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研究者の質問バトン(5)宇宙エレベーターは実現できるの?

2022年4月26日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

 

研究者の素朴な疑問を数珠つなぎに解決してゆく質問バトン。前回、東京家政大学の藤井修平先生からおあずかりした質問は「軌道エレベーターは実現できるの?」でした。軌道エレベーター、または宇宙エレベーター(※)といえば、SF小説やアニメが好きなら一度は目にしたことがあるはずの夢の宇宙技術。実現すれば宇宙がぐっと身近になると言われています。もし、生きているうちに宇宙旅行ができるとしたら……考えるだけでも体がフワッと宙に浮いてしまいそうです。

※なお、近年は宇宙エレベーター(space elevator)という表記が一般的になっているため、記事中の表記も「宇宙エレベーター」で統一させていただきます。

 

ということで今回は、宇宙エレベーターについて研究されている東海大学の佐藤実先生にお話を伺いました。

大富豪じゃなくても宇宙旅行に行けるようになる!?

――今日は宇宙エレベーターについてお聞きしたいのですが、佐藤先生はどのような視点から宇宙エレベーターを研究されているのでしょうか?

 

宇宙エレベーターについてはものづくりの研究をイメージされる方が多いかもしれませんが、私は理論の面から宇宙エレベーターの実現性や課題を検証することが専門です。実は最近、いろいろな事情で地球上に宇宙エレベーターを造るのは今のところかなり困難だということがわかってきたんです。私の目下の研究としては、地球以外の天体、具体的にいうと小惑星に宇宙エレベーターを造る可能性を探っているところです。

 

――おっと、出だしから予想外の展開です。どうして地球では難しいのか、そしてどうして小惑星なのか、じっくりお聞きしたいところですが……その前に、そもそも宇宙エレベーターってどういうものなのか教えていただけますか?

 

簡単に言うと、宇宙エレベーターとは地球の静止軌道(※)上に作ったステーションから地表に長いケーブルを垂らして、クライマーと呼ばれる乗り物で上り下りするという輸送方法です。エレベーターという名前ですが、ケーブル自体を引っ張り上げるわけではなく、動力を備えたクライマーがケーブルをつたって移動する仕組みなので、どちらかというと電車に近いですね。宇宙列車と呼ばれることもあります。

※地球の自転速度と、人工衛星などの地球に対する公転速度が一致する赤道上空の軌道。地上から静止軌道上の衛星を見上げると、いつでも空の同じ場所に静止して見える。

宇宙エレベーターの構成。地球の重力と釣り合いを取るため、10万kmのケーブルの先におもりをつけて引っ張る。軌道カタパルトについては後述。(佐藤実『宇宙エレベーター その実現性を探る』p17をもとに作成)

宇宙エレベーターの構成。地球の重力と釣り合いを取るため、10万kmのケーブルの先におもりをつけて引っ張る。軌道カタパルトについては後述。(佐藤実『宇宙エレベーター その実現性を探る』p17をもとに作成)

 

――宇宙に行く手段としてロケットがありますが、宇宙エレベーターはそれよりも優れているのでしょうか?

 

宇宙エレベーターが優れている点はいくつかありますが、まずは安全性ですね。噴射で加速度を得て一気に宇宙に到達しなければならないロケットと違い、宇宙エレベーターはケーブルがあるので、途中で止まったり、トラブルがあれば引き返したりすることもできます。

 

次に費用です。ロケットは打ち上げのたびに大量の燃料を必要としますが、宇宙エレベーターは造るのが大変なぶん、一度造ってしまえばずっと安価に運用できます。ちなみに、ケーブルの上を上り下りするクライマーの動力源としては、人工衛星に設置したソーラーパネルで宇宙太陽光発電を行い、そのエネルギーをレーザーでクライマーに届ける方法が有力視されています。

 

3つ目は輸送量です。ロケットは重たい推進剤をどんどん機外に噴射しながら宇宙に到達するので、最終的に宇宙まで運べるものの質量はかなり限られています。一方、宇宙エレベーターは、原理的にはケーブルを太くすればするだけ重いものを宇宙に届けることできます。輸送という点でいうと、悪天候に左右されづらいこともメリットですね。

 

――安全に、安価に宇宙と地球を行き来できるわけですね。民間の宇宙ロケットの登場で宇宙旅行が随分身近になったとはいえ、今のところは宇宙飛行士でなければ、選ばれし大富豪ぐらいしか宇宙に行けません。

 

そうですね。かつては宇宙に1kgのものを送るのに100万円ほどかかると言われていましたが、スペースXなどの民間企業の参入によって今では数十万円までコストダウンしてきています。宇宙エレベーターが実現すればさらに安く、1kgあたり1万円で輸送が可能になると言われています。これは大雑把な計算ではありますが、実現すれば今とは比較にならないほど多くの人が地球と宇宙を行き来できるようになるのは間違いないでしょう。

 

――単純に体重×1万円で計算すれば……数十万円で宇宙に行けてしまう!

ロケットと宇宙エレベーターの比較

ロケットと宇宙エレベーターの比較

 

宇宙旅行が身近になるだけではありません。実は、宇宙ステーションは人類をさらに遠くまで連れて行ってくれるんです。

 

宇宙エレベーターのケーブルは静止軌道を越えて、地上10万kmまで伸びています。地球の自転に連動して回転するので、ケーブルの先に行けば行くほど高速で回転していることになります。そこで、ケーブル上のある程度高いところからタイミングを見計らって探査機を離してやると、それだけで地球の引力を振り払うのに十分な速度が得られるわけです。この「軌道カタパルト」という方法を使えば、火星へも従来よりもずっと簡単に探査機を飛ばすことができます。さらに少し燃料を積んでやると、太陽系を脱出して系外惑星の探査だって可能です。

 

――地球の自転をハンマー投げのように利用するわけですね。おもしろい! 探査機を遠くまで飛ばす際に、近くにある惑星のそばを横切って勢いをつけるスイングバイという航法がありますよね。それとちょっと似ているような。

 

どちらも惑星の回転運動を利用して速度を得るという点では似ていますが、軌道カタパルトは自転運動を、スイングバイは公転運動を利用しているという違いがあります。他の惑星に寄り道する必要があるスイングバイよりも、軌道カタパルトを使うほうが早く目的地に到達できる場合もあるでしょうね。

ブレイクスルーの鍵は、カーボンナノチューブの長尺化

――宇宙エレベーターの研究はこれまでどのように進んできたのでしょうか?

 

静止軌道から地表にケーブルを伸ばすという宇宙エレベーターの着想は、1960年にソ連のアルツターノフという科学者が発表しています。このアイデアはSF小説などのフィクションの世界に取り入れられました。かくいう私も、子供の頃にそんな小説を読んで宇宙エレベーターに心を惹かれた一人です。ですが、当時はケーブルに使えそうな軽くて丈夫な素材が存在しなかったため、宇宙エレベーターは実現不可能な夢物語として扱われていました。

 

大きな転機となったのは、1991年にカーボンナノチューブが発明されたことです。カーボンナノチューブは、炭素原子が共有結合という非常に強力な力で結びついてできた筒状の構造を持つ素材で、圧倒的な軽さと丈夫さを兼ね備えています。この発見によって、宇宙エレベーター構想がにわかに現実味を帯びはじめました。1999年にNASAで開催された「高度な宇宙インフラに関するワークショップ」で、ついに宇宙エレベーターの実証性についての検討が行われました。翌年には、NASAの助成を受けた科学者のブラッドリー・C・エドワーズが「エドワーズ・モデル」と呼ばれる宇宙エレベーター構想を発表し、これが現在に至る宇宙エレベーター研究の主流となっています。

 

21世紀に入って、さまざまな分野で宇宙エレベーターの実現をめざす研究が始まりました。近ごろは宇宙開発もビジネスの場になりつつあるので、まだまだ実現性が不透明な宇宙エレベーターはメジャーな研究分野とは言えませんが、その中で日本は研究が盛んな国の一つと言えるでしょう。

 

――実現に向けて、技術的にはどんな課題があるのでしょうか?

 

科学技術面で一番大きな課題は、カーボンナノチューブの長尺化、つまり長くすることです。今のところ、カーボンナノチューブは数cmから十数cmの長さまでしか作ることができていません。これを10万kmまで延ばすためには、短いカーボンナノチューブどうしを共有結合でくっつけるような全く新しい技術が必要になります。この方法が発見されれば、それがブレイクスルーとなって一気に研究が加速するでしょう。

 

宇宙エレベーターの研究者たちはこのブレイクスルーをただ待っているわけではありません。クライマーの開発やカーボンナノチューブを宇宙空間に曝露させる実験、宇宙でケーブルを延ばす実験など、今できる研究を着々と進めながらブレイクスルーに備えているんです。

小惑星から第一歩を踏み出す

――技術的な課題があることはわかりましたが、最初に「地球上では実現が難しい」とおっしゃっていたのには別の理由もあるのですか?

 

それはですね、宇宙での安全上の問題です。地球のまわりには、宇宙飛行士が常駐している国際宇宙ステーションや、10000機を超える人工衛星が存在します。そんなところに10万kmにおよぶケーブルを漂わせていたら、いくら安全に配慮して運用したとしても、いつか衝突してしまうという可能性も理論上はないとはいえません。今後、宇宙空間でのルールが整備されていくことを考えたときに、この点が宇宙エレベーターにとって大きなネックになりそうです。

 

安全性を証明するためには実証実験などの実績を積む必要があります。しかし、宇宙空間でケーブルを長く伸ばすこと自体が現在すでに人工衛星の運用ルールに引っかかってしまうので、本格的な実験にすら着手できないという状況なんです。

10万kmものケーブルを宇宙空間で安全に運用するのは大変。

10万kmものケーブルを宇宙空間で安全に運用するのは大変。

 

――うーん……たしかに対策が難しい問題ですね。

 

ただ、これは具体的な運用が視野に入るところまで研究が進んできたからこそぶつかった壁ともいえます。今できる研究をさらに進めて、宇宙エレベーターの安全性や有用性が実証されれば、将来的には状況が変わるかもしれません。そこで浮かんでくるのが、地球以外の場所で宇宙エレベーターを活用する可能性です。

 

――それが、最初におっしゃっていた小惑星ですね。

 

そのとおりです。手近なところでは月がありますが、おそらく数十年のうちには月面にも人が常駐するようになるでしょうから、少し難しい。次に火星も有力な候補ですが、私としてはまずは小惑星がちょうど良いと考えています。小惑星の探査は「はやぶさ」のミッションでも注目されましたよね。小惑星にはレアメタルなどの貴重な資源が眠っているので、これを採掘できれば経済的なメリットにつながります。小惑星の大きさにもよりますが、将来的には、採掘した資源を小惑星の表面から宇宙船まで引き上げるのにも宇宙エレベーターが使えると考えています。

 

――経済的にわかりやすいメリットがあるのは大きなポイントかもしれませんね。実現できそうなのでしょうか?

 

資源の掘削と引き上げはまだハードルが高いのですが、探査機と小惑星をケーブルで繋ぎ、探査機が小惑星のまわりを効率よく移動するために使うのならば技術的にはすぐに実現できると思います。試算してみると、この用途であれば既存の材料と技術で実現可能なことがわかりました。次はこれを実際の小惑星探査のニーズに落とし込めるように考えていきたいと思っています。

 

――なんだか一気に現実味が増した感じがしますね。

 

みなさんが思い浮かべるような宇宙エレベーターにはまだまだ遠いものの、そこに至る階段を一段ずつ着実に上っているところです。

 

宇宙エレベーターの開発は早いもの勝ちなので、すべての条件が整うまで手をこまねいていては乗り遅れてしまいます。宇宙エレベーターが実現したときに、お客さんとして乗せてもらうのか、運賃を決める側になるのかでは全然違いますよね。繰り返しになりますが、競争に乗り遅れないために、今できることから一歩でも二歩でも研究を進めていくことがとても重要なんです。

宇宙エレベーターは「人類共通の目標」になるか?

――いろいろな課題をお聞きしてきましたが、それらを乗り越えてもし地球上で宇宙エレベーターが実現できるとすれば、いつ頃になりそうでしょうか?

 

そうですね、さきほど挙げたような課題がクリアできたとして、カーボンナノチューブのブレイクスルーが起こってから10年から30年後といったところでしょうか。

 

ただ、もう一つ大きな問題があります。それは、宇宙エレベーターは国際協調なしでは決して実現できないということです。技術的には一国で建造可能だとしても、宇宙に拠点ができること自体が他国にとって大きな脅威になるからです。モノを自由落下させるだけでも強力な兵器になりますからね。そんなスタンドプレーを他国が許すでしょうか? だから、今のように国際情勢が緊迫している限りは、残念ながら実現は夢のまた夢でしょうね。

 

――現在運用されている国際宇宙ステーションはまさに各国の共同ミッションの賜物ですが、ロシアのウクライナ侵攻で暗雲が立ち込めていますね。時代が一気に逆行してしまった感があります……。

 

各国が手を取り合って宇宙エレベーターを実現するためには、ただ造るだけではなく、その先に人類共通の目標を持つことができるかどうかが鍵になるでしょうね。たとえばエネルギー問題に貢献することがひとつの回答になるのではないでしょうか。

 

クライマーの話でも出てきた宇宙太陽光発電は、二酸化炭素を出さず、地上よりも安定して発電できる優秀な発電方法なのですが、太陽光パネルを宇宙空間まで運ぶために莫大なコストがかかります。宇宙エレベーターが実現すればこの点はクリアできるので、地球上に莫大なエネルギーを届けることができるようになるかもしれません。いかに世界の人々の幸せに貢献できるかという視点こそが、宇宙エレベーターにも求められているように思います。

佐藤先生の素朴な疑問は?

