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新種クジラの発見に大活躍した「ストランディングネットワーク」とは? 北大水産学部公開講座レポート

2022年9月22日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

広い海を悠然と泳ぐ。日本では古来、貴重な食肉資源としても利用されるなど人間と関わりの深い生き物ですが、その生態にはまだまだ謎が多いようです。

クジラの仲間といえば、国際的に捕鯨が厳しく管理されているというイメージもあります。巨大なクジラともなれば水槽で飼育するわけにもいかないし、一体どんなふうに研究されているのでしょうか?

ということで今回は、北海道大学水産学部の連続公開講座より、鯨類学が専門の松石隆教授による「新種のクジラをみつけるまで」をオンラインで視聴しました。

 

今回の講師、松石隆先生(北海道大学大学院水産科学研究院 教授)

今回の講師、松石隆先生(北海道大学大学院水産科学研究院 教授)

「新種クジラ発見!」の発表に至るまでの長い道のり

2019年8月31日、松石先生が率いる北海道大学と国立科学博物館のチームは、オホーツク海沿岸で発見されたクジラが新種であることを突き止め、「クロツチクジラ」と命名されました。クジラ、イルカ、シャチ、スナメリなどの仲間を含む鯨類は、これまでに世界でこの新種を含めて91種しか見つかっておらず、新種が見つかるのはとても珍しいことなのだそう。いくら海は広いといっても、体長8メートルほどもあるクジラの存在が今まで知られていなかったなんてたしかに驚きです。松石先生は、「そんな大発見に自分が立ち会うことができるなんて思ってもみなかった」と振り返ります。

 

クロツチクジラは従来のツチクジラよりも小さく、黒っぽく、口先が短い

クロツチクジラは従来のツチクジラよりも小さく、黒っぽく、口先が短い

 

実はこのクジラ、昔から北海道の漁師さんの間では「知っている人は知っている」存在だったと松石先生。オホーツク海にいるツチクジラとよく似ていて、ツチクジラよりも体が小さく、色も黒っぽいクジラがいることは1950年台の資料にも記録されていました。しかし、オホーツク海まで出向いて科学的にその存在を確かめようとする研究者はなかなかおらず、長らくの間、幻のクジラの存在が明るみに出ることはありませんでした。

 

2000年代に入って状況が変わります。2005年に知床が世界遺産になったこともあり、オホーツク海でホエールウォッチングが盛んになってきたのです。そんなホエールウォッチングのガイドをしていたのが、新種発見のキーパーソンとなった佐藤晴子さん。佐藤さんはある日、定置網にかかった奇妙なクジラの写真を入手して国立科学博物館に送ります。それは科学者の目から見ても、それまで知られていたツチクジラとは似て非なる奇妙なクジラでした。ただ、この鯨はすでに漁師さんが処分してしまった後で、この時は詳しいことはわからずじまいでした。

 

2007年、松石先生たちは「ストランディングネットワーク北海道(SNH)」を設立して、海岸に漂着したり、網にかかったりしたクジラやイルカの情報収集に本格的に乗り出しました。2009年に再び佐藤さんからクジラの頭部だけの死体の発見報告があり、今度は無事に標本を入手。DNAを解析した結果、やはりツチクジラとは明らかに別種であることがわかったのでした。ただしこれだけでは新種と確定するための証拠が足りません。SNHに寄せられた情報のおかげで最終的に6頭の標本が手に入り、遺伝的にも形態的にもそれらが既知のクジラのどれにも当てはまらないことを検証して、ようやく新種と認められたのが2019年でした。

 

佐藤さんによる最初の報告から10年以上の歳月をかけて新種と認められたクロツチクジラ。クジラの研究における標本の貴重さと、情報提供の大切さがよくわかるエピソードでした。

クジラ

イルカ・ゴンドウ

鯨類は、大きな歯で獲物を捕食する「ハクジラ」と、髭板で海水からプランクトンを漉し取る「ヒゲクジラ」に分けられる。ハクジラのうち、4メートル以下のものをイルカと呼び、クジラとイルカの中間の大きさのものをゴンドウと呼ぶ。鯨類にはそのほかにシャチ、スナメリなどが含まれる。 また、クジラのうち「大型鯨類」と定義された13種は国際捕鯨委員会によって捕鯨が制限されている。

漂着した鯨類は貴重な研究資源になる

講演の後半では、新種発見で重要な役割を果たしたストランディングネットワーク北海道(SNH)の取り組みへと話題が移ります……が、その前に。そもそも、鯨類の漂着とはどんな現象なのでしょうか。

 

松石先生によると、鯨類が海岸に漂着することを日本語では「寄鯨(よりくじら)」、英語では「ストランディング(stranding=座礁)」と呼ぶそうです。多くの場合は沖で死んだクジラやイルカが海岸に打ち上げられることを指す言葉ですが、広義にはクジラやイルカが生きたまま港や河口に迷い込んだり、定置網にかかったりすることを含む場合もあるのだそう。「新聞のネタとしてしばしば取り上げられますが、実はそれほど珍しい現象ではない」と松石先生。というのも、生きているクジラやイルカは必ずいつか死に、それらは一定の割合で浜に打ち上げられるから。寄鯨を研究に活用する上でむしろ重要なのは、打ち上げられたクジラやイルカが発見され、その報告が研究者まで届く確率を上げることだといいます。

漂着したクジラ

漂着したクジラ

寄鯨の報告件数

寄鯨の報告件数

 

日本における寄鯨の報告件数を見てみると、80年代から増加しはじめ90年代中頃に急増しています。これはクジラやイルカの個体数が増えたり死亡率が上がったりした結果というよりは、認知率が上がったためだと松石先生。国立科学博物館や日本鯨類研究所が「寄鯨を見かけたら報告してください」と周知して情報網を整備したことで、漁師さんや一般の方からの発見報告が研究機関に届くようになった成果の現れだと言います。こうした取り組みは、地域ごとのストランディングネットワークとして全国に広がっているそうです。

 

そんな寄鯨は、鯨類研究の中で重要な役割を果たしています。松石先生によれば、クジラの主な調査手法には、漂着した鯨類を解剖する「寄鯨調査」、海を泳いでいる鯨類を船の上から観察する「目視調査」、生きたクジラを捕獲して船の上で解剖する「捕獲調査」という3種類があるそうです。

 

捕獲調査はあらかじめ国際捕鯨委員会の許可を得て行う調査で、許可を得た鯨種に遭遇したら無作為に選んだ個体を捕獲します。年齢、性別、食べた物などさまざまな情報を得ることができますが、莫大な費用がかか目視調査はそれぞれの個体を詳細に調べることはできませんが、大規模に行うことでその海域の個体数の増減を推測できる重要な調査です。肝心の寄鯨調査はというと、クジラを解剖するという点では捕獲調査と同じですが、特にクジラの死因を知ることができることと、費用が比較的安くすむことが特長なのだそうです。

 

こうして調査方法を比較してみると、希少種や死因を探る詳しい研究を行うためには寄鯨調査が不可欠であることがわかります。

鯨類研究を支えるストランディングネットワーク

2007年に北海道大学水産学部が中心となって立ち上げ、2021年にNPO法人になったSNH。その目的は寄鯨の情報を収集・公表し、必要とする科学者につなぐことなのだそうです。

 

2007年から2021年の間にSNHに寄せられた発見報告は990件、1106個体にのぼります。その数も想像以上ですが、「北海道の特徴は、他の地域よりも漂着する種数が多いこと」だと松石先生。その数、実に25種類。希少種も含め、全世界で知られている鯨類の4分の1以上の種が北海道の海岸に流れ着いているというから驚きです。

北海道で漂着したクジラやイルカを見つけたら、SNHまでご一報を

北海道で漂着したクジラやイルカを見つけたら、SNHまでご一報を

 

寄鯨の情報が寄せられると、松石先生たち研究者はすぐに車に乗り込んで現場に向かいます。北海道全域の沿岸部を駆け回るのを想像するだけでも大変そうですが、そうして集められたサンプルやデータが鯨類研究に活用されているのです。

 

これまでにSNHを活用して書かれた学術論文はなんと42件以上。典型的なものの一つは回遊ルートや分布に関する研究で、例えば、漂着したクジラを調べることで、それまで希少種だと思われていたクジラが、実は北海道の太平洋側にごく普通に生息していることがわかった……という例もあるそう。そんな中でも「教育機関として何よりも嬉しいことは、鯨博士が出てくれること」と松石先生。SNHを活用してこれまで6人以上が博士論文を出していて、そのテーマはイルカの食性、クリックス音(周囲を探知するために発する音)、寄生虫まで多岐にわたるそうです。

 

どの研究も、漂着したクジラやイルカを見つけた誰かの一報がないと始まらなかったと想像すると、なんだか少し親近感が湧いてきます。

寄鯨が教えてくれる、人間とクジラ・イルカの関係

クジラやイルカを知ることは、私たちの生活とも無関係ではありません。SNHの活用例として、松石先生はこんな話も教えてくれました。

 

海の生態系の上位に位置するクジラやイルカは、海に放出された有害な化学物質を体内に濃縮蓄積(生体濃縮)してしまうことが知られています。SNHで集められたサンプルを調査した研究によって、北海道沿岸のイルカの体内にPCBなどの化学物質が蓄積されていることがわかりました。PCBは、絶縁材として使われていた物質で、現在では製造・使用が原則禁止されています。海水やプランクトンを調べても希薄すぎて検出されず、鯨類の体内で濃縮されることでその海洋汚染の実態が明らかになってきたそうです。

 

また、こんな興味深い話もあります。

 

松石先生は、漁師さんが不漁のときに「俺たちがとっている魚がイルカに食われている」と言うのをよく聞くそう。しかし実際に調べてみると、イルカは人間が食べる魚をあまり食べていないようだと松石先生は言います。北海道沿岸に多数生息するイシイルカの食性を調べた研究では、人間が食べるスルメイカではなく、もっと深いところに生息するテカギイカを主に食べていることがわかったそうです。

 

SNHの取り組みは、意外な形で伝統文化にも貢献しているそうです。

 

日本近海ではほとんど見られなくなり、捕鯨も禁止されているセミクジラ。しかし最近は個体数が回復傾向にあるのか、ときどき漂着の報告があるそうです。ところで、セミクジラが海水から餌を漉しとるときに使う「髭板」は、昔から文楽人形の仕掛けに使われていました。しかし現在は髭板の入手が困難で、他の材料で代用されているそうです。そのことを知っていた松石先生は、漂着したセミクジラから取った髭板を大阪の国立文楽劇場に寄贈したのだそう。このプレゼントは大変喜ばれ、文楽劇場を通じて文楽人形だけでなく地方の伝統行事で使う人形の修復などにも使われることになったといいます。

 

伝統的な海の恵みであり、同じ海で暮らす隣人であり、海洋汚染の告発者でもあり……。寄鯨から広がるエピソードを聞くと、人間にとってクジラやイルカがいかに身近で貴重な存在であるかを考えさせられます。

鯨類と人間の共存をめざして

講演の最後にSNHのこれまでの活動を振り返って、「最初は気軽な気持ちで始めたSNHですが、今や私たちの標本をあてにしてくれている研究機関もあるので、頑張って続けていければと思っています」と松石先生。「保護活動も大切ですが、一方で漁師さんの生活や私たちの食文化とのバランスもある。研究活動を通じて、希少生物の保護、そして鯨類と人間との共存にもつなげていきたいです」と締めくくりました。

 

野生動物研究の大変さと面白さがつまった新種クジラ発見のエピソードから、漂着した鯨類を利用した研究まで、普段は知ることのできない鯨類研究についてたっぷり知ることのできた公開講座でした。SNHでは北海道沿岸に漂着した鯨類の情報を募集しているほか、寄付や会員として活動を応援することもできるそうです。ご興味のある方は、SNHのウェブサイト(https://kujira110.com/)を覗いてみては?

 

【第7回】ほとゼロ主催・大学広報勉強会レポート。「研究広報」を三者三様の視点で掘り下げる

2022年9月8日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

ほとんど0円大学では、2019年より大学関係者を対象として大学広報勉強会(旧『大学と社会とのつながりを考える勉強会』)を開催しています。2022年7月29日にKANDAI Me RISE(関西大学梅田キャンパス)会場とオンライン配信で開催した第7回目の模様をレポートします(勉強会レポートの一覧はこちら)。

 

今回の勉強会のテーマは、『研究広報談義~違いを知ると、何かが生まれる?~』。大学広報には大学全体のブランディングや入試広報などさまざまな側面がありますが、中でもとくに研究活動に光を当てるのが「研究広報」。一見シンプルなようでいて、人によって思い描くものが微妙に異なるためすれ違いを生みやすい言葉でもあります。そこで今回は、研究広報に携わる大学職員の方3名にお話しいただき、それぞれの「違い」を知ることから研究広報を掘り下げました。

 

・京都大学 白井哲哉さん「研究を推進するための広報活動とは」

・関西大学 舘正一さん「部署間を越えて研究広報を推進するために」

・明治大学 朝烏修平さん「大学ブランディングにとっての研究成果発信」

「研究を推進するための広報」、URAとして研究者をどう支えるか?

