恐ろしい「鬼」はなぜ愛される? 世界鬼学会会長・八木透先生に聞いた、鬼と節分の由来
トップ画像:大江山酒呑退治 / 一栄齋芳艶画(所蔵:国際日本文化研究センター/3枚組のうち2枚)
今年の節分はいつもより1日早い2月2日。なんと124年ぶりのことなのだそうだ。暦は地球と太陽の位置関係で決まるものなので、そういう年もある。しかし今年に限っては、一日でも早く「鬼」を追い出したいという人々の心情に重なるものを感じてしまう。
というわけで、今年はいつもより気合を入れて豆まきに臨みたいところだが、ちょっと待った。「鬼」ってそもそも何者なのか、あなたは説明できるだろうか。昔話の悪役。暴れん坊。本当にそれだけだろうか……?
そう言えば、以前ほとぜろで祇園祭の由来について教えていただいた佛教大学の八木透先生は「世界鬼学会」の会長でもあるそうだ。豆を掴んだ腕を一旦下ろして、さっそく八木先生に鬼と節分の由来について教えてもらった。
時代とともに変化してきた「鬼」の概念
「鬼に金棒」「鬼の目にも涙」などのことわざから「鬼教官」「鬼ころし」、大盛りの最上級「鬼盛り」まで、鬼にまつわる日本語は枚挙にいとまがない。令和の世に一大ブームを巻き起こしているあの大人気コミックも「鬼退治」の話だ。こんなに愛されている存在にもかかわらず、赤ら顔でツノの生えた暴れん坊という典型的なイメージのほかには鬼の素性について意識することは意外と少ない。
八木先生、鬼は一体どこからやってきたのでしょうか?
「鬼の由来がイメージしづらいのは、鬼という概念が時代とともに変化してきたからでしょう。
鬼が誕生したのは平安時代で、その語源は『隠(オヌ)』、つまり目に見えない存在を指す言葉でした。中国から伝わった霊魂を表す「鬼」という漢字は後から当てられたものです。当時の鬼は人間の目には見えないにもかかわらず、人間を襲い、切り刻んで食べてしまう恐ろしい存在として語られていました。それだけでなく、人々を脅かす災害や、現代で言えば新型コロナウイルスのような疫病も鬼と呼ばれていたようです。
現代に通じる鬼のイメージが確立したのは、鎌倉時代から室町時代にかけて、武士の世の中でのことです。京都の大江山に住まう鬼の頭目・酒呑童子を源頼光が退治した逸話に代表されるように、鬼は権力に従わない反逆者、まつろわぬ民を象徴する存在として語られるようになったのです。こうして、権力者に都合のいい悪者としての鬼のイメージが出来上がりました。
室町時代には、そうした鬼の物語が能や狂言、人形浄瑠璃といった芸能の題材として演じられるようになります。その中で、能で使われる般若の面に代表されるような『額に角を生やし、牙をむき出しにした』鬼のビジュアルイメージが親しまれ、キャラクター化してゆきました。大衆文化に取り入れられることで、鬼のイメージはさらに変化してゆきます。他者としての化け物ではなく、人間の心の中に潜む邪悪な部分を象徴する存在、言い換えれば人間の写し鏡として描かれるようになったのです。嫉妬や執念に囚われた人間が鬼に変貌するという物語が好んで作られました」
はじめは自然そのものや超自然的な力への畏怖の象徴だった鬼が、社会の成熟とともに反体制分子を象徴する存在になり、さらには人間の心が鬼を生み出すんだということに……それぞれの時代で人々の恐怖の対象や、社会秩序を脅かすものが「鬼」として描かれてきたのでしょうか。
「まさにそうですね。時代によってさまざまな描かれ方をしてきたことで、一言では言い表せない多面的な鬼のイメージが出来上がってきたのです。あえて一言で表現するなら、『反人間的・反社会的』な存在といえるでしょう。しかしそれだけでなく、鬼には人間に愛される側面もあるんです」
鬼はなぜ愛されるのか? 神としての鬼、鬼としての人
鬼の成り立ちを聞いてみると、悪役として扱われることが圧倒的に多いことにも納得です。一方で日本人は判官びいきと言いますか、退治される鬼のほうに同情してしまうという庶民感情もありますよね。
「それもまた面白いところで、ヒーローである武士よりも退治される鬼のほうが地元では人気があったりします。
たとえば、長野県には鬼女紅葉(きじょ・もみじ)の伝説があります。会津から京に上り、妖力を使って源経基の寵愛をものにした紅葉ですが、その正妻を呪ったことで信州戸隠に追放されます。心荒んだ紅葉はやがて鬼に変貌して人々に害をなし、ついに朝廷から派遣された平維茂に討ち取られてしまいます。このように紅葉は朝敵であり執念の鬼でもあるわけですが、一方で紅葉が討伐された長野県鬼無里では、人々に医薬や学芸といった恵みを授ける『貴女』として伝わっているんです。強烈な二面性ですよね。
鬼の代名詞、大江山の酒呑童子は人をさらう悪鬼の大将として源頼光に討ち取られてしまいますが、もともとは比叡山に住んでおり、最澄や空海に追われて大江山まで逃れてきたのだと語られます。伝説の舞台である京都府の大江山には酒呑童子の供養碑が残っているほか、現在も町を挙げて鬼を行事に取り入れ、観光資源にしています。何を隠そう、私が会長を務める世界鬼学会とその事務局のある『日本の鬼の交流博物館』も、大江町(現在は京都府福知山市に編入)が主導して設立された経緯があります。
誰もが知っている桃太郎の鬼も例外ではありません。桃太郎伝説の原型である吉備津彦命を祀っている岡山の吉備津神社には、鬼ヶ島の鬼のモデルになった百済の皇子・温羅(うら)も祀られているんです」
打ち取った相手をそのままにはしておけないという人情はもちろんですが、中央権力に従わされた地方の人々の本音が透けて見える気もしますね。それにしても、桃太郎と鬼が同じ神社で祀られているとは!
