレブ文学”は恥ずかしながら耳にしたこともなかった筆者。未知なる世界に興味を惹かれ、ブームを牽引する研究者のひとり、青柳先生に話を聞いた。

「マグレブの人たち」が「フランス語で」書いた文学

――マグレブというのは、地名でしょうか……?

そうです! マグレブとは一般的に、北アフリカにあるチュニジア、アルジェリア、モロッコを指します。

 

地中海に面する北アフリカは、紀元前から強大な文明がたくさん栄えてきたエリア。例えばフェニキア文明は、ギリシャ文明と並び立つ……というよりむしろギリシャに文明を輸出する側でした。7世紀以降になると東からイスラム教とアラビア語が流入し、いまも住民の多くはアラブ系でムスリムです。

 

この3カ国は、かつてフランスに植民地支配されていました。「マグレブ」という言葉も実は、アラビア語に由来するフランス語です。

 

――では、“マグレブ文学”とは、チュニジア、アルジェリア、モロッコで書かれた文学のことですか?

マグレブ文学の大まかな定義は、「マグレブの人たちがフランス語で書いた文学」。「フランス語で」、というのが第1のポイントです。

 

マグレブの人たちは、すごくたくさんの言語を話します。生まれたときから家族や友人と使うのは、アラビア語の地元方言。ニュースで使われるようなアラブ世界共通のアラビア語も話します。さらに、コーランに書かれた、クラシックで厳格な文法を持つ正則アラビア語もわかる。「ベルベル人」と呼ばれる、アラブ文化がやってくる前から北アフリカに住んでいた人たちは、さらに彼ら独自の言語も話します。

 

そして、フランス語。特に植民地支配が約130年(1830~1962)と長かったアルジェリアでは、小学校3年生からフランス語を習い始め、フランス語で算数など他の科目も勉強する、という時代が長く続いてきました。大学ではすべての授業をフランス語で行う学部も多いです。フランス語は社会に深く浸透していて、アラビア語にもフランス語のボキャブラリーがたくさん入っています。ありとあらゆることがフランス語で話せる、フランス語の概念を使わないと物事が考えられないという、フランス語ネイティブの人もたくさんいます。

 

では、なぜマグレブの人たちは、フランス語で小説を書くのか。もちろん、アラビア語で書く人もいます。ただ、日本でも方言は書き言葉でないと考えられているように、「アラビア語方言は文章に使わないもの」という感覚があります。コーランに使われている正則アラビア語に対しては、「こんなきっちりした素晴らしい言語で、『誰が誰とキスした』とか、そんな下世話な日常を描くことはよろしくない」といった気持ちがあるみたいです。こうしたいくつかの背景もあり、フランス語で小説を書くというのは、多くの人にとって自然な選択なようです。

 

――マグレブ文学とは概ね、「マグレブの人たちがフランス語で書いた文学」だとお話いただきました。第2のポイントは何ですか?

それは、「マグレブの人たち」というのが、とても広い概念だということです。マグレブ諸国にいま住んでいる作家たちだけではなく、チュニジアからフランスに移り住んだ“移民1世”、フランスで生まれ育ったけれどもアルジェリア移民の“血”を引く“移民2世・3世”なども、マグレブ文学の担い手と見なされます。マグレブはフランスの旧植民地で、地理的にもヨーロッパと接しているので、人の移動があまりにも頻繁な地域なんです。異国で生活する移民の苦労や、移民の視点で故国を描く作品などがマグレブ文学に多いのも、この「越境性」が理由です。

マグレブ文学について熱く語ってくれた青柳先生

 

「これは私が翻訳しなきゃ」という使命感

――先生は昔からマグレブ文学が好きだったんですか?

実は、そんなことないんですよ。そもそも私は「文学理論」畑の人間で、個々の作品・作家・地域の文学を研究するというよりは、文学というものの独特な考えかたと向き合ったり、文学を素材にして観念的哲学的な議論をしたりするほうが面白かった。マグレブ文学がフランスや日本で注目された時期も、「あ、そう」という感じで。

 

ところが、です。所属する筑波大学が、2004年に北アフリカ研究センター(現・地中海・北アフリカ研究センター)という文理融合型研究の組織を新設することになったんですね。理系の先生たちが主導していたのですが、「フランス語ができて、現地で一緒に美味しいものを楽しく食べてくれるような人、誰かいないですか? 」とお声がかかって。それで、2003年に人生で初めてチュニジアに行きました。

 

私は90年代始めにフランスに留学していたのですが、そのときは「暗黒の十年」と呼ばれる、アルジェリア内戦のまっただなか。「北アフリカは全部怖い国だ、女が行くなんてとんでもない」というイメージがありました。でも、実際行ってみたら、フランスから仕入れるイメージとはまるっきり違ったんです。地中海沿岸で、光も海もすごく綺麗。みんなギスギスしていなくて、とにかく人柄が良くって。それから当たり前なのですが、圧倒的多数の現地人は、その地で生きていくことに、喜びを見出しているというか。楽しみを見つけながら、模索をしながら、生きている。その感じが、とってもいいと思ったんです。

 

やはり私も、支配者側であるフランスの視点を内面化していて、どこかマグレブを軽蔑していたんでしょう。「この人たちを『危ない』と決めつけて、この地域を毛嫌いしていたのは、本当に申し訳なかった」と思いました。それで一種の自己反省から、マグレブ文学に向き合い始めたんです。

のちに青柳先生は、翻訳した作家ゆかりの小学校(アルジェリア・カビリー地方)を訪ねた。一緒にうつるのは小学校の先生たち。訳書が日本で出版されることは現地の新聞やラジオでたびたび紹介され、注目度の高さに驚いたそう

 

――実際読んでみて、どうでしたか?

チュニジアのエムナ・ベルハージ・ヤヒヤという女性の作家の作品を読んで、「これは素晴らしい! 」と思いました。これまで私が読んだフランスのどんな大文学よりも多くのことを考えさせてくれる、非常に深くて美しい文学だなと。

 

彼女はフランスではそれほど評価されていないんですよ。なぜかというと、まず、フランスの出版界は人脈が命の世界なので、パリを拠点としない、文壇に媚びない作家には十分な機会が与えらないから。もうひとつの理由は、「フランス語が下手」だと見なされているからです。

 

――でも、彼女もフランス語ネイティブなんですよね?