――ところで、もし地球上で宇宙エレベーターが実現したとして、佐藤先生が宇宙でやってみたいことはありますか?

 

そうですね、宇宙飛行士の自伝なんかを読むと、宇宙に行くことで考え方が変わったり、宗教的な体験をしたというような方がけっこういらっしゃるんですよね。自分がもし宇宙に行けたとして、意識や感覚に変化が起こるかどうかが気になりますね。

 

――宇宙から地球を見ると、そのかけがえのなさに気がついて考え方がガラッと変わるというような話は聞いたことがあります。

 

もっと遠く、太陽の光もほとんど届かないようなところまで行けたらどうでしょうか。もしかしたら想像もつかない感覚に目覚めるかもしれません。それこそ機動戦士ガンダムに出てくる「ニュータイプ(新人類)」のような……。

 

そこまでいかなくても、宇宙エレベーターが実現したら一般の人がアトラクションとして無重力飛行を楽しめるようになるでしょうね。途中まで昇って、そこから帰還船に乗り換えて自由落下すればいいんです。実は私も飛行機で無重力を体験するツアーに参加したことがあるんですが、あれはすごく気持ちいいんですよ。

 

――まさに未知の感覚。おもしろそうだなぁ。ぜひ体験してみたいです!

 

ところで、私は子供の頃からずっと疑問に思っていることがあるんです。

 

――はい、ぜひ聞かせてください。

 

ちょっとうまく言葉にしづらいのですが、「私は…」と考えている「私」とは何かということです。先ほど宇宙空間での意識の変容を体験してみたいという話をしたところですが、普段私たちは「私」という枠組みの中でまわりの世界を認識して、あるいは頭の中で考え出した数式などを使って理解しているわけですよね。たとえばもし「私」の認識や思考の枠組みが変わったら、世界や数式も変わってしまうのでしょうか?

 

――なんとなくわかる気はするのですが……、つまりどういうことでしょうか?

 

そうですね、人間にとって「わかる」とはどういうことなのでしょうか? これをぜひ知りたいです。大丈夫ですか?

 

――これまた無重力並みに頭がぐるぐるしてきそうな問いかけですね……。それでは、次回は「わかる」ことの専門家の方を探してこの疑問をぶつけてみたいと思います。

佐藤先生、ありがとうございました!

 

(つづく)

ウクライナ危機、大学は何を伝えられるか。龍谷大学「ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー」レポート

2022年4月5日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

去る2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。国際秩序を大きく揺るがす事態に、大きな衝撃が世界を駆け巡りました。戦闘は現在も続き、両国軍だけでなく民間の人々にも多大な被害が広がっていることを思うと胸が痛みます。また、そんな情勢がリアルタイムに報道され、さまざまな意見が飛び交う中で、不安や無力感を抱いている方も多いことでしょう。

 

そんな中で、積極的に学内外へメッセージを発信し続けている大学もあります。今、大学は社会に何を伝えられるのでしょうか? 今回は龍谷大学のオンライン企画「RYUKOKU CINEMA特別企画『ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー』」をレポートします。

映画とミニレクチャーを通して、ウクライナ情勢を考える

ロシアの侵攻開始を受けて、龍谷大学では2月28日に公式に抗議声明を発表し、3月には人道支援を目的とした募金が開始されました。さらに、3月25日、31日には学内向けのセミナーを開催するなど、ひと月あまりの間に次々と大学としての発信を行っています。こうした積極的な取り組みの背景には、ウクライナのキエフ大学と学生交換協定を結んで長年交流を続けてきたことや、建学の精神として掲げる「浄土真宗の精神」があるそうです。

 

そんな中から今回紹介するのは、「RYUKOKU CINEMA特別企画『ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー』」と題して3月に公開されたコンテンツです。「RYUKOKU CINEMA」は、社会的なテーマを題材にした映画の上映と、テーマに関連したミニレクチャーを開催する学内向けのイベントとして2021年度にスタート。今回はその特別編として、ウクライナ情勢を知る上で参考になる映画の紹介と、3人の先生方によるミニレクチャー動画が一般公開されました。

 

レクチャーの内容に入る前に、まずは紹介されている映画を観てみることにしました。

 

今回取り上げられている映画は、『親愛なる同士たちへ』、『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』、『ウクライナ・クライシス』、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』という、ロシアとウクライナの現代史を知ることができる4本。筆者はその中から、2013年から2014年のウクライナを舞台にした『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』を視聴してみました。親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領を退陣に追い込んだユーロマイダン抗議運動を追ったドキュメンタリーです。

 

『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』(2015, Netflix配給) Netflixで視聴できるほか、執筆時点では英語字幕版がYouTubeで無料公開されている。

『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』(2015, Netflix配給)
Netflixで視聴できるほか、執筆時点では英語字幕版がYouTubeで無料公開されている。

 

 

 

 

キエフの美しい町並みを舞台に、市民運動とそれを暴力で鎮圧しようとする治安部隊との衝突が激化していく様子は衝撃的で、正視するのが辛くなるほどでした。ロシアとヨーロッパに挟まれたウクライナが1991年の独立以来いかに揺れ動いてきたのか、人々が自由を求めていかに戦ってきたのかという経緯の一端が垣間見られますが、そうして人々が勝ち取ったはずの自由が今また攻撃を受けていると思うと、言葉もありません。

 

自由の尊さや暴力の理不尽さを噛み締めつつ、それでは私たちは現在起こっている軍事侵攻にどう立ち向かっていけばいいのでしょうか。つづいてミニレクチャーを視聴してみます。

異なった価値観をもつ人同士の交流が絶えた時、戦争が始まる

最初の動画は、学長の入澤崇先生からのメッセージでした。

 

仏教学者である入澤先生は、仏教の「毒矢のたとえ」を出して、一度毒矢が刺さってしまったら、その毒の成分やどこから飛んできたかを考えていては手遅れになる。今すぐ毒矢を抜かなければならない。つまり、今すぐにウクライナで起こっている戦争を止めなければならない、と訴えます。声明の発表や募金活動にいち早く取り組んできた龍谷大学だけに、この言葉にはとても重みがありました。

入澤崇先生

入澤崇先生

 

印象的だったのは、「人間社会は関係性で成り立っている」として、対話や交流というものの大切さを繰り返し訴えられていたことでした。2014年のクリミア併合の際はかろうじて機能していたプーチン大統領と各国首脳との対話が今回は機能していないことを憂慮しつつ、プーチン大統領による侵攻を「ウクライナの人たちとの関係を断ち切るもの」と非難します。

 

話題は30年以上続く龍谷大学とキエフ大学との交流にも及び、龍谷大学ではこれまでキエフ大学から40名の学生を受け入れてきたと振り返ります。また、侵攻開始の翌日にはキエフ大学から「一人でも学びたい学生がいればオンライン授業を続ける」というメールを受け取ったそう。当たり前の生活を奪われている人がいることは決して他人事ではない。この理不尽を脳裏に焼き付けて平和というものについて考えてもらいたいと続けました。

 

「異なった価値観をもつ人たちとの交流が絶えた時、そこから戦争が生み出される。つまり戦争の反対概念は、『交流』だと考えています。私たちの日常生活のレベルで異なった価値観を持つ人たちとの交流がいかに大切か、その交流というものを通してはじめて平和が生まれるということを十分に噛み締めたいと思います」。入澤先生の言葉からは、学生を導く教育者としてのまなざしを感じました。

国際関係の理論から読み解く戦争

続いてのレクチャーは、国際学部の清水耕介先生。清水先生は「いかなる理由があろうとも、暴力を使って他国に攻め入るということは絶対に正当化できない。戦争自体が悪いという立場からお話したいと思います」と前置きをしたうえで、国際関係論の視点でふたつの戦争の捉え方を紹介されました。

 

ひとつは「政治の延長としての戦争」。国際関係においては、戦争を国家間の問題を解決する手段と位置づけるという考え方が一般的なのだそうです。それに対して、20世紀の思想家のハンナ・アーレントは「政治の断絶としての戦争」を唱えています。これは、対話による政治が断絶したときに暴力、つまり戦争が現れるという考え方です。後者は先ほどの入澤先生のお話ともつながります。

 

ロシアが国連憲章を破ってウクライナに侵攻したことはまさに「政治の断絶」ですが、国連をはじめとする今の国際的な枠組みではこのルール破りに対処する方法がありません。これをなんとか対話による政治に戻してやる努力こそが必要になると清水先生は言います。

清水耕介先生

清水耕介先生

 

今回の軍事侵攻に至った原因についてはさまざまな解釈が飛び交っていますが、清水先生はこれらの解釈のほとんどが国同士の力関係を前提に語られていると指摘します。とくに国際政治を語る上で現在主流になっているのは、暴力を否定して理性的にものごとを解決する「理想主義」ではなく、暴力という手段を前提にしながら理性的な判断を行う「現実主義」的な国家像です(「政治の延長としての戦争」はまさにこの考え方でしょう)。しかし現実主義といっても、実際には権力者が常に理性的な判断を下すとは限らず、力はいつ暴走するかわかりません。「力が世界を決める」という論理は、いつか核戦争による破滅を引き起こしかねないというのです。

 

昨今、国家間の緊張はますます高まるばかりですが、どうすれば戦争をなくしていくことができるのでしょうか? その鍵になるのは「市民」なのだそうです。

 

清水先生によると、これまで国民国家単位で語られてきた国際関係のあり方が、ここ20年で変化しつつあるそうです。それは、国民国家だけではなく、市民の連帯が国際政治に大きな役割を果たしうるという見方が出てきたことです。今回の紛争では、ロシアの国内から、命がけで戦争に反対する声を上げる人々が出てきました。この様子が伝わってくる限り、国際世論は西側諸国とロシアとの全面衝突を望まないでしょう。「これだけ反対している人達がいるということが、ある意味、第三次世界大戦を止めているという言い方もできなくはないだろうと思います」と清水先生。

 

清水先生は最後に仏教の「空」という概念に触れて、「私達自身もどこかでこの紛争につながっているのではないか。心のどこかで暴力を肯定してしまっていないかということを、じっくり考える必要がある」と締めくくりました。

「抑止力」をめぐる議論を憲法学者はどう見るか

最後は政策学部、奥野恒久先生です。奥野先生は憲法学の専門家としての立場から、ロシアのウクライナ侵攻をめぐって日本でも活発に語られている抑止論に関する議論を提起されました。

 

最初の論点は、プーチン大統領のウクライナ侵攻は国連憲章に違反しているのかどうか。国連憲章が認めている「個別的自衛権」「集団的自衛権」に照らして、今回の侵攻がどちらにも当てはまらない、国連憲章違反であることを示します。

 

続いて、ウクライナ情勢を受けて活発になっている日本の安全保障論について議論を進めます。ロシアの隣国である日本で、抑止力としてさらなる軍事力の強化を求める声が上がるのはある意味では当然といえるかもしれません。一方で、日本には「戦力を保持しない」とした憲法9条があり、世界唯一の被爆国として非核三原則を掲げています。

「プーチン政権によるウクライナ侵攻に怒りをもって抗議する」と書いた紙を掲げる奥野先生。裏面には「生命を守るには非戦・核廃絶・軍縮しかない!」の文字

「プーチン政権によるウクライナ侵攻に怒りをもって抗議する」と書いた紙を掲げる奥野先生。裏面には「生命を守るには非戦・核廃絶・軍縮しかない!」の文字

 

それでは、この議論は抑止力をもつという「現実主義」と、あくまで外交努力に徹する「理想主義」の対立なのでしょうか? 奥野先生はそれぞれの立場からの主張を挙げ、抑止力をもつことは周辺国との間で緊張感を高め、必ずしも安全にはつながらないこと、政治が軍事を優先しだすと人々の生活が軽視されることに警鐘を鳴らしました。

 

「高校の授業ならばここまでで、あとは皆さん考えてくださいということになるのでしょうが」と前置きをして、さらに日本国憲法に引きつけて議論を深めます。奥野先生によると、日本国憲法の中核にあるのは「個人の尊重」、一人ひとりが自分らしく生きていくことを保証することなのだそうです。この一人ひとりとは、もちろん自分だけではなく他者を尊重すること、ひいては他国の人々の生命や自由も同じように尊重することにつながります。地球上の誰もの命を守るには、「力には力を」という発想ではなく、「戦わない」ということに尽きるのではないかと奥野先生は言葉に力を込めます。

 

奥野先生は最後に、戦争を止めるためには、それぞれの生活の中で、自分のできることを淡々とやるということが重要なのではないかと語りかけます。奥野先生自身、プラカードを持って街頭に立つ活動を行っているそう。ウクライナへの侵攻を今すぐ止めさせるために、そして「第二のプーチン」を生まないために、世界中の市民が声を上げることに意味があるのだと締めくくりました。

映画とレクチャーを視聴して

映画『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』ではロシアの軍事侵攻に至った経緯の一端を知り、ミニレクチャーでは現在起こっている戦争に対する考え方のヒントをもらうことができました。レクチャーを視聴して心に残ったのは、先生方が冷静に言葉を選びつつも、それぞれ感じておられることをまっすぐにお話しされていたことです。このような時だからこそ、臆することなく言葉を発し、議論を起こしていくことも大学の重要な役割と言えるかもしれません。

 

私たちはその言葉をどのように受け取って、生活の中に位置づけることができるでしょうか。今まさに困難の中にいる人々に思いを寄せつつ、自分にできることを見つけていきたいと思います。

 

研究者の質問バトン(4):宗教はどうして生まれたの?