最初に登壇してくださったのは、京都大学学術研究支援室(KURA)の白井哲哉さん。リサーチ・アドミニストレーター(URA:大学で研究推進を行う専門職)として、今回は特に研究者からのニーズが多い「研究を推進するための広報活動」についてお話しいただきました。

スクリーンショット (44)

最初に「研究広報」の意味について確認する白井さん

 

白井さんによると、研究を推進するための広報は大きく2種類に分けることができ、それぞれに支援のポイントが異なるそうです。ひとつは資金や研究環境、協力者を得るために研究者が自ら積極的に行う広報活動。この場合、目的意識ははっきりしていますが、研究者自身は広報のノウハウを持っていないため、URAとしては具体的なノウハウを伝えることが支援のポイントになります。もうひとつは社会や国から説明責任などの意味合いで求められる広報活動。このパターンの場合は、そもそもどんな発信を求められているのかがわからず困惑している研究者も多いため、やるべきことを整理することが支援のポイントになるそうです。

 

それでは、具体的にどのように支援をしていくのでしょうか? ここで白井さんからの出題です。URAであるあなたのもとに、ある教授から次のような電話がかかってきたとします。あなたならこの依頼にどのように応えますか?

スクリーンショット (33)

 

こうした依頼があった場合、まず「冊子を作る背景にどんな目的があるのか」を確認することが重要だと白井さん。プロジェクトの資金を集めるためでしょうか? 共同研究者を募るためでしょうか? センターを宣伝したいという言外のねらいもあるかもしれません。目的を確認したら、次にそれに見合った適切な手段を検討します。本当に冊子でいいのか? ターゲットに伝わりやすい伝達手段は? 配布方法は……? このように、研究者の頭の中を整理するのを手伝いながら、全体を俯瞰した広報戦略を一緒に考えてゆくのです。

 

以上は一つの例ですが、URAが行う広報支援の方法としては、個別のケースに対するコンサルティング・アドバイス、研究者や担当者への情報提供やノウハウのレクチャー、チラシ制作・プレスリリースの発信・イベント運営など実務面からの支援の3つがあるそうです。

 

最後に、広報は研究推進における最強のツールだと白井さん。「支援の要は、広報戦略を研究者と一緒に考えることだ」と締めくくりました。

 

ほとゼロでもURAの方に取材をさせていただく機会がありますが、白井さんのお話を聞いて、研究者にとって非常に心強い存在なのだと改めて感じました。すべての土台として関係者間でのコミュニケーションの大切さを強調しておられたのも印象的でした。

部署の壁を越え、「オール関大」で研究を発信するには

続いては関西大学より、大学本部URAの舘正一さんが登壇。「部署間を越えて研究広報を推進するために」というテーマで発表いただきました。

大学全体を俯瞰してみると、組織が大きくなればなるほど研究広報は複雑になると舘さん。多岐にわたる部署それぞれが発信を行っていて、ターゲット層も多岐にわたるからです。白井さんのお話にもあったように、目的や対象が変われば情報の打ち出し方も変える必要があります。その結果として、発信される情報がある意味で煩雑になってしまう側面も。

大学が手掛ける広報の主体、ターゲットは多岐にわたる

大学が手掛ける広報の主体、ターゲットは多岐にわたる

 

そこで舘さんは、バラバラに存在する研究情報を一箇所に集約したサイト「関大研究力」を企画しました。このサイトは、知りたい情報へのアクセスを助ける百貨店の総合窓口のようなものだと舘さん。ここさえ見れば関大の研究についての情報はすべて網羅されている……というサイトをめざしているそうです。

 

さらに、先生たちに作ってもらった研究紹介動画をアーカイブする「関大先生チャンネル」を新しく立ち上げました。このサイトでは、受験生向け、学生向け、研究者向けなどといった明確な目的やターゲットをあえて設定していないそうです。研究者それぞれが目的を自由に設定したうえで映像を制作しますが、それをどう受け取るかは見る側に委ねられているのだとか。広報ではターゲティングが大切と言われますが、大学の「知」を発信するという観点では、どんな人に対しても開かれているということも同じぐらい重要なのかもしれません。

「関大先生チャンネル」を紹介する舘さん

「関大先生チャンネル」を紹介する舘さん

 

部署やターゲットといった枠組みをあえて取り払う仕組みづくりを続けてこられた舘さん。最後に、さらに画期的な取り組みを紹介していただきました。それが「ボトムアップ型研究プロジェクト」です。

 

これまでのURAの主な仕事は、研究者や組織のニーズを受けて、目的に応じた広報戦略を立てることでした。しかし舘さんは、この仕組では部署を超えて重要な研究情報を発信していくことは難しいと感じていたそうです。そこで考えたのが、URAが主導して研究プロジェクトを立ち上げ、プロジェクトを進めながら必要に応じてターゲットを整理し、メディア戦略を駆使して広く社会へ認知を広げていくという仕組みでした。現在は社会安全学部の先生を中心に、南海トラフ地震を想定した災害に強い街づくりについて議論するプロジェクトを進行中なのだそうです。

 

研究プロジェクトから作り上げてしまうという舘さんのアプローチには「そんなこともできるのか!」と驚かされました。部署を越えて、大学としてどのような発信をするべきかという大きな視点に立てばこそ持てる発想なのかもしれません。

オウンドメディアを通じて研究者のイメージを変える

三人目の発表は、東京からリモートでの登壇となった明治大学経営企画部広報課の朝烏修平さん。「大学ブランディングにとっての研究成果発信」と題して発表されました。

Meiji.netを紹介する朝烏さん

Meiji.netを紹介する朝烏さん

 

明治大学では、大学全体のブランドデザインの課題の一つとして研究に対するイメージを向上させることに取り組んでいると朝烏さん。小難しくて閉鎖的とも取られがちな研究者像を払拭し、研究者を「自分たちの暮らしている世の中を良くする方法を探している人」として伝えていくことをめざしているそうです。

 

そんななかで、10年近く前から研究者の魅力を発信しているのがオウンドメディア「Meiji.net」です。Meiji.netは主にビジネスパーソンをターゲットに2013年にスタートしました。社会テーマと研究を絡めた「オピニオン」と柔らかいテーマの「リレーコラム」を連載し、研究者の考え方や着眼点を通して研究の真髄に触れられることが特徴です。それだけでなく、「明治大学の研究者=世の中を良くする人」というイメージを前面に出したアニメーションシリーズやグローバルサイトの設置など、ブランド戦略に沿った展開にも力を入れます。

 

地道に情報発信を続けてきたことで、記事を届けるチャンネルも広がってきました。Yahoo!ニュースやスマートニュースといったキュレーションサイトと提携するようになったり、記事が国語の教科書に掲載されるという思わぬ波及効果も。また、Meiji.netの記事を受験生向けウェブサイトに自動的に表示できるようにしており、自然な形で受験生の目にとまるようにしているそうです。

 

最近のMeiji.netでは、特集記事に力を入れていると朝烏さん。明治大学の先生が業界のプロフェッショナルと対談したりゲームをプレイしたりと、大学の外に飛び出す企画を通して読者に研究を身近に感じてもらうのがねらい。対談相手から謙虚に何かを学ぼうとする様子が研究者の好感度アップにつながっているのではと朝烏さんは分析します。対談記事を通して新しいつながりができ、共同研究や産学連携へと発展しそうな動きもあるのだとか。

江戸切子の職人さんとの対談から「桃鉄」まで、意外なコラボが面白い

江戸切子の職人さんとの対談から「桃鉄」まで、意外なコラボが面白い

 

「つなげて、拡げて、発展させることが広報の醍醐味だと感じています」と朝烏さん。最後に、「Meiji.netの記事づくりを通して広報と先生との間で信頼関係を構築してきたことが、広報活動をする上でいろいろな拡がりを与えてくれている」と振り返りました。

 

10年近いコンテンツの蓄積と、それに満足せずどんどん新しいチャレンジを取り入れていく姿勢は、なかなか真似できないことではないでしょうか。朝烏さんのお話はあくまで軽やかですが、地道な取り組みに裏付けられた自信を感じました。

(さらに詳しく知りたい方は、Meiji.netについて取材させていただいた記事もご覧ください)

研究広報のターゲットをどう考えるか? 座談会でさらに掘り下げる

勉強会後半は、登壇者と編集長・花岡による座談会です。事前に募った質問をもとに色々なお話を伺った中から、ターゲットをどのように設定するのかという話題を以下に取り上げます。

座談会の様子

座談会の様子

 

朝烏さんは、研究広報ではいつもメインターゲットと“裏ターゲット”を意識しているそうです。「その研究分野に興味がない人でも別の軸なら引き込めるかもしれない。ターゲットを絞りすぎないことで、意図していなかった層に広がることもある」といいます。

 

舘さんは、産学連携や共同研究の促進を意識して作った「関大先生チャンネル」が意外にも18~20歳のユーザーによく見られていることに触れて、「年齢に関係なく、学問に興味がある人は自分からどんどん探究している。これからはそういう時代だということを意識しておくのが大切なのでは」と指摘します。これには朝烏さんも「表面的にターゲットに寄せたコンテンツを作ってしまうと、宣伝っぽさが出てターゲットが離れてしまうことに注意している」と同意。

 

この話題は広報の評価の話にもつながると白井さん。広報には、計画に沿って実行できたかという「アウトプット」と総括として良い結果を得られたかという「アウトカム」という2つの評価軸があり、ターゲットを絞らない方法はアウトカムとして評価されるべきだといいます。「広報において重要なのはアウトカムで、アウトプットができていてもアウトカムが良くなければそもそもの計画を見直す必要がある。そうしたロジックモデルを、評価する立場である執行部と共有しておくことが大切です」。しっかり狙いをもって取り組むべき部分と予測不能な広がりに委ねる部分。それらを総合してどう評価するのか……と、それぞれの視点から興味深いお話を伺うことができました。

 

今回の勉強会では、研究広報という言葉でくくられる活動の多様さを知ることができました。その一方で、どんな意味での研究広報も単なる研究成果の発信ではなく、広報活動を通じて研究者と職員、ひいては大学と社会が信頼関係を結び、結果として研究がさらに発展していくもの……という共通の側面があるようにも感じました。各大学の取り組みを今後も注目したいです。

 

座談会の後、会場では大学発のお菓子を囲んで意見交換会を実施。参加者同士の交流に花が咲きました。お菓子については後日レポート予定です

座談会の後、会場では大学発のお菓子を囲んで意見交換会を実施。参加者同士の交流に花が咲きました。お菓子については後日レポート予定です

【第7回大学広報勉強会】まさかの配信トラブル、舞台裏では何が起こっていた? 社内反省会レポート

2022年9月8日 / ほとゼロからのお知らせ, トピック

先日、会場とオンラインで同時開催した大学広報勉強会では、Zoomによる発表の音声が乱れ、座談会のオンライン配信ができなかったなどのトラブルが発生しました。貴重な時間を割いてご参加いただいた皆様に快適な配信をお届けできず、大変申し訳ありませんでした。そこで今回は、当日のトラブルの原因と反省点について可能な範囲で振り返ってみることにしました。今後の再発防止に活かすことはもちろんですが、今後配信イベントを予定されている方にとっても有益な情報になるように思いましたので、レポートにして公開させてもらいます。

 

それでは、編集長の花岡と当日の配信を担当したスタッフによる振り返りの模様をどうぞ。

どんなトラブルが起こっていたのか?

花岡:まず、当日想定していた流れと、実際当日に起こったことを以下にまとめてみました。これをもとに、実際に配信でどんな問題が起こったのかを振り返っていきましょう。

 

<当日想定していた流れ>

会場では登壇者2名と進行役(ホトゼロスタッフ)が参加。Zoomでは登壇者1名が参加し、第一部では3名それぞれの発表、第二部では進行役を加えた4名が座談会を行った。第二部終了後、会場参加者で意見交換会を行った。

YouTubeでは第一部冒頭から第二部の座談会までをライブ配信する予定だった。

 

<当日起こったこと>

・開始時にYouTubeへの接続ができず、第一部の開始時間が10分ほど遅れた。

・3人目の登壇者(Zoom参加)の発表時に、音声にエコーがかかりほぼ聞き取れない状態が発生した。

・発表を一時中断したが音声は復旧せず、聞き取りづらい状況で発表を続けていただいた。

・第一部終了後にYouTube配信の接続が切れたため、第二部の配信は中止、会場のみで行った。

・全体として終了時間が1時間ほどずれこんだ。

 

配信担当(以下、担当):そのまえに一点いいですか? 今回、元々の予定では登壇者3名に会場に来てもらって、会場の様子をYouTubeでも配信する予定でした。その想定で会場の下見を行って、配線などを確認していたんですが、事情により1名がリモート登壇されることになってしまった。そこで急遽、YouTubeとZoomと会場の3点をつなぐ機材構成に組み替える必要があったんです。

 

花岡:ちょうど感染が急拡大している時期だったので、遠方から来てくださる予定だった登壇者の方とご相談して、リモート出演という形にしていただいたんです。それが決まったのは直前でしたね。

 

担当:そうなんです。それで本番ですが、実はイベントがはじまるまでに2つトラブルがありました。

まず、開始の2時間30分前に会場入りして設営とZoom、YouTubeのテストを行ったのですが、そこで1つ目のトラブルです。配信用に持ち込んだPC3台のうち、Mac2台がネット接続できないという問題が発生したんですね。はっきりとした原因はわかりませんが、会場のセキュリティ上の問題かもしれません。そこで急遽、残りの1台でYouTubeとZoom、そして配信用のソフトウェアのコントロールを行うことにしました。若干不便ではあったのですが、問題はないだろうという認識でした。そのままZoomの接続と音声チェックまでは滞りなく進みました。

 

ところが、本番30分前に2つ目のトラブルが起こりました。YouTubeへの接続ができなかったのです。結局、開始を10分遅らせてもらい、その間にエンコーダー(映像や音声を配信用のデータに変換する機材)を交換することでなんとか本番配信に漕ぎつけました。ただ結局テスト配信はできないままスタートしてしまったので、不安は大いにありました。

 

花岡:YouTubeにつながらなかったそもそもの原因は何だったんですか?