その通り。フランスの名門、ソルボンヌ大学・大学院で哲学を専攻していたぐらいです。

 

ここは少し説明が必要ですね。フランス語や英語といったヨーロッパ言語の文学では、ある1点の視点から物語を描いていく方法が正統だと見なされています。一方、日本文学は、遠くから描いたり、近くから描いたり、人物を客観的に描いたり、その人の内面に入りこんで主観的に描いたり、はたまた別の登場人物の立場に立ってみたりというふうに、視点がよく変わります。英語を習ったとき、日本語にはない概念として、「時制の一致」を学びませんでしたか。こうした言語構造の違いが、物語叙述の違いに反映されていると言っていいでしょう。

「He said that」と言ったら「I am」ではなく「he was」が続く。時制も人称も一致させるのが英語やフランス語(筆者作成)

 

この点でアラビア語は実は日本語に近くて、視点の「ユレ」を許す言語なんです。そして、アラビア語を母語としながら、ネイティブレベルのフランス語も獲得しているマグレブ文学の作家たちは、フランス語での創作においても、アラビア語の語りの真髄であるユレを、自然な感覚から利用していると考えられます。

 

このユレが、フランス人は気に食わない。実はスタンダールやフロベールといった大御所だって所々ユレているのですが、彼らはフランス人だから問題にならない。それを“非フランス人”のマグレブ作家がやると、「フランス語がギクシャクしている」と批判されるわけです。

 

でも、日本文学に馴染んでいる私は、このユレこそが物語を豊かにすると思っています。エムナ・ベルハージ・ヤヒヤの作品に強く惹かれたのも、叙述のユレが生み出す作品の多元性に大きな魅力を感じたからです。

 

フランス人がなんと言おうと、私にとって、この作品は素晴らしい――「これは私が翻訳しなきゃ」という使命感に燃えて、初めて自分で出版社に企画を持ち込み、出版をお願いしました。

 「現代を生きるとはどういうことか」を教えてくれる

水声社、叢書《エル・アトラス》より、ブアレム・サンサール『ドイツ人の村』とムルド・フェラウン『貧者の息子』。いずれも青柳先生が翻訳

 

――マグレブ文学にはどんな魅力があると先生はお考えですか?

ひとことで言えば、まさに、「多重性」です。まず、言語の多重性。次に、文化の多重性。紀元前からの文明の蓄積があり、度重なる異文化との接触を経て、いまもアラビア文化とヨーロッパ文化との交差点であるわけですから。

 

アラブ世界のなかでマイナーな地域であることも、複眼的な視点を生み出しているでしょう。実は、「マグレブ」の元になったアラビア語の「マグリブ」は日の沈む西方を指す言葉で、アラブ世界の中心とされるシリア・レバノン・エジプト・サウジアラビアの地域(「マシュリク」、日の昇る東方)から見て西に位置することを表し、「変な人たちが住んでいるド田舎」という含意がありました。

 

「支配される側」であることから生まれる多重性も見逃せません。私は、ご主人様と召使いがいたら、召使いのほうが“豊か”な視点を持っていると思っています。ご主人様は、自分の視点、価値観、言葉しか持ってない。でも召使いの側は、ご主人様の論理も知りつつ、自分たちの視点、価値観、言葉も持っている。かつてヨーロッパから植民地支配を受け、いまも虐げられているマグレブ地域は、“世界の中心”である欧米には見えないものが、見えているのです。

 

いま私たちが生きている現代世界は、「多重性」の世界です。個人と社会の葛藤、グローバルとローカルの交錯、正義と正義の衝突。「なんだ、アフリカじゃん」と馬鹿にするような考えがあるかもしれないですが、とんでもない。ずっと複雑な多重性のなかで暮らしてきたマグレブの人たちこそ、現代の最先端を生きているのです。 “世界”を縁遠く感じがちな日本人に、マグレブ文学は、「現代を生きるとはどういうことか」を教えてくれます。

 

――日本と全然違う背景があることが、マグレブ文学のひとつの魅力なんですね。

一方で、マグレブ地域は日本に近いところもたくさんあります。

 

フランスやイギリスには、個人は独立独歩で生きるもの、策略を弄してでも社会のなかで強引に勝ち進んでいけ、それが人間だ、という感覚があります。一方で日本には、家族のしがらみがあり、謙虚さを重んじ、常に周囲を気にかけながら生きていく面がありますよね。

 

実は北アフリカの社会も、こうした日本的な人間関係のあり方が根付いているんですよ。マグレブ文学には、個人と社会の間で板挟みになる葛藤、正義を振りかざせばそれでいいわけではない人間の姿、ジェンダーの問題なども描かれます。共感できる人は多いのではないでしょうか。

 

ちなみに、マグレブ地域の人たちは、日本に対してすごくシンパシーを持ってくれています。欧米でもないのに経済発展して、アメリカに原爆を落とされたのに復興して、教育も人間関係も大事にする、素晴らしい国だと。小学校のときから「日本人を見習え」と教わるぐらい(笑)

ガイブンはズボラに読めばいい

――マグレブ文学、ぜひ多くの人に読んでもらいたいですね。ただ、「海外文学」「外国文学」(ガイブン)はちょっと取っつきにくいと感じる人も多いようです。登場人物の名前が覚えられなかったり、文化の違いからか「なんでそこそう思った?」という違和感もあったり。やたら長いことも多いし……。どうすれば楽しめるでしょうか?

 

ズボラに読むこと、これは大事ですよ。「なに言ってるかよくわかんないけど、ま、いっか」と、いい加減な気持ちで読めばいいのです。長い作品の場合、全部の情報を頭に入れる必要は全くない。自分でかいつまんで、自分の印象に残るところだけをワガママに吸収してかまわないのが長編小説だと思うんです。私が指導する学生さんたちには、「忘れる権利」「理解しなくていい権利」がある、と言っています。

 

「友達が褒めてた」とか、帯のキャッチフレーズが素敵だったとか、好きな芸能人が推薦文を書いていたとか、きっかけはなんでもいい。少しでも気になった本があれば、構えずに手を伸ばして、とりあえず読み進めてみてください。

 

「何これ、変なの」という違和感そのものを楽しめるといいですね。それだけ自分にとって新しい世界に触れているということだから。自分という受け皿そのものが変わっていく、それが読書の魅力のひとつだと思います。

 

 

 

 次の翻訳プロジェクトも進行中(!)だと教えてくれた青柳先生。ただ、マグレブ文学は新世代の書き手が登場する一方で、急速に拡大する英語教育によって存続が危ぶまれてもいるそうだ。これからの行方にも注目したい。

 

* * *

 

【青柳先生推薦! 初めてのマグレブ文学】

(括弧内は青柳先生からのコメント)

 

『ドイツ人の村――シラー兄弟の日記』(ブアレム・サンサール著、青柳悦子訳、水声社、2020年)

アルジェリア移民としてパリ郊外に生きるシラー兄弟が、ドイツ人である父親の暗い過去をたどる。作者は体制批判などの姿勢を貫くアルジェリアを代表する作家。本作でも現代文明の光と闇を映し出し、現代アルジェリア文学の傑作として世界25カ国以上で翻訳された。「もう、フォーリンラブでしたね。私はこの作品は、希望の書だと思っています」

 

『貧者の息子』(ムルド・フェラウン著、青柳悦子訳、水声社、2016年)