2022年1月18日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

研究者の素朴な疑問を数珠つなぎに解決してゆく質問バトン。前回、東京大学の近藤修先生からおあずかりした質問は「宗教はどうして生まれたの?」でした。考えてみると、宗教にはたしかにお墓や神話といった形に残る側面もあるけれど、そもそも「神様を信じる」ということは人間の心の中の問題のはず。大昔の人の心の中を知ることなんてできるの…?

 

そんな難問について解説していただいたのは、宗教と科学の関係について研究されている東京家政大学の藤井修平先生です。

宗教の起源は「適応」? それとも「副産物」?

――宗教はどうして生まれたのか……とても難しい問いだと思うのですが、そもそも学問で答えを出すことはできるのでしょうか?

 

宗教の起源を探究することは、宗教学という学問が始まって以来の最大の課題といえます。

 

この論争の初期にあたる19世紀には、人類学者がアニミズム、マナイズム、トーテミズム(いずれも、自然物に宿る精霊やその力を信仰する自然崇拝の一種)などが宗教の最も原初的な形態だと主張しました。しかしその後、それらは確かに世界の未開の地に広く存在してはいるものの、現代の未開の人たちを見て宗教の起源と言うのはいかがなものかという反論がなされます。こうした経緯から、宗教学では現在に至るまで「宗教の起源は問えない」という見方が主流になっています。

 

――うむむ、やはり難しいのでしょうか……。

 

ところが最近、従来の人文学的なアプローチをとる宗教学とは別の立場から、宗教の起源を解明しようとする研究が現れました。それが進化生物学の流れを汲んだ、進化心理学や文化進化論といった分野です。これらでは、人間が進化的な過程でいかに宗教を獲得したのかを研究しています。

 

――ぜひ詳しく教えてください!

 

現在、大きく分けて2つの説が主流になっています。ひとつは宗教が「適応」だとする説、もうひとつは宗教は「副産物」だとする説です。「適応」というのは、それがあると生き残りやすいという利益があるために広まってきた特徴をさします。対する「副産物」は、それ自体は利益を与えるわけではないけれども、別の利益に付随して現れる特徴のことです。電球に例えると、光ることは「適応」で、熱を持つことは「副産物」ということになります。

 

「適応」説によると、宗教を信じることには、集団が結束することで他集団との競争に有利になるとか、集団内の規律が保たれるといった利益があるとされます。その結果、宗教を有する集団が生き残ってきたというわけです。この説は、文化進化論という立場から論じられることが多いです。

 

対する「副産物」説は、宗教認知科学という立場から論じられます。この説では、宗教は適応的な認知能力が誤作動するか、過剰に働いた時に生まれるとされます。例えば森の中にいて、視界の中で何かが動いたときに、他の人間や動物がそこにいるのか、あるいはただ風に吹かれて葉が揺れただけなのかを人間は瞬時に判断します。こうした能力は、未知の環境で敵などを発見するために適応的に備わったものと考えられます。こうした認知能力が過敏に働くと、何もいないのに何かがいるような気がしてしまうのです。これと似た現象に、擬人観というものもあります。模様が人の顔に見えたり、ただのモノに人間のような意識があると感じたりすることですね。こうした認知能力が原因で、霊とか神といった存在を感じるというのが「副産物」説です。

「適応」説と「副産物」説

「適応」説と「副産物」説

 

――宗教があったから生き残ってこられたのか、生き残るための能力が宗教を生んだのか……。

 

この2つの説は、どちらもある程度正しいのではないかと私は考えています。副産物として宗教が生まれて、適応的に広まったと考えれば無理がなさそうです。また違う見方をすると、適応説は宗教の集団としての側面、副産物説は個人の体験としての側面に対応しています。ひとつのものを別の角度から見ているとも言えるわけです。

注目の新説。「大いなる神々」が道徳的に人々を導いた?

――今注目されている最新の仮説などはあるのでしょうか?

 

近年注目されているのは、心理学者のアラ・ノレンザヤンが提唱した「ビッグ・ゴッド仮説」というものです。人類史では、紀元前10000年頃の新石器時代のはじめに急激に人間の集団が発達して、農耕革命が起こったことが知られています。しかし、一体どうしてそんな急激な変化が起こったのかはこれまで謎に包まれていました。

 

ビッグ・ゴッド仮説では、これに宗教が関係していると考えます。通常、集団が大きくなると、人々の結束は弱くなり統制が取れなくなってきます。そこで、大きな神、ビッグ・ゴッドが上空から人々を監視していると考えるのです。人々はビッグ・ゴッドの存在を信じることで道徳的に振る舞うようになり、あまり知らない人同士でも信頼関係を築き集団をさらに大きくすることができます。こうしてビッグ・ゴッドを信じる集団は生存競争を勝ち残り、やがて現在の大宗教を形成していった……これがビッグ・ゴッド仮説の唱えるシナリオです。

 

――ものすごく壮大な話ですが、「適応」説とうまく対応していますね。

ビッグ・ゴッド仮説では、神が天から人々を監視することで道徳的な規律が保たれる

ビッグ・ゴッド仮説では、神が天から人々を監視することで道徳的な規律が保たれる

 

ビッグ・ゴッド仮説では、「副産物」として獲得された宗教が集団の増加とともに「適応」的に広まったという立場をとっています。この説は大変話題で、ビッグ・ゴッド仮説を検証した論文が科学雑誌のNature誌に掲載されたりもしました。こちらの論文では、世界中の社会の歴史的記録をビッグデータ解析にかけて社会の規模と宗教の関係を調べていて、結論としては複雑な社会ができた後に道徳的な神が信仰されるとしています。ビッグ・ゴッド仮説と順番は逆なのですが、この論文に対してノレンザヤン側は、同じデータを分析し直すと、ビッグ・ゴッド仮説に適合する結果が得られると反論しています。このようにまさに今議論が続いているところです。

 

――なんと、宗教研究にもビッグデータが使われる時代なんですね……!

ところで、ビッグ・ゴッド仮説で唱えられている人々を監視する道徳的な神というのは、日本の仏教や神道にもあてはめて考えてよいものでしょうか?

 

ビッグ・ゴッド仮説がどの範囲の宗教まであてはまるのかはこれから検証が必要なところですが、キリスト教やイスラム教のような一神教に限った話ではないとされています。日本の歴史を振り返っても、多神教的な性質をもつ仏教が道徳的な神の役割を担って勢力を拡大してきたことは明らかです。「嘘つきは閻魔様に舌を抜かれる」という信仰も、道徳的な神のひとつの形と言えるかもしれません。

 

ただ、現在いろいろ研究が進められつつあるところによると、そうした道徳的な神が信じられるようになる以前は、突然起こる自然災害のように道徳的な違反とは関係のないタイミングで怒るような神様が信じられていたとも言われているんです。こうした神様を怒らせないために、タブー(禁忌)と呼ばれるルールがあったりします。

 

――タブーというと、「霊柩車が通ったら親指を隠せ」というような、合理的な理由が説明できないしきたりですね。たしかに宗教的ですが、道徳とは違いますね。

 

そのとおりです。日本の信仰には今でもそうした傾向が残っていますよね。なので、ビッグ・ゴッド仮説への反証として、道徳的ではない神も連綿と信じられてきたんじゃないかという見方はあります。

動物は神を信じるか?

――「副産物」説の話に戻るのですが、認知能力のバグが宗教的体験のはじまりならば、人間以外の動物でも起こりそうですよね。宗教が人間にしかないとすれば、それはどうしてなんでしょうか。

 

いい質問ですね。これに関しては、ハトを使った古典的な実験があります。ボタンを押すとランダムに餌が出てくる装置を設置すると、ハトは餌を出すために試行錯誤して、そのうちボタンを押す前に変な動きをするようになるんです。特定の動きをした時に偶然餌が出てきたので、それを繰り返して餌を出そうとするんですね。これは因果関係の認知の誤りから生じる「迷信行動」と呼ばれ、さらに発展したものが人間でいう迷信や呪術、例えば雨乞いの儀式なのだと言われています。

 

――合理的な理由はないけれど、勝手にルールを見出してそれに従ってしまう。先ほどのタブーの話にもつながりますね。

 

ですが、ハトは人間と同じように神様を信じているわけではないですよね。人間が神の存在を信じるのには、「心の理論」つまり、相手の心理状態を推測する能力が関係していると言われています。同じ霊長類であるチンパンジーと比べて、人間はこの能力が発達していることが霊長類学の実験でわかっています。相手の気持ちを想像することができてはじめて、神様が怒っているだとか、お祈りをすれば願いを聞いてもらえるだとかというふうにも想像できるわけです。

 

――認知の誤作動だけでなく、相手の気持ちを察する能力があってはじめて神様が生まれたと。

 

まあ、相手の気持ちを察するというのも、認知の誤作動といえば誤作動なのかもしれません。相手は神様でも、実在しない漫画のキャラクターでもいいわけですから。

 

――うーむ、たしかに……。

神様を信じるには相手の心理状態を推測する能力が必要

神様を信じるには相手の心理状態を推測する能力が必要

 

宗教研究の位置

――ここまで仮説について伺ってきましたが、宗教研究の分野では、実際はどんなふうに研究が行われているのでしょうか?

 

まずはそれぞれの分野の違いについて大掴みにおさらいしましょう。従来の宗教学は基本的には人文学寄りで、歴史や社会学、人類学の方法論を取る場合が多いです。ですので、人類一般に普遍的な法則を出すというよりは、ここの社会はどうであるという個別的な研究を積み重ねることに主眼を置きます。

 

対して、今回お話してきたような自然科学寄りのアプローチを行っているのは、進化心理学、文化進化論、宗教認知科学、それから宗教心理学といった分野です。進化生物学的な宗教研究には進化心理学と文化進化論という2つのグループがあり、前者は人間の遺伝的形質を重視する「副産物」派、後者はノレンザヤンに代表されるように文化に重点を置く「適応」派です。進化心理学と近い立場として、認知機能に着目する「副産物」派の宗教認知科学があります。宗教心理学では、宗教を信じると人の心理や行動にどんな変化が起きるのかに着目します。

 

これらは研究の重点に違いはあるものの、心理学的な手法、つまり心理学実験や質問紙による回答の分析などが中心になることは共通しています。また、最近はフィールド実験というものが増えてきています。いろいろな国や地域に出かけていって、人類学が対象にするような独自の文化を持つコミュニティの人々を対象に心理実験をするのです。言わば人類学と心理学のいいとこ取りですね。

 

そのほかの宗教研究の新しい潮流として、先ほども出てきたビッグデータ解析のように情報学的手法によって歴史的記録を数量的に扱おうとする動きもあります。しかしこれに関しては、データの扱いが恣意的になってしまうという批判が多いのが現状です。

 

――それぞれの分野が重なり合いつつ研究が進んでいるのですね。いつか「宗教の起源はこれだ」と結論が出る日は来るのでしょうか?

 

とにかく宗教というのは非常に曖昧な研究対象で、どの面に着目するかによっても見えてくるものが変わります。なので一つの決定的な結論を求めるというよりは、今回お話ししたような人文学、心理学、心の理論やビッグデータなど、できるだけ多くの側面から検討を重ねていって、全体として宗教を把握しやすくしていくということが必要なのではないでしょうか。

藤井先生は日本での新しい宗教研究のパイオニア

――ところで、今回の取材のための下調べをしていて、日本で自然科学的なアプローチをされている宗教研究者がとても少ないということが気になりました。

 

そうですね。自然科学的なアプローチを本格的に宗教学に導入しようとしているのは、日本では私がほぼはじめてではないでしょうか。

 

――藤井先生がどのような研究に取り組まれているについても教えていただけますでしょうか。

 

まさに今回お話したような新しい手法を、日本の既存の宗教学に接続できないかと試みています。これまでに発表されているのは欧米での研究成果が大半なので、同じ実験を日本でやってみる意義は十分にあります。そのために、博士論文では宗教心理学や宗教認知科学の出自や問題点についてまとめました。

 

問題は、実際にこうした研究を日本でできるのかというところですが、私も人文学寄りの宗教学出身なので、心理学実験やビッグデータ解析の専門家ではありません。そこで現在は、宗教に関心のある心理学者との共同研究の計画を立てたり、異分野の研究者と学会発表に臨んだりして、研究の土台を作ろうとしているところです。

 

そのほか、宗教学と心理学の接点となるテーマとして、禅やマインドフルネスの研究にも取り組んでいます。

 

――今後の研究で欧米と日本の文化や宗教観の違いが見えてくるかもしれませんね。

 

まずは日本で実験をやってみて、結果に違いが出るのか、出ないのかというところからです。それをどう解釈するかはまた次の段階で考えていきたいですね。

藤井先生の素朴な疑問は?

――今回は難しい質問にわかりやすくお答えいただきありがとうございました!
最後に、藤井先生が知りたい素朴な疑問を教えていただけますか?