 

担当:エンコーダーに何らかの問題があったんだと思います。ただ、後日別の配信で同じ機器を使った際は問題なかったので、エンコーダー自体の故障というより、他の機材や回線との兼ね合いで何らかの問題が発生していた可能性もあります。同じ環境で再検証しないことには特定できませんが……。

(※後日、関係者を通じて会場に確認いただいたところ、同会場ではこれまで同様のYouTube配信は問題なく実施できているとのことでした)

 

花岡:ともかく第1部の発表がスタートして、お二人目までは問題なく配信できていました。ところが最後の方のリモート登壇の際にまたトラブルが起きてしまった。

 

担当:はい、リモート登壇の方の声にエコーがかかったようになって、発表が聞き取れなくなってしまいました。これが3つ目のトラブルです。ちなみにこれはYouTube配信だけの現象で、会場では問題なく聞き取れていましたし、本番前のリハーサルではYouTubeのテスト配信こそできなかったものの、YouTubeに送る音声自体はチェックして問題ありませんでした。ただ、リハーサルと本番とでPCやマイクといった機材の配置も変わっていたので、そのどれかがエコーの原因になったのかもしれません。本来なら、こうした可能性はリハーサルの時点で潰しておくべきでした。

 

花岡:登壇者の方には本当に申し訳なかったのですが、このトラブルは解決しないままなんとか発表を続けていただいて、第1部が終わります。それで休憩に入ったわけですが……。

 

担当:第2部までの休憩の間はエコーの解消に追われていたんですが、そこで4つ目のトラブルが発生しました。YouTubeの配信がまた止まってしまったんです。結局このときは原因が全くわからず、配信を復旧できませんでした。

 

花岡:そうでしたね。休憩時間を伸ばして対応してもらいましたが、復旧の見込みが立たなかったので配信はそこで終了という判断をしました。それで、YouTubeを観てくださっている方には、後日アーカイブを限定配信させていただく旨をチャット欄でご案内しました。原因不明ということですが、防ぎようはなかったんでしょうか。

 

担当:無線LANルーターなどでバックアップ用の回線を準備しておけば、切り替えて配信を続けられたかもしれません。今回は会場備え付けの回線を使わせていただけるということで、そこまでする必要はないかなと考えていたんですが……。

以上4つが、当日会場で起こっていたトラブルです。YouTube配信を終了して会場とリモート登壇のみで行った第2部は、とくに問題ありませんでした。

イレギュラーを想定し、余裕を持ったイベント運営を

花岡:はっきりと原因が特定できないトラブルが立て続けに起こったという印象ですが、全体を通して、次回に向けた反省点としてはどんなことが挙げられるでしょうか。

 

担当:振り返ってみると、当日の準備時間が十分ではなく、YouTubeに接続できないというトラブルに余裕を持って対処できなかったために、その他に気を配るべきことへの対応が十分にできなかったことが後々大きく響いたように思います。ここまで準備不足の状態で本番に入ることは普段はないので、気持ち的にはかなり不安でしたね。

 

そこで反省点ですが、今回は配信・音響まわりを2名のスタッフで対応していましたが、リモート登壇が決まった時点で、配信スタッフとその他会場の音響などを取り仕切るスタッフは切り分けて人員を増やすべきでしたね。人員を増やせない場合は、チェック・リハの時間をもっとしっかり取っておくべきでした。原因不明のトラブルもその時点で対処できた可能性があります。

 

もう少し込み入った技術的な話としては、会場音声と配信の音声の回線をどう組み立てればトラブルを減らせるのかという点も今後の課題です。会場の音声に関しては備え付けのスピーカーを使わせていただきつつ、回線の都合でBluetoohスピーカーも併用していたのですが、それがトラブルに繋がる不確定要素をひとつ増やす結果になりました。今回のような特殊な配信の場合は、会場のものは使わず、使い慣れた機材を一式持ち込んでしまうというのもひとつの方法だと思います。

 

花岡:昨今の情勢を考えると、イベントの企画段階でリモート登壇の可能性について、ちゃんと考えておくべきでした。ここらへんは、僕のツメの甘さですね……。他に印象に残っていることはありましたか?

 

担当:トラブルがつづく中で、個人的にとても助けられたことがありました。第二部の開始が大幅に長引いてしまったときに、登壇者の方が自発的に声をかけて、会場参加者の方々の自己紹介の時間にしてくださったことです。

 

花岡:あのときは本当に有り難かったです。会場全体で協力してもらい、登壇者、参加者の皆様には頭が上がりません。進行サイドとしては、YouTube配信で不具合が起こる中、視聴してくださっている方とチャット欄で状況を共有できたことも不幸中の幸いでした。あのとき本当はチャットを閉じておく予定だったんですが、対応が間に合わなくて開けたままになっていたんです。

というわけで、ホトゼロとして今後に活かすべき点を次のようにまとめてみました。

 

<今回の反省点>

・企画段階でリモート登壇など考えられる限りのパターンを想定し、事前準備と本番のギャップを可能な限り減らす。

・事前の確認と準備はできる限り念入りに行い、余裕があるならプレも一通り行っておく。

・イレギュラーが起きた場合はいったん立ち止まり、できる限りリスクの少ない方法を選択する。

・当日の準備時間は、準備に必要な時間だけでは十分ではない。何かトラブルがあったときに対処できるように、想定よりも長くとっておく。

 

 

――以上、配信トラブルについて振り返ってみました。今回の反省を活かして、次回からはより快適に、大学職員のみなさまに役立てていただける勉強会をめざしたいと思います。

今後とも、よろしくお願いいたします。

小惑星リュウグウが物語る太陽系と生命の起源。サンプルを解析した岡山大学・中村栄三先生に聞いてみた

2022年8月23日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

今年6月、探査機はやぶさ2のミッションによって採取された小惑星リュウグウのサンプル解析結果に世界が湧いた。アミノ酸を含む有機物が見つかったというのだ。生命の起源に迫る大発見か!?

 

しかし正直なところ、宇宙に浮かぶ岩の塊(?)から生命の源となる物質(???)が見つかったと言われても、壮大すぎてなんだかあまりピンとこない。そもそもどうしてリュウグウという小惑星に行く必要があったんだっけ。もうすこし順を追って整理する必要がありそうだ。

 

そこで今回、解析結果を発表した岡山大学(三朝)の研究チームの代表者、中村栄三先生にお話を伺うことができた。地球惑星物質化学が専門の中村先生がリュウグウのサンプルから描き出したのは、生命誕生の遥か前に始まるひとつの天体の進化の歩みと、その背後に広がるダイナミックな宇宙の姿だった。

リュウグウには太陽系のもとになった物質の痕跡が残っていた

まずは簡単なおさらいから。はやぶさ2プロジェクトは、地球を含む太陽系の起源や進化、さらには生命の起源となった物質を解明する一大国家プロジェクトだ。2018年6月に小惑星リュウグウに到着した探査機はやぶさ2は、1年以上にわたって膨大な量の観測を行い、2地点からのサンプル採取に成功。2020年12月にサンプルを搭載したカプセルを見事地球に送り届けた。そのサンプルはJAXAによる全体的な分析の後、詳細な分析のために国内の8つの研究チームに分配された。中村先生率いる岡山大学のチームはそのうちの1つだ。

中村先生

お話を伺った中村栄三先生

 

そもそも、小惑星を探査することがどうして太陽系や生命の起源を知ることにつながるのだろうか?

 

「宇宙には星雲というガスとダストの集まりが分布しています。そこにあるとき超新星爆発などの衝撃でゆらぎが生じて回転を始めます。そうしてできたのがプロトソーラーネビュラ(原始太陽系星雲)で、やがてその中心に太陽が、周りに惑星が形成されます。

 

太陽系が形成される過程で、太陽から近い地球や火星よりも内側では、太陽系のもとになった星雲由来の物質は熱で溶けて、互いに混ざり合っていきます。反対に太陽から遠いところ、火星と木星の間に分布する小惑星帯や、さらにそれよりも外側では、原始的な太陽系を形成していた物質の痕跡が現在に至るまで残っていると考えられます。そうしたものを物質科学的に分析することで、太陽系がどのように進化してきたのかがわかるわけです」

 

つまり、太陽系の起源を知るためには、太陽から遠いところで生まれた、なるべく冷たい天体からサンプルを持ってくればいいということになる。小さくて熱を溜め込みにくい小惑星はうってつけのターゲットだ。さらに、小惑星にもいろいろな種類があるらしい。

 

「2010年にはやぶさがサンプルを持ち帰ったイトカワは、Sタイプと呼ばれる岩石質の小惑星でした。Sタイプは高温下でできた物質からなる小惑星のため、本来含まれていたはずの水素や炭素、窒素などがほとんど抜けてしまっていました。それに対してはやぶさ2が探査したリュウグウはCタイプと呼ばれる小惑星です。黒っぽい外見をしていることが特徴で、太陽系の元となった物質的特徴を残していると考えられています。

 

ところで、このCタイプ小惑星に由来すると考えられる隕石はこれまで地球上にわずかながら降ってきていて、そこからアミノ酸などの有機物や水といった生命のもとになりうる物質が見つかっていました。しかし一度地上に落ちた隕石ですから、有機物が宇宙由来のものなのか、地上に落ちてから付着したものなのか見分けがつきませんでした。今回のミッションでは、リュウグウから直接持ち帰ったサンプルを調べることで、本当に宇宙に有機物が存在するのかを確かめることも重要な課題でした」

左:はやぶさ2が撮影したリュウグウ(JAXA, 東京大, 高知大, 立教大, 名古屋大, 千葉工大, 明治大, 会津大, 産総研) 右:赤い線がリュウグウの現在の軌道(ISAS/JAXA)。小惑星イトカワ同様、地球に接近する軌道を持つ小惑星であるが、リュウグウの元となる天体は木星よりも外側で生まれたと考えられる。

左:はやぶさ2が撮影したリュウグウ(JAXA, 東京大, 高知大, 立教大, 名古屋大, 千葉工大, 明治大, 会津大, 産総研)
右:赤い線がリュウグウの現在の軌道(ISAS/JAXA)。小惑星イトカワ同様、地球に接近する軌道を持つ小惑星であるが、リュウグウの元となる天体は木星よりも外側で生まれたと考えられる。

 

なるほど、太陽系の起源と生命の起源という2つの大きなテーマがここでつながるのか。そんな前提を踏まえて、リュウグウのサンプルを解析することでどんなことがわかってきたのだろうか。

 

「これから順を追ってお話ししますが、太陽系46億年の歴史の中でリュウグウが現在に至るまでどのように進化してきたのかを見ることができました。さらにいえば太陽系が生まれるよりも前、星雲や星間物質の解明にもつながりそうな印象です。これまで宇宙の進化は天文学、つまり望遠鏡を使った観測によって探究されてきましたが、今回の成果はそこに物質科学が合流する大きな一歩になるでしょう。

 

その中で、アミノ酸を含む有機物が宇宙に存在することを確認できたことは大きな成果です。しかし、それを生命の起源が解明されたかのように煽り立てるのは早計でしょう。そもそも、人類はまだ実験室の中で生命を生み出すことすらできていませんよね。今回の発見は、生命の起源を議論する上で基準となるひとつの『ものさし』をつくったようなものです」

 

太陽系ができる以前の星々の世界に手が届きそうだと聞くと、なんともワクワクする話だ。一方、まだスタート地点に立ったばかりとはいえ、生命の起源の解明にも期待せずにはいられない。

はやぶさ2がもたらした観測データから、解析のためのシナリオを描く

今回の解析成果について、中村先生は「これまで隕石を対象に行われてきた研究とは根本的に違う」と強調する。一体どういうことだろうか。

 

「重要なのは、探査機が実際にリュウグウまで行って、宇宙空間からも小惑星表面からも詳細な観察を行い、膨大な観測データと貴重なサンプルを届けてくれたということです。私はまずこのミッションの成功に100点満点で1万点をあげたいと思います。そして我々解析チームは、手元のサンプルを解析するだけでなく、そのミッションの成果にきちんと応えないといけないのです」

 

はやぶさ2が成し遂げたのは、例えるなら新大陸発見に匹敵する偉業というわけだ。そこから持ち帰った混じりけのないデータやサンプルなのだから、とても重い意味があるのがわかる。このことは科学的にも重要だ。落ちてきた隕石を解析するのとは違い、リュウグウにもう一度行けば再び同じ場所からデータやサンプルを取ってくることができる。つまり再現性が担保されているのだ。

 

はやぶさ2から送られてきたあらゆるデータをサンプル解析に活かすために、中村先生のチームはサンプルが届くよりも前から動き出していた。リュウグウの詳細な色や形、自転速度などさまざまな情報もとに仮説論文をまとめたのだ。