アルジェリアの片田舎であるカビリー地方に住む一族のサーガと少年の成長を描く。“幻”のオリジナルバージョンを青柳先生が何年もかけて世界中探し回り、ついにアメリカの大学図書館で発見。本書や『ドイツ人の村』が所収された叢書《エル・アトラス》について、「これを訳さずして死ねない、という気持ちで各研究者が作品を持ち寄りました」

 

『移民の記憶--マグレブの遺産』(ヤミナ・ベンギギ著、石川清子訳、水声社、2019年)

ノーベル賞作家のスヴェトラーナ・アレクシエービチと同様の、「証言文学」「聞き取り文学」ともいうべきテクスト。「ベンギギは移民2世の女性作家ですが、自分たちの一つ上の世代で、まさに『声なき』人々である移民1世の人々の声を引き出しました。読者はこうした人々の経験や思いに、じわりじわりとふれていくことができ、そしてさまざまな重い衝撃をうけます」

家父長制はマザコン生成装置!? 立命館大学の公開講座でイスラームとジェンダーを考える

2024年3月12日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「面白そうな講座があるんだけど」というお誘いを受けた筆者(30代既婚女性)。タイトルは、「イスラームと『マザコン』 母子関係から考える現代中東のジェンダー」。……と、とりあえずマザコンは嫌かな!?

高給取りのサッカー選手が無一文!? その理由は……

今回受講したのは、2月8日夜にオンラインで開催された立命館大学の公開講座。シリーズ「中東・イスラーム学び直し 地域研究が描き出す政治・文化・宗教」の一環です。講師は国際関係学部准教授の鳥山純子先生。文化人類学とジェンダー論の視点から中東を研究されています。

 

「いきなりですがクイズです」と鳥山先生。「2022年FIFAワールドカップで中東アフリカ勢初のベスト4に勝ち進んだ国は?」

受講者は画面越しにリアルタイムで回答できる(公開講座 スライドより)

受講者は画面越しにリアルタイムで回答できる(公開講座 スライドより)

 

正解は……モロッコ! 鮮やかな赤と緑のユニフォームが記憶に残っている人もいるかもしれませんね。なかでも、チームを牽引したアシュラフ・ハキーミー選手は、欧州サッカーを見ている人にとってはお馴染みの存在(日本ではアクラフ・ハキミと呼ばれることが多いかも)。モロッコ出身の両親のもとにスペインで生まれ育ち、ヨーロッパ各国の強豪クラブで長年活躍している、世界No.1ディフェンダーのひとりです。

 

そんなハキーミーですが、2023年夏に女優の妻と離婚。そこで衝撃の事実が明らかになり、世界中の耳目を集めました。彼の当時の月収は、約1億6千万円! ハキーミーはこの給料のほとんどの額を、なんと母親の口座に送金していたのです。おかげで彼名義の財産は皆無に近い状態で、稼ぎが少ないほうの妻が逆にハキーミーに財産の半分を譲渡するはめになる可能性すら報じられているとか……。

 

ハキーミーはなぜ、自分の給料を母親に捧げていたのでしょうか。鳥山先生は彼の行動を、「モロッコ社会において理想とされる息子のあり方」と解釈できると言います。そして、この「マザコン」現象を生み出す中東社会の特徴として、「家父長制」というキーワードを挙げました。

2022年サッカーW杯にて。試合後にハキーミーがSNSに投稿した、母親とのツーショットと「ママ、愛してるよ♡」のメッセージ(ハキーミー選手のX投稿より)

2022年サッカーW杯にて。試合後にハキーミーがSNSに投稿した、母親とのツーショットと「ママ、愛してるよ♡」のメッセージ(ハキーミー選手のX投稿より)

家父長制は女性抑圧的か?

家父長制……少し難しい言葉です。ここで、鳥山先生が24年にわたり研究してきたエジプトを例に見ていきましょう。

茶色がエジプト、左の紫色がモロッコ(公開講座 スライドより)

茶色がエジプト、左の紫色がモロッコ(公開講座 スライドより)

 

エジプトの場合、家父長制とは、「男と年長者は女性と若い人を養いなさい。女性と若い人は男性と年長者の言うことを聞きなさい。そうすればみんなが幸せに生きていける」と考えるシステムだと鳥山先生は説明します。

 

そう聞くと、どうも女性抑圧的に感じます。エジプトの女性たちは嫌じゃないのでしょうか?「女性が弱い立場に置かれるのは事実」としたうえで、鳥山先生はこう指摘します。

「家父長制に参加すれば、女性は経済的にも身体的にも、あるいは信仰のうえでも守られるという面があります。例えば、妻には夫への従属と婚家(嫁ぎ先)への奉仕が義務付けられる一方、夫には妻の保護が義務付けられます。この保護というのは、名ばかりではありません。妻が結婚時点で父親から受け取っていたのと同等の経済的な扶養義務が課されるという判例まであるというのです。日本では無理ですね!」

 

加えて妻は、結婚後も生家(自分が生まれた家族)の男性成員から保護される権利を持ち続けます。

「自分の父親、男兄弟、祖父など、生家の男性に対して、『私を援助して』と言えるのです。日本の女性より守られていると言えるかもしれないですね。一方、男の人は大変です。妻と娘に加え、女兄弟、母、叔母などに対しても扶養義務があるわけですから」

エジプトに嫁いだ鳥山先生

実は鳥山先生、このエジプトの家父長制を内側から経験されています。

「中東のことが好きでどうしても行ってみたくなってしまったので、学部を卒業してすぐ、カイロに行きました。4ヶ月後にはエジプト人男性と結婚、娘を2人産みました」

いろいろな苦労話をユーモアたっぷりに話してくれた鳥山先生

いろいろな苦労話をユーモアたっぷりに話してくれた鳥山先生

 

先生の結婚相手は次男で、長男家族、三男家族、そして義理の両親の複数世帯で同居していたそう。

「結婚してわかったのは、嫁はいつまでも嫁の生家の人間だということ。つまり、その家の労働力であり働き手である一方で、嫁ぎ先の家族の一員とは認められないんです。ただ私の場合はエジプトに家族がいない可哀想な外国人ということで、孤児枠が例外的に適用されまして。『うちの娘でいいよ』みたいな感じになりました」

 

この「孤児枠」の適用、ただの気持ちの問題ではないのです。

「私が持って帰ってきた日本のお土産を夫が兄に渡したのですが、兄嫁がそれを自分の妹の子どもにあげてしまい、騒動になりました。夫の家の一員(私)が入手したものを、兄嫁が自分の実家に持ち出してしまった、つまりこれは嫁による物資の横流しなのです。誰が誰にものをあげるべきか、誰が誰からもらうべきか、厳格なルールが存在します」

 