 

ビッグ・ゴッド仮説では、神は天にいるということが非常に重要です。天といえば宇宙ですね。宇宙開発の現状、それも探査活動よりは、地上と宇宙空間を気軽に行き来できるような技術に興味があります。とくに気になるのは旧約聖書の「ヤコブの梯子」にも例えられる軌道エレベーターですね。もう何十年も前から構想されているので、実現に向けた動きがあるのかどうか知りたいです。実現したらそれに乗ってぜひ宇宙に行ってみたいですね。

 

――SFではお馴染みの軌道エレベーター、実現すれば、天を見上げてきた人類にとって大きな一歩になりそうです。

 

というわけで次回は「軌道エレベーターは実現できるの?」について、専門家の方を探してお聞きします!

 

(つづく)

最先端科学がブラックホールの常識を覆す! 名古屋大学✕名古屋市科学館セミナーレポート

2021年10月19日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

すっかり日没が早くなり、職場や学校からの帰り道で何気なく星を探してしまう今日この頃。これから気温が下がれば空気が澄んで、一年で最も星が綺麗に見える冬がやってくる。しかし当然ながら、宇宙に存在するのはぴかぴか光る星だけではない。むしろ、目に見えない謎が宇宙の大半を占めていると言ってもいいだろう。その代表格がブラックホールだ。2019年に歴史上初めてブラックホールの姿が撮影されたことは記憶に新しい。さらに2020年には、超大型ブラックホールの研究者3名がノーベル物理学賞を受賞するなど、何かとホットな話題が多い。

 

というわけで今回は、名古屋大学と名古屋市科学館が主催するオンラインセミナー「分野横断によるブラックホールの謎への挑戦!」に参加してきた。このセミナーは「天文学の最前線」と題して1992年に始まり、毎年夏休みに高校生や学校の先生向けに開催されているとのこと。今回は名古屋大学の4名の先生方が、それぞれの分野でのブラックホール研究の最前線を発表された。約5時間にわたる濃密な内容をぎゅっと圧縮して、4つのトピックスとして紹介したいと思う。

1.星よりも先に生まれた!? 「原始ブラックホール」が注目されている!

これまでブラックホールといえば、太陽の数十倍以上の大きさの恒星が最期を迎えた姿として知られてきた(こちらの記事も参考にされたい)。しかし近年注目を集めている「原始ブラックホール」はその常識を覆すものらしい。

 

初期宇宙を研究している多田祐一郎先生(高等研究院 YLC特任助教)によると、原始ブラックホールは仮説上の存在で、見つかっていないどころか本当にあるのかどうかもわからないものだという。しかし、もし見つかれば宇宙の始まりや暗黒物質など、さまざまな謎を解き明かす鍵になるかもしれないのだそうだ。一体どういうことなのだろうか?

 

原始ブラックホールは、原始宇宙の急激な膨張(インフレーション)に関係しているという。宇宙のはじまりには量子エネルギーのミクロなゆらぎが存在した。それがインフレーションによって引き伸ばされて、大きなゆらぎとなる。インフレーション後の宇宙は、高温のプラズマで満たされた火の玉宇宙とよばれる状態になる。そこにゆらぎが作用し、プラズマが部分的に密集することによって原始ブラックホールができた…ということなのだそうだ。ううむ、ちょっと難しいが、まだできたてホカホカの宇宙で、星よりも先に生まれたのが原始ブラックホールだった(かも)という話。

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そんな原始ブラックホールには、これまで発見されている恒星由来のブラックホールとは異なる性質がある。ひとつは、原理的にどんな質量でもありうるということ。恒星に由来するブラックホールならば太陽よりも軽いということはありえないが、原始ブラックホールならばそれもありうる。そしてもうひとつは、自転していないことだ。これらの性質に該当するブラックホールがもし見つかれば、原始ブラックホールである可能性が高いということになる。

 

そこで現在注目されているのが重力波だ。重力波とは、重力によって発生する「時空のさざ波」のこと。2つのブラックホールがお互いに引き合い、合体するときには合体重力波が発生する。アメリカのLIGO、欧州のVirgo、日本のKAGRAといった施設で重力波の観測が日々行われていて、その重力波のパターンを解析することで、質量はもちろんその天体が自転しているかどうかもある程度推測することができるのだそうだ。ここ数年の間に太陽の20~40倍の質量のブラックホールが沢山見つかっていて、これらが原始ブラックホールである可能性が指摘されている。大昔にできたブラックホール同士が、現在に至って合体して重力波を出しているのかもしれないのだ。

 

さらに、原始ブラックホールは暗黒物質(こちらの記事もご参考に)の候補のひとつとしても名前が挙がっている。太陽よりもはるかに小さい、小惑星程度の質量の原始ブラックホールが暗黒物質の正体かもしれないという。小型のブラックホールが宇宙空間を飛び回っているところを想像してみるとすごく危険な気がするが、多田先生によると、存在するとしてもシュヴァルツシルト半径は数ナノメートルで、人体をすり抜けてもほとんど影響はないはず……とのこと。一安心だ。

 

このサイズでは現在の地上施設で重力波をとらえることはできないが、打ち上げ計画が進行中の宇宙重力波望遠鏡LISAによって、宇宙空間から観測が可能になるかもしれない。暗黒物質=原始ブラックホール説の検証に期待が寄せられている。

2.ブラックホールが「重力レンズ」で地球に届く星の光を歪める!?

ブラックホールを「見る」ことは可能なのだろうか? 恒星に由来するブラックホールの場合、引き寄せられたガスが摩擦によって電磁波(X線)を発することが知られている。2019年に観測されたブラックホールの画像もこうした周囲の物質が発する電磁波を可視化したものだ。ところが、原始ブラックホールの場合はこうした物質が周りにないため、「闇夜のカラス」状態なのだという。

 

光学望遠鏡で原始ブラックホールの証拠を探している阿部⽂雄先生(宇宙地球環境研究所 客員准教授)が注目するのが、重力レンズとよばれる現象だ。恒星や銀河など、ふたつの天体が地球から見て一直線に並んだ(つまり、ふたつの星がぴったり重なり合った)とき、地球に近い方の天体の重力がレンズの働きをして、地球に遠い方の星から地球に届く光を歪める。これによって星の光がリング状に見えたり(アインシュタインリング)、いつもよりも明るく見えたりする(重力マイクロレンズ)。阿部先生はこの重力マイクロレンズによる増光を観測することで、ブラックホールを探しているという。

 

つまり、広い星空のどこかで、光る星の前を偶然ブラックホールが通り過ぎたならば、ブラックホールそのものは見えなくても重力レンズ効果による増光を観測できる可能性があるというわけ。1936年に重力レンズ効果を予言したのはあのアインシュタインだが、彼自身、この大宇宙の偶然を実際に観測できる可能性については悲観的だったそうだ。

 

しかし科学は進歩するもので、近年はハッブル宇宙望遠鏡が遠方の銀河によるアインシュタインリングを観測している。重力マイクロレンズの観測に至っては、すでに日常的に行われている。阿部先生のチームはニュージーランドにある光学望遠鏡で銀河中心方向に狙いを定め、毎年数百の普通の星による重力マイクロレンズ現象を観測しているそうだ。この方法で次にターゲットにしているのは、 多田先生のお話にも出てきた暗黒物質の可能性がある小型の原始ブラックホール。決定的な候補はまだ見つかっていないが、解析が進めば大発見につながるかもしれない。大きな謎に今にも手が届きそうな話で、ワクワクする。

重力マイクロレンズは、星の明るさの変化の差分から検出することができる

重力マイクロレンズは、星の明るさの変化の差分から検出することができる

普通の星による重力マイクロレンズによる明るさの変化を記録したグラフ

普通の星による重力マイクロレンズによる明るさの変化を記録したグラフ

3. 観測不可能なブラックホールの内側は、数学を使えばイメージできる!

続く泉圭介先生(素粒子宇宙起源研究所 講師)の発表は、「数学的なアプローチでブラックホールの内部を見る」というもの。ブラックホールの内部は巨大な重力によって時空が曲がり、一度中に入れば光でさえも外に出ることができない……つまり、観測することは絶対に不可能だ。

 

時空の曲がりを記述する方程式はアインシュタインが考案した。たとえ話で考えてみよう。地球上のある場所からある場所へ、球面を一直線に移動したとする。それを平らな地図上に表すと、一直線のルートは湾曲して見える。この湾曲の仕方をはかることで、平面に描かれた2次元の地図から地球表面(曲がった2次元の面)の丸みを計算することが可能だ。時空の曲がりという難解な概念もこれと同じで、4次元で曲がっている時空を曲がっていない4次元時空(4次元の地図)で描きあらわすことができるらしい。

 

……というのが前置き。それでは、ブラックホールという時空の曲がりはどのように理解すればいいのだろうか。

 

まずは、時間と空間をあらわす単位を統一してみよう。このとき、一番速く移動するものを基準に時間と空間を定義するとわかりやすい。つまり、光だ。光は1mを約3億分の1秒で進む。そして、どんな物質も光より速くは進めない。

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この光が進む範囲を時間と空間の座標として表すと、上の図のようになる。黄色い円錐が光速の壁だ。スタート地点から時間が進むごとに、空間の移動範囲も広くなる。どんなに速く進む宇宙船があったとしても、その移動範囲はこの光の円錐の内側に収まる。

 

さて、ここまでは大丈夫だろうか?これが曲がっていない時空での話だ。それでは、強い重力によって時空が曲がっていたらどのようなことが起こるのだろうか。答えは……円錐が傾くのだそうだ。

 

強い重力によって光円錐が一斉に大きく傾くような場所では、下の図の灰色の領域のようにどんなものも外に抜け出せない領域が発生する。これがブラックホールというわけだ。

スクリーンショット 2021-10-13 14.53.23

 

こうやって図にしてしてみることで、ブラックホールの仕組みが少しイメージできるようになったのではないだろうか……? さらに、ブラックホールの中心には重力場が無限大になる「特異点」が存在するということも計算によってわかっているそうだ(これはさらにややこしい話のようなので、「そうなのかぁ~」と納得しておこう)。

4. 銀河とブラックホールの超巨大な謎に迫るX線観測衛星が開発されている!

最後の発表は、物理学者でありながら観測機器の開発にも携わる中澤知洋先生(素粒子宇宙起源研究所 准教授)。仮説上の原始ブラックホールではなく、まさに今その姿が明らかになりつつあるブラックホールの話だ。

 

先ほども話に出たように、ブラックホール自体は観測できないが、近くの星から引き寄せたガスがブラックホールの周りに円盤(降着円盤)を作り、これが摩擦熱によって高温になり明るく輝いている。輝くと言っても人間の目に見える光ではなく、もっと波長の短いX線だ。そのため、ブラックホールの様子を知りたければ、X線観測で降着円盤を観測することが有力な手段となる。

ブラックホールの周りのガスは摩擦熱のためにX線を発している

ブラックホールの周りのガスは摩擦熱のためにX線を発している

 

X線観測によってどんな情報が得られるのだろうか。その鍵になるのは「鉄」だ。鉄は最も安定した元素で降着円盤にも多量に含まれているため、降着円盤が発するX線スペクトルを測ると、鉄が発する波長のスペクトルだけが突出して検出される。この性質を利用して、鉄のスペクトルのズレを測ることで、理論上は時空の歪みや降着円盤の回転速度まで計算することができるのだという。

 

ここまでが観測原理の話。それでは、中澤先生はX線観測によってどんな謎に迫ろうとしているのか?

 

中澤先生によると、すべての銀河の中心には太陽の100万倍から1億倍もの質量を持つ超巨大ブラックホールが存在しているという。そして、銀河の質量が大きいほど、その中心のブラックホールの質量も大きいことがわかっている。銀河とブラックホールが互いにどんな影響を及ぼし合って成長してきたのか、その過程は謎だらけだ。さらに最近では、超巨大ブラックホールから強烈な「風」が吹き出していることもわかってきた。光の速度の1/3にも達するこの高速の風が周囲の銀河にも影響をおよぼしているらしい。ものすごいスケールの話になってきたぞ。

 

そしてそんな超巨大な謎の数々が、X線観測によって解き明かされるかもしれないという。現在、JAXAでは宇宙空間から精密にX線を計測できる観測衛星「XRISM」の開発が進められており、2023年に打ち上げが予定されている。これによって銀河中心の超巨大ブラックホールの進化の過程や、さらには銀河の集合である銀河団というスケールでブラックホールが及ぼす影響にまで迫ることができるそうだ。

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XRISMによるX線観測で、ブラックホールの成長や周囲への影響に迫る

XRISMによるX線観測で、ブラックホールの成長や周囲への影響に迫る

 

ブラックホール研究の最先端、いかがだっただろうか。夜空の星のように輝くことはなくても、星の光をゆがめたり、X線を発したりとさまざまなシグナルを地球に送っていることを知ると、ほんの少しだけ身近に感じられた。そして、そのシグナルをなんとかとらえようとする科学の進歩にも驚かされるばかりだ。

 

頭を使って糖分が足りなくなったという方は、チョコドーナツでも食べながらブラックホールに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

【第5回】ほとゼロ主催「大学と社会とのつながりを考える勉強会」レポート。多様に進化する、大学の動画による広報活動。

2021年8月19日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、2019年より大学関係者を対象として『大学と社会とのつながりを考える勉強会』を開催しています。2021年7月3日にオンラインでお届けした第5回目の模様をレポートします(勉強会レポートの一覧はこちら)。

 

今回のテーマはズバリ「多様に進化する、大学の動画による広報活動」。Webオープンキャンパスなどコロナ禍で急速なオンライン化を余儀なくされている大学業界では、動画コンテンツの存在がますます重要になってきています。一方、若者に人気のYouTuberをはじめ、動画表現や発信のあり方そのものが多様化しており、効果的な発信方法に頭を悩ませている関係者も多いのでは。