 

「はやぶさ2から送られてくる観測データを見ると、リュウグウは表面が比較的白っぽく、内部は比較的黒い色をしていることがわかります。これは、リュウグウに大量の有機物が含まれていて、表面だけが宇宙線や太陽光にさらされて風化しているためだと考えました。それに加えて、特徴的な『そろばん玉』のような形がどのようにできたのかを物理計算でシミュレーションしました。その結果浮かび上がってきたのが、リュウグウはもともと氷を大量に含む彗星の核だったというシナリオです」

リュウグウからサンプルを採取するタッチダウンの様子。一度目(TD1)は表面から、二度目(TD2)は銅製の重りを落として飛び散った内側の破片を採取した(JAXA及びArakawa et al., 2020より)。TD1で探査機が燃料を噴射した跡やTD2でできたクレーター(右下の赤い丸)は、内側が剥き出しになり周囲より暗い色をしていることがわかる(JAXA提供)。

リュウグウからサンプルを採取するタッチダウンの様子。一度目(TD1)は表面から、二度目(TD2)は銅製の重りを落として飛び散った内側の破片を採取した(JAXA及びArakawa et al., 2020より)。TD1で探査機が燃料を噴射した跡やTD2でできたクレーター(右下の赤い丸)は、内側が剥き出しになり周囲より暗い色をしていることがわかる(JAXA提供)。

 

リュウグウ内部は、瓦礫を集積したような構造(ラブルパイル)になっている。これまでの通説では、ラブルパイル天体はもととなる2つの天体がぶつかって砕け散り、破片が再び集まることで形成されると考えられてきた。彗星に由来するという中村先生の仮説は斬新だ。十数名からなる中村先生のチームでは2年間かけてシミュレーションを繰り返しつつ、このシナリオを検証するために必要な分析機器と環境を揃え、分析技術を向上させていったというから、その徹底ぶりに驚かされる。

 

そしていよいよ手元に届けられた16粒のリュウグウの欠片。1粒数ミリ程度しかないサンプルを、光学顕微鏡や電子顕微鏡による観察から化学分析まであらゆる手段で解析した。中村先生はそのときのことを振り返り「データが出るたび意外な結果の連続で、たまらなかったですよ」と目を輝かせる。

 

リュウグウのサンプルの外観(PMLウェブサイトより)

リュウグウのサンプルの外観(PMLウェブサイトより)

謎に満ちたリュウグウのかけらを読み解く

サンプルからリュウグウの成り立ちがどんなふうにわかるのか。ここで、サンプルの断面を拡大した一枚の電子顕微鏡画像を見てみよう。

走査型電子顕微鏡による画像。多面体状の大小の粒は磁鉄鉱(Magnetite)、その周りを薄暗い色の粘土鉱物(Phyllosilicate)がとりまいている(Nakamura et al., 2022より)

走査型電子顕微鏡による画像。多面体状の大小の粒は磁鉄鉱(Magnetite)、その周りを薄暗い色の粘土鉱物(Phyllosilicate)がとりまいている(Nakamura et al., 2022より)

 

「信じられないぐらい綺麗でしょ?」と中村先生。たしかに、まるでゲームや映画に出てくる異世界の風景だ。サッカーボールのような多面体は磁鉄鉱の粒だという。「だけどおかしいと思いませんか?」と中村先生は続ける。「大きな粒、中ぐらい、小さな粒がありますが、それぞれ同じぐらいのサイズ同士が寄り集まっているんです。結晶ができる際にどうしてこんな偏りが生じたのか、最初はとても悩みました。結晶が集まっている領域のサイズが10ミクロン程度ととても小さいので温度や圧力に偏りがあったとも思えません」

 

中村先生が頭を悩ませた末にたどり着いた結論は、次のようなもの。「このような構造は流体が関係していないとできようがありません。粘土鉱物の隙間に金属を含んだ水が流れ込み、凍ったり融けたりを繰り返すなかで、それぞれ違う時期に大小の結晶ができたと考えられます。私たちはそうした時間経過のひとつの断面を見ているのです」。

 

一見して不思議な断面も、理屈を突き詰めていくことでだんだんと読み解けるようになってくる。これが解析の一番面白いところだと中村先生。もうひとつサンプルの顕微鏡画像を見てみよう。

こちらは透過型電子顕微鏡による画像(Nakamura et al., 2022より)

こちらは透過型電子顕微鏡による画像(Nakamura et al., 2022より)

 

白い球体のようにみえるのが先ほどの磁鉄鉱(Magnetite)。左の方には黒い粒のような有機物(nano-OM)が確認できる。それらを取り囲む灰色がかった部分は水を含んだ珪酸塩鉱物の層、つまり粘土鉱物だ。粘土鉱物をよく見てみると、しゃかしゃかした糸状だったり、それが丸まったような毛糸玉状だったりする箇所がある(Phyllosilicate nodule)。中村先生によると、これらがもともと星雲を構成していたダストの核だったものだという。

 

「もともと、この1ミクロンほどの“毛糸玉”を核として、そのまわりを有機物を含む氷が覆っていました。それらが集まり、氷が溶けたり凍ったりを繰り返すうちに反応が進み、磁鉄鉱などの鉱物が形成されます。やがて氷が蒸発して、現在のように空隙のある状態になったのです」。それでは、氷が溶けたり凍ったりを繰り返す状況とはどんなものだったのか? その話はまた後ほど。

 

画面越しとはいえ、太陽系ができる前の宇宙のチリを目にしていると思うとなんとも言えない不思議な気持ちになってこないだろうか。

 

ところで、ニュースで話題になった有機物についてはどんなことがわかったのだろうか。下の図の右は、リュウグウの地下から採取したサンプル内に分布する有機物を示したものだ。さまざまな有機物が全体にまんべんなく分布している様子からは、星雲のチリ由来の単純な有機物が流体に溶け粘土鉱物と化学反応を起こし、複雑な有機物へと進化してきたことがわかるという。

 

左のグラフは、リュウグウのサンプル(青い棒グラフ)と、有機物を含む代表的な隕石であるオルゲイユ隕石(ピンクの棒グラフ)とで検出されたアミノ酸の量を比較したものだ。おおよそ似通った結果になっているが、チロシン(Tyr)だけはオルゲイユ隕石からしか見つかっていない。これはオルゲイユ隕石から見つかったアミノ酸に、地上で付着したアミノ酸が混入してしまっているためと思われる。

サンプルに含まれる有機物の解析結果(Nakamura et al., 2022)

サンプルに含まれる有機物の解析結果(Nakamura et al., 2022)

 

アミノ酸は宇宙で進化していた。リュウグウのような天体がまさにその進化のゆりかごだったというわけだ。

 

ただし、リュウグウから発見されたアミノ酸を地球上の生命と関連づけて論じるにはまだ課題が残っていると中村先生。というのも、アミノ酸のような分子には、ほとんど同じ構造で左右が反転した2つの種類が存在するが、地球上の生物を構成するのはどういうわけかこのうち片方のアミノ酸だけに偏っているのだ。リュウグウのアミノ酸にも同じような偏りが見られれば生命の起源との関わりが一層濃厚になってくるのだが、今回の解析ではその結果はまだ出ていない。続報を待つことにしよう。

解析結果が示すリュウグウ46億年の歩み

ここに紹介した解析結果はほんの一部だ。研究チームではサンプルごとの元素含有量や含まれる同位体比などを詳細に分析し、その結果を総合的に読み解いていくことで、リュウグウがこれまでに辿った壮大な時間を解き明かしていった。中村先生のチームがまとめたリュウグウの来歴は以下の通りだ。

 

1.宇宙を漂う小さなダストのまわりに水素や酸素などがくっついて、さまざまな元素を含む氷ができる。そこに恒星からの強烈な紫外線が当たり、光反応によって単純な有機物ができる。

 

2. 太陽系の形成とともにそれらの粒が集まって、大きな氷天体ができる。

 

ここで、これまで見てきたように鉱物や有機物が進化するには、氷を融かす熱が必要だ。ダストの中に含まれる放射性核種(26Al)が崩壊し、安定な核種(26Mg)に変わるときに発する熱がその役割を果たした。

 

3.放射性核種の崩壊熱により、天体の内側から氷が融けてゆき、ダストは水との反応によって変質し粘土鉱物になる。

 

4. 崩壊熱を使い切り、温度が下がって外側から内部に向かって再び凍ってゆく。この過程で水に溶け込んでいた元素が結晶化して、炭酸塩物や磁鉄鉱などが形成される。

 

リュウグウの元になった氷天体(c)の温度の変遷。天体が小さいと十分な熱が得られず(a, b)、天体の形成タイミングが遅れると燃料となる放射性核種が不足する(z)ため、氷が融けず物質進化が促されない(PMLウェブサイトより)

リュウグウの元になった氷天体(c)の温度の変遷。天体が小さいと十分な熱が得られず(a, b)、天体の形成タイミングが遅れると燃料となる放射性核種が不足する(z)ため、氷が融けず物質進化が促されない(PMLウェブサイトより)

リュウグウの元になった氷天体内における水質変質プロセス:氷→水→氷と内部の状態が変化することで鉱物が形成された(PMLウェブサイトより)

リュウグウの元になった氷天体内における水質変質プロセス:氷→水→氷と内部の状態が変化することで鉱物が形成された(PMLウェブサイトより)

 

氷天体が小さすぎると十分な崩壊熱を得られないので、この時点で直径数十kmほどの大きさがあるはずだ。直径900メートルほどのリュウグウと比べるとまだまだ大きすぎるので、なにか大きな力が加わって氷天体が壊れたと考えられる。

 

そこでまたひとつのストーリーが浮かび上がる。太陽系ではある時期、木星や土星の公転軌道が太陽に近づくことがあったそうだ。その巨大な引力に振り回されて、氷天体同士がぶつかって壊れたのかもしれない。

 

5.一度遠くに飛ばされた氷天体の破片が、最近になって超新星爆発などで弾かれて太陽系の内側の軌道に入ってくると、太陽の熱で氷が蒸発し、長い尾を引く彗星になる。

 

6. 氷が蒸発して鉱物や有機物といった固体だけが残る。さらに内部の水蒸気が吹き出すことで内側から崩壊し、回転しながら小さく収縮していく。その結果、そろばん玉の形をした現在のリュウグウの姿になる。

リュウグウの起源と進化(PMLウェブサイトより)

リュウグウの起源と進化(PMLウェブサイトより)

 

凍ったり融けたり、砕けたり彗星になったり。ちいさな岩の塊のように見える小惑星がこんなにも壮大な道のりを歩んできたとは驚きだが、このシナリオならば磁鉄鉱の謎や有機物の来歴などいろいろなことに説明がつきそうだ。見事なシナリオに感動していると、「それはもちろん、多岐にわたる研究を重ねて、その結果すべてに整合性をもたせていったからですよ。納得のいく答えが出ないと夜もぐっすり眠れませんから」と中村先生。カッコよすぎる。

新たな科学「物質天文学」がここからはじまる

研究は今後どう展開していくのだろうか。

 

「これまで、天文学の成果として星が生まれてから死ぬまでのサイクルがわかってきており、物理学でもその理論的な解明が進んでいます。そうした研究の積み重ねに対して、リュウグウは物質としてたくさんの情報を残してくれていました。その貴重な情報をつなぎ合わせていくことで、我々は星雲の状態を物質科学的に提示することができるでしょう。天文学と物質科学がひとつになった『物質天文学』というものができていくのではないかというのが、今私が感じていることです。

 

もちろん、生命の起源も気になっています。今回の解析で生命の材料は宇宙にあたりまえに存在するということがわかったので、次は地球以外の天体に生命が存在するかどうかが問題になります。ですから、まず火星に生命がいたかどうかをはっきりさせたいですね。

解析結果を論文として発表した直後にカナダのエドモントンから欧州のテレビ番組に出演しまして、そこで『宇宙に生命はいると思うか?』と聞かれました。私の答えは一言、『Why not?(もちろん)』です。ここに私たちがいるわけですから、ほかの天体にいないと考えるほうが不自然です」

 

生命の材料が宇宙にあるのならば、案外すぐに宇宙生命体が見つかるのでは……誰もがそんな想像をしてしまうぐらい、リュウグウのサンプル解析結果には大きなインパクトがあった。中村先生はプロジェクトを次のように総括する。

 

「宇宙の成り立ちにしても生命の起源にしても、研究者は今後、哲学的に何を求めるのかを問われるのではないでしょうか。そうした問いを世間に投げかけ、次の世代の研究者を育てていく意味でも、はやぶさ2とリュウグウは大きな牽引役になったと思います。

 

同時にこれは国家プロジェクトですから、私たち研究者は引き続き、国民に対して成果を報告する責任を果たしていく必要があると思っています」

 

はやぶさ2が持ち帰ったリュウグウのサンプルは、まだまだ沢山の驚きをもたらしてくれそうだ。

 

SNS発・博士のアイドルグループ!? 「PhD48(仮)」発起人・武田紘樹さんインタビュー

2022年6月9日 / コラム, 大学はこう使え!

「博士のアイドルグループPhD48のメンバーを募集します。

・応募資格 博士号を有する、または博士課程在籍中であること」

 

去る4月16日、Twitterにこんなツイートが投稿された。博士のアイドルグループ? 48??