先生のエピソードは続きます。「日本の法律上、娘の苗字が日本の戸籍では鳥山になったことが、あわや裁判沙汰の大問題に発展しました。父系制をとるエジプトでは、子どもの名前に夫の名前が続きます。日本でいえば苗字の場所に父親の名前が、さらにその先には祖父の名前が続きます。名前は、どの家のどの父親の子どもかを明らかにする言わば血統証明なのです」

 

「父親が誰か」が大事な中東社会において重視されるのが、女性の処女性です。女が父親不明の子を産むのを防ぐ、というわけですね。この発想から生まれているのが、エジプトで日常的に見られる男女の空間的隔離と、性別役割分担です。

 

「家族同士であれば空間的には隔離されませんが、同じ家庭でも、家事を担う女と外で稼ぐ男は別の社会に生きています。夫婦で話し合うという習慣はありません。私がフラストレーションを抱えていたとき、姑に聞かれたんです。『あなたは夫と話し合って何をするつもりか。男と話し合わないと解決しない物事ってなんだ』と。目から鱗でしたね」

 

姑をトップとする女社会でやはり発生するのが、姑の寵愛をめぐる嫁同士の戦い。必死に嫁競争に勝とうとした鳥山先生ですが、「外国人の私が全身全霊をかけてご飯を作ろうとしても、勝ち目はありません。というわけで私は早々に作戦を変更しまして、本来は男の役割である『外からお金を持ってくる』を実行します。すると姑にこれが認められ、『100人の男よりいい!』というお褒めの言葉をゲット。それまで夕飯でボソボソの手羽先がサーブされていたのが、もも肉に昇格しました!」鳥山先生、すごすぎる……!

鳥山先生とエジプトのご家族(公開講座 スライドより)

鳥山先生とエジプトのご家族(公開講座 スライドより)

 

家父長制はマザコン生成装置か?

男は仕事、女は家庭。徹底した性別役割分担は、もちろん子育てにも影響します。父親は家をあけることが多く、子どもの面倒を見るのは母親です。子どもが母とより親しくなるのは当然でしょう。

 

「子どもの利益を代弁する母vs稼ぎ手としての父」という衝突もマザコン度をアップします。

「『○○くんが空手を習いたいって』とお願いする母に対し、『そんな金はない』と父が突っぱねるという構図です。子どもたちからすれば、『ママはいつも自分の味方なのに、パパはそれを叶えてくれない』と見えます。ちなみに、アラブ世界に母の日はありますが、父の日はありません!」(鳥山先生)

 

では、なぜ女の子はマザコンにならず、男の子がマザコンになってしまうのか。理由は簡単。母が男の子をより大事にするからです。

「家父長制において、女性は男性との関係性のなかで生きています。自分の社会的立場や経済環境を決めるのは男性なのです。なかでも息子は、最も信頼できる男性親族。資源としての嫁を連れてくる存在でもあります。夫に対する寂しさを息子への愛情に向けることで、感情的に充足されている面もあるかもしれません」

 

ここで再びモロッコに目を向けてみましょう。エジプト男性のマザコンっぷりを肌で体感していた鳥山先生ですが、2022年に研究でモロッコに1年滞在して、モロッコ男性の「レベチ」なマザコンっぷりを目の当たりにしたそう。

 

「妻よりも母を大事にすることを、誰も憚らないのです。エジプトと比べると、ヨーロッパ的な自由恋愛が浸透しており、女性の経済的自立も可能で、社会における結婚の重要度も低いモロッコですが、マザコン度はエジプトの上。家父長制が弱まればマザコンがなくなるわけではないのです」

人気アーティストのミュージックビデオには、息子が母を後ろから抱きしめるシーンが。歌の内容にもよるけれど…(公開講座 スライドより)

人気アーティストのミュージックビデオには、息子が母を後ろから抱きしめるシーンが。歌の内容にもよるけれど…(公開講座 スライドより)

 

甘い言葉をささやかれ、花をプレゼントされ、愛されていると思って結婚した妻たちは、結婚後に夫から「母ファースト」の現実を突きつけられ、経済的にも養ってもらえず、自尊心もズタズタに……。モロッコの都市部の女性たちの多くは夫に対して腹を立てているんだとか。たとえどんな見た目でも「私の夫、本当にハンサムなの~!」と写真を見せてくれるエジプトの妻たちとは対照的だと鳥山先生は言います。

 

何がモロッコ男性のマザコン度を押し上げているのでしょうか。自由恋愛が浸透しているモロッコにおいては、「女にモテる俺」という男としての魅力が重要であり、その魅力を授けてくれた存在である母への恩義と忠誠が重視されていると鳥山先生は分析します。ハキーミーも、一流のサッカー選手に育て上げてくれた母への感謝の気持ちとして、自分の給料を渡していたのでしょう。

改めて冒頭のスライド。サッカーのモロッコ代表チームの記念写真には、母親たちの姿も(公開講座 スライドより)

改めて冒頭のスライド。サッカーのモロッコ代表チームの記念写真には、母親たちの姿も(公開講座 スライドより)

〈暮らし〉に目を向けるということ

ここまで、「イスラーム」という言葉が一度も出てこなかったことに気づいた人もいるかもしれません。鳥山先生は言います。

「私たちは中東やイスラームのことを考えるとき、『あの人たちは私たちと違う』『あの人たちはこういう人たち』というように考えがちです。相手を異質な存在として『他者化』し、レッテルを貼ってしまえば、多様な一人ひとりの存在を見落としてしまいます」

 

よく知らない相手を理解するために重要なのは、〈暮らし〉に目を向けることだと先生は話します。例えば、よく見聞きする「イスラームは女性抑圧的だ」という考えを、マザコンという、イスラームを生きる人たちの〈暮らし〉のレベルにまで落とし込んでみる。そうして、「大人の男が母親を大事にするのは女性抑圧的か」と捉え直してみる。そうすると、「自分が母親だったら嬉しい」「でも妻だったらイヤだろうな」「誰でも親を大事にするのはいいことなはず」と考えることが可能になる。自分の感覚と感情から出発すれば、生身の人間として、相手と向き合うことができるのではないでしょうか。

 

鳥山先生は、「家父長制は悪い」「マザコンは女性抑圧的だ」というような、わかりやすい正解を教えてはくれませんでした。その代わりに、〈暮らし〉というヒントをくれました。筆者は今、ヨーロッパに住んでいます。連日ニュースで報じられているのは、ガザの軍事侵攻と、ウクライナの戦争と、移民の問題と、社会の右傾化。立ちすくんでしまうこともあるけれど、「そこには常にひとりの人間がいること」を手掛かりに、混迷する世界と向き合っていきたいと思いました。