 

そこで今回は、個性的で魅力的な動画コンテンツを継続して発信されている4大学の方々にご登壇いただき、ノウハウや考え方をたっぷりお聞きしました。

 

・近畿大学「シリーズ動画『博士の回答』」

・青山学院大学「青学TV」

・京都芸術大学「きはらラジオ」

・芝浦工業大学「芝浦ミドリプロジェクト」

素朴な疑問から学びを深めるシリーズ動画

最初の登壇者は、近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授。YouTubeで公開している「シリーズ動画『博士の回答』」について発表していただきました。ユニークなのは、動画の企画から出演、収録、編集まで、映像制作会社も職員も関わらず、すべて教員たちの手でおこなっていることです。

 

シリーズ動画「博士の回答」https://www.youtube.com/watch?v=wZypNkqC9N0&t

「博士の回答」タイトル画面。

「博士の回答」タイトル画面

 

「なーお父ちゃん、なんで1+2はできるのに、1kg+2mはでけへんの? なんでなんでなんで?」

「もー、そんなややこしいことは…近大の先生に聞いたらええねん!」

 

そんな親子の掛け合いで始まる「博士の回答」。身の回りの素朴な疑問に対して、近畿大学の教員がわかりやすく解説してくれるコンテンツです。扱うテーマは「数字と単位」「ポピドンヨード」「ブラックホール」「太陽電池」、「mRNA」、「人工知能」とさまざま。小さな疑問を入り口にすることで、子どもから大人まで楽しく学問の世界にふれることができるつくりになっています。

 

近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授

近畿大学理工学総合研究所の須藤篤教授

 

須藤さんが所属する理工学総合研究所では、これまで地域の生徒・児童を対象として小学校などへの出張授業をおこなってきました。新型コロナウイルスの感染拡大によって対面での出張授業が難しくなるなか、小・中学生の学習意欲の向上をめざしてこの動画シリーズを企画されたそうです。

 

大学教員がつくるYouTubeと聞くと少し意外な組み合わせにも思えますが、コロナ禍でのリモート授業が行われるなか、復習用の動画をつくってほしいという学生からの要望に応えていくうちに、先生方の動画スキルが劇的に向上したことが背景にあったといいます。そんななか、学内でコロナ対策支援プロジェクトの公募があり、「ウィズコロナ時代のオール近大教育プラットフォームの構築」という題目で応募に踏み切ったのだそうです。

 

週に1回コアメンバーが集まる雑談の場でアイデアを出し合い、テーマに関連する教員に出演を打診。完成した動画は、大学の広報担当のチェックを経て公開されます。動画作成にあたって注意していることとしては、解説は学術性、中立性を重視し、単なる研究紹介ではなく教育力のアピールにつながる内容をめざすことを挙げられました。そして何より、動画編集はなるべくやり慣れた楽な方法で、負担にならないようにすることが続けるコツとのこと。

 

「博士の回答」の視聴者は小・中学生にとどまりません。動画を蓄積していくことで、近畿大学の学生が専門外の分野に視野を広げるきっかけとなり、受験生やその保護者へのアピール、さらには広く一般向けのリカレント教育と、さまざまな波及効果をねらっているそうです。また、この動画づくりが普段接点の少ない異分野の教員同士の交流の場にもなっているそうで、「週に1回の雑談の時間が、メンバーにとってオアシスになっている」という言葉が印象的でした。

 

コロナ禍の逆境を新たな教育機会ととらえ、YouTubeをオープンな教室として使いこなしている「シリーズ動画『博士の回答』」。専門分野の知識を活かすだけではなく、教えるプロとしての先生方の気概を垣間見ることができました。

学生スタッフとともに発信するインターネットテレビ局

続いての登壇者は、青山学院大学の「青学TV」を手がけるディレクターの小沢和史さんです。ほとゼロでも2018年に取材させていただいたことのある「青学TV」は、「大学からの自由な知の発信」を掲げるインターネットテレビ局。青山学院大学の人や出来事にフォーカスする5つ+αのチャンネルがあり、映像制作のプロフェッショナルと学生スタッフが密に連携して多彩な情報を発信しています。

 

青学TV  https://aogakutv.jp/

ポップなデザインと散りばめられた動画が目を引く「青学TV」

ポップなデザインと散りばめられた動画が目を引く「青学TV」

 

OB、OGをはじめ、青山学院大学に縁のある著名人にスポットを当てた「青アンテナ」、学生スタッフが企画して青学のあれこれを取材する「今週の青学」、教員の研究紹介「アオ・ガク・モン」、青山学院大学の関係者ならだれでも自主投稿できる「AO TUBE」、駅伝をはじめとする運動部の活躍を伝える「SPORTS!」の5つがメインコンテンツ。加えて、青学145周年のコーナーでは、150周年に向けて在校生、卒業生から理事等まで青学ファミリーへのインタビューを取り上げています。

 

もともと総合文化政策学部内で実験的に立ち上げられたメディアが人気になり、現在は大学広報に位置づけられるまでに成長。学生スタッフも学部や学年の垣根を越えて、現在30名以上が在籍いているそうです。今や受験生からも「いずれ青学TVに入りたい」という声が聞かれるほど。毎週水曜の午後、キャンパス内の編集室に学生スタッフが集まって撮影や企画会議をしていたそう。現在はZoomミーティングを頻繁におこなうなど、サークル的な交流の場にもなっています。

「青学TV」ディレクターの小沢和史さん

「青学TV」ディレクターの小沢和史さん

 

青学TVの特徴として、小沢さんは4つの点を挙げます。「メディアの将来を見据えた実践の場」であること。「学生たちといっしょにつくる教育の場」であること。「エンタメ性とニュース性を重視」すること。そして「テレビ局というフォーマット」でいろいろな要素を盛り込めること。

 

エンタメ性とニュース性を大切にする背景には、視聴数(PV)を伸ばすという意識もあるそうです。なぜなら、多くの人に見てもらうことが、関わった学生の自信につながるから。そんな刺激的な場に魅了されてか、放送・映像業界に進む学生もいるそうです。卒業後もつながり続けて、青学TVを中心にしたコミュニティが広がることにも期待を寄せる小沢さんでした。

 

青学TVを学生が活躍できる場づくりととらえ、だからこそPVという目に見える指標を大切にする視点は、映像制作のプロである小沢さんならではだと感じました。学生や教職員、卒業生までがいろいろな形で関わる余地のある間口の広さは、インターネット上のもうひとつのキャンパスのよう。今後の展開にも注目したいです。

学生のため、大学職員が“勝手に”始めた生ラジオ

続いての登壇者は、大学職員でありながら顔出しでアグレッシブな発信をされている京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん。毎週金曜日に教員や学生をゲストに迎えて生配信する「きはらラジオ」は大学公式ではなく木原さんの個人アカウントで運営されていて、半ば木原さんの趣味(!!)なのだそう。

 

学生に向けたローカルな発信を目的にしているという「きはらラジオ」の魅力は、生配信ならではのラフで親密な空気感。コメント欄の投稿から話を広げたり、時には企画を募って実行するなど、双方向のコミュニケーションも取り入れています。教員にも浸透しているようで、副学長が自ら「出たい」と名乗り出たり、文芸表現学科の先生が木原さんのツイッターの文面を添削するという攻めた企画も。

 

きはらラジオ https://www.youtube.com/channel/UCH7vIy_JHxZE6VBvwYtexBA

「きはらラジオ」の一コマ。学生たちがコメント欄に集う

「きはらラジオ」の一コマ。学生たちがコメント欄に集う

 

「陰で大学を支える職員」のイメージを覆すきはらラジオですが、「時間とそこにかける思い、あとはこんなことを始めるネジの外れかたがあれば誰でもできる」と言います。

 

木原さんの活動の原動力は、「在学生に大学のことを好きになってほしい」という思いなのだそうです。2010年の入職当時、職員と学生の関係性が想像よりもドライだったことにショックを受けた木原さん。自分ができることをやろうと奮起して、毎朝大学の入り口に立って挨拶を始めます。「点数稼ぎだ」と非難されることもあったそうですが、あいさつ運動はしだいに学生や教職員を巻き込み、最後には理事長も加わる運動に発展しました。この体験から、「学生たちの大学に対する信用は、人対人の関係の中で生まれる」と確信。木原さんは、大学公式・非公式を問わずいろいろな活動を始めます。

京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん

京都芸術大学アドミッション・オフィスの木原考晃さん

 

そして2020年、新型コロナウイルスの感染拡大が大学にも影を落とします。入学式は延期になり、4月から登校もできないという状態に。そんな新入生のためにできることはないかと考え、木原さんは3月に新入生向けZoom懇親会を始めます。この活動が学内で評価され、4月にはSNSワークショップ「みんなでぼっちゼミ」につながります。教員がYouTubeで課題を発表して、新入生がInstagramで作品を提出するというユニークな企画は、日経新聞をはじめさまざまなメディアで取り上げられました。

 

今の状況で何ができるのかを考え、スピーディーに実行してきたという木原さん。2020年6月に「きはらラジオ」がスタートするのですが、思い立ってから最初の配信まで、わずか4日間だったそう。「再生回数は決して多くありませんが 、在学生に大学を好きになってほしいという思いで続けています。そんな思いを持った職員さんがいらっしゃったら、こうした活動をどんどんやって職員の仕事の幅を広げていってほしい」と締めくくりました。

 

個人対個人のコミュニケーションはSNSをはじめとするツールならではの新しい魅力ですが、この持ち味は組織として運営する中では発揮しづらい側面もあります。その点を個人のバイタリティで突破してしまう、木原さんの愛の深さにただただ敬服しきりでした。大学職員に限らず、社会人として仕事をする上で大切なものを教えていただいた気がします。

卒業研究から生まれた大学公認VTuber「芝浦ミドリ」

最後の登壇者は、芝浦工業大学を今年3月に卒業した林響紀さん。現在はイラストレーター・グラフィックデザイナーとして活躍されている林さんは、芝浦工業大学デザイン工学部のPRを担うVTuber(バーチャルユーチューバー)「芝浦ミドリ」を在学中に生み出しました。

 

芝浦ミドリhttps://www.youtube.com/channel/UCKZmIdPTSIzveY725aGrShw

芝浦工業大学デザイン工学部PR VTuber「芝浦ミドリ」

芝浦工業大学デザイン工学部PR VTuber「芝浦ミドリ」

 

「芝」をイメージしたグリーンの衣装が目印の芝浦ミドリ。2020年12月にYouTubeチャンネルで最初の動画が公開され、現在も芝浦工業大学やデザイン工学部をPRする動画が続々とアップされています。運営している「芝浦ミドリプロジェクト」はデザイン工学部の有志の学生の集まりなのだそうです。大学側からは企画広報課の河内さんが参画し、コンプライアンスに基づくチェックなどのバックアップをされています。

 

企業や自治体などのPRにも起用されているVTuberですが、大学PRに起用されることになった発端は、ズバリ「VTuberによる大学PRの提案」と題した林さんの卒業研究でした。卒論の中で林さんは10代の約70%がVTuberを認知しているという点に着目し、受験生向けの情報発信に起用することを提案します。大学側がこの提案を受け入れ、芝浦ミドリは実際に学部公認VTuberとしてデビューを果たしたのでした。

芝浦ミドリの生みの親・林響紀さん(左)と、芝浦工業大学企画広報課の河内惇さん(右)

芝浦ミドリの生みの親・林響紀さん(左)と、芝浦工業大学企画広報課の河内惇さん(右)

 

大学広報にVTuberを活用する利点として、林さんは3つのポイントを挙げます。一つ目に「話題性」、大学の硬いイメージと良い意味でギャップがあり、若者が親しみやすいこと。次に「即効性」、キャラクターの外見に大学の特徴を盛り込み、一目で伝えられること。最後に「利便性」、担当者が顔出しする必要がなく、オンラインで制作作業を分担できること。

 

一方で、まだ知識を持っている人が少なく運用できる人が限られること、コンテンツとしていつまで人気が続くかわからないことといった課題もあるようです。とはいえ、大学を知ってもらうきっかけとして今後ひとつの選択肢になりそうです。

 

学生が開発し、大学がアイデアを採用してバックアップするという関係性も素敵な「芝浦ミドリプロジェクト」でした。

 

見た目のインパクトだけでなく、意外とさまざまな面で大学広報と相性が良さそうなVTuber。勉強会の数日後には、人気VTuberのキズナアイが大正大学の期間限定「バーチャル学長」に就任するというニュースも話題になりました。この流れが全国の大学に広がっていくのか、ぜひ注目していきたいです。

大学による動画表現はこれからどうなる?