ツイートはあっという間に拡散され、面白そう、私も参加できますか? といった反応が飛び交う。(ちなみに、Ph.D.(Doctor of Philosophy)とは日本でいう博士号のこと)

 

投稿の主は武田紘樹さん。2021年に東京大学で博士号(理学)を取得し、現在は京都大学に研究員として所属する気鋭の物理学者だ。個人でもYouTubeチャンネル「たけださんの4コマ宇宙」を運営し、新しいアウトリーチ活動を模索する武田さんに、アイドルグループの構想やその背景にある問題意識について伺った。

※なお、グループの正式名称は取材時点で検討中とのことなので、記事内では「PhD48(仮)」とさせていただきます。

きっかけは何気ないつぶやきから……多彩なメンバーが集う「ゆるいコミュニティ」

 

――どうしてPhD48(仮)を始めようと思われたのでしょうか?

 

あるとき家でふざけていて「研究してても儲からないから、アイドルグループでも作ろうかな」と妻に話したことがあって、それを何気なくつぶやいただけだったんです。それがバズってしまったから、それじゃあ本当に作ったら面白いんじゃないかと。それで投稿したのが「メンバー募集」のツイートでした。

 

ツイートを見て、これまでのところ博士と博士課程の学生からなるメンバーで合計100人、一般の学生まで幅を広げた研究員でさらに100人、それに加えて、裏方のスタッフとして60人ほどが参加してくれています。男女比、文理比ともにほぼ半々。准教授、助教といった大学の職についていらっしゃる方、所属は東大京大から地方の国立、私大、海外の大学までばらばらです。

 

著名人では落合陽一さんが「写真ぐらいだったら撮りますよ」と参加してくれました。ほかにも法学部の教授や、教育系のイベントを企画されている方が相談に乗ってくれたりと、いろいろな方が参加・協力してくださっています。

 

4月25日に投稿されたPhD48の募集要項。正規メンバーだけでなく研究員、スタッフまで幅を広げた。

 

――すばらしい多様性ですね。Twitterスペース(誰でも参加できる音声チャット機能)を使ってミーティングをするなど、オープンな雰囲気も印象的です。

 

僕もみんなも研究で忙しいですし、組織的にやると負担になるしつまんない、ダサいかなと。だから出入り自由のゆるいコミュニティとして運営しつつ、メンバー紹介だけはいつでもサイトで見れるようにしておくのがいいかなと思っています。そして、たまに企画をやってwebラジオやYouTubeで発信していく形ですね。

 

リアルイベントをやろうとすればお金もかかりますし、メンバーも世界中に散らばっているので難しいでしょうね。基本はネット上の悪ふざけコンテンツにしたいかなと。

 

――ふざけたコンテンツと言いつつ、PhD48(仮)のTwitterコミュニティ(メンバー同士の交流機能)を見ると「学術研究に関わる学生・研究者と学問や学問をする人に興味を持つ一般の人々の交流を通して学術の世界を盛り上げていく」という目標を掲げておられますね。

 

はじめから目標があって作ったというよりは、バズってしまったから理由をつけてグループを作ってみたという感じですね (笑)。なんでもいいから面白いことをやっていれば、色んな人が関心を持ってくれるんじゃないかと。

 

関心を集めることで得られるメリットは、参加する人それぞれだと思います。

自分の研究を多くの人に知ってほしい人、メディアに出たい人、本を書きたい人、あるいは、研究者をとりまく現状を変えたい人。共通しているのは、発信力を上げないことにはどんな目的も達成しづらいということです。

PhD48(仮)のコミュニティ。運営に関することだけでなく博士課程進学や研究に関する相談も書き込まれ、ゆるやかな交流の場になっている。

PhD48(仮)のコミュニティ。運営に関することだけでなく博士課程進学や研究に関する相談も書き込まれ、ゆるやかな交流の場になっている。

 

――発信力を上げる手段として「アイドルグループ」を名乗ったのには何かこだわりがあるのでしょうか?

 

アイドルにこだわりがあったわけではないんですが、容姿や歌やダンスでなくても、その人達の存在の魅力で人が集まってくるならなんでもアイドルと呼べるんじゃないかなと。親近感も持ってもらいやすいですし。一般の人に対していきなり研究の話をしても、耳を貸してくれる人ってすごく限られますよね。人としての魅力を発信してファンになってもらうことが、研究者としての発信力にもつながるんじゃないかと思っています。

 

とくに日本は、ノーベル賞を伝えるニュースで受賞者の生い立ちや人柄ばかりが報じられるぐらい「人」が好きな国です。そんなことではダメだという研究者もいますが、僕はむしろ、そういう事実を一旦は受け入れるところから発信を始めたほうがいいと思っていたんです。だから今回、バズったついでにそういうことができるんじゃないかと思って始めてみたのがアイドルグループでした。

発信不足への危機感、だけどSNSではあくまで不真面目に。

――研究者には発信力が必要ということですが、武田さん個人としては研究者をとりまく環境をどのようにご覧になっていますか?

 

研究予算がどんどん減らされていること、若手研究者の雇用が不安定なために優秀な人が研究職を諦めてしまうこと、先進国で唯一、日本の博士課程の学生数が減少していることなど、研究環境をめぐるネガティブな話を挙げるときりがありません。政府の方針は予算を削る一方でお金になる成果を出せと迫っていて、ちぐはぐですよね。ただ、研究者に責任がないとも言い切れないと僕は思っているんです。

 

――どういうことでしょうか?

 

アウトリーチ(教育普及活動)が足りていないんですよね。たとえばヨーロッパ社会は世の中全体のサイエンスに対するリスペクトが高くて、研究者があまりアウトリーチに労力を割く必要がないといわれています。アメリカは逆に、研究者は予算の何%をアウトリーチに割かなければいけないということが明確に決まっている。

 

そこで日本の現状を見れば、もっとアウトリーチが必要なはずなのですが、研究業績に直接つながるわけではないので、わざわざ労力を割いて取り組もうという人が少ない。そうするとノウハウも蓄積されないので、いざというときに世間に対して研究の価値をうまく伝えられない。どうも学会発表のような、堅い話になってしまいがちなんです。アウトリーチをサボってきたことで、アカデミアが社会から分断されて、研究予算や待遇に跳ね返ってきている面があるのではないかと思います。

 

――やはりそういう危機感を持っていらっしゃる方は多いのですか。

 

僕たちのような若い世代はとくに、アカデミアと自分自身の将来に強い危機感を持っている人が多いと思います。国の政策に対して声を上げていくのも大切ですが、それと同時に、今すぐにできるアウトリーチもやっていかなければならない。研究をやりながら個人で発信していくのはすごく大変ですが、みんなで集まれば一人ひとりの労力は少なくてすむ。だからPhD48(仮)に参加してきてくれる人が多いのではないでしょうか。

 

ただ、そういう危機感や野望はありつつも、あまり気合いを入れるとツイッターではスベってしまうので。だらっとやってるように見せておいたほうがいいのかなとは思っています。

学術系コンテンツでも「人柄」が最強の武器?

――お話をお聞きしていると、武田さんはSNSでの振る舞いを熟知されている印象です。

 

SNSでなにがウケてなにがスベるのかについてはめちゃくちゃ研究しましたね。Twitterを始めた頃は宇宙や物理の話をしてたんですが、やっぱり受けない。内容だけでなく文字の長さや語順など試行錯誤してフォロワーを増やしてきました。だからTwitterにいる人たちがなにを考えているのかは大体わかるつもりです。ただ、YouTubeは難しいですね。

 

――YouTubeチャンネル「たけださんの4コマ宇宙」を運営して、重力波や宇宙に関する解説動画や大学院に関するアドバイスを発信されていますね。Twitterよりも難しい内容を伝えるのには向いていそうですが?

 

Twitterでうまくいったので、YouTubeもいけるのでは? と思って今年の2月に始めたんですが、ちょっと勝手が違いました。物理や宇宙の話だと再生数はせいぜい5000ぐらいなのに、雑談動画が7万再生されたりする。がっつり講義系の動画にも固定ファンはいてくださるのでそちらも作りつつ、多くの人がある程度楽しめる柔らかい内容のものもシリーズ化して、階層分けをするのがいいのかなとか、日々試行錯誤しています。

 

YouTubeチャンネル「たけださんの4コマ宇宙」より、武田さんが自身の博士論文を紹介する動画。

 

――学術トピックをカジュアルにまとめた動画がたくさんあるなかで、研究者自身が発信する情報にはとくに価値があると思うのですが、その価値を伝えるのが難しいのですね。

 

子供向けに特化すると爆発的に伸びるかもしれませんが、そういう性格でもないので……。最近は、専門性と面白さを両立できる大人向けのラジオ番組のような立ち位置をめざすのがいいのかなと考えています。

 

YouTubeで今人気の「ゆる言語学ラジオ」ってご存知ですか? 言語学の専門的な内容を扱っているのですが、パーソナリティーのお二人に毒気がなくて、おしゃべりそのものを楽しく聴いていられる。PhD48(仮)の話に戻ってきますが、やはり人柄で受け入れてもらえるとコンテンツとして強いと思います。

 

――ほとんど0円大学で研究者の方に取材させていただくとき、丁寧にお話を聞いていくと、研究の根っこにあるのはとても素朴で人間的な疑問だったりします。難しい研究の話と研究者の人柄は別物ではなくて、つながっているものなのかなと。

 

それに加えて、その分野に進んだきっかけにもその人らしさが出ていたりしますね。小さい頃から興味があってという人もいれば、行きたかった研究室の試験に落ちて仕方なく、という人もいる。もちろん、何が正解ということはありません。

 

そういうパーソナルな部分を見せるというのは、一般の人に親近感を持ってもらいやすいのはもちろん、これから研究者をめざそうとしている人に肩の力を抜いてもらうきっかけにもなるのではと思っています。とくに今、女性研究者のキャリアモデルが少ない。たとえば、女性研究者の話だけにフォーカスした動画を作ったら需要があるかもしれませんね。

 

PhD48(仮)では女性限定メンバー募集も行われた。武田さんいわく、「SNSで論争になった大学の教授ポストの女性限定公募を皮肉ったもの」。

 

――そうするとPhD48(仮)のようなコミュニティは、研究者の発信力を高めるだけでなく、いろいろな立場の人がフラットに議論できる場にもつながっていきそうですね。

 

そうですね。研究者は職業がら発言に慎重になりがちですが、みんなもっと気軽に発言して、間違ったら間違ったで訂正すればいいのにと僕は思います。差別的な発言などは許されませんが、そうではないたいていのことは真摯に謝れば許してもらえますし。発言してみて、訂正して、情報がきれいにされていく循環が起きないと、アカデミアじゃない人たちがアカデミアのことを粗雑に評するのを見ているだけになってしまう。それはそれで無責任な態度ですよね。だから、研究者も気軽に発言できるフラットな場を作りたいという思いはあります。

PhD48(仮)はオーディションに向けてまもなく始動!

――いろいろお聞きしてきましたが、PhD48(仮)で今後考えておられる企画があれば教えて下さい。

 

最終的には精鋭メンバーのオーディションを行って、それ自体をメインコンテンツにしようかなと思っています。いま100人ほど応募者がいるので、数人のグループに分けてそれぞれトークしてもらって、その中で誰が良かったかを見ている人に投票してもらう。トークテーマは「コンビニでいつもなに買ってますか」とか、研究に関すること〈以外〉ならなんでもいい。こんなことを考えている人がいるんだなというところを楽しめればいいのかなと。

 

トーナメント方式で選抜を進めて、最終的に勝ち残った10人ぐらいのメンバーが「解散ライブ」と称して研究発表をする。これを1クールとして、また最初から繰り返すという形です。いろんなやり方があるでしょうし、繰り返すうちにブラッシュアップしていければいいかなと思います。

 

オーディションの開催はまだ少し先になりますが、今はメンバー一覧を掲載するサイトをスタッフが構築してくれていて、もうすぐお披露目できる予定です。

 

――楽しみにしています! 最後に、武田さんご自身の今後の目標があれば教えてください。

 

目標は大学の先生になることです。アウトリーチばっかりやって常勤の仕事につけないと本末転倒なので、あくまで研究が本分です。ただ、明確な目標立てて失敗すると凹んでしまうタイプなので、可能な限り目標を低くして、うまくいったら「思ってたよりマシだった」と思えるぐらいがちょうどいいいですね。

 

――ありがとうございました!

研究者の質問バトン(5)宇宙エレベーターは実現できるの?

2022年4月26日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

 

研究者の素朴な疑問を数珠つなぎに解決してゆく質問バトン。前回、東京家政大学の藤井修平先生からおあずかりした質問は「軌道エレベーターは実現できるの?」でした。軌道エレベーター、または宇宙エレベーター(※)といえば、SF小説やアニメが好きなら一度は目にしたことがあるはずの夢の宇宙技術。実現すれば宇宙がぐっと身近になると言われています。もし、生きているうちに宇宙旅行ができるとしたら……考えるだけでも体がフワッと宙に浮いてしまいそうです。

※なお、近年は宇宙エレベーター(space elevator)という表記が一般的になっているため、記事中の表記も「宇宙エレベーター」で統一させていただきます。

 

ということで今回は、宇宙エレベーターについて研究されている東海大学の佐藤実先生にお話を伺いました。

大富豪じゃなくても宇宙旅行に行けるようになる!?