新鮮な北大牛乳がおいしさそのまま楽しめる!北海道大学の「北大マルシェCafé&Labo」へ行ってきた。

2024年2月1日 / 美味しい大学, 大学を楽しもう

粉雪吹きすさぶ12月の札幌。所用で北海道大学を訪れていた筆者は、白銀の世界に変わっていくキャンパスで、「北大マルシェCafé&Labo」という名の施設を発見した——。学食レポート、テンション高めでお送りします。

北大キャンパスで絞られる「日本の牛乳の元祖」、それが北大牛乳だ

北大マルシェCafé&Laboは、JR札幌駅の北口から徒歩約10分、北9条通の大学正門を入って右手に広がる森の奥にあります。

 キャンパス内を流れるサクシュコトニ川のほとりに立つ

キャンパス内を流れるサクシュコトニ川のほとりに立つ

 

店内に入るとまず目に飛び込んでくるのは、壁一面のガラス窓! 木々や川、小さな池に囲まれて、ここはまるで森の中。木のテーブルや板張りの床、赤いレンガ壁や天井からつるされたオレンジの電灯も、人里離れたログハウスに来たかのような居心地にさせてくれます。

 

お店のイチ押しは、何といっても「北大牛乳」です。北大牛乳とはその名の通り、北海道大学が札幌キャンパス内で飼育する牛の牛乳のこと。北大牛乳は市場に出回っていないため、ここ北大でしか飲めません。

 

しかもこの牛たち、北大がまだ札幌農学校だったころの1889年に日本へ初めて連れてこられたホルスタイン種の子孫にあたるそう。それってつまり、北大牛乳は「日本の牛乳の元祖」っていうことですよね? ……北大牛乳、貴重すぎませんか?

北大牛乳、衝撃のおいしさ

北大牛乳をそのまま飲めるだけでなく、様々な形で楽しむことができる北大マルシェCafé&Labo。メニューには、終日オーダーできるグランドメニューと、11:00〜14:00限定のランチメニューがあります。胃袋の助っ人として家族を引き連れてきた筆者、ランチメニューから「北大牛乳モッツァレラチーズハンバーグ」を、グランドメニューから「まるごと北大牛乳モッツァレラピザ」を、揺るがぬ決意で注文します(本当は「北の大地のパンケーキ」も食べたい)。

 

早速、ランチメニューにセットとして付いてくる北大牛乳が運ばれてきました。

北大牛乳(アイス/ホット)は単品注文も可能(500円)

北大牛乳(アイス/ホット)は単品注文も可能(500円)

 

パッと見たところ、何の変哲もない牛乳です。「まあ北大でとれたってところに価値があるわけで、味は別に普通でしょ」と思いながら飲んでみると……

 

「!?!?!?」

 

まず、瓶を口に近づけるだけで立ち昇る牛乳の匂いの濃さに衝撃を受けます。そして口に入れると、なんという舌触り……! 決してドロドロではなく、ザラザラでもない、しかし濃厚と呼ぶにはあまりに個性的な……。グッと飲み干しても、舌いっぱいにのしかかる、こってりとした甘み。と思ったら、急にスッと消えていった――。

 

これは、これは……“あらごし牛乳”だ!!!

成分無調整、低温殺菌、ノンホモジナイズド製法

なぜ北大牛乳はこんなにおいしいのか。その理由のひとつは、製造方法にあります。

 

第一に、脂肪分を除去したりビタミンを加えたりすることなく生乳をそのまま使う「成分無調整」であること。第二に、生乳本来のおいしさを保つため「低温殺菌」をしていること。120~150℃で1~3秒加熱する「超高温瞬間殺菌法」が主流であるのに対し、北大牛乳は63℃で30分間以上保持して殺菌されます。

 

三つ目の秘訣は、「ノンホモジナイズド製法」です。ノンホモジナイズドとは、「ホモジナイズ(均質化)」しないという意味。もはや当たり前すぎてあまり意識しないですが、私たちが普段飲む市販の牛乳は、サラサラした均一な液体ですよね。実はこれ、工場で生乳をふるいにかけて脂肪分(脂肪球)を細かく粉砕するというホモジナイズ加工の結果なのです。

 

ホモジナイズを施していない牛乳はどうなるかというと、時間がたつにつれ脂肪分が浮き上がって、表面にクリームの層(クリームライン)が形成されるのだそう。先ほど飲み干した牛乳瓶を見てみると……ほんとだ、クリームラインの跡と思われる輪っかが瓶の首に薄っすらできています(痛恨の写真撮り忘れ、みなさん是非ご自身の目で確認を)。

 

北大マルシェCafé&Laboでは、北大牛乳をおいしさそのまま届けるべく、「成分無調整、低温殺菌、ノンホモジナイズド製法」という、できるだけ手を加えない製法を選択しているのだそう。筆者が感じた牛乳の“あらごし感”は、この直球勝負がダイレクトに届いた結果だったんですね。こんなおいしい牛乳が大都会のど真ん中で楽しめるなんて、北大関係者や札幌市民のみなさんが羨ましいです。

四季でうつろう北大牛乳

おいしいことだけが北大牛乳の魅力ではありません。もうひとつの魅力、それは季節で味が変わるということです。

 

北大牛乳を生み出してくれる北大農場の乳牛たちは、夏は室外で放牧され、雪が積もる冬は牛舎の中で飼われています。夏は牧草地に生える青草を食べるのに対し、冬は青草を干した乾草や、青草などを発酵させたサイレージを中心に食べます。こうした季節ごとの食べ物の違いが、文字通り牛のお乳である牛乳の味、色、香りにも反映されるのです。その違いをひと言で表すと、「夏は爽やか、冬は濃厚」だそう。……私、夏にまた来てもいいですか?

夏は牛たちが草をはむキャンパス内の牧草地。北大マルシェCafé&Laboから徒歩約15分

夏は牛たちが草をはむキャンパス内の牧草地。北大マルシェCafé&Laboから徒歩約15分

 

店内に書かれたボードを見ると、今日の北大牛乳の乳脂肪率は4.51%、無脂乳固形分率(牛乳から水分と乳脂肪分を除いた成分)は9.11%だそう。市販の成分無調整牛乳の乳脂肪率は3.5%、無脂乳固形分率は8.3%前後というところ。冬の北大牛乳の濃厚さは、数値からもよくわかります。

北大牛乳モッツアレラチーズや北大牛乳ジェラートは、店内の工房「MILK LABO」で製造されている。だから店名が「Café&Labo」なのか!

北大牛乳モッツアレラチーズや北大牛乳ジェラートは、店内の工房「MILK LABO」で製造されている。だから店名が「Café&Labo」なのか!