「鬼は悪者であるだけでなく、人間の役に立つ神様にもなるんです。たとえば秋田県の『なまはげ』は厄払いの神様としての側面を持つ鬼の典型ですね。あとは菅原道真公もそうです。赤い肌に角を生やし雷雲をまとった鬼のような姿で描かれることがある一方で、学問の神様として親しまれています。これは日本的な宗教観といえるかもしれません。たとえば一神教の文化ならば、神と悪魔を同時に信仰するなんてありえないですよね」
うーん、知れば知るほど不思議ですが、鬼は畏れられると同時に敬われてきた存在なのですね。現在でも鬼が愛され続ける理由はどういうところにあるのでしょうか。
「それはやはり、鬼が反人間的・反社会的な存在でありながら、人間そのものの写し鏡でもあるからでしょう。鬼の反社会的な面を象徴しているのが、人間を殺すだけでなく喰ってしまうという行動です。人間社会のモラルを完全に逸脱していますよね。しかし一方で、人間社会の中にも完璧な善人というものは存在しません。行動に移すかどうかはともかく、モラルからはみ出した『鬼』の部分を誰しも心の中に持っているんですよ。今だって、新型コロナウイルスに感染してしまった人を責め立てる残念な風潮がありますよね。目に見えないウイルスが恐ろしいのはわかりますが、果たして“鬼”はどちらでしょうか?」
う…。行き過ぎたモラルもまた鬼を生むのですね。人間の抑圧された部分を代弁したり、戒めてくれたりする存在だからこそ鬼は愛されているのかも。だとすれば、人間社会が存在する限り、鬼も時代を超えて語り継がれてゆくのでしょうね。
節分の鬼にまつわる大きな勘違い
鬼を追い払う節分の行事ですが、こちらはどんな由来があるのでしょうか?
「はい。節分の行事は、平安時代に大陸から伝来した『追儺(ついな)』という儀式に由来します。節分は立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日のことで、正しくは年に4回あるのですが、旧暦の年の初めにあたる立春前の節分がよく知られています。昔はこうした暦の節目、時間の隙間から悪いものが入り込んでくると考えられていたんです。追儺は旧暦の大晦日に行われ、四つ目の面をつけた方相氏(ほうそうし)という役割の人が、大声を発し、盾や矛を持って目に見えない鬼を撃退するという儀式でした。ですがいつのまにか、異形の姿の方相氏自身が鬼と混同されるようになってしまったです。これが、現在の節分の豆まきの原型です」
えっ、じゃあ節分で豆をぶつけられる鬼は、元をたどると鬼を追い出す側の人だったんですか。勘違いも甚だしいじゃないですか。
「やはり、追い出す相手が目に見えないものでは人間は納得できないんでしょうね。たとえば新型コロナウイルスに置き換えてみてください。ニュースではウイルスの顕微鏡写真がよく映されますが、ああして見えないウイルスを可視化することで敵対心を煽り、社会として団結できるようになるわけです」
そのあたりのお話は、先日お聞きした祇園祭の由来にも通じるところがあります。鬼の姿を可視化したからこそ、節分は特別な神事としてだけではなく、市井の人々の生活の中にも浸透したのかもしれませんね。方相氏には申し訳ないですが……。
「ちなみに、豆に邪悪なものを追い出す力があるというのも大陸から伝わった考え方です。力強く成長する生命力を秘めた豆、特に大豆はエネルギーの塊と考えられたのでしょう。追儺の儀式では桃の木から削り出した弓矢も用いられますが、中国では桃も豆と同じく祓えの力があるとされています。桃から生まれた桃太郎が鬼退治をするのもこのためです。現在の節分行事は、大陸から伝わった儀式やさまざまな考え方が合わさり、変化することで出来上がってきたものなのです」
今年も豆まきをして、鬼とうまく付き合っていこう
ちなみに、先生のお家では豆まきはされますか?
「そうですね、うちの娘も大きくなったのであまり本格的に豆まきをすることはなくなりましたが、今年も控えめにはやるでしょうね。家の中から外に向かって豆をまいて、目に見えない鬼が戻ってこないように扉をピシャッと閉めます。うちでは昔からこのやり方です。
私が子供の頃は、豆まきとは別に豆を用意して半紙に包み、それで体の悪いところをさすっていました。それから、その豆は半紙ごと鴨川に流します。そうやって穢れを海まで追い出してしまうんです。と言ってもそれはまだおおらかだった時代のことです。川にゴミを流すようなものですから、今はもうできませんが……」
あれこれお話を聞いてみてわかったのは、鬼と人間とはどうやら思っていた以上に腐れ縁、いや一心同体なのだということ。ウイルスだけでなく、すぐそばにいる鬼を年に一度は思い出しながら、うまく付き合っていきたいと思う。