――今日は宇宙エレベーターについてお聞きしたいのですが、佐藤先生はどのような視点から宇宙エレベーターを研究されているのでしょうか?

 

宇宙エレベーターについてはものづくりの研究をイメージされる方が多いかもしれませんが、私は理論の面から宇宙エレベーターの実現性や課題を検証することが専門です。実は最近、いろいろな事情で地球上に宇宙エレベーターを造るのは今のところかなり困難だということがわかってきたんです。私の目下の研究としては、地球以外の天体、具体的にいうと小惑星に宇宙エレベーターを造る可能性を探っているところです。

 

――おっと、出だしから予想外の展開です。どうして地球では難しいのか、そしてどうして小惑星なのか、じっくりお聞きしたいところですが……その前に、そもそも宇宙エレベーターってどういうものなのか教えていただけますか?

 

簡単に言うと、宇宙エレベーターとは地球の静止軌道(※)上に作ったステーションから地表に長いケーブルを垂らして、クライマーと呼ばれる乗り物で上り下りするという輸送方法です。エレベーターという名前ですが、ケーブル自体を引っ張り上げるわけではなく、動力を備えたクライマーがケーブルをつたって移動する仕組みなので、どちらかというと電車に近いですね。宇宙列車と呼ばれることもあります。

※地球の自転速度と、人工衛星などの地球に対する公転速度が一致する赤道上空の軌道。地上から静止軌道上の衛星を見上げると、いつでも空の同じ場所に静止して見える。

宇宙エレベーターの構成。地球の重力と釣り合いを取るため、10万kmのケーブルの先におもりをつけて引っ張る。軌道カタパルトについては後述。(佐藤実『宇宙エレベーター その実現性を探る』p17をもとに作成)

宇宙エレベーターの構成。地球の重力と釣り合いを取るため、10万kmのケーブルの先におもりをつけて引っ張る。軌道カタパルトについては後述。(佐藤実『宇宙エレベーター その実現性を探る』p17をもとに作成)

 

――宇宙に行く手段としてロケットがありますが、宇宙エレベーターはそれよりも優れているのでしょうか?

 

宇宙エレベーターが優れている点はいくつかありますが、まずは安全性ですね。噴射で加速度を得て一気に宇宙に到達しなければならないロケットと違い、宇宙エレベーターはケーブルがあるので、途中で止まったり、トラブルがあれば引き返したりすることもできます。

 

次に費用です。ロケットは打ち上げのたびに大量の燃料を必要としますが、宇宙エレベーターは造るのが大変なぶん、一度造ってしまえばずっと安価に運用できます。ちなみに、ケーブルの上を上り下りするクライマーの動力源としては、人工衛星に設置したソーラーパネルで宇宙太陽光発電を行い、そのエネルギーをレーザーでクライマーに届ける方法が有力視されています。

 

3つ目は輸送量です。ロケットは重たい推進剤をどんどん機外に噴射しながら宇宙に到達するので、最終的に宇宙まで運べるものの質量はかなり限られています。一方、宇宙エレベーターは、原理的にはケーブルを太くすればするだけ重いものを宇宙に届けることできます。輸送という点でいうと、悪天候に左右されづらいこともメリットですね。

 

――安全に、安価に宇宙と地球を行き来できるわけですね。民間の宇宙ロケットの登場で宇宙旅行が随分身近になったとはいえ、今のところは宇宙飛行士でなければ、選ばれし大富豪ぐらいしか宇宙に行けません。

 

そうですね。かつては宇宙に1kgのものを送るのに100万円ほどかかると言われていましたが、スペースXなどの民間企業の参入によって今では数十万円までコストダウンしてきています。宇宙エレベーターが実現すればさらに安く、1kgあたり1万円で輸送が可能になると言われています。これは大雑把な計算ではありますが、実現すれば今とは比較にならないほど多くの人が地球と宇宙を行き来できるようになるのは間違いないでしょう。

 

――単純に体重×1万円で計算すれば……数十万円で宇宙に行けてしまう!

ロケットと宇宙エレベーターの比較

ロケットと宇宙エレベーターの比較

 

宇宙旅行が身近になるだけではありません。実は、宇宙ステーションは人類をさらに遠くまで連れて行ってくれるんです。

 

宇宙エレベーターのケーブルは静止軌道を越えて、地上10万kmまで伸びています。地球の自転に連動して回転するので、ケーブルの先に行けば行くほど高速で回転していることになります。そこで、ケーブル上のある程度高いところからタイミングを見計らって探査機を離してやると、それだけで地球の引力を振り払うのに十分な速度が得られるわけです。この「軌道カタパルト」という方法を使えば、火星へも従来よりもずっと簡単に探査機を飛ばすことができます。さらに少し燃料を積んでやると、太陽系を脱出して系外惑星の探査だって可能です。

 

――地球の自転をハンマー投げのように利用するわけですね。おもしろい! 探査機を遠くまで飛ばす際に、近くにある惑星のそばを横切って勢いをつけるスイングバイという航法がありますよね。それとちょっと似ているような。

 

どちらも惑星の回転運動を利用して速度を得るという点では似ていますが、軌道カタパルトは自転運動を、スイングバイは公転運動を利用しているという違いがあります。他の惑星に寄り道する必要があるスイングバイよりも、軌道カタパルトを使うほうが早く目的地に到達できる場合もあるでしょうね。

ブレイクスルーの鍵は、カーボンナノチューブの長尺化

――宇宙エレベーターの研究はこれまでどのように進んできたのでしょうか?

 

静止軌道から地表にケーブルを伸ばすという宇宙エレベーターの着想は、1960年にソ連のアルツターノフという科学者が発表しています。このアイデアはSF小説などのフィクションの世界に取り入れられました。かくいう私も、子供の頃にそんな小説を読んで宇宙エレベーターに心を惹かれた一人です。ですが、当時はケーブルに使えそうな軽くて丈夫な素材が存在しなかったため、宇宙エレベーターは実現不可能な夢物語として扱われていました。

 

大きな転機となったのは、1991年にカーボンナノチューブが発明されたことです。カーボンナノチューブは、炭素原子が共有結合という非常に強力な力で結びついてできた筒状の構造を持つ素材で、圧倒的な軽さと丈夫さを兼ね備えています。この発見によって、宇宙エレベーター構想がにわかに現実味を帯びはじめました。1999年にNASAで開催された「高度な宇宙インフラに関するワークショップ」で、ついに宇宙エレベーターの実証性についての検討が行われました。翌年には、NASAの助成を受けた科学者のブラッドリー・C・エドワーズが「エドワーズ・モデル」と呼ばれる宇宙エレベーター構想を発表し、これが現在に至る宇宙エレベーター研究の主流となっています。

 

21世紀に入って、さまざまな分野で宇宙エレベーターの実現をめざす研究が始まりました。近ごろは宇宙開発もビジネスの場になりつつあるので、まだまだ実現性が不透明な宇宙エレベーターはメジャーな研究分野とは言えませんが、その中で日本は研究が盛んな国の一つと言えるでしょう。

 

――実現に向けて、技術的にはどんな課題があるのでしょうか?

 

科学技術面で一番大きな課題は、カーボンナノチューブの長尺化、つまり長くすることです。今のところ、カーボンナノチューブは数cmから十数cmの長さまでしか作ることができていません。これを10万kmまで延ばすためには、短いカーボンナノチューブどうしを共有結合でくっつけるような全く新しい技術が必要になります。この方法が発見されれば、それがブレイクスルーとなって一気に研究が加速するでしょう。

 

宇宙エレベーターの研究者たちはこのブレイクスルーをただ待っているわけではありません。クライマーの開発やカーボンナノチューブを宇宙空間に曝露させる実験、宇宙でケーブルを延ばす実験など、今できる研究を着々と進めながらブレイクスルーに備えているんです。

小惑星から第一歩を踏み出す

――技術的な課題があることはわかりましたが、最初に「地球上では実現が難しい」とおっしゃっていたのには別の理由もあるのですか?

 

それはですね、宇宙での安全上の問題です。地球のまわりには、宇宙飛行士が常駐している国際宇宙ステーションや、10000機を超える人工衛星が存在します。そんなところに10万kmにおよぶケーブルを漂わせていたら、いくら安全に配慮して運用したとしても、いつか衝突してしまうという可能性も理論上はないとはいえません。今後、宇宙空間でのルールが整備されていくことを考えたときに、この点が宇宙エレベーターにとって大きなネックになりそうです。

 

安全性を証明するためには実証実験などの実績を積む必要があります。しかし、宇宙空間でケーブルを長く伸ばすこと自体が現在すでに人工衛星の運用ルールに引っかかってしまうので、本格的な実験にすら着手できないという状況なんです。

10万kmものケーブルを宇宙空間で安全に運用するのは大変。

10万kmものケーブルを宇宙空間で安全に運用するのは大変。

 

――うーん……たしかに対策が難しい問題ですね。

 

ただ、これは具体的な運用が視野に入るところまで研究が進んできたからこそぶつかった壁ともいえます。今できる研究をさらに進めて、宇宙エレベーターの安全性や有用性が実証されれば、将来的には状況が変わるかもしれません。そこで浮かんでくるのが、地球以外の場所で宇宙エレベーターを活用する可能性です。

 

――それが、最初におっしゃっていた小惑星ですね。

 

そのとおりです。手近なところでは月がありますが、おそらく数十年のうちには月面にも人が常駐するようになるでしょうから、少し難しい。次に火星も有力な候補ですが、私としてはまずは小惑星がちょうど良いと考えています。小惑星の探査は「はやぶさ」のミッションでも注目されましたよね。小惑星にはレアメタルなどの貴重な資源が眠っているので、これを採掘できれば経済的なメリットにつながります。小惑星の大きさにもよりますが、将来的には、採掘した資源を小惑星の表面から宇宙船まで引き上げるのにも宇宙エレベーターが使えると考えています。

 

――経済的にわかりやすいメリットがあるのは大きなポイントかもしれませんね。実現できそうなのでしょうか?

 

資源の掘削と引き上げはまだハードルが高いのですが、探査機と小惑星をケーブルで繋ぎ、探査機が小惑星のまわりを効率よく移動するために使うのならば技術的にはすぐに実現できると思います。試算してみると、この用途であれば既存の材料と技術で実現可能なことがわかりました。次はこれを実際の小惑星探査のニーズに落とし込めるように考えていきたいと思っています。

 

――なんだか一気に現実味が増した感じがしますね。

 

みなさんが思い浮かべるような宇宙エレベーターにはまだまだ遠いものの、そこに至る階段を一段ずつ着実に上っているところです。

 

宇宙エレベーターの開発は早いもの勝ちなので、すべての条件が整うまで手をこまねいていては乗り遅れてしまいます。宇宙エレベーターが実現したときに、お客さんとして乗せてもらうのか、運賃を決める側になるのかでは全然違いますよね。繰り返しになりますが、競争に乗り遅れないために、今できることから一歩でも二歩でも研究を進めていくことがとても重要なんです。

宇宙エレベーターは「人類共通の目標」になるか?

――いろいろな課題をお聞きしてきましたが、それらを乗り越えてもし地球上で宇宙エレベーターが実現できるとすれば、いつ頃になりそうでしょうか?

 

そうですね、さきほど挙げたような課題がクリアできたとして、カーボンナノチューブのブレイクスルーが起こってから10年から30年後といったところでしょうか。

 

ただ、もう一つ大きな問題があります。それは、宇宙エレベーターは国際協調なしでは決して実現できないということです。技術的には一国で建造可能だとしても、宇宙に拠点ができること自体が他国にとって大きな脅威になるからです。モノを自由落下させるだけでも強力な兵器になりますからね。そんなスタンドプレーを他国が許すでしょうか? だから、今のように国際情勢が緊迫している限りは、残念ながら実現は夢のまた夢でしょうね。

 

――現在運用されている国際宇宙ステーションはまさに各国の共同ミッションの賜物ですが、ロシアのウクライナ侵攻で暗雲が立ち込めていますね。時代が一気に逆行してしまった感があります……。

 

各国が手を取り合って宇宙エレベーターを実現するためには、ただ造るだけではなく、その先に人類共通の目標を持つことができるかどうかが鍵になるでしょうね。たとえばエネルギー問題に貢献することがひとつの回答になるのではないでしょうか。

 

クライマーの話でも出てきた宇宙太陽光発電は、二酸化炭素を出さず、地上よりも安定して発電できる優秀な発電方法なのですが、太陽光パネルを宇宙空間まで運ぶために莫大なコストがかかります。宇宙エレベーターが実現すればこの点はクリアできるので、地球上に莫大なエネルギーを届けることができるようになるかもしれません。いかに世界の人々の幸せに貢献できるかという視点こそが、宇宙エレベーターにも求められているように思います。

佐藤先生の素朴な疑問は?

――ところで、もし地球上で宇宙エレベーターが実現したとして、佐藤先生が宇宙でやってみたいことはありますか?