 

北大牛乳、七変化

北大牛乳の魅力を力説していたら、文字数が足りなくなってきました。ここから北大牛乳グルメを一気にご紹介します。

北大牛乳モッツァレラチーズハンバーグ(1,980円)。北大牛乳とスープ付き。ライス(蘭越町産ななつぼし)またはパン(北大牛乳ホエーブレッド)を選択できる。肉の旨みがつまったハンバーグ、甘みの強い道産野菜、モチモチのパンに顔がほころぶ

北大牛乳モッツァレラチーズハンバーグ(1,980円)。北大牛乳とスープ付き。ライス(蘭越町産ななつぼし)またはパン(北大牛乳ホエーブレッド)を選択できる。肉の旨みがつまったハンバーグ、甘みの強い道産野菜、モチモチのパンに顔がほころぶ

まるごと北大牛乳モッツァレラピザ[1日5食限定](2,000円)。見よ、このチーズの海を! 「あ、このピザおいしいやつだ」と一目でわかる生地の焼き上がり

まるごと北大牛乳モッツァレラピザ[1日5食限定](2,000円)。見よ、このチーズの海を! 「あ、このピザおいしいやつだ」と一目でわかる生地の焼き上がり

冬の北大キャンパスの雪景色をイメージした、北大マルシェの白いパフェ(1,280円)。中には北大牛乳ジェラートとソフトクリームとりんごバターと……後は食べたときのお楽しみ!

冬の北大キャンパスの雪景色をイメージした、北大マルシェの白いパフェ(1,280円)。中には北大牛乳ジェラートとソフトクリームとりんごバターと……後は食べたときのお楽しみ!

こちらはホットの北大牛乳カフェラテ(660円)。エスプレッソとミルクが別添えという憎い演出。札幌発のコーヒースタンド「BARISTART COFFEE」が北大牛乳に合う豆を焙煎。コーヒーには厳しい筆者、一口飲んで、その華やかさに唸りました

こちらはホットの北大牛乳カフェラテ(660円)。エスプレッソとミルクが別添えという憎い演出。札幌発のコーヒースタンド「BARISTART COFFEE」が北大牛乳に合う豆を焙煎。コーヒーには厳しい筆者、一口飲んで、その華やかさに唸りました

 

お腹も心も満たされて周りを見渡すと、外国からの観光客と思しき方々がたくさん来店されています。ここでしか体験できない北大牛乳は、確かに札幌観光のマストと言えるでしょう。すっかり北大牛乳の虜になってしまった筆者。もっとたくさんの人にその魅力を伝えたい――僭越ながらも筆者はそんな思いを込めて、このレポートを書かせていただきました。

店内にはジェラート、モッツァレラチーズ、クッキーといった北大牛乳の加工品や、こだわりの道産商品が購入できるショップを併設

店内にはジェラート、モッツァレラチーズ、クッキーといった北大牛乳の加工品や、こだわりの道産商品が購入できるショップを併設

 

【おまけ】北大でスイーツ巡り

北大には他にもおいしいカフェがあります。北大でスイーツ巡り、楽しいですよ。

大学博物館内「ミュージアムカフェ ぽらす」にて、「西興部村のソフトクリー夢」(450円)

大学博物館内「ミュージアムカフェ ぽらす」にて、「西興部村のソフトクリー夢」(450円)

正門入ってすぐ左、「カフェdeごはん」の「北大牛乳のソフトクリーム」(500円)と「ハーベストムーン 自家製ほろにがプリンにアイスを添えて」(700円)

正門入ってすぐ左、「カフェdeごはん」の「北大牛乳のソフトクリーム」(500円)と「ハーベストムーン 自家製ほろにがプリンにアイスを添えて」(700円)

 

【出典】

北大牛乳については、北大マルシェCafé&Laboの宮脇店長のブログ「Miyawaki Blog」を参考にさせていただきました。北大牛乳の歴史や魅力をもっと知りたいかたは、ぜひブログを読んでみてください!

Miyawaki Blog: https://marche-mywk.com/

 

世界の大学!第12回:ニューヨークのコロンビア大学で、キノコの見分け方の今昔を学ぶ。

2023年12月14日 / 海外大学レポート, コラム

キノコって、不思議な魅力がありますよね。ときにはその毒で人を死に至らしめる危険な食べ物でありながら、お菓子のモチーフになったり、生地や小物の模様になったり、映画や文学でキーアイテムとして登場したり……。ニューヨークを訪れていた筆者は、コロンビア大学でキノコに関する公開講座が行われるという情報を入手。見知らぬ土地でのイベントに胸を躍らせながら、参加してきました。

「鉄の胃袋を持つオヤジ」マッキルベイン

公開講座「キノコの見分け方(How to Identify a Mushroom)」が行われたのは、ニューヨーク・マンハッタンの北西に位置する、名門・コロンビア大学。去る11月15日の夜に、同大学科学社会センター(Center for Science and Society)が主催する「ニューヨーク科学史講座シリーズ(New York History of Science Lecture Series)」の一環として行われました。


講師は、科学史を専門とするブラッド・ボールマン(Brad Bolman)博士。著書『ドッグ・イヤー:ビーグル犬学の歴史(The Dog Years: A History of Beagle Science)』では、アメリカにおいてビーグル犬が研究室の実験動物として盛んに利用されるようになる過程を検証しています。こちらもとても面白そうです。

開場はこぢんまりとしたセミナー室で、参加者は約20人。講座の様子はライブ中継もされており、30人ほどがオンラインで参加(講座スライドより)

開場はこぢんまりとしたセミナー室で、参加者は約20人。講座の様子はライブ中継もされており、30人ほどがオンラインで参加(講座スライドより)

 

今回の講座は、「キノコをどう見分けるか」というキノコの判別方法自体ではなく、「キノコはどう見分けられてきたか」というキノコの判別方法の歴史がテーマです。

 

英語圏で初めて書かれた総合的なキノコ判別ガイドブックのひとつとしてボールマン先生が挙げたのは、1900年に初版が出版された『アメリカのキノコ1000(One Thousand American Fungi)』。「食べられるキノコの選び方と調理法、毒のあるキノコの見分け方と避け方」という副題から伺えるように、この本はキノコ狩りを楽しむ素人向けに書かれたものです。

 

この本の著者は、チャールズ・マッキルベイン(Charles McIlvaine)。彼は専門的な教育を受けた植物学者や菌類学者ではなく、アメリカの南北戦争で大尉の位に就いていた軍人で、退役後にキノコに魅了されて“専門家”になったそう。マッキルベインは、現在では毒キノコと認識されるようになった数多くのキノコを平気で食べており(!)、「鉄の胃袋を持つオヤジ(Old Iron Guts)」というニックネームを付けられるほどだったとか。

左:チャールズ・マッキルベイン 右:マッキルベイン 『アメリカのキノコ1000』

左:チャールズ・マッキルベイン 右:マッキルベイン 『アメリカのキノコ1000』

 

マッキルベインは読者に、自分の目でキノコの外観や胞子の色をよく確かめ、本に記載の説明文と照らし合わせて種類を特定するよう、呼び掛けています。

 

マッキルベインの著作をはじめとし、20世紀初頭のアメリカで刊行されたキノコ判別ガイドブックが斬新だったのは、挿絵が豊富にあるということでした。なんと、それまでの“キノコ本”は基本的に文章だけだったのです。

 

「図版は絶対に必要」と考えたマッキルベインはキノコの絵を自分で何枚も描き、著書に掲載しました。そのせいで出版費用は当初予定していた金額を大幅に超えてしまい、私費を投じざるを得なかったそうです。その額、当時の$3000、つまり現在の$87,000=約1300万円!