各大学の発表が終わり、勉強会の後半はトークセッションを行いました。ほとゼロが用意した「シリーズ物の動画を続けるコツ」、「視聴者を増やす工夫」、「今後チャレンジしたい企画や動画表現」などの質問に答えていただきつつ、登壇者同士でも質問が飛び交いました。

 

最後に、「今後、大学の動画表現はどうなっていくのか」という問いについて皆さんの意見をお聞きしました。

 

「教員としてはまずは授業が大切。学生にわかりやすい伝え方として、動画などの手段が手軽に使えるようになったのはありがたいです。あとは、今は日本で理工系の学生が減少していることに危機感を持っています。疑問を抱くことの大切さをどう伝えていくのか。若い世代のために発信を頑張りたいです」(須藤さん)

 

「僕は動画制作をメインに委託を受けている立場なので、その枠組みを越えると契約外にはなってしまうのですが、その点を気にしなければTwitterやInstagram、Clubhouse(音声SNSアプリ)などで仕掛けられることはまだまだある気がしています。これからは動画表現だけにこだわらずに、メディアの垣根を越えて全体として表現することが大切になってくると思います」(小沢さん)

 

「私たちは視聴数でお金を得たいわけではないので、たとえ200人しか見ていなくても、大学の知りたいと思って見てくれている200人なら価値があります。目的を忘れないことは大切だと思います。かつ、人々が情報を手に入れる手段は変わってきているので、次は音声メディアが必要になってくると思うので、それぞれのメディアで200人ずつ視聴者を獲得していく感覚でいければいいかなと思います」(木原さん)

 

「大学公式のハイクオリティなものと、YouTuberのような学生たちの自主的な表現活動に二極化していくと思います。実際の学生たちが興味を持つのは後者で、その情報の中には大学の良い面だけでなくマイナス面も含まれています。僕はこれが良い流れになると思っていて、大学側も外面だけでなく、中身を良くしていこうという動きに繋がっていくと思うんです」(林さん)

 

大学教員、職員、学生、そして制作のプロフェッショナルと、これまでの勉強会の中でもとりわけ多彩な方々に登壇いただいた第5回勉強会でした。新しい表現方法に挑戦するからこそ、人に何かを伝える、人と何かをつくるという素朴なコミュニケーションのあり方についても考える機会になりました。登壇者のみなさま、ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

勉強会は今後も開催を予定しています。次回もどうぞお楽しみに!

 

台湾への修学旅行をサポート! SNET台湾共同代表・赤松美和子先生に聞く「台湾との出会い方」

2021年8月10日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

日本人にとって最も馴染み深い「お隣さん」の一つである台湾。南国の気候とレトロな街並み、フレンドリーなイメージで海外旅行の定番になっているのはもちろん、台湾スウィーツもすっかり日本の若者の間で市民権を得ている。昨年は新型コロナウイルスへの対応で注目を集め、IT担当大臣オードリー・タンは日本でも一躍時の人に。最近どうも台湾が気になるぞ……という方も多いのでは。

 

台湾についてもっと知りたい。だけどどこから手をつければいいのか……と調べていたところ、見つけたのが「日本台湾修学旅行支援研究者ネットワーク(以下、SNET台湾)」。なんでも、台湾研究者が台湾への修学旅行をサポートする取り組みを行っているのだそう。一体どんな風に高校生に台湾を紹介しているのか、そこに台湾の今を知る鍵がありそう……ということで、共同代表の赤松美和子先生にお話を伺った。

初めての台湾との出会いをエスコートする 

早速ですが、どうして修学旅行をサポートする活動を始められたのでしょうか?

 

「地理的な近さや治安の良さもあり、台湾は修学旅行でもとても人気があります。2018年のデータでは、修学旅行で海外に行く高校生の3分の1にあたる5万7000人の行き先が台湾でした。しかし残念なことに、高校の歴史では台湾について学ぶ機会がほとんどありません。高校の先生たちも旅行会社の方もお忙しい中、事前学習にまでなかなか手が回らないのが現実です。

 

多くの高校生にとっては初めての海外旅行で、せっかく色々なことを学べるチャンスなのに、結果として人気の観光スポット、バスで移動しやすいコースを回るだけになってしまっている……そんなお話を台湾研究者仲間の洪郁如先生(一橋大学)、山﨑直也先生(帝京大学)からお聞きしました。それなら研究者として何かお手伝いできることがあるのではないかということで、台湾への修学旅行の事前学習やコース選定をサポートするために2018年に3人で立ち上げたのがSNET台湾です。実際の活動では、日本台湾学会に所属する研究者をはじめ、さまざまな方が協力してくださっています」

お話を伺った赤松美和子先生

お話を伺った赤松美和子先生

 

台湾といえば、中国との複雑な関係があり、日本とも関わりが深い親日国……こんなイメージで修学旅行に行くのは不十分でしょうか?

 

「確かに、『台湾は親日国だ』とよく言われますよね。インターネットで調べてみると、日本が台湾に近代化をもたらしたとか、台湾のためにダムを作ったという情報が出てきて、『だから台湾は日本に恩があり親日なんだ』と思ってしまう方もいらっしゃるようです。だけどそれらは、植民地時代にあくまで日本の都合で行われてきたことなんですよね。

 

実際、台湾の人は海外から来た人に対してフレンドリーなのですが、こちらが勘違いして上から目線で接しては失礼ですし恥ずかしいですよね。高校生には『親日台湾』というレッテルをとり払って、お互いのことをよく知り、尊敬しあえる『お友達』の関係を作ってほしい。そうすることで、台湾に限らず国際社会でいい関係を築くことができるようになります。そのための出会いのエスコートをしたいというのも、SNET台湾を始めた動機です」

 

う〜んなるほど。きちんと勉強していくことは相手への最低限の敬意を示すことでもあるわけですね。私も台湾に旅行に行ったことがあるんですが、恥ずかしながらその時はそこまで考えずに遊びまわっていました……。

 

「もちろん、日本に帰ってきてから勉強しても遅くはありませんよ! 私自身も初めは何もわからずに台湾の土を踏みましたから……。だからこそ、今の高校生にはその次のステップから始めてほしいと思ったりします」

出張講座で事前学習をサポート

具体的にはどんな取り組みをされているのでしょうか?

 

「設立当初から取り組んでいるのは、研究者による出張講座です。事前学習・事後学習の一環として高校に呼んでいただいて授業をするのですが、最近はオンライン講座がほとんどですね。その他、修学旅行に関して先生からの個別のご相談を受け付けたり、台湾に関する中高生への教育普及をテーマにした公開講座を開催したこともあります」

出張講座の様子。現在は主にオンラインで開催している

出張講座の様子。現在は主にオンラインで開催している

 

研究者の先生方から直接教わることができるのは、高校生にとっては貴重な体験ですよね。台湾についてほとんど知らない生徒さんも多いと思いますが、事前学習で工夫されていることはありますか?

 

「出張講座の形式は各校の要望に合わせています。例えば、こちらから一方的に授業をしても面白くないので、生徒さん達に事前に調べてきてもらった内容をプレゼンしてもらって、それに対して専門家としてアドバイスするという形もおすすめです。物価を調べるときに台湾元と中国元を混同してしまうような間違いもあるんですが、一生懸命調べてきてくれたのは偉いことなので、傷つけないように『両方知れてよかったね』とフォローしたり(笑)。

 

それと、高校生も知ってるような共通の話題を見つけるということも大切ですね。タピオカなんかがわかりやすいですが、PCなどのデジタル製品、ナイキのシューズ、化粧品など、意外と身の回りにたくさんある台湾製品を話題のとっかかりにしています。そういう点では、K-POPが大流行している韓国がうらやましいと同時に、もっと仲良くできればいいのに……とも思います」

 

台湾製品が身の回りに沢山あると知るだけでも、台湾を知る手がかりになりそうですね。ところで、昨年、今年とコロナの影響で修学旅行が中止になってしまった学校も多いのでは……?

 

「そうですね、残念ながら今は渡航できる状態ではないので、来年の春以降の計画のご相談が多いです。修学旅行の中止は決まったものの、『せっかくの国際交流の機会をなくしたくない』と先生が奮起されて、有志の生徒で英語でニュースレターを書いて台湾の高校生と交換し合うという取り組みをされている学校もあります。私たちはそんな生徒さんから質問をいただいて答えたりもしています。

 

それと、今はオンラインコンテンツをたくさん用意していて、今後はオンライン講義と組み合わせて事前学習を充実させたいと考えています」

 

高校でもSNET台湾でも、高校生のために今できることに取り組まれているんですね。

 旅行の計画に役立つオンラインコンテンツ

オンラインコンテンツでは、誰でも自宅で台湾について学べるそうですね。

 

「YouTube SNET台湾チャンネルでは、専門家が高校生に向けて台湾の基礎知識をレクチャーする『台湾修学旅行アカデミー』シリーズ、それに台湾の博物館の動画を翻訳して冒頭に簡単な紹介を付けた『おうちで楽しもう台湾の博物館』シリーズを公開しています」

 

実は、取材の前に『台湾修学旅行アカデミー』を拝見しました! 台湾の複雑な歴史・政治的背景が会話形式でよくわかり、勉強になりました。

「台湾修学旅行アカデミー」赤松先生のおすすめは、第1回の『台湾とは何か?』。ゲストは東京大学の松田康博先生

「台湾修学旅行アカデミー」赤松先生のおすすめは、第1回の『台湾とは何か?』。ゲストは東京大学の松田康博先生

 

「ありがとうございます! もう一つ、ぜひ見ていただきたいのは『みんなの台湾修学旅行ナビ』です。こちらは学びの目的に沿って旅行プランの組み立てをサポートするサイトになっています。現在およそ150のスポットが登録されていて、それぞれ解説や事前学習のヒントなどを掲載しています。歴史、文化、自然のほか、ジェンダー、民族、人権、エネルギー、SDGsといった社会的なテーマに関連したスポットやモデルコースを紹介しているのが特徴です」

 

テーマ設定がさすが2020年代だ……! 私もこれでコロナ明けの旅行プランを練ってみたいです。しかし、これだけの情報量だとかなり手がかかっているのでは?

 

「『みんなの台湾修学旅行ナビ』は、日本の文部科学省にあたる教育部に賛同していただいて実現しました。日本台湾学会の研究者の皆さんや、台湾の大学の先生方、台湾在住のライターさん、学芸員さんなど約50人に執筆していただいています。先生や生徒さんに改善点をヒアリングしていて、今後もバージョンアップしていく予定です。『みんなの』台湾修学旅行ナビですから、高校生に限らず、台湾旅行に行く際に活用していただけると嬉しいです!」

「みんなの台湾修学旅行ナビ」トップページ。堅苦しさは少しも感じさせないかわいいデザイン

「みんなの台湾修学旅行ナビ」トップページ。堅苦しさは少しも感じさせないかわいいデザイン

台湾に飛び込んで感じる、市民のエネルギー

学習テーマに文化や歴史だけではない社会的なテーマが並んでいるのは、それだけ台湾社会から学べることが多いということでしょうか?

 

「はい。台湾はこの20年で、ジェンダー平等、移民、若者の政治参加、環境エネルギー問題……と日本がまだまだ十分に取り組めていないさまざまな問題に積極的に取り組んできました。『みんなの台湾修学旅行ナビ』でもなるべくそうしたテーマに関係のあるスポットを掲載しています。

 

例えばLGBTというテーマでは、毎年10月の最終土曜日に開催される『台湾LGBTプライドパレード』を取り上げています。台湾はこうした市民運動をしている方々が本当に魅力的で、難しい問題を面白く説明してくれて、お話しするだけですごくエネルギーをもらえます。同じくナビで取り上げている『台湾同志ホットライン協会』は1998年に設立され、多様な性のあり方についての啓発活動を行っている団体です。LGBT当事者の子どもを持つ親御さんからの電話相談も受けていて、かつて自分の子どもで悩んだお父さん、お母さんたちがボランティアで相談員を買って出たりしています。専任の職員さんも沢山いるのですが、どうやって運営資金を調達しているのかを聞くと、年に一度パーティーを開くと、活動を支持する人々から沢山の寄付が集まるんだそうです。

 

台湾では『誰かが始めた活動を応援する』という文化が根付いているんです。現地の方々と直に接することで、高校生が何かを感じ取ってくれると嬉しいです」

「みんなの台湾修学旅行ナビ」より、台湾同志ホットライン協会のスポット紹介

「みんなの台湾修学旅行ナビ」より、台湾同志ホットライン協会のスポット紹介

 

ふむふむ。事例に学ぶだけでなく、ポジティブでエネルギッシュな空気に触れること自体が良い刺激になりそうですね。台湾のこうした空気はいつ頃からあるのでしょうか?

 

「昔からそうだったわけではなく、民主化が達成されてからここ20年の変化が目覚ましいですね。国際関係が不安定なこともあり、これから先、国をどうしたいかを自分自身の問題として考えて行動している人が多いです。もちろん、それぞれの人が持っている意見はさまざまですし、市民活動も決して良い面ばかりではないのですが、それでも思いを行動に表す人は尊重される気風があります。

 

次世代を育てるということにも熱心で、企業の社長さんが母校に奨学金を作ったという話もよく聞きます。選挙の時もそうですね。都市部に出てきている若者は実家に帰って投票することになるんですが、そのために市井の人々が寄付を出しあってバスを手配することもあるそうなんです。若者にチャンスを与えようという気風は学問の世界にもあって、私自身、初めて学会発表をさせてもらえたのは台湾の学会だったんですよ」

 

2014年には「ひまわり学生運動」が大きなニュースになりましたが、台湾の若者のアクティブさは大人の後押しもあってこそなんですね。私たち大人こそ、台湾から学べることがたくさんありそうです。

台湾を知ることで、日本やアジアが見えてくる

ところで、赤松先生ご自身は台湾のどんなところに魅力を感じておられるんですか?