 

そうですね、宇宙飛行士の自伝なんかを読むと、宇宙に行くことで考え方が変わったり、宗教的な体験をしたというような方がけっこういらっしゃるんですよね。自分がもし宇宙に行けたとして、意識や感覚に変化が起こるかどうかが気になりますね。

 

――宇宙から地球を見ると、そのかけがえのなさに気がついて考え方がガラッと変わるというような話は聞いたことがあります。

 

もっと遠く、太陽の光もほとんど届かないようなところまで行けたらどうでしょうか。もしかしたら想像もつかない感覚に目覚めるかもしれません。それこそ機動戦士ガンダムに出てくる「ニュータイプ(新人類)」のような……。

 

そこまでいかなくても、宇宙エレベーターが実現したら一般の人がアトラクションとして無重力飛行を楽しめるようになるでしょうね。途中まで昇って、そこから帰還船に乗り換えて自由落下すればいいんです。実は私も飛行機で無重力を体験するツアーに参加したことがあるんですが、あれはすごく気持ちいいんですよ。

 

――まさに未知の感覚。おもしろそうだなぁ。ぜひ体験してみたいです!

 

ところで、私は子供の頃からずっと疑問に思っていることがあるんです。

 

――はい、ぜひ聞かせてください。

 

ちょっとうまく言葉にしづらいのですが、「私は…」と考えている「私」とは何かということです。先ほど宇宙空間での意識の変容を体験してみたいという話をしたところですが、普段私たちは「私」という枠組みの中でまわりの世界を認識して、あるいは頭の中で考え出した数式などを使って理解しているわけですよね。たとえばもし「私」の認識や思考の枠組みが変わったら、世界や数式も変わってしまうのでしょうか?

 

――なんとなくわかる気はするのですが……、つまりどういうことでしょうか?

 

そうですね、人間にとって「わかる」とはどういうことなのでしょうか? これをぜひ知りたいです。大丈夫ですか?

 

――これまた無重力並みに頭がぐるぐるしてきそうな問いかけですね……。それでは、次回は「わかる」ことの専門家の方を探してこの疑問をぶつけてみたいと思います。

佐藤先生、ありがとうございました!

 

(つづく)

ウクライナ危機、大学は何を伝えられるか。龍谷大学「ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー」レポート

2022年4月5日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

去る2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。国際秩序を大きく揺るがす事態に、大きな衝撃が世界を駆け巡りました。戦闘は現在も続き、両国軍だけでなく民間の人々にも多大な被害が広がっていることを思うと胸が痛みます。また、そんな情勢がリアルタイムに報道され、さまざまな意見が飛び交う中で、不安や無力感を抱いている方も多いことでしょう。

 

そんな中で、積極的に学内外へメッセージを発信し続けている大学もあります。今、大学は社会に何を伝えられるのでしょうか? 今回は龍谷大学のオンライン企画「RYUKOKU CINEMA特別企画『ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー』」をレポートします。

映画とミニレクチャーを通して、ウクライナ情勢を考える

ロシアの侵攻開始を受けて、龍谷大学では2月28日に公式に抗議声明を発表し、3月には人道支援を目的とした募金が開始されました。さらに、3月25日、31日には学内向けのセミナーを開催するなど、ひと月あまりの間に次々と大学としての発信を行っています。こうした積極的な取り組みの背景には、ウクライナのキエフ大学と学生交換協定を結んで長年交流を続けてきたことや、建学の精神として掲げる「浄土真宗の精神」があるそうです。

 

そんな中から今回紹介するのは、「RYUKOKU CINEMA特別企画『ウクライナ情勢を知る映画紹介とミニレクチャー』」と題して3月に公開されたコンテンツです。「RYUKOKU CINEMA」は、社会的なテーマを題材にした映画の上映と、テーマに関連したミニレクチャーを開催する学内向けのイベントとして2021年度にスタート。今回はその特別編として、ウクライナ情勢を知る上で参考になる映画の紹介と、3人の先生方によるミニレクチャー動画が一般公開されました。

 

レクチャーの内容に入る前に、まずは紹介されている映画を観てみることにしました。

 

今回取り上げられている映画は、『親愛なる同士たちへ』、『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』、『ウクライナ・クライシス』、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』という、ロシアとウクライナの現代史を知ることができる4本。筆者はその中から、2013年から2014年のウクライナを舞台にした『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』を視聴してみました。親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領を退陣に追い込んだユーロマイダン抗議運動を追ったドキュメンタリーです。

 

『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』(2015, Netflix配給) Netflixで視聴できるほか、執筆時点では英語字幕版がYouTubeで無料公開されている。

『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』(2015, Netflix配給)
Netflixで視聴できるほか、執筆時点では英語字幕版がYouTubeで無料公開されている。

 

 

 

 

キエフの美しい町並みを舞台に、市民運動とそれを暴力で鎮圧しようとする治安部隊との衝突が激化していく様子は衝撃的で、正視するのが辛くなるほどでした。ロシアとヨーロッパに挟まれたウクライナが1991年の独立以来いかに揺れ動いてきたのか、人々が自由を求めていかに戦ってきたのかという経緯の一端が垣間見られますが、そうして人々が勝ち取ったはずの自由が今また攻撃を受けていると思うと、言葉もありません。

 

自由の尊さや暴力の理不尽さを噛み締めつつ、それでは私たちは現在起こっている軍事侵攻にどう立ち向かっていけばいいのでしょうか。つづいてミニレクチャーを視聴してみます。

異なった価値観をもつ人同士の交流が絶えた時、戦争が始まる

最初の動画は、学長の入澤崇先生からのメッセージでした。

 

仏教学者である入澤先生は、仏教の「毒矢のたとえ」を出して、一度毒矢が刺さってしまったら、その毒の成分やどこから飛んできたかを考えていては手遅れになる。今すぐ毒矢を抜かなければならない。つまり、今すぐにウクライナで起こっている戦争を止めなければならない、と訴えます。声明の発表や募金活動にいち早く取り組んできた龍谷大学だけに、この言葉にはとても重みがありました。

入澤崇先生

入澤崇先生

 

印象的だったのは、「人間社会は関係性で成り立っている」として、対話や交流というものの大切さを繰り返し訴えられていたことでした。2014年のクリミア併合の際はかろうじて機能していたプーチン大統領と各国首脳との対話が今回は機能していないことを憂慮しつつ、プーチン大統領による侵攻を「ウクライナの人たちとの関係を断ち切るもの」と非難します。

 

話題は30年以上続く龍谷大学とキエフ大学との交流にも及び、龍谷大学ではこれまでキエフ大学から40名の学生を受け入れてきたと振り返ります。また、侵攻開始の翌日にはキエフ大学から「一人でも学びたい学生がいればオンライン授業を続ける」というメールを受け取ったそう。当たり前の生活を奪われている人がいることは決して他人事ではない。この理不尽を脳裏に焼き付けて平和というものについて考えてもらいたいと続けました。

 

「異なった価値観をもつ人たちとの交流が絶えた時、そこから戦争が生み出される。つまり戦争の反対概念は、『交流』だと考えています。私たちの日常生活のレベルで異なった価値観を持つ人たちとの交流がいかに大切か、その交流というものを通してはじめて平和が生まれるということを十分に噛み締めたいと思います」。入澤先生の言葉からは、学生を導く教育者としてのまなざしを感じました。

国際関係の理論から読み解く戦争

続いてのレクチャーは、国際学部の清水耕介先生。清水先生は「いかなる理由があろうとも、暴力を使って他国に攻め入るということは絶対に正当化できない。戦争自体が悪いという立場からお話したいと思います」と前置きをしたうえで、国際関係論の視点でふたつの戦争の捉え方を紹介されました。

 

ひとつは「政治の延長としての戦争」。国際関係においては、戦争を国家間の問題を解決する手段と位置づけるという考え方が一般的なのだそうです。それに対して、20世紀の思想家のハンナ・アーレントは「政治の断絶としての戦争」を唱えています。これは、対話による政治が断絶したときに暴力、つまり戦争が現れるという考え方です。後者は先ほどの入澤先生のお話ともつながります。

 

ロシアが国連憲章を破ってウクライナに侵攻したことはまさに「政治の断絶」ですが、国連をはじめとする今の国際的な枠組みではこのルール破りに対処する方法がありません。これをなんとか対話による政治に戻してやる努力こそが必要になると清水先生は言います。

清水耕介先生

清水耕介先生

 

今回の軍事侵攻に至った原因についてはさまざまな解釈が飛び交っていますが、清水先生はこれらの解釈のほとんどが国同士の力関係を前提に語られていると指摘します。とくに国際政治を語る上で現在主流になっているのは、暴力を否定して理性的にものごとを解決する「理想主義」ではなく、暴力という手段を前提にしながら理性的な判断を行う「現実主義」的な国家像です(「政治の延長としての戦争」はまさにこの考え方でしょう)。しかし現実主義といっても、実際には権力者が常に理性的な判断を下すとは限らず、力はいつ暴走するかわかりません。「力が世界を決める」という論理は、いつか核戦争による破滅を引き起こしかねないというのです。

 

昨今、国家間の緊張はますます高まるばかりですが、どうすれば戦争をなくしていくことができるのでしょうか? その鍵になるのは「市民」なのだそうです。

 

清水先生によると、これまで国民国家単位で語られてきた国際関係のあり方が、ここ20年で変化しつつあるそうです。それは、国民国家だけではなく、市民の連帯が国際政治に大きな役割を果たしうるという見方が出てきたことです。今回の紛争では、ロシアの国内から、命がけで戦争に反対する声を上げる人々が出てきました。この様子が伝わってくる限り、国際世論は西側諸国とロシアとの全面衝突を望まないでしょう。「これだけ反対している人達がいるということが、ある意味、第三次世界大戦を止めているという言い方もできなくはないだろうと思います」と清水先生。

 

清水先生は最後に仏教の「空」という概念に触れて、「私達自身もどこかでこの紛争につながっているのではないか。心のどこかで暴力を肯定してしまっていないかということを、じっくり考える必要がある」と締めくくりました。

「抑止力」をめぐる議論を憲法学者はどう見るか

最後は政策学部、奥野恒久先生です。奥野先生は憲法学の専門家としての立場から、ロシアのウクライナ侵攻をめぐって日本でも活発に語られている抑止論に関する議論を提起されました。

 

最初の論点は、プーチン大統領のウクライナ侵攻は国連憲章に違反しているのかどうか。国連憲章が認めている「個別的自衛権」「集団的自衛権」に照らして、今回の侵攻がどちらにも当てはまらない、国連憲章違反であることを示します。

 

続いて、ウクライナ情勢を受けて活発になっている日本の安全保障論について議論を進めます。ロシアの隣国である日本で、抑止力としてさらなる軍事力の強化を求める声が上がるのはある意味では当然といえるかもしれません。一方で、日本には「戦力を保持しない」とした憲法9条があり、世界唯一の被爆国として非核三原則を掲げています。

「プーチン政権によるウクライナ侵攻に怒りをもって抗議する」と書いた紙を掲げる奥野先生。裏面には「生命を守るには非戦・核廃絶・軍縮しかない!」の文字

「プーチン政権によるウクライナ侵攻に怒りをもって抗議する」と書いた紙を掲げる奥野先生。裏面には「生命を守るには非戦・核廃絶・軍縮しかない!」の文字

 

それでは、この議論は抑止力をもつという「現実主義」と、あくまで外交努力に徹する「理想主義」の対立なのでしょうか? 奥野先生はそれぞれの立場からの主張を挙げ、抑止力をもつことは周辺国との間で緊張感を高め、必ずしも安全にはつながらないこと、政治が軍事を優先しだすと人々の生活が軽視されることに警鐘を鳴らしました。

 

「高校の授業ならばここまでで、あとは皆さん考えてくださいということになるのでしょうが」と前置きをして、さらに日本国憲法に引きつけて議論を深めます。奥野先生によると、日本国憲法の中核にあるのは「個人の尊重」、一人ひとりが自分らしく生きていくことを保証することなのだそうです。この一人ひとりとは、もちろん自分だけではなく他者を尊重すること、ひいては他国の人々の生命や自由も同じように尊重することにつながります。地球上の誰もの命を守るには、「力には力を」という発想ではなく、「戦わない」ということに尽きるのではないかと奥野先生は言葉に力を込めます。

 

奥野先生は最後に、戦争を止めるためには、それぞれの生活の中で、自分のできることを淡々とやるということが重要なのではないかと語りかけます。奥野先生自身、プラカードを持って街頭に立つ活動を行っているそう。ウクライナへの侵攻を今すぐ止めさせるために、そして「第二のプーチン」を生まないために、世界中の市民が声を上げることに意味があるのだと締めくくりました。

映画とレクチャーを視聴して

映画『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への戦い』ではロシアの軍事侵攻に至った経緯の一端を知り、ミニレクチャーでは現在起こっている戦争に対する考え方のヒントをもらうことができました。レクチャーを視聴して心に残ったのは、先生方が冷静に言葉を選びつつも、それぞれ感じておられることをまっすぐにお話しされていたことです。このような時だからこそ、臆することなく言葉を発し、議論を起こしていくことも大学の重要な役割と言えるかもしれません。

 

私たちはその言葉をどのように受け取って、生活の中に位置づけることができるでしょうか。今まさに困難の中にいる人々に思いを寄せつつ、自分にできることを見つけていきたいと思います。

 

研究者の質問バトン(4):宗教はどうして生まれたの?

2022年1月18日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

研究者の素朴な疑問を数珠つなぎに解決してゆく質問バトン。前回、東京大学の近藤修先生からおあずかりした質問は「宗教はどうして生まれたの?」でした。考えてみると、宗教にはたしかにお墓や神話といった形に残る側面もあるけれど、そもそも「神様を信じる」ということは人間の心の中の問題のはず。大昔の人の心の中を知ることなんてできるの…?