マッキルベインによるキノコの図版。「正確さのために芸術性を犠牲にしなければいけなかった」とマッキルベインは釈明していますが、十分に芸術的です。

マッキルベインによるキノコの図版。「正確さのために芸術性を犠牲にしなければいけなかった」とマッキルベインは釈明していますが、十分に芸術的です。

 

「色」の問題

カラー図版があればキノコの判別も精度が上がりそうだと思いますよね。しかし実は、この「色」というのはかなり厄介な問題だったとボールマン先生は指摘します。

 

なぜなら、「どの色を何色と呼ぶか」の基準が当時はまだ決められていなかったから。確かに、「その色がどんな色か」を言葉で意思疎通するのは物凄く難しそうです。

 

国や言語の違いを超えた色彩の規格化は、19世紀後半から20世紀前半にかけての植物学や動物学などにおける喫緊の課題で、多くの研究者がこの難問に取り組みました。その一人が、イタリアの植物学者ピエール・アンドレア・サッカルド(Pierre Andreas Saccardo)です。サッカルドは1891年に『クロモタキシア(Chromotaxia)』を出版し、この世に存在する色を50に分け、それぞれにラテン語と英・仏・独語の名前をつけました。

サッカルドの色彩チャート

サッカルドの色彩チャート

 

しかし、サッカルドの色彩チャートは、「たったの50色では自然界の色を正確に表現できない」という反論を受けます。同時代の他の学者たちは、色をより多くの種類に分類したり、「色は名前でなく番号で呼ぶべき」だと主張して色に数字だけをふったりと、様々な方法を考案します。

 

ただ、色の識別にはもうひとつ大きな問題がありました。それは……紙に印刷した色のサンプルが、月日が経って色あせ、変色してしまうこと!すでに実用化されていたカメラは被写体を客観的に捉える道具だと目されるようになっていましたが、そのカメラをもってしても、色を正確に写し取るのはまだ至難の業でした。結局、色の国際標準化はさらなる年月を要することになりました。

世界的キノコ愛好家ネットワーク

この時代、積極的にカメラでキノコの写真を撮影していたのが、アメリカ人のカーティス・ゲーツ・ロイド(Curtis Gates Lloyd)です。

マッキルベインの友人でもあったロイドは、独学で真菌学を学び、家業の製薬業で得た富をキノコ研究につぎ込んだ

マッキルベインの友人でもあったロイドは、独学で真菌学を学び、家業の製薬業で得た富をキノコ研究につぎ込んだ

 

ロイドは、世界中のキノコ愛好家たちに地元でとれたキノコのサンプルを送るように呼び掛け、それらを写真に撮り、自身が刊行する雑誌『真菌学ノート(Mycological Notes)』で公開、この雑誌を愛好家らに郵送するという活動を長年にわたり続けました。希望があれば、送られてきたキノコの種類を特定して返信までしていたそう。同じキノコに違う名前が付けられるという分類上の問題と格闘しながらも、ロイドはこの一連のサービスをすべて無料で提供していました。

 

こうして、英領インドの官僚、ブラジルの聖職者、ニュージーランドの小学校教師兼植物学者、そして日本のアマチュアまで、世界の幅広い地域から様々なキノコがアメリカにいるロイドのもとに送り届けられ、各地のキノコの知見が世界中のキノコ愛好家と共有されました。それまで博物館や大学も同様の取り組みを行ってはいましたが、これだけ大きなネットワークが、しかも市民レベルで展開されるのは類のないことだったそうです。

左:ロイド『真菌学ノート』1902年4月号表紙 右:『真菌学ノート』1904年6月号より イングランドから送られてきたキノコの写真

左:ロイド『真菌学ノート』1902年4月号表紙 右:『真菌学ノート』1904年6月号より イングランドから送られてきたキノコの写真

 

マッキルベインやロイドの後、科学技術の進歩とともに真菌学は大きく発展しましたが、それでもキノコは“知れば知るほど謎が深まる”存在で、わからないことだらけだそうです。また、インターネットやSNSといった革新的な情報共有プラットフォームや、AIによるキノコ判別アプリなどの真新しい技術が生まれた今でもなお、「自分の目でよく見ること」がキノコの見分け方の核心であり続けているともボールマン先生は指摘し、約1時間のレクチャーを締めくくりました。

 

レクチャーの後は、30分ほどの質疑応答へ。会場からだけでなくオンラインで参加している方からもたくさん手が上がり、ボールマン先生がキノコを研究テーマにした理由、西洋以外におけるキノコの専門知の蓄積、キノコがゴミを分解して環境問題改善に貢献する可能性など、多様な視点から活発なディスカッションが行われました。

 

人類がキノコに傾けてきた情熱を垣間見て、おおいにキノコ・ロマンが掻き立てられた筆者。私もガイドブック片手に、キノコ狩りしてみようかなあ!

 

謝辞:本レポートの執筆にあたっては、コロンビア大学のスタッフの方々、およびボールマン先生に直々にご協力いただきました。ありがとうございました!

講座終了後もたくさんの質問を受けるボールマン先生

講座終了後もたくさんの質問を受けるボールマン先生

 

世界の大学!第11回:中欧最古!チェコはプラハのカレル大学に行ってみた。学食、植物園、書籍部も

2023年11月30日 / コラム, 海外大学レポート

皆さんは、プラハに行ったことがありますか?

 

プラハは、ドイツやポーランドと接する中欧の国・チェコの首都。丘の上にそびえるプラハ城、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋、どこまでも広がるオレンジ屋根の旧市街……「世界で最も美しい街」との呼び声も高いプラハは、ヨーロッパの一大観光地でもあります。小説家フランツ・カフカの街、というイメージをお持ちのかたも多いでしょう。

ヴルタヴァ川とカレル橋、プラハ城

ヴルタヴァ川とカレル橋、プラハ城

 

でも、そんなプラハに、ヨーロッパ屈指の歴史を誇る大学があるって、皆さんご存知でしたか?普段はチェコのお隣オーストリアに住んでいる筆者。噂を聞きつけて、「中欧最古」のカレル大学(チェコ語:Univerzita Karlova)に行ってきました!