 

「一番好きなのは、多様性に対する包容力ですね。私の専門である文学で言えば、テキスト自体が公用語の中国語だけでなく台湾語で書かれていたり、ときどき日本語や英語が出てきたりもします。台湾には先住民族の方々や、さまざまなルーツを持つ移民もたくさん暮らしていて、そんな多様性を文学も包摂してきたんです。作家自身も活動的で、夏休みに作家を囲んで文学ファンたちが集い、合宿を行う『文学キャンプ』という文化が根付いています。人と人が出会い、対話することで文学も前進してきました」

 

憧れの作家と過ごせる文学キャンプ、面白そうです! 文学がしっかり社会とつながっているんですね。

 

「そうですね。台湾はアジアで初めて同性婚を合法化した国ですが、台湾の文学や映画は30年前から同性間の関係を描いてきました。新しい作品が書かれたらすぐに研究の俎上に乗せられ、創作と研究が一緒に発展してきたのも台湾の特徴です。社会を動かすにはそうした言葉の力がとても大切です。私が台湾文学研究者だから感じるのかもしれませんが、ある意味、文学や映画が台湾社会を引っ張ってきたとも言えますね」

 

またいずれ、台湾文学や映画についてもお話を伺いたいです。最後に改めてお聞きしたいのですが、日本で台湾への注目が高まっている今、私たちはどんな視点で台湾について学べばよいでしょうか?

 

「多くの日本人に台湾が印象付けられた出来事といえば、2011年の東日本大震災で台湾から多くの義援金が送られたことでした。その時は『親日台湾』のイメージから抜け出すことはできなかったのですが、今回のコロナ禍で日本から見た台湾のイメージが変わりましたよね。台湾内部の政治体制にまで注目が集まったのは大きな変化だと思います。この機会にもう一歩踏み込んで、オードリー・タンの活躍の背景にある市民社会の方にも目を向けてほしいです。

 

そして、台湾から学べることがたくさんあるということはお話ししてきた通りですが、それでは日本はどうなのか、アジアの国々の関係はどうかというところまで視点を広げてみていただきたいです。台湾を知ることは、日本やアジアについてより深く感じ、相対化して考えられる機会になると思います。台湾に限らず、いろいろな国の人とお友達になれば見える世界が広がりますよ」

 

ありがとうございました!

 

 

 

定番の観光スポットをめぐるだけでは見落としてしまう台湾の魅力をたっぷり伺うことができた。また旅行に行ける日を楽しみに、あなただけの台湾旅行プランを考えてみてはいかがだろうか?

「家族」の中の見えない関係性を、哲学と社会学で解きほぐす。立命館大学のセミナー「人間関係のデモクラシー」レポート

2021年8月3日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

一番身近な存在であるがゆえに一筋縄ではいかないのが「家族」という人間関係。かけがえのない安らぎを与えてくれる一方で、プライベートな関係であるだけに、知らず知らず負担が誰かに集中してしまうことも。

 

近年、多様な家族のあり方について議論される機会が増えてきましたが、それでも多くの人にとって家族の関係性は「選べないもの」で「変えられないもの」と思われがち。しかし、本当にそうなのでしょうか?

 

家族をはじめとする人間関係のあり方に、学問の視点でメスを入れるオンラインセミナーがあると聞き、立命館大学教養教育センター主催の「人間関係のデモクラシー−“家族”から思考する」を聴講しました。

現代フランス哲学から考える、自由と平等を実現する「代わりばんこ」

「今まさに起こっている社会問題や学生の悩みに対して、教員と学生がフラットに出会い自由に語り合う場」としてスタートした立命館大学のオンライン企画「SERIESリベラルアーツ:自由に生きるための知性とはなにか」。2021年度の第1回目となる今回のセミナーは、“家族”を起点にして哲学と社会学の視点から人間関係にまつわる問題を取り上げる内容です。

 

一人目の発表者は、立命館大学衣笠総合研究機構助教の横田祐美子さん。「自由と平等のための輪番制」と題して横田さんが注目するのは、家族というシステムです。親密でプライベートな関係性でありながら、普段は気づきにくい家庭内の序列、力関係が対外的な場面で現れると言います。

横田祐美子さん。中学生の頃から学校に提出する保護者欄に父親の名前だけを書くことに疑問を感じて、ときどき母親の名前に入れ替えていたそう

横田祐美子さん。中学生の頃から学校に提出する保護者欄に父親の名前だけを書くことに疑問を感じて、ときどき母親の名前に入れ替えていたそう

 

例えば、年賀状で家族の名前を書く順番はいつもお父さん、お母さん、子供の順番。結婚式や披露宴では、席順や挨拶の順番も新郎側の次に新婦側、父親の次に母親と厳格に序列化されています。もっと些細な場面でも、学校に提出する書類の保護者欄に書くのは大抵お父さんの名前……人によっては些細なことに感じられるかもしれませんが、こうした「当たり前」が反復されることで、家族内での権力関係が固定化されているのではないか? と横田さんは考えます。

 

この序列に小さな違和感を持っていた人、実は多いのではないでしょうか? 筆者の家庭は父親が亭主関白というわけでもありませんでしたが、だからこそ、公的な場面でいつも父親が家族の代表になる、イコール母親が一歩下がる形になることにちょっとした居心地の悪さを感じたものです。でも母親自身が不満に思っている様子もないし、結局それが「当たり前」と流してしまっていたかも……。

 

では、そんな「当たり前」をどうやったら打破できるのか? ここで登場するのが現代フランス哲学です。

 

横田さんによると、現代フランス哲学は「同じものの反復に差異を導入する」ことを試みてきたそうです。その中でも、自由と平等を実現する手段として哲学者のジャック・デリダが著書『ならず者たち』で唱えているのが「代わるがわる」。人間は時間と空間から逃れることができないため、ある人が占有している時空間に、別の人が同時に存在することはできません。それは別の人を排除しているということでもあります。だから、代わりばんこに席替えをすることでしか自由と平等は実現できないというわけ。

デリダが唱える「来たるべき民主主義(デモクラシー)」では、権力の座は回転する車輪のように輪番制になっていて、誰もがそこに出入りできる(横田さんの発表スライドより)

デリダが唱える「来たるべき民主主義(デモクラシー)」では、権力の座は回転する車輪のように輪番制になっていて、誰もがそこに出入りできる(横田さんの発表スライドより)

 

横田さんが実践しているという「代わりばんこ」のアクションは至って明快。自分の結婚式を挙げるときに、親族に「結婚式のデモクラシー」と題したマニュフェストを配ったそうです。新郎→新婦の順で進む式次第の半分を新婦→新郎に入れ替え、高砂の席順も途中で入れ替える。結婚式という家父長制が強い場面でも、「代わりばんこ」を導入することで平等を体現できることを身をもって示しました。その後も、年賀状の宛名の順番など、折に触れて「代わりばんこ」を実践し、徐々に家族や周囲に浸透してきたそう。

 

このお話を聞きながら筆者は心の中で喝采を送っていたのですが、一方で実践するにはすごく勇気がいるし、特に高齢の親族を説得するのは大変そう。黙って従っておいたほうが楽なのでは……そんな風に考える人の気持ちも正直少しわかってしまいます。

 

こんな気持ちに対して横田さんは、「相手につまずきを与え、考えるきっかけを作るのが大切。差異の到来を恐れず、とにかく一度挑戦してみて」と背中を押します。

性別二元社会から自由になるための「日常におけるレジスタンス」

後半の発表は大阪市立大学文学部准教授の平山亮さん。「家庭における役割と性差のつくられ方」と題して、ジェンダーの問題について社会学の視点から考えます。

 

役割とは何かを考えるために平山さんが挙げたのは、成人した娘に何かにつけて口を出すある母親の例。日々の行動を把握して、人間関係にまで口を出してくる……カウンセラーは「母親としての役割を過剰に身につけた結果」と診断したということなのですが、本当にそうなのでしょうか。もしこれが母親ではなくご近所さんだったとしたら、ストーカー行為になるのでは……?

平山亮さん。「社会学の面白いところは、今見えているものがひっくり返されること。枠組みをぶっ壊される感じが楽しい」

平山亮さん。「社会学の面白いところは、今見えているものがひっくり返されること。枠組みをぶっ壊される感じが楽しい」

 

ストーカーと見なされかねない行為が、なぜ母親のお節介の延長に見えてしまうのか。それは私たち自身が、「彼女は母親だ」という情報をもとに、その人の行動を「母親とは普通こういうもの」という母親役割と結び付けて解釈しているからだと平山さんは言います。

 

「〇〇とは普通こういうもの」という共有された考え方を、「規範」と言います。役割とは、ある立場に関する規範のこと。その中でも「女とは/男とはこういうもの」という「性役割」に着目してみると、「女性=ケアをする存在」という性役割を前提にした秩序(「性別分業」)が見えてきます。ケアとは家事や育児、介護などに限らず、「他者が必要とすること、したいことが実現できるよう下支えすること」全般を言います。

 

この世には女と男の2つの性しかない、とする性別二元社会では、女性にとっての他者は男性に当たります。したがって、性別分業とは「男性がしようとしていることを女性が支え、邪魔しない」ための秩序だと言えます。だとすれば、男子が医師になる機会を奪わないため、という名目で女子を不当に不合格にした医学部入試の問題や、結婚にともなう改姓の不利益を男性が被らないように、女性が姓を変えることを当然とする婚姻制度、そんな女性の生きづらさを訴えると「男の生きづらさにも配慮せよ」と、女が男の問題に目配せしないと「いけないこと」をしているかのように言われること……全て、「男を支えるのが女だ」……という性別分業が根底にあると平山さんは指摘します。

 

「女性の方が気配りができる」「女性の方が感情的」という、つい言ってしまいがちな言説にも注意が必要です。言うまでもなく、これらは該当しない事例がいくらでもありうる偏見です。しかし、気配りができる男性がいれば「女子力高い男子」に分類し、感情的な男性がいれば「男は乱暴な生き物だから」と別のステレオタイプに結びつけるというふうに、巧妙に例外を排除しながら「女と男はいかに本質的に異なる存在か」が語られ続けてきました。平山さんによると、「行動を性役割に沿って解釈することで、私たち自身が『女と男はやっぱり違う』というリアリティを作り上げている」のです。社会学ではこれを「“doing” gender」と呼ぶそうです。doingになぜ引用符(“ ”)が付いているかというと、これは人々が性役割に沿って行動している、のではなく、そのように行動している“ように見える”という意味を込めているからです。

「男と女はこんなに違うのだ」というリアリティを、私たち自身が作り上げてしまっている(平山さんの発表スライドより)

「男と女はこんなに違うのだ」というリアリティを、私たち自身が作り上げてしまっている(平山さんの発表スライドより)

 

「女子力高い!」なんて安易に使ってしまってなかったかな……と筆者も胸に手を当ててみます。それでは、男女で区別することを当然視する社会にどうやって抵抗していけばいいのでしょうか?

 

平山さんによると、「やっぱり男は〜だよね」とか、「女なんだから〜すべきではない」といった二分法的なものの見方・評価に対して、「それは違うんじゃないですか?」とこまめに異議を挟んでいくことが大切なのだそうです。平山さんはこれを「日常におけるレジスタンス」と呼びます。気づきの種をばら撒くことで周りの人の行動が変わり、私たち自身の“doing” genderも少しずつ変わっていくかもしれません。

 

発表の締めくくりで平山さんが言った「一人では変わらないが、ひとりでには変わらない。一人ひとりができる範囲で行動することで、少しずつ変えていくことができる」という言葉が印象的でした。 

小さなアクションの積み重ねが社会を変える

ここ数年さまざまな場面で議論されるようになったジェンダー問題。その根っこを掘っていくと、一人ひとりの意識と行動が問われているということがお二人の話でよくわかりました。そこで横田さんと平山さんが提案するのは、小さなアクションで別の見方・やり方を示すことでした。発表の後のトークセッションでは、そんなアクションに関する質問が視聴者から寄せられました。

 

「指摘したことに対して『言い方に気をつけなさい』と言われたら?」という質問にお二人は、人間関係なので失礼にならないような配慮も大切としつつも、「絶対に怒らないといけない場面では、ちゃんと怒ることが必要(横田さん)」、「怒りを表明した人を周囲の人が支えてあげて(平山さん)」とアドバイス。

 

現状を変える必要を感じていない人との向き合い方に関しては、「『あなたは積極的に変えようとしてくれなくてもいいけれど、私が変えたいと思うところを変えられる自由は保障して、私の邪魔はしないで』というコミュニケーションも時には必要なのではないか」という平山さんのアドバイスが印象的でした。

 

この他にも様々な質問が寄せられ、話題はDV、職業としてのケア労働者の待遇、哲学が抱える身体性の軽視の問題にまで広がりました。日頃から研究と実践の両方に取り組むお二人のお話は、困っている人には環境を変えるための武器に、そうでない人には気づきの種になるものばかりでした。

 

今回のセミナーのタイトルに掲げられている「人間関係」という言葉。これって「私とあなた」「私と身近な誰か」の関係性のことで、社会というものはその延長でしかないのかもしれません。家族や周囲の人と正面から対話することが、ほんの少し社会を変える一歩になるのかも……そんなふうに考えるきっかけになったひとときでした。

右から横田さん、平山さん、モデレーターの柳原恵さん(立命館大学産業社会学部准教授)

右から横田さん、平山さん、モデレーターの柳原恵さん(立命館大学産業社会学部准教授)

 

セミナーの模様はYouTubeでも配信されています。

Ritsumeikan Channel

 

「SERIESリベラルアーツ:自由に生きるための知性とはなにか」の最新情報はこちら。
立命館大学教養教育センター

 

珍獣図鑑(11):17年に一度の大発生! 周期ゼミの遺伝子に仕掛けられた“時計”を探せ

2021年7月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第11回目は、「17年に一度の大発生」がニュースで話題になっている周期ゼミについて、京都大学の曽田貞滋先生にお聞きしました。それではどうぞ。(編集部)


実は3種類のセミが混ざっている!?