 

そんな難問について解説していただいたのは、宗教と科学の関係について研究されている東京家政大学の藤井修平先生です。

宗教の起源は「適応」? それとも「副産物」?

――宗教はどうして生まれたのか……とても難しい問いだと思うのですが、そもそも学問で答えを出すことはできるのでしょうか?

 

宗教の起源を探究することは、宗教学という学問が始まって以来の最大の課題といえます。

 

この論争の初期にあたる19世紀には、人類学者がアニミズム、マナイズム、トーテミズム(いずれも、自然物に宿る精霊やその力を信仰する自然崇拝の一種)などが宗教の最も原初的な形態だと主張しました。しかしその後、それらは確かに世界の未開の地に広く存在してはいるものの、現代の未開の人たちを見て宗教の起源と言うのはいかがなものかという反論がなされます。こうした経緯から、宗教学では現在に至るまで「宗教の起源は問えない」という見方が主流になっています。

 

――うむむ、やはり難しいのでしょうか……。

 

ところが最近、従来の人文学的なアプローチをとる宗教学とは別の立場から、宗教の起源を解明しようとする研究が現れました。それが進化生物学の流れを汲んだ、進化心理学や文化進化論といった分野です。これらでは、人間が進化的な過程でいかに宗教を獲得したのかを研究しています。

 

――ぜひ詳しく教えてください!

 

現在、大きく分けて2つの説が主流になっています。ひとつは宗教が「適応」だとする説、もうひとつは宗教は「副産物」だとする説です。「適応」というのは、それがあると生き残りやすいという利益があるために広まってきた特徴をさします。対する「副産物」は、それ自体は利益を与えるわけではないけれども、別の利益に付随して現れる特徴のことです。電球に例えると、光ることは「適応」で、熱を持つことは「副産物」ということになります。

 

「適応」説によると、宗教を信じることには、集団が結束することで他集団との競争に有利になるとか、集団内の規律が保たれるといった利益があるとされます。その結果、宗教を有する集団が生き残ってきたというわけです。この説は、文化進化論という立場から論じられることが多いです。

 

対する「副産物」説は、宗教認知科学という立場から論じられます。この説では、宗教は適応的な認知能力が誤作動するか、過剰に働いた時に生まれるとされます。例えば森の中にいて、視界の中で何かが動いたときに、他の人間や動物がそこにいるのか、あるいはただ風に吹かれて葉が揺れただけなのかを人間は瞬時に判断します。こうした能力は、未知の環境で敵などを発見するために適応的に備わったものと考えられます。こうした認知能力が過敏に働くと、何もいないのに何かがいるような気がしてしまうのです。これと似た現象に、擬人観というものもあります。模様が人の顔に見えたり、ただのモノに人間のような意識があると感じたりすることですね。こうした認知能力が原因で、霊とか神といった存在を感じるというのが「副産物」説です。

「適応」説と「副産物」説

「適応」説と「副産物」説

 

――宗教があったから生き残ってこられたのか、生き残るための能力が宗教を生んだのか……。

 

この2つの説は、どちらもある程度正しいのではないかと私は考えています。副産物として宗教が生まれて、適応的に広まったと考えれば無理がなさそうです。また違う見方をすると、適応説は宗教の集団としての側面、副産物説は個人の体験としての側面に対応しています。ひとつのものを別の角度から見ているとも言えるわけです。

注目の新説。「大いなる神々」が道徳的に人々を導いた?

――今注目されている最新の仮説などはあるのでしょうか?

 

近年注目されているのは、心理学者のアラ・ノレンザヤンが提唱した「ビッグ・ゴッド仮説」というものです。人類史では、紀元前10000年頃の新石器時代のはじめに急激に人間の集団が発達して、農耕革命が起こったことが知られています。しかし、一体どうしてそんな急激な変化が起こったのかはこれまで謎に包まれていました。

 

ビッグ・ゴッド仮説では、これに宗教が関係していると考えます。通常、集団が大きくなると、人々の結束は弱くなり統制が取れなくなってきます。そこで、大きな神、ビッグ・ゴッドが上空から人々を監視していると考えるのです。人々はビッグ・ゴッドの存在を信じることで道徳的に振る舞うようになり、あまり知らない人同士でも信頼関係を築き集団をさらに大きくすることができます。こうしてビッグ・ゴッドを信じる集団は生存競争を勝ち残り、やがて現在の大宗教を形成していった……これがビッグ・ゴッド仮説の唱えるシナリオです。

 

――ものすごく壮大な話ですが、「適応」説とうまく対応していますね。

ビッグ・ゴッド仮説では、神が天から人々を監視することで道徳的な規律が保たれる

ビッグ・ゴッド仮説では、神が天から人々を監視することで道徳的な規律が保たれる

 

ビッグ・ゴッド仮説では、「副産物」として獲得された宗教が集団の増加とともに「適応」的に広まったという立場をとっています。この説は大変話題で、ビッグ・ゴッド仮説を検証した論文が科学雑誌のNature誌に掲載されたりもしました。こちらの論文では、世界中の社会の歴史的記録をビッグデータ解析にかけて社会の規模と宗教の関係を調べていて、結論としては複雑な社会ができた後に道徳的な神が信仰されるとしています。ビッグ・ゴッド仮説と順番は逆なのですが、この論文に対してノレンザヤン側は、同じデータを分析し直すと、ビッグ・ゴッド仮説に適合する結果が得られると反論しています。このようにまさに今議論が続いているところです。

 

――なんと、宗教研究にもビッグデータが使われる時代なんですね……!

ところで、ビッグ・ゴッド仮説で唱えられている人々を監視する道徳的な神というのは、日本の仏教や神道にもあてはめて考えてよいものでしょうか?

 

ビッグ・ゴッド仮説がどの範囲の宗教まであてはまるのかはこれから検証が必要なところですが、キリスト教やイスラム教のような一神教に限った話ではないとされています。日本の歴史を振り返っても、多神教的な性質をもつ仏教が道徳的な神の役割を担って勢力を拡大してきたことは明らかです。「嘘つきは閻魔様に舌を抜かれる」という信仰も、道徳的な神のひとつの形と言えるかもしれません。

 

ただ、現在いろいろ研究が進められつつあるところによると、そうした道徳的な神が信じられるようになる以前は、突然起こる自然災害のように道徳的な違反とは関係のないタイミングで怒るような神様が信じられていたとも言われているんです。こうした神様を怒らせないために、タブー(禁忌)と呼ばれるルールがあったりします。

 

――タブーというと、「霊柩車が通ったら親指を隠せ」というような、合理的な理由が説明できないしきたりですね。たしかに宗教的ですが、道徳とは違いますね。

 

そのとおりです。日本の信仰には今でもそうした傾向が残っていますよね。なので、ビッグ・ゴッド仮説への反証として、道徳的ではない神も連綿と信じられてきたんじゃないかという見方はあります。

動物は神を信じるか?

――「副産物」説の話に戻るのですが、認知能力のバグが宗教的体験のはじまりならば、人間以外の動物でも起こりそうですよね。宗教が人間にしかないとすれば、それはどうしてなんでしょうか。

 

いい質問ですね。これに関しては、ハトを使った古典的な実験があります。ボタンを押すとランダムに餌が出てくる装置を設置すると、ハトは餌を出すために試行錯誤して、そのうちボタンを押す前に変な動きをするようになるんです。特定の動きをした時に偶然餌が出てきたので、それを繰り返して餌を出そうとするんですね。これは因果関係の認知の誤りから生じる「迷信行動」と呼ばれ、さらに発展したものが人間でいう迷信や呪術、例えば雨乞いの儀式なのだと言われています。

 

――合理的な理由はないけれど、勝手にルールを見出してそれに従ってしまう。先ほどのタブーの話にもつながりますね。

 

ですが、ハトは人間と同じように神様を信じているわけではないですよね。人間が神の存在を信じるのには、「心の理論」つまり、相手の心理状態を推測する能力が関係していると言われています。同じ霊長類であるチンパンジーと比べて、人間はこの能力が発達していることが霊長類学の実験でわかっています。相手の気持ちを想像することができてはじめて、神様が怒っているだとか、お祈りをすれば願いを聞いてもらえるだとかというふうにも想像できるわけです。

 

――認知の誤作動だけでなく、相手の気持ちを察する能力があってはじめて神様が生まれたと。

 

まあ、相手の気持ちを察するというのも、認知の誤作動といえば誤作動なのかもしれません。相手は神様でも、実在しない漫画のキャラクターでもいいわけですから。

 

――うーむ、たしかに……。

神様を信じるには相手の心理状態を推測する能力が必要

神様を信じるには相手の心理状態を推測する能力が必要

 

宗教研究の位置

――ここまで仮説について伺ってきましたが、宗教研究の分野では、実際はどんなふうに研究が行われているのでしょうか?

 

まずはそれぞれの分野の違いについて大掴みにおさらいしましょう。従来の宗教学は基本的には人文学寄りで、歴史や社会学、人類学の方法論を取る場合が多いです。ですので、人類一般に普遍的な法則を出すというよりは、ここの社会はどうであるという個別的な研究を積み重ねることに主眼を置きます。

 

対して、今回お話してきたような自然科学寄りのアプローチを行っているのは、進化心理学、文化進化論、宗教認知科学、それから宗教心理学といった分野です。進化生物学的な宗教研究には進化心理学と文化進化論という2つのグループがあり、前者は人間の遺伝的形質を重視する「副産物」派、後者はノレンザヤンに代表されるように文化に重点を置く「適応」派です。進化心理学と近い立場として、認知機能に着目する「副産物」派の宗教認知科学があります。宗教心理学では、宗教を信じると人の心理や行動にどんな変化が起きるのかに着目します。

 

これらは研究の重点に違いはあるものの、心理学的な手法、つまり心理学実験や質問紙による回答の分析などが中心になることは共通しています。また、最近はフィールド実験というものが増えてきています。いろいろな国や地域に出かけていって、人類学が対象にするような独自の文化を持つコミュニティの人々を対象に心理実験をするのです。言わば人類学と心理学のいいとこ取りですね。

 

そのほかの宗教研究の新しい潮流として、先ほども出てきたビッグデータ解析のように情報学的手法によって歴史的記録を数量的に扱おうとする動きもあります。しかしこれに関しては、データの扱いが恣意的になってしまうという批判が多いのが現状です。

 

――それぞれの分野が重なり合いつつ研究が進んでいるのですね。いつか「宗教の起源はこれだ」と結論が出る日は来るのでしょうか?

 

とにかく宗教というのは非常に曖昧な研究対象で、どの面に着目するかによっても見えてくるものが変わります。なので一つの決定的な結論を求めるというよりは、今回お話ししたような人文学、心理学、心の理論やビッグデータなど、できるだけ多くの側面から検討を重ねていって、全体として宗教を把握しやすくしていくということが必要なのではないでしょうか。

藤井先生は日本での新しい宗教研究のパイオニア

――ところで、今回の取材のための下調べをしていて、日本で自然科学的なアプローチをされている宗教研究者がとても少ないということが気になりました。

 

そうですね。自然科学的なアプローチを本格的に宗教学に導入しようとしているのは、日本では私がほぼはじめてではないでしょうか。

 

――藤井先生がどのような研究に取り組まれているについても教えていただけますでしょうか。

 

まさに今回お話したような新しい手法を、日本の既存の宗教学に接続できないかと試みています。これまでに発表されているのは欧米での研究成果が大半なので、同じ実験を日本でやってみる意義は十分にあります。そのために、博士論文では宗教心理学や宗教認知科学の出自や問題点についてまとめました。

 

問題は、実際にこうした研究を日本でできるのかというところですが、私も人文学寄りの宗教学出身なので、心理学実験やビッグデータ解析の専門家ではありません。そこで現在は、宗教に関心のある心理学者との共同研究の計画を立てたり、異分野の研究者と学会発表に臨んだりして、研究の土台を作ろうとしているところです。

 

そのほか、宗教学と心理学の接点となるテーマとして、禅やマインドフルネスの研究にも取り組んでいます。

 

――今後の研究で欧米と日本の文化や宗教観の違いが見えてくるかもしれませんね。

 

まずは日本で実験をやってみて、結果に違いが出るのか、出ないのかというところからです。それをどう解釈するかはまた次の段階で考えていきたいですね。

藤井先生の素朴な疑問は?

――今回は難しい質問にわかりやすくお答えいただきありがとうございました!
最後に、藤井先生が知りたい素朴な疑問を教えていただけますか?

 

ビッグ・ゴッド仮説では、神は天にいるということが非常に重要です。天といえば宇宙ですね。宇宙開発の現状、それも探査活動よりは、地上と宇宙空間を気軽に行き来できるような技術に興味があります。とくに気になるのは旧約聖書の「ヤコブの梯子」にも例えられる軌道エレベーターですね。もう何十年も前から構想されているので、実現に向けた動きがあるのかどうか知りたいです。実現したらそれに乗ってぜひ宇宙に行ってみたいですね。

 

――SFではお馴染みの軌道エレベーター、実現すれば、天を見上げてきた人類にとって大きな一歩になりそうです。

 

というわけで次回は「軌道エレベーターは実現できるの?」について、専門家の方を探してお聞きします!

 

(つづく)

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