まずは大学の本屋さんへ

まずは、プラハ旧市街のど真ん中、お土産屋の立ち並ぶツェレトナー通りにある、カレル大学の本屋さんへ。日本でいう「大学書籍部」であるとともに、カレル大学出版会の直営書店でもあります。

建物正面に書かれた大学名と校章が目印

建物正面に書かれた大学名と校章が目印

 

大きなランプに照らされた明るい空間に、本がところ狭しと並べられています。店員さんに写真を撮ってもいいか聞いたら、「そんなこと聞いてくれた人は今年になって初めてですよ」と快諾してくれました。

カレル大学のグッズも勢揃い

カレル大学のグッズも勢揃い

入り口を入って左手は学術書のコーナー

入り口を入って左手は学術書のコーナー

 

大学書店ということで学術書を多く取り扱っていますが、広く一般向けの書籍や絵本、英語で書かれたプラハのガイドブック、お土産にしたい文房具やポストカードなども充実しています。観光客と思われる方々も、ひっきりなしに訪れていました。

 

ここまで読んで、「あれ?」と思った人がいるかもしれません。——そう、カレル大学には「キャンパス」がないのです。

 

日本の大学には、壁や門で学外の空間と区切られた広いキャンパスがあることが一般的ですよね。一方ヨーロッパでは、日本のような意味でのキャンパスを持たない大学が多いのが特徴です。カレル大学もそうした大学のひとつで、大学の建物が街のあちこちに点在しています。プラハを歩いていると、「これもカレル大学!」「ここにもカレル大学!?」という具合に、本当にたくさんの大学施設を発見できます。

大通りに面したカレル大学教養学部

大通りに面したカレル大学教養学部

いざ、学食へ潜入!

そろそろお腹も空いてきたので、旧市街を歩いて南へ抜けて、プラハ大学の学食をめざします。

地図を見ながらたどり着いた建物は、ドアが閉まっていて、あまり人の気配もありません……本当にここに学食が……と不審に思うも、勇気を出して重いドアを押し開けると……ありました!

訪問時は12:30。お昼時で大賑わいの店内

訪問時は12:30。お昼時で大賑わいの店内

 

早速モニターで今日のメニューをチェックしましょう。

英語表記もあるので安心。ベジタリアンメニューも

英語表記もあるので安心。ベジタリアンメニューも

 

学外者は、先にレジで代金を支払ってからカウンターに並び、給仕スタッフにレシートを見せて注文します。チェコ語も話せず注文の仕方もわからず右往左往していた筆者ですが、スタッフの皆さんがとても優しくしてくれました。

 

注文したのは、ブロッコリーのクリームスープ、ミートローフのスヴィーチュコヴァー、マスのグリルとポテト。ケーキやサラダバーもありましたよ。紅茶とベリーティーは無料。お茶大国チェコならではのサービスですね。それでは、いただきます!

ミートローフのスヴィーチュコヴァー120.33チェコ・コルナ(Kč)(約780円)、スープ22Kč(約143円)

ミートローフのスヴィーチュコヴァー120.33チェコ・コルナ(Kč)(約780円)、スープ22Kč(約143円)

 マスのグリルとポテト136.54 Kč(約890円)

マスのグリルとポテト136.54 Kč(約890円)

 

おお、美味しい!見た目に反してマイルドな味付けで、嬉しい驚きです。スヴィーチュコヴァーとは、牛肉とクネドリーキにクリームソースがかけられたチェコの伝統料理。クネドリーキは写真で4枚重なっている白い添え物のことで、これまたチェコ名物の、蒸しパンならぬ茹でパン(!)です。フカフカしていて美味しいですよ。

 

学食とあって、値段も安いです。街中で同じものを食べる2倍近くはするのではないでしょうか。カレル大学の学生はこの値段から約3割引なので、さらにお得。安い・早い・美味いとくれば、この人気ぶりも納得です。

 

利用者はやはり学生が中心のようですが、教職員や、近くの地下鉄駅で働く方々もいました。観光客らしき人はいませんが、皆こちらを気にすることなく、黙々と食べています……と思っていたら、隣に座っていた学生さん2人が、「何語を話しているんですか?」と声をかけてきてくれました。聞くと、「カレル大学には食堂がいくつかあるけれど、ここが一番クールだ」とのこと。確かに、清潔で雰囲気も明るく、とてもクールな学食です!

昼下がり、大学の植物園を散歩

大満足の昼食後、今度はトラムに揺られて15分、理学部の植物園へ向かいます。

 

3.5ヘクタールの敷地内には大学の教育研究施設もありますが、大部分が一般に公開されています。木々がうっそうと生い茂る敷地は、植物園というよりも、広々とした公園という感じ。高低差があって、散歩がはかどります。

季節の企画展や、写生教室、野良猫の引き取り会など、一般向けのイベントも多数

季節の企画展や、写生教室、野良猫の引き取り会など、一般向けのイベントも多数

 

植物園の設立は1775年で、ヨーロッパで最も古い大学植物園のひとつ。歴史ある貴重なコレクションを保有しており、なかには樹齢130年にのぼるヤシ、ソテツ、イチョウもあります。

 

訪問した当日は秋晴れで、木々が色づき始めたころ。観光客でごった返す街の中心部とはうって変わって、あたりはとても静かです。下校中の子どもたち、ベンチで本を読む若者、語り合うカップル、温室の熱帯魚に歓声を上げる親子連れ、大きな木を見上げるお年寄り……。みんな思い思いの昼下がりを過ごしていました。

公園は入園無料。温室は有料(大人100 Kč(約650円))

公園は入園無料。温室は有料(大人100 Kč(約650円))

カレル大学の、長い長い歴史

カレル4世により神聖ローマ帝国で最初の大学としてカレル大学が創設されたのは、1348年のこと。アルプス以北・パリ以東で最初の総合大学であったことが、「中欧最古」の大学と呼ばれる由来です。長い歴史のなかで、宗教改革者のフス、理論物理学者のアインシュタイン、チェコスロヴァキア共和国初代大統領のマサリクなど、多くの歴史的人物がその教壇に立ってきました。

 

ハプスブルク帝国のもとで繁栄と変革を遂げ、ドイツのナチス政権により迫害され、社会主義政権により教育研究活動を統制されたカレル大学。20世紀後半に起きた「プラハの春」と「ビロード革命」では、民主化を求める大きなうねりの震源地となりました。

 

今回は残念ながら、大学博物館と大学本館は改修工事中で訪問できませんでしたが、プラハの街を歩いているだけで、大学の長い長い歴史の一端を垣間見ることができた気がします。

 

街に織り込まれ、街に溶け込み、街とひとつになった大学——カレル大学は、そんな場所でした。

カレル大学とつながりの深いクレメンティヌムの天文塔から、ティーン教会を望んで

カレル大学とつながりの深いクレメンティヌムの天文塔から、ティーン教会を望んで

 

※日本円表記は、2023年10月訪問時のレート(1チェコ・コルナ=約6.5円)に基づいて算出しています。

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