北米で大発生中の17年ゼミ、街路樹をびっしり覆っている映像はかなりインパクトがあります。一体どんなセミなのでしょうか?

 

「まず、17年ゼミというのは1種のセミではありません。今年大発生している17年ゼミは、3系統のセミが同時に発生しているんです。

 

土の中で幼虫として長い時間を過ごし、13年や17年という周期で一斉に羽化を行うセミを周期ゼミと呼んでいますが、分類としては北米大陸東部に生息するセミ科チッチゼミ亜科のマジシカダ属のセミを指します。マジシカダ属のセミは3つの系統(種群)に分けられますが、それぞれの種群に13年ゼミ、17年ゼミがいて、現在7種(13年ゼミ4種、17年ゼミ3種)が知られています。それぞれの系統は見た目こそよく似ていますが、オスの鳴き声が全く異なるので、明確に聞き分けることができます」

曽田先生らのグループがゲノム解析で明らかにした周期ゼミの3系統。同系統の13年ゼミと17年ゼミは遺伝的に非常に近く、外見では見分けがつかない

曽田先生らのグループがゲノム解析で明らかにした周期ゼミの3系統。同系統の13年ゼミと17年ゼミは遺伝的に非常に近く、外見では見分けがつかない

 

むむむ!? 17年ゼミだけで3種いるんですか。今年発生したのは「ブルードⅩ(テン)」というセミだとニュースで聞きましたが。

 

「ブルードというのは、発生年ごとに割り当てられた集団の呼称ですね。1893年を起点として、そこから1年ごとに発生する17年ゼミの集団がブルードⅠ〜ⅩⅦ、同じように13年ゼミがブルードⅩⅧ〜ⅩⅩⅩと名付けられています。これは仮定上の割り当てなので、実際にはこれまで発生が確認されていないブルードや絶滅してしまったブルードもあり、現存するブルードは17年ゼミで12個、13年ゼミで3個です。

 

各ブルードは発生年だけでなく、発生地域も棲み分けられています。今年発生しているブルードⅩは、東海岸から内陸部まで広く分布していて、その中に首都ワシントンD.C.も含まれるので大きなニュースになっているんでしょうね」

全ブルードの分布図。北部に17年ゼミ、南部に13年ゼミのブルードが分布している

全ブルードの分布図。北部に17年ゼミ、南部に13年ゼミのブルードが分布している

 

分布図を見るとまるでパズルみたいですね。3つに分かれた系統のそれぞれが13年ゼミと17年ゼミに分岐しているのも、発生年ごとに分布が綺麗に棲み分けられているのも、すごく不思議だ…!

じっくり育って天敵を数で圧倒。驚きの生存戦略

そもそも、13年と17年って人間ならば中学生、高校生の年頃。昆虫としては異様に長生きですね。日本ではセミというと7年ぐらいで成虫になるイメージです。

 

「昆虫ではアリの女王が10年以上生きることが知られていますが、幼虫の期間が周期ゼミほど長いものは非常に珍しいですね。氷河期の寒冷な気候のもとで十分に成長するため、幼虫として長い時間を過ごすように進化したという説があります。

 

ちなみに、日本で馴染み深いクマゼミやアブラゼミは幼虫の期間がはっきり決まっているわけではなく、同じ年に産卵された卵でも羽化のタイミングは5年後だったり8年後だったりとバラバラです」

 

寿命の長い周期ゼミは研究対象としても長く付き合っていく覚悟が要りそうですね……。一度に大量に発生するのも何か生存に有利になる理由があるのでしょうか。

 

「限られた地域で天敵が食べ尽くせないほど一気に大発生することで、より多くの個体が生き延びることができ、繁殖の機会も増えるのだと考えられます。ちなみに、周期ゼミは日本で見かけるセミほど俊敏に飛び回ることもなく、羽化した場所からほとんど動かずに交尾・産卵します。遠くに飛んでいくような個体は、群れでいることのメリットを受けられないため子孫を残せないのでしょう」

現地調査で撮影した13年ゼミ。あまり動かないので簡単に捕まえられる(撮影:曽田貞滋)

現地調査で撮影した13年ゼミ。あまり動かないので簡単に捕まえられる(撮影:曽田貞滋)

 

じっくりと体を成長させ、圧倒的な物量で天敵を凌駕する……何だかバトル漫画かパニック映画のキャラクターみたいですが、天敵にとっては入れ食い状態ですね。生態系のバランスが崩れてしまったりしないんでしょうか?

 

「そうですね。現地で調査をしていると、お腹の部分だけを食いちぎられてまだ生きているセミをよく見かけます。セミはいくらでもいるので、リスや鳥などは美味しい部分だけを食べてあとは捨ててしまうのでしょう。そのほかの天敵としてはセミに寄生するハエカビの1種(真菌類)がいます。腹部に寄生して生殖能力を奪うのですが、寄生されたセミはゾンビのように交尾相手を探し、交尾行動をとることで菌を媒介してしまいます。

 

いずれにしても13年または17年に1度なので、セミのおかげで天敵の小動物が一時的に増えることはあっても、生態系のバランスが崩れるということはなさそうです」

お腹だけを食べられ、まだ生きているセミ。地面から木に登ってくる様子はゾンビのよう(撮影:曽田貞滋)

お腹だけを食べられ、まだ生きているセミ。地面から木に登ってくる様子はゾンビのよう(撮影:曽田貞滋)

 

ところで、周期ゼミは「素数ゼミ」とも呼ばれていますね。なぜ13年や17年という素数周期(!?)で発生するのでしょうか?

 

「13と17の最小公倍数は13×17=221ですね。理論上、13年ゼミと17年ゼミは221年に1度しか出会わないことになります。このように素数周期で発生することで、他の周期ゼミとの交配の機会が減り、大発生の周期が維持されてきたのではないかという説があります」

 

たとえば13年ゼミと17年ゼミが交配して一部が15年ゼミになったら、大発生のメリットが薄れてしまうということですね。他の周期とぶつかりやすい周期のセミが淘汰されて、素数周期のセミが生き残ったと……うまくできていますね!

 

「数理生物学者の吉村仁さんがこの説を発表した時は、自然界の法則の美しさに私自身とても心を動かされ、周期ゼミに関心を持つきっかけにもなりました。

 

しかし、この説には落とし穴があって、13年、14年、15年……といったさまざまな周期がある年を起点に一斉にスタートしない限り、素数だから他の周期とぶつかりにくいとは言えないんですよ。近年は、研究者の間では素数とは別の見方が主流になっています」

魔法の数字は素数ではなく「4」だった!?

素数とは別の見方ですか。曽田先生はどんな視点で周期ゼミを研究されているんでしょうか?

 

「私の関心は、地球上の生物が多様な進化を遂げてきた秘密を、その生活史——発育や生殖といった一生のサイクル、またそれらが環境とどう関わっているか——から明らかにすることです。これまでオサムシなどさまざまな昆虫を研究対象にしてきました。周期ゼミは非常に面白い生活史をもつ昆虫として注目していましたが、調査に加わった直接のきっかけは、2007年に吉村仁さんが始められた全ブルードのサンプリング調査に参加したことでした。以来、周期ゼミの系統進化をゲノム解析を用いて研究しています。

 

現在の課題は、13年と17年という周期の違いがどのようにして起こるのか、具体的には、周期ゼミの幼虫期の長さがどのように制御されているのかを明らかにすることです」

 

ふむふむ。「なぜ」ではなく「どのように」というところがミソでしょうか。セミは土の中で13年や17年を計るタイマーを持ってるんでしょうか……?

 

「1日や1年といった単位ならまだしも、十何年間も時間を計って一斉に羽化するなんて普通はできないですよね。

 

そこで、鍵になる魔法の数字は『4』です。実は、周期ゼミの中にも本来の発生年とは違うタイミングで羽化してしまう個体がいるのですが、そうした『はぐれ者』は本来の発生年の4年前、あるいは、まれにですが4年後に見られることが知られているんですね。

 

そこで、こんな仮説を考えてみました。周期ゼミの幼虫には4年ごとに羽化するかどうかを判定する『チェックポイント』のようなものがあって、ある体重を超えた翌年に一斉に羽化するとすれば……4×3+1=13、4×4+1=17で、13年と17年の発生周期の説明がつきます。羽化が4年ずれた『はぐれ者』は、4年ごとの判定の時点で他の個体よりも成長が早かったり、遅かったりした個体ということになります。

4年周期で体重をチェックする仕組みが働き、体重が閾値を超えた翌年に羽化している?

4年周期で体重をチェックする仕組みが働き、体重が閾値を超えた翌年に羽化している?

 

この考え方であれば、なぜ3系統からそれぞれ13年、17年ゼミが分岐したのかについても説明がつきます。たとえばあるブルードの17年ゼミの幼虫に成長を促すような何らかの変化が起こることで、本来よりも4年早く羽化して13年周期に移行することが考えられます。その周期がまた17年に戻ると、もとの周期とずれた分、ブルードの移動が起こります。元に戻らずに13年周期のまま遺伝的に固定されると、13年ゼミになると考えられるわけです」

 

うわーっ、パズルのピースがピッタリ嵌る感覚! ゾクッとしました!

 

「この説が示唆しているのは、13年周期と17年周期の違いには、周期ゼミが持っている可塑性(もともと遺伝子に組み込まれた、環境条件に応じて現れる変化)と、遺伝子そのものの変異という両側面が働いているのではないかということです。どこまでが可塑性で説明できて、どんな点で遺伝的な違いが働いているのかは未解明です。

 

そこで私は、13年ゼミと17年ゼミの幼虫の成長速度の違いが遺伝的に決まっているのではないかと仮説を立てました。現在、これを二つの手法で検証しようとしています。一つは13年ゼミと17年ゼミの全ゲノムを解読して、幼虫の成長速度に関係する遺伝子の違いを調べること。もう一つは土の中の幼虫を採取して成長の状態を確認するとともに、4年ごとに発現しているはずの『チェックポイント』に関わる遺伝子を特定することです。今年はコロナのため渡米はできませんが、現地の研究者にも協力してもらって研究を進めています」

十分な体重に成長した幼虫は羽化前年に目が赤くなる。17年ゼミの幼虫を掘り出してみると、4年早く羽化の兆候が見られる「はぐれ者(straggler)」も

十分な体重に成長した幼虫は羽化前年に目が赤くなる。17年ゼミの幼虫を掘り出してみると、4年早く羽化の兆候が見られる「はぐれ者(straggler)」も(撮影:曽田貞滋)

2019年に行った幼虫発掘調査の様子

2019年に行った幼虫発掘調査の様子

今年、研究者が注目するのは「ブルードの地図」

さっきは「謎は全て解けた!」という気分になってしまいましたが、本当のところはまだまだ分からないことだらけなんですね。研究の最前線を伺ったところで、今年の「ブルードⅩ」の大発生は、研究者の間ではどんなところに注目されているんでしょうか?

 

「ブルードⅩは比較的大きいブルードで、ブルードⅥとブルードⅩⅣというプラスマイナス4年違いのブルードと接しています。アメリカの研究者はブルードⅩの詳細な発生地図を作って、隣接するブルードとの関係を明らかにしようとしています。先ほど説明したような4年違いの『はぐれ者』は、通常はそのうち消失してしまいますが、一部は定着してブルードの地図を書き換えるのではないかと見られています。ブルードの変化の仕組みに興味を持つ研究者にとって、今年は重要なチャンスなのではないでしょうか。

 

また、アメリカでは市民参加型のブルード研究の発展も期待されています。2019年には、セミを発見した一般の人が画像付きで場所や日時を投稿できる『Cicada Safari』というアプリがリリースされ、研究に役立てられています」

 

ゲノム解析から大陸規模の調査まで、目が眩みそうなスケール感のお話でした。改めて、生物の多様性ってすごいですね。

 

「地球上の生命は、はじめは単細胞生物から始まり、様々な大きさ、形に多様化してきました。そしてその生活史も非常に多様化しています。生活史の多様性は、生物の多様性を支えています。多様な生活史がどのように制御されているのか、どのように進化したのか、それを明らかにすることはダーウィン以来の進化研究のフロンティアのひとつと言えるでしょう。

 

周期ゼミの生活史は極めて例外的なものに見えますが、巧妙な制御の仕組みとその進化過程を明らかにすることは、生命の多様化の計り知れない潜在力を理解することにつながると考えています」

2018年、京都大学での周期ゼミワークショップに集まった日本・アメリカ・中国の研究者たち

2018年、京都大学での周期ゼミワークショップに集まった日本・アメリカ・中国の研究者たち

 

【珍獣図鑑 生態メモ】周期ゼミ

magicicada3のコピー

セミ科チッチゼミ亜科のマジシカダ属のセミで、北米東部に生息する。形態・鳴き声で明らかに区別できる3系統(種群)があり、それぞれの種群に13年ゼミと17年ゼミがいて、現在7種(13年ゼミ4種、17年ゼミ3種)が知られている。長い期間を幼虫として土の中で過ごし、13年または17年の周期で一斉に羽化する。「ブルード」と呼ばれる年次集団ごとに発生地域が棲み分けられていて、羽化した場所からほとんど移動せずに繁殖を行う。

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